Coolier - 新生・東方創想話

霧雨魔理沙は顧みない ~博麗地下のスキマ基地~

2011/05/24 21:58:57
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※このお話は、前作「霧雨魔理沙は知りたくない」の設定を用いています。
※「霧雨魔理沙の非常識な日常」タグでそちらの作品が出てくるので、まずはそちらから目を通していただければ、随所の設定が解るかと思います。
※基本的に一話完結型ですので、前作「霧雨魔理沙は見たくない」は読んでいなくてもご理解いただけるかと。
※長くなりましたが、それではどうぞお楽しみ下さい。
















――0・ある日/森の一幕――



 深い瘴気に包まれ、昼間でも薄暗い“魔法の森”。
 この森はその妖怪すらも蝕む瘴気のせいで、瘴気にある程度耐性のある魔法や体質を持つ存在しか、暮らすことができないようになっている。

 私こと霧雨魔理沙は、魔法によって瘴気に耐性を身につけた、人間の職業魔法使いだ。

 この付近には、基本的に妖怪は居ない。
 居るとすれば脳天気な妖精たちか、同じく耐性を持った魔女くらいなものだ。
 だから、瘴気さえどうにかできれば、これほど安全な場所もない。

 しかしそれも、瘴気の発生する、決して広くない範囲に限られる。
 魔法の森を一歩出れば、様々な場所に繋がる。
 一番近いのは私の馴染みの店、香霖堂のある空けた土地だろう。

『グルルル……』

 そこまで出れば、もう死と隣り合わせの安全とはオサラバだ。
 生の安全が約束された、危険な世界が待っている。

「いい加減、しつこいんだよ!」

 襲い来る凶刃を、サイドステップで避ける。
 魔力の噴射に伴い身体が急加速、私の命を刈り取らんと迫る妖怪の爪をグレイズした。
 そのまま、振り向き様に妖怪の足下へ瓶を投げる。

「リーディングできたのは、こんなんばっかだぜ……魔廃“ディープエコロジカルボム”」

 土曜日の友人の“特技”を近くで見続けている内に完成した、魔法の爆弾。
 青白く輝き爆発したそれは、私の魔法研究失敗の産物だ。
 妖怪の精神すら蝕む、魔法の森の“瘴気のキノコ”……その威力、味わえ!

『ガァウッ?!』
「私に出会ったのが運の尽きだ……寝てろッ」
――ナロースパーク

 威力を抑える代わりに、発射速度と命中性能、それから放った後の隙を無くすと言うことに特化させた魔法。
 その白い閃光は、黒い狼のような妖怪を焼き、倒れさせた。

「頼むから、起きてくれるなよ」

 スペルカードルール。
 その重要さは誰もが理解していて、誇りある妖怪達はみんな、これを身につけている。
 異変もスペルカードルールの範疇で行っているし、誰も破るものは出ていない。
 偉いヤツらと偉いヤツらがどんな“約束事”を交わしているかなんて知らないし、知りたいとも思わない。

 それで守られている世界があって、皆納得している。
 けれど当然ながら、そもそもルールが理解できないものや、守ろうとしないものが居るのもまた一つの事実だ。

『ガ、ゥゥゥ……ソコヲ、ドケ』

 人語を解する、二足歩行の狼。
 こいつはそんな、スペルカードルールを守ろうとしない低級妖怪の一人だ。
 人里に向かおうとしていたところを捕まえて、今戦闘になっている。

 紫がどんな選別をしているかは知らないが、今日は珍しく遭遇することになった。
 こうして私が対処するのも、実は初めてではない。
 たまにこうして、野良妖怪の相手をすることはあるのだ。

『オオオオオオ……オオオオオオッッッ!!!』
「恨むなよ……」

 八卦炉を握りしめ、向かい合う。
 腐っても相手は妖怪、一瞬たりとも気は抜けない。
 だが一瞬の躊躇いが、私の反応を遅らせた。

――ドン!
「くっ……弾幕か!」

 妖怪が最後の力で、私の視界を覆った。
 魔法障壁でダメージを負うことはないが、妖怪を見失ってしまう。

「逃げたか?……いや、違う、上か!」

 咄嗟に空を仰ぐと、日差しを覆う大きな影が見えた。
 今更八卦炉を振り上げて、間に合うとも思えない。
 だったら、多少怪我してもいいから、ナロースパークで相手の動きを抑制して……。

 一瞬で方法を考え、左手を上に出す。
 だがそこには、偶然振ったのであろう、妖怪の手が垣間見えた。

「しまっ――」
――ドンッ
『グアッ!?』

 間に合わない……そんな考えが脳裏を過ぎったとき、私の横合いから輝いた光が、妖怪をはじき飛ばした。

 赤い光は妖怪の腹を焼き、掠り、通り過ぎていく。
 そして、その先にあった金髪のビスクドールに反射して戻ってきた光が、妖怪を叩き落とした。

「シーカーワイヤー……ちょっと、なに油断してるのよ!もう」
「アリス!悪い、助かったぜ」

 さも偶然通りかかったという表情で、けれど急いできたのか肩を上下させたアリスが人形を構えて佇んでいた。大方、遠目で見かけて急いできてくれたのだろう。

「目の前で怪我でもされたら、目覚めが悪かっただけよ!」

 腕を組んで、それからアリスは顔を逸らす。
 上気した頬の下、首元に巻かれたリボンの色は、緑色だ。
 魔法の森の隣人、私のパートナー……の、一人。
 火曜日のアリス・マーガトロイドが、肩を怒らせて近づいてきた。

「ひとまず、こう――して」

 アリスは倒れ伏した妖怪を一瞥すると、糸で縛る。
 それから、気まずげに私の方へ目を向けた。

「ねぇ、コレどうするの?私たちは普段私たちでどうにかしてるけど……」
「あー、そうか。それがあったな」

 倒して、それで終わりという訳にはいかない。
 私は帽子のつばを掴んで引き下げると、そのままため息を吐いた。
 放って置けば、また人を襲う。だから、どうにかしなければならない。

「私は普段、霊夢の所へ運んでいるんだよ。だから、手伝ってくれ」
「運搬ね。それくらいなら、その、い、一緒に行ってあげるわ!」
「おう、サンキュ」

 そんなんじゃないんだから!とか言いながら、アリスは妖怪を振り回す。
 アリスの身長の二倍はある妖怪を指の糸だけで振り回す姿は、恐ろしいものであった。
 ……なるべく、怒らせないようにしよう。

 人里を飛び越えて向かうのは、幻想郷の端。
 外の世界と内の世界の境界に置かれた、幻想郷の要。
 博麗大結界を守護する、私のライバルの住処。

 ――博麗神社へ向けて、私たちは幻想郷の空へ躍り出た。













霧雨魔理沙は顧みない ~博麗地下のスキマ基地~













――1・朝の前/博麗神社にて――



 博麗神社の境内に降り立つ頃には、縛り付けた妖怪もぐったりしていた。
 私と会話をしているとアリスが度々妖怪を振り回すので、どうやら一度目が覚めてもう一度気を失ったようだ。

 博麗神社の賽銭箱の脇から、横へ回り込む。
 そうして縁側を覗き込むと、案の定、目当ての人物が見えた。

「よう、霊夢!」

 鴉の濡れ羽色、とでもいうのだろうか。
 天狗たちとはまた違った、夜色の髪。
 脇が大きく開いた変形巫女服に身を包んだ、紅白の少女。

「魔理沙じゃない、お茶飲む?」

 彼女が私のライバル、“博麗霊夢”であった。

「おう、貰うぜ!」
「そう、台所はあちら」
「私が淹れるのかよ!」

 霊夢は、異変以外ではぐーたらだ。
 縁側で煎餅片手にお茶を啜る。
 日柄一日こんな感じで過ごしているのが、霊夢だ。

「もう、だったら私が淹れるわよっ。……はぁ、久しぶりね。霊夢」

 私の後ろに佇んでいたアリスが、一歩前に出る。
 言い方はつっけんどんな感じだが、どこか優しげだ。

 これは霊夢に気を許しているのではなく、懐かない猫が最初の内は眉をひそめて猫を被る、とかだいたいそんな感じなのだと、私は知っていた。

「――どこかで遭ったことあったけ?」

 ひでぇな、霊夢……。
 そして、“あった”のニュアンスが少しおかしい気がする。
 いや、これは気のせいかも知れないが。

「冬の異変も夜の異変も萃香の時も地震の時も会ってるでしょう!」

 アリスの地が出た。
 いやぁ、流石霊夢。妖怪の地を引き出すのが上手いなぁ。
 って、一触即発じゃないか!現実逃避している場合じゃないぜ。

「ああ、そういえば萃香の宴会で遭ったわね」
「いや、霊夢。他の時も会っているだろう?」
「そうだったかしら?」

 急に黙り込んでしまったアリスを尻目に、霊夢と会話を続ける。
 いや、これが爆発の前段階だったらまずいから、なんとか霊夢に思い出させないとまずいだけなのだが。

「冬と地下に、魔理沙と一緒に行ってたの、あと夜のと、地震のと……」
「うん?何を言って――」
「――ままま、魔理沙!私お茶淹れてくるわ!あと、本題を忘れないように!」
「お、おう?」
「アリス……“全部”アリスね、覚えやすいわ」

