Coolier - 新生・東方創想話

幽々子様は物忘れと代名詞が酷く多いご様子です

2011/04/03 23:16:47
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所謂認知症がテーマとして扱われております。
また、それを茶化すような表現も少なからず含まれております。
それらが許容できない、またはその可能性のある方はブラウザのバックをどうぞ。
許容できる方は、我が拙作をお楽しみください。

























「妖夢~、これって確かあれとそれだったわよね~?」
「幽々子様、何を言っているのか全く分かりません」





   ◇


「幽々子様がボケました」
「随分唐突ね」

 いつも通り境内の掃き掃除をしていると、突然妖夢が現れてこんな事を言い出した。
 退屈していたところ珍しい奴が来たので、何を言うかと思えば訳の分からない事を。
 ただ、取りあえず雰囲気というか流れというかで分かる事がある。
 ――これは、面倒事だ。

「別に幽々子がとぼけてるのなんていつもの事じゃない」
「とぼけてるとかじゃないんですって」
「じゃあ何だってのよ」
「認知症ですよ。慢性進行性亡霊型アルツハイマー症候群」
「よくもまあそんな適当な病名をつらつらと」

 謎の病気を作り上げている間も、妖夢の表情は変わらず真剣なままだ。
 どうやら、本人は真面目に話していると思っているらしい。
 それから「ちょっと見ていて下さい」と言って、妖夢はオホンと咳払いをする。
 何をするのかと見ていれば、突如妖夢が奇妙な声を上げ始めた。

「あぁ妖夢ぅ、夕飯はまだかしらぁ~(はあと」
「どこの風俗嬢よ」
「ちがっ!? 幽々子様ですよ、幽・々・子・様!!」

 余りの似ていなさに一発ギャグかと思ってしまったがそういう訳では無いらしい。
 まったく、とプンスカ怒ってから、妖夢は猿芝居を再開する。続けるのかい。

「『そんな……幽々子様、お夕飯は先程お召し上がりになられたではございませぬか!』
『あらぁ、そうだったかしらぁ? でも貴女のご飯は大層美味であるからにして、作ってほしいものよのぉ~』
『幽々子様……分かりました! この魂魄妖夢、腕によりをかけてこのお夕飯作らせていただきまする!!』」

 時代背景が分からない。
 「であるからにして」に至っては何か根本的におかしい気がする。

「……てか、結局もう一回作ってるんじゃない!」
「そ、それは幽々子様の笑顔が余りにも無邪気でいらしたからつい」
「主人が主人なら従者も従者ね……」

 話がそれた。

「ともかく、幽々子様が遂にボケ始めてしまったんです」
「それは何、つまり夕飯を食べたにも関わらず幽々子が夕飯を催促してきたからボケたと」
「だって、普通に考えればそう思っても仕方ないじゃないですか!」

 両こぶしを握り締めて熱弁する妖夢。
 それはまあ――そうかもしれない。
 もし高齢の人間が二度も夕飯を催促してくれば、誰でもボケたと思うだろう。
 しかし。
 私にはどうも、その相手が幽々子であるという事で、疑惑を捨てきれない節があった。

「ねえ妖夢」
「ああ、その内『妖夢~ごはん!』『私はご飯ではありませんよ幽々子様』なんて会話が日常茶飯事の過酷な介護生活が待ってるんですよぉ!」
「話聞きなさい」

 結構周りの見えなくなるタイプのようである。それはともかく。

「妖夢、少なくとも幽々子は私達じゃあ比にならない程長く生きてるのよ。そんな奴が今更ボケると思う?」
「でもっ……二回もご飯をせがんでくるなんて普通じゃ――」
「はあ……だから、そこがおかしいって言ってるのよ」

 へ? と妖夢は呆けた顔を見せる。
 本当に何も気付かないのか、と改めて溜め息を吐いてから、私は妖夢に告げる。

「考えても見なさい、相手はあの幽々子なのよ。紫に並んで何考えてるか分かんないような奴が、テンプレボケするなんておかしいと思わない?」

(……てか、そもそも幽霊がボケんのかよって話だけど)ボソリ

「それは……つまり」
「からかわれてるのよ、アンタは。幽々子と……それから、紫もそうかもしれないわね」

 妖夢の普通に考えた結果がそれなら、私の普通に考えた結果はこうだ。
 というか誰に問いかけたとしても、私と同じ答えが返ってくる事は請け合いだと思う。
 何故なら妖夢はこの幻想郷で、既にいじられキャラとして定着してしまっているからである。
 嫌と思ってももう遅い、それがいじられキャラの宿命なのだから……南無。

「…………」

 さておき。目の前に立つ妖夢は私の言葉を聞くと、下を向いてわなわなと震え始めた。
 幽々子の従者という立場であるとはいえ、込み上げる主への怒りに身を震わせているのだろう。
 ともかくこれで目も覚めた筈、私が面倒事に巻き込まれなくても済む訳だ。

「……霊夢さん」
「何よ――へっ?」

 ところが。妖夢といえば、突然私の両肩をガッチリと掴みあげてきた。
 そして非常に近い距離から、私の目を見つめてくる――な、何だというのか。
 ここまで近くで見つめられると流石に気恥ずかしくなって、思わず視線を逸らしてしまう。
 それでも、妖夢は私から視線を逸らそうとしない。傍から如何わしい事をしていると疑われても弁明できない状況。
 少しずつ顔が熱くなるのを感じながら、私はチラリと妖夢の顔を窺って――

「……霊夢さんは、実際に見ていないから分からないんです!」
「……は?」

 タイミングを見計らったように、妖夢が力強い声で言いきった。
 ……って、この半人半霊は突然何を言い出すのか。
 混乱している間にも妖夢は「さあ行きましょう、現実の幽々子様を見に!」とか「百聞が一見に勝る事はあんまり無い!」とかほざいている。
 これはあれか、私の有限で貴重な労力資源を長距離移動に費やさせられる前兆なのだろうか。
 冗談じゃない。こう見えても私には色々やる事がある。
 そう、境内の掃除とか縁側でお茶を飲んだりとか。以上。
 ……じゃなくて、とにかく色々あるのだ、色々。

「い、嫌よ面倒臭い! 白玉楼まではかなり距離あるし!」
「そう言わずにどうかお願いします! それに霊夢さんだって、あんまり動かないとボケ巫女になっちゃいますよ!」
「あ?」
「すいませんごめんなさい」

 とにかく一度見てみれば分かりますから! と尚もゴリ押しする妖夢。
 露骨に嫌がる様子を見せながら本殿へ帰ろうとするも、まるで駄々をこねる子供のように腰にしがみついて動かない。
 ……マズい。
 このままでは本当にゴリ押しされて、この面倒な事柄の当事者にまで引き上げられてしまうかもしれない。


「……分かりました」
「え」
「そこまで嫌と言われてしまっては仕方ありませんね」
「……あ、うん」

 と、突如謎のタイミングで妖夢はようやく私の腰から離れた。
 突然諦めが良くなったわね――少し拍子抜けするも、取りあえずはほっと息を吐く。
 これで日常崩壊の危機は免れたというものだ。

「…………」

 しかし奇妙な事に、妖夢はなかなか踵を返そうとしない。何やらボソボソと、小声で独り言を発している。
 そうしてその場で突っ立っている彼女を怪しげな目で見つめていると。
 彼女はふと、小さいながらも今までより少しだけ大きい声で、呟いた。




「……協力していただけたら、人里でおいしいおはぎをご馳走しようと思っていたんだけどな」


   ◇


 博麗神社から白玉楼までは、どれだけ急いでも半日はかかってしまう。
 その為、お昼前に神社を出た私達が白玉楼に着いたのは、もう日も暮れかかっている時間であった。

「――ったく、遠いにも程があるわ」
「お疲れ様です霊夢さん、こちらです」

 妖夢に玄関まで案内され、そこからも妖夢の後に続いて進んでいく。
 長く続く白玉楼の廊下に、まだ明かりは灯っていない。
 十分に入り込む太陽の光が、未だ紅く染まったこの世界を作り上げているから、明かりは必要ないのだ。
 それでいて、廊下に響く音は私達の足音のみ。その無機質な静寂は、意味も無く哀愁を漂わせているように思える。

「夕方って、何か寂しくなるわよね……」
「えっと、ちょっと何言ってるか分かんない」
「何でよ!?」

 何故全否定されたし。



 さて話は変わるが、あれだけ面倒事を嫌がっていた私が、何故協力の依頼に対して首を縦に振ったのか説明しよう。
 それはまあ何と言うか、所謂心境の変化という奴だ。無論、おはぎ如きに釣られてホイホイ着いてきたとかそういう事じゃない。断じて。
 実際は人里で美味しいと評判のお茶とか、その場でお賽銭を気持ちばかり大目に入れて貰ったりとか、その他諸々の条件で了承したのだ。
 世の中取引上手が生き残っていく、そう相場が決まっているのである。

「ところで……すごくいい匂いがするけど、何か御馳走でも作ってるのかしら?」

 ふと、屋敷の奥から漂ってくるおいしそうな匂いに私の鼻が反応した。
 この匂いからするに、炊き込みご飯でも作っているのだと推測する。
 妖夢は私の言葉に対して小さく苦笑すると、隠すつもりも無いらしく、この香しき匂いの正体を明かした。

「これは、茸ご飯を炊いているんですよ」
「――茸? 今って茸の季節だったっけ?」
「いえそれが、先日人里でばたりと魔理沙さんに会って」
「ああ、魔理沙からの貢ぎ物ね」
「そうそう、あの女はちょっと優しくするだけですぐ擦りついてくるんですよ」
「しっかり伝えておくわ」
「待ってください冗談です」

 コイツ、結構墓穴を掘る事が多いなと思う。
 天性のいじられキャラを存分に発揮しているし、幽々子はいつも良いおもちゃを持っているなあ、なんて。少し羨ましい。

「実際は魔理沙さんに『いっぱい茸が取れたからお裾分けしてやるZE☆』って言って頂けたので有難く頂いたんです」
「今の物真似最低だったわよ、公開処刑レベルで」
「なにそれひどい」

 ともかく、現在茸ご飯を誠意炊き込み中なんだとか。
 魔理沙から渡された茸と聞くと何だか胡散臭いような気がしなくもないが、ちょくちょくアリスとかがお裾分けとして受け取っているという話を聞くし、安全性については問題ないのだと思う。
 つまり何が言いたいかというと。
 私は他人が食う食事の安全性なんて、気にする性質じゃあないって事で。

「という訳で妖夢、私長旅でお腹が空いてるのよ」
「はいはい分かってますよ、霊夢さんの分までちゃんと用意してありますから」
「話が分かる人はいいわ本当」

 ここでも取引上手が響くというものだ。笑いとよだれが止まらない、じゅる。




「あら霊夢、いらっしゃい」
「幽々子」

 中庭に面する縁側に差し掛かった時、中庭から柔らかな声が私の耳に届いた。
 返事をしながら中庭を見れば、この騒ぎの原因であり張本人――西行寺幽々子が庭の手入れをしながらこちらに笑いかけている。

「霊夢が白玉楼に来るだなんて、一体いつぶりかしら」

 ――その微笑みに、私は少し違和感を覚えた。
 何と言うか、混じり気が無さすぎるとでも言えば分かるだろうか。普段の幽々子ならば、何かを企んでいるような含み笑いを投げかけてくる事しかない筈なのだ。
 だが今はそれを感じられない。その違和感に首を捻っていると、背後から息を呑む音がはっきりと聞こえる。

「ゆ、幽々子様、一体何をなさっているのですか!?」
「……? 何って、お庭のお手入れだけれど」
「お、お庭のお手入れ……? 一日中居間でゴロゴロしていて剣術の指導なんて一切受けてくれない上に、口を開けば『妖夢~ごはんはまだ~?』としか言えない幽々子様が……?」
「何気に酷いわね」

 私の挟んだ言葉になど耳を貸さず、半口を開いたまま驚愕の表情を浮かべる妖夢。
 彼女の様子を見ると、幽々子が普段どんな生活を送っているのかが手に取るように分かるようだ。
 たった今、そんな幽々子の私生活を妖夢が暴露したばかりだけれども。

「失敬ねぇ、私だってお庭のお手入れくらいはするわよ~」

 従者の暴言にも笑みを崩すことなく、幽々子は柔和に言葉を返す。
 そのまま彼女は盆栽に向き直り、庭の手入れを再開してしまった。



「っと、一つ聞き忘れた事があったわ」

 と思いきや、再度くるりとこちらに向き直る幽々子。
 何を聞いてくるのかと幽々子を見つめれば、彼女は妖夢の立つ場所に向け手を差し出し、満面の笑顔で言った。









「霊夢の横に見ない子がいるけれど、貴女は一体だあれ?」









「っ……!」

 流石の私も、その時ばかりは言葉を失ってしまった。
 信じられないといった風に幽々子を見て、それから妖夢に振り返る。
 妖夢は事態が呑み込めていないようでいて、全身から力が抜けたかのように突っ立っていた。
 絶句している私達と、幽々子の見せる満面の笑み。
 そのギャップが生み出す微妙な沈黙を打開しようと、私は妖夢に声をかける――かけようとする。しかし、妖夢は今にも泣きだしそうな声で、

「…………子……さま……っ」

 絞り出すようにそう言ってから踵を返し、廊下の奥へ走り去っていってしまった。
 その場に残される私と、ポカンとした様子の幽々子。
 一瞬、このまま妖夢を追ってよいものか――と悩んだが、ここで幽々子の相手をしていても仕方がない。
 今は妖夢を追いかける事が先決だ。

