Coolier - 新生・東方創想話

甘くないバレンタイン

2011/02/14 22:59:29
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 寒さが鋭利さを増してきた二月。外は曇り、自然と部屋の中も薄暗い。
 窓際の椅子にアリスは座っていた。ぼんやりとしている。彼女の持つ雰囲気と同調するように、部屋の空気も落ち着いたものだった。だが唐突にしてそれは氷解する。扉が叩かれた。アリスは疲れたように腰を上げると、今まで弄っていた手慰みを放り投げて、その来客を出迎えた。





「もうすぐバレンタインだな」

 家に上がりこんで早々、客がそう言った。

「外の世界の風習ね」
「なんだよ。せっかく私が閉鎖的なお前に、タイムリーな話を持ってきたのに」

 我が物顔で椅子に腰掛けている魔理沙。彼女は口を尖らせてそう言った。
 アリスは台所から珈琲の入ったカップを二つ運んで、テーブルに置く。ついさっきまで座っていた椅子に再び腰掛けると、アリスは手に収まる大きさの壺を手繰り寄せた。砂糖の入った小さめの壺。蓋を取ると、砂糖が底を突きかけていた。

「それで、今日はなんなの? 急に来て」
「だからバレンタインだなぁっていう話をだな」
「あまり興味をそそられる話題ではないわね」

 砂糖を加えた珈琲を啜る。

「なんだ、チョコレートあげる相手もいないのか?」
「異性の知り合いは少ないからね」
「同性に贈る習慣だってあるんだぜ?」

 魔理沙は砂糖壺を引っ手繰って、胸焼けがするくらいの砂糖を入れる。並々と注がれたカップはさらにかさを増し、口元まで運ぶのが危うい感じだ。魔理沙は少し首を捻ると、被っていた大袈裟な帽子を傍らに置く。そうしてテーブルに置かれたままのカップに口をつけて、少し減らしてから手に取った。金髪が揺れていた。

「チョコなんて男性だから喜ぶのよ。花なんていいじゃない。菜の花とか食べられるし」
「ロマンチックの欠片もないな。女は甘いもん好きだろ。ちなみに私も例外じゃない」
「なんて言って、去年チョコレート作って持って行ったら、あなた風邪引いて寝込んでたじゃない。終いには胸焼けするとか文句ばっか。今年は期待しないでね」
「ちぇ」

 ねだりに来る魔理沙こそロマンがないと思うのだが、内心、アリスは気が気ではなかった。突如として訪れた魔理沙に、隠す暇がなかったのだ。
 息を潜めて身を隠す、彼女に宛てたプレゼントを──。








































                ── 甘くないバレンタイン ──








































 アリスはその日、人里まで買出しに来ていた。魔理沙に渡すプレゼントの材料である。律儀というかなんというか、ここ数年は毎年何かをプレゼントしていたので、深い意味はないのだが今年もそれに倣うことにした。
 馴染みの店で手早く目当ての品を手に入れると、渡された紙袋を抱えて踵を返した。

「あれ、アリスじゃない」

 どきり──としてしまう。こういう時に限り、アリスは小心者だった。

「買い物?」
「まぁ、そんなところ。霊夢は?」

 尋ねると、何故か溜め息を吐かれた。中性的な顔立ちが疲れた色を見せる。

「魔理沙にせびられたから、何かプレゼントしようと思って。バレンタイン」
「ああ、そうなの。私もせびられたわ」
「でしょうね。やっぱりチョコがいいのかしら。アリスはどうするの?」

 無意識に、抱えた紙袋を隠してしまう。勘の鋭い霊夢だが、奇跡的にそれを指摘されることはなかった。

「考えてるところよ」
「そう、大変ね。霖之助さんも嘆いていたわ。どこの誰だ、女性同士でチョコのやり取りを提案したのは──って。可哀想だから霖之助さんにも何かあげるつもり」
「あの人は変わり者だから、チョコレートなんかで喜ぶのかしら?」
「そこまで面倒見ないわよ。あげたっていう事実を作っておけば、来月せびれるでしょ?」

