Coolier - 新生・東方創想話

夏風邪と二人の思い出

2010/09/04 11:38:17
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 残暑が猛威を振るう、ある日のこと。じりじりとした日差しを振り撒く太陽は空に輝き、辺りを明るく照らしている。
 普段ならば、とっくに朝食を終えて自分の部屋にいるはずの時間帯。けれど、この日私は朝からずっとご主人様の部屋にいた。
 無理を続けていたご主人様が、夏風邪をこじらせて寝込んでしまったのだ。


 


 私がご主人様の夏風邪に気づいたのは、不覚にも朝起きられなくなるほどに彼女の病状が悪化した今朝のことだった。

 いつも皆よりも少し遅めに起きる私は、この日も皆より遅く食堂へ向かった。そこで私は妙な光景を目にする。思った通り仲間達が食堂に集まっているにもかかわらず、いつも誰よりも早く起きているはずのご主人様の姿が見えないのだ。それを不思議に思っていると、私に気づいた白蓮が挨拶とともに声をかけてきた。

「あら、おはようナズちゃん。ねえ、星を見てないかしら? なんだかあの子、まだ起きてないみたいなのよ」
「そうなんだ。寝坊にしては遅すぎるし、見に行こうかって話してたんだよ」
「それにしても珍しいわね、星がナズーリンよりも遅くまで起きてこないなんて。いつも誰よりも早く起きてるのに……ナズーリン? どうかしたの?」
「いや、なんでもない。確かに珍しいね、ご主人様らしくない。まあ放っておくわけにもいかないし、私が見てくるよ。皆は朝食の準備を頼む。きっとあの方は大層お腹を空かせておいでだろうからね」

 白蓮達の顔も見ずにそう言うと、私は急いで踵を返した。

 私の心では、悲観と楽観が入り混じっていた。
 真面目すぎるご主人様が、寝坊などするわけがない。それなのに起きてこないということは、彼女が起きられないような状態にあるということを意味している。病気なのかは分からないが、いい状態でないのは確かだろう。もしかしたら、私だけではどうしようもない事態にあるかもしれない。
 けれども、もしかしたら本当に寝坊なだけかもしれない。彼女だって万能ではないのだから、寝坊くらいする日もあるはずだ。
 どちらにしても、私が行かないわけにはいかない。苦しんでいる主を助けるのも、だらけている主を諌めるのも、共に従者の役目なのだから。そんな大切な役目を、仲間達に任せたくはない。
 できることなら、後者であってほしいものだね。そんな事を考えつつ、私はご主人様の部屋へと向かった。


 けれど、そんな私の小さな希望はあっさりと無視されてしまう。
 私がご主人様の部屋で見つけたのは、顔を火照らせて息苦しそうに唸り声を上げる主の姿だったのだ。

「ご主人様! どうしたんだ、しっかりしてくれ!」

 こういう場面に直面すると、頭よりも先に体が動くというのは本当らしい。気づいた時私はご主人様が横たわる布団に駆け寄り、体を揺すりながら何度も彼女を呼んでいた。
 呼吸は荒く、時折咳が漏れてくる。上気した顔は汗で濡れ、苦しそうな表情を浮かべている。医学の知識はあまりないが、それでも熱があるという事はすぐに分かる。一目見ただけでそう確信させるほどに、ご主人様は苦しそうな様子で布団に横たわっていた。

 ああ、どうして気づかなかったんだ、私は。
 ご主人様とはずっと一緒にいたじゃないか。昨日だって一昨日だって、その前だってずっと彼女を見ていたはずなのに。夏風邪をこじらせたとしても、いきなりこのようにはならない。何日か前に必ずその兆候が出ていたはずだ。しかし、私はそれに気づけなかった。もしも早く気づいていたら、ご主人様に余計な我慢をさせずに済んだのに。

 苦しむご主人様の姿を見た私の頭の中では、そのような思いばかりが渦巻いていた。
 けれども、今は過去を悔いているような場合ではない。少しでも早く、ご主人様を助けてやらなければ。今の私には声をかけることくらいしか出来ないが、何もしないよりはましだ。
 お願いだ、ご主人様。どうか目を醒ましてくれ。

