Coolier - 新生・東方創想話

彼岸の橋

2011/01/10 01:12:48
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 とん、とん、と軽快な足音が地底を鳴らす。鼻歌混じりに人魂を引き連れ、大きくはだけた胸元を揺らしながら。
 ひどく黴臭い湿気が、後ろ手に持つ鎌を撫でる。ふわりふわりと踊る人魂の群れの中は生者には少々寒く、黴臭さと相まって、陽の元とは比べるべくも無いほどに過ごしにくく。
 されど揚々と歩を進める死神に、それを厭う心は無い。もとより人ならぬ、妖怪ならぬ神の切れ端。加えて常々死者を集めては運ぶことが生業である。三途の川の辛気臭さと、運ぶ人魂の数を考えてみれば、船と違って地に足が着いた分、地底なぞ遊歩道と言っても差し支えなかった。
 ひょいと跳べば足元崩れ、くるりと回れば霊が湧く。ついには笑いもこみ上げてきて、あははと鎌を振り回せば人魂が困って逃げ回る。なにせ刃物は死神の鎌。人はさほどでもないが、霊やら魂にはまな板いらずの鬼包丁であるからして。

「やあやあ死神様。今宵も晩酌、とんちを利かせにいらしたかね」

 くるりくるりと回る赤色括り髪。赤い風車を地底の天井から見下ろす蜘蛛の声は、半ば呆れと賞賛が混ざり合う。
 死神がやあ、と返事をすれば、するすると糸を垂らして降りてくる。お互い初対面にはほど遠く、加えて気心知ったる者である。互いの性質からか、軽口を叩き合うのに丁度良い。何より死神は毒では死なぬし、虫に宿った一寸の魂も無為には摘まぬ。

「楽しく飲みに来たのさ。馬鹿と飲むのは楽しいからね。なに、下の縄張りまで行こうってことじゃ無いよ。どうぞお通しくださいな」
「や、あんたも好きだね。私は門番じゃあないが、アレにぐちぐち言われるのは私なんだ。あいにく今日は杯を洗っていなくてね、監視に付くことも出来ん。いや残念」

 慇懃無礼な死神のお辞儀は中々堂に入っている。まるで閻魔様に平伏する、生真面目な死神のようである。
 その願いを受けて蜘蛛もなかなか、両手を組んで鼻を持ち上げ、息で鳴らして答える姿は随分と偉そうにしている。しかし残念との答えに嘘を交える気はないようで、器用に口元をヘの字に曲げる。チラリと死神を見つめた目は、同じく上目に蜘蛛を見つめる瞳とピタリと合って、二人同時に噴出した。
 そんな小芝居の間もゆるゆると歩は進む。二人は隣り合い、時折手を入れ足を入れ、歓談は進む。寂しげな地底の道に笑みと声が響く。
 薄暗い地の底へ続く暗闇を、魂の灯りが照らしている。灯りが満ちる。光ではなく、二人の笑顔と歓声が暗闇を照らしている。

「ははあ、つまり今日もサボって酒をかっくらいに来た訳だ」
「いやいや、勘違いなさらないでおくれ。幽霊さんがジメジメした地底に行っちまって、あたいはそいつをわざわざ追ってきた職務に大変熱心な死神様よ」
「ははん、地上の幽霊さんはさぞかしカラカラに乾いた所に住んでいらっしゃるんだね。毎日毎日地底が恋しくなるとは、三途の川で水でも汲んでいってやりなよ」

 くつくつと手を叩いて笑いあう姿は、長年の友人であるかの如く。幾度も繰り返されるやり取りは、幾度も同じ言葉を繰り返す。互いに長く長く生きるがために、変わらぬ友とのやり取りを好むために。
 カツリカツリと下へと進む。音は一層響くようになり、二人の歓声は壁に当たっては何度も何度も返りだす。奥へ奥へと彼女らの進む道を作るように、先へ先へと居る人の耳を打っていく。
 やがて束の間30分ほどであろうか、談笑の道は地底の先に、世を越える橋の先へと辿り着く。
 ととん。今日この時まで、出会い頭からひとたびも途切れようも無かった、軽快なリズムがピタリと止まる。にこやかな笑顔をそのままに、蜘蛛に死神、橋に足をかけるほんの寸前に足を揃えて待ち並ぶ。

「さて、私はここらで失礼するよ。恋も病もござれだが、妬み僻みの粘つく糸絡みは、ちょいと渡るにゃ日が悪そうだ」
「強く補強したのは誰の声さね。やうやう白くなり行く山際と言うが、近寄るほどに黒く淀む橋際ってのは、あんたの声が毒だったんだろ」

 ふわりふわりと白く漂う人魂も、橋の先にはお先が暗い。架かる木橋の床板はほんの一足分、かろうじて木目らしき物が見える。しかしその先橋の先、粘つく黒煙が一切を覆い隠し、二人の視界をおどろおどろしく染め上げている。

