Coolier - 新生・東方創想話

R.I.P

2011/09/02 23:19:05
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――博麗霊夢――

 魔理沙は自宅より博麗神社にいる時間の方が長い。おそらく魔理沙の生息地はと訊くと大概の者がそろいもそろって「博麗神社」と答えるだろう。それくらい魔理沙は博麗神社に入り浸り、お茶とお菓子を貪り、霊夢と暇をつぶしている。
 この日も魔理沙は当然のように博麗神社へ向かうのだった。

 「よお、霊夢――ってうわっ!」
 「あら、魔理沙。何驚いてんのよ」
 春の夕暮れ時、魔理沙がいつものように縁側から博麗神社を訪ねると、霊夢は茶の間でいつもの巫女服ではなく、黒の和服らしき服を着てお茶を飲んでいた。
 あまりに見慣れない姿だったため魔理沙は一瞬別人かと思った。魔理沙の常識ではまず霊夢が巫女服以外の服を着ているのはあり得ない。
 「何だ? 一体何があったんだその服。お前巫女服はどうした?」
 魔理沙は慌てふためきながら霊夢に訊ねる。
 そんなに驚かなくてもいいのにと思いながら霊夢は訊く。
 「私が巫女服以外の服を着ているのがそんなに変かしら?」
 「ああ。はっきり言うとありえん」
 「本当にはっきり言ってくれるじゃない……」
 はっきり過ぎる魔理沙に思わず霊夢は苦笑した。

 「今日ね、お葬式があったのよ」
 「なるほど。それでそれは喪服ってわけか」
 そう言いながら魔理沙は靴を脱ぎ、無断で上がりこむと霊夢の正面に座った。いつものことなので霊夢は特に咎めない。
 「あれ? ここ、神社だよな?」
 「別にうちで葬式ってわけじゃないわよ」霊夢は少し呆れながら言う。「人里のお寺であって、それで私も今帰ってきて丁度一服してるとこ」
 「まあそりゃあそうだよな」
 一人で納得しながら魔理沙はちゃぶ台に肘をついてははっと笑った。

 「饅頭あるけど食べる?」
 「ああ、もらう。ついでにお茶もな」
 「はいはい」
 霊夢は立ち上がると台所へと向かい、お盆に熱いお茶の入った湯呑みと葬式饅頭を乗せて戻ってきた。
 「はい」
 「おお、済まないな」
 魔理沙の前に湯呑みと葬式饅頭を置くと、霊夢は元の位置に座り、再びお茶を飲み始めた。

 「……思ったんだが、着替えないのか?」
 しわになるんじゃないかと、魔理沙は思う。
 「うん。一応喪に服しておこうかと思ってね」
 霊夢がそう答えると、魔理沙は「喪に服す?」と首をかしげた。
 「何だ、知り合いの葬式だったのか?」
 「いや、知り合いじゃなかったらそもそも葬式なんて行かないわよ」
 「まあ、確かにそうだろうけど……。――で、誰の葬式だったんだ?」
 「私が昔いた孤児院の院長さん」
 「孤児院?」魔理沙は初めて聞いたと驚く。「お前、孤児だったのか?」
 「うん、一応」霊夢は答える。「捨て子だったんだって」
 「まるで他人事だな」
 魔理沙は霊夢の言葉に苦笑する。
 そんなことをさらりと言うなよと、自分で訊いておきながら思う。自分が孤児と言う重い話を普通そんな軽々しくするだろうか。
 「だって、孤児院にいた期間はすごく短いんだもん」昔のことを振り返りながら霊夢は言う。「神社に迎え入れられて修行を始めたのが物心ついてまもなくだからほとんど憶えてないのよ、孤児院にいたときのこと」
 「じゃあ行く必要はなかったんじゃないか?」
 「そういうわけにはいかないわよ。一応恩人なわけなんだし」
 霊夢にそう言われると、魔理沙はそれもそうかと苦笑した。

 「でも、ちょっと複雑なのよ」
 「何がだ?」
 「恩人が亡くなったんだから普通は悲しいもんよね。私の周りにいた院長さんにお世話になった人たちはみんな泣いてたし。――でも、私、院長さんの顔どころか年齢や性別すら憶えてなかったのよ。だから悲しくないっていうか、泣きようが無いっていうか……」
 「なるほど、それで居づらかったってわけか」
 「うん、そういうこと」
 そりゃあそうだよなと、魔理沙は思う。葬式に出たことが無いから分からないが、遠い親戚や知り合いならともかく、周りが泣いている中で一人平然としているのは異様な光景だ。
 「その院長さんも可哀想だよな。せっかく愛情をこめて育てた教え子に忘れられるなんて」
 「いや、愛情こめてたかどうか分からないって」
 「そりゃあ、こめてただろうよ」根拠がないにもかかわらず、魔理沙が自信あり気に言う。「周りのお世話になった人たちが泣いてたってことは惜しまれるような良い人だったんだろう? 当然、お前だって可愛がってもらってたさ」
 「うーん、そうなのかなぁ?」
 どうもそんな気がしない霊夢に、魔理沙は笑いかける。
 「だから、お前の喪に服そうって判断は間違っちゃいないと思うぜ」
 「……まあ、考えてもしょうがないことだし、そういうことにしとこうか」
 霊夢は軽く笑い、再び湯飲みに口をつけた。
 魔理沙も饅頭をかじる。

 「……それにしても、人間っていつ死ぬか分からないものね」
 「ん?」
 霊夢らしからぬ割と重い話だったので魔理沙は饅頭を置き、霊夢の方を見る。
 「どうした?」
 「聞く話によると院長さん、まだ四十代後半だったんだって」
 「ふーん、まだ死ぬには早いな」
 「半年前までは全然元気で、とても死にそうには見えなかったそうよ」
 「っていうか、院長さんの死因ってなんだよ?」
 「私も詳しいことは知らないけど、病死だったらしいわよ」
 「病死?」
 「うん、病死。どこが悪かったとかは聞いてないけど、昔から抱えてた病気が急に悪くなってそのまま逝ったって」
 「なるほど、それでいつ死ぬか分からないって思ったわけか」
 魔理沙は腕を組んでうんうんと頷いた。
 「まあ確かに人間はいつ死ぬか分からないな。特に妖怪を見てるとそう思う。あいつらに比べたら、人間はすごく弱いからな」
 「私たちもうっかりしてたら死にそうだもんね」
 「でも、少なくとも私は霊夢よりは長生きするな」
 「は?」
 魔理沙の言葉に、思わず霊夢は眉をひそめて「何を言ってるんだ?」と表情で表した。
 「いや、そんな顔するなよ。私生きるぜ。超生きるぜ?」
 「と、言われてもね……」
 霊夢は腕を組んで魔理沙をジト目で見つめる。
 「あんた、何かすぐ死にそうなのよね。今日の帰りに死んでもおかしくないくらい」
 「いやいや、絶対それは無い」
 魔理沙は全力で首を振った。
 「弾幕ごっこで事故ってドーンとか、箒から落ちてドーンとか、実験に失敗してドーンとか、いきなり身体がドーンとか」
 「おい、最後おかしいぞ!?」
 「とりあえず、私より先に死ぬのは確かね」
 そう言って霊夢は笑う。魔理沙は「いやいやそれは無い」と首を振る。
 「それは絶対に無いぜ。お前が先に死ぬんだ。私はそうだな、ざっと千年は生きるな」
 魔理沙はむきになったように霊夢に言い返す。半ばやけくそで無茶苦茶なことを言っている。
 「そうだ、どっちが長生きするか勝負しようぜ」
 不意に魔理沙はにやりと笑ってそう言う。
 「とんでもない勝負ね」
 霊夢は呆れた顔をして呟く。
 「このまま言い争っても不毛なだけだろ?」
 「そりゃあそうね。で、勝った方はどうするの?」
 「そうだな、負けた方の葬式の香典を少し貰うってのはどうだ?」
 「まあそれくらいが妥当ね。いいわよ、受けてたとうじゃない」
 「せいぜい長生きしろよ?」
 「そっちこそ。その言葉、後悔させてあげるわ」


 ――こうして魔理沙と霊夢の永きに渡る戦いは始まった。
 しかしこの戦いを、当の本人たちは翌日にはすっかり忘れてしまうが、それはまた別の話である。



◆◆◆◆◆◆



 「お前、妖怪についてどう思ってる?」

 「別に可も不可もないわよ。しいて言えば退治しなきゃならない存在だったけど、かと言って別に嫌いってわけでもなかったし。あんたはどうなのよ?」

 「私か? 私は好き、かな。今の自分もどちらかと言えば妖怪寄りだしな」

 「そもそもあんたの『嫌い』の基準ってなんなのよ。あんたが誰かを嫌うなんてこと想像できないんだけど」

 「私の好き嫌いは、敵か味方かだよ多分。好きな奴はみんな味方だし、嫌いな奴はみんな敵だ。まあ、今の幻想郷に私の敵は存在しないけどな」

 「ってことは、私は好きなの?」

 「あ? お前? 知らねえよ。普通じゃねえの?」

 「もしかして実はこの幻想郷にはあんたの味方はいないんじゃないの?」

 「バレた?」



◆◆◆◆◆◆



――アリス・マーガトロイド――

 魔理沙がアリスの家を訪れるのは大概物を借りる時か、雨が降っていて遠出をしたくないが暇な時だ。今日の魔理沙は後者の理由でアリスの家を訪ねた。
 アリスは魔理沙が訪ねて来ると例外なく嫌な顔をする。前者の場合は強引に物を持って行かれ(あるいはその防衛に労力を使うので)、後者の場合はお茶と茶菓子をしつこくねだられるからだ。

 雨の降る昼下がり、アリスの元を訪ねてきた魔理沙は「遊びに来たぜ」とだけ言い、勝手に家に押しかけ、いきなりお茶と茶菓子を要求してきた。
 アリスは疲れたようにため息をつくと、人形を使って適当に紅茶を入れ、それを若干形の崩れたクッキーと一緒に行儀悪く椅子に座った魔理沙の前のテーブルに置き、行っていた人形作りの作業に戻った。
 今作っているのは戦闘用の人形。どこかの誰かさんが必要以上に壊してくるので頻繁に新しく作らなければならない。
 魔理沙は作業するアリスを尻目に、だらしなく肘をテーブルにつきながら形の悪いクッキーを頬張る。あくまで形が悪いだけなので味は良い。
 今度は紅茶を少し飲む。

 ふと、魔理沙は人形を作り続けるアリスを見て、「こう見てると魔法使いじゃなくて人形師に見えてくるな」と笑った。
 「あら、そう言うなら私もあんたがキノコを拾う姿が薬剤師かきこりか何かに見えてくるわよ」アリスは人形を作る手を止めずに言う。
 「私のはお前のとは違うぜ」
 「どう違うのかしら?」
 「……違わんな」
 アリスに言い負け、魔理沙は苦笑した。

 「まああんたの言いたいことは分かるわ」と、言ったところで一体人形が完成。「私は昔人形屋を営んでいたのよ」
 「昔?」
 「ええ」アリスは完成した人形を置くと、紅茶に口をつけた。「昔。私がまだ人間だったころよ」
 「人間?」魔理沙は驚く。「あれ、お前って魔界から来た魔界人じゃなかったっけ?」
 「私は元人間だけど?」
 「マジで!?」
 魔理沙の知る昔のアリスは、魔界の幼い少女だ。大きな魔道書をかかえ、様々な魔法を使い、魔理沙を苦しめた。
 幼い姿をしていたのは魔法に失敗したせいだと本人から聞いているが、それ以外のことは未だに聞いていない。
 「何で元人間の魔法使いが魔界なんかにいたんだ?」
 「別にそんなのどうでもよくない?」
 「いや、どうでもよくないぜ。気になるじゃないか」
 魔理沙の言葉にアリスは呆れる。誰にも説明する気はなかったのだが。
 「本当に面白くないわよ」
 「面白い面白くないは私が決める。さ、話してみな」
 アリスは大きくため息をついた。これは話すまで喰らいついてきそうだ。
 「仕方ないわね。あんまり話したくはないけど、話してあげるわ。その代り、ちゃんと聞きなさいよ」
 「おう」
 「とりあえず、私の生まれから話した方がわかりやすいかしらね」
 「意外と丁寧だな」
 「こうでもしないとあんた後で理解できずに質問攻めしてくるでしょう?」
 「ああ、それは違いないな」
 魔理沙は思わず苦笑した。


 アリスが生まれたのは幻想郷の外の世界。第二次世界大戦中のヨーロッパのとある国。人口の少ない田舎町の人形屋だ。
 家族構成は母と二人。父はアリスが物心つかぬうちに戦場へ赴き、そのまま帰らぬ人となった。

 アリスの母は女手一つでアリスを育てつつ、町一番の人形屋を一人で切り盛りしていた。
 アリスは物心がつくと、母の手伝いをしだし、十にも満たぬ幼さで母の作る物以上の人形を作り上げるようになった。

