Coolier - 新生・東方創想話

はぐれ雲、ほろり

2010/11/21 17:58:31
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「ねえねえ、知ってる? ここには鬼がいないんだって」

 寺子屋から出てきた子供たちが騒ぎ、たった今知ったばかりの知識を自慢気に語る。それを親たちが微笑みながら受け止め、悪いことをすると鬼が戻ってきて攫われてしまうよと諭す。暖かい日差しの中、手を結び。私の体の一部を掠めながら、家路についた。冗談を交わしながら。
 鬼という存在はもう、戯言の中にしかない。彼らなど最初からいなかった、幻想にしか過ぎない、と。笑い話の種にして。
 それは人間が酒呑童子を打ち倒した後の時代。
 
「あれ? お父さん、服切れてるよ?」
「本当だ。どこかの枝で引っかかったかなぁ」

 『私』が見えない人間たちは、私の角をそっと撫でて、幻想の中の楽園を謳歌していた。



 ・・・



 たまには一人で飲みたい夜もある。
 なんて強がりを言うまでもなく、私は一人だった。妖怪の山にある大きな杉の木が私の宿の一つ。あるときは人が捨てられる花畑、またあるときは霧に包まれた思議な湖、そしてまたあるときは何が祭られているかわからない神社の立派な鳥居の上。ときには人里に酒を盗みに行ったこともある。

 とは言っても私にはコレがあるんだけどね。

 永遠に酒が湧き出る瓢箪を片手に、変わる風景だけを肴に酒を飲んだ。
 それが何年、何十年も続いた頃だったか。人間と、ある妖怪との間で妙なやり取りが見えたのは。確かその人間側が稗田家で妖怪たちに関する記述を作り始めていたんだよ。こっそりと天井から眺めてみたけど、なかなか凄かった。八雲っていう妖怪の協力もあって編集されたその書物は、妖怪をこと細かく分析してあってね。人里に近いヤツに至っては、弱点や退治方法も記されていた。
 
 月のない夜は嫌だね。考えが暗闇に引きずられる。

 妖怪の退治方法が広まるということは、人間によって駆逐されるということだ。今生きている妖怪たちが、あのときの鬼たちのように住処を追われるわけだね。鬼たちは仕方ないさ、自分たちが楽しむために人を攫い過ぎたから。人間如きいくら取って喰っても問題ない。そう思って行動した結果がこのざま、この妖怪の山がその象徴だ。
 毎晩毎晩、うるさいくらいに聞こえていた宴会の声が消え、鴉が羽を休めるだけの場所となっている。ところどころでは晩酌をしている家持ち天狗もいるようだが、あまりに無残で雅に欠けていた。これがあの当時と同じ山加と思うと、自然にため息が漏れてくる。存在を希薄にした私の音なんて、虫たちにも聞こえはしないけどね。

 盛者必衰、か。

 なら衰えた者はどうするべきか。このまま誰にも知られず消え往くか。この地に暮らし続ける妖怪に何かを残してやるか。どうせ滅びる運命なら、何を選ぶべきか。鬼としてどう行動するべきか。
 迷うのは自分の柄ではないと知りながら、私は自分の手を見る。一撃で山を砕くと恐れられた手。しかし冷静に眺めるとなんと小さいことだろう。小柄な私にはふさわしい大きさなのかもしれないが、今夜だけは妙に頼りなく映る。不安なんだろうね、私は。
 体の力を抜いて、一歩足を前に出す。
 もちろん、木の上でそれをやればまっさかさまに落ちるだけ。木の枝が体を撫でる感覚を味わいながら地面へと降り立つ。この時期なら、この子達がいるからね。

 ほら、やっぱりいた。

 近くにある川から飛んできたのだろう。数匹のはぐれた蛍が茂みの上で休んでいた。命の光を灯し続けながら、弱々しく動いていた。そういえばもう夏は終わり、この子達もその役割を終えたのかもしれない。
 私が近づいても動かない物言わぬ彼等は、『使命は果たした、好きにしろ』そう私に告げているようだった。

「儚き命の、誇らしきかな……」
 
 私はその数匹の蛍に、ありがとう、と告げる。
 最後に背中を押してくれた小さき偉人に手を振って、私は能力を使用した。自分の存在を少しだけ密にするために。







 その夜、幻想の都は古き者をその世界に落とす。
 長い夜を共に過ごしたはずの、忘れられた妖を常闇の中に生み出した。絹のように滑らかなその金色の髪は、月光の下で煌びやかに輝くことだろう。力強い二本の角は闇の中で威厳を放つことだろう。
 しかし今宵は新月。天蓋に月の影はなく、闇は美しい姿を覆い隠してしまう。身に付けた様々な装飾品も同様で、がちゃりがちゃりという金属がぶつかり合う異音だけが私の存在を示していた。いくつかの妖怪の縄張りを行き過ぎるが、誰もその足を止めようとはしない。実に快適な旅路だね。
 満月に影響を受けやすい妖怪の多くは新月の夜に力の大半を失うから、戦いを挑む傾向が少ないってわけ。だから私は大手を振り、堂々と歩み続けた。稗田ってやつを直接殺しに行ってもいいが、暗殺なんて柄じゃない。正面突破こそ醍醐味だから。
 妖怪の山を下り、茂みや林を抜け、何もない平原に出た。まばらな草が生えた風景を眺めながら、適度に酒を煽る。私が縄張りに侵したと気付く者も中にはいたかもしれないが、角を見た瞬間に巣穴に逃げ帰るに違いない。なぜなら、私はこの幻想郷から姿を消したはずの妖怪。自慢じゃないけど種族によっては神に近い信仰を受ける妖怪――『鬼』なのだから。
 そんな私に手を出す妖怪がいたとするなら、それは最近生まれた者か。

「止まれ、時代はずれの大妖!」

 相当な、命知らず。
 だから私の胸は躍った。辛気臭い夜に堂々と前から現れた声の持ち主は、相当の実力者に違いないってね。鬼の闘争本能を刺激されて、私の瞳が一瞬で金色に燃え上がる。でもね、5歩くらい先に姿を見せたヤツは……
 
「ん、なにかと思ったら子狐じゃないか。良い子は寝る時間だよ」

 外れだよ、は・ず・れ。
 身体能力が高いだけの妖獣じゃないか。尻尾が多いからきっと九尾の狐っていうんだろうけど、私の欲望を満たす相手ではない。年を重ね、熟した九尾ならまだしも……
 私は改めてその姿を見て、大袈裟に肩を落とした。私よりも一回りくらいしか大きくない。まだ年齢が4桁に達していそうもない九尾など、相手にするだけ時間の無駄だ。

「あなたのような子鬼に言われる筋合いはありません!」
「子鬼? 私が? 面白いことを言うお嬢ちゃんだね。ああもう、せっかくの気分が台無しだ」

 若いせいかな、鬼の知識もない。やはり相手をするだけ無駄だろうと私が全身を続けると。子狐は一丁前に妖力を解放して私を威嚇してきた。尻尾も扇状に広げて、通さないといったところか。

「この先には人里しかない。迂回しろ」
「あーそうそう、私はそこに用があってね。お前さんはその人間を守ってるとでもいうのかい?」
「そういう命を受けている」
「ほぅ、ほぅほぅ、でも関係ないね。私はただ、最期の舞台を飾るだけさ。鬼らしく派手にどかーんっとね。その里ってやつの半分くらいぶっ壊せば、人間も妖怪の怖さを思い出すだろう」
 
 でも私は足を出す。
 歩みを止めない、止める必要もない。
 後に残った妖怪たちのために華々しく散る。不器用な鬼らしい命の終焉を迎えるため、突き進むだけ。そういう考え方に酔っていたのかもしれない。

「止められるなら止めていいよ? 恨みもしないし、私もその程度だったんだって納得してあげるから」
「いいんだな?」

 一歩、二歩、進むたびに私と九尾の距離は縮まり、ついには手を伸ばせば触れられるほどになる。間近で見た九尾はなかなかに美しく、その将来の姿を想像するだけで酒の肴になりそうではあるが。今はそうやって楽しんでやる時間がない。

「ああ、止められるものならね?」

 私はなんの躊躇いもなく九尾の体に向かって足を出し。

 ミシ、と。

 何かが軋む音と同時に。
 九尾の手加減なしの一撃を頬に受けていた。





 
「ふ~ん……」

 私はぺろり、と口元を舐める。
 なんだか暖かい感覚が私の頬にこびりついたから。生臭い、ぬるりとした液体が頬を伝い、口元まで流れてきたから。
 だから私は一瞬だけ足を止めて。

「で? 次はどうする?」

 10歩以上距離を取った相手に尋ねた。重大な損傷を抱えたはずの右腕を左手とその長い袖で隠す、傷ついた九尾に。白いかった袖の先には別な色が生まれ、ぽたりぽたりと、地面の上に朱を落とす。表情だけは変えるまいと努力はしているようだが、ぎりぎりと歯をすり合わせる音が彼女の苦痛を表現していた。
 何をしたのか、と瞳で訴え続けているが答えてやる義理はない。しかし妙な経験をさせてもらった礼として返してやるのも悪くない。

「人間たちはね、鬼を斬るためだけに専用の武器を生み出した。その理由がわかっただろう? 私たちは、いや、私はそういう存在なのさ」

 鬼の強固な肉体と、疎と密を操る私の能力。
 その二つを合わせた肉体は、妖獣の強度の遥か上を行く。
 遥か上をいくからこそ、恐れられ、疎まれ。歴史に幕を閉じた種族。その末裔である私が素手で殴られるとは、実に珍しい経験だ。私がいた時代は鬼に対抗するための知識が豊富で、まず間違いなく誰もやろうとしなかった行為だから。
 静まり返った世界の中、私は頬に残った九尾の血を指で拭き取りまた歩き始める。すると前方に構える九尾は半身になって、じりじりと後退しだした。なんだい、もう手詰まりか。距離を取ってから物理攻撃以外の何かを試すと思ったんだけど、つまらない結果で終わった。しばらく前に進んでやれば勝手に道を開けるだろう。
 もう少し怖がらせてやろうか。
 そう思って頭の上で瓢箪を回し――  

