Coolier - 新生・東方創想話

歩き方と手のつなぎ方 - 銀

2011/03/03 04:31:56
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※本作は【 始 → 翠 → 銀 → 金 → 結 】という流れで構成されます。
※お手数ですがタイトル横の文字を確認し、流れにそった順番でお読みいただきたく思います。










 布団が一つ敷かれた和室に霊夢はいた。馴染みある神社のものとは少し違う。紫を呼び出した際に現れたスキマを通れば、なんとも純和風な家にたどり着いたのだ。
 紫はその布団と掛け布団の境界に、早い話が寝ている。霊夢が横に腰を下ろして話をしていた。
 やがて霊夢が立ち上がる。話は終わったようだ。紫が再びスキマを出してやると、霊夢は訝しみながらもそれを潜った。

「彼女が来ていたんですか?」

 スキマが完全に閉じてから間もなく、幼げな声が部屋に現れた。

「ええ。橙もお話したかった?」
「そうではありませんけど……」

 橙は可愛らしくちょこんと座る。

「どんなお話をしていたんですか?」
「彼女の友人の話です」
「霊夢の友達?」
「ええ。この前、人里を襲ってる妖怪の話をしたでしょう? それを退治してるって」
「そうなんですか」

 そこで紫は身体を起こし、スキマを開くと飴玉を取り出した。差し出されて、橙は恐る恐るそれを受け取る。

「紫様は霊夢のことが好きなんですね」
「そうよ。どうして?」
「だって、紫様はここのところずっと御休みになられているじゃないですか。にもかかわらず、招いてまで話を聞く相手が嫌いな相手なわけないです」

 橙は飴玉の包装紙を剥きながらにそう言った。綺麗に剥けたそれを口に放ると、にわかに彼女の尻尾がぱたぱたと動く。どうやらお気に召したらしい。

「放っておいてもよかったんだけど、どうにもね」
「はぁ」
「あの子はなまじ強いから」
「はぁ」

 聞いているのかいないのか。橙は右の頬、左の頬と交互に膨らみを作り、飴玉を転がすことに没頭しているように見える。

「あっ、こら橙ダメじゃないか。紫様の御休みの邪魔をしちゃ」

 障子戸を開けて藍が現れた。

「藍様」
「別にいいのよ。退屈してたし」
「紫様がよくても私が困るんです」
「藍は淋しがり屋ね」
「そ、そうじゃありませんって、まったく……。布団の中でも紫様はお変わりになりませんね」
「布団の中では淑女だとでも? そんなのは殿方の妄想ですわ」
「もういいですもういいです。さぁ、橙おいで」
「またね、橙」

 手を引き、手を引かれ、二人が部屋から出ていく。
 紫は畳みに転がる飴玉の包装紙を手にとって、スキマに放る。それをしてしまうとやることがなくなり、仕方なしに彼女は布団を被った。

「そう、あの子はなまじ強いからいけないの。一人でも生きていけるほどに強いから」

 秘め事を漏らすような声色は、けれども布団の中ではくぐもった様にしか響かなかった。



















「あら、本当に来たの?」

 紫の寝床から帰った後、霊夢は約束どおり紅魔館を訪れていた。
 訪ねる約束を取り付けたのは数時間前、いつもの集まりのあとだった。咲夜の腕を取り、怪訝そうな目を向けられての交渉は苛烈を極めるかと思いきや──二つ返事で今に至る。

「棘を感じるのは気のせいよね」
「まさか霊夢の毒牙が、早苗に続いて私にまで及ぶとは……」
「…………」

 腕を組み、霊夢はあからさまに嫌そうな顔を作ってやる。それを見た咲夜は拍子抜けしたような素振りで咳払いをした。

「そう黙られちゃうと、まるで私一人が馬鹿みたいじゃないの」
「その言葉は事実を突いてるわ」

 今度は咲夜が眉をしかめ、もう一つだけ強く咳払いをする。

「……美鈴はなにをしていたのかしら? 貴方が訪ねて来るようなら連れてくるように言付けておいたのだけれど」
「愚問でしょ」
「知ってて言ってるわ」

 頷きあう二人。
 それは霊夢が紅魔館の門前までやって来たときのこと。ここに足を運ぶのも数年ぶりで、霊夢は守矢神社のときと同様、若干の緊張感を覚えていた。
 まず最初に顔を会わせるであろうと霊夢が予想したのは、門番の美鈴である。
 なんて声を掛けよう? どんな感じで接してくれるのだろうか? そんな不安と緊張が同居する中、門前に人影を見たことでそれは最高潮に達した。近づくにつれ、朧気な輪郭が確かなモノになっていく。しかし視界の中に現れたのは確かに美鈴だったのだが、壁に背を預けて眠るそれは断じて門番ではなかった。

「美鈴はちっとも変わらないわね」
「そうね。悪い意味で、だけれどね」
「あっ、でも寝顔を見て気づいたことがあったわ。あいつってば大きいくせして、どこか小動物的なのよねぇ」

 図体が──という言葉は飲み込んだ。

「……今度は嫌味ですか」

 そうですかそうですか──と何故か自虐するように繰り返す咲夜。その真意を悟ったわけではなかったが、霊夢はとりあえず謝ることにした。

「悪気はないわ」
「ほんとにね。少しは悪びれて欲しいわ」





 咲夜に随行する形で赤い廊下を歩く。
 きょろきょろと、霊夢は視線を泳がせる。久方ぶりの紅魔館はやっぱり紅魔館で、赤くて、広くて、仰々しい。変わったものは然程目に付かなかったが、時折見かける悪趣味な絵画……それはここの主の趣味であることは容易に想像できたので、特に感慨を持つことなく通り過ぎた。
 やがて何度か角を曲がったところで、目の前の咲夜が立ち止まる。

「これから仕事なの。着替えてくるわね」
「うん? あぁ、ごゆっくり」

 私室らしき部屋へと消えた咲夜。霊夢は手持ち無沙汰になってしまい、例の門番に倣って廊下の壁に背を預けた。
 霊夢は今更ながらに気付いたことがある。つい先程の咲夜の服装はメイド服ではなかった。思えば集まりのときの彼女も私服だった気がする。その落ち着いた服装は彼女に似合っていたので、特に関心を抱かなかったのかもしれない。

「……長い」

 呟く言葉を拾う者なし。
 部屋の扉が閉じられてから一体何分経っただろうか。体感的には五分は間違いなく経過している。服選びに迷うというならわからなくもないが、決められた服に着替えるだけで十数分と使うだろうか。身嗜みだって、咲夜の性格を考えれば起床した時点で完璧にしているだろう。

「……こ、こんにちわ」
「…………」

 何人目かわからない妖精メイドが、霊夢の前を横切っていく。その怪訝そうな眼差しに耐え切れず、ついに挨拶をしてみればお辞儀を返されるだけ。向こうからしたら見ず知らずの女が廊下を背もたれにして佇んでいるのだ。怪しいと思うのも当然かもしれない。
 考えてみれば、仕えている妖精も多少は入れ替えが行われているはず。そうなれば霊夢を知っている者は少ないだろうし、知っていても随分昔に訪ねたきり。申し訳ないが、妖精の頭でそれを覚えていられるほどの濃い接点はなかった。
 つまり、霊夢が何を言いたいかというと、ものすごく居心地が悪いということである。

「まったく、これだから女の着替えってやつは……」

 いつか読んだ小説の台詞を口にしてみる。少しだけ楽しくなった。

「だがそれを待つこの時間こそが、男を成長させ──」
「…………」

 調子に乗って続く台詞を口ずさむと、まるで見計らったように妖精メイドが横切った。その疑うような瞳の色は、どうにも先ほどより目立つ気がする。
 霊夢は沸き立つ羞恥心を込めて、咲夜の扉を強く叩いた。

「はっ、早く出て来い! 待ちくたびれたわよっ!!」

 横目で妖精メイドを見る。どうやら客人であることを理解したらしく、小首を傾げながらも去っていった。
 このことから分かることが二つあるだろう。一つは、頭のおかしな不法侵入者であると誤解されずに済んだこと。そしてもう一つは、美鈴という門番の信頼がいかに地に落ちているかということだ。信頼たる門番ならば、館内にどれだけ見知らぬ者がいようと疑念は抱かないと思う。
 扉を叩いてから一、二分。開かれた扉から咲夜が出てきた。

「お待たせ」
「その言葉の上に〝ものすごく〟を付けてちょうだい」
「〝ものすごく〟男を磨けたかしら?」
「ええ、おかげさまでね」

 霊夢は他愛のない冗談の応酬に懐かしみを感じた。調子は良い。それに喜んだのかは分からないが、咲夜も少し声を弾ませてこう尋ねた。

「どうかしら?」

 ひらり──と、咲夜はスカートの裾を掴んで靡かせる。

「この服をあなたに披露するのは初めてでしょう? 似合う?」

 霊夢はじぃ……と観察する。思い出の中のメイド服とは随分違うように見受けられた。
 色使いは明るすぎず、けれども暗くない。その辺り上手いところを突いた、なんとも落ち着きある茶色が基本色。それに清潔感を付け加えるような白いエプロンに、主を敬うような赤いリボン。銀色を思わせるような艶やかな髪には、規律を忘れさせないよう強く主張する黒色の髪留めを。スカート丈は妖精よりも幾分か長く、それが清楚といえばそんな印象を与えていた。
 昔の高飛車なイメージとは違い、それに身を包んだ咲夜からは柔らかな包容力を感じる。子を授かり、母親になれば誰もが開花する女性特有の物だろうなんて霊夢は思った。
 しかし、咲夜は独身である。にもかかわらず、そんな魅力を感じるということは……単純に、その服が似合っているということだった。

「それは恋人に向ける言葉でしょうに。女の私にそんな顔で尋ねられたら、同性として胸が痛くなるわ」

 似合っているからこそ、霊夢は面白くなさげにそう返す。

「自分を棚に上げてよく言うわね。ちなみにあなたの服、少し年寄り臭いわよ?」
「…………」

 霊夢は自分の服に視線を走らせ、咲夜に対して〝どこが?〟と目で訴えた。

「色合いが」
「なんでよ?」
「ベージュが……まぁ、駄目っていうよりかは貴方に似合ってないって感じね」
「この色のは安く買えるのよ」
「……そう」

 巫女としての白装束はそのままに、重ねるようにして厚めのカーディガン。加えて首周りはマフラーで固め、頭には毛糸のニット帽。下は辛うじてスカートだが、外気を拒絶するようにサイハイソックス。
 全体的な色合いで言えば確かにベージュである。それが霊夢に合っていないという咲夜の主張も全く的外れではないのだが、年寄り臭く見えてしまう一番の原因はその重装備だ。冬至を超えて月捲りのカレンダーを数度捲った今、寒気は確実に退いている。そんな中の霊夢の服装は、少々浮いていると言わざるを得なかった。

「だって寒いんだもん」

 無意味に可愛らしい口調。

「まぁお互いに歳を取ったしね。私も昔みたいな短いスカートはそろそろ辛かったから、この服に変えていただけて助かったわ」

 もう一度、咲夜がひらりとスカートを靡かせる。後ろで軽く結わいた彼女の髪も、それに続いて調子良く揺れた。黒色の髪留めで束ねられたそれは、銀色の尾のようにちょろちょろと動いては機嫌の良さを窺わせている。

「それじゃ行くけど、久しぶりに来たんだから誰かに挨拶したかったりする?」

 訊かれて、霊夢が思い浮かべる相手は一人ではない。図書館のあの人だったり、玉座のあの人だったり、軟禁されてるあの人だったり。門番は寝ているので候補からは除外された。
 霊夢は数秒、うーん……と唸ったが、やがては首を横に振る。

「別にいいわ。そのうちバッタリ会うでしょ」
「それもそうね」

 歩き出した咲夜の背中を追って、霊夢も歩き出した。





 咲夜はおもむろに中庭へと出た。花壇では色とりどりの花が寒風に揺れている。

「まだ少し肌寒いけれど、今日は風も緩やかだし日も出ているわ。せっかく綺麗な花が咲いているんですもの。観賞せずに散らしてしまうのは可哀想でしょう?」
「構わないわよ。……見たことあるけど、なんて花だっけ? たしか有名なやつだわ」
「パンジーよ」

 咲夜は中庭に置いてあるテーブルに寄って、一つの椅子を引くと霊夢に促した。恐縮しながらも霊夢が腰掛けると、対面に自分も腰掛ける。
 いつの間にか揃えられた紅茶用品一式。初見者にとっては手品にも思えるその一幕も、霊夢はぼーっとして眺めるだけ。紅茶葉の良い香りが鼻腔をくすぐる。

「今日はどうしたの?」
「あー……」

 今までもじもじしていた霊夢が突如訪ねて来る──やはり不自然に思われるらしい。神奈子もそうだったが、相手が一番に抱く疑問はそれだった。

「急に腕を取るもんだから、ものすごくビックリしたわよ」

 空風に乾いた喉を紅茶で潤す。霊夢も同じくティーカップに手を付けたが、そこには時間稼ぎの意味もあった。

「……味薄い」
「霊夢もそう言うのね。まだ私が紅茶なんてまったく知らなかった頃だけど、紅茶の先生がこう言ったわ。本当に良い紅茶とは、舌に残さず、鼻に残すものだって」
「へぇ……」

 もう一口だけ紅茶を啜ると、いよいよ咲夜はカップを置いて身を乗り出した。

「さぁ、白状なさい。早苗のときもおかしいと思ったのよ。何か裏があるんでしょう?」
「……まぁ」

 さすがに紫の名前は出せなかったものの、霊夢は自然な流れで白状してしまった。紅茶のほっとするような香りのせいだと心で弁解する。
 対して咲夜は、ほらぁ──と自身の推理が当たったことを少し喜び、だがすぐにその詳細に興味を持ったようだった。

「久しぶりに宴会とか? それなら都合付く限り出席するけどね」
「うーん……」
「煮え切らないわね。まあ、近頃のあなたじゃ珍しくもないけど。別に〝あっちの方々〟がいたって私は構わないわよ。話題には困るだろうけど」
「いや、宴会なんてやんないし。そもそも〝彼女たち〟と何かあったわけじゃ……」

 
 ──貴方が嫌いです。


 胸に広がる苦みを、霊夢は奥へと沈める。

「霊夢は何を悩んでるわけ?」
「えっ」
「……ううん、やっぱりなんでもないわ。そっちの話はまた今度にしましょう。それで何の魂胆で訪ねたのかしら?」

 咲夜の不意打ちは浅く済んだ。そして霊夢は思った。



 思い起こせば……咲夜とこうして、二人で、何かを語らう機会はあまりなかった気がする。



「なによ、言いたくないこと?」
「……いや、お喋りしたかっただけよ。これは本当」

 咲夜は少し、霊夢の中で変わった立ち位置に置かれていた。友人と呼ぶには少し違和感ある。決してそれ以下の関係だと言っているのではなくて、それと同等の……もしくは以上の、別の呼び名があるような気がした。

「ふぅん? まあいいけど。それよりこの茶葉どう思う? 美味しいならもっと買い置きしておこうと思うんだけど」
「あっ、うん。良いと思うわ。嫌いじゃない」

 訪ねた真意を問いただされると思っていた霊夢にとって、咲夜のその仕草は意外に感じられた。
 同時にこうも思った。咲夜の魅力とはこういったところかもしれない。

「好きとは言わないその天邪鬼。誰も嫁に貰ってくれないのも頷けるわね」

 腹を割って付き合うというのは、心の一番デリケートな部分をぶつけ合うということ。当然、見栄や意地といったものは脱ぎ捨てている。そういった鎧がないのだから、些細なことで傷ついたり、落ち込んだりもする。
 しかし、そんな疲れを度外視できるほどに、軽く、快くいられるというのも事実だ。
 それは咲夜が腹を割っていないという意味ではない。きっとこれが素なのだ。必要以上に踏み込まず、時折自分を当てて擦っていく。そういう付き合い方を好んでいるのだろう。

「そういうことばかり言うから、咲夜も売れ残るのよ」

 二人は可笑しそうに笑う。以前からこうして語らっていたのなら、霊夢の咲夜に対する情はもっと深かったに違いない。
 悩みがどうだなんて話、今はいいだろう。こうして話をしているだけで楽しいのだ。その〝楽しい〟という感情の中だけは〝悩み〟なんてモノとは無縁だと思うから。
 早苗とは少し違う、一緒にいることの居心地の良さ。それを言葉にしようとして、恥ずかしくもある単語が思いついた。


 ──少しだけ、姉のようだ。


 姉妹のいない霊夢には、それがどんなものなのかは分からない。しかし、自分のほうへ引くわけでもなく、さしとて突け離すこともない……そんな彼女は、霊夢の想像する姉のイメージと重なった。
 それが昔から抱いていたモノに対する解答なのか、それとも初めて目にするこのメイド服の効果なのか。その択一に答えは出せないが、後にも先にも、もっと咲夜のことを知りたいと思ったのはこれが初めてだった。




















「紅茶のおかわりをお持ちしました」
「…………」

 咲夜は主君に近づいて、底の見えるティーカップに紅茶を注いだ。肝心の主君は机で書き物をしている。妖怪がどうのと並べられた文字列に、主君が手に持つ筆で先を記す。余程の量を書かねばいけないのか、紙はその下になにやら厚みを作っていた。

「……どうした?」

 いつまでも去ることのない従者を不自然に思ったのか、彼女は筆を止めて問いただした。

「あっ、いえ」
「そう。仕事が残っているんじゃないの?」

 目は既に筆先へと移っている。

「……はい。お気遣いありがとうございます」
「うむ。感謝はそれに励むことで返しなさい」
「はい」 

 返事をして、踵を返す。だが思い出したように振り返って、こう報告した。

「そういえばお嬢様、今しがた霊夢が訪ねていらっしゃいましたよ」
「……霊夢?」

 霊夢……霊夢……。そう呟く咲夜の主君。まるで懐かしい響きを楽しんでいるようにも映る。

「何年も会ってないわね。よし、次訪ねたときは私に声をかけなさい」
「はい」

 それで本当に咲夜は部屋を出た。
 旧友の名をもってしても、会話はこの程度しか続かなかった。



















 次の日、霊夢は再び紅魔館を訪れていた。

「……よく寝るわねぇ」

 今日も今日とて、美鈴は気持ちよさそうに寝ている。そしてそれを見た霊夢は少し困った顔をした。
 美鈴は話しやすい人柄をしている。彼女とは早くに打ち解けて、行く先のお供にしたいなどという下心があった。しかし問題はその寝坊助なところ。
 霊夢から言わすと、彼女を起こすのもどこか気恥ずかしかったりする。何年も会っていない寝ている相手を起こして、ぼんやりとした意識の中での再会。ロマンチックといえばそうかもしれない。でもそれを求める相手が涎を垂らす同性というのは、いささか役不足だろうと霊夢は思った。


 ──優しく肩を叩き、ゆっくりと目を開く彼女。瞳に映る自分が大きくなっていき、やがて口から名前を呼ばれる。

 そんな再会よりは──。

 ──感じる違和感で瞳が歪み、ハッとした拍子に開かれる。困惑を煽るような見慣れぬ姿に、意味成さない息を漏らす彼女。


 なんてほうが気取らなくて好ましい。昨日は寝顔を拝んだだけで通り過ぎたのだが、今日はその横に並んでしばらく待ってみる。

「……んぅ」
「はぁ……」

 霊夢は美鈴と同じように壁へと背中を預けた。しばらく待ってみるが、一向に起きる気配はない。今日こそは再会を果たそうと思っているのだが、あまり時間を浪費するというのもどうかという気がしてきた。
 霊夢は俯いて眠る彼女の頬に手を添えて、顔を上に向かせる。赤毛の前髪がさらりと流れ、愛嬌たっぷりの寝顔が現れた。

「美鈴、起きなさいよ」

 添えた手で彼女の頬を軽く叩く。だが眉を少し動かしただけで、それ以上の反応はなかった。

「……むにゃ、くぅ………………」
「はぁ……」
 
 どうしたものかと懊悩するが、霊夢はもう少し待ってみることにした。
 風が吹けば肩を抱いて堪え、退屈が辛くなったら遠くを見て紛らわす。時折横目で美鈴の様子を窺うが、立ったまま寝ているその器用さを感心するだけ。こんな寒風に曝されてよく寝れるもんだと、霊夢は加えて感心する。

