Coolier - 新生・東方創想話

幽淵のコールタール

2011/07/09 11:57:57
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――0――



「最近、夢見が悪い人が多いんだって」

 それは確か、人形劇をしていたときのことだ。
 人里での演劇を終え、人形を片付けていたとき。
 一番前で見ていた女の子が、私を心配そうに見ながらそう告げた。

「夢?」
「うん」

 女の子の話を纏めると、こうだ。
 なんでも人里から南に下った場所に、湖があったそうだ。
 小さな湖ではあるが魚も捕れて、里人たちは重宝していた。
 ただ稀に妖怪に襲われることがあるが、最近はそれもなかった。
 そのため頻繁にでかけていた里人は、何時しか悪い夢を見るようになったのだという。

「だから、気をつけてね。お姉ちゃんのお人形さん、わたし、大好きだから」
「ええ、ありがとう。そんな危ない場所には行かないようにするわ」
「うんっ」

 走り去る女の子に手を振り、別れる。
 隣で上海人形と蓬莱人形に首を傾げさせて見せても、よくわからない、としか思えなかった。

「まぁ、人里にそこそこ詳しいあの子にでも、詳細を聞いてみましょうか」

 私はそう呟くと、上海と蓬莱が頷く。
 結局聞いてみないとなにもわからないのなら、今は思考の隅にでも追いやっておこう。
 思い出すのは、あの白黒が来た時で、十分だから。

「さ、帰りましょう」

 人里から、飛び立つ。
 南の空では、唐紅と薄紫の境界が、ぼんやりと濁っていた。













幽淵のコールタール













――1――



 午後のティータイム。
 焼き上がったばかりのマフィンと、ダージリン。
 食卓を彩るそれに、私は頬を綻ばせた。

 妖怪ではあるけれど、人間の習慣を捨てた訳じゃない。
 規則正しい生活は日々にリズムをもたらして、手の込んだ食事は心を満たして彩る。
 この幻想郷で自立人形を作ろうと決めたときから揺るがない、私のライフワークだ。

「さて、食べましょうか。フォークを持ってきて、上海――」
「――邪魔するぜ!」

 空調のために開けられていた窓から、黒と白の影が飛び込んできた。
 特徴的なモノクロカラーと、煌びやかな金髪の魔法使い。
 人間、霧雨魔理沙が不敵に笑っていた。

「私の分もあるか?」
「入るときは玄関から」
「わかったぜ。出るときは窓からで良いんだな」
「つまみだすわよ?」
「ははっ、すまんすまん」

 こいつは、ことあるごとにこうやって居座る。
 別に私の家に来る頻度が高いという訳ではない。
 両方の神社にも、図書館にも、医者の所にも、冥界にだって。
 気がついたら溶け込んでいる癖に、決して長居はしない――猫のような、気まぐれ。

「はぁ、いいわ。上海、一番出来の悪いのを持ってきて」
「アリスの一番出来が悪い、はちょっと形が揃わない程度だろ?」
「失敗しないんだから、仕方ないでしょ」
「なにそれずるい」

 ずるい、それは妬ましいという感情だろうか。
 いや、ただ口に出ただけの言葉、言葉の綾だろう。

「お、来た来た。いただきます!」
「はいはい、どうぞ召し上がれ」

 魔理沙は以外にも礼儀正しく、手を合わせてからマフィンを頬張る。
 なんだかんだで家に入れてお菓子を振る舞ってしまうことの一因には、きっとと魔理沙のこの表情があるからだ。

 小さな口で一生懸命マフィンを頬張る。

「何度見ても、小動物チックね」
「はぁ?」
「飼ってあげましょうか?」
「ッ…………ぇふっ、何を言い出すんだ!」
「冗談よ」

 思わずマフィンを吹き出しそうになった魔理沙は、慌てて両手で口元を押さえた。
 涙目になりながらも吹き出さなかったのは、偉いと思う。

「へんなことを言うなよ」
「ごめんなさい」
「誠意が感じられないぜ」
「上海、マフィンをもう一個持ってきなさい」

 上海がマフィンを持ってくると、魔理沙は喜んでそれを受け取った。
 思わずニヤニヤしながら魔理沙を見ると、彼女は慌てて目を逸らす。
 表情を崩さないようにあえて眉根を寄せているようだが、苦手な者を我慢する子供のような表情で、今度は私が吹き出さないようにするのに苦労した。