 心の中で何度かそう念じた直後。私の声が届いたのだろうか、ご主人様はやがてゆっくりと目を開けた。
 様々な感情が入り混じって、つい大声で彼女を呼ぶ。

「ご主人様! よかった、目を開けてくれて」
「う……ああ、おはようございますナズーリン。どうしたんですか、そんなに怖い顔をして」
「怖い顔? それはあなたのせいだよ。そんなに辛そうな顔をされては心配にもなるだろう」
「そういえば、ちょっと頭がぼーっとします。でも、大丈夫ですよ、このくらい」
「だ、駄目だ、起きるんじゃない!」
「だけど、本堂に行かないと……もうこんな時間ですし、私がいないと参拝に来た方達が困りますから」

 そう言ってご主人様は私が止めるのも聞かずに起き上がろうとする。
 なんだってこの人は他人を最優先してしまうんだろうか。どう見ても熱があって辛そうなのに、どうして大丈夫などと言ってしまうのだろうか。迷惑をかけたくないという気持は痛いほど分かるが、今無理をすればかえって大勢の人々に迷惑がかかると分からないわけではないだろうに。
 何にせよ、彼女を止めなくては。今無理をしたら、それこそ大事になりかねない。そう考えて、先程より重い口調で彼女を諭す。

「ご主人様、よく考えてみてくれ。今のご主人様が本堂へ行ったところで、何の役にも立たない。それは分かるね?」
「それは……でも私、これ以上迷惑を」
「かけたくないんだろう? 私だってあなたの気持は分かっているつもりだ。でもね、あなたがこの状態ではどうあっても代理の仕事を務めるのは不可能なんだよ。それならば、今は快復に専念するべきだと私は思うよ」
「そう、ですけど……」
「大丈夫だ、心配ない。皆ご主人様が早くよくなることを望んでいるさ。私も出来る限り看病するから、今日はゆっくり休むといいんじゃないかな」

 私の問いかけに、ご主人様はすぐには答えを出せなかった。これだけ他人に気を遣ってしまう彼女のことだ、心中の葛藤は凄まじいものになっているのだろう。
 暫く悩んだ後、ご主人様は顔を上げた。その瞳は先程までの迷いを含んだものではなく、どこか清清しい思いに包まれているようだった。

「……分かりました。私、今日はお休みします。無理をしても、私の我侭になってしまいますもんね」
「分かってくれたか。よし、とりあえずは寝て待っていてくれ。私は準備があるから」
「すみませんナズーリン。結局あなたには迷惑をかけてしまいますね」
「気にしないでくれ。私は自分の意思でやっているんだ、迷惑なんかじゃないさ。それに……」
「それに?」
「いや、なんでもない。それじゃあ行ってくる」

 ご主人様の問いを遮るようにして、私は部屋を出た。
あなたが風邪をこじらせたのは事前に気づいてやれなかった私のせいだ、なんて今のご主人様に言えるわけがない。そう口にしたら、きっとそれまで以上に自分を責めるだろう。せっかく休む気になってくれたんだし、余計な事は言わなくていい。今私が最優先すべきことは、ご主人様の看病じゃないか。責任の話なんかする必要はない。
 そう自分に言い聞かせて、私は台所へ足を速めた。
 


 それからはかなり忙しかった。食堂で待っていてくれた仲間達に事情を説明し、本堂の参拝を中止してもらう。それと並行して看病の準備を始め、話と準備が終わり次第すぐにご主人様の部屋へと戻る。寝間着を着替えさせ、汗ばんだ体を拭き寝かせた後、額に濡れた手拭を置いてやる。
 そうこうしているうちに、時刻はすっかり昼間になっていた、というわけだ。





「よし、これでいいだろう」
「うぅ……ナズーリンったら、意外と強引なんですね。嫌がる私を無理矢理脱がせるだなんて……」
「人聞きの悪い言い方をしないでくれ! あんなに濡れた寝間着のままでは治るものも治らないだろう! 体も拭かないといけなかったし、仕方のないことだよ」
「でも、私を脱がせたのは事実じゃないですか」
「馬鹿なことを言ってると、さすがに私だって怒るよ」
「えへへ、すみません」

 太陽の光が差し込む、ご主人様の部屋。看病を終えた頃、私達は談笑を始めていた。
 ご主人様も思ったより弱っているわけでもないらしく、こんな軽口を叩く余裕はあるようだ。
 なんだかいつも以上にその笑顔が輝いて見えたので、いつも通り私はわざとらしい口調で彼女に言った。

「しかし、元気そうで何よりだ。看病されている側とは思えないね」
「そうですか? これでもけっこう辛いんですよ、喉はごろごろするし頭もまだはっきりしませんし」
「なら寝ていたほうがいい。その方が体調も良くなるだろう。私がいても邪魔だろうから、一旦部屋に戻るよ」
「だ、だめっ!!」

