Coolier - 新生・東方創想話

白南風の過ぎる頃

2010/10/05 05:21:06
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 数度、軽く戸を叩く。
 深呼吸をして、己の顔を手で触り表情を確認する。
 相変わらず必要以上に険のある……我ながら怖い表情だった。
 顔のつくりがこうなのだからいい加減諦めてもよさそうなものだがそうはいかない。
 納得できない理由がある。彼女は、この顔がどうも――苦手らしいのだから。
「…………ふぅ」
 深呼吸がため息に変わったのを自覚する。
 確かに私は狼だが、ここまで無駄に剣呑な面相にならなくてもよかったのに。
 吊り目で細くて、金色の瞳も瞳孔が小さく怖さを増しているばかり。
 ただ見ているだけなのに睨んでいると思われたことなど数知れず。
 もう少し柔和な顔つきに生まれたかった。
 白狼天狗と云う生まれを呪うばかりだ。
 頭を振る。朝っぱらからこんな沈鬱な顔を彼女に見せるわけにはいかない。
 せっかく朝食に誘われたのだ。なるたけ笑顔で会いたい。
 私の想い人――文さんに誘われたのだから。
 彼女は私に対し遠慮があるというか――どうも怖がっているような節がある。
 だから尚のこと朝食に誘われたのは嬉しかった。
 おっかなびっくりでも歩み寄ってきてくれるのは、とても嬉しい。
 怖がられてしまっている私から歩み寄るのは……無理そうだし。
 …………出てこないな。
 あれこれ考えている内にそれなりに時間は経過したのだが。
 もう一度戸を叩く。
「文さん、犬走です」
 返事はない――どころか家の中でなにかが動く気配すらない。
 そういえば忙しくて応対に出られないかもと鍵を預かっていた。
 鍵を開け戸を開く。
 初めて入る文さんの家。
 調度品も置かれていない殺風景な廊下が目に入る。
「失礼します」
 靴を脱ぎ廊下へ上がる。
 文さんの部屋は……ここは風呂場か。脱ぎ散らかされた下着が脱衣籠に入りっぱなしだ。
 戸を閉め次の部屋を確認する。調理場、居間、応接室――だろうか? 他は、印刷機の置かれた部屋。
 居ない。二階、かな。途中見つけた階段を上る。
 適当に戸を開けるとそこは資料室のようだった。所狭しとファイルが棚に収められている。
 文さんの仕事への、新聞記者としての熱意が感じられる部屋だ。
 だがここにも彼女は居ない。
 ならばと資料室の隣の戸を開けると、彼女は居た。
 ここは、作業部屋兼書斎といったところか。その部屋の簡素なベッドで彼女は寝ている。
 ベッドは粗末な作りで、仮眠用であるのが見て取れる。おそらく寝室は別にあるのだろう。
 着崩された普段着――仮眠中、だろうか。
 部屋の中は散らかり放題。寝る寸前まで記事を書いていたのが窺える惨状である。
 これほど根を籠めるなんて珍しい。いつも飄々と書いては刷って売っていたのに。
 見れば机の上には書きかけの記事が広がっていた。
 彼女はどんな記事を――
 ん、これは……
「楠の葉……?」
 思わず手に取る。……まだ瑞々しい。
 机の上に落ちていた――いや、置いてあった楠の葉。
 幻想郷では珍しい部類の木の葉だが……ここらには生えていないのに何故?
 態々文さんはこれを持ち帰ったのか?
 葉団扇を作るには小さすぎるし、意図が読めない。
 ふと、手の平の上で木の葉が揺れた。
 ……窓、開いてる。
「う~……さむい~……」
 起きたかと目を向けるがどうも寝言だったらしい。
 文さんはごそごそと毛布に包まっていく。
 晩夏に窓を開けて寝ていればそうもなろう。
 ここ数日夜ともなれば急に冷え込んでいたのに。
 もう朝だけど……暖かくなるにはもう少し時間が掛かるか。
 楠の葉を机に戻し文さんの元へ向かう。
「文さん、朝ですよ」
 このままでは風邪をひいてしまう。熱いお茶でも飲んで体を温めないと。
「文さん」
 揺するも文さんの目は固く閉じられたまま。起きる気配すらない。
 さてどうしたものか……とりあえず窓を閉める。
 約束を反故にされたのは別にいい。不可抗力のようだし。
 彼女と朝食を共に出来ないのは残念だが無理に起こすこともあるまい。
 疲れているようだからもう少し寝かせてあげるのが最適だろう。
 掛け布団が足りないようだしどこかから持ってこようか。
 とはいっても今日初めて来た家ではどこに何があるのかわからない。
 ううむ。
「さむいのやぁ……」
「…………」
 また、寝言。
 我慢が出来ぬ程に寒いのか幽かに震えている。
 目覚める前と云うのは兎角体温が落ちるものだったな――
「ふむ」
 上着を脱ぎ彼女の体に掛かる毛布を捲る。
「失礼します、文さん」
 返事がないのを承知で彼女の服に手を掛けた。




