Coolier - 新生・東方創想話

ワルプルギスの夜に

2011/05/28 10:47:02
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【ワルプルギスの夜に】

 酷い雨だ。
 私――霧雨魔理沙は箒に乗って空を飛びながら、悪態の一つ二つを口から吐いた。しかし、空いた口にすら風に煽られた雨がなだれ込んできて、私は帽子を被りなおしながら、それを吐き出すついでに、もう一度悪態を吐いた。
 季節柄、この時期は激しい雨が降るものだ。雲に侵され、姿の見えない陽が沈みかけ、身を打つ雨は冷たく、それでいて大気は生暖かい。濡れた服が体に張り付き、スカートがあちらこちらから打ち付ける風にはためいては、水を含んだ裾を私の足に叩きつける。
 視界も悪く、一旦雲の上に出ようかとも思うのだが、多分出るに出られない。運良く雲を突っ切っても、そこにあるのは白黒の私ではなく、真っ黒こげになった私だろう。
 気に食わない。その私の気持ちをあざ笑うかのように、枝を生やした一筋の光が、轟音と共に暗く曇った雨空を駆けて行った。
 例年よりも一、二週間ほど遅れた春雷だった。
 食わず嫌いの私であるが、今最も気に食わないのがこいつだ。
 ここ数週間雨も曇りもなく快晴続きで、今日も初めの天気はまずまずよかったから、湿気を好む茸なんてものはそうそう生えていないだろうと、山の方に山菜を取りに出かけたのだ。途中日に陰りが差すことはあったものの、そうそう飛べないほどの雨など降らないだろう――そう誤算した。
 木々の間を縫うように低空を飛びながら、私は数刻前の浅はかな自分を叱っていた。夕方になり、ぽつぽつと、雨が降ってきたから帰ろう。そう思ったときにはもう既に遅かった。風は好き勝手に吹き荒れ、相当気をつけないと飛んでもいられないし、雲と雲の間を駆ける光は、まるで雷獣が走り回っているかのように私の目と耳を打った。
 次いで継いでと、雷が連続して響き、空を渡る。
 私は帽子を押さえて下を向き、歯を噛み締めた。今日はついていない。
 そう思った矢先、下を向いた私の視界、降りしきる雨と木々の間に、ぽつんと灯る明かりが見えた。人のものだろうか。私の家まではまだ遠いはずだ。しかし、その人工的な明かりや、次第に精微を見せる窓の輪郭は、それが知人の家であり、戸を叩けば迎え入れてくれるだろうものであることを私に告げていた。
「そうか、あれは――」
 もう十数分も飛べば私の家が見えてくるはずだが、私はまたがった箒の先を私の家ではなく、見えてきたその家に向けた。この雨から逃れたい一心もあったが、その家に行けば私の家では自分でやらないと出てこないもの――例えば暖かい紅茶や茶菓子の類――が必ずといっていいほどもらえるということを私は知っていた。
 その家の名札には、こう書いてある。
 アリス・マーガトロイド。
 私の知人であり、人形師であり、魔法遣いである彼女は、扉を開けて私を出迎え、その姿を見るや否や、苦い顔をして開口一番に言い放った。
「は? この雨の中を山から飛んできた? ……あんたも相当馬鹿ね」
 苦笑いを浮かべた私の反論を待たず、彼女の人形がタオルを私の顔に叩きつけた。人形たちが私を取り囲み、濡れた帽子を取っては拭き始め、靴を脱がせては玄関の網棚に放り込み、上着を剥ぎ取っては干し始めた。
 何を言う間もなくスカートとブラウスだけになった私に、アリスは居間から新品であろうワンピースを持って来ると、それを私に押し付けて、無愛想に言い放った。
「今、火をかけたから、熱いシャワーでも浴びてきなさい。風邪でも引かれたらたまんないわ」
 彼女は紅茶を淹れてくるから、とキッチンへ入っていったが、廊下を歩く私に向かって、慌しく戻ってきて顔を覗かせた。
「廊下、濡らさないでよね」
 そう言い置くと、すぐさま顔を引っ込めた。彼女は何かと文句をつける割には、完璧といえるほど世話を焼いてくれるのだ。私は濡れた髪から雫が垂れないようにタオルを首に当てながら、廊下を振り返った。どうやら雫の一滴も落ちていないようだ。そして、アリスはキッチンで火でも扱っているのか、戻ってくる気配もない。もう節介は全て済んだのだろうか。
 まだ湯浴みには早い時間だというのに、用意されたシャワーは心地よい熱さに調整されており、浴び終えて戸を開けると、拭きやすく柔らかい大きめのタオルが丁寧に畳んで置いてあった。
 アリスから受け取ったワンピースを着て脱衣所を出たところで、私用と思われるスリッパまでもが用意されていたときには、感心よりも人外の完璧さに舌を巻いた。ここは旅館じゃないだろうに。
 廊下を歩いていると、それに気づいたのか、人形が飛んできて居間に私を導いた。椅子を引かれ、そこに座らされると、しばらくしてアリスがティーポットなどが載った銀盆を持ってやってきた。
「あら、早かったじゃない。今、上海たちが服を乾かしているわ。雨が止むまでには多分乾くと思う。――はい、これ」
 そう言ってアリスは私の前に、紅茶と一緒に、小さめの皿に盛られたカスタード・プティングを置いた。
「丁度焼いてたのよ。魔理沙、その様子だとお昼ご飯食べてないんでしょう?」
 湯気立ったプティングの上には、ミントが添えられている。見た感じからして、私が来てからの10分や20分のうちに、大急ぎで作ったに違いない。
「やれやれ、この貸しは高く付きそうだな」
 私は苦々しげに口の端を曲げて軽言を言うと、アリスが頬杖をつきながら笑った。
「勿論。2倍じゃ到底許さないわ。……ほら、早く上がりなさいよ。冷めちゃうわ」
「おう。……ん、美味しい」
「当然よ」
 そうアリスが誇るプティングは柔らかくて温かく、滑らかな舌触りの中から、卵の味にすっきりした甘みを添えて伝えてくる。疲れた体には最適だった。こういう小さな料理――こと、菓子を作る事に関しては、アリスは相当上手い。
 紅茶を飲んでしばらくのんびりすると、彼女は立ち上がった。
「夜には止むから、それまで待って帰るといいわ。それじゃ、適当に本でも読んでて。私はやることがあるから」
「やること?」
 そういえば人形の動きが慌しい。一体の人形がその身の丈ほどのランプを引っ提げて居間を飛んでいった。こうなってくると、気になってしまうのが人間の性分というものだ。
