Coolier - 新生・東方創想話

Drop my magic

2011/06/19 04:26:52
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フランドール・スカーレットは自分の部屋にいる。
地下深くに設けられた彼女の部屋に。

かつての異変の際より、部屋の禁は解かれて、館の中に出ることは許されていたが、だからといって彼女自身が劇的に変わったかと言われれば、どうだろう。
フランドールはかつて、その能力のせいで閉じ込められていた。閉じ込めたのは彼女の姉だ。
その事を恨んでは、いない。たぶん。
自身が不安定なことは自覚していた。妖怪にとって能力と存在意義は往々にして重なるものだ。そして性格とも不可分ではいられない。
幼い頃に、目に付くものを片っ端から壊す時期があった。部屋の扉は魔女が専用の術で防護していたが、それでも(魔女は認めないだろうけど)絶対にフランドールが破壊できない訳ではなかった。
壊さなかったのは彼女の意思だ。姉が、そう望んでいたから。この部屋に居続けるように望んだから。
フランドールはそう解釈したし、それに従っていたのは、たぶん、己に残った唯一のまともな部分がそうさせたんだろうと思っている。

この部屋を訪れるものはない。定時にメイドが現れるが、彼女は瀟洒なので、フランドールの機嫌が悪いと目の前には現れない。寝ている間やちょっとした隙に、気がついたら食事やら着替えが置いてある。
そのメイドは人間離れした従者だったので、そういう芸当ができる。
フランドールはそれを手抜きだと思って苛立ち、自分と顔を会わせたくないんだと思って落ち込み、そしてそれらの鬱屈の端っこで、メイド自身を壊してしまう可能性を消してくれたことに感謝していた。




フランドールの機嫌を十段階で評価すると、最近の気分は三といったところだった。
あの紅霧異変以来、どん底まで落ち込むことはなくなった。
理由は、彼女自身にはよく分らない。
時折館に訪れる人妖たちの影響かもしれない。彼らはいい刺激になる。頻繁に訪れる霧雨魔理沙などは、特にお気に入りだった。
だから、不安定な時にはなるべく会いたくない。
自分がこうなってしまう理由はよくわからない。
明確な切っ掛けがある場合もあり、なんとなく寝て起きたらイライラしたり、本を読んでいて胸の奥が重くなってくる時もある。



(私の心は壊れているんだ)
フランはよく、そう思う。
このなんでも壊してしまう能力は、まず最初にフランドールの心に穴を空けてひび割れさせてしまった。
その穴から流れ落ちるなにかが増えると、いろんな事がどうでもよくなってしまう。爆発しそうになってしまう。
それを怖いとは思わない。何をしても何を壊しても構いやしない、そんな時に後先を考えることはしない。楽しいとすら思う。
でも、暴れた後の強烈な虚しさは嫌だ。とても嫌だから、なんとか我慢している。


いま、フランは部屋の寝台の上で、ぼんやりと虚空を見ている。
けっして狭くはない部屋の中に、灯りは一つだけ。使われるのは従者が来た時だけだ。吸血鬼の彼女にとって、闇は視界を妨げない。
フランドールの体躯には大きすぎるベッドの上で、毛布の上に横になって膝を抱え、崩れて煉瓦がのぞく壁の方を見ている。
寝起きに近い、曇った意識のままぼうっとしている。
フランはこうして無為に時間を過ごすことに慣れている。大人しくしているのは得意中の得意だった。なにせ500年近いひきこもりの実績がある、慣れたもんだ。
他者からは何故か、あまり大人しい子とは見られないが。



「………」



フランは長い間、ぼんやり両目を開いて、赤い瞳を時折またたかせるだけだったが、何かを感じて、ついと視線を下に向けた。
そこで初めて、誰かがいるのに気付く。
ベッドから少し離れた、フランの足元のほうにいる人影に、彼女はよびかけた。

「咲夜?」

フランドールの感覚に引っかからず、ここまで近付く事ができるのは、まずこの館のメイド長を除いて他にいない。
だから彼女はそう呼びかけたが、すぐに違うことに気付いた。
十六夜咲夜は、あんな格好はしない。
白と赤に、脇が丸見えなんて、馬鹿みたい。

「…霊夢?」

博麗霊夢だった。かつてフランの姉が引き起こした異変、その解決に現れた巫女。
思わずフランは半身を起こす。
霊夢は闇の中、腕を組んで少し怒ったような顔でフランを見ていた。
いや、闇で見えないから目を眇めているだけか。表情は、特にない。
フランが気付いたのに、霊夢は特に反応を見せない。

「……」

フランドールがぽかんと見ていると、

「邪魔したわね」

いきなりそう言って、霊夢は両手を交差させて指を動かした。
印を組んだんだ、と思った時には、霊夢は嘘のように消えている。











「霊夢がきたよ」

次の日、館のキッチンに出てきたフランドールは、十六夜咲夜にそう言った。

「えっ?」

ちょうど朝食の片付けをしていた咲夜は、フランの声に重ねた皿を抱えたまま、顔だけで振り向いた。
そこでフランを認めると、皿を流しに入れて体ごと向きなおる。

「お早うございます、フランドール様」
「…おはよ」

お辞儀をする昨夜に短く答えると、背もたれのない丸椅子に腰掛けた。

「朝食にされますか?」
「んー…いいや。お茶だけちょうだい」

そう言うと、すぐに湯気の立つ紅茶が目の前に置かれた。

「いつものストレートでよろしかったですか?」
「うん」

香りを嗅ぎながら、フランは両手でカップを持って傾けた。わずかに血の味がする、吸血鬼用のお茶。

「…それで、霊夢が来たんですか?」
「昨日来たの」

その言葉で、食器棚の引き戸からナイフを探っていた咲夜は獲物を棚に戻した。
多分霊夢が強行突入してきたと勘違いして、霊夢とそれを通した門番に投げる気だったんだろう。このメイドは結構容赦がない。主人とその友人、それとフラン以外には。

「昨日、何時頃ですか?」
「わかんないけど多分夜かな。私の部屋にきてた」
「夜…ですか」

咲夜はしばし考えていたが、

「それで、何かありましたか?」
「いいや、声かけたら消えた。そんだけ」
「そうですか…」

少し考える仕草を見せて、

「一応、夜番の者達に聞いて回っておきます」
「んー、いや、いいよ。夢だったかもしれないし」

そう言ったが、すでに咲夜は消えていた。
人間のほうがお化けじみてるよ、と思いつつ、フランはカップの中身を飲み干した。

すぐに咲夜は戻ってきて、霊夢を見た者はいなかったと言った。








それからしばらくは、普通の日々が続いた。
霊夢に会うことはなかったが、普段から接点のない生活をしているので特に不自然でもなんでもない。
魔理沙は時々現れて、図書館で遊んだり本を取っていったり追い返されたりしていた。
フランは魔理沙に数度会ったが、他愛のない話を長々としただけで、霊夢のことはあまり話題に上がらなかった。
精神はなかなか上向きにならなかったが、特に情動が乱れることもなく、快適といえば快適な日々。


フランはある時、ベッドでいくつも本を広げていた。
パチュリーの真似である。図書館に棲む魔女がよく、研究中にこうしている。
この間は細菌を視覚化する術とやらを研究していた。外の世界の文献に記されていた、非常に稀な能力らしい。カモスがどうとか言ってた。
フランは難しい本を選んで持ってきた。そしてその本を読むための本が数冊。その本を読むための本を理解するための本がさらに十冊。
こういう無駄にアカデミックな行為を嗜むのも、引こもりの必修スキルだとフランは思う。
楽しいかどうかより、することを作るのが重要なのだ。無駄かどうかは二の次である。
咲夜が途中で食事に呼びに来たが、フランの様子をみて帰っていった。意外に凝り性なのか、何かに熱中してるときの彼女はなかなか動かない。


「…んっ」

一区切りついたところで、フランは寝そべっていた体を起こし、伸びをする。
そこで彼女と目があった。

「…あ」

霊夢だった。

「こんな暗くて字が読めるの?」

部屋の壁によりかかるようにして立っていた霊夢は、目が合うと呆れたような口調で言ってきた。呆れていいのはこちらだとフランは思った。

「見えるよ。そっちこそ私が見えてるの?」

フランはちょっと怒ったように言った。部屋は相変わらずの暗闇だ。

「なんとかね。鳥目じゃないから」

霊夢は平然とした、旧知の知り合いに話しかけるような口調だ。
それがちょっとフランの気にさわった。

「それで、なんでいきなりいるの」
「え?」
「え?じゃないよ、ここ私の部屋だよ、断りもなく入ってくるなんてマナーがなってないよ」

フランは気づいていないが、わずかな怒りに呼応して、彼女の有する玉石の羽根からうっすらと紅い魔力が立ち上っていた。
しかし霊夢は平然としたままだ。

「悪かったわね。今度からノックするわ」
「今度があると思うの?」

まなじりを吊り上げて、フランドールはゆらりと立ち上がった。
紅い瞳に秘めた感情の彩りが変わり、フランは特徴的な八重歯を覗かせ、指先を唇に当てて笑みを作った。

「あら、ないの?今度。」
「そうだね、どうしよっかな。壊したらお姉様に怒られちゃうかな」

フランは殺気を発散させ、相手の心に圧力をかけながら言った。
ひきこもりでもフランは吸血鬼だ、獲物を狩る術は心得ている。
並の人間なら竦んで身動きもできない、物理的なプレッシャーを伴った空気を人型の闇が発散する。

「そりゃ怖いわ」

しかし、その空気を微塵も気にかけず、空々しい口調で言う霊夢。
それがフランの癇に触った。
ベッドの段差+身長分の高さからかろうじて見下ろす形で、フランは低い声で言った。

「霊夢はわかってないよ」
「あら、何を?」
「ここは私の部屋、助けを求めてもだぁれも来ないんだよ?」
「ますます怖いわね」
「私がルールを守るとか思ってる?」

揉め事の決着は弾幕ごっこでつける。
その幻想郷のルールを制定したのは他ならぬ霊夢だ。
破った者に罰則を科すこともある。だが、本人が死ねばそれもできない。

「今ここで霊夢が死んじゃっても、だれも気付かないかもよ?」
「そうね、別に誰かに行き先も告げてないしね」
「…本当、分かってないなぁ」

フランは嬉しそうにため息をついた。

「そうね、分かってないかもね」

霊夢も小さくため息をついた。フランとは大分、温度に差のあるため息だったが、フランは気付かない。

「霊夢」

フランは笑いながら右手をかざした。
心が凶暴なほうに傾いていくのを自覚している。

「もうここにあるんだよ、霊夢」
「?」
「霊夢の心臓」

対象の破壊点、“目”を己の手に移し、それを握り潰すことで対象を破壊するのが、フランドールの能力だった。
一旦“目”を奪ってしまえば、フランの意思以外に破壊を止める術はない。