「ねぇ、起きてよ」

 今度は優しく肩を叩いてみた。された側からしたらくすぐったいくらいの触れ方。どこかしおらしい口調は、らしくなさを自覚していることの表れ。

「……んぁ?」

 縁取るまつ毛が微かに震える。まるでそんな起こされ方を知らないように、戸惑うようにして眠そうな目が開かれる。瞳に映る霊夢が大きくなっていき、顔を捉えた辺りで一度目を細めた。

「……あれ、霊夢……?」

 名前を呼ばれて、数年ぶりの彼女の声を聞いて、ついつい霊夢は自分がよく見えるようにと顔を覗き込んだ。それで美鈴の細めた目はただの眠たそうな目に戻る。

「久しぶり」

 霊夢は答えてやる。

「あぁ、本当に霊夢さんじゃないですか……どうしたんです……?」

 目を擦りながら姿勢を正す彼女。ロマンチックかと思った再会は、本人たちに限りそんなことはなく。美鈴はつい昨日別れた友人と再び会ったような気軽さで、霊夢との再会を果たしたのだった。





 美鈴とは適当に言葉を交わし、そのまま紅魔館の玄関まで霊夢は進んできた。湧いた感慨は以前の再開と同じ──やはり彼女も変わっていない。あんまりに昔のまま過ぎて、変に気を回してしまう自分がおかしく思えてくる。
 そんな反省をしている直後、ここの主要人物のもう一人と出くわした。

「…………」
「…………」

 数年ぶりの再会に挨拶は伴わなかった。元より無口な彼女の名前は、パチュリー・ノーレッジである。

(まさか……こんな玄関付近で遭遇するなんて……)

 彼女とは自分から赴かない限り出会わないだろう──なんて、霊夢は思っていた。油断といえばその通りで、失礼と言ってもその通りだった。

「…………」
「……?」

 パチュリーの視線は外れることなく向けられている。本を運んでいる途中だったのか、彼女は抱えていた十数冊の本を廊下に置いて、しげしげと霊夢を観察し始める。当の霊夢は何故凝視されるのか分からなくて、疑問符を浮かべながら視線を返すしかやりようがない。
 パチュリーの風貌を観察してみる。記憶のものと然して変わりないことがすぐに分かった。魔女らしいと言えばそれっぽい、薄紫色のゆったりとしたローブ。その上からは柔らかく暖かそうな、大き目の羽織ものを掛けている。華奢な彼女の肩を楽々と包み込むその大きさは、まるで物語に登場する賢者のマントを思わせた。
 そんな賢そうな彼女の第一声はこうだった。

「……霊夢なの? だったら随分と老けたわね……」
「…………」

 再会する友人の多くにそう言われている気がする。胸中でぼやく霊夢だが、幸か不幸かそれは気のせいではない。

「あんたはずっと幼げね。栄養取らないで教養ばっかり取るもんだから、身体じゃなくて脳ばかりが育っちゃうのよ」
「上手いこと言うわね」

 くすくす……。控えめなその笑い声は、上品と響くか暗いと響くか。残念ながら霊夢には暗く響いてしまった。
 
「元気なさそうね」
「レミィいわく……陰気な面だそうよ」
「的を射てるわね」

 それにもパチュリーは頬を緩めて応える。
 霊夢はパチュリーに近づいて、足元の本を代わりに抱えた。

「重いでしょ?」
「……ええ。でも、あなたに持たれたらそれはそれで重いわ」
「うん?」
「どんな見返りを求められるか、気が重い」
「そこまで上手くはないわね」

 どちらかともなく笑いがこぼれた。
 何気なく相手の荷物を持てる──こういう部分が霊夢の好かれる所以なのだが、自覚できていない彼女は少しだけ損をしているだろう。

「見返りは……そうね、咲夜の居場所を教えてくれればそれでいいわ。図書館に運べばいいのよね? なら向こう……あぁ、道が変わってたりしない?」
「大丈夫よ。あなたが最後に足を運んだ道順で行けるわ」
「そお? じゃあ──」

 歩き出そうとした霊夢の二の腕をパチュリーが掴んだ。触れられた部分がやけに冷たくて、おかしなことだが、そんな不健康そうな印象が彼女らしいなんて思ってしまった。

「その本は図書館行きじゃないの。図書館発だけどね」
「それじゃあどこよ?」
「うーん……秘密」
「あっそ。じゃあここに置いておくけど、咲夜の居場所は教えなさいよね」

 抱えた本をその場に置いて、霊夢は咲夜の居場所を聞き出した。本の背表紙には〝切花〟の文字があった。





 やってきた場所は中庭の一角。比較的日当たりの良いそこに、洗濯物を取り込む咲夜の姿があった。
 彼女は物干し竿に干されたメイド服を次々と籠に入れ、その最中に霊夢の姿を視界に捉える。

「そう通い妻みたいに訪ねられても、私は毎回お相手できないわよ」
「別に構わないわ」
「あらそう」

 咲夜はお喋りをしながらも着々と洗濯物を取り込んでいく。すぐに籠は山盛りになり、それを抱えて咲夜は館へ戻る。霊夢は後を追う形でそれに続いた。

「訪ねてくれるのは素直に嬉しいわ。けれどね、あまり意味なく訪ねられても勘繰ってしまうものよ」
「あら、通い妻が訪ねる意味なんて、勘繰るまでもないでしょ?」
「そうね。家事のできる通い妻なら大歓迎だけれどね」

 咲夜は近場の部屋に入ったかと思うと、慣れた手つきで洗濯物を畳み始める。霊夢はそれを黙って見守り、あっという間に畳み終えた咲夜は軽く両手を叩いて息を吐いた。

「呆れたわ。とうとう最後まで手伝わなかったわね。さっきの言葉は間接的に〝あなた家事できないでしょう?〟って挑発したつもりだったんだけど」
「家事は努力でどうとでもなるけどね、優しさはそうじゃないわ。あんたを見守り続ける私の優しさは届いてたでしょ?」
「ふん。それじゃ努力をしてみなさいな」

 おもむろに、咲夜は自身が畳んだメイド服を霊夢に差し出した。それをどうしろと言っているのか霊夢には分からなかったが、そこまで言うならやってみろ──そう言ってるのだけは理解できた。

「……最悪、家事なんて家政婦で事足りる」
「分かってないわねぇ」

 咲夜は畳んだメイド服を抱えてそこを出る。去り際、一度だけ振り向いてこう言った。

「これが終わったら休憩貰えるから、私の部屋で待ってて」

 霊夢はこくり──と頷くと、昨日の記憶だけを頼りに歩き始めた。





 咲夜の私室を一言で表すなら、それは〝らしい〟という言葉が相応しいだろう。間取りはそこまで広くない。他の部屋より一回り小さいが、一人で扱う分には十分だと思える。
 霊夢はとりあえずベッドに腰掛けた。それから部屋をまじまじと眺める。引き出しの多い洋服タンスが一つに、壁に向かって置かれたこじんまりとした机。部屋の真ん中には人が一人やっと乗れる程度の丸いテーブルと、洒落気のない折り畳みの椅子が二つ。あとは部屋の隅にある大きめの姿見くらい。
 やはり全体的に物が少ない点は彼女らしさを感じる。ただ一つを除いて。

「……ぷっ」

 思わず噴出してしまう霊夢。彼女が手に取ったそれは、どう見ても熊のぬいぐるみであった。

(まさか、抱いて寝てるなんてことは……)

「……ぷすすっ」

 と笑ってみるものの、それほど違和感なく絵になってしまうので面白くなくなってしまう。

(そうなのよねぇ……寝てる分には違和感ないのよね……)

 思い浮かべた姿はらしくないと言えばらしくないし、そういった事実があると言われれば頷けてしまうものだった。
 とりあえずそのぬいぐるみは元いたベッドに戻して、他に何かないかと探すことにした。


「人の部屋を物色するなんて、良い趣味してるわね」


 タンスの引き出しから可愛らしい服の端が見えた辺りで、霊夢は戻ってきた咲夜にそれを制される。

「良い趣味? こっちの台詞よ」
「というと?」

 咲夜の冷めた視線が辛いが、ひとまず霊夢はその言葉で応戦する。咲夜は紅茶の用意をしていた。

「これはなんなの?」

 突き出される可愛らしいぬいぐるみ。悔しいが、霊夢の目にも可愛く映ってしまうほどの精巧なものだった。

「あっ、そ、それは……っ」

 ティーカップがカタリ──と音を立て、そこから飛んできたのは咲夜の手。霊夢は反射的にぬいぐるみを自分の後ろへと持っていく。すると案の定ともいうべきか、咲夜のアメシストを思わせる瞳にすぐさま睨まれた。

「返しなさい」
「か、返すけど、なんなのか教えてくれてもいいじゃない」

 なんとか強がる霊夢。咲夜の目は眼光こそ鋭いものの、そこに強い感情の伴いは感じない。それだけが今の霊夢を支えていた。
 やがて咲夜は椅子に身を落ち着かせる。顔は〝隠しておけば良かった〟と言っているような気がしないでもない。

「それでこれは?」
「……別に、あなたが想像してるようなことじゃないわよ」

 紅茶を注ぎ終わったカップから湯気が上り、それを指でくるくると遊びながら、咲夜は頬杖をついて話し始める。

「私が髪型を変えたことがあったでしょう?」
「あぁ、あったわね。たしかフランがどうのとか」
「そう。……どう思った?」
「フランがってこと?」
「そうじゃなくて。そのときの髪型よ」
「あんたの?」

 頷く咲夜を見て、霊夢は朧気な記憶を引っ張り出した。
 後ろで結わいたり、横で結わいたり、結わいたもの巻いたり。お洒落に詳しくない霊夢にその名称は分からなかったが、髪型を変えるといってもそういった道具を使っての簡単なものだったはず。ヘアピン、ヘアゴム、時には飾り気のある髪留め。不思議なことに、咲夜がやるとそんな些細なお洒落でも雰囲気は大きく変わって感じられたのを覚えている。

「別に……まぁ、珍しいなとは思ったけど。変だったりすることはなかったわね」
「そうかしら?」
「変ではなかったわよ?」
「……そう。あのときはね、妹様は少しお洒落に凝ってて」
「あら、いいじゃない」

 霊夢はベッドに身体を預けたまま、咲夜の話に相槌を打つ。

「最初はご自分の髪の毛を弄っておられたんだけど、やっぱり一人じゃ上手くできなくてね。でも私が手伝おうとすると、それはそれで面白くないみたいで」
「姉に似ちゃったのね」
「だから私が自分の髪の毛を色々弄って、変えて見せることにしたの。たまたま伸ばしてたしね。こういうふうにやるんですよって」

 今はそれほど長くない咲夜の髪だが、当時は肘辺りまで伸びていた。
 せっかく伸ばしたそれを今の長さまで切ってしまったのはひとえに、咲夜の仕事に対する姿勢が影響している。長くて動くたびに揺れるそれは、仕事本位の彼女にとっては邪魔に感じられた。予定よりも伸ばし続けたのはフランの機嫌を損ねまいとするところが大きかったため、彼女がそれに飽きてしまうのと同時に今の長さにまで整えたのだった。
 
「……いつからか妹様はご自分ではなく、私の髪でお遊びになられるようなって……」
「まともなオモチャを与えてあげないからよ」
「私が出かける日なんかは物凄く張り切っておられたわ。私の髪型をこうしてああしてと、ご自分じゃ上手くできないから私に色々注文なさって。出先で言われた言葉を伝えると嬉しそうにしたり」
「ふーん。それであの頃のあんたはハジけてたのね。でも、ぬいぐるみとどう関係するの?」

 そこで咲夜は照れたように小さく笑った。

「ある日のことなんだけど、髪型を作り終えて妹様に見せたら……その、かっ、可愛いと申されて……」
「…………」
「そっ、それでね、このぬいぐるみを持てばもっと可愛いよ、なんて、言われてね」
「………………」
「で、持たされたんだけど、それでまた妹様お喜びになられて」
「……………………」

 霊夢はこんな乙女乙女してる咲夜を見るのが初めてで、じと~っとした視線を送るのだが、当の咲夜本人は気付いていないらしかった。しかしそこは瀟洒な彼女。霊夢がティーカップを口に運んでテーブルに置く間までに、浮ついたような顔は落ち着きを取り戻していた。
 一拍置いてから、咲夜が続ける。

「余程機嫌が良かったのでしょうね。そのぬいぐるみを私にくれたの」
「そ。つまり、これは元々フランの物なのね」
「そうよ。夜な夜な寂しさを紛らわすために買ってきたとか思ったんでしょ?」

 それには答えず、霊夢はぬいぐるみを手に取ってもう一度眺める。不思議なもので……別に意識しているわけではないのに、そういった経緯を知ると扱う手も自然と優しくなっていた。だから咲夜ももう無理に取り返そうとはせず、ぼんやりと窓越しの夕日を眺めていた。


 ──唐突に、部屋の扉が叩かれる。


 咲夜が応対する。差し込む夕日と紅茶の香り。そんな暖かな空間に、冷水が流れ込んでくるような錯覚を覚えた。鈍感だったのなら、あるいはあと数分間その優しさの中に浸れていただろう。だが霊夢は違った。先天的か後天的か、その鋭さから何かを察知した。
 そしてその疑惑は、振り返った咲夜の顔を見たことで確信へと昇華した。






















 二人はレミリアのいるらしい部屋までやって来た。
 呼び出しをするなんてらしくない、彼女はもっと直情的だった──霊夢は思いつつも、思うだけに留める。
 扉には厳かな彫り装飾があしらわれ、赤をずっと濃くしたような黒にも近い独特の木の色が存在感を極めている。咲夜はその前に立つと、ついには緊張を隠しきれないような面持ちで自らの服装を整え始めた。それは伝染するように、霊夢の心もぐらぐらと揺らす。
 


 扉が仰々しい音と共に開かれる──。



 中は静かだった。まるで、その部屋だけ別世界へと切り取られたように。あながち間違った例えではないのかもしれない。ここは王の私室。この場において言葉とは、許可を得て初めて奏でることを許される音に違いないのだから。
 部屋の中には本棚とテーブル。あとは今開かれた扉を正面と捉える、それとは別の机だけ。恐らくは書斎だろうと霊夢は察する。
 レミリアは奥に構える机にいた。何か書き物をしているらしく、紙に筆を走らせている。そして彼女の座る偉そうな椅子がキィと軋み、筆を休ませて顔を上げた。
 薄紅梅で統一した服装は相変わらず。妖艶さを幼さで薄めたような風貌は、霊夢を見て少しだけ目を大きくする。


「あぁ、霊夢。お前も我々から離れていくな」


 ──幼さを残し続ける自分とは違い、老いていく友人としての彼女に言ったのか。
 ──妖怪である自分から、いつまでも手は繋げぬと去る人間としての彼女に言ったのか。

 何れにしろ、それが冗談だと気付いたのは彼女が鼻で笑ってからのことだった。ふん──と鳴らしたあと、二人は他愛もないお喋りをする。寝起きのレミリアは欠伸を混ぜて。考えるような霊夢は沈黙を混ぜて。
 




 食事を共にしようと約束をした後、霊夢は咲夜と一緒に彼女の部屋へと戻ってきた。

「…………」
「どうしたの?」

 黙り込む霊夢を不審に思った咲夜が声をかける。だが、考え込む彼女の意識を引き戻すには至らなかった。
 霊夢は二つある椅子の内の一つに腰掛ける。
 先ほどの咲夜もなんだか不自然だったが、レミリアも少し変わった印象を受けた。簡潔に表すなら〝素っ気ない〟。唐突だが彼女は猫に似ている。気を許した者には寄ってくるが、それ以外に対しては触れさせもしない。差異があるとすれば、威嚇より先に噛み付いて掛かるという凶暴性。きっと猫は猫でも、獅子の類なのだ。
 霊夢は置かれたままのティーカップに触れる。長い間待たせてしまったそれは、すっかり熱を失っていた。
 レミリアもそれと同様ではないのかと……なんて、笑ってしまう冗談を考えたところで、霊夢は家路に就くことにした。








































 ──夜。切り立った断崖の上に、一つの影が浮かび上がる。
 それを浮かび上がらせたのは遠くからの灯り。人里であちらこちらと焚かれる火の灯りだった。
 影は嘆くように空を見上げる。
 美しい黒とは違い、濁ったような夜空。そこを礫のような影が過ぎっていく。それが人里に辿り着いたのと同時に、里の灯りは慌しく動き始めた。

「──さま」

 風が吹き、影の黄金色の髪がそれに曝される。
 名を呼ばれて振り返ってみれば、そこに侍していたのも黄金色の髪の者。頭を垂れている様は、この二つの影が主従の関係にあることを容易に気付かせる。

「まもなく春と申されましても、風は冷たいでしょう。お戻りになりませんか?」
「…………」

 答えず、目を里の方へと向け直す。

「……気になりますか?」
「当たり前でしょう?」

 恭しい態度の影は、その言葉から敏感に怒気を感じ取った。

「失言でした。ご容赦ください……」

 下げた頭をしばらくしてから上げ、主の視線の先を追う。
 そこには礫程の大きさの影が人里の周りを旋回するように飛んでいた。

「差し出がましいと存じておりますが、どうしても……我々が手を出すわけには参らないのでしょうか?」
「我々は妖怪です。妖怪を退治するのは人間の務め。これは、異変とは違うのだから」
「ですが、このままでは幻想郷の均衡は保てません。最早限りなく後ろが狭まってきています。これ以上人間が減り、妖怪が増えたとあっては……」

 影は空を見上げる。

「時間はあるわ」
「お叱り覚悟で申し上げますが、流れ落ちるその砂は人間の血と同じです。待てば待つほどに、人間は数を減らすでしょう。〝神隠し〟ではいささか時間がかかりますし、外の人間を招き入れるというのにも限度があります」

 仕えるものとして声量は抑えているが、強く訴える意志は十分に感じ取れる。だが主である影は達観するような面持ちと、全てを見通すような切なくなるほどに透き通る目を向けた。

「人間がある程度減ってしまうのは仕方のないことです」
「悠長なことを言ってる場合では無いでしょう! 修復不可能な状態に陥るかもしれないんですよ!? もしそうなれば妖怪と人間の力関係は崩れたままとなり、幻想郷は決して短くない期間を不安定な──」

 先を言おうとして、主の目がそれを噤ませた。
 全てを計りにかけるような鋭さで睨まれる。それに臆したのは事実だったが、従者は意を決してもう一度口を開いた。

「今すぐに天狗方に協力を……いやせめて、厳禁令をお解きください。あれらに不満を募らせる妖怪は大勢います。妖怪は手を出すな──その令をお解きなれば、手を貸せと申し出ずとも進んで駆逐してくれるでしょう。それにあまり声を大になさっては、こちら側に不満を寄せられるでしょうし……」

 忠義心の表れか、まるで大切な何かに背いてしまったような……そんな力ない従者の様子を見て、主は僅かに張った威圧感を解く。

「ごめんなさい。どんなに初歩的や常識的なことでも、それを口にして私に否定させることが貴方の役割だったわね。辛く当たってごめんなさい。難しく考える私の足元を守ってくれるのが、あなたのそれだったわ」

 従者の口の端を指で撫でる。

「……言葉になさらなくても構いません。ですが、ありがとうございます」

 主からの謝罪と、恐らくは感謝の言葉に、従者は気付かれないよう堪えたのだがその声は震えてしまった。

「あなたの言う通り。あまり天狗や他の方々をを縛るようなことを続けると、いざというときに耳を貸してくれないかもしれない。偉そうな奴ってのは好かれないものね」

 そのとき、里の方が強く光った。
 その光りはどう見ても普通の人間が発せられるものではない。もし人間が発したというのなら、それは〝英雄〟と称されていいはずだ。影は目の焦点を遥か遠くに合わし、いるかもしれない〝英雄〟の姿を探した。
 再び光が目を突いた。風を思わせる鋭利な光りは影を焼くように、同時に貫いてはそれを灰に変えた。次々とその光りが影を穿ち、灰へと変えていく。その光の軌跡を辿れば人影があった。
 影は目的の相手を見つけて柔らかな息を吐く。里の誰よりも前に立っている一人の女性。朝、友人から聞いた話の通りだった。

