Coolier - 新生・東方創想話

こいしのサイケデリック・ブレックファスト

2010/10/09 16:06:44
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 朝ごはん人気ナンバーワン「こいしっくわーるど独自の、覚り妖怪の脳を用いた朝食」
 経済的で、あっさりした、頭の良い朝食。いつもの朝食のかわりにいかが?





 材料
 こいしの100グラム
 さとりの61.8グラム
  塩コショウ タマネギ1こ 1こ パセリ少々

 作り方
 覚りのにこびりついた皮の部分はていねいにとりのぞきます。肉屋さんが手をぬいている場合があります。
 フライパンにをひいて火にかけ、みじん切りにしたタマネギを炒めます。
 そこに覚りのも加え、一緒に炒めます。お好みで、を入れてもよいでしょう。
 塩コショウパセリで味付けします。
 めしあがれ。





 1



 そんな感じで朝ご飯を食べるつもりだったけれど今日はどうやら食べられないらしい。
 こいしが目覚めると、そこは暗闇に閉ざされた世界だった。こいしは主観と客観の融和したふわふわした世界に生きているが、今回はより現実に近い世界のようである。
 なぜって?
 そりゃ臭いでわかる。空気の澱んだ臭いを感じる。不思議なことに、そこに人の気配が残留している気がする。
 まあそう考えたのも無理はない。
 連想する必要もないほどに簡明な事柄だ。
――こいしは誘拐されていた。
 口には猿ぐつわ。
 手は後ろ手に縄かなにかで縛られているらしく、引っ張ってもはずれない。妖怪の力なら人間が使う縄程度はずすのは簡単だ。したがってこの縄は普通ではない。
 普通の縄ではないところを見ると、もしかすると月の超技術を用いたものかもしれないし、あるいはそうでなくても、博麗印の御札を一枚張られているだけで、こいしの力は人間の少女並に堕するから、そういった類のものが付加されているのかもしれない。この縄を解くことはこいし一人では不可能そうだ。もちろん、解くのと同様に縛るのもこいしの力のみでは不可能。たとえサードアイから触手のようにコードを延ばしてみても、縄を縛るという緻密な動作はできないし、たとえできたとしても覚り妖怪を封じる強力な札か何かをこいし自身は触ることすらできないのだから。
 こいしが縛ったのではないということは他人が縛ったということで――、そこに他者の意思が見て取れる。
 その他者――つまり犯人は今どこにいるのだろう。こいしが起きるのを待っていたのだろうか。起きた直後の反応を楽しむタイプも多そうだ。人が刺激を受けるのは死体ではなくて、殺すという動作なのだから、こいしの動きに興奮していることも考えられた。
 もちろん『殺す』のところを陵辱すると置き換えても成り立つ方程式である。こいしは恋に生きているからそれぐらいの道理はわかっている。
 今ごろ犯人は、血走った目を大きく見開いて、こいしの肢体を――具体的には白いふともも、華奢な二の腕、ふわふわな髪の毛、どこからどうみてもローティーンな体の線をあますことなく観察し、口は三日月のように開いて、薄ら寒い笑いを浮かべていることだろう。こいしは客観的にはわりとかわいいと呼ばれる属性を多く有しているようだし、さぞかし殺しがいがあることだろう。かわいいは正義ではなく、かわいいは殺意。殺されても納得できる。
 というわけで、こいしは思った。

