Coolier - 新生・東方創想話

ダイスロールガールロール

2011/05/03 05:53:56
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 吹き溜まりだった。
 自分がその場所にいる事実に、アリス・マーガトロイドは露骨に鼻をしかめて見せた。
 昼間だというのに、その部屋には木漏れ日のひとつも差し込んではいなかった。隙間なく閉じられた襖の向こう側は、雨戸でも閉めたかのように暗い。灯りの元は蝋燭だけだったが、風もないのにちらちらと舌舐めずりするように揺れており、どこか頼りなかった。
 蝋の臭いが、鼻をつく。
 アリスは思わず漏れそうになった溜め息を飲み込みながら、髪先を軽くつまんで、気のない素振りを装った。
 部屋の広さは、三十畳ほどあるだろうか。点々と置かれた燭台だけでは、灯りが足りていないのだろう。部屋の至るところで、照らし切られていない部分が寄り添っている。それがまた、この部屋の情景をより後ろめたいものとしている。
 陰鬱な場所だった。
 だと言うのに、その部屋はむせ返るほどの熱気に包まれていた。
「お人形みたいな嬢ちゃんだな、珍しい」
「人形遣いさんがこんなところに来るとは、いいねいいね。おじさん張り切っちゃうよ」
 下卑た声は、それぞれ両脇から聞こえてきた。二人とも、四十代と思われる人間の男性である。人里で擦れ違っても、特別気にかけるような特異な容姿はしていなかったが、この部屋の雰囲気も相まって非常に粗野なものにも見える。
 アリスは、改めて周囲を見渡すことも含めて、黙したまま男たちを睨み返した。
 二十人ほどの、年代も様々な人影が居座っている。背中から翼を生やした者などもいることから、どうやら妖怪も交じっているらしい。
 等しいのは、そのすべてが男性であることだった。
 部屋に充満する熱気は、やいのやいのと豪気に騒ぎ立てる彼らが原因である。中には、傍らに徳利を持参している者まで居た。このような場で、その中身が水や茶であることは考えられなかった。
 周りは男、それも出来上がったような輩ばかりである。
 アリスは辟易とする気持ちを、そのまま顔に表しながら視線を前へと戻した。
「さあ! さあ! またやりますよ〜! 皆さん! どうしますか〜!」
 やかましい声が、正面から降りかかる。
 威勢よく言い放ったのは、アリスを含めてこの場に三人しかいない女性の、一人である。
 丁度、アリスと対面するように位置するその少女は、緑髪と犬のような耳をわさわさと揺らしていた。まるで、この場のことをなにも分かっていないかのような満面の笑みに、頭を抱えたくなってしまう。実際、なにも分かってはいないことも、充分に考えられたのだが。
 少女――幽谷響子は、右手に湯飲みほどの壺、左手にふたつの賽子を、それぞれ持っていた。
 彼女の前には、縦横三十センチほどの正方形の台座が置かれてある。それとは別に、その台座と畳の間には、細長い白い布が敷かれてあった。それは、この広い部屋を真っ二つにするようなかたちで敷かれている。男たちは、その白い布の手前にそれぞれ座り、皆一様に響子へと目を向けていた。
 悲しいことに、誠に遺憾なことではあるが。
 アリスも、男たちと同じように座っていた。
「では!」
 響子は、壺の中へと賽子を入れて、勢いよく振り回す。からりんころりんと場違いなほどに可愛らしい音が鳴り響き、囃し立てていた男たちも真剣な面持ちで凝視しはじめる。横手の少女も真剣な眼差しをしていることに、アリスは心の中だけで嘆息した。
 壺が、口を下にして台座へと叩きつけられる。
 中の賽子が、からりんとまた鳴った。
「さあ! どっちですか!」
「丁」
「半」
「声が小さ〜い!」
「丁!」
「半!」
 心底、楽しそうな響子の声が、頭の中で反響した。
 所謂、丁半賭博である。
 圧倒的、吹き溜まりだった。
 口々に叫ぶ男たちは、手元の木札を叩きつけるようにして差し出す。それを響子は、逐一確認しながらそれぞれ、半、丁という具合で分けていった。若干、手際が悪くもたついていたが、それでも男たちは囃し立てこそするものの、罵声を浴びせかけるようなことはない。
 熱気が、うねりとなって部屋の中を廻る。
 勿論、アリスは参加することなどなかった。はじまって以来、増えても減ってもいない木札を傍らに、やるせなく事態を傍観しているだけである。できることなら、これはなにか性質の悪い夢なのだと思いたかった。
 ところがどっこい、夢じゃない。
「丁!」
 現実である、これが現実であった。
 一際大きく、周りの男たちに勝るとも劣らない声は、アリスの横から響いたものだった。その少女は男たちに倣って、木札を叩きつけるように差し出している。思いきりのよさに感服したのか、周囲からは幾つかの歓声が湧き上がった。
 少女――比那名居天子は、勝ち気な笑みを浮かべて鼻を鳴らしていた。
 青く長いその髪が、女豹が跳ぶかのように翻る。時代がかったその動きが、無性に鼻についた。
「では、そこまで!」
 響子の声に、部屋はしんと静まり返る。
「おぅ〜ぷん!」
 余程、楽しいのだろう。満面の笑みとともに、響子は壺を退けた。
 賽子の出目は、一と一。
「ビンゾロの丁〜!」
 それを言うなら、ピンゾロである。
 当たった者は喜び勇み、外れた者は大仰に悔しがっている。小さな壺に閉じ込められていたかのように、部屋には喧騒が舞い戻った。
 傍らの天子も、増えた木札を掻き集めながら、まんざらでもない顔をしていた。手元に引き寄せたそれを、健気にもひとつひとつ数えている。
 不意に、天子がこちらへと振り向く。
 紅玉を思わせる瞳が、小馬鹿にするように細められた。口の端も、得意げに吊り上げられている。恐らく、一向に増えていないアリスの持ち札を、見咎めてのことだろう。天子の持ち札は、既にアリスの何倍にもなっていた。
 顔では仏頂面をしておき、内心では感慨もなく溜め息をつく。
「さあ! さあ! さらに増やすもよし! ここらで挽回をと試みるもよし! またやりますよ〜! 皆さん、乗った! 乗った〜!」
 響子の威勢のよさは、微塵も衰えてはいない。悦に入ってきたのか、満面の笑みにもほのかに朱色が滲んでいた。或いは、蝋燭のちらちらとした灯りが、そう見せていたのかも知れない。賽子を入れた壺が、再び振り回される。
 喧騒が、静寂へと移り変わる。
 男たちも、傍らの天子も、壺を凝視している。気のない自分だけが、場違いだった。
 どうしてこうなったのだろうと、アリスは思った。