「まだ大丈夫。人間は脆いけど弱くはない。それに──」
「…………」

 従者は浅くお辞儀をし、そのままの姿で後ろへ下がっていく。やがては闇の中へとその姿を消した。
 残った影は尚も儚く佇む。夜闇に抱かれたまま、気を抜けば溶けて消えてしまいそうな弱々しさを纏っていた。

「見届けないまでは〝眠れない〟」








































「……咲夜さんのことですか?」
「ええ」

 門前で座り込みながら昼食をとる美鈴に、霊夢は立ったままの格好で尋ねごとをしていた。

「何を知りたいんです? スリーサイズとかはちょっとお教えできませんねぇ。無論、コレ次第ですが!」

 指で輪を作る美鈴。ちなみにもぐもぐと動かしている口もと同様、飯粒がついていた。

「わりと真剣に聞いてるんだけど」
「それはらしくないですねぇ……」
「友人を案ずるのがらしくない? 私ってばそんな冷血に見えるの」
「手の冷たい人は優しいっていいますしねぇ……」

 指についた飯粒を舐め取ると、次の握り飯を手に取る。どうにもはぐらかそうとしているような気がしてならない。

「あんたが教えてくれないなら、他の人に聞いて回らなくちゃいけないわ」
「……質問ですか? 詮索ですか?」

 柔らかくない声色に、霊夢はこう返した。

「詮索かしらね」
「……!」

 美鈴の見た目は決して鋭いものではなかったが、決して曖昧なものでもなかった。不思議と安堵のような感覚を覚える。きっと、昔の友人の目をそこに見たからだ。

「手短にお願いしますよ……?」
「ありがと」

 ようやく霊夢も腰を下ろす。隣で握り飯を頬張る姿を盗み見ながら、霊夢は言葉を選んだ。

「咲夜、変よね?」

 選んだのは直球だった。

「そうですかねぇ。歳だからじゃないですか? ああ見えて」
「まだはぐらかすの?」
「……すみません」

 ぺこりと頭を下げる。

「咲夜さんが変わった……ですか。変わったのと成長したのとの線引きは難しいですが、らしくないと言えばその通りです」
「あんたが言うんだから、たぶんそうなんでしょうね」
「あまり話したくないことなんですけど……まあ、霊夢さんにならいいでしょう」

 食べかけの握り飯を包み紙の上に置いて、美鈴は身体を霊夢に向けた。

「咲夜さんが妖精の方と話してるの、見ましたか?」
「うん? 見てないけど。なによ、部下と上手くいってないの?」
「いってないように見えますね。咲夜さんはあまり気にしてないみたいですが」
「どうしてまた」
「上の空なんですよねぇ、ここ最近。考えごとでもしてるのでしょうか。妖精たちがそこに付け入った……って言ったらあれですけど、彼女たちはそもそも子供と同じ価値観ですからねぇ」
「そんなの見てくれからわかるじゃない。本題に入りなさいよ」
「ぐいぐい訊いてきますね……」

 ははは、と乾いた笑いを漏らし、美鈴が続ける。

「妖精は子供ですから、仕事ばかりの人間には懐かないし、叱られなければ調子に乗ります。咲夜さんがらしくないっていうのは、言ってしまえば彼女たちを調子に乗らせてしまっていることなんです。名誉のために付け加えますけど、仕事はきっちり仕切ってやってますよ。でも……うーん、なんていうのかなぁ。なんか煩わしそうにしてるんですよね、彼女たちと付き合うのが。だから現状を招いたのは何も妖精の方だけが悪いとは言いませんけど……私は気に入りませんね」
「レミリアは?」

 美鈴の瞳が揺れた。次いで握り飯を少しかじって、装うような仕草。

「あの人も何を考えてるんでしょうね。最近わからなくなりますよ」
「ご主人様を変えれば?」
「わりと真剣なんじゃなかったんですか?」
「あぁ、ごめん」

 ぺこりと頭を下げる。

「お嬢様に会ったなら霊夢さんも感じたでしょう? どこよそよそしいんです。あれはね、霊夢さんに限ったことじゃなくて、わりと全員に対してあんな感じなんです。いつもながら困った人です。咲夜さんに一言『悩んでるなら話してみろ』みたいなこと言えばいいだけなんですけどねぇ」

 それはそれで柄じゃないですけど──と付け加えて、美鈴は握り飯をたいらげた。

「まぁ、お嬢様もあれで不器用ですからね。何も考えてなさそうに見えますが」
「不器用?」

 レミリアに飾られたその形容詞に霊夢が小首を傾げる。思ったことをそのまま口にするような性格のレミリアが不器用? 器用でないならという論法なら確かに不器用だが、友人の問題をそんな一言で片づけてしまうのは気が引けた。

「不器用が災いすることでもあったの?」
「…………」

 美鈴は流し目で霊夢を見る。すぐに横顔に変わったが、つかの間に向けられた目は優しいものではなかった。
 美鈴は立ち上がって指を指す。

「あそこにいるでしょう?」

 霊夢が指先を追うと、紅魔館の窓際に視線が止まった。妖精メイドが叩きを持って掃除をしている姿が見える。

「彼女は妖精なんです」

 そんなことを言った。

「はぁ?」
「私はね、妖怪なんですよ」
「知ってるわよ」
「お嬢様なんか吸血鬼です」

 脈絡のなさに困惑するものの、下らないと切り捨てるには美鈴の顔が真面目すぎた。

「でもね、咲夜さんは人間なんですよ」
「……今更じゃないの。そんなんで、レミリアが……?」

 言い終わってから、その言葉が自分にも返ってくることに霊夢は気がついた。

「幻想郷は不思議なところです。神様、妖怪、人間……みんな同じ姿をしてます。神様だって作れる本当の神様がどこかにいて、きっとその方のイタズラなんでしょう」

 それ以上は黙して語らず、美鈴は門前で仁王立ち。仕事に徹しているのかは怪しいが、とりあえず霊夢は切り上げることにした。





「こんなことがありましたよ」

 霊夢は美鈴に訊いたことと同様のことを、結局は他の者にも尋ねていた。

「あっ、話していいですかね?」
「いいんじゃないの。責任は持たないけど」

 本に目を落としたままのパチュリーから許しをもらうと、小悪魔は揚々と語り始めた。

「あれはたしか……使用人部屋近くの廊下だったと思います。その日私はたまたま通りかかったんですが、音に引かれて──」





 話を聞き終えて、霊夢はティーカップをテーブルに置く。苛立ちは隠したつもりだったが、物静かな図書館にはやけにうるさかった。
 小悪魔の話はこうだった。
 咲夜が一人の妖精と連れだって歩いていると、その妖精が廊下に飾られていた花瓶を割ってしまった。咲夜は破片を手にとって、これはレミリアの物だと言ったらしい。問題はそのあとだ。小悪魔と同様、花瓶の割れた音に引かれて現れた数人の妖精が〝咲夜様が割られたんですか?〟と詰め寄ったという。

「深刻に捉えないほうがいいわよ。子供の駄々と変わらないんだから」

 霊夢の顔色を気にしてパチュリーが言った。

「私の知ってるあいつは、駄々を叱れないような器量なしじゃなかったわよ」

 小悪魔の話には続きがある。
 〝咲夜様が割られたんですか?〟と問われた咲夜は、何とも返すことなく黙っていた。ならばと矛先が一緒にいた妖精に向けられたのは自然なことで、仲間に問われた彼女はけれども頷くことはなかった。尊敬からではなく、純粋な好意から咲夜を慕っている妖精だった。しかし顔には危うさが。足場の悪い道を延々と歩かされているような、不安と緊張を同居させた顔。今にも踏み外してしまいそうな頼りなさ。
 やがて彼女は頷いてしまう。きっと、誠実さに隣り合わせる何かに押されて。

「悪く思わないことね。咲夜のらしくなさに付け込んだのは彼女たちだけれど、それは幼さから来るものだから。幼さは指導者がしっかりとしていれば如何様にも形を変える純粋なものよ」
「美鈴も似たようなこと言ってたわね。咲夜にも非があるって。でもさ、妖精を擁護する理由なんて私にはないから。同じ屋根の下に住んでるわけでもなければ、友人というわけでもないし。そんなことがずっと続いてるって?」
「そうね、似たようなことは何回かあるわね」
「……気に食わない」

 霊夢が腕を組みながら言った。

「だから、妖精のすることにいちいち目くじら立ててたら──」
「違うわよ」

 霊夢は粗暴に立ち上がると、そのまま図書館を出ていった。





 図書館からの足で立ち止まった前にはこちらが恐縮してしまうような立派な扉。霊夢はその扉を叩き、返事を待たずに中へ押し入る。

「どうした」

 レミリアが書き物をしながら尋ねる。霊夢はその机に近寄り、手の平を机に叩きつけてから口を開いた。

「ちょっと聞きたいんだけど」
「…………。……最近やけにうちを訪ねているらしいけど」

 瞳に苛立ちを滲ませながら、レミリアは筆を置いた。

「妖精のことよ。いえ、咲夜のことって言ったほうが正しいわね」
「またその話」
「また?」

 レミリアは自身の体躯よりも一回り大きい椅子から降りて、夕日で赤く染まった窓に歩を向けた。

「以前にも美鈴が同じようなことを言ってきた。きっと霊夢、お前もこう続けるんだろ? お嬢様が一言ご忠告下されば……と」
「お嬢様なんて呼ばないわよ」
「…………」

 笑うかと思った切り返しに、だがレミリアはくすりともせず、手を掛けた窓を開け放つ。少しだけ冷えた風が入り込み、暖かで快適だった部屋の空気は外に追い出される。

「それを言ったところでどうなるのさ。そもそも主である私が、一個人を贔屓するような発言はできないのだよ」

 窓の敷居に手を掛けて、髪を泳がせたままそう言った。

「はぁ? 本気で言ってんの?」
「この話はもうしないでちょうだい」

 霊夢に向き直ったかと思うと、レミリアはすぐに机の椅子に腰掛けて書き物を再開する。

「私の口からはなにも言えないわ。用件はそれだけかしらね?」
「咲夜が悪いってわけ?」
「くどいぞ」

 焔を燈す双眸と、奥の奥から震え上がらせるような声色。忘れかけていた感覚が霊夢に走った。
 まるで刃の先を喉に宛がわれたような緊迫感。ぬるま湯のような生活の中では、決して見出せなかった衝動にも似たそれ。だが恐怖というよりもまず、霊夢にとっては懐かしさが勝っていた。それを自覚するとすぐにその感覚からは解放され、霊夢は思ったことを口にした。

「変わったわね」
「お互い様だ」

 霊夢が去った後、響くのは筆を走らせる音だけだった。




















「レミィに詰め寄ったんだって?」

 埃臭いこの場所は図書館。ならば相対する彼女はパチュリーに他ならなかった。

「だっておかしいじゃないの」

 規則正しいページを捲る音だけが慎ましく響き、それ以外の音を許さないような厳かな空気。
 霊夢は口に付けていたティーカップを静かに置いて、本に目を落とす彼女に答える。
 
「言おうと思ってたんですけど、霊夢さん老けましたね。えっへへ」

 何がおかしいのかヘラヘラする小悪魔。それを脇目で一瞥してから、霊夢は疲れたように溜め息を吐く。そんな心中を察したわけではなかったのだが、パチュリーは席を外せと小悪魔に目配せをした。

「歳をとれば価値観も変わるし、そんなに騒がなくてもいいんじゃない?」
「変わりすぎよ」

 霊夢は乱暴にティーカップをもう一度口に運ぶ。パチュリーが淹れたという紅茶はそれで飲み干された。

「レミリアも変わったわ。あいつ、昔は咲夜にべったりだったのに。咲夜は悪くないって言うつもりはないけどさ、昔のレミリアなら放っておかないと思うのよねぇ」

 パチュリーは本を閉じると、眠たそうな目……いや、それが生まれついての目付きだとしたらきっと真剣に、霊夢を見据える。

「レミィもあんまり悪く言わないであげて。彼女も決して、器用じゃないのだから」

 彼女"も"……。示唆されるその人物は分かる。けれど、パチュリーのその態度に霊夢はいまいち釈然としなかった。

「それより妹様に会いたいって話だけど」
「……え、あっ、そうそう。どこにいるのよ?」

 霊夢がここを訪ねたのはそれを訊くためだった。まだ顔を合わせていないからという理由もないわけではなかったが、レミリアを語らせるなら彼女も決して例外ではないと気付いたのだ。パチュリーも咲夜について腹に抱えていることがありそうだが、雰囲気からして話しそうにない。

「私でなくてもそこいらのメイドを捕まえれば案内してくれるわ。最近は気性も落ち着いてるし、嫌がることもないでしょう」
「ありがと。それじゃ私は失礼するわ」

 腰を上げて踵を返す。扉に手を掛けたところで、霊夢は背中に言葉を当てられた。

「あなたが考えていることと事実は逆よ」
「は?」
「…………」
「……ごめん、まだ分からないわ」

 パタン──と閉じる扉。霊夢の姿はもう無い。

「別に謝らなくてもいいのに。まったく、そういう変な部分のお人好しさを、もっと人が見付けてくれる場所に持っていけたらいいのにね」

 それに頷くのは小悪魔だけだったが、今はいいか──と、パチュリーは静けさを取り戻した図書館で読書を再開した。



















「──失礼します」

 礼儀正しいノックのあと、咲夜はそう言って入室する。
 レミリアは相変わらず書き物をしていた。その机の傍らに、運んできた物を置く。

「お嬢様、ここに置きますね?」

 それはサンドウィッチと紅茶。サンドウィッチは咲夜が作ったもので、紅茶は霊夢が悪くないと評価したもの。
 
「…………」

 目を惹かれたのか、あるいは単に空腹だったのか、レミリアは筆を置いた。紅茶を少し啜って喉を潤し、サンドウィッチに手を伸ばして少しかじる。
 咲夜はいつものようにすぐ去ろうとした。だが、扉との距離を残したまま足は止まる。

「お口に合いますでしょうか?」

 振り返り、申し訳なさそうに尋ねた。

「えっ? ……あ、美味しいか、ということを聞いているのか?」

 口にしかけていたそれを皿に置いて、レミリアは尋ね返す。しどろもどろになる咲夜。見かねて、レミリアが切り捨てるようにこう言った。

「人間と同じ食生活にも慣れたわ」
「……そうですか」

 期待した言葉じゃなかったらしい。咲夜は表情に影を投げ込む。
 一礼した後、咲夜が扉に手を掛けた辺りで、今度はレミリアが声を上げた。

「さ、咲夜」
「は、はいっ」

 踊る銀色の髪。
 そして飛び込んできた主君の顔は、珍しく威圧感を欠くものだった。 

「あっ、いや、なんだ……なんでもない。下がれ」
「……はい、失礼します」

 だが再度、レミリアは呼び止めた。

「霊夢が、な」
「彼女がお訪ねになったんですか?」
「うむ。それで、あいつはお前のことを気にしているようだった」
「はい?」
「だから、その……妖精たちの不躾のことさ」
「…………」

 咲夜の頬が歪んだ気がした。

「それを心配していたようだけど、なにか問題あるのかね?」
「……いえ」
「そう。じゃあ、私にして欲しいことは?」
「ございません」

 きっぱりと言い放つ。

「その認識でいいんだな?」
「もちろんです」
「……分かった。もういいぞ」

 咲夜は退室した。


















「ちょっと」

 霊夢は図書館を出てすぐ、咲夜に捕まった。

「あ、ちょうどいいところ──」

 腕を強く引かれる。角を折れた先の人目に付かない場所で、迫るようにして壁に押し付けられた。

「余計なことをしないでちょうだい」

 瞳に映る自分が確認できるほどに近く、大きな彼女の瞳。それに睨まれて霊夢も目を大きくする。

「お嬢様に変なことを吹き込まないで」

 肩を掴まれる。その力の加減から真剣みが伝わってきた。
 
「早苗にも似たようなことをしていたの?」

 咲夜の吐息の一つ一つが、棘のように霊夢を刺した。

「お願いだからこれ以上────はっ!?」

 喋りの途中の不意を突き、咲夜の腕を取って立ち位置を入れ替える。今度は咲夜が壁に追い詰められ、霊夢が凄むように顔を近付けた。

「釈然としないのよ」
「な、なにが──」
「あんたとレミリア」

 逃がさないようにと肩を捕まえる。咲夜の能力を考慮すれば、それは無意味な枷に過ぎないだろう。けれど気まずそうにしながらも逃げ出さない彼女を見るに、きっとその枷は効果があった。
 肩を掴まれて動揺する彼女の瞳。しかしそれはつかの間で、すぐに反撃を志す色に変わる。

「それはお互い様だと思っていたけれどね。これだけ生きてれば思うところがあって当然でしょう。霊夢だってそうじゃないの?」
「やっぱり……らしくなく見える?」
「首を突っ込む余裕がなかったから言わなかったけど、私に限らず、そしてあなたに限らず、全員が全員をおかしいと感じていたんじゃない? 付き合いは短くないもの」

 霊夢は服の裾を握った。自分の目は曇っていたにもかかわらず、咲夜は相変わらず鋭い。

「とにかく、あまり変なことを言い回らないでね」

 霊夢の肩を少し押して、壁と彼女の間から咲夜は抜け出る。霊夢はその背中を見送ろうとして、一言だけ投げかけた。

「変わらなくちゃじゃない」

 咲夜は振り返らなかった。 

「良い方向とは逆に変わってしまったというなら、また変わらなくちゃじゃない。違う?」

 咲夜の背中は見えなくなった。




































 彼女は仕事が好きだった。

「それでは今日の割り当てを伝えます」

 はい──と信頼の満ちた返事。
 命令する立場を喜んだことはなかったが、自分がそこに置かれたという信頼感は気持ちが良かった。

「お嬢様の部屋は私が担当しますので、その他の部屋を次に言う班の者で──」

 その信頼に応えようと懸命に仕事をこなした。時には、自身より幼い風体の主を持つことを嘲笑の槍玉に上げられたこともある。
 だが動じなかった。奉仕の精神──尽くす中に幸福を見出せていたから。

「無理をせず、駄目だと思ったら私に声をかけてください。遠慮はいりません。分かりましたか?」










 人里からの帰り道、咲夜はうずくまっている一人の女性を見つけた。青葉のような髪のその女性は見知った顔、風見幽香だった。
 咲夜は家路を踏む足を少し止めて、遠巻きに様子を窺った。手元で何かが揺れていて、それは黄褐色の花弁──枯れた花だということを理解した。
 幽香は包み込むように手を添えて、顔は懇願するような表情。勝気な彼女に似つかわしくなかった。

「…………」

 そして不思議なことが起きた。枯れたその花が瞬きの間に色彩を取り戻したのだ。
 幽香は目の前の出来事が当たり前のような振る舞いで、立ち上がる。救われた者のような顔をしていた。救ったのは彼女だというのに。
 咲夜はその顔が忘れられなかった。





 別の日、咲夜はまた彼女を見つけた。
 日傘がゆらゆらと揺れる。咲夜は気配を殺すでもなく、彼女の後を追っていた。咲夜の存在に気づいているのかいないのか、日傘の向こうの顔は分からない。
 そうして辿り着いた場所は草木が生い茂るよく分からない場所だった。青臭いニオイがする。幽香はそこへ足を踏み入れると、何に構うでもなく進んでいく。
 咲夜もそれに続こうとしたところで何かに気づいた。草しか生えていなかった場所に花が咲いているのだ。目を擦り、次に見たときには隣の草も。幽香の歩いたあとの草木たちが次々と美しい花に生まれ変わり、やがて一面は花で満ちた。そう、ここは花畑だったのだ。
 それらの中心で幽香は振り返る。風に散り舞う花弁が幻想的で、咲夜は自分が見られていることに気づくのが少し遅れた。

