Coolier - 新生・東方創想話

Farewell 下

2010/12/22 20:18:36
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 ずぅっといっしょにいつまでも。望みはそれだけでした。
 なぜってそれは、貴女を愛しているからに他ありません。

 貴女は、違うのですか?






Farewell 下



注:Farewell 上、中、からの続きになっております。
  星と水蜜が恋人だという前提がございます。苦手な方は回れ右願います。







「…………っはは、なんてね。冗談だ。面白かったかい」

 私の一言のせいで星はすっかり静まり返ってしまった。
 コレはさすがに。
 そう思ったから、前言の撤回を始めたのだ。
 船長を救うことなんてできない。そう、そうだ。そういうことにしよう。諦めさせよう。諦めれば良い。

「船長が助かる方法なんてないよ。一瞬でも信じたかい?」
「ナズーリン」
「君が困るところを見たかったのさ。ははっ馬鹿だね。君らしいといえば君らしいが……」
「ナズーリン!」

がらっ

「ぅわっ!」

 引き戸が勢い良く開き、腕をつかまれた。突然のことに抵抗もできず私は部屋の中に引きずり込まれる。どたっと音を立てて畳に打ち付けられた体をなんとか起こす。

「…………本当に、水蜜を救えるんだな?」
 上げた目線の先には、虎妖怪。

「…………冗談だよ……船長を救うことなんて、今更できやしないね」
「本当に?嘘だろう。冗談を言う為に今更私を訪ねるか???」
 星は私の襟首を掴み上げた。そして私の目をにらみつける。毘沙門天でなくなったとはいえ……その眼力はすさまじい。
「…………君が困っているところを……笑いに来たのさ」
「ほんとか?ただ皮肉を言うためだけに来たとでも??そんなことはないだろう。交渉するために来たんだろう?おまえは、そういう性格だ」
「……………………」

「あるのだろう?水蜜を救う方法」
「………………ないよ」
「あるだろう」

 眼をそらす。

「私が想いを寄せるのは水蜜だけだ。それは変えられない。それでもいいというのなら、交渉には乗ってやる」
「………………!」
 私の目を覗き込む星を見つめ返す。
「…………いいの、かい…………?」

 それは確かに、私が長年叶わぬと知りながらも望んでいたことで。
 星は険しい表情を変えずに素早く肯いた。
「ただし約束だ。必ず水蜜を救ってくれ。それができないのなら、その時はおまえを食い殺してやる」
「………………交渉成立だ。必ず、方法を教えよう」

 その言葉を聞き届けると、星は私を布団の上に押し倒した。







「うっわ!!!!!ムラサ!!!え、いいのッ?!起きててだいじょぶ?!?!」

 ちょいとムラサの様子でも見に行ってやろう。魔が差してそんなことを思いつき、てててっと廊下を歩いていた。そんな時のことだった。当の本人が、目の前に。あれれ?聖の話ではムラサはずっとおねんねしてたはずなのにな……ま、いっか。

「…………何、幽霊でも見たような顔して」
「あは、ごめんごめん。……って、いやいや、幽霊じゃん」
「何?その手」
「え?ああ、これっ?あーえーとぅ……こ、転んだの!」
「どんな転び方だ」
「あっはは……」

 私はまだ包帯がぐるぐる巻かれたままの手を背中に回した。ムラサがぶっ倒れてたのをいいことに、とらとらに喧嘩を吹っ掛けてたなんて言えるわけない。笑って誤魔化すことにする。

「ねえ、ぬえ」
「ん?なに?」
「……永遠亭のお医者さんは何て言ってるの?」

ぎくっ

 ここは素直に答えて良いのだろうか……いや、駄目だろう。……ムラサはきっと元気になる。言霊ってやつだ。

「ん、ああっ風邪みたいなもんだって!この冬は寒かったからねー!」
「ふーん……」
「いやあ、幽霊でも風邪ひくんだねー、なんつって!っはは…………」
「嘘。病気とかじゃないんでしょ」
「いやいや!!あっ、ほら!地上の冬にまだ慣れてないんだよきっと、だからっ……ぁう?!」