 呼吸が変わる。
 とうとう目覚めの時間のようだ。
 少々名残惜しい――もう少しだけ彼女の寝顔を見ていたかった。
 野の獣のように警戒心の強い彼女がこんな姿を見せてくれることなど滅多にないのだから。
「ん――んん……」
 眩しいのだろうか、細く開いた赤い瞳を見つめる。
 何度見ても、鬼灯より深く、血よりも鮮やかな彼女の瞳は綺麗だ。
 見つめている内に、宝石のような瞳に意思が宿っていく。
「おはようございます文さん」
「……………………」
 ゆっくりと、文さんの眼は見開かれていった。
 何を思ったのか突然自分の頬を抓る。かわいい。
 そのまま十秒ほど停止して――毛布を跳ね上げ簡易ベッドから転がり落ちた。
「文さん?」
 今頭から落ちなかったか。
「ももももももももももみっ、もみもみももももももぉっ!?」
「桃ですか? 少々旬を逃していますがまだ買えるでしょうから買って」
「違うっ!」
 叫んで彼女は畳んでおいた服を引っ手繰るように己の体に掛けた。
 もうそれなりに気温は上がっている筈だが、まだ寒いのだろうか。
 心なしか、文さんの顔は青褪めているようにも見える。
「な、なんであなた、は、ははは裸で同衾っ!?」
「はだ……? いえ、下着は着けていますが……」
「そういう問題じゃ、いえなんで私まで裸なんですか!?」
「下着は身に着けたままですよ」
 頭を掻きながら私も簡易ベッドから降りる。
 椅子にかけておいた上着と袴を手に取り身につけた。
 帯を締め、太刀を手に取り振り返る。
「文さんが寒がっていたのであたためようと」
「は、え?」
「先刻訪ねて来ましたら、文さんが寒そうに眠っておられたので体であたためようとしました。
生憎掛け布団やその他の暖房具が見つかりませんでしたので」
「え、あ、は?」
 まだ寝惚けているのかな。
 どうも文さんは要領を得られていないみたいだ。
 じゃあ簡単な質問でもして頭の回転の手助けをしよう。
「それで、あたたかさは足りたでしょうか。私はそれなりに体温は高い方だと思うのですが。
足りなかったのでしたら明日からは湯たんぽを持参するなどして工夫を……文さん?」
「あ、あははははははは」
 笑いだした。
 これは肯定と受け取っていいのだろうか。
 ……笑っているんだから多分そうだろう。
「私の体温で足りていましたか。よかった、できればあなたとの間には何も挿みたくありませんから」
 ぼん。
 音を付けるならそういう感じだろうか――突然文さんは首まで真赤になった。
「……?」
 どうしたんだろう。起きてからと云うもの文さんの様子がおかしい。
 目が覚めきってないのか、変な夢でも見て未だ夢現の最中なのか。
 ここが私の家なら熱いお茶でも持ってくるのだが……
「な、こ、こ、――んの」
 おや? 文さんがぷるぷる震えて――
「ドバカ犬ううううううううううっっ!!!」