 立ち上がろうとする私の袖を、ご主人様が掴む。いつも私を苦しいくらいに抱きしめてくるその腕は、今は無理矢理に引き剥がすことも出来そうなくらいに弱々しい力で私を引き止めている。話している分には気づかなかったが、やはり普段のように元気に振舞えるような体調ではないらしい。しかし、どうしてご主人様は私を引き止めたのだろう。それも、あんなに必死な声で。
 考えが纏まらずに私が動きを止めていると、ご主人様はか弱い声で言葉を続けた。

「行かないでください……私、ナズーリンがいてくれないと駄目なんです」
「まさか、寂しいとか言い出すつもりじゃないだろうね?」
「そうではありませんが、なんだか不安で……私、ナズーリンが側にいてくれたら、きっと風邪も治っちゃうような気がするんですよ」
「……それはつまり、寂しいということだと思うんだが」
「うーん……言い方を変えれば、確かにそうなりますかね」

 そう言うと、ご主人様は困ったように微笑を浮かべた。いつもと違う、どこか弱々しい笑顔。それを見た瞬間、ご主人様の意図がなんとなく分かったような気がした。

 ただ単に、彼女は側にいてほしかっただけなのだ。
 風邪などで体調を崩している時、人は誰かに甘えたくなるものだ。その方法は様々だが、辛い時ほど誰かに支えてほしいと思うのは当然のことだと思う。それは毘沙門天の代理として日夜頑張っているご主人様とて例外ではない。寧ろ、普段は気を遣って我慢しているご主人様だからこそ、こういう時に甘えたいという思いが普通より強く出るのではないか。
 かといって、何かをしてもらうのはご主人様としても気が引けるのだろう。だからせめて、私と少しでも一緒にいたいと思い、こんな事を言い出したに違いない。
 まったく、本当にご主人様らしいよ。そういう思いは溜めないで、少しくらいは私を頼ってくれてもいいのに。大切な主のためなら、私に出来る事なら何でもしてやりたいと思っているんだからさ。


「……ふふ、本当に君は馬鹿だね」

 気づくと、そう呟いていた。その口元に、うっすらと微笑を浮かべながら。
 ご主人様も私の気持ちに気づいたのだろう、先程とは違う色の笑みを浮かべて私に言い返してくる。

「馬鹿じゃありませんよーだ」
「本当に? 風邪をこじらせ従者に寝るよう言われているにもかかわらず、その従者と仲良くお喋りしたがっている主は本当に馬鹿ではないと言い切れるのかい?」
「ま、まあ、客観的に見るとちょっと……でも、私は違います! だって私はただナズーリンと一緒にいたいと思っているだけですから」
「そう言うだろうと思った。まったく仕方のないご主人様だよ」
「その主に付き従ってくれているお馬鹿さんは、いったいどこの誰です?」
「ほう、言うようになったね」
「あなたにたっぷり鍛えられましたからね」
「そうか。ならこれからは今まで以上に厳しく厭らしく接するとしよう」
「や、やめてくださいよう」

 笑みを浮かべつつ、横になったご主人様と話をする。こうやって二人で話すのは別段珍しい事でもないが、この時私はどういうわけかこの時間がずっと続いてほしいと思っていた。どうやら、ご主人様に影響されて私もおかしくなってしまったようだ。少しでも長く話がしたくて、笑っているご主人様に私から話を振ってみる。

「ところでご主人様、何かしてほしい事はないか?」
「えっ? 何でもいいんですか?」
「限度はあるよ。私だって万能じゃないし、私の出来る範囲で考えてくれると助かる」
「なら、お粥が食べたいです。ナズーリンが作ったお粥!」

 少しくらいは悩むだろうと考えていたのだが、私の想像をあっさりと覆してご主人様はそう即答した。何故布団で寝ているのか不思議に思うくらいに元気な声で。
 わざとらしく溜息を吐きつつ、私は彼女に言う。

「はぁ……やはり食べ物か。本当にあなたは食いしん坊だね」
「むむ、それは聞き捨てなりませんね。私は食いしん坊なわけではありませんよ、ただ食欲に忠実なだけです!」
「だから食いしん坊だと言っているんじゃないか。それで、どんなお粥がいいんだい?」
「そうですね……ナズーリンに任せます。あの時みたいな素敵なお粥、楽しみにしていますよ」