 ◆◆◆

 人里で比那名居天子を見かけたのは、正午の頃である。
 それだけでも珍しいことだったが、なにやら落ち着きなく辺りを見回しているその様子から、嫌でもアリスの目に留まってしまった。
 天人である彼女には、碌な印象がない。
 異変の発端であり、おまけにその理由もおおよそ同意しかねるものであったことが、理由である。おくびもなく「異変は退屈しのぎ」と言ってのけた比那名居天子を、ただそれだけで厄介な輩だとアリスは認識していた。天人という、これまた腫れ物のような事実も合わされば、余計にである。
 すなわち、触らぬ神に祟りなし。
 アリスはすぐに立ち去ろうと決め込んだ。
「あ」
 だが、そういう時に限って現実は甘くない。
 無視して歩くアリスの手が、強い力で引き戻される。それだけでなく、そのまま身体ごと引きずられはじめていた。
「ちょっと」
 堪らず抗議の声を上げるが、引きずる力は少しも緩まない。見ると、予想通りと言うべき青い髪が目に映った。長いその髪は、持ち主の勇み具合でも表しているのか、溌剌と左右に揺れている。帽子に飾りつけられた小さな桃が、無性に気に障った。
 天子は、アリスの意思などまるで無視して、彼女を引きずり続けた。何度か踏ん張ろうとも試みるが、それでも天子の歩調は微塵も乱れなかった。
 彼女の身長は、アリスと比べて一回りほど小さい。丁度、紅白と黒白の間、それよりは黒白寄りといったところだろう。にも拘わらず、そんな天子はアリスをいとも簡単に引きずっている。一心不乱にどこかを目指す後ろ姿に、アリスは抗議することも諦めた。
 天人とは、なんと出鱈目な輩なのだろう。
 そんな輩に捕まってしまった己の不幸を、アリスは呪った。
「ほら、これでいいでしょう」
 姦しい声が耳朶を打つ。
 天子が急に立ち止まったので、アリスは尻もちをついた。
「約束通り、これで二人よ」
「そのお嬢ちゃんは?」
「知り合い」
 服の土埃を払いながら、立ち上がる。
 椅子に座った男が、胡乱げな目でこちらを見つめていた。
「確かに、女子供は最低でも二人は必要と言ったが」
「なら問題ないじゃない、早く通してよ」
「人形みたいなお嬢ちゃん、本当に来るのか?」
「勿論」
 にべもなく答えたのは、勿論アリスではない。
 自信満々に鼻を鳴らした天子は、腕を組んでいる。どこまでも不遜な態度に、怒りすら吹き飛んでしまいそうだった。
「ちょっと」
 だが、このまま訳も分からず押し進められるのも、やはり納得できない。
「これは、どういうことなのかしら」
「退屈しのぎにここへ来たら、一人では駄目だと言われたの。失礼ね、私は天人なのに」
 不満も露わに天子が言う。
 毒づくところは、そこじゃない。
 この状況で毒づくのは、絶対にお前じゃない。
「だから?」
「ええ、あなたをつれてきたの。これで二人なのだから、文句はないでしょう」
「私は不平不満だらけで、なにから口にしようか迷っているのだけれど」
「あら、私の退屈しのぎに付き合えるのよ。光栄に思いなさい、人形野郎」
「引きずられて、この扱いで、それで光栄に思えと。天人ってのは、どこまでも思い上がり甚だしいみたいね。認識を改めさせてもらうわ、地震野郎」
 互いに、悪態のような言葉が飛び交う。
 男は、傍観を決め込んだのか黙りこんでいる。どうやら、なにかの受付係のようだったが、アリスはあまり気に留めなかった。
「兎に角、私はあんたの暇つぶしに付き合うつもりなんてないの。分かったら、さっさと別の誰かをもっと穏便に探すか、こことは別の場所で五衰から逃れることに務めなさい。もっとも、私としてはさっさと天界に引きこもっていただく方が、有り難いのだけれど」
「口先だけは達者ね。弁舌だけで、私が退くとでも?」
「口で勝てないとなると、力ずくとなる。公路の四将軍を憐れんだ、文若さんの気持ちが嫌というほど分かるわ」
「その文若を、我が子房と称えた奸雄は」
 天子の口が、挑発的に歪む。
「武を誇る美髯公に、大層惚れ込んだよ!」
 轟音が、脇をかすめた。瞬く間に土煙がもうもうと立ち昇り、片腕で目を覆い隠す。
 目の前に、アリスの身長よりも遥かに巨大な要石が、大地へと突き刺さっていた。
「……どういう理論よ」
「こういう理論よ」
 要石の上に、天子は足を組んで座っていた。ついでに腕も組んで、こちらを見下ろしている。
 天人五衰など生温い。
 十ほどにまで増やせばいいのにと、アリスは心の中だけで吐き捨てた。
「幻想郷では、文官よりも武官、すなわち」
 天子の周囲には、一抱えほどの要石が幾つも現れる。それだけでなく、どこからか虹色に輝く剣まで取り出していた。
 緋想の剣。
 どうやら目の前の天人は、思った以上にやる気のようだった。
「力ずくの方が、性に合う!」
 たん、と要石を蹴り、天子は真っ逆様に落ちてくる。その顔には、喜色がありありと浮かんでいる。
 天人とは、なんと出鱈目な輩なのだろう。
 そんな輩に捕まってしまった己の不幸を、アリスは再び呪った。