「やることって一体何だ?」
 私が訊くと、部屋に入って行こうとしていたアリスは振り返って意地悪そうな笑みを浮かべて答えた。
「魔理沙がやりたそうなことよ。――あんた一人だと絶対できないけど」
 私一人じゃ絶対にできないこと。そう言われると俄然気になってくる。しかし、アリスについていっても、本人はいくつかの本――中身は魔界の本のようで、私にはとっさに解読できるものではなかった――を確認するかのようにぱらぱらとめくっては閉じたり、人形たちが集めた道具をカバンに詰めたりするだけで、それも見たところに冒険の旅にでも出るのかというものばかり――ナイフやランプ、空の瓶やいくつかの羊皮紙、ペンなど――だった。
 夜に何かを探しに行くとでも言うのだろうか。この季節、森には茸もさして出ていないし、時間としても遠出できるものじゃない。謎は深まるばかりだった。
「なあ、降参だ。教えてくれよ。何をするんだ? どこか行くのか?」
 私はお手上げとでも言う風に肩をすくめると、アリスは道具を詰め終えた小さなカバンを居間に持って行き、玄関寄りの床に置いた。そして、そこから一つだけ、小さなペンダントを取り出すと、私に向かって示した。
「たとえ教えたとしても、あんたは来れないわよ。だって、これ、一つしかないんだもの」
 アリスの手の先で揺れるペンダントは、小さな緑色の宝石――しかも魔法由来のものか、淡く発光している――をトップに添えたものだった。
「それ、何なんだ? それが必要だっていうのか?」
「そうよ」
 アリスはペンダントをカバンに戻すと、居間の椅子に腰掛けた。促されるままに私も腰掛けると、どこからともなく人形がやってきて、紅茶を新たに淹れて行った。
「魔法による幻覚にかからなくなるペンダント」
 アリスは紅茶を一口飲みながら、吐息に乗せて呟いた。
「幻覚?」
 私が訊き返すと、アリスは頷いた。
「そう。幻覚。しかも、あのペンダントはお母様が作ったものだから、私には到底作れるものじゃないわ。その分、効力は保障できるけど――そうね。〝あれ〟を使ってギリギリ防げるくらいかしら」
 なるほど、アリスの母親――魔界の創造神である神綺が作ったペンダントならば、その効力に比類するものがないといってもいいだろう。しかしそれを持ち出してまで何をしようとしているのか。
「いい加減じれったいぜ。さっきから降参だって言ってるのに。なあ、教えてくれよ」
 私は声を荒げた。何だとしても勿体ぶりすぎだろう。アリスは紅茶を一口飲むと、私の態度に観念したのか、やれやれといった風にため息をついた。
「幻の茸を採りに行くのよ。――それも本当、今日の夜しか採れないの」
 ――茸。それも幻ときた。そして今日の夜しか取れない。そうだとしたら決まっているだろう。
「それ、私も行く」
 無意識のうちに、心が喉を突いて出ていた。
「さっきから無理だって言ってるじゃない。駄目なものは駄目よ」
 そしてアリスの一言のうちに私の主張は切り捨てられた。私がしばらく斜に構えた顔をしていると、アリスはそれを見かねたのか、せめてもの情けにと事情を話し始めた。
「この魔法の森の霧、昔から気になってはいたんだけど、湿度と時折発生する濃霧という環境もあるとしても、それを差し置いて、幻覚作用のある茸の種類や、ただ単なる茸の胞子によるもの、では片付けられない濃度の瘴気が引っかかるわ」
 ここまで熱弁を振るうアリスも珍しい。顔や口調では冷静そのものを装っているのだろうが、内心はそれこそ類稀なる可能性を今引っつかんだ、とでも言わんばかりの興奮具合なのだろう。
「だから、恐らくこの辺には、物凄く大きな龍脈穴――もしくは、それに順ずるものがあるとみて、間違いない」
 ここでアリスはいつも手に持っている魔法書(グリモワール)――これだけはいつ何時も手放したことがない。アリスが魔法遣い足り得る証と、母からの唯一といってもおかしくない贈り物だった――を持ち上げて示した。
「たとえば――」
 ここで一息置いて、龍に似合わぬ瘴気を放つこの森に関して、アリスは一番の可能性であろう一言を示し置いた。
「魔界の穴、とか」
「おいおい、当てずっぽうにもほどがあるぜ」
 私は反論した。あり得るはずがないのだ。
「もしそうだとしたら、紫が気づいているだろう? 紫だけじゃない。霊夢だって気づいているはずだぜ。あいつらがそんな危ないものをみすみす逃しておくとは思えんね」
 龍脈ならまだしも、魔界の穴なんてものは幻想郷と外界を隔てる結界と全く同じものを張ってもいいくらいの代物だ。妖怪と人間の共存には不適すぎる。そして、それを博麗のそれが放っておくはずがない。
「ええ、そうよ。紫だって、龍脈穴だったらいじることもしないでしょう。そして、魔界の穴だったらとっくに塞いでる」
 しかしアリスは私の反論を不敵に受け止めると、薄ら笑いを浮かべた。
「でも、それが全く同じ場所にあったとしたら、どうなるかしら」
 まさか。そんなはず、あるわけがない。
「そしてそれが、紫でさえも紐解けないほど複雑に絡み合っていて、尚且つ、微妙な均衡を保っているものだとしたら」
 私は気づかぬうちに身震いをして、それに気づいて私自身驚いた。背筋が冷えた気がした。彼女は何年これについて調べてきたのだろう。あの自信はどこから来るのだろう。彼女は、その行動においては筋金入りのリアリストだ。何か確証があるに違いない――。考えを巡らせていた私に向かって、彼女の人形が乾いた私の着物を持ってきて、またもや頭に叩きつけてきた。
 アリスは紅茶を飲み干して立ち上がると、つかつかとブーツの音を立てながらカバンのところまで歩き、それを拾い上げてしっかりと肩に提げた。
 こちらを振り向いて、期待に満ちた眼差しで私に告げる。
「昨日、その茸の胞子を観測したわ。ここ数日、出続けているの。――その胞子、その辺にあるものの周りに集まると、光が交錯してそのものの影に光輪(グローリー)が見えるのよ。七色のね」
 そして今日。季節としては遅めの春雷――確か、雷は龍の訪れを告げるものだ――があり、雨が降って湿気も十分だ。龍脈が活発化し、尚且つ胞子を観測し、多分な湿気を帯びる。この条件が揃うのを、彼女は待っていたのだ。