 ムラサは、私の頭に手を置いた。いやおうなく……黙らされる。

「ぬえは嘘が下手だね。人間を騙すのはうまいのに」
「う、嘘じゃないよっ?ほんとにほんとの、風邪だよっ…………?」

 ムラサはわしゃわしゃと髪を撫でる。微笑みながら頭を撫で続けるムラサに対してどう反応していいかわからず、私はただあぅーとか唸りながらされるがままになるしかない。
「自分のことだからわかる。…………終わりが、近いんだよね」
「ッ…………」
「私に残された時間はない。……"生き"過ぎたんだね…………」

 反論しなきゃ。そう思ったが、何も言葉が浮かばない。
 1000年も生きていながらこの語彙力……悲しくなる。

「ごめんね、ぬえ」
 ムラサは私の頭から手を離した。……ちょっと、名残惜しい。
「何で、謝るの……?」
「最期に一緒にいたいヒトが……ぬえじゃ、ないから」
 即答は、こちらの意思を一切拒むと、そう言ってるのに等しいよね。
 だからこっちだって問うてやるんだ。

「…………あんなのが、そんなにいいの?」
 ムラサは答えずに、ただ、にこっと笑った。
「私がいなくなっても、喧嘩ふっかけちゃだめだよ」
「ぅ…………」
 背中に隠した右手が痛む。
「じゃ」
 そしてムラサは廊下に消える。

 ……私が、その背を追うことは叶わないみたい。

「ムラサ………………」

「ムラサの……ムラサのばかちん…………!」

 私はただ顔をくしゃくしゃにして、つぶやくしか出来なかった。







 最期はいっしょにいたい。その願いを叶える為に、板張りの廊下を歩く。夜も遅いので抜き足差し足、音を立てぬように気をつける。この廊下の最奥が、星の部屋。今が七ツ時なら星に会うにはぴったりの時間だな。結構洒落てるじゃないか。そんなことを考えながら歩を進める。

「あれ……?」

 部屋にほんのりと小さい明かりが灯っていた。こんな時間にまだ起きているのだろうか。読書でもしているのか。しかし、そんな気配はない。もしかして読んでいる最中にそのまま寝ちゃったのかな?それで、明かりが消えていないんだ。
 読書に熱中して、だんだん眠くなって、うつらうつらと船を漕ぐ星。想像するとかわいすぎて、思わず笑みがこぼれる。
 もしかしたら寝ているかもしれない星を起こさないように、そ、っと、ガラス戸を引いた。

 案の定。寝ているらしく、戸を引くと同時に穏やかな寝息が聞こえてきた。

 …………?
 
 しかしそこにわずかな違和感を覚える。違和感の正体を探ろうと耳を澄ます。慣れ親しんだ星の寝息と、もう一つ、重なる吐息の音が聞こえてきた。
 息の音が……二人分。

 …………二人分…………?

 目を凝らし部屋の中を見渡す。小さな灯りに目が慣れてくると部屋の中の様子もだんだんわかってくる。床に眼をやりまず視界に入ったのは、部屋に散乱する衣服。目立つ虎柄の腰巻と橙色の法衣……星の服だ。
 さらに視線を移し、次に目に付いたのは、裾に穴が開いた特徴的なスカート。スカートの上には、糸を通した八面体のクリスタルが落ちていた。


 …………これって…………?


 そのまま視線をスライドさせる。

 その先のものは……見てはいけない。

 それでも。

 それでも確認しなければ……ならない。

 部屋の真ん中に敷かれた布団。そこに寝ているのは星だ。それは当然……ここは星の部屋なのだから。
 寝巻きに通していない素肌が見える腕。その星の腕の中に抱かれて同じくすやすやと寝息を立てていたのは。


