※この作品には神霊廟のネタバレが含まれています。
もうクリアした方や、ネタバレどんと来い、という方のみお読みください。
物部布都を一言で表すなら、賢い天然、というところだろうか。
彼女は決して頭が悪いわけではなく、むしろそれなりに頭の切れるタイプなのだ。
かつての宗教戦争の際も、布都の暗躍は重大な役割を担っていた。
賢い、というのはそういう意味でのこと。
だけど、時々そういう賢さとは正反対な面を見せることがある。
何かと早とちりというか、勘違いしやすいというか。
あと、調子に乗りやすい面もあったりする。
オンとオフの問題なのか、集中力が持続しないのか、それはわからないけど、そういうちょっと間抜けなところを指して天然なのだと私は解釈する。
だから布都は賢い天然であり、そういうところが私、蘇我屠自古にしてみれば『なんとなく放っておけないやつ』と感じさせる要素なのである。
でも、調子に乗るとちょっと面倒くさい時もあるのは確かで。
だから今日、運良く発見することのできた弱点は、是非とも活かしていかなければと思う。
私にとって、物凄く都合の良い弱点。
そう、布都の弱点は――
外が突然ピカッと光るのと、ドォォォンという大きな音が響き渡るのはほとんど同時だったと思う。
あと、布都が布団に包まるのもほぼ同時だった。
「ひゃぁ!か、雷じゃ!雷は嫌じゃ!!」
人の形に膨らんだ布団が、ぶるぶると震えている。
要するに、布都がそれだけ怯えているということだろう。
私は最初それを、ぽかんとした目で見つめていた。
現在、私たちは守矢神社の一室にいる。
神子様の復活以降、幻想郷の一員となった私達は、いわゆる挨拶回りのようなことをしていた。
なんでも、新しく幻想郷にやってきた一団はそうすることが習わしになっているらしい。
しかし、うちもそれなりに大所帯。
さすがに全員で挨拶に行くと訪ねられた側も迷惑だと考えて、青娥と芳香、私と布都、そして神子様の三グループに分けて行動している。
正直神子様を一人にしてしまうのは気が引けだのだけど、芳香はもちろん、布都もお目付け役がいないと、調子に乗って何をやらかすかわからない。
この分け方が誰の目から見ても適確だったと思う。
かくして守矢神社を訪ねた私達は特に長居するつもりなどなかったのだが、随分と陽気な神様と巫女のペースに巻き込まれて気がつけば宴会、宿泊という流れに持っていかれてしまった。
部屋数はそれなりあるという話だったが、私は布都と相部屋にしてもらった。
ここの連中が私達に牙を向くなんてことはないと思うが、万が一も考えられるし、何より酔った布都を見張るのに都合がいい。
そんな考えだったのだが、これはどうも思いがけない収穫を得られそうだ。
「うぅ、何故急に天気が悪くなったのじゃ……」
つい数時間ほど前まではそんな兆候などなかったはず。
しかし今、外は大雨が降り雷鳴が響いているような状態だ。
しかも雷は相当近くに落ちているらしい。
この神社は山の高い所にあるし、天候の変化も起きやすいのかもしれない。
「……ねぇ、布都」
「な、なんじゃ屠自古?」
もぞもぞと布団から顔だけを出す布都。
というか、敷布団まで体に巻きつけるのは重くないのだろうか。
「あんた、雷が怖いの?」
「っ!ち、違う、我は雷なんぞ恐れん!」
涙目でそんなことを言ってもまるで説得力がない。
「あ、光った」
「ひゃぁ!」
本当は光ってなんかいないけど、そんなことを言ってみた。
すると布都は凄い勢いで布団に身を隠してしまう。
そのままじっと数秒動かなかったが、いつまでも雷が鳴らないことに気がついたようだ。
「お、お主、我を騙したな!?」
「いやいやそんなことないわよ、ほら」
私がぱちっと指を鳴らすと、外でドォォォンという轟音が鳴り響く。
「うぎゃぁ!」
にょきっと出していた首が、またすぐに引っ込んでしまった。
まるで亀のような動きが面白くて、思わず笑みが漏れる。
「ほらね、嘘じゃないでしょ?」
「今のはお主の仕業じゃろうが!」
布団の中から聞こえるこもった声。
なるほど、タネは分かっているらしい。
私の能力は雷を起こすこと。
天候を操れるわけではないので今外で降っている雨や雷はただの自然現象だけど、さっきの轟音は私が適当に落とした人為的な雷というわけだ。
逆に言えば、どんなに晴れ渡った空であっても雷を生み出すことができるということ。
「あ、今度は本当に光った」
「ほ、ほんとうじゃろうな!?」
布都が言い終わるタイミングで、今度は本物の雷が落ちる。
そして布団から聞こえる悲鳴。
「……そんなに怖いんだ」
正直言って、意外だった。
布都とは昔もそれなりに付き合いがあったのだが、雷が怖いなんて話は一度も聞いたことがなかった。
私が雷を起こす程度の能力を持っていることは知っていたはずなのに、である。
本人にしてみればそれだけ恥ずかしい秘密なのだろうか。
「そ、その……雷が怖いのは理由があるのじゃ!」
「ほほう?」
再び顔を出した布都が、何か言いだした。
「ほれ、犬に噛まれた者は犬を恐れるというじゃろう?」
「それが何?」
「わ、我は雷に当たったことがあるのじゃ!」
「いや、嘘をつくな」
「本当じゃ!あれはある夏の日、我は外に出ていたのじゃが突然の雷に打たれて一週間ほど寝込んでじゃな」