 結論だけ言おう。
 とても痛かった。










 さくさくと山道を歩く。
 この辺りは通る妖怪も多いので道が草に覆われていないから歩き易い。
 木々もよく風を通す間隔で生えており散歩にはよい道だ。
 ……冷たくなった風が頬に沁みる。
「私は犬じゃなくて狼だ」
 無意味な独り言が漏れる。
 頬に軽く触れた。まだ、ぴりぴりと痛む。
 大きく息を吐く。
 何が悪かったのだろう。
 文さんは怒り心頭といった風情でこちらの言うことなど聞いてくれなかった。
 頬を張られ家から蹴り出され――もう来るなと言われてしまった。
 ――――困る。
 とても、とても……困る。
 毎日文さんの顔を見ていないとやる気が出ない。
 千里眼で見るのはいいだろうか。いやしかしもうやめると宣言したし……
 ならば会うとは言えない距離から千里眼を使わずに眺めるのならどうか。
 ……駄目だ。そんなのでは満足出来ない。
 文さんの写真でも買おうかなぁ……
「うわ、すごいビンタの痕」
 ぱしゃり。
 聞き慣れたそれとは違うシャッター音。
 本人の許可なく撮影するのはどうかと思う。
 まあ、それは文さんにも言えることなのだが。
「……はたてさん」
 彼女の――文さんの同業者……いや、商売敵だったか。
 知らず、腰の太刀に手が伸びていた。
「この間はどうも」
「あははー。気のせいか殺気感じるんだけどまだ怒ってる?」
「今後は冗談でもあんな真似はしないでください」
「いやあの、鯉口切らないで」
 抜きかけていたか。私も修行が足らない。
 ぱちりと太刀を納める。
「……文さん直々に斬るなと申しつけられていますから今回は斬りません」
「文が許可すれば斬るの!? ていうか今回はってまだ狙ってんの!?」
「はい」
「即答しやがった!」
「冗談です」
「……真顔で冗談言うのやめてよ」
 あまりギスギスするのもよろしくないと思って冗談にしたのだが受けなかったらしい。
 はたてさんはとても疲れた顔をして歩き出した。……偶然か、向かう先は同じようだ。
 立ち止まるのもなんなので歩き出したら、歩幅の違いかすぐに追いついてしまった。
「ん、椛もこっち?」
「ええ。家に帰ろうかと」
「ああ椛ん家こっちだっけね」
 なんとなく、歩調を合わせてしまう。
 彼女の歩幅が文さんと殆ど同じだったからだろうか。
 そのまま無言で歩き続ける。
 沈黙を破ったのは、はたてさんだった。
「悩んでる、って顔してるわ」
 こちらを見ずに彼女は言う。
 最初、写真を撮られた辺りの表情から読んだのか。
「当たってます。どうにも――わからないことが多くて」
「ふーん……――相談」
 足が止まる。
「乗ろっか?」
 はたてさんは、大して乗り気ではなさそうな顔を向けた。
 正直言えば、助かる。私はこの手のことが不得手だし、相談出来そうな相手もいない。
 友人のにとりさんもこういったことは不得手そうだし――はたてさんの方が向いていると思う。
 返事をしようとしたら、でもと彼女は私を指差す。
「あんた友達じゃないから金取るけどね。文ん時とは違うのよ」
 文――さん。そういえば以前はたてさんに相談に乗ってもらったんだっけ。
 感謝してると彼女は言っていた。……何時の間に文さんと友人になったのだこの人は。
 文さんからは商売敵だけどいい奴だ、くらいにしか聞いてない。
 私は彼女とは殆ど付き合いもないし――付き合いもないのに、なんでこうも刺々しく接せられるのだろう。