 ◆◆◆

 さすがに、天人相手は分が悪かった。
 弾幕勝負に負けてしまったアリスは、渋々と天子に従うことにした。人里での用事も買い物くらいであり、大事な予定などもない。大人しくしていれば、程なくして解放されるだろうとアリスは踏んでいた。
 しかし、天子が入場しようとしていたのが、よもや賭博場だとは夢にも思わなかった。
 受付の男は、二人に来る意思があると分かると、ご丁寧にもそれぞれに目隠しをしてきた。妙な勘繰りもしたが、如何わしいこと――賭博自体、如何わしいことではあるのだが――などは特にされず、案内されたのがこの部屋だった。
 女子供は、最低二人でないと入れない。
 無意味な建前である。二人居れば、女子供でも入れてしまうのはどうなのだろうか。
 天子は、子供のように瞳を輝かせながら、言われるがままに有り金をすべて木札へと換えていた。天人でも金に困ることがあるのだろうかとも思ったが、切迫した様子などまったくない満面の笑みを目にして、その考えはすぐに消え失せた。
 十中八九、いや確実に、暇つぶしである。
 天子本人が声高々に言っていたので、間違いなかった。
 厄介な天人の機嫌を損ねることは避けたかったので、アリスも少々の金を木札に換えていた。勿論、馬鹿正直に有り金すべてを換えるような真似はしない。賭博につぎ込むつもりも、毛頭なかった。
 ひたすら、傍観に徹することに決めていた。
 天子が負けて持ち札がなくなる、その時を待つためである。
 持ち札がすべてなくなってしまえば、彼女とてこの場を去るしかない。そうなれば、アリスは自然と解放される。こちらの持ち札を要求してくることも考えられたが、そこまでするならば神社の紅白に耳打ちしてやろうと、アリスは考えていた。
 曰く、あの天人は神社倒壊に飽き足らず、人里で金をせしめていると。
 この傍若無人な天人に対してなら、それくらいの企みは許されるはずである。いっそのこと、持ち札を要求してくるか否かに関わらず、耳打ちしてやるのもいいかも知れない。アリスは不穏な考えを抱きながら、天子が一文無しになる時を今か今かと待っていた。
 だが、そういう時に限って現実は甘くない。
「ドブロクの半!」
 それを言うなら、サブロクである。
 三と六が出た賽子を見て、天子は歓声をあげていた。またもや当たったことは明白だった。手元に引き寄せた木札は、天子がその腕すべてで掻き集めているほどに多い。既に、アリスの持ち札などとは比べものにならないほどに増えている。
 再び、天子の顔がこちらを向く。
 得意げなその笑みに、アリスは露骨な舌打ちをしていた。
 この比那名居天子。
 アリスの予想に反して、勝ち続けていた。それも、こつこつと積み立てるような勝ち方ではなく、勝負ごとに持ち札の半分を出すという、無謀なやり方で勝ち続けていた。
 ビギナーズラックという言葉もあるが、それにしても恐ろしい勝ちぶりだった。
 最初こそ囃し立てていた男たちも、今やその鳴りを潜めて、天子の様子を凝視している。中には、二、三人ほどで何事かを耳打ちし、気の毒なほどに警戒している者までいた。
「さあ! さあ! どうしますどうします! もう一回、いっときますか〜!」
 場違いなほどに快活で、能天気な声が響き渡る。答える者は一人もいなかった。
 無理もない。
 丁半賭博とは、丁と半とに賭ける割合が均等でなければ、勝負をはじめられないのだ。
 例えば、天子がここで持ち札の半分を丁に賭けたとすると、それと同じだけの木札を、半に賭けなければならない。天運とでも言うべき流れを持つ、比那名居天子と勝負をしなければいけないのだ。
 でなければ、勝負ははじまらない。
 はじめられないのだが、わざわざそんな無謀なことを行う輩は、出てきそうにもなかった。
 先ほど、サブロクの半が出た勝負で、天子とほぼ同じだけの木札を丁に賭けた男が、見事に玉砕してしまったことも効いている。その勇敢なる敗北者は、部屋の隅で燃え尽きたように天井を眺めていた。背に生える翼も、見るも無残に萎れている。
 まさしく、天狗の鼻がへし折られていた。
「皆さん! 声が小さいですよ〜! ほらほら、こういう時は元気よく! もう一回〜!」
 響子はなおも言う。
 だが萎んだ熱気が、再び膨れ上がる気配はない。男たちの視線は、今や勝負を取りまとめる響子ではなく、周りも気にせずにうずうずと次の勝負を待ち続ける、天子に注がれていた。
「……ん〜、仕方ないですね。一旦、休憩でも入れましょうか。それじゃあ休憩〜!」
 それだけを言って、響子はひとつ手を叩いた。
 その言葉が合図であったかのように、男たちはゆっくりと動きはじめた。転がるように寝そべった者もいれば、身体をほぐすように立ち上がっている者もいる。皆一様に、緊張から解放されたような面持ちだった。
 天子も、大量の木札を抱えながら、どこかへと歩いて行った。
 賭け分が均等にならない場合、賭博を進行する出方という者が、丁半均等になるよう言葉巧みに誘って、勝負を進めさせるのが通例である。この場では、幽谷響子がその役割を請け負っているはずなのだが、彼女からはそうした配慮が、まるで感じられなかった。
 今の響子は、壺と賽子の具合を確かめるかのように、それらをぶらぶらと振っている。ただ単に手持ち無沙汰となり、遊んでいるだけにも見えた。
 本当に、なにも知らずにこの場にいるのかも知れない。
 当たってほしくもない予想に、アリスは軽く眉間を揉んだ。
「晩年の、転落の一途を辿った公路みたいな顔しているのね」
 ほくそ笑む顔が覗いてくる。
 かなり手持ちの札が少なくなった天子が、傍らにいた。
「ざまあないわね、お気の毒に」
「誰が猿よ、誰が」
「あら、誰も袁術公路その人が猿だなんて言ってないわ、それは蒼天の航路に毒され過ぎ。むしろ熊よね、熊」
「……蜂蜜?」
「よく分かっているじゃない」
 木札を手中で弄びながら、天子はからからと笑った。
「あなたの顔、蜂に刺された熊みたいに、情けなかったから」
 泣きっ面に蜂という意味でなら、間違ってはいないかも知れない。
 どうやら天子は、多くなり過ぎた木札を、別の木札と換えに行っていたらしい。
 真っ黒に塗られた木札は、それ一枚で普通の木札十枚に相当する。天子の持ち札には、その黒塗りの札が何枚も入っていた。
「まだ続けるつもり?」
「当たり前じゃない」
 空気を読むということを、天人は心得てはいないらしい。
 こちらを窺う部屋中の男たちにもはっきりと聞こえるほど、天子は清々しく答えた。呻き声のようなものが、ちらほらと上がった。
「ようやく面白くなってきたところじゃないの」
「もう少し周りにも気を遣いなさい。あんたが大きく賭けると、それだけで場が荒れるでしょうが」
「いやよ面倒臭い」