「ドォォォン!!」
「ひゃぁ!すまん、嘘じゃ嘘じゃ!認めるから雷を落とすのはやめてくれぇ……」
あまりに必死の懇願に、さすがの私もちょっと動揺してしまう。
「それで、本当の理由は?」
「か、雷はおへそを取るのじゃぞ!?それにあのゴロゴロという音も怖いし……と、とにかく何もかも嫌なのじゃ!」
なんとも子供じみた理由に、ついに堪えきれなくなって吹き出してしまった。
「わ、笑うな屠自古!」
「だってあんたおへそって……くく、面白すぎるって」
「我をバカにするなぁ!」
「ふふ、物部の連中はそんな教育されてるわけね」
へそを取られるという話は私も小さい頃に聞いたことがある。
けどまさか、この年までそんな話を信じている奴がいるとは。
いや、さすがに本気で信じてるわけじゃないんだろうけど、小さい頃に植え付けられたトラウマとかなのだろう。
「お、おのれ~、いつまで笑っておるのじゃ屠自古!!」
ばっと布団から飛び出した布都が、私に飛びかかってくる。
しかし私が雷を起こすと、驚異的な速度で布団に戻っていく。
「く、くそぅ、これだから蘇我の連中は好かんのじゃ」
悔しそうに漏らす布都。
本当なら、ここはさらにバカにしてやるところのはず。
けど、私には見過ごせない言葉が混じっていた。
「……蘇我の人達は関係ないでしょ」
冷静に、いやちょっと冷たいくらいの声が私の口から飛び出る。
自分でも少し驚いてしまうくらいに冷めた声。
「お主こそ、さきほど物部の名を引き合いに出しだじゃろうが……」
一瞬の間もなく、布都がそう返してくる。
私はさきほどの自分の言動を振り返り、それから唇を噛んだ。
しまった、と思う。
自分でも気づかないうちにまたやってしまったようだ。
それからしばらく、私達の間に沈黙が流れて。
外の雨だけが、やけに大きく部屋の中に響いていた。
蘇我と物部、蘇我屠自古と物部布都。
かつて対立した二つの家。
私達にはその血が流れている。
神子様の配下として、同じ道を選んだ私達だけど、そこに少しもわだかまりが無かったのかと言えばそんなことはない。
今はもうそんなことは気にしていない仲だけど、それでもふとした時に、つい家のことに触れてしまう。
「屠自古……」
「……なに?」
気がつけば、布都は私の側まで寄ってきていた。
暗い部屋の中で、薄い色合いの髪や年に比べてやけに幼げな顔が妙にはっきりと映る。
「……お主、本当は我のことをどう思っておるのじゃ?」
不安気な瞳が私を見上げている。
その声も、心なしか震えているようだった。
「今さらそんなこと聞いてどうすんのよ」
「今だからこそ、聞きたいのじゃ……」
こんなの適当にあしらってしまえ、と思ったのだけど布都の方は真剣らしい。
だめだ、この流れはよくない。
「……あんたは」
「我はお主のこと……好きじゃぞ」
私に言葉を発する暇を与えず、布都はそう言った。
少なからず、それに動揺してしまう。
好き、という言葉の意味を量りかねるけど、それは普通に友人としてのことだろう。
そうだとしても、そんな真っ直ぐな言葉を聞いたのは久しぶりで。
だからすぐには言葉が出てこなかった。
「お主のこと、好きじゃ」
「何度も言わなくていいから……」
「大事なことじゃ」
「こんな時にこんなところで言わなくてもいいでしょ」
「ずっと言おうと思ってたのじゃ……けど、タイミングが……」
少なくとも、挨拶回りに来た先でするような話じゃない。
だから早く切り上げたかったのに、私はまるで布都の言葉に捕らえられてしまったかのように、そうすることができなくなっていた。
「我は好きなのじゃ、お主のことが」
「三度も言うなっての……」
「好きなのじゃが……しかしお主は蘇我の者じゃから……」
「……」
布都の顔を伺おうとすると、彼女はすぐに顔を伏せた。
「我自身は、家柄に特別な想いはない。しかし他の者は、物部の者達は、本気で蘇我の者を嫌っておった」
「……それは、こっちだって同じよ」
蘇我と物部の宗教対立は言葉で語れるほど易しいものではなかった。
土地や技術を巡る戦争とは違う。
宗教戦争は思想、心の深い部分に根付くものの争いだ。
それ故、その戦争を巡る人々の心など推し量れるものではない。
その戦争の相手にどんな感情を抱いているかなんて、口にできるものではない。
「我とお主の関係を、物部の者たちがどう思うか。それを考えると我は……我はどうすればいいのかわからなくなるのじゃ……」
ぎゅっと、私の袖を布都が強く握った。
彼女の辛く苦しい気持ちが、私にはよくわかる。
だってそれは……
「なぁ、屠自古……それはお主も同じではないのか?」
――それは私も同じだから。
「我はいつも、どこかお主と距離を感じる。神子様の前でも、宴会の時でも、二人きりの時でも」
同じなのだ、何もかも。
「これほどそばにいても、我はお主に近づけていないような、そんな気がするのじゃ……」
立場が逆ということだけ。
私が蘇我で、布都が物部であるということだけ。
それが唯一の違い。
布都が感じていることは、私の感じていることと全く同じものだった。
私だってどうすればいいのかわからない。
蘇我という家に強い思い入れがあるわけではない。
仏教に強い信仰心を抱いているわけでもない。
けれど、蘇我は私の生まれた家であり、家族が、皆がいた場所なのだ。
