Coolier - 新生・東方創想話

藤の淡海(前)

2010/09/04 02:53:53
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※歴史上の人物などが登場します。













 
 

 藤原不比等は平安時代の人物ではない。




 飛鳥時代から奈良時代にかけての人物だ。




 竹取物語の成立は平安時代である。そのため飛鳥時代当時存在しなかった役職や役所が登場している。

 舞台は平安時代、登場人物が飛鳥時代、と非常に分かりにくい舞台設定の物語になっている。飛鳥時代の貴族は唐風の装束であるため、男子は縦長の烏帽子もかぶらず、女子も十二単は着ていない。

 
 『続日本紀』『公卿補任』によると藤原不比等には生母不明の娘が二人いるが、彼女たちの名前は割り出されている。


 四女の多比能(たびの)は橘諸兄(たちばなのもろえ)に嫁いだ。生母不明とするものの『公卿補任』によると県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)を母とする。しかし橘諸兄は、三千代と前夫との子であり、同母兄妹同士の結婚は大きな疑問が残る。なお正史である『続日本紀』には載っていない。

 五女は大伴古慈斐(おおとものこしび)に嫁いだとされる。『続日本紀』の大伴古慈斐薨伝に『贈太政大臣藤原朝臣不比等。以女妻之。(贈太政大臣藤原朝臣不比等、女を以て之に妻はす)』とあるのみで名前は記されていない。
 大伴古慈斐は讒言により一度は失脚するが最終的に従三位にまで上り詰める人物だ。さらに古慈斐は、五人の貴族の一人である大伴御行の従兄弟でもある祖父麿の子である。『贈太政大臣藤原朝臣不比等、女を以て之に妻はす』とあるので、不比等による政略結婚(当時の貴族社会において普通であるが)であるなら、生母不明の五女も母はそれなりの氏族出身だったのではないかと思われる。


 彼女たちの生年没年結婚年も分からないので、四女であるか五女であるか、あるいは三女であるかは夫の記述から予想するしかない。
 ただ角田文衞が『不比等の娘たち』の中で、四女の多比能を『続日本紀』に登場する女官である”藤原吉日”、五女も同様の女官である”藤原殿刀自”ではないか、と説を唱えている。






 















 

「……それはどこまで信用できるのですか」
 
 稗田阿求は筆を走らせつつ呟いた。
 心ここにあらず、という風だが書き物をしつつ違う内容の話をするくらいの能力は備えている。
 巫女のような赤い袴を履き、原色に近い緑と黄色の衣を着ており、唐風の麗人のようであった。
 青を基調とした服をまとい、青と白の大人しげに色調を整えている上白沢慧音には、薬草栽培の花園のように眩しかった。

「歴史に関して信用できるのか、と阿求殿に聞かれたら、私も何と返していいのか……」

 困ったように慧音は微笑んで座っていた。湯のみはもう空っぽで、汗が数滴垂れて落ちた。締め切った部屋の暑さのせい……である。

「あ、そこの小刀をとってください」

 阿求はわき目も振らず書き机のひとつを指差した。
 どうぞ、と慧音が渡すと見事な筆致で書かれた文字の部分に、刃をあてがった。

「手馴れておりますね」
「魂が覚えているのでしょう。だから身体にも染み付いている」

 彼女の魂の奥底に住まう稗田阿礼という人物は慧音も知っている。

 この国初めての歴史書『古事記』を編纂した人物であり、稗田家の選ばれた人間の身体に何代も転生して筆をとっている存在だ。

 古事記が書かれた頃、紙は高級品で生産には特に高度な技術を要した。そのため流通する紙は厚さがまちまちで、失敗した部分を小刀で削り取って上から書くことが可能だったのである。木簡も同様に小刀で訂正した。今も重要な記録を和紙に書きつけているに違いない。和紙の耐用年数は千年近い。

「寺子屋関係の要件ですか? 日本史の何かですか? それとも古文の練習? あるいは夏祭りの相談ですかね。ああ……博麗神社の出し物の話でしたっけ」

 仕事中に話を持ちかけたのが悪かった。機嫌が悪いという程ではないが、仕事の邪魔をしているのは事実だ。
 自分とて、満月の夜に両角を振り回し、まさに一心不乱に仕事をしている時に来客がきたらどうなるか分からない。

「前者なら話が早いです。慧音殿も不比等様の側にいましたよね? いましたか?  稗田の能力はあなたとは違いますからね。慧音殿に会った記憶は残念ながら残っていませんが…どうでした? その時の阿礼様の顔とか覚えてます?」」

「あの頃、私も若かったもので……」

 退散しようかと慧音は苦笑いを浮かべていたが、阿求は「ふう」と可愛らしい吐息を漏らした。
 阿礼は筆を置いて、こちらに向き直った。額には汗が滲んでいる。仕事がひと段落ついたようだ。

「―――作業はここまでにします。……紙に汗を垂らさないようにする技術も求聞持法にて受け継がれているのですよ」

 冗談を言うとニコと少女らしい笑みを浮かべた。慧音は口調だけで機嫌を推し量ってしまった自分を恥じた。

 邪魔にならないよう腕まくりしていた袖を下ろし、木綿の手ぬぐいで汗をぬぐった。

「お構いもできませんで……もう大丈夫ですよ」
「いやいや、いきなり押しかけたこちらが悪かったです」

 阿求は一呼吸懐かしそうに一人ごちた。

「で……あの時代ですね。私が実際に生きていたわけではありませんが、覚えていますよ。」

うーん、と言って腕を組んだ。幼い少女が胸を張っているようで、見ただけでは微笑ましい仕草である。

「慧音殿も私も全知全能じゃない。あなたは当然記録に残っていないことは知らないし、私だって見聞きしたもの、読んだもの以外は分かりません。増して私は転生の際に記憶が欠落することがある。」
 
 記録が少ないからといってその人の人生が矮小なものだったわけではない。
 思想や立場を異にする人間が記録を削ったり、自ら記録を残すまいと削った人物だっている。
 天災で失われることだってある。

 藤原不比等の墓は小さい。談山神社(奈良県桜井市多武峰)から少し離れたところに石塔がひとつあるだけである。
彼が歴史上果たした業績にしては小さい。


「おっす、慧音はいるかな?」


 そのとき開け放された障子の影から顔がひょこっと飛び出す。
 慧音の友人、藤原妹紅である。
 稗田家の家人に連れられてこの部屋に来ただろうから、慧音がいるのは確信しているはずだ。

 慧音と阿求が話していた人物と同姓の少女である。

「おや、どうも」

 阿求は会釈する。それだけの動作で後ろの禅籍や六国史の注釈など歴史書の山が崩れた。

「何の話をしてたの?」

 妹紅は無邪気な顔だった。

「妹紅と同じ苗字の政治家の話……かな」
「こんな文字だらけの部屋で、そんな堅苦しい話を… っていうかどれだけいるのかな、藤原姓の政治家は」
「膨大な量になるな。彼等の領地に住まう民が、血縁関係が無くともその姓を名乗ることも。そもそも……」
「……妹紅さんの用事は何なんですか?」

阿求が口を開く。慧音の話が長くなりそうだったからだ。

「いやぁ、別に大した用はないんだけど…… ああ、夏祭りの警備の担当はどうしようか、って退治屋さんたちと村人さんたちが」
「……そうか、その件もまだ片がついていなかったな」

 酔った人間と酔った妖怪が、人里離れた所で鉢合わせするなど想像しただけでも恐ろしい。

 妖怪たちと同じように、人里でも酒宴は結構な頻度で行われる。

 だが、夏祭りは一年に一度であり里の老若男女が参加する規模の大きいものだ。妖怪だって乱入したくなる。

 友人たる藤原妹紅もその警備には参加してくれると言う。
 不死者たる彼女は長い人生の中で妖怪撃退の技術を身に着けている。

 いつどこでその技術を身につけたのだろう。
 ただ慧音にとっては大切な友人であり、恐らく気の遠くなるような長い間、移り変わる日本の姿を見てきたのだろう。

 まだ日本が日本でなかった時代から、慧音や稗田家の祖たる阿礼は生きている。

 幻想郷とて日本。
 我々が住まうこの地に、かつてあの男がいたのは幻だったのではないか?
 ふとそう思う時がある。
 彼が幻であったらなら、今のこの国こそ夢うつつの国。
 自分と周囲の存在の不確かさ、破れば消える記録の脆さ、そんな現実を眩暈とともに実感してしまうことがある。

 一三〇〇年に及ぶ膨大な年月のせいだろうか。

 人とは違うシステムに生きる妖怪とは違い、歴史の神獣として人に近い場所に生きる慧音だからこそ、踏みしめることのできる時間の重さだ。

 幻想郷が隔離されてから何度目の夏だろうか。
 人間の少年なら、十回も夏を経験しないうちに、別人のように成長する。
 それでも慧音を囲う夏の空気は、木漏れ日の光条の鋭さは、何千年も変わらないだろうと思う。

 この国の、
 人と妖怪、人と神、国と国の境界が曖昧だった頃も同じ夏だった。

 阿求が人を呼び、三人分のお茶を求める。妹紅は何やら阿求と雑談をしている。
 彼女たちの声や、蝉の鳴き声が遠く感じる。もうすぐ日が落ちる。

 初めて藤原不比等と会ったのはいつだったか、慧音は思い出そうとしていた。



















 上白沢慧音と名乗る半獣の少女と会ったのはいつだったか、藤原不比等は思い出そうとした。
 兄、定慧(じょうえ)と生き別れて随分経っていない時だったように思う。

 当時、不比等は七歳であった。出家した兄は遣唐使として唐に渡り、修行と学問を終えて定慧禅師として六六五年に帰国した。
 不比等は定慧が入唐している時に生まれた子供だから、兄と弟は始めて顔を合わせたことになる。

 だが定慧は三ヶ月後に死亡する。
 わずか三ヶ月。血を分けた兄弟の触れ合いは今となっても記憶に残っている。

 定慧禅師は出家しているので落髪している。
 拈華微笑。微笑む定慧は、少年にとってはまさに仏の教えを顕現したような存在であった。

 だが無残にも死に至った兄を見て、不比等は「何が仏か」と吐き捨てるように幼い感情を荒ぶらせた。

 定慧の”慧”は”智”と共に、悟りに至る仏の知恵(智慧)を意味する。いわゆる般若である。

 兄は幸せだったのか。二十二歳の若き青年僧として、中臣鎌足の長男として、国の為にこれから働こうという時ではなかったのか。
『定慧伝』には百済人による毒殺ともとれる文章が載っている。

 若き彼の命を奪うとは……まさに神も仏もない。最新知識の教養として学ぶ仏典と、救いを与える宗教としての仏の教えが、この時不比等年の中で完全に断絶した。

 宗教というものを冷徹な視線で見るようになったのはこの頃だ。

 程なくして上白沢慧音と名乗る神獣に不比等は出会った――――父も健康を崩し始め、後に壬申の大乱へと繋がる政争の種火が燻りつつあった頃である。

「なぜ仏はこの世を救ってくれぬのか」

不比等は美しい神獣に尋ねた。

――――何故だと思う?