 ばちっ。

「……へぇ」

 足元がいきなり光り輝いたかと思ったら、続いて指先が痺れた。地面から立ち上った光の中の、稲光に掠められたらしい。月のない夜だからこそ、大地に生まれた光の柱が、余計にはっきりと見えた。私を中心に五つの点が円状に並び、それを直線が繋ぎ合わせる。五芒星が生まれた。
 これはまさしく五行を用いた、陰陽の術式。
 懐かしいな、これは。
 懐かしく、愛おしい苦痛だ。
 鬼たちがいた、あの時代そのものの……

「いたた。これを狙うか、子供かと思ったら中々知恵の働く女狐だね」
「古い種族には、古い術式と教わりましたから」

 繁栄していた頃によく使用されていた鬼を含めた妖怪を束縛するための術だ。これならば確かに動きを制限することはできる。じっとしてればどうということはないのに、脱出しようとすると強力な電撃を相手に見舞う。それなりに厄介なヤツだ。しかしこの術を展開するには、地面に方陣を刻む必要が――まさか。
 私は光る白線が走る部分に向かって目を細めてみた。そしたらどうだい、赤い点がぽつぽつと線と重なるように並んでいるじゃないか。

「その怪我は、これの布石ってこと?」
「私一人で鬼をどうこうできるなど最初から思っていません。わずかな足止めが精一杯かと。腕一本でそれが成せるなら安い犠牲です」
「馬鹿を装うか。はは、狐らしいやり方だよ。気に入った。あんた、名前は?」
「藍と、申します」

 思わず笑い声が漏れてしまった。真っ向勝負とはいかなかったが、なかなか面白い技巧が見れたからね。瓢箪を大きく傾けて酒を口の中に流し込み、溢れた酒をもう一方の手で拭い取る。ぷはーっと息を吐いたら、九尾が眉間にしわを寄せて身構えていた。
 ああ、そうか。この方陣の中で気楽な態度を取り続けていることに警戒しているんだろう。破ろうと思えばいつでも破れるのではないか。そう思って次の手を考えているといったところか。

「で、私にいつまでこうしていて欲しい?」

 実際、そのとおりなんだけど。
 術式の再現はかなりのものだが、根本的な力が足りない。鬼を本気で繋ぎ止めるなら、圧倒的に自力不足。
 それを自覚しながら、少しでも時間を稼ごうとした。ならば……
 その裏に何がある。
 もっと血が滾ることが隠されているのではないか。
 久方ぶりに、この世界を堪能することができるんじゃないか。

「私の主が来るまで、できれば何も破壊しないでいただきたい。里も、人間も、妖怪等もすべて」

 九尾は両手を大きく翻したあと、大地の上に膝を付き両手を揃えて前に出す。再生しきっていない右手はまだ赤く染まってはいたが、それを気にせず藍という九尾は頭を下げた。初めから素直に頭を下げればいい、と自分の口で言いかけて。私は苦笑しながら頬を掻いた。興味がこの狐に動いていない最初のころに頭を下げられても、なんの効果もなかっただろうからね。
 私は軽く右足を上げ、とんっと足踏み。
 それで方陣ごと大地を割ってから、九尾の傍へと近寄った。そしてしゃがみこんで、帽子の上からその頭を撫でる。

「いいよ、待ってやる。そっちのほうが面白そうだし、主というくらいだから強いんだろう? 力試しさせなよ。断ったらあんたの命は貰うってことで」

 鬼は嘘をつかない。
 その伝承も藍が知っているなら、この軽い口調にどれほどの重さがあるか。それを理解しているだろうか。
 私がこの手にちょっとでも力を込めてやれば、闇夜に赤い華が咲く。

「さあ、早く呼びなよ。私の気が変わらないうちに、早くしないと人里を壊しに行っちゃうかもね。その前にあなたを壊しそうだけど、はははっ」
 
 精神に重きを置く妖怪とは違い、妖獣は肉体の死が存在の死と直結する。つまり藍の命はこの右手が握っているわけだ。それでも怯えない。じっと土下座の体勢を崩さず、微動だにしない。
 それほど信頼しているというのか、その主人とやらを。そんな狐の姿を見ていると鬼の攻撃性がむくむくと膨れ上がってきて。この狐の前で主人を八つ裂きにする映像が浮かんできてしまうが、あぶないあぶない。
 あくまでもこれは、人里を襲う前座。余興なのだ。あまり熱くなりすぎても――

「これはこれは、歴史の表舞台に古い役者が姿を見せたものですわね」

 うん、頭はまだそんなに熱くなっていないはずだった。
 密かに自分の体の一部を周囲にばら撒いて、空間に入ってきたものを認識するよう注意していたはずだ。
 なのに――

「……たまには主役を張ってもいいと思ってね」

 こいつは、なんだ?
 いつ私の間合いに入った?

 いきなり背中から聞こえた声に応じながら振り返れば、紫色の服を着た女性が堂々と立っていた。外見は二十歳かもう少し下か、わずかに大人びた人間に見えるが。私の感知能力を無視できるやつがただの人間であるはずがない。

 ああ、でもいいなぁ。
こいつはいい。

「勝負しようよ、相当できるんだろう? この九尾より」
「あらあら、余裕のないことですわね。大人の女性というものはもう少し優雅であるべきでしょう? 名前くらい教えていただけないと」

 女性は夜なのに桃色の日傘を手にかけ、妖艶な笑みを浮かべていた。私から少し距離を取りながら、ふわりと宙に浮く。

「ねえ? 酒に溺れ、人間に討ち取られた鬼の末裔さん?」
「人間如きに殺された鬼を笑うか?」
「いいえ、人間は恐ろしい。すべてを知った人間ほど手強い者はなく。人間ほど興味深いものもない。変化を求めず、傲慢に過去にすがりついた鬼が、変化していく人間に滅ぼされるのは必然ですわ」

 気に食わないね。
 私に探りを入れてくるなんて、何様のつもりだ。私の感情の変化をその両眼で見て何がしたいんだこいつは。

「伊吹 萃香だ」

 私は周囲にばら撒く霧をさらに濃くして、名を告げる。夜の闇の中にうっすらと靄がかかる程度まで、その密度を高める。いきなり姿を見せたときの、あの妙な現象を事前に防ぐために。
 そうやって私が臨戦体制を整えつつあるというのに、藍の主人らしき妖怪は余裕の色を崩さない。私がこいつの命を握っているというのにだ。

「酒呑童子ではないの?」
「個体数がたった一つとなった種族名にどんな意味がある? 惨めさをひけらかすだけだろう?」
「それで幼名を名乗る、と」
「そのときが、一番楽しかったからね」

 笑うなら笑え、そう強がったつもりなのに。その女は少し悲しそうに目を伏せる。俯きながら袖から一本の扇子を取り出すと、左手にそれを持って。

「私の名は、紫。八雲 紫でございます。以後お見知りおきを」
「……やく、も? ……ああ、そうか。お前か」

 口元を隠しながら会釈した。
 しかし、私はそんな姿を瞳に入れながら歓喜に心を震わせていた。
 こいつが、こいつがあの八雲。
 人里を襲えば協力関係にあるその妖怪も出てくるとは思っていた。しかしその妖怪が、これほど妙だったり、気に食わなかったり、実にやり甲斐のありそうなヤツだとは思ってみもなかったから。

「妖怪の情報を人間に売った、裏切り者か」
「……それをどこで知りえたかはわかりませんが、あなたはただの乱暴者ではないようですわね。私と同じく妖怪の未来を憂れいている。それが一時の感情かどうかまでは判断できないけれど」
「あんたが、妖怪の未来? 役に立たない弱い妖怪を人間たちに殺させて、口減らしでもさせるつもりかい?」

 私が鼻を鳴らすと、紫は頭を軽く抑えた。
 でも、わかったよ。こいつの感情が。
 ぎらついた瞳が指の間から見えたからね。表面上は穏やかに見えるが、どうやら胸の中は煮えくり滾っているんだろう。
 妖怪の敵だと、私に言われたことで。

「あなたは人里に行って暴れたい、そして私を打ち倒したい。そういうことでよろしいかしら?」
「ああ、そういうことだよ。ほらほら、勝負といこう。私が勝ったらあんたと、この狐を殺す。そして人間たちも殺す」

 賭け事や勝負事に目がない鬼にとって、闘争は麻薬だ。自分の身体を掛けて、命すら天秤に乗せる大勝負なんて、子鬼のときから何度も夢見た場面さ。
 私は広い空間をぐるりと見渡して、九尾から手を離すと、つま先を地面から浮かせた紫へと向き直る。『疎』にしてばら撒いた私の欠片たちにもう一度意識を通わせて、深呼吸を繰り返せば人間では到底理解できない映像が頭の中に映し出される。薄い霧状の『私』が見る世界と、本体の『私』が見る世界。それがすべて合わさって、広々とした平野の全景が頭の中に構築された。
 後は、この半球状を眺めながら――

「まずは、一発」

 どかんっと。地面を蹴る。
 別にヒビを入れるつもりなんてなかった。

「どぎついのをいこうか!!」

 それでも興奮した私の足は、地面に突くたび土を爆発させ、土煙を上げた。私を観察する『私』の視界では、一直線に進む紫へと進む姿が確認できる。反応できないのか、それともわざと待ち受けているのか。紫は闇夜に相応しくない傘を広げ、私にその先端を向けてくる。となれば、傘で隠した部分からなんらかの攻撃を仕掛けるつもりか。小細工はいくらでもできるだろうけど、悪いね。
 最初のぶつかり合いくらい、力勝負といこうじゃないか。私は口元を歪めて、さらに加速。風が激しく舞う中で拳を引き、力をその手の中へと萃めていく。力の奔流と空気の抵抗により私の髪が大きく揺れ、たなびく。唸りを上げる右腕は獰猛に獲物を求めた。
 しかし、私の動きを目の当たりにしながら妖怪は傘を前に突き出すだけ。小憎たらしい半笑いも止まらない。まさかそれを盾にするつもりか。その薄い布地でこの拳を止めるつもりか。

 ――上等だ!