 これで手癖が悪くなかったら、もう少し付き合いようもあるのに。

「今日もこれから、紅魔館で泥棒活動?」
「失礼なことを言うな。借りるだけだぜ」
「そう。それなら私から“借りた”本、そろそろ返してくれないかしら」
「もうしばらく待て。死んだら返す」

 これだ。魔理沙はそうやって、自分の力だけで解決しようとする。
 何があっても人には頼らず、経験で他者から掠め取り、己のものへ変えていく。
 きっと、見えないところで人一倍努力を重ねているんだろう。

「素直に貸してくださいって言って、返却期限も整えれば、知識の増え方も変わるでしょうに」
「おいおい勘弁してくれよ。魔女に契約ってか?」
「そうじゃない……って、わかっているんでしょうね。貴女は」

 人を頼らない。
 それは美徳かもしれない。
 けれどあまりにも、人間らしくない生き方だ。

「ごちそうさん、美味かったぜ」
「お粗末様。ああもう、口元」
「え?……い、いや、自分で取れるって、ああっ」

 魔理沙の頬についていた食べかすを、ハンカチで拭ってやる。
 この子はこういう、女の子らしさが色々と足りていない。
 もう少し、人里の女子たち程度には身なりに気をつければ――ぁ、そういえば。

「ねぇ魔理沙」
「うぅ……なんだよ」
「人里の南にある湖って、知ってる?」

 私がそう訊ねると、魔理沙は僅かな時間首を捻って、それから「ああ」と頷いた。
 どうやら、人里の暮らしたことがある人間なら、誰もが知っている場所な様だ。

「そこに行くとね、夢見が悪くなるそうなのよ」
「夢見が?」
「知らない?」
「聞いたこともないぜ。第一あそこには、妖怪が居たはずだが……うーむ」

 魔理沙のこの反応を見るに、どうやら本当に最近起き始めたことなようだ。
 まぁ、行かないようにすればいい程度の注意喚起なら、気にする事もないか。

「わかっているとは思うけど」
「わざわざ原因不明の厄介ごとに、首を突っ込んだりはしないぜ」

 魔理沙はそう、肩を竦めた。
 原因が見えてくれば行くと言うことだろうが、少なくとも対処できないことに近づくつもりはないようだ。流石に、それで厄介なことにでもなったら、それこそ夢見が悪い。

「それじゃ、マフィンは貰っていくぜ!」
「あ、ちょっとそれ私のっ!」

 魔理沙は箒を掴んで、そのまま窓から飛び出した。
 普段なら魔導書を手に取りフェードアウトするのに、よほどマフィンが気に入ったのだろうか。

「もう。あの子は」

 微笑ましいと思いながら、紅茶を啜る。
 まぁ仕方がないとマフィンに手を伸ばそうとして、気がついた。

「そういえば持って行かれた――あれ?」

 実は三つしか作っていなかったマフィン。
 つまり、魔理沙が持っていた分で全部。

「あのッ、泥棒魔法使いッ」

 さっきまでの気持ちはどこへやら。
 私は空虚感を訴えるお腹に目を落として、一つの決意をした。

「ホールで生クリームケーキを作ろう」

 はぁ、今日はもう、研究する気が起きないなぁ。
















――2――



 人里へ行くことは、別に気まずいことではない。
 親父は滅多に家から出られないほど忙しい人だし、里の人間は分け隔て無く接してくれる。
 だから私も、気兼ねなく人里に来て、買い物をしたりお茶を飲んだりしていた。