 いつの間にか、あれだけ降っていた雨は止んでいた。
「この家に居てもいいけど、間違ってもついて来ちゃダメよ。胞子が着床すれば、だんだん瘴気も濃くなる。私でさえペンダントが無いと次の日には屍同然なのよ。魔理沙、貴女も命が惜しければ、森の南側には決して来ないこと。いいわね?」
 アリスは念を押すように私の額を突付きながら、高圧的な態度で私を頷かせると、満足したように人形を数体従えて家の戸を開けた。
「鍵は居間の裁縫箱の近くにあるわ。出て行くならしっかり閉めて行ってね」
 そう言い残し、アリスは出て行ってしまった。空しく解き放たれた扉が自重によって軋む音を立てながら引き込まれるように目の前で閉まった。それが尚更寂寥感を掻き立てる。行きたいのに行けない。こんなに辛いことがあるだろうか。それも相手は幻と名がつく茸ときた。
 今日しか見れない。今日を逃せばいつまで待てばいいのだろう。
 今の私にはわからなかった。わかるはずもない。私は適当な部屋を探して乾いた衣服に着替えると、居間へ戻って鍵を引っつかみ、扉を打ち破る勢いで開け、蹴って閉めると鍵を乱暴に差し込んでひねくり回した。扉が閉まったのを、ノブを壊れてしまうかというほどに回し揺らし確認すると、箒にまたがって、雨上がりの夜空を見ながら、アリスのいる方向――南へと飛び立った。
 先ほどまでの雨など嘘だったかのように星が瞬く夜空に浮かぶ月は、どうしようもなく紅く見えて、鬱蒼とした森を過ぎ行く風は、どうしようもなく懐かしい匂いがした。


     §


 私の胸の前で、お母様からもらったペンダントが緑色に光りながら揺れている。
 辺りを見回すと、そろそろ幻視か可視魔法を使わないと視界を確保できないほどの胞子と瘴気に満ちていた。どうやら私の読みは正しかったようだ。
 温暖湿潤の気候、加えて雷雲による龍脈の活性化。幻の茸が着床していれば、きっと龍脈穴により、猛烈な瘴気と共に成長しているに違いない。
 私は幻視と、私を取り囲むように辺りを偵察する人形を使い、瘴気の濃い方に歩いていく。その茸は普通の倒木や腐葉土に着床するのではなく、霊力に満ちた場所に生える、ある霊木があるのだが、それの表皮に寄生するように着床する。その上、魔界や魔法などの瘴気がなくては成体に育つまでに菌が霊木の霊気にやられて死んでしまう。元々は魔女や魔法使いの成れの果てとも呼ばれており、胞子は外界から身を守るためにローブのような黒い皮に包まれ、風に乗ってどこか、それこそ霊力と魔力が両立するような場所に運ばれるのを待つのだという。
 そういう意味では、この幻想郷はまさに幻想郷――桃源郷や理想郷といったものに違いないだろう。全ての条件が揃っていること、そしてこの茸の胞子を観測したこと、それらに気づいたときの興奮などは、筆舌に尽くしがたかった。
 そして今日。そう、機会は今日しかない。
 今日を逃せば、多分向こう何百年はお目にかかれないだろう。逃すわけにはいかなかった。
 私は地図を広げると、人形たちをセンサーベースとした地理感覚を元に、特別瘴気の濃い場所――龍脈穴があるであろう位置を確認した。前もっていくつか調べておいたものの、この魔法の森だ、元から何時間とは探していられない。夜明けには茸も胞子を放出しきって枯れてしまう。数個まで絞った候補点を、この夜の中で、しらみつぶしに探すしかない。
 そう思った矢先。
 もうすぐ一番可能性の高い候補点に着くというところで、背後、数十メートル先に配置した人形が一直線に私へと向かってくる物体を感知した。
 こんな場所で普通の動物や人間が生きていられるわけがない。ましてや、魔理沙が来れるはずもない。普通の人間だったら、数分と経たずに肺がやられて、溺れるように死んでいくはずだ。
「――誰!?」
 大声で叫んだが、それも届かない。私は槍を抱えた人形を一小隊取り出すと、飛来する高速の物体に向かって突撃させた。
 この瘴気だ、魔界の生物だとしてもおかしくはない。高位だったら厄介で、下位だとしても数がいれば手こずるだろう。
 人形たちが、槍を構えて高速物体と激突した。手先に感覚の宿る私の人形が、高速物体に触れて、驚愕の事実を私へと伝えてくる。
 それは魔力に覆われていて、鋼鉄の槍も届かなかった。人形が弾き飛ばされる感覚と、私の幻視がそれを視界に捉えるのとは同時だった。私は最後の手段として、直接魔力を放つことができる上海人形を構えていたが、撃つことはできなかった。
 それどころか、撃とうとも思わなかった。
 幻視が捉えたのは、星屑。
 瘴気を散らし、光を放ちながら突進してくる、箒に乗った黒傘帽の大馬鹿者。
 私の唇が震えた。あの馬鹿はここへ死にに来たのか。そうだとしても、どうやって来たのだろう。まさか、ここまで息を止めていたとでもいうのか。幻視も使えないのに。
 箒に乗って、私がここにいることをあてに?
 ――なんて賭けを。
 私は人形を操る糸を一時期的に離した。
「魔理沙っ! あんたって人は――」
 私が叫ぶのと。
「アリスかっ! いると思ったぜっ――」
 箒に乗った大馬鹿者が、私の目の前で急に減速し、身を翻して箒を離して、私へ向かって飛び込んでくるのは、同時だった。
 期待に満ちた声が私の耳に響く。私の胸で揺れるペンダントの緑光が瘴気を無効化して、喜び勇んで飛び込んでくる彼女の素の顔を鮮明に映していた。
 私は彼女を受け止めて――勿論、加重に耐え切れるはずもなく、そんな筋力や運動神経があるわけでもなく――草木が茂り、木の葉が落ちる森の地面へと仲良く飛び込み、何度か転げ回った。
「痛たた……」
 しばらくして、私はようやく起き上がると、頭を打ったのか頭上で鈍痛が響いていた。
「ふぅ……いやー、助かった。やっと息ができたぜ」
 胸元で声がする。私に抱きつく形で、安堵したように魔理沙は呟いた。次いで、彼女は顔を上げると、いつも通りの、暢気で快活な笑顔を私へと向けた。
「よう、アリス。どうだ、来てやったぜ――いてっ!」
 言い終わる前に、私は彼女の頭へと本気で手刀を叩き込んだ。そして、恐らく彼女と会ってから一番冷たい目で彼女を見据えた。
「あ、アリス……?」
