――それは、それは遠い御伽噺。
白い病院で死んだ少女のお話です。
幼い頃から不治の病に犯されていた少女は、ずっと空を見上げたまま死にたい死にたいと叫び続けていました。
耐えがたい痛みに苛まれて眠れない幾千の夜。目が覚めて意識が戻った瞬間の絶望感が支配する晴れやかな朝のヒカリ。
全てはこの世界を作り上げた神様の仕業だと喚き散らしてみても、抗うべき相手は何処にも見つかりません。
そんな少女はある日、ようやく名医から調達したと言う痛みを和らげる薬を摂取します。
注射器の先から伝う冷たさに少女は「天国が見える」と優しく微笑んだ後、青空を見上げて安らかに息を引き取りました。
それは実は麻酔ではなくて、もがき苦しんでいた彼女の姿を見るに見かねた医師と家族で決断した筋弛緩剤を混ぜたブルーチアでした。
人は死ぬ間際、必ず幸せを掴むことができるのだそうです。神様と言う存在が決めた運命は、必ず人を幸せにするのだそうです。
きっと彼女も素敵な世界を夢見ることができたのでしょうね。
めでたし。めでたし。
ごうごう、ごうごう。ごうごう、ごうごう。
ふつふつと沸き立つ核融合炉の中は、まるで夕暮れの空が燃えるような真紅に染まっていた。
その崖際をふらふらふらふら歩いていると、ころころとこいしが転がって落ちていく。
わたしのなまえと同じそれは灼熱の表面に触れた途端、しゅーっとスチーム音を立てながらあっと言う間に溶けて無くなってしまう。
ああ、無重力と無意識に任せたら、わたしもあんな風にふわふわな甘い苺のキャラメリゼみたいに消えてしまえるの?
――核融合炉に飛び込んでみたら、このセカイは無くなってしまうのかな。
それはずっと昔、科学者達が証明したこと。
命を喪失した瞬間、この『セカイ』は終わってしまう。
そんな紛いモノの真実を、みんな当然のように受け止めて毎日を過ごしているけれど。
幸せな生を謳歌している賢い子供達は、ふと神様のいたずらに気付く。
"自分が死んでもこのセカイはずっと続くらしい"
そうして慌てた人々は、あわふたと騒ぎたてる。穢れを知らぬ者だけが天国に行けるとか、悪いことしてたらもれなく地獄行きとか。
そんなたちの悪いうそを信じてみたりしても、ただセカイはくるくるくるくると回り続けるだけなのに――
――わたしはしらない。
みんなみんな、しらないことにするようにしたんだ。
やさしくて、あいにあふれてて、あまくて、せつなくて、ずるくて、よこしまで、わがままで、うそばっかりで、あやまちをおかしてもへらへらしてて。
そんなひとのココロを知れば知るほど、わたしはおかしくなってしまう。
耳を塞いでも鳴り止まないこのセカイのココロの声。知らないほうが、まだしあわせ。
ひとのココロなんて知ったところで、わたしはどうしたらいいの?
あなたのココロの言うとおりにしていたら、わたしはしあわせになれるの?
あなたのココロはわたしのことを分かったみたいに言うけれど、本当はこれっぽっちも分かってないくせに?
――わたしはみえない。
みんなみんな、みないようにすることにしたんだ。
あなたのココロをのぞき見したところで、わたしはしあわせになんてなれない。
あなたのココロの望みを叶えてみせたところで、あなたはわたしの望みを叶えてはくれないでしょう。
なぜならば、あなたはわたしのココロが分からないから。今わたしはどうしてなぜこうこうだからこんな風に思ってるなんて、どうせ分かりっこないんだから。
万が一分かったところで、傷の舐めあいなんてしたくないし。分かったフリをされるくらいなら、最初から何も知った素振りなんてしてほしくない。
何もかも見ることをやめてしまえば、わたしは何にも感じなくていい。ぜんぶぜんぶ見ない見えないようにしてしまえば楽になれるよ。
――わたしはきたない。
おねえちゃんから目を背けるために、わたしは第三の眼を潰したんだ。
ちくちく痛いのも、しくしくかなしいのも、わんわん泣くのも、ぜんぶおねえちゃんがいいこいいこしてくれたら大丈夫。
そんなおねえちゃんがやさしくしてくれるのがうれしくて、つらかった。おねえちゃんがわたしのことを気に病んでいることが、つらかった。
わたしのココロが伝わらなかったら、おねえちゃんはわたしのことを知らなくてもいい。心配なんてかけたくない。思い悩んでほしくなんてない。
ううん、うそだよ。逃げ出したんだ。わたしは臆病できたないから、おねえちゃんから逃げた。
あらゆることからココロを閉ざしてトリカゴの中にひきこもれば、これ以上何も知られることはなくなると思った。
ひとから伝う想いを知ることなく、おねえちゃんから伝うココロも分からなくなってしまえば、何もかも零になって、わたしはまっしろになれる気がしたから。
――わたしはきえたい。
わたしが生きている限り、わたしはおねえちゃんに迷惑をかけ続けてしまうんだ。
ココロが見えなくなっても、おねえちゃんにはわたしのことが手に取るように分かるみたい。
少なくともおねえちゃんは99.99999999999999パーセントくらいはわたしのことを知ってしまったから。
わたしが消えてしまえばおねえちゃんはかなしむのだろうけれど、覚りと言えど時は記憶を無化させる。
わたしなんていなくても、おねえちゃんのいるセカイはちゃんと回り続けるから。
それはきっとおねえちゃんやみんなにとって素敵なセカイ。わたしにとっても素敵なセカイ。
だって、生きててもつまらないんだもの。ほしいもの……おねえちゃんのことはあきらめてる。
おままごととかお人形さんとか遊ぶこととか、楽しかったことにも飽きてきた。どうにもならないし。
ゆらゆら、ゆらゆら。ゆらゆら、ゆらゆら。
ぱちぱちと音を立てながら、くつくつと煮えたぎりながら、臨界点突破寸前な核融合炉から熱風を浴びせかけられる。
ああ、つまんない。つまんないんだ。無意識があるのがつまんない。ココロがあるのがつまんない。生きてるのがつまんない。何もかも、つまんない。
ゆらゆら、ゆらゆら。ゆらゆら、ゆらゆら。
あっちへ行こうよ。こっちにおいで。白か黒か、どっちだっていいさ。右か左か、どっちだっていいさ。
異次元を回遊。無意識の内側から、神様が誘い惑わすの。わたしはその声に導かれるままに、ただこうしてあちこちをふらふらしている。
ただ、ららららららら歌ってしゃららららららら唱えて、覚めない目をこすったらここは何処わたしはやっぱりこいし。
ちゃんと何度確認してみても天国だったことは一度もないけれど……そのうち足を滑らせたりして、核融合炉に落っこちて死んだりするのだろう。
そんな日を夢見ながら、零れる記憶すくって300ヶ月くらい。なぜかわたしはまだ生きている。
――誰か突き落としてくれないかな。
今なら、今でも、いつでもわたしは恨まないよ。
痛くないならなんでもいい。どうせ無意識。不可抗力。他人任せ。その類……。
そんなことを意識の端っこでいつも考えているけれど、無意識下のわたしに干渉する存在は『存在しない』はずだった。おねえちゃんでも不可能なはずだったのに――
「にゃーにゃー」
わたしの足元で、小さな黒猫がとんとんとんとんとねこパンチを繰り返していた。
こんな死体を投げ入れるだけの場所になぜ猫がいるのか分からないけれど、かの動物はどうも神様からの使いらしい。
一生懸命にちっちゃなお手手でわたしを核融合炉に落っことそうとしてる。その仕草はただかわいいだけで、にっちもさっちもいかないみたい。
生きなさいとか引き止めない分、綺麗事ばかり並べて生きることの素晴らしさを語る聖者気取りよりはずっとマシ。
わたしの願いを叶えに来てくれた素敵な子猫ちゃん。
ひょいと抱き上げるとみゃーと鳴いて、じっとおとなしくこちらを見つめていた。
その瞳はきらきらと輝いているのに、こころなしか悲しそうな色。
ひょっとして、わたしのせいなのかな。わたしをひきとめてくれたのかな。それとも、この猫も……身を投げるためにここに来たのかな。
ペットを飼うなんて物好きはおねえちゃんくらいで、みんな大体そこら辺で死んで行く。人間だって、妖怪だって、何となく生きて何となく死んで行くんだ。
その『何となく』がわたしは嫌いなのに。生きること自体に意味を見出すそれこそ無意味。そんな禅問答はもう飽き飽き。つまんないんだ。うん、つまんないんだよ。
「こんなところに飛び込んだら死んじゃうよ」
からからにやせ細った猫を抱えたまま、そっと灼熱地獄を後にする。
わたしは命を預かるなんてことはできないけれど、おねえちゃんにお世話してもらったら大丈夫だからね。
ふんわり伝うぬくもり。とてもやさしい。あなたみたいな子は死んじゃいけないんだよ。ちゃんと想いを伝えられる子はしあわせになれるの。
それはあなたに与えられた特権。わたしは捨ててしまったけれど、わたしはわたしで、死ぬことの向こう側にほんのちょっぴりだけの希望を抱いているんだよ。
このココロとカラダが朽ちてしまえば何もかも消えてなくなる。そしておねえちゃんの記憶の中で生きることができたら、また昔みたいに安らかに眠れるのかなって。
少しずつ死んで行くセカイの中で、まだわたしは生きている。
どうせ最期の日はひとりぼっち。本当の終わりを今は探せないことだって分かってた。
だから、こうしてふらふらふらふらしてる。きっと多分そのうち死ぬ日はやってくるし、偶然今日じゃなかっただけの話。
いじわるな神様が全部決めてあるんだから仕方ないよね。わたしなんていなくなったところで、なにごともなかったかのようにセカイはくるくるくるくると回り続けるんだよ。
――いっそ悪いことして、選択肢が死ぬしかない状態にしちゃえばいいのかな。
たとえばたとえば、おねえちゃんを殺すとか。わたしの大切な大切な、大好きな大好きなおねえちゃんを殺す。
本当はわたしに成りすましているわたしを殺してやりたいんだけど、無意識だから分からないの。分からなくなっちゃった。
もうどうでもいいし。どうなったっていいし。
つまんない記憶ほど、頭によみがえる。殺したい記憶ほど、頭を支配する。
こんな無意識のセカイで生きていたら、おねえちゃんの声さえもう思い出せないや――
Trust you...
サイケデリック後遺症 - byebye dear "RingRingRing" -
ゆらゆら、ゆらゆら。ゆらゆら、ゆらゆら。
しんしんと舞い散る雪の中、手入れもろくにされてないあぜ道を夢遊病患者のように歩く。
ずっとおねえちゃんとふたりっきりだった頃、小高い丘から見えるこんぺい糖の旧都は夜空にきらきら宝石箱だと信じてた。
宵闇駆け抜けるシューティングスターの幻を夢見たまま、わたしはふらふらふらふらとおうちに帰る。
レールに沿って旅せよ乙女。
万華鏡のセカイの記憶と言えば、ただ眩い色鮮やかなモノローグ。
ただわたしは神様の言うとおりに、手の鳴る方へ光の方へあちらこちらを彷徨っていた。
第三の眼を閉ざしても見えてしまう醜い欲望が渦巻く旧都の喧騒。業火の中に垣間見えた赤は夕景のSunny Days.