「…………」

 花に囲まれた彼女が首と日傘を傾げる。
 咲夜は答えようかどうか迷った。目の前の彼女はあの頃のまま美しい。そんな彼女が、いつか枯れてしまう花を嗜好している……なんて皮肉だろう。少し歩いただけの膝に重さを感じながら、咲夜はそんなことを思った。





 ある日、咲夜は夢を見た。それが夢だと分かったのは、登場人物が若い自分だったからだ。
 若い自分が懸命に働いてる。自分を客観的に見続けるというのは奇妙だったが、『若い』ということを除けば今とさして変わらない光景。夢ならもっと楽しいことが起こればいいのに。そう思っていた咲夜の心にざわめくものが押し掛けた。

 夢の中の若い自分、その顔つきが気に入らない。

 晴れやかで不安を知らぬ顔。今の自分とは最も縁遠い表情。
 そこで咲夜は気がついた。これは夢ではない。──記憶だ。昔の自分はこんな顔をしていたかもしれない。



 あの頃、思い浮かべていた未来はどんなだっただろう。
 あの頃、思い描いていた理想の自分になれただろうか。


 
 自問したところで咲夜は目が覚めた。部屋の中は薄暗く、窓の向こうには月が出ている。
 咲夜は手を天井へと伸ばした。疲れたような手だった。夢のせいか、自分の手とは思えなかった。力なくその手を落とすと、咲夜は狭いベッドで寝返りを打ち、枕に顔をうずめた。
 目尻に滲む雫は喪失感を伴っていた。



































「またお越しください」

 淡白な挨拶を背中に受けて、四人は店を出た。
 今日の集まりも変わり映えしない。早苗も自分の妖怪退治を語って聞かせるほどの配慮なしでもない。どこか曖昧さが目立つお茶会だった。
 三人と別れたあと霊夢は一人。そろそろ神社の買い置きが心配になってきたし、市場のほうまで出向いてみようかと思ったところで腕を掴まれた。

「あれ……?」

 つい数分前に別れたはずの咲夜がそこにいて、控えめな上目遣いを向けていた。

「ちょっと付き合いなさい」





 二人はある店に入った。店先には酒の文字があり、昼間営業していることを除けば珍しくもない店。店内は酒屋とは思えないほど静かで、注文をするたびに威勢よく響く店員の声が場違いに感じられた。
 席はガラガラだったものの、霊夢と咲夜はカウンターを選んで腰掛けた。カウンターの向こう側では頭にタオルを巻いた中年男性が座って新聞を読んでいる。聞き耳を立てているような素振りはなかった。

「昼間からお酒? 私、最近酔いの抜けが悪いのよね」
「でも嫌いじゃないでしょ?」

 言って、霊夢のグラスに透明の液体が注がれた。香るアルコールを確認するまでもない。咲夜は自身のグラスにも注ぎ終わると、それを手にとって勝手にかちんとグラス同士をぶつけた。

「そんなことより仕事はどうしたのよ。あんたから仕事をとったら何も残らないって自覚してる?」
「……そのことだけどね」

 咲夜は口に付けていたグラスを置いて、少し霊夢に身を寄せた。霊夢はその彼女らしからぬ仕草に身体を強ばらせてしまう。

「私ね、紅魔館をやめようかなって、思ったりしたりして」
「……はぁ?」

 酔ったのかと思ってしまう発言。けれど酔いがまわるには早すぎる。顔つきは精悍と表現していいほど澄んでいて、瞳に至っては鋭利さを感じさせた。
 霊夢は一口だけ、グラスを傾けて喉をならした。予想外の言葉を前に落ち着こうとしたのかもしれない。

「わ、私の言ったこと聞いてなかったの? あんたから仕事をとったら、何も残らないんだって」
「それでもいいじゃない」

 しれっとした顔で咲夜が言う。反して霊夢は渋い顔になる。

「なんにもなくなったら、また何かを探せばいいのよ」
「あぁ、もうっ、なにを唐突にそんなこと言い出してるわけ? あー、あれね、職場のイジメが原因? だからレミリアに怒鳴らせればって言ったのに」
「彼女たちは関係ないわ。妖精の相手をするってことはああいうことだし。それにね、こんなふらついた気持ちで偉ぶりたくないのよ。だから彼女たちが向けてくる砕けた態度はちょうどいいの」
「じゃあ、なんだってまた」

 交わっていた視線がほどかれて、霊夢の瞳に映る彼女が横顔に変わる。横から見る彼女は伸びた髪が目立っていた。咲夜はメイドとは思えないほど綺麗な指で、グラスのふちを撫でながら、霊夢に目を向けることなくこう言った。

「私はずっとこの仕事をしてきたわ。不満だってないの。でも、ふと考えると怖くなる。このままでいいのかなぁって」
「なにがよ。将来がってこと?」
「……そうね。将来が不安なのかも」

 薄暗い店内が言葉に混じる陰りを引き立てる。

「あ、別に決めたことじゃないわ。昔は考えもしなかったけど、今はそういう選択肢もあるんだって思えるってこと」
「とりあえず話しなさいよ。そのために誘ったんでしょ?」

 咲夜が静かに頷く。

「このまま死にたくないって思ったの」
「…………」
「やるせないのよ。このまま歳をとっていくのが堪らない」

 咲夜の目は真剣で、眉はきつく寄せられていた。
 霊夢は相槌の代わりに次の言葉を返す。

「そりゃ私だって、歳をとるのはいやよ」
「私の場合はそういうのとは少し違うわ。身体が満足に動くうちはどれだけ歳をとったって構わないの。でもね、いずれこの身体だって時間に屈するときがくる」
「やめてよ。今だって十分しんどいのに、そんなこと聞かされたら気が滅入るじゃない」
「だから今のうちに見つけたいのよ。夢の中──夢中ってやつをね」

 きょとんとする霊夢を尻目に、咲夜は言葉を継いだ。

「私はこの仕事一筋で生きてきた。逆に言えばこれしか知らずに生きてきたの。でもね、いつかの日にある人を見てたら、疑問がわいてきた。その人はすごく懸命な顔をするの。私が最後にそんな顔をしたのはいつだったかしら。思い出そうとしてすぐに諦めたわ」
「……そう」
「私もそんな顔になりたい。一度きりの人生、死ぬまで情熱を捧げていたいってね。柄じゃないかしら」
「別に、今の仕事を頑張ればいいじゃない。今から新しい生き甲斐を見つけようなんて思わなくてもさ」
「メイドの仕事は嫌いじゃないけど、夢中になるのとは少し違うわ。それにね──」

 咲夜は一度言葉を区切り、酒を流し込んだ。酔いの力を借りるように。

「お嬢様は私がおられなくても……」
「すとっぷ」

 霊夢が手のひらで咲夜の口を噤ませる。

「被害妄想なんてそれこそらしくないってば。本人に何か言われたわけじゃないんでしょ?」
「何も言われないことが辛かったりするものよ。以前はなんだって頼ってくれたんだけど、どうも最近はお声がかからないわ。性格こそわかりやすいお方だけど、時たま何を考えておられるかわからなくなるのよね」
「でも……」
「今の生活、生きてるって感じもしなければ、誰かを生かしてるって感じも希薄なの。ぼんやりしてる。息苦しいというか、世界が曇ってるわ。だからそれを払拭するために外へ出るのもいいんじゃないかって。何もメイドとしてお嬢様の近くにいなくても、時間を見つけて会いに行ける。そういう在り方だってあるはずよ」

 頬杖をつきながら咲夜が言った。
 否定か肯定か、霊夢は黙ってしまう。自分の意見で彼女が大きく傾くなどとは思わないにしろ、そこに小石程度でも投げつける勇気が霊夢にはなかった。

「人は大人になって夢を失くすって言うけれど、私は初めからなにもない。昔はそれでいいなんて思ってたのかもしれないけど、やっぱりそこまで無欲にはなれないわ。なりたい自分、愛せる自分になりたい……なんて、少し恥ずかしいけど」
「なりたい自分、ね。漠然としすぎて感慨もわかないわね」
「話はそれだけよ。紅魔館をやめるっていうのもまだ仮定の話だし、こればっかりは口を硬くしてもらわないと」
「〝まだ〟ねぇ……」

 咲夜はグラスを大きく傾けたあと、一際強い語勢でこう言った。

「最後に……勘違いしないでよ? お嬢様に尽くし仕え、慕う気持ちはあるわ。ただ……うん、それより大きなものができちゃったのね」
「そう」
「用事があるなら帰っていいわ。私は仕事までもう少しいるから」
「じゃあ、私からも最後に」

 一度間を作ってから、咲夜を見る。

「あんたはなんで、私みたいな感じになってるの?」
「は? どこの……いえ、なんの話?」
「〝彼女たち〟とのことよ」

 霊夢は〝彼女たち〟と不仲。紫の危惧する霊夢の問題点が影響している。
 早苗は〝彼女たち〟と中立。彼女の場合は少し特別で、誰に対しても小さな壁を作っていたがそれは崩れた。今は様子見。
 魔理沙は〝彼女たち〟と──────。

 そして咲夜だ。咲夜は〝彼女たち〟と疎遠。仲が悪いまではいかないものの、関係は限りなく薄い。しかし考えてみればおかしなことだ。彼女の暮らす場所に人間は彼女だけ。なら異種間の蟠りは克服しているのではないか。それなのに〝彼女たち〟と距離ができるというのは何故だろうと霊夢は思ったのだ。

「レミリアだって〝彼女たち〟と同じようなもんじゃない。そんなあいつとずっと暮らしてきたんだから、私みたいに変な距離ができたりしないもんだと思ってたんだけど」
「ああ、この前の続きね」

 咲夜の浮かべた小さな笑みには、暗い何かが混じっていた。

「……慣れないわよ」
「え?」
「綺麗に収まる感情じゃないわ。私が生きてる間……そうね、半世紀程度じゃとても飲み込めないわね。ずっと喉の辺りで引っかかり続けると思う。でもね、そのモヤモヤっていうか、イライラは、消せこそできないものの我慢はできるのよ」
「えっと、つまり……?」
「霊夢と一緒。あなたと一緒で引っかかってはいる。ただ私はあなたと違って優しくないから、もう、悩むことはやめたの。飲み込む努力を放棄したってこと」

 そこまで聞いて、あれ? っと霊夢は首を傾げた。

「それなら距離を作る理由はないじゃない。その……何はともあれ割り切れてるなら、さ」
「だからね、割り切れてなんかいないって」
「うーん?」
「……はぁ、霊夢って勘が鋭い女の子じゃなかったけ。なんか疲れるわ……」

 手のひらで目を覆うその仕草は癇に障ったが、霊夢はアルコールを摂取して落ち着かせる。

「慣れないって言ったでしょ。お嬢様だって、美鈴だって、朝鏡で自分を見た後なんかに会うと堪えるわ。その感覚は慣れない、薄れない。だから必死で誤魔化して考えないようにしてる。だから会いたくないのよ〝彼女たち〟とは。会えば堪えるのが分かってる。再開の握手とかいって手を差し出されたらもう最悪ね」

 自分の手を眺めながら咲夜は言った。霊夢も自分の手を見て、そして驚いた。知らない人の手かと思ってしまった。自分の手はもうこんなになってしまっていたのか。

「どう、伝わった?」

 霊夢は徐々に大きくなる頷きをして、立ち上がる。ええ、ごちそうさま──それを別れの挨拶に霊夢は帰ることにした。もちろん伝票は咲夜に押し付けて。咲夜はそれを無言で見送った。
 それから咲夜はぼーっとしていたが、しばらくすればちびちびと酒を啜り始める。味を楽しむというよりは、酔いに絆されたいなんていう倒錯的な思いがあった。他に客のいない静けさは居心地がよく、普段よりも酔いの足が速く感じられて意識に霞がかかる。そんな彼女の耳に、来客を教える扉の音が聞こえた。
 店長らしき男が新聞を畳んで扉に向かう。酒屋の扉を叩くなんて無粋なやつだと思いつつも、咲夜の目は扉に寄せられた。男が手をかけて扉を開ける。まさにその男が邪魔で来客の姿は見えなかったが、二三言葉を交わすと男は踵を返してその場をどいた。

「……?」

 咲夜の目に飛び込んできたのは花だった。誰かが花で盛り上がった植木鉢を抱えて立っている。そして次には横から顔を覗かせて、咲夜と目が合った。
 青葉のような髪が特徴的な彼女。咲夜の語った〝いつかの日のある人〟だった。


















 咲夜と別れた霊夢は紅魔館を訪ねていた。連日訪ねるのもなんか照れくさかったので今日は自粛しようと思っていたのだが、咲夜が不在とあれば話は別である。咲夜が紅魔館をやめるという一大事を阻止すべく、こうして今日も訪れたのだ。
 霊夢はまず妖精を捕まえて、あることを聞き出した。フランの居所だった。先日は咲夜に釘を刺された手前、退散するほかなかったが、彼女のいない今は阻むものはない。妖精も訝しみこそ抱いていたが、すぐに霊夢をフランの元へ案内した。

「霊夢っ!」

 変哲もない部屋にフランはいた。霊夢と目が合うや否や、フランは彼女に抱きついた。横で束ねた浅黄色の髪が犬の尾のように揺れて、その愛らしさを一層濃くする。

「美鈴から聞いてたけど本当に来てたのね! 会いたかったっ!」
「あら、お世辞が言えるなんて成長したわね」

 つい癖で皮肉を言ってしまったが、えへへ──とフランは笑う。霊夢はばつが悪くなって、それを誤魔化したいという気持ちと目の前の愛らしさから、自然と手はフランの頭に置かれていた。目を細めて可愛らしく唸る姿は本当に仔犬か何かに見える。そんな顔をされると、霊夢は余計にばつが悪くなってしまう。

「さ、入って! お菓子もあるから!!」

 繰り言になってしまうが、そうやって元気に腕を引く姿も仔犬のよう。霊夢は嬉しそうでいて困ったような、有りがちな言葉で言えば照れた様子でそれに従う。
 フランの部屋は咲夜と同様に、比較的物が少ない質素なものだった。ベッドに化粧台にクローゼットに姿見。言ってしまえばそれだけしかない部屋だが、疑うこともなくここは女の子の部屋。
 
 ベッドで肩を並べるぬいぐるみ達は、怖い夢から守ってくれる頼もしい友人。
 咲夜の部屋にだって無い立派な造りの化粧台が、女性らしさを磨く修行の場で。
 クローゼットに仕舞われているお洒落な服は、少しだけフランを背伸びさせる。
 姿見はそんな着飾る彼女を日毎に映し、鏡の中の自分が自信を与える。

 少しばかり幼く扱いすぎかもしれないが、そんな想像をして霊夢は微笑む。
 知り合いの女性に変わった輩が多いせいか、子供は男の子がいいと霊夢は思っていた。だが今思い浮かべた光景を見たのなら、女の子も悪くないなと思ったりする。

「なに笑ってるの?」
「ううん、フランは小さくて可愛いわねって思ったの」
「おかしなことを言うわね。私の方が年上よ」
「そうだったっけ?」

 フランは子ども扱いが不満らしく、ぷうっと頬を膨らませる。以前はその幼さの中に狂気を見たのだが、パチュリーの言っていた通りその精神は落ち着いているように見えた。

「少しお話をしにきたの。いい?」
「うん、いいわよ」

 ベッドに並んで腰掛ける。

「レミリアともこうして話したりするの?」
「お姉さま? うーん、あんまり会ってないわ」
「そうなの?」
「ええ。咲夜と美鈴、あとたまにパチュリー、魔理沙は最近来ないわね。それくらい」
「寂しいわね」
「べつにー」

 フランは背中から布団に倒れこむ。

「ねぇ、どうしてそんなことを聞くの?」
「えっ? うーんと、そうねぇ……」

 選択肢を迷うようにしていた霊夢だが、遠回りには飽き飽きしていた。ならばと誤魔化さない言葉を選んでみた。

「レミリアと咲夜が、ちょっと気まずいっていうか」
「え、喧嘩してるの?」

 造りの小さな顔を霊夢に近付けて、本当に?──と確認する仕草。

「そうねぇ……喧嘩というよりも、仲良しじゃなくなったって感じ……かしら」
「どういうこと?」
「フランはレミリアのこと好きでしょ?」
「その日の機嫌によるわ」
「なるほど」

 霊夢はレミリアに聞かせてやりたいと思ったが、流れを壊すのが嫌なので別の名前を挙げる。

「じゃあ美鈴」
「結構好きね」

 実姉に打ち勝ってしまう美鈴の好かれ易さ。もはや才能と言っていい。

「そうでしょ? でもね、たまにだけど、無性に気に入らないっていうときあるでしょ?」
「……どうだろ」
「好きな人が相手でも、腹が立ったりするものなの」
「うーん、そうかもしれない」

 無理に丸め込んだみたいだが、とりあえず関心は得れているようだった。

「だからね、たぶんあの二人もそれよ」
「ふーん。それじゃ霊夢、一緒に二人を仲直りさせましょ?」
「え? そ、それはいいけど、出歩いて怒られないの?」
「内緒でこっそりは怒られるわね。でも、咲夜とかに言っておけば大丈夫よ」

 任せといてよ──と、フランは薄い胸を叩く。

「……そうね。どうもあいつ、私じゃ聞く耳持たないみたいだからちょうどいいかもね」
「あんなのがここで一番偉いっていうんだから、ちょっと面白いわよねっ!」

 その言葉には少し面食らう。だがすぐにおかしさが込み上げてきて、霊夢とフランは一緒に笑うのだった。




















「ん、紅魔館の」

 伴って鮮やかな色の髪が細かに揺れた。
 幽香は持っていた植木鉢を男に渡すと、土で薄汚れた手を軽く叩いた。
 咲夜はひとまず挨拶してみる。

「こんにちわ」
「……こんにちわ。こんな時間からお酒?」
「えっ? ええ、まあ。仕事は午後からなので。まだ余裕もありますし」
「そう」

 興味なさげで淡白な返事。

「……あの、よろしければご一緒しませんか?」
「私と? なんで?」
「いえ、一人では侘しいですから」
「…………」

 言葉に詰まるというよりかは思惑をはかる様子の幽香。咲夜はそんな彼女に興味があった。普段の表情が仮面に思えるほど、花と向かう彼女の顔は生き生きとしていて必死。体温というか、血の通いをそこに感じたのだ。花が好きだからということは想像できる。咲夜が期待するのは、そんな彼女と言葉を交わすことで、今後の指針を得られないかということだった。

「そうですよ、風見さん。お花のお礼に奢りますよ」

 店の男が追い風のように言ってくれる。

「……なら、いただくわ」

 快諾ではないものの幽香は頷いた。だが腰を下ろしたのは咲夜の隣ではなく、少し離れた場所だった。

「あの、お話したいので隣に来ていただけませんか?」
「…………」

 うんざり顔に心が折れそうになるものの、咲夜は続ける。

「私のことお嫌いでなければですが」
「嫌いよ」

 咲夜は返された言葉を理解するのに時間がかかった。そして理解に至ると、折れかけていた心は踏みつけられたような感覚に襲われた。


「あなたのことね、嫌いなの」


 目を見ずに言われる。

「本当はお洒落したいのに、中途半端までにしか髪を伸ばせなかったり。本当は可愛い服が好きなのに、ご主人様を立てるために地味なのを着たり」

 しばらく間を経て、幽香はゆっくりと咲夜を見る。どこか屈折したような純粋さを放つ彼女の瞳。それを見れば、悪意があって言っているのではないことがわかる。

「服、買ってるとこ見たことがあるの」 
「そ、そう……」

 時間の流れが遅く感じる。 

「訂正すると、嫌いというよりも好きじゃないってこと。安心して。私の『好き』は物凄く上のほうから始まってるの。だからほとんどの人は『普通』か『嫌い』だから」
「…………」
「最近イライラしてるのよね。そんな折に『嫌い』な人がそばにいたら……察して欲しいものだけど」

 はっきり言って酔いが覚めた。咲夜は店を出ようと席を立ち、とぼとぼと退散した。

「どうしてイラついてるんです?」

 店の男が軽そうな笑みを添えて尋ねる。

「近頃増えてる〝あいつら〟よ。気色悪い。手を出すなって言われてるから何もしてないけど、向日葵畑に何かあろうものなら知ったこっちゃないわね。殲滅するわ」
「はぁ、やっぱりなんかそういった話になってるんですか? いえね、今も押し売りの嬢ちゃんに渡された新聞読んでて知ったんですけどね──」



















 同日、紅魔館の廊下を連なって歩く影があった。

「味噌汁はやっぱりなめこだと思うんですよ」
「いいえ、私は断固として玉葱とじゃがいもです。あの甘い感じがいいんじゃないですか」
「えー」

 そんな口論をしているのは美鈴と小悪魔だった。パチュリーに頼まれた買出しから戻ってきた小悪魔に、ちょうど美鈴も休憩時間に差し掛かっていたので肩を並べることにしたのである。

「味噌を入れた後に沸騰させる人は嫌いです」
「風味飛んじゃいますもんね……あれ?」

 美鈴の目にある人垣が留まった。





「…………」

 レミリアは書斎を出て廊下に佇んでいた。何か予感がしたのかもしれない。外はまだ明るく、薄地のカーテン越しでもその光りは目に沁みる。構わずに目を向けていると足音がした。

「お姉さま!」
「フラン……?」

 とてとてと駆け寄るフランをぼんやりと見つめ、こうたしなめた。

「勝手に出歩いちゃ駄目でしょう。誰かに言付けてきた?」
「パチュリーに言ってきたよ」
「そう。私に会いに来たの?」
「うん。霊夢と一緒にね」

 フランの肩の向こうに霊夢が立っていた。顔に乗っている色はない。無色──何を思っているのか窺わせない面持ち。レミリアは寝ていた猜疑心を起こすはめになった。

「お姉さまは咲夜と喧嘩をしているの?」
「……霊夢にそう言われたの?」

 言葉はフランに向け、睨みを霊夢に向ける。それに頷くフランとは対照的に、霊夢は明後日の方向を見て何食わぬ顔。

「別に喧嘩なんてしてないわ」
「本当に?」
「もちろん」

 だってさ──という顔で霊夢を見るフラン。

「レミリア」
「なにかしらね」

 霊夢が前に出る。

「見下ろされるのは嫌いなんだけど?」
「しゃがんで頭でも撫でてあげましょうか?」
「火傷をする覚悟があるなら、それもいいさ」

 実妹に対する柔らかな口調ではなく、威厳を保たんとする尖った言葉。

「言葉って大切よ」
「……うん?」
「このままでいいと思ってんの? あいつ気丈だから、内心なに考えてるか分からないわよ?」



 私ね、紅魔館をやめようかなって──。



 聞かされたその言葉は、今は呑み込むことに決める。

「咲夜のことか? 本人から支障はないと聞いてる」

 レミリアは手を後ろで組み、威風堂々たる佇まいで霊夢に答えた。

「それに、妖精の稚拙な自主性に苛まれるほど軟弱でもないでしょ」

 きっとそれは間違った推測ではない。けれども、その一言が表すように完結している事柄でもないように霊夢は思えた。



 ──あんたらぁあっ!!