 霊夢らしい物言いに、アリスは口元を緩めた。

「アリスも何かあげようか?」
「いいわよ。お返しが大変そうだし。神社を訪ねたときにお茶を出してくれるだけでいいわ」
「そお? それじゃもう行くわね」
「ええ」

 人混みの中に彼女の背中が消える。見送ってから、アリスは直帰するべく歩き始めた。

「そこの人形っぽい人ぉ~」
「…………」

 今日は厄日か──と、アリスは仕方なしに振り返る。呼んでいたのは珍しい組み合わせだった。鈴仙と妖夢が手を振っていた。

「……なに?」
「チョコレート教えてくださいよぉ」

 うさ耳のほうが言った。藪から棒だった。

「……カカオを原料として、砂糖、ココアパウダー、粉乳などを──」
「あっ、いや、そうじゃなくてですね」

 小さいほうが言った。面倒くさかった。

「チョコレートも作れないの?」
「作れるわよ! それくらい楽勝だわ!」

 何故か急に鈴仙が居丈高になる。さっきまでの教えを請う殊勝さは作り物だったらしい。

「あ、いや、今のはモノマネです。彼女の」

 妖夢を指す。だがそこは良識のある妖夢、別段反論することなく話を進める。そんな彼女にアリスは好感を持った。

「毎年作って渡してはいたんですけど、どうにも飽きられたらしくて。変わったチョコレートを食べたいと申されるんです」
「私、そんな不可思議なチョコレートは作れないわ」
「魔理沙に聞いたらね、あなたのチョコレートは舌が首を傾げるくらいに美味しいっていうの。まだバレンタインまで日もあるし、時間を見つけて教えてくれない?」

 初めて聞く褒め言葉だった。
 その言葉を聞いて、アリスは邪推をしてしまう。こうして二人をけしかければ、否が応でもチョコレートを作るだろう。そうなってしまえば魔理沙のもんだ。ついでであれ、なんであれ、アリスが自分のためにチョコを作るのではないか。彼女ならやりかねないことである。
 鈴仙のお願いに対して、だがアリスは首を横に振った。魔理沙の思惑に乗るのが面白くなかったのだ。

「そうですか」
「なによ、もうっ」

 同じような主人を持つ二人は、尚も徒党を崩さぬままアリスの前から去った。

「……浮かれてるわね」

 アリスが呟いた。続きはこうだ。

「男性に贈るイベントで浮かれるなら分かるけど、同性に渡すのにこの始末じゃ世も末だわ」

 呟いた言葉はしばらくして自分に返ってきた。別段、浮かれているわけではないと思うが、心がざわついていることをアリスは自覚していた。
 紙袋を握り締めて、アリスは足早に人里を後にした。




















 バレンタイン前日の夕方、外は大雨だった。地面を叩くような強い雨、急に降り出した雨だった。風も強い。激しい雨音が、けれども物静かなこの部屋には賑やかに響く。今日も部屋は薄暗かった。
 アリスはプレゼントの仕上げをしていた。もう少しで完成だ。一息入れようと珈琲を淹れる。砂糖の入った小壺を取り、少し加えた。いよいよ底が見え始めていた。
 お気に入りの窓際の椅子に腰掛けて、珈琲を啜る。湯気が季節の寒さを物語っていた。窓の向こうは灰色で、雨の勢いは衰えを知らない。アリスは珈琲カップを置いて、瞳を閉じた。
 ちょうどこんな日だった。アリスの意識は、去年の明日に飛んでいた。





 去年のバレンタインデー。残念かは分からないが、その日は大雨だった。昨日も雨だった。この数日は雨が続いていて、やはり寒かったのを覚えている。
 アリスは紙袋と、傘を手に取って外に出た。魔理沙へのプレゼントが入っている紙袋。それを持って出たということは、行き先は彼女の家だった。

 足元で水が跳ねる。紙袋に染みができないよう、アリスは大切に抱えていた。一方の手には傘。雨の向きに合わせて、器用にそれを傾ける。ただでさえ湿っぽい魔法の森は、連日の雨で余計に湿っぽい。じめじめとした心地悪さを感じながらも、水溜まりを踏まないように気をつけてアリスは小走りした。