「…………………………ッ」


 私はそのまま戸を閉めた。
 一歩あとずさり。辺りを、ぐるりと見渡す。

 間違ってない。…………やっぱりここは、星の部屋だ。
 そして部屋の中で寝ていたのも、星だ。
 星の部屋に星がいるのは、当たり前で。


 で。


 星が、いる。


 けど。


 え…………っと。



 目にしたものを、頭は受け入れない。

 ………………なんだか足がふらつく。
 ………………頭がゆらゆらする。
 ………………目の焦点が定まらない。

 自分が信じて、魂をすり減らしてまですがり付こうとしたものは…………






「……………そ、っか………………」





「………………そう……だったんだ………………そうなんだ」




 合点がいった。




 星の歯切れが悪かったことも。
 何の相談もなく毘沙門天をやめてしまったことも。
 ナズーリンがいなくなってしまったことも。
 謝罪の意味も。


 "主従から解放されたかった"のだと考えれば、説明がついた。





「なーんだ……」

 求めていたのは……


「………………っはは……あはは……あはははっは………………っは………………………………あ………………ぁ」


 ………………私だけだったのか。





 当に裏切られていたのだと、いや、見限られていたのだと。そう気付いたところで、すでに乾ききった舟幽霊からは涙なんて一滴も落ちることはなかった。





**********





 翌朝目を覚ますと枕元に一通の手紙があった。差出人には察しがついている。綺麗に折りたたまれた紙をかさかさと広げ、読み上げた。

「"ありがとう……さよう、なら」

寅丸星"

 かさっと、音を立てて、紙は落ちた。

「………………ぁ」

 覚悟はついていたものの、はっきりと宣言されると衝撃は大きい。


 …………私は…………選ばれなかった、んだね。


 もう永くない生、しがみつく理由もない。わずかな命を無意味に過ごすくらいなら、己の手で終わりとしよう。

 船長室を出る。階段を降り、うすくらい廊下をひたひたと歩き、聖輦船のオモテへと……物置へと向かう。物置を漁り、マッチ数箱と1000年間書き続けたログブックの束を見つけ、持てるだけ抱えるとまた来た道を戻る。さすがに1000年分は無理だ。数十年分のログブックを運び込んだところで、私は船長室に篭った。
 聖に救われてから今まで。星に会うまでにも、地底に封印されてからも、そしてまた地上に出てからも……航海はしなくとも、ログブックは書き続けた。
 だから今日も、私は書く。

 数日分の空きがある。そこは埋めることなく今日の日付を書き込む。

「Light air & Blue sky ……Phenomenal. Regulation ligthts were strictly attended to. Round made alls well.」

 天気は快晴、風は微風。これが最期の、航海日誌。
 今しがた記したばかりのログブックを、長年書き溜めたそれらの一番上に置いた。……湿気てはいないだろうか。そう思いながらマッチを擦ると、心配無用にしゅぼっと火が点いた。
 揺らめく火の向こうに見えるもの……それはきっと、私にとっての、安穏。

 手を離した。

 なんでもっと早くこうしなかったんだろう。
 そうしていれば、捨てられる悲しみなんて知ることなく、さっさと転生して、新しい楽しい人生を送れたかもしれないのに。

 先端を赤くきらめかせながら、マッチ棒は、宙を舞う。

 高くは望まない。
 私が生まれて、死んで、今の今まで重ねた人生以上に辛く悲しい生でなければ、それだけでよかった。


「でも、もう叶わないんだね……」


 手を離れたマッチはログブックの上に落ちる。じりじりと小さな音を鳴らしながら拡がる黒点。いずれ部屋を満たす白煙。

「ばいばい、みんな」

焦げた臭いが……鼻を、つく。

「ばいばい…………寅丸、星」

 ログブックの束はほどなく炎に包まれ、舟幽霊の依り代……聖輦船へと、引火した。








ぎぃ……ぎぃ。

 霧に包まれて視界は狭い。体がゆっくり、上下左右に揺れている。
 この感覚を私は良く知っている。船だ。ならばここは三途の川か。顕界で人間を沈め続けた私のことだ。三途の川幅もきっと広く、渡りきるまでに私は消滅してしまうのだろう。

「ふーむ。あんた、なかなかおもしろい人生をおくってきたんだね。ああいや、妖怪だから妖生?」
 振り返ると船を漕ぐ船頭がいた。川底が幾らのものかは分からない。しかし彼女は川に掉さし、ぎぃぎぃと船を進めていく。 ……その長身のせいで、顔は霧に包まれて見えなかった。
「すごいね。もう着いたよ。とても4桁の齢を重ねた妖怪とは思えないね!ま、あんたの徳の高さからしたら当然っちゃあ当然か!」

 …………え?

「じゃあな!あんたなら閻魔サマの裁定も良いだろうよ!元気で転生しなよー!」
 私を陸に降り立たせると、船頭は元気良く川を漕いで帰る。

 その姿を呆然と見送った。
 

 ……私が……徳の高い妖怪だって…………??