 ご主人様の言葉を聞いた私は、うまく返事が出来なかった。
 あの時のお粥? いったいいつの事を言っているんだろう。わざわざそう付け加えるということは何か特別なものだったのだろうが、私の記憶の限りではご主人様に特別なお粥を作ったことなどないはずだ。そもそも、料理を手伝うことはあっても私からご主人様に何かを作って食べさせるという経験はほとんどない。いったいどういう――



「……リン、聞いてますか、ナズーリン!」

 ご主人様の声で私は我に返った。彼女は布団から身を起こし、私を心配そうな瞳で見つめている。本来ならば寝ているべき病人を起こしてしまった事に罪悪感を覚えつつ、私は彼女に言った。

「ああ、大丈夫だ。すまないご主人様、心配をかけたな」
「いえ、ナズーリンが平気なら私は大丈夫です」
「それじゃ、少し待っていてくれ」
「ええ。ふふ、楽しみだなあ」

 そう言って微笑むご主人様に見送られ、私は部屋を出た。
 何とも言いがたい、漠然とした不安に包まれたまま。






 台所へ向かう間も、私はご主人様の言葉を思い出していた。
 正直なところ、ご主人様に特別なお粥を作ったという記憶自体が私にはない。けれども、ご主人様は目を輝かせながら「あの時みたいな素敵なお粥」と言った。この事実から考えられる可能性は二つ。ご主人様が間違っているか、私が忘れてしまっているかのどちらかだ。
 どちらが正しいのかを確かめることは、今の私には出来ない。ただ一つ確実にいえるのは、ご主人様の願いを聞いてやれそうにないという事だけだった。
 もしご主人様の記憶違いであれば、「素敵なお粥」は存在しなかったことになる。だから、彼女の願いを叶えるには私がそれに見合うお粥を作らなければならない。そんなもの、私には作れる自信がない。また、もし私が忘れていたとすればそれだけでご主人様に申し訳のないことだ。そんなに大切な思い出を忘れてしまうなんて、それこそ従者失格だ。
 どちらが正しくても、もはや私に出来ることは何もない。

 ごめん、ご主人様。

 廊下を歩きながら、私は思わずそう呟いていた。誰もいない廊下に、その幽かな音が響く。どういうわけか、辺りは妙に静かだ。普通なら何かしら生活音が聞こえてくるものだが、廊下に響くのは私が歩く足音だけ。その静寂が、私の心をいっそう乱す。

 誰もいない廊下で、ついに私は一人涙を零してしまった。








「なーに落ち込んでんの?」

 角に差し掛かったところで、突然声をかけられた。驚きつつも頬を拭い、すぐに視線を上げる。目の前に立っていたのは、悪戯好きの正体不明娘だった。
 私を見ると彼女は何故か微笑み、励ますような口調で話しかけてくる。

「ナズーリンが元気なくしてどうすんのさ」
「私も色々大変なんだよ」
「なんか訳あり? 私でよければ相談に乗るよ」
「ぬえじゃ不安だな。他の誰かのほうがいい」
「残念でした、三人とも薬屋に行っちゃったよ」
「薬屋? 三人で?」
「ほら、里でも有名な永遠亭ってやつだよ。あそこの人達とは初めて会うから挨拶もしてくるみたい。それで二人がついていったってわけ」
「なんで君はいかなかったんだ」
「なんかさ、初対面の相手って照れるじゃん。それに私は正体不明を貫き通さなければいけないのだよ!」

 そう言うとぬえは何故か誇らしげに胸を張った。こういう子供っぽさが里の子供達に好かれる要因なのかもしれない。彼女の様子を見て私は溜息を吐いていたが、彼女は急に真面目な顔になると私に話しかけてきた。

「それで、どうしたのさ? ナズーリンがそんなじゃ、星だって元気になれないんじゃないの?」
「それは……」
「ちゃんと話聞いてあげるから。ね、話してごらんよ」

 そう口にするぬえの表情にはいつもの彼女には微塵も感じられない信頼感があった。まるで目の前にいるのがぬえではないみたいだ。そう感じさせるほど信頼に足る姿を信じ、私は彼女に全てを話してみることにした。





「……というわけだ」
「なるほど。星とナズーリンのどっちが間違ってるかさえ分からないってわけね。このままじゃ星の頼みを聞けないと」
「そういうこと。なんだか君に聞くのは気が進まないが……どうしたらいいと思う?」
「そうだねえ……」