 霊夢が最後に何か呟いた気がするが、聞き取ることはできなかった。
 どうしたってんだ?アリスのヤツ。

 ひとまず、本題に入ることにして、私はアリスが切り離した糸の先端を掴んだ。
 なんにしても、これをどうにかしない限り、安心できないからな。

「さて本題だ。こいつ、どうにかしてくれないか?」
「うん?ぁあ、ルール違反の妖怪ね。面倒ねぇ」

 霊夢は妖怪を一瞥すると、その額に御札を投げて身動きを封じた。
 霊夢の御札は、流石博麗の巫女というだけあって強力だ。
 一度じっくり見せて貰ったことがあるのだが、一枚一枚見てもたいしたことないように感じられるのだが、こいつが使うと性能が段違いになる。

「いつも思うが便利だな。どこで作ってるんだ?」

 異変の度に、霊夢は大量の御札や針、それから陰陽玉を使っている。
 私なんかは魔力で生成したビットで、アリスは“全員”でちまちま作っている人形たちだ。なら霊夢は、一人で内職でもしているのだろうか。

「知らないわ。紫が提供してくるからね」
「ああなるほど。それもそうか」

 大量の道具を、どこで作っているのかと思えば。
 いや、考えてみればわかる事だったか。
 幻想郷の管理者である紫が、霊夢に力を貸さないはずがない。
 いつかの永い夜も、こいつは紫と二人で異変解決に乗り出していたし。

「ほら、お茶淹れてきたわよ」
「おう、サンキュ」

 アリスからお茶を受け取って、飲む。
 ……なんで緑茶もこんなに旨く淹れられるんだ?
 こればっかりは、今度水曜日のアリスにでも直に聞いてみよう。

「あら、ありがと。……うん、七十五点」
「厳しいわね……」

 いや、まぁ、霊夢の淹れるお茶は格段に旨いからな。
 紅茶なんか淹れさせてもそつなくこなすし、酒なんかも適当に作っているはずなのに旨いものが出来上がる。アリスとはまた違った、天才肌だ。

「それで、霊夢。貴女これどう扱う気なの?」
「あー、忘れてたわ」
「いや、忘れるなよ」

 お茶を飲んで一息吐いて、霊夢は漸く転がる妖怪に視線を戻した。
 目が覚めようと覚めまいと関係ない。
 霊夢の御札の前では、低級妖怪は赤子に等しい。
 ずっと霊夢の隣で霊夢を見上げてきた私には、それがよくわかる。

 そしてだからこそ……超え甲斐がある。

「アンタたち、それ飲んだら帰りなさい。面倒だけど、これを紫に引き渡さなきゃならないのよ。面倒だけど」

 本当に面倒なのだろう。
 二度も続けて霊夢はそう告げると、重く腰を上げた。
 異変が起きれば即――のんびりしてから、という時もあったが――解決に乗り出すというのに、普段はコレだ。

「そういうことなら仕方ないわね。ほら、行くわよ魔理沙」
「おう、っと……なぁ霊夢、これからそいつ、どうなるんだ?」

 幻想郷のルール。
 それを破ったとなれば、あの幻想郷好きな紫のことだ、相応の罰が下されるのだろう。
 私だって、幻想郷は好きだ。この場所があるから、私は前を向けるんだ。
 だからそれを脅かすヤツに同情だとかそんな気持ちは……きっと、無い。

 だからこれは、単なる興味だ。
 私の、好奇心だ。

「知らないわ。まぁ、悪いようにはしないわよ」

 霊夢の言葉には、どこか優しさのようなものが感じられた。
 霊夢は超然としていて人間離れしているけど、やっぱり人間らしさだってある。

 だから、博麗霊夢は私にとって、超え甲斐のあるヤツで――友達甲斐のあるライバルなんだ。

「そうか……んじゃ霊夢、またな!」
「それじゃあね、霊夢」
「ええ」

 短く答える霊夢を尻目に、アリスと二人で博麗神社を離れる。
 遙か空の彼方から見た博麗神社は、いつもと何一つ変わらない顔を見せていた。

 だからきっと、その空間が僅かに“歪んだ”ように見えたのは――きっと、気のせいだ。













――2・早朝/進撃の森――



 ――霊夢に妖怪を引き渡して、そう、ちょうど一週間後のことだった。

 いつものように、魔法の森を抜けて空を飛ぶ。
 向かう先は、人間の里。親に勘当された身ではあるが、人里から締め出された訳じゃあない。

 遭遇でもすれば気まずいかも知れないが、普通に買い物をするだけでは早々会うこともないので、気にしていないのだ。

「味噌を切らすとは、私も迂闊だな」

 独りごちても仕方がないのは解っているが、切れそうになった時点で買い出しに行くべきだったのだ。だがまぁ、そう思い立ったときに“あの”妖怪に遭遇してしまったのだから、仕方がないのだが。

「仕方ない、折角だから午後はアリスでも誘って、神社に……うん?」

 空を飛んで、その先。
 青空の狭間に見える、色とりどりの閃光。
 それは確かに慣れ親しんだ“弾幕ごっこ”なのだが……誰がやっているんだ?

 いや、片方は解る。
 赤い閃光が相手を取り囲み、攻撃判定を持たせて対象の動きを制限する技。
 火曜日のアリスのスペルカード……“注力【トリップワイヤー】”だ。

 だがその相手の弾幕は、初めて見るものだった。
 全体的に精度は低め、だがよく考えられたパターン作りから、弾幕ごっこをどの程度楽しんでいるかが見えた。私だって、弾幕ごっこは好きだ。これくらいは一目でわかる。

「もう少し、近づいてみるか」

 上空へ昇り、弾幕ごっこの邪魔にならないようにゆっくりと近づく。
 緑色のリボンをつけたアリスの相手をしている、黒い影。
 大玉の弾幕、展開速度は速め、だがパターン作りが単調すぎてアリスには全て避けられていた。

「どっかで見たことあるような気が……うん?」

 そう、最近、見たことがある。
 弾幕を、ではない。弾幕を張る妖怪を、である。

 アリスの放った閃光が、妖怪に当たる。
 妖怪はそれで体勢を崩し、そのままスペルカードブレイクとなった。
 拙い弾幕だが、それでもここまで保ったのは、アリスが相手の少し上の力量で戦うように調整しているためだろう。

『アリガトウゴザイマシタ』

 アリスに頭を下げる、妖怪。
 黒い体毛と、黒い目と、黒い爪。

「…………別に、いいわ」

 アリスの戸惑いが、こちらにも伝わってくるようだった。
 口調は拙いが、その目は輝いていて、弾幕ごっこを楽しんでいることが解る。

『デハ、コレデ』

 そうして去っていく、妖怪。
 あの妖怪は間違いなく――先週、私とアリスが霊夢の所へ運んだ、妖怪だった。

 妖怪を見送った後、私は急降下してアリスの隣りに立った。
 さほど驚いていないところを見ると、気がついていたのだろう。
 索敵能力という意味では、火曜日のアリスより優れたアリスを、私は知らない。
 ……なんか、妙な日本語になったな。

「おいアリス!」
「魔理沙……見ていたなら声くらいかけなさいよ!」
「いや弾幕ごっこ中に声はかけられないぜ?」
「それは、そうだけど」

 火曜日のアリスは、不満げだ。
 だが弾幕ごっこを邪魔する訳にも行かないので、これは仕方がないだろう。

「なぁ、今の妖怪……」
「ええ、そうね、私たちが霊夢に引き渡した妖怪だわ」

 弾幕ごっこルールを受け入れることができない、低級の妖怪。
 そもそもルールの理解すらできないように見えたのに、何故弾幕ごっができるほどになったのか。いや、そもそも楽しんでいる時点で、思うところは山のようにある。

「アリス」
「ええ、行ってみた方が良さそうね」

 流石のアリスも、元気がないように見えた。
 だがその根底には幼いアリス同様、未知への興味があるのだろう。
 口元は、僅かに微笑みの形に歪んでいるように見える。

 そうして私たちは、博麗神社へ向けて飛行することになった。
 先週とは違い、好奇心と疑問で埋め尽くされた、“魔法使い”としての心を以て。













――3・朝/聞き込み事情――



 博麗神社は、普段と何も変わっていない。
 いつものように、どこよりも“自然な”形で、そこにあった。
 博麗大結界の要と言われるだけあって、そこに歪みはない……はずだ。

「霊夢、いるか?」

 アリスと二人、境内に降りたって霊夢を呼ぶ。
 何時ものように縁側に回り込み顔を出すと、霊夢は変わらずそこにいた。

「素敵な賽銭箱はあちら」
「別に困ってないだろ、おまえ」
「神社はいつでも火の車よ」

 さほどお金そのものに価値を感じていないくせに、賽銭を強請る。
 その様子は普段と何一つとして変わらない、自然体な博麗霊夢の姿だった。
 そのことに、私は少しだけ、安心していた。

「ねぇ霊夢、聞きたい事があるんだけど、いいかしら?」
「アリス?なによ、改まって。家計簿の中は秘密よ?」
「いらないわよ。色んな意味で見たくないわ」

 アリスが訊ねると、霊夢はアリスを胡乱げな表情で見ていた。
 いや、家計簿とか、確かに見たくない。収入源とか謎だからだ。
 賽銭無いとか言っておきながら、ミスティアのところで雀酒を飲み明かしたりしてたし。