――ワタシコロサレチャウンダワ。

 ざわりざわり。
 暗闇の中から誰かに覗かれている気がした。それはこいしがそう思ったからそう感じただけのことで、実際は世界は何一つ動いていなかったが。
 なんにせよ。
 今はどうしようもなかった。
 むーんむーんと唸ってみても、どうしようもない。こいしは周りの状況をより正確に把握しようと努める。
 音のない世界。
 シンと静まりかえった世界。
 耳鳴りのような音がこいしの身体を反響している。
 ドクンドクンと心臓が鳴っている。
 注意深く耳を澄ますと、少女の柔らかな肉がきしむ音。
 こいしの肢体はずいぶん長い間動いていなかったらしい。
 ころりころりと転がって筋肉をほぐしていく。腕は動かせないからせめて首と足だけ。
 パキパキと音がした気がした。
 少し筋肉がほぐれたところで、こいしは周りを見渡してみた。
 昏い場所である。
 しかし、妖怪であるこいしにとっては昏くまったく光が無い場所でも暗闇に順応することができる。覚り妖怪は視覚的に発達した妖怪でもあるからなおのことそうだ。少しずつ周りの輪郭が見え始めた。
 色まではわからない。
 そこは大きな空間だった。こいしを隙間なく立たせれば百人ほどは入りこむことができそうなくらいの大きさだ。
 しかしきわめて人為的な空間でもあった。四隅が九十度に切り取られている。洞窟や洞穴ではこういう角度は存在しえない。直角というのは人の作り出す角度だ。もちろんこの場合の人というのは妖怪も含む意識がある存在、つまり理性がある存在をおしなべて人と便宜上呼称しているわけである。また、向こう側の隅のほうには棚のようなものが設置されていて、いろいろな小物が置かれているようだった。物が死んだ臭いがする。廃墟のような臭い。靴を床に当てるとカツンと大きな音。どうやら床は冷たく硬い石でできているようだ。
 お尻のあたりは妙に柔らかく、こいしは首をかしげる。靴を脱いでそれを踏んでみる。
 ふみふみ。
 どうやらマットのようなものだ。ちょうど体育の時間に使うような厚みのあるマットである。その上にこいしは横たえられていたため、どうやら冷えずにすんだようだ。人間の死体とかではなくて、少し残念な気持ちもする。きっとそうだったら、もっとドキドキしていたはずなのに。
 こいしは考える。
 人間の仕業かそれとも妖怪の仕業か。
 どちらにしろ――
 この状況。
 こいしにとっては極めて危険で極めて不安定な状況である。こいしの心臓が早鐘を打ち始める。こいしは無意識で行動できるから当然のことながら恐怖というのも無意識のフィルターを通してしか見えず、水に浸した一滴のお醤油のように薄れるのが通常なのであるが、今回は違った。
 こいしは現在おかれている状況に”恐怖”した。
 今回はみずから恐怖を感じることを選んだというべきだろうか。
 こいしにとっては恐怖によってドキドキするのも、恋してドキドキするのもさほど変わるところはない。こいしの主観世界においては、恋も恐怖も愛も生も死も同じなのである。どちらも等価的に選びうるし、こいしを束縛する規範はない……。
 もちろん例外もないわけではない。
 こいしにとって完全に割り切れないところがただ一点だけある。姉、さとりの存在である。
 さとりはこいしにとって、こいしを縛りつける縄のようなものなのかもしれない。
 どうして切断しないのか、こいしにもわからず、まるで見えない糸のよう。そのことをこいしはよく重力と表現する。
 さとりのことを除けば、こいしは概ね自由だ。現実的にも十分な力を有するこいしの束縛をできるものはそうそう存在しない。
 足をぶらぶらさせて、ほらね、と誰ともなくサービス精神満載のこいし。
 どうやら足は縛られていないらしい。靴をもう一度履きなおして、こいしはおもむろに立ち上がる。誰かを刺激しないように音を立てないように注意した。
 そうして視点の高度があがると少しだけ安心感が増した。視線によって物を支配できるという原始的な信仰があるからだろう。今日のこいしはずいぶんと正常人に近い思考形態をしている。一種の演技、振り、あるいはエミュレートである。こいしは普通の人がさらわれたらどう考えるかを試しているのだ。
 ごくりと生唾を飲みこみながら、こいしは一歩踏み出す。
 カツーン。
 音が思ったよりも響く。
 カツーン。カツーン。
 少し歩くだけで高い音がする。そのたびにこいしの額には汗がにじんだ。
 怖いと思っているからだ。暗闇から突然ニュっと手が伸びてこいしの口を塞ぐかもしれない。身長が足りなくて首をまわすこともできなくて、そのまま足をバタバタさせることになって、それから……それから? ええと。どうなるのかしら。呼吸が止まるまで待ってから、こいしをモノにしてしまう? データ的には少女の死体をもてあそんで楽しい人はあまりいないようだし、モノにするまえにもっと楽しむかもしれない。モノにする過程を――殺害過程を楽しむのかもしれない。ちょうど虫の羽を一枚一枚丁寧にもぎとっていくように。
 はてなはてな。どうなるのかな。
 想像力が足りない。
 想像力が足りないから、こいしが感じている恐怖もいわゆる普通の恐怖とは違う。恐怖の擬態である。
 ともかくみんながわりとしているように、ハァハァと口で呼吸する。特に運動しているわけでもないのに、急速にこいしの筋肉は疲労を感じてみたりもする。不随意筋の調整などもお手の物だ。
 壁に沿うようにしてゆっくりと空間の中を徘徊する。左肩を壁におしつけてどこかに脱出路がないかを探す。壁は石壁のようなざらざらした手触りがする。薄いベニヤ板のような。周りには窓にあたるようなものがひとつもついておらず、地下室か何かなのかもしれない。それにしては地上にあがる階段がないから、地上に上がる階段はこの空間の外側にあるのだろうか。
 寝かされていた場所から対置の壁際にはやはり棚がおかれていた。
 この棚は木製のようだ。少し柔らかな感触がする。木目特有の蛇行した曲線を指先に感じた。なめらなか感触に手を這わせていると、途中で腕のあたりに痛みを感じた。
 なんだろうと思って、少し背伸びして確かめてみると、どうやら釘のよう。
 べつにトラップでもなんでもなく、単に打ちつけが甘かっただけのようだ。こいしはがっかりしてその場をあとにする。
 約五分もの時間をかけて外周をひとまわりした。途中で少し感覚の違う箇所があった。金属質の硬い壁。どうやら扉にあたる部分だ。普通なら内側にかんぬきなり、あるいはそのほかのロックなどがついていて、内側から開けることは可能になっているはずなのだが、そういう類のものはどこにも見当たらなかった。完全に外側から鍵の開け閉めをするタイプらしい。内側から開けることができないようにしたのはなぜだろう。もちろん取っ手はついている。下にひきさげて開けるタイプのものだ。音がしないように慎重に引き下げて押してみたが開く気配はなかった。
――完全な密室。
 こいしがふと思い浮かべたのは紅魔館の地下である。あのフランドール・スカーレットが住んでいた地下室は内側から開けるような扉はついていなかった。フランドールの場合は扉も壁も関係なくぶち壊せるから、そんな開閉装置など不要であったということも理由のひとつであるだが……。地下に住む令嬢は壁をぶち壊してお外に遊びに行くのである。
 だがそれはフランドールにのみ許された力だというべきだろう。普通は壁を壊すことはできないし、たとえできたとしても躊躇がある。靴を脱いで庭に出ることすらできないのが正常人の思考形態だ。壁とは本来閉じこめるために存在するのである。
 だとすれば、ここは妖怪を閉じこめておくための場所である可能性が高い。
 こいしはここで長い時間をかけて餓え死にさせられるのかもしれない。
 考えたら、おなかがクゥと鳴った。かれこれ半日は何も食べていない、そんな感じのおなかのすき具合。
 はて……?
 そういえば、ここに捕まる前には何をしていたのだろう。
 こいしは無意識に移動するから、実のところよくわからなかった。
 気づいたときには闇の中にいた。誰かが外で眠っていたこいしをここまで拉致してきたのかもしれない。そこらの事情はよくわからない。
 一番最後の覚えていることといえば――
 朝のまどろみ。
 さとりの隣にいる自分だ。
 こいしは今朝の出来事を思い出す。