 近くで誰かの大声が聞こえた。

「なんだ、騒々しい」

 レミリアが声の方向に歩くと、霊夢とフランもそれに続いた。そしてすぐに見知った人影が目に留まった。

「なにをしてる?」

 その廊下には複数の妖精メイドと、小悪魔に羽交い絞めにされている美鈴がいた。長く伸びた赤毛をぶんぶんと乱す様を見れば、先程の声は美鈴のものだろうとすぐにわかる。美鈴はレミリアの姿を見つけて、落ち着きを取り戻そうと息を整え始めた。

「お、お嬢様……いつから……?」
「あー腕痛かった」

 美鈴の神妙な面持ちに対して、小悪魔はあっけらかんとしている。

「今来たところよ。なにを騒いでいたんだね?」
「こ、こいつらが咲夜を……あ、いえ、咲夜さんを……」
「咲夜?」

 その名前を聞いて、レミリアは眉間に皺を寄せる。

「ち、違いますお嬢様」

 今度は妖精が声を上げた。

「言ってみろ」
「は、はい。その、ですね……もうじき咲夜様のお仕事の時間なのですが、どうにも姿が見えないと話していただけなんです」
「白々と……っ!」

 美鈴が一度は下した怒気を再び滾らせて、妖精に詰め寄る。

「お嬢様、彼女たちはこう言ってたんです。あれで仕事ができないなら……って、咲夜さんの悪口を言ってたんですよっ!!」

 襟首を掴もうと伸びた手は小悪魔に押さえられ、そのまま身体を引き離される。

「美鈴は少し静かにしていろ」

 主君の言葉は重かった。美鈴は萎むように俯く。垂れた赤い柳の向こうで、下唇を噛んでいた。

「咲夜が戻っていないと言ったわね?」
「は、はい」
「あれが仕事をおろそかにするとは……」

「本当よ」

 この場に居合わせぬ者の声を聞いて、大半の者がそちらを見た。

「パチェ」
「妹様が私のところに来たんだけど……って、レミィと一緒だったのね。そのときに咲夜がいないって聞いて私も探し回ったんだけど、どうやら館内にはいないみたいね」
「……そう」

 パチュリーはティーカップを持ちながらにそう言った。大方探し回ったのは紅茶を淹れてもらおうとしてのことだろう。

「咲夜が家出しちゃったの?」

 何気ないフランの言葉に、少なくない者が動揺する。

「フラン、ずっと起きているんじゃないのか? 夕食まで少し寝てきなさい。夢を見る時間が必要よ」
「え? あー、うん。分かった」

 フランは何度か振り返りながら、一人ですたすたと帰って行った。
 そして、あとに残った固まった空気を壊したのはパチュリーだった。

「じゃあこうしましょう? いつまでもこんな場所で口論をしていても仕方ないから、ここは一旦解散して、別の日に改めて言葉を交わす場を設ければいいわ。咲夜も戻ってくるかもしれないし」
「ぱ、パチュリー様!?」

 美鈴が勢いよく顔を上げる。

「そ、それは咲夜さんに対して、なんらかの処置があるということですか?」
「さぁ。私が決めることじゃないし」

 視線がこの館の君主に集まる。レミリアは癖の強い自身の髪を指で弄りながら、もう片方の手を顎に添えて考えるように目を瞑る。そして思いのほかすぐに口は開かれた。

「……たしかに。メイド長とは常に模範的でなくてはいけない。となれば──」
「お嬢様?」

 鈴を転がしたように広がる、凛と理性を感じさせる声。咲夜だった。

「咲夜さん!」

 美鈴が駆け寄って手を取る。

「な、なに?」
「いやぁ危なかったんですよ。もう少しでね、怖い裁判に掛けられるところだったんですからー!」

 疑問符を浮かべる咲夜に、今度はレミリアが声を掛ける。

「戻るのが遅れたようね?」
「え……はい。申し訳ありません。知り合いと少し話し込んでしまって……。えっ、もしかして私のことでこんな集まってるんですか?」

 実際に咲夜は幽香と話してはいるがすぐに席を外している。それで遅れてしまったということは、幽香の言葉が足取りが重くさせたに違いない。

「時間を止めろ……と言ったところで、念仏なんでしょ?」
「はい。あまりそれはしたくないです」

 いつからか、咲夜はあの世界の無機質な空気が肌に馴染まなくなっていた。加えて、メイドの数と質が上がったことで、昔のように咲夜が何でも一人でやらなければいけないということは余程のことがない限りはなくなった。能力を使う頻度はかなり減っている。

「……まあいい。これからは気をつけろ」
「はい。遅れてしまい申し訳ありませんでした」

 険悪な空気がゆっくりと薄れていく。美鈴は咲夜に今までのことを語り、パチュリーとレミリアもそこから立ち去ろうと踵を返す。妖精のも熱を失いつつあるこの場に興味を失ったようで、次第にそこから離れていく。
 収束を予感させる雰囲気。そんな緩まりつつある空気に、だが弱々しい声が咲いた。

「……おかしいと思います」

 か細い声。聞こえた者は振り返り、聞こえなかった者は背後の気配から振り返る。
 声の主は一人の妖精だった。視線が自分に集まっていることを自覚すると、少し臆したように表情を強張らせたが、次には意を決したように口を開く。

「事故や何かではなく、咲夜様はお喋りをしてて遅れたと言いました。我々がお喋りをしていれば咲夜様に強く叱られます。それをお嬢様は、まあいいでお済ましになられました。お嬢様は咲夜様に甘くありませんか?」

 誰もそれを黙らせないのは、きっと正論だからだった。
 咲夜は複雑な顔でその妖精を見る。今、自分に尊敬を抱かない妖精はたしかに多いが全員じゃない。その中でも今発言をした彼女は、どちらかといえば慕ってくれている妖精だった。他の妖精も思い出したように声を上げだす。

「お嬢様の決定は絶対です。おわかりになりませんか?」

 美鈴が調子良く言う。が、対照的に声を低くしたのはパチュリーだった。

「いいえ、彼女の言う通りだわ」

 パチュリーが指す〝彼女〟とは美鈴ではなく、妖精のほう。それを理解して美鈴は焦る。
 
「彼女の言葉をそのまま受け入れろとは言わないけど、耳を傾けるべき」
「ちょ、ちょっと──」

 燻る焦りが美鈴を動かす。しかしそれは咲夜に止められた。

「咲夜のために一人の不満を跳ね除ける、それもいいと思うわ」

 パチュリーのその言葉に今度は妖精が不満を零すが、睨んで再度パチュリーが言う。

「慎みなさい。あなたたちは今、誰の前にいるの? レミリア・スカーレット──あなたたちの王の前よ。身分不相応にも意見をしたばかりでなく、野次のような品ないことは到底許されない」

 水をかけられたように静かになる。

「レミィ、あなたが間違ってるって言ってるんじゃないわよ? 聞くに値する意見が生まれたから、それを念頭に置いてもう一度って言ってるの。それでも咲夜は悪くないって言えるなら、私は全然間違ってないと思うわ」

 誰もが口を閉ざす。何故なら、次に言葉を発するのはレミリアでなくてはならないから。

「……私が、咲夜を甘やかしている?」

 言葉を向けられたのは意見をした妖精。

「そう、思うの?」
「……はい」
「…………」

 腕を組み、少し前の床を見つめ、熟考するように黙り続けたが、やがてゆっくりと唇が震えた。

「……多数決」
「は……」

 主君の呟きは弱々しく、けれど全員の耳に等しく届いた。

「──多数決よ。今から多数決を取る。咲夜を是とする者は慎み黙せ。咲夜を非とする者は挙手しなさい。責任は追及しない。思ったようにすること。もし是が多いならば、直ちに解散。今後の言及は一切許さない。だが非が多いとなれば──」

 間を置く。意図してだったのか、それとも無意識に言葉が詰まったのかはわからない。

「非が多いとなれば……たしかに、仕事に遅れる者は罰があってしかるべき。その咎の大きさを吟味するべく会合の場を設けよう」
「ちょっと待ってくだ──」
「美鈴、何度も言わせるな。妖精であろうとも、私を、紅魔館を支える大切な家族なんだ。その家族が不満ありと唱えるならば、それを尊重するのが私の義務なのさ。さぁ、意思ある者は手を上げたまえ」

 制止する声を踏みつけて、レミリアが言った。

(多数決? そんなことをしたら……)

 妖精の数は圧倒的。咲夜を待っていたらしい彼女たちは恐らく〝班〟。片手では足りない人数だ。話がこじれそうな予感に霊夢は溜め息を吐く。
 やがて一人の妖精が手を上げた。続いて、それに勇気付けられたように手が上がり始める。結果は明らかだった。

「……出席は各班長、及び、メイド以外の希望者とするが、発言権は各班長と私が許可する者のみとする。日時は明日、時間は追って伝えさせよう」

 レミリアはそれだけ言うと背中を向ける。

「待ってください!!」
「なに?」

 案の定、美鈴はレミリアに噛みついた。

「本当に言ってるんですか?」
「そこまで心配することもないでしょ。重い罰が下るわけもない。不服だというのだから、存分に話し合わせればいいだけ」
「妖精たちに話し合わせるってことですよね? それなら、どうなるか分からないじゃないですか」
「最終決定は私がする。文句ないでしょう?」

 疲れたように言って、歩き出そうとした肩を美鈴が掴んだ。

「ありますよ」
「……信用できないのか?」
「今はできません」

 灼くような双眸で睨まれるが、それを微塵も気にしないように続ける。

「今みたいに、大勢で言い寄られたら押し切られちゃうんじゃないんですか?」
「うつけ者が……」

 レミリアは掴まれていた腕を瞬時に引き剥がし、自分に引き寄せる。あまりの唐突さとその速さに美鈴は重心をいいようにされ、支える足が払われた瞬間に腹から倒れた。

「私が流されてものを言っていると? お前もあしざまに言えるようになったじゃないか」
「……違うんですか?」

 鋭利な声色に、だが美鈴は尚も抗う。

「勘違いしているなら言っておく。私はここの主。常に平等でなければならない。私情で贔屓はできないのだよ」
「平等のどこに……愛があるって言うんですかっ!!!」

 起き上がり様に身体を捻り、今度は美鈴がレミリアの足を掬おうとする。

「アイ? お前は寝ている分、フランと違って夢を見すぎだ」

 それをレミリアはいとも容易く飛んで躱す。が、その間に起き上がった美鈴が拳を打ち出した。常人なら決して受け止められないだろうその拳。だがレミリアにとっては易しいものだった。加えて、まるで受け止めろと言わんばかりの場所を狙っている。
 レミリアは美鈴の拳を難なく受け止めて、こう言った。

「ふざけた真似を。どうせ打ってくるならもっと防ぎ難く──っ!?」

 油断をしたのではなく、油断させられたのだと気づいたときには胸倉を掴まれていた。美鈴の空いていた片方の手が、打ち出された拳の何倍も早い動作でレミリアの胸へと忍ばされたのである。

「あなたはたしかに紅魔館で一番偉いです。でもそれだけじゃないでしょう? 咲夜さんに対してなにもするなって言ってるんじゃないんですよ。あの妖精の方が言うように、ミスをしたらお叱りはあるべきです」

 気が付けば美鈴の大声に誘われたのか、この場を見つめる妖精の数はずっと増えていた。

「彼女がミスをしたら、咲夜さんに叱られたっていいましたよね。何故ですか? 上司だからですよ! それなら咲夜さんを叱るのはお嬢様でいいはずです。それをなんで無機質に、集まり論じて次第を決めようなんて言われるんですかっ!!」

 レミリアの眉が少し動いた気がした。

「友人が不満をぶつけるように言えばいいんです! 昔はそうじゃなかったですか!? 咲夜さんもね、そういう関係を望んでると思うんですよねっ!?」
「知ったふうな口を……」
「──っ!?」

 小柄な身体からは想像もできないような強い蹴りが、美鈴の腹部を打った。胸倉を掴んでいた手から力が抜ける。

「さぁ、いい加減仕事に戻れ。冷めた夕食を食べる羽目になるわよ?」

 レミリアが言うと、妖精たちは散らすように姿を消した。やがて他の者も踵を返す。咲夜は呻く美鈴を支えて、パチュリーは呆れたような面持ちで小悪魔と。多くの者が退場したその場には、レミリアと霊夢だけが立っていた。

「霊夢か。私の神経を逆撫でしなければ、夕食くらいはご馳走してやろう」

 言いたげな表情を読み取ったらしい。霊夢が傍観者に徹していられたのは、美鈴が言いたいことを言ってくれていたからだった。その彼女がいなくなった以上、自分が言わなくてはいけないし、自分しか言えないこともある。

「こっちってば友人一人の胸中を推し量ろうって頑張ってるのに、あんたは大したもんね。あんだけの人数を掻き乱すんだから」
「褒め言葉にしては聞き慣れないな」
「皮肉よ」
「……まったく」

 吐く息は濃い疲労を物語る。強い反発を予期して身構えたのだが、反して、もう疲れた──と張った糸を切ったような音がした。

「お前は長く私たちから遠ざかっていたな」
「……そうね」
「私はお前のこと嫌いじゃない。人間には珍しい……いや、変わり者の一言で済まそう。これでも照れ屋なのさ」

 そう言って、レミリアは窓の外を見る。日が暮れた景色は夜の訪れを感じさせた。

「そんなお前が会いに来てくれないのは寂しくもあった。私には会いに行けるだけの図々しさがあると思っていたんだけど、自分で思っている以上に私は奥手らしい」

 急に表情を柔らかくされて、言葉は優しくなり、愛嬌を隠すことなく向けられる。隠しながらも霊夢が困惑したことは言うまでもなかった。

「難しいのね。付き合い方ってやつは」


 ──咲夜がここをやめるかもしれない。


 言ってやるつもりだった。だが言えなくなってしまう。何故かはわからない。ただ、レミリアの顔を見ていたら言葉が出なかった。立ち去る彼女を引き止められずに見送ってしまう。

「ねぇ」

 立ち尽くす霊夢に声がかけられた。意識外の声色に驚いて振り向くと、そこには立ち去ったはずのパチュリーがいた。

「今夜、付き合ってくれる?」


















「どういうつもり?」

 時計の双針が真上を過ぎて、場所はバルコニー。月明かりに浮かぶ二つの影があった。

「……まだ寒いわね」
「そうね」

 テーブルと椅子を置いただけの席に着いて、レミリアとパチュリーは言葉を交わした。白く濁る息が寒さを際立たせていた。

「酔わそうと思ってるなら無駄だぞ」
「良い古酒が見つかったから振る舞ってるだけじゃない。憎まれ口叩かないといられないのは悪い癖よ」

 ふん、と鼻を鳴らしてから、レミリアはティーカップに口を付けた。ただし香るのは紅茶のそれではなく、落ち着きある上品なアルコール。どれだけ上品と言えど、ティーカップで酒を飲むことにレミリアは眉を寄せた。

「なんであんなこと言ったのさ」
「咲夜のこと?」
「まるでパチェは咲夜を晒し者にしたいかのように言葉を選んだ。気のせいではないはず」

 館から少し突き出たこの場所は仰げばすぐに月がある。そこから視線を横に落とすと、零れる明かりに淡く照らされたパンジーの花たちが。手にしていたティーカップを置いて、パチュリーはそれらに目を向けながらに口を開いた。

「私とあなたの間に友情があるのなら、それはきっと死が別つまで。なら私たちはもうしばらく……〝ずっと〟って言えるくらいに長い時間は友達」
「……もう酔ったのか。安上がりなヤツめ」

 そう言って、レミリアは目元を隠したいかのように被り物を深くした。
 魔女と吸血鬼──死があるのかも分からない二人。死のみを別れと言うなら、それは遥か遠くのことに違いない。

「でもね、咲夜は人間よ」
「……ふん、わかっていたんだ。どうせ、そんな話だろうって」

 浅く俯き、今度はレミリアが語り始める。

「一概に〝わかっている〟と言えるほどに、簡単な話でもないじゃない」
「そうかしら」
「いくら時間を止めたり、弾幕を扱えると言っても所詮は人間。私が今まで指を振るようにして殺してきた人間と変わりない。その辺を忘れていたのさ。私にとっての十年は指を一つ折る程度の感覚だけど、人間にとっての十年はそのまま十を数えるらしい」

 レミリアはテーブルに両肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せた。

「わかってるなら尚更よ。レミィは十年だって待てるかもしれないけど、咲夜にとって十年は途方もないのよ。墓標と仲直りしても仕方ないでしょう?」
「勘違いするな。私と咲夜は喧嘩なんてしてない」
「墓標のために花を買うなら、今、労うために花を買ってあげなさい。そっちのほうがずっと綺麗だし、喜んでくれるわ」
「……嫌味か?」

 圧するような目を向けて、けれどすぐにレミリアはそれを伏せた。軽く頭を振って、自制するように声色を落ち着かせた。

「……人間とこんな長く一緒にいるのなんて初めてだから、私にもよくわからないんだ」

 ほんの少しだけ弱そうな影を窺わせる。喉を潤す古酒の口当たりの良さと、酔いの手を引くアルコールが普段硬い口を滑らかにする。

「ずっと咲夜は咲夜だと思ってたんだ。笑っちゃうでしょ? 人間の子供だって、人が歳を取ることくらい知ってるっていうのに。ふと気が付いたのがつい数年前。既に咲夜は二十を数えて半ば過ぎ、そんな折り返しに差し掛かって初めて気付いた。思えば人は百も生きられない。その半分……そう、外界ならもう少し生きられるかもしれないけど」