だからこそ、私は物部の人間と仲良くすることに、心のどこかで抵抗を感じるのだ。
非難を受けるのは構わない。
けれど、皆が悲しむ姿は見たくない。
布都と仲良くすることは、物部と必死に戦った皆の歴史を無為にしてしまうような気がして。
そんな気持ちが常に、私の中で渦巻いている。
そしてそんな気持ちを、布都も抱いている。
もともと、蘇我と物部の対立は布都が招いたに等しい。
当然、布都には物部という家に思い入れなんてないはずだ。
けどそれでも、そこは家族のいた場所なのだ。
たとえ全てが布都の計画の内であっても、心のどこか奥底で、物部が嫌っていた蘇我の者と仲良くすることに抵抗を感じていてもおかしくない。
彼女の賢さは、蘇我や物部という家柄なんて今更どうでもいいと感じるのかもしれないけど。
彼女の天然さは、それを無視することはできない。
賢い天然である彼女には、きっとそんな苦しみがある。
頭が良くて、でも素直すぎる彼女には、きっと辛い想いがある。
そしてそれがわかるから、私は何も言う事ができなかった。
布都がどうすればいいかわからないなら。
つまり、私もどうすればいいかわからないということだから。
どちらも何も言えないまま時間が過ぎていって。
やがて袖を握っていた布都の手からそっと力が抜ける。
「……すまなかった、やはり今するような話ではなかったようじゃな」
もう寝る、と小さくつぶやいて布都が私から離れていこうとする。
それが私達の距離だ。
埋まらない、心の距離。
声をかけたくても、何も言う事ができなかった。
布都が離れるなら、私も離れるのだ。
同じ想いを持っているからこそ、同じ距離を取ることになるのだ。
だから私達がこれ以上近づくことなんて、この先きっと、永遠にない。
そう、私が思った時だった。
鳴りを潜めていた雷鳴が、守矢神社一帯に轟いたのは。
「っ!」
それと同時に、がばっと何かが私の腕の中に飛び込んできて。
私は慌ててそれを受け止める。
そのちょっと温かくて柔らかい感触が。
布都のものだと気がつくのに、時間はかからなかった。
「ふ、布都……」
「す、済まぬ。すぐに離れ……」
布都の言葉を断ち切るように、いくつもの落雷が守矢神社のすぐ側で鳴り響く。
まるで少しの間溜めていたエネルギーを放出しているとでも言うかのように、何度も雷鳴が響き渡る。
雷が落ちるたびに、布都は強く強く私の体に抱き着いてきた。
あまりに力が入りすぎていて、ちょっと痛いくらいだ。
でも、その感覚は嫌じゃない。
だから私は雷鳴が収まるまで、抵抗せずに布都に体を預けてやる。
「うぅ……」
いつの間にか、布都は泣き出していた。
雷が怖いから、ではないだろう。
だって私も泣きそうだから。
布都に負けないくらい、私だって泣きたかった。
雷はすぐに静まり、聞こえるのは雨の音だけになる。
それから、ほんのわずかにすすり泣くような布都の声も。
「布都、雷はもう止んだから」
「うぅ、うぐ……すまん、すまん……」
布都は私から離れようとしなかった。
ずっと私の胸に顔を埋めたままだ。
泣き顔を見せたくないのかもしれない。
それとも、もしかしたら。
(離れたくないって、思ってくれてるのかな……)
自然と、手が布都の頭に伸びて。
そっと髪に触れて、ゆっくりと頭を撫でてやる。
それが予想外だったのか、布都はびくっと体を震わせて、すぐに顔を上げてくれた。
その顔はもう、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「とじこぉ……」
かすれた声で私の名を呼ぶ。
「布都……」
応えるように私もその名を呼んだ。
雷一つで、私達の距離はここまで縮まる。
名前を呼べば、互いの心が近くにあるのがよくわかる。
私達の距離は、もしかしたら私達が思うよりずっと近いのかもしれない。
私達を隔てる壁は、もしかしたら私達が思うよりずっと薄いのかもしれない。
布都と見つめ合って。
彼女の髪を撫でながらそんなことを考えて。
そして私はひとつ、大事なことを忘れていたのに気がついた。
「……ねぇ布都、ちゃんと言ってなかったけどさ」
言葉ひとつで近づく距離なら。
ちゃんと言っておかなければいけない。
「私、布都のこと好きよ」
それを、ちゃんと伝えておかないといけない。
布都が私に近づいた分、私も布都に近づくのだ。
布都は私の言葉を聞くと、嬉しそうに顔を綻ばせた。
本当に、幼くて可愛らしい顔だと思う。
その顔が側にあることがわかるだけで。
なんだか全てのことを忘れられるような気がして。
「……そっか、なんかわかった気がする」
一人納得したように呟く私。
布都は不思議そうにこちらを見ていた。
「ねぇ布都、提案があるんだけどさ」
私の唐突な発言に、なんじゃ、と弱々しい声で返す布都。
これから言う事にどんな反応を示すのか考えると、それだけで笑ってしまいそうになる。
そんな内心の笑みを堪えて、私は彼女にこう告げた。
「私達、駆け落ちしようか」
駆け落ち。
許されぬ愛を抱いた二人が、全てを捨てて逃避する行為。
それが私の提案だった。
布都は最初何を言われたのかわかっていなかったようだけど、やがてそれを理解したらしく、みるみる内に真っ赤になっていった。
「なな、急に何を言い出すのじゃ!す、好きというのはそういう意味ではなくてじゃな!」