 魔理沙の家の軒先に入って傘を畳む。大き目の傘で助かった。肩こそ少し濡れてしまったが、概ねプレゼントへの被害はなかった。
 家の扉の前に立つ。アリスは自分の服装を見た。走ったことで、少し着崩れしていた。それを整えたのにも深い意味はなく、だらしない格好で笑われるのが嫌だったからだ。髪も僅かに乱れていた。手櫛で軽く流す。湿気の強い空気にさらされて、少ししなやかになっていた。

「んぁ……?」

 扉を叩くと、だらしない顔の魔理沙が出迎えた。笑えるほどには面白くなかった。

「あぁ、アリスか」
「チョコ持ってきたわよ」
「……そういえばバレンタインか。忘れてたぜ」

 あっけらかんという。アリスは眉をしかめた。魔理沙にねだられたのを覚えていたからだ。

「とりあえず中に入れてよ。寒いわ」
「あー、うん。私は構わないけど、実はちょっとな……」

 咳き込む魔理沙。わざとらしくは見えなかった。

「熱っぽいんだ。昨日辺りから。それでもいいなら入っていいけど、うつるかもしれないぜ?」
「……大丈夫よ。私ってば人間とは少し違うんだし」
「そうか。実は寂し……いや、退屈だったんだ。話し相手ができて良かった」

 家に上がる。埃っぽいのは相変わらずだった。しかし、思いのほか整頓はされている。場所が悪いのだ。日の当たらないここは風通しも悪い。余程こまめに掃除をしないと、この埃っぽさは消えないように思える。

「身体を冷やすと風邪を引く……あれって本当みたいだぜ。ちょっと調子に乗りすぎたかな」

 彼女が反省を口にする辺り、相当参っているようだ。部屋は暖かいが、薄っすらと汗ばんでいるのはそのせいだけではないだろう。

「雨の中、外を飛び回ったりしたの?」
「そこまで馬鹿じゃないさ。ちゃんと傘は差してた。でも少し薄着だったな。厚着は動きにくくて嫌なんだ。でも考え直すことにしたぜ。最近の冬はすごく寒い」

 勝手を知ったように、アリスは椅子へと腰を下ろした。魔理沙も同様。ただ、お茶が飲みたいなら自分で淹れてくれと言っていた。

「いいわ。熱があるなら長居もあれだし」
「別にいてくれても構わないんだがな。そっちさえ構わないなら」
「無理しないで寝なさいよ。変に長引かせちゃ毒だわ。さっさと治しなさい」
「母親みたいだぜ。それじゃ〝お母さん〟何かご飯作ってくれよ」
「……お粥でいいわね?」
「あぁ。美味しければな」

 アリスは立ち上がる。そのとき、足元に置いていた紙袋につま先が触れて、小さく音を立てた。

「これ。チョコレート」

 ぐったりしている魔理沙に、それを差し出す。彼女は受け取ったものの、ゆっくりとそれをテーブルに置いた。

「……ごめん。今、甘いもんは……」
「それもそうね」

 その言葉にショックを受けるような繊細さはなかったが、アリスはハッ──とした。熱があり、汗を掻いているのだから糖分よりも塩分を欲しがるのは当然のことだ。それくらい分からない自分ではない。にもかかわらず、自己主張をするように紙袋を差し出した自分が少し恥ずかしく思えた。可愛げがあるといえばいえなくもないが、アリスはそこまで図太くない。
 ただやはり、せっかく作ったのにと思う気持ちは少なからずあった。

「ごっほ、けっほっ……。あぁ……」

 咳き込む魔理沙。記憶に残っているのは残念がる気持ちよりも、彼女の辛そうなその顔だった。




















 朝起きると、雨はすっかり止んでいた。嘘みたいな快晴だった。アリスは寝ぼけ眼を擦りながら、布団から這い出る。
 今日はバレンタインデー。ついに来たかという感慨よりも、先に感じたのは驚くほどの寒さだった。年を追うごとに冷えてる気がする。刺すような寒気だ。それから逃れようと、とりあえずは台所で珈琲を淹れた。
 いつもは熱く感じる珈琲カップも、今日の寒さでそれは優しい。テーブルに置いて、椅子に座る。砂糖壺を取って蓋を取ると、ついに中は空になっていた。買い置きもない。人里で買ってこなければならないだろう。アリスは砂糖抜きの珈琲に口をつけた。苦かった。だが苦いのは嫌いじゃない。砂糖を入れだしたのは魔理沙に勧められてのことだ。アリスはこの苦味が嫌いではなかった。
 一息に飲み干して、珈琲カップを置いた。それとは別に、テーブルに置かれているものがある。紙袋だ。中にはプレゼントが仕舞ってあり、それは魔理沙に宛てたものである。今日、これを渡しに行くつもりだった。
 アリスは眠気を追い出したあと、寝巻きから普段着に着替える。紙袋を取り、玄関の側にかけてある外着を羽織って外に出た。