 それに驚いたのか、魔理沙は急に不安げな表情を浮かべた。私は息を大きく吸い込むと、力の限り怒鳴ってやった。
「この大馬鹿――っ! なんで来てるのよ! どうだ? 来てやった? 馬鹿じゃないの! この瘴気があんた一人でどうにかなると思ってたの? 数分で肺をやられて死ぬわよ! 助かっても確実に後遺症が残るわ! 来るなって言ったじゃない! 来ていいなら来ていいって言うわよ! 人の気持ちを無碍にしてそんなに楽しいの? 短い人生棒に振って楽しい? 私がいなかったらどうなってたと思うの? ねえっ!?」
 急に大声を出したからだろう、魔理沙はびくん、と身をすくめると、目を丸くして、空いた口が塞がらない様子で、私の怒声をただ聴き入っていた。私は一気にまくしたてると、頭に上った血が降りてきて、肺が空気を求めて動いた。荒い息が整うまで、彼女の肩を掴んでいた。
 そして、そのまま彼女を抱き寄せた。
 魔法も何もかかってない生身だった。これでは飛ぶだけでも肌が瘴気にやられてしまう。低空で魔法の森を飛び切ることも不可能だ。なんて馬鹿なのだろう。なんて命知らずなのだろう。この時ばかりは、いつもは広く見える彼女の肩がやたら華奢に見えた。
「死んだら……幻も何もないじゃない。全部終わりなんだから……馬鹿ね」
「あー……うん。すまん」
 魔理沙は俯くと、申し訳なさそうに一言、ぽつりと呟いた。
「……ごめん」
 一息を挟んで、もう一度、彼女は呟いた。
「……はぁ。もう。仕方ないわ。次は無いわよ。いいわね? ……この霧じゃ上空へ出るのも難しいだろうし、一緒に行きましょう」
「ほんとかっ?」
 私は深くため息をつくと、渋々彼女の同行を了承した。言葉を言い終えた途端に、魔理沙は急に明るい声で笑みを浮かべた。本当に表情がころころと変わる人間だ。
「いやー。よかった。一時はどうなることかと」
 私は再び彼女に手刀を叩き込んだ。勿論、今度は弱めだけれど。
「――いてっ。何だよ」
「調子乗らないの。魔理沙、貴女、自分の服とか肌とかよく見た方がいいわ。瘴気にやられてる。薬は持ってるの?」
「えっ? ――うわっ、何だこれ。赤いし……痛っ、腫れてる?」
 魔理沙は驚いた様子で自らの体のあちこちを見ていた。他は帽子なり服なりで多少防げているものの、腕がひどかった。赤く腫れ、少し爛れる有様だった。それもそのはず、今この周辺の瘴気は、少なく見積もっても、いつもの数十倍から数百倍のものだ。人間じゃ持つはずがない。私でもペンダントがないと持たないだろう。
「……薬は?」
「あー……うん。その、何だ」
 再度聞き返すと、魔理沙は予想通り口ごもったので、私は持ってきていた軟膏をカバンから取り出した。
「やっぱり忘れたのね。ほら、腕出して。塗るから」
 よく見ると、瘴気は皮膚より下には浸透してないようだ。私は安堵のため息をつきながら、薬を塗って、包帯を巻いてやった。
「全く、世話がかかるんだから」
「悪いな。ありがとさん」
 魔理沙は紐で繋がれていた帽子を再び被ると、私に身を寄せながら、困ったような表情を浮かべた。
「なあ、アリス。来てみて思ったんだが」
「何?」
「……瘴気を打ち消すペンダントって一つだけだろ。どうするんだ?」
 まさか考えなかったわけではないだろう。
 だが、考えて、結論が出ずとも〝行けばなんとかなる〟というのが彼女の信条だということは、経験上わかっていた。
 しかし、まさかここまでとは。
 私は凄まじい脱力感に見舞われた後、目の前が暗くなる一歩手前、という感覚を体感した。希望論に身を任せるのもここまで来るとただの無鉄砲だ。
「知らないわよ。包帯でぐるぐる巻きにならしてあげるから、とっとと上空に抜けて帰りなさい」
 私はどうしようもなく下がる肩をすくめながら冷酷に言い放った。
「というか、このペンダントってマジックアイテムだよな。効力は何だ? 仕様はどうなってる?」
 魔理沙が帰りたくない一心からだろう、必死に食い下がってきた。
「もう一度言うわ。知らないわよ。〝身に着ければ大丈夫〟って言われただけだもの」
 私がカバンから包帯と、いくつかの塗り薬を出そうとカバンに手をかけた。
「そうか! 身に着ければ大丈夫か。全く魔法は偉大だぜ」
 魔理沙は嬉しそうに私に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと? 魔理沙、何を――」
「動くなよ。危ないぜ」
 魔理沙はそう呟きながら、慌てる私の首に手を回すと、何を考えたのか――ペンダントの鎖を外して、それを手に提げた。これでは私が危ない。この馬鹿は何を考えているんだ。
「ちょっと! 何してるのよ! まさか私を置いて行こうっていうんじゃ――」
「違うぜ」
 私がそれを取り戻そうと暴れると、彼女は私を押さえつけて冷静に口を切った。
「何が違うのよ!」
「アリス、左手空いてるよな。出してくれ」
 何を考えてるのかわかったものではないが、彼女の強い調子に押されて、私は渋々左手を差し出した。すると、彼女はペンダントを持った右手で、私の手を握ってきた。
「これなら二人とも身に着けてるよな。多分大丈夫だ」
 私の左手には、そう言ってからからと笑う魔理沙の、柔らかくて温かい手の感触が伝わってくる。
「こ、これで移動するっていうの? こんな状態でとっさに行動なんて――」
「ああ、その辺はほら、ナローなら左手でも撃てる」
 魔理沙は得意げに左手で八卦炉――彼女の宝物で、自在に魔力を熱や光線に置換して放てるマジックアイテム――を掴むと、くるくると回して弄んだ。何事も力任せな彼女の魔砲は、確かに私のものよりも破壊力がある。
 だからといって、そういう問題ではないのだ。
「で、でも手を繋いでっていうのは」
「嫌か? 別に気にすることじゃないだろう。人形は操れるか? センサーが必要なら、私のオーレリーズがある。さっきもそれで大体の位置を割り出したんだ。代用が利くぜ」
 なるほど、闇雲に突っ込んできたというわけではないらしい。だとしても、相当の間、息を止めねばならなかっただろうし、瘴気を考えると褒められたものではない。そもそも無茶が過ぎていて――というか、そういう問題ではない。