「じゃあ私と駆け落ちするのは嫌?」
「い、嫌というか、そういう問題では……いや、その……嫌では……ないのじゃが……」
困り果てて、きょろきょろとあちこち視線を彷徨わせる布都。
思わず笑みが零れた。
「ふふ、冗談に決まってるでしょ」
「なっ!?わ、我は真剣に考えたというのに貴様ぁ!」
どん、どん、と胸を強く叩いてくる。
そんなところも子供っぽくて、私はまた声を上げて笑ってしまった。
「だから笑うなぁ!」
「ごめんごめん、でも、それもいいかなってちょっと思ったのはほんとよ」
布都は腕の動きをぴたりと止めて、呆けた顔をこちらに向けた。
その顔を見て話すのは照れ臭かったので、私は視線を逸らしてから話はじめる。
「家のこととか全部忘れて、神子様の所からも逃げ出して、そうやって何もかも捨てても、あんたと心から付き合うことができるなら、それもいいかなって思ったのよ……」
「屠自古……」
ちら、と布都を見ると、赤らんだ頬に潤んだ瞳で私をぼ~っと見つめていた。
そんな反応をされてしまうと、尚更恥ずかしくなってしまう。
もちろん、駆け落ちなんて本当にするわけない。
これからもずっと、私は神子様を支えていくつもりだし、布都もきっとそう思ってる。
それに逃げたとしても、それで私達の心が解放されるとも思えない。
だけどもしも、蘇我という名と、神子様と、そして布都の中から一つを選べと言われたら、その時私はきっと――
「……うん、ちゃんと話せて良かった。ありがとね、布都」
「か、勝手に納得するでない。我はまだ」
「たとえ私が無意識に距離を取っていても、それでも私があんたを好きって気持ちは本物で揺るぎないものだから」
口早にそう言い切って、布都に視線を向ける。
あんたはどうなのか、と。
布都は一瞬驚いて、しかしすぐに口を開く。
「わ、我とて同じじゃ。たとえお主が我に距離を感じても、我はお主のことが好きじゃ!」
力の籠った声と瞳。
それを聞いて、私は自分の胸が暖かくなるのをしっかりと感じていた。
私達の間に立ちはだかる家柄という壁。
その壁が作る微かな距離感。
だけど私達は、もうその壁のすぐ側まで近づけているのだ。
布都の笑顔を見て、そのことに気がついた。
だからきっと大丈夫。
もしもダメなら本当に駆け落ちしたっていい。
全てを捨てて、布都を選んだっていい。
だって、私は彼女の笑顔を見るのがきっと一番幸せだから。
そして私は、布都が同じ気持ちでいてくれることを疑わない。
同じものを感じてきたからこそ。
同じ想いを抱いてきたからこそ。
きっと私達は、私達が思うより、誰より近くにいるのだ。
誰にだって、踏み込める場所と踏み込めない場所がある。
心の壁なんて、何も私達だけが持つ特別なものじゃない。
壁があるからこそ、人はもっと触れ合おうとするし、想いを言葉にして告げる。
何度も何度も壁を叩いて、互いが側にいることを理解する。
そうしていつか、壁が壊れてくれたなら、二人の心が重なるはず。
いつかそんな日が来るまで、私は布都の側にいる。
「……そろそろ寝よっか、あんたの気持ち、十分伝わったからさ」
自分の気持ちを整理し終えて、私は布都にそう告げた。
まだ挨拶回りは残っているのだ。
いつまでもこうして起きているわけにはいかない。
「うむ……そう……じゃな」
名残惜しそうに私の顔を見上げて、そして布都は私の腕の中から抜け出そうとした。
その瞬間、私は指をパチっと鳴らす。
それに呼応するように、雷鳴が響く。
「ひゃぁ、な、なにをするのじゃ屠自古!」
そうすると、布都はすぐに私の腕の中に戻ってきた。
「ん~?私は何もしてないけど?」
「う、嘘を吐くな!」
「吐いてないって。まぁどうしても雷が怖いなら、今日は一緒の布団で寝てもいいけど?」
「なっ……」
今夜は、布都を離したくなかった。
せっかく近づいたかもしれない距離を、手放してしまいたくないから。
「どうする?」
外の雨は徐々に弱まってきているようで。
おそらくもう自然に雷が落ちることはないだろう。
だから布都が離れようとするなら、私は何度だって雷を落とす。
「……い、一緒に寝てやっても……よいぞ」
「一緒に寝てください、でしょ?」
「むぅ!言わん、絶対そんなこと言わんぞ!」
「ドォォォン!」
「ひゃぁ!ね、寝てくれ!我と一緒に寝てくれ!」
「素直でよろしい」
「うぅ……」
ぎゅっと力強く私に抱き着く布都。
私も彼女の体をぎゅっと抱きしめる。
雷で脅すのはずるいだろうか。
いや、これは私の決意表明なのだ。
自分にできる最大限で、私は布都の側にいる。
無意識が隔てる距離なんて気にしなくていいくらい、私は布都の側にいてやる。
だって私はこいつのことが好きだから。
賢くて天然で、弄り甲斐があって面白くて、根が素直だから色々悩んで、そんな布都が好きだから。
だから私は、ずっと彼女の側にいる。
駆けて落ちて、その向こうに行ったとしても、ずっと彼女の側にいる。
布団の中で彼女を抱きしめて、何度も心の中でそう呟いて、布都の温もりを感じながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
もうクリアした方や、ネタバレどんと来い、という方のみお読みください。