 外は一段と寒かった。吐く息が凍るように白く濁る。
 アリスも魔理沙のことはいえず、厚手の服というのはあまり持っていなかった。彼女は出不精である。冬となれば尚更だ。だから彼女にとってバレンタインとは、少なからず寒い思い出だった。

 魔法の森の道を行く。地面には水溜まりができていた。それを踏まないように歩き、魔理沙の家を目指す。いつかの記憶と重なった。今日はあの日よりもずっと寒かった。

 魔理沙の家が見えてきた。彼女は家の周りに物を置くので、昨日の風雨でだいぶ散らかっていた。雑草か何かはぐしゃぐしゃにそこらを汚し、バケツやなんやらの生活用品も転がっていた。
 アリスは扉の前に立った。服装も髪も、歩いてきたので乱れていない。扉を手の甲で軽く叩いた。返事こそないものの、足音が近づいてくる。

「はい?」

 扉を開けた彼女は黒髪だった。魔理沙ではない。霊夢だった。

「あら、アリス。あなたも魔理沙に貢物?」

 嫌ないい回しだったが、あながち違うともいえない。霊夢は続けてこういった。

「私も持ってきたんだけど、魔理沙、留守みたいなのよねぇ」
「留守?」

 霊夢は身体をどけて、家の中が見えるようにしてくれる。アリスは視線をめぐらせるが、どうやら本当に留守のようだった。

「鍵かかってなかったから中で待ってるんだけど、アリスも一緒に待つ? ちょうど一人で退屈だったのよねぇ。一回帰ってまた来るのも面倒だし、物だけ置いていくのも癪じゃない? 何かお返しもらってかないとね」
「そう……」

 霊夢がどうする?──と尋ねてくるが、アリスはかぶりを振った。 

「いいわ。別にどうしても渡したい物じゃなかったし、いないならいないで、魔理沙が悪いわけだし」
「それもそうねー。私も帰ろうかしら」

 抱えた紙袋が、くしゃりと音を立てた。別にどうしても渡したいわけじゃない。約束だってしていない。ならば別にいいかと思ってしまう。
 アリスは薄黄色の髪を揺らして、その場をあとにした。





 家に帰る途中、あることを思い出した。砂糖を切らしていたのだ。せっかく外に出たのだから、この足で人里に向おう。そう思って彼女は家路から外れた。
 
 人里の店で砂糖を買う。量は多くない、小ぶりに包装された砂糖を選んだ。誰かを招くことも少なく、気ままな独り身ではこれで十分。だが一つ問題があった。小さなそれは紙袋に入れて渡されたのだ。取っ手のある袋をもらってもよかったのだが、変なところで口下手な彼女はそのまま受け取った。
 彼女は魔法の森へと歩を向けた。プレゼントの入った紙袋と、砂糖の入った紙袋がやけにかさばる。両手にそれぞれ持てば楽なのだが、それは少し不恰好だろう。片手に両方を持つのも手が疲れる。だから胸に抱えることにしたのだが、これはこれで神経を使った。

「……さむっ」

 吹いた風にさらされて、今日の寒さを思い出した。手がかじかむ。寒さを嫌うように首元が震える。早く帰ろうと思って駆け出せば、抱えた二つの袋が邪魔をした。

「…………」

 逡巡するように片方の袋を見た。プレゼントが入ったほうだ。風が吹いて、散った葉が地面に不時着するほどに時間をかけて、なにやら考え込んだ。やがて砂糖のほうの紙袋を腋にはさみ、プレゼントのほうの紙袋を手に取る。味気ないテープの封を破り、中から渡すはずだったプレゼントを取り出した。