 私は周囲に散らした霧すら解除し、突進の勢いを殺さず、力による空間の歪みで陽炎が覆う右手を脆弱な布地へと――ぶちかます。
 身体が武器そのものの私にとって、今の私が体現できる最も単純な一撃。
 されど、最凶の一撃。
 拳の先に集中させた不可視なる『蜜』の渦が、拳の破壊力と同時に炸裂。外部と内部両方から破壊する。それが、

 ぽふっと。

「あら、残念」

 間抜けな音を立てる傘で受け止められたらどうすればいい?
 おかしい、ありえないぞ、こんなの……

 私が足の裏で地面を抉らせながら放った攻撃は、まだ暴れている。
 傘の表面で相手を破壊しようと、牙を剥こうとしている。
 しかしそれ以上進まない。
 しかも相手は地面に足を地面からわずかに浮かせて、空中で耐えているのに、体が、拳が、まったく前に進まない。
 鬼が力で負けてなどいられるかと、むきになって歯を噛み締めたとき

「っ!」

 気が付けば、左右に私の身の丈ほどある紫色の何かが口を開けていた。私は慌てて力を纏ったままの手を引き戻し。左右から発射された光弾の群れをいなした。それでも足を止めたまま避けるには限界があり、私は慌てて距離を取る。
 間を置かずに疎を操って、霧の場を作り出しながら。

「空間に穴を開けて攻撃したり、私の力を受け止めたり……どんな能力してるのさ」

 何度か手を閉じたり開いたりして、手の感触を確かめる。
 触れた瞬間は確かに布だったし、破れるという自信もあった。なのに、それが途中で止まる。つまり傘の内側と外側との間の何かが変わった。空中で微動だにしないまま私の攻撃を受け止められたのもその何かのせい。純粋な力で鬼が押し負けるなんて、考えられない。
 いや、考えたくない。
 さっきの九尾も結界術を心得ていたし、おそらくは簡易な結界か何かを展開させたんだろう。が、もしそう仮定するなら、あいつの結界展開速度は洒落にならない。そうなると正攻法に出て打ち負かせる確立は……

「まいったね、こりゃ。真っ向勝負じゃ、いいとこなしだ」

 ゼロ。確率なんてあったもんじゃない。

「そう? なら素直に降参してもよろしいですわよ?」
「あー、駄目駄目。鬼って言うのはね相当な負けず嫌いでね……だからさ、悪いけど」

 真っ向勝負、ならね。
 勝ち目はないんだけど。

「ちょっと、本気出す」

 そうやって鬼が力馬鹿と思ってくれれば、儲けものだ。
 私は少しずつ出していた霧の量を一気に増やし、平原を埋め尽くす。でも広いから視界をすべて奪うまではいかない。視界に濃い靄が掛かった、そんな感じだろうか。

「目晦ましのつもり?」
「そういうことにしておいてもらおうかな」

 私は少し小さくなった体をもう一度突進させる。
 またか、と。目の前の妖怪は傘を差し出してくるが、私はかまわず拳を振り下ろした。

「紫様! 後ろっ!」

 戦いを見守っていた藍の叫びどおり、紫の頭の上から。紫はその言葉で『私』の存在に気付き、慌てて体を捻った。その誰もいなくなった空間を『私』の拳が素通りし、もう一人の『私』が。

「背中ががら空き、だよっ!」
「――!」

 声に合わせて、もう一人の『私』の回し蹴りが紫の背中を捉えた。
 鬼の力で無防備な部分を蹴り飛ばされた妖怪は、声にならない悲鳴を上げながら何度か地面を跳ね。何の皮肉か藍の傍まで転がっていって、止まる。すぐに起き上がろうとしている様子にも見えるのだが、うつ伏せになるのが精一杯で四つん這いになることすらできずにいた。
 それは仕方ないことだ。
 いくら『三等分』されているとはいえ、鬼の力をまともに受けてはね。私は、紫の後ろに生み出した『私』と、蹴り飛ばした『私』を霧状にして取り込んでから。自分自身も霧へと変化させ、一瞬のうちに紫の目の前へと移動する。この能力があったから、私は何年もこの世界で隠れてこれた。
 
「やっぱりあのとき傘は特殊能力か何かを付与していたんだね。私の力を正面から地力で受け止められるヤツがいたとしたら、今のもあっさり耐えてくれるだろうし」

 私は近くに転がっていた傘を踏み折って、遠くに投げ捨てる。勝ちを確信したからだろうか。私は饒舌になって、紫を見下ろす。しかし震える腕で体を起こそうとする彼女から敗北宣言はない。
 
「どうせ命を奪うんだし、もう負けでいいよね?」

 勝つには勝ったが、必要以上に消耗したのも確かだ。
 人間を食べることをやめ、隠れ住むようになってからは全開に近い能力の開放なんてやったこともなかった。それだけ衰えてしまったのだろう。早くしなければ、人間の里を襲うだけの力が……

「私が、相手だ」
「……正気か?」

 まったく、時間がないというのに、本当に往生際の悪い。
 私があれほどの力を見せ付けたというのに、この狐は……私と紫の間に堂々と割り込み強い意志で睨み返してくるのだ。本当に自分の立場を理解しているのだろうか。
 仕方ない、ならば温情を与えてやろう。

「お前がそれを望むなら、二対一でいいよ。もっとも、片方はもう」
「あら? 藍を使ってもいいのね?」
「なっ!?」

 な、なんで起き上がれるんだこいつはっ
 片方は使い物にならない。そう言おうとしたのに、使い物にならない方があっさりと立ち上がり、藍の肩に手を置いた。
 待ってましたと言わんばかりのとびっきりの笑顔の中、唇だけが真剣な音色を刻む。
 
「八雲 紫が、己が名において命ずる――」

 藍の体に、鎖が巻きついたように見えた。
 しかしそれが間違いだと、私はすぐに気づく。その鎖は最初から藍に組み込まれていて、紫がそれを、

「統べての禁を解き、己が敵を討て」

 開放しただけ。
 見たことがある、大分発動の言葉や仕草は大きく異なっているが、これは、この術式の基礎は。鬼すらも使役した、忌まわしき術。

「式紙かっ! まさかこの九尾が!」

 私は慌てて九尾に拳をぶつける。しかし、その一撃は九尾の尻尾の一本によって阻まれた。しかもこの尻尾の感触は、さっきの傘と同じだ。

「ええ、そうよ。式紙。鬼ならよく理解していると思うのだけれど。ちょっと私の技法が組み込まれていてね。今のその子は、私と同等かそれ以上よ? 何せ、九尾の身体能力と私の術法、そして二人分の妖力を持っているんですもの」
「な、なななななっ!」
「ああ、そうそう。もちろん私も続けて参戦させて貰うわよ。いいのよね? もちろん。あなたが言い出したんだもの、二人で構わないって♪」

 私は尻尾に当てていた拳をゆっくりと離し、一歩、二歩と下がる。
 万全な状態ならまだしも、力を浪費した今の状態で……
 この得体の知れない紫という妖怪、ほぼ二人分を相手にしろというのか。

 はは、ははははは……

 私は、月のない夜を見上げて派手に笑い。
 腰に手を当てて、隙だらけで笑う。
 あまりに馬鹿げた、変てこな能力の妖怪と相まみえる機会を与えられた幸運を喜び笑う。
 
 人里で華々しく散るっていうのがいいかなって思ってたけど、
 やっぱり、鬼の最期はこうでないとね。

「酒呑童子が一子、伊吹 萃香――推して参る!」

 二つの大きな影に向かって、躊躇なく足を踏み出した。








 私の朝は、いつも一杯の日本酒から始まる。
 畳の上にひし形に並ぶ光の群れを、ぼぅっと布団の中で眺めてから、もぞもぞと芋虫のように這い出す。障子越しに射し込んでくる朝日を細目で恨めしそうに睨み、鳥の声を肴に一杯。
 それから布団をたたみ、居住まいを正してから景気付けに一杯。
 そして鏡の前に立ち、やった寝癖がないと喜びの一杯。
 さらに廊下に出て、なんだか眩しかったから一杯。
 それに加えて廊下を歩きながら、なんとなく一杯、二杯、さん――

「おろ?」

 傾けていた一升瓶がひょいっと、急に手の中から消え、ぐーぱーぐーぱーと空気を握り締めることとなる。
 抜けた方向、右斜め前を見上げれば、掃除用の前掛けをした九尾がなんだか不満そうな顔で見下ろしていた。

「没収です」
「うわ、また出たよ。横暴だな~、狐ちゃんは」
「何が横暴ですか。昨日から何本酒を飲んでいると思っているのです? そんなに飲みたかったらご自分の瓢箪の酒を飲めばいいでしょう。昨日は料理酒にまで手を伸ばそうとして、客人だからといって遠慮はないんですか?」
「ない、ぜ~んぜんない。だから、はい、お酒頂戴♪」
「却下です」
「うーわー、何その態度! お客さんに対する接し方じゃないよ! 親の顔が見てみたい!」

 おかしなこともあるもので、私はこの口うるさい藍と一緒に暮らしている。もちろん、あの紫も一緒だ。半月ほど前に気持ち良いほどにぼこぼこにされたせいでね。負けたのは私が弱っていたから、なんて言い訳はしないよ。勝負ってのは勝っても負けても自分の責任だからね。それに遅かれ早かれ幕を引こうと思っていたし。
 なんだかね、ボロボロにされて余計にすっきりした。
 もう立ち上がることすらできなくなって、大の字に転がされたとき、だったかな。これで終わったと思ったんだけど。紫が妙なことを言い出したんだよ。勝者である私からあなたに命令をさせてもらうとかなんとか。

「約束である紫様の手伝いはどうしたのです? 毎日毎日ふらふらと」

 それで勝者である紫が要求したのは、二つの行使だった。何故二つかと尋ねたら、私が人里を壊すことと二人を殺すことを宣言したからだそうだ。何か納得いかないが、勝負事での約束は絶対。鬼だからそういうところに変な拘りあるんだよね、私。だからその命令を従うことを前提で、客人として受け入れられているわけだ。

「だって紫が何も命令しないんだも~ん。文句を言うならそっちの主に言うべきじゃないか?」
「それは、確かに……」
「でしょぅ? で、何もすることなかったらお酒飲むしかないよね? ね? ってことでお酒返して」
「伊吹瓢があるでしょう?」
「わかんないかなぁ、人の家に世話になってるうちに違う味のお酒をタダ飲みしたいというささやかな願いが」
「正直すぎて腹立たしい……」
「だーかーらー、はーやーくー!」