**********




 部屋は暗い。高い高い座席の上に座る閻魔様がどのようななお方なのかここからではよくわからない。私を取り巻く様な形でろうそくが灯っていて、その向こう側に死神らしき者たちが座しているのはおぼろげに確認できた。


 彼岸に来て以降、周りに倣い私もずっと花畑でたたずんでいた。風も吹かないのにそよぐ花は音もなく。しかし不気味さを感じさせない。死後とは本来、こんなにも穏やかなものなのか……。思えば自分の死後は、穏やかとは程遠いものだった。
 誰かが私を呼びに来る。閻魔の裁判がどう、とか言っている。言われるがままについていく。


 そして今、部屋の中央に私は立っていた。これから何が起こるのか、何をすればいいのか、私は分からない。しかし目の前の閻魔はおろか、周りの死神も後ろにいる警備らしき鬼達も、誰も何も言わない。

「……あの、なぜ、私はここにいるのですか…………?」

どんっ!



 背後の鬼が足を踏み鳴らした。警告である。
「慎め!!!指示なき発言は許されていない!!!」
 迫力に気圧され、口を紡ぐ。いったいどうしろというのか。まごまごしていると、目の前の高い椅子から声が降ってきた。
「いえ。発言を許可しましょう。私も貴女に聞きたいことがありますので」
 ……喋っても良いのだろうか。ちら、と背後の鬼を振り返ると、何も言わずにこちらに目線だけ送ってきた。

「……その」
 静まり返った空間に私の声だけがやけに大きく響く。
「私は念縛霊で、しかし魂は消え入る寸前でした……。ですけれど、私は三途の川を無事に渡りきり、こうして閻魔さまの前にいます」
「ふむ」
「私の魂は……どう、なっているの?? なぜ無事なんですか?」
 疑問を、ぶつける。
「………………成程、ね」
 閻魔はややあってから、応えた。
「貴女のことは私も存じています、舟幽霊・村紗水蜜。単刀直入に言うと、貴女の魂はありません」
「……………………え?」
「顕界にも、冥界にも、地獄にも。三千世界中、どこをどう探そうとも、貴女の魂はもうどこにもありません」

 …………………………。

「…………えっ………………と………………?」

 ちょっと、閻魔が何を言ってるのか理解できない。
 だったらば。私の魂がないというのならば、今ここにいる私はなんだというのだろう。村紗水蜜。それ以外の、何ものでもないのに。

「村紗水蜜。貴女はわからないでしょうが。今の貴女は、私たち魂を見る存在の側から見ると。長年人間を殺め続けた舟幽霊……では、ないのです」
「…………???」
「私たちの目には、ですね。畜生でありながらも徳を修め、果てには高僧の信仰まで得、かつては仏の座にまで上り詰めた……そんな、一匹の、虎妖怪が見えているのです」
「……………………それって」


「ああ、困ったわ!」


 閻魔はおもむろに叫びだした。

「かつては仏を務めた妖怪、こんなに徳の高い妖怪の裁判など、受け持ったことがありません。特例中の特例だわ!これは判定を考える時間が必要ね。一端閉廷しましょう。続きは、後日!」
 そして閻魔は木槌を鳴らす。
「閉廷!」
 一体なんだとおろおろする私。
 周りの死神たちは一斉に片付けを始める。そして、はじめにここまで私を案内してきた死神が私に近づいてきた。
「ああ、待ってください。少し、彼女に用がありますので」
 しかしいつの間にか私のすぐ隣にまで来ていた閻魔が、その死神を遮る。
 ……閻魔の背は、私より高いけれども星や聖ほどじゃない。声が放っていたプレッシャーを思うと、存外小さくて可愛いお方だった。

「村紗水蜜」
「!はいっ」
「貴女は、まだ状況が飲み込めてない。……これを」
「……?」
 彼女が私に差し出したのは、鏡だった。八角形の台座にはめ込まれた丸い鏡。それは掌に収まる程度のもので、しかし鏡というのに何も映していなかった。
「……これは…………?」
「これは浄玻璃の鏡といってですね、魂の記憶を映し出す鏡です。貴女の姿を映して御覧なさい。……貴女の魂の……"今、貴女の中にある魂"の記憶が見えるはずです」
「私の中にある……魂…………??」
「貴女はそれを見るべきです。必ず。いいですね?そのために、裁判を先延ばしにしたのですから……。それと!その鏡は裁判に必要なものですので、明日の裁判までには返してくださいね?」
 では、と言い残すと閻魔は去って行った。