「私には見えないけど。馬鹿には見えないとか、そういうのかしら」

霊夢は自分よりも小さな手を見ながら、変わらぬ口調で言う。

「私以外には見えないみたいだよ。で、どうするの」
「どうして欲しいの?」

しかし、霊夢はやはり平然としたまま聞き返す。
その姿に、フランは喜びを含んだ苛立ちを覚える。

「わかんないの?今から死んじゃうんだよ?霊夢」
「そう、それは怖いわ」
「本当にそう思ってるようには見えないけど!?」

フランの言葉の端が思わず大きくなった。

「そうね」

霊夢はそこで、初めて表情を変えた。それは笑みだった。

「本当はそう思ってないからかもね」
「ほら!」

フランは笑った。感情の内圧が一気に高まる。心の風穴から苛立ちが吹き溢れる。

「やっぱり信じてないんだね、私の能力。でもいいや、壊してあげればよく分かるよね!」
「そうじゃないわ」

霊夢はどこか諦めたように言った。

「フランドール、あんたの力のことは聞いてるわ。すごい能力よ」

その時初めて、霊夢の目がやけに静かなことに、フランは気付いた。

「だけど、怖いっていうのがよくわからないの」
「…何?それ…私のことが怖くないって言いたいの?」
「違うわ」

霊夢はがしがしと頭を掻いて視線を下げ、それからなんてことのない目つきでフランドールを見た。そこには、自信に似たものがあった。フランが一瞬息を飲むほど強い何かが。

「私は何も怖くないの、いつ、誰と戦ったときもそうだった。スペルカードの戦いであろうと、それ以外だろうと。今もそう。…そういうこと」

フランは、自分の怒りが急速にしぼんでいくのを感じた。
臆した訳じゃない。目の前の霊夢は、フランが今まで見たことのない空気をまとっていた。
言葉ほどの自信が満ち溢れてるわけでもない、何かを悲しんでいるわけでもないが、それなのに、やけに乾ききった、うつろな雰囲気を従えて霊夢はそこに居た。
フランは不意に理解した。霊夢はフランに対して一切の敵意を持っていない。いや、それ以外のほとんどの感情も。
恐れても、望んでも、怒っても、哀しんでも、愛しても、嫌ってもいない。
まるで霊夢自身が一枚の壁になってしまったようだった。厚くて硬い、全てを諦めさせる壁に。
しばらくその目を見ていたが、やがてフランは拗ねたように黙ってそっぽを向き、腰をぺたんとベッドに落とした。

「…フランドール?」
「もーいいよ。なんかやる気なくなっちゃった」
「あっそう」

それで緊迫した空気は嘘のように消え去った。

フランはベッドに広げたままの本に、目線を落とすふりをしながら聞いた。

「それで、何しに来たのさ」
「ん?」
「私の部屋に忍びこんでさ、何をしに来たの?霊夢は」
「あー…えっとね」
「よばい?」
「違うわよ…なにそれ」

霊夢は急に居心地悪そうに視線をそらしながら、ぽつりと言った。

「あんたってどんな顔だったかなって思って」

フランドールは霊夢を見た。

「ええっ?」

フランは腰を浮かしてもう一度、思わず言った。

「ええっ?」
「何よ」

霊夢が憮然としたように言うと、フランは自分のほっぺたを撫でてから、呆れたように言う。

「何よ、はこっちの言葉だよ…なんで私の顔なんかが気になるのさ?」

そう言われた霊夢は、一瞬、ちょっとだけ困ったような顔をしてから言った。

「似てるって言われたのよ」
「誰が?霊夢が?誰に?」
「あんたに似てるって、魔理沙に」
「魔理沙に?」
「そう」

フランは霊夢の顔を見た。
肌はつやつやしていて、髪の毛は濡れたように黒い。顔は丸顔っぽいけどあごの線がわりと締まっているし、形のいい切れ長寄りの目は、静かな光を湛えた、曇りのない黒い瞳だ。
鼻がもうちょっと高ければなー。

「もう一息で美人って感じ?」
「余計なお世話よ」
「褒めたのにな」

フランは人差し指をあごに当てて考えた。

「よく考えたら、私って鏡に映らないんだよね」
「ああ、そうだったっけ」
「特別な鏡なら映るけど、壊しちゃうからここにはないし。似てるかどうかわからないや」
「……」

霊夢はずかずかとベッドに歩み寄って、フランの顔をのぞきこんだ。

「わ」

思わずのけぞるフラン。

「じー」
「わわ、待って、心の準備がぁ」
「何言ってんのよ」

霊夢は眉間に皺を寄せてフランの顔を見ている。
フランはだんだん頬が熱くなるのを感じた。
思えば霊夢とはそれほど話をしたことがなかった。あの異変の際から、会うこと自体がほとんど無かったのだから。
でも、姉のレミリアと霊夢はそれなりに知り合いだし、霊夢は姉のお気に入りでもあったから、フランも一定の知識と、親しみ――と言っては違うが、どこか慣れたような感情は持っていた。
だが、それでも結局、直接は親しくない相手にじっくり見られるのは、

「うう、なんか恥ずかしい…」
「…やっぱり暗いとよく見えないわね」

近付く顔から遠ざかるように、思わず背をそらして唇を引き結ぶフランを、全く意に介さずつぶやいて、霊夢は袖から丸い玉を取り出し、手を離す。
霊力を込めたのだろう、玉は浮遊して青白く発光し始めた。

「うわっまぶし!」
「………」


目をつぶって唸るフランを霊夢はじっくり見る。
張りのある白いおでこに、長毛な小型犬の毛並みのような、細く柔らかい金髪がかかる。同じ色の柳眉は整いすぎていて、フランの幼い外見にどこかアンバランスだ。
とがったあごも、可愛らしい鼻梁に黙っていれば可憐な薄い唇、柔らかく膨らんだ頬のおかげで、勝ち気そうな雰囲気こそあるものの、無闇に攻撃的な印象を与えることはない。
そしてくりっとした猫目っぽい形の、紅玉をそなえた瞳がゆっくりと開く、ちょっとうるんだ双眸が、無防備に霊夢を見上げてまたたいた。


「…造形が全然違うわね」
「それ褒めてるのー?」
「…」
「うにゃ」

霊夢はフランの頬を軽くつまんで引っ張った。

「にゃにふんのは」
「いや、なんとなく」

無防備さについ手が出たのかもしれない。
ひとしきり柔らかさを試すようにぐにぐにと頬を動かしてから、霊夢は指を離した。

「んもう」

指から解放された頬をさするフランは、唇を尖らせる。

「結構遠慮しないよね、霊夢って。最初からそうだったし」
「あら、そう?魔理沙の奴には負けると思うけど」
「いや、同じようなものだよ二人とも。性格とかは全然違うけど」
「そうね」

霊夢はそこで少し考えるようなそぶりを見せた。

「?」
「…まあ、とりあえず顔は全然似てなかったわね」
「やっぱりかー」
「……うーん」
「でも、なんで霊夢はそんなことのためにわざわざ来たの?」

フランが聞くと、霊夢は視線をそらした。

「いや…なんていったらいいか」
「?」

困ったように言葉を濁す様子に、フランは首をかしげた。さっきの堂々とした霊夢とはだいぶ違う。
やがて彼女は、少し照れたように答えた。

「誰かに似てるって言われたの、初めてだったから…」
「…へー」

返答に困る答えだった。しかしフランは、ふと思い立つ。

「そう言えば私も誰かに似てるって言われたことないよ」
「……」

霊夢はじっとフランに視線を向けた。フランはまたちょっと赤くなった。

「そうね、思いつかないわね…」
「そ、そう?」
「ああ、いや、このあたりはレミリアに似てるわよ」
「うひゃ」

フランは不意に、あごのラインを人差し指で撫でられた。

「も、もう!気安く触りすぎ!」
「ごめん」

案外素直に謝ると、霊夢はフランから離れた。肩をすくめて、

「あんたとはあんまり会ったこと無かったから、もしかしたら似てるのかも、とか思っちゃったのよね。邪魔したわ」
「………」

なんで魔理沙はそんなことを言ったんだろう。
霊夢とフランドールは種族も身長も性格も容姿も違うのに。
戯れ事は魔理沙もよく口にするが、これはいつものそれらとは種類が違うような感じがする。
そうでなければ、面倒くさがり(という評判だ)の霊夢がわざわざフランの元を訪ねたりしないんじゃないか。

(外見が違うんだったら)

「性格…かな?」
「え?」

その時、ちょうど霊夢は印を組んで、亜空穴の術を発動しようとしていた。

「そんなわけないか」

フランがつまらなそうに言うと同時、霊夢の姿はカードを裏返したようにぱっと消えた。










◇◇◇◇◇









それからしばらくたった頃。



『待てぇぇェェー!』

どこからか届いた怒鳴り声に続いて、紅い館の扉が、激しく開く音が響く。
正面ホールに乱入してきたのは、白黒の魔法使い。箒にまたがったまま弾丸のように飛翔しながら突っ込んでくると、笑みを浮かべてホール脇の階段を飛び越え、左の廊下へと一気に入る。
勝手知ったる他人の我が家というところで、かつて様々なルートからこの館への侵入を繰り返してきた彼女は、すでに紅魔館の構造を熟知しているようだ。
その姿が廊下に消える寸前で、疾風のごとく玄関から飛び込んできたのは当家の門番・紅美鈴だ。
人間には不可能な回転数で両足を動かして階段横の壁を駆け上がり、魔法使いに追いつかんとする。

「ちょ、ちょっとあんた、せめて弾幕ってから入りなさいよ!こんの泥棒猫!」
「やだよー!お前弱いんだもの、時間が無駄だ!245勝5敗11分けの戦績がすべてを物語っているぜ!」
「いやしかし、私にも立場ってものが、ちょっと、聞いてる?聞いて、お願いだから聞いて!?待ってくださいよ魔理沙さーん!」