 2



 塵ひとつ落ちてない世界。
 お皿のように白く、穢れないベッド。
 天蓋で覆われていて、そこも白いヴェール。
 一人で寝るには巨大すぎたので、こいしはさとりを呼んだ。
 さとりはこいしが呼べば必ず来てくれる。たとえどんなに仕事が忙しくても、たとえどんなに用事があっても。すべてを放り投げて、こいしの願いをかなえてくれる。(と、こいしは思っている)
 それはそれで悪くはない状況であるけれど何かが足りなかった。
 その程度では、こいしの胸にぽっかり開いたハート型の穴を埋めるにはいたらない。たぶんこいしの万能感のせいだろう。こいしがさとりのすべてを所有しているかのような幻想を抱いているのがよくない。なんだか100パーセント支配できる気がして、実際こいしが死ねば、さとりは精神的に滅びる予感のようなものがある。それでは恋といえない。完璧な恋とはいえない。
 完璧な恋は(√5-1)/2で表される黄金比率によって形成される。すなわち、こいしはさとりを100パーセント支配してはいけないのだ。
 先の数値を実数化すれば、こいしが100としたときにさとりの比率は約61.8にならないといけない。
 自分のことばかり考えても相手のことばかり考えても、恋は成り立たないというよくある話である。
 だからなのだろうか。
――おなかが非常にすいている。
 朝ごはんが食べたいと、こいしは強く願う。
 さとりはフワンとした表情で寝入っていてまだ起きる気配がない。
 どうしてお姉ちゃんは寝ているのだろう! こんなにも私はおなかがすいているのに!
 こいしのなかで殺意が膨れあがっていく。
 こいしはものすごい勢いで、さとりのパジャマに手をかけて、上下に揺すった。
 ゆさゆさゆさゆさ。
 ゆさゆさゆさゆさ。
 ゆさゆさゆさゆさ。
 ようやく、さとりが目を覚ます。
「お姉ちゃん。私おなかすいたわ」
 さとりの反応は鈍い。さとりは朝に弱い。いやそもそも朝に強い妖怪なんて例外的だろう。
 さとりは手の甲を目に当てて、再び無意識の世界に身をゆだねようとしている。
 こいしは、無言のままさとりの第三の眼の瞼に手を当てて、無理やりグーッと開いた。
 たまらないのはさとりのほうだ。
 第三の眼にも神経は通ってるし、非常にデリケートな部分なのである。
 さとりはその場で七転八倒した。
 こいしはそのあとものすごく叱られた。
 何故怒られたのか理解できない。なんとなくわからなくもないけれど、しかし比較衡量の問題として捉えればこいしの主張にもずいぶん正当性があるように思えた。
 よって、さとりとこいしの会話をそのままここでは引用しよう。

――こいし、眠っている人に悪戯してはいけませんよ。
――悪戯じゃないよ。お姉ちゃんに早く起きて欲しかったの。
――だとしても起こし方があるでしょう。もう少し優しくできないんですか。
――よくわからないわ。揺すっても起きないお姉ちゃんが悪い。
――そういうことをすると他人が嫌がるでしょう。
――変なの。お姉ちゃんが嫌がってるんじゃない。他人のせいにしないでよ。
――私だからあなたを叱っているんですよ。
――よくわからないわ。私叱られるようなことしたのかしら。
――したから怒ってるんです。
――そう? じゃあ謝るわ。ごめんなさいお姉ちゃん。
――あなたと話していると、どうも会話をしているという感覚がしませんね。
――そんなことよりお姉ちゃん、私おなかすいたの。
――今日はひとりで食べてください。
――え、え? よくわからないわ。なんで?
――罰ですよ。悪いことしたから当然でしょう。
――ひとりじゃ食べたくない気分だわ。
――じゃあ、食べなければいいでしょう。
――わかった。じゃあそうするね。