「や、おふざけなさらないでおくれ。ちょいと今日は恐ろしい。蜘蛛が絡め捕られちゃザマないだろう」
「糸ねぇ。相変わらず現世ってのは、しがらみ切れぬ愚か者の集まりか。ちょちょいと切って逃げちまいな。逃げる手段は準備しとくよ」

 死神はくつくつと笑う。一切畏れず恐れもせず、眼前の凶兆の幕に手を伸ばし、妬み僻みの橋蜘蛛の巣を愛おしそうに撫でている。それを少々引き腰に、一つ間違えればたらりと冷や汗流れるやも知れぬような苦笑いの蜘蛛一匹。もはや冗談に乗る気も少ないと見え、じりじりと足元がにじり下がっている。
 それもそのはず、いくら毒蜘蛛と言えど、呪詛の毒は門外漢であるからにして。見ているだけで恐怖にまみれ、吐き気に目眩の呪詛溜まり。現世の呪いの集成を前に、とてものほほんとしては居られない。

「じゃあさようなら! いや残念だ、今度はまた、アレの悪いのが抜けきった後で杯を交わそうじゃないか」
「ああ、忙しないね。俗世の粘っこい糸を吐き出して、スッキリしてからまたおいで」

 さらば、と手を振り走り去る蜘蛛の足は存外速い。死神が首をぐるりと曲げた次の間には、すでに黒い点、蜘蛛の子よりも遥かに小さくなっていた。
 やれ、と死神は溜息一つ。冥界の住民からすれば、地上から忌み嫌われる地底でさえも、どうにも自身以外の汚濁を嫌う。生を謳歌するのは良いことだが、他を振り払うは悪の業。もっとも死神の仕事はただの船頭、説教などはお断りよ、と軽く頭を振り振り一つ。
 雑念を払うために頬をぱちんと叩き、後ろ手に握っていた鎌を振り上げる。右手一本で掲げ持ち、垂直に雄雄しく立つ鎌はまるで断頭台の如く。しかし人好きのする笑みを顔に付け、声を張り上げ物申す。

「橋姫や、妬み恨みのその怨念、まったく見事な物なれど、あいにくこの刃は彼岸の未練断ちよ。加えてこの身は現世に在らぬ、妬める物なら妬んでみるといい。さあさ、酒をば用意しな! 今宵のあたいは、甘口好みさね!」

 ゆらりと揺れる鎌の刃は、ゆらゆら漂う人魂の輝きを受けて妖しく光る。今このときに到るまで、現世にしがみつく霊の未練を断ち切ってきた大鎌は、死神の手をぐらりと落として暗い呪詛を切り裂き橋を裂く。
 橋姫の呪いは現世にて他者を覆う。現世の汚濁を越えた先、冥府に生きる死神には、気分の悪い汚れにしかならず。あっさりと寸断された呪詛の固まりはぶるぶると震え、川の流れに消え去った。
 橋を覆う呪詛の闇は消え去った。やがて地下の奥の奥、橋の向こうのずっと先に、暗い都の賑わいの灯が死神の目に映る。そして何よりその遥か手前、橋の真ん中その手すりに体を預け、俯き座る女性の姿。それを見つけた死神は、にやりと得意げな笑みを浮かべて歩み寄る。

「やあ橋姫の方、今宵の酒は甘口だろうね?」
「ああ妬ましい。友と語らい肩を並べるその姿、妬ましいわ」

 一歩一歩と足音軽く近づけば、立てた膝にうずめる口から流れる、呪詛の声。しかし死神は近づくたびに纏わりつく、如何ともしがたい気味の悪さに構うことなく、どっかりと橋姫の隣に腰を下ろしてはだけた胸元から杯を一つ、二つと取り出した。

「へへへ、燗にゃあ温いが人肌だ。冷酒なら一際冷たく、燗なら体が余計に火照る。一挙両得の杯さ」
「前から来るのは楽しげに。後ろの都は騒がしく。私は一人、橋の上で誰を待つ?」

 死神の体は欄干に預けられる。古びた橋は常の静寂の中、守護者の声を受けて黒々とした色に染まりつつある。しかし死神も慣れたもの。軽く握った拳でこつんと橋を一打ちすれば、蜘蛛の子を散らすように怨念は霧散する。そして橋姫も慣れたもの、ギリリと歯を鳴らしつつ、隣に座る死神に無駄を重ねる呪詛を吐く。
 呪詛に祓いを繰り返す。幾度も幾度も繰り返し、およそ一時間も経った頃、顔を伏していた橋姫の顔がようやく上がる。
 橋姫の顔に悲しみに暮れているような涙は無い。それも当然のこと、妬み恨みは橋姫が橋姫たるものであるがゆえ。それどころかどこかすっきりと、少しだけ表情も明るくなったようにすら見える。
 その様子に、はん、と鼻を鳴らして死神は手を伸ばす。くしゃりと触る手の平の下に、癖のある金の髪を敷いてぐにゃぐにゃと撫で回せば、橋姫は目を細めて為されるがまま。