ガス室で処刑を待つ動物達のメロディーはRingRingハミングするジェイド。未来はもう昨日へとメーター零で突き進みます。
地上で見上げた蒼い空は何処までも蒼くて、その地平線の彼方まで続く向日葵の迷路を駆け抜けた先には天国が待ってる気がした。
――でも、わたしの死にたい場所は見つからない。
だから、ふらふらふらふらするんだ。このセカイはわるい子だけが生き残って、しあわせなひとは何も気付かないまま死んでしまう。
無意識のまま意識が戻らなかったらおしまい。そもそも無意識は無意識なんだから、死んでしまったって何も感じないんだよ。
ゆらゆら、ゆらゆら。ゆらゆら、ゆらゆら。
半年振りに帰ってきた地霊殿のお屋敷は相変わらず。
さびついたカンテラ。花壇の黒いバラ。枯れ果てた噴水。ペンキの剥げたベンチに座る人なんて誰もいない。
レンガ造りの道をふらふらふらふらと歩きながら、気が付いたらわたしはおうちのとびらの前に立ちすくんでいた。
とてとて、とてとて。とてとて、とてとて。
とびらの向こうからかすかに聞こえるかわいいタップダンス。
いつも真っ先に出迎えてくれるお燐は、無意識にふらふらふらふらしてるわたしがいつ帰ってくるのか正確に分かるらしい。
どうして分かるのって聞いても「何となく」だって。でも、わたしはわたしの嫌いなはずのお燐の『何となく』がなぜか大好きだった。
少なくともあの時あの場所――灼熱地獄で初めて出会った時だって『何となく』だったのかもしれないけどね。
がしゃん。とびらを開けると、お燐がぺたんと座ってじっとわたしを見つめていた。
くるんとよく動く瞳がきらきらお星様。だけど多分寝てたのかな、ごしごしと毛並みを揃えるフリをして目をこすってる。
中に入ると再び立ち上がって、くるくるくるくるとわたしを中心に回っておねだり。
おねえちゃんにいつも可愛がってもらってるはずなのに、やっぱりとっても甘えたがりやさんなんだから。
「ただいま」
にゃーと返事してくれたお燐を抱きかかえて、静かにとびらを閉めた。
ろうそくの灯りがぼんやりと照らす玄関には、小さな座布団とクッションで作られた寝床がぽつんと置いてある。
お燐はここが落ち着くんですとか言って、ずっとここで寝てる。ただのペットならまだしも、ヒト化できるようになってからもずっとずっと。
こんな広いお屋敷、部屋なんていくらでも空いているのにへんなの。さり気ないことで頑固なのは飼い主のおねえちゃんに似てしまったのかもしれない。
すりすりと頬をなすりつけると、お燐も嬉しそうに受け止めてくれる。
ふんわりあったかくて、やさしくて、かわいくて、いとおしくて。ぽかぽかいいきぶん。
あれこれとつまらなくてくだらない感情に塗れた人間と違って、動物の想いには嘘偽りが存在しない。
第三の眼を閉じたはずのわたしにも感じられる……言葉にならないそれは、名前を何と呼ぶのかな。
まあいっかなんてひとりごとを呟いて、お燐を抱いたままふらふらふらふらと誰もいないリビングを通ってキッチンへ。
――無意識の中で歩くセカイは夢幻無重力平行線誰もいない無の空間。
お燐から伝う温もりは幻覚だと言う誰かが、ココロの中でくすくすと笑ってた。
わたしの殺したい「わたし」は古明地こいし。
零と言うナイフで突き刺したところで、わたしは死なないわたしは死なないわたしは死なないきゃははははははははははって狂い叫ぶ。
死にたいと思うわたしって誰なんだろうね。わたしに成りすましてるわたし、それもわたしだけどね。おかしいね。なんか、おかしいよね――
空っぽのキッチン。テーブルの上には、ちゃんとわたしの食事が用意されていた。
すっかり冷めてしまったデミグラスソースたっぷりのハンバーグとコーンポタージュにクロワッサン。
水気が抜けてからからになったサラダに添えられたトマトをあーんと頬張ってみたけれど、やっぱりおねえちゃん手作りの味はしない。
わたしの分はいらないからって、何度も何度も言ったんだ。
それなのに、おねえちゃんはわたしがふらふらするようになってからも、毎日わたしの分を作ってくれてる。
なんでもわたしのことを聞いてくれる大好きな大好きなおねえちゃんなのに、それだけは絶対に譲ってくれなかった。
無駄だよ。もったいないよ。どうせいつ帰るか分からないし。死んでるかもだし。
そんなことを言っても、やんわりと笑って誤魔化すおねえちゃんもいつものおねえちゃん。
そのやさしさがいやなの。放っておいてほしいの。死にたがってることだって知ってるくせに。
わたしのことなんて全て分かってるのに、こうやっていじわるするから、おねえちゃんなんてきらいだ。だいっきらいなんだから。
どうせわたしが食べてるとおねえちゃんに気付かれてしまう。
こんな時間に起こしてしまうのもいけないし、あんまりお腹は空いてもいないし。
それに焼きつくような胃の中におねえちゃんの愛情を詰め込んだら、おかしくなってしまいそうだから。
そう、全て嘘ならよかったんだ。おねえちゃんから感じる愛情が嘘だったら、わたしはきっと幸せになれたはずなんだ。
それだって結局は後付けの理由。つまんない。ああ、つまんないんだ。つまんないよ。つまんないつまんないつまんないつまんないつまんない超つまんない。
にんじんのグラッセをひょいとお燐の口に放り込んで、そのまま自分の部屋に向かう。
――無意識の中で歩くセカイに響く耳鳴りが止まない止まらない。
もう聞こえないはずのココロの叫びがどこからともなく、うわん、うわん、うわん、うわんと輻輳する。
この手で潰した3rd eyeと引き換えに手に入れた無意識は……実は無意識でも何でもないのかもしれない。
だってわたしはこうして抱いてるお燐の体温を、今確かに感じているのだから。
ああ、それは遠い遠い御伽噺。何も感じなければ楽になれると思ったあの日からココロ閉ざした無意識なのに。
したいこともないし、する気もないから、無理して生きる必要もない。そんな曖昧風な手振りで死んだ振りをするeverydayはお腹一杯だよ。ね、おねえちゃん?
ひさしぶりに戻って来た自室は、やっぱりおねえちゃんの手によってきれいに掃除されていた。
ちゃんと使ったことなんて数えるほどしかないから、わたしの部屋って感覚すらこれっぽっちもない。
クッションとぬいぐるみを適当に添えたお燐用のベッドを作って、ドアにほんの少しだけ隙間を開けておく。
お燐はヒト化してまで外に出ようとはしないけれど、あのまんまお気楽な性格だから、すぐとことこどこかに行ってしまうに決まってる。
――お燐はね、普段も大体玄関に居るの。
お仕事から帰って来て皆でご飯食べたら、ころんと寝床で横になってる。
そうやって、毎日毎日ね、ずっと、ずっとこいしのことを待っているのですよ。
ふと頭をよぎる、おねえちゃんのことば。
わたしがふらふらふらふらする前から、お燐はずっとそうだった。
最初のうちは、お外へ出かけようとすると付いて行きたがって駄々をこねてたっけ。
わたしの場合だけじゃない。おねえちゃんのときも、お空のときも、とにかくみんなと離れたくなかったんだと思う。
段々慣れて来て、自分が連れて行ってもらえないことが分かると、お燐はずっと玄関でわたしたちの帰りを待つようになった。
たまにとことこ歩いてベランダに登って、ぼんやりと外を眺めてるの。おねえちゃんやお空が帰って来ないかなって、ずっとずっと待ってる。
にゃーって大きなあくびをしながら、お燐はわたしの作ったベッドで丸まっていた。
ずっとそばにいてくれたことなんてほとんどなくて、寝て起きたら大体やっぱり玄関にいる。
きっと、誰かが屋敷からいなくなってしまうのが心配なんだよね。玄関から出て行く人が分かれば、その帰りを待つココロの準備ができるから。
みんなみんな、お燐にとって大切なひと。地霊殿のみんなと一緒にいるだけで、お燐は笑うことができるんだ。
そんな幸運を呼ぶ子猫はちょっと天然だったりドジなことしてみたりと、なにかとおちゃめさん。みんなにふんわり幸せを分け与えてくれるわたしたちの大切な家族――
服を適当に脱ぎ散らしてパジャマに着替えたら、そのままベッドに倒れ込む。
すっかりと冷え込んだ室内で、ふとんを頭が覆い被さるまで引っ張ってわたしはひきこもり。
寒くて身体がかたかたと震える。お燐を抱きしめて眠りたかったけれど、いつも恥ずかしいとかやんわりと断られるからやめた。
おうちに帰ってくると、ぬくもりが恋しくなるからきらい。ぬくもりがほしいのなら、あの核融合炉に飛び込めばいいのにね。
どうしても、どうしても……おねえちゃんのことやお燐やお空のこと、思い出してしまうから。ただわたしは、無意識の中に逃げることしかできなくて。
――しんと静まり返った部屋にやってくるセカイの終わり。
お燐の吐息もやがて途絶えて、わたしは胸に想いがつっかえて息ができなくなった――
◆
チクタク、チクタク。チクタク、チクタク。
眠れない午前二時。閉じた瞳は光を失ったまま、柱時計の秒針は永遠を刻み続ける。
光と希望は誰かの手の中。わたしが持っているのは睡眠薬と希死念慮。あの小さな頃連れて行かれた白い病院のBGMが耳障りで気持ち悪い。
ずっとずっと昔から、わたしはおねえちゃんがそばにいないと、こわくてこわくて眠ることができなかった。
それは今もやっぱり変わらなくてお薬がないと眠ることができないけれど、お水がないと飲めないし苦いからきらい。
眠りの心地良さなんて無意識とたいした変わらない。だけど3rd eyeを失った覚りはいつだって、たまらなくたまらなくぬくもりが恋しくて恋焦がれてて。
ふとわたしはベッドからむくり起き上がって、どす黒いココロの底を映し出したような暗闇に身を投げ出した。
――無意識の中で歩くセカイは摂氏零度。-273.15度のエーテル麻酔が頭の中を支配する。
てのひらから伝うぬくもりに「いいなあ」とか言って、おねえちゃんがほっぺたにキスしてくれたらしあわせだなあとか思っちゃうあたりやばい。
だってそれって、まやかしだよね。なんかむなしいよね。そのくちびるが離れてしまった途端、すぐに寂しくなってしまうんだもん。
とりあえず苦しいからってすがってみるけれど、その場しのぎ。ココロなんて、数mgのお薬を飲んだらどうにでもなってしまうのにね。
ちょっとゆるやかに。大分やわらかに。かなり確実に。
少しずつ、少しずつ死んで行くセカイで、わたしはただただ、くすくすと笑っていた。
パラノイドなリズムで踏み出すワルツはしゃらららららららら崩れ行くアンドロイドの成れの果て。
未来は部屋にやってこないから、わたしがおねえちゃんのところまで迎えに行かなくちゃ――
わたしだけが持ってる合鍵を使って、おねえちゃんの部屋に入った。
ここはわたしたちしかいないセカイ。わたしとおねえちゃん以外のひとたちはみんな消えてしまったセカイ。
――めをこらして、やきつけてみる。
いつもやさしいやさしい、おねえちゃんのえがお。
ずっとずっとそばで見せてくれてた、おねえちゃんのやすらかなねがお。
さらりベッドに流れるラズベリー色の髪の毛。闇の中にきらめく雪のようないつくしい肌のしろさ。
ぜんぶぜんぶ、わたしの大好きな大好きなおねえちゃん。ずっとずっと変わらない、これから永遠になるおねえちゃん。
――こきゅうをとめて、たしかめてみる。
すうすうと規則正しくメロディを奏でるおねえちゃんのねいき。
うんうん。ずっとずっとわたしが知ってる、ふんわりあまくてやわらかくて、やさしいやさしいぬくもり。
ずっとおねえちゃんはわたしだけのもの。ずっとおねえちゃんはわたしだけをあいしてくれる。ずっとおねえちゃんはわたしだけをおもっていきていてくれる。
――くびをしめて、ころしてみる。
まっしろなうなじに両手のひとさしゆびを引っかけて、喉元をおやゆびでぎゅうぎゅうと締めつけてあげる。
すると「かはっ」なんてかわいい声をあげて、おねえちゃんの目が開いた。真っ赤に染まった瞳と第三の眼はわたしだけをじっと見つめてくれる。
うつろな視線は、どこか夢うつつで童話に出てくるお姫様みたい。ちいさなくちびるが、みっつのひらがなをつぶやく。なんかいも、なんかいもつぶやく。
「こ」と「い」と「し」って、きれいに並べてわたしのなまえ。うん、正解だよおねえちゃん。おねえちゃんの大好きな大好きなこいしちゃんが、おねえちゃんのくびをしめているのです。
「ただいま、おねえちゃん」
くすくすと喉をならすわたしを見て、おねえちゃんは苦しそうに笑った。
「こ、い、し」
わたしのなまえを呼びながら、毛布から伸びる細い腕は宙をゆらりゆらり彷徨う。
わたしが帰ってきたから、よろこんでるんだよね。わたしが生きてるから、うれしいんだよね。
わたしがくびをしめてころそうとしているから、しあわせなんだよね。
ちゃんとできると「いいこいいこ」ってあたまを撫でてくれるいつものおねえちゃん。
おぎょうぎがわるいと「めっ」っておこるおねえちゃん。しにたいって言うとなきだすおねえちゃん。
みんなみんな、わたしの大好きなおねえちゃん。もっともっと愛したいおねえちゃん。ずっとずっとしあわせでいてほしいおねえちゃん。
――物心付いた頃から、わたしのお気に入りはおねえちゃんのとなり。
朝起きる時だって遊ぶ時だってご飯だっておやすみだって、ずっとずっと一緒だった。
わたしが笑ってたら、我がことのように喜んで微笑んでくれて。わたしが泣いてたらぎゅっと抱きしめてくれて。
おねえちゃんのちいさなてのひらと3rd eyeで繋いだこころ――むすんで、ひらいて。ふわり想いを浮かべて、ふたりで笑ったよね。
わたしとおねえちゃん、ずっとこのままでいようね。これはわたしたちだけの秘密だよって、ちょっといけないことしてる気分になって、ただそっと寄り添ってるだけでしあわせだったんだ。
そんな未完成描く夢は聞いた御伽噺。
ちいさなちいさな瞳から見てたセカイは、大人になるにつれて真っ赤なジャムを塗ったような紅いカタマリになった。
覚りとして生まれ、幼い頃から聞こえてた僅かな耳鳴りは……次第にノイズ混じりの雑音になって、いやでもわたしたちのココロに流れ込んでくる。
死ね。
死にたい。
殺す。羨ましい。
妬ましい。後悔。怨念。憎悪。僻み。
この糞餓鬼。ああそう、Hello...おまえのこと、きらい。
チョーシ乗んなよ、ばぁか。アンタ、だぁれ?