 私が飛び跳ねて酒を奪おうとすると、藍はしぶしぶ酒を返してくれる。それをごくごくっと一杯分くらい飲み干して。ぷはぁっと息を吐く。美味しい酒を飲むとついつい頬が緩んでしまって、ちょっとだけピリピリしてる藍をさらに刺激してしまったようだ。何か今にも呪い殺しそうな顔で睨んできた。
 まあ、私だって恩義は感じていないわけじゃないよ。傷の治療をしたのも藍だし、その後食事を作ってくれたのも藍だし、部屋の掃除も洗濯も全部――
 あー、こりゃ怒るか。
 新しい客人の分まで家事が増えて、その私が朝から酒を飲んでごろごろしてるわけだから。おかげさまで全盛期とまではいかなくとも、ずいぶんと回復したし、ここは一つ励ましの言葉をかけてもいいかもしれない。肩は届かないので、肘あたりを目掛けて手を伸ばし。

「藍」
「……なんですか?」

 とんっと。

「がんばりたまえよ♪ 私のために」

 ……あれ? 
 間違ったこと言った?
 なんか敵意が殺気に変わったんだけど。
 いきり立ち揺れる尻尾が、まるで威嚇しているようだけど、たぶん気のせいだろう。
 
「ふわぁ、おはよぅ……」

 と、藍がプルプル震えながら何も言わなくなったときだった。その大きな尻尾の真横にリボンが二つ現れたかと思ったら、それを結ぶ直線が空間に走った。そしてひょっこりと生首だけが空間から生える。

「おはようございます……紫様、今日はずいぶんと早いお目覚めで」

 違う。
 たぶん、寝てる。
 布団の上から直接隙間を開いて顔を出したんだろう。帽子を被っていないのがその証拠。それを知りながらも藍は殺気をしまい込んで、肩の高さで顔を出す主へと頭を下げる。

「んー、朝餉はぁ?」
「できたところですが、お召し上がりになります?」
「ええ、私の部屋まで運んで頂戴、その間に身支度を済ませるわ」

 藍が頭を上げるのと同時に、布がすれる音を残して頭を引っ込めた。境界の能力だっけ。本当に便利そうだよ。

「そういえば、この時間に起きてるの初めて見た」
「用がなければ、本当に何もしないお方だからね……さて、萃香様。そちらの朝餉も居間の方に準備してあります」
「熱燗つき?」
「井戸水なら付けましょう。頭からかぶらせてあげましょうか?」
「あっつい湯船でお願いしよう。じゃね~」

 私は、とっとっと足取り軽く廊下を走り、居間へと向かう。腹が減っては戦はできぬっていうしね。それにお世辞抜きであの九尾の飯は旨い。冷めるのを待っては損というものだ。
 それに、何もなければ早起きしない紫が目を覚ましたということは、とうとう仕事の時間がやってきたということかな。
 鳥たちの声が響く、世界から少し外れた屋敷の中で。私は気分良く鼻歌を響かせる。
 これから起こる夢のような時間に想いを馳せながら。




 ぞわり、と鳥肌が立った。
 寒かったわけじゃない
 中庭を見渡せる縁側に腰を下ろしていると、日の光が暖かいくらいだ。むしろ右側を藍、、左側を紫で固められているので尻尾が暑苦しい。
 けれど、腰掛けてすぐに聞かされた言葉に私は寒気を覚えた。
 八雲 紫の本質を知り、戦慄してしまう。

「私と幸せな世界を作りませんこと?」

 始まりはこんな言葉だった。
 聞きなれない言葉に首を傾げ、私より背の高い紫を見上げていたら。続け様に唇が上下する。

「永遠に続く楽園を築きたいということですわ」

 ふむふむ、楽園を作る、私と一緒に。
 それが永遠に続く、幸せな二人の世界ってことか。
 へぇ~。

 おや? 
 永遠に続く、二人の幸せな世界?
 あー、なるほどねー。
 わかってみれば簡単なことじゃない。
 つまり~、

 ……そ、そそそ、そっち方面の趣味持ちか、こいつっ!

 口元が引きつり、背中から嫌な汗が出るのが自分でもわかる。
 そういった方面でちょっと有名な九尾を式にしているから何かあるかと思っていたのだが、まさかこんなことになろうとは。となると、この九尾もその毒牙にかかっているのかも……
 まて、まてまて、そうなるとまずい。この位置は非常にまずいんじゃないか。二人に挟まれて俊敏な動きを取れない私はもう、檻に入れられた獲物。いやいや、しかし落ち着け私、同性以前に種族が違うのにそんなことがありえるかを冷静に考えてみろ。私は顎に手を当て両側にちらちらと視線を配ってみた。
 右側にいる藍は無表情で見下ろしているし、特に妙な感情は見えない。むしろおどおどする私をいぶかしんでいるかのようだ。もう片方はというと薄い笑みを浮かべているが、いつもこんな感じだから、やっぱり私の考えすぎ―― 

「簡潔に言えば、あなたを欲しているの。必要不可欠なのよ」
「へぇ~、そ、そうなんだ」

 やばい、本物だ。
 私はカラカラに渇き始めた喉を潤すため、伊吹瓢の酒を一気に流し込んだ。

「ぷは~、そ、それでさ。やっぱりその楽園とかそういうのに協力するのが。一つ目の命令名わけだったり?」
「もちろんですわ」
「うわーい……」

 しかも逃げ場なし。
 勝負事で決まったことを覆すなど鬼の名折れ、いくら仲間が近くに居なくともそこは曲げられない。となれば、覚悟を決めるしかないだろう。
 酔いとは別の要因で重くなる頭を右手で押さえて、はぁ、とため息。一人でこの時代まで生き抜いた結果がこれとは、救いがないというかなんというか。

「あなたが困惑するのは仕方のないこと、考える時間が少なすぎますものね」
「でも、拒否権はないと」
「いきなり信頼しろといっても無理でしょう? ならば約束してもらうしかありません」
「気が乗らないなぁ」
「萃香様、もう少し口の利き方に」
「いいのよ、藍。飾った言葉を使わないのが鬼の美徳ですもの」
「……申し訳ありません」
 
 自分の立場がわかっていないのか、と。主を雑に扱う私に敵意丸出しだ。客人の扱いでもあくまで敗者、そう思っているのだろう。私がきたせいで紫を取られた気でいるとか、
そういうヤキモチ焼いているのかもしれない。

「では、続けましょう。私があなたを必要としているところまではいいわね?」
「よくないけど、いい」
「ええ、それで結構ですわ」

 意思は関係ない。
 欲しいのは身体ってことかことか、ケダモノめ。
 静かに息を吸い込み、本質を言おうとしてる。

「協力してくれればいい。あなたの力がどうしても不可欠なのだから」

 ほーら、きたよ。
 やっぱり目的は……あれ?

「……力?」
「ええ、昨日もお話したとおりですわ」
「昨日……昨日……」

 昨日の記憶をゆっくり辿っていくが、まったく聞いた記憶がない。残っているのは朝食と昼食の献立と、庭の風景と、大事な話があるからと呼び出されて宴会……
 あ、これだな。きっと。
 ただ、紫が大盤振る舞いしてくれたからついつい飲み過ぎたっていうか。
 2樽分イッキした後の記憶がない。

「それとどちらかといえば、命令ではなく契約、約束として受け取ってほしいものです」

 紫が話を続けている間になんとか断片だけでも思い出そうとするが、飲みながら笑っていた記憶しかない。上物の大吟醸なんて久しぶりだったねぇ。ああ、よだれが……

「聞いているのかしら?」
「聞いてはいる。左から右だけど」
「まさか、忘れたわけではないでしょうね?」
「最初から頭に入っていなかったのが正しい。うん。だから忘れてない」
「余計に問題ありです。大事な話だったというのに」
「し、仕方ないじゃない! お酒美味しかったんだから!」

 酒呑童子の末裔に美味しいお酒を振舞うほうが悪い。そうすると、お酒以外に集中できなくなるに決まってる。と、正論をぶつけてみたけれど、紫から扇子でぺちっと頭を叩かれた。

「今度は安物のお酒にしましょう」
「……いや、安くても美味しい方で」

 ぺちっ

「いたぁっ!」

 しかも妖力を込めて叩くもんだから痛みが響く。
 怒っているのかと頭をさすりながら顔を見上げてみれば、呆れるでも、睨むでもなく。くすくすと扇子で口元を隠しながら笑っていた。

「仕方ありませんわね。覚えていないというなら、もう一度。私は人間と協力しているのは間違いありませんが、それは妖怪を守るためなのです」

 大事な話を流されるのが嫌だったからか、紫は一語一句丁寧に私に教えてくれる。妖怪の詳細を教えるのは外の世界の悲劇を繰り返さないためなんだって。忘れ去られて消えないように、人間たちに妖怪の存在を学習させる、歴史を人間と作り出す。弱点を教えるのも『いざとなったら退治できる』そう思わせるため。
 そして知り合うことで親近感を生ませるのが、第二段階なのだと。

「妖怪は人間を糧にしなければ生きられないわけではない。人間も下手に妖怪の縄張りに踏み込まねば襲われることはない。ならば、お互いが認め合い、暮らし続ける世界が作れるはず。私はそう思いました」
「それが、さっきいってたやつ?」
「ええ、それが『楽園』。私の目指す世界なのです」

 この紫という妖怪の能力なら、確かに可能だとは思う。あの私と争った夜も、周囲から野次馬が集まってこなかったのは結界を張っていたかららしいし。大きい面積でそれをやるのも不可能ではない。
 でも、それだけでは足りない気がする。

「同じところに止まる水は、腐るよ?」
「ならば誰かが、新しい刺激を呼び寄せればいい。閉じた空間へ流れ込む道を作ってやればいいのです」
「出口がなければ、破裂する」
「そこは制限を掛ければ良いことですわ。それに妖怪だって寿命は訪れますもの。誰かがいなくなれば誰かを呼び寄せ、くるくると」
「水の中に、ほかの魚を食べる大型の魚が入ったら?」
「お帰りいただくまで」
「抵抗されたら?」
「藍の夕食が一品増えるだけよ」

 結界で管理された妖怪のための楽園。
 でもそれは……

 偽りの平穏。
 偽りの幸福。

 外の世界から逃げ出した妖怪たちが、肩を擦り合わせて暮らす。
 嘘で塗り固められた幻想。

「私はね、嘘が嫌いなんだよ」
「ええ、知っておりますわ。あなたの種族が人間たちの嘘でどれほど苦汁を舐めさせられたか。同じ妖怪として同情もするところでもあります。でも、やっと見つけたのです。楽園を形成するのに必要な要素であるあなたを。諦めかけていたのに、能力者を見つけてしまった」