長い長い、館の外見より明らかに長い廊下を飛ぶ一人と駆ける一人の距離は、徐々に離れていく。

「最近パチュリー様の機嫌が悪くてね!?あんたがまた機嫌悪くしたらおやつ抜きまであるんですよ!お願い、せめて弾幕で勝負してって!」
「えぇ、そんなこと言われても困るぜ、今は弾の持ち合わせが無くてなぁ」
「持ってないなら来るなー!!払えないなら泥棒と一緒アルよ!」
「いいこと言うぜ、その調子で清く誠実に生きろよ、紅美鈴!」
「やかましい!!」

親指を立てる魔法使いに汗だくで怒鳴る門番。
そして咲夜は、袖をまくると、肘のサポーターを整えた。

「…ってあぁ!?」

前方を指さして口をぽかんと開ける美鈴。

「ん?」

目線を前に向けた魔法使いが、目を見開く。
銀髪のメイド服が、肩をぐるぐる回して右腕を掲げるようにしていた。

「メイド奥義…」

次の瞬間、鉈のごとき一発が魔法使いの首に叩き込まれた。

「『十六夜スタン』っ!」
「げるとっ!?」

まともにジャンピングラリアットで首を刈られ、魔理沙は背中からもんどりうって廊下に落ちた。主を失った箒がすっ飛んで壁にぶつかった。

「まったく、面倒ごと増やさないでよね…」

立てた人差し指と小指を高々と掲げてアピールしてから、咲夜は呆れたように言った。

「さ、咲夜さん…」

息も荒い門番に、咲夜はサポーターを外しながら、いつもの半眼で言う。

「まったく。館の防壁が工事中だから用心しなさいって言ったでしょ?」
「いや、だって魔理沙が弾幕しないとは思わなくて…」
「…」

確かに接近戦の巧者である美鈴は、機動力と飛び道具の魔理沙とは相性が悪い。
場を区切っての弾幕勝負でなければ、振り切られるのもやむなしであろう。

「まあ、ちょっと今日の魔理沙はマナー違反ね」

だから咲夜も相応に対応したのである。

「でしょ?ですよね!?」
「だからって」

咲夜はサポーターを再度装着した。

「通していいわけないでしょ!」
「えーりがっ!?」

時間を止めてモーションに入り、美鈴でも反応できない距離まで接近してから時間を動かす、メイド奥義『十六夜スタン~Hard~』である。
美鈴はまともに喰らって転倒した。

「げふげふ」

喉を押さえて咳き込む美鈴の横では、魔理沙が目を回して倒れている。

「しかしモロに入りましたね」
「ちゃんと加減したわ。峰打ちよ」

咲夜はサポーターを仕舞いながら答えた。

「確かに峰じゃない方を喉に入れちゃうとまずいですね…」
「おーいてて」

魔理沙は若干フラフラしながら体を起こす。

「いきなりラリアットとはな、意表を突かれたぜ」
「人は進化するのよ」
「意外な方向の進化だぜ…きっと絶滅も間近だな」
「あら、なら孤島に移住しなきゃね」
「あん?」

ダーウィンはよく知らないらしい。魔理沙は訝しげな顔をした。咲夜は構わず告げる。

「さ、お帰りなさい。今日はあなたの負けよ」
「くそう、まあいいぜ」

魔理沙が指を鳴らすと、箒がくるくると飛んで彼女の手元に戻ってきた。
それを弓手で捉えると馬手で見栄を切って咲夜を指差した。

「此度は転進し、再度の機会を待つ!だが忘れるな、いずれ第二、第三の霧雨魔理沙が…」
「いいから帰りなさい」









なんとなく連れ立って歩いていた魔理沙達が玄関ホールまでさしかかると、

「あれ、もう帰るんだ」

上からの声に、魔理沙とそれに続く咲夜、美鈴は声のもとを見上げた。
ホールに一つだけの巨大シャンデリアから逆さまにぶら下がったフランドールが、三人をうろんな目で見下ろしていた。

「妹様」

美鈴が声を上げた。気を操る彼女には、フランドールの精神的な調子は一瞬で見て取れた。

(あまりご機嫌がよろしくないようで…)

内心冷や汗をかきつつ、表情は温和に話しかける。

「はしたないですよー、レディーがそんな格好しちゃ。下着が見えてますよ」
「いいじゃない、ドロワーズなんか見えても……」

両手をだらりと下げたままだったが、不意に下をみていつの間にかスカートが膝のあたりで結ばれているのに気付き、眉をしかめた。

「余計なことしないでよ、咲夜」
「余計ではありませんわ」

咲夜はスカートの裾をつまむようにしてお辞儀した。

「お早うございます、フランドール様。レディに慎みは何よりも大事でございます」
「慎みって何の役に立つの?相手を油断させるの?それって私に必要?」

どこか焦点のぼやけた目付きのまま、抑揚の薄い声で呟くように続けるフラン。
咲夜も平然としつつ、内心の警戒度を上げる。

(これは久々に、相当きてらっしゃるわね)

「慎みは弱者には身を守るマナーとなり、強者には寛容の表現となります。どちらも――」
「そう、じゃあ咲夜、ちょっと身を守ってみてくれない?」

咲夜が言い終わる前にフランドールの気配が膨らんで、玄関ホールの温度が上がったような錯覚を三人に与えた。

「私から、その慎みとやらでさ!」

シャンデリアに掛けていた足を離す。そのまま上下を入れ替えると、その位置に浮遊したままで、フランは全身から力を放った。
ホール全体が歪むような、重いきしみ音がした。
滲むようにして突如、空中に発生した、フランの身長に及ぶ大きさの赤く光る球体が、幾つもフランドールの周囲を周回し始める。

「おいおい、せっかちすぎるぜ!」

魔理沙が慌てて咲夜から距離を取る。

「魔理沙、どこ行くの?今日はコイン追加させたげるよ」
「あぁ?私はこれから帰るところだぜ、急用が待ってるからな」

フランは少し表情を歪めて言った。

「私と遊んでいくのは嫌?」

その顔をちらっと見てから、

「あー」

呟くと、魔理沙はとんとんと箒を指先で叩いて、黒帽子のつばをつまむと目線が隠れるまで引き下げて、くるりと一回転させた。

「…やれやれ、遊びの誘いを断っちゃ、魔理沙さんの名が廃るぜ」
「むう」

美鈴は帽子の位置を直すと、ごきごきと首を鳴らしながら魔理沙の前に進み出た。

「明日は筋肉痛確定ですねえ、これは」
「おい門番、ご指名は私だぜ」

魔理沙が言うと、美鈴は片目をつぶった。

「まあまあ、妹様は久々ですから、まずは私がウォーミングアップにつきあって差し上げます」
「……」

フランドールはかすかに眉をしかめた。しかし表情は相変わらずで、感情というほどのものは見て取れない。殺気以外は。

「勝手に順番を変えないの」

咲夜が美鈴の横に進み出た。両手には、どうやったら同時に持てるんだというほどの数のナイフを握っている。

「最初は私、あなた達は、私が妹様にマナーをご指導差し上げた後よ」
「まあ待ってくださいよ、ここは平和にジャンケンで」
「グーを出す気ね」

その横では、魔理沙が先手必勝とばかりに八卦炉に魔法薬を仕込もうとしていた。

「じゃあ、みんな一緒でいいよ」

フランドールは言うと、浮遊させていた球体を三人に降らせた。
殺到した魔力弾が次々に炸裂し、煙を舞い上げた。
爆音が響いて、ホールが細かく振動する。
しかし煙を裂いて、横に何かが飛び出した。

「この欲張りめ!」

箒に腰掛けた魔理沙だ。小さく呪文を唱えながら指を振ると、魔理沙の周囲がチカチカと光り、幾つかの円形の模様が浮かんだ。
そこから生まれるのは星の雨。手のひらほどの大きさの星型の弾丸が次々と、豪雨となって広がりながらフランを襲った。
フランはとんぼ返りを切って、流星の隙間をくぐり抜ける。背後で弾に打ちすえられたシャンデリアが高く澄んだ破砕音で悲鳴を上げる。
彼女は魔理沙を見下ろしながら呪文を唱えた。素早く腕を一振りすると、炎がいくつも手の軌跡に現れ、炎は分裂しつつ、一定の範囲を保つ大火球となって魔理沙に降りそそぐ。

「うおっとぉ!」

あえて炎の隙間を抜けて、魔理沙は一気に上昇をかける。

「さて、まずは魔理沙ですか」

美鈴は二階、階段の縁に飛び乗った時の姿勢のまま、絡み合うように飛ぶフランと魔理沙を見上げる。
いかに広いホールといえど、さすがに屋内で二人が自在に飛び回る空間があるのは、空間を拡縮できる咲夜の恩恵だ。

「…どうかしら」

その横に忽然と現れた咲夜が、訝しげに眉をしかめる。
フランは不意に空中で止まると、二人の方に視線を向けた。

「三人同時だって言ったじゃない」
「ええ?妹様…それはさすがに」

美鈴が困った顔をすると、フランは唇の端を吊り上げた。

「スペルは一人4枚ね」
「妹様、カード枚数の提示はこちらに決定権が…」

咲夜が訂正をかけると、フランは不愉快そうに目を細めた。

「こっちの話だってば」

ふと、魔理沙の魔法を回避し続けていたフランの姿が、“ずれ”た。

「!!」

ずるりと、同じ型紙が滑り出るように、フランドールの姿が一瞬で三人に増えた。
そして、それぞれ全く同じ容姿のフランが、それぞれ違うカードを掲げる。

「禁忌『レーヴァテイン』!」
「禁弾『スターボウブレイク』!!」
「…禁忌『フォビドゥンフルーツ』」

「美鈴」

咲夜と美鈴は瞬時に、各々で別方向に跳んでいた。

「はい!」
「『フォビドゥンフルーツ』の妹様は任せたわ」
「え、ちょ、あれ一番難しい…」




紅魔館から途切れることのない轟音が、しばらく続いた。









◇◇◇◇◇










彼女の見る空は、いつも灰色の雲で覆われていた。
今、穴の向こうで浮かぶ雲もそう。薄く墨を垂らしたような、今にも泣き出しそうな空の一部分だ。

「…」

がさがさする左手を顔の前にかざすと、ホコリで黒く汚れている。

「私の勝ちだな」

視界に、黒い影が落ちて、見上げると帽子が描く円いシルエットの中に、魔理沙の笑みがある。

「負けといてあげるよ」

フランドールはそっけなく言って、上体を起こす。腰の下で瓦礫が乾いた音を立てた。

「私のおまけに咲夜と美鈴はさすがにきつかっただろ」
「ちょっと面倒なオプションだったかな」
「それで…、あー、なんだ」
「?」

魔理沙は手に持った箒で自分の肩をぽんぽん叩くと、聞いてきた。

「機嫌悪かったのか?」
「…」

フランはすぐには答えず、不機嫌そうな目つきで、風通しの良くなった玄関ホールに視線を巡らせた。
壁のあちこちは破れひび割れ、天井の巨大な穴から、曇天の控え目な光がぼんやり内部を照らしていた。
美鈴と咲夜の姿は無かった。仕事に戻ったのだろう。