「…………魂の……記憶」


 私は鏡をぎゅっと握り締めた。







「気障過ぎるかな……うぅーん…………恩着せがましい気も…………」

 一枚の紙を前に、筆を手にした私はうなっていた。目が覚めるとすでにナズーリンはいなかった。昨晩床で言った通り、どうやらすぐに毘沙門天様に掛け合いに行ってくれたようだ。準備が整うまでの間に、私はやるべきことをしておこうと文机に向かっていた……のだが。
「やっぱり、やめだ!」
 私は筆を置くと、書いたばかりの手紙をくしゃくしゃに丸めた。ぽいっと投げると、屑篭を外れ畳に転がる。
代わりに新しい紙を下敷きの上に置くと、一言だけ書き付けた。
「……ありがとう、さようなら……っと。これでいい、うん、これで」
 私は満足すると、墨が乾いたところで紙を折りたたんだ。


「星、いいかい。そろそろ行くよ」
 丁度そこで背後から声がかかる。
「! ナズーリン。ああ。用意は出来ている」
 ガラス戸をあけて入ってきたナズーリン。ちょっと外に目を向けると、すでに空は白み、夜は明け始めていた。
「用意と言ったって……君が持っていくべきものは何もないけどね」
「そう、だな…………。けれど、一つだけ頼まれてくれないか」
 私は先ほど綺麗に折りたたんだばかりの紙をナズーリンに渡す。
「これを水蜜に届けて欲しいんだ」
「なんだい……手紙?私に預けてもいいのかい。破り捨てるかもしれないよ」
「その時はアンカーをぶつけてやるさ」
 ふっ、とナズーリンは笑う。
「まあ、きちんと届けておこう」
 指をパチンと鳴らすと、ナズーリンの子ネズミがどこからともなくやってきた。ナズーリンが手紙を渡して命令を下すと、ネズミはてててっと走って行く。ネズミがきちんと船長室の方角へ消えて行ったことを確認すると、ナズーリンは私に向き直った。

「星。私からも、君に頼まねばならないことがある」
「なんだ?」
「こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが……悪かったと思っている。君の船長への想いを利用して非道な真似をした。本当に、すまなかった。もし、もしそれで気が済むのであれば、私を殴ってくれてもかまわ――

 言い終わるより早く、ナズーリンの体は宙を舞った。受身もとらず、派手な音を立てて畳に打ち付けられるナズーリン。そんなナズーリンに手を差し伸べるでもなく、ただ、上から見下ろして私は言う。
「すまないナズーリン」
「痛てて……いや、構わない。私が殴れと言ったんだ……」
「違うそうじゃない」
「?」
「殴っても、気が晴れなかった」
「………………そうかい」

 そうつぶやくと、起き上がろうと畳に手を付いて……そして、畳に転がっている紙くずを見つけた。手を伸ばし拾い上げ、広げる。
「なんだい。書き損じかい?」
「あ、いや……少し、気に入らなかったから。書き換えようと」
「ふむふむ…………。って、何が気に入らないんだい?伝えるべきことはきちんと書いてあるじゃないか。だったら、さっき私が届けた手紙には何て書いたのさ」
「ありがとう、さようなら。と」
「………………君、どこまでも不器用だね」
「いいじゃないか、別に。それだけでも想いは伝わるさ…………たぶん」
 どうかな、と言いながら立ち上がったナズーリンは姿勢を正すと私を見据えた。
「……じゃあ、行こうか。換魂の術式は完成した。毘沙門天様がお待ちだよ」
「ああ」
 そしてナズーリンは先ほど拾い上げたくしゃくしゃになった紙をぽいっと私によこす。受け取った私はくしゃくしゃの紙をもう一度丸めて屑篭に投げ入れ……ようとして、もう一度拡げて、その文面を読み返した。