 3



 プツン。
 と糸が切れたみたいに。
 そこから先の記憶がない。
 実際おなかがすいたら無意識的に食べるんじゃないかと思うのだが、どうやらそのまま何も食べずに過ごしてきたらしい。
 おなかのなかはグーキュルルと鳴るほど何も入ってない。
 妖怪だから飢えて死ぬには時間がかかるところだが、飢えによる状態は”不快”に属するものだった。
 ここでもまたひとつ普通に近づいた思考をしようとしている。
 こいしはフゥと溜息。
 緊張感は一端途切れ、その場で腰を下ろした。
 どうやら犯人は帰ってきていないみたいだし少しは考える暇もあるだろう。
 ここはどこだろうか。
 こいしの無意識移動の範囲は地底から妖怪の山の頂まで遠く及ぶ。どこで犯人に囚われたのかこいしにもわからない。
 無意識を操る程度の能力といっても、無意識状態になったあとのことまではこいしの意識にとってはあずかり知らないところだ。完全な無意識状態になれば誰も認識できないが、それは同時に自分で自分のこともわからなくなるということである。もちろんフワっと浮上するように意識が一瞬無意識から顔をあげる瞬間があって、そのときをチャンスとばかりに意識を再構築するのである。これは精神を患っている者が時折ふっと正気を取り戻す様に似ている。
 要は無意識に浸された状態のことを思い出そうとしても無駄なのだ。忘れているわけでもなく記憶してないわけでもないのだが、いわば記憶の死角に入りこんでしまうため、自我方面からのアクセスができないのである。検閲されてしまう。アクセスの可能性がありうるとすれば自我と無意識が融和する夢の世界ぐらいだろう。ただ、いくら夢見る少女とは言えども、さすがに起きている状態で夢を見るのは難しい。それにたっぷりいままで寝ていたらしく、いまはまったく眠たくない。むにゃむにゃするのはまだ早い。
 だから今ここがどこであるかは、ここにある情報から導かなければならない。
――倉庫みたいなところかしら。
 周りの様子からするとそんな感じである。しかし、窓もなく、真っ暗な倉庫なんてものが人里にあったかというとどうだろう。
 そういえば、紅魔館の図書館がそれに近いかもしれない。
 だがいずれにしろ完全に密閉された空間などないはずなのだ。
 扉が閉まっているのは人為的な操作だとしても、ここが倉庫だとすれば、ある程度換気がなされているはず。
 空気の流れを読むことはそれほど難しいことではない。
 澱んだ空気ではあるが、わずかながら部屋のなかを回転している。天井?
 こいしは上を見上げる。もしかすると天井かもしれない。しかし、このまま後ろ手が縛られた状態では脱出もままならないだろう。中指でそっとこすってみるとやっぱり縄の中央部分にかけて、なにやら紙っぽいのが張ってある。ピリっとした感覚が生じた。もう少し力をこめると反発を受けるだろう。封印のお札的なものだ。
 こいし自体はこれを破壊するのは難しいが、札自体に防壁がかかってなければ、物理的に破壊するのは可能かもしれない。
 暗闇のなかを歩いて、棚のところに向かう。棚の側面一部分に出っ張った釘が打ってあり、それを利用することにした。背中を押しつけるようにして、マーキングする犬のようにこすりつけて、札の部分にあてる。少しだけ身長が足りず、かといって空中を浮揚するほどの高さでもない絶妙さで、結構な難易度だった。
 こいしは恐怖を感じていたはずが、いつのまにか楽しさも感じていた。
 これじゃあいけないって思っているのだが、無意識は勝手に移り変わっていくから、こいし自身でもコントロールが難しい。
 結論から言えば、御札自体の物理的防御能力は普通の紙に等しく、ただの釘一本で簡単に破砕された。
 札さえ無ければ、縄を力づくでほどくのはたやすい。プツンと糸を切るみたいに縄は簡単にほどけた。
 ようやく腕が楽になり、こいしは暗闇のなかでぐるんぐるんと腕をまわす。
 と、そこで――
 ゴッ!
 腕を棚かなにかにぶつけた。
 無意識を操って痛みを逃そうとしたが、その前に痛みが襲ってきた。どうも今日は無意識を操る能力がうまく働いてないらしい。ちょっとだけ泣いてしまった。
 いつもの微笑もさすがに崩れてしまうが、今回は誰にも見られていないからどうでもいい。
 気を取り直し猿ぐつわをはずしてから扉の前に立つ。