「そ、それじゃあ幽々子……また後でねっ!」
「え、ええ」

 相変わらずの幽々子を尻目に、私は妖夢を追ってばたばたと廊下を走って行った。


   ◇


 白玉楼の長い廊下。その遥か先を行く妖夢を私は急いで追っていた。
 妖夢はこちらに振り返りもせず、ただただ先へ走り続けている。
 大きな声で彼女の名前を呼ぼうにも、半ば本気で走っているせいかまともに声を出すことが出来ない。
 そんな風に息を切らし始めた時、視界の前方から妖夢の姿が消えた。
 どうやら、脇の部屋に入ってしまったようである。バン、と強く襖の閉まった音が鳴り響く。
 暫く遅れて、私もその部屋の前まで辿り着いた。襖を叩くと品の無い音が立ってしまうので、横にある木の柱をコンコンと叩く。

「――妖夢。入るわよ」
「……」

 返事はない。しかし、妖夢がここに居るのは分かりきっているのだ。
 沈黙を了承と勝手に判断し、静かに襖を開ける。
 大きめの箪笥に、畳まれた敷布団と掛布団。寝間着がその上に置いてあるのを見るに、この部屋は妖夢の寝室らしい事が分かる。
 妖夢は、その畳まれた布団の横で、ちょこんと体操座りをしていた。膝に頭をうずめて、身体を震わせている。
 泣いているのだと私はすぐ気付いた。

「……妖夢」
「……」

 妖夢の傍まで寄って、そこにちょこんと座る。
 妖夢は私の呼びかけに答えず、ただ声を殺して泣く。
 それを見つめながらも、私は無言で妖夢に寄り添い続けた。








「……私、幽々子様と一緒に居てもう長いんです」

 ふと、妖夢が口を開いた。

「毎日の殆どを一緒に過ごして、一緒にご飯を食べて、時には一緒にお布団に入って、……時には一緒に異変を起こして」

 顔をうずめたまま、震える声で私に話しかけてくる妖夢。
 そんな彼女の気持ちを分かろうとしたけれど、すぐに無理な事だと悟った。
 妖夢は見た目こそ幼く見えるが、それは半人半霊であるが故成長スピードが遅いというだけの事だ。
 だから見た目以上に妖夢は幽々子と長い時を過ごしてきたし、他人には入り込めない程の強い絆を結んでいる。

「……幽々子様がボケちゃった、って気付いた時も、もし治らなければ私が幽々子様を支えていけばいいなって、そう思ってたんです。これそれあれどれが増えても、ご飯を二回食べる事になっても、今まで通り一緒に過ごす時間があればいいなって……っ」

 涙声で妖夢がしゃくり上げる。
 私は何も言わず――何も言えず、ただ妖夢の背中をさすった。
 泣きすする音だけが寝室を支配する、悲哀な空間。居心地が悪い事など言うまでも無い。
 ――それでも、その後に妖夢が続けた言葉さえ耳にしなければ、私はどれだけ落ち着いていられたのだろうか。



「……でも、そんな些細な幸せも、もう叶わないんですね」


 余りにも悲しい、絶望の言葉を。
 落ち着いてなんて、居られる筈も無かった。


   ◇


 居間に入れば、幽々子は一人炬燵に当たってお茶を啜っていた。
 襖の開く音に気付いたのか、幽々子はこちらに振り向き、それから小さく微笑を見せる。

「あら霊夢。こんなにも日が暮れてしまったというのに、まだ帰っていなかったの?」
「……それは私に帰って欲しいって事かしら?」
「半分正解。あと半分は来てほしくも無かった、ってところ」
「酷いわね、相変わらず」

 こういう所だけは初めて会った時から変わっていないな、と思う。
 冗談よ、と幽々子は笑って、それから炬燵を出て立ち上がる。

「客人はもてなさないとね。今お茶を入れるわ~」
「え、あ、うん……」

 幽々子と入れ替わりになって、私は炬燵に腰から下を収める。
 ――しかし、以前の幽々子と比べれば、やはり決定的な何かが違っていた。
 冗談よ、なんてフォローを入れる事はまず無いし、客人をもてなすために炬燵から出る事など考えられない。
 寧ろ、自分の為にお茶を入れる事さえ億劫に思う――それが幽々子という人間、もとい幽霊だと私は認識していたのだが。



「……幽々子?」

 それにしても、お茶を入れに行った筈の幽々子が戻ってこない。
 というか、台所から全く物音がしてこないのだ。お茶を入れているのならもっと、入れる音とか湯呑を用意する音とか聞こえてきてもいいようなものだが。
 妙な胸騒ぎがした私は、炬燵から出て台所へ向かう。チラリと頭だけ台所にいれて覗いてみると、そこには突っ立ったまま動かない幽々子が見えた。
 倒れてしまっているのではないか、などと考えていただけあって取りあえず安心する。
 しかし、幽々子は一体何をしているのだろう。

「幽々子。居るなら返事くらいしなさいよ」
「……え、ああごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」
「考え事?」
「そう……考え事というか、その」





「私、台所に何をしにきたのかしら、って考えてたの。ど忘れね」

 霊夢さんは、実際に見ていないから分からないんです――
 昼前に妖夢が言った言葉。その言葉の意味が、漸く分かった気がした。
 型にはまり過ぎているなんて、所詮は俗説に過ぎない。実際に見てしまった幽々子の、その、所謂ボケは、とてもからかっているようには見えなかった。

「ゆ、幽々子は戻って炬燵にあたってなさい! お茶くらい私で入れられるから!」
「……ああ、お茶を入れようとしていたのね私。でも、貴女お茶葉の場所とか知らないでしょう?」
「ならその場所だけ教えて、後は私がやるわ」
「あらそう……でも、貴女最近お茶すら満足に入れられなくなった怠け巫女だって」
「あ?」
「妖夢が言ってた」
「処刑決定ね」

 妖夢の処遇はともかく、半ば無理矢理に幽々子を炬燵に戻させる。
 茶葉の場所を教えてから、幽々子は不満気に台所から去っていった。

「はあ……」

 茶葉を急須に入れながら、思わず溜め息を漏らしてしまう。
 人里で美味しいものを奢ってもらう為なんて、そんな軽率な判断で関わる事案ではなかった。
 目の前にいる幽々子は明らかに様子がおかしくて、それを元に戻す見込みも、無論あても存在しない。
 永琳あたりなら何とかできるかもしれないが、彼女はあくまで人間からしか治療を受けていない。
 それも幽霊のボケなんて専門外にも程があるだろう。

「……でも、そこはやっぱり腑に落ちないのよね」

 だが、幽々子は気が遠くなる程の間幽霊として過ごしてきた。
 それが突然知能を著しく低下させるなど、普通では考えにくい。
 とはいえ前例が無い以上、絶対に無いとも言えないのだが――

(多少カマをかけてみる価値はありそうね)

 そう決めると同時に、湯呑の八分目程度で緑茶を注ぎ終わる。
 熱さに注意しながら両手で湯呑を持ち、居間に戻って机に置く。
 再度下半身を炬燵にうずめたのち、目の前で冷めた緑茶をすする幽々子に問いかけた。

「幽々子」
「なあに?」
「もし――幽々子がこれを面白がってやっているなら、私は貴女を赦す気は無いわよ」

 少しだけ凄みを効かせる。先程妖夢の事もあったので、『少しだけ』になっているかどうかは保障できないが。
 しかし幽々子はニコリと笑って、緑茶を一口喉に通してから言った。

「外にそこまで興味は無いから、どんな異変が起きているのか分からないけれど。私は貴女を怒らせるような事をした覚えはないわ」

 余りにもお門違いな返答。それが、幽々子のボケが演技でない事を証明するようで。

「そう。なら別にいいわ」
「あらあら、その異変がどんなものかくらい教えてくれたっていいじゃない」
「アンタみたいな何考えてるか分からない奴に教える訳ないでしょ?」
「意地悪なのねえ」

 今でこそ、何考えてるか分からない奴では無いが。
 と、幽々子の背後にある襖――先程私が入ってきた場所から、一つの人影が私の目に入った。
 妖夢だった。ついさっきまで涙に懐を濡らしていたのだが、今は少し目が赤いくらいで涙は見えない。

「妖夢」
「幽々子様、お食事が遅れまして申し訳ありませんでした。今すぐお作り致しますので」

 私の呼びかけには答えず、凛とした口調で幽々子に謝罪する。
 振り向いた幽々子はやはり妖夢の事が分からないのか「え、ええ」と戸惑った様子を見せている。
 そのまま妖夢は台所へ向かった。その時、妖夢がチラリと私を一瞥したのを見て、

「あ、私も手伝うわよ妖夢」
「……ありがとうございます」

 適当に理由を付け、三度炬燵から立ち上がる。

「ああ、なら私も手伝うわ~」
「幽々子はいいのよ、この家の主人でしょうに。それに今日お世話になるんだから、これぐらいの事はしなきゃ」
「あら、泊まっていく気なの? 迷惑ねえ、ふふ」
「……」






 台所に着くや否や、妖夢に問いかける。

「妖夢、貴女は休んでなさいって言ったじゃない」
「……有難うございます、霊夢さん。でも私は幽々子様の従者だから、幽々子様のお世話をしなきゃいけないんです」
「こんな時くらい仕事しなくたって、閻魔様は罰を与えないわよ」

 寧ろ閻魔様なら働くことの方を黒と判決するだろう。
 しかし妖夢は「違うんです」と言って、少しだけ笑いながら言葉を口にする。

「気付いたんです。幽々子様が私を忘れてしまったからって、絶望するのは間違いだと」
「……妖夢」
「幽々子様に忘れられてしまっても、私が幽々子様の事を覚えています。今からでも――新しい関係を築くことは、遅くないと思うんです」

 気丈に振舞う妖夢は儚いようでいて、力強くも見えた。
 その瞳は涙を我慢しているのか、それとも枯れてしまったのか。
 でもこれだけは言える。私は妖夢に、そこまで簡単に諦めて欲しくない。

「……まだよ」
「え……」
「諦めるには早過ぎるわ。幽々子の記憶はまだ取り戻せる」
「……でも、幽々子様はもう」
「幽々子がどうとかじゃない、私達がどうにかするの。もし貴女が無理だと言うなら、私だけで幽々子の記憶を取り戻して見せる」

 見込みも無いしあても無い。そもそも原因すら分からない。
 それでもきっと、幽々子を元に戻して見せる。言ってる事が無茶苦茶な事は分かるけど、
それが今の、私の気持ちだから。

「……そうですよね。諦めるのはまだ早いですよね」
「――ええ、勿論」
「……私、霊夢さんに相談して本当によかったです」
「それを言うのはまだまだ早いわよ」

 気が早いけど自信満々に言って、それから妖夢に笑いかけて見せる。
 妖夢も笑い返しながら、すでに炊き上がっている茸ご飯の入った飯盒を開けた。
 ふわっと水蒸気が上がって、私達の周りに美味しそうな香りが広がった。







「ところで、幽々子にあらぬ事を吹き込んでいたみたいだけど」
「えっ」
「夢想封印ね」


   ◇


「……紫。いるなら出てきなさい」
「あら気付いた」
「気付かない方がおかしいわ」
「そう、取りあえずおはよう」


 夜中。
 妖夢と幽々子は既に就寝し、用意された部屋で私一人が物思いにふけっている時。
 最早慣れっこになってしまったその気配の主――八雲紫に話しかける。

「折角霊夢の寝顔を観察しようと思ったのに、残念ねぇ」
「嘘でも気持ち悪いわよ」
「嘘じゃないわよぉ、だって私達既に一線を越えた仲じゃない」
「さらっと既成事実を作らないでよ」

 一応言っておくが紫とそういう関係になった事は決してない。断じて。
 ともかく、彼女が私と話したいという事だけは分かった。本当に寝顔を覗きたいならば、私では気付けないレベルまで気配を消し去る筈だから。
 しかし、それならば大人しく話しかけて欲しいものである。いちいちやる事がややこしいから、幻想郷一胡散臭い妖怪などというレッテルを張られてしまうのだ。
 閑話休題。どうせ紫が話したい事など分かっている、それならばこちらから話を振ってしまうとしよう。

「一応聞いておくけれど。これは貴女と幽々子の仕組んだ悪ふざけって事ではないのね?」
「心外ねぇ、そんなことする筈ないじゃないの」
「よくもまあ堂々とそんな事が言えるわね」

 幽々子がおかしな事をすれば、そのバックには紫がある。常識だ。

「残念だけれど、今回ばかりは私が関わっている事ではないわ。妖夢を苛めるにしても、ここまで心無い事はやらないもの」
「本当ね?」
「ええ、本当よ。ま、信じなくてもいいけれど」

 何だかんだで、紫も自分が信用されない事くらいは分かっているらしい。少し意外だった。
 ただ、紫の言っている事が本当だとすれば、幽々子のボケは現実のものとなる。
 紫が関わっていてほしかったかと聞かれれば、NOとは答えられない。

「まあいいわ。ともかく私が霊夢に言いたいのはこれじゃない」
「何よ」
「幽々子の記憶を取り戻すなら、出来るだけ急いだ方がいいわ」
「……どういうこと?」

 そう問いかけると、「あら、貴女気付いてなかったのね」と苦笑を返されてしまった。
 とはいえ、いくら苦笑をされても気付くような事は無い。
 さっさと答えなさい、という旨の催促をする。仕方ないわねぇ、と紫は口を開いた。

「さっき、霊夢が遂に自分でお茶も入れられない糞味噌巫女になったって話をしていたじゃない?」
「違うっつの」
「そんな事どうでもいいの、大切なのはその後。幽々子はその話を誰から聞いたと言ってた?」
「そりゃあ妖夢から――あ」