「にしても」

 考えるのは、アリスとの話。
 湖の近くには妖怪が棲んでいて、里人は近づくことが出来ない。
 それなのにどうして“近づこう”と考えた人間が居たのか、わからなかった。

「近づかなきゃ、良いんだよな?」

 だったら、情報を集めるくらいどうってことないはずだ。
 気になったことを気になったまま放置するなんて、そんなの私らしくない。

 適当にぐるっと見回して、遊んでいる子供たちの姿を見つけた。
 こんなことを聞くと大人ははぐらかそうとするが、子供は案外素直に教えてくれる。
 でも遊んでいる最中の子供はその遊びに夢中だろうから、私は一人休んでいた女の子に近寄った。

「なぁ、ちょっといいか?」
「なぁに?お姉ちゃん」

 無邪気に首を傾げる、女の子。
 素直なのは良いことだぜ。うん。

「南の湖について、聞きたい事があるんだ」
「湖?あそこは行っちゃダメだよ。夢見が悪くなるんだよ?」

 アリスが言っていたとおりだ。
 なにか潜んでいることには、間違いないだろう。

「夢見が悪くなった人達は、どうしてそんな噂が流れているのに行ったんだ?」

 怪談の常套句。
 ルールがあって、対策を間違えたから不利益を被った。
 つまりこれで対策がわかると言うことで、対策がなかったら霊夢を連れてくればいい。
 本業だし、きっとなんとかしてくれるだろう。

「日が落ちたら、行ったらダメなの。でもね、魚を捕りすぎて日が暮れてしまうの」
「その魚、美味しいのか?」
「前にね、お父さんがとってきてくれたんだけど、すっごく美味しかった!」

 美味しい魚。
 目の眩む利益。
 恐怖を忘れる得。
 時間制限付きの場所。

「なるほど、な。サンキュ」
「ううん、気をつけてね。お姉ちゃん」
「おう!」

 箒を掴んで、そのまま飛び立つ。
 夏まっただ中で、まだ日は長い。



 だから今から行けば、二時間くらいなら余裕を持って調査をすることが出来るだろう。



 なるべく急いでいくために、箒に魔力のバーニアを灯す。
 青の魔力が迸り、瞬間、私の身体を加速させた。

 風を切る感覚に身を任せて、飛ぶ鳥を追い越し、雲の波を打ち破ると件の湖を見つけて停止する。

「うーん、変な感じはしないけどな」

 湖畔に降り立ち、周囲をぐるっと見回した。
 特に変な妖気も感じなければ、何かが遭ったような跡も見られない。
 あれ?間違えたかな?

「いや、昼間だから、かもしれないな」

 特定の時間のみに置いて、特別な効果を発揮する。
 それは、妖怪たちが力を発揮するための、条件だ。
 私の周りにいるのはそんな条件付けを鼻で笑うような、強者ばかりなのだけれど。

「うーん、湖の近くなら“河童”や“おいてけ”辺りか?でも、夢って何だ」

 湖畔に近づき、覗き込んでみる。
 本当に魚が棲んでいるのかも怪しい、真っ黒な湖。
 遠目からだと深くて暗いようにしか見えなかったが、近づいてみると水は真っ黒だった。

「妖怪が居るからって、来たことがなかったな」

 親父や女中さんに散々脅されたから、この付近に足を向けようと思えなかった。
 やれ妖怪が居る、やれ行方不明になった子供がいる、やれ無惨な死体が見つかった。
 大きな耳に四つの目の、狼のような妖怪が、腹を裂いて臓腑を食べる。