 アリスには人形作り以外にもう一つ特技があった。人形劇である。
 自分で作り上げた人形を手足のように操り、覚えたての物語を繰り広げる。
 アリスの人形のような容姿も相まってか、彼女の人形劇は町中で評判だった。その評判は町の外まで広がり、中には隣町から訪れる客もいた。

 アリスは幸せだった。大好きな人形で人々を喜ばせることができ、そのうえ大好きな母に楽をさせることができる。
 アリスは毎日のように人形を作り、人形劇に磨きをかけていった。
 いつまでもこんな日々が続けばいい。そう思いながらアリスは幸せな人生を送っていた。

 しかし、その幸せは長くは続かなかった。
 アリスが十二歳のとき、大好きな母が倒れ、数日後に亡くなった。流行の風邪にかかり、そのまま拗らせて逝ってしまったのだ。
 母が死んで、アリスの人生は大きく変わった。
 大好きな人形作りも、人形劇も、手につかなくなった。
 大好きな母を亡くし、何をどうすればいいのかわからなくなり、アリスは店を閉めてふさぎ込んでしまった。
 可哀そうなアリスを引き取ろうと町の人たちが何人か手を差し出したが、アリスはそれをすべて蹴った。母以外との生活が考えられなかったのだ。

 母が亡くなって数週間が経ったある日、アリスはとあることを思いつく。
 ――人形に生命を宿らせれば、お母さんをよみがえらせることができるんじゃないだろうか?
 それは現実逃避とも取れる提案だったが、アリスは本気だった。
 お母さんを生き返らせれば、また幸せな日々を送ることができる。アリスはそう願った。

 人形に生命を宿らせるにはまず魔法を習得しなければならない。そう考えたアリスは町の古い図書館の本の中から魔術に関係のありそうな本を探し、読めそうなものを選び出し、数冊の古く分厚い本を借り、それらを家へ持って帰る。
 それからアリスは家に閉じこもり、借りてきた本を血眼になって解読した。食事もまともに摂らず、ほとんど寝ることもなく、昼も夜も本の解読に明け暮れた。
 アリスを見守っていた人々はまるで何かに憑かれてしまったが如く豹変してしまった彼女に戸惑った。悲しみのあまり自暴自棄になっただとか、何者かの霊に憑りつかれただとか、怪しい儀式の用意をしているだとか、様々な噂が立った。
 村の人々が様々な噂をする中、アリスは何事も気にすることなく解読を続けていった。
 すべては、亡き母を蘇らせるために。

 解読を始めてから一週間が経った。
 アリスはようやく魔法を身に付けるためのひとつの方法を見つけた。それは、魔界へ行くことだった。
 解読した本の中には魔界に関する記述、魔界に君臨する神に関する記述、魔界へ行くための方法が書かれていた。
 魔界の神は自らの魔力により自分の子供たちを創り、それに魔法を授けて生活しているらしい。
 もしそれが本当なら、その魔界の神に頼めば魔法の力を手にすることができないだろうか? アリスは浅はかにそう考えた。
 代償や犠牲があったって構わない。お母さんのためならなんだって差し出してやる。
 アリスはそう決意すると魔界へ行くための準備を始めた。

 自分の部屋から邪魔な物を根こそぎ払い出し、部屋の壁にペンキで魔方陣を書く。魔界への門を開くための魔方陣も、魔法の呪文もそこまで難解ではなかった。
 魔方陣の準備は二日間で済み、三日目には詠唱する呪文を覚えた。

 そしてアリスは人間界を出て魔界を訪れた。
 初めて見る魔界は何とも幻想的な世界だった。空に太陽があるにもかかわらずあたりは薄暗く、また、不思議な色の街灯や、都会的な建物がアリスを不思議な気分にさせた。
 人間とほとんど変わりのない魔界人たちが忙しそうに行き交い、思い思いに話をする。見たことはないが人間界の都会に近いんじゃないだろうかとアリスは思った。
 それにしても、空気が重い。人々は明るいのに空気が重く、息苦しい。もしかするとこれが本に書いてあった瘴気というやつだろうか?
 とにかく早く魔界の神の住処を探さなければ。そう思いながらアリスは辺りを見廻した。
 魔界の神の住処はすぐに見つかった。街の少し離れた場所にまるで城のような大きな屋敷があった。おそらくそこで間違いはないだろう。アリスはそこを目指し、歩き始めた。

 街と屋敷の間にはそれほど距離はなかったが、アリスかなり疲弊していた。元々体力に自信がなかったが身体がまだ幼いのもあってか、まるで登山をしたような、いや、それ以上の疲れがアリスの身体に襲い掛かった。
 根を上げてしまいそうだった。意識は朦朧とし、今にも倒れてしまいそうだった。
 アリスはなんとか最後の力を振り絞り、屋敷の門の前までたどり着き、そこで意識を失った。


 アリスが目覚めると、どこかよくわからない簡素な部屋のベッドの中にいた。
 「あら、起きたみたいね」
 声がしたので身を起こして辺りを見ると、ベッドの傍らで銀髪の赤いローブを着た女性が椅子に座ってこちらを見ていた。
 アリスはその女性の姿を見て思わず涙を流してしまった。
 その女性は、あまりに母に似ていたから。
 その姿を再び直接見るまでは我慢するつもりだったのに、泣き出してしまった。
 「え、ど、どうしたの?」
 急にアリスが泣き出してしまったため、女性はあたふたとした。
 「いや、ごめんなさい」アリスは溢れる涙を拭きながら謝る。「なんでもないんです。なんでも……」
 「……そう。それならいいんだけど」女性はアリスを心配そうにしながら続ける。「ところで、貴女はどうやら人間でそれに魔法使いにも見えないけれど、魔界に何か用かしら? ここは普通の人の来る場所ではないわよ」
 「魔法使いになるために来たんです」アリスは涙を抑えながら返す。「魔界には魔法の力で子供を創って魔法を授ける神様がいるって本で読みました。その神様に魔法を教えてもらいに来たんです」
 「なるほどね」
 「――あっ、そうだ!」アリスは思い出した。自分はあの大きな屋敷にたどり着いたんだ。おそらく魔界の神が住んでいるだろう、あの屋敷に。「ここはあの街から見えた大きなお屋敷ですか!? ここには魔界の神が――」
 「落ち着きなさい」女性はアリスをなだめる。「貴女の言うとおり、ここは魔界の神の住処。そしてその魔界の神は私よ」
 「え!?」
 アリスは驚いた。
 想像していたのはもっと厳格そうなのだったのだが、まさかこんなに優しそうな人だとは思わなかった。
 「貴女の事情は訊かないわ。でも私もただで魔法を授けるわけにはいかない」
 「覚悟はしてます。どんな代償でも犠牲でも受け入れます」
 「そう身構えないでよ」魔界の神は少し笑う。「別にそんな怖いことをしようというつもりはないわ。ただ――」
 「ただ?」
 「魔法を授ける代わりに、貴女には私の娘になってもらうわ」
 アリスは思わず息をのんだ。
 この人の娘になる。それはアリスにとって大事なものを手放してしまうのと同じように感じられた。
 だが――ここで渋ってはいられない。なんでもすると覚悟したのだから。
 アリスは、ゆっくりとうなずいた。
 「お願いします」


 「それから私は神綺様の娘として魔法の修行を始めたの」アリスは空になった魔理沙のカップにお茶を注ぎながら語る。
 「随分とすんなり教えてもらえたな。私はてっきり魂でも持っていかれるんじゃないかと思ったぜ」
 「似たようなものよ。少なくとも当時の私にはそう思えた。娘になるってことは、弟子入りするよりもっと親密な関係になるってことなのよ。母以外を拒絶してた私にとってそれは、一番の苦痛とも言えたわ」
 しかも神綺様は母の面影があったから余計にねと、アリスは続けた。
 「ふーん。で、その後お前はどうなったんだ?」
 窓の外をちらりと見てから魔理沙は訊ねる。雨脚は強くなりつつある。しばらく帰るのはよした方が良さそうだ。
 「それからすぐに私は神綺様の元で修行を始めたわ。魔界の空気や他の娘たちになれるまで少し時間がかかった。でも私は物覚えは良い方でね、魔法の習得はそれなりに早かったわ。魔道書に書かれている魔法を次々に覚え、神綺様にも驚かれた。だけれど、母を生き返らせる魔法は全く覚えることなんて――いや、そもそもその存在すらわからなかった。今でもそう。もしかすると死者を蘇らせる魔法なんてものは存在しないのかもね。当時の私も薄々そう感じていたけど、そんなことはないって自分に言い聞かせ、研究を続けたわ」

 そしてアリスが二十歳になったころ、神綺はアリスにこう言った。
 「もう自分でもわかっているんじゃない? それは叶えようのない望み、いや、そもそも意味を成さないことだって貴女だってわかっているでしょう?」
 神綺はアリスが何をしようとしているのか、どういうつもりなのかわかっていた。
 アリスはようやく理解した。自分のやっていることが無意味だということと、自分の行動がただ単に母への甘えだったことを。アリスはただ甘えたいが為にありもしない魔法を探していたのだ。

 「私は途方に暮れた。私がこれまでやってきたことがすべて無意味なら、私はこれからどうすればいいのだろう? と。私が魔法の修行を重ねる意味なんてもうないんじゃないかしらと思ったわ。でも、私には魔法と人形以外何もない。じゃあどうしよう。そう考えているとき、神綺様はこう言ったの」

 「そんなの簡単よ。貴女が得意なこと、好きなこと、したいことをただやればいいだけ。そうすればどうすればいいかなんてすぐにわかるわ」

 「私の得意なこと、好きなこと、したいこと。それは――人形。人形劇。私はすぐに魔法で人形を動かす練習を始め、捨虫の魔法を使い、あんたたちと出会い、幻想郷にやってきて――」
 「で、今に至るってわけか」
 「そう」
 アリスは話し終えるとふうと一息つき、紅茶で乾いた喉を潤した。

 「うん、まあ、面白い話だったかな?」
 「何で疑問形なのよ」
 「いや、面白かったぜ、多少」
 「多少、ってあんた、人に長話させといてそれはないんじゃないの?」
 まあどうでもいいか、とアリスはため息をついた。
 外では雷が鳴り始めた。これは今夜中には止みそうにない。帰るのが大変だなと、魔理沙はアリスを尻目に思った。
 「一応先輩魔法使いとして忠告しておくけど、もしあんたが惰性かなんかで魔法使いをやってるなら手遅れにならないうちにやめた方が良いわよ」
 どういう意味だ? と魔理沙は首を傾げた。
 「目的もなく魔法使いを永くやってると、だんだん『自分は何をやってるんだろう?』って思えてくるのよ。魔法使いって言うのは結局のところ、人間とあまり変わらない。魔法の研究に命を捧げる、悲しい生き物なのよ。もしその悲しい生き物が魔法に対しての情熱を失ってしまったら、どうなると思う?」
 「そりゃあ、生き甲斐を失って空っぽになっちまうだろうよ」魔理沙は当たり前のように答える。
 「そう。もし捨虫を使って永く生きるようになった魔法使いがそうなってしまったら、新しく目的を探すか、生きるのをやめて自殺するしかない。人間のように惰性で生きてても寿命は訪れないからね」
 「お前は何かあるのか? その自分の目標的なことが」
 「私は、人形よ」アリスは誇らしげに言う。「魔法によって生きているかのような動きをする人形や、自分でものを考えて行動する人形とか、いろいろなことを考えてるわよ。魂を与えるまではできないけどそれくらいのことならきっとできるって信じているわ。――で、あんたは何があるのかしら?」
 「そうだな、私は……」
 魔理沙はアリスよりも自信あり気に、はっきりと、言った。

 「んなもんわかんねーよ」




◆◆◆◆◆◆

 「あんた、強くなりたいって思ったことある?」

 「いつだって思ってるさ。今だってな。実力をつけるためにいつも努力してるんだぜ」

 「ふーん。予想通りね。ちなみに私は思ったことない」

 「お前はそんな努力しなくても強かったからなぁ」

 「褒めてるの?」

 「努力を知らないから努力してるやつの気持ちがわからないって意味さ」

 「そんなこと言われてもねぇ、強さが必要だと思ったことないんだもの。あ、でも」

 「ん?」

 「努力してるあんたのこと、ちょっとだけうらやましいって思ったことならあるかも」



◆◆◆◆◆◆



――聖白蓮――

 繰り出される拳や蹴りを紙一重で躱し、反撃の機会を待つ。
 一発でも当たれば沈みそうだと、魔理沙は冷や汗を流しながら思う。一方の攻撃を繰り出す白蓮は、冷や汗を拭う隙すら与えてくれない。