「人が争うてばかりおるからか? 仏も元は人ゆえに愛想を尽かしておるのか」

 少年を見下ろす彼女の目は優しかった。不比等は母の記憶が無かった。
 母も無く、兄も無く、姉たちは嫁ぎ、父鎌足は政庁に行って帰ってこない。
 孤独であった少年は、歴史の半獣に母の面影を重ねていたのかもしれない。

「慧音も兄上のように仏の智慧があるのだろう? 神も仏法もこの国を守護してくれないのか?」

――――私は釈尊ではないよ、不比等。仏の智慧とはそういうものではないのだ……

「………なら…どうすればいいのじゃ」

 不比等は俯いた。今まで読んできた経文は何だったのか。仏道修行に人生を費やした兄は何だったのか。


――――いつだって、人の世を乱すのは人なのだ。


 少年は何かに気づいたように頭を上げる。
 甘えの残った少年の目ではなかった。

 慈愛に溢れた瞳と交差する、少年の瞳の奥には小さく煌く光があった。
 それは朝日のように差し込む清冽な光でもあり、闇夜に轟々と燃え盛る火焔のようでもあった。

 ハクタクは徳のある王の前に現れる。


「のう、慧音。吾は作るぞ。人である吾が、人も獣も神も仏も争わぬ素晴らしき国を作る」


―――慧音は微笑んだ。

 それこそ人間を愛した神が子を産み、朝日の前に掲げて大地に喜びを喝采するような無上の笑みであった。


 この時の慧音の笑みを……彼が生涯忘れることがなかったら。
 藤原不比等はあのような道を歩くことはなかっただろう。
 
 恐らくその娘も。この国も。




















 大宝元年(西暦七〇一年)
 藤原不比等は百官を睥睨する政治家となった。
 年齢は四十を経て、口髭を蓄えた顔貌には支配者として上り詰めた男の気迫が漲っていた。


 
 言うまでもなく竹取物語において五人の貴公子の一人である車持皇子として登場する人物である。

 
 竹取物語の五人の公達が、
「石作皇子=多治比嶋」「車持皇子=藤原不比等」「右大臣阿倍御主人=阿倍御主人」「大納言大伴御行=大伴御行」「中納言石上麻呂=石上麻呂」という現在の定説は紀伊にいた加納諸平(かのうもろひら)という江戸時代の学者によって唱えられた。
 毒を飲まされ発狂し回復したものの急死してしまった人物だが、まず加納諸平が行った特定に納得せねばならない。

 実名で登場している人物は阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂の三人から考えると、他の二人も同時代に生きた貴族なのは間違いない。
 そこで歴代貴族の記録である『公卿補任』を開いてみると、大宝元年の条だけに彼ら三人と同じ名前を発見することができる。

 ここから一気に絞ることができる。実は『公卿補任』大宝元年に記されている貴族は九人しかいないのである。貴族というから一族郎党含めて沢山いるイメージがあるが、竹取物語には「公達(きんだち)」と記され、公卿(くぎょう)、議政官とも呼ばれる存在である。天皇に直接会うことができ、朝廷政治に関わることのできる一定以上の位(五位以上の位)の実力者が彼らなのである。

 不比等の人生を見てみると、彼の仕えた帝のほとんどが女帝である。日本史上八人いる女性天皇だが、そのうち四人がこの時代に集中している。あくまで竹取物語に登場する帝が男性であり、不比等らが公達の地位にいる時代、と仮定するなら、竹取物語は六九七~七〇七年の間即位している文武天皇の時代であると考えられる。

 ここでまた大宝元年の条に目を落としてみると「母車持国子君之女與志古娘也」と説明されている人物を発見することができる。車持国子の娘である車持與志古娘(よしこのいらつめ)が母である、という意味であるがこう記された人物こそ藤原不比等だ。車持一族は天皇の輿(人夫が担ぐ台)を製作管理しており、藤原不比等は彼らの血を引いていた。定慧も同じである。

 大宝元年(七〇一年)以前の公卿補任の記録を見てみても、車持と名のつく公卿はいない。
新しい貴族制度を含む”大宝律令”が施行されたのがこの年であり、『公卿補任』はこの年から詳細に記録されていく。

 そもそも大宝元年の条の上から五人の人間が、かの竹取物語の公達であり、筆者は実際かなり高い確率で『公卿補任』大宝元年の条を参考にしたであろう。

 不比等の父が、大化の改新で天智天皇(中大兄皇子)と共に活躍した中臣鎌足(藤原鎌足)であるの言うまでもない。
 鎌足は車持與志古娘の他に二人の妻がいた。その二人は鏡王女(かがみのおおきみ)と安見児(やすみこ)。

 両者とも元は、天智天皇の妻(後者は采女)であった。臣下に下賜するなど、余程鎌足は寵愛されていたに違いない。
 天智天皇の子を身ごもったまま(と思われる)鎌足の妻になった二人の女人が存在した。さらに『興福寺縁起』によると不比等は鏡王女の子である、とまで記されている。何と『多武峰縁起』には車持與志古娘も孝徳天皇の妻であり鎌足に下賜された、とある。


 不比等は貴種であるという噂は当時からあったのだろう。平安前期成立と考えられる竹取物語の作者はそういった事情から、藤原不比等を車持”皇子”としたのかもしれない。

 ここで皇胤か中臣氏の子かは敢えて論じないこととする。また不比等が噂を出世の道具とした、とも考えることができる。















 不比等が暑さに呻いているのは朝堂ではなく馬上であった。

 

 都は周囲を山で囲まれた地である。昼間は言うに及ばず暑い。ここ藤原京は七年前に遷都された新しい都だ。飛鳥の旧都に別れを告げ、未だ建築が続いている都城の全てが真新しかった。

 東三条にある私邸からもう随分と歩いたはずである。貴族が従者も連れず夜道を一人歩いているのは珍しい。
 飛鳥・奈良時代の貴人は馬をよく使った。ついでに言うとこの時代は女性でも馬に乗った。
 
 どちらにしろ危うい。筒状の袴に袍(ほう)の文官姿だった。
 不比等は帯剣している両刃の剣の柄を握った。夜盗に備えるためである。武人ではないがそれなりに覚えがある。山科で隠遁生活を送っていた時代、武芸も練習した。平安後期の優雅な貴族文化が花開く頃とは異なり、未だ貴人でも戦いのための武芸を学ばねばならない時代である。

 漏らした呻きは暑さのためであり、決して恐れや不安からくるものではないと自分でも分かっていた。


 この程度で恐れおののいている器では、魑魅魍魎の棲む朝廷で政治はできぬ。


 不比等は自らを律するように呟きながら馬をすすめた。
 嬉しいことに今夜は満月であり足元は明るい。何度も通うこの道も、明かりが違うだけで随分と見通しがいい。

(しかしここまで遅くなると……あの子は起きてはおらぬだろうな)

 脳裏に一人の小さな少女の微笑が浮かんだ。今になっては儚げな印象になっているが、白銀の髪を垂らした美しい神獣の少女の一瞬の笑みと何故か重なった。
 人懐っこさというか、人を無条件で愛する雰囲気というか、言葉にできないが何故か思い出したのだ。

目的地は都の外れにある小さな邸宅である。錠はかけられていない。
 事前に信頼の置ける舎人が、ここの家の者に今夜行くことを伝えていた。自分の体が通るくらいの幅を作る為、戸の軋む音を我慢しながら開けて、不比等は滑り込むようにして中に入った。母屋の方に入りいつもの場所へ向かう。

「……私だ」
「……………」

 夏の虫の声だけが響いた。馬に乗るのには体力を使う。首や背中を濡らした汗が冷めていくようだった。
 屋内と屋外では温度がかなり違った。淀んでいるが、中の空気は冷たいままだった。

「…………」
「………お待ちしておりました…」
「すまぬのう」

 艶やかでありどこか陰のある女の声。振り向いて不比等と視線が合うと恥ずかしそうに微笑んだ。

「三輪はよくできた女だな」

 不比等は灯りの近くに行き、三輪と呼んだ女の傍に寄った。二人とも灯りの近くにいるのでお互いの顔がよく見える。

「近こうございます…」

 それと見るより娘のお三輪口に云はねど赤らむ顔、といった感じで恥らっているのか消え入りそうな声で囁いた。

「どのくらい待っていたのか。松がもったいない」
「それ程長くはございませぬ……」

 当然照明器具は炎しかない。松が燃えやすく煙も少ないため用いられたが、基本的に夜は寝るための時間である。



 三輪との関係は極秘は公に存在していないことになっている。。
 初めて顔を見たのは、不比等の二人目の妻、賀茂比売(かもひめ:賀茂氏の娘という意味で名前ではない)の屋敷だった。
 三輪はそこに侍女として賀茂比売に仕える女だった。三輪は、三輪山のふもとにある杉酒屋の娘であり、貴族階級ではないが多少裕福な家の娘だった。賀茂氏は神官として朝廷に奉仕してきた古い豪族のひとつである。酒は神前に捧げられる品として重要だった。三輪の家が醸造した酒を通じて加茂氏との関係を築いていた。

 端的に言えば、不比等が妻の侍女に手をつけたのである。この時代は一夫多妻制である。藤原不比等は判明しているだけで四人のを娶るが、貴族の男性が家人の女性に手をつけることなど当たり前であった。
 妊娠しても、当然その子は跡継ぎとなることはできない。関係をもった侍女は腹が大きくなる前に金を包ませ「里に下がらせる」のだ。