 気付いた? と紫は微笑を向けてくる。
 あー……、と私は思わず親指と人差し指で瞼を押さえた。これでは確かに苦笑されても仕方ない。
 内容にばかり気が行っていて、大切なことに気付かなかった。

「……妖夢から聞いた、って幽々子は言ってたわ」
「そう、だから幽々子は妖夢という存在を忘れてはいない」
「じゃあやっぱり、幽々子は私達をからかって――」
「ああ、それもないわ」

 私の推論はすぐ紫に一蹴されてしまう。
 ならば、何故幽々子の口から「妖夢」という名前が出てきたのか。
 妖夢の事を知らなければその名前は出てこない筈――なのに、幽々子はボケで妖夢の事を忘れてしまっている。
 これがからかわれていなくて何だというのか。だんだん混乱してきた。

「じゃあ何だって、妖夢の名前は出てきたのよ」
「せっかちねえ、私の話を最後まで聞きなさい。それが気になったから、幽々子が寝室に入った後私が会いに行ってきたの」
「それで?」
「幽々子は『妖夢』という存在は覚えていたわ。ただし、実際の妖夢を見た時それを『妖夢』と認識できない」

 それは――どういう事だろう。
 『妖夢』という存在と、実際の妖夢。それの何が違うというのか。

「だから、幽々子は妖夢と過ごしてきた思い出を忘れてはいない。妖夢の容姿もしっかり覚えている。でも実際に妖夢を見た時、何故か思い出に居る妖夢と一致しないという事よ」
「矛盾してるじゃない、容姿を覚えているのに実際の妖夢を認識できないなんて」
「それは私にも分からないわ。でも幽々子は人間じゃなくて幽霊よ、ボケが起きた時どんな症状を示すのか、そもそもこれがボケであるのかさえ分かっていないのだから、私にも何とも言いようがないの」

 つまり、紫でさえお手上げという事。妖怪の賢者様でさえどうなっているのか分からない事を、私と妖夢だけで解決できるのだろうか。
 ――いや、私は妖夢に言ったのだ。幽々子の記憶を取り戻して見せる、と。
 紫に出来ないから私に出来ないなんて、そんな事は決してない筈だ。どんな逆境でも、諦める事だけはしたくない。

「……関係ないわ、私は幽々子の記憶さえ取り戻せればいい」
「ふふ、貴女ならそう言うと思ってたわ。まあでも、これは悪い事ばかりって訳でも無いのよ」
「……?」

 意味ありげな台詞を紡ぎ出す紫。
 全く悪い癖だと思う、言いたいことがあるなら初めから核心を突いてきて欲しい。

「何よ」
「妖夢との思い出が残っているという事は、まだ妖夢の事を完全に忘れきっていないという事でもあるわ。急げば幽々子の記憶が戻る可能性も大いにある」
「そうね……」
「でもスピードが肝心よ、出来るだけ急いで行動しなさいな」

 それだけ言って、紫はふぁ~と欠伸をする。
 一時閉めていた隙間を再び開き、それに半分くらい身体を入れてから、私にこう言い残す。

「それじゃあ眠いから帰るわ、おやすみなさい」
「毎日あんだけ寝てんのによくもまあ眠くなるわね……」
「いっぱい寝る事も健康の為よ、そうでしょう?」
「気が遠くなるくらい生きてる癖に何言ってんだか」

 ふふ、とまた紫は笑って、それから隙間を完全に閉めた。
 気配が完全に遠のいてから、私は再び思考に浸る。紫に言う通り、幽々子の記憶が完全に消えてしまうまで余り時間はないかもしれない。
 ならば急いで記憶を取り戻す、それだけの事。十分可能だ――私なら。
 自分を持ち上げてから、今日は早く寝ようと布団に入る。早速明日から始めなければならない、睡眠はしっかり取るに尽きるだろう。







「てか紫の奴、私と幽々子が話しているところずっと見てたのかしら……気味悪っ」

 これは夢想封印確定だ。


   ◇


 朝ご飯の匂いに釣られて、私は布団から身体を起こした。
 こういう寝起きも時には悪くないな、と思う。一人で暮らしている関係上、こういった寝覚めは決してない事なのだ。
 手早く布団を畳み、巫女服に着替えてから一夜を過ごした寝室を後にする。
 廊下は冷たい外気で冷え切っていて、思わず身震いしてしまう。
 小走りで廊下を通過し、居間に繋がる襖を開けた。暖が取られていて非常に暖かい。
 炬燵には既に幽々子の姿があった。私が入ってきた事を確認するや否や、ニコリと柔らかな笑みを投げかけてくる。

「あら霊夢、おはよう」
「おはよう、幽々子」
「しかし本当に泊まって行ったのね、迷惑にも程があるわ~」
「そのネタまだ続いてたのね……」

 呆れた表情を浮かべながら、幽々子の正面で炬燵にうずまる。
 妖夢はといえば台所で朝ご飯を作っている。きっちり起きてきっちり義務を果たすところは、咲夜しかり見習わなければならないところだ。

「……ところで、今台所に居るあの子の事なんだけれど」

 ふと、幽々子が妖夢の話題を振ってきた。その表情は心なしか暗く見える。

「……何?」
「言わなくても分かるでしょう――あれは、本当に妖夢なの?」

 何故それを――と聞こうとしたところで、理由が分かったので口を噤む。
 昨日紫が幽々子に会ったと言っていたから、その時にでも聞かされたのであろう。

「ええ、そうよ。――あれが貴女の心に居る妖夢そのもの」
「……そう。なら私は、妖夢にとても申し訳ない事をしてしまったわ」

 一層表情が暗くなる。申し訳ない事というのは、昨日縁側で交わしたやり取りの事だろうと理解する。
 かける言葉が見つからない。こういうのが私の駄目な所だと思う、フォローが下手だと友人関係で何かと困るものだ。
 まあ私自身、積極的に他の奴らと関わる気は無いからそこまで気にならないのだが――

「……ごめん、なさい……っ」

 今回だけはそれが最大級に災いした。
 嗚咽が聞こえたと思って前を見てみれば、信じられない事に――幽々子が大粒の涙を、炬燵の掛布団に零していた。

「ゆ、幽々子っ?!」
「主失格ね……妖夢の事が分からない上に、いらない言葉までかけて、傷つけてしまうだなんて……っ」
「そんな事……あれは、仕方ないことじゃない」

 ああもう、また私は微妙な言葉をかけてしまう。
 そもそも、目の前で幽々子が泣きじゃくっていること自体が非現実的な光景なのだ。
 普段の幽々子と百八十度違うというギャップが、尚も私を戸惑わせる。

「――幽々子様、どうかなされましたか!?」

 騒ぎに気付いたのか、台所の襖を勢いよく開けてエプロン姿の妖夢が入ってきた。
 それを見た幽々子の号泣は更に度を増してゆく。最早顔は涙でグシャグシャだ。
 見慣れない幽々子の姿に、一瞬妖夢は面食らったようになるが――そんな幽々子の下に駆け寄った妖夢は、すっとその身体を抱きしめた。

「私に、優しくなんて、してはいけないわ、妖夢……っ」
「……幽々子様は何も悪くありませんよ。全部仕方のない事なんです」
「そんな事ないわっ……今だってそう、こうやって妖夢の顔を見ると……っ」

 幽々子が顔を上げて妖夢の顔を確認すると――ふるふる、と拒絶するように首を振る。

「貴女を、妖夢だと思う事が、できない……っ!」
「……幽々子様」
「ごめんなさい、ごめんなさい、妖夢っ……」

 幽々子が一層激しく泣きじゃくって、それを妖夢も一層強く抱きしめる。
 幽々子も辛いであろうが、妖夢はもっと辛い筈だ。幽々子の言葉は、幽々子の中にある妖夢という存在を否定されたようなものだから。
 ――そして、何よりその時の私といえば。
 情けない、というより呆れた事に、二人の近くで何も言えず、ただただ突っ立っているだけだった。


   ◇


「――幽々子は落ち着いた?」
「ええ、泣き疲れてしまったのか眠ってしまわれました」
「二度寝ね」

 数十分後。
 泣きじゃくる幽々子を連れて居間を後にした妖夢が、疲れたような表情で戻ってきた。
 幽々子は朝食前だというのに再び眠ってしまったらしい――まあ無理も無いか。

「……それにしても、今のもボケの影響なのかしら」
「……ええ、恐らく」

 ボケる事で感情の起伏が激しくなる――のかどうかは定かではないが、少なくとも普段の幽々子が取る態度では無い。
 妖夢の懐で涙を流す幽々子は、まるで母に泣きつく子供のように幼く見えた。

「ともかく、今は朝食を作りますね」
「ああ――そういやまだ食べてなかったわね。朝っぱらから騒がしかったから忘れてたわ」
「それは……申し訳ありませんでした」

 妖夢の顔に影が差す。言ってすぐ、私もその言葉が失言だと気付いた。

「あ、ごめ……そういうつもりで言ったんじゃ……」
「……いえ、いいんです。こちらこそごめんなさい」
「な、なんで妖夢が謝るの」
「あ、いや――些細な事ですぐ暗い顔しちゃって」

 悪い癖なんです、と妖夢は続けざまに苦笑する。
 でもそれを悪い癖と言うなら、私のなんて最悪な癖だ。相手の気持ちを考えず皮肉交じりな言葉を使うなど、自分で自分が信じられない。
 そう自己嫌悪に浸っていると、妖夢は逃げるように台所へ向かってしまった。
 ギクシャクした空気から逃れる為なのだろうけど、それはあくまで現実逃避。
 二人の心に残されるのは辛く、そして重たい枷だけ。
 今まで何も考えずに取っていたコミュニケーションが、今はとても難しい事のように感じられた。





「お待たせしました、霊夢さん」
「ん……別に待ってないわ」

 数分後。炬燵にあたる私の目の前に、やや多めの朝食が広がっていた。
 主食は茸ご飯、おそらく昨日の残りであろう。
 そしてその横には茸のお味噌汁。更にその横には茸のバター炒め――

「ってどんな茸祭りよ」
「いやあ、魔理沙さんに貰った分がまだいっぱい余ってて」
「まあ貢ぎ物は多い方が効果的だしねえ」
「だから違いますって」

 それはともかく。朝食にしては豪勢なだけあって、茸料理の数々は私の空腹中枢をバシバシ刺激してくる。
 あんな事の後で不謹慎かもしれないけれど、人間の本能には逆らえないというものだ。

「それじゃあ早速、」
「ええ、いただきます」
「いただきますっ」

 茸ご飯は昨日食べたので、まずは茸のお味噌汁をすする。
 息を吹きかけて味噌汁を冷ます私に、「ゆっくり飲んでくださいね」と妖夢が横で苦笑していた。





「ご馳走様でした。全部美味しかったわ」
「お粗末さまでした。でも、そう言って頂けると嬉しいです」

 右手で後ろに手を突きながら、左手で膨れたお腹をさする。
 結局一人前では物足りずおかわりまでしてしまった。
 しかしこの料理の腕前なら、いつでもお嫁さんに出すことが出来るだろう。

「てかこの際博麗神社に嫁ぎなさいよ」
「あ、いや、その、申し訳ないがノンケの方以外はNG」
「私は百合女設定かい」
「実際そうじゃないですか」
「あ?」
「すいませんごめんなさい」

 コイツ、今まで私の事をそんな目で見てきたのか。
 まあ別に、女だから絶対嫌だという訳でも無いが。この幻想郷、同性同士の恋愛なんて少なくないし。
 いや……そりゃあ、男同士というのはちょっとキツいけれども。

「……でも、料理の腕前に間違いはないわよ。本当においしかったわ」
「嫌だなあ、照れるじゃないですか」
「照れるもなにも本当の事でしょ? まったく幽々子ったら、寝てるなんて勿体な――」


 ……そこまで言って、私は少し言葉に詰まった。
 別に、空気の読めない言葉であった訳では無い。寝てるなんて勿体ない、そう言おうとしただけだ。
 それでも幽々子という名前自体が――今は禁句のような気がしてしまったのだ。
 再び黙り込んでしまった私を見て、妖夢もその理由に気が付いたようだった。
 全く、本当に私は駄目な奴だと思う。――思うじゃなく、駄目な奴だ。折角明るくなった空気もこれでまた振り出しに戻ってしまう。

「……そうですね。朝食を食べないって事は、貴重な食事の機会が一度失われてしまうってことですしっ」

 ――そう思っていたのに。
 妖夢から返ってきたのは、余りに想定外な明るい言葉だった。

「……え、ええ。そうね」

 面食らったように私は答える。明らかに棒読みだ、全く自分の適応能力のなさが憎い。
 ただ、妖夢も私が何を考えていたかくらい分かっていたのだろう。
 ふと彼女はニコリと笑って、呟くように私に語りかける。

「……ありがとうございます、霊夢さん」
「え……」
「私を気遣って、言葉を選んでくれてるんですよね」

 ほら、やっぱり。

「……でも、そこまで気を使ってくれなくても大丈夫です」
「き、気を使ってなんて」
「私は今まで通り霊夢さんとお話ししたいです。それが例え、幽々子様の話題であっても。だって――」





「幽々子様のボケは――記憶は、私達が取り戻すんですから! 何も遠慮しなくていいじゃないですかっ」
「……!」

 力強い妖夢の言葉で、私の心は確かに奮い立たされる。
 ――そうだ。妖夢の言う通りだ。
 幽々子の記憶は、私達で絶対取り戻す。だから遠慮する事なんて何一つ無いじゃないか。
 こんな形で決心を再確認させられるとは思っていなかったけれど――でも私は、ようやく妖夢に笑顔を返すことが出来た。