 ここは命蓮寺の離れにある武道場。ここで魔理沙と白蓮はおそろいの道着を着て殴り合い、もとい、稽古をしていた。
 本当は稽古ではなく、魔理沙の肉体強化魔法の修行をしていたのだが、白蓮曰く「この魔法の修行は実戦に近い形で行った方が効率がいいの」ということで、魔理沙は基礎だけ叩き込まれ、白蓮と組手稽古を行うことになったのだ。

 魔理沙の動体視力と瞬発力は人間としては良い方なのだが、白蓮の拳を躱せるようになるまで二日もかかった。はじめのうちは白蓮の動きを目で追うだけで精いっぱいで身体を反応させるまでには至らなかった。しかし、流石魔理沙と言うべきか何度殴られてもあきらめず(もちろん白蓮の手加減のおかげもあった)、何度も何度も挑み、初めの一発目を避けれるようになり、さらに二発、三発と立て続けに避けれるようになり、白蓮の動きを捉えれるようになり今に至る。
 魔理沙の身体中の青あざが、これまでの努力の証明だ。

 魔理沙は白蓮の繰り出す連打を躱しながら必死に隙を探す。ここまで躱せるなら反撃だって可能なはずだ。
 「――このッ!」
 白蓮の右の拳に対し、カウンターで拳を突き出す。しかし、その拳は白蓮の元に届きはしたものの、空いていた左手に受け止められる。
 「この場合、一発逆転を狙うより足を狙ってけん制して形勢を整えるべきだったかもしれないわね」
 「……なるほど、殴ってくることは読んでたってわけかい」
 「その通り!」
 掴まれた拳を思い切り引かれ、たたき伏せられる。
 「んがっ!」受け身を取れず、魔理沙は思い切り床に叩き付けられる。「痛てて、くっそ……」
 「動きはなかなか良くなってきたわ」白蓮はのそりと立ち上がる魔理沙に向けて言う。「今度は貴方から仕掛けてきなさい。ただし、工夫して仕掛けないとさっきの二の舞になるわよ」
 「工夫、ね」魔理沙は白蓮と間合いを取り、構え、笑う。「んじゃあ遠慮なく工夫させてもらうぜ!」
 拳を握りしめ――思い切り突き出して開き光を放つ! 目くらましだ!
 「なっ!」予想外の攻撃に流石の白蓮も虚を突かれひるむ。
 その隙に魔理沙は力を思い切り強化し――殴りかかる!
 「――どうだ!」
 「いまいちね」
 「なっ!」
 白蓮は目を閉じたまま魔理沙の攻撃をガードしていた。
 「目くらましをしてきたのは読めなかったけど、そのあと攻めてくるのは読めたわ。せめて後ろに回り込んで攻撃すれば優位に立てたんじゃないかしら?」
 「……くっそお……」魔理沙は突き出した拳を下ろすと、崩れるように倒れた。流石に体力も魔力も限界のようだ。
 「でも、たった二日間でこれだけ動けるようになるなんて予想外だったわ」白蓮は魔理沙の顔を覗き込み、優しく笑いかけながら言う。「貴方がかなりの努力家だからってのもあるけど、それなりに才能もあると私は思うわ。――まあ何はともあれ、少し休憩しましょう。昨日おとといと夜もほとんど寝ずに動き続けて疲れたでしょう?」
 「確かにさっきので力使いすぎてもう身体が言うことを聞かないな」魔理沙は力無く笑う。「すまんが肩を貸してくれないか? 足腰に力が入らないんだ」そう言い終わる前に、白蓮は魔理沙を抱きかかえた。
 「お、おい、そこまでしなくたって――」魔理沙は頬を赤く染めて抵抗する。が、ほとんど身体が動かず、まともな抵抗にならない。
 「貴方は軽いからこれくらい全然苦にならないわ。気を楽にして」
 白蓮がそう笑いかけると、魔理沙は渋々抵抗するのをやめた。
 「とりあえず、部屋まで運ぶわ」


 「なあ、白蓮」
 武道場から命蓮寺の魔理沙に貸している客室までの道のりで、白蓮に抱えられたままの魔理沙は訊ねた。
 「ずっと気になってたことがあるんだ」
 「何?」
 「どうしてお前は私に肉体強化魔法を教えてくれたんだ?」
 「どういうことかしら?」白蓮は歩きながら首をかしげる。
 「私の知っている魔法使いはみんな自分の魔法を人に教えたがらないんだ。私の師匠だって弟子でもないやつには魔法を教えたりしないって言ってた」魔理沙は今まで師である魅魔以外から魔法を教わったことはない。欲しい魔法は見様見真似で身に付ける――それが魔理沙だ。今回白蓮に魔法を教わったのも、魔理沙の言った「肉体強化の魔法を教えてほしい」と言う冗談を白蓮が真に受けたことがきっかけで、魔理沙自身不本意のことだった。
 「と言うかさ、」魔理沙は立て続けに質問する。「そもそも、何で私にこんなに優しいんだ?」
 魔理沙の問いに対し、白蓮は、
 「そうね、貴方が私の弟に似ているから、かしら」
 そう答えた。
 「はあ?」と、魔理沙は首をかしげる。「お前の弟って確か、すっごい僧侶だったんだろ? そんなすごい奴と私のどこが似てるって言うんだ?」
 「そうね」白蓮は少し考えると、「努力家のところとか、妖怪と対等な付き合いをしているところとか、かしら」
 「ちょっと待て、もう一度訊くけど僧侶だろ? 妖怪と対等な付き合いをしていた、のか?」
 「ええ」白蓮はうなずいた。「命蓮は僧侶として人々を妖怪から守っていたけど、妖怪を殺したり迫害したりすることはなかったわ」
 「それって僧侶としてまずいんじゃないか?」
 「もちろん。現に私は妖怪との共存の望みを知られたのが原因で封印されたの」
 「じゃあお前の弟だってやばかったんじゃないか?」
 「ええ。私がごまかしていなければ大変なことになっていたでしょうね」
 「お前は知ってたんだ。そのことを」
 「ええ」白蓮は懐かしそうに当時のことを思い出す。「あの子は私だけに教えてくれたわ。自分が何を考え、どういう気持ちで妖怪と向き合っているかを」
 ただ、残念ながらその思いを叶えるのはこの時代では不可能に近い。在りし日の命蓮は白蓮にそう言った。
 妖怪と人間が対等な世界を望んだ命蓮。彼の望みは最期まで叶うことはなかった。
 「お前は弟想いの姉なんだな」
 「え?」
 「だって、もしお前の弟の考えていることがバレて、お前もそれを隠していたってことが知られたら、お前だってだたじゃ済まなかったんじゃないのか? 自分が喋れば自分だけでも助かるって思わなかったのか?」
 「思わなかったわ」白蓮は即答した。「唯一の家族だからそんなこと思いつきもしないわ」
 「やっぱり、弟想いだな、お前は」
 そう言って魔理沙はにっこりと笑った。
 そんなことない。白蓮は心の中で呟く。
 当時の自分は、今のように妖怪と人間が対等な世界を望んではいなかった。命蓮の考えを肯定してはいなかった。
 そればかりか、命蓮が逝ったとき、その死にすら向き合うことができなかった。そんな自分が、弟想いであるはずがない。

 もしかすると、自分がこの若き魔法使いに良くしているのは弟に対する償いのつもりなのかもしれない。魔理沙に弟の姿を見出して償いをしているのかもしれない。
 「思ったんだが」
 考えに耽っていた白蓮に、魔理沙が声をかける。
 「やっぱり私はお前の弟と似てないような気がするんだ」
 「え?」
 「だってさ、お前の弟は結局考えるばかりで行動には移れなかったんだろ? 殺したり迫害したりはしなかったものの、表立って対等だって言えなかったんだろ?」
 「それは、仕方なかったから……」
 「私がお前の弟なら堂々と対等だって言ってやる。周りのことなんか気にしない。自分がやりたいようにやる。それが私だ」
 「でも、それを言ったがために殺されてしまうかもしれないのよ?」
 「それでもさ」魔理沙は自信満々に言う。「私が魔法使いになるって言った時と同じさ。周りの奴はみんな反対したけど、私は構わず家を飛び出した。私は我慢ができない性分でな、思ったことはどうもやっちまうんだ。だから私を弟と重ねるのはちょっと違うと思うぜ」
 「じゃあ――」白蓮は疑問に思う。「何で私は貴方に甘いのかしらね? 同業者ってのもちょっと違うような気がするけど」
 「私のことが好きなんじゃないか?」
 魔理沙は悪戯っぽく笑う。
 「それはないわね」
 白蓮が即答し笑い返すと、魔理沙は「ありゃ」と苦笑した。


 白蓮は魔理沙を寝かしつけると道着から部屋着に着替え、自室でお茶を飲むことにした。夜遅くまで魔理沙の稽古に付き合っていたので眠気が多少あったが、それよりも少し喉が渇いていた。

 (私があの子に魔法を教えた理由、ね)
 冷たいお茶を飲みながら白蓮は考える。
 (あの子に命蓮の面影があったから、だけじゃないわ)
 確かに魔理沙は命蓮に似ていた。姿は少々違うが性格は幼いころの命蓮にそっくりだ。
 魔理沙が命蓮に似ていたから魔法を教えたというのはあながち嘘ではない。
 (一番の理由は、そうね、若い魔法使いに自分の技を授けたかったから)
 それは、白蓮が現在も魔法使いを続けている動機の一つ。
 白蓮は長きにわたり封印されていたが齢千を超える魔法使いだ。
 封印が解かれた当初は魔法使いをやめ、僧侶として自分の教えを広めることに専念しようと考えていた。しかし、幻想郷には幼き魔法使いがいた。霧雨魔理沙だ。人間の魔法使いである魔理沙は人間でありながら妖怪と交友を深めていた(少なくとも白蓮の目にはそう映った)。まさに白蓮にとっては理想の存在だった。
 白蓮は魔理沙を育ててみたいと思った。人間と妖怪の間の礎になってくれるであろう魔理沙に自分の持っている技術を与え、立派な魔法使いになってほしいと思った。
 幸い、魔理沙は白蓮の予想していた以上に教わったものの飲み込みが早かった。この分なら近日中にも肉体強化の魔法をマスターしてくれるだろう。
 (さて、もうそろそろ仕上げね)
 そう思いながら、白蓮は気合を入れるのであった。


 半日の休憩の後、魔理沙と白蓮は組手を再開した。

 気まぐれで変則的なコンビネーションを白蓮は時々意表を突かれながらも軽く躱す。
 魔理沙の動きは休憩前に比べると格段に良くなっている。まだ軽く躱せるとはいえ、気を抜けば当たってしまいそうだ。
 白蓮は魔理沙の攻撃の一瞬の隙を突き、腕を掴んで投げ飛ばす。
 「おっ!?」
 魔理沙は受け身を取ってすぐに構えなおした。

 「すごいわ、魔理沙。動きが随分と良くなってる」
 白蓮が褒めると魔理沙は構えたまま照れくさそうに笑った。
 「これから少しずつ手加減をやめていこうかと思ってるから貴方も気を引き締めてかかって来なさい」
 「おう、任せとけ」
 「じゃあ、来なさい!」
 そう言うが否や魔理沙は素早く白蓮の横に回り込んで足払いを放つ。が、白蓮はそれを躱す。
 「次!」
 白蓮が叫ぶとすぐに魔理沙は体制を戻し低めの拳を叩き込む!
 白蓮はそれをものともせず身体をそらして躱し、
 「えい」
 魔理沙の背中に手刀を叩き込んだ。
 手刀を受けた魔理沙は声すら上げずに床に叩き付けられ、そのまま気を失った。
 「あ、力を入れ過ぎちゃったわ」
 気絶した魔理沙を見て、白蓮は苦笑した。

 魔理沙が肉体強化の魔法をマスターする日は近いが、白蓮を超える日はすさまじく遠いようだ。



◆◆◆◆◆◆



 「長生きするってどういう気持ちなのかしら? 妖怪たちはどうも何にも考えてなさそうに見えるんだけど」

 「一応何か考えてるんじゃないか? ただ単に惰性に任せて長生きなんてできるもんじゃないと思うし」

 「そう?」

 「ちなみに私は永遠に生きてるやつから話を聞いたことがあるけど、やっぱり苦になるらしい。生き過ぎるのはな」

 「じゃあ、何で人は長寿を求めるのかしら?」

 「わからん。ただ、この謎は生きていればいつか理解できる時が来ると思う」



◆◆◆◆◆◆



――パチュリー・ノーレッジ――

 魔理沙が紅魔館を訪れる頻度は意外にも少ない。紅魔館に侵入するのが危険だからではなく、地下の図書館から借りた本を読み終わるまで時間がかかるからだ。特に解読が必要な本を借りた時は二週間近く紅魔館には来ないこともある。
 近頃は紅魔館を訪れても危険がない。以前は入口で門番に迎撃され、悪魔の妹に弾幕ごっこを吹っかけられ、メイドに叱られたりしていた。しかし、今では門番には世間話の相手とみなされ、悪魔の妹は割とおとなしくなり、メイドにはそんなに叱られなくなった。危険があるとすれば館の主に運命を変えられることがあるかもしれないといったところか。