 ところがこの事例は違った。


 不比等は伏目がちの恥ずかしげに顔を赤らめる三輪を、いつまでも忘れることができなかった。賀茂家に来客があったり、あるいは政談の場として、男性が四六時中出入りする場で、唯一男に馴れていない所作を見せる三輪に心奪われたのだった。
 
 不比等は、園原求女(そのはらもとめ)という偽名を使い、朝廷ではできぬ私的会合の場として三輪の家の近くに烏帽子折りの家屋を所有していた。
 そして会合の帰りに三輪と不比等は出会ってしまう。

 その後は多少強引な手を用いた。他の男性に手を付けられる前に私費を払って屋敷から下がらせ、通っているのである。邸も普段は、父鎌足の代から仕える間者(諜報員)である金輪今国(かなわのいまくに)と玄上利綱(げんじょうとしつな)を住まわせていた。連絡係も彼らに任せることがある。

 この時代、藤原不比等に限らず大豪族は兵法を学んだ渡来人や忍びの技術を持った人間を多く囲っていたようである。
 鎌足と天智天皇によって倒された蘇我本宗家隆盛の理由もそれだ。蘇我馬子と結び推古天皇とトロイカ体制を築いた厩戸皇子(聖徳太子)は、初めて忍者を使った政治家として有名だ。
 
 
 そして、それにもうひとつ。
 人の目を隠す理由のひとつに不比等の今の立場がある。。
『公卿補任』によると大宝元年(七〇一年)当時「大納言 正三位 藤原朝臣不比等(ふじわらのあそんふひと)」とある。
 正三位、大納言、朝臣、とか冠位や姓の説明はここでは省くが正三位の上は、正二位と従二位(一位は常置されない)であり、この時、藤原不比等は若くして政界で五本の指に入る実力者であった。朝鮮・唐国の事情にも通じ、頭も切れ、帝からの信任が厚い不比等にとって、醜聞のひとつが身を滅ぼすことになる。卑しい身分の女性に手をつけたことよりも、その女性に未だ執心しており、国の政治を担う立場でありながら夜道の危険も顧みず彼女の家まで通っていることは他貴族に糾弾される可能性がある。


 不比等は夜明け前には帰らねばならなかった。飛鳥時代の公務員の一日は夜明けと共に一日が始まり、日が沈む前に家に帰り寝床に着いたのである。しかし不比等くらいの地位の人間は、日が落ちても松明を焚き、さらに高級品である灯油の明りで会議に明け暮れることがあった。灯油は今の秋田県沖で発見されたという記述がある。
 多忙を極めるなか合間を縫って、不比等は三輪に会いに来ていた。

『懐風藻』には不比等が七夕に歌った、まるで織姫への恋の歌のような漢詩が残っている。
 女人を出世の道具にしか考えない男――という印象を持つ人間なら、その華麗にして儚げな詩は新鮮で衝撃的である。
 一年に一度しか会えないような……哀切な関係が実際にあったとしたら、記録の少ない彼に対する印象は大きく変わる。


「やや子はもう寝たか」

 不比等は寝転んだ。夜道の緊張をほぐし三輪の前で、体を投げ出すように横になった。

 帝の寵愛を受け部下に激を飛ばし政務についている男が、外では見せぬ姿がそこにあった。

「もう、やや子ではありませぬ」

 口元を隠すように笑いながら三輪が言った。

「子供はいつまで経っても赤ん坊のような気がするものでなぁ」

 長男武智麻呂(むちまろ)は今年で二十歳。出仕して日も浅く内舎人として仕事をこなす姿はまだ頼りない。

 不比等はそのことは言わなかった。女性の機微が分かり、女性を政争の手段として利用する能力も不比等には備わっていた。武智麻呂は正妻娼子(しょうし:蘇我連子の娘)の子であるが、通っている女の目の前で正妻の話をするほど鈍い人間ではない。

 それに不比等は自分が「大納言 正三位 藤原朝臣不比等」であることを三輪に伝えていない。
 ”園原求女”と名乗っただけだった。遊び人のような名前ではないか、と今でも不安だ。
 恐らく三輪の家は、烏帽子折か、中級官人とでも思っているであろう。

 醜聞を恐れて、というのもあるが今をときめく藤原家当主と杉酒屋の娘では身分が違いすぎる。
 三輪の家族や家人が怖れ敬って今の関係が壊れてしまうかもしれなかった。

(ただ三輪だけは変わらぬ、と信じたい)

 勘の良い三輪は自分が身分を偽っていることくらい気づいているかもしれない。
 例え自分が何者か分かったとしても、三輪だけは変わらずに自分に接していてもらいたい。
 体を投げ出し膝枕をしてもらおうとしている不比等の、政治家でないただ一人の男子としての願いであった。

「もう寝たか」
「ええ、もうこんな遅い時間でございますので……」

 ふむ、と少し気を落とすように首をすくめ三輪の膝上で目を閉じていたその時であった。
 ドタドタと板間を走る音が聞こえてきた。元気のよい足音だ。寝ている家の者にも構わず裸足で全速力で駆けてくる様子である。


「ねぇ!?」

 ばっと小さな少女が部屋に飛び込んできた。

「父様が来たの?」

「おう」

 三輪の顔を急かすような顔でまず見つめ、横になっている男の顔を見る。それを確認した瞬間、少女の顔には満面の笑みが広がった。
 不比等は上半身を起こし胡坐をかく。

「お前の父が珍しく来ておるぞ」

 座り直した不比等がその笑顔に応える。
 満面の笑み、の更に上をいく幼い少女しかできない極上の笑顔を浮かべると、廊下に響いた足音よりも早く不比等へ駆けていった。

「…おおっと…!」

 助走をつけた少女の小さい身体が、不比等へと吸い込まれるように突っ込んでいった。
 衝撃に耐えるように踏ん張ると少女の髪がふわっと広がった。美人の条件とされる直線に流れる美しい髪の毛である。

「しばらく見ないうちに大きくなったな…」
「先程と言ってることが違いますわ」
「ん、そうだったか。しかし三輪に似て美人だのう。いつの間にこんな美しい姫君になった、幾つになった?」
「分からぬ! いつも父様がいらっしゃらないから、生まれてすぐに数えるのも忘れてしもうたのじゃ」

 少女は史の腕の中でいたずら気に微笑み、呵々と笑いながら答えた。

「あら……ちゃんとお勉強してないのね? いけない子ですわ…」

 三輪が急に母親の顔と口調になり、不比等はそれがおかしかった。

「これからは学問の時代ぞ。文字も読めぬようでは話にならぬ」
「そういう時代なのでございますか」
「面倒だが必要なことなんだろう」

 さらっと言うが”そういう時代”へ向けて改革を推し進めている筆頭が藤原不比等である。

「だがそれは官人の場合じゃ。いずれこの姫君を貰うてくれる立派な婿殿の話じゃ」
「おや……そんなに早くこの子を嫁に出してしまいたいのですか」

 不比等ははっと気づいたような顔になり、情けないほど苦々しい表情を作った。

「うむ……まだまだ先で良かろう」

 三輪は笑みを堪えるように口元を押さえた。
 本当に肩を震わせ笑っている。
 不比等は先ほどとは別の意味で苦々しい表情を作った。顔が多少赤くなっている。


「ねぇ、父様。今日も明日もいらっしゃいますか」

 
 娘は一時も離れまい、と肩に腰に抱きつきながらはしゃいでいた。
 がたん、がたん、と板敷きが鳴り、甲高いほどの声が響いた。
 胸にかじりついてくるなら髪を優しく撫で、後ろから覆いかぶさってくるなら、背負うようにして立ち回った。
 目を覚ました家人も顔がほころぶような光景だった。

 ”隠された存在”の家庭でも人並みの幸せがあったのである。
 


 
 入ってきた戸の間から満月が見える。はしゃぎ疲れた娘は三輪の膝の上で寝息を立てていた。

 不比等は思う。

 この無垢な少女にとって世界は、現実は穢れすぎている。親族親兄弟が裏切り裏切られ、血で血を洗う抗争を倭国は続けてきた。
 
 穢土と呼ばれても仕方ないのかもしれぬ。妻や子弟を道具として利用することすら厭わぬ世界である。妻とて夫を利用するのである。
 不比等は自らの内に流れる政治家としての才能、血脈を無視することができなかった。
 穢土に染み込んだ汚泥を食らい、権力を掴み他者を蹴落とした。
 覇者として君臨する麻薬のような悦楽を得た時、ぼうと思い浮かぶのは少年の時にあった神獣である。
 それでも血なまぐさい政界を刷新するのも自らの役割であると信じ、出世の階段を駆け上ってきた。殺らねば殺られる闘争であった。
 

 ―――ただ。
 ただ願わくばこの娘だけは。

 鉄火が走り、鮮血の臭いが充満する世界を知らないままでいて欲しい。
 何も知らない、ただ今夜のような満月を見て微笑む無垢な子でいて欲しい。
 もしこの子が、
 もしこの可愛らしい娘が、血を浴び炎で身を焼くようなことがあったのなら
 
 その時こそ人間としての藤原不比等は終わるに違いない。

 権力のたぎるような熱い愉悦から覚めて、ひとりの人間としての暖かさを噛み締めることができるのは娘のおかげだ。
 山科の野で神獣と遊んだ清々しい少年時代が思い出すことができた。

 もし、自分が権力の愉悦に支配された中毒者になってしまうなら―――

 それは……あり得る悲劇だ。英雄譚でありながら、悲しい悲しい哀れな男の物語である。

 
 都の中心部にある宮城。この時の大納言藤原朝臣不比等は誰よりも孤独だった。
 後に妹紅と呼ばれるこの娘と、少年の日の思い出が、彼の精神を此岸に繋ぎ止める一本の鎖だった。







二 
 

 慧音が初めて藤原不比等を見たとき、彼はまだ少年であった。

 定慧の死よりさらに四年後、父鎌足も永逝する。
 不比等には異母の姉妹が四人いたものの既に二人は天皇(天武帝)に嫁いでる。一人は同族の中臣意美麻呂、もう一人は天智帝の息子で壬申の乱で敗将になった大友皇子に嫁いでいる。勘が良いのか両陣営に娘を嫁がせるという対策を講じていた。
 