ああ、いらだつような声ばかり。やめて。もうやめてよ!
いくらそう喚き叫んでも、第三の眼は勝手にヒトのココロを読んでしまう。
そんなヒトたちで構成されたセカイはぐちゃぐちゃどろどろバクテリアバクテリア。
気持ち悪くて汚物を吐き出すたび、わたしのココロが欲望をそのままゲロってる気がして、よけい吐き気がした。
このセカイで生きている全ての存在は偽善者ばかりで、仕方ないって顔して平気で嘘をつく。平気で他人を欺いて、私利私欲のためなら容赦なく殺してしまう。
そんな風に毎日ヒトが死んでいても、みんな素知らぬフリ。かなしいねとか、かわいそうだねとか、何も感じたりすらしない。
そうやってわたしたちは大人になって汚くなっていく。わたしはわたしでいるだけで、せいいっぱいなのに。
きっと、おねえちゃんだって同じだったはずなんだ。だけど、わたしはおねえちゃんみたいに強い子じゃなかった。
もがき苦しむわたしのココロは、そのままおねえちゃんに伝わってしまう。そのココロを読んだおねえちゃんも、一緒にかなしんでしまうから、もっとかなしくなる。
とまらない負の連鎖。わたしがかなしむたびに、おねえちゃんは「ごめんね、ごめんね」ってわたしに謝るの。おねえちゃんはなにもしてないよ。わるいのはこのセカイを作った神様だよ。
ただかなしんでわたしたちはロンリーロンリーなのに時間はスローリースローリー流れて、真綿でくびをしめるようにわたしとおねえちゃんをくるしめる。
くるしんでるおねえちゃんなんか、みたくない。だからわたしは覚りとして自殺した。わたしはわたしの手で第三の眼を潰した――
「大好きだよ、大好きだよ、おねえちゃん」
ずっと繋いだココロで伝えてたことばを、何回も何回もちゃんと声で伝えてあげるんだ。
くびをしめるゆびさきから、コトノハから、ゆらりたゆたう吐息から。大好きな大好きな親愛なるおねえちゃんに、わたしのすべて、あげる。
「こ、い、し」
おねえちゃんの手がわたしの顔のほうに向かってくる。
ちゅっとてのひらにキスしてあげると、ふわり想いがメロンソーダみたいにはじけて溶けた。
大好きな大好きなおねえちゃん。こんなにときめくハートは、眼を閉じていたって隠しきれないよ。
――おねえちゃんが生きてるから、わたしは死ねない。
3rd eyeを失って無意識を手に入れたところで、全てを閉ざしたことにはならなかった。
お燐から伝うぬくもり。お空の元気一杯な笑顔。おねえちゃんと繋いだこころのかけら――みんなからもらった想いは、わたしの無意識のセカイに潜んでいる。
どこにあるのかもわからない。探すあてもないわたしの知らない知らない深い暗い深遠に、やっぱり残ってしまっているんだ。
無意識であろうとも知ってしまったことはなかったことにはできないし、どうせ結局こうして会ってしまうたびに、やっぱりみんな……わたしを愛して心配してくれるから。
わたしだってもちろん、お燐やお空のこと、そしておねえちゃんのこと、みんなみんな、大好きだから。いくら無意識を操ったところで、わたしは自殺することができない。
怖いとか。心残りとか。無念とか。大好き……とか。その類、一切の感情を排除してるつもりなのに、おかしいんだ。このセカイで生きることが本当にいやなのに、わたしは生きてる。
だから、みんなみんな殺してやるんだ。そしたら、わたしもこころおきなく死ねる。あの核融合炉に飛び込んだら、こんなゴミみたいなセカイとさよならできる――
「おねえちゃん、死んで」
くびをしめる手に力を入れるたび、段々とわたしのなまえを呼ぶ声が遠くなる。
もうくるしまなくてもいいんだよ。わたしがらくにしてあげるからね。すぐに後を追いかけるから大丈夫よ。みんなみんな、一緒だよ。
「こ、い、し、こ、い、し、あ、いして……」
おねえちゃんの乾いて切れた唇から零れるわたしのなまえは泡のよう。
ぎゅうとくびをしめつけると、白い喉がびくんと跳ねて、そのままがくんとおねえちゃんはベッドに崩れ落ちた。
もう開くことのないビー玉の瞳から伝う一筋の涙はきらきら空想の流星群。しろいくびから感じるぬくもりが無意識の中でふわり霧散する。
カーテンからわずかに漏れ出す月明かり。足元伸びるわたしの影にそっと囁く言葉は――"Lament" このセカイを終わらせる嘆きの詩は始まったばかり。
そっとおねえちゃんのとなりに寝そべると、わたしの大好きな匂いがした。
ずっと不思議に思ってたの。わたしと同じシャンプーを使ってるのに、どうしておねえちゃんはこんなにいい香りがするんだろう。
毛布の中はおねえちゃんのぬくもりでふわふわ。とてもあたたかくて、ほっとする。安心するの。ゆっくり眠れそうだよ。
やっぱり大好きな大好きなおねえちゃん。ああ、わたしだけのものになってくれた。おねえちゃんはわたしのもの。ずっとずっと、わたしだけのものなんだ。
「きゃはっ、きゃははは、きゃはははははははははははははははははははははははははははははは!」
きらり光る一粒の雫。血の色に染まったそれはわたしの瞳から零れていた。
この身体中を軋み流れる真紅の砂が、さらさらと音を立てて目じりいっぱいにたまっていく。
おねえちゃんがわたしのものになって、わたしが死ぬ理由もできて、こんなにもうれしいのに、どうしてわたしはないているの?
くるくるくるくると頭の中が回る。くるくるくるくるセカイは回る。わたしを無視し続けて、セカイはくるくるくるくる回る。
うれしなき、かな。かなしいから、かな。どっちも、かな。わたしは、しらない。わたしは、みえない。わたしは、きたない。わたしは、しにたい。
エーテル麻酔が切れてきたみたい。
ポケットの中に放り込んである錠剤を取り出して、目をつむって飲み込んだ。
お水ない。苦い。のどにつまりそう。おねえちゃんがいるから、わたしはこんなもの飲まなくたって眠れるんだけどね。
冷たくなってきたおねえちゃんにぎゅって抱き付く。ほんのり残るぬくもりがあたたかくて、とてもやさしい。
おやすみなさい。大好きな大好きなおねえちゃん。いい夢を見てね。わたしもおねえちゃんと一緒の夢がいいな。
ほら、あの時お燐とお空とみんなで行った太陽の畑の夢がいい。あれはねあれはね、まずおねえちゃんが麦わら帽子を被って……。
――ひょっとしたら今のわたしは夢を見ていたとして、ふとそんなことに気付いたとして、どうすればいいんだろう。
目覚めたわたしは、どんなわたしなのかな。おねえちゃんを殺す前のわたしかな。それとも、おねえちゃんを殺したあとのわたし?
仮に後者だとして、わたしはおねえちゃんを殺した罪を悔いて自殺することができるのかな。お燐とお空のご飯にクスリを混ぜて殺すことができるのかな?
こんなの、何の意味もないね。さっさとわたしが死ねばそれで済む話なのに、どうして大好きなおねえちゃんを殺さないといけないの?
そもそも、今さっきわたしが殺したおねえちゃんはもうこのセカイにはいないのに、どうして何も感じないんだろう? こんなに涙がぽろぽろ零れるのに、なぜかなしくないんだろう?
そっと目を開くと、わたしは見たこともない幻想の花の群れの中に立っていた。
地平線の彼方に快晴の空が何処までも続く蒼のセカイは、おねえちゃんやお燐やお空が待っているはずのヘヴン。
どこまでも、どこまでも走る。息が切れるまで走り続ける。
それなのに、誰もいない。みんながいない。おねえちゃんが、いない。
わたしのお気に入りの黒い帽子があれば、すぐに分かるはずなのに。みんなのなまえを叫んでみても、わんわんと泣いても、うずくまってみても、おねえちゃんは来てくれない。
このセカイはわたしひとりになった。わたしはひとりぼっち。ひとりぼっちはいやだ。ひとりぼっちはいや。ひとりぼっちはいやひとりぼっちはいやひとりぼっちはいやひとりぼっちはいや――
「おねえちゃん、おねえちゃん、おねえ、ちゃん……」
迷い込んだ天国のサイハテに、おねえちゃんはいない。
みんなにもう会えないと知って、立ち尽くした世界樹の下。
わたしはずっとずっと――手のひらで顔を塞いで、何度も何度もおねえちゃんの名前を呼んでいた。
さよならの後もとけない魔法。見果てぬ夢と共に消えた古明地さとりと言うひとは、またわたしを見て笑ってくれるのだろうか。
おねえちゃんも愛せなくて、おねえちゃんに愛されないなら、無理して生きてることもない。こんなわたしには、何の価値もないんだから。
未来を想って掴もうとする指は隙間から零れて、ただわたしはこの日々の終わりを願った。
生きたいと願うひとが死んでしまって、死にたいと望むひとが生きる。こんなセカイを作った神様って、やっぱりわるいひとなんだね。
コロシテヤル。オマエヲコロシテヤル。わたしはこんなところにいたくない。わたしは『オマエタチガツクッタセカイ』で生きたくない。
わたしは、わたしは、ただ、ただ、ほんのちょっとだけしあわせだったらそれでよかったのに、どうして、どうしてこうなっちゃったのかな。
――ごめんなさい、おねえちゃん。
わたしは嘘をついてしまいました。あの御伽噺は全部嘘でした。
彼女が見た天国はいけないクスリが作り出した妄想空想快楽主義者つまり古明地こいしのおねえちゃんへの愛があふれ出した結末なのです。
あんなもので救われるほど、このセカイは簡単に作られていません。みんなみんな、必ずもがき苦しんで死んで行くのです。
ただわたしは理由がほしかった。おねえちゃんがわたしを嫌ってくれたら、わたしはこのセカイで生きる意味を失ってしまう。
たったそれだけのことだから。わたしがこのセカイに生を求める訳。それは地霊殿のみんなのぬくもりにすがる、ひとみのないみじめなさとりのなれのはてでした。
きっとわたしは死んでも、しあわせになれる。
なぜなら、あの核融合炉の向こうには、わたしの求める『無意識』があるから。
わたしが消えてしまえば、このセカイが終わる。その瞬間は王子様のキスで目覚めた白雪姫のような、素敵なハッピーエンドなんだよ?
