Coolier - 新生・東方創想話

吸血鬼の涙

2010/11/25 00:44:15
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 吸血鬼の涙は、最愛の人のために流される。






 紅魔館のメイド長、十六夜咲夜がこの世を去ったのは冬も盛りの時期であった。
 幻想郷は一面の雪景色。
 禍々しいほどの紅魔館の赤色も、今は雪の白に覆われて悪魔の住む館とは思えないような、どこか清らかともいえる雰囲気を漂わせていた。

「外は静かなものね。まるで誰も彼も死に絶えてしまったかのようだよ」

 廊下の窓に手を掛けて、降りしきる雪を眺めながらレミリアは誰にでもなくつぶやいた。
 鳥も、獣も、いつもそこいらで遊んでいる妖精たちの姿さえ見当たらない。木々もその多くは葉を落とし、今見ているものが生者の世界なのか死者の世界なのか、どうにも判別がつかなかった。

「レミリアお嬢様。咲夜さん、すごく綺麗になりましたよ。お嬢様も声を掛けてあげて下さい」

 扉の先、咲夜の私室から美鈴の声がしてレミリアはゆっくりと振り返る。どうやら咲夜の旅支度が整ったようだ。
 ドアノブを回し扉を開ける。
 見わたせば、同じく集まっていたパチュリーとフランもレミリアを促すように頷いた。
 だがレミリアはすぐ部屋に入ることはなく、小さくため息をついて、

「何言ってるの美鈴、咲夜はいつだって綺麗じゃない。訂正しなさい」

 と、少しだけとがめるように言った。

「……そうでした。訂正します。お嬢様、咲夜さんは今日も、すごく、すごく綺麗です。お嬢様からも咲夜さんに声を掛けてあげて下さい」
「うん、それでよし」

 レミリアは満足そうに頷いて、ベッドの上の眠るように横たわる咲夜のそばへと歩み寄る。

「お前は不思議な人間だね。もう何十年と経ったというのに出会った頃とまるで変わらない。あの霊夢だって今じゃあずいぶん皺くちゃになっちゃったっていうのにね」

 もう握り返してくることのない咲夜の手を小さな両手で包み込み、レミリアはそっと囁いた。
 咲夜の持つ不思議な力。時を操る程度の能力。
 停止。再生。加速。減速。神のごとき力を思いのままに行使する。
 そのせいかもしれない。咲夜は他の人間達のように、普通に歳を取ることができなかった。
 咲夜の力が起こした奇跡なのか、はたまた人に過ぎた力を持ったことへの天罰なのか。
 ただ確かなのは、咲夜の銀髪は長い時を生きたにもかかわらず、かつてと変わらぬみずみずしさを保っていたこと。ほっそりとした顔には染みの一つ、皺の一つとして無く、少女と変わらぬ姿のままである。
 現実離れした咲夜の姿は、それこそ今にもムクリと起き上がり『みんな私の部屋に集まって何をしてるんですか?』とでも言い出すのではないかと思えた。
 いや、それは妄想ですらなくそうあって欲しいというただの願望なのだ。咲夜の死を、認めたくないが故の。

「咲夜……、本当に綺麗よ……」

 頬は生きているかのような薄桃色。唇に差された紅が艶めかしさすらかもし出している。

「お化粧はパチェが?」

 ええ、とパチュリー。

「私は普段あまり化粧なんてしないから思ったより時間がかかってしまったわ。小悪魔と一緒に図書館をひっくり帰してメイクの本を探したりね。でも上出来でしょう? 咲夜がこんなに化粧栄えするなんて知らなかった。知ってたらもっと早くからいろいろ試せたのに、ね」

 慣れない作業に根を詰めていたせいだろう、小さく笑うパチュリーの顔には疲労の色がにじみ出ていた。少しだけ目が赤い。時間がかかったのは不慣れということだけが原因ではないようだ。

「美鈴、咲夜の着替えご苦労様」
「ありがとうございます、お嬢様。すみずみまでよく拭いてあげましたから、お葬式に誰が来ても恥ずかしくないですよ」
「でもメイド服にしたんだ」
「やっぱり咲夜さんは紅魔館のメイド長ですから、きっとこの格好のほうが喜ぶと思いまして。本当は元気になったときのために用意していた服だったんですけどねえ。外見は若いままでも身体の中がダメになってたんですかねぇっ……」