 「よう、パチュリー。遊びに来たぜ」
 そう挨拶をすると、パチュリーは「なによ、来たの」と決まって不機嫌な顔をする。この時、読んでいた本に栞を挟んで閉じて読書を中断してちらりとだけ視線をくれるのが唯一の進歩だろうか。知り合ったばかりの頃は本から目を離そうとしなかった。

 「いらっしゃい、魔理沙」
 パチュリーとは対照的に、この図書館の司書である小悪魔(魔理沙は名前を聞いたことがないので便宜上そう呼んでいる)は笑顔で迎えてくれる。
 彼女は聞く話によるとパチュリーがこの館に住むようになった以前からこの図書館の司書をやっているらしい。
 「お茶を淹れてくれないか?」
 魔理沙は椅子に座りながら小悪魔にそう頼む。
 「わかった。ちょっと待ってて」
 小悪魔はいつものように魔理沙の頼みを引き受けて図書館から出て行った。
 魔理沙は彼女の淹れてくれる紅茶が好きなのだ。しかし、魔理沙は小悪魔の出す紅茶が実は咲夜が淹れたものだということを知らない。

 「で、お前だけど」魔理沙は小悪魔が図書館から出ていくのを見送るとパチュリーに向けて言った。「いつ来ても不機嫌そうだな。今更になって言いたきゃねーけど」
 「なら言わなければいいじゃないの」
 パチュリーは本から目を離し、魔理沙の方を見て言う。
 「いや、言うね」
 「あっそう」
 パチュリーはそれだけ言うと読書の方に戻った。
 「お前はもう少し愛想良くした方が良いと思うぜ」
 「今だって十分愛想は良い方だと思うけど?」
 そう言いながらもパチュリーは本から目を離そうとはしない。
 「客が来てるのに読書をやめないってのは無愛想っていうか礼儀知らずだと思うんだけどな」
 「客って誰のことかしら? 少なくとも貴方は違うと思うんだけど」
 「いや、私は客だろ? 客じゃなかったらなんだっていうんだ?」
 「泥棒じゃない? いつも変な所から忍び込んでくるし」
 「いや、今日はちゃんと門から来たぜ」
 「そう」
 と、パチュリーは興味無さそうに頷いた。
 「まったく、小悪魔だってちゃんと私を迎えてくれたってのに」
 「あの子はそういう子なのよ」
 パチュリーは基本的に小悪魔のことを『あの子』『貴女』としか呼ばない。ちなみに幻想郷で小悪魔の名前を知っているのはこの館の主であるレミリアと小悪魔と契約をしているパチュリーだけである。
 「悪魔がみんな性格が悪いわけじゃない。それは人間も妖怪も同じでしょう?」
 「なるほど、確かに個人個人で性格は違うな。小悪魔が性格が良いのもお前が無愛想なのも頷けるぜ」
 魔理沙は少し仕返しのつもりでそう言った。
 「貴方はそう言うけど、そもそもは貴方が本を返してくれないのが悪いのよ」パチュリーは読書をやめ、少しだけ言葉を強める。「貴方が本を返してくれないから私は貴方に対してこういう態度を取らせてもらってるわけ」
 「じゃあ、これからは愛想良くしろよ」
 「え?」
 魔理沙の言葉にパチュリーは思わず首を傾げた。
 「今日は本を返しに来たんだ」魔理沙は鞄から一冊の本を取出し、パチュリーに見せた「先月借りた捨食の魔法の本。ありがとな」
 一か月前、魔理沙は半ば強引にパチュリーから捨食の魔法の本を借りたのだった。

 捨食とは飲まず食わず寝ずで生活するための方法である。生きて行くために必要な栄養や水を魔法の力で補い、物を摂取せずに生きることができる。もちろん、ただ補うだけなので物を摂取しても問題なく普通に吸収し、排出できる。ただ、身体が弱い場合は捨食の魔法だけでは体調を維持することができない。そのためパチュリーは捨食の魔法を使って永い年月が過ぎた今でも睡眠と食事を欠かさない。

 「珍しいわね、まさか貴方が借りた本を返すなんて。明日は槍でも振ってくるのかしら? それとも、貴方は魔理沙じゃない、とか?」
 「おいおい、自分で言っといてそりゃあないだろう? てか、私が本を返すのがそんなに珍しいか?」
 「珍しいなんてものじゃないわ、ある種の奇跡ね。正直本当に死ぬまで返ってこないものだと思ってたくらいだもの」
 「失礼なこと言うなぁ、私だってそりゃあ借りた物を返すくらいするさ」
 「と、言っても帰ってきた憶えはないんだけど」
 パチュリーがそう言うと魔理沙は苦笑した。
 「で、どうなのよ? 上手くできたのかしら? 捨食の魔法」
 パチュリーが訊ねると魔理沙は嬉しそうに「それのことだけど聞いてくれよ」と言った。
 「三日間ほど飲まず食わずなんだけど全然健康だぜ。空腹感も全くない」
 「そう。上手くできたみたいね」
 パチュリーは心なしか少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
 「色々あったけど、私もこれで本物の魔法使いの仲間入りだな」
 「本当に、世も末ね」
 「晴れて私も自分のことを自信を持って『魔法使い』って呼べるぜ」
 「貴方の親族には同情せざるを得ないわ」
 「これからお前も私のことを『魔法使い魔理沙』って呼んでくれよな!」
 「ド腐れ外道魔法使い魔理沙」
 「お前さっきから失礼なこと言い過ぎ!」
 魔理沙は好き勝手に言いまくるパチュリーに突っ込みを入れた。

 「随分と楽しそうな話をしてるみたいね。扉の外まで突っ込みが聴こえてきたわよ」と、小悪魔が紅茶とティーカップを持って図書館に帰ってきた。「何か楽しいことでもあったの?」
 「それがさ、聴いてくれよ小悪魔。念願かなって捨食の魔法に成功したんだ」
 「あら、それじゃあお茶はいらないわね?」小悪魔は悪戯っぽく笑う。
 「いやいや、お茶は大事だ。お茶を嗜めなきゃ人生おしまいだぜ」
 「冗談よ」小悪魔は笑いながらお盆をテーブルに置き、お茶を淹れて魔理沙に手渡した「はい、ミルクティー」
 「おお、サンクス」魔理沙はティーカップを受け取ると口をつけた。「やっぱりお前の淹れる紅茶は美味いな」
 「それは光栄ね」
 小悪魔は含みを込めて笑ったが、魔理沙はその思惑に気が付かない。

 「で、魔理沙」
 「ん?」
 パチュリーに名前を呼ばれ、魔理沙はティーカップを置いてパチュリーを見た。
 「何か私に用があるんじゃないかしら?」
 「察しが良いな」
 「貴方が素直に本を返してくれるわけがないもの。何かあるんでしょう?」
 「まあな」
 「で、何なの?」
 「実は捨虫の魔法の本を借りに来たんだ」
 そう魔理沙は言った。

 捨虫の魔法とは、捨食の魔法をさらに発展させたもので自身の成長を止め不老長寿になるための魔法である。やろうと思えば半永久的に身体の状態を保つことができる。

 「あら、どういうつもりなのかしら? 普段なら勝手に持って行くのに」
 「捨虫の魔法の本はかなり貴重だからな。どうせ勝手に持って行こうとしたって全力で阻止するんだろ?」
 「そうね、本がここにあればね」
 「は?」魔理沙は首を傾げた。「どういうことだ?」
 「無いのよ」パチュリーがそう言うと小悪魔が何かを言おうとするが、パチュリーに手で抑えられる。「ここには捨虫の本は無いのよ」
 「どういうことだよ?」
 「何度も言わせないで」パチュリーは不機嫌そうに言う。「だからここには無いのよ、捨虫の魔法の本は。だから貸そうにも貸せないの」
 「でも、お前は捨虫の魔法を使ったんだろ? ってことはここに本があったっておかしくないじゃないか」
 「それでも、無いのよ」
 「……もういい、自分で探す」魔理沙は痺れを切らして立ち上がりそう言って図書館の奥の方に進んで行った。「勝手に持って行くからな」

 「――パチュリー」魔理沙の背中を見送ってから小悪魔が口を開く。「なんであんな嘘を? 私が知る限りでは確か捨虫の魔法の本はちゃんとあるはずじゃ……」
 「嘘じゃないわよ。だって私が燃やしたもの」
 「え」
 小悪魔は顔を強張らせる。
 「私が燃やしちゃったからもうないのよ」
 「な、なぜ……?」
 「『なぜ』ね……」パチュリーはそっぽを向いて言う。「くだらない理由よ。ただ単に、私にはあの本に嫌な思い出があるの。それだけよ」
 「嫌な思い出?」
 「まあ、私が勝手に嫌だと思っているだけなんだけど。――そうね、貴女には話してもいいかしらね、私が魔法使いになったときの話」
 パチュリーは読んでいた本を閉じ、ゆっくりと語り始めた。

 「事の始まりは私が生まれた時のこと。今から百年以上前の話、私はとある街で大きな家の十人兄弟の末っ子として生まれた」


パチュリーは生まれた時から身体が弱く、いつも両親を心配させた。しかし、身体が弱かった代わりに、彼女は不思議な力が使え、普通の人には聴くことのできない声を聴くことができた。
 パチュリーの両親は彼女を外に出さない代わりに彼女の好きなものを与えた。そのため、彼女は学校に行かず、ずっと父親の趣味の古い書庫に籠り本を読んで育った。
 パチュリーは自分は魔法使いになるべきだと思い、書庫で見つけた古い魔導書を使い、様々な魔法を覚えていった。自分の聴こえてる声の正体を精霊の声だと知り、精霊の力を使った魔法を数多く覚えていった。
 両親や兄や姉たちはそんな彼女に対して何の疑問の声を上げることはなかった。誰にも聴こえない声を聴いても、誰にも読めない文字を読んでも、地下で奇妙な実験をしても、皆何も言うことはなかった。『思っていても言わないこと』、それがノーレッジ家のルールだった。その現状はパチュリーが捨食の魔法を使って魔法使いになっても、捨虫の魔法を使って歳を取らなくなっても続いた。
 パチュリーも特に気にしなかった。魔法使いになっても別に気にしないでくれるならそれでいい。そう考え、魔法の研究を続けた。

 しかし、パチュリーとは違い、家族は変化する。時が過ぎゆくにつれ、兄や姉の家族が家で暮らすようになり始めた。彼らはパチュリーが十代後半のままの姿のことや怪しい研究をしていることを露骨に不審に思った。ルールに従って言葉にはしなかったが態度で不信感を表した。
 パチュリー自身も違和感を感じ始めた。家族の態度だけでなく、自分の甥や姪たちが自分より大きくなっていくことに、流石に違和感を感じたのだ。
 もう限界だった。同じ屋根の下で生活することなんてできないと思った。

 パチュリーは決意した。ここから出ようと。この家にはもういられない。
 その後、パチュリーは自分の研究結果をまとめた本だけを持って家族に何も伝えずに家を後にした。


 「その後、私はこの紅魔館に辿り着いてレミィに出会い、貴女が知るようにここで暮らすようになった。家を出るとき私は思ったのよ。もし私が魔法使いにならなければ――捨虫の魔法さえ使わなけれなこんな目に合わず済んだんじゃないかって。それから私は捨虫の魔法の本を見つけるたびにそれを燃やすようになった」
 「それって逆恨みじゃあ――」
 「わかってる。本を恨むのはお門違い。だけど、どうしてもそう思ってしまうの」
 言い終えると、パチュリーは再び本を開いた。その姿は小悪魔の目には少し悲しそうに映った。
 「もうこの図書館には私が知る限り捨虫の本は存在しない。だからあの子はきっと見つけられないわ」
 「誰が見つけられないだって?」
 パチュリーと小悪魔が声のした方を見ると魔理沙が立っていた。胸にはパチュリーの見覚えのない大きな本を抱えている。
 「貴方、その本は――」
 「何が『ここに捨虫の本は無い』だよ。ちゃんとあったじゃないか」
 魔理沙はしてやったりと言わんばかりの顔で二人に本を見せつける。表紙には確かに《捨虫》の文字が書かれている。
 パチュリーは驚きのあまり開いた本を床に落としてしまった。

 「言っておくが今返すつもりはないからな。でも安心しろ、ちゃんと死んだら返すぜ」
 「それを使ったら死なないじゃない」
 聴こえない振りなのか聴こえていないのかわからないが、パチュリーの言葉に魔理沙は反応することなく鞄に本を入れ、図書館を出て行った。

 パチュリーは魔理沙の出て行った後の扉をしばらく見つめると、急にふふっと笑った。
 「ぱ、パチュリー?」
 「まさか、私の知らない本を持ってくるなんてね。思いもしなかったわ」
 これは面白い。大体の本は把握していたと思っていたが、まさか自分の知らない本があるとは。
 「どうやらまだまだここの本を読み尽くしていないようね」
 ならば面白い。
 この図書館の本をいつかすべて読み尽くしてやろうじゃないか。