 腕が封じられていないなら、試すのはまずは扉の破壊だ。扉がダメなら壁。壁がダメなら天井。すべて試すつもりである。
 指先をハート型にして、小さなハート弾幕!
 想像してたとおり、ハート弾幕は扉にはじかれて消えた。それはそうだろう。ここはおそらく妖怪を封じるための部屋なのだ。だとすれば、扉にはいっとう硬い防壁がしかれてあるに違いない。
 次は壁に向けて撃ってみた。同じくハート弾幕は霧散した。天井も試してみたが、やはりダメだった。
 なるほど、どうやらこの部屋自体を封じているのだろう。イメージするのはひとつの箱だ。箱自体をなにかでコーティングされているようなそんな感覚。
 まるで胎児を護る子宮のような。
 これはこれで心地よい空間ではないだろうか。
 暗闇で閉ざされ、外界との交流が一切無い空間。
 無意識の果て。
 こいしが目指したのはこんな世界だったかもしれない。
 でも――。
 とても寂しい世界だった。
 こいしは胸のあたりに拳をもっていって、きゅっと握りしめる。
 耐え切れないほどの寂しさが襲ってきた。
 寂しさに周波数があるとすれば、今、こいしはきっとラジオを聞ける。
 胎児は目覚めるまで、誰にも逢えない。
 フワリフワリと空間を浮き上がり、天井の空気を通している穴を探す。
 板張りになっている天井を爪でバリバリとはがした。
 木片がいくつも地上に落ちていくが、こいしは気にしない。爪が少し痛いが気にしない。ともかく早く光のある世界に行きたい。ご飯が食べたくてたまらなかった。
 やがて木の板が完全にはずれた。しかし、その裏側には小さな穴が無数にあいた鉄板が行く手を塞いでいた。
 かまわず、その鉄板もはずそうとする。
 だが――
 鉄板の手をかけようとした瞬間、こいしの指先はまるで磁石のように見えない力による反発を受けた。
 手を伸ばす。
 そうするとこいしの力が逸らされるのがわかる。
 かなり強力なシールドで、外と内の境界を完璧に隔絶している。
 無言のままこいしはストンと地上に再び降りた。
 力を使ったことで余計に疲れた。
 このままではダメそうだった。夜になると姿をあらわす月のように、いつのまにやら餓死の恐怖が襲ってくる。喉がひりついてくっつきそう。水が欲しい。
 こいしは棚のうえになにかないか探した。
 暗くてよくわからないが、ともかく水のようなもの。
 どんどん投げ捨てるように調べていく。かなり大きな音が鳴っているがもはや犯人のことを気にする余裕はない。ロープ。金槌。バールのようなもの。絨毯の汚れを取るコロコロするやつ。分解式のモップ。バームクーヘンみたいな黒い円盤。普段なら無意識に興味がわきそうな物も今のこいしにとっては必要のないものだ。
 ふと手にとっていたもののなかに柔らかい感触があった。こいしの手のひら程度の大きさ。塩化ビニールのような低反発。いれものの上のほうには蓋がついていて、それをとってみるとなにやらトロリとしたゲル状のものが入っていた。
 飲んでみた。
 刹那、こいしは激しく咳きこみ、喉に侵入した異物をはきだした。
 油だった。油がこんなにまずいとは知らなかった。料理に使役されるくせに生意気だ。叩きつけるようにしてそれを捨てた。
 油を飲みこんだことで喉のなかは気持ち悪さでいっぱいだった。本当になにか飲み物がほしい。棚を全部洗いざらい探してみたが、どれも工具用品やそんなものばかり。
 工具箱のようなものを蹴っ飛ばした。
 金属質で重いそれは、ボールのように転がって、それから止まった。
 あれ?
 と思う。
 床になにかをひっかける金属製の輪っかのようなものがついている。どうやらさらに地下があるらしい。指を通して引っ張ってみる。開いた! こいしは陸地にあがった魚のように手足をばたつかせながら、そこに入った。
 恐ろしく暗い世界。
 闇の静謐を感じる。どことなく神聖な気配がする。すぐにこいしは理解した。ワインセラーのようだ。石壁はくぼんだ穴のようになっていて、そこに木製の棚が並んでいる。ワインが横並びになっていた。
 こいしは――
 躊躇なくそこらにあった一本を手にとって、
 一気に飲み干した。
 胃のなかが燃え上がったかのように熱い。
 冷たいのに熱い感覚。胸のあたりがなんだかドキドキして。あひゅん。