 パチュリーは頷く。その仕草を確認してからレミリアは言葉を繋げた。

「私は五百年も生きてきたんだ。そんな生まれて二十、三十で抱く悩みなんかとっくに忘れた。まあ、吸血鬼である私がそんな人間くさい悩みを抱いていたとも思えないけど。咲夜はたしかに何か帯びた目をしている。でも推し量れるのはそれまでさ。あいつの気持ちを察して言葉をかけられるほど器用じゃない。加えて私は意地っ張りだから、だから余計に嫌なのさ。変なことを言って傷つけてしまったら、自分から仲直りなんてそれこそできないから。美鈴みたいに言う奴はいる。昔のように気兼ねなく……本当にそんなになれたら一番いい。けど一度でも考えてしまったら、なかなかそんな身軽にはなれないよ。特に私のように、無駄に長生きしてたりすると」

 普段なら、レミリアが言葉を並べればどれが真実を語っているかを探さなければいけない。ただ表情を見るに、今夜に限りその必要はなさそうだった。
 しかし、その表情も次には塗り替えられる。


「今日は随分とお喋りじゃない」


 居合わせぬはずの者の声に、レミリアは伏せた瞳を上げて苛立たしげに呟く。

「……謀ったわね?」
「ええ、平たく言えば。いい加減咲夜にも調子取り戻して欲しいのよ。持ってくる紅茶もいまいちパッとしないし」

 レミリアの背後から足音が近づいてくる。彼女は振り向くことなく言ったのだから、恐らくは正体を察している。

「こんな時間にお酒飲んだら大変だわ」

 現れた霊夢はパチュリーのティーカップを引っ手繰って口をつける。そうしてから思い出したように二人と同じテーブルの席に着いた。

「なんだお前は、一人が淋しいのか? 連日押しかけて、こんな時間までうちに居座って。滅多やたらも過ぎるんじゃないかしらね?」
「いや、まぁ……今日は特別よ。本当は来ないつもりだったし、すぐ帰るつもりだったし」

 霊夢は空になったパチュリーのティーカップを戻して、今度はレミリアのものに手を伸ばす。だがレミリアの手が僅かに早く、霊夢の手は所在なさげな面影を浮かべた。

「霊夢もいろいろ考えてるみたいだったから、声をかけたのよ」
「ふん、この歳で何も考えてなかったら問題だ」
「とりあえずレミリアが咲夜を気にかけてることはわかったけど、なら話は簡単じゃない。レミリアが咲夜の話を聞いてあげればいいのよ」
「……黙れ」

 刺々しい言葉に、威嚇するような瞳。裏腹に容姿を除いて子供っぽく響いたのは、聞きたくない話を前にする幼子の様子と重なったからだった。

「パチェの魂胆はわかってる。見守ってどうにもならないなら、波風立ててやろうってことでしょ。だが霊夢もその枠組みに入ってるのか? やめて欲しいものね。こいつはそれこそ関係ない」
「あるわよ」

 強い響きに二人は霊夢を見た。


「関係、あるわよ。咲夜は友達だもの」


 語勢こそ平静を装えていたが、顔つきまでは及ばなかったらしい。少しだけ不恰好なその表情を見てレミリアが笑った。

「はっ……。見てパチェ、霊夢の顔」
「うん?」
「強がってるやつが胸中さらすときは、きっとあんな顔になる。私はあんな顔をさらしたくない」
「可愛いからいいじゃない」
「そんな台詞久しぶりに言われたわ」

 レミリアは閑話休題を促す咳払いをした。

「とにかく、咲夜がなにか思いつめているにしろ、私が口出しすることじゃない。私は咲夜の母親じゃないんだから。余計なお世話は贅肉になる」
「難しく考えなくていいのよ。あの子は……咲夜は、あなたのことが好きなんだから。あなたがしたいと思ったことをすればいいの」
「胸焼けするようなことを言うな」

 レミリアは煩わしそうに眉をひそめた。次に霊夢が口を開く。

「あんたが……」
「え、なんだって?」

 二人が耳を傾けたのもつかの間、霊夢の言葉は途切れてしまう。不審がってレミリアが見ると、霊夢の顔は見慣れない儚げなものだった。
 そんな彼女の唇が動く。

「人間は言葉もらわなきゃ安心できないのよ。咲夜は気持ちを汲めるほうだけど、あんまり過信しないほうがいいわ」
「……ふん、そんなに咲夜が心配なら霊夢こそ話を聞いてやればいいさ」

 言い終わるより早くレミリアは立ち上がった。ひらひらと手を振る仕草は別れの挨拶。彼女は踵を鳴らして去っていく。ただでさえ小さな背中がゆっくりと形を縮めていく。


「やめるかもって……」


 風が止むような自然さで、レミリアは立ち止まった。

「……なに?」
「咲夜、ここをやめるかもしれないって言ってたわ……」
「…………」

 押し黙り、憂えるような顔。だがそれも一瞬のことで、レミリアはすぐに背中を向ける。

「それも含めて明日の会合だ。時刻は十六時。場所はパチェに聞け」
「レミリア……!」
 
 呼び止める言葉はレミリアに届かず、彼女の背中は消えてしまった。

「本当なの?」

 脇でパチュリーが心配そうに言うが、霊夢の意識には引っかからなかった。
 互いに気にし合っているのに、確かなものがないから踏み出せずにいる。二人の間の距離は変わってないはずなのに、うまく近寄ることができない。霊夢の中に蔓延するもどかしさは無意識に唇を噛ませた。

「……泊まっていく?」
「別に帰れるわよ」

 ぶっきらぼうに言って霊夢は家路に就いた。ほのかに火照った身体に夜風は心地よかった。
 もう一度整理する。咲夜はレミリアが自分を必要としないなら、人生を模索する時間が欲しい。レミリアは自分よりずっと早い速度で変わっていく咲夜に戸惑い、接し方がわからない。霊夢は思った。どこに互いをつけ離すものがあるのか。咲夜が言うように、彼女がここを出たからといって二人が平行線になるとは思わない。咲夜はレミリアを変わらずに慕っているのだ。頻度こそ減りはすれ、顔を合わして生きていくだろう。
 しかし霊夢は、それではいけない気がした。

「臭いものは一箇所にまとめておかなきゃいけないのよ。個々別々なんていい迷惑だわ」

 レミリアがたった一つ、咲夜を自分のほうに引き寄せる言葉を出せばそれで済む話。問題は明日の会合、妖精が咲夜を刺激することを言わなければ……そういった意味では不安は強いものの、とりあえずは酔いが抜けてくれることを祈る、そんな帰り道だった。





 霊夢が去った後の紅魔館──。


「パチュリー様も明日出るんですか?」
「私くらいしかいないでしょう? 司会できるの」
「まぁ、そうかもしれませんね」

 本から目を離さないパチュリーを見て、小悪魔は一言だけ続けた。

「そんな面倒くさそうにするなら、初めから言い出さなきゃいいのに」
「…………」

 小悪魔は思いのほか減らずに済んだ古酒の瓶を抱えて、奥のほうに消えた。





「ねぇ、美鈴」
「なっ、なっ、なんですかっ? はっ、ふっ」
「なんで私の部屋で腕立て伏せやってるの?」
「はっ、ふぅ~……いいところにお気づきになりましたね。フランお嬢様」

 床で息を荒くしていた美鈴が立ち上がり、ベッドに腰掛けて変わったものを見るような目のフランに答える。

「こうやって身体をほぐしておけば、明日大暴れしても後日大丈夫ですからね。筋肉痛とか」
「なによそれ」

 美鈴はフランの隣に腰掛ける。

「お嬢様もね、本当は咲夜さんのこと好きなんですけど、恥ずかしくて思うようにできないんですよ」
「ふぅん?」
「だからそれを後押しするのが、仕えている私の腕っ節なんです。断じて前回のアレが悔しくてとかそういうんじゃなくて、忠誠心がそうさせるんですからね……って、訳わかりませんよね?」
「ううん、わかってるよ」
「えっ、本当ですか?」

 首を振った隣の彼女を見る。

「好きな相手でも、腹が立ったりするんだよね!」
「……誰に聞いたんですかぁ?」
「さぁ?」










 最後の仕事を終えた咲夜は自室に戻ってきた。ここの主が夜を朝としていることを考えれば、今の時刻に休みを貰っていることは少し特別だった。
 咲夜は黙って寝巻きに着替えようとタンスを開ける。

「…………」

 寝巻きを仕舞っている段よりも一つ下の段を開けてしまった。そこには華やかな色使いの服が仕舞われていて、自分たちの登場は今か今かと待っているように見えた。


 ──本当はお洒落したいのに。


「……別にそんなんじゃ」

 湧いて出た幽香の言葉を、咲夜はかぶりを小さく振って掻き消した。すぐにその引き出しを閉めて、上の段から寝巻きを取り出し作業的に着替える。

「はぁ……」

 腕を広げてベッドに倒れると、顔を埋めた掛け布団から良い匂いがした。日中に当番の子が干しておいてくれたのだろう。それはきっと日向の匂いだった。
 このまま寝てしまおうかと思った辺りで、彼女は起き上がった。枕を頭に当てて、布団を被った。あのまま寝ているところを誰かに見られたらさぞ格好悪いだろう──そんな懸念からだった。

「…………」

 暖かな布団に包まれているというのに、咲夜は心がざわついて落ち着かなかった。睡魔の足音も聞こえない。目が覚めたままだった。
 咲夜は手を伸ばして、それを優しく掴む。布団の中に招待して抱きかかえれば、少しだけ落ち着いた気がした。
 熊のぬいぐるみが温もりの中で、優しく腕に抱かれていた。





 熱の引いた紅茶を啜って、レミリアは筆を置く。
 小皿に乗っている食べかけのトーストに、ジャムの瓶に突っ込まれたままのスプーンを数度塗りつける。赤色はストロベリーで、緑はキウイ、黄色はオレンジで、青がブルーベリー。それらを塗られたパンは今までの質素さが嘘のように、まるで宝石を身に着けた貴婦人の如く美しい彩りを得た。
 レミリアはそれを形の小さな口で頬張ると、再び書き物をしようとした手を止めて、外を見る。

「…………」

 瞳は遠くを見つめ、けれど回想するのはつい先程のこと。
 咲夜は紅茶と焼いた二切れのパンを持って現れた。そして後から、彩り美しい四つの小瓶をレミリアに差し出し、こう言った。


 ──ジャムを作ってみました。


 笑みを浮かべていたことをレミリアは覚えている。そして自分の言った台詞も──。


 ──自己主張も一人前だな。


 咲夜の浮かべた顔がどんな感情に起因しているかわからなくて、レミリアは面白くなかった。

「ここをやめるならそれもいいさ。別れの相手が墓標なんてよりかは、血の通った姿のほうが寝覚めもいい」

 冷たくなりつつある紅茶をもう一度啜る。香りは濃いものの、味はあっさりしていた。

「……味薄い」

 レミリアは文句を垂れて、ジャムの付いたスプーンで紅茶を掻き混ぜる。そうしてからもう一度啜り、今度は満足気に頷いた。

















 会合は静かに幕を開けた。

「レミィが発言すると各主張の均衡性が崩れかねないので、私が司会をします」

 パチュリーが言うと、厳かに列席者は同意の意を示す。
 部屋には縦長の大きな机が一つ置かれており、その両側の席に班長である妖精が並んで腰を据えている。そして一人しか座れないであろう正面にはレミリアが鎮座しており、遠く向かい合うのが咲夜だった。霊夢と美鈴の希望参加者は同室に用意された別の机に席を設けられ、目の前の話し合いに対する発言は許さない旨を伝えられていた。

「いざとなったら任せてください」
「なんで腕まくりして言うのよ」

 パチュリーが言葉を続けていた。

「こうした場を設けた経緯は聞き及んでいることと思うけれど、特定の従者が特別扱いを受けているのではないか──という疑問の声が上がりました。そして君主たる〝レミリア様〟がその言葉に耳を傾け、今に至ります。あなたたちに話し合ってもらうことは、今から私が述べる事象を聞いて、それに罰を課すかどうか、そして課すならばどれだけのものなのかということ」

 パチュリーの事務的な進行を聞きながら、霊夢はレミリアに目を向けた。腕を組み、足を組み、目を瞑って俯いている。我関せずといった佇まい。指先が組んだ腕を頻りに叩いていることから、寝ているということではないだろう。
 次いで咲夜を見る。彼女はどこか申し訳なさそうに肩を竦め、手を膝の上に置いて静かにしていた。自分が発端でこんな仰々しい催しが開かれたのだ。そこに少なからず居辛さを感じているのかもしれない。

「まったく、お嬢様の頑固さには困ったものです。一言『お前は悪くない』と言えば済む話なのに」

 レミリアに聞こえるように言ったのだろう。美鈴の声は鮮明に響き、横槍を入れるなとパチュリーに一瞥された。

「当日、夕食の仕込みまで彼女は非番でした。遅れた理由は私事で、損害影響はありません。今現在の暫定処分もありません」

 パチュリーの機械的なその読み上げに、席に着いていた班長妖精がざわつき始める。

「これ、話し合う必要があるの?」
「非利益がないなら罰という程じゃないと思うけど」
「さ、咲夜様に処分を下せるってことは、暫定処分ってお嬢様の決定ってことでしょう? それがないって話だし……」

「そりゃこうなりますって。話し合いなんて酔狂ですよ」

 また美鈴が声を大にして言う。いい加減にして──とパチュリーにキツく睨まれるが、美鈴の意見は妖精たちの臆病な背を僅かなりにとも後押しをした。

「そ、そうだよ。罰なんていらないよ」
「集まりがどうのって話を聞いた日には一体どんな事件が起きたのかと緊張してたけど、らしくないってだけで些細な失敗じゃない」

 班長である彼女たちは他の妖精と比べてある程度の良識と分別は弁えている。そんな彼女たちからしたら、やはり美鈴と同様の意見に辿り着くらしかった。


「いや、ちょっと待って」


 唐突な否定的な響きは、全員の注目を集めた。

「たしかに些細なことだけど、それが咲夜様となれば考えたほうがいいんじゃない?」
「どういうことよ?」
「皆だって薄々感じているでしょ。近頃の咲夜様が少し怠慢だって」

 その発言に多くの妖精が顔を見合わせる。腫れ物に触れられたような反応だった。

「早急に結論を出さなくてもいいはずよ。よく考えてみて。普通なら、私たちが咲夜様に何かするなんてことはできない。それができるのはお嬢様だけなのに、わざわざこんな場を設けてまで私たちに話し合いをさせている。それが館を揺るがすような大事ならまだしも、時間を守らなかったっていう……自分たちのことであまり言いたくないけれど、珍しくもない失敗」

 饒舌な彼女の言葉を聞いているうちに、何人かの妖精は頷きを返していた。彼女の言わんとしていることを察したようだ。


 ──お嬢様が自分たちを試されているのではないか?


 そんな見当違いをしてしまうほどに、この集まりは異例な出来事だった。しかしながらその疑念は悪いように働かず、話し合いに向ける彼女たちの姿勢を真摯なものに叩き上げた。

「そ、そうね。せっかく集まったんだから、何も即断しなくてもいいかもね」
「もう少し掘り下げて話そう」
 
 まとまりかけていた空気が散漫なものになる。


「正直なところ……」


 今まで黙していた一人の妖精が、ゆっくりと口を開く。

「これだけを見れば罰はなくて構わないと思う。それは寛大な処置というよりも、温情あらせられるお嬢様の然るべき処置。しかし、咲夜様が…………というのも事実。さらにはお嬢様がこうして場を設け、私たちに意見を交わさせている。これらを考慮して、小なりとも咲夜様には罰が必要だと思う」
「彼女の発言は確信を突いていますね。以前と比べて咲夜様は気が緩んでおられる気がします。もちろん私たち以上に仕事熱心であられるし、丁寧な作業をされていると思いますが、それはお嬢様も承知のところでしょう。にもかかわらず……となれば、あってもいいんじゃないでしょうか」
「いやいや、おかしいよ。時間を守らなかったことは確かに褒められないけど、それで何がどうなったってことじゃないんだから」
「何がどうなる……そんな被害が出ないように努めるのが使用人じゃない。未然に防ぐ、そうならないように意識を引き締める意味でも、やはり罰はいるんだよ」

 出方を窺うようにしていた妖精たちも、意見が飛び交うにつれて主張を始めた。

「こんなことは前代未聞だよ。部下が上司の処遇を決めるなんて……」
「いい機会じゃない? 班の中で咲夜様に対して不満を持っている者もいたし、何より彼女たちの言い分も否定できないから始末が悪い。そんな蟠りを清算する意味も含めて、また誰もが尊敬する昔の咲夜様に戻ってもらうように罰を与えるのも、決して間違ってないと思うね」
「それよりもさぁ、本人の前でそんなこと言っていいのかなぁ?」

 一人の妖精が言うと、周りの妖精が思い出したように咲夜を見た。視線を向けられた彼女はキョトンとしていて、荒立った感情の露出はない。
 対照的にパチュリーは咳払いをすると、一同に対してこう言った。

「ここでの発言で、風当たりが悪くなるようには絶対しないわ」
「それなら言いますけど、咲夜様は──」

 議論が再開する。面倒くさがり屋の彼女たちを動かすのは、この話し合いに裏があるのではないかという疑念だけではない。共に作業をする班の仲間から、色々と言葉を預かってきているはずなのだ。参加を許されない仲間の言葉を尊重したい──仲間意識の強い彼女たちならばおかしくないことだった。





 思いがけず話し合いは長引いていた。
 開始から時計の長針が一周した今に至っても、全員が納得できる決定は出されていない。議論は交わることなく平行線を辿っているが、咲夜を擁護する側の勢いは弱く、また人数も乏しい。
 逆に反抗する者の人数は過半数を超えていた。擁護派の感情的な主張を冷たい理論武装──正論、常識を用いて薙ぎ倒し、一人また一人と自分側の主張に頷かせた。日頃から厳しく教育してきた反動か、規律といった点での融通の利かなさはあったのかもしれない。
 また、擁護するように立ち回っている妖精のほとんどが咲夜を慕う気持ちからであり、同様に慕う仲間が大多数で前に立ち塞がったとあれば、それ以上の反発ができずに折れてしまったことも道理と言える。

「待ってください! 一方的過ぎます!! なんでそんなに咲夜様が悪いと言うんですか!?」

 それでも意見を曲げない妖精はいた。少数ながらに、稚拙な言葉を武器として抗っていた。包み隠さず言えば、当初の彼女たちはどちらに転んでもいいだろうと考えていた。しかし話し合いが進むにつれ、自分が慕う上司を悪く言われることに我慢できなくなったのだ。そして一度だけ異を唱えると、対して向けられた反論に反論を重ねる形で今の足場を築いた。

「悪いと言っているんじゃなくて、起きてしまった失敗に対しては罰を与えるのが筋だと言ってるんだよ。私たちもそうやって教わってきたし、この話し合いは〝特別扱い〟が引き金になってるんでしょ? 平等を重んじるなら、咲夜様にもそれがあるべきだと」
「さ、咲夜様だって失敗くらいします! それを寄って集って……」
「この場を設けたのはお嬢様だよ。それはお嬢様の志向が気に入らないってこと?」

「主君の名前は出さないように」

 司会のパチュリーが注意を混ぜながら、淡々と話し合いは進行していく。

「さぁて、そろそろ準備運動しておきますか」

 美鈴が割と真面目な響きでそう言った。

「ここで暴れでもしたら解雇されてもおかしくないわね」
「そっ、それは困りますねぇ……」

 たしなめた霊夢だったが、どうにも雲行きはおかしいし、長いこと座っていることもあって気だるくなってきた。感化されたわけではないけれど、本当にいざとなったら大暴れも悪くないような気がしてくる。
 しかし、次には意識が弾かれた。