「……上出来じゃない」

 中から現れたのは赤いマフラーだった。暇を見つけてはちょくちょくと編み続け、つい先日に仕上げた手編みのものだ。アリスはそれを自分の首に巻き、しばらく棒立ちする。暖かかった。先ほどと比べればとんでもない差だ。
 空になった紙袋をくしゃくしゃに丸めて、ポケットに仕舞う。それだけで随分と動きやすくなった。さらには暖かいと一石二鳥だ。
 アリスはそのまま歩き出す。強い風が吹いて、巻いたマフラーが大きく靡いた。道にできた水溜りに自分の姿が映る。似合っていなかった。魔理沙に似合うように編んだのだから当然といえば当然だった。どんな空にも映える鮮やかな赤色に、両端には大きな星柄を一つずつあしらえてある。自分には派手すぎるとアリスは思った。
 構わずアリスは家路を目指す。まだ人里の中だ。時折人とすれ違うが、変なように見られてないか心配だった。昨日の雨を物語る水溜りがあちらこちらにある。それに自分が映るたび、映った自分が視界に入るたび、渡せなかったプレゼントを自分で使う滑稽さが身に染みた。
 段々と喧騒が遠のいていく。人里の外れまできた。もう誰に会うこともなく、家に篭って今年の今日は終わりを迎える。空しさはあるものの、それ以外の感情はなかった。────次の瞬間までは。

「あっ」
「え……?」

 左手から誰かやってきた。短く届いたその声は、アリスにとって聞き慣れたように響いた。顔を向ける。髪が揺れて目が合った。自分と似たような髪の色。霧雨魔理沙が立っていた。



















 魔理沙は何故かばつが悪そうな顔をしていた。

「あ、アリスじゃないか」

 ゆっくりと近寄ってくる。手には何かが握られていて、アリスは何気ないふうを装ってそれを見る。────花束だった。菜の花の花束だ。『菜の花』……何故か記憶に新しい単語だった。

「……うん? 珍しいな」

 首を傾げる魔理沙を見て、アリスはハッ──とした。首元に触れる。毛糸の感触があった。マフラーだ。渡すはずだった相手を目の前にして、自分がそれを使ってしまっている。今度はアリスがばつが悪くなった。

「霊夢が──」

 だからか、間を繋げるだけのどうでもいい言葉が出た。

「霊夢があなたを探してたわよ」
「そうか」

 当然の如く会話は長続きしなかった。お互いに気になっているのはそんなことじゃない。


 ──酷く浮いている彼女の首元。

 ──酷く不釣合いな彼女の手元。


 それだけだった。ただお互いに、尋ねる理由がなかった。きっかけがあれば何か違ったかもしれない。けれど喧騒を遠くに置く里の外れで、そんなきっかけを期待するのは無駄なことだった。
 しかし状況は、一方の少女の中でのみ大きく動いた。アリスだった。あることを思い出して、だがそれを飲み込む。少しだけ遅かった。もう少し早ければ、自然と切り出せたかもしれない。
 




 アリスが何事かを思い出したとき、二人は既に並んで歩いていた。魔理沙も家に帰る途中だと言ったからだ。独特の湿っぽさが、魔法の森が近いことを教えてくれる。
 アリスは付いた泥を払うように、記憶から曖昧さを取り除いていく。特に意識して言ったことではなかったのだが、いつかの曇りの日、自分は菜の花がどうのとか言った気がする。……鮮明さが増してきた。あの日、確かに言った。バレンタインなんて──と、茶化すために選んだどうでもいい言葉だった。しかし、魔理沙は気に留めてしまったのかもしれない。ならばあの花束は自分のために? 好都合に考えればそういうことになる。
 しかし、アリスはその考えを打ち消した。信じられなかったということではない。彼女の根っこの部分には、そういった優しさがあることを知っている。だがその考えはあまりにもくすぐったかった。頬が緩む。だから根拠もなく、そんな想像をすることが彼女にははばかられた。
 魔理沙も魔理沙で、彼女はらしくもなく大人しかった。その間も、手の持つ菜の花は揺れていた。強ばった肩が緊張しているような印象を与える。アリスの好都合な想像に拍車がかかる。だがやはり、アリスはそれを鵜呑みにはできなかった。
 魔理沙は何とも思っていないのだろうか? アリスは自身に巻いたマフラーを気づかれないようにそっと撫でた。魔理沙が自分に宛てたものだとまでは思わなくても、アリスには似つかわしくないくらいの感想は持っているのではないか。
 実際のところ、お互いに気になりつつも言及できないというのが現状だった。それが自然にできたのは少し前のことで、こうして並んでいる今はもう遅い。出会い頭に言葉がなかったのだから〝何も気になっていない〟素振りを貫かなくてはいけなかった。