「そうじゃなくて!先週私と魔理沙が運んできた妖怪のことよっ」
「妖怪?」

 とくに興味がなかったのか、霊夢は素で首を傾げている。
 人の名前を覚えるのがそもそも苦手なのだ。
 きっと霊夢は、アリスのフルネームを言えないことだろう。

「ぁー……ああ、あったわね。そんなこと」

 漸く思い出したのか、一息吐く霊夢の隣に座る。
 アリスはそのまた更に私の横に座るのだが、私との距離が微妙に空いていた。
 耳まで赤く染め上げているが……猫っぽいな。初々しさとか。

 慣れてしまっている私が、異常なのかも知れないが。
 だって、月曜日と木曜日の距離が近すぎるんだもん……ぜ。

「それがどうかしたの?」
「どうかしたの?じゃないわよ!何あれ、何であんな短期間で弾幕ごっこを習得しているのよ?!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ!」
「あだっ!?」

 霊夢に迫ったアリスの額に、御札が張り付く。
 ひでぇ、アリス妖怪だからなんか煙でてるぞ……って、見ているだけってのもアレか。

「大丈夫か?アリス」
「落ち着いてないで助けなさいよ!」
「おぉう、すまんすまん」

 アリスが転げ回る所なんて初めて見たから、つい見ていてしまった。
 アリスの額から御札を剥がすと、アリスは涙目になって立ち上がる。
 そんなアリスを見ても平然と茶を啜る霊夢は、もう流石としか言えなかった。

「落ち着いたかしら?」
「ええ、思わず退治されるところだったわ」
「そんなに強くやってないわよ」

 霊夢はそう嘯くが、アリスは未だに涙目だ。
 いや、まぁ、煙が出ていたしな。

「それで霊夢、結局どういう事なんだよ?紫に引き渡したんじゃなかったのか?」
「そうよ。というか言ったじゃないの。紫に一任してるって」
「んじゃ、とりあえず紫に聞く必要があるって事か」

 紫の居場所なんざ、正直解らない。
 住処って言われているマヨヒガだって、異変の時に偶然行く以外に、入る方法はないのだし。

「……霊夢も、なにか知ってるんじゃないか?」

 顎に手を当て考え、それから霊夢に視線を移す。
 お茶の無くなった湯飲みを覗いて眉をしかめる霊夢は、何時もどおりだ。

「知らないわ。異変にでもなれば知るわよ」

 とくに興味もないのだろう。
 霊夢はそれだけ言うと、立ち上がった。

「茶葉、まだあったかしらね。後で買いに行く必要があるのかしら」

 憂い気にため息を吐くと、霊夢は台所へ帰っていった。
 面倒だ面倒だと言いながらも、後に回すのも嫌だから今日行くつもりか。
 今日行くと言った以上、今日以外は絶対に動かない。。
 異変の匂いでも感じ取らない限り、霊夢は出不精なのだ。
 そのくせ、異変が起こると真っ先に動き出すから、私は何時も後を追うことになるのだが。

「こんな痛い思いまでして収穫無しだなんて……」
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫に決まってるでしょ!」

 額に添えようとした手を、振り払われる。
 その時一瞬、「やってしまった」みたいな表情をしていたが、まぁ、藪はつつかない方が良いだろう。

「とりあえず今日は帰って、マヨヒガがどこにあるのかでも考えようぜ?」

 つまり、意見を求める、ということだ。
 アリスの家に行けば、“アイツ”がいる。
 妙に底の読めない“アイツ”のことだ、何か知っていてもおかしくはない。

「邪魔したな、霊夢!」
「それじゃあ霊夢……次は御札は、止めなさいよ」
「ええ、針ね」
「口で言いなさいよ!」

 しれっと言い放つ霊夢を尻目に、アリスと一緒に飛び上がる。
 向かう先は、瘴気に包まれた森……魔法の森の、マーガトロイド邸だ。





 この時、私の意識は既に、次の事へ向いていた。
 だからこれは、私の耳に届かなかった言葉。

「面倒ね。もっと飛べたら……もっと、楽になるのかしら」

 そして、たとえ聞いていたとしても――何の意味もなさない、言葉だった。













――4・昼前/マーガトロイド邸のアンニュイな午前――



 魔法の森。
 瘴気で昼間でも薄暗いこの森の奥に、景色にそぐわない綺麗な家がある。
 白い外壁、青い屋根、四角い窓、整えられた庭、清潔感のある雰囲気。

 私の隣人であり、いずれ越えるべき壁であり、そしてパートナーでもある魔女の家。
 アリス・マーガトロイドたちを統べる“アリス”の住処が、この家である。

「おーい、アリス、いるかー?」

 火曜日のアリスと一緒に、家の中へ入る。
 整然とされた部屋、清潔に保たれた室内、よく磨かれたフローリング。
 そこをまっすぐと進んでリビングを見ると、目当ての人物を見つけることができた。

 青いスカートに青いリボン、金の髪の幼い少女。
 アリスたちの回路――メンタル――を整えた、種族魔法使い。
 アリスは、本に落としていた顔を、ゆっくりとあげた。

「魔理沙?改めてどうしたのよ。いつもはもっと図々しいのに」
「乙女に図々しいとか言うなよ」
「ひとの日記とか見ちゃうのに?」

 うぐ、アリスのこと、七色の人形遣いの“七”が解ったときのことか。
 いやまぁ確かに、他人の日記を読むのは相当アレな感じだが。

「それで、どうしたの?」
「ああ、ちょっと聞きたい事があったんだ」

 私が告げると、火曜日のアリスが台所から歩いてきた。
 どうやら、こっちのアリスは、私が会話をしている間に紅茶を淹れていたようだ。

「はい、マスター。ほら、魔理沙も座りなさいよ」
「ありがと」
「おう、サンキュ」
「べつにアンタの為じゃないわ。ついでよ、そう、マスターのついで!」

 肩を怒らせながら、火曜日のアリスは私の隣に腰掛けた。
 それを、アリス――本体だ――は、他者には絶対に向けない微笑ましい目で見る。
 人間――主に、私――にはこんなにも関心を向けないというのに、相手が人形であるというだけでこれだ。

 しかし、二人一緒に居るとわかりにくいな。
 アリス、幼い、ロリ、ロリス?……い、いや、やめておくか。

「ふふ、残念だったわね。魔理沙」
「ああ、まったくだぜ」
「マ、マスター!?それに、あああ、アンタも何言ってんのよ!」

 慌てる火曜日のアリスを尻目に、幼いアリスと笑い合う。
 会話をすれば盛り上がりもするし、付き合いだって悪くない。
 だけどやっぱり……まだ、遠い。

「と、本題を忘れるところだったぜ」
「そ、そうよ、もう!……あの、マスター、実は――」

 火曜日のアリスが、幼いアリスに説明をする。
 それを私は、相槌を打ちながら補足していった。

 先週、妖怪を退治して霊夢の所へ連れて行ったこと。
 今週、弾幕ごっこなんか理解できそうになかった妖怪が弾幕ごっこをしかけてきたこと。
 霊夢は紫に対処を一任していると言ったこと。
 紫はどこに居るのか不明で、探し出す手段もなく困っていたこと。

 そこまで全て聞くと、幼いアリスは頬杖をついて、笑った。
 ミルク色の肌に、朱色の唇がはっきりと浮いている。
 その無邪気なはずの笑顔も、好奇心に濡れた目と合わさると、それだけで妖艶に見えた。

「そうね、ええいいわ。力を貸してあげる」
「ぁ――ああ、助かるぜ」

 見惚れていた。
 いや、もしかしたら捕らわれて――囚われて、いたのかもしれない。
 だがそれを表情に出したりはせず、いつものように不敵に笑ってみせる。
 ペースを崩されたままなんて、まっぴらごめんだぜ。

「この子を持って行きなさい」
「お?」

 幼いアリスが指を動かすと、奥から人形が飛んで来た。
 金髪に青いリボン、青いラインが入った白いシャツに、青いスカート。
 それは、幼いアリス本人を模した……“ぬいぐるみ”だった。

「それが指し示した方向へ行きなさい。望むものをある程度探索してくれるわ」
「……いいのか?そんな魔法のかかった人形、私に渡して」
「いいわ。なんの問題もないもの」
「言ったな?ま、結果を楽しみにしていると良いぜ」
「ふふ、そうね、楽しみにせいているわ」

 にらみ合う私と幼いアリスを見比べて、火曜日のアリスは居心地悪そうに視線を交互させていた。
 まぁ別に、“本気”ではないのですぐに視線を緩めると、向こうもそのつもりだったのか、視線を緩めてみせた。

「それじゃあ魔理沙、いってらっしゃい」
「おう、さーて、行くぞ!アリス!」
「あっこら、待ちなさいよ!というか、またからかったでしょ!」
「なんのことだぜ?」
「あ、アンタってヤツは!」

 肩を怒らせる火曜日のアリスを連れて、マーガトロイド邸を後にする。
 手に持ったぬいぐるみ……アリス人形に魔力ると、アリス人形はそっとその指――というか、丸く作られた右手、だ――を、先の方へ向けた。

「あっちか……行くぜ、アリス!」
「人の話を聞きなさい!」
「あうっ!?」

 うう、なにも叩かなくてもいいじゃないか。
 いや、やり過ぎた私が悪いのだが。

 締まらないスタートで、空へ飛び上がる。
 アリスも私の後ろで横座りになっていて、そこで小さくため息を吐いていた。
 振り返った先に、幼いアリスはいない。どうせ、引き篭もっているんだろう。

 まぁ、出不精をしていられるのも今の内だ。
 そのうち絶対、幻想郷中に連れ出してやるからな!