 鎌足は、不比等が幼いころより山科にある田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)の邸に預け、学問は四書五経に至るまで英才教育を受けさせる。

 刑部省の判事として裁判を司り、大宝律令という法系を整備した不比等であるが、法知識の基礎は既にこの頃にできていただろう。
『大職冠伝』の「公、避く所あり。すなわち山科の田辺史大隅らの家に養ふ。」の「避く所」とは何なのか想像する他ないが、すでに鎌足は壬申の乱が起きることを予感して不比等を巻き込ませまい、としたのではないだろうか。

 
 



















 寺子屋の教壇に慧音は立っていた。

 傍らには稗田阿求から借りてきた書物が置いてあった。
 自宅にある資料も横にそびえているが、そちらは全て賢人の脳に刻まれている。
 簡単な年表を黒板に書き写し、生徒たちの方に向き直るといずれの生徒もきちんと座り、慧音の説明に耳を傾けようとしていた。
 蝉の鳴き声が授業妨害の如く響いているがそんなことは言ってられない。
 勉学を何よりも尊いものと信仰してしまう慧音は、若者が学び舎に集うこの場を聖域とすら考えていた。
 それゆえ堅苦しい性格なども呼ばれるが、誰かが暇つぶしゆえに訪ねてこようものなら、秒単位で撃退するくらいの気概であった。

 と、後ろの席で何やら悪ふざけをしてる生徒がいたので、慧音は白墨を棒手裏剣のように投擲した。
 石灰が砕け散り、短い悲鳴と漏れるような笑い声がしてすぐに静かになる。

「頭突きはこれの何倍も痛いので各々覚悟しておくように」

 涼しい笑みで全生徒を見回す。慧音も深呼吸をした。

 この項に入るとき、いつも言い様のない緊張感が身体を走る。
 すぐに乾くような小さな汗がにじみ出る。
 授業では決して言わない。あの男の登場を境に確実に歴史は変化した。
 そしてかの男と同時に一人の不死の少女が頭に強烈に浮ぶのである。

 しかも……今期の夏祭りでは博麗神社では”ある催し物”を行う。結局聞きそびれたが、確か演目は――――

 慧音は感情の奔流を追いやり教科書に目を落とす。
 里の子供の年の上から下に至るまで引き受けているが、真面目な生徒もいれば不真面目な生徒もいる。生徒たちは大人しく教科書のページを開いた。
 明治時代の文部省刊行の教科書を、慧音が編集しなおしたものである。

「よろしいかな? 今日は壬申の乱について扱う」

 慧音は咳払いをした。

「……では昨日の続きから読んでみよう……えーと『第四十代、弘文天皇ハ天智天皇ノ子ナリ。大津宮ニ即位ス。尋テ(ついて)大海人(おおあま)の皇子、兵ヲ挙ク。天皇コレヲ征シテ克タス。近江ノ国、長等ノ山前(やまさき)ニ崩ズ。コレヲ壬申ノ乱トイフ。大海人京ニ入リ先帝ノ親臣数人ヲ斬リ其余ハ悉ク(ことごとく)措テ(おきて)問ハズ、乃チ(すなわち)位ニ即ク、之ヲ天武帝トナス』」

 明治時代には壬申の乱の扱いについて論議が巻き起こり教科書の記述も気が使われた。
 ちなみに上の文章は小学生用であり、当時の子供たちはこれを振り仮名ナシで朗読したとは驚嘆してしまう。

「大化の改新は覚えているな。天智天皇、当時は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足が組んで蘇我入鹿を殺し、その後この二人で戸籍を作ったり律令を作ろうとしたのだ。中大兄皇子は天智天皇として即位し鎌足と一緒に改革を進めていった」

 この事件がどのくらい衝撃的か現代に例えると、赤坂の迎賓館で皇族や天皇が外国使節をもてなしている前で、挨拶していた総理大臣が皇太子と野党の若手議員に刺し殺されて、そのまま彼等が政権を奪取したくらいの大政変である。
 鎌足の影に不比等が隠れてしまう教科書だってある。

「天智大帝と鎌足の死後に起きる壬申の乱は古代最大の内乱と呼ばれる。
 つまり皇族と豪族が、天智天皇の跡目争いで真っ二つに別れたんだな。バックには、唐、新羅、高句麗の思惑もあっただろう。天智天皇の息子である大友皇子VS天智天皇の弟である天武天皇、つまり大海人皇子(おおあまのおうじ)の戦いだ。……激戦の末、不破の関に陣を張った大海人皇子は勝利した」

 不破の関――後に関ヶ原として、天下を二分した戦いの舞台として、再び歴史に現れる場所である。
老齢にて心の弱くなった王が、力を備えた弟より若い息子を可愛がり、王の死後継承権争いが発生するのは、程度の差はあれ古今東西同じらしい。

 大友皇子側は父の天智天皇の代に近江(滋賀県)に遷都したため、近江朝と呼ばれる。疎まれた天武天皇(大海人皇子)が都を出て東国の豪族を味方に付けて近江朝に雪崩れ込む。
 東と西の分かれ目は何時の時代においても戦場となる。

「さて、大海人皇子軍の勢力は……」

 慧音は行軍図や勢力、将軍の名を書き加えながら説明を続けた。
 三国志や戦記ものが好きな男の子は目を輝かせながら聞いていた。

『日本書紀』には講談のような調子で描写されている場面がある。これも勝者の記述であり日本書紀を編纂したのは舎人親王、天武帝の息子である。

 手塚治虫の漫画『火の鳥』太陽編は壬申の乱前後を描いた作品である。
 ここで面白いのが壬申の乱を「大友皇子」対「大海人皇子」を「仏教勢力」対「産土神、鬼、天狗、妖怪など土着の勢力」として描いていることである。実際、大海人皇子が仏教を軽んじたわけではないし、戦後支配の過程でそのまま土着神を認めたわけではない。東国の豪族を味方に付け、神祇に祈った記述と重ねたのだろう。また近江朝は親百済であり仏教勢力の影響が強かった事実も関係あると思われる。天智帝の方が、仏教に熱心だったのは確かだ。
 『日本書紀』の記述に従って精緻かつユーモラスに戦いの経過が描かれているが、クローズアップされるのは、白村江の戦いで日本に流れ着いた百済の敗残兵の主人公が、狼の顔となり異界と交わる能力を持ち、産土神の勢力側となって仏教勢力と戦う様子である。

 政治と宗教が結びついたことにより発生する残忍性を”火の鳥”は語るのだが―――

 慧音は一息ついた。
 ここまでは記録のとおりに説明しているだけだ。
 胸にちくりと刺さるものがあった。その正体は分かる。今となってはどうしようもない、小さな小さな出来事だ。
 当然、慧音はこの乱が行われた時代も生きていた。
 ハクタクは徳のある王の前に現れる。ハクタクの能力を授かった少女は本能に惹かれるように各地を転々とした。
 その時会った少年が、まさか文武百官を従える為政者に成長するとは慧音は想像することができなかった。

 大乱を経て、政界に登場した不比等は頭角を現し始める。
 彼の瞳に見た炎は、慧音の予想より高く燃え上がった。
 兄の死や世界への不安から点火された小さな種火であったが、不比等の境遇はさらに大きく変わった。
敗残政権の残滓に過ぎぬ無力な存在に堕ちた少年に灯る炎は、夜空を焼く業火となったのである。



「最初の藤原氏……藤原不比等だな。鎌足の子供の」


 感覚が鋭敏になっているような錯覚に襲われる。目の前の生徒を見ているが、声しか聞こえない。
 記録の集積。集積をただ次の世代へと伝える作業。いつも教壇に立つときの身が引き締まるような崇高な使命感は姿を消していた。
 授業の進行は身体が覚えている。勝手に口や体は動いていく。
 暑さも何もかも忘れて、ただ空虚に立ち尽くす自分と、その自分すら消え去ろうとするような……蝉の声が大きくなっていくような気がした。


 彼が存在した記録は小さく残っている。
 私と彼が生きた時代は確かに存在した。
 けれど、私は彼の何を知っていたというのだろう。
 
 生き馬の目を抜く政治の世界の裏で、
 華々しく活躍する一族の当主という顔の裏で、
 ただ一人孤独と戦っていたあの男の、
 私は何を知っていたというのだろう。


 ―――数匹の蝉が大きく鳴き始めた。瞬く間に大合唱が真夏の空に響く。

 ちょうど昼休みが始まる時刻。夏の教室の授業が終わった。
 
 慧音はうつむき、教科書に踊る字を睨み続けていた。


















 竹林に囲まれた屋敷を月が照らしていた。
 屋敷から一人の娘が顔を出した。月明かりが眩しいほどに降り注いでいる。顔だけでなく身体全体を月光に晒した。
 今すぐ衣を脱ぎたかった。裸身で月光を浴びたい気分にすらなる。
 青白い光明が全身を穿ち、穢土の食物で穢れた内臓まで潔斎されていくような心地よさであろう。

 思った程地上も悪くない、そう感じたのは事実だ。養父母も悪い人ではないし、暮らしも不自由はしていない。
 ここは罪人の流刑地だったはずだ。穢れでまみれた賎しい場所なのである。
 だが食べ物も不味くはないし、世話をするために侍る女たちの郷里での苦労話も面白かった。
 日に日に増える男たちの文を読むのも良い退屈しのぎになる。

 このままではおられまい、あるいは、このままで良いのか。娘は自問した。

 一縷の歪みもなく直線に流れる黒髪は、この世にあらざる神秘性を醸し出していた。

 好奇心ゆえにこのような境遇に身を落としているが、好奇心がまた疼きだしたと言ってもよい。
 何か起きるのではないか、あるいは、何か起こしてやろう。
 布石はもう打ってある。運も追い風に変わった。

 さて、この穢土の者はどう動くのか。
 
 ………娘の高貴な微笑みは表情に出ることはなかった。


















※ ※ ※ ※ ※
 
 不比等が讃岐造とかぐや姫の噂を聞いたのは前年のことだった。

 その頃も律令の編纂で多忙を極めていた。
「さかきのみやつこ」なのか「さぬきのみやつこ」なのか別れたが、「さかき」なら神社に奉仕する神官の関係者だ。「みやつこ」は地方を治める役職である。「さぬき」なら四国讃岐の地方官ということになる。「みやつこまろ」と名前のように出ているので、単に個人の名前の可能性もある。