「お目覚めかい。まったく、ストレスってのは発散してしかるべきものだけど、道を塞いでちゃどうにもならん。ヤマメも今のお前さんじゃ飲みに誘えんって嘆いていたよ」
「……ふうん、別にいいわ。お酒は人と飲めば美味しいって決まっているわけじゃないし」

 撫でる手は止まることなく動き続ける。また少し伏せた顔を隠すように、潤んだ瞳を隠すように。
 
「なんだい、誘って欲しかったのならどうだい。今からヤマメあたりを呼んでこようか。さてさて」
「ちょ、ちょっと待って!」

 死神は立ち上がる。ついに鼻をすすり出した橋姫の姿に、思わず歪んだ口元をまなじりを隠すように。しかし橋姫は歩きかけた死神の足に慌ててすがり付き、うるうると震える瞳で死神の豊満な胸元を見上げている。

「うん、どうしたね。お前さんもその方がいいんじゃないのかね」
「いやその、お酒二人分しか無いし……ちょっと、恥ずかしい」

 またも伏せてしまった顔は、あいにくと死神の目に映ることは無い。しかし、耳まで染まった赤の色は。思わず笑う死神の声に、橋姫は余計に赤く赤く。
 死神は再びドカリと腰を据え、無造作に橋姫の肩を掴んで抱き寄せた。

「いいさ、だったら二人で飲もう。私が酔って潰れても、介抱してくれるんだろう」
「いいけれど、飲みすぎて私に迷惑かけないで頂戴ね……」
 
 言いながら橋姫の顔に嫌悪の欠片も見当たらず。つい、と脇から徳利を取り出し、体を預けながら杯に注ぐ仕草は乙女のそれか。ぐいぐいと杯が空けられるたび、死神の顔はだんだんと鬼灯のようになり、片腹の中でしなだれかかり、ぼうと見詰める橋姫も赤く赤く。目も潤む。
 妬みは湧かぬ。現世に在りて世を厭う橋姫の妬み恨みも、彼岸の方には対岸の火事。この世に生きる者を妬みこそ、彼岸のこの死神、妬みが生まれるはずもなく。思えば幾度も共に酒を嗜む蜘蛛でさえ、何度妬み恨んだことか。今日も今日とて、かの人を妬むが故の呪詛の山となる始末。そんな自分を、強く包みこむ死神が救ってくれた、などと言いはせぬ。
 気まぐれに寄って来て、気まぐれに飲むようになった、それだけのこと。ほうら、それだけのこと。

「ちょいと、私に注がせるばかりでなくて、注いでくれる?」
「ん、おおう。ほら飲みな」

 つい、と出されるは飲みかけの杯。ぎょっとして返し見る橋姫に、死神はいやににやつく顔で返す。空いた手は忙しなく、染まる耳を撫で付ける。
 ええい、酔っ払いめ、と思っても何せ酔っ払い。仕方があるまいと身を任せ、一息に杯を傾ければ湧き立つ香りが鼻から抜ける。

「いい匂いじゃないか」
「っ、この、酔っ払い!」

 ベチン! と投げた杯は、お見事死神の頭を響き打つ。しかしケラケラと笑う死神のこと、赤い顔でもう一つの杯をひったくり、さあとばかりに掲げ持つ。妬むことも出来ぬ橋姫に出来ることはといえば、あとは赤い顔のまま、徳利を傾けるばかり。
 
 空いては傾け、幾度もなく。やがて一時間もすればのち、死神の笑い声も静まりかえり、橋に寝息が立ち登る。

「ねえ……寝ちゃったわけ?」

 強く強く掻き抱く力は橋姫一人では抜けられぬ。たとえ寝ていたとしてもこの力、体勢すら変えられぬのはどういうことか。妖怪を妖怪とも思わぬ不遜な振る舞い、しかし抱き枕にしかならないこの状態では何を言ってもという所。仕方なく体を預け、死神の豊満な胸元を頭の下に敷いてどうにか天井を仰ぐ。
 今宵の橋姫は呪詛を吐き出し、毒蜘蛛一匹近寄らぬ場所。ならば、このまま寝てしまっても近寄る者も居ないはず。自身の胸元を探る手を掴みながら、橋姫はゆらりと目を閉じた。
人魂が見てる
えろーら
http://
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コメント



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11.100名前が無い程度の能力削除
実に朗読したくなる文章でした。台詞のテンポが面白い
だがもっとあるでしょう!ほら、二人の馴れ初めとか目が覚めた後の二人とか!!