「……そうね。妖夢の言う通りだわ」
「はいっ! だから早速行きましょう、幽々子様のボケを治す方法を探しに!」

 妖夢が勢いよく立ち上がったのを見て、私もすぐに炬燵から出て立ち上がった。
 一人が挫けそうになった時、もう一方がそれを慰め勇気づける。
 もう一方が挫けそうになったら、その一人が慰め勇気づける。
 そんな私と妖夢の関係はとても力強く思えて――これから奔走する羽目になるであろうこの難題も、きっと乗り越えることが出来る。そう感じた。







「だから妖夢、やっぱ私の嫁になりなさい」
「百合女は帰って、どうぞ」


   ◇


「はいよ、これで迷いの竹林もおしまい」
「手間かけたわね、てゐ」
「んにゃ。アンタが竹林で迷って野垂れ死にでもしたら、あの隙間妖怪に大目玉喰らっちまうからね」

 それじゃ、と軽く挨拶をして、てゐは再び竹林の中へ戻っていく。
 その後ろ姿が見えなくなった頃――私と妖夢は目を合わせて、それからはあと溜め息を吐いた。

「期待はしてなかったけど、やっぱり予想通りだったわね」
「そりゃあ、いくらあの八意永琳とはいえ幽霊の病気なんてわかる筈無いですよね……」



 数刻前、私達は藤原妹紅の案内を受けて永遠亭に足を運んでいた。
 迷いの竹林を正しく進みさえすれば、永遠亭には比較的すぐ辿り着くことができる。
 実際永遠亭には午前中の内に到着できたし、妹紅に案内を依頼したのは正解だったというものである。

 しかし肝心の永琳に事情を話したはいいが、「専門外よ、他を当たりなさい」と一瞬で突っぱねられてしまった。
 勿論食い下がってはみたのだが、永琳は全く話を聞く様子を見せない。
 ここは一発弾幕勝負で決めてやろうと思ったところ、「お願いですから永遠亭を半壊させないで下さい」と鈴仙に懇願されて、渋々交渉を断念したのである。
 妖夢に至っては辻斬り時代の本能を解放させようとしていたくらいだから、それはもう残念がっていた。

「それにしても、あと少しで斬れたと思うと本当に残念です」
「悔しがる所違うわよそれ」

 ともかく永琳に追い返された私達は、因幡てゐの案内の下この竹林を引き返してきた訳である。
 全く以て情けない限りだ。

「はあ、ったく無駄骨を折ったせいかお腹が空いたわ」
「そういえば、もうお昼前ですね。そういえばお弁当作ってくるの忘れちゃいました」
「えー……」
「そんなジト目で見ないで下さいよぉ、人里で茶屋にでも入ればいいじゃないですか」

 目を細めて妖夢を凝視する。嘆息する妖夢。
 でもこんなにいいお天気なのだから、適当な草むらに腰を下ろして弁当を広げたくもなるだろう。
 初春のほんのりとした暖かさも相まって、そのままお昼寝というのも悪くない。
 それを茶屋で済ませるなど、全く妖夢は風流というものを分かっていないようだ。

「って何昼寝しようとしてるんですか!? そんな時間は無いですから!」
「な……妖夢、さては貴女心が読めるわね……?」
「だらしなく口から漏れ出してましたよ、全く……」

 改めて嘆息する妖夢。
 それから「ともかく、そうと決まれば早く行きましょう!」と、妖夢は私の手を引いて強引に歩き始めた。
 しかし、このままおとなしく妖夢に着いていくのも何だかつまらない。

「そういう訳で……お腹が空いて動けないわ、妖夢」
「え、それなんて幽々子様」

 ……あの食い倒れ人型幽霊と同じにされるのは何だかやるせなかったので、私は自分の足で人里まで歩くことを決心した。






「お、霊夢。それに妖夢まで。珍しいな」
「――あら、魔理沙。貴女こそこんなところで珍しいわね」

 人里で適当に茶屋を選んで、適当に昼食を済ませようとしていた時。
 ふと背後から声がかかったので振り向いてみれば、そこには私の親友である霧雨魔理沙が立っていた。

「私はちょくちょく人里に来てる方だぜ。霊夢は殆ど人里に寄りつかないだろ?」
「人がいっぱいいる所はあまり好きじゃないから。まあそりゃ、食糧とかはここに来なきゃ手に入らないから絶対来ない事は無いけど」
「それも一気に買い込んで、出来るだけ長持ちさせようって寸法だろ?」
「悪い?」
「霊夢らしいってだけだよ」

 クク、と笑ってから魔理沙は、私の横に立つ妖夢へ視線を向けた。

「妖夢は結構来る方だから、私ともよく会うよな」
「そうですね、比較的には――ってそうだ。茸、凄く美味しく頂きました」
「ん、あ、ああそうか。そいつは良かった」
「良かったわね魔理沙、喜んでもらえたみたいだし茸貢ぎ作戦は大成功よ」
「どんな評価だそれ」

 楽しそうに魔理沙が笑って、それから私と妖夢もクスクス笑う。
 魔理沙の持つ紙袋も、彼女が笑うたびにガサリガサリと音を立てて揺れている。

「――って何よそれ」
「え、あ――これはその、き、茸だ」
「今度は誰に貢ぐのかしら、嫌だわ浮気者」
「ちげーよバカ」

 呆れたように言ってから、魔理沙はその茸を何の為に抱えているのか明かす。

「これは、命蓮寺の奴らに渡そうとしてる茸だよ」
「命蓮寺?」
「というか、正しくは白蓮に――だな」

 それを聞いて、ああ……と私の頭の中で一つの結論が導き出された。
 前々から魔理沙が白蓮に魔法の教授を受けていた事は聞いていたが、熱心で努力家な魔理沙だけあって未だに通い詰めているのだろう。
 まあ、魔理沙がどこで何をしようとどうでもいい話だが。

「ん、まあ程々にね」
「ああ。――それじゃあ、私はもう行くよ」
「ええ、じゃあね」

 茸の入った紙袋を抱え直してから、魔理沙は踵を返し去って行った。
 ひらひらと手を振って、改めて私と妖夢は茶屋に入る。




「……霊夢さん」
「ん。何?」
「今の魔理沙さん――少しおかしくありませんでしたか?」

 店員に席まで案内され、高床の畳に敷かれた座布団に腰を下ろす。
 そうして一息ついた時、妖夢は何故か小声でそんな事を言い始めた。

「……別に、おかしなところなんて無かったけど」
「ならいいんですけど――」

 それだけ言って、妖夢は黙り込んでしまう。
 しかし、そこまで言われて何でも無いでは納得できないものだ。
 ちゃぶ台に頬杖を突きながら、訝しげな表情で尚問いかける。

「何よ。気になるじゃない」
「いや、霊夢さんの気にかからない事なら、きっと気のせいだと思うので……」
「私と魔理沙くらいの関係でも、気付かない事なんていっぱいあるわ」

 魔理沙には言わないから、気にせず行って御覧なさいよ――
 そう妖夢に促すと、少し迷った様子ながら彼女は口を開く。

「本当に些細な事なんですけど」
「うん」
「魔理沙さん、茸の事聞かれた時――少しだけ、微妙な表情になりませんでしたか?」

 えーと、微妙な表情と言うと――どういう事だろう。
 私達に茸の事を聞かれたくない事情が、魔理沙にはあるという事だろうか。
 ――そう考えてみれば、一つだけ心当たりがない事も無い。

「茸ねえ……それなら茸とは直接的に関係ないけど心当たりがあるわ」
「え、なんですか?」
「魔理沙、私が白蓮の所に通っている事をあまり良く思ってない、……って思ってるみたいなのよ」

 え、ええ? と妖夢は頭を抱える。
 少し言い回しが複雑だったと反省し、私は再度妖夢に語る。

「だから、魔理沙って白蓮のところに通ってるじゃない?」
「それ自体初耳なんですが」
「あらそう。……ともかく、魔理沙はそれをあまり私に言いたがらないの」
「どうしてですか?」
「さあ、私がそれを良く考えてないとでも思ってるんでしょうに」

 ともかく、魔理沙が白蓮の話題になると口ごもるのは前からの事だ。理由こそ不明だけども。
 それがきっと、妖夢には気にかかったのだろう。私はもう慣れているので、何とも思わなかったが。

「へえ……で、実際どうなんですか?」
「実際って、何が」
「魔理沙さんが聖白蓮のところへ通っている事――それを霊夢さんは良しとしているのかって事です」

 その言葉を聞いて、私は思わず溜め息を吐いてしまった。
 何故溜め息を吐かれたのか分からない様子の妖夢は、そのままポカンと表情が固まる。

「な、何かおかしなことでも……?」
「……あのねえ。仮に私がそれを良く思って無くても、それに口出しできるような立場だと思う?」

 え、と妖夢は驚いた表情を見せる。
 何故驚きを見せたのかはともかく、私は引き続き言葉を紡ぐ。

「例え魔理沙が白蓮のところへ行こうが、パチュリーのところへ行こうが、アリスのところへ行こうが、それは魔理沙の勝手でしょ? 私にとやかく言われる筋合はないし、権利も無い」
「……そういうもの、なんですかね」
「ええ、そういうもの」

 俯く妖夢。どうやら納得していないらしい。
 まあ、別に納得してほしいと思っていた訳でも無い。ちょうどよく店員がお茶を持ってきたので、注文に乗じてこの話題は早々に切り上げる事にした。






「ご馳走様でした」
「ご馳走様。……でも、本当なら妖夢の作ったお弁当が食べたかったんだけどね」
「うう……嫌味はやめて下さいよぉ」
「褒めてんのよ、これは。じゃあ出ましょうか」

 妖夢もそれに頷いて、少しばかり世話になった茶屋を後にする。
 お代を払い、茶屋の出入り口をくぐった時――待っていた妖夢が、まるで言う事を決めていたかのように口を開いた。

「霊夢さん。魔理沙さんはきっと、霊夢さんに気付いてほしいんだと思います」
「……まだその話してたのね。今は幽々子のボケを治して、記憶を取り戻す事が先決って、いったい誰が言った言葉かしら」

 ……実は誰も言ってないけど。多少の脚色はまあ許してほしい。
 ともかく、その言葉は今度こそ嫌味。いい加減その話を続けられることにはうんざりしていたので、思わず吐いてしまう。
 しかし妖夢も引く様子はない。胸の前で両手をグッと握り、力強い語気で尚も語る。

「魔理沙さんは自分のやってる事が正しいのか悩んでるから、そういう態度になるんだと思います」
「正しいか正しくないかないんて魔理沙にしか分からない。それを私に聞かれても困るわ」
「例え分からなくても、魔理沙さんは霊夢さんに言って欲しいんです」
「何を」
「……まあ、何かを!」

 思わずこけそうになる。何だその杜撰な回答は。

「そこまで言ったなら、最後までちゃんとしなさいよ」
「だって分からないんですもん」
「何よそれ……」

 ですもんって。
 でも改めて考えてみれば、分からないのも当たり前かもしれない。
 妖夢がこの話を聞くのは今日が初めてなのだから、何を言って欲しいかなんて分かりっこない。
 それならはなから言うな、と言えばそれまでだが。

「……ともかく、何か魔理沙さんに言ってあげて下さい。魔理沙さんはきっと、それを望んでますから」
「……はあ、分かったわよ」

 ――まあ、自分が関知する話ではないと一蹴するだけだったのは、良くなかったかもしれない。
 今度魔理沙に会った時は少し話をしよう、と私は思った。






 午後も私達は、信用の出来そうで尚且つ博識そうな人間、妖怪に相談を持ちかけた。
 パチュリー、慧音などがその筆頭である。
 しかし、永琳で無理な事を他の者が出来る筈も無く。
 揃いも揃って「私は医者じゃない」旨の回答が返ってくるだけだった。

「今日はこれが最後ですね……」
「そうね、夜になってから動くのも余り良くないし」

 そして私達が立っている場所は、魔法の森へ入ってかなり奥深く。
 七色の人形使い、アリス・マーガトロイドの住む小屋の前であった。
 西へ沈みかけている太陽の紅い光が私と妖夢を照らしあげる中、私はその小屋の扉を静かに叩く。
 コンコン、と小気味よいリズムの音が立ってからすぐ、その扉が開いた。
 しかし扉の先にいるのは、この小屋の主ではない。

「――あら、上海。手間は取らせないからアリスを呼んできてくれない?」
「……」

 言葉無き人形はコクリと頷き、そのまま小屋の中へ引き返していく。
 暫くすると上海は玄関まで戻ってきて、その扉を大きく開いた。
 玄関で立ち話するのもアレだから、中へ入りなさい――という事だと、私は解釈する。

「じゃあ失礼させてもらうわ」
「お邪魔致します」

 適当に挨拶をして小屋へ入る。
 玄関を抜けてすぐの扉に上海が入って行ったので、それに続き扉をくぐる。
 その先に広がる洋風の空間――椅子の背もたれに寄りかかって、読書をしていた金髪の魔法使いが、小さく笑いながら私達を見上げた。

「霊夢と妖夢だなんて、今日は随分と珍しい組み合わせね」
「そうかしら。結構よく会うとは思うんだけど」
「人里でばったりなんてよくありますよね」
「まあいいわ、そこら辺へ適当に座って頂戴な」