――視界がぐるぐる。

 わが視覚情報に異常あり。ありさんありがとう。今世紀最大のふわふわバーゲンセール。その不利益は認可の事実上の影響であり吸収されたふわふわ感が相対的にお姉ちゃん。

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるしちゃいまひゅううううう。



 4



「おきましたか?」
「あれ、お姉ちゃん……、ああ、なーんだ。夢だったんだ」
 ジャラリ。
 ん?
 なにか音がする。
 こいしが見てみると、なぜか鎖で両腕が縛られていた。
 後ろを見てみると、木製の十字架のようなものが地面に突き刺さっている。しかし、正確には十字架というにはあまりにも分厚いもので太さだけでもこいしの腰周りに等しい。
 表面には黒い鉄が打ち付けられていた。鎖はそこから伸びていて、こいしが動くたびにジャラジャラと音を立てている。
 わりと重い。妖怪の力でもはずせないほどの拘束力。
 あたりは夜のように暗く、狭く、ふたりきりで、ロウソクの炎が揺らめいていた。
 炎が揺らめくそのたびに、さとりの表情が変わっているように見える。
 そんなことはありえないはずなのに――さとりの顔が恐ろしく見えた。
「お姉ちゃんが犯人だったんだ」
「ええ、そうですよ。しかし、こいしがいけないんです。あんな悪いことをするから……」
「悪いことって?」
「朝、私の第三の眼に手をかけたでしょう」
「あれはお姉ちゃんが起きてくれないから悪いんじゃない」
「第三の眼は他者の心を覗きこむ窓のようなもの。私とあなたの境界に位置するのですよ。それをあんな粗雑に扱うなんて……悪い子にはおしおきが必要です」
「だって私の第三の眼はずいぶん昔に閉じちゃったし、お姉ちゃんの痛みなんて私にはわからないもの。それに私はおなかがすいてたの。だからしょうがなかったの」
「まるきり子どもの論理ですね。そんなにおなかがすいてるんなら、ほらお食べなさい」
 さとりは用意していたコールドスープをスプーンで掬って、こいしの唇のなかに無理やりねじこんだ。
 量が多くて食べきれず、スープはこいしの洋服にたれて染みを作った。
「おいしいですか、こいし」
「味わう暇がなかったわ」
「子どもだからといってなんでも許されるわけではないのです。飢えているからといってなんでも許されるわけじゃないのですよ。わかりますかこいし」
「だけど誰もそれを否定できないわ。私は私において絶対。それが世界の真理なの。子どもの世界は大人には犯せないものなのよ?」
「本当にそうだと思いますか?」
 さとりは小さく笑った。まっしろい歯が口のなかに見えて――
 こいしは目をそむけてしまう。
 さとりはうっすらと不気味な笑いをこぼしながら、徐々に近づいてきた。
 手にはなんの変哲もない真っ白な布切れが握られている。
「なにするの。お姉ちゃん」
 首をねじって逃げようとするが無駄な抵抗だった。あっという間にこいしの視界はふさがれてしまった。
 何をされるかわからない恐怖。
 そんななかでも強烈にさとりの視線を感じる。
 じっとりと値踏みするように。
 こいしは頭からつま先まで視姦されているのだろう。
「やだ。お姉ちゃん怖いよ」
「怖がらせるためにやってるんですから当然です」
「怖いのは不快だわ」
「それはよかったです。あなたは少しばかり恐怖と罪悪感に対して鈍くなっていますからね」
 さわりさわり。
 冷たい手のひらの感触が、こいしの第三の眼に突如生じた。
 闇の中から鋭い感覚が飛来したかのようだった。
 いつ潰されるのかわからない、そんな不確かさをもって、包むようにさとりの指先が触っている。
「ほら怖いでしょう?」
「怖くないわ。ちょっと痛いけど」
「そうですか。じゃあ……こういうのはどうですかね?」
 親指と人差し指が
 第三の眼のまぶたをゆっくりとめくっていく。
 閉じられた瞳を無理やりこじ開けたところでいきなり心の声が聞こえるようになるわけではない。カエルの筋肉を無理やりひん剥いてから塩をかけたときのように、ピクピクと痙攣するのがやっとだった。
 ただちょっとだけ心が引き裂かれるような痛みを感じる。こいしに心なんてあるわけもないのに。
「痛い。痛い。お姉ちゃん痛いよ。やめてよ」
「少しは反省しましたか?」
「反省できないよ。だってわからないんだもの。普通の人が何を考えてるかなんて本当にわからないの」
「頭が悪い子ですね。だったら身体で覚えてもらうしかないでしょう」
 グチャリ。
 生暖かな感覚が突き刺さった。
 指よりもずっと湿っていて、粘液のようなネバネバしたもので覆われている。
 舌だ。
 さとりの舌がこいしの第三の眼に侵入したのだ。
 グチャリグチャリ。
 内臓をかきまわされるような不快の感触。さとりの舌はまるで別種の生き物のように眼球の表面を蹂躙していく。
 ズズズと伸びて、ずっと奥まで、眼球の裏側まで……、
 このままコードをつたって、脳みそまで犯されるのではないかと思った。
「うあああああ”あ”あ”。助けて。助けてお姉ちゃん」
 けれど助けなどあるはずもなく、むしろそうやって助けを乞うのは逆効果だった。
 本当に意味がわからない。
 なにが悪いのかわからない。理解ができないというわけではない。数学的にそうなるというのはわかる。しかしそれには膨大な計算が必要であって、天文学的なデータとの照らし合わせが必要になる。たまには検索ができないときだって生じる。
 だからお願い。
 超自我さん、もっと『普通』をエミュレートしてください。お姉ちゃんの真似をしてください。
 私を普通でいさせてください。