うれしいことも、かなしいことも、なんにもない零のセカイ。痛みも苦しみもない天国に憧れない理由が、わたしには分からない。
明日はもういらないの。死んでしまえば、なにもかもおしまい。わたしも、おねえちゃんも、みんなみんな消えて、ただ『わたしの』セカイだけが終わる。
うん、だけどね。おねえちゃんに手を掛けるようなことだけはしてはいけなかった。
痛かったよね。くるしかったよね。ずっとずっと、わたしの分のかなしみを背負ってくれていたんだもんね。
それでも最後までわたしのなまえを呼んでくれて、わたしのことを愛してくれて、本当にありがとう。ああ、全て夢と忘れさせて。現在が夢じゃないなら――
◆◆◆
ぎゃーぎゃー。ぎゃーぎゃー。ぎゃーぎゃー。ぎゃーぎゃー。
やかましく喚き叫ぶ地獄鴉。かたかたかたかたと音を立てて揺れるガラス窓。
そっと目をひらくと、ステンドグラスから差し込む遮光がきらきら粒子を照らし出していた。
――あの日から何も変わらない、おねえちゃんの部屋。
ううん、違うの。ここはずっとずっと、わたしとおねえちゃんの部屋だったんだ。
あのテディベアだって、いっぱい読んでもらった絵本だって、棚に隙間なく並ぶ小瓶の中のオリーブたちだって、ここはずっと時がとまっているみたい。
潰したはずの第三の眼は、思考回路でわんわん疼く無指向性スピーカー。閉じたココロに響く全てのメロディが耳障りで、わたしは毛布をくるんと被ってひきこもった。
ゆらゆら、ゆらゆら。ゆらゆら、ゆらゆら。
覚めてこそ尊し浅き夢。花の香り弾けた夢うつつ。
わたしはひとりぼっちのセカイにいるはずなのに、この毛布はおねえちゃんの匂いがする。
ふんわりとしたやさしいぬくもりが残ってて、とてもあったかい。こうしてただ、おねえちゃんを感じることができるだけでも、ちょっぴりしあわせ。
もう少し、もう少し、この夢を見ていたいな。まばたきをひとつ飲み込んで、覚めない目をこすったらまた旅に出よう。
ぱっと毛布から飛び出して、ささっと着替えを済ませたら無意識のはじまりはじまり。
真っ黒な帽子を被ったら準備はオッケー。もう誰もいない部屋を後にして、わたしはいつものようにキッチンに向かう。
――無意識の中で歩くセカイは時計仕掛けの夢現。
どこか、まだ本能。匂い立つは夢中。手には長く編んだ地図を持って、とんとんと天国の階段を駆け上がっていく。
ここはどこ。わたしはだあれ。道に迷うフリのアリスは無意識のままに「I say "Good bye"」のメロディを奏でながら、手の鳴る方光の差す方へ。
アレグロ・アジテート。アレグロ・アジテート。
相変わらず鳴り止まない耳鳴りはいつものココロとセカイの叫びではなくて、おねえちゃんがわたしのなまえを呼ぶ声だった。
嗚咽をもらすように、手繰るように吐き出される「こ」「い」「し」のひらがな。おねえちゃんはとてもつらそうでくるしそうでかなしそうで、またわたしは赤い血の涙を流す――
ふらふら、ふらふら。ふらふら、ふらふら。
廊下を歩いて階段の辺りまで辿り着くと、真下の踊り場でお燐がしっぽをふりふりしながらわたしを待っていた。
とことこステップを刻んで中ほどまで進んだら、みゃーみゃーと嬉しそうに鳴いてさささっとキッチンの方に消え去ってしまう。
ことばなんかなくたって伝わる想いがある――覚りだったわたしにそんなことを教えてくれたくせに、お燐はヒトの形をしている時はとにかくおしゃべりやさん。
普段おとぼけやさんなお空だって同じ。ちゃんとみんなのことを想ってて、迷惑かけないようにって全部一人でやろうとして失敗しちゃうから、結局みんなであとかたづけ。
でもね、それも楽しいからみんなで笑ったらおしまい。
きっとココロが読めるおねえちゃんだって同じはずなんだ。
ことばにしなくても届く想いがあるってことを知ってるから、わたしには何も言わない。
おねえちゃんは、ただずっとわたしを見守ってくれてる。ずっとずっと、夢が叶う瞬間を待ち焦がれている。
その夢を叶えてあげられるのはわたしだけなのに、わたしは、わたしは、わたしは――
キッチンに着くと、おねえちゃんとお燐とお空が朝食を取っていた。
ちゃんとわたしの分の食器が用意してあって、わたしの姿に気付いたおねえちゃんが箸を止めてぱたりと席を外す。
かつかつとねこまんまをおいしそうに食べてるお燐を横目に、お空はねむたそうな顔でぼけーっとベーコンをかじっている。
そっと椅子に座ると、となりに座っていた地獄烏はおおきなあくびをした後、突然くしゅんとくしゃみをした。
「うにゅぅ、おはよーございます、こいしさま」
わたしのお皿はからっぽなので、寝ぼけまなこなお空からソーセージを拝借。
そのままおくちにあーんしてあげると、もぐもぐと咀嚼しながらにっこりと笑ってくれた。
「おはよう」
よく見ると、お空のお皿はもうほとんど空っぽだった。
相変わらずなおねえちゃんの方は全然減っていないけれど。
あんまり食べないのは体に悪いよ、おねえちゃん。
お燐もお燐で、ちゃんとヒトになってみんなとお話しながらお食事したら楽しいのに。
とにかく「あたいはこっちの方が気楽ですから」なんて。お燐も、お空も、おねえちゃんもみんなマイペースすぎるんだ。あ、わたしもかな。
「お燐も、おはようだね」
ふいに声をかけてあげると、お燐は一瞬だけこちらを向いてみゃーと鳴いてくれた。
ご飯をもぐもぐするとりんりんりんりん赤い鈴が鳴る。いつも気分上々なお燐は、ただそばにいるだけでみんなにしあわせを分けてくれる、やっぱり幸福を呼ぶ子猫ちゃん。
やがておねえちゃんが戻ってきて、わたしの前に朝食を並べていく。
とろけるチーズを乗せたトースト。ふんわり目玉焼きとこんがりベーコンにソーセージ。わたしの大好きなミルクたっぷりな紅茶にサラダを添えて。
はい、できあがり。わたしの自信作ですよ。そんなことは言わなかったけれど、おねえちゃんはただやわらかい笑みをたたえて、そっと席に付いた。
「おはよう、おねえちゃん」
きらきらと光る緋色の瞳が、やさしく私を見つめ返す。
変わることのない永遠の面影。おねえちゃんは過去も、今も、そしてこれからも、ずっとわたしを見ててくれる。
そのココロの中身は、第三の眼を使わなくたってすぐに分かってしまう。だって、わたしたちはこのセカイでたったふたりだけの姉妹だから。
「おはよう、こいし」
わたしのなまえを呼ぶおねえちゃんの声は、やっぱりどこまでもやさしい。
そっと伝う想い。しゃぼん玉みたいに、ふわり、ふわり。
とてもあたたかくておくゆかしい、その感情のなまえは一体なんて言うんだろう。
すきとか、いとおしいとか、おもいやりとか、こいしいとか、色々あるけどなんか全部同じような、違うような。
おねえちゃんはやっぱりおねえちゃんでしかなくて、わたしの大好きな大好きなおねえちゃんでしかなくて。
たったそれだけでいいんだ。わたしのおねえちゃんは、わたしの大好きな大好きなおねえちゃんでいてくれたらそれでいいんだ。
このセカイで一番大切なひとの、このセカイで一番大切なひとになれたわたしは、このセカイで一番しあわせ。
こげめのついたトーストを大きくおくちをあけてあーん。
ゆっくりもぐもぐすると、おくちの中ではじけたおねえちゃんの想いがふわりココロの奥まで届く。
うん、やっぱり大好きなおねえちゃんの味。おねえちゃんはずっと変わらずに、こうしてやさしく迎え入れてくれるんだ。
そんな大好きなおねえちゃんのココロが伝うから、ほっと安心するのに、心が痛くなる。おねえちゃんのやさしさがうれしいのに、なんだかせつない。
「おいしいよ、おねえちゃん」
そんなことを言ってみても、おねえちゃんはただ微笑んでくれるだけ。
ありがとうとか、うれしいとか、こいしだいすきとか、なんか言ってくれたらいいのに。
確かに想いは仕草だけでも伝わるけれど、ちゃんとことばで教えてもらう方がうれしいときだってある。
おねえちゃんは第三の眼で人のココロを見て判別してる部分が多すぎて、いつもそのあたり鈍感なんだ。
お燐やお空みたいに、素直にことばにしてくれたらお互いうれしいことだっていっぱいいっぱいだよ。
お空と最近のできごとをあれこれと話しながら、ゆったりとしたモーニングタイムはスローモーションのように流れていく。
おねえちゃんはただわたしたちの話に耳を傾けて、ふんわり笑ったまま黙々と食事をおくちに運ぶ。お燐は食べ終わってから、なぜかお空のまわりをうろうろうろうろ。
わたしとお空がおしゃべりしてるのが気に食わないのかな。お燐に限ってはそんなことないと思うし、ヒト化したらふつうに話に加わることができるのに。
――なんて無意識で適当に思考してたら、いきなりお燐がお空の肩に乗っかってねこぱんち。
ぽかぽかぽかぽか。りんりんりんりん。ぽかぽかぽかぽか。りんりんりんりん。お燐渾身の一撃に、お空は比較的まじめに殺意を感じたらしい。
「あう、やめてよお燐ってば、なにさ、なになに、なななんなの、わたしがベーコンだけ先に食べちゃったから怒ってるの?」
お空の髪をねこぱんちでくしゃくしゃにしたお燐は、ぴょんと肩から飛び降りた。
そのままとことこ歩いてリビングへの通り道に佇むと、じいっとお空の方を見つめる。
無言の意志表示は「お散歩連れてって」の合図。ふだん自由気ままテキトーにやるさなお燐、実は時々猫のくせになにかと構ってちゃんで甘えたがりやさん。
べつにお散歩なんてひとりでいけるのに、こうしてじゃれ合いたがるのは習性なのかもしれない。ある意味、お空はその一番の被害者になってるのかな。
「うー、わかった、わかったよおりんりん、ちょっと待ってて」
みゃーと満足気に鳴いたお燐を横目にしながら、かたんと立ち上がって食器を片付けようとしたお空にふとおねえちゃんが声をかける。
「いいですよ、わたしたちがやっておきますから。お燐と遊んでやってください」
「うにゅぅ……すみませんさとりさま。ちゃんと明日はわたしがお皿洗いしますから。ごちそうさまでした!」
ぺこり頭を下げて、お空はたたっとキッチンの外に駆け出して行った。
お燐がちらりとわたしとおねえちゃんを見て、やっぱりにゃーと鳴いてからとととっと走り出す。
うにゅうとかみゃーみゃーと何か言い合ってるらしき声が、段々と遠くなって……取り残されたわたしとおねえちゃん。
ひさしぶりの、ふたりっきり。ううん、ずっとずっと、ふたりっきりだよ。
――静かになったキッチン。わたしとおねえちゃんだけのセカイ。
このセカイも神様とか言うわるいひとが作った夢かもしれない。もう夢と現が逆さまだけど、無意識だから分かんないだけかな。
おねえちゃん好き好き大好き超愛してる。おねえちゃん大好き大好き大好き本当に好きすぎてわたしが死ねないだからおねえちゃんが死んで。
気持ちぐちゃぐちゃハートばらばら。わたしの心臓は壊れちゃったからおねえちゃんの胸の中をえぐって取り出したハートのヘアピン、ちょっと貸してくれない?
このふたりっきりの雰囲気、なんだか気まずい。なんかぎこちない。
なんて言えばいいのかな。なんて言えばいいんだろう。なんかよくわかんない。
いつもわたしたちはこんな感じ。ココロが離れてしまっただけで、こんなにも不安になるなんて思いもしなかった。
第三の眼は潰れても、運命が結った糸はわたしたちを確かに繋げているのに。怖いんだ。お互いのココロを知るのが、怖いんだ。
わたしはおねえちゃんのココロ。おねえちゃんはわたしのココロ。わたしたちは弱虫すぎて、わたしたちのセカイに踏み込むことができなくなった。
「……あれでもね、あの子たちなりに、わたしたちのことを想ってくれているんですよ」
めずらしくおねえちゃんから始まった会話に、わたしはこくりと相槌を打つ。
「うん、そうだね。だって、わたしたち家族だもんね。全部、全部、伝わっちゃうんだよ」
きっと多分お燐が気を利かせて、わたしとおねえちゃんをふたりっきりにしてくれた。
お空だって途中で気付いたのかな。二人の仲の良さを考えたらよく遊んでいるんだろうし、お仕事も一緒なんだから意思疎通もばっちり。
それに、動物はわたしたち覚りと同じくらいココロに敏感。わたしとおねえちゃんの間にどんな想いがあるのか一番よく分かっているのは、実は当人ではなくてあの二人なのかもしれない。
だからこそ、何よりもわたしたちのことを想ってくれて……ふたりっきりの時間を作ってくれた。本当は、もっと遊んだり色々したいのに、わたしとおねえちゃんに譲ってくれたんだ。
素敵な心遣いがひしと伝わるから、こんなにもうれしい。それなのに、どうしてココロは痛い痛いと悲鳴をあげるのかな。分かんない。分かんない。分かんないよ。
おねえちゃんをころして笑って泣いて天国に行ってひとりぼっちは夢だったの?
それとも今このみんなと笑って過ごした、さり気ない一時こそが泡沫の夢なの?
1.2.3...数えたらこのセカイは無くなってしまうような気がして、やっぱりどうしても怖くなってしまう。
無意識を使って逃げる。大好きな大好きなおねえちゃんの前から逃げる。消える。死んでしまいたい。
結局ココロを閉ざしたところで、どこまでもきたないよごれたわたしはどうしようもないの。
「おねえちゃん」
問いかけても返らないうわの空。
わたしはただ、今自分のココロにある言葉をそのまま吐き出す。
「これは、夢なの? それとも、幻?」
こたえの『ない』なぞなぞ。
おねえちゃんの想いが模範解答。
わたしのココロに秘めた想いがきっと正解。
どう考えたってさっきのはみんなみんな『らしく』て。
みんなみんなわたしの大好きなみんなだったよ。おねえちゃんはおねえちゃん。お燐はお燐。お空はお空だったんだから。
わたしはわたしが分からないよ。わたしはこんなにやさしいひとたちのそばにいるのに、どうしてこのセカイがきらいなんだろう?