「どうして?」

そう聞くと、魔理沙はいつもの遠慮のない口調で答えた。

「お前は案外、ルールの大切さを知ってるからな。それがあんな無茶をするなんて珍しいじゃないか」
「そうかな」
「そうじゃなきゃ、500年も大人しく閉じ込められたりしないんじゃないか?」

そうとは限らないんじゃない?とフランは思った。
同時に、この人間は自分の理屈で押し通す奴であることも知っていたので、反論する気にはならなかった。

「そうかもね」

それに、姉のルールを遵守していたことは確かなのだし。
たといその理由に、外へ対する興味の薄さが含まれていたとしても。

「ねえ、魔理沙」
「あん?」

立ち去ろうと背を向けていた魔理沙は、フランの呼びかけに振り向いた。

「私と霊夢が似てるって、言った?」

ふと思い出して、フランがそう聞くと、魔理沙は怪訝な顔をした。

「は?誰がだ?」
「魔理沙がそう言ったんでしょ」
「私がか?いつの話だ」
「知らないけど、宴会で言ってたって。霊夢から聞いた」
「むう?」

魔理沙は腕を組んで、低くうなりながら首を傾け、そうしながら口を開く。

「言っとくが、私は酔ってるときの発言には責任を持たないぜ?」
「あっそ」

フランは呆れてそう返した。まあ仕方無いか、と腰を上げた時、

「…そういや、言ったかも知れないな」

魔理沙はそう答えると、フランに向き直った。

「そうなの」
「ああ、先々月の宴会だったかなー、伊吹って奴がいるんだが、こいつが鬼のくせにちんちくりんでなあ」
「へえ」
「同じ鬼の星熊って奴は逆にタッパがでかくてばいんばいんだから、むしろレミリアに似てるよなとかそういう話になって…それで咲夜がむきになって言い返してきたんだったな」
「…」

フランはそれからしばらく魔理沙の話を黙って聞いていた。忘れていた癖になかなか長い話で、結局20分くらい経ったところで伊吹萃香が巨大化して宴会場を半壊させるアッパーを繰り出し、レミリアが2回目の不夜城レッドをぶっぱなした直後、霊夢が二人に“地獄の断頭台”を決めたところまで続いた。

「それで二人は境内の片付けを申し付けられてな。それをみんなで飲みながら見ててさ、なんとなく霊夢に似てる奴はって話になってな。そこで私がフランはどうだ?って言ったんだぜ」
「…そうなんだ」
「そう言ったらレミリアの奴は結構…」
「それでさ」

フランはかぶせる様に問いかけた。
魔理沙は一瞬怪訝な顔をしたが、大人しく言葉を切ってくれた。

「うん?」
「どこが似てるってのさ」

そっけなさそうな口調でフランが聞くと、魔理沙も何てことのなさそうな口調で答えた。

「ああ、能力が最強っぽいところだな」
「ええ?」

単純で馬鹿な答えに、フランはちょっと呆然とした顔になる。
魔理沙は彼女に笑いかけて言った。

「お前は何でも壊せるんだろ?それっぽいじゃないか」
「…そんないいもんじゃないよ」

フランはそっと目を伏せ、ぼそりと返す。

「そうか?」

魔理沙は心底不思議そうに聞いた。

「そうだよ」
「まあ、なんでも一発で終わっちゃうのはつまらんかもな」

彼女らしい解釈の仕方だった。それでいて的を得た意見でもある。

「うん、つまらないよ」
「でも、持ってたらいざってときには便利そうだな?」

屈託無く言われてフランは顔を伏せたが、その執着のない口調にはくすりとさせられた。

「でも、霊夢の能力ってなんなの?」
「あれ、知らないのか?」
「知らない。そんなに凄いの?」
「ああ、ずるいくらいだな」

魔理沙はにやにやしながら言う。その表情に、フランは思わず素直に聞いてしまう。

「ねえ、どんなの?」
「あいつのは『宙を飛ぶ』能力だ」

勿体つけた割に、なんとも締まらない答えだ。フランは唇を尖らせた。

「そんなの誰だってできるじゃん」
「そう思うだろ?でもそうじゃない、あいつにしか使えない能力なのさ」
「?」

魔理沙はどこか自分のことのように、自慢気に語った。

「私らは地面に立ってるよな?」
「時々飛ぶけどね」
「そして空気を吸って生きてる」
「私は吸わなくても平気だよ」
「人間様には必要なんだ。…でだ、水も飲む、物も食う、何かを消費する、何かを借りる、誰かに恨まれる、誰かを思う」

一部、ごく個人の日常が混ざった喩えな気がしたが、フランは黙って聞いた。

「でも、あいつはそういった一切から『飛ぶ』ことができるんだ」
「………」
「重力からの自由、ひいては物理法則からの自由、関係性からの自由。例え誰のどんな能力や法則だろうと、霊夢という個を束縛するあらゆる力を、あいつは無効化することができるんだ」
「…そんなことって」

フランがあまりにも素直に驚きを露わにしたからだろう。理屈の上では、だけどな。と、手品の種を明かす二流マジシャンの顔で、魔理沙は照れ臭そうに付け加えた。

「実際のあいつは空気も水も、メシをくれる相手もなきゃ生きていけないけどな。極めるとそういうことになるってだけさ」
「…すごいね」
「いやいや」

魔理沙はそこで、また傑作そうに笑った。

「?」
「あいつは“極める”とかそういうの大嫌いだからな!修行なんて全然しやしない、まさしく宝の持ち腐れだぜ」

けらけら笑う魔理沙に、フランは聞いた。

「魔理沙は、さ」
「ん?」
「霊夢の能力が羨ましいと思う?」

すると魔理沙は眉をひそめて答えた。

「ええ?いや、羨ましくはないぜ」
「どうして?」
「どうしてって…」

何故だかやけに素直になったフランの前で、魔理沙は少し考え、不意に指を鳴らした。

「……そうだな。私は昔、魔法使いになろうと思った。んで、今はそうなった」

鳴らすと同時にばしゅ、と青白い炎が閃き、魔理沙が差し伸べた手のひらで、小さな、カラフルな星が5つ生まれて、ふわふわと回りだす。
彼女が人差し指を立てると、星はその周囲を踊るように行き交う。
それを見ながら魔理沙は、特に含んだものの無い声で語る。

「まあ、パチュリーやアリスみたいな種族・魔法使いじゃないが、職業・魔法使いにはなれた。何でも壊せはしないけど、私の自慢の魔砲は、大抵のものを吹っ飛ばせる。今のところ、それで足りてるぜ」

それから、魔理沙は手を振って星を掻き消して、あいつの能力も、それなりに便利だとは思うけどな、とフランの時と同じようなことを言った。

「それに」

そして、最後に彼女はこう付け加えた。

「全てから自由になるってフレーズは、私向きじゃないだろ?」

フランは頷いてやった。

「ルール破るの大好きだもんね」
「そうだぜ、最初から保障されてる自由なんてつまらんだろう」












次にフランが霊夢と会ったのは、一月後だった。
紅魔館で宴会があったのだ。
形式的にはパーティーと呼んだ方がしっくりくる。紅魔館では神社ほど頻繁に宴会は起こらないけど、いざやるとなれば、宴会の規模は大きく、また神社の無秩序なそれに比べると、進行やスタイルもきっちりしていた。
それは主催者が派手好きで形にこだわる妖怪だからだ。

「いつ来ても派手ね」

赤白の巫女は、そんな風に言いながらフランの横にいた。

「外にいた頃、いろいろやってたみたい」

フランは柱にもたれかかっている。
姉の許可を得て宴会に出ている訳ではない。勝手に紛れ込んでみただけだった。
理由は自分でもよく分からなかった。外への興味がいつの間にか生まれている理由も。
窓の少ない紅魔館において、パーティーホールは唯一の例外である。
フランが背を預けている側は湖が見える方向で、ガラス格子の間に観音開きの扉が一定間隔で備わっている。

「妖怪にも経営とかあるのかしら」
「“にも”」
「何」
「霊夢にも経営はあるの?」

聞きながら見ると、霊夢は右手の箸で左手の皿から出汁巻き卵を口に運んでいる。

「あるわよ、そりゃ。神社やってんだから」
「ちゃんと営業成績は伸びてる?」
「ほぼ横ばいだわ」
「それって順調?」
「…うるっさいわね」

霊夢は会場を眺めるともなく見ながら、口を開かずに動かしている。

「外では骨董品を色々、売ったり買ったりしてたって、咲夜が」
「へぇ」

それからしばらく、二人とも黙っていた。
霊夢は食べるのに忙しく、フランは、そんな霊夢の様子を、横目で時々見ていた。
会場では多数の人妖がひしめき合っている。その人いきれが大きなかがり火の熱気みたいに、二人のそばまで押し寄せている。
そこかしこの雑談の欠片も、食器のこすれるさざめきも、時々上がる喚声の響きも、見えない薄いカーテンにぶつかったかのように、フランのところまでは意味を保って届かない。
ただの雑音だ。フランにとっては、それらが自分に関わるものには思えなかった。
咲夜が時折、こちらを気にする様子を見せた。その理由は深く考えないようにしている。
フランだって、進んでパーティーで癇癪を起こそうなんて思わない。

「霊夢さ」
「ん」

霊夢は、いつの間にか皿の料理を平らげたらしく、ワイングラスを持っていた。
ほぼ透明で、かすかに白い液体に口をつけながら、いつものなんてことない目つきでフランを見やる。