 ──くちゅんっ。


 可愛らしい音がした。アリスが隣を見れば、魔理沙が鼻を啜っていた。くしゃみをしたことがすぐにわかる。わかったからこそ、アリスは軽い苛立ちを覚えた。
 隣で静かにしている魔理沙の服装を見る。決して薄着とは言えないが、けれども今日の寒さを考えれば満足な服装とも思えなかった。去年のことをもう忘れたのか。体調を崩し、数日は布団の中で過ごしただろう去年の今日を。
 アリスはその日のことを思い出していた。





 台所から戻ると、お粥を食べ終えた魔理沙が布団を被っていた。アリスは傍らに寄り添い、様子を見る。魔理沙は盛大に被った布団から、もぞもぞと顔だけを出した。普段は達者な彼女の口も、その日だけは大人しかった。なんだかんだで辛かったのだろう。しばらくは寝たフリかどうかという彼女だったが、気がつけば寝息を立てていた。
 造りの良い眉を隠す、彼女の前髪に指で触れた。さらりと流れる。寝ていることで無意識だからか、少し前に見た彼女よりも辛そうな表情をしていた。

「まったく……」

 アリスは心配と苛立ちの二重苦を抱えていた。こんな顔を見に来たわけではない。何かを贈るからには、期待する表情というものがある。ただそんな苛立ちよりも、遙かに案ずる気持ちのほうが勝っていた。どこか妹の範囲を出ない彼女。苛立ちの中には愛嬌があるが、心配する気持ちの中にはやはり心配する気持ちしかない。
 視線を傍らのテーブルに移す。ぽつん……と置かれた紙袋が寂しげだった。中身はチョコレート。特別足が速いというわけでもないし、元気になったあとで食べてくれるだろう。アリスの視線はすぐに魔理沙へ戻った。
 熱のこもった息。上気した肌。異性の目には艶めかしく映ろうとも、アリスにとっては心配を煽るだけの光景。胸に、小さな棘を打ち込まれたような痛みを覚えた。
 そしてその日、アリスはあることを思いついたのだ。





 アリスは思い出した。一緒に歩く魔理沙との歩調が乱れるくらい、大切なことを思い出した。しかも二つ。どちらも重要なことだった。
 一つは根本的なことだ。アリスがしているマフラー、それを編んだ理由だ。厚着が嫌いだと言っていた魔理沙。わからなくもない言い分だが、それで風邪を引いては駄目だろうとアリスは思った。ならせめてマフラーだけでも──去年の今日、アリスが思ったことである。もし次の機会があるのなら、チョコレートではなくてマフラーをあげよう。そう思いついて、バレンタインの一ヶ月前から黙々と編んだマフラーこそが、今アリスを暖めているそれだった。


 ──くちゅんっ。


 また可愛らしい音。くしゃみとともに菜の花も揺れる。魔理沙は眉をしかめながら、次には振り向いた。自分の少し後ろのほうで、アリスが立ち止まっていたからだ。

「ん、アリスどうした?」

 一歩、二歩。魔理沙はゆっくりとアリスに近づいていく。友人だからこその自然な動作。そこに警戒などあろうはずもなく、だからこそアリスのそれは不意打ちだった。

「……っ?」

 魔理沙の足が地面に下ろされる瞬間を見計らって、アリスは大きな歩幅で彼女との距離を詰めた。スキップのような歩調。タンッ、タンッと素早く二歩詰める。逆に魔理沙は、踏み出した足へと既に重心を預けているため、それが地面に触れるまでは動きが利かない。刹那の間に、アリスは魔理沙の懐へ飛び込んだ。魔理沙の足が、今更ながらに地面をつく。瞳に映る自分が確認できるほどに、アリスの顔が近くにあった。
 それはアリスも同様だ。魔理沙の瞳の中に自分が見える。赤いマフラーをしていた。だが数度の瞬きの間にそれは消えた。砂糖の紙袋が地面に落ちる。首元の温もりが薄れ、毛糸の感触は面影に変わった。