 アリスが目配せした二つの椅子に、私達は並んで座った。
 テーブルを挟んで向こう側のアリスは、それまで読んでいた本を閉じて、ポンとテーブルに置く。
 まもなく上海が三人分の紅茶を持ってくる。それぞれの目の前に湯気を漂わせるティーカップを置いて、それから上海はキッチンへ去って行った。

「相変わらず、アンタの人形は過労死寸前ね」
「全部私が操ってるんだから死ぬのは私よ」
「まあ誰が死のうがどうだっていいけど。――それにしても、来る度に上海の精度は上がっていくわね」

 ふふ、とアリスは得意気に笑う。

「最近は自律性を高める魔法を研究してるわ。多少のアドリブを利かせてくれた方が働きもよくなるものね」
「ていうか、こんなにいっぱい人形を操って疲れないんですか?」
「そりゃ疲れるわ。だからいつも最小限の人形しか動かさないようにしてるのよ、動かし過ぎて自分の作業があっぷあっぷじゃ本末転倒だわ」

 人形を操る時は、その量が多ければ多い程術者の技量と労力が必要になってくる。
 これは以前アリスと弾幕勝負をした時私も気付いた事で、人形を多く展開すればする程アリス自身の守りは手薄になる傾向があった。
 だからあの時はその隙を突いて、一気に勝負を決めることが出来た訳である。
 しかしこの話を聞けば、それが弾幕勝負だけに限った話でない事がよく分かる。

「……で。まさか貴女たち、こんな世間話をするだけの為にここまで来た訳じゃないわよね?」

 随分と話が逸れてしまったようだ。
 私としてもどうでもいい話を続ける気は毛頭なかったので、時折妖夢に言葉を挟ませつつ事情を説明する。
 幽々子がボケた、という一節で思わずアリスが吹き出したものの、真面目な話と理解してからは黙って私達の話を聞いていた。
 数分程度で、事情説明は一通り終了する。アリスは紅茶を一口喉に通して、暫く考える素振りを見せたのち――真面目くさった顔でこう言った。

「私は医者じゃな――」
「はいテンプレート来ました、これ以上その言葉を口にすることは許されないわ!」
「何言ってんのか欠片も分からないんだけど」

 危ない危ない、あと少しでお決まりのフレーズが飛び出してしまうところだった。
 ともかく冗談抜きで、私達がその一文にうんざりしているのは確かだ。
 だからせめて、もう少し積極的な回答が欲しいと思う。

「そういう訳で、もっと別の結論を出しなさい」
「拙者は薬師しからばありませぬ」
「武士語にしただけじゃ結論は変わんねっつの」

 この西洋魔法使いめが、一体どこでそんな言葉を学んだのだろうか。
 それからアリスはもんじろうが何ちゃらなどという下らない話を始めたので、露骨な適当さでスルーしてあげる。
 アリスは少し膨れ面になったものの、元の話への軌道修正は何とか成功した。

「そう言われても、ボケを治す魔法なんて聞いたことないし……」
「アンタさっき自律性が何たらとか言ってたじゃない」
「それとこれとは話が別、そもそもボケって医者でも完全には治せないじゃない」

 ……痛いところを突かれた。
 それは妖夢と解決策を探している間も、決して考えないようにしてきた事だった。

「ゆ、幽々子は人間じゃなくて幽霊だから、その定義は当てはまらないかもしれないじゃない」
「……現実を見なさい。幽々子が幽霊だという前提は寧ろ、人間に施せる最低限の処置すら効果がないかもしれない、という事よ」

 アリスはまるで、私達に諦めろと言っているように聞こえる。
 いや、実際にそうなのだろう。アリスは客観的な立場から状況を分析し、私達の成そうとしている事が八方ふさがりであると揶揄しているのだ。
 ふと、横目で妖夢の顔を盗み見た。テーブルの下で握った両手に視線を落として、下唇を噛みしめている。
 今日一日決して暗い表情を見せず、希望だけを見つめてきた妖夢。
 そんな彼女が、今にも絶望の海に身を沈めてしまうような気がして――

「……邪魔したわね。行きましょ妖夢」
「えっ……でも」

 私は立ち上がって、妖夢の手を握り部屋を後にしようとする。
 妖夢だけが事態を飲み込めずオロオロする中で、アリスは突然踵を返した私に文句を言うでもなく、私の背中を静かに見つめていた。

「いいんですか霊夢さん、こんな一方的に……」
「……」

 その言葉に、私は返事を返さない。
 いくら無理矢理であろうが、いくら違和感を抱かれようが。あのまま妖夢が希望を失ってしまうのだけは嫌だから、だからこれ以上アリスの言葉を聞くのも嫌だった。
 玄関で靴をつっかけ、尚も妖夢の手を引っ張りながら外へ出る。
 日はまだ完全に落ちきっていないものの、魔法の森の木々が邪魔になって光は殆ど差し込んでこない。
 妖夢が何か言いたげな表情をしている。その言葉が口から出る前に、私は妖夢に言葉をかけた。

「妖夢」
「え、わっ……」
「幽々子は私が治す。誰が何と言おうと、それだけは覚悟しときなさいよ」

 いつか妖夢にやられたように、彼女の両肩をがっちりと掴み目を見つめながら言う。




 ……しかし、何故か挑戦状を叩きつけたような言い方になってしまった。というか、これでは寧ろツンデレだ。
 妖夢もそれに気付いたようで、暫く私を見つめて顔をプルプルさせていたが――数秒後に、耐え切れず破顔した。

「あははっ、なんですかそれっ」
「……笑うな」
「こんな古典的な人久しぶりに見ましたよ、ああおもしろい」

 まだ笑っている。コイツ、私が誰を想って言ったと思っているのだろうか。
 ブスッと不機嫌な顔で妖夢を睨む。それでも妖夢は笑ったままだったけど、その笑いが一段落着いたところで、俯き加減にこう呟いた。

「本当に、ありがとうございます、霊夢さん」

 その表情はいつか見たような儚げなものだった。
 それでも、その顔から絶望の影は消え去っていたような――そんな気もした。

「さっ、もう暗くなりそうですから帰りましょう!」
「……ええ、そうね」

 妖夢が笑顔でそう言って飛び立ち、私もその後を追って飛ぶ。
 森の木々が眼下で小さくなっていく。太陽がほんの少しだけ、地平線から頭を出しているのが見える。
 「急がなきゃいけませんね」と私に話しかけながら前を飛ぶ妖夢。
 その言葉の返答としては全く噛みあっていないけど、私は彼女に向けて、こう言葉を発する。

「妖夢。昨日も言ったけど――――お礼を言うのは、まだまだ早いわよ」

 強い横風が吹いた。思わず片目を閉じる。
 妖夢は何も答えなかった。風で聞こえなかったのだろう、と私は思った。
 風は、私が言葉を出し切った後に吹いた気がしたけど、気にしない事にした。


   ◇


「幽々子様が治りました」

 騒動の終焉は、あまりにも唐突なものだった。

「……。……っは!?」
「私の事も思い出してくれたみたいで、いやあ安心しました」
「ちょっと待てふざけんな半霊糞アマ、いやあ安心しましたじゃないわよ!」

 思わず声が上ずってしまう。治ったって、あれだけ重症だった幽々子のボケが……?
 待て待て待て待て落ち着け私。そう声に出さんばかりに、私は昨日の事を振り返る。

 ――そう、アリスの住む小屋を後にし、妖夢と共に帰路へ着いていた時から。
 私は着いていくと言ったのだけど「何日も泊り込ませてしまっては申し訳ないですよ」と妖夢が言ったので、渋々博麗神社へ帰宅する事を決めた。
 それから神社の前で妖夢と別れ、それから暫く留守にしていた本殿に入った。
 夕食はささっと簡単に済ませ、幻想郷中を飛び回って疲れが溜まっていたので早めに床に就いた。
 そして起床。そこからもささっと朝食を済ませ、妖夢に会う前に境内の掃き掃除だけ済ませてしまおう、と青空の下へ出てきた。
 そこに上空から、妖夢が飛んで出てきた。
 幽々子が治った――と、妖夢が言った。

 ……。

 …………うむ、最後の一行以外何もおかしなことはない。おかしなことをした覚えも無い。
 ならばこの半霊は、何を嬉しそうに私の前を小躍りしているのだろうか。締め上げてやろうか、てか締め上げる。

「な、何で、霊夢、さんは、私の、頸動、脈を、封鎖、してるん、です、か……グフッ」

 っとしまった、少々やり過ぎたらしい。
 目の前で崩れ落ちる妖夢の顔を平手打ちする。
 起きないので往復ビンタに変更したところ、ようやく妖夢が目を覚ました。

「ああ駄目、これ以上アツアツのおでんを入れられたら火傷しちゃ――あれ?」
「アンタはなんつー夢見てんのよ、しかもこの短時間に」
「だっておでんのたまごに、私の初めてを奪われるなんて嫌じゃないですかっ!」
「えっ」
「えっ」
「なにそれこわい」

 ともかく。あれだけ絶望の中を奔走したのにこのオチではとても笑えない。

「妖夢、今すぐ白玉楼まで行くわよ」
「えぇ、お茶くらい入れて下さいよぉ」
「幽々子が治った途端にがめつくなるのねアンタは……」

 生憎入れてやる茶なんてないし、今は幽々子を見に行くことが先決だ。
 渋る妖夢を無理矢理引っ張って、私は快晴の空へ身を飛ばした。





「あら霊夢、いらっしゃい~」

 肝心の幽々子は、居間の炬燵に腰まで入れて寝転んでいた。
 あれだけの事がありながら、よくもまあ呑気に炬燵の温もりを楽しめるものである。

「幽々子。アンタ、もう頭は大丈夫なの?」
「来て早々私が痴呆みたいな事言わないで頂戴な」

 実際そうだったのだから仕方ない。

「幽々子様……午前中から怠けるのはお止め下さい」
「固いわねえ妖夢は、もっとなちゅらるにいきましょうよ」
「ああ……あと一度でいいから幽々子様がお庭のお手入れをするところが見たいです」

 嘆息する妖夢。
 そのお庭のお手入れ中幽々子に言われた言葉は、最早頭にないのだろうか。
 一方、その言葉に幽々子はポカンとした表情を浮かべたのち。
 満面の笑みを顔全体に広げて、楽しげに言う。

「あら、妖夢はおかしな事を言うのね?」
「え」
「私がお庭のお手入れをしただなんて、そんな事をした覚えは一度もないわよ~?」
「得意気に言わないで下さいよ……」

 自然体過ぎる幽々子が、生真面目な従者である妖夢の頭を悩ませる――全く違和感のない、いつも通り過ぎる日常。
 取りあえず、どんな形であれその日常が帰ってきた事だけは安心する。
 ――しかしその会話の中に、私は一欠片の違和感を覚えた。




「妖夢。幽々子にボケている時の記憶は無いの?」
「あ……よく気付かれましたね」

 私が到着してすぐ、白玉楼は昼食時に差し掛かった。
 「すぐにお昼ご飯をお作り致しますね」と妖夢が台所へ向かおうとする。
 これは好機と、私もその手伝いを申し出た。妖夢は微笑みながら「ありがとうございます」と頷き、私と共に台所へ歩を進める。
 因みにその時の幽々子はといえば「二人とも頑張ってね~」と手を振っているだけであった。
 ボケていた方が生活能力のある幽霊とは、まったく末恐ろしいばかりだ。

 話を戻そう。台所へ着くや否や、私は妖夢に対してそう切り出した。
 妖夢も肯定の言葉を返し、そのまま言葉を紡ぎ始める。

「……幽々子様はどうやら、ここ数日間の記憶が丸々飛んでいるみたいなんです。ご自身がボケていた事も含めて、全部」
「じゃあ、ボケていた間の記憶は確実にすっ飛んでる、って事ね」

 コクリ、と妖夢は首肯する。
 しかしボケが治った事も含め、何故ここまで突然事が進展したのか全く分からない。
 昨日幻想郷中を飛び回って得た成果があった訳でもなし、寧ろ糸口が全く見つからない状態だったというのに。
 今炬燵でごろ寝する幽々子は、間違いなく今までの幽々子だ。


「――でも、私はこれでよかったと思うんです」

 私が難しい顔をしているさなか。妖夢は私に、そんな言葉を投げかけてきた。
 驚いた私は俯き加減になっていた顔をすぐ起こし、目の前に立つ妖夢の顔を見上げる。
 妖夢は優しげでいて、尚且つこれ以上ない幸せを手にしたような、満足気な表情を浮かべていた。

「どうして治ったのか分からなくても――今ここにいるのは確かに、私の知ってる幽々子様だから」
「……」
「だから私は、これ以上何も考えなくていいんじゃないかって、思うんです。協力していただいた霊夢さんには、少し申し訳ないんですけどね」

 笑顔に少しだけ苦笑が混じる。
 けれど、その顔に昨日まで混じっていた絶望は、いまや全く見受けられなかった。

「……本当に、それでいいの?」
「え……?」

 それが、何故だか気に喰わない。

「幽々子をボケさせた原因が何で、それを仕組んだ犯人が誰か。それを妖夢は知りたくないの?」
「それは……」
「もしそんな奴がいるのだとしたら、私は絶対に許さない。妖夢をここまで傷つけた奴に、私はのうのうと過ごす権利なんて与えない」

 あ……、と妖夢が一歩後ずさった。
 きっと妖夢から見える私の顔が、これまでに無いくらい怖いものになっていたからあろう。
 暫し訪れる沈黙。それを打ち砕くように、私は妖夢に背を向ける。