 話しているうちに堪えきれなくなって、美鈴は大きく嗚咽を漏らした。おまけに主の前だというのに恥も外聞もなく鼻をすすり上げている。
 やがて顔をくしゃくしゃにして泣き出した美鈴を、レミリアは少しだけうらやましそうに見ていた。

「フランも二人を手伝ってくれたんでしょう?」
「もちろんよ姉様。だって咲夜のためだもの。何もしないなんてわけにはいかないわ」

 さも当然とフランドールは胸を張った。
 情緒不安定の気があった以前とは違い、近頃のフランドールはずいぶんと頼もしくなったようにレミリアには思えた。
 個性豊かな幻想郷の面々と触れ合ううちに、フランドールの中でなにか変化があったのだろう。それはきっといいことだ。

「みんな、本当にありがとう。こんなによくしてもらって咲夜は幸せ者ね」

 今にも泣きそうな顔でレミリアは三人に笑いかけた。
 そして、続けて言った。

「……それでね、みんなにお願いがあるの。しばらくの間人払いを……、咲夜と二人っきりにしてほしいんだ」

 レミリアの言葉に和やかだった部屋の空気が凍りついた。
 二人っきりにしてほしい。
 その言葉が示す意味を三人はなんとなしに悟ったのだ。
 沈黙が流れる。
 破ったのは、フランドールだった。

「姉様は泣くつもりなのね」

 憤りとわずかな羨望の混じった声。
 レミリアは否定も肯定もしない。ただ静かに笑うだけだった。

「咲夜は最期に言ってたじゃない! 私が死んでも泣かないでくださいねって! 姉様は咲夜の言葉を無下にするつもりなの!?」
「咲夜の前よ。落ち着いてフラン。それにレミィもそうだと言ったわけじゃ……」
「そんなこと言って、パチェだって本当はわかってるくせに!」

 激昂して荒い息のままフランドールはレミリアをにらみつけた。

「ずるい、姉様はずるいよ……。私だって、私だって……」
「フランお嬢様……、今はレミリアお嬢様を咲夜さんと二人きりにしてあげましょう。フランお嬢様にはむごい事を言ってしまうようですが、それだけレミリアお嬢様は咲夜さんの事を大切に思っていたんですよ」
「そんなの、知ってる……」

 ようやく泣き止んだ美鈴が優しくフランドールをなだめた。フランドールの肩をそっと抱いて、部屋を出ようと歩き出した。
 扉の前まで来て、フランドールが立ち止まる。
 レミリアに背を向けたまま、言った。

「姉様なんて咲夜に怒られちゃえばいいのよ」
「ごめんね、フラン」
「……うん」

 フランドールはそれ以上何も話さず、振りかえることもなく部屋を出ていった。
 美鈴もレミリアに深々と礼をして、フランドールの後を追うように去った。

「怒らせちゃった。私は頭首失格ね」
「そうね、レミィ。あなたは頭首失格よ」

 自嘲するレミリアに、パチュリーはすげなく答える。あまりにきっぱりとした言葉にレミリアは思わず苦笑を浮かべた。

「でも安心していいわ。フランはもう立派に成長したわ。頭首の器として申し分ないほどに。それに、この紅魔館には私も美鈴もいる。何も心配はいらないわ」
「……パチェは頼りになるねえ」
「ふふ、当然よ。何年レミィの友人をやってると思ってるの?」
「どれくらいだったかなあ。何だかもう覚えてないや」

 あっけらかんとしたレミリアの言葉に、今度はパチュリーが苦笑を浮かべる番だった。

「みんな私を許してくれるかな?」
「少し時間はかかるかもしれないけど、きっと分かってくれると思うわ」

 でも、フランはきっと怒るでしょうね。とパチュリーは付け加えた。
 それはそうだろうとレミリアは思った。きっと泣くつもりだろうというだけであれほど怒ったのだ。本当に泣いたならばいったいどんなに恐ろしいことになるかも知れない。

「紅魔館は大丈夫かな? 崩れちゃったりしないかな?」
「まあ、その辺は私が何とかするわよ。……本当はレミィ、あなたが泣かないでいてくれれば一番良いのだけれど」

 パチュリーの声は穏やかだったが、目に差す光は真剣そのものだった。

「……それは、無理よ」
「咲夜が亡くなって、そのうえレミィまで泣いたとなればフランはきっと悲しむわね。それこそ泣いてしまいたくなるくらい。でも、レミィはフランに泣いてほしくないのでしょう?
あの子の気持ちが分からないわけではないでしょうに」
「それは……」
「咲夜だって今のレミィように考えたから泣かないでくれなんて言ったんだと思うわ。レミィ、それでもあなたは本当に泣くの?」
「自分がひどい事を言っているのは分かってるわ」