**********




 ナズーリンに連れられた先は、私が一度決別を心に誓った方の場所。しかしこうして意外にも早く再開は訪れた。
 既に完成している術式の前で、かつての師匠は宝塔を手に私を見据えた。……私には、恩師の顔を見返す勇気はない。哀れみの眼を送っているであろうことは、容易に想像がついた。

「……毘沙門天様」
「………………」
「ありがとう、ございます」
「…………うむ」

 私とナズーリンの頼みを聞き届けてくれた謝礼を述べる。私は術式へ向かう。すでに完成された術式の周りには赤黒い風が流れている。魂を操らんとする力が、そこには渦巻いていた。

 毘沙門天様から受け取った宝塔をナズーリンがかかげる。同時に、術式は光を増す。
 私は赤黒い風に飲み込まれていった。






"

 この手紙を読んでいるということは、元気になったということだろうか。
 惜しむらくは水蜜が元気になったかどうか、私には知る術がないということだ。

 私は、毘沙門天とナズーリンの助けの元、換魂の法を行った。
 今水蜜の中に在るのは私の魂だ。勝手なことをして申し訳ない。
 だが、これしか水蜜を助ける方法を思いつかなかった。ふがいない私を許して欲しい。
 水蜜にもう二度と会うことができないことだけが残念だ。しかし、案ずる事ではない。
 これからは水蜜とともに在る。二度と離れることはない。


 これからは、ずっと、傍にいる。


   寅丸 星   "





………………………………。













 鏡に映った魂の記憶はそこで途切れた。花畑でひとりたたずんで見つめていた鏡は、それ以降、何も映し出さなかった。



**********



「おや、早いですね」

 閻魔がやってくるよりも早く、村紗水蜜は裁判所の扉の前に居た。
「これを……」
「ああ、ありがとうございます」
 閻魔は水蜜が差し出した浄玻璃鏡を受け取る。
「……どうでしたか?」
 軽く表裏を確かめ、さも大切そうに鏡を懐にしまうと、閻魔は笑顔で尋ねた。

「私は……」
 返答を探すような間が、一瞬。

「私は、村紗水蜜ですか?」
「器ならイエス、中身ならノーです」
 閻魔はよどみなく答える。
「…………寅丸星……は、"居る"の?」
「魂なら此処に。肉体であれば、私は知りません」
 私は魂しか扱いませんしね、と続ける。
「私の魂は……もう、ない」
「その通りです」

 水蜜は一通りの質問への答えを頭の中で反芻する。
 そして、回答を出した。





「……………………馬鹿よ」

「馬鹿で、大馬鹿で、頑固で、頭が固くて、真面目で、融通が利かなくて、周りが見えなくて、一生懸命で、一途で、ドジで、優しくて…………ッ」

 言葉は続かない。
 あふれ出るものをこらえるように、いや、あふれ出るものが形にならなくてそれがもどかしいのか。水蜜は拳を握り締め、歯をかみ締め、押し黙ってうつむく。閻魔はただ黙って見つめる。水蜜が、己から口を開くまで。



「…………私、初めて知りました………………。星の気持ち……」
「ええ」
「想いとか…………迷い、悩み…………葛藤…………」
「ええ」
「本当に……本当に辛い思いしてたんだ………………なのに、私は…………ッ」
「ええ」
「でも…………」

「でも、それ以上に、星が許せません…………!」
「ふむ」
「馬鹿。魂なんかだけで私といっしょにいてくれたって嬉しくなんてない。いっしょにいてくれるんだったら、だったら……!!!!」

 せめて、隣にいてほしかった。
 消え行く私の為に泣いて、最期は笑顔で送って欲しかった。
 優しく頭を撫でて、水蜜が好きだ、いつまでも愛してるって耳元で囁いて、甘くキスしてほしかった。
 最後の最期、消える瞬間まで、この体を抱きしめていてほしかった。