物部布都を一言で表すなら、賢い天然、というところだろうか。
彼女は決して頭が悪いわけではなく、むしろそれなりに頭の切れるタイプなのだ。
かつての宗教戦争の際も、布都の暗躍は重大な役割を担っていた。
賢い、というのはそういう意味でのこと。
だけど、時々そういう賢さとは正反対な面を見せることがある。
何かと早とちりというか、勘違いしやすいというか。
あと、調子に乗りやすい面もあったりする。
オンとオフの問題なのか、集中力が持続しないのか、それはわからないけど、そういうちょっと間抜けなところを指して天然なのだと私は解釈する。
だから布都は賢い天然であり、そういうところが私、蘇我屠自古にしてみれば『なんとなく放っておけないやつ』と感じさせる要素なのである。
でも、調子に乗るとちょっと面倒くさい時もあるのは確かで。
だから今日、運良く発見することのできた弱点は、是非とも活かしていかなければと思う。
私にとって、物凄く都合の良い弱点。
そう、布都の弱点は――
外が突然ピカッと光るのと、ドォォォンという大きな音が響き渡るのはほとんど同時だったと思う。
あと、布都が布団に包まるのもほぼ同時だった。
「ひゃぁ!か、雷じゃ!雷は嫌じゃ!!」
人の形に膨らんだ布団が、ぶるぶると震えている。
要するに、布都がそれだけ怯えているということだろう。
私は最初それを、ぽかんとした目で見つめていた。
現在、私たちは守矢神社の一室にいる。
神子様の復活以降、幻想郷の一員となった私達は、いわゆる挨拶回りのようなことをしていた。
なんでも、新しく幻想郷にやってきた一団はそうすることが習わしになっているらしい。
しかし、うちもそれなりに大所帯。
さすがに全員で挨拶に行くと訪ねられた側も迷惑だと考えて、青娥と芳香、私と布都、そして神子様の三グループに分けて行動している。
正直神子様を一人にしてしまうのは気が引けだのだけど、芳香はもちろん、布都もお目付け役がいないと、調子に乗って何をやらかすかわからない。
この分け方が誰の目から見ても適確だったと思う。
かくして守矢神社を訪ねた私達は特に長居するつもりなどなかったのだが、随分と陽気な神様と巫女のペースに巻き込まれて気がつけば宴会、宿泊という流れに持っていかれてしまった。
部屋数はそれなりあるという話だったが、私は布都と相部屋にしてもらった。
ここの連中が私達に牙を向くなんてことはないと思うが、万が一も考えられるし、何より酔った布都を見張るのに都合がいい。
そんな考えだったのだが、これはどうも思いがけない収穫を得られそうだ。
「うぅ、何故急に天気が悪くなったのじゃ……」
つい数時間ほど前まではそんな兆候などなかったはず。
しかし今、外は大雨が降り雷鳴が響いているような状態だ。
しかも雷は相当近くに落ちているらしい。
この神社は山の高い所にあるし、天候の変化も起きやすいのかもしれない。
「……ねぇ、布都」
「な、なんじゃ屠自古?」
もぞもぞと布団から顔だけを出す布都。
というか、敷布団まで体に巻きつけるのは重くないのだろうか。
「あんた、雷が怖いの?」
「っ!ち、違う、我は雷なんぞ恐れん!」
涙目でそんなことを言ってもまるで説得力がない。
「あ、光った」
「ひゃぁ!」
本当は光ってなんかいないけど、そんなことを言ってみた。
すると布都は凄い勢いで布団に身を隠してしまう。
そのままじっと数秒動かなかったが、いつまでも雷が鳴らないことに気がついたようだ。
「お、お主、我を騙したな!?」
「いやいやそんなことないわよ、ほら」
私がぱちっと指を鳴らすと、外でドォォォンという轟音が鳴り響く。
「うぎゃぁ!」
にょきっと出していた首が、またすぐに引っ込んでしまった。
まるで亀のような動きが面白くて、思わず笑みが漏れる。
「ほらね、嘘じゃないでしょ?」
「今のはお主の仕業じゃろうが!」
布団の中から聞こえるこもった声。
なるほど、タネは分かっているらしい。
私の能力は雷を起こすこと。
天候を操れるわけではないので今外で降っている雨や雷はただの自然現象だけど、さっきの轟音は私が適当に落とした人為的な雷というわけだ。
逆に言えば、どんなに晴れ渡った空であっても雷を生み出すことができるということ。
「あ、今度は本当に光った」
「ほ、ほんとうじゃろうな!?」
布都が言い終わるタイミングで、今度は本物の雷が落ちる。
そして布団から聞こえる悲鳴。
「……そんなに怖いんだ」
正直言って、意外だった。
布都とは昔もそれなりに付き合いがあったのだが、雷が怖いなんて話は一度も聞いたことがなかった。
私が雷を起こす程度の能力を持っていることは知っていたはずなのに、である。
本人にしてみればそれだけ恥ずかしい秘密なのだろうか。
「そ、その……雷が怖いのは理由があるのじゃ!」
「ほほう?」
再び顔を出した布都が、何か言いだした。
「ほれ、犬に噛まれた者は犬を恐れるというじゃろう?」
「それが何?」
「わ、我は雷に当たったことがあるのじゃ!」
「いや、嘘をつくな」
「本当じゃ!あれはある夏の日、我は外に出ていたのじゃが突然の雷に打たれて一週間ほど寝込んでじゃな」
「ドォォォン!!」
「ひゃぁ!すまん、嘘じゃ嘘じゃ!認めるから雷を落とすのはやめてくれぇ……」
あまりに必死の懇願に、さすがの私もちょっと動揺してしまう。