 即答だった。
 おくびもなく面倒だと言ってのけたその顔は、子供が拗ねた際のそれとよく似ていた。
「私はお金が欲しいわけじゃないの。賭博っていうのが、どんなものなのか確かめたくてここに来たの。やってみたら思ったよりも楽しかったから、こうして続けているの。まだまだ持ち札は余っていて続けられそうだから、続けたいの」
「だったら、せめて空気くらい読みなさい」
「なんで天人である私が、わざわざ地上の有象無象に合わせなきゃいけないのよ」
「郷に入っては郷に従え」
「いやよ」
 一点張りだった。
「賭博なんて、天界には無いんだもの。だから、私は私がやりたいように、この場で思いっきり楽しんでやるわ」
 アリスの脳裏に、ぬかを詰めた人形に五寸釘を打つ、自分の姿が浮かんだ。
「……加減くらい考えなさいよ」
 なんとかそれだけを言って、前へと向き直る。
 再び、響子が威勢よく呼びかけていた。
 休憩の時間が過ぎたのだろう、男たちもそれぞれ座につきはじめる。その誰もが、煩わしそうに天子を一瞥していた。
「さあ! さあ! 再開しますよ〜! 皆さん、どうですかどうですか〜!」
 その場に漂いはじめた不穏な空気など、まるで気にもせずに響子は言った。気にしていないのではなく、気付いていないのだなと、アリスは思った。
 男たちの反応は、薄い。
 何人かが、力なく呻くように答えただけだった。
 これでは賭博どころの話ではない。すっかり意気消沈してしまった男たちには、勝負する気概など微塵も感じられなかった。響子の呼びかけに集まったのも、惰性のようなものなのだろう。彼らからは既に、事態を傍観し、あわよくばお零れに預かろうとする、惨めな魂胆しか見られなかった。
 恐らく、次の丁半はお流れとなる。
 あわよくば、そのままお開きになる可能性もあったが、先の口振りから察するに天子はまだ満足してはいない。
 仮に、そうやって終わったとすると、天子は不満も露にあれやこれやと文句を垂れてくるだろう。最悪、そこから実力行使にまで及ぶことも考えられる。或いは、賭博とは別の方法で自分の欲求を満たそうと、躍起になるかも知れない。
 どちらにしろ、アリスにとっては迷惑な話でしかない。
 ここで、どこぞの誰かが一念発起して、天子との勝負に乗ってくれれば話は別なのだが、周りを見る限りでは望み薄だった。
 アリスの口から、本日何度目かの溜め息が漏れる。
「湿気た顔ばかりね」
 闊達な声とともに、響子の後ろの障子がぴしゃりと開かれたのは、そんな時だった。弾かれたように、部屋中の視線がそちらへと集中する。
 一人の少女が、腕を組みながら立っていた。
「この湿気た具合は、ちょっと許すことはできません」
 たっぷりと、部屋全体まで行き届くのを見計らうかのように、間を置いてから少女は口を開いた。短めの黒髪の下で、翠玉色の瞳が探るように細められている。
 その顔に、アリスは見覚えがあった。いつぞや、興味本位で命蓮寺へと参詣した際に、見かけた顔だった。
「?時化?だけに、なんてね」
 少女――村紗水蜜は奇妙な出で立ちで、そこにいた。
 白のセーラー服は、前に見た時と変わらないので特に珍しくはない。だが彼女は、その上から黒の紋付羽織を羽織っていた。右手には、煙管にでも見立てているかのように、底の抜けた柄杓を持っている。
 その柄杓で、セーラー帽を軽く直しながら、水蜜は部屋へと入ってきた。
「代わるわ」
「はい、大将!」
「船長よ」
 響子が退き、水蜜が座る。
 突然の乱入者にも関わらず、響子はその場を譲り渡した。そこから察するに、どうやらこの丁半賭博を仕切っているのは、水蜜のようである。口振りからしても、水蜜の方が上役であることは間違いなかった。
 だとするなら、この部屋は命蓮寺の一室だろうか。
 寺院で賭博とは、まるで時代小説のようである。だがアリスには、賭博のような如何わしいものを、あの聖白蓮が許可するとは到底思えなかった。
 思考に埋没していた意識を引き戻す。
 胡坐を組んだ水蜜が、こちらをじっと見つめていた。
「そちらさん、快進撃みたいですね」
 水蜜は、顎に置いていた手を懐に入れる。
「持ち札の半分を賭ける、豪気なことです。おまけに、それで勝ち続けているのだから凄まじい」
「伯符と同じなだけよ」
 天子が、ふんぞり返りながら言った。
「相手が弱腰ばかりだった、それだけよ」
 その声に、気後れするものは微塵も感じられない。むしろ、好奇の芽のようなものが鎌首をもたげていることが、アリスには見て取れた。
 天子にとっては、暇さえ潰せればなんでもいいのだろう。面白いと思ったなら、異変でさえ起こしてしまうような輩だ。
 加えて、負けず嫌いでもある。この天人は、常に自分が優位に立たなければ満足しないという厄介な性格であることも、アリスは先の異変で心得ていた。水蜜を見つめ返すその瞳にも、挑戦的な光がありありと浮かんでいる。
 心底楽しそうに、天子は口の端を吊り上げた。
「だから私は勝ち残った。生きるべくして生きた、それだけよ」
「自分から小覇王を名乗る、益々豪気だわ」
「天人である私なら、これくらい当然でしょう」
「大したものです。けれど」
 水蜜は、懐から湯呑を取り出す。
 転がっていたふたつの賽子を、それに入れた。
「伯符は、早死にしたわ」
 口を下にして、湯呑は台座へと叩きつけられる。
 中の賽子が、からりんと鳴った。下へと向いていた水蜜の視線が、再び天子へと移る。
 鋭く、それでいて底冷えのする笑みが、うっすらと浮かんだ。
「溺れますよ、あなた」
「誰に向かって言っているのかしら」
「勿論、天人であるあなたに向かって、船幽霊である私が言ったのよ」
「私が、あなたに溺れさせられると?」
「お金にしろ、何にしろ」
 強い光を湛えた翠玉色の視線が、意地を張り続ける紅玉色の視線とぶつかり合う。
「溺れさせるのが、船幽霊の本領でしょう」
「面白いじゃない」
 天子の横柄な態度は、微塵も揺るがなかった。むしろ、その闘争心に火を付けてしまったらしい。
 薄っぺらな胸をこれでもかと反らして、満足げに鼻を鳴らす。
「上等よ」
 叩きつけるようにして、黒塗りの木札が何枚も差し出される。
 きっちりと、持ち札の半分が出されていることを確かめてから、水蜜も不敵に笑った。
「あなたが勝てば、その倍をお渡ししましょう。負ければ、出された分は没収します。異存は?」
「半」
「気の早いことで」
 逆さまになった湯呑の底を、水蜜はするりと指で撫でた。
「なら、私は丁です」
 蝋燭の灯りが、風もないのにゆたりと大きく動く。部屋にいる全員の視線が、湯呑へと集中する。
 他の者たちと同じように、アリスもこの事態を傍観していた。
 傍観に徹しようと、黙りながら決めていた。