「幻に夢で逢えたら、それは幻ではありませんよ」
おねえちゃんはたまに難しいことを言うから、なんかちゃんと理解できない。
夢で逢えたおねえちゃんは幻じゃない。つまり昨日の夢で逢えたおねえちゃんが本物だったと言うことは、わたしは本当におねえちゃんを殺してしまった。
そして今は……夢、それとも現実、どちらになるのだろう。
ここが夢だとしても、今目の前で話しているおねえちゃんはおねえちゃん。
ここが現実だとしても、今こうして笑っているおねえちゃんはおねえちゃん。
ああ、結局よくわからなくなってるのはわたしで、もう夢と現実の区別もつかないんだ。
わたしはわたしをやめることもできなくて、わたしはおねえちゃんが大好きだってことも変わらなくて。
無意識は所詮アンノウン。何が夢だとか何が現実だとか、そんなことはどうでもいい。わたしが今感じること全てがこの『セカイ』だから。
そんなセカイで生きる意味をなくしたまま握り締めたおねえちゃんへの想いは、たったひとつだけのわたしの誇りなんだよ?
「おねえちゃんの言ってること、よく分かんない」
「わたしも、こいしの言ってることがよく分かりません」
なんだかおかしくてわたしがくすくす笑うと、おねえちゃんもやさしく微笑む。
ちいさなしあわせ、ふわり、ふわり。そっと想いを馳せて、あの灰色の空に浮かべたら虹ができるの。
偽ることに慣れたわたしのセカイに架かる七色でしゃららららららら素敵なメロディを奏でて、おねえちゃんの喜ぶ顔が見たい。
「あのね、おねえちゃん。わたしは今日どうしておねえちゃんの部屋で寝ていたのか知りたいの」
そんなさり気ない問いに、おねえちゃんはまっしろな頬をぽっと赤らめた。
へんなの。昔からずっとふたりで寝てたけれど、一度だけちゃんと一人でも眠れるようにって練習したよね。
そのときはわたしが眠れないってわんわん泣いてたらおねえちゃんが来てくれて、結局わたしの部屋でふたりで寝たっけ。
ひょっとしたら、おねえちゃんがわたしが帰ってきてたことを知ってて……寝てるところを連れて来たとか?
「……ふと声が聞こえたの。何だろうって目を開けたら、こいしが隣ですうすう眠っていたから、驚いたけど、嬉しくて、ね」
なあんだ、ただわたしが寝ぼけてただけか。
ううん、違うよね。無意識でわたしはおねえちゃんを求めた。
大好きな大好きなおねえちゃんのとなりだったら、わたしはぐっすりと眠れる。
しあわせな夢を見ることができるの。もう目が覚めませんようにって神様にお願いしてしまうような、しゃぼん玉がふわふわ浮かぶ泡沫淡い蒼のセカイ。
そこでわたしとおねえちゃんは花になる。想像さえ超えてしまうような鮮やかな色に染まる美しい花は風にゆられゆらゆら、空の彼方をふたり見上げて可憐に咲き誇るは夢幻……。
でもね、あの夢を見ることはもうできないみたい。
だってわたしもおねえちゃんも、あのころには戻れないから。
何かを知ること。ヒトのココロを見ること。そうやって現実を知るたびにわたしたちは汚れながら、不安だけを抱えたまま何かを失っていくんだ。
それは純粋なココロだとか、幼き日の感性だとか、無邪気なあどけなさとか、いっぱいいっぱい色々なこと。無意識のうちに、大切な何かを無くしてしまう。
そのどれかひとつでもロストしてしまったら、わたしはおねえちゃんの大好きなわたしではいられなくなる気がして――わたしはわたしを殺すことにした。
――もし、わたしがおねえちゃんの想いを信じ続けることができたら、きっとしあわせになれたんだ。
第三の眼なんて持たずに、ふつうの人間や妖怪として生まれて恋に落ちたら、必ずしあわせになれたんだよ。
わたしたちはココロを繋ぐ術を最初から持っていたのが運の尽き。こんなの耐えられない。耐えられるはずがないよ。
わたしの大好きな大好きなおねえちゃんが、もしかしてわたしのことをきらいになってしまうかもなんて考えるだけで――
「そっか。びっくりしたよね。ごめんね、おねえちゃん」
「ううん、いいんですよ。ここはこいしの家で、わたしはあなたの姉なのですから」
おねえちゃんは、ずっとずっとわたしの大好きな大好きなおねえちゃん。
わたしは……ずっとずっとおねえちゃんが愛してくれるわたしなのかな。
ずっと死にたいと思ってるわたし。おねえちゃんを殺したいと思ってるわたし。
みんなみんなわたしだけど、そんなわたしでもおねえちゃんはわたしを愛し続けてくれるのかな。
「それでね、おねえちゃん。わたしはどんなねごとをささやいていたのかな?」
そう言ってじーっと見つめると、おねえちゃんはココロを読まれるのを嫌うように視線をそらす。
この第三の眼はもう絶対に開かないけれど、今のわたしにはおねえちゃんのココロが手に取るように分かる。
むかしからずっとはずかしがりやさんだもんね。わたしがココロを閉ざしてから、おねえちゃんのそれはよけいにひどくなった気がするよ。
「……よく、聞き取れませんでした」
「うそつき。ちゃんとちゃんとわたしは言ったはずだよ」
はたと椅子から立ち上がって、そっとおねえちゃんのとなりに。
後ろからぎゅっと首に手を回すと、恋が鳴る。とても綺麗な音がした。
ふわんとただようダージリンの香りに、あのシャンプーのいい匂い。
わたしのおねえちゃん。わたしだけのおねえちゃん。やっぱりずっとずっと、変わらないんだ。
こうしてずっとそばにいたい気持ちなんて捨てきれない。
離れて過ごすことが多くなってから、なおさらおねえちゃんのことが愛しくなった。
わたしは自分で全て拒絶したくせに、なぜか今も遠くなっていく永遠の面影を追いかけている。
深く暗く落ちていく棕櫚の海。いくら手を伸ばしても、ちいさなてのひらには届かなくて。
ずっとおねえちゃんは同じ場所に立って微笑んでいてくれるのに……。
「……おねえちゃん、おねえちゃんと、私のことを、呼んでくれました」
それはそうだよ。だっておねえちゃんはおねえちゃんだもの。
それにね、わたしはふだん夢なんて見ないんだよ。無意識だから何も感じないんだよ。
だけど、おねえちゃんがそばにいるなら別だから。きっとわたしは素敵な夢を見て、おねえちゃんのなまえを何度も何度も繰り返すんだ。
「ほんとうに、それだけ?」
「ずっと、うなされるように、そう繰り返していました」
「それ、半分ほんとうで半分うそだよね。おねえちゃんはわたしに隠しごとできないから、すぐに分かっちゃうんだよ」
そう。全てが嘘ならよかったのにね。
残念ながらわたしの無意識が紡ぐ言葉はたったひとつだけの想い。
愛のバラ掲げて、遠回りして、また転んで。それでもおねえちゃんに伝えたい想いがあるの。
むかしは何も言わなくてもよかったし、当たり前のように感じることができたのに。
ああ、わたしはたちはやっぱりきたなくなってしまったんだね。
くすくすと笑うわたしに、おねえちゃんは暫し黙り込んでしまった。
そっと肩に顔を乗せると、ワンピースのあいだからまっしろな肌が覗く。
そのままやさしく桃色の髪をすいてあげながら、わたしもじっとおくちを閉めて答えを待ってみる。
こんな根競べ、わたしが勝つに決まっているんだけどね。だって、おねえちゃんはずっと今までもこれからもわたしに一番甘いんだから。
「こいしの、いじわる」
そうだよ、わたしはいじわるなんだよ。おねえちゃんだからいじわるしたくなるんだ。ころしたくなるんだ。
きらきら瞳はくるんとしたまま、淡雪のような頬はまっかっか。少しだけ顔をうつむけてはずかしがるおねえちゃん、とってもかわいい。
回した手の先から伝うぬくもりはふわりあたたかくて、ゆらゆらゆらゆら無意識がいけないことを誘い惑わす。
つつっとおねえちゃんのほっぺたから、ちいさなくちびるに指をすべらせる。
ひんやりエーテル麻酔の冷たさと、核融合炉みたいなやさしい体温。おくちで触れたら、きっと素敵な夢が待ってる。
わたしのあたまをおかしくするブルーチアは、ずっとずっとわたしだけのクスリ。指が小さく接しているだけで、すうっと無意識から解放されてしまう。
わたしを狂わせるおねえちゃんだって、ほんとうはいけない子なんだ。ふたりともいけない子。だけどわたしはお揃いはきらいじゃないよ?
「……このくちびるで、教えてほしいの。おねえちゃんのことばで、伝えてほしいの」
おねえちゃんのくちびるの先に指を押し当てて、おねがいおねがいっておねだりする。
すると、口元がかすかに揺れ動く。その振動だけで、おねえちゃんの全てが分かってしまう。
はずかしいとか、緊張してるとか、いじわるしないでだとか……わたしの大好きな大好きなおねえちゃんばかり伝わるよ。
そんな想いだけでわたしのココロを埋め尽くすことができたのならば、わたしのセカイはきっと美しく見えたのかもしれない。
――無意識形成目が回ってこのセカイはたった今わたしとおねえちゃんふたりっきり。
おかしなはなしだよね。覚りのおねえちゃんはわたしのココロが読めないのに、わたしはおねえちゃんのココロの全てを把握しているんだから。
くすくすくすくすと無意識のわたしが笑う。そのくちびるが紡ぐコトノハは、わたしの無意識が隠している想いの全てを曝け出す。
その言葉がわたしを狂わせる。その言葉がわたしを惑わせる。その言葉がわたしを殺したくなる。その言葉がおねえちゃんを殺したくなる。その言葉がこのセカイを終わらせる。
ああ、わたしには天国が見える。想いゆらゆら、ヘル、触れる、ヘヴン。
あの御伽噺は本当だったんだ。わたしは駆け抜ける。あの地平線の向こう側まで続く向日葵畑をおねえちゃんの手を引いて走るんだ。
ずっとずっと、遥か遥か遥か遥か彼方。大切な帽子を押さえながら息が切れるまで走って走って走って走り続けて誰もいないなまえのないセカイへ――
「――大好きだよ、大好きだよ」
ことばを紡ぐおねえちゃんの想いがふわりふわりおおきくなって、チューインガムみたいにふくらんだらぱんって割れた。
わたしがころしたおねえちゃんの幻の命が、潰したはずの3rd eyeとココロのとびらをすり抜けて美しいメロディを奏でる――
「こいし。あなたは……『大好きだよ、大好きだよ、おねえちゃん』と言ってくれました」
ぱちぱちぱちぱち。ぱちぱちぱちぱち。
よくできました。正解だよおねえちゃん。
今日はわたしがいいこいいこしてあげるね。
もっといつも大好き大好きって、おねえちゃんが言ってくれたらいいんだ。
それなのにとってもとってもはずかしがりやさんだから、自分からは全然伝えてくれない。
ヒトのココロは読めるくせに、自分のココロを扱うのはとても不器用。そんなおねえちゃんも、なんかやっぱりおねえちゃんらしくて大好きだけどね。
まっしろなほっぺたに差した紅が、もっとまっかっか。
はずかしそうにまつ毛を伏せたおねえちゃんのどきどきが、ちいさなくちびるに触れた指からしかと伝わってくる。
そんなことなんて知らないフリ。無意識な素振り。そっと顔を近付けると、おねえちゃんの艶やかな吐息がふわり、ふわり。
「うん、そうだよ。わたしはおねえちゃんのこと大好きだもん。おねえちゃんのこと好き好き大好き超愛してる。おねえちゃんのことLuvLuvLuvYouILuvYouだよ」
こうしてことばにすると、いっぱいいっぱいになっちゃうね。
だけど閉ざされたココロに秘めた想いは確か。お燐のことだって大好き。お空のことだって大好き。
そしてやっぱりおねえちゃんは特別だからこんなになるんだ。おねえちゃんのこと、うざいくらいに大好き大好き大好き超大好き。
死なないと忘れられるはずないんだよ。どうしても無意識のうちにおねえちゃんのことを想ってしまうんだから、そもそも無意識に逃げるなんてこと自体無駄だったんだよ。
「アイ」とか「コイ」だとか言う想いは酷い薬。このセカイは残酷なのに、それは違うと錯覚させてしまういけない薬なんだ。
どうして神様はこんなセカイを用意して、わるい薬を用意してわたしたちを生かしているのだろう。今こうしていけない快楽に溺れそうな瞬間も、セカイではたくさんの人々が死んでる。
このぐちゃぐちゃで欲望に塗れたまま殺しあい血だらけで嬉しいあはははとか叫び蔑んで悲しくて涙流す何もかも訳が分からないわるい神様が作り出したセカイは一体何のためにあるの?