 レミリアは悲痛な顔をしてうつむいた。
 紅魔館の事、自分の立場の事、そういったものを考えなかったわけではない。
 散々考えて、悩んで――

「でも! それでも! 私は咲夜のために泣きたいのよ……!」

 ――魂からの叫び。
 その言葉に、パチュリーは『ああ、すでに心は決まっているんだな』と悟った。
 仕方のないことなのだろう。
 レミリアと咲夜。
 吸血鬼と人間。
 種族も寿命も何もかも違うというのに。
 二人の心は確かに繋がっていたのだ。
 それは愛と呼べるものだったのかもしれない。 
 だから、きっと仕方のないことなのだ。

「まったく、レミィは頑固というかわがままというか」

 パチュリーがあきれたように肩をすくめた。ゆっくりと立ち上がり、レミリアのほうを向いたまま床の上数センチをすぅっと滑るように進んでいく。
 扉の前で止まり、深呼吸を一つ。
 ややしく微笑んで、言った。

「さようなら我が友、レミィ。良い旅を。いつかまたどこかで逢いましょう」
「ありがとう我が友、パチェ。さようなら。いつかまた、どこかで」

 二人はくすくすと笑う。
 和やかな雰囲気の中、パチュリーは

「それじゃあ」

 と言って去っていった。
 パタリと扉が閉まる。

 ――静かになった。
 部屋にいるのはレミリアと咲夜のみ。

「ようやく二人きりになれたね、咲夜」

 そう言ってレミリアは咲夜の薄桃色の頬をなでた。ひどく冷たい。

「一生死ぬ人間、か。この私でも、ついにその運命だけは変えられなかったんだね」

 レミリアはずいぶん昔の、とある日の事を思い出した。あの頃の咲夜はまだ少女と呼べる年頃だった。咲夜と二人で博麗神社に通いつめたり、夜には肝試しをしたり、そういえば月にも行ったこともあった。毎日がとても楽しかった。
 だけど。
 だけど人間はもろい。吸血鬼のように長生きなんてできないし、ちょっとの病気や怪我が命取りになることだってある。
 いつか咲夜は死んでしまう。いつか咲夜とは離れ離れになってしまう。それは決して避けようのないことなのだから。
 そう思うとたまらなく怖くなった。
 だから――――

「本当はね、お前の血を吸って、お前を私の眷属にしてしまおうと思ったんだ。だってそうすればずっと一緒にいられるでしょ? もしかして気付いてた?」

 いや、きっと咲夜は気付いていたのだろう。時折すっとぼけて見えることもあったがそれでもやっぱり咲夜は切れ者だ。自分の身に迫る危機に気付けないとも思えない。

「でもね、できなかった。そんなことしたらきっと咲夜は怒るからね。咲夜に嫌われたくなかったもん。……ふふん、どう? 私はメイド思いのいい主でしょう?」

 レミリアは咲夜に問う。けれども返事は、無い。

「そんないい主の私に対して咲夜、お前は悪いメイドだねぇ。最期の最期で主に命令を残して逝くんだから。それもよりにもよって私に泣くなだなんて。一体どうしてそんなことが言えるのかしらね?」

 私が死んでも泣かないでくださいねと、小さな子供にでも言い聞かせるように咲夜は何度も優しく言っていた。
 まったく、私よりずっと年下のくせに子供扱いして。
 思い出したら声が震えた。

「ねえ、咲夜。おかしいのよ。お前が死んだっていうのに朝になれば太陽が昇るのよ? 夜になったら日が沈んで真っ暗になるわ。時間がくればお腹もすくし眠くもなるの」

 目じりに涙が浮かぶ。

「ねえ、こんなのって変でしょう? 咲夜、お前が死んだのよ? 朝なんて来なくてもいいじゃない! 夜なんて来なくてもいいじゃない! 何も食べなくても! 眠ったりしなくても! だってお前が死んだのよ!? どうして何も変わらないの!! どうしていつもと同じなの!! こんなのおかしいじゃない!! お前が、私の大好きな咲夜が死んだのに!!!」