 何故かわからないけれど、手を繋ぐというのは、両者間に何かしら特別な意図があって然りなのだ。だから、私にはどうにも、手が温かいだとか、柔らかいだとか、彼女からかかる力加減や、彼女を流れる血の廻りだとか、人間らしいそれらを意識してしまって、心臓が早鐘を打ってしまう。
 そのために、思考が乱れる。別段、気に入らないとかそういうものではないのだけれど……とにかく、私には合わない。
 だからといって、それを断り、別の方法を探すことを提案するほど、私は頭が回らなかった。
 仕方ないのだ。割り切るしかない。
「まぁ、それならいいけど……」
 私はぼそりと呟くと、魔理沙は空いた左手をぐっと握り締めてガッツポーズを取ると、嬉しそうに笑った。
「よし! 決まりだな。それじゃ、地図とかあるか? 地理が全くわからなくてさ。教えてくれよ」
 やはり考えがなかったか。まぁ、彼女はそういう人間だ――いつも通りといえば、いつも通り。もう仕方がないと、それこそ割り切ることにして、私は彼女に説明を始めた。
 目星をつけた地図のこと、数時間しか猶予がないこと、外見は本で見た通りであるかはわからないこと。その茸が寄生する霊木のことや、強力な幻覚作用、致死性の内毒、本に書かれている特徴などは、教え得る限りのことは、なるべく短時間で教えた。彼女はそれに――こういうときだけは、彼女は天才ではないかと思うほどに――完璧について来た。教わることが上手なのだろう。数分後には、彼女は私が教えた地理から茸の内容までの全てを覚えていた。
 それが少し気分がよくて、上機嫌になった私は、それと、と付け加える。
「このペンダントで二人分はカバーしきれないわ。瘴気が直に出てくる龍脈穴付近や、茸の周りなんかには、10分くらいいるのが精一杯よ。……多分ね」
 魔理沙はその言葉を聴くと、左手で八卦炉をくるくると回しながら、頼もしい笑顔を作った。
「それだけあれば十分だな。早く行こうぜ」
 それから、魔理沙は箒に紐を結んで背中に背負うと、オーレリーズシステム――魔力を込めた遠隔型のビットを操作するシステム――を起動して、空中へと四散させた。私の人形とは精度が異なるが、オーレリーズは大きさによって魔力消費を変えることができるので、魔力効率はこちらの方がいいのかもしれない。
 こうして私たちはその茸を探し始めたのだが、魔法の森は地盤が岩石でできているのか、思わぬ場所に崖があったり、大木が倒れてできた地下数メートルの岩穴があったりと、実際に細かく調査してみると、目星をつけた場所は確かに龍脈穴があってもおかしくないが、今回は出ていないようだった。
 しかし、この瘴気の量からして、辺りに龍脈穴と魔界の穴があり、その茸が生えているのは間違いない。私たちは地図をしらみつぶしに探した。木々が取り囲む大岩の下、大小様々朽木が転がる柔らかい場所、特殊な薬草と苔が茂る群生地、丁度地面に穴が開くように根付いた大木――私が目をつけたのはそんな場所だったが、どれも外れだった。
 魔理沙は茸がびっしりと生えた倒木を小突きながら、つまらなそうに首を振った。
「これも外れだな。後はどこだ?」
 その横で、私が片手で地図を広げる。瘴気の濃い部分は、粗方探し終えたところだ。
「時間もないわ。そもそも、これ以上はあんたが持たないわよ」
 私は若干焦りながら言った。魔理沙は首に『寒いときや瘴気が濃いときに使う』というマフラーを巻いているが、そんなもので軽減できるのなら、そもそもペンダントはいらない。私は地図に目を戻した。残っている場所のうち、近いものは、ここから多少離れている、丘状になっている場所だった。
 私は地図を魔理沙に見せ、その地点を示した。
「ここからだと、ここが近いわ。段差が多くて、地盤の岩石が散見できたの。危険だけど、穴が出る可能性も高いわ。本命の一つよ」
「そうか、じゃそこに行くとしよう」
 魔理沙はそう頷いて、私の手を引いた。私は慌てて地図をしまうと、つまづかないように気をつけながら魔理沙について行った。長時間いると危険な場所だというのに、彼女はそれを気にすることもなく、その表情は期待に満ちていた。未聞、未開。彼女が求める知識に、少しでも掠るような出来事があれば、彼女は驚くほど勇敢に、危険を顧みず喰らいついて行く。
 その姿はどうしようもなく真っ直ぐで、感情は澄み渡った一点に終着し、引き絞られた弓矢のように、一途にそれに向かって駆けて行く。
 どうしてかはよくわからないが、私には少し眩しかった。繋いだ手が更に温かくなった気がして、私は度し難い感情に、奥歯を噛んだ――基本的に、私は揺れ動く感情が好きではない。それが恐怖や憎悪、嫉妬のような負なものならまだいいかもしれない。だが、正の感情――羨望、欣快。見ていて負の感情の沸かない、清清しささえ感じる、透き通った感情が私を動かすのは、どうしようもなく嫌いだった。
 私には合わない。私には少し眩しい。私にはなれないから、なり辛いから、かもしれない。
 純情。魔理沙のそれは、そう呼ぶに相応しかった。私の手は、それを私に伝えてはくれない。彼女の夢は私の夢ではない。たとえ、追い求めるものが一緒だったとしても。――彼女は私に、そういう意味合いでの、彼女の感情を伝えたりはしないからだ。
 そういう柄ではないのだ。きっと、私は。
 ぼんやりと、だが確実に私の心を抉る、そんなことを考えながら、魔理沙に引き連れられて道なき道を進むと、一際段差が深い場所に出た。岩壁が迫り出している。上がるには、両手を使わなくてはならなそうだ。
「私が先に行くぜ。手、出すから、早めに上がってくれよな」
 そう言って魔理沙は息を止めて段差をよじ登り、幻視もできないというのに、私に向かって真っ直ぐに手を伸ばしてきた。私はその手をペンダントを持った手でその手を掴んだ。同じ女のものとは思えない力で引き上げられて、私は少し戸惑いながらも、それを頼りに段差を上がった。
 息を止めていた魔理沙が、振り向いた先で、吐息するはずの息を呑んだ。
「おい、アリス」
 私もその光景を見止めて、同じように驚いた。
「ええ、間違いないわ。――あれが龍脈穴よ」
 私たちが段差を登った先、幻視ですら全てを捉えることの難しい、膨大な胞子が、一つの穴から、上空十数メートルというところまで上がっていた。一目でわかる。あそこに、私――そして不本意ながら魔理沙の追い求めている、茸がある。