――5・正午/博麗裏の境界線――



 博麗神社の境内。
 思えば、ここに来るのも何度目だったことだろうか。
 最初に来たのは確か、霊夢の母親が亡くなられた後だった。
 私は会ったことがないが、いつだったか“吸血鬼異変の功労者”だったという話を、酒の席で霊夢から聞いたことがある。

 確か、私と霊夢が“初めて”解決した異変が、魔界の異変だったと思う。
 私はその後、博麗神社に通いだした。
 乗り越えるべきライバルで、友達。
 異変を解決しに行って、鉢合わせて、弾幕ごっこをして、競い合って。

 いつしか私は、霊夢の背中ばかり追いかけていた。

「魔理沙?」
「ああ、いや、なんでもないぜ」

 アリスに怪訝な表情で覗き込まれ、我に返る。
 賽銭箱の脇から縁側に出ても、土蔵の方へ行ってみても、中に入ってみても。
 霊夢の姿はどこにも見あたらず、二人で途方に暮れることになっていた。

「そういえば、霊夢、茶葉を買いに行くって言っていなかったかしら?」
「ああ!そういえば言ってたなぁ」
「もう、しっかりしてちょうだい!」

 そういえば、霊夢は茶葉を買いに行くと言っていた。
 アリスに言われるまですっかり忘れていたのは、珍しく感慨に耽っていたせいか。
 まったく、ああ、らしくないぜ。

「ちょっと、マスターの人形が……」
「うん?……どこを、指してるんだ?こいつ」

 私の腕に抱かれたアリス人形が、境内の裏側を指していた。
 そっちには確か小さな池があって、像みたいなものが置いてあるだけ……な、はずだ。

「とにかく、行ってみましょうよ」
「あ、ああ、そうだな」

 アリス人形に導かれるまま、境内の裏手に回り込む。
 丸っこい指が示すのは、亀の形をした石像だった。

「うーん……これがどうしたんだよ?」
「持ち上げてみるのかしら?」
「まぁいいが……よっと」

 亀の石像は、思ったよりもずっと軽かった。
 そう……気合いを入れて持ち上げようとしたせいで、バランスを崩すほどに。

「おお、うわっ?!」
「ちょっと、魔理沙、危ない!」

 池に落ちそうになった私に、アリスが手を伸ばす。
 だが、私の手を掴んだときには既に、手遅れだった。

――カチ
「あ、聞いたことがある音だ」
「なにのんきなことを言って――ッ」

 池の水面に、波紋が生まれる。
 それは私たちを迎え入れるように大きくたわみ、そして……呑み込んだ。

「げっ」
「っな」

 水面が、私たちを包み込む。
 不思議と冷たくはないが……き、気持ち悪い。
 水に濡れる独特な感触すらもないまま、私たちは水底に落ちていく。

 アリス人形とアリス。
 二つの感触だけを、感じながら――。













――6・正午/急な黄昏何処そ誰?――



 光が、瞼の裏を強く照らす。
 それがあんまりにも眩しいものだから、私は気怠げに寝返りを打つことしかできなかった。

 星明かりは、好きだ。
 自分の中に染み込んで、ゆっくりと輝かせてくれるから。
 太陽の光は、苦手だ。
 眩しくて見えないくせに、鮮やかな“七色”を照らし出すから。
 空の青は、どうなんだろう。
 伸ばしても伸ばしても、掴ませてくれないあの青は。

――………ッ…――……!
「だれだ、ぜ?」
――………!!………―――……!
「ねむい、から」

 だから今は、寝かせてくれ。
 そうすれば、明日からはまた、いつのも“私”であれるから。
 だから今は、どうか。

「――土曜日の私に貰ったのよね。行きなさい、大江戸……」
「まままま、待て、起きるから!!」

 それはヤバイから!
 勢いよく身を起こすと、そこではアリスがスペルカード片手に立っていた。
 その頬に水滴の流れた跡があり、また瞳が僅かに濡れているのは……きっと、気のせいなんかじゃないだろう。

「悪い、心配かけちまったな」
「ふん!あのまま起きなかった、どうしたらいいかと思っちゃったじゃない」

 肩を落とすアリスに、罪悪感がこみ上げる。
 なんだか、こう、ツンツンしていてくれないと調子狂うぜ。

「あー、すまん。私は大丈夫だから、な?」
「ふん、解ってるわよ!」

 どうにか調子が戻り始めたみたいで、安心する。
 そうしてから私は漸く、周囲の光景に目をやり始めた。
 空は白……光の白だけで構成された、奇妙な空。
 それから私たちが立っているのは砂利道で、この砂利は全て黒。
 近くに見える神社も、鳥居も、全部が全部黒と白で構成された世界だった。

「なんだ、ここ?」
「あの池の“向こう側”よ。紫か藍か霊夢か知らないけど、相当高度な“結界”ね」
「結界?結界の内側、か」

 なら、空は水底で、ここはその更に下か。
 なんにしても、私の服が保護色になっていて、どうにも居心地がよろしくない。
 伝統的な魔法使いカラーが馴染む場所なんて、慣れてないんだ。

「なんにしても、止まっていても仕方ないわ。この付近には何もないみたいだし」
「アレ以外?」
「あれ以外よ」

 私が指した方向を見て、アリスは頷いた。
 博麗神社とは比べものにもならないほどに広い、黒と白の神社。
 葬式みたいな色で染められた神社を見て、私は大きくため息を吐いた。

 あんなあからさまに怪しい建物、無視できないだろ。

「あー、行くか」
「はぁ、そうね」

 二人で肩を落として、鳥居を潜る。
 石畳まで真っ黒で、どうにも平衡感覚が狂っていくような気がしてならない。
 そもそも、こんなところを歩くなんて縁起が悪すぎる。

 まぁ、モノクロ服に身を包んだ私に、言えた事じゃないんだが。

 賽銭箱の脇から、縁側へ回り込む。
 霊夢がいつも湯飲みを傾けている場所と、似た様な光景だった。
 その先を、アリスと二人で進んでいく。
 なるべく足音を立てないように、低空飛行で。

「魔理沙、止まりなさい」
「どうした?」
「そこの部屋、明かりが見えているわ」

 アリスに言われて、動きを止める。
 少しだけ開いた襖から漏れる、白い光。
 それを見つけて、私たちは目を合わせた。

「気をつけて」
「ああ」

 物音を立てないように、アリスと二人で覗き込む。
 白い光、黒い畳、白い座布団、黒い机。
 そこに正座“させられて”いる……無数の妖怪達。

 だだっ広い空間で、人型になりきれていない妖怪たちが、正座をして何か手作業をしていた。

「なによ、これ?」
「アリス、あの中に――私が前に、霊夢に引き渡した妖怪が交じってる」
「え?」

 香霖堂の側で暴れていたから、マスタースパークで吹き飛ばした妖怪。
 襲いかかってきたから、ドラゴンメテオで叩きつぶした妖怪。
 徒党を組んで嵌めようとしてきたから、オーレリーズサンで追いかけ回した妖精。

 全員、気絶させて霊夢に渡した妖怪だった。

「なにかしているわね」
「ああ。あれは……御札?」

 妖怪達が手にしているのは、御札だった。
 ごてごてした白い手袋を嵌めて、どいつもこいつも器用に御札を書いていく。
 どいつもこいつも、先週の妖怪が可愛く見えるほど凶暴な妖怪や妖精。
 どう考えても、そんな細かい作業ができるヤツらじゃなかったはずなのに。

「魔理沙、向こうの方の部屋もたぶん、そうよ」

 アリスの言葉にただ首肯して見せて、その場を離れる。
 低空飛行で次の部屋の前に張り付いて、私はそっと中を覗き込んだ。

『コンナコト、モウイヤダ』
『アトドレホド、ツクレバイイ』
『ミロ!コンナニキレイニデキタッ』

 妖怪達が、針を作っていた。
 白い手袋を嵌めながら作っているのは、封魔針。
 だんだんと見えてきた状況に、アリスと一緒に身を震わせた。

「ああ、またまずいものを見ている気がするぜ」
「アンタって本当に多いわよね、巻き込まれるの」
「アリス“たちに”が抜けてるぜ」
「うっ……」

 もう、考えは纏まり始めている。
 だがもう一箇所だけでも見ておこうと、私たちは更に隣の部屋まで移動した。

 襖を薄く開き、その中を覗き込む。
 白い手袋を嵌めて、型版のようなもので球体を作成していく妖怪たち。
 それはどう見ても――陰陽玉だ。

『ヤッテイラレルカ、オレハカエルゾ!』
『コキョウデコガサチャントケッコンスルンダ!』
『オレ、コノユビワヲワタスッテ、ヤクソクシタカラサ……』

 犬型の妖怪、長靴の九十九神、獰猛な目つきのがしゃどくろ。
 そいつらが席を立って……私たちの方へ歩いてきた。

「やばっ」
「魔理沙、伏せてっ」

 声を潜めながら、二人で身を竦ませる。
 ……だが、その襖が開かれることは、無かった。

「サボりとは良い度胸ね!藍様と紫様に言いつけるわよ!」

 妖怪達の後ろ、私たちとは反対側の場所からかけられた声。
 その甲高く生意気そうな声を、私はよく知っていた。
 緑の帽子、黒い猫耳、黒い二又の尻尾、中華風の導師服。