 色々納得はいかなかったが、彼女が適任であることに間違いはない。要求は呑もう。
「安いと助かるのですが」
「お茶とお菓子。喉渇いた」
 本当に安く済んだ。
 立ち話もなんだしということで、道沿いの喫茶店に入る。
 ここなら客も少ないから相談には打って付だし、報酬も済ませられて一石二鳥だ。
 はたてさんは運ばれてきたコーヒーを一口すすってケーキに手をつける。
「んー、やっぱケーキにはコーヒーよね」
「私は緑茶の方が好きですが」
「紅茶ならまだ頷けた」
 難しい顔をされる。そんなに合わないだろうか、ケーキと緑茶。
 返す言葉も見つからず私も紅茶をすする。
「てゆーかどしたのその顔。まさかあんたが椛だからって洒落?」
「体を張って笑いを取る趣味はありません」
 これが悩みに直結していると見抜いたか。
 まあ、目立つしそうでなくとも指摘はするかな。
「そうだ、それつい撮っちゃったけどさ。消しとく?」
「別に記事にされなければ構いませんよ」
「しないわよ。痴話ゲンカなんて」
 そのままはたてさんはカメラをいじり出す。撮った写真を消してる、のだろうか。
 意外――ではあった。痴話喧嘩なんていっとう話題にし易い――つまりは記事にし易いだろうに。
 それをああまではっきり記事にしないと言い切るなんて。
「そう言われるとは思いませんでした」
 思わず口をついて出てしまう。
 すると、はたてさんは露骨に顔を顰めた。
「記事にするって思われてたの?」
「まぁ――記者さんですし」
「心外だわ。そんな誰かが傷つくようなの記事にしない」
 乱暴にカメラがテーブルに置かれる。
「文だって、あいつは性格悪いけどさ、そういう記事書かないじゃん。私だってそうよ。
恋ってのは他人が引っ掻きまわしていいもんじゃないんだから」
 記者としてのポリシーなのか、随分と機嫌を損ねてしまった。
 だからというわけではないが――言葉を漏らしてしまう。
「立派ですね」
 睨まれる。
「なにそれ。皮肉?」
「いえ、ただそう思っただけです。信念を持って仕事をするのは」
 なんとなくカップをいじりながら、言う。
「すごいな、と」
 はたてさんは、私とそう歳は変わらないのに。
 そういう考えを持てるというのは素直にすごいと思う。
 私はそこまで他人を思えるほどの余裕はないし、そもそういう発想がなかった。
 文さんも……そういうことを考えて新聞を書いていたんだ。
 はたてさんを通して、改めて文さんのすごさを思い知った。
 返事がない。顔を上げると彼女はそっぽ向いていた。
 気のせいか――頬が赤い、ような。
「はたてさん?」
「……よくそーゆーことさらっと言えるよね」
 ぼそぼそと言うはたてさんに、今朝の文さんが重なって見えるような気がする。
 なんだろう。私はまた何か間違えたのだろうか。知らず腰が引けていた。
 また平手打ちを喰らうのは怖いし、公衆の面前で、なんて流石に恥ずかしい。
 しかしそれは杞憂だったようだ。はたてさんは唸るばかりで攻撃してこない。
「あんたってさ、思ったことそのまま口にするでしょ」
「割と。全部ではありませんけど」
「文の苦労が知れるわ」
 ……どういう意味だろう?
 まあ、確かに私が文さんを困らせたのは一度や二度ではないけれど。
 真意を探ろうとはたてさんの顔色を窺うもよくわからなかった。
「んなことより、本題に入りましょ。それ文がやったんでしょ?」
 強引に流されてしまう。照れ隠しのようにも見えるけれど――指摘しないが吉、かな。