「霊夢は自分の能力、どう思ってるの?」
「は?」

それほど高くない声音の、は?という声には、いくらかは驚きが入っているのだろうか。
魔理沙から聞いたんだけど、と前置きしてからフランは言った。

「霊夢の力ってすごいんでしょ、私のと同じくらいに」
「まあ、あんたを退治できるくらいにはね。でも同じとかどうとか、そもそもどうやって比べるのよ」

言ってグラスを傾ける。その視線は、思慮の色を浮かべている。

「どっちも最強っぽいでしょ。同じくらいに」
「いーや、残念だけどあんたじゃ敵わないわよ、私にゃ」

霊夢はあっさり言ってのけた。
フランは絶句した。そして少しムカついた。

「どうしてそんなこと分かるのよ」
「だって私は博麗だもん」

ひっく、としゃっくりをして霊夢は言った。

「世界隔てる大結界を守護する人間様よ。この里を守るのは私で、象徴するのも私」

霊夢は空のグラスをひっくり返して軽く振り、もう一度手首を返すとワインが満ちていた。

「だから私は負けないの、幻想郷がある限り」

面白くもなさそうな顔のまま。時を操るメイドの仕業に驚いた様子もなく、霊夢は再び葡萄酒を傾ける。

「私はその大結界も壊せるよ」

フランは優しげに微笑んでいった。

「私に壊せないものは無いよ。証明してあげようか?」
「止めた方がいいって、言ったわよね?あれ、言ってないかしら」

ワインの波紋を見つめて言う霊夢。
フランドールは、彼女に笑みを向けたまま続ける。

「見えてさえいれば関係ないんだよ」

そっと、右手をひろげてゆっくり、霊夢の手に近づける。

「距離も関係ない。調子が最悪の時はね」

細い指で霊夢の持ったグラスのふちをなぞる。

「調子が最悪の時は、能力がすごく冴えるの。まるでシャボン玉みたいにね、私のまわりに沢山の“目”が浮かんでるんだぁ」

霊夢は黙ってフランの顔に視線を移した。面白くなさそうな顔ではなくなったけども、その目の奥で何を考えているのかわからない。

「触らないようにするの大変なんだよ?気がついたら手の中にあるしさ。そんなシャボン玉を壊れないように握るって難しいよね?壊しちゃっても仕方ないよね?」

フランドールはクスクスと笑う。
染み出すように、薄暗い気配をフランはまとっていた。

「似てないっていうのは同意かな。霊夢の能力って、こういうこと無さそうだし」

フランは、胸の奥の破壊衝動が大きくなってくるのを感じた。
きっと、いつまでもそうやって、満たされない衝動に煩わされ続けるのだと思った。
そしてきびすを返して、霊夢から離れた。

「さーて、それじゃいっちょ遊んできちゃうかぁ!」
「いいわよ」

フランの触った場所から亀裂が走り、霊夢の手の中で、グラスが静かに砕けた。
刹那の間に微塵の破片となったグラスは、光を反射しながらカーペットに散らばる。
しかし、残った僅かなワインは、注がれたときの形を保ったまま、霊夢の手の中で浮いていた。

「えっ、遊んでくれるの?」

振り向いたフランが嬉しそうに言う。その目には単純な喜びよりも、ずっと赤黒い感情が浮かんでいた。

「出血大サービスだわ」

霊夢はそのワインを水菓子をつまむようにして一呑みにした。

「っふ、かかってきなさい。今回はそれなりにやる気で相手したげる」

ホールの喧騒は、いつの間にかトーンが下がっていた。フランと霊夢からゆるゆると流れ出す、ねっとりとした冷質の熱気のようなものが、周囲の喧騒を冷ましつつあった。

「ぎゅっとして」

フランは右手を高々と上げた。

「どかーん☆」

握り締める。
瞬間、ホールの湖側のガラスが全て同時に轟音をたてて砕け散った。

『うおわああぁぁ!!』
『ガラスが!ガラスが料理に!』
『何が始まったの!?』

騒ぎ立てる声が上がったときには、フランはもう消えていた。
湿気を帯びた空気が一気に流れ込む。風に結んだ髪をなぶらせながら、霊夢は片足で床を蹴る。
瞬間、霊夢の足元の空間が空気の抜けるような音を立てて割け、そこから回転しながら飛び出した、彼女がお払い棒と呼ぶ大幣を掴み取る。

「……何やってるのかしらね」

囁くような声は、近くにいた人妖には聞こえなかっただろう。
遠くにそれを聞きつけた者はいたが、その視線に気付かぬまま、霊夢は滑るようにしてテラスから飛び出ていった。














「さあ、遊ぼうよ霊夢!」

フランドールは中天に浮かぶ。
背景に星と雲、半ば隠れた月があわあわと金髪の小吸血鬼を彩る。

「遊びでいいのかしら」

紅魔館が硯ほどの大きさで見える高さの、空のただ中で、霊夢はお払い棒を片手で構える。

「本気はルール違反でしょ?」

からかうように言うフラン。だが、その目は何かの期待があった。

「特別よ」

霊夢は言う。その顔も、声も、先ほどとは違う。

「どうして?」

フランは首をかしげてみせた。

「あんたが似てたからよ」
「えー?どこが?」
「思ってたよりずっと詰まらない奴だったから」

しゃら、とおおぬさが風に揺れた。

「…私が、詰まらないって?」
「どうでもいいのよね、妖怪なんて」

霊夢はそっぽを向いて、吐き捨てるかのように言う。

「どうせ各々、好き勝手して馬鹿やって、たまに私が尻拭いしてやんなきゃいけないし、本当、面倒なだけでどうでもいい連中」
「……」

フランドールは困惑する。霊夢の言っていることはただの愚痴だ。
にもかかわらず、背中がぞわぞわして落ち着かない。

「怒ってるの?」
「いーや、言ったでしょ」

お払い棒が空を切ると、いつの間にか霊夢の周囲に、掌大の陰陽球が四つ浮いていた。

「つまんないから、相手してやるのよ」

霊夢は言った。その目に、フランは背筋が粟立つのを感じて身震いする。
なんだろう、あの、目は。

「一度だけ。一生これっきりのルール違反よ」

霊夢の目は、フランが見たことの無い目だった。恐怖だの怒りだのとは縁遠い。深く、重く強い意思の潜む目だ。

「だから、全部出し切りなさい、そのつまんない力を」

それを決意と云う。
そのことをフランは知らなかった。

「いいよ」

フランドールは呟いた。そして喜色も露わに叫ぶ。

「手加減しないであげるから、本気でかかってきて!」









叫ぶと同時に、フランドールの翼が禍々しい光を灯して輝く。
同時に一瞬にも満たない時間で、細い腕の中に実体化したのは愛用の黒い魔剣。

「レーヴァテイーン!!」

宣言する必要はないのに、癖だろうか。
フランはその、一見すると捻じ曲がっただけの棒を軽く振るう。
同時に火花が虚空を走り、赤い閃光がフランの周囲を満たした。
そして、

「てや!!」

霊夢に向けて落下する。彼我の高度差は一瞬でゼロに近付く。

「…」

霊夢は印を組み、おおぬさを数度振る。が、フランから見れば遅すぎる動作だ。
受ける気なら間に合わないよ!
思念を乗せた剣を一閃、二閃、三閃、
黒剣が纏った赤い魔力が、瞬時に長大な刃となった。その威力は、例え神話の巨人でも両断できた筈だ。
が、

(やっぱり!)

それで沈むほど可愛げがあるはずが無い。霊夢なのだ。
手ごたえは毛ほども無かった。剣を振り終わった体勢を力づくで立て直すフランの視界の端に動くものがあった。
降下の勢いを殺しながらの無理な体勢から、力任せに一撃を送り込む。
びしっと剣が叩かれるような衝撃、次の瞬間、上から雨のように札が降り注いできた。

「!!」

視界一杯に退魔の符の雨、投げた札を空間をいじって増殖させ打ち込む、霊夢の通常技にして得意技だが、今回は密度が桁違いだった。
咄嗟に赤い刃をさらに巨大化させ、霊符の津波を切り裂き、その向こうから飛来した球体にまともにぶつかった。

「んなっ…!?」

巨大化しながら一気に降ってきた陰陽球は、フランに剣越しにぶち当たった。衝撃で一気に高度を落とされる。

「陰陽鬼神玉!」

霊力で練り上げた巨大な陰陽玉を、霊夢が直接押し込んできた。
霊夢も癖なのだろう、技の名前を宣言してしまっているが、それを笑う余裕はなかった。

(両手が塞がってて…破壊できない!)

咄嗟に浮力を生んで持ちこたえようとするが、体勢が崩れきったフランが完全に不利だ。あろうことか力比べで吸血鬼が押されてしまっている。
湖面が迫るのを背後に見て、フランドールは舌打ちすると魔力と意識を集中、彼女の能力を発動させる。

「んん…ぬぇーい!!」

フランの真上から、陰陽鬼神玉を魂も潰れよとばかりに押し込んでいた霊夢が、弾かれたように上昇に移る。刹那の間断もなくその爪先を赤い閃光が通り過ぎた。
閃光を撃ち込んだフランドールは、上昇する霊夢に追随し、赤い光を湛えた掌部を向ける。
その横にさらに二人、計三体の分身したフランドールが霊夢を追う。
その下で、鬼神玉が爆発した。青白い光が真下から三人のフランを照らし、予想を上回る威力の衝撃波が突き上げてきた。

「「「えっ!?」」」
「技あり、かしら?」

切り返して急降下した霊夢は、爆発に煽られて動きが固まったフランドール達の一人に肉薄し、すれ違い様に大幣を叩き付けた。

「ぎゃ!」

一見、棒切れに打たれただけの一撃は、すさまじく重くえぐい音を立ててそのフランを吹き飛ばした。
体勢を立て直そうとするも、今の一撃で構成をほどかれた分身は、あっという間に色あせて幻のように消える。

「このー!!」

爆発で少し服が焦げたフランドールが、分身で霊夢を取り囲むようにしつつ追随する。

「やっぱり遊びにしておく?」

霊夢が上昇しつつ、追うフランに問いかける。

「ケンカ売って来たのはそっちでしょ?逃がさないよ!」

フランはそう答えると、呪文を唱えながら両手を動かす。
空中に魔法陣が描かれて、そこから溢れるように膨れ上がった炎が、数多の弾丸となって霊夢を追いかける。
分身のフランは、その横から巨大な弾を霊夢の進行方向へ撃って、動きを制さんとする。