 ◆◆◆

 流れは変わった。
 それまで快進撃の一途を辿っていた天子だったが、水蜜との勝負がはじまった途端、状況は一変した。
 一度目を負けて。
 二度目を負けて。
 三度目は両者ともに半を選んで引き分けたが、その後の四度目にも天子は負けた。
 今は、五度目を迎えている。
「半」
「……丁よ、丁!」
 天子は丁を選び、水蜜は半を選ぶ。
 今や、哀れなほどに持ち札の減ってしまった天子は、その童顔をほんのりと紅潮させていた。眉間にはこれでもかと皺を寄せながら、親指の爪をしきりに噛んでいる。まるで、苛立ちを隠すことすら知らない、子供のようだった。
 対する水蜜は、不敵な笑みを崩すこともなく、逆さまにした湯呑の底を撫でている。探るように細められた双眸は、勝利の余韻などに浸ることもせず、油断のない光を湛えている。そのことが、彼女の勝負強さを物語っているように思えた。
 周りの男たちは、最初こそ固唾を飲むように見守っていた。
 しかし、どんどんと天子が負けていくのを見ている内に、元来の騒がしさを取り戻していった。おくびもなく周囲を小馬鹿にしてきた天子に、鬱憤なども溜まっていたのだろう。今では、そのほとんどが囃し立てるように、下卑た歓声を上げ続けていた。
 勿論、水蜜を称賛する言葉ばかりである。
 天子には、縫い針を刺すかのような嫌味だけが、ちらほらと投げかけられていた。
 こればかりは、どうしようもない。
 天子は、周りにおもねるどころか気遣いの欠片すらも見せずに、我を通していた。それどころか、暗に男たちを馬鹿にしているような言葉さえ、口にしていた。
 結果、今に泣きだしても可笑しくないような状況にある。こちらの忠告などまるで無視して、好き勝手に突っ走ったがゆえに、惨敗を期しているのだ。
 男たちの視線は冷たく、なにより嫌らしい。
「賭け分は、どうします?」
「全部よ全部! ここまで減らされて、半分なんてみみっちい真似できないの!」
 上擦ったような天子の声に、周りの男たちから下卑た笑いが上がる。馬鹿にし切った、笑い声だった。
 今、天子は孤立している。
 男たちの、後ろ指を指すかのような真似も、分からなくはない。事実、それまで得意げだった天子が勝負に負け、ごっそりと札を持っていかれた際には、アリスも胸の内がすっとしたものだ。しばし呆気に取られ、それから悔しそうに歪められた横顔を見た時など、笑いを堪えるのに必死だったほどである。
 無理矢理、ここへと連れて来られたのだから、当然と言えば当然だった。
「では、開けましょうか」
「さっさと……しなさいよ!」
 だがそれも、ここまでの事態となると別である。
 紅玉色の瞳は、悔しさで揺れている。今にも、滴がこぼれ落ちてしまいそうなほどに揺れ動きながらも、意地を張って水蜜をしっかりと見返している。悔しさ以外の感情は感じられず、だからこそ天子が心の底から悔しがっているということが、アリスには容易に見て取れた。
 底抜けなほどに分かりやすい。純粋だとも言える。
 アリスの胸に、脂汗のような後ろめたさが広がった。
 たぶん、比那名居天子は自分に対して、恐ろしく正直なのだろう。だからこそ、自分がやりたいと思ったことには、不純にも法螺吹きにも悪役にもなれる。異変を起こしてのけたのも、彼女が自分に正直だったからこそできたのだろう。恐ろしく迷惑な話ではあるが、なんとなく想像はついた。
 これまでの、天子が浮かべた顔を思い出してみる。
 人里で見た時は、落ち着きのない所在なげなものだった。
 この部屋に入った時は、子供のように瞳を輝かせて、満面の笑みを浮かべていた。
 勝ち続けていた時は、得意げに鼻を鳴らして、口の端を吊り上げていた。
 天子にとっては、自分の欲求を満たすことこそ、すべてだったのだろう。退屈凌ぎをしたい。天界にはないものをやりたい。人に言われても曲げずにやってのけたい。他者より優位に立ちたい。
 なにより、楽しみたい。
 思えば、天子がこれまでに浮かべていた顔には、楽しみたいという願望がありありと浮かんでいた。それは子供のような、いや、子供となんら変わりないものであった。
 それが比那名居天子なのだろうと、アリスはようやく思い至った。
 今、天子は孤立している。
 子供のように振る舞い、子供のように周りの意見を聞き入れず、そうして孤立していた。
 自業自得である、そうに違いない。
 しかし、誠に訝しいことに、どことなく納得できないものも感じながら。
 アリスは、傍らの天子が哀れに思えた。
「さて、出目は」
 水蜜がそう言って、湯呑を退ける。
 伏せてから退けるまでの間に、彼女は湯呑の底を三度、撫でていた。
「ロッピンの、半」
 賽子の出目は、六と一。
「私の勝ちですね、悪しからず」
 歓声が沸き起こった。
 水蜜は相変わらず不敵な笑みを湛えたまま、その手の柄杓で木札を掻き寄せる。
 それで、天子の持ち札は無くなってしまった。
 水蜜の言葉に、天子はなにも言わなかった。言えなかった、というのが正しいかも知れない。唇をきゅっと引き結び、耐えるように俯いている。両膝の上で握り締められた拳が、ふるふると震えていた。
 なにはともあれ、勝負はこれで終わりである。
 連戦連勝を重ねていた天子は、その後に連戦連敗を重ねるという、屈辱的なかたちで敗れてしまった。これでは、誰かの持ち札を借りるないしは奪うという真似も、できるはずがない。そんなことをしても、恥の上塗りになるだけだった。
 或いは、恥も知らなそうなこの天人ならとも思ったが、どうやら彼女もそこまで厚顔無恥ではないらしい。今にも泣き出してしまいそうに瞳を潤ませながら、じっと畳の一点を睨みつけていた。
 それにしても、不自然なほどの負けぶりだった。
 アリスは、水蜜の手元にある湯呑を、なるたけさり気なく一瞥する。
 予想通り。
 湯呑の底には『丁偶半奇』と小さく書かれてあった。
「さすが船長。勝負強さは伊達じゃねえ」
「天人のお嬢ちゃん、頑張ったが運が悪かったな」
「ムラサ船長に睨まれちまったのが運の尽きよ。そろそろ流れが変わったも知れないのに、惜しかったねえ」
「なんなら、その小奇麗なお洋服を金に換えるかい? お嬢ちゃんみたいな別嬪さんなら、破廉恥な格好でもおじさん全然気にしないよ」
 掌を返したように、男たちは口々に天子を労いはじめていた。
 無論、中身など供なっているはずもない。下品な響きもそのままに、好き勝手なことを口走っているだけだった。馴れ馴れしくも、こちらにすり寄ってこようとする輩まで出てくる。
 アリスはそいつらを無言で睨みつけた。
 傍らの天人は、確かに不愉快だ。人の都合などお構いなしに、ここまで付き合わされたことが効いている。
 だが、周りの男たちの態度は、もっと不愉快だった。
「……服を、お金に?」
 天子の様子が一変した。
 それだけを言うと、弾かれたように振り返って、男たちを見る。
「換えてくれるの? 服を渡せば、お金に換えてくれるの?」