 気づかぬうちに、私たちは駆け出していた。ここまで瘴気が濃いと、時間がない。会話もいらないだろう。二人の中に、共通の概念が流れ込んでいた。私は片手で瓶を取り出すと、魔理沙に手渡した。魔理沙はナイフを取り出して口にくわえると、無言で差し出した瓶を受け取り、頷く。
 早く。そして、的確に。その茸を取り、持ち帰る。
 ――その概念が、私たちにはあった。
 魔法の森には、幻覚作用を及ぼす茸が多数存在する。その胞子が、そして様々な茸たちが放つ瘴気が、魔法の森から、人間はもとより、妖怪たちを遠ざけ、魔法を助け、魔法遣いを呼び込む理由になっている。
 数ある茸の中でも、最も幻覚作用が強く、瘴気が濃く、〝意思を持つ〟とさえ言われる茸。それが今探している茸だった。魔界のもので、私も見たことがない。お母様でさえ、数度しか見たことがないらしい。文献にも、古いものにしか記されていない。魔界の言葉は、筆にし難いが、日本語で言う〝魔女〟という名前だった。そして、それは群生することで、瘴気の濃度を保ち、種のように外殻に覆われた胞子を放出する。胞子はそこらじゅうに飛散するが、数日で乾燥し無害化、瘴気と霊気を当てられない限り、活性化することはない。
 しかし、一度幻覚に当てられれば、幻と現実との区別がつかなくなり、その体は人形のように茸に操られるようになるという。茸が意思を持つ、というのは理解しがたいが、本人は現実を見ている気になっているのに、茸のために魔法を使ったり、他人を殺したり――まさに魔の物の如く、茸を守るように働くのだという。
 文献には、詳しくは解析されてないものの、私が思うに、防衛本能などの、根本に働きかける成分を含んでいるのではないだろうか。そうだとしたら、私の目指す〝自律人形〟作成への、大きな手がかりになるに違いないと、私は思うのだ。
 私たちは地面に空いた、直径三、四メートルほどの大きめの穴に辿り着いた。漏れ出す瘴気と、胞子の郡。この辺りは地下に水脈が走っていて、コウモリなどの棲み処となる、いくつもの洞窟が空いている。私が本命だと言ったのはこの理由によるものだ。地下に霊木が生えるのかはわからないが、胞子や瘴気からして、どうやらここで間違いないだろう。
 私は魔法燐を入れたランプを灯すと、魔理沙へと合図した。魔理沙は頷く。そうして私たちは、私を先頭に、ランプを掲げながら穴の中へと入って行った。
 中は轟々と音が鳴り、強烈な生の香りと、甘い死の香りがする空洞だった。地面に着くと、穴は横長に広がっていた。湿気に混じって肌を刺す瘴気も、目が眩む様な胞子も、群生が近いことを告げている。
 私たちは湿気に滑る地面に足を取られないように注意しながら、身をかがめて奥へと進んでいった。洞窟の途中途中に、小さな穴が空いていた。なるほど、ここから胞子や瘴気が洩れていたというわけだ。時折拳大の穴から、外が見えた。暗闇も、そう長くは持ちそうにない。私たちは急いだ。しばらくすると、広い空洞へ出た。
 そして――そして、私たちは言葉を失った。言葉すらも消え失せる何かが、どこかの隙間から胸へと捻じ込まれた、そんな、不意を突かれる感覚だった。
 光り輝く、膨大な魔力の蒼白い燐光。
 空洞の中央に、天井に空いた無数の小さな穴があり、雲の切れ間から顔を出した月の光が木漏れ日のように射し込んでいた。その下に、この洞窟に根付くように、黒檀にも似た霊木が生えていた。燐光はそれによるものだ。そして、その霊木に連なるように、隙間なくびっしりと、その茸は生えていた。
 漆黒の傘。群生する様子は、まさに魔女の密会――〝ワルプルギスの夜〟と呼ぶに相応しかった。
「これが……」
 小さく、魔理沙は一言、呟いた。
「ええ、早く取って戻りましょう」
 私も小さく応じて、私たちは茸の群生へと近づいた。心臓が高鳴る。一瞬、ぐらりと足元が揺れた気がした。物凄い量の瘴気だ。気をつけないといけない。
 私はナイフを取り出した。この茸の肉には、致死性の毒もある。気をつけないといけないだろう。
 私が用心した矢先に、魔理沙の手が不意に離れた。私は驚いたが、ペンダントは私の手にある。何故離したのだろうか。邪魔になったわけではないだろう。
 見ると、魔理沙は虚ろな目をしていて、手を離したことも気にしてない様子だった。そればかりか、急にナイフを振り上げると、私の目の前で霊木に生えた茸に向かって刺し始めた。狂ったように何度も、ナイフを振り上げては下ろし、その度に乾いた音が響き、茸の黒い傘や、真っ白な茸の肉が舞った。
「ちょっと魔理沙! 何してるのよ!」
 何度呼びかけても、魔理沙からは反応がない。私は焦ったが、理解した。これは魔理沙が幻覚にやられているのだと。〝このままでは茸が危ない。茸を守らなければ〟――と。
 私は何の躊躇もなくナイフを振り上げた。魔理沙を止めなければならない。止めるには物理的な攻撃が一番だ。この茸はとても貴重なのだ。守らなければ。
 しかし、魔理沙は私に気づくと、私の腕を掴んできた。何をするというのだろうか。私を止めるな。私は茸を守らなければいけないのだ。
「魔理沙! やめなさい! 離しなさいったら! 邪魔よ!」
 強烈な使命感に襲われた私は、無我夢中で彼女の腕を振り解こうとした。彼女は何か叫んだようで、耳元に何か音が打ちつけられたが、私には届かなかった。そんなことよりも茸だ。茸が危ない。私の頭にはそれしかなかった。
 その私の耳に、悪いな、という声が聴こえた気がした。
 そして、急に視界が遮られ――私の口に、何か柔らかいものが当たる感触があり、次いで強烈な苦味が頭の中に斬り込んで来た。意識がこれ以上ないほどにすっきりして冴え渡り、目の前がぼんやりしていたことに、はっきりした今になって気づいた。
 視界を遮っていたのは、魔理沙の帽子だった。魔理沙は唇を私から離すと、苦々しい顔で眉根を寄せながらも、笑顔を作った。
「よう、起きたか? 生憎、両手が塞がっていたんでね。気付け薬は苦かっただろ」
 なるほど、この苦味は気付け薬だったのか。あれ、ということは、私は今まで一体何を見ていたというのだろう。
 というよりも、私は今彼女と何をした? 〝両手が塞がっていた〟?