「あっそう」

霊夢は左手を振った。いや、そこに持っていたものを投げたのだ。
それは闇夜の底から、不吉な線を描いて降ってきた。

「!!」

退魔針、霊夢がなぎ払うように放ったニードルシャワーは、フランが放った灼熱を紙の如く貫通して数珠繋ぎの穴を開け、フランが咄嗟に張った防御壁をも撃ちぬいた。

「ぐあっ…!」
「なっ!?」
「うひゃっ!」

分身のフランは両方とも、一瞬で穴だらけになって霧散した。
本体のフランドールにも数本が当たり、傷から赤い霧が噴出した。

「…ったいなぁ」

動きを止めたフランは顔を伏せて、自分の傷口を押さえた手が、赤く染まっているのを認めた。

「………」

霊夢は中天から、黙ってフランを見下ろしていた。

「しょーがないか、本気出しちゃおっと」

弾むような節をつけ、乾いた声でフランは呟く。

「あっそう」

霊夢はため息をついて、片目を閉じてフランを見て言った。

「早く済ませたいから、さっさと最後の奥の手まで出しちゃってくれるかしら」
「………」

フランは口だけを笑みの形にゆがめた。
その表情が四つに増える。再び分身したフランドールだが、その全てが、虚空から黒い魔剣を引き抜いた。

「てめー、コンティニューできると思うなよ!」

赤い軌跡だけを残して、疾風のように四つの紅魔が霊夢に迫った。















「お嬢様」

テラスのテーブル、掛け直したクロスの上に紅茶のカップを置いて、十六夜咲夜は問いかけた。

「なあに」

彼女の主は、椅子の上で片膝を行儀悪く抱えながら、空を見上げていた。

「よろしいのですか」
「いいえ、よろしくないわ」

咲夜の胸に頭がやっと届く程度の身長の、主の背中に備わった、蝙蝠のような、腕の長さくらいの大きさの羽根が、静かにゆらり、ゆらりと揺れている。その動きがどんな感情を表しているのかは、咲夜には解りかねた。

「随分と荒らしてくれちゃって。ガラス製品を直すのは骨なんだから」

テラスのそこかしこから、ガラスの破片が小さく光を放っている。既に大きな破片は掃除していたが、テラス中に散った細かい破片をすべて取るのは骨なので、咲夜は後回しにすることにした。

「それはそうですね。美鈴とパチュリー様も大変です」

魔法でガラスを直す係と、その他の部分を修理する係の名前を咲夜は出した。

「二人とも、嫌がるでしょうね」

気楽な風に、あるいはどうでもよさそうに言いながら、咲夜の主は上空の、青白い瞬きと紅い閃光をただ眺めている。

「……霊夢は本気でしょうか」

咲夜は、不安を出さずに聞いた。さっきから見ている限り、いつもの弾幕ごっことは違う雰囲気だ。

「懐かしく感じるわね」

主は、感慨を込めて呟く。

「ほんのちょっと前の事なのに。初めて霊夢と遊んだ時は、本当に楽しかった」
「私は殺さないように苦労させられましたわ」

咲夜は苦笑しながら言った。咲夜の能力は、人間を殺すのに有用すぎるのだ。

「ふうん?……さて…」

何か含んだ口調で、言葉が接がれる。

「弾幕ごっこというルールを無視しても、お前は霊夢に勝てたのかな」
「お嬢様?」

その意味を問いかけるも、主は黙って夜空を見ている。
しばらくの沈黙。
その間も、上空では半拍の停滞もない戦いが続いている。四枚の巨大な刃が、ミキサーのように休み無く次々と振るわれるその中を、巫女が嘘のようにすり抜けて、時に反撃をしていく。

「フランは、外には出さない」
「…」
「あの子は、あらゆる運命を破滅に結びつけることができる。その力は私よりずっと強いけど、強いから制御できない。ゆえに私には、運命には勝てない」
「はい」

咲夜は頷いたが、主は咲夜ではなく、他の誰かに話しているように見える。

「だけど」

言葉が途切れる。
雲を照らすほどの閃光。あの七色の光は霊夢の必殺技・無想封印に違いなかった。

「もしかしたら、違う流れが生まれるかもしれないな。今この時、私にも見えない運命があるのを感じているよ」

運命を操る悪魔は、傍らの咲夜にはじめて顔を向けた。

「許しがたいと思うだろ?私の能力が揺らいでいるなんてさ」
「ええ、許せませんわね」

咲夜は忠実ぶった真面目な表情で頷いた。
主は少しだけにやっと笑うと、また顔を上へと戻した。
背中の羽根は、何かを待つようにゆっくりと揺れている。

















「ギュっとして!」

フランは右手を向ける。しかし、瞬時に霊夢の周囲に四角い箱のような結界が生まれた。

「ッ!」

フランの有する、対象の目を奪う能力は、ガラス程度の障害なら、飛び越えて奪うことができる。
だが、霊夢の結界は向こうが透けて見えるにもかかわらず、霊夢の目を奪うことはできなかった。

「空間そのものが違うってわけね!?」
「ご明察」

印を組みながら霊夢は静かに答える。さらにもう一層、外側に結界が形成された。
まだ生き残っている分身フランがその後方から迫る。

「どりゃああー!!」

魔剣から刃を伸ばすと、渾身の一閃を放つ。
横薙ぎに振るわれた、紅く巨大なレーヴァテインの刀身は、一層目の結界に吸い込まれた。

「!?」

そして消えた刃は内側の結界から出てきた。
かわす暇もない。分身フランは自らの攻撃に両断され、消えた。

「なにそれ、ずるい…」

フランは驚愕の表情で呟く。
霊夢は二重結界の内側から声をかけた。

「さて、そろそろ終わりにしましょうか」

霊夢はそう言うと、空間に裂け目を作り、お払い棒を放り込んだ。

「無想…天生!」
「…」

霊夢の気配が変わった。
フランは、ピリピリした感覚を体で感じて震えた。

(すごい…)

フランの頬は、知らず緩んでいた。

(人間なのに…)

反射神経も、力も、フランドールの方が上なのに、追い込まれているのはフランだ。
理由はフランにはわからない。同等以上の敵と戦った経験がどれほどの力になるのか、霊夢がそれをどれだけ積み重ねてきたのか。フランは本当の意味では知らない。
もはや魔力は大半使い果たしてしまったし、吸血鬼の身に疲労がこれほど色濃く積もるのも初めての経験だった。
そして刻一刻と霊夢の『内圧』が高まるのが、結界越しにも感じられた。恐ろしいほどの霊力を練りこんだ一撃、あんなものを受けたら。

(死ぬかなあ)

悪魔の一族の力が高まる夜中に、一定の手順を踏まずに吸血鬼を殺すことなど、普通は考えられない。
だが、目の前の相手が今更“普通”に当てはまってくれるだろうか。

(死んでもいいかなあ)

死を恐れる者は、積み上げてきたものを失うことを恐れるのだ。

ふと、どこかで読んだ一文を、フランは思い出していた。

(私は、人が積んだものを壊してきただけ)
(与えられたものを壊してきただけ)
(できることなら、嫌な自分も壊したいだけ)

「…やっぱり、誰にも似てないと思うなあ」

フランはそう呟いて、それでも、黒剣を霊夢に向けた。

「遊んでくれて、楽しかったよ、霊夢」

フランドール・スカーレットは最後の力を振り絞った。

「…ぅアアアアああああああああああああああ!!」

分身が二体。
いままで何度も披露した技だが、しかし分身は、紅い雷光を纏って、今までと明らかに雰囲気が違った。

「ふう…ふぅ……はぁ……」

息を荒げるフランの手からは、愛用のレーヴァテインが消えていた。
もう。魔剣に注ぐほどの力は残っていないのだ。

「うまくいった…」

フランが目を向けると、分身たちは視線を受けて頷いた。

「…いくよ!!」








もはや幾度目だろう。再び迫るフランに、霊夢は何もしなかった。
無想天生は霊夢の“空を飛ぶ”能力を最大限に使用する、霊夢だけの奥義。
今の彼女はあらゆる存在から『浮き』つつある。
結界がなくとも、傷つけることは不可能に近い。

「ギュっとして!」

フランが能力を使う。
いや、あれは分身だ。

(分身があの能力まで使えるっていうの?)

しかし、驚きは生まれなかった。
今の霊夢は、何かに感心が生まれることはない。ただ、能力を戦いに使っているが故に、そのためだけに残された、機械的な思考があるだけだ。

「どかーん!」

結界の外側に亀裂が走り、二重結界の一層が砕け散った。

(やっぱりね)

しかし、分身のフランドールもまた、胸に亀裂が生まれて砕けた。
それは、今までとは違う消え方であった。

(あいつの能力は並みの妖怪じゃ耐えられない。相当の魔力消費とフィードバックを受ける能力だから。あいつがそれに耐えられて魔力消費も軽減されるのは、単に生まれつきの特性だから。それをただの写し身に与えるからには、普通の分身よりずっと魔力を消費するはず。わざわざ分身に使わせる理由は…)

「どかーん!!」

しかし一体目の分身フランが完全に消えるより早く、声が届く。
内側、二層目の結界も砕け散り、霊夢は結界を失った。
最後に残った分身もまた、砕けて消える。
そして、その上から金色の光が降ってきた。
いつの間にか帽子を失い、金色の髪を月光に晒し、もはや紅い魔力も切れ切れのフランド-ルが、右手を開く。

「ギュッと…!?」

戸惑ったようにフランの動きが止まった。

(ごく短時間には、連続であの能力は使えないようね。その時間を詰めるための分身。壊した結界がまた張られるより早く、私を倒すつもりだったのかしらね)

しかし、

(やっぱり“目”は見えないみたいね)

存在しないものは壊せない。
あらゆるものから“浮く”力は、“あらゆるものを破壊する”力をも例外とはしなかった。
一瞬だけ、無表情のままだった顔に、ある表情が浮かび上がった。
無想天生発動のために極限まで薄れていた、それは霊夢の心の一部だ。

(何をやってんのかしらね、本当に)

苦笑を浮かべた霊夢に、フランは、

「っ!」

右手を握り、しかし、

「…!」

それよりはわずかに早く無想天生が発動し、霊夢の全身から、力の波が広がった。
七色にも、純白にも見えた光は一瞬だけ、夜を昼に変えた。




















「………」

フランは目を開けた。

「しんでない」

目をぱちくりさせつつ、ふとフランは自分が誰かに抱きかかえられていることに気がついた。
その誰かの肩に手を当てて、フランはそっと自分の体を起こした。

「もう起きたの」

右手でフランの両足を、左手でフランの背中を子供を抱くように抱えながら、霊夢はゆっくりと空を降りていた。

「…霊夢」
「悪いけど」

霊夢は下を見ながら言う。

「もうお仕舞いよ。さすがに疲れたわ」

そう言われて、フランも全身が急に重くなったように感じた。
いくつかの傷は塞がりかけていたが、疲労と魔力不足で何もかも億劫になり、ふと、再び霊夢に体重を預けてみた。
霊夢は、何も言わない。