「それで、本当の理由は?」
「か、雷はおへそを取るのじゃぞ!?それにあのゴロゴロという音も怖いし……と、とにかく何もかも嫌なのじゃ!」
なんとも子供じみた理由に、ついに堪えきれなくなって吹き出してしまった。
「わ、笑うな屠自古!」
「だってあんたおへそって……くく、面白すぎるって」
「我をバカにするなぁ!」
「ふふ、物部の連中はそんな教育されてるわけね」
へそを取られるという話は私も小さい頃に聞いたことがある。
けどまさか、この年までそんな話を信じている奴がいるとは。
いや、さすがに本気で信じてるわけじゃないんだろうけど、小さい頃に植え付けられたトラウマとかなのだろう。
「お、おのれ~、いつまで笑っておるのじゃ屠自古!!」
ばっと布団から飛び出した布都が、私に飛びかかってくる。
しかし私が雷を起こすと、驚異的な速度で布団に戻っていく。
「く、くそぅ、これだから蘇我の連中は好かんのじゃ」
悔しそうに漏らす布都。
本当なら、ここはさらにバカにしてやるところのはず。
けど、私には見過ごせない言葉が混じっていた。
「……蘇我の人達は関係ないでしょ」
冷静に、いやちょっと冷たいくらいの声が私の口から飛び出る。
自分でも少し驚いてしまうくらいに冷めた声。
「お主こそ、さきほど物部の名を引き合いに出しだじゃろうが……」
一瞬の間もなく、布都がそう返してくる。
私はさきほどの自分の言動を振り返り、それから唇を噛んだ。
しまった、と思う。
自分でも気づかないうちにまたやってしまったようだ。
それからしばらく、私達の間に沈黙が流れて。
外の雨だけが、やけに大きく部屋の中に響いていた。
蘇我と物部、蘇我屠自古と物部布都。
かつて対立した二つの家。
私達にはその血が流れている。
神子様の配下として、同じ道を選んだ私達だけど、そこに少しもわだかまりが無かったのかと言えばそんなことはない。
今はもうそんなことは気にしていない仲だけど、それでもふとした時に、つい家のことに触れてしまう。
「屠自古……」
「……なに?」
気がつけば、布都は私の側まで寄ってきていた。
暗い部屋の中で、薄い色合いの髪や年に比べてやけに幼げな顔が妙にはっきりと映る。
「……お主、本当は我のことをどう思っておるのじゃ?」
不安気な瞳が私を見上げている。
その声も、心なしか震えているようだった。
「今さらそんなこと聞いてどうすんのよ」
「今だからこそ、聞きたいのじゃ……」
こんなの適当にあしらってしまえ、と思ったのだけど布都の方は真剣らしい。
だめだ、この流れはよくない。
「……あんたは」
「我はお主のこと……好きじゃぞ」
私に言葉を発する暇を与えず、布都はそう言った。
少なからず、それに動揺してしまう。
好き、という言葉の意味を量りかねるけど、それは普通に友人としてのことだろう。
そうだとしても、そんな真っ直ぐな言葉を聞いたのは久しぶりで。
だからすぐには言葉が出てこなかった。
「お主のこと、好きじゃ」
「何度も言わなくていいから……」
「大事なことじゃ」
「こんな時にこんなところで言わなくてもいいでしょ」
「ずっと言おうと思ってたのじゃ……けど、タイミングが……」
少なくとも、挨拶回りに来た先でするような話じゃない。
だから早く切り上げたかったのに、私はまるで布都の言葉に捕らえられてしまったかのように、そうすることができなくなっていた。
「我は好きなのじゃ、お主のことが」
「三度も言うなっての……」
「好きなのじゃが……しかしお主は蘇我の者じゃから……」
「……」
布都の顔を伺おうとすると、彼女はすぐに顔を伏せた。
「我自身は、家柄に特別な想いはない。しかし他の者は、物部の者達は、本気で蘇我の者を嫌っておった」
「……それは、こっちだって同じよ」
蘇我と物部の宗教対立は言葉で語れるほど易しいものではなかった。
土地や技術を巡る戦争とは違う。
宗教戦争は思想、心の深い部分に根付くものの争いだ。
それ故、その戦争を巡る人々の心など推し量れるものではない。
その戦争の相手にどんな感情を抱いているかなんて、口にできるものではない。
「我とお主の関係を、物部の者たちがどう思うか。それを考えると我は……我はどうすればいいのかわからなくなるのじゃ……」
ぎゅっと、私の袖を布都が強く握った。
彼女の辛く苦しい気持ちが、私にはよくわかる。
だってそれは……
「なぁ、屠自古……それはお主も同じではないのか?」
――それは私も同じだから。
「我はいつも、どこかお主と距離を感じる。神子様の前でも、宴会の時でも、二人きりの時でも」
同じなのだ、何もかも。
「これほどそばにいても、我はお主に近づけていないような、そんな気がするのじゃ……」
立場が逆ということだけ。
私が蘇我で、布都が物部であるということだけ。
それが唯一の違い。
布都が感じていることは、私の感じていることと全く同じものだった。
私だってどうすればいいのかわからない。
蘇我という家に強い思い入れがあるわけではない。
仏教に強い信仰心を抱いているわけでもない。
けれど、蘇我は私の生まれた家であり、家族が、皆がいた場所なのだ。
だからこそ、私は物部の人間と仲良くすることに、心のどこかで抵抗を感じるのだ。
非難を受けるのは構わない。
けれど、皆が悲しむ姿は見たくない。