 ぬえはすぐには答えを出さない。それは仕方のないことだ。私だって未だにどうするべきか悩んでいるのだから、彼女が悩まないはずがない。
 しかし、こうして黙って考えている姿を見ると本当にいつものぬえとは別人に見える。馬鹿な事を言い出したり妙な行動を取ったりしなければ、こうも印象が変わるものか。そんなふうに思いつつ、私もご主人様の望みを叶える方法を探ってみる。
 そうこうしているうちに、ぬえが閉じていた口を開いた。

「じゃあさ、とりあえず作ってみたらいいんじゃない」

 前言撤回。やはりこいつはぬえだった。そうでなければ、私の真面目な悩みに対してこのような馬鹿げた答えを提示したりはしない。やはり、彼女に相談したのは失敗だったか。
 一つ大きな溜息を吐いて、私はぬえに言った。

「ありがとう、ぬえ。君のとってもありがたいお言葉のお蔭でなんとかなるかもしれないよ」
「ちょ、ちょっと待て! 私だって真面目に答えてるんだから、ちゃんと話を聞いてよ!」

 ぬえはそう言って横切ろうとした私を引きとめてくる。正直彼女に付き合うのはうんざりしていたので、早めに切り上げようと思いつつ彼女の方を向く。

「まったく……手短に頼むよ」
「要するに、考えていても仕方ないならまずは作ってみればいいってことだよ。そうでもしないと、何も進んでいかないでしょ?」
「そうかもしれないが、ご主人様の気持はどうする。もしかしたらあの人の願いを叶えてやれないかもしれないんだぞ」
「いや、だからそういうのを考えても仕方ないんだって。考えて結論が出る事ならともかく、記憶にないものを探り出すなんて芸当できっこないでしょ?」
「それは、確かにそうだが……」

 ぬえの言っている事は正論だ。何が正解か確かめる術がないのだから、立ち止まっているより何かを成したほうがいい。間違った時のことを考えるよりも、成功に向けて今出来る限りの努力をしたほうがいい。
 私だって、そう考えなかったわけではない。けれども、私にはそれを選択することが出来なかった。
 私は、ご主人様ががっかりするのを見たくなかったのだ。彼女の期待を裏切ってしまうことが、私は何より怖かった。
 もしも私が作ったものがご主人様の望んだお粥ではなかったとしても、彼女はきっと笑顔でお礼を言ってくれることだろう。だからこそ、私はこの賭けを拒みたかった。そんなに優しい人の思いを裏切るような真似なんて、私には出来ない。
 かといって、このままではどうにもならないというのも事実だ。悩んでもいても仕方ないのもまた事実。けれども、私はそれを決断するのが怖い。何より、残念に思っているのを隠そうとしてご主人様が浮かべる困ったような笑顔を、私は見たくない。

 ご主人様。私はいったい、どうすればいい?



「ナズーリンはさ、難しく考えすぎなんだよ」

 俯いていた私に、ぬえがそう語りかけた。なんだか心が見透かされたような気がして、少し驚きながら顔を上げる。それを見て、彼女は言葉を続けた。

「星をがっかりさせたくないのは分かるよ。でも、このままじゃ絶対に正解にも辿り着けないんだよ? 一生懸命心を込めて作れば、もしかしたらその“素敵なお粥”になるかもしれないじゃん」
「……」
「大事なのは出来たお粥じゃない。星を想うナズーリンの気持でしょ?」

 そう言って微笑んでみせるぬえ。彼女の悪戯っぽい笑みがこの時ばかりはとても優しいものに見えた。
 そうだ。彼女の言うように、このままでは何も始まらない。想いを込めて作れば、仮にご主人様の言うお粥ではなくても期待を裏切ったことにはならないはずだ。ぬえにこんな事を気づかされるだなんて、分からないものだな。
 笑みを零しつつ、私はぬえに言った。

「そうだね。やってみないことにはどうしようもない。まずは作ってみるよ」
「うん、その意気だよ!」
「その……ありがとう、ぬえ。なんていうか、君を誤解してた」
「やめてよ、照れるじゃん。さてと、私は日課の悪戯にでも行こうかな。それじゃ頑張ってね」
「ああ。君もやりすぎるなよ」