ああ、さよならしたいんだ。おねえちゃんからさよならしたい。このセカイからさよならしたい。
うそだ。またうそをついた。さよならしたくない。セカイとはさよならしたいけど、おねえちゃんとはさよならしたくない。みんなとさよならしたくない。
そんなのしらない。みえない。きたない。きえたい。しらない。みえない。きたない。しにたい。無意識のどこかに血のりみたいにぺったり張り付いたこの感情はなんなのかなあ。
「わ、わたしだって、こいしのこと……そ、その、すきですよ。す、き、ですよ……」
たどたどしいおねえちゃんのことばも、澄んだ音がして大好き。
でもやっぱり、なんか色々と、どきどきなんだよね。不安なんだよね。心配してくれてるんだよね。
それはぜんぶぜんぶわたしが悪いんだ。おねえちゃんはわたしのココロのきたない部分も、ぜんぶぜんぶ知ってしまったから。
こんな第三の眼なんて必要なかったのに、本当に神様はいじわるでわるいひと。
わたしとおねえちゃんは愛し合ってて、そんなものがなくても以心伝心で愛情だけを伝えられるのによけいなことして。
「うん、知ってるよ。おねえちゃんはわたしのこと超大好きだもんね」
「あ、あまり恥ずかしいから、やめて、こいし。わたしだって、ほら、ね、その、あ、はぁ…………」
ほっぺたをすりすりしてあげると、おねえちゃんが変な声を出す。
ちょっと大人になった感じがするよね。こうしてわたしたちもきたなくなっていくのかな。
おねえちゃんにはきれいであってほしい気もするけれど。いけないクスリ、試してみたいよね。ちょっとだけなら、いいよね?
まっしろなうなじにそっと舌を這わせると、おねえちゃんはひゃうんなんてかわいく鳴いてくれる。
絹のようになめらかな肌をつつっと伝い、そのまま耳元で一時停止。短めに切り揃えられた薔薇色の髪の毛がふわりなびいて、妖しい匂いを残す。
鼓膜まで吐息が届く距離でそっと囁くコトノハは、このセカイを変える魔法。ほら、そっと無意識に身を委ねたら天国が見えるんだよ、おねえちゃん――
「愛してる、おねえちゃん」
このわたしの無意識を以ってして、このわたしのココロ全てを以ってして、おねえちゃんに証明してあげましょう。
かつてセカイの終わりを証明した科学者達のように、わたしの想いがこのセカイにおける絶対不変の理であることを教えてあげる。
なにも怖くなんかないよ。不安になんかさせないよ。心配なんてかけさせないよ。おねえちゃんの想いの唯はわたしが保証するから大丈夫。
その行き先が天国だとか地獄だとか、そんなこと考える必要なんてなんにもない。おねえちゃんがこれから見る夢は必ず妄想リアル。永遠。極楽。ヘヴン。
あのねあのね、なにかを変えるってことは、このわたしを変えるってことと同じことなんだよ。
わたしとおねえちゃんが変わるってことは、このセカイを変えるってことと同じことなんだよ。
わたしはそんなのいやだよ。どうしてって言うかもしれないけれど、それは簡単なことなんだけどね。
わたしはおねえちゃんを大好きで大好きでたまらない『わたし』をやめたくないから。おねえちゃんにもわたしを大好きな大好きな『おねえちゃん』をやめてほしくないから。
わたしたちはセカイを変えられるけど、変えられないんだ。わたしたちは愛し合ってる限り、このセカイを変えることはできない。
――わたしはこんなぐちゃぐちゃなセカイで生きたくない。
しらない。みえない。きたない。しにたい。おねえちゃんをあいしてる。おねえちゃんをころしたい。
ぜんぶぜんぶ、わたしなんだ。セカイなんだ。しあわせなのにしにたいの。よくわからない。よくわからない。もうそんな風に考えること自体に疲れちゃったよ。
そっと滑らせた舌は、ゆらりゆらりとおねえちゃんの口元へ。
もうことばなんていらない。この先は言わなくたっていいんだよ。
わたしが思ってるだけでいい。おねえちゃんが感じてくれたらいい。
ようやくしあわせになれるね。わたしとおねえちゃん、ずっとずっと、しあわせだよ――
――ふわり重ねた吐息は、最初で最期のキス。
メロンソーダみたいな淡い想いがはじけて、ゆらゆらゆらゆら夢幻に舞い散った。
ああ、そっか。遥か彼方アンドロメダから無意識の宇宙に流れ落ちるシューティングスターは、わたしの赤い涙だったんだね――
「あ、あぁ、ん……」
永遠の一秒に流れ込んでくる、おねえちゃんのすべての想い。
あんなに近く感じられたココロも今は遥か彼方、きっとわたしたちは別々の道を歩き続けている。
痛いよ痛いもうココロ閉ざしたあの日から交わることのない無重力平行線。超えてゆく無意識の中蒼い銀河の川を、いつも、ひとり、いつも、歩いた。
遠くなるあの日のおねえちゃんの面影に、わたしはすがり続けている。
ずっとずっとふたりっきりで、あの旧都からモノクロの空を眺めて笑っていた。たくさんたくさんいいこいいこしてもらって、いっぱいっぱい泣いた。
晴れの日はおねえちゃんの手を引っ張って遊んで。人ごみの中がこわいこわいってなったら、ちいさなてのひらをぎゅってしたら大丈夫。
蒸し暑い地底の夏は日陰でそっとちぢこまって。冷たい雨の日は相合傘でぴちぴちちゃぷちゃぷ水たまりを蹴散らして。凍える夜はそっと寄り添ったらふんわりあたたかくて。
そうそう、いきなりこいしにおにあいだよって、この黒い帽子を髪をくしゃくしゃってしながら被せてくれたよね。すごくうれしくって、やっぱりわたしは泣いちゃったんだ。
おねえちゃんのことを想ってつらくなるくらいなら、そんな思い出なんていらないって突っぱねてみたけれど。
やっぱりわたしはあの頃あの時ふたりっきりでおねえちゃんと過ごした日々が大好き。結局『現在』や『未来』はいつだって過去になんて勝てやしない。
無意識に逃げてみたところで、わたしのなかで永遠の面影になったおねえちゃんはいつもやさしく微笑んでくれて、いつだってわたしの大好きな大好きなおねえちゃん。
それがどうしてもどうしても、たまらなくたまらなく愛おしくて、なんだかよけいつらくなる。
こんなにしあわせなのに、おねえちゃんはわたしがどうしてセカイに絶望しているか知ってしまった。
わたしも、わたしも、おねえちゃんのように、ヒトのココロを読んでも平然としていられるような強い子だったら、こんなことにはならなかったのに。
わたしにはどう考えても、このセカイは残酷としか感じられない。おねえちゃんはそれが嘘だと証明してくれるのに、なぜかどうしてか大切な想いは速攻で有耶無耶なものに変わってしまう。
そして、わたしは――そんなわたしのココロを読んで憂いかなしむおねえちゃんのことを知ってしまった。
おねえちゃんにはいつも笑っててほしい。かなしいかおなんて、泣いてるかおなんて、絶対に見たくない。そんな日常、耐えられるはずがなかった。
だからわたしは無意識に逃げ込んだ。しらない。みえない。きたない。しにたい。そう繰り返して全てのことからココロを閉ざせば、おねえちゃんの想いを知ることもなくなってしまう。
いっそのこと、おねえちゃんがわたしを監禁してくれたらいいのに。
古明地こいしは古明地さとりのペットです。一切外にも出さない誰にも触らせない手を出したら神であろうとも殺します。
そうやっておねえちゃんがわたしをひとりじめしてくれたら、わたしはしあわせになれるのに。
おねえちゃんはやさしいから、絶対にそんなことはしないんだ。いじわるなんだ。だから、ころしたくなるんだ。
わたしのラヴドールにしておねえちゃんを可愛がって永遠の時を過ごしたら、きっとしあわせになれる。
ああ、結局全部全部『if』で全部全部本当で全部全部ニセモノ。もうやだよ、こんなの。
ふわりたゆたう吐息からラズベリーの甘酸っぱい匂い。
重ねたくちびるから伝う想いは、あまくて、せつなくて、やさしくて、いとおしくて、かなしくて。
おねえちゃんにちゅってしたわたしのくちびる……ふわふわになって溶けて無くなってしまいそう。
ああ、こんな風にしてセカイは終わっていくのかな。それはとてもとても気持ちいいことだと思うんだけど、どうしてみんな死のうとしないのかな。
夢うつつなくちづけは、瞬きより短い永遠。
焼き付くような想いがなだれ込んでくる前に、わたしは逃げるようにくちびるを離す。
ずっとずっとしてたら、もっともっとおねえちゃんのことが好きになってしまう。
これはいけないあそびだから、あんまりしてるとあたまがおかしくなっちゃうんだ。
この手で抱きしめてるおねえちゃんのくびを、またしめてしまうかもしれないから。
夢だったらいい。また夢になればいい。でも、これは現実。わたしの大好きな大好きなみんながしあわせに生きてるセカイ。
みんなのしあわせなセカイを、わたしが変えてしまうなんてことは絶対にしちゃだめ。
――すてきだったよ、うれしかったよ。だいすきだよ。ありがとう、おねえちゃん。
ことばはもういらないんだ。わたしの言いたいことは、そのちいさなくちびるの先に全て残しておいたから。
無意識を使って椅子の端に立て掛けてあった帽子をひょいと頭に乗せて、すうっと消えるようにおねえちゃんのそばから立ち去る。
くちびると身体が離れてもおねえちゃんを求めようとするココロは、もうわたしがこのセカイから消えてしまわない限り想い留まることを知らず。
未来を捨てると交わした誓いのキスを裏切ろうとするわたしを殺してやりたい。潰した第三の眼のように、ばらばらばらばらにハカイしてやりたい。
こんなになってもまだおねえちゃんにすがろうとするわたし。ああ、悲しい性です。今にも泣き出しそうな瞳を抑えて、震える声を押し殺す。
ふらふらふらふらとキッチンを後にしようとしたその瞬間、わたしの大好きな音が鳴った――
「また、行ってしまうのですか」
やさしいやさしいおねえちゃんのこえがきこえる。
だけど、わたしは振り向かない。わたしは何も答えない。
無意識の赴くままに、手の鳴る方光の差す方へ。
おねえちゃんは決してわたしを引き止めようとはしない。
それはわたしの想いの全てを知ってしまったから。わたしのココロの全てを知ってしまったから。
このセカイに絶望していることも。このセカイを作った神様を恨んでいることも。おねえちゃんのことを愛し続けていることも。
全ての感情を把握した上で、自分には何もできないことを悟っている。わたしのココロが離れたあの日から、おねえちゃんはただわたしのことを見守ってくれている。
ふっくらパンを焼きながら、いい香りのするダージリンを淹れて、待ち焦がれているんだ。おねえちゃんは『わたしの』セカイの終わりを待ち焦がれている。
――また、自分にうそをついた。
本当はね、もしかしたら、もしかしたらって……ずっと思っているんだよ。
3rd eyeで繋がるココロから『今』のわたしを知って、おねえちゃんが抱きしめてくれてたら。
おねえちゃんが「わたしのために生きて」と言ってくれたら、わたしは「うん、わかったよ」って笑えるんじゃないかなって――
「……ココロが読めたところで、私の存在とは随分無力なものですね。誰一人として、救ってあげることができないのですから」
あのキスの意味が、おねえちゃんには伝わらなかったの?