「橙?」

 紫の式、藍の式。
 式の式、黒猫の式神“橙”が、腕を組んで不遜な表情を浮かべていた。

「藍様の命令で動いているの。だから今日の私は、藍様と同等よ!」
『グゥ……チョウシニノリオッテ』

 悪態を吐きながらも、妖怪達は陰陽玉の製造を再開し始めた。
 妖怪達は、意思疎通が難しくとも、力による上下関係はしっかりとある。
 妖怪の山で萃香が未だに畏れられているのも、全部とは言わないがそれが一因だ。

「霊夢のヤツ、どこから調達してくるかと思えば……」
「ルール違反した妖怪に作らせていたって事?確かに力に頼っている妖怪に、内職みたいな事をやらせれば心も折れるかも知れないけれど、それだと衰弱するだけよ」

 それは……確かに、そうだ。
 妖怪は精神に依る存在だ。
 下手に心を折ろうものなら、そのまま衰弱して死ぬだけ。

 ……更正して弾幕ごっこを楽しむようには、ならない。

「もっと潜ってみる必要があるか?」
「でも、どこへ?」
「それは……」

 そう言われると、困る。
 三部屋見つけられたのは、完全に偶然だ。
 これから更に、あるかどうかも解らない部屋へ行くことなど、できないだろう。

「とにかく移動してみないことには、始まらないぜ」

 私はそうアリスに告げると、襖から離れた。
 なんにせよ、動き回らないと、なんにもできないからな!

「なに、それ?もう、本当にアンタらしいわ。そういうの」

 アリスは肩を竦めると、私に並んだ。
 何度も一緒に異変を乗り越えてきた、パートナー。
 互いに互いの戦い方が解っているからこそ、こうして自信を持っていられる。

 ……なんて気を抜いたのが、悪かったのだろう。

「それじゃあ私は上がるから、アンタたちは真面目に――」
――スパンッ

 音を立てるほど勢いよく開かれた、襖。
 腕を組んで仁王立ちする私たちの背中で、時が凍るのを感じた。
 咲夜が時を止めてくれた、とか脳天気に考えられれば、どれほどに楽なことだろう。

「あ、あん、あんたたち、まさか」

 橙の声が、耳に届く。
 私がそっとアリスの方へ目を向けると、アリスはそっと反対側に目を逸らした。
 うん、よし、わかった。格好つけるから、悪いんだな?

「行くぞ、アリス!」
「ええ、魔理沙!」

 私が八卦炉を構えると、アリスは不敵に笑って全身に魔力を奔らせた。
 警戒する橙、至近距離という状況、アリスのサポート。
 この状況で、切り抜けられないなんてことは……ない!

「恋符――」
「スペルカード!?なんとか避け、いや、間に合わないっ」

 至近距離から放たれるマスタースパークを避けるなど、至難の業だ。
 だからこそ橙は、私の魔砲をグレイズしようと、目を瞠って見据えていた。
 悪いな、橙。ここで捕まる気は無いんだよ!

「――マスターァァァスパァァァァクゥゥゥッッッ…………のような懐中電灯」
「ふにゃああああああああっっっ!?!?!!」

 閃光に当てられて、橙が転げ回る。
 うん、良い仕事をした。やっぱり私はこうでないと。

「さーて逃げるぞ、アリス!」
「うん、いや、まぁ、いいけどね」

 微妙な反応のアリスを連れて、空を飛ぶ。
 不敵に笑ってしまった辺りが恥ずかしいのだろう。頬が赤い。

 確信はない。
 だが最初、この空は“水底”だと思った。
 空が水底だというのなら、その上はなにか?
 そんなもの、決まっている。

「まぁぁぁてぇぇぇぇえッッッ!!!」
「げっ、復活早いぜ」

 鬼の形相をした橙が、追いかけてきた。
 藍と同等と言うだけあって、その動きは速い。
 命令の内容は、“ここ”の管理だろうか?
 だったら確かに、侵入者の排除も管理の内だ。

「魔理沙、応戦して足止めしないと追いつかれるわよ!」
「ちっ……後衛は頼んだぜ!」
「誰に言ってるのよ!」

 自然とアリスは、私の後ろへ回り込んだ。
 陣形を組んで足を止める私とアリスを、橙は涙目で睨む。
 いや、ちょっと悪かったかも……なんて、思ったり。

「流石博麗の巫女と異変解決に乗り込んでいるだけあるわね、霧雨魔理沙!」
「おい良いのかアリス、スルーされているぜ?」
「いや、あっちに反応してあげなさいよ」
「もう黙れおまえらぁッ!」

 橙はだんだんと、涙声になってきた。
 挑発することで、弾幕を拙いものにするという作戦なのだ。
 ……決して、最近負けっ放しで悔しい、なんてことじゃないんだぜ?

「こほん……そう、ここが博麗神社の隠された地!」
「無理にでも続ける気だ」
「無理にでも続ける気ね」
「シャァァァァッッッ!!!」

 毛を逆立てて、橙は一筋の涙を流した。
 ……これ以上は、さすがに可哀相なのでやめておこう。
 下手したら、あとで紫や藍に締め上げられそうだし。

「細かい作業によって心が折れていく妖怪たち!力に頼る妖怪はルール違反の罰内職で精神の均衡を崩し、やがて不安定になる!」

 霊夢が普段使っていた、異常な量の陰陽玉や封魔針といった、スペカの補助具。
 その生産元は退治すべき妖怪達だというのだから、笑えない。
 異変解決の時、被弾する度に陰陽玉を捨てていたから、どうしているのかと思ったら……。

「そうして……」
「うん?」

 続きがある?
 私がそう首を傾げた事に、橙は気がつかない。
 気がつかず、涙目のまま続けた。

「弱ったところで紫様主導の元に開かれる、スペルカードルールの心得と、その楽しみ方!もう隠しようが無く洗脳だと思うけど紫様も藍様も否定されるから、それ以上深くは聞けない“儀式”!」

 橙の瞳が、妖しく輝く。
 式の言ったことって、主にばれないのだろうか?
 責任を問われるとしたら私にも一因――あくまで、一因だ――があるから心配になってきた。

「そうそれが、おまえたちが暴いた“ゆかりんのパーフェクトスペカ教室”よ!!」

 おまえはいったいなにをいってるんだ。

 そこまでは知らなかった。
 というかむしろ、一番知りたいところだった。
 いや、その“ゆかりん”とかついているのはスルーしておくとして。

 私がゆっくりと振り返ると、アリスは肩を竦めて頷く。
 その瞳は、優しい……というより、生温かい。

「……そのとおりだぜ!お前たちの企みは、お見通し済みだ!」
「やっぱりそうだったのね!そんな事じゃないのかと思ったわ!にゃはははっ!!」

 乗ってやるのも、一因ある私の勤め。
 私の言葉を受けて胸を張る橙に、ため息を呑み込む。
 一生懸命なのはわかるが、どうにも空回りしているみたいだ。

「さて、逃げるか」
「そうね」

 高笑いを始めた橙を尻目に、空に向かって飛翔する。
 気がつかれないように体勢を整えて、それから全速力で飛び立った。
 私よりも後ろにいたから、アリスが私の先を行く。

「ってこら、おまえたち!待て!」

 橙を一瞥することなく、“水底”を突き破る。
 水面と、水中と、水底の狭間。
 不可思議な場所に作られた境界の中は、外よりも寂れた神社の、境内だった。

「ここは……いや、気にしている場合じゃないか」

 アリスが、更に“空”を抜けて水中へ出る。
 そしてその先で、私に手を伸ばした。

「捕まりなさい、魔理沙!」
「すまん、助かる――」
――パキンッ
「――ぜ!?」

 甲高い音と共に、アリスの必死な表情がかき消える。
 そこにはもう境界はなく、振り返ってみれば橙も居ない。

「くそっ、嵌められた!」

 橙は始めから、この“境界”に嵌めるつもりだったのだろう。
 ……偶然成功したような状況に、思えなくもないが。うん、気のせいだ。
 それを認めるのも少し悔しいし、それにほら!他の要素で作為的なものを感じたし!

「あー、ちくしょう。どこか、他に出口を探さないと!!」

 一生ここで過ごす。
 そんな風に過ぎった言葉を、私は頭から振り払った。
 ネガティブじゃあ、なにも解決しない。

 そうやって自嘲してみても……混乱した頭は、解決策を打ち出してくれなかった――。













――7・誰そ彼/ある一つの幻想――



 くすんだ石畳、雑草が生え放題の砂利道、常に茜色の空。
 参道を真っ直ぐ歩くと赤い橋があって、その先には赤土の道があった。
 でもそれ以降は何もなくて、なんとも殺風景だ。

「博麗神社、とは少し違うか」

 何一つ見逃すまいと、歩いて回ってみた。
 でも、解ったのは、思ったよりも広いけれど箱庭のような空間、ということだけだった。
 そうして戻ってきて、現在、賽銭箱の前から神社を見上げている。

「ろくに手入れもされてないな。ったく、霊夢よりもひどいぐーたら巫女が住んでんのか?」

 言ってはみたが、正直人の気配は感じられない。
 寒くも暑くもない空間なはずなのに、どうしてだか背筋がすぅっと冷たくなった。
 誰もいない。そう、誰もいないんだ。

「……だったらせめて、この怪しい神社をどうにかしてやるッ!!」

 八卦炉を、博麗神社もどきに向ける。
 一番怪しいのはここなんだ。だったら、打ち破るのも……ここだ!!