 パチュリーの読書生活は――魔法使いライフはこれからも続く。



◆◆◆◆◆◆



 「お前、怖いもの知らずみたいな感じだけど、何か怖いものとかあるのか?」

 「饅頭」

 「馬鹿、それは誰だって怖いに決まってるだろ。他には無いのかよ?」

 「強いて言うなら自分、かしら?」

 「奇遇だな。それは私もだ」

 「よく分からないものは怖いっていうけど、やっぱり一番よく分からないのは自分自身なのよね。一秒先に何をしているのか、本心は何を考えているのか、自分の知らないところで身体はどうなっているのか、考えれば考えるほど恐ろしいわ」

 「そうそう、私もそう思うぜ」

 「よく分からないと言えば、紫。実はあいつも怖いわ、私」

 「まあ、あいつは『分からない』の塊だから仕方ないって」



◆◆◆◆◆◆



――八雲紫――

 八雲紫にとって、霧雨魔理沙はまさに未曾有に近い存在だ。その印象は初めて出会った時から現在まで変わることはない。
 紫が初めて魔理沙のことを初めて知ったのは数年前のこと。魔理沙と霊夢がそれぞれ紫の古くからの友である風見幽香のかつてのねぐらである夢幻館に殴り込みに行った時のことである。その時、紫は傍観者として誰にも気付かれないよう夢幻館の住人たちと魔理沙たちの戦いを覗き見ていた。
 その時、紫は我が目を疑った。
 ただ少し魔法が使えるだけの人間である魔理沙が、まだスペルカードルールがないにも関わらず妖怪たちや博麗の巫女を退けるばかりか、手を多少抜いているものの幽香と対等に戦い、最後には倒すことができたのだ。
 そして数年経って紫が魔理沙と対峙したとき、紫は魔理沙に敗れた。人間相手だということもあり手加減をしていたが、負けるつもりはまったくなかった。しかし、紫は接戦の末敗北した。博麗の巫女や紅魔館のメイドに負けたのはまだ納得がいく。博麗の巫女はその立場上妖怪には滅法強く、紅魔館のメイドはそもそも人間じゃない(自覚もなく他人からも人間だと思われているようだが時を操れる者が人間であるわけがない)が、魔理沙はあくまで普通の人間だ。ただ魔法が使えるだけの人間――普通の魔法使いだ。にもかかわらず、負けてしまった。
 その後も紫は魔理沙と戦う機会が何度かあったが、勝ち星は紫の方が多いものの何度か紫は敗れている。
 だが紫はただわからないと手を拱いてるわけではない。紫は魔理沙と何度か会う中であることに気が付いた。
 魔理沙は、人間と妖怪の境界が曖昧になっているのだ。
 その証拠に魔理沙は妖怪に良く懐かれ、あるいは妖怪と交流することが多い。中には魔理沙と交友関係を結ぶ妖怪もいる。紫自身も魔理沙と交流する妖怪の一人だ。
 魔理沙はなぜ人間と妖怪の境界が曖昧になってしまったのか。
 おそらく魔理沙が長い時間、それも人生の半分以上妖怪と一緒にいたからだと紫は考える。人間の社会から離れ、悪霊である師匠の魅魔をはじめとする妖怪たちと共に過ごすようになったのがおそらくの原因だろう。友人の霊夢も中立であるため、人間側に戻る要因にはならない。
 しかし、境界が曖昧なことだけが魔理沙の強さの理由ではない。人間と妖怪の境界が曖昧なことなど、ほんのささやかな理由にしかならないのだ。
 魔理沙の強さの理由。それを紫が知るのは数十年後。魔理沙の口から聞かされることになる。


 「あら、魔理沙」
 ある日の夕方、紫が博麗神社を訪れると縁側で魔理沙がお茶を飲みながらくつろいでいた。
 「おお、紫」
 「何をしているのかしら?」
 「見て分からないか? お茶を飲んでるんだ」
 そう言って魔理沙はせんべいをボリボリと齧った。

 境内を見廻しても魔理沙以外の姿は見えない。どうやら神社の巫女は外出中のようだ。
 「霊夢はどこかしら?」
 「たぶん買い物にでも行ってるんじゃないかな? 私が来たときにはいなかったから分からんが」
 不用心ね、と紫は呟いた。
 「それで、霊夢に何か用か?」
 「別に用はないわ。ちょっと暇だったから遊びに来ただけよ」
 そう言いながら紫は魔理沙の隣に腰かけた。
 「お前な、たまには自分で働けよ。式神に任せっきりにしてないでさ」
 「それじゃあ式神を作った意味が無いでしょう?」
 「まあ、確かにそうだけど。でもお前寝てばっかだろう? それじゃあ良くない。ちゃんと活動しないと太るぜ」
 「失礼ね。妖怪は太らないわよ。それに、私の睡眠にはちゃんとした意味があるのよ」
 「どんな?」
 「私は夢の中で意識をいくつもに分散して幻想郷のありとあらゆる風景を見るのよ。こうして幻想郷を監視するの」
 「マジか!」
 「戯言ですけど」
 「……だよなぁ。いくらなんでも無理があるぜ」
 「それより、私にもお茶を淹れてくれないかしら?」
 「ん、ああ」
 紫がスキマから自分用の湯飲みを取り出すと魔理沙はそれにお茶を注いだ。

 お茶を飲み、一息。

 「――何かさ」湯飲みを置き、魔理沙は呟く。「お前とこうして二人きりでお茶を飲むのって初めてのような気がするんだけど」
 「確かにそうね」
 「お前はいつも誰かと一緒にいるからな」
 「そんなことはないわよ」紫はそう言って笑った。「ただ単に人前に現れることが少ないだけ。別にいつも誰かと一緒にいるわけじゃない」
 「じゃあ、私の前に現れないだけなのか」
 「ええ、そうね」
 「もしかして、お前私に興味がない?」
 「そんなことはありませんわ。貴方はとても興味深い。人間側に属さない人間ですもの。だからいつもこっそりと覗かせてもらっていますわ」
 実は少し恐れているので二人きりになることを避けている、とは言えなかった。
 紫の言葉に魔理沙は「うえー」と嫌な顔をした。
 「冗談ですわ。たまに覗かせてる程度で、そんな頻繁に覗いたりはしてませんわ。そんな悪い趣味はありません」
 「……本当か? 実は私が霊夢の留守中にあいつのお気に入りの羊羹をつまみ食いしてるところを何回も見てるんじゃないだろうな?」
 「……つまみ食いをしてるの?」
 「ああ、何回も」
 これやるから霊夢には黙っておいてくれと、魔理沙は羊羹が一切れ乗った皿とフォークを紫の前に差し出した。受け取るか少し悩んだが、不用心な霊夢に対するお灸の意味を込めて紫はそれを受け取った。
 「ありがたくいただきますわ」
 紫は羊羹をフォークを使って食べた。

 「あのさ、紫」紫が羊羹を美味しそうに食べる様子をじろじろと見ながら魔理沙は訊ねた。「妖怪って一般的には何を栄養にして生きてるんだ?」
 「何って、何かしら?」
 「『例えばお前は何を食って生きてるんだ?』ってことだよ」
 「ああ、私? 私は主に人間を食べて生きてますわ」
 「マジか」
 「っていうのは戯言。『本当よ』って言ったらどうしてたのかしら?」
 紫は悪戯っぽく笑った。
 「そうだな、お前を適当に痛めつけて私に手を出せないようにしてたな」
 魔理沙は腕を組んで答えた。
 その答えは少し意外だった。予想では自分を殺すと言うか、全力で逃げると答えると紫は思っていた。
 「どうしてかしら? 私を野放しにしてたら貴方以外の人間が食い殺されるかもしれないのに」
 「だってお前が死んだら幻想郷の秩序とか云々がやばいんだろ? それと他の人間の命を天秤にかけたら私は幻想郷を選ぶな。人間のヒーローになった覚えなんてないっつーの」
 「なるほど」
 以外にも冷静な答えねと、紫は笑った。
 「それより本題に戻れよ。本当は何食って生きてるんだ?」
 「別に特別な物は食べてないわよ、私は。魔法使いと同様に三食の食事とお茶で生きてるわ。ただ、人間と違うのは摂取しなくても大丈夫なだけ。食べないとイライラしますけどね」
 「ふーん。やっぱりそうなのか。思った通りだぜ」
 「ただ、他の妖怪はそうではないわ。私がそういう風になっているだけで他の妖怪は違う」
 「他の妖怪は何を栄養にしてるんだ? あいつらも甘いお菓子を食べて喜んでるところをたまに見かけるんだが」
 「一般的には人間の『恐怖』を食べてるのよ」
 「恐怖?」
 魔理沙は首を傾げた。恐怖を食べるという言葉の意味がよく分からなかったらしい。
 「ほら、妖怪は人を襲うでしょう? あの行為自体が妖怪の食事なの」
 「へえ、あれがね。ただ単に遊んでるようにしか見えないが」
 「遊んで元気になっているように見えるでしょう? あれは食事をして元気になっているのです」
 妖怪は一般的に人間を襲い、その恐怖や叫びをエネルギーとして吸収する。そのために幻想郷には人間がいるのだ。
 「でも妖怪の食事は人間にとって危険を伴う。妖怪は人間の数倍の力を持っているのですからうっかり殺してしまうことだって考えられる。それに、妖怪の中には生き物の血肉――特に人間のを好む者がいる。妖怪の過ぎた殺生を避けるために博麗の巫女がいるのよ」
 「なるほどな。博麗の巫女にはそういう意味があったのか」
 「人間の減少は妖怪にとっても損。秩序なく殺されても妖怪の絶滅を招くだけ。だから妖怪を抑える存在と、人間を抑える存在が必要なのです」
 「博麗の巫女が幻想郷のヒーローだってことは知っていたけど、具体的にどういった意味でヒーローだってのは知らなかったな。良いことを知ったぜ」
 「ヒーローと言うより、システムね」
 博麗の巫女は幻想郷にいて当たり前の存在だ。結界の制御や妖怪退治をするものがいなければ、幻想郷はとっくの前に滅んでいた。
 それに、幻想郷が出来たばかりの頃に起こった妖怪同士の戦いを終わらせたのも博麗の巫女なのだ。
 
 「貴方の質問のついでに、私も訊いて良いかしら?」
 紫は食べ終わった羊羹の皿を置き、魔理沙の方を見た。
 「何だ?」
 「もし、今私の話したことがすべて嘘で、本当は幻想郷は妖怪の作った妖怪のための楽園だとしたら、貴方はどうする?」
 そんなことはありもしないが、もしそうだとすれば、この人間はどうするのだろう? 
 他の魔法使いにも人間にもない得体の知れぬ特別な力を持ったこの人間は、いったいどうするのだろうか?
 魔理沙の答えは、

 「お前の言ったことを現実にするよ。全部嘘っぱちでも、本当にしてやるよ。博麗の巫女も、幻想郷の賢者も、幻想郷も、全部本当にしてやるんだ。お前の言った幻想郷は本当の楽園なんだからそれを叶えないと勿体ないだろ?」
 
 と言ったものだった。
 紫はますますこの人間のことが分からなくなった。
 本当に叶えてしまいそうだったから。
 嘘を幻想に変えてしまいそうだったから。

 「貴方は、自分にそんな力があると思っているの?」
 「さあな。無いならつければいいんだよ」
 その言葉にはなぜだか説得力があった。
 「貴方は、本当に人間なのかしら?」
 「何を言ってるんだ? 私は人間だろ? お前だって良く知ってるはずだぜ」
 人間にしてはその力は強すぎる。
 紫はますます魔理沙のことがよく分からなくなった。
 しかし、一つはっきりしたことがある。

 「なかなか面白い答えですわね。とても参考になりましたわ」
 紫は立ち上がり、宙に隙間を開いた。
 「ん? 帰るのか?」
 「ええ」
 「そっか。霊夢は良いのか?」
 「別に特に用はないわ。初めに言ったように、ただ暇を潰しに来たのですから」
 「じゃあ、霊夢によろしく言っておくぜ」
 「それじゃあ、よろしく」
 そう言い残して、紫は隙間の中に這入った。


 はっきりしたこと。あの人間は、いずれ本当に幻想郷の英雄になりうるということだ。
 「本当、人間にしておくには惜しい存在ですわ」
 紫は誰に言うでもなく呟き、笑った。