 噂によると地方官でも神官でもない竹細工を作って生計を立てていた老人が、ある日小さな子供を竹の中から発見したそうだ。
 妻の媼と共に養育して、その子供は瞬く間に美しい娘に育ち、讃岐造が竹から黄金まで発見するようになった。讃岐造は金持ちになったそうである。
 
 藤原不比等は古事記・大宝律令編纂の命の外に、風土記といって全国各地の旧聞や記録、産物の情報を収集して編纂する仕事にも関わっていたとされる。
 集まってくる各地の情報は膨大なものになっていた。

 風土記は日本という国家を把握し、歴史を編纂するために必要な作業だったのである。
 今でこそルートディレクトリに「日本政府」が存在して、都道府県の自治体、市町村の自治体へとツリーが分散していくわけだが、飛鳥時代はまだ日本はひとつの国として統一されてはいなかった。関東、東北、九州の南部には朝廷に服従しない集団がおり、蝦夷、土蜘蛛、隼人などと呼ばれ「穢れたもの」として扱われ服従を迫られた。

 国家の歴史書や風土記を完成させる、ということは彼らを朝廷支配のシステムに組み込むことと同義だったのである。
 諏訪地方。かつてその支配のために、この地で朝廷勢力と土着勢力が大きな戦を繰り広げたのは周知の事実であろう。
 



「かぐや姫と言ったはずだ」

 不比等は官庁の奥にある薄暗い一室に座っていた。図書寮の部屋なのか、文物に囲まれ黴くさい。
 当時高級品である紙や、遣唐使により日本にもたらされた文物、地方から収められた木簡・竹簡が積み上げられている。

 締め切った部屋で灯が焚かれ、薬草を燃やしたような幻惑的な抹香の臭いが充満していた。
 汗が吹き出る。外の暑さとは違う熱気がこの部屋を支配していた。

 それでも国政を司る者としての眼光は鋭く、何者にも付け入る隙を与えなかった。内縁の女の邸では見られなかった、名実ともに権力を握った者が持つ力強い英姿である。

「……はい、近頃噂に聞く姫でございますね」
「そなたなら覚えておろう」

 薄暗闇の向こうから息も絶え絶えな声が漏れた。艶っぽい女性の声である。
 灯りは小さいが彼女の状態を伺うことができた。玉のような汗が衣を濡らし、長い前髪が額に張り付いていた。
 熟年だろうが肌には艶があり上気した頬には、まだ若い活力が残っていた。
 袴は巫女のような赤色だが衣は緑や黄と原色に近い染料で染めており、宮門のような色合いである。

「神と交わっておりました」

 巫女は神前で舞う。それは八百万の神と交信する技能を持つ巫女にしかできないことであった。

 名を稗田阿礼といった。

 天武天皇に命じられ『帝記』『旧辞』の暗誦を始めたのが二十八歳。天武天皇の在位期間から考えると、最低四十三歳、最高で五十八歳と考えられる。
 古事記の編集者として名を残しているが、実際性別すら分かっていない。天武の即位中二十八から作業をはじめ、七〇一年に不比等と共に大宝律令の施行を見て、七二一年の完成まで関わっていたとすると、なかなかの長命である。
 
「語り部の巫女ではないか」と『遠野物語』を著した民俗学の父、柳田國男は、江戸時代の国学者平田篤胤と幕末明治の国学者井上頼圀の説を検証するようにを論を唱えている。

『日本書紀』に

「時皇孫勅天鈿女命。汝宜以所顯神名爲姓氏焉。因賜猿女君之號。故猿女君等男女、皆呼爲君此其縁也。(皇孫天鈿女命に、汝よろしく顕すところの神の名をおって姓氏となすべしと勅したまい、よりて猿女君の号を賜う。ゆえに猿女君等、男女皆君となすなこの縁なり)」

―――という記述がある。

猿女君は岩戸の前で全裸で女陰を露にして踊り狂った天鈿女命(あまのうずめのみこと)を祖神とする一族で、天孫降臨の際に道案内をかってでた猿田彦と一緒になる。猿田彦は高い鼻を持つ異形の神ゆえに天狗との関係も指摘されている。その子孫が猿女君(つまり猿田彦の女)一族である。

 
 『日本書紀』の注釈書である『日本書紀私記』の中の甲本が『弘仁私記』と呼ばれ、『姓稗田,名阿禮,年廿八,天鈿女命之後也』と書かれている。
 平田篤胤は『古史微開題記』にて稗田阿礼が猿女君と同族であること、女性であること、を述べる。


 猿女君氏と稗田氏が同族である、という主張の補強に『西宮記』の裏書の「縫殿寮(女官の人事や縫物を司る役所)の○田(草冠に稗)氏の女性二名が死んだので替りが必要になった。そこで大和の猿女君の三人が召された」という記述が引用される。柳田は「すなわち大和北部の稗田村が、彼等の本居であったろうと推測する根拠である」と結論づける。

 そんな稗田氏の阿礼が、なぜ「人となり聡明にして目に度れば(わたれば)口に誦し、耳に払れば(ふるれば)心に勒す(しるす)」ことができる人物として天皇家の記録の暗誦を命じられたのか。

 そこで巫女の舞いが重要になってくる。天鈿女命は舞踊の神でもある。ここで巫女の舞いをただの芸能としてしまうの間違いだ。
 芸能とは何か。演劇や歌謡だ。
 過去の事件や脚本に書かれたことを役者が歌と踊りで演じるのである。役者として演者として、神の役なら彼女たちは神と一体化した、つまり、この国の過去の事件を、歌舞で継承し続ける仕事が、稗田家(猿女君家)の巫女の努めだったのである。日本人はかつて文字を持たない民族だったことを思い出してみる。記録媒体としての漢字が輸入されるまで、いや、された後もこの巫女集団は歌舞で太古の歴史を伝え続けてきたのではないか。

 単に暗誦するより拍子をつけて身体全体で覚えたほうが記憶の定着はよい。アジアでは各地でそうした語り部の存在が確認できる。それを正確に子孫に脈々と伝えていく技術をもった集団がいたのだろう。

 巫女は処女を守ることによって神性を得る。なので「巫女の家系」という言葉を本居宣長は疑ったが、巫女の家系は弟の長女に代々伝えていったとされる。おば・めい相続と呼ばれる家督相続方法だ。天照大御神や卑弥呼など女性の支配者に印象的な弟がいたことも興味深い事実である。

 柳田國男の『妹の力』には日本の歴史における女性の活躍、役割について書かれている。

 そして稗田阿礼の項は「朝廷においてははやく衰微した芸術が、野にあっては行く行く広漠の沃土を耕しつつ、ついに今日の花盛りを見るに至ったのも、主としては埋もれたる猿女君氏の力であった。多くの新婦人たちが自ら認めているように、女性はこの邦の過去文化に対して、しかく没交渉なるものではなかったのである」と結ばれている。


 上のように稗田阿礼を暗誦の巫女のような性格を持つ女性、と具体的に語ったのは、柳田國男であるが、
 「女性の官人(舎人とほぼ同義)」であり「天鈿女命の子孫たる猿女君と同族であった」という主張は、『弘仁私記』と『西宮記』の裏書を根拠とした、平田篤胤の『古史微開題記』、井上頼圀の『古事記考』、柳田國男の『妹の力』と共に一貫している。
 
 女性説について柳田は「まだあの時代は男女を通じて、低い身分の宮中の官員を、トネリと呼ぶ習わしがあったのだから差支えがない」と述べる。
 平田篤胤も「阿禮は真に天宇受賣命の裔にて女舎人なると所想えたり。其は、舎人は祝詞に刀禰男女などを有て、男のみならず女にもいふ名にて、上中下に亘りて、公に仕奉る者の総名なればなり」と述べる。
 
 天鈿女命の子孫である、女性である、という説は各時代の学者によって唱えられていたようである。
 

 
 
 さて話題を戻す。

 阿礼は今後、歌舞の継承でなく、特殊な方法を用いて選ばれた子孫にのみ記憶と記録を継承する、ということを既に不比等に述べていた。
 百年ごとくらいに現れる継承を許される子は、代償として三十年前後しか世に留まれないことも伝えた。

 我が国のために都合の良い歴史書であればよい、不比等はそう考えている。実際、古事記がいつの時点でどこまで流布していたのかという疑問は大きい。
 原本である阿礼の記憶が外に漏れる機会は少ないほど歓迎できる。 

 舞によって神代の記録を引き出した阿礼は疲労していた。
 襟を整えつつ阿礼は応対する。
 
 火を燃やし、時には幻惑作用のある薬草を焚き、時には楽器を使ったリズムを使って段々とトランス状態に入っていく。
 神と交わり全身を神に捧げた後は失神し、衣服も乱れてしまうことがある。
 求聞持法は雑密の呪法である。
”虚空菩薩求聞持法”という名前こそ空海の時代を待たねばならないが、雑密の呪術的な儀式と原始シャーマニズムに見られる舞踊儀式は、神や仏との一体化という面でも似た性格を持っている。(性交による仏との一体化、仏凡一如を目指した真言宗立川流などの後期密教とは明確に区別される)

「……第十一代目にあたる垂仁天皇の妃に迦具夜比売(かぐやひめ)なる人物がおります」
「讃岐造の名は記憶にあるか」
「天孫の系譜でございますならば…」
 
 阿礼は前置きをした。

「迦具夜比売様の父君に大筒木垂根王(おおつつきのたりねおう)と申す方がいらっしゃいます。その弟に讃岐垂根王(さぬきのたりねおう)という方がいらっしゃいます」
「それは随分と昔のことではないか」

 ならば今回の噂とは関係ないか、不比等はそう思ったが、どこか作為的な匂いを感じていた。なぜ噂の人物らは皇族の名前を用いているのか。
 第一、竹細工で生計を立てているような人間が、何百年前に登場する皇族の名前を知っているのか。偶然では説明のつかない事実ではないか。
 