 5



 意識がぼんやりとしていた。
 あいかわらず視界は暗闇に閉ざされていたが、別に目隠しされているわけでもなく、鎖で手が覆われているわけでもない。
 ただ倉庫かなにかのなかに閉じこめられているのは確かだ。
 これを現実と規定してもいいし、さきほどのさとりのお仕置きを現実と規定してもいい。どちらが夢でどちらが現実かとかどうでもいいことだ。なにしろどちらも経験していることであるし、あのときの恐怖もいま感じている恐怖も同じである。夢も現実と変わらないのである。
 地面には空になった空き瓶が何本か転がっているが、どうしてなのかはよくわからない。喉はうるおっている。
 しかし、もうそろそろ孤独に耐えきれない。
 犯人が現れて、こいしを陵辱するのなら、それはそれで喜ばしいことなのかもしれない。
 こうやって孤独に殺されるよりかは誰かに殺されたほうがマシだ。
 こいしはバールのようなものを握り締めて扉に向かう。
 裂帛の気合でバールのようなものを振るい、ガン、ガンと重い一撃を加えていく。
 壊れろ。壊れろ。壊れろ。壊れろ。
 ガン! ガン! ガン! ガン!
 破壊。夢。暗闇。恐怖。飢餓。飢餓。飢餓。飢餓来る。気が狂う。朝食。火。油。玉葱。パセリ。壊れろ。破壊。フランちゃん。壊れろ。恋われろ。請われろ。乞われろ。
 お姉ちゃん。
 会いたい相対逢いたいあいたい。
 それでも扉は壊れない。表面が少々へこんだぐらいで、もしかすると音も外側には響いてないのではないか。
 地面を這いつくばって、何かないか探す。
 転がっている容器。
 油。そうだ――火をつけよう。
 短絡的にそう思い、油とワインを棚に撒いた。
 熱を帯びた弾幕で一気に火をつける。燃え上がった。あたりの闇は一掃され、赤々とした光がこいしの顔を照らし出している。
 なんという安心感。
 なんという高揚感。
 踊り狂いたい気分。
 燃えてしまえ。燃えてしまえ。火がまわって酸素が薄くなってきた。もしかすると倉庫の骨格部分は石でできているから燃え落ちないことも考えられたが、しかしそんなことはどうでもよかった。マッチ売りの少女がマッチをどんどん擦っていったとき、たぶんこんな絶望と諦観の底になにかしら倒錯した喜びに似た感情があったのではないだろうか。
 こいしは笑って、にっこりと笑って、死ぬのを待った。



 6



 7



 8



 音が響いた。
 轟々と燃え上がる火の音ではなく、扉が開け放たれる音だ。
「こいし!」
 さとりの声。
 お姉ちゃんの声。
 こいしは朦朧とした意識のなか、さとりとお燐に両脇を抱えられて、倉庫を抜け出ることに成功した。
 後から聞いた話では、火はお空が爆破することによって一瞬で消火されたらしい。



 9



 夢かな。現実かな。
 まあどうでもいいけれど。
 こいしは地上をふわふわと浮かんでいる。
 朝から何も食べてないからすごくおなかがすいているけれど、なんだか何も食べる気がおきない。そういう禁止がどこかでなされている気がする。その言葉を破ってしまったら、もう二度とこいしは地上に降り立てない気がした。
 だから大事に守っていこうと思った。
 しかし、それにしても飢えている。このままでは無意識に負けて何かを口に入れてしまうかもしれない。人間を食べてしまうかも。動物を殺してしまうかも?
 いやいやそうでなくても、どこぞの民家におしかけてなにかを食べさせてもらうことも考えられる。
 見慣れた神社があったので降り立つと、そこには見慣れた巫女さんがいて、やっほーと手を振ったら「妖怪は気楽でいいわね」と言われた。
 こいしは縁側に座る。許可をとってないので、巫女さんに怒られたが気にしない。
 今はなぜだかアンニュイな気分なのだ。
 それでせんべいみたいなものが差し出されたが断って、その代わりに頼みごとをした。
「は、あんた、マゾなの?」
 そういうわけではないけれど、このままだったらせんべいを食べてしまいそうだったから。
 こいしは自分の腕が拘束されることを望んだ。
「そういう遊びなの」
 そう、たぶん遊びなのだ。狂気との戯れ。いのちの余剰。
 巫女さんはいぶかりながらも、御札を貼ってくれた。
「あ、ついでに猿ぐつわとかもして欲しいな」
「あんた変態なの?」
「余計なこと言わなくてすむようになるじゃない」
 実際にそうしてくれたのは、巫女さんの優しさだろう。もしそのとき文屋あたりに撮影されていたら、巫女がいたいけな少女を縛って、なにかいかがわしいことをしていたと新聞に載ったかもしれない。そうはならないように周りの気配に気をつけてはいたけれど。
 そのままこいしは「まみまもう」とお礼をいって地霊殿に帰った。
 それからあとは簡単だ。
 密室を作るのは造作もない。
 まずこいしは地霊殿のあまり使われていない倉庫を見つけて、そこの鍵を持ち出した。鍵の管理場所ぐらいは知っている。
 倉庫の扉を鍵で開けて、それから、こいしは――鍵を外側に放った。
 あとは几帳面なさとりかお燐あたりが扉が開いているのを見つけて、中を確認するがこいしの姿は見えず、少し頭をひねりながらも鍵をかけて、その場を去ることになるだろう。
 こうして密室は完成したのだった。
 なぜそんなことをしたのかは、こいしにもわからない。
 いやもう薄々気づいてはいるけれど。