◆◆◆◆◆◆




 「あんた、恋愛ってしたことある?」

 「ねえな。人の恋路を見てるのは好きだけど、自分で恋をするのは嫌だな。別に誰かをそんな目で見たこともないし、私自身もそんな気ないし。お前はどうなんだ?」

 「私?」

 「お前が昔惚れてた病弱な奴、名前は知らないけど、あいつ以外にいないのかよ?」

 「うーん、正直微妙な話ね」

 「どういうことだ?」

 「何でかは私にもわからないけど、恋愛ってものの感じを感じないのよ。私って自分では面食いだなって思ってて格好良い人を見ると『あ、あの人カッコいい』って思うけど、それまでなのよね。正直、初恋で大恋愛してからわからなくなった」

 「なるほど」

 「それにね、私も人の恋路を見るのは好きだけど自分が恋をするのはそこまで好きじゃない」

 「ああそうかい」



◆◆◆◆◆◆



――魅魔――

 「実は、祭りって行ったことないんだ」
 それは魔理沙と魅魔が自宅で雑談をしている、夏のある日のことだった。魅魔が「明日人里で祭りがあるらしい」と口にすると、魔理沙はそう呟いた。齢十歳にして未だに祭りに行ったことがないという。
 「祭りに行ったことがないだって?」
 魅魔は思わずオウム返しに訊き返す。絶縁しているとはいえ霧雨家の子供である魔理沙が祭りに行ったことがないとはにわかに信じ難い。
 「うん。憶えてる限りでは」魔理沙は頷く。「行かせてもらえなかったんだ。うちの親父が金持ってるくせにケチでさ、『祭りの物は高い』って言ってさ」
 「見に行くだけでもしなかったのかい?」
 「見に行きたかったんだけど、見てたら羨ましくなるって親父が言って行かせてもらえなかったんだ」
 「なるほどねぇ……」
魅魔は少し考えると椅子から立ち上がり、魔理沙に言った。
 「ちょっと買い物に行ってくるから留守番頼むよ」


 そう言って出て行って少ししてから魅魔は少し大きな風呂敷に包まれた荷物を持って戻ってきた。
 「ほら、明日はこれを着て行くんだ」
 そう言って魅魔は風呂敷を広げ、中に入っているものを出した。中にはお揃いの紫陽花の柄の大人用と子供用の浴衣が入っていた。
 「いいのか?」
 魔理沙は子供用の浴衣を広げ、魅魔に訊ねる。
 「ああ、良いんだよ安かったから。いつも頑張ってるご褒美だよ。明日は二人で祭りに行こう」
 と、魅魔は笑って答えた。
 「ありがとう、魅魔様」


 翌日は雲一つ無い晴れだった。
 屋台が開き始める夕暮れ時、人里はいつになく活気付いていてたくさんの人の中にちらほらと妖怪の姿もあった。
 魔理沙と魅魔もまた、人ごみに紛れて歩いていた。

 「うわぁ……すっげぇ」
 魔理沙は初めて体験する祭りに歓喜の声を上げた。
 「どうだい魔理沙、この人里に人がこんなにいるなんて考えられないくらいの人だろう?」
 「ああ、こんなに人がいっぱいいるのを初めて見た。ところで、いったい何の祭りなんだ?」
 魔理沙が訊ねると魅魔は、
 「感謝祭さ」
 と、答えた。
 「感謝祭? 何に対しての?」
 「博麗の巫女と、博麗神社に対してのさ。いつも人間の里は博麗神社の恩恵を受けているからね。その感謝の気持ちを込めた祭りってわけさ」
 魅魔は博麗神社の方角を見た。
 「もうじき博麗神社から博麗の巫女を乗せた神輿が来るだろう。それまで楽しもうじゃないかい」
 「んじゃあ、あれに行こうぜ!」
 と、魔理沙はお面屋を指差した。幻想郷で普段からお面を売っているのはおもちゃ屋くらいで、お面を専門的に売ってるのはなかなか珍しい。
 「お面屋かい? いいね、行こうじゃないか」
 お面屋には狐や狸などの動物の面や、河童や天狗などの妖怪の面のほか、ひょっとこやお多福の面なども売っていた。
 「そうだな……」
 魔理沙は少し迷うと、「これだな」と狐の面を指した。
 「これが欲しい」
 「そうかい。じゃああたしも一つもらおうかねぇ。――じゃあ、これで」
 魅魔が選んだのは天狗の面だった。
 「天狗?」
 「ああ。天狗にはちょっと縁があってね」
 「へー、そうなのか」
 と、そう言ったところで魔理沙の腹が『ぐー』と鳴った。魔理沙は思わず「へへへ」と笑う。
 「何か食べたいものはないかい?」
 「そうだなぁ……あ、そうだ、あれが食べたい、たこ焼き」
 魔理沙が指したたこ焼きの屋台には少し行列ができていた。
 「他にたこ焼きの屋台はないみたいだねぇ。じゃあ仕方ない、並ぼうか」
 そう言うと、二人は行列の最後尾に並んだ。
 屋台の中年夫婦の客を捌くのが早いのか行列はすぐになくなり、あっという間に魔理沙と魅魔の番が回ってきた。
 「たこ焼き一つ」
 魅魔が二人で分けようと、一つだけ注文する。
 「あいよ」たこ焼き屋のおばさんは返事をし、「お母さんとお揃いの浴衣かい?」と魔理沙に話しかけた。
 「え、お母さんじゃないぜ。魅魔様は――」
 「魔理沙」
 魅魔は魔理沙の言葉を止める。
 「今日はせっかくの祭りだろう? だからお揃いの浴衣で決めてきたのさ」
 「へぇ。……それにしても、お母さん随分若いじゃないか」
 「そうかい? 実は良く言われるのさ。『まるで妖怪かお化けみたいだ』ってね」
 「なるほど。――ほら、熱いから気をつけなよ。五〇〇円だよ」
 「あいよ」
 お代を払い、二人はたこ焼き屋を後にした。

 「……いいのか?」
 魔理沙は魅魔の方を見て訊ねる。
 「何がだい?」
 「母親と間違えられたことだよ」
 「何、別に悪い気はしないさ。それに――」
 「それに?」
 「あたしは家を出たあんたの母親代わりみたいなもんさ。あながち間違っちゃいないさ。――お? そろそろ来たかな?」
 「何が?」
 「お神輿がさ」
 魅魔がそう言ってそう経たないうちに、二人の前にたくさんの男たちに背負われた大きなお神輿が現れた。
 お神輿の登場に、周りから歓声が上がる。
 「あれの上に乗ってるのが博麗の巫女さ」
 「ふーん。って、あれ?」
 お神輿の上に乗っている人物を見て魔理沙は戸惑った。お神輿の上に乗っている博麗の巫女は、魔理沙と同じくらいの年齢の年端もいかない少女だった。
 魔理沙の知る博麗の巫女は大人の女性だった。
 「魅魔様、博麗の巫女って大人の女の人じゃなかったっけ?」
 「あら、あんた知らないのかい。今年の初めに博麗の巫女は世代交代したんだよ」
 「え、そうなのか?」
 「ああ。先代の巫女はもうすぐ三十代になるそうでね、次の代の巫女が大きくなったから代わったそうだよ」
 「知らなかった」
 「まあ代わったところであたしたちには関係のないことだけどね」
 魔理沙は再び博麗の巫女の方を見た。
 博麗の巫女はたくさんの人に見られているせいか困った表情を浮かべている。
 ふと、魔理沙と目があって魔理沙は急いで目を逸らした。
 「それにしても大変だな。あの歳で博麗の巫女になるなんて」
 「何言ってるんだい。博麗の巫女はみんなあれくらいの年で継ぐんだよ。あれくらいが普通さ」
 「なんだ、そうなのか」
 「それは置いといて、次はどこに行きたいんだい?」
 「えっと、そうだな……」

 その後も二人はフランクフルトを食べたり、射的をしたり、金魚すくいをしたりして祭りを満喫した。
 実は自分より魅魔様の方が祭りに来たかったんじゃないだろうかと魔理沙は思った。それほど、魅魔の表情は生き生きとしていたのだ。

 「そうだ」
 と、綿菓子を食べ終えたところで魅魔が言った。
 「そろそろ移動しようかね」
 「どこに?」
 「花火の場所取りだよ。祭りの花といえば花火だろう?」


 花火は妖精の湖のほとりから打ち上げられる。
 二人は人里から離れた丘の上にある木に登った。
 周りには人間どころか妖怪の姿すらない。完全に二人きりだ。
 「もうじき始まるよ」
 魅魔の言葉に魔理沙は湖の方を見る。
 「そう言えば屋外で花火見るのは初めてだ――」
 と言いかけた瞬間、ひゅー、どん、と最初の一発目が上がり、それを合図に二発目、三発目と上がり、次々に上がり始めた。
 「うわぁ……」
 「なかなかの迫力だろう?」
 花火に夢中になった魔理沙は魅魔の言葉にはっとする。
 「ああ、すごいぜ。こんなすごい花火初めてだ」
 「場所が良いのさ、場所が」
 魅魔はそう言って笑った。
 「……いつかこんな魔法を使うんだ」
 「そうかい。んじゃあもっと修行しないとねぇ」

 満天の星空の下の花火を見つめつつ、二人は沈黙する。次々と花火の音があたりに響き渡る。
 花火が終盤に差し掛かったところで魔理沙はそうだ、と考える。せっかくだからいつもは訊けないことを今訊こう。
 「あのさ、魅魔様」
 沈黙を破り、魔理沙は口を開く。
 「なんだい?」
 「魅魔様はどうして魔法使いになったんだ?」
 「全人類に対する復讐のためさ」
 「え?」
 「冗談だよ」
 魅魔は笑う。
 「本当はね、妖怪になりたかっただけさ。どういう形でもいいからね」
 「妖怪に?」
 「あたしはね、実は妖怪が人間より好きなのさ。だから妖怪になりたかった。だけどこのザマだよ。妖怪じゃなくて悪霊になっちまった」
 魅魔の笑いは自虐的なものに変わる。
 「でも後悔はしてないよ。こんな身体でも悪くはないと思ってるし、今の暮らしにも不自由はない。遺してきてしまったものはあるけど、それもなんだかんだで何とかなってる。結果オーライさ。だから、これでよかったと思ってる」
 「本当か?」
 「ああ。本当さ」
 魅魔は魔理沙の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 「魔理沙。あんたにも魔法使いになる理由があるだろう? それを大事にするんだよ」
 「……ああ。わかった」
 魔理沙は強く頷いた。


 花火も終わり、二人は家に帰った。

 「なんか、寂しいな。むなしいっていうのかな? 胸に穴が開いたような気分だ」
 下駄を脱いで椅子に座り、魔理沙はぽつりとつぶやいた。
 「祭りの後ってのはそんなもんさ」魅魔は普段着に着替えながら言う。「何、また来年行けばいいのさ」
 「そっか、また来年も祭りはあるんだな」


 それから魔理沙は魅魔と毎年のように祭りを満喫した。魅魔と別れて暮らすようになってからは妖怪や山の巫女を誘い、毎年決まったように屋台を楽しんで魅魔と花火を見たあの木で花火を見るのであった。



◆◆◆◆◆◆



 「お前、憧れてた奴とかいる?」

 「正直いないかな。だって、憧れるってつまりその人のことを全力ですごいって思うことでしょ? 実は私、人のことをすごいって思ったことないのよ、誰一人としてね」

 「ふーん。ちなみに私は結構いるぜ」

 「それはうらやましい限りで」

 「憧れた奴からは大概その技術を盗ませてもらっているんだが、まだ盗めてない相手がいてな、今でもずっと憧れてるんだよ」

 「それって誰?」

 「博麗の巫女」



◆◆◆◆◆◆



――森近霖之助――

 魔理沙が僕の店に来るようになったのは魔理沙がまだほんの幼かった頃、僕もまだ店を開いたばかりの頃だ。幼い魔理沙は家には内緒で誰も連れることなくよく僕の店に遊びに来た。
 「よー香霖、遊びに来たぜ」
 「魔理沙、また一人で来たのか」
 「私が来なきゃどうせ誰も来ないんだろう?」
 「いや、そんなことは……別にどうでもいい。もしかして誰にも言わずに来たのか?」
 「しょうがないだろ。誰かに言ったらどーせ止められるんだから」
 この日も魔理沙は香霖堂に遊びに来た。子供が元気なのは良いことだがこんな人里離れた場所に一人で、かつ、誰にも何も言わず来るのは感心しない。むしろ注意すべきことだ。
 「いつも言っているだろう。外出するときは誰かにどこに行くかを告げてから行けと。あと、道中で妖怪に出くわすかもしれないから一人でここに来るんじゃない」
 魔理沙に何かあっては親父さんに合わせる顔がない。僕は少し口調を強めて魔理沙に言ってやった。
 しかし魔理沙は「いやだ」と屈託のない笑顔で拒んだ。
 「怒るなよ。お客さんが来たら帰っちゃうぜ」
 魔理沙には何を言っても無駄なような気がしてきた。それにしてもこの向こう見ずさは誰に似たのだろうか?
 「さーてと、今日もお宝探しを始めようか」
 魔理沙はフフフと笑いながら店の奥に這入り、非売品を物色し始めた。魔理沙がここに来る目的は僕の集めた外の世界の物か僕の作ったマジックアイテムだったりする。