「いやいや落ち着けって、髪の綺麗なお嬢ちゃん。さっきのは、まあ言葉の綾で」
「どうなのよ!」
 天子は立ち上がり、男たちへと詰め寄る。
 先ほどまでの落ち込み具合がまるで嘘のように、毅然とした態度だった。
「換えてくれるの! 換えてくれないの! どうなのよ!」
「さ、さすがに、ここでお嬢ちゃんが丸裸になるのは、俺らがよくてもムラサ船長のひんしゅくを買っちまうから」
「じゃあ帽子。これだけなら文句ないでしょ」
 言うや否や一人の男の手を取り、半ば強引に帽子を押しつける。
「さあ、これをお金に換えて頂戴」
「そんな無茶な」
「よしんば換えてくれたとしても、それだけでは、あなたの賭け札には到底足りませんよ」
 言葉に窮した男たちに代わり、水蜜が言った。
 彼女の傍らには、今まで天子から勝ち取った木札がこれ見よがしに積まれている。その枚数からしても、現金に換算すれば相当な金額となりそうだった。
「むしろ、あなたのお連れ様に頼むのが最良かと、私は思いますけどね」
「そんなこと、する訳ないじゃない」
 水蜜の不穏な提案を、天子は一顧だにしなかった。
 予想もしなかったその言葉に、アリスは目をしばたたかせる。てっきり、金を無心してくるものと考えていたからだ。
「貸しを作ってしまった奴に、また貸しを上乗せるような真似、私がすると思う?」
 天子が、横目でアリスを見る。
 生意気だと感じてしまうほどに、澄ました顔をしていた。
「思っていたのなら、失礼しちゃうわね」
 青く長い髪が、掻き上げられてふわりと踊った。
「兎に角、私はこの帽子でお金を作るの。少なくても構わないわ、それで勝負するまでよ」
「やはり豪気ね。玉璽をわずかながらの精兵にして、賭けに出るつもり?」
「元より、賭けごとじゃない」
 天子の声には淀みがない。
「まだまだ楽しめるのなら、帽子のひとつくらい安いものよ」
 先ほどまで、天子は悔しさに涙しそうな顔をしていた。恐らく、表面上だけではなく、心の底から悔しがっていたはずである。楽しんでいたなどという様子は、間違っても感じられなかった。
 今の天子は、あの得意げな笑みを浮かべている。
 これから、はじまるかも知れない丁半の続きに思いを馳せ、待ち切れないという小生意気なものが覗いている。帽子どころか、できるのなら着ている物すべてを取っ払っても構わない、乗ってやると瞳が訴えている。
 楽しみにしていると、その小さな身体から滲み出ていた。
「……しかし、やはり足りない」
 それでも水蜜の声は、落ち着いたものだった。
「もう一声くらい、欲しいところだわ」
「服は駄目なのでしょう」
「公序良俗に反しますので」
 言葉ではそう言いながらも、水蜜の瞳は期待するかのように細められていた。
 今まで、この場で服を金に換えると言い出し、実行しようとした輩などいなかったのだろう。部屋に入った時から浮かべていた不敵な笑みにも、徐々に歓喜の色が漂いはじめている。天子が浮かべている笑みと、よく似たものへと変化しかけていた。
 セーラー服の上に紋付羽織を着るという、傾奇者のような格好をしているのだ。
 そんな水蜜が、天子のような無頼者をどう見ているのか。どのように、見定めようとしているのか。
 傍観者に徹しているアリスにも、手に取るように理解できた。
 水蜜は、天子の次の言葉を待つかのように、賽子を手中で踊らせている。
「ああ、そうだ」
 程なくして、天子は言った。
 明日の天気でも相談するかのような調子で、またも男たちへと向く。
「さっき、私の髪がどうとか言っていたの、誰?」
「……俺だが」
「私の髪、綺麗かしら」
「まあ、見事なもんだと思うよ」
 歯切れ悪く、男は言った。他の男たちも、同意するかのように頷いている。
 それに関しては、アリスも同感だった。
 空とも川とも言い難い、不思議な青色の髪は、天子の腰あたりにまで届くほど長い。天子が動くたびに合わせて動くその長髪は、文献でしか見たことのない大海を思い出させた。
「ふうん。なら、いいか」
 一人、納得がいったように天子は頷いた。
 訳が分からず見つめていると、懐からいそいそと長い物を取り出してくる。
 虹色の剣。
 緋想の剣が、握られていた。
 色めき立つ面々を余所に、天子は右手に剣を持ち、左手で長髪をまとめて引っ掴んで。
「おお、快なり。なんてね」
 ばさりと切り落とした。
 瞬く間に、天子は長髪から短髪へと変わっていた。
 あまりのことに、皆一様に二の句が告げられなくなる。アリスも例外ではなく唖然として、見送ることしかできなかった。
 切り落とした髪を、天子は無造作に持っている。
 それを、男たちに向かって差し出した。
「これ、買って頂戴」
「あんた馬鹿でしょう! なにをやっているのよ、なにを!」
 その部屋の誰もが動くより早く、アリスは立ち上がっていた。
 別に、なにか思惑があった訳ではない。気が付けば、突き動かされるようにして身体が動き、口が動いていた。
「自分の髪を売るなんて! なにかを言う前に切り落としちゃうし、ちょっとは言いなさいよ! 髪を切るって!」
「なんで、あなたに言わなきゃいけないのよ」
「言ったら、お金くらい貸したわよ!」
「貸しは作らないって言ったでしょう」
「それとこれとは、話が別!」
 天子は、不思議なものでも見るかのように首を傾げている。
 訝しがるのは、そこじゃない。
 この状況で分からないという顔をするのは、絶対にあんたじゃない。
「あんなに長い髪、切ることないでしょう! 折角、あれだけ長くて綺麗だったのに! 勿体ないじゃない!」
「勿体なくなんかないわ」
 そこで、天子は微笑んだ。
 母親に褒められた子供のような、誇らしげな笑みだった。
「言ったでしょう。これくらい、楽しめるのなら安いものだって」
 その笑みに、次の言葉が出てこない。言いたかったことが、すべて喉の奥で溶けてしまった。
 天子はなおも手に持った青い髪を、男たちへと差し出している。
「ほら。私の髪、綺麗なんでしょう。だったら買って頂戴よ」
「……気に入った」
 よく通る声は、男たちのものではない。
「買うわ。帽子も、あなたの髪も」
 水蜜は、底の抜けた柄杓で木札を渡してきた。天子が勝負で負け、没収された木札すべてだった。
「代金はあなたの持ち札すべて。異存はあります?」
「ならばよし」
 帽子と髪。それらを賭けに出す持ち札のように、水蜜へと差し出す。
 どっかりと座り込んだ天子は、口の端をこれでもかと吊り上げながら、大きく鼻を鳴らした。
「異存なんか、あるはずないわ」
「文台に阿瞞ですか、豪気なことです」
「あなたこそ、よく分かるわね」
「漫画は面白いですから」
 湯呑に、賽子がふたつ投じられる。からりんころりんと、場違いな可愛らしい音が鳴り響く。
 まるで天子のようだと、アリスは思った。
 からりんと変わったかと思えば、いつの間にかころりんと変わっている。表情だけではなく、内面すらも変わっているのだ。見ているだけでは可愛らしいとも思えるが、ひとたび関われば姦しさとともに振り回される。