 数々の異変に立ち向かってきたのに、そんな見たこともない脅しに踊らされていたなんてと思うと、頬を引きつらせることしかできなかった。

「はは、ったく。まぁいいや、なんで湖が黒いのかだけでも調べるか」

 湖は、本当に小さなものだ。
 手こぎボートもあれば、十分足らずで向こう岸に到着することだろう。
 私はその周囲を、ぐるっと見て回ることにした。

「鬼が出るか蛇が出るか、どちらにせよマスタースパークで粉々にしてやるぜ」

 鴉の鳴き声。
 日の光を呑む湖。
 暑さで掻いた汗が乾いてくると、冷たさを感じて背筋を震わせた。

「うん?なにか、流れ込んでいる?」

 湖の端。
 ここからでは木陰に隠れて見えない一角。
 そこに横たわる何かから、黒い泥が延々と湖に流れ込んでいた。

「誰かが油でも捨てたのか?」

 こういうのを環境汚染と呼ぶと、何時だったか早苗の奴が言ってたな。
 森に油を捨てたら自分たちが困るだろうに、やったヤツは相当頭が足りていなかったんだろう。

「しょうがないな。片付けて――――」

 木陰の裏。
 ――横たわる何か。

「ッ……妖怪の、亡骸、か?」

 昔、聞き脅されたままの風貌。
 大きな耳と大きな四つの目を持つ、狼の妖怪。
 その妖怪から、黒い油のような泥が、湖に流れ込んでいた。

「これ、こいつの血か?おいおい勘弁してくれよ」

 妖怪の死体の片付け方なんか、知らない。
 自然に還るのを待つのが一番なんだろうが、このままだと森がダメになる。
 面倒だけど、慧音辺りに伝えて処分して貰うか。



――ぬちゃ



 ふと、音が聞こえた。

――ねち、ぬちゃ、にち

 背筋が粟立つ。
 鳥肌が立つ。
 汗が流れる。

――ぬちゅ、ちゃ、ねちゃ、ち

 思わず早歩きになった私に着いて来るように、粘ついた音が耳に届いた。
 どこだ?なんだよ、どこから音がするッ!?

――ちゃ、ぬちゃ、ねちゃ、ぬ、ねち
「ああああああっ」

 足を止めて、叫んで、それから八卦炉を構えた。
 何処に居るかわからない。
 けれど私の足音と共に動くのなら、確実に近くにいる!

「どこだ!出てこい!」

 森は静まりかえったまま、動かない。
 唇を噛み、震える手で八卦炉を握り、一歩下がった。

――ぬちゃ
「え?」

 音がした。
 下を見て、気がつく。
 泥の足跡が転々と続き、私の足の下で終わっている。

 恐る恐る、足を、あげた。

――ぬちゃ
「っっっ!?」

 足の裏にこびりつく、泥。
 泥が、私の足の裏から、続いていた。

「夜になる前に、なんとか逃げ――――あ、れ?」

 時刻を見て取ろうと、空を見上げる。
 黒の天蓋で覆われた空。
 厚い雲に隠された月。
 星明かりは、見えない。

「そんな、なんで」

 箒を手に取り、帽子の中へ八卦炉を突っ込む。

――ぬちゃ
「っっぁ」

 八卦炉から離した手に、泥がこびりついていた。
 どこかに接している部分全てに、泥が付着する。
 箒を掴む手にも、顔に張り付いた髪にも、どこもかしこも泥だらけ。

「くそっ、なんだよこれ!」

 叫ぶと同時に、身体が崩れた。
 混乱して頭が上手く回らなくて、みっともなく尻餅をつく。

――ざぷん
「ぁ」

 その後ろ手が、湖に浸透した。

「っあ、あああああっ」

 手を引き抜こうとすれば、べったりとした泥がこびりつく。
 二の腕まで泥に覆われて、しかしそれだけでは終わらなかった。

 二の腕から這い上がるように、泥が、迫る。

「う、くぁ、離れろよ、おい、離れろぉッ!」

 手を振って、飛沫が頬に飛び、ナメクジみたいに頬を這う。

――ぬちゃ
「ひ、ぁ」
――ぬちゃ
「泥、が」
――ぬちゃ
「おい、だって」
――ぬちゃ
「やめろ」
――ぬちゃ
「やめろぉぉぉっ!!!」


 泥が這う。
 泥が這う。
 泥が這う。
 泥が這う。


 手も足も頬も眼球も口内も背も腹も髪も喉も指も帽子も手の平も靴の中も。


 泥が這うぬちゃ泥が這う
 泥ねが這う泥が這う泥ちゃが這う
 泥が這うひ泥が這う泥が這う泥が這う
 泥が這う泥が這う泥あはが這う泥が這う
 泥ぬが這う泥がちゃ這う泥が這う泥が這う泥が這う
 泥が泥がねちゃ泥が泥が泥が泥が泥が泥があは泥が泥が泥が泥がぬちゃ泥が泥が泥が泥が泥が泥が


「あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ」


――ぬちゃ

 苦し、い。
 泥、が、もう。
 だ、れ、か。

「ぁり、す」

 た、すけ、て。

 泥が――――






「断ち切りなさい、上海ッ!」






 ――――消える。


 世界に音が戻り、世界に感触が戻り、世界になにもかもが戻って。
 ただ意識を手放そうとする中、最後に見たのは、必死な表情のアリスだった。
















――3――



「非道い目に遭ったぜ」
「自業自得よ、反省なさい」

 アリスの家。
 彼女の部屋で、私は休んでいた。
 散々混乱して、散々泣きはらして、散々迷惑を掛けて。

 結局落ち着いたのは、あの日の翌日――たった今のことだった。

「あの妖怪、死んでも迷惑を掛けるなんてとんでもないヤツだぜ」

 偶然通りかかった――とは言うが、心配してくれたんだろう――アリスに助けられなければ、私は今頃どうなっていたのか?
 きっとあの妖怪に並んで、湖に泥を吐き出し続けていたなんてことは、想像に難くない。

 妖怪が死ぬ間際にでも、術を施したのだろう。
 泥で呑み込み、魂を奪うような術を。

「妖怪に何か術でも掛けられたの?」
「いやいやいや、あの泥の湖から助けてくれたの、アリスだろ?」

 私の言葉に、アリスは首を傾げる。
 あんなあからさまに泥に覆われていたのに、気がつかなかったのだろうか。
 だとしたらこいつは、相当鈍い。

 ――いや、鈍いとかそんな言葉じゃ、済まされない。

「なぁアリス、私はどんな状況だったんだ?」

 アリスが出してくれた生クリームケーキを食べながら、訊ねる。
 もしかしたら私は、大きな勘違いをしていたのかも知れない。

「湖から伸びていた糸に、縋っていたわ」
「糸?なんだ、それ」
「さぁ、釣り糸だと思うけど……危なそうだったから、切ったのよ」

 アリスの言葉に合わせて、上海が剣を片手に胸を張る。
 その様子が可愛らしくて、なんだか少し面白かった。

「なぁ、アリス」
「なに?」

 私は、アリスに言わなければならないことがある。
 それはとても短い言葉なのに、口に出すのがこんなにも難しい。

 それでも、言わなきゃ、ダメだ。

「その、なんだ――たすけてくれて、ありがとう」

 だから、消え入りそうな声で、告げた。
 私らしくないって、笑うんだろうなぁ。
 くそっ、だから嫌だったんだ。笑いたければさっさと笑え!

「どういたしまして。貴女は人間なんだから、これからもちょっとは、周りを頼りなさい」

 捻くれた思いで顔を俯かせていたのに、アリスから出たのはそんな言葉だった。
 優しくて温かくて、柔らかい声だった。
 本当に、卑怯だ。もう、死んだら返すなんて借り方、できないじゃないか。

 私は熱を持ちだした頬を隠すと、慌てて話を変えた。
 こんな針の筵のような状態じゃ、ケーキの味がわからん。

「はぁ……それにしてもあの妖怪、私に幻覚を見せたのか?」
「妖怪?ああ、湖畔で死んでいた妖怪ね」
「見たのか?」
「念のため、軽く調べたのよ」

 そりゃあそうか。
 死体が起き上がって後ろから襲われでもしたら、冗談じゃない。
 ミイラ取りがミイラになるんじゃ、ダメなんだ。

「どうだった?」
「たぶん、窒息死ね。喉に泥でも詰められたのかしら」
「ふーん。なんだってそんな――――あれ?」

 妖怪が。
 妖怪が、あの泥で。
 妖怪が、あの泥で、死んだのなら。

 私はいったい、なんの“泥”に苦しまされていた?