 では、その、私は、彼女と。
 そういうことは異性とするものであって、いや、しかし、今は緊急時であって――思考がすっきりしたところへと、状況が堰を切って雪崩れ込んでくる。思い出せば出すほど、記憶の輪郭がはっきりすればするほど、顔が上気するのを止められなかった。
「魔理沙? ……一応訊いておくけど、私、幻覚を見てた?」
 魔理沙は安心したように一息つくと、肩をすくめた。
「ああ、急にナイフを振りかぶって私に襲い掛かってきたよ。まさかアリスが幻覚にかかるとは思わなかったぜ。少しばかり引っかいたが――まぁ、刺されずに済んでよかったよ」
 よく見ると、魔理沙の腕には、紅い線が引かれ、血が滲んでいた。傷口から瘴気が入っているのか、腕がどす黒く染まってきている。私がやったというのだろうか。何てことをしてしまったのだろう。急に冷や汗が背筋を伝い、それがそのまま凍ったかのように、冷たい事実が私の底へと降りてきた。
「魔理沙っ? だ、大丈夫? ごめんなさい、私、その――」
「まぁ、言い訳は後だ。私は今、ここを出たい気持ちでいっぱいいっぱいだぜ」
 魔理沙は瓶が入った袋を私に投げてよこした。見ると、根を残し、かつ傷一つない素体を瓶に入れたものが数本――十分な量、詰まっていた。彼女は持ち前の手先の器用さ――手癖が悪いとも言うが――で、先ほどの短時間でこれだけの量を刈り取ったというのか。
「これだけあれば十分だろう。時間がないんだ。一気にここを出るぜ」
 魔理沙はそう言うと、ペンダントと箒を私に渡して、背後に回るように指示した。帽子から八卦炉を取り出した辺りで、悪い予感が私の脳裏を過ぎったが、止めることもできないだろう。いつも通りといえばいつも通りに、半ば諦めながら、彼女を呼び止めた。
「ちょっと! 魔理沙、まさか――」
「そう、そのまさかだ」
 魔理沙はいつも通りに頷いて、八卦炉を両手で掴むと、魔力を込めた。茸の群生と、天井に向けてそれを構える。
「オーレリーズを作った誰かさんが言ってたぜ。〝魔女の夜(ヘクセンナハト)はかがり火で締めるのが定番だ〟――」
 そうして、魔理沙は快活に、それでいて獰猛に、にやりと笑ってみせた。
「――〝この日だけは、魔女は魔女らしく〟ってね。これだけ盛大な宴だ、特大のかがり火をプレゼントしてやろう。持っていけ!」
 チリチリと空気を焦がす音と、火花を散らす閃光が、彼女の手のひらで回る八卦炉の炉内から洩れ出てくる。彼女が叫んだ。
「ファイナル、マスタァァァースパァァァーークッ!」
 虹色か、真白か、全てを含んだ彩光が、八卦炉と天井を繋いだかと思うと、空気が揺れて、霊木が掻き消え、熱によって融解した茸が焼ける音を立て、天井は魔砲を跳ね返すことも忘れたように砕け、魔砲の残光が夜空に消えるまで、彼女と空を繋ぐものは何もなくなった。
 彼女の最高にして最大の魔法。どこまでも力任せで、どこまでも一途な魔砲だった。
 空いた穴からは、清清しい外の空気と、冷たい夜空と、本物の星と、輝く月が覗いて見えた。
 八卦炉を帽子にしまい、振り返った彼女は、柔らかな笑顔を私に投げた。
「どうだ。すっきりしただろ?」
 そして、帽子を押さえながら、もう片方の手を私へと伸ばしてきた。
「〝茸の幻覚作用は、使用者の精神に大きく作用する〟。それと共に〝使用者の精神状態に大きく左右される〟――幻覚作用を持つ菌類・薬草類の初歩的な魔導書に書いてあるぜ。外部から作用する幻覚とはいえ、自分の器官、自分の精神だ。慣れれば正気を保つことも、立ち直ることも難しくない。――特別な場合を除いて」
 魔理沙は淡々と話を継いだ。その瞳の奥に、少しだけ――憐憫や、憂いといった翳(かげ)りが見えたような気がして、心が揺らいだ。
「この日のために準備してきたんだ。疲れていたわけじゃないだろ。……心が弱ると、そこにつけ込まれる。怯えや不安、動揺――」
 ちょっと待て。まさか、彼女は私に説教でもしようとしているのか。
「ちょっと待ってよ。その言い様じゃ、まるで私が精神的に弱いと馬鹿にしてるみたいじゃないの」
 魔理沙は私に口を挟まれて、手を引っ込め、一瞬驚いたように目を丸くしたが、その奥で、また、悲しいような翳りを見せた。またか。私をどう見ているというのだろう。私はそんなに弱いだろうか。
「さっきは助かったわ。でも、そういうことを言われる筋合いは――」
「ああ、いや。そうじゃ、ないんだ」
 魔理沙は表情を見せないためか、帽子を深く被ると、たどたどしい口調で私の抗論を遮った。
「私が言いたいのは、せっかくこうしてまたタッグを組んだんだ。もっと、私を、信――」
 ふらふらとした足取りで私へと向かってきて、私が危ないと思った瞬間に、魔理沙は軸を失い、踏み出した足を外した。とっさに、私は足を踏み出して、彼女を抱きかかえていた。どうして動いたのかはわからない。反射はいい方ではない。しかし、どうしてか、体が動いていた。
 見ると、腕の傷から入り込んだ瘴気が浸透したのか、腕が黒く腫れ、額には熱を帯びていた。唇は湿気た吐息と共に今もかすかに動いていて、何かうわ言を言っているようだが、聞き取れなかった。
「魔理沙? 魔理沙っ! ――ひどい傷。早く手当てをしないと……」
 私は彼女を抱きかかえると、人形たちを放して魔理沙が開けた穴に待機させると、人形たちから伸びる魔法糸を使って、穴から脱出した。
 魔理沙の容態は酷かった。夜風はまだ冷たかったので、ケープを魔理沙にかけると、人形に引き連れられる形で、私たちは私の家へと急いだ。
 家に戻ると、私は大急ぎで湯を沸かし、薬草を整え、人形たちを総働きさせて、魔理沙の看病にあたった。よくよく考えれば、たかが人間の小娘だ。何故そこまで必死だったのかはよくわからない。けれど、そのときはそういう問題ではなくて、洞窟を出る直前に、魔理沙が言いかけた言葉が、私の頭の隅に引っ付いて離れなかった。
 魔理沙をベッドに寝かせて、粗方の処置が終わったところで、私は疲れてベッドの横に置いた小さい椅子に腰掛けた。あれほどの範囲の毒を抜いたのは初めてだったし、人間の介抱なんてここ最近やってなかったから、慌しさも加えて、泥棒でも入ったのか、というほど書庫を荒らすはめになってしまった。
 二回ほど濡れた布巾を変えたところで、今日一日の疲れもあって、私は眠くなってきた。上海に紅茶でも持ってこさせよう。そう思ったものの、もう指先一つ動かすにも、相当な集中力が必要だった。
 近場に寝る場所は――そう思ったところで、眼前には私のベッドが広がっており、そこには私が介抱した魔法使いの少女がようやく静かな寝息を立てているところだった。別の場所にベッドはある。しかし、そこまで行く気力も、私にはなかった。
 私は吸い寄せられるように魔理沙の寝ているベッドの傍まで行き、使ってない毛布を一つ、ありったけの気力を注いで持ってきて羽織った。そして、魔理沙と一緒に寝る気にはなれなかったのか、はたまた怪我人に遠慮をしたのか。私自身、判断はつかなかった――ベッドに寄りかかる形で倒れこむと、意識が崩れ落ちるように、暗く深い夢の底へと、ばらばらになりながら落ちていった。
 その最中、意識の一片。
 どうしてか、よく澄んだ声が頭に響いた。聴き覚えがある声だ。
 聴こえたのは、魔理沙の言葉だった。