「――私がもし貴女の立場だったら、決して黙ってはいないけどね」
「れ、霊夢さん」
「ごめんなさい、お昼ご飯の手伝いはパス。私はもう――帰るわ」

 ひらりと左手を上げて、私は台所を後にする。
 どうしたの、と幽々子が声をかけてきたけど、私はそれも無視して白玉楼から飛び立った。
 行く先は、まあ言うまでも無いかもしれないが、決して博麗神社に帰る訳ではない。
 今度は私一人で、私のエゴで、再び手探りの旅を始めるのだ。






「……お、霊夢。また会ったな!」
「…………魔理沙」

 活気に溢れる人里の商店街。
 ふと後ろから話しかけられたその声は、昨日に続き私の親友のものだった。
 すっと、私は魔理沙に振り返る。
 その途端、魔理沙は本を借りパクしていた事をパチュリーに咎められた時のような、凄く微妙な顔を浮かべた。

「れ、霊夢。私、何かお前の気に障るような事したっけ……?」
「……は? 何言ってんのよアンタ」
「あ、あは、あはははは……と、とにかく悪いことしたなら謝るよ」

 いや、そういうつもりの言葉ではなかったのだが。
 とにもかくにも、どうやら今の私の態度――表情から発言に至るまでは、全て例外なく高圧的なものとなっているらしい。
 それに気付いた私ははあ、と溜め息を吐いて、魔理沙に笑いかける。

「別に、魔理沙は何もしてないわよ」
「じ、じゃあその魔女みたいな笑いはなんなんだぜ……?」

 笑みすら逆効果になるらしい。もうどうしようもない。

「……ところで」
「ん」

 ふと、魔理沙が話題を切り替えた。
 その表情はここまでとはうって変わって、何だか神妙というか、そういう感じの影を落としている。

「……何よ」
「その、……幽々子の奴、おかしくなっちまったんだってな」

 ああ、と軽く返事をする。
 その返しに違和感を覚えたのだろう、魔理沙は怪訝な表情を見せる。
 こちらとしても隠すつもりは無かったので、またもや軽い調子で私は口を開いた。

「ああその、幽々子のボケは……治ったわ」
「ああ、なるほど…………え?」
「全治数日のボケだったらしいわ、初耳初耳」
「いやいやいやはあ!? ボケって治んの!?」
「幽霊の自然治癒力なめんなって事じゃない」
「な、なんだよその適当な返事……」

 適当も何も、私だって何も知らないんだからしょうがない。
 一方目の前の魔理沙は「とにかく治ったなら良かった」と言って、ニッと歯を見せて笑った。
 魔理沙と幽々子の関係がそこまで深いものだと聞いたことは無いが、関係が薄かろうが濃かろうが平等に心配できるところは魔理沙らしいと思う。
 魔理沙は幻想郷の中では誰よりも人間らしいところを持ってるから、魔理沙らしい=人間らしいが成り立ちそうだとも言えよう。
 そう考えると、妖怪の連中が私のことを「人間らしくない」と言う理由も、少し分かった気がした。


「……いや。お前、納得してないんだろ?」
「っ……」

 ――ふと。本当に突然、魔理沙はそんな事を言った。
 その顔は先程の笑顔とはうって変わって、真面目で茶化す事を許さないような、そんな表情を浮かべている。
 突然の事だったのと相まって、魔理沙の言葉が図星だったので一瞬言葉を失ってしまう。
 が、すぐ取り繕って、冷静な声付き――になっているかは分からないけど――で言葉を返す。

「……何の話よ」
「自分の胸に聞いてみろよ」
「ちゃんと答えなさい」
「う……分かったよ、分かったからその鬼みたいな顔で睨むのはやめてくれ」

 言葉は冷静でも表情が駄目だったようである。残念。
 だが、今回は鬼の形相が役に立ってくれたようで。直後、速攻で折れた魔理沙が言葉を紡ぎ始める。

「……幽々子が突然、何事も無かったかのように元に戻った事。それがお前は腑に落ちないんだ。違うか?」
「どうしてそう言い切れるの」
「勘」
「真面目に――」
「うわあ分かった分かった、だから、強いていうならその――」



「――お前と、私の仲だから、分かる」

 はあ。思わず溜め息を吐いてしまう。
 私の返事が適当なら、魔理沙の返事はもっと適当じゃないか、と。
 ――でも、私と魔理沙の仲というものは捨てたものでもないようで。
 ソース「私と魔理沙の仲」の推論は、確実に私の考えていた事を撃ち抜いていた。

「……そうね。外れちゃいないわ」
「素直に当たってるって言おうぜ」

 まるで私がひねくれているような言い方である。全く聞き捨てならない。

「いいや、完全に当たってはいないわ」

 その言葉に、魔理沙はポカンと疑問符を浮かべた。
 そう、魔理沙の言っている事は粗方正解。でも、それだけじゃ足りない。

「私は幽々子が突然治った事――それからいきなりボケた事まで全て、納得なんてしちゃいないわ」

 言いきって、それから私は魔理沙を睨むように見据える。
 矛先がおかしいのは分かるけど、言いだしっぺは魔理沙だから多少は勘弁してほしい。
 しかし今度は、魔理沙も怯んだ様子を見せなかった。寧ろ満足気に目を細めて、それからクククと笑う。

「お前がらしくて安心したよ、霊夢」
「それは私の事を暗に人間とは思えない妖怪もどき女って言ってるのね」
「何言ってんだお前……ともかく、その様子なら私も安心して霊夢の味方になれる」

 ……そちらこそ、何を言ってるのかさっぱり分からない。

「……要点だけはっきり言ってくれない? 紫じゃあるまいし」
「心外だな、あのインチキ妖怪と一緒にするなって。……まあ回りくどいのもアレだからな」

 膨れっ面を見せてから、スッと笑顔に戻る。
 少しだけずれた帽子を元の位置に戻しながら、魔理沙は口を開いた。

「……茸。妖夢はうまいっつってたか?」
「……はぁ?」
「そりゃあうまいって言ったろうな。何せアリス特製遺伝子組み換え茸だからな、クク」

 アリス。何故その名前が、このタイミングで出てくるのだろうか。
 そう口にした張本人は、笑みを浮かべながら上目使いでこちらを覗いている。
 思わず。私は魔理沙の肩を両腕で掴んでいた。

「……あの茸なのね?」
「さあな、私はアリスから『これを妖夢に渡して。あと、私からとは言わないでね』って言われただけだぜ」
「……」

 足元を見つめて、私は身体を震わせる。
 その様子に、流石の魔理沙も笑うのをやめた。そしてもごもごとした口調で、私に言葉をかけてくる。

「まあ……なんだ。あまりアリスを苛めてやるなよ」
「……手加減できるほど、私は優しくないわ」
「私に免じて、な。頼む」

 視線を上げると、魔理沙の眼差しはとても真剣なもので。
 はあ、ともう何度目か分からない溜め息を吐き、言う。

「……半殺し、で赦しといてやるわ」
「三分の一」
「……四割」
「三割七分五厘」
「……いいわ、成立ね」

 そんな訳で、アリスは三割七分五厘殺しが確定する。
 首位打者レベルで済んだ事を魔理沙に感謝してほしいと思う。

「……てか、さ。アンタ、幽々子がボケたの誰から聞いた?」
「っ……ええと、それは……」

 ふと、私はそれを疑問に思った。
 昨日様々な賢人・妖怪に相談を持ちかけたわけだが、口が軽そうな奴に相談した覚えはない。
 だが魔理沙にも話していないし、となるとやはり相談した誰かが――

「……白蓮ね」

 一人、ピンとくる。
 昨日相談した中で、魔理沙と関係のある奴といえば――聖白蓮だ。
 アリスの方が魔理沙と深い関係がありそうだが、墓穴を掘る真似などするはずも無いので除外。
 パチュリーもそうかと考えたが、昨日の昼に魔理沙と会った時、魔理沙は茸を抱えて「白蓮に渡す」と言っていた。
 となれば、その後魔理沙が白蓮の下に行った事など容易に想像がつく。
 白蓮の所へ行った後大図書館へ行ったのかもしれないが、それを差し置いても疑うべきは白蓮だ。

「ったく、あのお喋り……」
「い、いや待て、違う!」
「じゃあパチュリーね、あの根暗も口が堅いと思って――」
「パ、パチュリーでもないっ、ぬえだぬえ!」
「……は? ぬえ?」

 眉をひそめる。言うまでも無いがぬえにこの話をした覚えはない。
 しかし魔理沙はぬえから聞いたという。適当に誤魔化しているのではないかと糾弾しようとしたところで、魔理沙は慌てて付け足した。

「だから、ぬえがお前達と白蓮が話してる事を……その、あれだ」
「……はっきりしなさいよ」
「……盗み聞きしてた、らしい」

 思考が停止する。
 そういえば、盗み聞きされるなど完全にアウトオブ眼中だった。
 それもぬえとあればやりかねない。

「……ていうか、命蓮寺の奴ら全員で盗み聞きしてたみたいだけどな」
「ああそう…………は?」
「あのナズーリンも盗み聞きメンバーに入ってたらしいし、驚きだな」
「教育どうなってんのよ全く……」

 どうしてこう、寺の奴らが道に外れた事をするのだろうかと思ってしまう。
 それだけの人数が息をひそめている事に気付かなかった私と妖夢もアレではあるが。

「まあいいわ、そいつらも後から二割五分殺しにしとくから」
「下位打線だな」
「そんなとこ。じゃね」
「あ、ああ、じゃあ……な」

 話題をぶっちぎって、私は魔理沙と別れる。向かうところはアリスの居る魔法の森の小屋。
 一瞬不意を突かれたような魔理沙も、すぐに踵を返す音が聞こえた。


 ――魔理沙さんは自分のやってる事が正しいのか悩んでるから、そういう態度になるんだと思います。
 ――正しいか正しくないかないんて魔理沙にしか分からない。それを私に聞かれても困るわ。
 ――例え分からなくても、魔理沙さんは霊夢さんに言って欲しいんです。
 ――何を?
 ――まあ、何かを!


 ふと、妖夢とのそんなやり取りを思い出した。
 思わず魔理沙へ振り向く。私から遠ざかっていくその背中は、心なしか寂しげに見えて――

「魔理沙!」

 そう、叫んでしまった。

「……? な、何だぜ?」
「あ、あの、さ。その――」

 何もいう事を決めていなかったから、二の句が続いて出てこない。
 こちらを向いてポカンとする魔理沙。このまま黙りっぱなしはいけないと思って、無理矢理に口を開く。

「――魔理沙、命蓮寺、行くの?」
「え……あ、ああ、そう、だな」

 今度は私も、魔理沙が口ごもったのがよく分かった。
 だから今こそ、妖夢に言われたことを実践する時だと、理解する。
 頑張って――が正解か。いや、どうにも薄っぺらいような気がする。
 身体に気を付けて――だろうか。いや、寧ろこれでは誤解されてしまうかもしれない。

「……?」

 また黙ってしまった私に、魔理沙が怪訝な表情に変わる。
 慌てて、私は適当に言葉を繰り出した。

「お、応援、してるわ。貴女と白蓮の、その――アレ」
「……!」

 ああもう、やはり私は適応力が無い。アレとは何だアレとは。
 また怪訝な表情をされる、と覚悟する。恐る恐る、俯き加減な自分のこうべを上げていく。
 そこにあった魔理沙の表情は――苦笑。

「はは、何だよ霊夢、顔真っ赤だぜ」
「え……ほ、ほっときなさいよ」
「――ありがとな」

 魔理沙はそれだけ言って、クルリと再び踵を返す。
 私が引き止める間もなく、左手を上げて走り去っていった。
 私の言葉が、魔理沙にしっかり届いたかは分からないけれど。
 少なくとも、私の気持ちは今までより晴れたものになったような、そんな感じがした。


「さて……と」

 前触れなく、私は優しさを捨てる。
 改めて、アリスを三割七分五厘殺しにするべく、私は人里の遥か上空へ飛び去った。


   ◇


 暗闇に沈む冥界に、ポツリと光る一固まりの明かり。
 未だ紫が治していない冥界と幻想郷の境界穴。その間を通り抜けて、私はその明かり――白玉楼へ、他の事象には目もくれず飛んでゆく。
 玄関に辿り着き、ガラスの扉を横へ滑らせる。しかし鍵がかかっているようで、固まったように扉は動かない。
 破壊して中に入ろうかと思ったが、それでは鬼巫女どころか破壊王のレッテルを張られてしまうので我慢し、白玉楼を囲むように立つ塀の上を抜けてゆく事にした。
 塀を越えた先は中庭だった。私が幽々子の深刻なボケを始めて目の当たりにした、中庭。
 思い出すだけで反吐が出る。