そんなことない。そんなことないよ。おねえちゃんは無力なんかじゃない。
お燐やお空や、わたしのたったひとりだけの唯。おねえちゃんがこうして笑っていてくれるだけで、わたしたちはしあわせなんだ。
おねえちゃんがかなしんでいたら、みんなかなしいんだよ。おねえちゃんがこうして待っていてくれるだけで、わたしは本当に本当にうれしいんだよ。
おねえちゃんにそんな台詞は似合わない。ずっとわたしの手を引いて歩いてくれた大好きな大好きなおねえちゃんは、弱音なんて絶対に言わないんだから。
そんなおねえちゃんのやさしさはとてもあたたかくて大好きなのに、なぜかわたしのココロを蝕んでいく。
あまくて、ほろ苦い。うれしいのに、かなしい。きれいなのに、きたない。きえそうなのに、きえない。
いくら無意識でココロを閉ざしても、お燐やお空、おねえちゃんの想いはすうっと意識の壁をすり抜けて届いてしまう。
ふわりふわり無意識の何処かに残ったそれは――あたかもこのセカイに絶対的なしあわせが存在すると錯覚させる。
わたしが望む『死の向こう側にある無意識のしあわせ』と相反するような感情を受け取った途端、ココロは拒絶反応を起こしてばらばらばらばら殺人事件。
虫歯みたいにハートが軋み始めると痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイ痛い痛いココロ痛いの痛いのやだ痛いの痛い痛いやっぱりわたしは死んでしまいたい。
何も考えたくない。何も感じたくないんだ。無意識に、まっしろになりたいの。わたしは、わたしは、何も、何も感じたくないんだよ。
だから、もう楽にさせてほしいの。おねえちゃんだって、それが私の望みだとわかってるからこそ何も言わないんだよね?
うそ。またうそだ。全部嘘なんだ。このセカイはやっぱり幻とか夢とかリアルだとか、もうやっぱりそんなことはどうでもよくて――いつかセカイは終わる、それ自体が希望だから。
「……おねえちゃんは、おねえちゃんでいてくれたらそれでいいんだよ」
ああ、今おねえちゃんはどんなかおをしているのかな。
さっきのキスでまっかっかなまま? それともかなしみですぐにでも泣き出しそうな頼りない笑顔を浮かべているの?
それなら、わたしは、はずかしがってるおねえちゃんの方がいいよ。みんなでご飯を食べて笑ってるおねえちゃんの方がいいよ。
わたしが大好きで大好きでたまらないおねえちゃんでいてくれたらいいんだよ。たったそれだけの簡単なことなんだよ。
ほら、やっぱりそうなんだ。要するに、そういうことなんだ。
おねえちゃんがおねえちゃんでいてくれたら、わたしもみんなもしあわせ。
このセカイの仕組みなんて随分と簡単にできてるんだよね。わたしがいなくても、ちゃんとセカイは続いていく。
この瞬間に誰かが死んでいても、みんな何も感じないのと同じように何事もなかった素振りで、このセカイはくるくるくるくると回り続ける。
どうせ死んでしまったら、何もかも分からなくなってしまうんだから。それが何かと楽でいいよね。
すうっと無意識に身を委ねて、ゆらりゆらりキッチンを後にする。
おねえちゃんが何か言っていたような気がしたけれど、聞こえないことにしておいた。
多分いつもと同じだから。気をつけてとか、ご飯はちゃんと食べなさいとか、身体に気をつけてとか、その類だね。
わたしはもう子供じゃないから大丈夫だよ。おねえちゃんの方こそ、あまり働きすぎはよくないから。たまにはちゃんと休まないとだめだよ。
◆
ゆらゆら、ゆらゆら。ゆらゆら、ゆらゆら。
キッチンから誰もいないリビングを抜けて、ふらふらふらふら廊下を歩きながらエントランスまで来ると、いつものお気に入りの場所にお燐がねんねこしてた。
くるくると地球のように動くきらきらな瞳が、じいーっとわたしの方を見つめている。靴を履いて、とびらを開けても、やっぱりじいーっとわたしから視線をそらさない。
おめめ以外ぴくりとも動かないところを見ると、やっぱりわたしが連れてってくれないことが分かってるみたい。もしおいでおいでしたら、お燐は付いてきてくれるのかな。
ううん、いけない。それはきっとおねえちゃんに引き止めてほしいのと同じ感情。くしゃくしゃになでなでしてあげたかったけど、想いが残ってしまうような気がしてやめる。
――さよならなんて言わないよ。
わたしがいないこと。それ自体が日常になってるみんなにさよならは必要ない。
わたしはこうしていつまでもふらふらふらふらしてて、たまに気まぐれで帰ってくる。そんないい加減で適当な子だと思ってもらえたらそれでいいんだ。
そして時がたってしまえば、わたしがいないことも当たり前になって、いつしかみんな忘れてしまう。わたしの存在が消えてしまっても、ああ、そんなひともいたね、みたいな感じ。
それは今こうしている間も絶え間なく命を落とす人々が存在して、泣いて、悲しんで、喚き叫んでいるのに……誰も気付かない感じないことと同じだから。
わたしは、しらない。
わたしは、みえない。
わたしは、きたない。
わたしは、きえたい。
多分きっとそうやって言って、うまくすり抜けて、うまくごまかして。
そう言うとほんのちょっとだけ楽になれることに、いつのまにか気付いていた。
愛と言うなまえのお薬だって、結局誰も救わないし、わたしをしあわせにしてくれなかった。
ただおかしな副作用で、このセカイが素敵だと思い込ませるような幻覚を見せるだけの一時凌ぎ。
結局わたしのストーリーは時々スローリー流れていって、そしていつかサドンリー。どうせこのまま何となく途切れてしまうんだろう。
それでいいよ。わたしはもう何も感じたくないから。
――絵本はもうお終いお終い。
エーテル麻酔が注射されたガス室の中。首吊り台の上で、わたしはこのセカイを愛しく思えるのかな?
答えはYes.わたしのいないセカイは今よりずっと素晴らしくて、みんなみんなしあわせな、そんなセカイだから――
◆◆◆
ごうごう、ごうごう。ごうごう、ごうごう。
ふつふつと煮えたぎって臨界プラズマ条件に達している核融合炉は、おねえちゃん手作りマーマレードのように真っ赤に染まっていた。
CAUTION!!とか書いてある柵を乗り越えて、ふらふらふらふら崖際を歩き続ける。赤く燃えあがった空から舞い散る雪はきらきら銀河みたいで、とてもぴかぴかきれいきれい。
そんな幻想的な景色を見上げながら、わたしは大きなあくびをひとつ。うん、憂鬱さをとり乱したまま、今日も古明地こいしは疲れ顔です。
――無意識の中で歩くセカイはハカイヨノユメ。
いつかおねえちゃんと夢見た幻想の花が咲く場所を探してみたけれど、それはやっぱりどこにも見つからなかった。
もう思い出せないや。わたしはどのくらいの時間を過ごして、どれほどの景色を見てきたのかな。街は名前をなくして、見上げた空の星屑は消えて、わたしは猫おねえちゃんは花。
夢うつつ、おぼろの庭。雨上がりのノイズに安上がりな絶望を祈る詩も静寂へと投げ捨てた。全ては意味を失いつつあって、セカイは終わろうとしているんだと、わたしは何となく思ったんだ。
猫は死期を悟ると、死に場所を求めて姿を消すと言う話をおねえちゃんから聞いたことがある。
それはなぜかと言えば、飼い主や最愛の人に自分の苦しんで弱っているところを見せたくないからなんだって。
あらかじめ絶対誰にも見つからない場所を探しておくんだとか。それはきっと多分わたしの前世が猫だったんだなとかって、今になれば色々思うんだよ。
――わたしが核融合炉に飛び込もうと思ったあの日、どうしてお燐はあんな場所にいたの?
ずっと、ずっと、お燐に聞いてみたかったこと。
きっと、と言うか絶対お燐も死に場所を探していて、偶然とか運命とか神様のいたずらとか大体そんな感じで、わたしに見つかってしまったんだろうけれど。
今になればふと思う。もちろん境遇だって違うしよく知らないけれど、少なくともあの時あの瞬間……同じ気持ちだったはずのわたしとお燐は、一体何が違ったのか分からない。
お燐はわたしが拾って連れて帰って以来、ずっとしあわせそうにしてる。それに比べてわたしはどうだろう。無意識に逃げて逃げて逃げて逃げまくった結果、こんな無残なありさまです。
それも運命や神様のいたずらって理由で片付いてしまうのかな。しあわせをもたらす猫ちゃんお燐が見つけた幸福論、もしもわたしが知っていたら――しあわせになれたのかもしれないね。
外の世界では『保健所』とか言う名目の施設で、毎日毎日人間の私利私欲によって飼いならされた犬猫がガス室で死んでいるらしい。
生きたいと願う存在が死んで、死にたいと望む存在が生きる。こんなセカイ、やっぱりどう考えてもおかしいよ。おかしいにきまってるよ。
もうそんなこともどうでもいいし。何も感じたくもない。わたしが死んでしまえばこのセカイが終わるってことだけは、神様でも変えられない真実だから。
――その瞬間。後一秒一オングストローム。ゆらり、ゆらり帽子が宙に舞う。
差し伸べたてのひらは空を掴んで、核融合炉から浴びせ掛けられる熱風に無意識無重力浮遊する身体。
ああ、待ち焦がれていた。ずっと、ずっと待ち焦がれていたメルトダウン――炉心融解するセカイに背中を向けたまま、わたしは核融合炉に飛び込んでいた。
「あは」
...falling down falling down.
そっとただ待っていたのは、変わらない故郷のモノクロの空。
逆さまになったセカイから堕ちて行く心地良さは、地球の引力に引き込まれちゃう感じ?
小さな頃は空も飛べるはずだと信じてたツバサはもぎとった。ようやくわたしは死んで、限りない想像のセカイへ旅立つ。
もがく指から零れて空を彷徨うてのひら。今ならアルタイルまで届きそうな気がするのに、あの星のカケラひとつも掴むことができないや。
ゆらりゆらりわたしより遅く落ちてくる大きなリボンの付いた帽子はUFOUFO感覚UFO...未確認飛行物体はずっとわたしの大切なたからものでした。
被ってるとずっとそばにおねえちゃんがいてくれる気がして、とても大好きだったよ。だけど、さよならなんだね。ほんの少しの未来は見えたのに、さよならなんだ。
ああ、きれいな音色。賛美歌の響く核融合炉に裁きの鐘が鳴る。
このどうしようもないセカイを作った神様――それはつまり古明地こいし自身が下す死罪のジャッジメント。
わたしの瞳が色を失って、あの空をなくすまで、加速して行くラストシーンは誰にも止められない。
核融合炉が燃やした空はセカイの終わり。無意識を犯すメルトダウンの熱で記憶が融かされて、少しずつ、少しずつ……まっしろに消えていく。
――お空は今ちょうどお仕事でもしているのかな。
わたしのために用意してくれた限界破裂な核融合炉の火力を「うにゅぅ」とか居眠りしたままほったらかして。
ぎゃーぎゃーうるさい地獄鴉のわりにはおとなしくておっとりした子で、超マイペースなお空にはわたしもお燐も全然かなわないんだ。
おうちに来てからは、ずっとずっとわたしが餌やり当番だったから、ヒト化できるようになる前からよく甘えてくれたよね。
今もさり気なくって言うか堂々と甘えてくれる。そばから離れたがらないから、わたしのこと大好きなんだってすぐ分かっちゃう。
お空にはもっともっといいこいいこしてやりたかったよ。
くだらないこといっぱいいっぱい話してさ、どうしようもないことでけらけらけらけら笑ってね。
ちょっとのんびりやさんでのほほんとしてるけど、ほら、さり気にお空って癒し系だから。
そうやってぼけーっとしてるだけでもお空は、わたしたちにしあわせを感じさせてくれるんだ。
――お燐は、また……とてとて、とてとて。とてとて、とてとて。
あのお気に入りの場所でねんねこしながら、わたしの帰りを待っているのかな。
猫車で死体を運ぶのは案外重労働。いつも「あたいはもう疲れましたー」なんて笑いながら、やっぱりみゃーみゃーこねこちゃんに戻っちゃうんだ。
ぬくもりがいとしくて抱きしめようとするとすぐにひょいと逃げちゃうくせに、たまには突然甘えたがったり、本当に気まぐれやで気分やさん。
たまにきゅっと赤いスカーフを巻いておめかしして、りんりんりんりん赤い鈴をつけてやると、お気に入りらしくヒト化したがらなくなってお仕事さぼっちゃう。
お燐がいないと、おねえちゃんとお空が困っちゃうんだよ。ふたりともさびしがりやさんなんだから、お燐がちゃんとそばにいてあげないと泣いちゃうよ。
ことばにしなくても伝わる確かな想いを教えてくれた存在。
そしてあの時わたしの運命を変えてみせたしあわせを呼ぶ子猫――それがわたしの親愛なる"RingRingRing"
あの時も、そしてこれからも……お燐は核融合炉に飛び込む必要なんてない。死ぬ必要なんて何もなかったんだ。
死んだペットが飼い主を待つと言われる虹の橋の彼方。そこにはわたしが代わりに行くから。
色鮮やかに染まる追憶の未来。この指であなたのセカイを虹色に変えて、お燐がやってきたら思いきり抱きしめてあげるよ。
――おねえちゃんは、ただただ『わたしの』セカイの終わりを待っているのだろうか。
うちがわはふわふわで、そとがわはこんがりさくさくなパン。甘い甘い甘いアマイ甘いのが大好きなわたし専用おねえちゃん特製レシピなロイヤルミルクティー。
わたしのいないセカイでも、ずっとずっとわたしのために料理を作って、わたしを待っていてくれるのかな。そのハートの鼓動が止まるまで、永遠にわたしを待ち続けてくれるのかな。
そんなの、おかしいよね。全然無駄だよね。そうやって意味のない時間を過ごしてきたんだよね。いつ帰ってくるのかも分からない、どこかで野垂れ死んでるのかもしれないわたしのこと。
わたしが死にたがってることを知って、自分が何もしてやれないと悟っても、ああやって料理を作ってわたしを待ってる。おかしいよ。色々おかしいよね。どう考えてもおかしいよね。
ずっとずっとわたしは、悪いのは全部おねえちゃんだと思ってた。狂っているのはおねえちゃんなんだって。
だって、おかしいよ。あれだけ嫌になるほどヒトのきたないきたないうす汚れたココロを覚えても、おねえちゃんはなぜか凛として平然としてる。
このセカイは残酷だなんて、絶対に分かってたはずなんだ。このセカイのしあわせはなぜかどうしてか速攻で邪魔が入って、すぐに脆く砕け散ってしまうものだって。
わたしはね、すぐに気付いたよ。ちいさなしあわせなんて、ぎゅってしたらぼろぼろになって崩れていくのが分かってたんだよ。このセカイはどこか色々と変だなと思ってたんだよ。
でも、多分きっと、おねえちゃんは最初から知っていた。最初から全てお見通しだったんだ。
わたしとおねえちゃんを繋ぐ想いは永遠に限りなく近い永遠。わたしの想いなんて、たとえ第三の眼を潰して無意識に隠してみても絶対にばれてしまうんだ。
大好き大好き超大好きなおねえちゃんは、わたしのことなんて全部分かってくれる。そっと近くにいてくれるだけで、3rd eyeなんてなくても、わたしたちの想いは通じ合っているから。
わたしの想いさえ感じられたら、おねえちゃんはしあわせ。だからこのセカイがどんなに残酷でも、おねえちゃんはわたしのことだけを信じ続けて今日と言う日を生きる。
ただね、そうやって可愛がってくれるから、やっぱりうれしくて、かなしいんだ。あいしてくれるから、どうしてもいとしくて、せつないんだ。たまらなくすきだから、つらいんだ。
こんなどうとでも言えるセカイで、ぐちゃぐちゃに汚れきったどうにもならない感情を抱えて、ココロを閉ざしたわたしはどうやって生きていけばよかったの――?