 ――もっと私を信じてくれ。
 そう言っていた気がした。それを聴いた瞬間、暗かった夢に淡く温かい光が灯ったような気がして、私は意識の中で微笑んだ。
 ああ、そうか。私の中にずっと引っかかっていたものが、解かれたか、外されたか――説明がつかないが、何か、解放されたことは確かだった。
 そして、私はそう言われたかったのだ。
 それにも、気づいた。


     §


 いつも通りの朝らしかった。
 私は目を開け、顔を上げた。どうやらもう日が昇っているようだ。昨日が昨日だっただけに、疲れていたのだろう。体の節々が悲鳴を上げている。
 窓に水滴がついている。昨日は冷えたらしいが、私は毛布に包まってベッドに寝ていたので寝冷えもしていなかった。快適といえば快適な目覚めだ。
 そうして、私はベッドの中で伸びをして――それができないように、隣に何か柔らかい生き物がいて、それを小突いたことで、ようやく気づいた。
 その生き物は、殴られたことで目が覚めたのか、金髪を揺らして起き上がった。
「あー?」
 開口一番、事態が把握できないような素っ頓狂な声を上げて、周りを見回した。私の部屋。私の人形たち、私の机、椅子、ベッド、雑貨から本棚――そして隣にいる私。
 驚いて固まっている私に、魔理沙はまだ半分幸せな眠りの中にいるかのような笑みを見せた。
「ああ、おはようさん」
 おはよう、と返したつもりが、言葉が出ずに口だけがもごついた。
「そうだったな。昨日は連れてきてくれたんだっけか。手当てもしてくれてるな。助かったよ。ベッドは一つしかなかったのか? ――まぁ、寒かったしいいか。こういうのも悪くはないぜ」
 魔理沙は完璧に目が覚めたようで、記憶を辿るように口を回した後、自分の体を確認して、ひとしきり部屋を見渡して、それから私をもう一度見て、そして私のベッドに再び寝転がった。
 私はそれをどうしていいかわからない様子で見ていて、内心はとても混乱していた。疲れているときに寝ぼけた行動をすることはよくあることかもしれない。だが、怪我人がいるというのに、私は身を預けただけのはずのベッドに入るばかりか、大胆にも一緒に寝てしまったというのだ。寒かったからか、魔理沙が入れてくれたのか、今となってはよくわからない。
 思考だけが雀が鳴き、朝日が射し込む部屋でいつも以上に回っていて、体はいつも通りに動かなかった。
 その私の隣で、魔理沙が大きな欠伸をした。
「なあ、もう少し寝てもいいよな。疲れてるんだ」
 魔理沙はそう言いながらも、早くも眠りに足をつけたような顔をしていた。
「え、ええ、いいわよ」
「そう。……おやすみ」
 私はそれだけをやっと口に出すと、魔理沙は枕に顔を押し付けて、幸せそうに微笑み、それを答えに再び寝息を立て始めた。
 朝食でも作ろうか。そう思いながらも、私の体は疲れが取れない、休ませろ、と反逆しきりで、いつの間にか、起こした体を寝かしていた。
 どうせ今はお腹が減っていないし、魔理沙も起きたら起きたで勝手にどこかに行くか、朝食が欲しければ私を起こしてでもねだるだろう。
 そう結論付けて、私の精神もベッドの魔力に屈服した。もしかしたら、一番強い幻覚作用を持っているのかもしれない――とも思った。
 それに、どうやら私は怪我人と一緒のベッドに寝ていてもいいという、ベッドでの住民権のようなものを得ているようで、このまま眠りに落ちても、隣にいる怪我人は文句を言うことはなさそうだった。
 私は毛布の隙間に吹き込んできた部屋の空気が寒い、という理由にかこつけて、彼女に身を寄せた。
 ふわふわと柔らく、健気に揺れる金色の髪。華奢な体に灯った温もりが、私にはどうしても嬉しかった。彼女の唇が動いた気がして、そして、また、あの言葉を告げたような気がして、私は目を閉じた。その言葉を反芻する。
 ――もっと私を。
「……信じようじゃないの」
 私は小声で言った。目を閉じると、また心地よい眠りが私を呼んでいた。
 起きたら早速、彼女と一緒に茸について調べよう。朝食は何がいいだろう。昼食になってしまうだろうか。一人にしても二人にしても、手早く食べられるものがいいだろう。
 それもまた、起きてからでいいかな。私は、記憶にあるレシピノートから無限に湧き出てくる朝食のメニューを、本に押し込んで閉じた。
 そして、私は目を閉じたまま、一言、この時、かの夜の出来事に、終わりを告げた。
「ありがとう。……おやすみ」





おしまい
読了、ありがとうございました。

はじめまして、そうでない方は二度目になります。くろのです。
まず、前回の作品にコメントいただき、ありがとうございました。励みになります。未だにコメントを読むと「やってしまった」的な後悔とコメントをもらえた嬉しさの板ばさみになります。もだえながらゴロゴロします。

今回は、とある個人に宛てて一年ほど前に書いたものを、許可をいただいたので投稿します。表に出るのは、これが始めてです。こういうのは、大丈夫なんでしたっけ……?

さて、今回もマリアリキノコという極めてありがちなネタなので、先輩方と被っているのではないかと思うとストレスで胃がマッハです。
投稿時期も、ヴァルプルギスの夜が5/31→6/1の夜ではなく、4/30→5/1の夜だと覚えておらず、時期を見て投稿しようと思っていたら一ヶ月遅れになっていてポルナレフ状態です。
そして、見直してから、昔書いた作品ほど生き生きとしている気がするのは、きっと私が疲れているからなんだろうなあ、とぼんやり思考しています。
でも相変わらず文字の詰め方がひどい……紙媒体なら、そうも気にならないのでしょうけれども。この辺もまだまだ課題ですね。

今回これを投稿するにあたり、このタイトルから連想するとなると某魔法少女さんしか思い描けなくなったりして、タイトルを変えようかものすごく迷いました。
でも某魔法少女アニメも好きですので、なんというか、これはこれでいいかなあ、とも思いつつ。僕と契約して魔法少女に(ry

百合やら恋人やら、というには少し遠く、でも友達とするには近すぎる――そんな距離感が好きです。
また機会がありましたら、そのときはぜひよしなに。ありがとうございました。
くろの
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コメント



0.1270簡易評価
12.100名前が無い程度の能力削除
面白かった。次があったら読みたいです。
14.100名前が無い程度の能力削除
次も期待
19.100sz削除
ラブコメもいいけどやはりこういう関係が原点だと改めて思った。
友達以上恋人未満、恋愛感情と認識する前の関係は、
カプタグは是であっても百合タグにはやはり至らないのかなと思います。
テンプレなんて気にしちゃいけない、発想は斬新に越したことはありませんけども、
王道だハンコだと言われても良作はいくらあってもいいものなのです。
次作も期待します。
27.100名前が無い程度の能力削除
すっごく優しい気持ちになりました。
がんばってください。応援してます。
29.100名前が無い程度の能力削除
2人ともらしくて良かったです。
35.100非現実世界に棲む者削除
素晴らしい作品でした。
こういうアリマリも結構好きです。