 それは無理、などと言いながらぬえは私と逆の方向へと歩いていった。それを見送って、私は再び台所へと歩き出す。
 ご主人様の願いを叶えたいという、強い意思とともに。



   *   *   *



 ぬえと別れて数分後。台所で、私は鍋に火をかけていた。

 ぬえと話していて感じたことが二つある。一つは、私は行動を起こす前に考えすぎて動けなくなるタイプだということだ。これは昔から気づいてはいたが、最近はこの兆候が出てこないのですっかり油断していた。普通に生活している分には問題ないのだが、ご主人様のことになるとつい考えすぎたりしてしまう事が多いような気もする。この点は従者としても私個人としても直しておかなければならない欠点だろう。
 もう一つわかったことは、やはりご主人様にきちんと説明しなければならないという点だ。お粥を作っているうちに、私は想いを込めるという事の意味を改めて感じた。だからこそ、中途半端に騙すような真似をしてはいけないのだ。“素敵なお粥”がわからなかった事と、その代わりとして想いを込めたお粥を作った事。それを説明すれば、ご主人様だってわかってくれるはずだ。お互いの想いのためにも、やはりきちんと話そう。ご主人様の記憶違いでも、私が忘れていた場合でも、どちらでもこれが最善の方法だ。
 こんな当然の事に気づかず、よりによってぬえのお蔭でそれに気づくとは。これじゃ、ご主人様のことをとやかく言う資格などないかもしれないな。

 そんな事を考えているうちに、いい匂いがしてきた。あとは蒸らして完成だ。火を止めて少し置けば、持って行くうちに丁度いい具合になるだろう。

 待っていてくれ、ご主人様。

 盆を用意しつつ、私はそう呟いていた。



 それからまた数分後。ついに私は、お粥とともにご主人様の部屋に戻ってきた。
 ご主人様のことだ、きっと待ちくたびれているだろう。あれだけ元気だったし、寝てすらいないかもしれないな。そんな事を思いつつ、私は襖を開けた。
 
 
 意外なことに、ご主人様は布団で寝ていた。
 妙なこともあるものだ、などと思いながらも私は彼女の側に静かに向かう。近づいていくと、幽かな寝息が聞こえてきた。朝よりは良くなったらしいが、熱は引いていないのだろう、頬は赤いままだ。汗を軽く拭った後、彼女に声をかける。

「ご主人様。お粥ができたよ」
「ん……ああ、うっかり寝てしまいました。ありがとうございます、ナズーリン」
「いや、礼には及ばないよ。それに、あなたの期待に沿えているかも分からないし」
「ふふ、楽しみです。どれどれ……」

 うれしそうに、楽しそうに。まるで好物を前にした子供のようにはしゃいだご主人様は盆の上の匙を取ると、幽かに湯気の立つお粥を掬い口に入れようとする。その笑顔を見た瞬間、考えるより先に口が動いた。

「待った!」

 突然のことで驚いたのだろう、ご主人様は目を丸くして私を見ている。彼女が何か聞いてくる前に、私は続けた。

「ご主人様、それを食べる前に聞いてほしい事がある」
「ど、どうかしたんですか?」
「実は……本当に申し訳ないことだが、あなたの言う“あの時みたいな素敵なお粥”を、私は覚えていなかったんだ」
「えっ? あの……」
「だからつまり、あなたが食べようとしたそれはあなたの思い出の中のお粥ではないんだ。騙すような事をしてすまない」
「そんな、騙すだなんて」
「ご主人様、こんな事をしておいて申し訳ないが、私の頼みを一つ聞いてくれないか?」
「え、あ、はい。なんでしょう?」
「そのお粥を、食べてほしい。確かにそれはあなたの食べたがったものではない。けれど、私は私なりに想いを込めてそれを作ったつもりだ。どうか私に、従者としての役目を果たさせてはくれないか」

 かなり一方的ではあったが、私はご主人様に自分の気持を全て話した。これでもう、私とご主人様の間に認識のズレはない。この後どんな反応を示すのかは、ご主人様次第だ。
 私は、黙ってしまったご主人様の顔を見つめていた。彼女が示すであろう反応に、期待と不安を抱きながら。




 時間にして数秒後。それまで黙っていたご主人様が、いきなり笑い出した。

「あっはっはっ! ナズーリンてば、そんな事で悩んでいたんですか!」
「そ、そんな事とはなんだ! それに、あまり大声で笑うと体に悪いよ」
「そ、そんなこと、ゴホゴホ」
「ああ、もう! 大丈夫かい、ご主人様」
「え、ええ、なんとか。いや、それにしても面白かったですよ。ナズーリンが悩んで出した結論が、私の望んだ事そのままなんですから」