 あの、深く、溺れるような、息苦しさの果てには――なにがあった?

「アリス」
「なに?」
「泊めてくれ」
「はぁ?いいけど、どうしたのよ」

 戸惑うアリスに、承諾を取り付ける。
 それでもまだ、安心しきれはしない。
 まだ、まだ耳が、疼くから。だから私は、ただ頭を振る。

 あの泥が、まだ耳の奥にこびりついているような気がして、ならなかった。
 耳の奥で、私に囁いているようにしか、思えなかった。



――ぬちゃ、と。






――了――
――4――



 人里に行き、私は慧音と約束を取り付けた。
 あの日、魔理沙を救出してからというもの、大変だった。
 昼間の内は片時も離れないし、夜になればしがみついて暑苦しい。
 まだまだ若いつもりで居たのに、これでは子持ちみたいだ。

 そう茶屋で話すと、慧音は苦く笑った。

「それにしても、そうか……そんな噂を聞いたのか」
「あれ?貴女、知らなかったの?」
「ああ、あの湖は底なしで、危ないんだ。おまけに妖怪も出るからな。古くから、大人ですら近づかない。だからそんな噂なんて……」

 噂ではなく、妖怪が出るとして脅して、子供たちを近づけないようにしていたのだという。
 妖怪なんか昼夜関わらず出るものなのに、昼は大丈夫なんて噂は不自然だ。
 しかも被る被害は、夢見が悪くなると言う中途半端で余り怖くないものだった。

「なんにしても、そんな噂があるなら放って置けない。その子供の特徴を教えてくれ」
「ええ、そうよね。えーと――」

 人形劇に来た子供たちの顔は、一人も余すことなく覚えている。
 例え一回しか来なかった人間のものでも覚えているのだ。
 ましてや、一度会話をした女の子の顔くらい、覚えていないはずが、ない、のに。

「あれ?」
「アリス?」

 ないのに。
 あの日見た、あの女の子の顔。
 その顔が、服装が、声が、仕草が。

「思い、出せない」
「え?」

 ぽっかりと空いた記憶。
 その記憶のワンシーンには、女の子の代わりに――――泥が、あった。



――ぬちゃ



◇◆◇



 暑くなってきたので、今回は涼し目なものをお送りしました。
 涼しくなっていただけましたら、幸いです。

 2011/07/09
 一部の表現を修正しました。

 2011/07/27
 誤字修正しました。
I・B
簡易評価

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コメント



0.3670簡易評価
2.100奇声を発する程度の能力削除
うわああ…こういうタイプのホラーはマジで苦手…
でも、最後まで読んじゃう…
3.100名前が無い程度の能力削除
わあああ…
でも駆けつけるアリスが格好良かったです。
5.100名前が無い程度の能力削除
ぬちゃ
8.100名前が無い程度の能力削除
ぬちゃっていう表現がなんともいえない嫌な響きと嫌悪を
もたらしてくれて、いい感じのホラーでした。
作者様のホラーを読むのは初めてですが、個人的にはよかったです。
10.100名前が無い程度の能力削除
和製ホラー
泥田坊とかね、思い出した
11.80リペヤー削除
恐怖こそが底なしの沼。
どろりとしたホラーをありがとうございました。
13.100名前が無い程度の能力削除
ホラーだけど甘いわw
14.100名前が無い程度の能力削除
こういうの駄目だわ・・・
助かったのはいいんだが糸が引いているような終わり方の話
でも面白かった
19.100名前がない程度の能力削除
うわぁぁ明日、湖に行く予定なのに見ちまった!!
もう怖くて明日行きたくない(;´д`)
20.100名前が無い程度の能力削除
おお…何だか涼しくなってきた…
27.100名前が無い程度の能力削除
次の作品も頑張ってくだs