「どうしたの?」


 パチュリーが尋ねる。彼女の視線の先には挙手をする妖精がいた。旗色良く、咲夜に罰あれと主張していた妖精。今まで自由に話し合わせていた中にあってのその挙手は、必然的にパチュリーの目に留まった。妖精は尋ねの返事としてこう言った。

「お願いがあります」
「なにかしら?」
「班長以下のメイドもこの場に──」
「い、異議あり!!」

 美鈴が叫んだ。

「あなたの発言を認めた覚えはないんだけど」
「ダメですよ、班長以下は参加できないって取り決めなんですからっ!!」
「だから、あなたが発言できないのもその取り決めに含まれてるの。静かにしてなさい」
「……くっ」

 美鈴は渋々乗り出していた身を椅子に落ち着かせて、不機嫌さを訴えるように腕組をした。
 これは霊夢にも予想外な展開。弁に熱が入りすぎた妖精は引くに引けなくなり、なれば意見の絶対数を多くして少数派を飲み込もうと考えたのだろう。今までは班長ということもあって幾分か話し合いも理知的に成立していたが、その他の参加が認められれば主観を強めた意見が飛び交うに違いない。それは旗色が悪くなるばかりか、咲夜にとっても気持ちが良いものではないはず。

「聞いたとおりの要求が出てるけど、どうする?」

 パチュリーは傍らの友人に目を向けた。沈黙と共にこの話し合いを見守ってきたレミリアは、組んだ腕をほどくことなく、俯きがちに小さく言った。

「……パチェの判断に任せる」
「そう?」

 何故か親のお許しを貰えた子供のような目で、一考した後にパチュリーが結論を下した。

「ごほん。それじゃ今から三十分の休憩を取ります。班長は自分の班の者に掛け合い、非番の者にはこの会合に対する参加権と発言権を認める旨を伝えてください」
「は、発言権はおかしいでしょ!? なら私たちにもくださいよ!! 妖精が認められるんだったら、おかしなことじゃないでしょ!?」
「まぁ考えておくわ」
「さ、差別だ!!」

 各々が退室していく中、霊夢はレミリアを見ていた。偉そうな態度が癪に障る。目を瞑った様が格好つけているようで気に食わない。
 向かい側の咲夜も見る。彼女は彼女で疲れた仕草だけを見せ、あとは冷然とした態度を取っていた。

(私にはあんたを引き止められない。どんなに綺麗な言葉でも、私の言葉では。紅魔館に背中を向けるにしろ、言いたいことくらいは自分で言ってからにしなさいよ)

 念じたそのとき、偶然にも咲夜が霊夢を見た。居心地悪そうな瞳の照り返しは今に始まったことではないと思うが、その表情はやはり、一物を抱えた者のそれに見える。
 霊夢はテーブルに肘をつき、張っていた意識を少し緩めた。日光を遮るカーテンの端から、西日の明かりが漏れていた。





 あっという間に休憩は終わり、部屋に妖精の姿が戻ってくる。それは出ていった人数を遥かに上回っていた。新参者の彼女たちは椅子を並べただけの場所に次々と腰を落ち着かせる。

「こりゃいよいよですねぇ」
「…………」

 レミリアは終始場所を動かず、休憩の間中着席した姿を保っていた。それは霊夢と美鈴も同様で、お喋りをするわけでもなくただ再開を待っていた。

(もう期待できないわね)

 霊夢はどこかで期待していた。多くの者が集まるこの場所で、レミリアが咲夜に向けて言葉を……なんて。だがその淡い期待は見限った。腕を組むレミリアからは頑なさしか感じられない。思えば体面を気にする彼女がこんな衆人環視の中で、自分の感情をさらすとも考えづらかった。

「大暴れするときは声かけてね」
「お、霊夢さんも乗り気ですか?」

 あながち霊夢も冗談ではなかった。腹が立っているのだ。自分の友人を天秤に掛けるようなこの茶番に対して。この上さらに幼稚な妖精の言葉が出たとあっては、抑制が効かなくなる恐れがあった。

「これより再開します」

 パチュリーの歯切れ悪い号令を契機にして、話し合いが再開した。
 しばらくは霊夢も黙って耳を傾けていたが、次第に、自分の眉間に皺が寄ることを自覚していた。目の前のそれはもう議論ではなく、ただの口論。無知のやり取りだった。


 ──咲夜様は不真面目だ。怠けている。だらしがない。不誠実。集中力がない。手際が悪い。怒りっぽい。優しくない。目が怖い。話しかけづらい。あまり好きじゃない。どちらかといえば嫌い。


 本来の目的を忘れて、ただただ不満を述べている妖精たち。彼女たちの幼い主観のどれだけが確かなことを語っているのか。おっかなびっくりも最初だけで、何を言ってもお咎めなしだと気付けば口は軽くなった。まるで黙っているほうが配慮なしのような目で見られる始末。

「大丈夫です。言った奴の顔は覚えてますから」
「腕まくりはまだ早いわよ」

 霊夢は咲夜を見る。平然としている風貌は見慣れたもの。けれど、次の言葉を聞いてそれが揺らいだ。


「忠誠心が薄れているんじゃないんですか?」 


 弾かれたように肩が震えた。

「咲夜様が十年、二十年と完璧に仕えてこれたのは忠誠心からです。でも咲夜様は人間で、人間にとっての十年、二十年は途方もない時間だと思います。それを加味すれば──」

 そよ風のように流れていく言葉。抉ってしまったものに気付きもしないで。


 ──尽くし仕え、慕う気持ちはあるわ。


(なんで黙ってるのよ……)

 断固として反論すべきだと霊夢は思った。咲夜のあの言葉が偽りでないのなら『今もその気持ちは色あせることなくあり続ける』という言葉を今すぐに。さもなければ、レミリアを含めた全員が今の妖精の言葉を留めてしまう。
 思いは焦燥感に変わって霊夢を駆り立てた。重く据えた腰を持ち上げたところで、しかし霊夢は我に返る。何もできない。何かしたところで好転は望めない。頑なな二人だからこそ、信じあえる絆は強固なのだ。そして二人が向けられて喜ぶのは、二人が二人とも霊夢からの言葉ではない。

「…………」

 霊夢はもう一度だけ、本当に最後の一度として、レミリアを見た。彼女は変わらぬふうに腕を組み、時折頷きながら話し合いに耳を傾けている。くせっ毛が邪魔でどんな目をしているかはわからなかった。それでも落ち着きを感じさせる辺り、霊夢が望むような展開にはなりそうもなかった。

 ──私はお前のこと嫌いじゃない。
 ──これでも照れ屋なのさ。
 ──会いに来てくれないのは寂しくもあった。

 霊夢はずっと昔から知っていた。彼女は冷血なんかじゃない。人間と同じように感じる心がある。照れ屋だと言うなら的を射ているだろう。それらを上手く表現できない彼女は、まさしく照れ屋だ。そしてたまに顔を合わせるだけの自分にそれだけの感情抱いてくれるならば、いつも寄り添っている咲夜に対してはずっと大きな感情を抱いているはず。

(胸にあるものを言葉にするだけじゃない……)

 ぶっきらぼうでいい。可愛げがなくとも、咲夜からすればそんな外堀は関係ない。表向きがどんな態度であっても、しっかり本質を見抜ける優秀さを持っているから。

「お嬢様が側近である咲夜様の処分を私たちに委ねたということは、それなりに私たちと同じ考えがあってのことなんじゃないんですか? 厳しくも優しいお嬢様のことです。不満を覚えても、なかなか自分では言い出しづらかったのではないでしょうか?」

(咲夜、あんたが何も言わないなら……私はもう……)

 性格ゆえに口を閉ざし続ける二人。その渦中に、勝手な主観が投げ込まれることが耐えられなかった。
 霊夢は美鈴の肩を叩く。もういいでしょ? これ以上続けたところで──そう目で訴えれば、美鈴はすぐに頷き返してくれた。あとは適当に難癖つけて暴れれば気の小さな妖精は我先にと散っていくだろう。悪者みたいだが、それで閉会になれば別に構わなかった。
 いいわね?──と最後の確認をする。もちろんです──と頼もしい返事を得たところで、椅子が大きな音を立てて勢いよく倒れた。









「忠誠心が薄れているんじゃないんですか?」

 咲夜がその言葉を聞いたとき、痛みというよりもまず悔しさが溢れた。反論しないでいる自分を見つけてしまったからだ。勇気がない? いつから主人に寄せる気持ちを言葉にするのに、勇気が必要になってしまったのか。

「咲夜様が十年、二十年と完璧に仕えてこれたのはその忠誠心からです。でも咲夜様は人間で──」

 周りが見えなくなるくらい夢中になれるものに出会いたかった。彼女のように、あんな顔をして生きてみたい、咲夜はそんな好奇心を殺せずにいる。咲夜が彼女たちに胸を張って反論できないのは、そんな態度が忠誠という言葉と肩を組めないだろうと思ったからだった。
 咲夜自身も後ろめたい気持ちがないわけではない。しかし咲夜は思う。自分が選んだ主、死ねと言われるなら死ぬし、一生従えというならそれに応える。だが──。
 

 死ねと言われたならそのとき──。
 仕えるなら老衰で動けなくなるとき──。

 ──そのときに頂く退職金の代わりに、今、そんな想いを抱く自由を許して欲しい。

 
 自己正当化だと自嘲する前に、咲夜の脳裏には『退職金などやらん』と言うレミリアが浮かんでしまう。それでも膨れ続けるこの熱だけは消せないのだ。
 前では妖精たちがいつまでも言い争いをしている。正直どうでもいいと咲夜は思った。知りたいことは一つだけ、こんな場を設けたレミリアの真意だけ。

「お嬢様が側近である咲夜様の処分を私たちに委ねたということは──」

 咲夜は俯きながらに、遠く向かい合うレミリアの姿を盗み見する。難しそうな目の色。鏡を合わせたような際限ない深み。そんな瞳と、気のせいだとも思える刹那の瞬間に視線が交わった気がした。だがレミリアは妖精やパチュリーと何か論じている。関心のない心にその内容は入ってこなかったが、そんな最中に自分を見る意味はないだろうと咲夜は思った。
 トドメに、椅子か何かが倒れる音を捉えたことで、刹那に見たレミリアの瞳は記憶から消えた。










 考えごとをするとき、自身のくせっ毛を弄るのが彼女の癖だった。レミリアは細い指で髪を触りながら、妖精たちの言葉を聞いていた。それは自ら進んでというよりも、この場を設けた責任からだった。

「忠誠心が薄れているんじゃないんですか?」

 ちゃんと聞いているぞ──と、君主たる体面を保つために頷いてみせる。
 普段、自分の前では粗相しないようにと大人しい妖精たちが、今は息を巻いて言い合っている。妖精たちはここまでお喋りだったのか、レミリアのそんなつまらない関心はとうに風化していた。

「咲夜様が十年、二十年と完璧に仕えてこれたのは──」

 その言葉も適当に聞き流して、とりあえずは頷いておく。
 実際のところ、レミリアにはこんな催しを開く気なぞ毛頭なかった。ただ、友人のパチュリーがこうなるよう誘導している気配を感じて、ならそれに乗ってやろうと思っただけ。あのときはどんな目論見があるのか見当つかなかったが──。

(なるほどたしかに。聞いていて楽しいものじゃない)

 どうやら土俵に上がらせたかったらしい。向き合うべく場所に、レミリアは引っ張り出されたのだ。

(……関係ないわ)

 一蹴する。

(咲夜がここを去るなんて思いもしなかったけど、なら尚更のこと、掛ける言葉なんてあるわけもない)

 緩みかけていた腕を強く組み直した。

「お嬢様が側近である咲夜様の処分を私たちに委ねたということは、それなりに私たちと同じ考えがあってのことなんじゃないんですか? 厳しくも優しいお嬢様のことです。不満を覚えても、なかなか自分では言い出しづらかったのではないでしょうか?」

 一人の妖精がどこか得意げになってそう言った。レミリアはそれにも投げやりに頷こうとして────だが首が動かないことに気がついた。

「そういえば以前よりも、お嬢様の振る舞いは辛辣さを色濃くしているような気がしますね」
「つまりお嬢様は咲夜様を、疎ましく思ってるってこと?」

 首を縦に振ることを、心の奥のほうが嫌がっている。頷けば認めることになるからだ。自分が咲夜をどう思っているか……頷いてしまえば、お前たちの言う通りだと答えるに他ならないから。

「そりゃお嬢様は完璧主義者だから。完璧な咲夜様だからこそ、お側に置いておられたんじゃないの? 今の気が抜けた咲夜様じゃ」
「うーん、そんなもんかなぁ」

 今の言葉を否定できるのは今だけだ──何かが警鐘を鳴らす。一度でも頷いたあとに撤回してもそれは不誠実な気がした。いろいろな思案が脳裏を巡り、髪を巻きつける指だけを残して、レミリアの動きは停滞する。
 そんなレミリアに声がかかった。妖精の一人が恐る恐るといったふうに、遠慮がちに口を動かした。

「お、お嬢様、私どもが何か気に障る発言をしましたでしょうか……?」

 急に無反応に黙りこくる主君を不審に思ったその言葉は、レミリアの五体を絡めて縛り、逃亡することを許さない不可視の鎖になった。問いには答えを。今し方の言葉に対する返答──頷くか否定するかの決断を迫られていた。
 聞こえてないように振舞ってやり過ごす策は封じられてしまう。ここで聞いてなかったとも答えられない。パチュリーに乗せられたとはいえ、表面上はレミリアが主催した会合なのだ。それで自分が聞いてなかったでは敬意が失墜するだろうと即座に判断する。

「お嬢様……?」
「あ、あぁ?」

 明確な意思表示は凍ったままに、返事とも取れない曖昧さを返した。

(……いや、何を悩む必要がある。平等を重んじ、公平を規すために開いた会合。ここで情に濡れた言葉を出せば私に対する不信感は深みを増し、さらには何かを決意したに違いない咲夜の後ろ髪を引いてしまう)

 昨夜は〝何か帯びた〟などと濁したが、目を見ればわかる。何かを決めた者の目をしていた。だから霊夢のあの言葉も嘘ではないと思い、レミリアはそれを真剣に受け止めていた。

「レミィ、何か問題あるの?」

 今度はパチュリーが追い詰める。いつまでもどっちつかずではいられない。レミリアは胸の中で反復させた今の言葉をさらに繰り返し、自分を納得させて頷こうとする。……が、ままならずに首は不動を守った。
 そこでレミリアは咲夜を見た。あの目だ。自分が親だとは到底思えないが、巣立ちを控えたような強い光りをかつてそこに見た。何を思っているか察することはできずとも、それくらいなら容易に読み取れる。

「…………」
「ちょっと、本当にどうしたの?」

 レミリアは向けた目をすぐに逸らした。いや、逸らさずにはいられなかった。彼女が捉えた咲夜の瞳は、驚くほどに弱々しかった。頷くための決定打どころか、何か熱いものを胸に打ち込まれた気がした。

「お嬢様、もし退屈でしたら話がまとまるまで寝室で御休みになられてはいかがでしょう? ご覧の通り、意見はまだ対立しています。お嬢様が最終的な決定をお出しになるとのことですので、意見を一つに束ねられましたら私どもが呼びに参りましょう」
「そうですね、それがいいかもしれません。元々この場は、恐れ多くも異議を申し立てた一人の妖精によってと聞き及んでます。彼女の気持ちを汲んでいただけただけでも十分だと思います。お嬢様が最初から最後まで付き合われなくても、構わないことと思います」

 それらの言葉に頷こうとして、しかし何かがそれを引き止めた。その正体はきっと、咲夜を見たときに飛び込んできた熱い何かだ。同時にレミリアはハッ──とした。慕い、尽くしてくれる友人をぞんざいに扱うその言葉に、何故頷けるというのか。そう思いはするものの言葉にできない。ゆえに反論できず、行き場を失った憤慨は自身の下唇を強く噛ませた。

(……友情なのか、忠誠心なのか。友人なのか、従者なのか。思えばすっと中途半端だった。どっちとも言えるし、どっちだけとも言えない。だからここぞというとき、どちら側で接すればいいのか分からなくなってしまう……)

「既にお嬢様の心に咲夜様はおられないのでしょう。これは私たちが早急に話をまとめないと、お嬢様の時間を無駄にしてしまいますね」

 尚も黙り続けるレミリアに対して、一人の妖精がそう結論付けた。
 レミリアは今の言葉にも頷くでもなく、つい先程に胸の中で呟いた言葉をもう一度呟いた。繰り返し、説得するように、言い聞かせるように呟いた。やがて散り散りになった感情の中で、一つが小さな塊となって心中に明確化する。それは徐々に大きくなっていき、心を大挙として占拠した。

(もう、どうでもいい……)

 湧いた感情が、肉体と精神の双方を染めていく。
 そしてちょうどそのときだった。レミリアの耳に音が飛び込んだ。何かが倒れる音だった。彼女が一体なんだと目を凝らせば、脇で霊夢と美鈴が自分を見ていた。いや、彼女たちだけではない。この場にいる全員の視線がレミリアに集まっていた。


 ──レミリアの椅子が、勢いよく倒れていた。



















 霊夢と美鈴が立ち上がろうとしたそのとき、彼女たちよりも早くレミリアが立ち上がった。両手をテーブルにつき、感情を表すように椅子が強く倒れた。


「好き勝手言うなっ!!」


 彼女はそう叫んだ。

「わっ、私は、咲夜を、一度でもそんなふうに思ったことないっ!! これまでだって、これからだって、そんなことは絶対にないっ!!」

 誰もが黙る。髪を振り乱し、感情に肩を震わせるレミリアをただ見つめていた。

「咲夜の悪口を言っていいのは私だけだっ! こっ、これ以上悪く言ったら許さない!!」

 触れれば壊れてしまいそうな、複雑に組み立てられた表情で。
 レミリアの心を占拠したのは苛立ち。組む腕には力が入り、心は夜霧をかけたように苛立ちだけを残して鮮明さを欠いた。次第にそれは膨らんでいき、ついには我慢ができなくなった。どうでもよくなるくらい、その感情は強かった。



 ──そして蘇ってくる、レミリアのいつかの記憶──



「咲夜を、悪く言わないで欲しい……」


 ──咲夜が私に花をくれたことがあった。別に特別な日だったわけじゃない。花束を私にくれたんだ。彼女はそれを花瓶に生けて、私の机に飾った。


「なんでか分からないけど、悲しくなるから」


 ──私はその花を綺麗だと思ったんだ。初めての気持ちだった。だから私は咲夜に『ありがとう』って言おうとした。けれど言えなかった。主従の関係が、何故かそういう言葉を飲み込ませた。


「悲しいのに、こうして怒りたくなるから」


 ──そして私は後悔した。その日、何気なく『ありがとう』と言えなくて後悔した。次の日、思い出したように『ありがとう』と言えなくて後悔した。一週間後、枯れた花を見て後悔は永遠のモノとなった。


「こんな自分、嫌だけど」


 ──私はそのことをパチェに相談した。何故か彼女は笑っていた。しょぼくれる私が可愛いとか言っていた気がする。そして一つ、彼女はアイデアをくれた。花のお返しをしようということだった。


「言わないでいる自分はもっと嫌だから」


 ──私は一人館を抜け出し、人里で花束を買ってきた。だがそこで、いつものプライドが邪魔をした。面と向かって花を渡すことが、急に恥ずかしくなったのだ。だから私は仕方なしに、使用人しか通らない廊下にその花を飾った。


「贔屓かもしれない」


 ──不思議そうにしながらも、通る者はその花に目を留めてくれた。その中には咲夜も含まれていた。ただ彼女は花の飾り具合が気に入らなかったのか、その花を少し弄って満足気に頷いた。鑑賞どころではない。咲夜はそういう女性だった。


「平等に愛がなく、」


 ──それから私は何度も挑戦した。パチェにその手の本を借りて、綺麗に生けれるよう努力した。花屋の店長にもアドバイスを貰った。しかしそうやって新しい花を飾るたびに、咲夜はちょこちょこと花を弄っては頷いていた。