 私は思わず耳を疑った。今この人は、なんと言った?
 訳が分からずに、つい少し興奮気味に彼女に訊ねる。

「ど、どういう意味だご主人様。あなたの願いは、このお粥だったというのか? このなんでもない、ただのお粥が?」
「違いますよ。あなたの想いが込められた、素敵なお粥です。自分でも言ったじゃないですか」
「あ、いや……って、今はそんな事はどうでもいい。教えてくれご主人様、あなたが言ったあの時とはいつのことなんだ?」

 少し大きな声で、私はご主人様に訊ねる。おそらく、相当必死な顔をしていたと思う。そんな私を気にしてくれたのだろう、ご主人様は暫く黙った後にゆっくりと口を開いた。

「あれは聖達がいなくなってしまった直後でした。仲間がいなくなってしまうという時に何も出来なかった事がショックで、私はその日から何かをする気力を失ってしまっていました。そんな私を心配して、あなたがお粥を作ってくれたんですよ。
 普通の具材に、普通の調理法。特別凝ったところなんて何一つない、いたって普通のお粥。でもね、それが私にとっては何よりのご馳走だったんですよ。一口食べるごとにあなたの気持が伝わってくるようで、本当にうれしかったのを覚えています。だから、体調の優れない今あれをもう一度食べたいなあと思ったんです」

 そう言うと、ご主人様はいつもの温かい笑顔を浮かべた。

 その思い出なら、私の心の中にもある。仲間が一度にいなくなった事とその時にただ見ていることしか出来なかった事との重圧が重なり、当時のご主人様は本当に生きる気力をなくしていた。そんな彼女を少しでも元気付けたいと思い、あの日私はお粥を作ったのだ。
 まさか、ご主人様があの事を言っているとは思わなかった。冷静に考えれば、この人が望むものくらいすぐ気づくはずなのに。心を込めたものが何よりうれしいというご主人様の意図が分からなかっただなんて、あの時の私はかなり動揺していたらしい。
 本当に従者失格かな。これじゃあ少しくらい不満を言われても仕方ない。そんな事を思いつつ、苦笑いを浮かべる。それを見たご主人様は、うれしそうに笑いながら私に言った。

「それにしても、ナズーリンがこんなに私を思ってくれてうれしいです」

 思いもよらぬ発言に、またもや自分の耳を疑ってしまう。その言葉がどうにも納得いかず、私はご主人様に訊ねた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! ご主人様は、私を怒らないのか?」
「えっ? どうして怒らないといけないんです?」
「私はあなたの願いに気づけなかった。あなたが大切に想っていたものに、私は気づけなかったんだ。今でこそあなたが言う素敵なお粥に辿り着けたが、私が至らなかったのは事実だ。十分に咎める理由はあると思うが」
「でも、ナズーリンはこんなにも私のことを想ってくれたじゃないですか。たとえ初めは分からなかったとしても、あなたは私に心の篭ったお粥を作ってくれた。こんなに素晴らしい従者を怒るはずがないでしょう」

 忘れてしまったりするのはお互い様ですからね、などと言いながらご主人様は微笑を浮かべている。その笑顔を見て、私は一つ大きな溜息を吐いた。

 本当に、この人は不思議だ。
 意図が伝わらない時、大抵の人はそれを理由にして苛立ってしまう。なのに、彼女は温かい笑顔で私を包んでくれた。私が気づけなかったことに怒りもせず、私の想いを喜んで受け取ってくれた。
 こんなに素敵な人の側にいて、幸せを感じないはずがない。影響される必要のない部分まで影響を受けてしまっている気もするが、やはりこの人からは離れられそうにないな。



「そういえば、ナズーリンはお腹減ってないんですか?」

 不意に、ご主人様がそう聞いてくる。すっかり忘れていたが、彼女の言葉で忙しくて朝から何も食べていないのを思い出した。意識してしまったせいか、その瞬間から急に空腹が私に襲い掛かってくる。

「いや、けっこう減っている。実は今朝から碌に食べてないんだ」
「そ、それはいけません! 飢え死にしてしまいますよ!」
「それはないだろう。しかし空腹なのは事実だね」
「はい、あーん」

 私の言葉を聞いたご主人様がすかさず匙を私の口元に伸ばす。なんとなく予感がしていたので、落ち着いて彼女の手を止めつつ訊ねる。

「何のつもりかな、ご主人様?」
「いいじゃないですか、減るもんじゃないですし。意地を張っても減るのはナズーリンのお腹だけですよ」
「上手い事言ったつもりかい? 生憎あなたみたいに食いしん坊ではないんでね。少しくらい食べなくても平気だよ」
「うー……じゃあ、あーんは無しにしましょう。冗談ではなく、私本当にナズーリンが心配なんですから」