 ばかだ、ばかだ。大馬鹿だ。


 もし自分が消え入る立場だったら、きっと同じこと考えるに違いないのに。消えるその瞬間まで、ずっと私が傍にいたら、それで悔いはないって言うに違いないのに。

 ほんっとうに、馬鹿。




「………………でも」



 水蜜は胸に手を当てる。
 星は、其処にいる。



「それが……星…………なんだよね…………」



 その消え入るような一言を聞き届けると、閻魔は重い銅扉をゆっくりと開けた。


「では……始めましょうか。貴女の。寅丸星の、裁判を」
「………………はい」


 先を歩く閻魔に続いて、水蜜は銅扉をくぐった。








 寺は燃えていた。正しくは、燃えているのは聖輦船だけで、離れの庫裏や三門などは無事だった。
 木造のそれは渦巻く炎の中で激しく火の粉をはぜさせる。
 一輪は雲山と共に近隣の妖怪やたまたま居合わせた参拝客の避難の誘導に向かった。

 聖輦船の傍では、残された二人が燃え上がる炎を眺めていた。

「ねぇ聖…………」
「はい」
「消さないの?」
「ええ。全てが燃え尽き、灰になるまで待ちましょう。彼女もそれを望んでいるでしょうから」
「……そっ、か………………」
 ごうごうと音を立てて燃え上がる聖輦船。火柱は天を貫かんと立ち上がる……が、それは阻止されていた。
 燃える聖輦船の周りをエア巻物が包んでいた。ゆえに炎はそれ以上広まらない。鎮火させようと思えばいつでも可能である。しかし白蓮はあえてそれをしなかった。
「未練は……もう、残さない。それが選択なら、彼女の意思を尊重しましょう」
「………………ん」
 白蓮の一言に、ぬえも納得する。



「姐さんーーーーーー!!!」

 その時、一輪が空から降りて来た。急いで地面に降り立ち二人に駆け寄ると、切らした息を整える時間も惜しいと話を始める。
「ね、姐さん……星がいません!!どこにも…………!!!」
「え……とらとら?! まさか、未だ中に…………ッ?!」
 二人が燃え上がる聖輦船を注目する。
「ひ、ひじりっはやく探しに行かなきゃ……!!」




「いえ、その必要はありません」




「………………うぇ?」
「姐さん…………?」



「あそこに星はいません。……いえ。星は、もう…………どこにも、いません」



 白蓮は悲しげな笑みを浮かべた。






**********






 毘沙門天による換魂の法は、すんでのところで間に合った。もう少し遅れていれば、三途に至った水蜜の魂は磨りきれ消滅していたであろう。しかし、水蜜の魂が磨り切れてしまう直前、星の魂と水蜜の魂は無事、交換された。
 魂をすり減らした星はその生命を終えた。転生は叶うことない。天界にも冥界にも顕界にも、その魂はないのだから。
 依り代である聖輦船を失った水蜜は成仏した。徳高き魂をもちて彼岸へ旅立った水蜜は閻魔の裁定を待ち、いずれ冥界か天界へと迎え入れられるであろう。





 赤黒い術式の前で、彼女は言った。


「本当に、心が痛む思いだよ」
 片手に持った宝塔は先ほどまでの輝きを失っている。
「これが、大切な人を失う気持ちだ。……船長にもわかってもらるかなあ?」
 術式が役目を終えたとき、先ほどまで辺りを包んでいた風もいつの間にか已んでいた。
「良い気味だよ。船長も、星も………………ッ」
 口元をゆがめ、泣いたような表情で彼女は笑った。
 視線の先に在る、術式の上でうずくまるモノはただの殻。だらしなく放り出された四肢は指先一つ動かされることはない。だらりと重力にしたがって地面に横たわるだけ。


 寅丸星の肉体は、すでに冷たくなっていた。










(おわり)
 愛していると言えなかった。
 ただ傍にいたかっただけで、ただ抱いていたかっただけで、ただ、共に笑っていられればそれでよかった。
 ……まだ間に合うかな?
 水蜜。愛している。これまでも、これからも。
 ずっと、いっしょに。



拙い文章ながらここまでお読みいただきありがとうございました。
ご意見ご感想などいただけましたら幸いです。

では、いずれ新作でお会いいたしましょう。
こめ
http://field.manjushage.com/
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コメント



0.360簡易評価
2.80奇声を発する程度の能力削除
うぉぉ…まさかこうなるとは…
いや、でもこれも一つの形なのかなぁ…?
7.100名前が無い程度の能力削除
あぁ……、なんとも苦く切ない話………。
転生する水蜜や残された者たちの前途に、わずかでも光が射さん事を……。
8.80名前が無い程度の能力削除
ナズーリンが切なかったので。