「…なんで、とどめ刺さないの」
「アレで死ななかったら、もう私には無理ね」
「うそ」

フランは、頭を霊夢の肩に預けて言った。

「霊夢、最後手加減したでしょ」
「……」
「ねえってば」
「馬鹿らしくなったからよ。子供に付き合って本気出すなんて」
「なにそれ」

フランはムッとした。
なんだか知らないけどムッとした。
すぐに理由は分かった。

「自分でルール破るなんてどうかしてたわ。ホント。明日から大変になったらどうしようかしら」
「うそ」
「なにがよ、しつこいわね」

うるさそうに言う霊夢に、フランもむくれたままで言った。

「だって霊夢、私のためにしてくれたんじゃん」

フランは、静かに腕を霊夢の背中に回した。

「よくわからないけど、似てるって言ってくれたじゃん。私みたいな壊すだけのおっかない奴に、つきあってくれたじゃん」

ぐりぐりと、額を霊夢の肩に押し付けた。
血の香りがした。

「殺さないでくれたじゃん」

ばっかじゃないの、と言われると思った。
フランは、でも、霊夢の鎖骨の下に、割れたような傷跡を見つけて息を飲んだ。
今まで気付かなかったなんて。吸血鬼ともあろうものが。

「霊夢!」
「うるさいわね、耳元で大声出さないの」

霊夢の声は落ち着いていた。

「だって、怪我…」
「さっきまであたしら何やってたと思ってんのよ、もう塞いでるわ」

怪我ならあんたのが多いでしょうに。と霊夢は言った。

「でも、私の攻撃なんてほとんど当たってないのに」
「最後の」

つっけんどんに霊夢は言った。

「え?」
「あんたの能力。死ななかったって事は手加減したんでしょ、あんた」
「ううん、霊夢の目ってほとんど見えなかったから。それに、私の力は壊すか壊さないかしかないよ」
「んじゃ、この部分だけ壊したってことでしょ」
「そんなこと…」

言いさして、フランは気がついた。
“目”が、ずっと小さくなっている。フランが万物に見える破壊点が。
意識しなければ気付かないほどに、霊夢の体にも、雲にも、森の木々にも、あらゆる形あるものに小さく。しかし、よく見ればびっしりと見える。
大きく壊れる部分も、小さく壊れる部分も、今のフランにはわかる。前までは一つの物体に、完全に壊れる目が一つだけだったのに。

「……もしかして、私、成長しちゃったかも」

フランは呟いた。

「はぁ?」
「もしかして……」

破壊衝動も、制御できるようになるかもしれない。
そうしたら、もしかして、

そこまで考えると、あとはまともな思考にならなかった。

「はぁ……」

霊夢は、ため息をついた。

「なに泣いてんだか」
「だって、…って……」

言いかけて、まともな言葉にならないまま、心から漏れ出るような羅列が、ただ続いた。

「…だって、だって……私、だってね……もう……お姉様…が…うぅ……あぁ…」

フランはそれから、霊夢の肩で静かに泣きだした。

「はぁ…」

霊夢の表情はフランには見えなかった。
だけど、呆れた顔をしているのはわかった。

「…私は空を飛ぶ能力を持っているのよね」
「…っく、うぅ…」

霊夢は言った。
フランはしゃくりあげたままで、聞いちゃいないようだった。
しかし構わず、独り言のように霊夢は続けた。

「だから、何にも執着できないのよ」
「………」
「あんたが、ちょっと似てると思ったのよね。何でも壊しちゃうから、何にも執着しないところがね」
「…ぇ……」

意外な言葉だった。
思わず顔を上げようとしたフランの頭を、霊夢は背中に回した左手で押さえた。

「うぐ」

髪を撫でた手が、ひどく優しかった。

「でも、あんたは執着を持ってたのね。じゃなきゃ、泣いたりしないものねぇ」

霊夢の声は、ため息のようで、いつもと違って穏やかで、ほんの少し、勘違いかと思いそうなほど少しだけ、寂しそうだった。
フランは言うべき言葉を持たなかった。喋れなかった。涙が止まらなかったし、止める方法が、霊夢の言葉でますますわからなくなった。
霊夢は、それから、紅魔館のテラスが近付くまで何も言わなかった。














テラスの上には、パーティーの参加者達がひしめいていた。
霊夢たちが近付くと、一気に歓声が上がる。完全にいつものノリで、雰囲気もいつもの、どこにでもある宴会のままだ。
端のほうにテーブルクロスを工作して作られた、即席のオッズ表があるのはご愛嬌。

「よう、不良巫女」

箒に腰掛けた、にやにやと笑った魔理沙が、いつの間にか少し離れた場所で浮いていた。

「なによ」
「お前がルールを破っちゃいけないんじゃないかぁ?色々とまずいと思うぜ。紫の奴もうるさそうだし、きっと早苗も調子に乗るぜ」

フランは、まだ少し涙が残っていたが、しゃくりあげるのは止めることができた。
その顔を上げて霊夢を見ると、

「何言ってんの」

霊夢はいつものふてぶてしい表情だった。

「あれはただのケンカよ」
「ほうほう、つまり殺し合いじゃないと」
「そうよ」
「揉め事はスペルカードでっていうのはどうなるんだ?」
「あれは互いに何かを奪い合う時の話でしょ」

霊夢はふてぶてしい顔のまんまで言い放った。

「今のは純然たるただのケンカよ。よってルールの適用外」

魔理沙は霊夢の顔を見て呆れたような顔をし、一瞬だけフランに目をやり、また霊夢を見て、笑った。

「あははははははは!!そうかそうか、そりゃ仕方ないな!」

笑うと、魔理沙はテラスまで飛んで、机の一つに降り立った。

「さて、今回はノーゲームだとさ」

魔理沙がオッズ表の方に目をやると、そこにはトレイの上に色々な、金銭やら宝石やら蟹の殻やら蛇の抜け殻やら、恐らく賭け金の山を前にした鴉天狗がいる。
その彼女は、胸を張って、それから腕を組んで真面目ぶった表情で言った。

「今回は親の総取り!残念でしたねー!」

一瞬の沈黙。
そして大勢の声が爆発するように生まれた。

『ふざけんな!』
『それはルールにないウサー!よって全額返金が妥当だウサー!』
『不文律ってやつです!残念だったなァヒャッハー!』
『私の蟹を返せ!』
『もう食った!』
『つーか総取りってなに?』
『それよりどっちが勝ったんですか?』
『いや、だからね…』

「何言ってるのよ」

しかし霊夢が口を開くと、途端にみんな静まった。
その視線を受けながら、にやりと笑って霊夢は言った。

「ケンカは、泣いた奴の負けよ」

まだ抱えられたままのフランの顔がかっと赤くなる。
同時に、群集の視線は再びオッズ表の方に戻った。

『出たぞー!公式見解だぁー!』
『霊夢勝ち!霊夢の勝ちです!単勝1,5倍!1‐2で霊夢勝ち!』
『配当出せー!』
『いやだから1,5倍は無理ですって!っつーか霊夢賭けの方が多すぎます!』
『だってフランドールとか知らないしー!』
『レミリアの妹は初めて見たのに、賭けたりしないわよねぇ、妖夢』
『金出せー!出せないなら脱げー!』
『そーだ!芸をしろー!』
『だからー!』
『だっかっらおねっがいー!そんな気持ちーはなぜー!!』

騒ぐ物が飛ぶ歌い出す。
酔っ払いにとってはあらゆるものが座興となるらしい。
一団となって苦情をつけていたのもちょっとの間の事で、じきに半数くらいは別の騒ぎを起こしだす。
それを霊夢とフランはしばらく眺めていたが。

「ん」

霊夢が振り返る。
その間に、フランを抱えているのは咲夜になっていた。

「お疲れ様でした、妹様」
「…ぁ、咲夜」

フランは咲夜の顔を見た。そこには、温和といっていい笑みがあるが、その目に宿った感情は、少し違うようだった。

「心配させた?」
「…!」

咲夜は珍しく表情を崩し、それを見てフランは、力ない笑みを浮かべた。

「…」

咲夜は霊夢を見た。しかし、今、何かを言う気はないらしかった。

「………」

霊夢は黙って咲夜の顔を見て、すぐにそっぽを向いた。

「疲れた、帰るわ」
「霊夢」

フランは何か言いかけて、口ごもった。
何か言うべきことがあるだろうか、しかし、何かを言いたかったのだと思う。

「………」

でも、もう、お互いの気持ちは分かったようにも思う。
全てとは言わないけれど、けっこう。
なら、やっぱり言うべきことは、今はあまり無いようだ。

「…また来てね」
「妹様…」

言葉を差し挟むつもりでは無かった瀟洒な従者が思わず呟いた。
予想外だったのだろう。

「………」

霊夢は、じっとフランを見た。

「もう来るつもりはないわ。用事があれば別だけど」

そう言うと、霊夢は背中を向けた。

「霊夢…」

フランは言いかけて、やめた。

「じゃあね」

ふわっと高度を上げて、霊夢は風に乗った燕のように飛んでいった。
それを見届けるフランは、特に何も思わなかった。

(だって、分かったから。霊夢のことは)

何もかも、とは言わない。
でも、分かったから。霊夢がどういう奴かって。
ちょっと、わりと、少し分かったから。
だから今は「じゃあね」と、
フランは最後の気力で、手を一回だけ振ってやった。






















あれから、一月過ぎた。
霊夢の日常に変わりはない。良くも悪くも。

「平和だわ…まったく」

博麗神社に併設された住居の、雨戸を開けて、朝一番のお茶を飲む。
朝食を作ると、今日は鬼と魔法使いと花の妖怪が寄ってきた。いきなり三人は珍しい。
魔理沙の早起きについてが朝食の席で議題となり、話が終わる前に朝食は終わっている。
まだ馬鹿話を続ける鬼と魔理沙を屋内から追い出し、まず座敷の掃き掃除を始める。
花の妖怪はいつの間にかいなくなっていた。朝飯目当てかよ。