――こいし、こいし。こいし、こいし。
アレグロ・アジテート。アレグロ・アジテート。
もう届かないはずのみんなの声が、おねえちゃんの声が延々とリフレイン。わたしのなまえを呼ぶ声が、延々とリフレイン。
繋いだてのひらから伝うぬくもり。閉ざしたはずのココロから感じる変わらない想い。重なる夢。重ねる嘘。重なる愛。重ねるくちびる――
ああ、わたしはおねえちゃんを殺してしまえば、しあわせになれると思ってた。
今考えてみれば、鮮やかな殺人もスウィートなキスも――あんまり変わらないのかもしれないね。
あのちいさなくちびるに残してきたわたしの想いを、ずっとおねえちゃんは抱えたまま生き続けるのだから。
結局自殺も他殺も接吻も罪のようなもの。要するにあの時おねえちゃんとしてしまった切ないくちづけは甘い誘惑Guilty kiss...
なんだ、わたしはやっぱり犯罪者。わたしはおねえちゃんを殺したようなものだ。この核融合炉に飛び込んだことなんて、多分償いにならない。
わたしがおねえちゃんにできることはなんだ。このセカイでおねえちゃんにしてやれることはなんだ。
こんなわたしでもおねえちゃんにしてあげられること、それは一番いやだった、生きる、こと?
わたしは、わたしは、この残酷なセカイの全てをきれいな嘘に変えてでも、みんなを愛することができるのかな。
わたしのセカイは終わっても、みんなのセカイは続いていく。お空のセカイから、お燐のセカイから、おねえちゃんのセカイからわたしが消えても、みんなのセカイは続いてく。
わたしの残したものなんて、これっぽっちもないけれど……みんなの中で生きた古明地こいしと言う存在は、もしかしたら永遠になるのかもしれない。
少なくとも、わたしのおねえちゃん。古明地さとりの中で、わたしはもう永遠の面影になってしまった。きっとわたしが死んでも、ずっとずっとおねえちゃんの中でわたしは生き続ける。
そしておねえちゃんは幼き頃を過ごした色褪せない思い出と、キスから伝う想いを胸に秘めて――わたしはここにいますと、パンを焼いて紅茶を淹れながら、わたしを待っていてくれるんだ。
――怖い怖い夢に見たのは、おねえちゃんのいないセカイ。
おねえちゃんだって、きっと同じなんだよね。みんなみんな、同じなんだ。お空もお燐もおねえちゃんもいないセカイなんて、絶対絶対いやだから。
みんなのこと、おねえちゃんのこと、大好き大好き超大好き超愛してる。第三の眼を失って無意識になったとしても、わたしは、わたしは、そんなココロを消したくない。
よっしオッケーだよ。うんうん、わたしね、これから『さよなら』を言いに行くよ。
みんな多分意味全然分からないと思うけれど、おねえちゃんは必ず分かってくれるよね。
そんなこと言ってはいけませんよってぷんすか怒るおねえちゃんに、わたしは「うん、わかったよ」っておおきなこえで笑って返事するから。
こうやってテキトーに誤魔化して、自分に何か言い訳して、その場限りの理由を作って、みんな生きているのかもしれないね。
つまんない。つまんないね。超つまんないよ。だけどね、こうやってちょっとずつ視線をずらしていったら、わたしはわたしのままで、セカイは変わるのかもしれないなって。
ギガフレアを繰り返す地表から一オングストロームのところで、無意識は月の引力に任せて身体をすうっと空へ浮かべる。
核融合炉の中心から見上げる灰色の空の先、きらきら光る雪の結晶の間から……美しい幻想の花が咲き誇る天国が垣間見えた。
ゆらりゆらり落ちてくるUFOになった帽子をキャッチしたら、きらり煌くシューティングスターみたいに暗い夜空へbyebyeさよならセカイ――
◆
――無意識の中で歩くセカイは無重力の遊泳。
二本足で立つ地球の隅っこふらつく身体バランスとれてるかなトランス状態くるくる回るわたしは何処かと思ったら、ちゃんとおうちの前にいた。
たまにおねえちゃんは「こいしは昔からよく迷子になって泣いてましたね」とか言うけれど、こうして戻れるうちは大丈夫だし、むかしとは違うからもう泣かないよ。
そもそもわたしはもうそれなりに生きたから、独り立ちできるもん。でもね、こうして帰るおうちがあって、待っててくれる人がいるって……こんなにうれしいんだね。
とてとて、とてとて。とてとて、とてとて。
とびらの向こうから聞こえるお燐の可憐なステップ。
やっぱり、ちゃんと分かってるんだ。必ずわたしが帰ってくると信じてるから、こうやってずっと待っててくれる。
お空もおねえちゃんもきっと同じ。うん、それだけで戻って来た甲斐があったと言うものです。なんて一人悦に入りながら、ふと考えてみる。
――お燐やお空やおねえちゃんのために、わたしは変わることができるかな?
こんな弱いわたしにとって、このセカイはつらいつらいことばかりだけど、みんながいてくれたら頑張れるような気がする。
いつもテキトーでふらふらふらふら放浪癖は当分治らないと思う。でもね、ちゃんとみんなに何らかの形で恩返しできたらなって。
わたしなりのわたしにしかできないようなことで、みんなに必ず報いたい。きちんとした約束はできないけれど、今わたしにできる限りをしてみるよ。
きっとね、とびらを開けたらお燐が喜んで出迎えてくれると思うから、わたしはいつものようにいいこいいこしてあげたらそれでいいんだ。
お空にもおねえちゃんにも、いつも通りにしてたら大丈夫。何も飾らない素のわたしのままで、みんなの愛してくれる『わたし』であり続けることができたら、きっとみんな喜んでくれる。
それだけでみんなしあわせなんだよ。わたしはわたしでせいいっぱいだけど、そのための努力を、少しずつ、少しずつ、積み重ねていけたらいいな。
――もっともっと今よりずっとずっと、おねえちゃんを愛することができるかな?
わたしがおねえちゃんに抱く想いは、愛とか恋とか、つまり姉としてなのか、恋愛感情としてなのか……よくわからないけど、そんなことはどうでもよくて。
おねえちゃんのこと大好き大好きでたまらないこの想いで、ちゃんと安心させてあげたいな。第三の眼なんてなくても、わたしたちのココロとココロはちゃんと通じ合ってるんだから。
どこか違う場所にいても、遠く離れてしまっていても、今は別々の道を歩いているのかもしれないけれど――わたしたちの想いで繋いだ運命の糸は決して解けることのない永遠の絆。
おねえちゃんがいたら、わたしはしあわせなんだ。そんなこのセカイでたったひとつだけの真実を、おねえちゃんにはっきりと分からせてあげたい。
在りし日のおねえちゃんの面影に立ちすくんでいただけのわたしとはさよならしよう。
おねえちゃんに会うたびに、大好き大好き超大好きだよって壊れたお人形さんのように繰り返して顔を真っ赤にしてあげるんだ。
わたしの体温を忘れられなくなるようにぎゅっと抱きしめて痛いくらいハグしてあげて、頭がおかしくなるようなキスを何度も何度も重ねて、おねえちゃんをぐちゃぐちゃに犯すの。
3rd eyeもわたししか見えなくなるように、ココロが痛くなるほどに、もうおねえちゃんがこいしがいないといやだと泣き叫ぶくらいに――想いの全てをおねえちゃんのハートに刻み付けたい。
わたしとおねえちゃんはもう運命複雑骨折だね。わたしはおねえちゃんがいないセカイは考えられないし、おねえちゃんもそうなってしまうんだ。それって、とてもしあわせだと思わない?
――すぐに忘れてしまうよ、こんなことなんて。
この残酷な世界に架かった虹が奏でる美しい幻覚幻聴妄想を、人はサイケデリック後遺症と呼ぶのでしょう。
幸せと不幸を突き付けられた上で残されたのは、ただの不安だらけな日常なのか…
今こうして自分たちが暮らしている世界をそのまま突き付けられた気がします
生きても死んでも苦しいなら、俺たちはどうすればいいんだろうか
救いはあるのかないのか分からないまま不安定でアンノウンな何かが渦巻いてる
結局キャラと作者が問うて見つけた答えが限りなくディストピア?
異色な感覚が素晴らしい
9mm、バックホーン、Syrup16g、ミッシェルガンエレファントくらいしか分からないけど。
一歩下がって、三歩進んでまた二歩下がる感じが素晴らしい
小六病患った一般的な中学生みたいなポエムじみた一人称が僕のイメージと完璧に相容れませんでした。
ただ、中盤で少し持ち直しました。さとりとの愛の表現は良かったです。ここだけで60点はいけます。
と思ったらオチでまたダメな感じになりました。
一回だけの死を無かったことにされたら興ざめです。何度でも死んでほしいのに。
技術を評価しろと言われたら、イメージが合わなかった僕を引き込めなかった時点で大した技術じゃない、と言わせてください。絶対これだけは言っちゃいけないんだろうけど……まるでルー大柴みたいという箇所がいくつか。援助交際のほうはこれほど気にならなかったんだけどなぁ……。
僕はこいしが好きなんです。大好きなんです。
もっと超越した精神性であってほしいのです。
どうやら無理でした。すみません。この偉そうな感想は、この作品への礼儀ということでご容赦頂ければと思います。
とても素晴らしい作品をありがとうございました。
エッセンス的に使われているならそういう手法もアリだと思うのですが、表現をただそのまま借りているだけにしか
見えなかったところがなんとも…特に炉心融解の歌詞が何度も使われているところとか。
恐らく作者オリジナルの表現も多数あるでしょうに、全て何か元ネタがあるのではないかと勘ぐってしまい、
折角の雰囲気作りがとても勿体ないです。もう少しご自分の文章を大事にして頂けたらな、と思いました。
この手のが苦手な人と、許容できる人、今現在こいしな人で評価が大きく別れそう
不思議な雰囲気が面白かったです
ただ僕らに突きつけられた、やるせない現実への諦観がこいしらしい口調から伝わってきて面白かったです
行き場を失っても、ちゃんと帰る場所がある。それでもこの世界の無常からは、無意識を駆使しても逃れることはできないのですね
その究極の選択として選ぶ自殺は正しいものにならない、それでも救いはないと笑うこいしの自嘲的な語り口が素敵でした