 10



「こいし?」
「あ、お姉ちゃんおはよう」
「おはようじゃないですよ。どれだけ私が心配したかわかりますか」
 目覚めると、そこは白いベッドの上。
 すすだらけになった服は着替えさせられていて、いつのまにか黒い薔薇のようなネグリジェを身に纏っている。
 さとりは泣いているように見えた。
 涙は見えなかったが、心が泣いているように見えたのだ。第三の眼は閉じたままだったが、なんとなくそんなふうに感じた。
「心配させてごめんなさい?」
 データから参照して、おそらくもっとも適切な言葉を出力する。
「もう、本当にこの子は……」
 ギュっと拘束される感覚。
 悪くはない感覚だ。
「しばらくはご飯抜きかな?」
 こいしは聞いた。
 なにしろ結果として倉庫を燃やしてしまったのだ。あのときは犯人の存在を疑ってはいなかったし、脱出のためにはしかたないことでもあったが、悪いことであるのはまちがいないだろう。
「バカですね。妹がおなかすいているのに食べさせない姉がいると思いますか?」
「ごめんねお姉ちゃん。私、よくわからないの。がんばって体験したけれどダメだったわ」
「じゃあ覚えておきなさい」
「はぁい」
 どこかで見たことのあるようなコールドスープ。
 さとりはスプーンで掬って、こいしの口もとに近づけた。
「アーン」とさとり。
「アーン」とこいし。
「お姉ちゃん?」
「なんです?」
「お姉ちゃんは私がどこかに行ってしまったら哀しい?」
「当たり前です」
「お姉ちゃんは私のこと好き?」
「当たり前です」
「お姉ちゃんといっしょにご飯食べたいな。ね、いいでしょう?」
 こいしはさとりの手からすばやくスプーンを奪って、さとりがこいしにしてくれたように、口もとへと近づけた。
 どうすればスープが胸元にこぼれないようにできるのか。
 わりと難しい。
 さとりは戸惑っていたが、やがて観念したかのように口を開いた。
「しかたない子ですね」
「お姉ちゃん食べてくれる?」
「お願いします」
 さとりの桃色の唇に冷たい銀色のスプーンを突き入れる。
 少し奥までつっこみすぎたのか、さとりの顔が歪んだ。
「あ、ごめんなさい?」
「もう少し気をつけてください」
「もう少し気をつけるわ」

 けれど結局、コールドスープはさとりの胸元に染みをつくった。

こいしちゃん叱られたら引きこもっちゃうよ。かわいいからしょうがないね。
超空気作家まるきゅー
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コメント



0.1630簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
『胎児は目覚めるまで、誰にも逢えない』
成程、確かに。
最後の箇所はコールドスープなのに温かいようなやはり冷たいような。
こいしちゃん、流石です。
感嘆。
それとまるきゅーさん、バールのようなもの好きですね。
3.無評価yuz削除
そうか、プログレが好きか!

次はメタルで……
4.100名前が無い程度の能力削除
こいしちゃんマジぷりてぃ
8.100過剰削除
やはり氏のこいしが大好きだ……
不安定に安定しているこいしの地の文に氏のセンスがよく映える
そしてさとこい ウ フ フ
10.90名前が無い程度の能力削除
ちくしょう演出はわかるんだが目がいてえ。
なので90点。みんなは100点入れたらいいと思う。
12.100かたる削除
ピンクフロイドだと……! これはいいタイトルホイホイ、プログレッシャーが引き寄せられますね。
まるきゅーさんのこいしSS、特にこの奇想シリーズが大好きです。
素晴らしい作品をありがとうございました。

次はメタルで……
13.50名前が無い程度の能力削除
ピンク・フロイドと聞いては黙ってはおれんな!
原始心母の中でも、とりわけ不思議な曲ですよね。(タイトル元ネタ)
冒頭のメニュー表示にもニヤリとさせられました。
15.100名前が無い程度の能力削除
かわいいならしょうがないね
状況だけ見るとサイレントヒル2かと思った
18.100名前が無い程度の能力削除
なんかよく分かんないけど良かった
20.90奇声を発する程度の能力削除
何か…うん、凄かった…
26.100名前が無い程度の能力削除
読んでいる最中に感じた不安感が良かったです。
31.100パレット削除
 冒頭からナイトメアというかムーンサイド。こいしちゃんムーンサイドの住人みたい。
 互いに『アーン』をありだと思わされてしまったので私の負けなのでしょう。
32.80名前が無い程度の能力削除
kams さんの
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=12358905
イラスト思い出した。
38.100名前が無い程度の能力削除
たまんねえ…ゾクゾクしました
こいしちゃん可愛いよ
43.100名前が無い程度の能力削除
どMなこいしちゃんいいじゃないですか!!
49.100名前が無い程度の能力削除
奇想シリーズのこいしちゃんマジ無意識
恐ろしい反面、どこか狂気じみた面白さがありました