 静かな口調ではあるのに、言葉は深く私の心に刻まれていく。ひび割れたい岩に水が染み込んでいくように、荒んだ心を潤してくれる。

「それに、偽りであっても、生きる私たちの日々は現実として手の中にある。それを守りたいという気持ちまで、偽りだと?」

 その理論は屁理屈に過ぎない。
 井の中の蛙と同じだ。
 蛙が外の世界を知らないだけで、井戸は井戸でしかない。
 それでも、

「紫と私の約束、なんでしょ?」
「命令ではなくて?」
「そっちの方が良いんでしょ?」

 その小さな井戸の中は、凄く面白そうな気がした。
 この八雲紫という妖怪が無意識に身を乗り出すほど、大切にしようとする世界なのだ。

「あんたの幻想に乗ってあげる。感謝しなさいよ」
「ずいぶんと図々しい小鬼さんですこと」

 なんだか周囲が明るくなった気がして何気なく空を仰げば、日がかなり高く上っていた。長時間話を聞きっぱなしだったからお酒が抜けたせいで、頭の中が急に冷静になると自分の発した言葉が恥ずかしくて仕方なくなる。
 照れと気温の上昇で暖かくなった顔は、一体どんな色をしているやら。

「そうです、せっかくだからもう一つの約束もしましょうか」
「そんな簡単に決めちゃっていいの?」
「ええ、もちろんです」

 そしていきなり、右手の手袋を取り私の顔の前に持ってきた。
 握手を求めていると気付いたのは、数秒後。

「すべてが片付いた後には、二人で呑み明かしましょう。世界の美味しいお酒を並べて」

 手を伸ばした私は。

 足の先から、頭の先まで――、
 もしかしたら角の先まで真っ赤だったかもしれない。




 

 どたん……

 どん、だん、だだだだだだ、す~~ぅ、ばんっ!
 
「紫様、萃香様! 何をなさっているのですか!」

 いきなり襖が開いたと思うと、息を切らせた藍が部屋の中に飛び込んでくる。そこで大き目の机に並んで腰掛けていた私と紫は、顔を見合わせ各々の飲み物を藍へと見せる。

「宴会よ?」
「宴会だね」
「そういう問い掛けではありません! この一大事に何を悠長にしているのかと!」
「大事ならさっき終わったじゃない?」
「そうそう、ほらほら藍、遅れたヤツは駆け付け3杯って決まってるんだからね~」
「黙っててください、居候のタダ飯食らい」
「ひどっ! この狐ひどっ!」

 私と紫で長年思案してきた幻想を守るための仕組み。外で忘れ去られた結界の本格的な運用が、ようやく今日始まった。この日のために試運転を継続的に行い、実績を積み上げた。幻想を呼び込むための結界が、完成したのだ。こんな日の夜にすることなんて、一つしかない。

『大宴会』だ。

 だから今日は朝まで飲み明かすことに決めていたというのに、喚き散らす藍のせいでほろ酔い気分が台無し。紫が集めたいろんな場所の地酒も、楽しい気分で飲んでもらいたいことだろう。いくら遅刻したからって、そんな不機嫌になることないのにさ。小さな事件くらいほっとけばいいのにね。

「紫様、お耳を拝借」

 私のジト目を無視して、藍は机を回り込んで紫の隣に座ると、私に聞こえないように耳打ちし始める。と、紫の顔色が変わる。
 その目の色の変化だけで察した私は、ぐっと唇に意識を集中させた。

「萃香」
「なに?」
「霧の湖の側に、大きな『館』が建ったんだって~、何かする~?」
「や~、かったる~い♪」
「そのお屋敷は屋根まで紅いらしいわよ?」
「材質はきっと、べにやね! 安物使うなんて、やーねー♪」 
「うふふふふ」
「にゃははははははっ!」
 
 ガシッ

「へ?」

 ぐりぐりぐりぐり……

「いた、いたたたたたっ! こめかみとか反則っ!」
「人が! 真剣に! 話をしているというのに! あなたという鬼はっ!」
「いや、だって紫が振るのが悪いんじゃないか! いたいいたいっ! 私ばっかり不公平!」
「紫様は良いのです」
「うわぁ、鬼虐待だね。紫もなんとか言ってよ~!」
「躾が行き届いた結果ですわ。仕方ありません」
「この親あって、この娘ありか……くそぅ、私だけ損した」

 全力で頭の両側をぐりぐりされ、酔ってもいないのにじんじんとした頭痛が残る。私の頭から手を引いた藍はもう一度机を回り込み、正座する。
 
「それで、藍? あなたはその幻影を誰に見せられたの?」
「嘘ではありません。確かに私はこの目で確認いたしました。最終調整のあとに、紅い館が突如出現する現場を。幻想郷の中にあのような建物はありえず、蜃気楼のように何かを映した物という可能性も少ないかと」
「屋敷の広さは?」
「この屋敷と同等か、それ以上」
「……ありえないわね」

 酒に酔っていたはずの紫の表情が引き締まる。それほど想定外の事態なのだと、理解できる。ちびちびと熱燗を啜りながら結界の構造について思い出せば、確か。

「大きすぎるものが入らないようになってるんじゃないっけ?」
「そうよ、神話の巨人族など入ってこられては厄介ですもの。体積に限度を設けたはずなのだけれど、その設定が上手く作用していないかそれとも……」

 相手の干渉力の方が馬鹿でかかったか。
 理論上では龍神とか、神様が意図的に入ろうとしなけば道は開けないはず。私の萃める力を込めた結界が、それを引っ張ろうとしないから。

「仕方ありません、宴は再度やり直し。今は結界の再調整を優先いたします。藍、萃香、準備をなさい」
「えー、私もー! 調整とか専門外だし」
「今日出現した館が何か仕掛けたとき、防衛できるものがいないとどうしようもないでしょう? 私と藍は手一杯になるでしょうし。もっとも、結界で隔離されたこの場所からあなたが自分の意志で出られるのなら、飲んでいてもらってもかまいませんわ」
「あー、わかった。いくよ、いけばいいんでしょ! まったく、人がせっかく楽しく飲んでたのに、その館ぶっつぶしちゃおうかなぁ」
「おやめなさい。あちらが敵意を向けないのなら、幻想の客人にかわりない」
「はいはーい、っと」

 私は飲み掛けの日本酒だけを一気に喉に流し込み、伊吹瓢を肩に掛ける。ま、紫のおかげで妖力は全快だし、仕掛けられる門なら仕掛けてみろって感じ。酒の恨みをこの拳に乗せてやるかな。

「藍もいいわね?」
「はい、結界の最終的な係数が4付近になっているか確認を――」
「3じゃなくて?」
「え?」

 空気が、一瞬だけ停止する。
 正座から立ち上がりかけた体勢で体を固まらせる藍と、口元に扇子を当てたまま微動だにしない紫。
 珍しく焦燥の気配を見せる藍は、恐る恐る主を見上げていた。

「4と、申されませんでしたか?」
「いいえ、遊びが大きくなりすぎるから、4から一段階落とせと。そう伝えたはずよね?」
「……あっ!」

 藍の顔からさーっと血の気が引いていく。
 結界の仕組みとかは全然わからない私でも、今のやり取りではっきりと理解できた。忙しく動き回っていたせいで、いつも完璧な藍が何かミスを犯した事を。
 そして、そのたった一回のミスが、とんでもない事態を招いたことを。
 紫の冷たい視線に可哀想なくらい怯える藍は、神速で頭を擦り付け、今すぐ再調整すると訴えるが。

「終わりましたわ♪」
「え?」
「一段階下げるだけですもの、もう終わったと言ったのよ?」

 座りなおした紫の右腕が、自ら開いた隙間の中に差し込まれていた。おそらく今のわずかな会話の中で、再調整をやってのけたのだろう。
 うん、じゃあ解決だよね。
 解決しちゃったわけだよねぇ?
 私は紫と顔を見合わせると、にやりっと歪んだ笑みを作る。

「じゃあ、宴会の続きと行きましょうか? 藍を交えてじっくりとね?」
「うんうん、あたしも何でか頭ぐりぐりされたからね。ゆっくり藍とは飲み明かしたい気分だったんだよ」
「い、いいいいいいいえ、あの、さすがに私のミスが招いたことですし、監視の作業を行おうかと」
「前鬼と後鬼を行かせました。これで心配事もなくなったわね?」
「そ、そうですね。あは、はははははははっ」

 でも藍は土下座したまま顔を上げようとしない。尻尾を力なく放射線状に広げて、がくがく震えるばかり。
 仕方ない、ここは一つ助け舟だ。

「藍、私への仕打ちだったら。許してあげるよ」
「ほ、本当ですか!」
「うん、鬼は嘘を吐かないからね。尻尾をくすぐられるのと、飲み続けるの。どっちがいい?」
「……他に選択肢は?」
「ない♪」
 
 九尾葛藤中……
 おそらくは、どちらが明日の家事に響かないかを計算しているんだろう。じっと姿勢を低くしたまま思案を続け。

「では尻尾で」
「おっけー、朝まで尻尾くすぐりコースね♪」
「あ、朝まで!?」
「紫は自由参加でいいからね」
「お待ちくださいお二人とも! せっかくの祝いの席なのですから私を弄るのではなくその喜びを語り合うべきであって、ですね。え、えーっと、そ、そうです! 私のような妖獣の毛でお手を汚すのは衛生上問題があります! ですからもう一度ご一考のほどをぉぉぉぉおおおおっ! や、やめっ――」

 笑い声を通り越した、濁った悲鳴が響き渡る中。
 望むべき楽園の姿になった世界の夜は更けていき――

 本当に朝まで、宴は続いたのだった。





「いも、ねぎ、だいこん、三個ずつ入れて。お金は入ってる」

 八百屋の前で着物姿の少女が、買い物カゴを店主に手渡す。そんな見慣れた光景を夕日が照らしていた。

「えらいねーお嬢ちゃん一人で買い物かい?」
「早くしろ」

 気難しい少女は、店主が誉めても笑み一つ見せず半眼で睨み返すばかり。そういう年頃なら仕方ないと、店主は苦笑いしながら手馴れた様子で野菜を入れ。
 最後に、カゴを手渡しながら、珍しい髪色の少女に手を……