 指差された頬に触れる。もう痛みはほとんどない。
 鏡で確認しなければわからないけれど赤みも取れているだろう。
「どうも、文さんを怒らしてしまったようで」
 ただ、まだ心には……しこりが残っている。
「あれデジャヴ」
「はい?」
「いやいやなんでも。で?」
「はぁ……文さんを怒らして、張り手をもらいもう来るなとの命令まで頂きました」
 言い終え紅茶をすする。
 それだけのことだ。十秒にも満たぬ時間で語れてしまうのに。
 私の心には重く圧し掛かる。紅茶の味も、わからない。
 そんな私の様子に気づいたのか、はたてさんの浮かべる表情は真剣みを帯びていた。
「そらまた……しかし一方的よね。なにしたのよ椛」
 問われて、答える。
「上着を脱いで同衾をしただけなのですが」
 破裂音。
 テーブルの上がコーヒーまみれになっていた。
「はたてさん?」
 咳き込み続けてる彼女は返事も出来ないようだったのでお手拭きでテーブルを拭う。
 いきなりコーヒー噴き出すとはどうしたんだろう。
「げっふごふうべ――いやあのね!? そ、そういうこといきなり相談されてもね!?」
「はい? ただの同衾ですが」
「ただのって! いやもうアウトでしょ!? 公共の場で口に出すことじゃないじゃん!?」
「そんな馬鹿な。何故布団で寝ることがそんな禁句のように」
「寝るって、また、ストレートな……!」
「……?」
 なんだろう。何か擦れ違っている。
 二人して怪訝な顔で見つめ合ってしまう。
「ええと、椛はさ、文と同衾したのよね」
「はい。ほら、今日は朝方冷え込んだので……」
「ああうん、寒かったね。窓閉め忘れて、寒さで目が覚めちゃったわ」
 鴉天狗と云うのは窓を閉め忘れるものなのだろうか。丸っきり文さんと行動が被っている。
 それとも新聞記者という職のせいかなんて益体の無いことを考えていたら、彼女も考え込んでいた。
 はたてさんの方は益体の無いことではなく、今の会話を反芻しているのだろうが――
「ねえ椛」
 考え込む姿勢のまま、目線は逸らされたまま彼女は口を開く。
「……もしかして、いっしょに寝て何もしてない?」
「何をしろと。寒がっていたので密着はしましたが」
「あーあー……うん。わかった。文は正しい。あんたが悪い」
「なんと!?」
 どの辺でそういう結論に至ったんだ。
 不満が表情に出ていたらしくはたてさんはすぐに会話を再開させる。
「大体想像がつくけどさー。あんたらまだ手を繋ぐのが精一杯ってとこでしょ?」
「え? ……それは、どういう……」
「あーもー察し悪いなぁ。つまり恋人っぽいこと殆どしてないんでしょ?」
 恋人っぽいこと。
 ……逢引とか、くちづけのことか。
 言われてみれば全くしていない。互いの想いを伝え合ったくらいか。
 正直先に進みたいとは思うが、私は文さんに怖がられているのだからしょうがない。
「そんな状態でいきなり同衾なんて順序かっ飛ばし過ぎでしょ。怒られるわよ」
 それは、確かに……正論だ。
 他意はなかったのだがそう受け取られてもおかしくはない行動だった。
 私は、そういうことに抵抗がないというか、恥が薄いので考えもしなかった。
 いやしかし、好きな人にはすり寄りたいという本能が……
「文もねー、あれでぶりっ子ならまだしも普段がアレで素が純情なんだもんねー」
「文さんの悪口ですか」
「簡単に鯉口切るな! 見境ないなあんた!?」
 いかん。動揺しているのか私は。
 力尽くで太刀から手を引っぺがす。