 その証拠に、傍観に徹するつもりが、すっかり振り回されてしまっていた。
 湯呑が、台座へと逆さまに叩きつけられる。中の賽子が、一際大きく鳴った。
「さて、どちらに?」
「待ちなさい」
 天子がなにかを言う前に、アリスは口を開いた。
 傍らには、天子の賭け札が積まれてある。水蜜の近くには、帽子と青い髪が置かれてあった。
「少ないけれど餞別よ」
 その天子の賭け札に、アリスは自分の持ち札をすべて重ねた。
「あんたの賭ける方に、私も賭ける」
「……どういう風の吹き回し?」
「気まぐれ。それじゃあ、駄目かしら?」
「なによそれ」
 天子は訝しげに眉を寄せている。紅玉色の瞳は、戸惑いで揺れ動いていた。
 若干、そのまま押し黙る。
「……まあ、貰っておいてあげるわ」
 小声でそれだけを言って、天子はアリスから目を逸らした。
 落ち着きなく右頬をぽりぽりと、かいている。他人のことなどまったく顧みないような彼女には、似合わない仕草だった。
「では、賭けに上乗せですね」
 湯呑に手を置いたまま、水蜜が言う。わずかばかり、アリスの視線を気にすような素振りがあった。
 遠慮する必要もないので、舐めるように湯呑の底を見る。『丁偶半奇』という文字は、一度も撫でられなかった。
「どちらに?」
「丁」
「……半」
 天子が丁、水蜜が半。
 部屋中の視線が、二人へと釘付けになる。アリスも加えるなら、三人だった。
 男たちからは、もう野次などが飛んでくることもない。湯呑の中にある賽子が現れるのを、じっと待っている。その誰もが目を皿のように大きく開けていた。大の大人が、押し合うようにして小さな湯呑を見つめている様は、かなり滑稽なものにも思えた。
 水蜜が、湯呑を取る手に力を込める。
 天子は大きく唾を飲み込み、アリスは顎に手を当てながら見守る。
 果たして、賽の目は。
「水蜜」
 それは静かな声だった。
 厳かでもあり、それでいて絹のような柔らかさも湛える、優しい声だった。
 だが、その声に呼ばれた水蜜の反応は、速かった。青天の霹靂でも起こったかのように、湯呑へと向けていた面をさっと上げる。その顔は、これまでに見せたこともないような、ひどく狼狽したものだった。
 水蜜の視線は、アリスと天子の後ろ、部屋の境目でもある障子に向けられている。つられるように、全員の視線が動いた。
 光が差した。
 真夜中のように暗かった障子の向こう側から、陽光が差し込んでくる。蝋燭の灯りなどより遥かに強く、部屋を照らした。
 障子が、弾かれたように両側へと開かれる。
 昼下がりの日差しを背に、一人の女性が立っていた。女性は、柔和な笑みを浮かべて、一点を凝視していた。
 村紗水蜜、その人。もとい、その舟幽霊を。
「げぇっ! 聖!」
「じゃーんじゃーんじゃーん」
 ご丁寧にも、響子が合いの手を入れていた。
 女性――聖白蓮は、その微笑みを少しも崩さなかった。丁半賭博の現場を目の当たりにしても。呆けた顔をしている男たちにも。呑気に挨拶をしている響子にも。これでもかと目と口を開いて後ずさる水蜜にも。事態を飲み込めていない天子にも。
 聖白蓮は、水蜜一人をじっと見据えながら、微笑んでいた。
 アリスは一人、ようやく合点がいく。この丁半賭博は、村紗水蜜が単独で行っていたものだと。
「水蜜」
「なにか御用ですかな聖さん」
 答えたのは、片言の、肺腑を握り搾られたかのような声だった。
「まさか、ぬえを使ってこの部屋を正体不明にしちゃうなんてね。私、不覚にも感心してしまったわ」
「これはぬえの思い付きだよ聖さん、私は止めたんだけど」
「ぬえも同じことを言っていたわね」
 白蓮は、部屋へと足を踏み入れた。男たちは一斉に退き、水蜜へと一直線となる道なき道を作る。
 十戒を思わせる光景だった。
 未だに事態が飲み込めていない天子を、アリスはその手を引っつかんで退かせる。
「響子ちゃんまで取り入れるなんて、恐れ入ったわ。この子の大きな声は、色々と役に立ちそうだものね」
「響子が是非とも参加したいと言ったから、私は誘っただけですよ聖さん。強制などしていません」
「本当なの、響子ちゃん?」
「勤行の一環だと、水蜜さんから聞いていたんですけど。違うんですか?」
「そうだったの、偉いわね」
 そう言って、白蓮は響子を撫でた。
 柔らかく撫でられた当人は、照れ臭そうに微笑んでいた。悲愴な顔で後ずさろうとする水蜜の姿は、見えていないようである。
「逃げちゃ駄目よ、水蜜」
 白蓮は、響子の背をそっと押し、部屋の外へと優しく促す。
 彼女から漂う気配は、終始穏やかなものだった。賭博の現場を目撃し、その主犯格が目の前にいても、それは変わらなかった。
「お寺の境内で賭博だなんて、まるで時代劇ですね。まさか、自分のところで起こるだなんて夢にも思わなかったわ」
「夢にもないことが叶ったのなら、喜ばしい限りで」
「あら、その湯呑。私のお気に入りのものじゃない。ずっと探していたのよ」
「大きさが丁度いいかなーなんて」
「紋付羽織、肌触りがいいでしょう。命蓮のお部屋に飾ろうと思って、職人さんに頼み込んだの。届けたはずと言われて、でもどこにもなくて焦ったわ」
「着る人がいないなら、いっそと思いました。似合います?」
「ええ、とっても」
 喋っているうちに、水蜜もその調子を取り戻していった。取り繕うような笑みを浮かべながら、紋付羽織を丁寧にたたむ。
 若干、頬が引きつってしまうのは仕方がなかった。
「水蜜」
「はい、聖」
「仏の顔も三度までって、知ってる?」
 水蜜の笑みが、凍った。
「賭博、やりましたね」
 白蓮は微笑みを絶やしてはいない。
「湯呑、探したんですよ」
 そこでようやく、アリスは気付いた。
「紋付羽織、高かったわ」
 柔らかく細まったその瞳が、まったく笑っていないことに。
 一歩、また一歩と、白蓮は近付いている。水蜜は、畳に縫い付けられたかのように動かなかった。動けなかった、と言った方が正しいだろう。
 アリスは心の中だけで、水蜜に合掌した。
「な、南蛮では三度どころか、七度まで大目に見たわ! だから、聖! そんな孔明先生のように慈悲深い心を以って」
「水蜜」
 白蓮は、右手を掲げる。
 かすかに震える、握りこぶしがあった。
「南無三」
 ほぼ無挙動で振り抜いた拳は、確かに顎を捉えていた。
 水蜜の身体は、くるくると風車のように回りながら天井を突き破り、さらには命蓮寺の瓦屋根さえもぶち破って、空の彼方へと飛んでいってしまった。
 アリスは心の中だけでなく、本当に合掌した。
 天子は目の前の出来事が信じられないらしく、目をぱちくりとさせている。
 そんな、自業自得ながらも哀れな村紗水蜜と、風穴が余分に増えてしまった自分の寺を見て。
「……ちょっと、やり過ぎちゃったかしら」
 聖白蓮は小さく、本当に小さく、それだけを言った。
 後日、聞いた話だが。
 天に昇り、きりもみ回転をする村紗水蜜の姿は、遠く妖怪の山からも見えたという。