 自分でも思いがけないほどの大声が出てしまった。
 思いをすべて吐き出した後の荒い息は、いつの間にか嗚咽に変わっていた。

「ごめん、ごめんね咲夜……。私、泣かないなんてできないよ……」

 涙がひとしずく、幼子のような手の甲に零れ落ちた。

「――――!!」

 熱い。
 まるで、溶けた金属でも落とされたみたいだ。
 でも、それでも。

「うぅっ、ぐすっ、咲夜、咲夜ぁ……」

 涙が頬をつたい、流れる。
 熱い。
 だからどうした、とも思う。そんなもので一度あふれた涙が止められるものか。
 涙が服をぬらした。腕をぬらした。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 咲夜にすがりつくようにして、レミリアは泣き続けた。

 どれほどの時間がたっただろうか、レミリアは咲夜の横たわるベッドに突っ伏していた。
 先ほどまでの焼けるような涙の熱さはもう感じない。
 ただ、眠る咲夜の顔が見えなくなってしまった。
 自分の衣擦れの音も聞こえない。
 部屋は冷え切っているはずなのに寒いとも思わない。
 まだ流れているらしい涙を拭おうとして、腕の感覚が無いことに気がついた。見えないのでわからないが、もしかしたらもう崩れて無くなってしまったのかもしれない。

『私が死んでも泣かないでくださいね』

 咲夜の言葉が頭に浮かぶ。
 結局泣いてしまった私を咲夜は怒るだろうか。

「咲夜、吸血鬼が、涙を流すのは、特別なことなんだよ。お前は、選ばれた人間なんだ。誇っていいんだ。だから、怒っちゃ、やだよ……?」

 上手く動かない口を動かして、レミリアは小さく笑った。

「そう、だ。そっちに、行ったらさ……。また……昔みたいに、大暴れしよう。第二次、吸血鬼異変、だよ……。地獄の奴らを……震え、上がらせてやるんだ。きっと、楽しい」

 あるかどうかもわからない手を、咲夜に向けて差し伸ばす。




「だか……らね……。さく……や、ずっと、ずっと……いっしょ……に……」






























 雪の降りしきる中、弔いの鐘が鳴る。

 弔問客に挨拶をしているのは喪服を着たフランドールだ。

 本来そこに立つべきレミリアの姿はどこにも見当たらない。

 棺の中には眠るように横たわる咲夜。

 ともに納める花は無く。

 かわりに、雪のように白い灰が咲夜の身体を包んでいた。
吸血鬼は流れる水に弱いと聞きます。
イボンヌ
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コメント



0.1030簡易評価
2.90名前が無い程度の能力削除
精神面でも「悲しくて泣く」というのは致命的でしょうね・・・
6.90名前が無い程度の能力削除
切ないが美しくもある。
9.100奇声を発する程度の能力削除
>昨夜の私室から美鈴の声がして
咲夜?
とても切なかった…
12.90爆弾鴉削除
良くある題材だけどこういう話は何度見ても悲しい。

流れる水は自分の涙ですらダメなのか・・・
16.100名前が無い程度の能力削除
巧い具合に合点のいく、儚さの同居した美しさ。種族その物にカリスマがある吸血鬼だからこそ、その裏はとても脆い。つまり要約しますと切なくていいお話でした。
17.90名前が無い程度の能力削除
カリスマブレイクしたお嬢様は、よく泣いていますが…
そうか、自分の涙すら…

短い文章でもいい切なさでした
19.100名前が無い程度の能力削除
悲しい雰囲気の中しかしなんか感じていた違和感が、最後の最後でさっと溶けて流れました。
切なくて美しくて、同時に変な爽快感を感じる物語でした。ありがとうございました。
23.100 削除
涙は吸血鬼を殺すのか・・・。新鮮なアイデアだ。いい。
25.100名前が無い程度の能力削除
おぜ…いや、お嬢様と呼んだほうがいいな
違和感が理解できたのは終盤だった
途中までは咲夜さん厳しいなあw弔事だったら泣かない方が不自然だろwとか思ってたのに
そうか、この場合の吸血鬼が「泣く」ってのは後を追って逝くのと同義なんだな…

そして遺されたもの達は何を想うか…
27.100削除
小説に泣かされたのは久しぶりだ

文句なしの素晴らしい作品です。
31.100名前が無い程度の能力削除
Tear kills vampires, even if it's his or hers... (涙は吸血鬼を殺す、例えそれが自分の涙だとしても・・・。)
切ないですね。咲夜を思う気持ちがわかります。そして最後はお嬢様も後を追ったのですか。何もそこまでしなくても・・・。