 そう言えば魔理沙はちゃんと友達と遊んでるのだろうか? 頻繁に店を訪れているが、今まで友達を連れてきたことがない。魔理沙の交友関係が心配になった。
 「ところで魔理沙」
 「ん? 何さ香霖」
 「君はいつも一人でうちに来るが、友達はいないのかい?」
 「いるよ、失礼だなぁ」
 「そうか? それにしてはうちに来る頻度が高くないか? 他に誰かを連れてくるわけでもないし」
 僕がそういうと魔理沙は難しい顔をした。
 「一応誘ってはいるんだ。『香霖堂に行こうぜ』ってね。……でも、あいつら誰一人として付いて来ないんだ」
 「まあ、それは仕方ないだろうね」
 子供だけで里の外に出るなと親からも言われているだろう。
 だが待てよ。香霖堂と言われて誰が里の外の、それも半分とはいえ妖怪のやっている店のことだと思うだろうか? 大人ならともかく子供が香霖堂のことを知っているはずもないじゃないか。
 ……ただ単に魔理沙が友達と仲が悪いんじゃないだろうか?
 今から人付き合いが悪いというのは心配だ。魔理沙はいずれは霧雨家の跡取りになる存在であるのに。
 「まーまー香霖。そんなことはどうだっていいんだ。喉乾いたからお茶が欲しい。暑いし、冷たい麦茶が良いな」
 「うちは喫茶店じゃないぞ」
 「知ってるよ。でも少しくらい出たっていいじゃないか」
 ……まったく、呆れてものも言えない。
 だが、確かに今日は暑い。
 僕は店に備え付けてある外の世界の温度計を見た。赤い線は三〇の所を指している。真夏日だ。魔理沙に脱水症状で倒れてもらっても困る。
 「仕方ないな。ちょっと待っててくれ」
 僕は店の奥に這入り、井戸の水で冷やした麦茶の入ったやかんとコップを持って戻った。

 「ほら、持ってきたよ」
 「おお、悪いな」
 コップにお茶を注いでやると、魔理沙は一気にそれを飲み干した。
 「もう一杯」
 「はいはい」
 もう一杯注いでやるとそれもすぐに飲み干す。
 「ぷはぁ、生き返るぜ!」
 魔理沙はそう言って乱暴にコップをカウンターに置いた。
 「さて、もっと探してみるか」
 帰ってはくれないらしい。
 こうなってしまっては仕方ない。魔理沙の気が済むまで待って、気が済んだら人里まで僕が送ろう。流石に夜になる前には帰ってくれるだろう。
 などと考えて所定の位置に座って魔理沙の行動を監視――もとい見守っていると、店の扉が開かれ、ベルが鳴った。
 「香霖堂、いるかしら?」
 店を訪れたのは二十代半ばくらいの人間の女性――博麗の巫女だった。
 「お?」
 「やあ、いらっしゃい。今日は何の用だい?」
 「ほ、本当に客が来た!」
 失礼なことに客が来たことが意外だったのか魔理沙はそう叫んだ。
 「お前は何者だ?」
 さらに失礼なことに客を何者呼ばわりする魔理沙。おいおい、やめてくれ。
 「私は博麗の巫女だけど」
 気を悪くすることもなく博麗の巫女は名乗った。名乗ったと言っても名前は教えない。僕が訊いた時もそうだった。だから僕も彼女の名前は知らない。
 「君は……あんたの子供?」と、博麗の巫女は僕の方を見た。
 「違うよ。どう見たって似てないだろう? 僕の師匠の子供だよ」
 と、僕は否定する。
 「そうかしらね、割と似てるような気がするけど」
 と、彼女は笑った。
 「君、名前は?」
 「霧雨魔理沙だぜ」
 「ふーん、魔理沙ね」
 憶えておくわと、博麗の巫女は言った。
 本当に憶えてるのだろうか? 少なくとも僕は名乗ったが名前で呼ばれたことはない。彼女曰く『名前にはこだわらない主義』だそうだが。
 「で、どうしたんだい?」
 「大幣が壊れたのよ。予備があるからいいけど、あんた、わざと脆く作ってない?」
 博麗の巫女は不機嫌そうに答えた。
 「いや、結構丈夫に作ったつもりなんだが。君が乱暴に扱ったんじゃないか?」
 「おおぬさ、って何だ?」
 魔理沙が訊ねる。
 「大幣って言うのはお祓いとかで使う棒のことよ」
 「見たことないんだが」
 「見たことない?」
 「その子は巫女が何なのかも知らないよ。神社にお参りに行ったことがないからね」
 「へぇ、そうなの」
 「馬鹿にするな。巫女くらい知ってるぜ」
 魔理沙は不機嫌そうに言い返した。
 知っているのかな? 僕が知らないところで神社に行ったんだろうか?
 「じゃあ、説明出来るかい?」
 「あれ、だろ? なんかすごい人」
 ……どうやら知らないらしい。
 「巫女っていうのは一般的には神社で神様に仕えている人のことを言うのさ。だけど博麗の巫女は特別でね、幻想郷の結界の守護をはじめとして幻想郷を守る仕事をしているのさ」
 「けっかい?」
 魔理沙は僕の言葉に首を傾げた。どうやら結界の話は魔理沙には難しいらしい。さて、じゃあどんなことを話してやろうか。
 そう考えていると、博麗の巫女が「主に妖怪退治をしてるわ。それで人間たちの平和を守ってるのよ」っと言った。
 「それってつまりヒーローってことか!?」
 魔理沙は「おおかっこいい!」と歓声を上げた。
 「ヒーローか……」
 まあニュアンスは間違ってはいない。子供に説明するならそれくらいでいいだろう。ちゃんと教えてやったとしても、どうせ憶えてはくれない。
 「まあ、博麗の巫女の説明はこれくらいにして、大幣の修理はちゃんと引き受けよう。他に何か用事はないかい?」
 「特にないわね。お札も足りてる。服も問題ない。問題があるとすれば、次の代の巫女の修行くらいね」
 「何か問題でもあるのかい?」
 僕が訊ねると博麗の巫女は頭をかいた。
 「大した問題じゃないわよ。ちょっと怠け癖があるけど、あの娘には才能がある。私の言ったことを簡単にこなすくらいにね。でも……」
 「でも?」
 「あの娘、なかなか飛べないのよ」
 「飛べない、だって?」
 博麗の巫女なのにか? それはにわかに信じ難い。というか、それは本当に才能があると言えるのだろうか?
 飛行能力は博麗の巫女の基本中の基本の能力。象徴とも言っても過言ではない。それができないというのは相当な問題児だ。
 「本当に才能はあるのよ。霊力も相当なものだし、体術も申し分ない。正直言って私を凌駕する。だけど、飛行能力がね……」
 「珍しいな。飛べない巫女とは」
 「まあ、浮くくらいならできるしそのうち飛べるようになるでしょう。飛べるようになるまでは玄爺の背中にでも乗っておけばいいし」
 玄爺とは博麗に仕える大亀のことだ。詳しいことは僕も知らないが、相当な大妖怪の一人(一匹か?)であるらしい。
 などと僕と博麗の巫女が話していると、
 「へえ、巫女って飛ぶんだ。飛ぶのって魔法使いと妖怪だけだと思ってた」
 と、魔理沙が口をはさんだ。
 「ああ、巫女は飛ぶよ。幻想郷じゃ常識だよ」
 と、僕は魔理沙にそう教えてやった。
 「まあとにかく僕にはその問題を解決できそうにないな」
 できたとしてもする気はないが。
 「別にしてもらおうなんて気はないわよ」博麗の巫女は苦笑いした。「とりあえず、大幣のことは頼んだわよ」
 「ああ、四日以内には直しておこう」
 僕がそう言うと、博麗の巫女は「じゃあ、よろしく」と言って店を後にした。

 「……かっこいい人だったな」
 魔理沙は彼女が出て行った扉を見つめたまま言う。
 「魔理沙はああいう人が好きなのかい?」
 「いや、好きかどうかは分からないがとにかくかっこよかったんだよ」
 まあ確かに博麗の巫女は幻想郷の子供たちにとっては憧れの的だろう。
 「決めたぜ香霖」魔理沙は僕の方を向くと胸を張って言った。「私は大きくなったら博麗の巫女になってやる!」
 「無理だよ」
 僕はきっぱりそう言ってやった。
 「何でだよ!?」
 「博麗の巫女は幼少期に選ばれた者が修行をしてやっとなれるんだ。君は選ばれてないだろう?」
 もっと厳密な選別方法があるのだが、魔理沙に話しても無駄だろう。
 僕の言葉に魔理沙は少しうつむいて考えると、再び胸を張って言った。
 「じゃあ、博麗の巫女よりもすごいヒーローになってやるぜ!」
 「人間の里の自衛団にでもなる気かい?」
 「ばか、そんなしょぼいもんになんかならねーよ」
 魔理沙はさらに得意げに、元気よく言った。
 「幻想郷全部のヒーローになってやる!!」


 その数週間後、魔理沙は家出をし、魅魔の元で魔法使いとしての修行を始めた。

 そしてさらに数年後、魔理沙の名前は幻想郷縁起に英雄として載ることになる。
 魔理沙が何を思い、考えて魔法使いになったのかは僕には分からない。想像の余地すらない。だが魔理沙の幼少期の願いは叶った。本人が憶えているかどうかはともかくとして。
 そして幻想郷縁起に名前が載ってから数年後の現在、魔理沙は本物の魔法使いになろうとしている。
 魔理沙がどこへ行き、どこへ向かおうとしてるのか、それも僕には分からない。しかし、僕は魔理沙の兄貴分でもあった。認めたくないが一応保護者だ。魔理沙の行く末を遠くから見据える義務があるだろう。



◆◆◆◆◆◆



 「ねえ、魔理沙」

 「何だ?」

 「私、あんたが帰ったらたぶん死ぬと思うんだけど、最期に私に伝えときたいこととかない?」

 「そうだな、また生まれてきて博麗の巫女になったときは私が稽古をつけてやるよ」

 「それは有難迷惑ね」

 「お前は何かあるのか? 私への遺言とか」

 「そうね、何泣いてるのよ、とか?」

 「そんなこったどうだっていいんだ」

 「確かにどうでもいいわね」

 「なあ、霊夢。多分これから私は誰かの最期の時に泣かずにはいられないと思うんだ。どれだけ時間が経とうと、どれだけ私が強くなろうとな」

 「それは、きっと仕方がないことだと思う。だって、あんたは人間だったもの」

 「まあ、そうだろうな。私はやっぱり人間だったからな。涙を流すことは、これからいくら時間が経っても証拠としてついてくるんだ。人間であったことはどうしても捨てられない」

 「魔理沙、その、友達でいてくれてありがとう」

 「ばーか。そういうのは葬式が終わった後に言うんだよ」

 「言えないけど」

 「言わなくてもいいくらいくさい台詞だってことだよ。んじゃあ、私そろそろ帰るからな」

 「ん。じゃあ」

 「じゃあな、霊夢。安らかに眠れよ」

 「そうね。そうさせてもらうわ」



◆◆◆◆◆◆



――風見幽香――

 大福が食べたい。

 雨の降る人里を優雅に日傘を差して歩いているとき、幽香はふとそう思った。
 別に何か特別な理由があるわけじゃない。ただ単に歩いていたら急に心が大福を欲しただけである。
 幽香の行動は大概気持ちと気分と花で決まる。理屈も理由もそこまで必要ではないのだ。
 幽香はお気に入りの甘味処に歩を進めた。

 甘味処は雨が降っているにもかかわらず人がいっぱいでどうも座れそうにない。
 幽香は順番を待つのが嫌なので帰ろうとしたが、顔見知りの姿を見つけ、帰ろうとした足を止め、その顔見知りに近づき、声をかけた。
 「相席、いいかしら?」
 顔見知りは顔を上げこちらを確認すると、寸前まで出掛った「かまわない」の声を引っ込めて言った。
 「やっぱり駄目だ」
 「ケチ」
 そう言いながら幽香は少し笑いを浮かべ、顔見知りの正面に座った。
 「結局座るのかよ」
 顔見知り――もとい魔理沙は少し不機嫌そうに言った。
 「ええ。特に断る理由も無いんでしょう」
 幽香はシニカルに笑いながらそう言い返す。
 「理由ならあるぜ。今私はとっても陰鬱な気分なんだ」
 「もっと上手に嘘をつきなさいよ」
 そう言いながら幽香は大福とお茶を注文した。