布都と仲良くすることは、物部と必死に戦った皆の歴史を無為にしてしまうような気がして。
そんな気持ちが常に、私の中で渦巻いている。
そしてそんな気持ちを、布都も抱いている。
もともと、蘇我と物部の対立は布都が招いたに等しい。
当然、布都には物部という家に思い入れなんてないはずだ。
けどそれでも、そこは家族のいた場所なのだ。
たとえ全てが布都の計画の内であっても、心のどこか奥底で、物部が嫌っていた蘇我の者と仲良くすることに抵抗を感じていてもおかしくない。
彼女の賢さは、蘇我や物部という家柄なんて今更どうでもいいと感じるのかもしれないけど。
彼女の天然さは、それを無視することはできない。
賢い天然である彼女には、きっとそんな苦しみがある。
頭が良くて、でも素直すぎる彼女には、きっと辛い想いがある。
そしてそれがわかるから、私は何も言う事ができなかった。
布都がどうすればいいかわからないなら。
つまり、私もどうすればいいかわからないということだから。
どちらも何も言えないまま時間が過ぎていって。
やがて袖を握っていた布都の手からそっと力が抜ける。
「……すまなかった、やはり今するような話ではなかったようじゃな」
もう寝る、と小さくつぶやいて布都が私から離れていこうとする。
それが私達の距離だ。
埋まらない、心の距離。
声をかけたくても、何も言う事ができなかった。
布都が離れるなら、私も離れるのだ。
同じ想いを持っているからこそ、同じ距離を取ることになるのだ。
だから私達がこれ以上近づくことなんて、この先きっと、永遠にない。
そう、私が思った時だった。
鳴りを潜めていた雷鳴が、守矢神社一帯に轟いたのは。
「っ!」
それと同時に、がばっと何かが私の腕の中に飛び込んできて。
私は慌ててそれを受け止める。
そのちょっと温かくて柔らかい感触が。
布都のものだと気がつくのに、時間はかからなかった。
「ふ、布都……」
「す、済まぬ。すぐに離れ……」
布都の言葉を断ち切るように、いくつもの落雷が守矢神社のすぐ側で鳴り響く。
まるで少しの間溜めていたエネルギーを放出しているとでも言うかのように、何度も雷鳴が響き渡る。
雷が落ちるたびに、布都は強く強く私の体に抱き着いてきた。
あまりに力が入りすぎていて、ちょっと痛いくらいだ。
でも、その感覚は嫌じゃない。
だから私は雷鳴が収まるまで、抵抗せずに布都に体を預けてやる。
「うぅ……」
いつの間にか、布都は泣き出していた。
雷が怖いから、ではないだろう。
だって私も泣きそうだから。
布都に負けないくらい、私だって泣きたかった。
雷はすぐに静まり、聞こえるのは雨の音だけになる。
それから、ほんのわずかにすすり泣くような布都の声も。
「布都、雷はもう止んだから」
「うぅ、うぐ……すまん、すまん……」
布都は私から離れようとしなかった。
ずっと私の胸に顔を埋めたままだ。
泣き顔を見せたくないのかもしれない。
それとも、もしかしたら。
(離れたくないって、思ってくれてるのかな……)
自然と、手が布都の頭に伸びて。
そっと髪に触れて、ゆっくりと頭を撫でてやる。
それが予想外だったのか、布都はびくっと体を震わせて、すぐに顔を上げてくれた。
その顔はもう、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「とじこぉ……」
かすれた声で私の名を呼ぶ。
「布都……」
応えるように私もその名を呼んだ。
雷一つで、私達の距離はここまで縮まる。
名前を呼べば、互いの心が近くにあるのがよくわかる。
私達の距離は、もしかしたら私達が思うよりずっと近いのかもしれない。
私達を隔てる壁は、もしかしたら私達が思うよりずっと薄いのかもしれない。
布都と見つめ合って。
彼女の髪を撫でながらそんなことを考えて。
そして私はひとつ、大事なことを忘れていたのに気がついた。
「……ねぇ布都、ちゃんと言ってなかったけどさ」
言葉ひとつで近づく距離なら。
ちゃんと言っておかなければいけない。
「私、布都のこと好きよ」
それを、ちゃんと伝えておかないといけない。
布都が私に近づいた分、私も布都に近づくのだ。
布都は私の言葉を聞くと、嬉しそうに顔を綻ばせた。
本当に、幼くて可愛らしい顔だと思う。
その顔が側にあることがわかるだけで。
なんだか全てのことを忘れられるような気がして。
「……そっか、なんかわかった気がする」
一人納得したように呟く私。
布都は不思議そうにこちらを見ていた。
「ねぇ布都、提案があるんだけどさ」
私の唐突な発言に、なんじゃ、と弱々しい声で返す布都。
これから言う事にどんな反応を示すのか考えると、それだけで笑ってしまいそうになる。
そんな内心の笑みを堪えて、私は彼女にこう告げた。
「私達、駆け落ちしようか」
駆け落ち。
許されぬ愛を抱いた二人が、全てを捨てて逃避する行為。
それが私の提案だった。
布都は最初何を言われたのかわかっていなかったようだけど、やがてそれを理解したらしく、みるみる内に真っ赤になっていった。
「なな、急に何を言い出すのじゃ!す、好きというのはそういう意味ではなくてじゃな!」
「じゃあ私と駆け落ちするのは嫌?」
「い、嫌というか、そういう問題では……いや、その……嫌では……ないのじゃが……」