「恋符【マスタァーッ……スパァァ――」
「こんなところで、何をやってるのよ?」
「――へっ?!」

 突如、背後から声をかけられた。
 霊夢のもの……よりも、心なしか少し低い声だ。
 というか、知らない人の声なら、ここってそいつの家か!?

「っと、中断!」

 魔力を意図的に霧散させて、消滅させる。
 スペルカード宣言のキャンセルだ。これけっこう体力使うから、嫌なんだが。

「誰だ?」

 八卦炉から手は、離さない。
 そのまま、いつでも動き出せるように箒を強く掴みながら、振り向いた。

「あんたこそ誰よ?まずは自分が名乗るのってのが、礼儀でしょ?」

 淡い金の髪、赤いリボン、フリルをあしらった白い羽織、赤いスカート。
 勝ち気な目、どちらかというと東洋系の顔立ち、私と同じくらいの背。
 幻想郷では見たことがない、変わった少女だった。

「あ――すまん。私は魔理沙、霧雨魔理沙だ」
「魔理沙?ふーん」
「いや、おまえは?」
「ああ、そうだったわ」

 なんか、霊夢並みに脳天気なヤツだ。
 抜けている訳じゃなさそうだが、深く考えるタイプに見られない。
 まったく、霊夢といいもう少し周囲を見るべきだぜ。

「―――よ」
「は?」
「だから、私の名前」
「すまん、聞いてなかった」
「はぁ、脳天気なのね」

 おまえに言われたくない。
 なんて言葉を呑み込んだ私は、偉いと思う。
 初対面の人間に脳天気とは、失礼――私は、口に出してない――なヤツだ。

「もう一度言うから、よく聞いていなさい」
「ああ、了解だぜ」
「信用ならないわね。まぁいいわ」

 そう言うと、少女は一拍間を開ける。
 私がちゃんと聞くかどうか見ているのだろうが、失礼なヤツだ。
 私だって、好きで聞き逃したんじゃない。

「私の名前は麟……“冴月麟――さつきりん――”よ」

 少女――麟はそう名乗ると、無い胸を張ってみせる。
 堂々として、どこか不遜で、でも揺るぎない。
 そんなイメージを感じ取って、私は首を傾げた。

 会ったことがないはずなのに、何故だか、妙に“近い”存在の様な気がするのだ。

「それで、こんなところで何をやっているのよ?」
「あ、ああ、ってそうだ!ここから抜ける方法はないか!?」
「ここから?なにアンタ、外から来たの?」
「ああそうだ。ここの外、幻想郷から来たんだ!」

 危うく本題を忘れることだったぜ。
 軽口を叩いていて忘れたとかなったら、目も当てられない。

「ふーん?まぁいいわ、詳しい話を聞きましょう」
「おう、助かるぜ!」
「ちゆりみたいな語尾ね。さ、お茶くらい淹れるから入りなさい」

 麟の後ろについて、神社の中へ入る。
 寂れてはいるが殺風景ではなく、中は案外と片付いていた。
 というか、焦っていたとはいえ神社の中に入ってもみないとは……。

 こうして私は、麟に招かれることになった。
 この神社の巫女だという、彼女に話を聞くために。













――8・逢魔が時/何時か何処かの妖怪――



「――と、いう訳なんだ」

 一とおり私の事情を説明すると、麟はあからさまにため息を吐いた。
 一々失礼なヤツだ。でも……なんか、憎めないんだが。

「不法侵入で追い払われたって事でしょ?同情しようが無いじゃない」
「いやいや、侵入は事故だぜ」
「不法でしょ?」
「いや、まぁ」

 ちっ、押しが強い巫女だぜ。

 霊夢の淹れるのよりも、正直、美味しいお茶。
 でもどこか、アイツが淹れるのよりも懐かしくて侘びしい味がした。

「それで、ここはどこなんだよ?」
「幻想郷よ。境界の、幻想郷」
「どういう意味だ?」
「それは自分で考えなさい」
「ケチだぜ」
「ケチでけっこう」

 おまえは私の先生か。
 それきり答えてくれない麟を尻目に、煎餅をかじる。
 霊夢もそう言えば、煎餅は醤油に限ると言っていたな。

「抜け出すっていうけど、どうするつもりなのよ?」
「いや、私はそれが聞きたいんだ」

 麟は、私が何と言おうとも、変わらず茶を啜っていた。
 自然体、その在り方は何処か霊夢に似ているが、霊夢よりも垢抜けている。
 ……さっきから、霊夢に比べてばかりだな、私。

「そうは言うけど、あなたが入って来たところを見ていないから、私がどうこうするのは難しいわよ?なにか、手がかりはないの?」
「手がかりって言われてもなぁ……ここに持ってきたものなんか、八卦炉と箒と帽子と……あ」

 周囲を見回して、記憶を辿って、顔を引きつらせる。
 あのごたごたの時になくした、私が“持ってきた”もの。
 ――アリス人形が、どこにもない。

「なぁ麟!私の人形知らないか!?」
「ちょ、ちょっとなによ急に。……人形?どこかにそれを、落としたの?」
「ああ、間違いなく“ここ”で落としたんだ!」

 目的地を指し示すという、アリスお手製の人形。
 私じゃ理解しきれない魔法がぎっしりと搭載されたアレなら、きっと手がかりも掴めるはずだ!

「そんなに言うなら、探してみればいいでしょう。まったく」
「ああ、サンキュ!」
「ああもう!あなた一人で行っても、ここのことなんか解らないでしょ!」
「うあ、確かに」

 根がお人好しなのか、麟は重い腰を上げて私と一緒に境内に出てくれた。
 なんだかんだでひとを放って置けない辺り、火曜日のアリスを彷彿させる。
 ……そういえば、外で待っているんだよな。アリス。

「人形の特徴は?」
「青いリボンとスカート、金髪のぬいぐるみだ」
「好奇心の強い妖怪に持って行かれているかも。急ぐわよ」
「ああ!」

 箒に跨り、加速する。
 そんな私の横で麟は空を“走って”いた。
 空を蹴るように走る様は、勇ましいんだが……飛べばいいのに。

「飛ばないのか?」
「こっちの方が早いわ」
「それはそれでどうなんだ?」
「煩いわね」

 麟と一緒に、空を駆ける。
 茜色の空に太陽はなく、なのに雲だけは僅かに浮かんでいた。
 境界の幻想郷、そういえば黄昏時は、逢魔が時ともいったか。

「くそっ、見あたらない」
「よく見てみなさい!本当に、観えていないの?」
「見えて?」

 一度止まって、それから意識を、沈めていく。
 アリスたちが他のアリスと繋がるとき、一瞬、どこかに精神を飛ばしているかのような感じを覚えたことがある。

 あれを、リーディングすれば?
 なんだ、そんなのは私の得意分野だ。
 良いところを全部もぎ取って……自分の力に、変えてやる!

 意識に、波紋が生まれる。
 ぼんやりと広がって、それから薄く、鋭く、研ぎ澄まされていく。
 火曜日のアリスの魔法を見続けて見つけた、索敵の魔法をここに投入して――掴んだ。

「――あっちだ!」
「へぇ、やるじゃない」

 覚えのある感覚を、意識の端で捉えた。
 箒を傾けて高速で飛行し、赤土の向こうに人影を見つける。
 男だろうか?赤い髪に炎のような袴の侍が、アリス人形を抱きかかえていた。
 ……なんで頬が赤いんだ?ぬいぐるみ好きなのか?乙女な趣味なのか?

 やがて侍は、私たちに気がついた。
 私を見て首を傾げ、それから麟を見て目を瞠る。
 なんだ、私はスルーか。失礼な侍だ。

「貴様ッ、何故そのような――」
「――神霊【現想封印 ―花―】」

 麟から放たれた弾幕が、侍を覆い尽くす。
 濃い桃色をした八重桜の花吹雪は、あっという間に侍を墜としてしまった。
 むぅ、霊夢並みに強いな……。

「ほら、人形。これでしょ?」
「あ、ああそうだ。これだ!」

 麟が抱える人形。
 アリスの形をしたぬいぐるみは、汚れることもなくちゃんと無事でいたようだ。
 これで泥まみれにでもしたら、幼いアリスに何を言われるか解らない。

「どこか指して居るみたいよ?」
「え?……これは、神社?いや、その裏か!」

 そうだった。
 そもそも、私はどこから来た?
 博麗神社裏の、池からじゃないか!

「だんだん指が下がっているわよ?」
「げっ、まさか……閉じるのか?!」
「大変じゃない!ほら、急ぎなさいよ!」
「ああ!」

 麟と一緒に空を駆けて、急いで神社の裏に回り込む。
 ひっくり返った亀の石像、その下の水面は、僅かに揺らいでいた。
 向こう側に見えるのは……必死な形相で私に手を伸ばす、アリスの姿だった。

「色々助かったぜ。それじゃあ、なんだ……“また”な!」
「!――――はぁ、そうね。ええ、“また”会いましょう」

 僅かに目を瞠り、それから麟は私に微笑んだ。
 心から笑うことが少ない、霊夢の“本当の笑顔”に、よく似た微笑みだった。

 水面に飛び込み、それから手を振る。
 アリスは向こう側から私の姿が見えているのだろう、正確に手を伸ばしてくれた。
 だが見える範囲も、徐々に狭まっている。もたもたしていたら、きっととうに閉じていたことだろう。

「アリス!」
「魔理沙!」

 アリスの手を掴んで、引っ張り上げて貰う。
 ああそういえばアリス人形は麟が持っていたままだったが……ええい!また今度、取りに行けばいい!!