 「なんだかな、相当昔に同じようなやり取りをしたような気がするぞ」
 魔理沙は運ばれてきたみたらし団子とお茶を頬張って飲み込むと複雑な顔をして言った。
 「気のせいじゃないかしら?」
 「……いや、気のせいじゃないぜ。七、八十年くらい前に私たちは同じやり取りをしたんだ」
 「あら、よくもまあそんな昔のことを憶えてるわね」
 「そりゃあの時は酷い目にあったからな。お前に連れられて雨の中走って向日葵畑でデートした後熱出して倒れたんだ。そりゃあ記憶にも残るぜ」
 「そんなんだったかしら?」
 幽香は首を傾げる。
 「どうやらお前の頭は都合の悪いことは忘れてしまうように出来てるみたいだな」
 「まあ、妖怪なんてそういうものよ。楽しいことと気を付けておかなければならないことだけ憶えておけばいいのよ」
 「確かにごもっともだぜ」
 魔理沙は苦笑した。

 当時とすべてが同じと言うわけではない。魔理沙の顔や背格好、そして帽子はほとんど同じだが、服装はほとんど違う。今はエプロンドレスではなく白いワイシャツに黒いタイとベスト、そして黒いズボンを穿いている。幽香の髪も当時は肩までの長さだったが、今は腰までの長さになっている。

 「で、今日は何でここにいるのかしら? もしかして、また湯飲みを?」
 「違う、墓参りに来たんだよ」
 「墓?」
 「お前、今日が何の日か忘れたのか?」
 魔理沙は信じられないという顔をした。
 「まさか。分かってるわよ」幽香は優しく笑った。「今日はあの子の――霊夢の命日」
 「ただの命日じゃないぜ。今年でちょうど六十周忌だ」
 幽香が人里を訪れたのも霊夢の墓参りのためだった。
 「もうそんなに経つのね。早いものね、時間が経つのって」
 「ああ。特に最近よくそう思うぜ。人間――いや、子供だった頃は一年ですら結構永く感じたのに魔法使いになった今じゃ十年ですら一瞬だ」
 「そういえば――」幽香が話題を変える。「貴方が魔法使いになって結構経ったわね」
 「ああ」
魔理沙は頷く。
 「今になって訊くけど、貴方、人間をやめて後悔したこと、ある?」
 幽香の問いに魔理沙は、
 「まさか。あるわけないだろ」
 笑いながら首を振った。
 「むしろ良かったと思ってるぜ。なんたって、なりたかった自分になれたんだからな」
 「なりたかった自分?」
 幽香がオウム返しに訊き返すと魔理沙は自慢げに言った。
 「私はな、幻想郷のヒーローになりたかったんだよ。魔法を使って幻想郷を異変から守るヒーローにな。それで、幻想郷を守る守り神みたいになりたかったんだ。魔法使いになるまでずっと忘れてたけど、これが私の夢だったんだ。魔法使いになって、私はこの夢を叶えたんだ」
 「夢を叶えた、ね……」
 そう呟くと、幽香はお茶を少し飲んだ。
 「夢を叶えた貴方は、これからどうするつもりなのかしら?」
 「それはもう決めてあるぜ。私はこれから新しいヒーローを育てるんだ。魅魔様が私に魔法を教えてくれたみたいにな」
 「魔理沙、私は思うんだけど――」幽香は半分冗談のつもりで言った。「貴方だったらヒーローどころか、博麗の巫女にすらなれたような気がするわ」
 すると、魔理沙は「ははは」と笑った。
 幽香は、何事かと思った。
 「……どうしたの?」
 「幽香、私じゃあ駄目なんだよ」
 「え……どういうことなのかしら?」
 ただの冗談に言い返したにしてはおかしな反応に、幽香は思わず戸惑う。
 「私じゃあ、博麗の巫女にはなれないんだ」
 「わけがわからないわ。説明しなさい」
 
 「――私は、博麗の巫女になり損ねたんだ」

 「……説明になってないわよ」
 幽香は不機嫌そうに言う。
 「私がまだ物心がつく前のことだ。私自身は憶えてないが、私は男の子一人と女の子二人と共に博麗の巫女の候補に選ばれたんだ」
 実は博麗の巫女に男女の制限はない。稀なことだが才能さえあれば男でも巫女になることができる。現に霊夢の三代前の巫女は男だった。
 「それはおかしいわ。だって、博麗の巫女は身寄りのない子供から選ばれるはず。――まさか、魔理沙、貴方……」
 「そう。私は霧雨家の実の子供じゃない。親父が死ぬ前に教えてくれたんだ」
 幽香はその言葉を一瞬疑ったが、人間だったころの魔理沙のことを考えると納得できた。魔理沙はただ少し魔法が使えるだけ人間であるにもかかわらず、ルールがなかったころに自分と戦って勝利したのだ。もし魔理沙に巫女の候補に選ばれるほどの能力があったとすれば勝てたのも頷ける。
 「結局私は巫女には選ばれず、幼いころの親父に似ているという理由で霧雨家の養子になったんだ」
 「なるほど。そしてその後、貴方は霊夢と知り合い友人となり、霊夢を意識して自分を高めていった。皮肉ね」
 「確かに皮肉だよな。まさか博麗の巫女になり損ねた私が、博麗の巫女と知り合ってライバル視するなんてな。最初っから負けてるぜ」
 魔理沙は「ははっ」と軽く笑い、お茶を飲んだ。
 「でも私はそれで良かったと思ってる。自分が博麗の巫女になり損ねたってのを知ってても知らなくても、私は霊夢のことを妬んだりしなかったと思う。――だってさ、私は霊夢のことを尊敬してたし、ずっと憧れてたんだぜ」
 魔理沙ははにかむようにして笑った。
 「そりゃあ最初は少しやな奴だって思ったさ。こんな奴に負けたくないとだって思った。だけど、付き合ってみたらあいつが良くできた奴だってのが理由は分からないけどなんとなく分かった。それで私は不思議とこう思ったんだ。『あいつが関心するくらいすごい奴になってやる』ってな。私があいつに負けてたことを知ってたって、私のこの気持ちは変わらなかったと思う。それに、今の私がいるのもあいつのおかげだ。――だから私は思う、霊夢と友達になれてよかったってな」
 「……そう」
 幽香は魔理沙の言葉を聞くと微笑んだ。
 「そうだ、一緒に行かないか? 霊夢の墓参り。丁度雨も止んでるし、出るなら今だぜ」
 魔理沙に指されて幽香が外を見ると、すっかり雨は止み、日の光であたりは明るくなっていた。
 「――そうね。せっかくだし、久しぶりに貴方と一緒に行くのもいいかもしれないわね」
 幽香と魔理沙は注文した物をささっと食べ、すっかり冷めたお茶で流し込んで立ち上がった。
 「そうだ、せっかくだから今日は貴方が私をリードしなさい。黙ってついて行ってあげるから」
 「はいはい。そいつは有難き幸せだぜ」
 適当に返し、魔理沙は幽香の手を取る。
 「ただ、リードはするけど奢りはしないからな」
 「ケチ」
 二人はそれぞれお金を払い、甘味処を後にした。



◆◆◆◆◆◆



 「なあ霊夢、お前は私の生きているうちに何度生まれて何度眠るんだろうな? たぶん私はかなり生きるから何回もお前と出会うと思う。また出会った時は――そうだ、仲良くやろうな」



◆◆◆◆◆◆




――霧雨魔理沙――

 その後も霧雨魔理沙の名前は幻想郷縁起に魔理沙こそ生きた歴史だと言わんばかりに大妖怪たちと共に登場し続けることになる。ただ、いかなる時も魔理沙は英雄であり続けた。魔理沙の弟子たちや、魔理沙に世話になった巫女たちが現れ、そして消えて行っても、魔理沙は幻想郷と共にあり続けた。


 ある日の昼下がり、魔理沙は何となく人間の里を歩いていた。
 別に暇というわけではない。やることはある。だが、ただなんとなくそんな気分だったのだ。
 「やっぱり人里もたまにや悪くないもんだ。何か面白いことがあればもっといいんだけどな」

 と、道具屋の前を通ったところで道具屋から走って出てきた一人の少年とぶつかる。
 「おっと」
 「うわっ」
 魔理沙はその場で踏みとどまる(いくら魔理沙の身長が低くても子供とぶつかった程度では転ばない)が、少年は転び、木の棒が地面に転がる。
 「何だ? そんなに慌てて。泥棒でもしたのか?」
 「あいたたた……。違う、これから妖怪退治に行くんだ」
 そう言いながら少年は立ち上がり、落とした棒を拾い上げる。
 「お前が?」
 「そう」
 「一人で?」
 「そう」
 と、言われたものの、少年は見た所十歳にも満たないほど幼い。妖精におちょくられるのがオチだろう。
 「何でまた妖怪なんか好き好んで退治しに行くんだ?」
 「別に関係ないだろ」
 「少し魔法でも教えてやろうか?」
 「……あんた、魔法使いか?」
 「ああ、魔法にはちょっとばかし自信があってね」
 と言って魔理沙は胸を張った。
 「じゃあ、一つ教えてよ」
 「んじゃあ基本中の基本。今から私が唱える呪文を繰り返すんだ」
 「わかった」
 「行くぜ、――『ゼッタイニアキラメナイゼ』」
 「ゼッタイニアキラ――って、なんだこれ?」
 「つらい時に唱える呪文さ。これが結構重要なんだ」
 「……あんた、本当に魔法使いか?」
 少年は疑いの目で魔理沙を見た。
 「疑ってるな? じゃあ証拠を見せてやるよ」
 と言って魔理沙はポケットからミニ八卦炉を取出し、上空に向けて五発ほどきれいな花火を上げた。
 通行人がおおーっと歓声を上げる。
 「ほ、本物なのか」
 「本物だぜ」
 「なあ、どうせならもっとちゃんとした魔法を教えてくれよ!」
 「ちゃんとしたって、最初のあれも列記とした魔法なんだけどな」
 「いいから教えれくれよ!」
 「んー、まさかここまで食いついてくるとは……。相手にしない方が良かったかな?」
 「なあ、教えてくれよ!」
 「あー、分かった分かった。んじゃあ少し相手してやるよ。もうちょっと安全な場所行くぞ」

 この少年が後の英雄になることを、まだ誰も知る由はなかった。
 幻想郷の未来は明るい。
 人間という生き物は本来本能とは別に何かしらの目的を持って行動するものです。夢も望みも人間だからこそ持つもので、他の動物には本当に無いかどうかは分かりませんがありません(寝て見る夢はありますが)。でも最近の人間はあまり目的が無く、望みなく働いて稼いだマネーで惰性のように生きています。妖怪はどうでしょうか? 彼らは食って寝て遊んで、割と本能のままに生きているような気がします。なら、魔法使いはどうでしょう? 大半の魔法使いは本能のように魔法の研究をし、目的を叶えて行くのです。まさに妖怪であり人間でもある存在と言えるでしょう。

 この物語は人間の魔法使いである魔理沙の過去、現在、未来にまつわる物語の集まりです。物語を集めた物語です。この物語で起こることは、幻想郷の一つの可能性です。だから他の人の中にはほかの物語があるのです。

 この物語を形にするのに随分と時間がかかりました。その分長く楽しめる物語になっているはずです。そして、この物語には過去の作品の再評価の願いもかけられています。過去の作品もぜひよろしくお願いします。

 さて、今回はこれくらいにしておきましょう。
 また、次回の作品で会いましょう。

 2011/9/4誤字を修正しました。指摘ありがとうございます。
昌幸
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コメント



0.1840簡易評価
1.100奇声を発する程度の能力削除
こういうお話はやはり良いものですね
読み終わってから改めてタイトルを見たら少し鳥肌が立ちました(良い意味で
5.100名前が無い程度の能力削除
何時だってみんなヒーローに憧れるんだ。なんかそんな感じ
19.100名前が無い程度の能力削除
良い魔理沙でした。
長生きして、種族人間を辞めて、桁違いに強くなっても、この魔理沙は人間のヒーローなんですねぇ。
24.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
こういう、その後のおはなしみたいなの好きだなあ。
26.100名前が無い程度の能力削除
こういう話はすごく好きです
27.100名前が無い程度の能力削除
内容も興味深いが、あとがきも興味深い。
28.90名前が無い程度の能力削除
魔理沙らしい魔理沙だったと思います。
魔理沙の原点はヒーローかぁ・・・。
29.100名前が無い程度の能力削除
面白い構成でよかったです
長い人生を見せるタイプの物は充実感があっていいですね
33.無評価名前が無い程度の能力削除
誤字報告
×おおぬき→○大幣(おおぬさ)

匿名で点数入れた後なので、フリーで失礼します
35.100名前が無い程度の能力削除
面白い流れだなー好きですよーこいう流れ。
ヒーローに憧れ、魔法使いになり、そして英雄として生き続ける。
そんなカッコイイ魔理沙の生き様が素敵でした。
36.100名前が無い程度の能力削除
これぞ創想話
46.100名前が無い程度の能力削除
願わくばこの物語が示す意味が、幻想とならないことを。
48.無評価名前が無い程度の能力削除
これだけ神社が馴れ親しまれている幻想郷で、葬儀=寺の設定に違和感。
入り込めなかった。