「……ったら……ろすよ?」

 良心的な経営をしていた店主の耳は、その言葉を理解できない。そもそも子供からこんな言葉が出るとは想像すらできなかった。

「ああ、帰ったら、おろす、ね。この大根は新鮮だから苦味もなくて食べやすいよ~。またきてねー」

 だから『触ったら殺す』なんてフレーズをなかったことにして。彼の脳内は瞬時に別な言葉を探し出した。その思考が一旦停止したおかげで伸びかけた手が止まり、少女に届かなかったのは幸い。
 もし触れようものなら、手と腕が体からサヨナラしていたかもしれない。
 八百屋に背を向けて歩き始めた普通の少女に何の危険があるかと普通の人は思うかもしれないが。
 
 大有りなのである。

「齢100年にも満たない人間が、私を子供扱いするとは、ああもう、腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい!!」

 通りの隅にある井戸の中に怒りをぶつける少女こそ、何を隠そうこの私。伊吹萃香なのだから。角はどうしたとか、服装はどうしたとか、飾り物はどうしたとか。鬼の矜持はどこいったなんて言われるのはわかっている。わかっているのだが……

「ゆぅ~かぁ~りぃ~めぇ~! 帰ったら絶対殴ってやる!」

 あの狡猾な紫に嵌められた結果、こうなってしまった。
 全然私に非がないというのにこの扱いとは、息をする度に苛立ちがつのるというもの。

 そもそも――

『居ません、あなたの知っている八雲藍はもう居ません』

 意味不明な張り紙をして、藍が部屋に引きこもるのが悪い。そりゃあ、昨日はちょっとやりすぎたかなとは思ったけど、そんな怒ることないと思うんだよね。くすぐりすぎて途中で腰が抜けたり、気絶したりしてたけど、特におかしなことはなかったはず。
 そんなこんなで藍がへそ曲げちゃったから、ご飯も質素なものしか出なくてさ。さすがに紫も重い腰を上げた。

「夕食ぐらいどちらかが作りましょう」

 紫は藍と一緒に暮らすまでは自分で料理を作っていたそうで、中々の腕らしい。私も鍋くらいなら作れるから、どちらかが買出し、どちらかが料理という決め事になり。
 そこで二人は同時に気づいた。
 お互いまだ表舞台に姿を見せるのは都合が悪いということに。
 
 私は『鬼が姿を見せるのは紫的にも嫌だよね?』と。
 紫は『稗田家とは協力しているが、今はそれ以外の人間に姿を見せられない』と。

 館の監視もあるから直接は動きたくないというのも本音だったんだろうね。だから紫は私にとんでもないことをお願いしてきた。

「ねえ、萃香。あなた、羽のない蝶を蝶と認識することができる?」
「なんだよ急に、そんなのわかるわけないじゃん。羽あっての蝶でしょ?」
「そうよね、羽あっての蝶よね」
「そうそう、羽――」

 私は、無意識に両手で角を防御した。
 今の発言は、何かを揶揄していたからだ。しかも紫は私の頭の上に視線を置いており……

「ねえ? 霧で角を隠せば……もしくは角だけ霧状に」
「断る! 馬鹿? ねえ、紫って馬鹿なの? 私が偽ることや嘘が大っ嫌いなの知っててそういうこと言うわけ!」
「じゃあ仕方ありません。勝負で負けたほうが相手の望む格好で人里へ下りる。ということでいかが?」
「……ふーん、じゃあ、私が勝ったら肌襦袢姿で紫に行ってもらおうかなぁ?」
「いいでしょう。私が負けるなんてありえませんもの。勝負の方法は……公平にじゃんけんでいかが?」
「いいよ、やってやろうじゃない」
「手を出すときの合図は私が言ってもよろしくて? まさか鬼がその程度のことで文句は言わないわよね?」
「もちろん、好きなときにやればいーー」
「じゃんけんぽん」
「えっ! ぇぇぇえええええええっ!」
「じゃあよろしく。それと人里でなにかあったらお願いね♪」

 ……汚いな、さすが隙間妖怪汚い。
 普通そんな予期せぬときにやられたら、グー出すって。
 でも勝負は勝負ということで、これだ。この屈辱的な姿だ。頭は角が欠けたせいで何か物足りないし、逆に無駄に布の多い人間の着物は動くのに邪魔。しかもその模様が子供用の花柄とは、ふざけるにもほどがある。
 それだけでも耐えがたいというのに――

「こ、こら! 子供が何をしているんだ!」

 苛々を誤魔化すために伊吹瓢で酒を飲んでいるだけで、周りから怒鳴られる。子供ではないと説明しても、子供だと言い切られ。その度にカゴの中へと瓢箪を片付けられる。誰の宝だと思っているのだまったく。 
 まあ、しかしだ。
 見ず知らずの子供を叱り付けられる環境というのは、悪くない。人間というのもなかなか仲間思いなところがあるじゃないか。
 感心して、何気なく酒を口に運び。
 ……再び注意されるという悪循環を繰り返しながら、人間に対する悪口をつぶやき歩を進める。買い物は先ほどの八百屋が最後だったので、後は紫が設置した隙間のところに戻るだけ。日も暮れそうだし、ちょうどいい頃合だろう。
 空の半分以上が濃い藍色に染まりつつある中、裏路地へ続く道へと足を向け、物陰にある紫色の空間へと……

 カンカンカンっ! カンカンカンっ!

「月が上がったぞ! 妖怪に気をつけろ!」

 路地に中にも響くほどの大声と、耳障りな金属音が狭い通路に響く。
 私はしばらくその音に耳を傾けていたが、


 ……ははーん。なるほどね。
 『何かあったら』とはこういうことか、あの古狸め。

「ほれ、ちゃんと夕食だけは作っといてよ」

 隙間に買い物した材料を放り込み、伊吹瓢だけを持って私は駆け出す。
 地平線から姿を見せた、満月を見上げながら。

 盛大なお祭り会場へと。 




 

 1、2、3……

 ふふ~んっと鼻を鳴らして私は指を動かす。
 満月の夜の平原に姿を映す影と、空に浮かぶ影。両方を追った。その結果――

「えぇ~、30体程度しかいないじゃない」
「そんな、30体だと……人里を消して防衛に専念するしか」
『……ん?』

 人里の上空から数を確認し、地上へと降りたとき別の声が重なる。私よりも少し前で、あの群れを抑えようとしている何者かがいるということか。どうやら見たところ……

「ん、良い角だ。妖獣かな?」
「こ、子供が何をしている! 早く里に戻るんだ!」

 珍しい、いろんな意味で珍しいやつだ。
 外見だけでいうなら、身長はかなり高く大人の女性といったところか、人間の子供扱いには正直腹が立つが、迫りくる妖怪の群れを無視し『人間の子供』を必死で救おうとする姿は、本当におもしろい。私に背を向けてしゃがみ込み、『早く乗れ』と、切羽詰った声を上げるとは。
 しかもこいつ……角と、尾を持っていながら……

「うろたえるな、人間もどき。いや、妖獣もどきか? これからがいいところなのに逃げてどうする」
「っ!」

 この鼻をくすぐる微かな香りは、紛れもない人間の血によるものだ。私に無防備な背をさらす妖獣の。まあ、そこまで教えたところでやっと気が付いたのだろう。私が外見どおりの存在ではないことを。
 地面に手をついて、腕の力だけで飛び上がり。私と迫り来る群れの両方に対処できるよう構えを取る。しかし私は妖獣には視線を飛ばさず、人里へ押し寄せようとする妖怪だけを見つめていた。

「ねえ? 他方面からの攻めは一切なし、これはありえる?」
「いきなり、なにを……」
「だからぁ、満月で低脳な妖怪が暴走したとき。一方向からしか来ないことってありえるかって聞いてるの」
「いや、あまりないことだが……」
「そう、わかった。一応感謝だけしとく」

 館が急に現れたことと、一方向からしか攻めてこないことが関係しているとははっきりと言えない。しかし隊列を組み誰かに指揮されているような足取りで向かってくるのはどういうことか。それにあの方角は霧の湖側であり本当にこれが偶然揃った結果なら、違和感があり過ぎる。人形とかそういう偽者の部類でもないんだろうし、短時間でこれだけ兵隊を集められる存在がいると考えたほうが自然だ。個体としてのかなり能力の高い何かが――

「こら! こちらを無視するんじゃない!」
「ん? なにかな妖獣」
「お前は一体何者だ、何しにこの場所に来た」
「通りすがりの妖怪だよ、ここには苛々を解消しにきただけ。それにしてもいきなり話し掛けてくるとは、この場面で世間話でもしたい? 自分の身の上でも聞いてほしいのか?」
「……里には、手を出さないんだな?」

 私の挑発をあっさりと流し、本質だけを捉えたか。
 ん、悪くない。
 それにしても、里を守る妖獣か。
 ははは、いつぞやにもいたな、似たような狐が。どうやらそういうのに縁があるらしい。

「妖怪たちがここにくるまで後わずかか。ところで妖獣」
「質問に答えろ、里に危害を加えるのならいくら妖怪の子供でも……」
「いいよ、じゃあこっちの簡単な質問に答えてくれたら、私も応じようじゃない」
「…………」

 ふふ、そう牙を剥くな。
 たぶんお前には、簡単な部類の質問だろうからね。

「お前は人間が好きか?」

 私はそう問いかけながら、横からやってきた妖怪の顔面を拳でぶち抜き。

「……私は人間という種族を愛している」

 妖獣は裏拳で、別な妖怪を地面にめり込ませる。
 なるほど、物理攻撃では死なない妖怪の止め方は理解しているみたいだね。そうそう、そうやって純粋な力で、圧倒してやればいいんだよ。
 乱暴に、残酷に、絶望的な力の差を見せ付けながら、打ちのめせばいい。

「私は、単なる娯楽のため」
「私は、人間を守るため」

 はは、いいじゃないか。
 それは、それでさ!
 私は、動きにくい着物を大きく破り捨て。群れの中へと駆け出した。


 さあ、かかってきなよ。小童ども。
 ほら、月の狂気に満たされているなら、私に向かって来い。
 そうじゃないと……

 鬼が、お前たちの命を攫っていくぞ?