「…ふう」

全室の掃除が終われば昼前だった。
霊夢は縁側で湯呑みを傾け、お茶の香りにひと息つく。

「…さて、続きでもしようか」

湯飲みを置いて縁側を立つと、箒を取って、霊夢は境内に行った。
日課ではあるが、この時間ならもうすぐ昼食の準備に戻らないといけない。あまり進まないだろう。
どうも最近、唯一の仕事である掃除がはかどらない。

「……やっぱ、あれかしら」

吸血鬼の妹の顔を、なんとなく思い浮かべる。
ちょっと似てて、だから興味を持った。
でも、結局、やっぱり自分に似てはいなかったし、だから、もう会いにいく理由はないだろう。

「寂しかったってことかしら」

そういう事になるんだろうな、と霊夢は、何の衒いもなく考えている。
自分に似た奴がいれば、分かってくれれば。
古くからの馴染み、魔理沙とは違う種類の、友達とは違う何か、共感してくれる相手が欲しかったのだろう。

「本当にばっかみたいよ」

笑うしかない。そのためにあの子の根幹と、分かちがたく結びついていた部分を刺激したのだ。
その部分とは過剰な破壊衝動、だがそれも強すぎる能力の影響だったのだろうと予想はついていた。
強すぎる能力というなら霊夢だって同じだ。
ただ、霊夢の能力は彼女ほど分かりやすくない。なぜなら、表立って霊夢は、自分の力に違和感を感じたことなどないから。
何にも縛られない自分を、いいとも悪いとも思ったことはなかった。というか、今も思ってないし。
ただ、最近になって、たまに思うことがある。
“もしも私がこの能力を持っていなければ”
どうなっていたんだろう。

その思いを生んだのが、「フランドールに似ている」という、あの言葉だったということだろう。

「本当につまんないことしたわね」

ため息を込めて言う。独り言の癖も、最近ちょっと増えた。

「そう、詰まらない事なのね」

声が聞こえて、霊夢は思わず振り返った。
そこには、十六夜咲夜がいた。いつものメイド服で、バスケットを持って。

「…わあ、びっくりした」

霊夢が棒読みで言うと、咲夜は霊夢をねめつけるように見て、

「あなたにとっては妹様との情事も詰まらない遊びだったってことなのね」
「何が情事よ。馬鹿言ってんじゃないわよ」

あと心を読むんじゃないわよ、と霊夢は胸の中で付け加えた。

「何故、あんなことをしたのか」

咲夜は、そこまで言って、ついと視線をそらした。
お、と霊夢は思った。
そのそらした横顔は、一月よりも前の、いつもの十六夜咲夜だったからだ。

「と、今更聞きませんわ」
「…あっそ」

よく分からないが、自己解決したんだろう。と霊夢は思った。
頭のいい奴は面倒が無くていいわね。

「…で、何しに来たの?」
「用事なんてありませんわ」

咲夜はそう言いながら、縁側に向かっている。
なら上がるんじゃないわよ、と言いかけて気付く。

「…レミリアが来るのね」
「ええ」

この一月、レミリアが博麗神社をおとなう事は無かった。
まあ、アレが原因だろうなと思っていたし、仕方の無い事だとも思っていた。
そして、レミリアは本当に妹の事を想っていたんだな、とも思った。

「だから、ちょっとヤカンを借りるわね」
「…ああ、好きにしたら」

霊夢は境内に戻ろうとしたが。

「怪我はもういいの?」

咲夜に聞かれて振り向く。

「それがどうしたのよ」

咲夜は、軽い調子で言った。

「だって、妹様が気になさってますから」

その言葉で、霊夢はぽろりと箒を取り落としかけた。
咲夜の口調は、伝言ではなかった。“今から”を心配するニュアンスだった。
勘の良さだけには定評がある霊夢は気がついた。

「まだ痛むわ」

霊夢は早足で境内に向かった。後ろで咲夜が何か言っていたが、聞かなかった。



なんとなく、参道の石畳まで早足のまま歩いた。
なんとなく、鳥居の下まで歩いた。
そして石段をなんとなく見下ろした霊夢は、口を結んで、息を止めた。

日傘がのんびりした動きで石段を上がってくるのが見えた。
白地に赤の模様の刺繍、そしてフリルの飾りは青と銀、持ち主の髪の色に合わせたのだと聞いたことがあったのを、今思い出した。

その横に日傘がもうひとつ。左と同じ模様の刺繍で、フリルの飾りは黄色。金色だとさすがに派手すぎるからだろう。

「………」

何か呟いたはずなのに、声が出なかった。
そんな自分に腹が立った。やり直す。
しかし、大した言葉は浮かばなかった。
今はあまり頭が働かない。
今自分は、どういう心を感じているのか。
それも、わからない。

「…外に出ても良くなったの」

あいつは――

今、どんな顔をしているんだろう。

そして、会ったらどんな顔をするんだろうな。

そう思いながら霊夢は、揺れながら近付く、ふたつの日傘を待った。








(了)
初めまして。
未熟者の作品ですが、ここまで読んでくださった方に、心よりの感謝を。

6/20 23:27  誤字、脱字、その他おかしい部分、どうしても我慢できなかった部分を修正しました。申し訳ありません。
ご指摘下さり、本当にありがとうございました。
6/22 01:59  修正し忘れた誤字を修正しました。
サブレ揚げ
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コメント



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3.無評価krs削除
イイヨイイヨ次ノ霊夢モノツクッテクラサイ

もうちょっと暗いか明るいかはっきりしてくれたら200点
4.90名前が無い程度の能力削除
十六夜スタンに不覚にも笑ってしまったw

お払い棒ではなく、幣(ぬき)あるいは御幣(ごへい)のちゃんとした名称を用いた方がよかったかと。
5.100名前が無い程度の能力削除
博麗が博霊になってるとこが何箇所かありますね。それさえ無ければ200てn(ry
フランと霊夢の組み合わせは良いですなー。次も期待しちゃいます
8.90奇声を発する程度の能力削除
この組み合わせ、最近増えてきたような?
兎に角、良かったです!
9.100名前が無い程度の能力削除
良い。面白かったです。
萃香が別の字になってたのと、きゅっとしてがぎゅっとしてになってたとこがありました。
10.90名前が無い程度の能力削除
長いのにサクサク読めて楽しかったです
フラ霊いいねぇw
14.100名前が無い程度の能力削除
霊夢のクールな感じがブレないで大変良いものでした
20.80名無し削除
こいつはまた・・・
良いレイフラだった
24.100名前が無い程度の能力削除
フラ霊もっと流行れー
31.90名前が無い程度の能力削除
霊フラはもっと流行るべき。
終始クールな霊夢さんでしたなぁ。
でもフランと関わったりガチンコしたりで何か変わったような。
32.90名前が無い程度の能力削除
こういう話嫌いじゃないです
36.90名前が無い程度の能力削除
霊フラに目覚めました
次回作も期待してます
37.90コチドリ削除
東方に親しむ人々が博麗霊夢に抱くイメージの一側面、精神の怪物性と言うのかな?
そういうものが上手く表現された作品だと思いました。
通常私が70KB前後の文章に目を通した時の体感時間に比べ、この物語に関しては驚くほど短かった。
なんか回りくどい言い方だな。時間を忘れるくらい惹き込まれた、の方が良いかな。

脇を固める面々や、一方の主役であるフランドールも良かった。
だけどなんだかんだ苦悩を抱えていてもフランちゃんにはレミ姉がいるからなぁ。
最終的にはお姉さまがなんとかするだろうって頭がある自分にとって、やっぱり目がいくのは霊夢だ。

底なしの孤独を湛えているであろう彼女の魂に、一筋の光明が射したかのようなラストは好き。
ただ、そこに十分な説得力があるのかと問われれば、ちょっと首を傾げてしまうかな? 個人的には。
ごちゃごちゃ書いてきましたが、私はこの物語が好きだ。また作品を投稿して下さるならとても嬉しいです。
40.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
42.無評価サブレ揚げ削除
予想を遥かに上回るコメントと点数を頂き、大変驚いてます。
色々と粗のある作品ではありましょうが、少しでも楽しんで頂けたならば、とても嬉しいです。
誤字・脱字その他のご指摘も含めて、ありがとうございました!


霊夢さんちょっと強すぎです…主人公故致し方無し、ということでお願いしたい。
フランちゃんはあまり狂ってなかったのが心残りですが、技量の限界でもありました。
45.100名前が無い程度の能力削除
や、これは凄い
46.100名前が無い程度の能力削除
優しい物語でした。
この後の物語も気になります。
48.100名前が無い程度の能力削除
これは良いわ
55.100名前が無い程度の能力削除
ああ、なんというか、イィわあ
次作にも期待させて頂きます。 フラ霊流行れ
57.90名前が無い程度の能力削除
いい空気。
こういう霊夢大好き。
59.100名前が無い程度の能力削除
長さを感じさせない読みやすさでした。
先行き明るい。
71.100名前が無い程度の能力削除
このフラ霊展開はなかなか面白いですね。
終始ぶれない霊夢がカッコイイですな
75.100rr削除
ああ最高だ。フランのイメージはこのぐらいの塩梅が一番好きです。

重箱の隅
>です!単勝1,5倍!1‐2で霊夢勝ち!』
『配当出せー!』
『いやだから1,5倍は無理

,→.じゃないかなーちょっと自信ないですが。競馬とかではこんな表記にしてるのかも知れません。


100点では足りないと感じたのは久方ぶりです。
81.100名前が無い程度の能力削除
うん、作者名から遡って読んで正解だった……貴方の書くキャラクター像は素敵だ。
それから今回は場の空気の変化、特に戦闘に移る時のそれがとても素敵だ。フランの苛立ちやら破壊衝動と、それにおける周りの緊張感がこちらにピリピリ伝わってくるのは気持ちいいね。そしてその中で(本人の中で少々思うところがあっても)基本不動でブレない霊夢がとても光って見えた。
更に場面の緩急と展開も予想がつかず楽しめた。酔った席での「似ている」発言からこんなラストを迎えるとは……作品にのめり込めたので長さをまったく感じなかった。

霊夢に真に共感出来る誰かが見つからないことを寂しく思ったけれど、最後の展開で救われた気分になれた。霊夢と関わった事が契機で、ドンドン周りの世界が変わっていくだろうフランのこれからにも期待したい。
しかしそんなにホイホイとフラグを立ててもいいのか霊夢よ。流石に人妖を惹きつけるだけの魅力があるけども。
82.100名前が無い程度の能力削除
良い
90.100名前が無い程度の能力削除
グラッチェ