 そう言って見つめてくるご主人様。普段よりも低い目線がどこか卑怯だ。
 実際空腹はどうしようもないし、今は意地を張る場面でもない。そんなふうに考えて、私は仕方なく彼女に言った。

「それじゃあ、いただくよ」
「本当ですか! それじゃ……はい、どうぞ」
「ん……ふむ、味見の時も思ったが我ながらいい感じじゃないか」
「ええ、ナズーリン一人で作ったとは思えませんね」
「私だって昔とは違う。ご主人様に勝てるとは思わないが、今では料理だって少なくとも下手ではないと思うよ」
「ふふ、そうでしたね」

 こんな事を言いつつ、ご主人様とともに二人で微笑む。看病の途中であることがどうも気になるが、偶にはこういう日も悪くはない。


 話しながらだったせいか、お粥が空になるのは思いのほか早かった。あくまでも体感時間での話だが、あっという間になくなってしまったような気がする。
 匙を置いたご主人様が、私に向かって言う。

「ごちそうさまでした。ナズーリン、とってもおいしかったですよ」
「こちらこそ、喜んでもらえてよかった」
「ふああ……なんだか、食べたら眠くなってきました……」
「まったく……普段なら咎めるが、今日はまあいいだろう。風邪をしっかり治すためにも、よく寝るといい」
「はい。……ああ、でも私が寝たらナズーリンは部屋に帰っちゃうんですね……」
「大丈夫、あなたが眠った後暫くは側にいるよ。だから安心して寝るんだ」
「わかりました……おやすみなさい、ナズー……」

 言い切る前に、ご主人様の言葉は可愛らしい寝息に変わった。彼女の額に手拭を当てつつ、私は小さく溜息を吐く。

 今日は色々と大変だった。しかし、収穫も多かったな。ご主人様の笑顔は温かかったし、今日の苦労も我慢するか。
 ご主人様には悪いが、今日は楽しかった。いつも私に負担をかけないように無理をしてしまうあの人が甘えてくれて、個人的にはうれしかったな。元気になったらそんな事はないんだろうけど。
 でも、偶にだからいい事もあるか。毎日これでは、私も疲れる。
 さて、私も部屋に戻るとしよう。


 帰り際、ご主人様の寝顔に目をやる。どこか幼さの残るその顔は、幸せそうに微笑んでいた。
 そっと彼女の髪に手を伸ばすと、優しく撫でつつ一言。


 おやすみ、ご主人様。


 長居は無用、とばかりに私は勢いよく立ち上がった。このままだと、本当にずっと側にいてしまいそうだったから。
 明日は元気なご主人様を見たいな。そんな事を思いつつ、私は部屋の襖を閉める。



 辺りは相変わらず厳しい残暑が続いている。
 空で輝く太陽が楽しそうに笑っているご主人様のように見えて、思わず吹き出してしまった。

 こんな太陽なら、毎日でも受け入れられそうだ。
 
 
お久しぶりです、でれすけでございます。
夏風邪は侮れませんね、色々な意味で。しかしこの時期の風邪でも夏風邪でいいんだろうか……
ともあれ、拙作を読んでいただきありがとうございました。
でれすけ
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コメント



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10.100名前が無い程度の能力削除
「それはリゾットなんですよー」
ってオチかと思ってた自分をしばき倒したい
13.100山の賢者削除
献身的なナズーリンっていいよね。
14.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
15.100名前が無い程度の能力削除
ぬえちゃん何気にいい仕事してくれました・ω・
誰か俺にも気持ちのこもった料理作ってくれ!!
16.90コチドリ削除
これは星ナズ風味やないっ! 星ナズの濃縮還元、否、星ナズの煮凝りや!!

美味い! お粥もう一杯おかわりっ!
22.100名前が無い程度の能力削除
simple&lovely
23.100ランツ削除
猫舌の星ちゃんがフーフー冷ましてるところが浮かんだ俺は病気(^q^)
24.100名前が無い程度の能力削除
「ごちそうさまでした。ナズーリン、とってもおいしかったですよ」←これがエロく聞こえたからちょっと爆発してくる
32.100名前が無い程度の能力削除
お互いがお互いを思いあってる関係って素晴らしいですよね。
この翌日、完治した星ちゃんが風邪が移ったナズーリンを看病するんですね分かります