 そんな宴の後――
 全部『片付けて』から帰ったら、やりすぎだって呆れられたけど。
 今日は気分よく眠れそうだ。





 

「藍、何してる?」
「萃香様に尻尾を枕にされながら洗濯物をたたんでいるところです。非常に邪魔です」
「えー、なんだよ。あの橙って猫には甘えさせてるくせに」
「あれは私の式、娘も同然ですから。可愛がって何が悪いというのです」
「うわぁ、開き直ったし」

 冬になると、いつもこう。
 静かになった屋敷の中で、藍は無言で家事をこなし続け。私はその藍の尻尾で昼寝。たまに寝酒を飲んでいて尻尾に零したときのうるさいことうるさいこと。

「畳も今年張り替えたばかりですし、あまり粗相はなさらないように」

 理由に畳を利用しているが、これは暗に尻尾を汚すなと注意しているのだ。紫と付き合うようになってから、藍ともいろいろやったからね。癖も覚えるってもんだ。枕代わりの一本の尻尾を抱えなおし、草の匂いが新しい畳に背を預ける。すると程よい冷たさが布地越しに伝わってきた。今日は確か、朝から雪が降っていたはずだからもう庭は薄い雪化粧に覆われているかもしれない。それを眺めながら熱燗も悪くないか、と、冷たさと尻尾のちょうど
 良い温もりを味わっていると、睡魔が私を夢の世界へと引き込もうとする。
 夢の世界。
 夢、か。

「紫の夢は、妖怪の楽園だったっけ? そういえば」
「お忘れになったのですか、ああ、年とは怖いものですね」
「ああ、怖い怖い。今日何本酒を飲み忘れたかも忘れたから、0本から数えなおそう」
「……むぅ」
「冗談だよ、尻尾を揺らすな」

 あの館、紅魔館といったか。
 その吸血鬼が起こした戦争のときは、楽しかった。身を隠しながらだったけど、久しぶりに鬼の闘争を満たすことができた。
 でも、なんだろうね。
 あの紫の馬鹿に洗脳されでもしたのかな。無数に地面に転がる相手の軍勢を前にして、勝利の喜びと同時にどこか虚しさを感じるようになっていた。互いの血をぶつけあっていたときのあの感動が嘘のように消え、これでいいのかと自問する声が私の中で大きくなっていった。紫は私のそんな変化に気付いていなかったようで――
 だから、あのときあんなに驚いたんだろう。

「スペルカードルール? いいよ、別に」

 闘争を遊びへと落とす。そんな決め事を作りたい。
 珍しく不安そうに問いかけてきた紫の言葉に、私は何の意義も出さなかった。それに私が反対すると思っていたのだろう。藍も目を丸くして、本当にそれでいいのかと何度も問い掛けてきたからね。でも、一番驚いていたのは私だ。自分がそう紫に返したとき、心の中がまったくざわつかなかった。
 そんな自分の、普遍である鬼の変化に。
 私は、微かに脅えていた。
 自分が凄く小さな存在に思えて、怖くなったんだ。

「藍はさ、人間が好きだから楽園に賛成なのかな? それとも紫の命令だから?」
「もちろん、紫様の命令だからです。人間に好意など持っていません。敵意を持っているかと聞かれれば即答はできませんが」

 とんとん、と。藍の体が揺れる、最期の洗濯物をたたみ終えたのだろう。尻尾の角度が変わり、天井しか見えなかった私の視界に長い袖が入ってくる。

「敵を滅ぼす言い訳に、強い力を持ち過ぎたからなんて戯言を振り回す。そんな種族を好きだと言えるほど、まだ私は大人ではありません」
「ふーん、でもあんたに似た感じするヤツ人里にもいたんだけどな~、妖獣だったけど」
「……あれは、尾を持つだけの別物です。一緒にしないでもらいたい」

 無言で伊吹瓢を差し出すと、藍の手がぴたり、と止まり。何もない空間へと空間に静かに縦の線をいれる。冬の間は紫が能力を預けているので多少隙間を扱えるらしい。そこからお猪口を取り出した藍は、やはり無言でそれを私のお腹の上に置いた。
 注げということらしい。

「しかし、あの極端な妖獣とまではいきませんが、この世界はもう。紫様の望む流れに乗った。私はそれが何よりも喜ばしいことだと思います」
「礎に、お前という血が必要でもかな?」
「私一人で足りるのなら、喜んで」
「あんたも極端だよ。人のことを笑える立場じゃないね、ほれ」
「どうも、寒い夜はお酒が美味しく感じますね。安物でも」
「まあ、タダ酒には違いないからね」

 ははは、と笑い。私も自分の口へと滝のように酒を入れる。
 旨味を口の中で味わってから、喉を通るときの独特の刺激にまた歓喜のため息を。

「世界ってヤツがそんな簡単に変わってくれるものかね?」

 紅魔館では、食料である人間を飼い。しかもそれを主の横に立たせているらしい。一時期のピリピリとした面影はどこにもなく、後に起こした霧の異変が解決した後では巫女のいる神社まで遊びにいく始末。
 人里では、あの妖獣が子供の先生をして、妖怪たちに関する知識を子供たちに広めている。そのおかげで人里も妖怪が気軽に歩けるまでとなった。さすがに満月の夜だけは警戒されることも多いが、満月の夜こそあの妖獣の真の恐ろしさが発揮されるわけだから、心配する方が無駄というもの。
 
「各拠点での動きを見ても、人間と妖怪の立場が近くなったのは確かだ。大きな争いを起こす風潮はなにもないだろう」
「距離が近くなった、か」

 それもあるだろう。
 長い間閉鎖空間内で生きるためには、どちらも妥協し歩み寄ることが必要になる。しかし、それ以上に、

 疲れたのではないだろうか。
 争いというものに。

 気を張り、生存をかけて戦う毎日に嫌気が指したのでは、だからあんな遊びで満足してしまう世界になってしまった。表舞台に出ず、紫と一緒に眺めていた私が見たこの世界は確かにとても平和で、のどかな素晴らしい世界だから。世界すべてがその大きなまどろみの中に留まりたいと、そう訴えているようにも感じた。

「それが悪くないと思える自分がいるんだよね」
「いいことです。種族の垣根越えた交流というのは」
「あはは、そういうことにしとこうかな」

 そういう意味で頷いてはいないんだけどね
 苦笑しながら瓢箪を傾けたら、少し口から零れてしまってね。尻尾に染み込んでしまった。あ、っと思ったときにはもう遅くて。
 不満げな顔が、視界一杯に広がった。

「悪かったよ、ほら、また今度マヨヒガに遊びに行くとき留守番しておいてやるから」
「……わかりました。約束ですよ」

 まったく、橙のことになると何でも甘くなるんだなこいつは。
 それほど自分の新しい式の化け猫が可愛いか。
 ふむ、もしかしたら紫も、藍を式にしたときはこんな感じだったんだろうか。

 ――ぷははっ

 ないな、ないない。
 あの紫が『らぁぁぁん♪』とかいいながら頬をすりすりする映像なんて想像できない。むしろ今やったら全力で拒絶される映像しか見えない。

「何笑ってるんですか?」
「なんでもないってば、そんなに怒った顔するなよ」

 まあ新しい仲間を、家族を得た藍が嬉しそうならそれも悪くない。鬼はただ、かくれんぼを続けるだけだしね。紫がもう少し、妖怪と人間の関係を縮めてから。
 
 この楽園の表舞台に、立とうとしよう。


 紫と私が少しずつ仕上げたこの世界へ、行こう。


 いつかの、桜の花が舞う季節に。
 花を見て、酒を飲む。
 人間も、妖怪も、『 』も、大いに笑って騒ぎ合う。
 そんな宴の日々を夢見て。







 
「紫様、よろしかったのですか」

 とある春に、藍は紫に尋ねた。
 春が遅くまだ雪景色が多く残った幻想の中。
 傘を差しながら、薄くなった冥界との境界を見つめる主へと。

「ええ、親友ががんばっている姿というものを見て、ちょうど叩き潰そうと思っていたころですもの。霊夢がやってくれたなら、何の憂いもない」

 亡霊となった親友が感じ取った本来の彼女。呪われた桜を封じるため生贄となった本体を無意識に開放しようとした。そんな異変。
 でも、表向きはただ春が遅くなっただけで、それ以外に何も変わらない。
 少しばかり、幽々子が夢を見ただけなのだから。

「私も寝起きで良い運動ができた。あとは花見の準備をするだけでしょう?」
「……また宴会ですか。あのお方がうるさそうですね」
「萃香のこと? そりゃあうるさいでしょう。そのために生きているようなものですもの。まだ時期尚早と言ったら怒るかしら?」
「怒るでしょうね。そのために生きながらえているものでしょうし」
「目的があるというのは、素晴らしいものではなくて?」
「ええ、まあ」

 苦笑する藍の傍で、それに釣られて紫も笑う。
 笑いながら空間に隙間を開け、口元を扇子で隠した。

「それに、私の命令を聞かずに出た誰かさんをちゃぁぁんと躾ける必要がでてきましたし♪」
「お手柔らかにお願いします……」

 またあの夜のように、くすぐり地獄が幕を開けるのかと思っているのだろうか。尻尾を力なく下げて、紫が開けた空間にとぼとぼと入っていく。
 すると、なんだろう。
 一瞬だけ藍は酒の匂いを感じた。慌てて紫色の空間から出てみれば、そこは見覚えのある境界の中の屋敷。いつもなら帰ってきてすぐに、

「事件片付いた? なら、さっさと準備するよ!」

 なんて不機嫌そうに訴えるものだが、屋敷の中は驚くほど静まり返っていた。
 異変に出かける前まで飲んでいたと思われる日本酒の空瓶が畳みの上に転がり、お猪口もまだ濡れたまま。
 酒のつまみに出しておいた漬物も半分を残している。
 藍が空中に浮きながらさらに部屋の様子を探ると、やはりあった。畳の上に酒を零した後が。

「もう、どこに出かけたというのでしょう」

 さきほどの匂いは予想通り蒸発した酒の匂いだった。紫たちが帰ってくる前に零して、布巾でも捜しているか。それとも逃げたか。
 
「片付けるのは誰だと思っているのやら、ねえ、紫様」

 逃げるのはありえないか、と。藍が苦笑して外を振り返れば、紫は何故か後ろ見つめていた。そこはまさしく、先ほど隙間を作った場所に違いなく。

「紫様?」
「……いえ。なんでもありませんわ」

 二度目の問いかけでやっと反応を示した紫は、目を細めながら屋敷の中へと足を運んだ。




 その日、一つの異変が終わった日。



 伊吹萃香は姿を消した。










 酒を飲み、騒ぎ、踊る。
 春が遅かったから、その喜びが世界を狂わせたのか。
 幻想郷では今日も宴が開かれる予定だ。

 みんながみんなお酒を持ち寄り、他愛もない会話を続ける。それが夜を通して続き、朝には全員が首を傾げる。
 なんで宴会をやりたくなったんだろう、と。
 誰かの誕生日でも、季節の花が咲いたわけでもない。祝う必要もない毎日が続いているというのに、今日も誰かが宴会を持ち掛ける。その誘いを誰もが好意的に受け止め、また今宵も宴の灯が点る。