「で、ですが……あそこまで、怒るものでしょうか」
「んー、まあさあ。プライドに障ったとか、まー色々あるんじゃないの」
 プライド……文さんは、誇り高い人だ。
 はたてさんの言うことは――正論だ。
 納得するしか、ない。
 頭では正論だと納得しているのに、心の奥底では……納得できない。
「……私が間違っていたんですね」
 だから、自分に言い聞かせるように言葉にする。
 でも、無理だった。表情が歪んでいくのを自覚する。
 文さんの誇りを知っても、私が怖がられているとわかっていても、無理だ。
 傍に居れば触れたくなる。彼女の手で触れて欲しくなる。
 抱き締めたいと、抱き締められたいと――欲してしまう。
 心の底から湧き上がるその欲求は、どうしようもなかった。
 己の身勝手さに呆れ返る。
 散々文さんに迷惑を掛けておいて、まだ私は。
「それで、これからどうする気?」
 後悔ははたてさんの言葉に遮られた。
 どうせ、意味のない悔悟だ。変われないのなら、意味などない。
 遮られたところで、何も……変わりやしない。
「どうすると言われましても――来るなと言われましたから」
 文さんが正しい。
 私が間違っている。
 なら答えなんてもう決まっている。
「もう、顔を見せない方がいいのではないかと……」
 テーブルが大きな音を立てた。
 今までの騒ぎにも目を向けなかった店主や、他の客の視線が集まるのが気配で伝わってくる。
「バッカじゃないの!?」
 怒声。
 はたてさんは、怒り狂っていた。
 テーブルを叩き割らんばかりに手を付いて、椅子を倒して立ち上がっている。
「文に言われたから!? じゃああんた文が別れろって言ったら別れるわけ!?
そんな気持ちで文のこと好きとかほざいてんの!? ふざけんなっ!」
「え、な」
「あいつがどんだけ悩んで苦しんだかほんとにわかってんの! 泣いてたんだよあいつ!
あの傲岸不遜が服着て歩いてるような天狗がさあ! それを……っ!」
 怒りに言葉が追いつかない様子で、彼女は去ろうとする。
「は、はたてさん」
「うるっさい朴念仁っ!」
 怒鳴られ睨まれ追うことも出来ない。
「少しは自分で考えろバカ犬!」
 彼女が去るのを、ただ見ていることしか出来なかった。
 残された私は――倒れた椅子を戻し、会計を済ませ店を出る。
 はたてさんを追う為じゃなく、考え事を……最初、道を歩きながらしていたように再会する為。
「……私は犬じゃなくて、狼だ」
 また、意味のない呟き。
 最早目的さえも見失った足取りは重い。
 己がどちらを向いてるのかさえ定かではない。
 ただ、はたてさんとの会話を反芻して――答えを出そうともがいている。
 私が文さんにしたことは……怒られなかった。
 あれだけ文さんの肩を持つはたてさんが、怒らなかった。
 なのに、私が文さんを慮ったら、怒られた。
 それは大きなヒントだ。
 朴念仁と言われれば返す言葉もないが、私だってそこまで馬鹿じゃない。
 ここまでヒントが出揃っていて、わからないなんてことはない。
「――……文さん」
 諦めるにはまだ早い。
 はたてさんは、そう怒っていた。
 最初から諦めて、何もしないのは許せないと、怒っていた。
 会おう。
 会って、私の想いを伝えて……そして結論を出そう。
 走る。
 目的を思い出した足は軽い。
 風に乗って風の速度で走り出す。
 この幻想郷のどこかに居る、私の愛するあの人の元へ。