 不比等は晴れぬ疑問を抱えたまま、部屋を後にしようとする。阿礼は疲労困憊で腰が立たなかった。

 それでも稗田阿礼は多忙の不比等を心配した。

「貴方は日の本の国のためには無くてはならないお方です。ご自愛なされませ」

 うむと不比等は頷き立ち去って行った。

 稗田阿礼も筆録者の太安万侶がいないため今日はもう仕事はしないはずだ。身体も動かない。
 しかしまだ不比等の政務は残っている。
 







 大宝元年(七〇一年)六月。
 太陽が藤原京大極殿の瓦を焼き付けるある日のことである。

 不比等の耳にひとつの新しい情報が飛び込んできた。
 前年どことなく感じた不安を払拭するべく間者を放ち、件の人物を探っていたのだが、噂以上の情報が手に入らず、夏の暑さや律令の編纂などにばかり気をとられていた頃だった。

 耳に入ってきたのは「かぐや姫」の名付け親の情報。
 三室戸の忌部秋田(いんべのあきた)という男だ。

「忌部か」

 三室戸というと京都の宇治の辺りである。
 忌部は後に斎部とも名乗るが、彼らも神事に奉仕する職業集団の一族である。
 不比等も藤原不比等の前は中臣史(なかとみのふひと)であり、中臣家も神祇を司り占いを行い、神と人とを繋ぐ神託を聞くことにより活躍していた一族だ。忌部氏は祭具の製造などを行う。

 中臣家と忌部家は協力して神事を行ってきた関係である。今上帝(文武天皇)の祖母、持統天皇が即位した際にも忌部家の色夫知(しこぶち)が剣と鏡を奏上し、中臣家の大嶋(おおしま:不比等の又従兄弟)が天神寿詞を読んだ。

 忌部氏は讃岐を始め各地に勢力を持つ氏族だった。一族にアキタという者はいないだろうか。色夫知に問えば何か分かるのはないか。
 色夫知は正五位上、不比等より下位だが貴族の一員であり壬申の乱で活躍した勇壮な人物だった。
 





 ところが予想だにしないことが起きる。
 突如、忌部色夫知が死亡した。大宝元年(七〇一年)六月二日のことだった。生年月日は記録にないが壬申の乱の功労者と考えると老齢である。
 
『正五位上忌部宿祢色布知卒。詔贈從四位上。以壬申年功也。始補内舍人九十人。於太政官列見。』

 『続日本紀』の巻二、大宝元年六月癸夘の条にはこう記されている。
 壬申の乱の功労者として従四位上へ特進が申し渡された。



 下級官人の内舍人九十人が同日新しく出仕することになり、太政官(公卿)らはその式典に出席した。

 同じ色の官服が綺麗に並んでいる。有名氏族出身の若者が整列している。この中から将来この国を担う俊英が出てくるのだろう。
 ――不比等の官僚として出発点もここであった。

 参列しているのは公卿全員。
 左大臣・多治比嶋(たじひのしま)、右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)、大納言・石上麻呂(いそのかみまろ)そして大納言藤原不比等である。紀麿(きのまろ)、高市麿(たけちのまろ)、大伴安麿(おおとものやすまろ)も加え式典は進められた。麿は麻呂とも書き、男性によくつけられた名前である。後に一人称になる。

 公卿たちは、同僚の死に多少動揺していた。
 不比等は言葉すると消えてしまいそうな薄い靄のような闇が、頭の中に絶えず渦巻いているのを感じていた。
 色夫知の遺族の、死を悔やむ慟哭がまだ脳内に響いている。

 不比等は中臣家の御曹司として、一族に伝わる神祇の術はすでに体得している。。
 国家鎮護のための新しい呪術体系として奇門遁甲や道教、仏教も研究している。律令制に陰陽道という形でそれらは組み込まれることになる。
 
 が、呪術は生者を助くものであって、死者の前で読みあげる祝詞は残された遺族の為のものではないか。

 あの日無残に死んだ兄や、幼い自分を残して逝った父が祝詞によって復活することはない。
 経を読んだところで、それは死後の幸福を祈るためのもので、反魂の術ではない。
 人間はいつか死ぬ。

 ――――死なない人間など化け物だ。

 祝詞も儀式も生きている人間のためにあるのだ。

 有限の生があるから、人は神や仏を「利用する」のだ。
 
 壬申の大乱に参加せず、あくまで傍観者であったゆえの冷静な現世感でもあり、兄や父の死において悟った事実でもある。
 

 敵兵を討った猛将も、年をとるにつれて気弱になり神仏にすがる。
 彼等を内乱時代の老害として冷徹な目で見つめていた。


「……次々と公卿が死んでいくようじゃ」


 公卿のうち石上麻呂が口を開いた。読み上げられる式典の挨拶に隠れるように反応した。
 この時、石上麻呂(いそのかみまろ)は六十一歳である。しかし彼は壬申の乱で天武側でなく大友皇子側についていた人間で、天武系の現王朝(現帝は天武の孫)では異例の出世を遂げている。三十代後半には朝鮮半島の南東部、新羅に渡るなど異色の経歴の持ち主である。大友皇子の自決の場にまで立ち会ったと言われ、天武側に通じていたのでは、とまで言われる。

「盟友戦友怨敵仇敵が死にゆくたびに、次は吾かと思っていたものだが結局しぶとく残っておる」

 不敵な笑みで冗談を言うと、不比等の方を向いた。

 功労者で固められた参列者の中で、乱に参加していない不比等と天武側でない石上麻呂には通じる何かがあった。
後に不比等の三男、宇合(うまかい)と石上麻呂の娘が結婚して二子を儲けることになる。

「帝もまだ若い。律令だ何だと年寄りの我らには付いてはいけんのじゃ……これからは若い者の時代ぞ。大納言」
「は……」

 不比等は頭を下げた。

「今年の正月に大伴大納言……右大臣も逝ったな」

 竹取物語の公達の一人である―――大伴御行は大納言であったが死後右大臣の位が贈られた。正月十五日己丑に薨じた記事があり、藤原不比等本人が死を惜しんだ天皇いより邸に遣わされ右大臣の位を追贈する役目を果たした。

 参列している大伴安麿(おおとものやすまろ)は彼の弟である。大伴御行の死後、大貴族大伴家の当主として忠勤に励んでいた。
大伴家も藤原家の台頭によって没落していくことになる。淳和天皇の時代、「大」の文字を外し伴氏になる。淳和天皇というと水江浦嶋子が地上に帰還した頃だ。御行より四代下った伴善男は罪を擦り付けられ完全に失脚する。不比等の五代孫、藤原良房の陰謀であった。

「惜しい方を亡くしたものでございます」
「五〇を超えていたからの。おかしくない年齢じゃ」

 そうは言えども石上麻呂は六十一歳。阿部御主人は六十六歳、多治比嶋などは七十七歳である。貴族は摂れる栄養が庶民とは大いに異なる。それでも六〇、七〇を超えることは珍しかった。

 不比等は四〇を越えたばかり。
 公卿の中ではひときわ若身だった。
きりりとした長身は老臣の中から頭ひとつ出て、彫りの深い顔立ちは乱れず、ただ石上麻呂の言葉に耳を傾けていた。

「天武の帝側でなかった吾が言うのも何だが……大伴御行殿こそ武勇誉れ高い大将軍だった。
 武人貴族としてあれほど皇室に尽くした男もおるまい。彼を失ったのは本邦にとって大きな損失ではないか」

 はい、と答えたいところだが、これからは軍備のあり方も改革されていく。大伴氏は領地に鍛えられた練兵を持ち、帝に仕えてきた軍事氏族だった。
 律令が施行されると、土地や人民は皆国家の所有となる。人民は兵役を負い、一氏族だけが軍備を独占している時代と決別しようとしていた。

「藤原大納言殿。―――その大伴大納言のことだが」
「……何でございましょう」

 石上麻呂の口調が急に落ち着いたものになる。誰かに聞かれるのが憚られる内容なのだろうか。
 皺がれた声が低くなり、近くの者しか聞き取れない音量と声色になった。まるで斥候の報告である。





「龍の首の玉、というのを知っておるか」




 薄靄の中で、ことん、と何かが落ちるような鳴ったような弱音が聞こえたような気がした。

「―――いえ、真に存在する物品でござりまするか。名を聞く限り唐か天竺かの名宝のように思えますが」

 不比等は戸惑いながら正直な感想を漏らした。

「これから先のことは他言無用と思うて欲しい」

 不比等は頷き肯定を示すと、石上麻呂は顔を近づけた。
 やはり密事であった。

「その宝を大伴大納言は探し求めていたらしい、ということじゃ」
「ほう」
「配下を方々に散らせモノを求めたが、ついに見つからず自ら難波の港までいったという」
「初耳でございますな」
「無理が祟ったのか…あの様じゃ。しかも逝く直前の姿だが……」
「……はい」
「眼球は李(すもも)のように腫れ、腹は膨れ上がっていたという」

 皺が刻まれた口元が苦々しげに歪む。
 不比等は音がしないよう唾液を飲み込んだ。忠孝の大貴族、大伴御行の死姿にしては無残である。

「……何故その”龍の首の玉”やらを求めたのでございますか」


「――――かぐや姫という女人を知っているかの」


 何故ここでその女の名前が出てくるのか。讃岐造、忌部秋田……最近聞いた名前を反芻した。

「巷で噂にある美女……ということは知っておりまする」
「やはりそうか。吾も風の便りでその面妖な女の話を聞いたことがある」

 石川麻呂は一呼吸置いた。

「そのかぐや姫とやらを大伴大納言は邸に召し上げようとしたそうじゃ。噂の美姫というのを見たくなったんじゃろう。
 しかし、先方は固辞した。あれやこれや宝物を贈ってみるがまったく振り向く気配がない。夫人の身分を与える、とまで言ったらしいな。
 だが…何とそればかりか、要求を呑んでくれたら会う、などとその女は条件まで出してきた」
「それが”龍の首の玉”を持ってこい……ですか」
「さすが藤原大納言、内大臣(うちつおおおみ:鎌足のこと)の如く頭の回転が速い」