――ザパンッ
「っは!」

 アリスと一緒に、転がる。
 勢いよく出過ぎたのか、二転三転して、アリスが私に馬乗りになった。
 ……なんか、恥ずかしい体勢だぜ。

「よう、ただい――」
「――バカっ!!」

 アリスに、胸を叩かれる。
 だがその力は、弱々しいものだった。

「心配、したんだからっ」
「ああ――ああ、ごめん。ありがとう、アリス」

 私の胸に顔を埋めて、アリスは涙を流す。
 私はそんなアリスを強く、抱き締めた。
 こっ恥ずかしいけど、でも、こうする以外に何をしたらいいか解らなかった。

「麟に、なんとか助けて貰ったから、だから大丈夫だぜ」
「麟?」
「あー、見えただろ?私の後ろにいた」
「何言ってるのよっ……アンタの後ろ、寂れた神社“しか”なかったじゃないっ」
「え?」

 それきりまた、アリスは顔を埋める。
 それ以上聞くこともできずに、私はただ硬直することしかできなかった。
 見えなかった?だって麟は、確かに私と――。

「アンタたち……なにやってんのよ、本当に」
「え?ぁ」

 茶葉の缶を手に佇む、黒い髪の紅白。
 アリスはその声に、ただ肩を振るわせていた。
 泣き顔を見られたくないから、顔を上げられないのだろう。
 それでもたまらず、少しだけ顔を上げてばれているが。

「非生産的だとは思うけど……そう、そんな関係だったのね」
「まままま、待て霊夢!それは違うから!」
「っ……そそそ、そうよ!ちょっと待ちなさい!」
「魔理沙、泣かせるのはどうかと思うわ」
「だから違うんだって!あー、もーっ!!」
「ななな、泣いてなんかいないわ!」
「アリスもそっちじゃなくてだな!?」
「どうでもいいけどここでいちゃつかないでよ。濡れ濡れじゃない」
「変な言い方するな!池に落ちたんだよ!というか、なんで帰りは濡れるんだ!?」

 一度混沌とし始めた場が、そんな簡単に戻るはずもなく。
 私は結局、この誤解を解くのに半日を費やすことになるのであった――。













――9・黄昏/友情スパイラル――



 夕方の博麗神社。
 説明に体力を使い果たした私は、同じく疲れて肩を落とすアリスを尻目に、霊夢を見た。

 霊夢は、境界の幻想郷のことを、知らないようだった。
 そして冴月麟のこともまた、聞いたことがないようだった。
 まぁ、霊夢の“聞いたことがない”は、あまり信用できないのだが。

 もう亀の石像も動かず、向こう側には行けなかった。
 だから、証明する手立てもないのだが。

「なぁ霊夢」
「なによ?」

 麟と短い間だけど話してみて、少し思ったことがある。
 麟は霊夢に似ていたけれども、霊夢より垢抜けていて、それから少し楽しそうに見えた。
 霊夢は、なんというか、超然としていて周囲の全てから浮いているのだが、でも、どこか寂しげに見える。侘び寂びとはいうけれど、それすらも置いて浮いているような。

「私は霊夢の友達だ」
「そう」
「いいか、私は霊夢の友達なんだ」
「ええ」
「良く聞け霊夢。私は――霊夢の友達だ」
「――聞いて、いるわよ」

 いや、聞いていない。
 違うな……どこかで、聞かないようにしている。
 全部はね除けて、それで全部から浮かび上がろうとしてるんだ。

「私は霊夢の友達だ。復唱!」
「ああもう煩いわね!私もアンタの友達よ!っぁ」
「そうだ。ついでにそこでへばってるアリスも、咲夜も、妖夢も、萃香だってな!」
「っ……わかっているわよ、もう」

 霊夢はそれだけ呟くと、勢いよくお茶を飲み干す。
 なんだかその横顔が麟と似ているような気がして、私は思わず頬を緩ませた。

「何笑っているのよ、気持ち悪いわね」
「言ったな?よし、弾幕ごっこだ」
「いいわよ。私も今日はそんな気分だから」

 二人で、茜色の空に浮かび上がる。
 眩いほどに輝く朱色の太陽と、薄く霞む雲に囲まれて。

「アンタたち、ほどほどになさいよ」
「わかってるぜ」
「わかってるわ」
「絶対に、わかってないわね」

 うるさいな。いつだって私は、全力なだけだ。
 ……って、これは確かに“わかってない”な。

「今日こそ叩き墜としてやるぜ!恋符――」
「今日も叩き叩きつぶすだけよ!神霊――」

 スペルカードが輝いて、周囲に鮮やかな光が満ちる。
 この一瞬こそが、弾幕ごっこの醍醐味だぜ!

「――【マスタースパーク】!!」
「――【夢想封印 ―瞬―】!!」

 おまえが誰よりも浮いていたいというのなら、私が楔になってやる。
 そうすれば、アリスも、妖夢も咲夜も萃香も、紫だって、おまえの鎖になるんだから。

 だから、覚悟しておけよ?
 私たちは、絶対に――おまえを離したりしないからな!





 逢魔が時、誰そ彼、黄昏時。
 交差する弾幕に、人や妖怪が集まり出す。

 これが終わったら、みんなで宴会でもしよう。
 それが私たちにとって、他に選ぶことのできない、最高の時間なのだから――。













――10・夕刻/宵無き茜――



 茜色の光が水面に反射して、視界を鮮やかなセピア色に染め上げる。
 その光の奥に消えていった色鮮やかなモノクロカラーを思い出して、私は小さく息を吐いた。

「本当に、元気の良いこと」

 縁側に向かって歩きながら思い出すのは、霧雨魔理沙と名乗った、黒白の魔法使い。
 あんなに元気な彼女のことだ、きっと、表の“彼女”をうまく引っ張ってくれることだろう。

「――ごきげんよう」

 突如、空間に裂け目が出現した。
 紫色の空間、赤いリボンのついた境界の端。
 そこから上半身を持ち上げて微笑みかけるのは、私の“旧友”の姿だった。

「紫じゃない。酒でもくれるのかしら?」
「ええ。貴女“たち”と、夕暮れでも肴にしようかと思いましたの」

 相変わらず、胡散臭い笑みだ。
 そんなことだから友達が少ないんだと思う。
 まぁ、こいつと友達な私に、言えたことではないのだけれども。

「たち?“あんた”飲めるの?」
「――この身体じゃ、難しいわね」

 私が抱えていたぬいぐるみから、声が漏れる。
 ぬいぐるみはそのまま浮き上がると、私の横に並んで、縁側に腰掛けた。
 当然のように紫も私の隣に腰掛けるのだから、もうここから動くのが面倒になる。

「立ち上がるの、億劫ね。紫、酒器を頂戴」
「はいはい、さ、どうぞ」

 杯を貰って、満たされた透明の茜空を呑む。
 嚥下されて熱を持つ酒の、この感覚は、嫌いじゃない。

「今回の功労者は、アリスね」
「私は“あの子”の視界を弄っただけ。大したことはしていないわ」

 最後に、水面の向こうの“あの子”は私を捉えられていなかった。
 それは、このぬいぐるみの中にいる“アリス”が調整してくれたからだ。
 見られても、別にいいと思うのだけれど、紫としてはひとまず魔理沙だけに見せたかったようだ。

「それでも、ですわ」
「はぁ、まぁいいけどね」

 アリスはそう、肩を落とす。
 実のところ私は、彼女と紫の関係をよく解っていない。
 私だって、三度ほど一緒に鍋を囲った程度の付き合いだ。
 まぁ、一緒に鍋を囲めば、遠慮もなくなるのだけれども。

「……私はちょっとやることができたから、“戻る”わ。まったく、今は他の子が出ているから、魔理沙の所へは行っちゃダメって言っているのに」

 アリスはそう呟くと、その場に力なく転がった。
 おそらく、内側に潜んでいた“アリス”が元の場所に戻ったのだろう。
 これで今日の宴会は、二人きりになってしまった。

「貴女にも、苦労をかけるわね」
「何言ってんのよ。らしくないわ」

 紫の言葉を、鼻で笑う。
 私はこうしてここで、幻想郷からも“あぶれた”彼女たちを見守ることを、気に入っているのだから。

「これからも、苦労をかけるわ」
「その方があなたらしいわよ。紫」

 もう一度、杯を傾ける。
 それから相変わらず胡散臭い笑みの紫を見て、その瞳に映った自分の姿に苦笑した。
 はぁ……元に“戻す”の、すっかり忘れていたわ。

 全身に力を抜いて、霊気の循環を整える。
 すると、私の金の髪が、元の紫がかった黒髪に戻った。
 やっぱりこっちの方が、落ち着く。

「あの子たちは、どうでした?」
「誰も彼も、原石ね」
「誰も彼も、宝石になれそう?」

 珍しくしおらしい紫に、乗ってやる。
 あの子は、強がって誰からも“浮き上がろう”としている。
 そうすればしがらみから解放されて“軽く”なれると信じているのだろうけれど、そんなのは甘い。