困り果てて、きょろきょろとあちこち視線を彷徨わせる布都。
思わず笑みが零れた。
「ふふ、冗談に決まってるでしょ」
「なっ!?わ、我は真剣に考えたというのに貴様ぁ!」
どん、どん、と胸を強く叩いてくる。
そんなところも子供っぽくて、私はまた声を上げて笑ってしまった。
「だから笑うなぁ!」
「ごめんごめん、でも、それもいいかなってちょっと思ったのはほんとよ」
布都は腕の動きをぴたりと止めて、呆けた顔をこちらに向けた。
その顔を見て話すのは照れ臭かったので、私は視線を逸らしてから話はじめる。
「家のこととか全部忘れて、神子様の所からも逃げ出して、そうやって何もかも捨てても、あんたと心から付き合うことができるなら、それもいいかなって思ったのよ……」
「屠自古……」
ちら、と布都を見ると、赤らんだ頬に潤んだ瞳で私をぼ~っと見つめていた。
そんな反応をされてしまうと、尚更恥ずかしくなってしまう。
もちろん、駆け落ちなんて本当にするわけない。
これからもずっと、私は神子様を支えていくつもりだし、布都もきっとそう思ってる。
それに逃げたとしても、それで私達の心が解放されるとも思えない。
だけどもしも、蘇我という名と、神子様と、そして布都の中から一つを選べと言われたら、その時私はきっと――
「……うん、ちゃんと話せて良かった。ありがとね、布都」
「か、勝手に納得するでない。我はまだ」
「たとえ私が無意識に距離を取っていても、それでも私があんたを好きって気持ちは本物で揺るぎないものだから」
口早にそう言い切って、布都に視線を向ける。
あんたはどうなのか、と。
布都は一瞬驚いて、しかしすぐに口を開く。
「わ、我とて同じじゃ。たとえお主が我に距離を感じても、我はお主のことが好きじゃ!」
力の籠った声と瞳。
それを聞いて、私は自分の胸が暖かくなるのをしっかりと感じていた。
私達の間に立ちはだかる家柄という壁。
その壁が作る微かな距離感。
だけど私達は、もうその壁のすぐ側まで近づけているのだ。
布都の笑顔を見て、そのことに気がついた。
だからきっと大丈夫。
もしもダメなら本当に駆け落ちしたっていい。
全てを捨てて、布都を選んだっていい。
だって、私は彼女の笑顔を見るのがきっと一番幸せだから。
そして私は、布都が同じ気持ちでいてくれることを疑わない。
同じものを感じてきたからこそ。
同じ想いを抱いてきたからこそ。
きっと私達は、私達が思うより、誰より近くにいるのだ。
誰にだって、踏み込める場所と踏み込めない場所がある。
心の壁なんて、何も私達だけが持つ特別なものじゃない。
壁があるからこそ、人はもっと触れ合おうとするし、想いを言葉にして告げる。
何度も何度も壁を叩いて、互いが側にいることを理解する。
そうしていつか、壁が壊れてくれたなら、二人の心が重なるはず。
いつかそんな日が来るまで、私は布都の側にいる。
「……そろそろ寝よっか、あんたの気持ち、十分伝わったからさ」
自分の気持ちを整理し終えて、私は布都にそう告げた。
まだ挨拶回りは残っているのだ。
いつまでもこうして起きているわけにはいかない。
「うむ……そう……じゃな」
名残惜しそうに私の顔を見上げて、そして布都は私の腕の中から抜け出そうとした。
その瞬間、私は指をパチっと鳴らす。
それに呼応するように、雷鳴が響く。
「ひゃぁ、な、なにをするのじゃ屠自古!」
そうすると、布都はすぐに私の腕の中に戻ってきた。
「ん~?私は何もしてないけど?」
「う、嘘を吐くな!」
「吐いてないって。まぁどうしても雷が怖いなら、今日は一緒の布団で寝てもいいけど?」
「なっ……」
今夜は、布都を離したくなかった。
せっかく近づいたかもしれない距離を、手放してしまいたくないから。
「どうする?」
外の雨は徐々に弱まってきているようで。
おそらくもう自然に雷が落ちることはないだろう。
だから布都が離れようとするなら、私は何度だって雷を落とす。
「……い、一緒に寝てやっても……よいぞ」
「一緒に寝てください、でしょ?」
「むぅ!言わん、絶対そんなこと言わんぞ!」
「ドォォォン!」
「ひゃぁ!ね、寝てくれ!我と一緒に寝てくれ!」
「素直でよろしい」
「うぅ……」
ぎゅっと力強く私に抱き着く布都。
私も彼女の体をぎゅっと抱きしめる。
雷で脅すのはずるいだろうか。
いや、これは私の決意表明なのだ。
自分にできる最大限で、私は布都の側にいる。
無意識が隔てる距離なんて気にしなくていいくらい、私は布都の側にいてやる。
だって私はこいつのことが好きだから。
賢くて天然で、弄り甲斐があって面白くて、根が素直だから色々悩んで、そんな布都が好きだから。
だから私は、ずっと彼女の側にいる。
駆けて落ちて、その向こうに行ったとしても、ずっと彼女の側にいる。
布団の中で彼女を抱きしめて、何度も心の中でそう呟いて、布都の温もりを感じながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
しかし我は現状みことじ派なのだ……そして某召喚スペルカード派でもあるのだ……。
トライアングルちゅっちゅ
ラブラブ……じゃな?
ただ布都の口調に違和感がありました
「~じゃ」って喋り方はしてなかったと思うので・・・
うむ、感謝するぞ!