 成長した若者を見るように石上麻呂はいきなり柔和な表情になる。存外、その噂を信じていないのかもしれない。

「どちらにしても、ここまで噂が脚色されて故人が汚されているとなると、黙ってはおれんのう…… かといって吾のような老いぼれに何ができるというわけではないが」
「うむ……噂でございましょう」
「そう信じたいものじゃ。まだ若い大納言のことだから女人には気をつけられよ。あ、繰り返すがこのことは誰にも言うでないぞ」

 白髪になった口ひげを揺らしながら、石川麻呂は去っていった。その背中には激動の時代を生きてきた大物の貫禄が残っている。

 ただごとではないな。

 若くして政界の一線を走ってきた不比等の第六感が告げていた。
 





 私邸に帰った不比等は間者を集めた。

 公卿並びに官人の怪しい情報、特に女人に関する情報を集中的に集めるよう指示した。

 金輪今国も呼びつけ諜報活動を命じた。
 玄上利綱は猟師に身を扮し、未だ朝廷の支配制度に入らぬ者たちから情報を得ていた。
猟師や山師などの、山林に住み農業を行わず時には鉱脈を彫って生活し、定住をしない民である。税を収めることがないので彼等は浮浪者として弾圧される。東国にはまだ独自の山の神を祭る集団がいる。畿内にも山の神を祀る修験者がいる山系がある。玄上利綱は日本中を行脚していた。
 
 今回の一件。
 場合によっては政権をゆるがす大事態になると踏んでいた。
 
 舎人として使っている渡来人は横の繋がりが強い。彼らの情報網は畿内に留まらない。
 渡来人には医学や薬に長じているものがいた。大伴御行の異様な姿を薬物服用の結果でないか、と疑い幾つか質問した。

 東漢氏など多くの百済系渡来人が畿内に住んでいる。天智天皇は百済系渡来人や、対新羅・対唐戦争に破れ亡命してきた百済人を多く登用したが、親新羅派の天武天皇が皇位がついたことにより、彼等は不遇を囲っていた。

 そこで不比等は彼等を引き込み、間者としてだけでなく武芸者、医師、薬師、技術者、学者として囲った。もし不比等が天智天皇の落胤なら父の政治方針に立ち戻ったことになる。天武が崩御し、妻の持統天皇に治世が移ると有能な者は官吏に推薦し、恩を与えて子飼いにした。地方だけでなく朝鮮の情報まで手中にすることができる。白村江の戦い以降、海を渡っての侵略という恐怖が現実なものとしてあった。

 持統天皇は天武の妻であったが、天智天皇の娘でもある。叔父と姪の婚姻である。近江朝の敗軍の将、大友皇子とは異母兄弟である。

 戦いとは情報戦であることは孫子も言っている。

 そもそも間者とは孫子の『用間』からきている。間を用いる。自分と敵の『間』を制すものが闘争を制するのである。
大蝦蟇に変身し手裏剣を雨あられのようにばらまく忍者は後世の創作だ。忍び込んで敵を惑わす噂を流したり、星の位置を読んで天気を予想したり、野草の薬効を知り毒や薬に利用したりと、戦を兵力以外の部分で支える技術をこそが忍術の原型である。六〇一年の推古天皇の時代に、百済の僧、観勒(かんろく)が天文、遁甲、暦書を伝えたとある。先の壬申の乱においても『日本書紀』巻二八の天武天皇即位前紀に天武天皇が天文遁甲を用いた、とある。
古代においても人と人の争いには、あらゆる手が講じられるのである。



 
 壬申の乱のころ、山科で隠遁生活を送っていた少年時代、不比等(当時は史)は百済系渡来人の田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)に養育を受けていた。田辺史大隅の人脈・知識のおかげで、朝鮮半島を通じて得た唐の文物に囲まれて不比等は過ごすことができた。


 ひたすら耐え忍ぶ毎日であったと思う。
 天智天皇の片腕として権力を握った鎌足、その次男として栄華が約束されていたはずだった。天武帝にとって、妻の弟ではなく、憎き兄の忠臣の子であった。
 
 壬申の乱で天智天皇が指名した後継者、大友皇子が敗れ去ったとき。
 鎌足の死後中臣氏の当主となった中臣金が処刑されたとき。
 田辺一族の田辺史小隅(大隅と同一人物?)が天武側の将を討ち取った後に行方不明となったとき。







 五人の公卿のうち不比等だけは壬申の乱の功労者どころか、敗残政権の残り粕に過ぎなかったのである。

「いつか見ておれ」

 鎌足も死んだ。兄、定慧も死んだ。金も死んだ。
 天岩戸の前で祝詞を唱えた天児屋命(あめのこやねのみこと)から続いてきた、古代から神祇を司ってきた中臣氏は瓦解の一歩手前であった。官人になれた同族(はとこ)の意美麻呂も不遇を囲っていた。
 
 天武天皇も豪族支配のシステムから、唐のように帝・皇族を中心とした強固な官僚制度を構築しようとしていた。よく教科書などに用いられる語句が豪族連合の古代国家から、法の整備された律令国家へ……である。
 

 血や武勲だけではない。
 学問が、知識が、頭脳がものをいう時代がくる。必ずくる。近江朝側の官人でも一掃することなく仕えさせている。
 十を数えたばかりの不比等は書をむさぼるように読んだ。
 壬申の乱の影響があるうちは駄目だ。じっと時を待たねばならぬ。風は来ているのだ。

 不比等は歯を食いしばっていずれ訪れる時代を待った。
 

 そこでの救いとなったのは上白沢慧音と名乗る少女であった。





 ……間者に指示を与えた後、私邸で不比等は一人になった。侍女たちの声が広い邸宅ゆえに遠くに聞こえる。
 一人ではないが一人。そこに存在していのだが自分が別世界にいるような錯覚に陥る。 







 あの頃も自分は一人だった。
 藤原を名乗れず中臣史(なかとみのふひと)と名乗っていた頃。
 
 山城国山科で田辺史大隅と生活を送っていた時代。
 
 不比等は座学だけでなく山林に入り体力も鍛えた。
 
 そこ煌くひとつの幻影。
 太陽を反射するような銀色の髪が柳のように垂れ、山林に似つかわしくない神々しい姿に不比等はしばらく動けなかったのだ。
 
 まさに彼女は神だった。
 人とは違う次元に立つ神獣だった。
 
 母を知らず肉親を知らず、生まれたときから血みどろの政治闘争を見てきた少年にとって、上白沢慧音は特殊な存在となった。
 時には頼れる姉であり母であり、大陸の古典、政道、詩歌、武術を教える教師でもあった。
 
 博覧強記なだけでだけでない。彼女は『歴史』を司る人智の超えた存在であったと言える。
 満月の夜には双角を生やし、髪と同じ銀色の尾をまとい、人里の歴史を喰ったり作ったりしてみせた。
 彼女は人間を心から愛していた。


「歴史の"史"という文字があるな」
「うむ、吾の名にある文字だ。中臣史。大隅も田辺史だ」
「良き名だ。文(ふみ)を書き記す者たち。そういう意味が込められている」
「それは知っている。史と号する官人は皆、流麗な文章を扱うものたちばかりだ」
「いいか。文字の美しさ、文体の華美だけではない。世の史たちはその国の歴史、人間の生きた記録を後世に伝えていくためにいるのだ」
「……………」
「今起きている大乱に心乱すな。父君、母君がその名を付けてくれたことを誇りに思え。その名に恥じぬ人物となるのだ」
 

 厳しい忍耐の日々が彼女によって変化した。田辺史大隅の邸だけでなく山林も不比等の教室と化した。
 
 思えば彼女との出会いが、不比等の戦いの始まりでもあったのだ。

 不比等はゆっくりと目を閉じ、落ち着いた呼吸を繰り返し、当時のことを思い出そうとした。







 
 ―――そのときだった。

 突如、侍女の悲鳴が響きわたった。

 広い邸内のどこにいても聞こえるほどの鋭い悲鳴だった。
 家人たちが集まる様子が分かる。
 すぐさま不比等は起き上がり、騒ぎの中心へと足を速める。
 不比等が現れると、家人たちは叩頭するようにひれ伏した。この時代の貴人と奴婢の差は人間か家畜か以上の差がある。
 しかし女人の何人かはそれすらもできずに、短い嗚咽を漏らして震えている。
 
 男が倒れている。

 人間だとかろうじて分かるのは四肢が残っているからで、血まみれになった肉の塊のようにも見えた。
 ときどき痙攣するように震えている。その度に侍女が悲鳴をあげる。

「おい、まだ生きているのではないか」

 家人に指示して薬師や医師を呼びにいかせた。
 不比等は男に近寄り、誰かを確認しようとする。またどこからか悲鳴があがった。

 息を呑む。方々に放っていた間者の一人だ。
 ……玄上利綱。彼も金輪今国と同じく鎌足の代から仕えてきた男。山野で異郷の神を祀る民に交わり情報を得ていた男。
 猟師に扮装しているのが、血を吸った毛皮の服が獣の死体を思わせた。

 ひゅうひゅうと鼻腔と口から空気が漏れるような音がするかと思ったら、吐き出すように鮮血を吐いた。
 その後も痙攣するたびに口から血を吹き出した。
 おそらく手遅れだろう。薬師も医師もできることはあるまい。

「玄上」

 もう長くはない。が、玄上利綱の唇は必死に動こうとしている。

「誰にやられたのじゃ」

「あのう…… その男はいきなり土塀を超えて放り込まれたのでございます……」

 傍らにいた家人がおずおずと口を開いた。
 確かにこの傷では自分で歩いてくることも無理だったろう。


「不比等様……。あ、か…かぐや…」


 何とか搾り出すように紡ぎだされた小さな声音は、さらに際どい衝撃的な語を含んでいた。
不比等の瞳孔がぎらりと開く。

「今何と言ったか。玄上」

 血に濡れていない皮膚の部分は蒼白だ。段々と土気色になりつつもある。
死地は近い。

「尋常ならざる化生の類でございます… 彼の者……不死者……かと…」

その瞬間、玄上利綱は体中の血液を噴出すようにして絶命した。

 腕は投げ出され、生命の残り香は一切残っていない。
 
 ついに来たか。
 
 不思議とうねるような興奮の波が小さな細かい波となっていくようだ。
 頭の中は清涼としている。
 不比等は冷酷な笑みを浮かべていた。

 この日の本の国に逆らう者は何人とても存在してはならぬ。

 例え異郷の神であろうとも、例え青や白の土蜘蛛であろうとも、例え死なずの人間であろうとも。

 我が国にまつろわぬそなたたちの存在する地はない。







※ ※ ※ ※ ※ ※
 
 六月が過ぎた。

 大宝元年(七〇一年)七月二一日。『左大臣正二位多治比眞人嶋薨』

 ついに公卿の長老、多治比嶋(たじひのしま)がこの世を去った。
『続日本紀』に『正三位石上朝臣麻呂。就第弔賻之』とあるように石上麻呂(いそのかみまろ)は多治比嶋の邸へ遣わせ物を贈って弔った。多治比嶋は宣化天皇の四代孫である。父の代まで皇族であり嶋の代に臣籍に下った。大伴氏の母がおり、乳母は石作氏出身である。