 探すのは簡単だった。
 千里眼を使うまでもない。間違えようのないあの人のにおいを辿るだけでよかった。
 妖怪の山とは比べるべくもないほどに小さな山。きっと名などないだろう山の中に彼女は居た。
 楠の大樹の根元でカメラを構えている――これは、机の上にあった葉の木だろうか。
 声を掛け辛く、その姿を眺める。レンズを通して彼女は何を見ているのだろう。
 真剣に何かを見つめるその姿こそ、写真に収めたいと思う。
「もう来るな、と言った筈ですけど」
 浴びせられる辛辣な言葉。
 文さんは私が来たことに気づいていた。
 それだけで心が折れてしまいそうになるけど、帰れない。
 はたてさんのこともあるし、なにより……私が、帰りたくない。
「あなたの家に、と解釈していました。間違っていたのなら去ります」
 嘘をつく。
 額面通りに受け取ってもう会えないと思っていたことなどおくびにも出さない。
 彼女と話して、ちゃんと話し合って結論を出さないと……納得なんて出来ないから。
 私の拙い嘘は通じたのだろうか。黙して彼女の返事を待つ。
 文さんは振り返らない。
 待つのも――辛い。心が、折れてしまいそうだ。 
「……別に、いいです」
 呟くような声。
 振り返らずに彼女は言った。
 猶予は……いただけたらしい。
 そのまま、半歩も近づかずに彼女を眺める。
 風に乗って聞こえてくるシャッターを切る音。
 人妖は見えない――気配すらない。
 ならば、彼女が撮っているのは。
「珍しいですね。あなたの被写体が人妖ではないなんて」
「私だって季節の話題で記事を作りますよ」
 小山から望む風景。
 文さんはそれを撮っていた。
 風景写真。あまり見る機会はないがそういうものがあるのは知っている。
「紅葉には早いのでは?」
「それが狙いじゃありませんから」
 レンズから目を離して文さんは遠くを見る。
「もう、夏も終わりですしね」
 一際強く、風が吹いた。
 木の葉が散る。風に乗って、どこか遠くへ飛んでいく。
 夏は終わり秋が顔を覗かせていた。
「次のは、カラーで刷ろうと思ってまして」
 何時の間にか文さんは再びカメラを構えている。
「過ぎた季節の情景を思い出してもらいたいな、なんて」
 シャッターを切りながらそう言った。
 それで、忙しかったのか。確かにそれは遅くなり過ぎては意味がない記事だ。
 普段は奔放に新聞を書く彼女が慌てるのも得心がいく。
「散りゆきし 華をぞ想う 白南風の――とでもいったところですか」
「上手くありませんね」
「失礼、武骨者でして」
 苦笑する。
「あなたは、本当に妖怪らしくない」
 妖怪にとって季節の移り変わりなどほんの瞬きの間の出来事。
 歳経た妖怪ともなれば尚更だろうに――それを惜しむとは。
 本当に、変わり者で、自由で……素敵な人だ。
 こういう人だから、やっぱり、私は、
「今朝は、すいませんでした」
 突然の声。理解が追いつかない。
 目を丸くする私に構わず彼女は続ける。
「急ぎの記事だったもので……中々あなたに会う時間が取れなくて、せめて朝食でもと思ったのですが。
疲れて、眠ってしまって――我ながら情けない。不覚、です」
 窺える横顔も、言葉通りの後悔の表情。
 謝られるようなことじゃない。悪いのは私なのに。
 よもや、先手を打たれてしまうなんて。苦笑するしかない。
「はたてさんには、私が悪いと言われたのですがね」
「なっ! はたてに話したんですか!?」
 ようやく文さんはこちらを向いてくれた。
「道でばったり会いまして。相談に乗ってもらいました」
 正直に答える。
 文さんから聞く限り、はたてさんは言いふらすような人ではないのだから黙っていてもよかったのだが。
 彼女に知られたってどこにも漏れはしない。それは彼女自身言っていたことだ。
 あの店に居た客だって全部を聞いていたわけではないから心配はないだろう。
 嘘をついて隠してもよかったのだけど――文さんに嘘を重ねたくはない。
「ああもう、こうも明け透けじゃ……ぬう」
 どうも文さんの心配は別のことのようだった。
 はたてさんが漏らすとは思っていないらしい。
 商売敵なのに、信頼してるんだな。
 はたてさんのこと信頼して、あんなことをした私に謝って。
 この人は、どれだけ惚れ直させれば気が済むんだろう。
 ああ、やっぱり、私は――彼女から離れられない。
「文さん」
 一歩でも、半歩でも、近づきたい。
「私も、すいませんでした」
 怖がられているからなんて諦めないで、ちゃんと歩み寄りたい。
 文さんを慮るふりをして逃げ出さずに――前へ。
「他意はないつもりでしたが、あなたを怖がらせてしまって」
「そんな、謝られることじゃ……私の方こそ」
「いえ、謝らせてください。そうじゃないと前へ進めない」
 一度零に戻さねば、これから言うことなど望める筈もない。
 お互い様ならお互い様で、零にしなくてはならない。
 プラスでもマイナスでもなく、零へ。
「椛……?」
 怪訝な顔をされる。
 きっと、これを告げればもっとそんな顔をされるだろう。
 でも、私はもう立ち止まりたくない。前へ、進みたい。
 逃げ出されないかと怯えながら、彼女に近づく。
 文さんは立ち尽くしたまま。私は彼女の目の前に立つ。
 大きく息を吸って、用意した言葉を口にする。
「命令された身で言うことではないのですが――あの命令、取り下げてもらえませんか」
「……なぜ?」
 なんて――わがまま。
 子供の駄々のようだ。
 彼女からすれば私なんて子供のようなものかもしれないけれど。
 だからって許容できる筈がないことを承知で告げる。
「あなたとは片時も離れていたくありません」
 私は、図体ばかり大きくて、獣の性からも逃れられない未熟者だ。
 彼女のような自由さには程遠い。自分自身すら、自由に出来ない。
 群れで生きる狼の性のままに文さんを求めてしまう。
 独りになりたくないと、彼女と共に生きたいと。
 どうしようもなく求めてしまう。
「あなたに迷惑をかけないよう努力しますから」
 届かなくたって、追い求める。
 これだけは偽れない。
「――あなたの傍に居させてください」
 だって、これが――私の願いだから。