―――ぬちゃ……
28.70名前が無い程度の能力削除
そういえば霊夢も紙舞に凄いびびってたな。
やはり力技で解決できない妖怪には人間は弱いのだろうね。
30.100名前が無い程度の能力削除
誰か祓いの力がある者(霊夢、妹紅、早苗、さとりや幽々子でもいい)に監修してもらって、湖の底を攫ってみるといい。
捨て子か迷子か、恐らく人間の子供の死体が沈んでいるだろう。
それを弔ってやるのが一番だ。

……普通の怪談なら、これで収まるんだがね。
いや、面白い。
31.100名前が無い程度の能力削除
おお! すごい!
面白かったです。
39.100名前が無い程度の能力削除
楽しませてもらいました~
40.100名前が無い程度の能力削除
アリスシリーズの初期にも思いましたが貴方はやはりホラーが上手い。
正体不明の何かからの悪意程恐ろしいものはないですね。

これは寺生まれのHさんに頼るしかない
44.80名前が無い程度の能力削除
うーむ、怖いと言うよりは一体それは結局なんだったんだと言う好奇心的なものが。
むぅ、気になりますなー。
46.100名前が無い程度の能力削除
いやいやいやいやしっかりと冷えちまったぜい……
54.100名前が無い程度の能力削除
魔理沙だけでなく、実はアリスも話し冒頭の段階で呪いに触れてしまい憑かれていることが判明
そして、死体が見つかり一件落着にも見えるが、よく読むと「呪いが消えた」とはどこにも書かれていない

つまり、まだ二人は・・・・・・・・ぬちゃ
55.100名前が無い程度の能力削除
ジャパニーズホラー…
こういう、精神攻撃特化の妖怪が一番こわい気がする。
56.100名前が無い程度の能力削除
いいね。こういう余韻が残るホラー。
面白かったです。
59.100名前が無い程度の能力削除
こええ。
60.100名前が無い程度の能力削除
おうふ…
66.100名前が無い程度の能力削除
最後の一文で俺のSAN値がやばいw
ひさびさに背筋がぞくっとなりました。
70.80ヤマカン削除
よかったよ
71.100名前が無い程度の能力削除
つまり泥のようなドロドロに甘いマリアリということですね
73.100名前が無い程度の能力削除
なるほど、確かに夢見が悪くなった……これだけで済ませてくれればいいんだけど。
74.100名前が無い程度の能力削除
冷房の無い我が部屋にぴったりの良いホラーでした。
夢と現がいつの間にか入れ替わっているような、言い様の無い不安感。
未知の存在ってのは怖いもんですね。
78.90名前が無い程度の能力削除
誤字報告です。
例え一階しか来なかった→一回

それにしても怖い
79.80過剰削除
最後助かるあたりぬるいと思いましたがやはり怖いものは怖い
86.100名前が無い程度の能力削除
ああ・・・夏だしこういうのが読みたかった。東方でホラー。まだまだ少ないですね。
最後まで怪異の正体が分からない。分からないことへの恐怖。いいですねぇ。
いやはや堪能させていただきました。
89.100名前が無い程度の能力削除
なにこれ怖い(ガクブル
まさか、助けたつもりの魔理沙が、実は既に最初の女の子が姿を変えた存在だとか、そんなオチはありませんよね……?

――――――ぬちゃ
100.90名前が無い程度の能力削除
こわすぎるううう
110.100絶望を司る程度の能力削除
ふふふ・・・だから言ったのに。『湖』に行っちゃだめだって・・・。
114.100非現実世界に棲む者削除
ヒエェェェェェ!こえぇぇぇぇぇ!
116.100名前が無い程度の能力削除
全身泥が這いまわる様子を卑猥に感じてしまうのはホラーに向いてないってことでしょうか

――ぬちゃ