「特別にこそ愛があるというのなら、」


 ──だから後悔した。パチェの言うとおり、自分が素直に花を渡していれば彼女は笑ってくれたかもしれない。ただそれができない私は今も花を買いに走り、誰にも見つからないようにとコソコソ花を取り替えている。





「私にとって咲夜は、特別に他ならない」





 言い終わって、レミリアは静かに座る。
 記憶の中の後悔が教えてくれた。──今言わなければ、また後悔するぞと。そして、踏み出す勇気は親友がくれた。


 あなたがしたいと思ったことをすればいいの。


 その言葉に目頭が熱くなる。あなたは間違ってない、大丈夫──そう励ましてくれる者に、生涯、一体どれだけ出会えるだろう。言われたときは気にも留めなかったその言葉が、今になって背中を押してくれた。嬉しかった。暖かかった。そして今、自分の思ったことを素直に言えてレミリアは安堵した。


 ……………………。


 誰も言葉を発さない。口論していた妖精も、レミリアを窺っていたパチュリーも、暴れようと意気込んでいた霊夢、美鈴も、そのときの姿勢のまま固まっていた。
 しかし、その沈黙は長くなかった。静かな空間に声が混じり始めた。和紙に水を垂らしたような穏やかさで、ゆっくりとその声は部屋に満ちた。
 咲夜が泣いていた。顔を伏せ、堪えるようにした声が漏れていた。そして我慢ができなくなったのか、声が山なりに大きくなる。そんな自分に驚いたのか、咲夜は顔を上げた。見たことのない顔だった。涙で濡れて、顔はくしゃくしゃだった。けれど、それが不細工だとは誰も思わなかった。
 咲夜は全員の視線が自分に向けられていることを悟ると、立ち上がって逃げるように部屋を出て行った。


 ──がたん。


 椅子が音を立てて倒れる。咲夜の椅子ではない。座りなおしたばかりの、レミリアの椅子だった。

「あっ、お嬢さ──」
「……ふっ」
 
 追いかけようとした妖精に美鈴が立ちふさがる。

「信じていましたとも。ええ、むしろ信頼しかありませんでした」

 演技がかった調子で拳を硬くしながら美鈴が言う。そしてその拳は静かに開かれて、腕を伴って大きく広げられた。

「腕まくりを無駄にしたくありません。ここ通りたければ私を倒すことですね」

 えー、これ早く終わらせないと仕事があるのにー……などといった妖精の不満が次々と上がる。

「門番なめんなっ!!」

 居眠り門番は屋内のこの場に限り威勢がよかった。
 霊夢は胸を撫で下ろす。目の前では美鈴と妖精が睨み合っている。心配することはない、あれがここでのスキンシップだと言えば間違いではないのだから。
 霊夢はパチュリーを呼んで賭けを持ちかけた。目の前の茶番にではない。来年の今頃、咲夜はどこにいるか。賭けは同意見のため成立しなかった。





 走る咲夜を追いかけるレミリア。逃げる彼女の腕を掴めたのは、館の外に出てからのことだった。

「お、お前の料理、いいと思うぞ……っ!」

 逃げられないと思って、咲夜が振り向く。

「お前の作るサンドウィッチとか、あー、あれだ、ジャムとか、人間っぽくていいと思う」
「……あ、ありがとうござます……」

 咲夜は鼻をぐすんぐすん言わせていた。柄にもなく泣いてしまい、泣き顔を見られたくなくて逃げたのにと咲夜は思った。

「だから、その……ここをやめるなんて言わないで」
「え、あっ、その話は……」
「やめられたら、人間っぽいあの味が食べられなくなってしまうから。せっかく慣れて、気に入ってたんだから」

 もうじき夜が来る。だがレミリアの頬は少し赤みが濃かった。

「お嬢様、私はやめませ──」
「い、嫌だって言っても聞かないぞ。だってお前は私の従者じゃないか。勝手にやめるなんてことは許さ──」


 ──ぺちん。


 咲夜がレミリアの頬を叩いた。強くないが、決して優しくない勢いだった。痛みがほのかに広がる。レミリアは叩かれた頬を手で触りながらキョトンとしていた。お互いがお互いの話を聞かないのだから、きっとそれは効果的だった。

「わ、私だって、やろうと思えばこれくらいできるんです。従うだけじゃありません。歯向かおうと思えばできるんです。でもお嬢様、私はいつだってあなたのお側にいました。それは私が選んだことです。嫌々なんてとんでもありません。今までだって、これからだって、それは変わりません」
「う……」
「お嬢様、咲夜はあなたの部下です。友人です。味方です。だからいつだって頼ってください。それだけで私はお嬢様の側にいつまでもいられます。……もう、不安にさせないでくださいね」

 いい匂いがした。一瞬、それがパンジーの匂いではないかと思ったが、レミリアは心の中で首を振った。パンジーには匂いがないらしい。花屋の店長が言っていた。そんな無駄知識がレミリアを、咲夜に抱きしめられているという事実に気づかせた。この匂いは彼女のものだ。こんな近くに彼女を感じたのは、一体何年ぶりだろう。

「それだけでいいのか? 本当に、ずっと側に置いておくぞ?」
「構いません。こちらこそ、本当にずっとお側にいてもいいのでしょうか?」

 風が吹いた。春近しと言っても、まだ冷たい風。けれど二人は寒くなかった。風がもう一度吹く。今度は少し強かった。髪が大きく靡く。けれど、それでもまだ寒くない。そんなことに腹を立てたのか、寒風がレミリアの被り物を攫って遠くに落とした。覆っていたものが失われて、彼女の髪は風が吹くたびに大きく踊る。独特のくせっ毛も、そうなってしまっては表情を隠せない。
 レミリアは照れたように、だけど嬉しそうにこう言った。

「咲夜がもっと歳をとって、よぼよぼになって、手だって皺だらけになったとき、それは私のせいだと言わせたいんだ」
「お嬢様……」
「だからそうなるまで、お前には側にいてもらうぞ。これは命令と約束と……えっと、お願いだ」
「はい……っ」

 二人は互いに笑って見せる。
 咲夜の中の好奇心が消えたわけではない。だが、それよりも大きなものができたのだ。だから今はこれでいい気がした。それでまた迷う日が来たら、またこうしてレミリアに言葉をもらおう。日ごろの鞭に耐えてる分、それくらいの飴があってもいいだろなんて咲夜は思った。

「も、もういいでしょ? 離して」

 レミリアは今度こそ照れて、恥ずかしそうにしながら力なく咲夜を押した。離れる二人。レミリアは落ちていた被り物を拾って被り、咲夜は走って乱れた服装を手早く整えた。

「それでは仕事に戻りますね」
「うむ」

 らしい会話。だがお互いにそれは嫌じゃなかった。
 日が沈み、完全な夜がやって来る。だが問題ない。ここでは夜が朝なのだ。だからもうしばらくはこの余韻を噛み締めていられるだろう。そう思うと、レミリアでさえも胸が高鳴るのだった。



























































 咲夜の姿は厨房にあった。
 フライパンに油を引き、細切れ肉を炒める。焼き色がついてから今度は刻んだ野菜を加える。強火の中に放り込まれた野菜たちは鳴くようにして音を上げ、しばらくするとしんなりする。調味料で味を調えたら野菜炒めの出来上がり。

「……うん、ごま油ね。あと──」

 ごま油と中華なべを用意して、再び野菜炒めを作りはじめる。香ばしい匂いが厨房に充満し始めた頃、それに誘われた複数人の妖精メイドが姿を見せた。

「咲夜様、何をしてらっしゃるんですか?」
「お嬢様のご夕食を作ってるのよ」
「お嬢様ってお野菜食べるんですか?」
「長生きしてるんだから野菜だって食べるでしょう。身体に良いんだから。あなたたちは野菜が嫌いなの?」
「はぁ、あんまり……」
「野菜だって美味しいんだから。人間の真似するなら食べなくちゃ」

 妖精が渋い顔をする。ただその中には愛嬌が同居していた。あれから咲夜が妖精に対してしたことはないが、まさに雪が解けるような速度で関係は修復しつつあった。何かに取り組んでいる人間というのは魅力的に映るらしい。今の接し方は上司部下というよりも、どちらかといえば友人、姉妹といった感じだったが、咲夜はそれはそれで悪くないと思えていた。
 
「でもなんで咲夜様がお料理なさっているんですか? 今日は当番じゃないですよね」

 咲夜は重い中華なべを懸命に振りながら、こう答えた。

「特技は趣味になりえると気づいたのよ。夢中……夢の中、素敵ね」
「……?」

 咲夜はお盆に野菜炒めを乗せて厨房を出た。本来、料理が冷めないよう考慮して食事を取る部屋はすぐ近くの大部屋なのだが、今日に限ってレミリアは私室で食事をしたいという希望を出していた。そのため咲夜はお盆を抱えながら、そこそこの距離を移動しなければならなかった。

「あら?」

 途中の廊下で咲夜は違和感を感じた。自分でも原因ははっきりしなかったが、すぐにある一点で目が留まる。
 一角に置かれていた花瓶──以前に妖精が割ってしまったものだが、すぐにレミリアに報告して新しい物を置いていたはずだった。だが今日そこに花瓶はなく、いつも飾られていた切花もそこにはない。

「……どうしたのかしら?」

 咲夜は花の好きな誰かが飾っているのだと思っていた。恐らくは妖精の誰か。多くいる彼女たちの中に、こういった趣味を持っている者がいても不思議ではない。飾る場所こそもっといい場所があるのではと、レミリアに進言したことを咲夜は思い出した。それに引きずられて別のことも思い出す。以前にレミリアへ花をプレゼントした記憶だ。そのときのレミリアが何とも言えない顔をしていたのを咲夜は覚えている。その表情から花に興味がないのだと読み取ったが、ああして花瓶を使わせていたあたり間違った認識だったのかもしれない。
 咲夜はぼんやりと、いつも目を惹いていたあの花の姿を思い出す。普段見ていたときよりも、こうして記憶の中の方が細かいところまで見えてきた。なんとなく不器用で、けれど心のある飾り方。見るたびに放っておけず、ついつい世話をするように弄っていたことが懐かしく込み上げる。

「あ、いけないいけない」

 せっかく作った野菜炒めが冷めてしまう。咲夜は行儀が悪いと思いながらも、レミリアの部屋目指して調子よく廊下を蹴った。





「お嬢さま、お食事をお持ちしました」

 返事はなかった。近頃は書き物に忙しいらしい。咲夜はもう一度だけ入室する旨を扉越しに伝えてから、静かに部屋へと入る。

「もう、いらっしゃるならお返事してください」

 レミリアの姿はいつもの机にあった。筆を走らせている。咲夜はまだ湯気が出ている野菜炒めの皿を構わずその机に置いた。

「他のお料理はあとからお運びしますので、今はこちらだけでご辛抱ください」

 言って、レミリアを見る。返事を貰うための、それ以上に意味などない仕草。だが待てども返事は貰えず、予期せぬ沈黙が部屋に降りた。
 そんなに大切な書き物かと思って手元を見る。手は止まっていた。途中までは文字の並びがあるが、今向けている筆先は止まっていた。
 よく見れば、書き物をしている紙の端から本を思わす紙の並びがはみ出していた。どんな本を読んでいたのだろうと咲夜が目を凝らしたところで、レミリアが手元へ寄せて隠してしまう。

「たぶん、もう必要ないものだ」

 呟いたのか、自分に言ったのか、咲夜には分からなかった。もちろんそれの意味することなんて及ばない。咲夜は首を傾げたものの、次には踵を返す。お嬢様は自分が及ばないような考え事をしているときがある──そう判断した。

「さ、咲夜」

 しかし捻り出したような声。それは咲夜を振り向かせるには十分だった。同時に既視感を与える。

「はいっ」

 踊る銀色の髪。
 いつかの期待が蘇り、咲夜の声が弾んだ。目の前のレミリアは、やっぱり威圧感を欠いていた。

「その──」

 珍しく人懐っこい声。加えて、レミリアの瞳は緊張の色を宿していた。そんな目で見られると、咲夜のほうまで緊張してしまう。レミリアはそれに構わず、しばらくの間もじもじしていた。
 やがて逡巡するように瞼を閉じると、次には意を決したような面持ちで咲夜を見た。しかし勢いは戻らない。どこかしおらしく、容姿相応の可愛らしい様子だった。

「覚えてないかもしれないけど──」

 窺う仔猫のような上目遣い。その表情に別の既視感を覚えた。見覚えのある顔だった。あのときだ。花を持って部屋を訪ねたとき。何故忘れていたのだろう。あのときの彼女もこんな顔をしていた。照れと戦うような、なんともいじらしい表情。

「花、ありがとう」

 胸の中の確信が揺るぎない絶対に昇華した。そして困惑する。感謝されることもそうだが、忘れっぽい彼女が今まで覚えていたことに対しても酷く困惑した。

「……あげる」

 机の下のほうから、大きな花束を取り出して咲夜に差し出す。綺麗な花束だった。それを咲夜は優しく受け取る。
 そこでレミリアの緊張はようやく薄れた。渡すことができた──今までは買って飾るだけだったが、これからは贈ることもできる。親しみのない感情の芽生えをレミリアは感じていた。
 受け取った咲夜も同様。涙はまだ出なかった。けれど予感がする。大きな感情の波の予感。これからそんな波に飲み込まれるのかと思うと咲夜は胸が躍った。ただそれが訪れるのはまだ先のこと。突然の出来事からの困惑が落ち着いてからだ。
 だから咲夜はひとまず、受け取った花を見た。本当に綺麗だった。けれども次の瞬間、それにも負けないくらいの美しい花を見た。


「今までありがとう。これからも頑張ってね」


 目の前で、眩しいくらいの笑顔が咲いていた。


遅くなった上に長くなった……。

自分自身、今はいろいろと模索中だったりしますが、ここまで読んでくださったのならありがとうございます。
うちのレミリアは基本〝俺様〟タイプですけど、違和感あったらごめんなさい。

そして次は魔理沙周りですが、コンパクトにまとめられたらいいなと思います。

では、次の機会にお会いしましょう。
松木
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コメント



0.1110簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
本当にレミリアは不器用だなぁ…
でもよかった、昔の二人に戻れて。
そして霊夢も昔のノリが戻ってきてますね。

早苗さんを親友、咲夜さんを姉と…。
じゃあ魔理沙はなんだろう?
あと不仲、中立、疎遠ときて…魔理沙が「彼女たち」と距離をとってしまうような何かは…。
6.100名前が無い程度の能力削除
(´-`).。oO(美鈴は内門番だったのか
感動しました( ´ ▽ ` )ノ
8.100名前が無い程度の能力削除
素直に面白かったです。
続きも期待せざるをえない。
9.100名前が無い程度の能力削除
泣いた。
12.100名前が無い程度の能力削除
引き込まれるような良い話でした。
13.90コチドリ削除
続編、心待ちにしていました。

ロジカルよりもエモーショナル。紅魔館の主従に関しては「それでこそ」と、頷きたくなりますね。
贔屓を引き倒しまくるのがレミ様クオリティ、それで良し。それが良し。
切花を介した二人のエピソードも、とても微笑ましくて感動しました。

ところで『翠』『銀』での博麗女史は、ちょっと引いた感じの狂言回しというのが私の印象です。
切欠を与えたり波紋を広げたりはするものの、深いところまでは触れないような。
この立ち位置を『金』まで引っ張って『結』で大爆発、「博麗霊夢、完全復活!」みたいなシナリオだったらスゲー燃えそう。

物語がどのような展開を辿ろうとも、コンパクトでも長編でも、私は楽しみにお待ちしております。
14.無評価コチドリ削除
木を見て森を見ずの喩えがあるように、肝心要のストーリーを読込むことが疎かにならぬよう自戒はしているつもりなのですが、
やっぱり細かいことも気になっちゃうんですよね。作者様の参考になれば幸いです。

>今度は咲夜が眉をしかめ、もう一つだけ強く咳払いをする→眉はひそめて、顔はしかめるが一般的なようです
>自分のほうへ引くわけでもなく、さしとて突け離すこともない→さりとて突き放す?
>でもそれを求める相手が涎を垂らす同性というのは、いささか役不足だろうと霊夢は思った
 →〝役不足〟と〝役者不足又は力不足〟似て非なるものですよね
>湧いた感慨は以前の再開と同じ──やはり彼女も変わっていない→再会
>「見届けないまでは〝眠れない〟」→伏線や謎かけだったらごめんなさい。見届けるまではor見届けないままでは?
>お嬢様に会ったなら霊夢さんも感じたでしょう? どこよそよそしいんです→どこかよそよそしい
>紅魔館をやめるっていうのもまだ仮定の話だし、こればっかりは口を硬くしてもらわないと→口を堅く
>再開の握手とかいって手を差し出されたらもう最悪ね→再会
>無理に丸め込んだみたいだが、とりあえず関心は得れているようだった→関心は得られている
>妖精のも熱を失いつつあるこの場に興味を失ったようで→妖精達も?
>「本当に言ってるんですか?」→本心で?
>喉を潤す古酒の口当たりの良さと、酔いの手を引くアルコールが普段硬い口を滑らかにする→堅い口よりかは重い口?
>だがレミリアの手が僅かに早く、霊夢の手は所在なさげな面影を浮かべた→面持ち?
>霊夢は思った。どこに互いをつけ離すものがあるのか→突き放す?
>彼女の発言は確信を突いていますね→核心
>「この場を設けたのはお嬢様だよ。それはお嬢様の志向が気に入らないってこと?」→お嬢様の意向?
>向き合うべく場所に、レミリアは引っ張り出されたのだ
 →向きあうべき場所? ~と向きあうべくその場所に赴いた、とかならわかるんですが 
>平等を重んじ、公平を規すために開いた会合→公平を期す
>パチェにその手の本を借りて、綺麗に生けれるよう努力した→生けられるよう
16.100名前が無い程度の能力削除
実に繊細な描写と入り乱れる感情がびっしびっし伝わってきて幸せな胸の高鳴りが止まりません。
間違ってたら申し訳ないですが、パンにジャムを塗るレミリアの図というのは
幽香のいうところの咲夜の姿こそが質素なパンであり、そこにレミリアによって一匙のジャムが塗られることで、
つまり咲夜の求めるたった一言を言うだけで、実際に主人をたてる為に華美な服装を控えてもそうでなくとも
「宝石を身に着けた貴婦人の如く美しい彩りを得」られるんだよということなのかと想像して
なんかもうたまらなくなりました・・・!それからこのとき飲んでいた紅茶は描写から察するに
咲夜が霊夢と話していたときの香り重視の紅茶のことだと思うのですが、咲夜は主人を想いその茶葉を選びましたが
レミリアにとってはそれが重要なのではなく咲夜の手作りジャムを溶かしてこそ満足した様子。
そういう所に二人がお互い大切にしあっているのにうまく付き合っていけてない、
いい感じに(?)すれ違ってるというこのお話のキモが見えて悶えました。
それから文中のあちこちに散りばめられた「花」に関するキーワードが最後の1行に繋がって。
その笑顔と夜に咲く花はもうずっと一緒に咲き続けられるでしょう。
俺様レミリアなんてね・・・!もうね・・・!た、たまらん!長文失礼いたしました。
17.100名前が無い程度の能力削除
こんな当たり前の事をコメントしなくてもいいかと思ったが、やっぱりこれだけは言わせてくれ



感動した。
31.100名前が無い程度の能力削除
未完のままで終わらせるにはあまりに惜しい名作
投稿日を見るに望み薄な感じだが、できることならこの物語の行き着く先を見てみたいものだ

>「お、お前の料理、いいと思うぞ……っ!」
アカンお嬢様、それ離婚寸前でよりを戻そうと努力するおっさんの台詞や!
32.100名前が無い程度の能力削除
作者様がきっとこのコメントに目を通してくれると、願いを込めて。
いつまでだって続編を待ち続けます。
36.100名前が無い程度の能力削除
お嬢様がついに立ち上がったところでグっときた。目頭が熱くなりました。
美鈴、パチュリー、フラン、と紅魔館の各人も良かった。
前作『翠』もとても面白かったです。本当に未完であることが惜しいシリーズ。