あぁ、最近空が高くなってきたなぁ、と感じていたら、何だか急に涼しくなった。
日中の空気が湿気たものではなくなって、朝晩はぐっと冷えるようになった。
喜ばしい変化だ。やっぱり秋が一年の中で一番過ごしやすい。
空を見上げると高く澄みきって見えるのは、どうやら雲が上のほうに出来るかららしい。
誰に教えてもらったのかは忘れてしまった。パチュリー様だったかなぁ……。
秋の雲を見上げていると、私は咲夜さんを思い出す。
正確に言うと咲夜さんとの関係性を思い起こす。
今、私と咲夜さんは付き合っているけれど、その関係性が今ちょうどこの雲のような感じなのだ。
一番身近な存在なのに、遥か彼方にある雲のような咲夜さん。
一番近くにいるというのに、これ如何に。でも、そう感じてしまう。
これはあれだろうか。近くにいるからこそ、遠くに感じてしまうというやつなんだろうか。
でも別にいつもこんなことを感じているわけではなくて、ある日、ふと、そう感じるのだ。
暑いなぁ、と感じていた次の日がいきなり涼しくなった、みたいな急激な変化。
定期的にそれは訪れる。予期出来ないし、ましてや、自分から咲夜さんを遠ざけているわけでもない。
これは本当に何なんだろうなぁ。咲夜さんが遠ざかっているわけでもないし。
好きという気持ちは変わらないのに、関係性も変わらないのに、感じ方だけが変わるということ?
だとしたらそれは何故なんだろう。と言うか、どうして変わってしまうんだろう。好きなのに愛しているのに不思議。
変わりたくないと思うと変わって、変わりたいと思うと上手く変われないのも不思議。
願望である時点でその願望が達成されない可能性のほうが高いから?
そうなると私は、咲夜さんと今の距離感を保っていたいと願っているから、遠ざかってしまう?
……うーん、なるほど。そう考えるとちょっと納得しちゃうな。
でも、願望が達成されないのも困ってしまう。私は咲夜さんと一緒にいたいし。
夏の入道雲のように近付いて近付いて、手を伸ばせば触れられるような関係性が良いし。
季節は秋が好きだけど、関係性に関しては夏のほうでお願いしたいです!
そんな、子供が手を上げるようなアピールをしてみたい。呆れられそうだからしないけれど。
変な事を考えているやつだなぁ、なんてことは思われたくない。少なくとも咲夜さんには思われたくない。
でも抽象的なことに関して、あーだこーだ考えるのが私は好きだ。
毎日、門番という仕事をしているから、余計に考えられてしまう。時間はたっぷりある。
――話を戻して。でも、自分の気の持ちようとするならば、その持ちようを変えれば良いだけだ。
この方法は今回みたいなときに何度となく繰り返した。それなりの実績もある。
でも気の持ちようを変えるにもそれだけの根拠が必要になるので、私は行動する。
門番を妖精たちに頼んで、努めて軽い足取りで、何でもないですよ、なんてふうを装って――何故装う必要があるのかはいまだ解明出来ていない――館内へ入り、咲夜さんを探す。きっとどこかの廊下でも掃除しているだろう、と見当をつけて一階の廊下から順々に探していく。
今回は二階で見つかった。ほらね、やっぱり廊下にいたでしょう? と得意になりながらも、二階にもいなかったら、三階を探す時の私はきっと、廊下じゃないのかな? と不安になっていただろうと容易に想像出来た。
「咲夜さん!」
と声をかけると、窓を磨いていた咲夜さんが振り返った。
振り返っただけなのに、根拠のうちの50%はもう既に埋まってしまったような気がする。
「どうしたの? 仕事は」
一度や二度のことではないので、窘める咲夜さんの声には苦笑が混じっている。
あぁ、またか、みたいな呆れというか。でも怒られないのは、たまに、のことだからだろう。
この表情を見ただけで、根拠のうちの75%は埋まった。
「少しだけ、休憩してるだけですよ。すぐに戻りますから」
「休憩ね、まぁ、良いけど。で、何の用?」
「用というか……」
関係性に関しては夏のほうでお願いしたいですというアピールをしに、なんて言えるわけもなく。
ここに来るに至った心境の変化について語るのも、どうかと思うし。
結局、曖昧な笑みを浮かべることしか出来ない私に、咲夜さんはやれやれといったふうに息をついた。
「来なさい」
と仕方なさそうに言われるのに根拠の80%が埋まる。
埋まれ埋まれ私の根拠。そうしたら安心出来るから。私はいつも100%でいたいの。
野花に惹かれる蝶をイメージしながら歩み寄ると、髪に触れられた。これでもう89%。
青い瞳と間近で見つめ合うことで92%。思ったより伸びないのは秋空を連想してしまったから。
秋空の白い雲。遥か遠くへ行ってしまった雲。手を伸ばせば、後もう少しで掴めそうな気がする。
本当は、夏のほうで、とかじゃなくても良くて、掴めるならそれで良いの。
と思った瞬間手を握られて、ふいに鼓動が高鳴る。想像と現実がリンクする。
根拠はああ今何%だろう。と計測出来ずにいるうちにキスされた。
キスされて、あぁもう計測する必要もないよね、と投げ出すことにする。
触れるだけの口付けなのに全身がじわじわ痺れてきて、甘い感覚に支配される。
ああ、何か幸せ。幸せだ、幸せだーと思いながら顔を咲夜さんの肩に擦り寄せると、くすくす笑われた。
「甘えるのが、下手よね」
と笑い交じりに言われる。
甘える? 下手? 待って、私は色々考えてこねくり回していたけれど、結局は甘えたかっただけなの?
甘えたいと一言言えずに、長い長い周り道をしていただけ?
目の前の川を渡りたくて、目の前に橋があるのに、私は別のルートを探します、みたいなことをしてた?
だとしたら、それは由々しき事態だ。それについて私はまた考えなければならない。
だけど密着していた身体が離れて、もう一度、今度は噛みつくように口付けられた瞬間、そんな思いは霧散した。
手を伸ばして捕まえたと思ったら、逆に捕まってしまったような感覚。
身体中が熱を帯びて、息苦しさに口を開けば、唇の隙間から熱が容赦なく入りこんでくる。
あぁ、こんなにも暑くて仕方ないのに、どうしてあの時私は咲夜さんと秋の雲を重ねてしまったんだろう?
夏に逆戻りした今の私には、もう分からない。