 さあ、おいで。
 みんな、おいで。
 おにさんこちら、手のなるほうへ。


 ここは楽園、私と紫ががんばって仕組みを作った楽園。
 力を失った妖怪たちも、幻想として力を取り戻し、みんな笑顔で暮らせる場所だよ。
 美味しいお酒も、馬鹿みたいな笑い声も、ここには溢れてる。

 
 だから、みんなおいで、
 もう一度、
 もう一度、
 私たちの世界を作り直そう。新しい世界を――
 



「……さぁ、そろそろ遊びはおしまいよ」

 あ~あ、来ちゃったか。
 もうちょっと、時間くれるかなって思ったんだけど。
 私は伊吹瓢を口から離して、古い友人を振り返る。
 雨も降っていない、太陽の光も降り注がない宵闇の世界で、不自然に傘を持ち続ける物好きを見上げる。
 そしたらさ、紫がこんなこと言うんだ。

 連中を敵に回すつもりかってね。

 私の真意に気付いているのは、紫くらいだって言うのにいまさら何を言い出すんだろう。余計なお世話だって跳ね除けたら、今度はいきなりいろんなお酒を隙間から出し始めた。今夜の宴会前に私と飲むつもりなのかって思ったら違うって。
 よくわかんないけど、みんなところから無理やり奪って持ってきたんだって。
 その罪を私に擦り付けるとか、よくわかんないこと言ってる。
 そんなことどうだって良いくせに。
 私が、邪魔になっただけなくせに。

「わかっているのでしょう?」
「何を?」
「水溜りをいくら探しても、魚を見つけられないことくらい」
「……いないのなら、そこに萃めればいい」

 わかっていないのは紫だよ。
 そっちが教えてくれたんじゃないか。
 この世界は確かに、閉じられた世界だけど、力を失った妖怪や幻想を救うための場所なんだって。だから私たちの力で『萃める』結界を作ったんじゃない
 川の流れがそこに注ぐのなら、新しい住処でも生活できるはずだ。
 
「水溜りだとしても、泳げるはずだよ」
「……他の魚や、生き物の住処を奪っても?」
「そんなことはさせない! 私が教える! しっかりとここの暮らし方を、生き方を教えてみせる!」
「そう、じゃあどうしてかしらね。それだけ言い切れるのなら何故……」

 傘を閉じ、紫はその先端を私に向ける。
 出会った夜のように、ぎらついた瞳で私に問い掛けて来る。

「私に隠れてそれを行おうとしたの?」
「それはっ! それは……」

 私は、何度もその光景を夢見ていた。
 幻想郷という小さな水溜りに、鬼という大きな魚が戻ってきて一緒に宴会をする場面を。私や紫みたいに日々を共に暮らし、穏やかな生活続ける日常を。
 でも、それを繰り返せば繰り返すほど、違和感が生まれるんだ。
 私だって、私だって最初は、人間を殺すことになんの感慨も抱かなかった。今だって、やろうと思えば簡単にできるだろう。善悪の問題じゃない。そういう生き物なんだ、鬼ってやつは。

「私だって、信じ切れないよ。鬼だから、自分勝手なことするかもしれないって思っちゃうよ!」

 だからこの世界に入ってきたやつらが何を良しとするかくらい、私だって想像できるよ。でも、でも――
 
「でも、もう一人は嫌なんだ! もう一度、昔みたいに仲間と騒ぎたいんだよ!」
「萃香……」
「誰かがどこかにいるんなら、一緒に酒を持って騒ぎたかった! あいつだって、あの幽霊だって、自分の欲望のために変なの蘇らせようとしたじゃないか。なら、私だって少しくらい自分を通しても良いはずだ!」
「幽々子は、ちゃんと反省しましたわ」
「だから、私もやめろって」
「いいえ、始めるのよ」
「はじ、める?」
「そうよ、これから宴会を、あなたとみんなで、宴会を始めるの。お酒はこんなにあるんですもの。それにあなたの伊吹瓢を使えばお酒は無限、きっと楽しい宴会を始めることができますわ」

 宴会、私と、みんなで? 宴会?
 人間や妖怪と、私が?

「ええ、約束したでしょう? いつか世界のお酒を持ち寄って、みんなで宴会を開くって。だから、いらっしゃい。鬼を呼ばなくてもあなたは一人ではないのだから」
「……嘘だ」
「違います! まだあなたはそのようなことを!」
「嘘だね! 絶対嘘だ! 鬼が受け入れられるはずがない!」

 夢見た光景が、そこに。
 紫の伸ばした手の先にあるかもしれないというのに。
 私の頭の中に浮かんだのは……

 酒呑童子たちが討ち取られたときの映像だった。
 美味い酒があると騙され、一人は毒を盛られ、また一人は体が動かせなくなったところを切り伏せられる。
 嘘で傷つけられていく、奪われていく命たち。
 
 そのときの、人間たちが最初に酒を差し出したときの姿に、紫が重なってしまう。
 違うとわかっているのに、どうしても体が拒絶をやめない。

「またそうやって騙すんだ。あのときの人間みたいに、信じさせてから裏切るに決まってる! 結界ができたんだもん、私なんて用なしだもんね!!」
「……共に暮らした年月の答えが、それでいいのね?」
「良くないけど、どうしていいかわからないんだよ! 鬼が、人間と、どうやって同じ立場で暮らせば良いのか! 全然わからないんだよ! だから私は、鬼たちと生きるしかないんだよ」
「……わかったわ。じゃあ、こうしましょう」

 強い鬼でありたい私。
 でも、人間や鬼たちと一緒に暮らしたい私。
 そんな私を紫は見下ろして、

 ぱぁんっ、と。

「え?」

 頬を叩いてきた。
 全然痛みを感じない、ダメージなんてなかったはずなのに。
 私は、ぺたんと腰を付き、仁王立ちする紫を見上げていた。

「私は今回の異変の真犯人として、意地でもあなたを霊夢たちの前へと連れて行く」
「紫……?」
「勝負よ、伊吹萃香。自分の我侭を通したいなら、私を倒して見せなさい」

 勝負ならば引くわけには行かない。
 私はぐっと両足に力を込めて立ち上がると、握りこぶしを作って紫と対面する。ほとんど全盛期に近い能力を有する今なら、過去のように無様な負けはないはず。能力を知っている今なら、戦い方で倒すこともできるはずだ。
 
 なのに――

 扇子を構えて、私の前に立つ紫は。
 鬼なんて比べ物にならないほど、強大な妖怪に見えた。







 鬼だから、こんな経験初めてだった。
 いつも自分たちよりも小さく見える相手としかやりあったことがないから、話だけしか聞いたことがなかったんだ。でも、今日知った。相手が大きく見える戦いで勝てるはずがないって、本当なんだね。
 
「さっき言ったとおり引きずってでも連れて行く、いいわね?」

 地面の上に大の字に転がされた私は、荒い息を繰り返すばかり。
 藍や橙といった式紙すら使われることなく、惨めに敗れて相手の要求を飲まされる。これじゃまるで、戦う前から紫の条件を受け入れたかったみたい。
 
「ねえ、紫?」

 でも、負けたおかげでやっと頭がすっきりした。
 鬼ってやっぱり不器用だなって思う。
 たぶん頭ではわかってるはずなのに、ずっと希望を捨てられないんだ。

「あのまま私が呼び続けたとして、どれくらいの鬼が来てくれたと思う?」

 だからこの格好で問いかけるのがちょうどいい。
 悔しくて、飛び掛れない。
 今の状態が一番いい。
 私の問いかけに、紫は一度悩む仕草を取ってから。私のすぐ真下に隙間を開こうとする。

 待って、教えて!
 そう叫ぼう口を開いたとき。

「他の鬼なんて興味ないわ。あなた一人だけ居てくれれば十分。この答え方では……不満?」

 泣きたくなるくらい優しい声が飛んできた。
 なんでだろう。
 なんでこんなときくらい。

「嘘は、嫌いなんでしょう?」

 この胡散臭い妖怪は、嘘をついてくれないんだろう。

 
 異変というものは尽きないもので、季節ごとのお祭りみたいに繰り広げられる。
 でも霊夢っていう巫女がいるから今回もなんとかするんだろうなーって思ってたら。私に補助役をやれとか紫が言って来た。確かに地底は鬼たちが昔に都として使ってた場所だけどさ、それ以外のとこなんて全然……

『あんた、なかなかやるね。何者か知らんけど……』

 え?
 あれ?
 この……声……

『気に入った! もっと楽しませてあげるから……』

 馬鹿! 紫の、馬鹿!
 なんだよ、どうしてこんなこと……卑怯だぞ馬鹿!

 陰陽玉から聞こえてくる声を聞くたびに、涙が溢れそうで……
 私は必死に、酔っ払いの声で誤魔化した。
 平成を装って、なんでもない態度を取り続けて。

 凄く、幸せな嘘を吐き続けた。



 ☆ ☆ ☆

 萃夢想ってシリアスに書こうとしたらもっともっと重くかけるんだろうなぁとか思ったりなんだり。
 お付き合いありがとうございました。
pys
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コメント



0.1240簡易評価
2.60名前が無い程度の能力削除
なんか足りない気がする。
6.90名前が無い程度の能力削除
とりあえず砕月を脳内でBGMにして。
とても良い萃香でした。
幻想郷の成立に萃香の能力が絡んでいるという設定は
新鮮でした。
15.60名前が無い程度の能力削除
よかった
25.70名前が無い程度の能力削除
萃香よかった。
26.80名前が無い程度の能力削除
そうして巫女の鬼退治
人をさらう鬼は退治されましたとさ
31.100名前が無い程度の能力削除
もっと評価されるべき
33.100名前が無い程度の能力削除
萃香いいねと思って読んでたら
最後の紫様の台詞でやられた
36.80名前が無い程度の能力削除
「見ず知らずの子供を叱ってやれる環境」
既に失われた美意識の一つですね
豪胆で快活でとっても寂しがりな萃香がいじましい
37.100絶望を司る程度の能力削除
何故評価されてないんだ…