 ◆◆◆

 命蓮寺の枯山水の庭園は、冥界と比べると質素なものである。そこに新たな造形物が誕生したのは、あの賭博場での一件から間もなくのことだった。
 犬神家を体現した水蜜に代わり、白蓮は賭博に集まった者たちへと金銭を返した。
 金額は、賭博場へと入場した際に、木札へと換えた分のみである。先の水蜜への一件が効いたのか、不平不満を言う者は一人もいなかった。
「なんだか落ち着かない」
「そりゃあそうでしょう、ばっさりと切っちゃったんだもの」
 帽子を必要以上に目深に被って、天子は歩いている。その横に、アリスは並んでいた。
 結局、帽子は返ってきた。なんだかんだ言っても、やはり愛着はあったのだろう。天子は嬉しそうな顔をして受け取っていた。
 だが髪の毛だけは、どうしようもなかった。
 返されたからといって、また元通りに生えてくるはずがない。仕方ないので、切った髪の毛はそのまま命蓮寺に置いてきた。かなり短くなってしまった髪を、天子は落ち着きなく弄っている。
「それにしても、負けたわね」
「途中だけよ。最後は分からなかったわ」
「でしょうね。イカサマを使われていたし、途中の負けは已む無しってところね」
「なるほど、イカサマだったのね。それなら勝てるはずが」
 天子の足がぴたりと止まる。
 振り返ると、困惑した顔でこちらを見つめていた。
「イカサマ、だったの?」
「ええ」
 湯呑の底に描かれていた『丁偶半奇』という文字と、それを頻りに撫でていた水蜜。
 あれは、湯呑を伏せてから退けるまでの間に、その文字を撫でた回数に応じて賽子の出目が決まる、そんな仕掛けだった。偶数の数だけ撫でれば丁、奇数の数だけ撫でれば半、という具合である。
 だから『丁偶半奇』なのだ。
 なんてことはない、実に単純なイカサマ道具だった訳である。
 真に恐るべきは、白蓮愛用の湯呑を、そんな出気の悪い丁半専用道具にしてしまった水蜜の心胆こそ、と言ったところだろうか。大した厚かましさである。
 現在、枯山水の犬神家として猛省している彼女は、果たしてこれで懲りたのだろうか。
 それはアリスにも分からない。
「イカサマ、だったんだ。そうだったんだ」
「あんたが場もわきまえず、運だけで勝ち進んでいたからでしょうね。すっからかんにして、頭を冷やしてやろうと考えたんでしょう」
 それどころか、熱くなってしまったのが天子だった。
 まさか後先考えず、折角の長髪まで台無しにしてしまうとは、誰も思わなかっただろう。
 つくづく、出鱈目な天人である。
「これに懲りて、軽はずみな行動は慎んでくれると、私としても有り難いんだけれどね」
「イカサマかあ。そっか、イカサマだったんだ」
 アリスの切実な言葉に、天子が耳を傾ける様子はなかった。なにか考え事にでも没頭しているかのように、髪の先端をくるくると巻いている。
 いっそ、ぬかに詰め込んで五寸釘を打ってやろうか。
 アリスの脳裏に、不穏な思い付きが浮かぶ。
「でも」
 天子の足が、また止まる。
 さっきと同じように振り返ると、さっきよりも更に困惑した顔でこちらを見つめていた。
「じゃあ、最後になんで私の賭けに乗ったの? イカサマしてくることも充分考えられたのに、なんで?」
 疑問をいっぱいに湛えている、そんな声だった。
 何故空は青いのかと、子供に問いかけられているかのような気持ちに、襲われた。
「……色々とあるけれど。そうね、強いて言うなら」
 少しだけ屈んで、目深すぎる帽子を直してやる。
 思っていた以上に、天子の身長は低かった。
「あんたの突っ走りぶりに、乗っけられたってところかしら」
「なによそれ」
「あの時も言ったでしょう。気まぐれって」
「意味分かんないわ」
「考えるよりも先に、手足が出る。あんたも言ってたじゃない、力ずくの方が性に合うって」
 そんなものでしょうと、アリスは付け加えた。
 だが天子としては、なおも納得がいかないらしい。仏頂面で小首を傾げている。その反応が、何故だかひどく気恥ずかしいものに思えてきた。
「ほら、そんなことはどうでもいいわ。行くわよ」
 天子の手を掴み、半ば強引に歩きはじめる。
「行くって、どこに」
「あんたの髪、そのままだと見栄え悪いでしょう。整えてあげるから、来なさい」
「べ、別にいいわよ、それくらい。髪なんてすぐに生えてくるし」
「落ち着かないって言ったのは、どこの誰だったかしら」
 それからしばらく、押しては引いての問答が続いた。
 かなり傾いた位置にある太陽が、ほんのりと茜色で染めてくる。
 やがて観念したかのように、天子はこくりと頷いた。右頬をぽりぽりとかき、ぶつくさと何事かを呟きながら、あえて視線を逸らそうとしている。肩口ほどの青い髪が、動きに合わせてかすかに揺れた。
 そんな天子が面白く、同時に可愛いじゃないかと感じて、アリスは笑った。

 本日ここに用意しましたのは、天人に関する品、なんと天人の髪の毛です!
 霊験あらたかなこの逸品にかかれば、幸運を呼ぶ兎の足など玩具のようなもの! 今なら十本一束でなんとげぇ! 聖!

 ご読了、誠にありがとうございました。
爪影
garaku2002@yahoo.co.jp
http://tumekage.blog.shinobi.jp/
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コメント



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9.100名前が無い程度の能力削除
水蜜ェ……
天子ちゃんのまっすぐさがかわいいですね
12.100名前が無い程度の能力削除
天子の子供っぽさとアリスの世話焼きが合わさって最強に見える
19.100名前が無い程度の能力削除
アリスはこんな役回りが似合うなぁ。
蒼天航路ネタ盛り沢山で超俺得でした。
天子と魅力もたっぷりと堪能できましたし、満足です。
21.100奇声を発する程度の能力削除
アリスの世話焼きっぷりが良かったです
22.100名前が無い程度の能力削除
天子ちゃんマジ唯我独尊

Law-Light勢力として扱われる事が多い命蓮寺ですが、これぐらい各人が好き勝手やってそうなのが幻想郷らしくて好きです。
27.90名前が無い程度の能力削除
ヒュー、この天人にゃ惚れるぜ。
33.100電動ドリル削除
いくらだ、その髪はいくら出せばいい!?
それはともかく、なんて可愛くてカッコいい天子
35.100名前が無い程度の能力削除
うん、実に面白い
最後のオチまでとても楽しめました
48.100名前が無い程度の能力削除
本当に面白かったです。キャラクターが生き生きしているような、そんな印象を受けました。理想通りのキャラクター像で、もう何だか胸がいっぱいです。
アリスとさとり、または天子あたりが絡む話が読みたいなー、と思っていたところに、作者様を見つけた次第で、読んだところ、それがもうなんと言えば良いのかわからないんですが、とにかく最高でした。
作者様の作品をこれからも楽しみにしております。 あと、蜂蜜が出てくるとはw
53.100名前が無い程度の能力削除
よかった。どのキャラもすごいしっくりきた。
62.100名前が無い程度の能力削除
非常にらしいキャラクターに魅せられた
63.90名前が無い程度の能力削除
あ、聖さん。この金は違うんですよ。決して買おうと思ったワケでは
So Good!!
天子の無邪気だけど、良く分からない気高さ
アリスの世話焼き根性
そして、周囲の野郎どもも悪いこと言うけど
結局あんま悪いやつらじゃない感じも含めて良い感じです

個人的には水密さんには散り際に「そろそろ死ぬぞ」と言って欲しかった…かも
64.100名前が無い程度の能力削除
これは面白かった
65.100名前が無い程度の能力削除
ムラムラしてきたな