「あなたは私と違って風の子なんだから、暖かくしなくちゃダメでしょう?」

 魔理沙はキョトンとしていた。そんな彼女に、アリスは優しくマフラーを巻いてあげる。やはり似合っていた。けれども魔理沙は釈然としなさそうにして、半口開きの口から短く息を漏らした。

「……あ、あれ?」
「風邪なんか引かないように、そのマフラーをあげるわ。毛糸は良い物を使ったから暖かいでしょ?」

 言って、アリスはゆっくりと魔理沙から離れた。今の台詞を聞いて、魔理沙は首元のマフラーが手編みであることを理解した。確かに暖かい。毛糸が良いから?──違う。彼女の体温が残っているから?──それもあるが全てじゃない。
 魔理沙は肩から垂れるマフラーの端の部分を見た。やはり、見間違いではなかったのだ。色こそは似合っていたものの、大きなその柄はアリスに対して違和感があった。それが星柄となれば、否が応でも期待してしまう。そしてアリスはその期待に応えた。

「あ、ありがとう……」

 魔理沙が呟くような声で言った。アリスは柔らかい笑みだけでそれに応えた。
 アリスが思い出したもう一つのことは、菜の花についてだった。今日、少し前、アリスがマフラーを渡そうと魔理沙の家を訪れたときのこと。昨日の暴風暴雨で、彼女の家周りは相当散らかっていた。そこらの雑草か何かがくしゃくしゃに広がり、バケツやなんやらも転がっていた。そしてそんな中に、黄色い花のようなものがあったことを思い出したのだ。かろうじて〝数本〟と数えられる、花だったかもしれない何か。バケツのふちに付いていた、黄色い花弁。おぼろげだが覚えていた。
 菜の花は二月に咲き始める。花屋に並ぶかもわからないこの時期に、広い幻想郷を相手に探したのでは時間がかかる。魔理沙もそう思ったに違いない。彼女はなんとか咲いている場所を見つけだし、前日に摘んだそれらをバケツに入れて、翌日に渡そうと考えていた。水を張ったバケツはもちろん屋外に。しかし、それが災いした。その日の夜は嵐だったのだ。夕立かと見送った雨音は、しかし次の瞬間には怒号となって世界を叩いた。さらには唸るような激しい風。魔理沙がハッ──としたときには遅かった。菜の花はあられもない姿になっていた。
 雨が上がっていることを確認すると、魔理沙は朝一番に家を飛び出して菜の花畑に急いだ。昨日の荒れた気象のせいで、畑の菜の花もほとんどがくたびれてしまっていた。しかし、魔理沙は妥協しなかった。自分の家に飾る花ならば、適当に摘んで満足しただろう。だが今欲しているその花は、人に贈る花なのだ。彼女は広い畑を何度も往復し、比較的元気な花たちを選んで摘ませてもらった。そうしてできたのが魔理沙の握るその花束だった。

「……あ、あの」

 目の前の彼女は、突然のプレゼントによる困惑が未だに消えていないようだった。バケツについていた花弁を思い出せば、なんとなく事態は察することができる。不器用な彼女のことだから、いろいろあったんだろうなぁ──とアリスは思った。

「…………」

 そして魔理沙は、自分が手にしている菜の花の花束をじぃっと見た。逡巡するような面持ち。だが次にはそれを、ぶっきら棒に突き出した。



「…………い、いる……?」
「うん。ありがとう」



 混じり気のない笑顔でアリスが受け取る。今日、彼女は菜の花が好きになった。


赤いマフラーを巻いて~♪……いや、なんでもないです。

甘くないけど暖かいよ! 甘くないけど綺麗だよ! そんなお話。

つい数日前、今日という日を何気なく思い出し、カタカタとキーボードを叩いた次第です。
いやはや、縁がないイベントとはこれほど綺麗に忘れられるものなのか……。
松木
http://
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コメント



0.790簡易評価
3.80名前が無い程度の能力削除
こういうマリアリも良い。
7.90名前が無い程度の能力削除
これは・・・・微糖ですね 実にいい
21.100名前が無い程度の能力削除
心温まりました
良いなあこれは