 繋がりを全て断つんじゃない。
 全部呑み込んで、全部享受して、真ん中で飛べてやっと“巫女”なんだから。

 だから紫は、魔理沙を連れてきたのだろう。
 あの子を引っ張って絡めて解放して、みんなで宝石になれるように。
 だって、閉じこもりがちだったアリスですら、掴んで見せた子なのだから。

「ええ、そう。だからあの子には期待しているの。あの子が頑張れば、いつの間にかみんな元気になっちゃうみたいだから、だからあの子はきっと、みんなの要になる」
「ふふ、そうね、本当に――そう」

 寂しげに杯を傾ける紫の背を、軽く叩いてやる。
 ここか幽々子の所でしか、彼女はこんな顔を見せないのだ。
 藍が心配になるのも、よくわかる。

「さて、紫かこれからどうするの?」

 私が問いかけた頃には、紫はすっかり持ち直していた。
 切り替えが早いのは良いことだが、緩んだ頬が戻っていないのは……指摘して、やらない。

「そうねぇ……とりあえず、一緒に彼女たちの未来を肴にしませんこと?先代――」
「――“今は”冴月麟よ、紫。それに肴にするのは彼女たちの未来じゃなくて、現在……いま、よ。違う?」
「……そうでしたわね、ごめんなさい。それでは、彼女たちの現在――いま――に」
「ええ、彼女たちの“いま”に」

 杯を掲げて、茜色の空を落とす。
 この向こう側でもきっと、賑やかな光景が広がっているのだろう。
 なんだ、だったら――


『乾杯!』


 ――“それ”を肴にするのも、悪くないわね。





――了――
――-1・宵/紅霧異変前夜のお節介――



「ああ、心配だわ」
「落ち着きなさいな」
「でも初めてのスペルカード戦よ!?」
「そうね。でもあの子たちなら大丈夫。違うかしら?」
「そう、ね。わかったわ、紫――」
「ふぅ、解ってくれると信じていましたわ、先代」
「――私、今日から“冴月麟”と名乗って、彼女たちを影ながら支えるわ!」
「おやめなさい!!」
「あだっ!?」




 紅霧異変に出張ろうとして、紫に後ろ頭を叩かれた冴月麟(偽名)さんでした。



 紅魔郷の隠れキャラ、冴月麟さんの登場でした。
 彼女もいずれ出したいなと思っていたので、このお話が書けて良かったです。

 相変わらず長いスクロールバーになってしまいました。
 スクロールバーさんには、いつもお世話になっています。
 そしてここまでスクロールしていただき、ありがとうございました。

 以上で、「朗報好々爺」で予告した分は終わりで、次回からは好々爺以降にプロットを組んだお話を続けていこうかと思います。

 今回のお話は、いかがだったでしょうか。
 お楽しみいただけましたら、幸いです。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
 次回は今回よりもコメディテイストましましでお送りしたいと予定しております。

 それでは次回、“霧雨魔理沙は覚えない ~疾風怒濤のメカニック妖怪山~”でお会いしましょう!

 2011/05/24
 後書きを一部変更しました。
 このシリーズは、まだ続きます。微妙な書き方をしてしまい、申し訳ありませんでした。

 2011/06/01
 誤字修正しました。
I・B
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コメント



0.2930簡易評価
1.100奇声を発する程度の能力削除
まさかの冴月麟ですかw
このシリーズもこれで終わりかぁ…全て素晴らしかったです!
5.90名前が無い程度の能力削除
しかし執筆早いなぁ…この前あれだけ長い作品を投下したばかりだってのに、もうこんな新作を…凄いです。
もちろん、内容そのものも相変わらず完成度が高い。まさか麟が登場するとは想像もしていませんでした。
11.100名前が無い程度の能力削除
旧作には疎いもんでキャラの把握が困難でしたが、ストーリーがそれを補って余りある程よかったです。
頼りないけど、しっかりと主人公してる魔理沙の書き方に愛を感じました。
次回以降も楽しみにしています。
12.100名前が無い程度の能力削除
おお、早い早い
もうしばらく後にくると思ってましたから嬉しいですね
後の話も楽しみです
13.100名前が無い程度の能力削除
続きキター!!
次はどのアリスかな?
21.100名前が無い程度の能力削除
今回も面白かったです。幻想郷の知りたくもない秘密が次々と暴かれていきますね。
次のアリスに期待です。
24.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
27.100名前が無い程度の能力削除
霊夢も火曜日も可愛いなぁ。次のお話も楽しみにしてます。
28.100名前が無い程度の能力削除
このシリーズ好きだわー。
29.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです 続き楽しみにしてますね
39.90名前が無い程度の能力削除
次回予告来た!これで勝つる!

ところで、いくつか誤字とか脱字がありましたよっと。
42.90愚迂多良童子削除
偽名、ってことは本性や如何に!?
44.100名前が無い程度の能力削除
早くも第三段にて、毎度毎度の霧雨魔理沙冒険譚が面白くてたまりません。
赤い髪の侍って、あの某番人な人か。
『あぶれもの』達の幻想郷。
するってぇと、悪霊のお師匠さんも幻想郷の幻想郷にいるのだろうか?

全体的なキーパーソンであるロリスといい、前回の美鈴といい、こんかいの旧友二人といい、ミステリアスな含みのある少女達がたまりませんね。
現在を突っ走って未来へ一直線に精一杯生きてる魔理沙との対照的な意味でも、この幻想郷の雰囲気は大好きです。

しかし、次回作のタイトルが気になってしゃーないwww
46.90名前が無い程度の能力削除
まさかの冴月麟、まさかの靈夢。
色んな伏線がちりばめられてますね。いやあ、この幻想郷はとても面白い。
次回も楽しみに待ってます。
49.無評価I・B@コメント返し削除
1・奇声を発する程度の能力氏
 紛らわしい書き方をしてしまい、申し訳ありません。
 まだ続きます。できれば、七人できたらな、と考えております。
 ご感想、ありがとうございました!

5・名前が無い程度の能力氏
 腕が使い物にならなくなることを考えなければ、もうちょっと早く書けますw
 ですがこれも、時間も集中力もギリギリまで使っているので、そう言っていただけると嬉しいです。
 麟については、やはり居なくなったというのは寂しいので、設定を組んでみました。

11・名前が無い程度の能力氏
 ありがとうございます。
 展開上旧作は出さなければならなかったのでこうなりましたが、楽しんでいただけましたようで幸いです。
 魔理沙は、霊夢とは別の在り方で主人公をしている。私の中では、そんなイメージです。

12・名前が無い程度の能力氏
 次回はもう推敲済みなので、その後も早く書き上げられたらと考えております。
 お楽しみいただけて、何よりです!

13・名前が無い程度の能力氏
 ありがとうございますw
 次のアリスは、妖怪の山でも元気な彼女です。
 いえ、半分ほど妙に元気なアリスですが。

21・名前が無い程度の能力氏
 最終的に、魔理沙が抱える秘密はどの程度のものになるのか。
 彼女の苦労を見ていただければ、幸いですw

24・名前が無い程度の能力氏
 ありがとうございます!
 今日中に、次回を上げたいと考えております。

27・名前が無い程度の能力氏
 ありがとうございます!
 ツンデレのイメージは、懐かない猫。
 そして火曜日さんは、魔理沙に懐いています。では、霊夢はというと……。

28・名前が無い程度の能力氏
 ありがとうございます。
 七人分は続けられたらとは思うのですが、アリスたちが次の話を渋るので……。
 なんとか聞き出せるように、土下座して参りますw

29・名前が無い程度の能力氏
 続きは今日中、できれば午前中には上げたいと思います。
 応援のほど、ありがとうございます!

39・名前が無い程度の能力氏
 次回予告は、できるだけ毎回つけたいと思います。
 誤字脱字、ご報告ありがとうございます。
 ちょっと書く方に専念しすぎていたので、これから探し直してみたいと思います。

42・愚迂多良童子氏
 麟さんの本名は、博麗靈夢……と呼ばれていたあの方です。
 とりあえずは、咄嗟に考えた偽名で。
 紫に止められて、拗ねている部分もある見たいですw

44・名前が無い程度の能力氏
 幻想郷から、それでもなおあぶれたひとたち。
 あぶれなかった幽香さんも、この地のことは知っているのでしょう。
 誰も彼もが胡散臭い、そんな幻想郷でした。アリスの暗躍も、日常茶飯事的な。

 そして侍さんは……はい、靈夢に男性だと間違われたあの方ですw

46・名前が無い程度の能力氏
 ありがとうございます。
 一度裏を垣間見た程度では、全部を見られない。
 私が抱く幻想郷へのイメージは、そんな感じです。


 沢山のご感想、ありがとうございました!
 それでは次回、妖怪の山編でお会いできましたら幸いです。
52.100名前がない程度の能力削除
ぐふっ水曜アリス派だったが今回で火曜アリスもいいなと思っちまった俺がいる(;´д`)
55.80桜田ぴよこ削除
毎度幻想郷の隠された秘密に首を突っ込みまくる魔理沙の明日はどっちだ!
それにしても本当、主人公ー!って感じの魔理沙ですね……。
56.100名前が無い程度の能力削除
>…………のような懐中電灯

この魔理沙は大好きだ。
続編も期待して読ませていただきます。
61.80名前が無い程度の能力削除
面白い
67.100名前が無い程度の能力削除
居るとされながらも詳しく言及されない旧作の面々が、こういう形ででもはっきりと存在していることが証明されると一安心します。
しかし、麟さんがまさか靈夢とは……その発想に恐れ入ります。