「あら霊夢、また来たのね~」
「また来たわ、幽々子」

 居間の襖を開くと、幽々子が立ち上がってこちらに笑いかけていた。
 妖夢の姿は見えない。時間的に、夕食の片づけをする為台所に居るのだろう。

「珍しい、幽々子が炬燵で寝転んでないなんてね」
「ふふ、ちょっとおトイレに行こうと思ってね」
「あら、そう。じゃあ――」

「歯ぁ……食いしばんなさいっっ!!」


 ドカッ、という鈍い音が居間に響き渡る。
 その直後、襖に何かがぶつかるような轟音がして――それに気付いた妖夢が、慌てて台所から姿を見せた。

「な、なっ……ゆ、幽々子様っ」
「邪魔しないでね妖夢……これは私と幽々子の問題だから」

 幽々子を殴り飛ばした右拳をさすりながら、私は向こう側の襖に激突した幽々子に近づいてゆく。
 そう、右「拳」だ。平手ではない。グーパン。

「……大層なご挨拶ね、霊夢」

 顔を襖の方に向けたまま、そう幽々子は言葉を向けてくる。
 茶化しているようで、全く柔らかさの無い言葉だった。

「いいや、今のアンタにはピッタリなご挨拶よ、幽々子」

 幽々子の胸ぐらを掴みあげて、その顔を無理矢理こちらへ向ける。
 幽々子は殴られた左頬をさすりながら、小さく笑みを浮かべていた。

「随分余裕なのね」
「余裕じゃないわ、殴られて余裕な程私の身体は頑丈に出来てないから」
「幽霊がよく言うわ……」

 もう一度、右の肘を引き直す。
 その時、私の右半身に強い衝撃が走った。
 左手に私は飛ばされ、その上に何かが乗っかっている。妖夢だ。

「霊夢さん、止めてくださいっ!」
「……妖夢」
「どうして……どうしてお二人が喧嘩なんて……っ! 折角幽々子様も元に戻ったのに、どうしてっ!」

 悲痛な声で問いかけてくる妖夢に、私は思わず目を逸らす。
 逸らした先に、未だ仄かな笑いを浮かべる幽々子がいた。キッと睨む。

「……妖夢、退いて」
「嫌ですっ」
「退きなさい」
「また喧嘩をするんだったら、絶対に嫌ですっ! どうして霊夢さんには、話し合いという考えがないんですか!?」
「っ……」

 言葉に詰まる。
 たしかに、それは全く考えていなかった。幽々子に対する激情が、完全に先を行っていたからだ。

「これ以上幽々子様と喧嘩なされるなら、幽々子様の従者として、私は霊夢さんに……黙っている事はできないんです……っ」

 でもその言葉は、私の心を強く揺さぶった。
 このままだと、妖夢と闘う事になる――それがとても悲しい事だって、私にも分かるから。

「……分かったわ」

 妖夢に免じて、ここは私が妥協する。





 炬燵を挟んで幽々子と対峙する。
 間に妖夢が立ち、穏便なものにする事を前提に話は始まった。

「……幽々子。アンタ、殴られた理由は分かる?」
「いつだって暴力に正しい事は無いわ」
「茶化してんの?」
「わわっ、落ち着いて霊夢さん」

 思わず身を乗り出してしまったところを妖夢に止められる。
 ギリリと歯を食いしばって、私は元の居場所まで引く。

「……もう一度だけ、同じ事を聞くわ、幽々子」
「さあね。私には貴女が何を言っているのかさっぱり」

 妖夢に手当された左頬を湿布越しに撫でながら、幽々子はあくまでしらを切り通す。
 ――いや、確信犯なのだろう。私が全てを知っている事を見越して、でも私に説明させる為しらを切っているのだ。
 気に喰わない。私が知った事実を妖夢に知られる事など何とも思っていないのか。――妖夢に嫌われるかもしれなくても、それでも良いというのか。

「そう――いいわ」

 そうくるなら、お望み通り説明してあげよう。アリスに吐かせたこの騒動の真実を。


   ◇


 時は数時間程遡る。
 アリスの住む小屋の近くに、浮いたように存在する空き地。
 その上空で、苛烈な弾幕が飛び交っていた。

「……っ!」

 声にならない声を漏らしたのはアリス。
 私の放った札が、左腕へまともに被弾したのだ。
 鈍く走る痛みに一瞬判断力が鈍る。しかし、私にとってはその一瞬の隙だけで十分だった。

「三割……七分五厘よ、アリスっ!」

 浮かび上がるように出来た隙のラインをなぞり、私はアリスの眼前に飛び出し。
 勝負は着いた。





「いたた……もう少し加減してよ霊夢」
「三割七分五厘だっての」
「その微妙な調整をよくもまあ出来るものね……」

 アリスの小屋の中。そのリビングルーム。
 昨日もお邪魔したこの場所で、私とアリスは弾幕勝負の結果を振り返っていた。
 長い間外で戦っていたせいか、その全身はお互いに冷え切っている。
 だから上海の持ってきた紅茶は、その温度以上に私の身体を温めた。

「……さて。本題よ」
「……本題なんてあったわね」

 身体も温まったところで、私はアリスにそう切り出す。
 誤魔化すように呟くアリスも、避けられない事だと諦めていたのだろう。
 はあ、と嘆息してから、口を開く。

「魔理沙に渡した茸。知ってる?」
「そりゃあ、魔理沙自身に聞いたからね」
「全く、魔理沙も信用ならないわね……まあいいわ。ここから先は大体貴女の想像通り、その茸に知的老化の呪いをかけた」

 そう言いきって、アリスはカップに口を付ける。
 何故そんな事をしたのか、と聞きたくなる。しかし、霊夢には兼ねてから聞きたい事があった。

「でも、私と妖夢も同じ茸を食べたんだから、幽々子にだけ発症するのはおかしいんじゃない?」

 カップを傾けたまま、アリスは暫し停止する。
 それからゆっくり空のカップを置いて、上海を右手で呼びながら、言う。

「……それは答えられない、と言ったら?」
「簡単な問いね、『答えるまで絞り上げる』に決まってるじゃない」
「はあ……そう言うと思ったわ」
「今度は100打点殺しね」
「わかりづらっ」

 首位打者が三割七分五厘なら打点王は100打点以上と相場が決まっている。
 この魔法使い様はそんな事も分からないのだろうか。常識なのに。

「仕方ないわね、どうせ魔理沙には裏切られちゃったし、私もここで背信といきましょう」

 やって来た上海にカップを渡しながら、アリスは諦めたように告げた。
 ――いや、待て。背信? ……誰から?

「アリス、それは一体――」
「まあ聞きなさいな、貴女の言わんとする事は大体分かるから」

 何故幽々子だけに効いたのか、だったわね。そうアリスが続ける。

「今回の騒動は全て私の呪いが原因に他ならないわ。けれどね、私もまだまだ未熟だから、無差別に人をボケさせる程の呪いは使うことが出来ないの」
「使われたら寧ろ困るわ」
「ええ、だからこの呪いは、受動者側からの『同意』が必要になってくる」
「『同意』……って、まさか」

 ようやく、途切れていた一本の太い線が繋がる。
 ――何故アリスがこんな事をしたのか。
 ――何故茸を食べた私と妖夢に影響がなかったのか。
 ――そしてアリスが口走った、背信する……相手。

「そう。……貴女の疑問は、これできっと全て解決するでしょうね。黒幕は――」


「幽々子」







 真実を、語り終える。
 目の前の幽々子は、知っている事だから当然だろうが、落ち着いた様子で目を閉じている。
 右手に佇む妖夢は――下唇を噛みしめて、正座する膝の頭をぎゅっと握りしめて。
 ただただ、そのこうべを垂れ下げていた。

「……まだ、何かいう事はある? 幽々子」

 ちらりと妖夢を見て、それから幽々子を睨みつける。
 幽々子はそれでも瞼を落とし、まるで寝ているのではないかと錯覚させるくらい、静かに黙って正座する。
 その態度も、私には気に入らなかった。

「何か言いなさいよ……アンタは妖夢の想いも知らず、からかう為だけにこんな最低な事をしたんでしょっ!?」

 炬燵のテーブルを拳で叩きつける。痛みはない、怒りで麻痺してしまっている。
 それから私は、これでもかというくらい幽々子を責めた。罵った。中傷した。それは今回の件と全く関わりのない範囲にまで及んだ。
 そうして叫び疲れた私が、腰を落とし肩で息を始めた時。幽々子は重い瞼を開き、初めて言葉を綴った。

「……そうね、大方霊夢の言う通り。私は妖夢に、霊夢に、とても酷い事をしてしまった」

 予想外だった。
 幽々子が私の言葉で取り乱す事は決してないと分かっていた。
 ボケていた幽々子の時で一生見納めと、分かっていた。
 でも、私の言葉に妥協的な言葉を返してくるとは、それこそ考えもしなかった。

「っ……何よ、アンタらしくもない。どうせ、上辺だけなんでしょ」
「貴女達に上辺だけと言われてしまえば、それまでだわ。――でも、これだけは言わせてもらう。私は、貴女達を馬鹿にする為にこんな非道い事をしない」
「今してんじゃないっ……」
「だから、違う。それだけは、私の人生――それから幽霊としての生、全てを賭けて言う事が出来る」

 なら、アンタの生は余程軽いものなのね――そう罵り返そうとする。
 けど、やめた。幽々子の睨みに、やめさせられた。

「私はね、こう言うと傲慢なように聞こえてしまうかもしれないけれど――妖夢を、試したの」

 幽々子だけが口を開けるような、そんな空気。
 その中で発せられた言葉に、脇に座る妖夢はパッと顔を上げ、幽々子の顔を見つめる。

「私がどうしようもない無能になって、妖夢に呆れられても仕方ないくらいにまでなってしまった時――私の為に、妖夢はどれぐらい尽くしてくれるのかを、試したかった」

 再び幽々子が瞳を閉じる。
 妖夢もまた下唇を噛んで、俯く体勢に戻ってしまう。

「――でも、そんな事必要なかった」

 幽々子が、なお口を開く。

「妖夢が私にどれだけ尽くしてくれるかなんて、試す必要も無く分かってた筈なのに……ね。けれど私は、試さずにはいられなかった。――そして、妖夢を、深く、傷つけてしまった」

 悔やむような口調。でも、それを言葉にする幽々子の表情は至って冷静で。
 そのギャップは、明らかな違和感を私に覚えさせる。

「あと――さっき霊夢が言った事に、もう一つだけ言われていない事があるわ」
「……何よ」
「私がボケている間の記憶を失っている――あれも全部、嘘」

 眉をひそめる。
 今日の朝会った時の反応は、全て演技だったという事か。

「妖夢を忘れてしまった事も、妖夢の懐で泣き叫んだ事も、全部全部、覚えてる。そうして――――どうして、こうなっちゃったんだろうって、……絶望、したわ」

 その時、初めて幽々子の表情が変わった。何かを噛み殺しているような、苦しげな表情に。
 それを見た妖夢は、目を丸くして驚いていた。そして、きっと私の表情も驚きに染まっていたんじゃないかと思う。
 それだけ幽々子の顔は、後悔の色に深く沈んでいて。

「……だから、私にも解るわ。貴方達が、妖夢がどれだけの絶望を背負わされて……いえ、私が背負わせていたか。だって、私も同じ目にあったのだから」

 妖夢を試す為に受けた呪いは、その名の通り自らをも蝕む呪いに変貌した。
 呪いを受ける直前までの打算的な考えは全て消え去り、愛する従者を従者と思えない、地獄のような苦しみを絶望の中に味わった。
 自業自得といえば確かにそれまでだ。しかし、それならばこれ以上の罰を私が与える必要があるだろうか。
 合か、否か。その答えは分からないけれど――
 少なくとも。私はもう、幽々子を糾弾する事が出来なかった。

「――霊夢さん!」

 その時。幽々子と私の間に、すっと妖夢が身を挟んだ。
 思わず妖夢の顔を見上げれば。彼女の顔は、幽々子のそれに負けないくらい悲痛なもので。

「もう、幽々子様を許してあげて下さい……っ! 私が幽々子様にされた事、それがどうでもいいとは絶対言えないけど……っ! もうこれ以上、幽々子様を傷つけないで……っ」

 立ちはだかるように、妖夢が両腕を大きく開く。
 私は何も言えない。責められない。罵れない。中傷なんてできない。
 それでも、もし誰かを責めるなら。それはさっき幽々子を口汚く罵りあげた、愚かな自分自身だ。

「……いいの、妖夢」
「幽々子……さまっ」
「本当にごめんなさい、妖夢――」

 幽々子が、後ろから妖夢の身体を抱きしめる。
 その優しい感触が、妖夢を支える最後の力を完全に喪失させた。
 膝から崩れ落ちた妖夢は嗚咽をあげて、大粒の涙を零す。それを見てから私は、ガバッと一気に炬燵を飛び出し立ち上がる。

「幽々子。――次は、ないわよ」
「次なんて、ないわ。……しない。絶対」

 悲哀に満ちたその表情に、決して偽りの色は無い。
 鼻で息を吐き、キッと幽々子を睨んでから――足早に、私は白玉楼の居間を後にした。


   ◇


「……出てきなさい、紫」
「はいはーい」

 白玉楼を発ってから暫く。
 人里近くの上空を飛行している時、私は背後にあの気配を感じる。
 呼びかけてみれば案の定、開いた隙間から紫は身体半分出して現れた。
 深夜である事も重なって、尚更不気味な図柄だ。

「ったく、その隙間はどうなってんのよ」
「最近は動く隙間がトレンドよ、霊夢」
「アンタ一人のね」

 そう話をする間も、紫の隙間は私の移動に合わせて着いてきている。
 全くもって、どんな原理で動いているのか想像がつかない。
 ――それは、ともかく。今私が話したいのは、こんな与太話などではない。

「……紫。アンタ、知ってたの?」
「勿論、知る筈も無いわ」
「嘘ね。幽々子と結託して妖夢をからかっていた……っていうのはもう疑わない、けど。アンタは幽々子のボケが呪いによるものだって知ってた。違う?」

 こう言ってはアリスが可哀想だが、アリスの呪い程度を紫が気付かないと言い切る事は出来ない。
 少なくとも私や妖夢のように、完全にボケと信じ込む事は無かった筈だ。

「……違う、と言っても貴女は信じないのでしょうね、霊夢」
「どうかしら。紫が違うと言えば、私は信じるかもしれないわ」
「……あら」

 紫が少しだけ、目の大きさを変えた。
 そう、私はもう一方的に疑ってかかるようなことはしたくない。
 それなら初めから聞くなと言われれば確かにその通りではあるのだが。