 じっと文さんを見つめる。
 どう思ったのだろう、彼女はぽかんと私を見ていた。
 返事を聞くのが、怖い。断られたらと思うと膝が震える。
 目を、逸らしてしまいそうになる。
「……まったく」
 花のかんばせ。
 そんな言葉が思い浮かぶ。
 彼女は、微笑んでくれた。
「そんな泣きそうな顔しなくたって」
 ぽん。
「私の隣はあなただけですよ」
 文さんは、背伸びして――彼女からは遠い私の頭を、撫でた。
晩夏の話だから暑いうちに出せばいいやねなんて考えてたらがっつり寒くなった今日この頃

皆様いかがお過ごしでしょうか六十九度目まして猫井です

椛はどうも大型犬のイメージがあります

命令をよく聞くいい子なんだけど甘えん坊

構ってもらいたがるでっかい子供

かわいいですよね大型犬

ここまでお読みくださりありがとうございました


※追記
書き忘れてましたが今回のお話は作品集122「風が吹く 花が舞う」の続編になっております
一応読んでなくても問題ないように書いておりますが、よろしければそちらもどうぞ
猫井でした

※追記
>コメント37番さん
詠んでいるのは「武骨者」なので椛です
わかりづらい書き方で申し訳ありませんでした
猫井はかま
http://lilypalpal.blog75.fc2.com/
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コメント



0.2570簡易評価
2.100奇声を発する程度の能力削除
あやもみ!あやもみ!!
とっても素晴らしかったです!
4.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい!
7.100桜田ぴよこ削除
わんこ系は萌ゆる……
ごちそうさまです
9.100名前が無い程度の能力削除
わんこを飼いたくなりました。
12.100名前が無い程度の能力削除
ふぉおおおおおおおおおおお!
13.100名前が無い程度の能力削除
鈍い椛ェ…
16.100名前が無い程度の能力削除
椛のストレートっぷりに萌えさせていただきました。これはいいあやもみ。
18.100名前が無い程度の能力削除
この先も前途多難だが、二人ならなんとやら
21.100名前が無い程度の能力削除
続編キタ!
22.100名前が無い程度の能力削除
甘えんぼな大型犬いいよね
でもこの椛はそれだけじゃなく、相手を思いやり悩む複雑な心と優しさを持ってる
この二人を絵で見てみたいなあ
24.100名前が無い程度の能力削除
いやぁ素晴らしい。
悶えながら読ませてもらいました。
29.100名前が無い程度の能力削除
なんか胸がいっぱいになって、泣きそうになった。
34.100名前が無い程度の能力削除
かっこよくてもどかしくて愚かしくて。
ああ、椛め。椛め。
37.70名前が無い程度の能力削除
作品について、私の不足の致すところでしょうけれども、一つ判らなかった所がありまして。
散りゆきし、を詠ったのはどちらなのでしょうか。最初は椛、今は文と思っているのですが
39.90名前が無い程度の能力削除
相変わらずお上手でした。
40.100愚迂多良童子削除
>>「私も、すいませんでした」
どことはいはないが、吸ってたら問題だよね。
45.100名前が無い程度の能力削除
犬の行動力って怖いと思う時もあるけど
この愛の深さは素直に凄いと思う。
46.100名前が無い程度の能力削除
釣り目が可愛い子もいるけどね・・・
48.100名前が無い程度の能力削除
良かったです
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素晴らしかったです!
はたていい子だなー……
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ったくこのクソオオカミっこめ。なるようになったし、あんた今かっけぇんじゃねぇの?