「……で、紫は知ってたの? それとも、知らなかったの?」
「なーんか、今日の霊夢は調子狂うわねえ」
「何が違うってのよ」
「ほら、普段の霊夢はもっと一方的な感じじゃない。私の言う事に間違いはない、お前の物は俺の物、みたいな?」
「ジャイアンか」

 そこまで私は、普段からジャイアニズムをおっぴろげているイメージなのだろうか。ぐぬぬ。

「まあいいわ。答えを言わせて貰うと……ま、YESね」

 そんな風に首を捻っている時、紫は何の抵抗も無く、私が向けた疑惑を認める。

「……どこからよ」
「ボケた幽々子を初めて見た時からねえ。微弱だったけど、幽々子の身体に呪いの痕跡が見えたわ」
「流石、アリスのレベルじゃアンタは欺けないって事ね」
「絶対、ね。まあ幽々子の意図は分かったし、呪いを解く事も出来たけど敢えて解かなかったわ。面白いものも見れそうだったから」
「で、面白かった?」
「クソ胸糞悪かったわ」

 さらっと言い放ってから、紫は私を見てクスクス笑う。
 それは紫の本心というよりも、私の心を見透かしてからかっているように思えた。
 はあ。溜め息が出る。

「何はともあれ、一昨日の夜話した事はあながち嘘でもない訳ね」
「まあねえ。それに、早くしないと妖夢を完全に忘れてしまう、と警告したのも決して脅しじゃないわ」
「……どういう事?」
「アリスのかけた呪い。アレは数日で解ける仕組みになってたみたいだけど、感受性者が絶望を受け過ぎると呪いが暴発する危険があったの」

 その言葉に、私は耳を疑った。
 呪いが暴発するというのは、説明するまでも無くそういう事だ。
 感受性者である幽々子のみならず、その周囲にいる人間さえ巻き込み呪う――暴発とはそういうもの。
 無論、アリスも知らない訳ではあるまい。三割七分五厘では済まされない話だ。

「でも、アリスを責めすぎてはいけないわよ、霊夢」
「……はあ。魔理沙しかり、みんなアリスの心配をするのね」
「ええ、だって貴女が本気出したらアリス消滅しちゃうもの」
「使徒じゃないんだから……」
「それはともかく。アリスに無理を言ったのは、他でもない幽々子。アリスばかり責めてもいけないわ」
「……」

 そこから先は、聞くまでも無く分かる話だ。
 アリスはきっと、呪いが暴発する危険性を幽々子に説いた。しかし、幽々子は大方こんな事をアリスに言ったのだろう。
 「私が呪いを暴発させるとでも思って?」――口調はまあ、微妙に違いそうではあるが。
 でも結果的に、幽々子はボケをコントロールできなくなった訳で。あの幽々子でも、そういう事は起き得るんだなあなんて、少し驚きもしてみたり。

 そんなこんなお話しているうちに、私のねぐら――博麗神社がうっすらと遠目に見えてきた。
 そこまで近い道のりではない筈だが、意外と早く到着したように感じる。

「さて、と。それじゃあお別れね、霊夢」
「まあアンタなら、隙間くぐってすぐ来れるでしょうに」
「ふふ、それすら面倒に思うかもしれないじゃない?」
「得意気に言うな」

 そのツッコミに、紫はふふ、と口元を綻ばせる。
 始めはそんな表情にも、私は不愛想にやさぐれていたが。
 だんだん愉快な気持ちになってきて、思わずクスリと笑みが零れた。

「じゃあおやすみ、紫」
「ええ、いい夢を見なさいな。霊夢」

 そうして、紫は隙間を閉じて去ってゆく。
 いつも通り気配が完全に遠のくのを確かめて――それから、私は夜の空で深呼吸する。
 冷えた空気が、私の肺いっぱいに入ってきて。それからすうっと、再び空へ抜けていく。
 色々あった数日間も、取りあえずはこれでお終いだ。
 少しだけ哀愁を感じながら、神社の境内に着地する。寒いから早く寝よう、そう私は本殿に歩を速めた。

「ああ、言い忘れていたことがあるのだけど」
「どわっっ!?」

 その目の前に、八雲紫再び登場。
 大声を出しながら急ブレーキをかけて、仰け反った身体のバランスを必死で取る。

「ア、アンタは……普通の登場は出来ない訳?!」
「ごめんなさいね、急いでいたからつい」
「何か日本語おかしいわよ……」

 はあ。溜め息。一体何度目だろう。
 ……この台詞も、前に言ったような気がする。

「で。言い忘れた事って何よ」
「幽々子の事。幽々子にかかった呪いは暴発寸前だったって、さっき私が言ったでしょう?」
「ああ」
「でも結局、呪いは数日足らずで解けてしまった。何故だか分かる?」

 ……確かに、言われてみればそうだ。
 暴発寸前まで行ったのならば、自然に呪いが解けるなどあり得ない話。
 ならばどうして――暫く頭を傾げるが、答えは出ない。
 そんな私の様子を察してか。紫はクスリと笑って、答えを口にした。

「……幽々子が本気で、妖夢の事を思い出したいと願ったから」
「っ……」
「それが幽々子の力と相まって、無意識に呪いを滅したのでしょうね」

 そして紫は、今日一番寂しげな表情を見せて、言う。

「幽々子は過ちを犯してしまったわ。簡単には許されない、大きな過ちを。そして、それを糾弾した貴女も、決して間違ったことはしていないわ」
「……」
「けれどね。本気で自らの無力を憂いた幽々子には、既に自らの罪の重さは分かっている筈。だから、貴女も少しでいいから幽々子に謝ってほしい」

 主にこれをね――右手で拳を作って、寂しげながらも微笑して紫は語りかける。
 ……だが。言っておくが、私は悪い事をしたとは思っていない。
 糾弾した事を幽々子に謝る余地など毛頭残ってはいないのだ。
 ――でも、まあ。

「……殴るのは、やりすぎだったかもね」
「霊夢」
「明日、幽々子にもう一度会うわ。そこで殴った事は謝る」
「……そう」

 そう言うと、紫の顔から寂しげな色は消え去った。混じりけのない微笑みを、私に投げかけてくる。
 何だかんだ言って、コイツと幽々子は親友なんだなあって、そう思った。

「まっ、サブミッションも残ってる事だしね」
「? ……初耳ねえ」
「そりゃそうだろうね、私も今思い出したから」

 そして、同時に思い出した事もあった。
 それは私にとってとても楽しみな事で、湧き上がってくるルンルン気分はどうも収まりそうに無い。
 スキップ気味に本殿へ歩いてゆく。背後であの紫が訝しげにこちらを見ている。
 それにさえも優越感を抱きながら。私は小さく、笑いに震える声で呟いた。









「……おはぎとお茶とその他諸々。楽しみねえ、妖夢」
「食べ過ぎです霊夢さん!? これじゃあ私、一か月丸々お昼ご飯抜きに……」
「約束したよね、妖夢(暗黒微笑)」
「……うん」


☆おまけ(クッソ汚い外伝なので回避推奨です)

ぬえ「おーい! 何だか聖と霊夢達が面白そうな話してるぞ!!」
村紗「聖が面白そうな話を……だと?」
一輪「きっと封印されていた時の面白い話をしているに違いないわ!」
寅丸「主に寝心地とかですね!」
ナズ「ねえよ、ってか君達は聖が封印されていた頃の忌まわしい記憶を何だと思ってるんだ、不謹慎な……」
寅丸「不謹慎厨は帰って、どうぞ」
ナズ「は!?」
村紗「ナズはちょっと偽善な所があるんだよなぁ……」
ナズ「え、ちょ、何この空気!?」
一輪「あのさぁ……」
ナズ「え、な、何だよ」
一輪「……」
ナズ「何か言えよ!」
ぬえ「まあまあ、取りあえず落ち着いて盗み聞きといこうよ」
一輪「さんせーい」
村紗「さんせーい」
寅丸「さんせーい」
ナズ「いやいや待て待て、聖はさっき大切な話だと言っていたじゃないか。それを盗み聞きだなんてとんでもな……」
ぬえ「申し訳ないがこの空気でアンチはNG」
ナズ「知らないよ! NGって何なの!?」
一輪「取りあえず現地まで移動しましょう!」
村紗「ここで話していても仕方ないものね!」
ナズ「何で盗み聞きする事前提で話が進んでるんだ?!」
寅丸「まあまあ、ちょっとだけ聞くだけですから。ね、ナズ?」
ナズ「……し、仕方ないな(赤面)。ちょっとだけ聞いたら君たちも納得するんだな?」
ぬえ「おう、考えてやるよ(納得するとは言ってない)」

 ~現地(別室前廊下障子越し)~

村紗「こ↑こ↓が現地か……」
ぬえ「そんな訳でナズーリン、障子に耳ありよ!(誤用)」
ナズ「私に聞けってか! 私は君たちがやらかさないように監視してるだけだ、自分で聞け自分で!」
一輪「ふざけるな!(声だけ迫真)」
ナズ「こっちの台詞だ!」
村紗「何が聞けだよ、お前が聞けよ(棒読み)」
ナズ「だから何でだよ!?」
寅丸「何と言おうとこれはナズの役割ですよね、それ一番言われてるから」
ナズ「言われてないっ! ご主人までおかしくなって、もう嫌だぁ!」
一輪「も、もう淫夢だ?」
ナズ「言ってないよ畜生っ!!」
村紗「まあまあナズ、オナシャスっ」


 ~夕食時~

白蓮「……皆さん、私の話を盗み聞きしてましたね?」

 デデドン!(全員驚愕)

一輪「えっと違うんです! これはナズーリンに脅迫されて!」
ナズ「何でそんな身も蓋も無い事言うんだ君は!?」
白蓮「嘘を言っても無駄です、私には何が本当の事か手に取るよう分かる……」
ナズ「聖……流石です」
白蓮「という訳でナズ、少しお話があります(若干怒声)」
ナズ「ああ^~(絶望)」


 ~後日~


ナズ「そんな訳で……まあ、うん。ごめん」
霊夢「アンタが主犯ね、残念だけど二割五分殺し」
ナズ「基準分かりづらいよ!」
霊夢「訴訟も辞さないわ(起訴)」
ナズ「幻想郷って怖いわ」




作者「濃厚な星ナズの筈だったんだけどなぁ……」


   ◇


読了、ありがとうございます。今回が初投稿になります、SARAyearです。
言うまでも無く東方のSSは初挑戦ですので、おかしな所が無いか心配ですが……
とにもかくにも、拙い文ながら読んで頂けた方には感謝申し上げます。

ご指摘等ございましたら、遠慮なくザクッとどうぞ。

>>3様
呆れた事に、そこまで考えが至りませんでした。
不快な思いにさせてしまった事、誠に申し訳なく思います。
注意書きはタグだと少々長くなってしまうので、冒頭に付け加えさせて頂きました。
ご意見ありがとうございます。
SARAyear
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コメント



0.810簡易評価
3.50名前が無い程度の能力削除
この話、家族に痴呆症の人がいる人にとってはあまり楽しめないね。
まぁ自分がそうなんだけど。
そんなヤツは読むなって言われそうなんだけど…
できればタグで注意してほしかったなぁ…
4.80名前が無い程度の能力削除
鬱な気分になりたかったから個人的にはよかったけど、一般的には受け付けにくいかもね。
7.60名前が無い程度の能力削除
大筋は面白いと思います
いちいちシーンごとをネタで落としているのは個人的にアリだとは思います。アイキャッチみたいな感じで。
これはあれですか、淫夢という奴ですか?元ネタわからんし、後書きではっちゃけるのはともかく本編でアホみたいにパロディってなんか意味あるのかなぁというのが……まあ僕もパロディとか大好きなんで気持ちは分かるのですけど……。えっといやそれはいいです。どうでも。

ただですね、やっぱりこういうSSってかなり綱渡りなのだと思うのですよ
きわどいネタを使ったきわどい起承転結というのは。
自覚あったのかないのか分かりませんが、ネタ(主題と言い換えてもいい)がきわどければきわどいほど、むちゃくちゃ上手くないと駄目になっていってしまうみたいです。
このSSにおいては、例えば真相暴露の辺りの文脈に違和感がありました。多分これは演出の一環のつもりなのでしょうが、混乱しました。
そして、幽々子の人格がおかしいように感じられます。いたずら仕掛けたのは自分なのに、と違和感がつきまとい続けました。欲を言えば霊夢もなんですけど、まあこっちはどうでもいいです僕の好みです。
ちょっとSSとして楽しむのは、このニ点によって無理でした。

いろいろ言いましたが、平然と、淫夢だの痴呆だのの一見無関係なネタを東方に絡ませる姿勢はとても好きです。応援してます。
本当は100点景気良くぶち込みたかったです。
あー。
何言えばいいかわからん。
次回作も待ってます。
10.無評価名前が無い程度の能力削除
わざわざ東方でやる意味……は、ネタになりそうだからですよね。

正直、こういう話には耐性がある(と自分で勝手に思ってる)俺ですら、かなり引きました。
何がって、やっぱり東方Projectでこういう話を作っちゃった事にです。

死ネタよりもよっぽど質が悪い。
正に生殺し。
20.60名前が無い程度の能力削除
発端、結末、オチ、どれも弱く感じました
妖夢と幽々子の絆の話は種明かしも含めてあっさり終わってしまい、
結果として霊夢のガンバリとかわいさと空回り感、それに最初の掴みのためのインパクト重視の認知症ネタだけが印象に残りました
でもやっぱり霊夢はかわいかったです