 不比等は石上麻呂を通じてまた奇怪な品と面妖な姫に関する噂を聞いた。間者も似たような情報も持ち帰っていた。
『御仏の石の鉢』。日本にあるはずがない珍品を面妖な姫に求められたという。死地に旅立つ前、大和国の十市郡にある山寺へ老体に鞭打って出かける、という奇行を家の者が証言している。




 朝堂では公卿会議が開かれる。
 帝は欠席していた。暑さにやられたのであろうか。早逝した父の草壁皇子に似て、どちらかというと線の細い、書物を好む若い王だった。

『天皇天縦寛仁。慍不形色。博渉經史。尤善射藝。』
(天皇の天性は穏やかで、慈悲深く怒りを外にあらわされることもなかった。儒教や歴史の書物をよく読まれ、とくに射芸に優れていた。)

この峻烈さとは程遠い気質は息子である聖武天皇にも引き継がれることになる。 
 若輩の王。
 老境に入った重臣。
 不比等が中心となって会議は進められる。
 
 不比等は他の貴族たちの様子を注意深く観察する。
 多治比嶋の死因は不明だが、こうも公卿の人間が鬼籍の人となると、次の犠牲者は誰か、という予想をせねばならなくなる。
 石上麻呂は「年だからのう……大納言は若いゆえ心配めされるな」と言った。
 不比等はそれを楽観的、あるいは気休めであると判断していた。

 もし―――公卿らの死が人為的なものであるなら―――若さなど関係なく、不比等自身が次の犠牲者になりうるのである。

 出席した公卿らも、言いようのない不安を感じているのだろう。石上麻呂の慰めも、あくまで不比等や周りを励ますためのものだったのかもしれない。
 
 
 後は、どう手を打つか。
 不比等の瞳は夜叉の瞳のごとく火炎が渦巻いているが、表情はまさに覗き込んだものが震え上がるような冷たさであった。
 今の帝(文武帝)の即位に関して不比等は裏で大きく関わっている。つまり手を汚すような手段をとったのだ。
 天武の妃として権力を握った、空閨を守る持統天皇に取り入り、孫の即位を自らの出世の足がかりとした不比等の遂行能力は恐るべきものだった。

 早逝してしまったが、文武帝の父である草壁皇子の立太子(皇太子になること。つまり天皇位の後継者となる)に関しても、持統天皇と不比等の距離から察して立太子の最有力候補であった第一皇子、大津皇子に謀反の罪を着せている。
 彼は人望もある皇子で、謀反事件に関わった官人達も逮捕されたが、その中には中臣意美麻呂など即日釈放されている人物が多々いるのである。

天武には十人ほどの皇子がいた。
吉野に天武・持統夫妻(当時は野讚良(うののさらら)皇后)が吉野で皇子たちと盟会を行い、後継者が決定された。 不比等は他の皇子に手を回し、草壁皇子派につくよう裏工作をしてまわった。
 

 帝の傍に侍り、権力を手中に収めていく快楽。
 脳を激しく活動させ人を自らの思い通りに動かす悦楽。
 
 内舎人として官人の一歩を歩き出し、上へ、上へと進み続ける毎日。
 有力氏族の娘を妻にし、男が生まれたら幼い頃より英才教育を施し、女が生まれたら帝や貴族の妃となるよう厳しく養育した。
 山科に籠もった不遇の時代を跳ね返すように栄達の道を歩もうとした。

 藤原家棟梁の名に恥じぬように。かつての父のように。
 大乱を経て分かったのが敗者には記録に残ることすら許されぬことだ。
 自分が歴史を記す者となるのだ。歴史を築く王者とならねばならぬ。千代の八千代まで続く帝の御代を作らねばならぬ。

 ―――が、それでも、不比等の脳裏には幾つもの穢れなき笑顔が浮ぶのである。

金輪今国を呼び、決して誰にも知られぬよう命令を下した。人を通さず、文を使わずである。不死者と相対するにはそれなりの準備が必要であった。

「文をとる」

侍女に唐物の金糸の入った紙を持ってこさせた。
秀麗な筆致で書かれた文は、竹林に住むやんごとなき姫君への求婚の文であり、宣戦布告文書でもあった。














※ ※ ※ ※ ※
 
 稗田阿求は長い石階段を昇り終え、肩で息をしながら境内に入り巫女の居場所を探した。
 青々と茂った樹木から葉は落ちる気配もない。日光が露出した皮膚を抉るように刺すものだから、境内を掃除している巫女の姿もない。
 
 予想どおり、と言うべきか。
 博麗神社の巫女、霊夢は屋内で団扇をぱたぱたと動かし、板敷きの廊下にへばりついていた。
 さらに予想を裏切ることなく、暇をした鬼・妖怪・魔法使いの類が奥で同じような体勢で転がっているに違いない。

 通風性が高い巫女服にも関わらず、露出した部分もしっとりと汗ばんでいた。

「いらっしゃい。お茶はないわよ。特に熱いお茶なんぞ触るのもお断りだわ」
「飲むのはお断りではないんですね」
「出される立場ならありがたくいただくわよ。もったいないじゃない」

 何の用?と切り出される前に、阿求は書物を包んだ風呂敷を縁側の部分に下ろした。

「届け物なら家の人を使えばいいのに。使用人は暇させたら腐ってくもんらしいわよ」
「多少、お話したいこともありますので……」

 阿求は腰を下ろした。

「八雲紫とか神出鬼没なお客さんがた! お話したいことがあるそうよ。」
「いや、あなたに用なんですけどね」

 話をするのも面倒らしい。

 ごろん、と寝返りを打った。「暑い、熱い、厚い、篤い」と念仏のように唱えている。

「心頭滅却すれば火もまた涼し、と言います」

 澄ましたように阿求は言った。

「それを言った人、焼死したの知ってる?」
「というより焼け死ぬさがらに言った台詞でしたっけ?」

 霊夢はもう一回寝返りを打つようにして体をひねり、上半身だけ起き上がった。

「あー、凄いわー。お坊さんってのは極めるとそこまでいくもんなのね。改宗しようかしら」

 それでもまだうだうだ言っていると、奥からまた暑苦しそうな格好をした面々が現れた。

「ん? いつ八雲紫大妖怪様がいらっしゃったてたんだ?」

 白と黒の魔法使い、霧雨魔理沙だった。

「いつ帰ったのかも知らないんだけど」

 人形遣いのアリス・マーガトロイドは不機嫌そうな表情で、縁側辺りまで出てきた。
 阿求は会釈する。

「そうでしょうね。紫は今日来てないわ。」
「じゃあ何で名前呼んだんだよ…」
「いつ、どこでもいそうじゃない。事実ちょっと来てすぐ帰ったのかも」

 魔理沙とアリスは、あきれたように畳の上に腰を下ろした。

「それにしても霊夢のうちの台所は何もないんだな」
「腐りかけた何かを想像してたんでしょう」
「ご名答だぜ」
「ひとつ、台所を勝手に漁るな。ひとつ、うちの台所は実験材料の調達場所じゃない」

 腐るくらい食料が積んであるときもあっていいけれど、と霊夢は思った。

「仕事をなされば、市場で買う糧食も豪勢なものになりましょうに」

 そこで阿求が口を挟んだ。

 風呂敷の結び目を解き、中のものを出そうとしている。

「……仕事?」
「夏祭りが近くあるでしょう」
「………ああ」

 一呼吸ほど時間を置いて、霊夢はわざわざ阿求が訪ねてきた理由に気付いた。

「祭りは祭礼です。神事です。ちゃんと関わっておかないと巫女ですらなくなりますよ」
「今年の出し物の相談してたんだっけ。それが企画書?」

 境内で行われる月見宴会の類でなく、里で行われる夏祭りである。境内で行えば賽銭収入も狙えるものだが、里の人間にとって博麗神社は軽い気持ちでは足を運びにくい距離と壁があった。全国津々浦々で開催される夏祭りは、多かれ少なかれ豊穣を祈る祭りや盂蘭盆会に代表される祖先祭のような宗教行事である。
 夏は宗教者にとって稼ぎ時だ。
 対抗馬に顧客を奪われるわけにはいかない。営業努力を重ね、信仰を勝ち取るのである。
 檀家制度の上に胡坐をかいているから日本仏教が衰退した、と嘆かれるのはそのせいだ。
 今年こそは何かせねば、と由緒ある博麗神社のために阿求は仕事の合間を縫って相談を受けていた。それこそ本当に暇になった時だけだったが。

「企画書なんていちいち書きますか。ちょっと思うところがあって倉を漁ってたら、この脚本を見つけたんですよ」
「脚本?」

 霊夢だけでなく魔理沙、アリスも身を乗り出してきた。

「どうせなら、ちゃんと準備をしたいって言ってたじゃないですか。」
「確かに演劇の類は人を集められそうね。で、演目は?」
「これです」

 一冊の本を指し示した。
 明治より前の書籍らしく、どうも読みにくい。

「あらすじを頼む」

 魔理沙がぺらぺらとめくりすぐ閉じる。既に読む努力を放棄している。努力家の能力も時と状況次第だ。

 ただ、かろうじて表紙に書かれている『妹、、、』というタイトルの上の字だけ読むことができた。

「王代物の人気作なんですけどね。ああ、アリスさんがいるので丁度いいかも」

 どこかに隠れていたのか蓬莱人形、上海人形もちょこんと顔を出して板間のあたりを浮遊している。

「どういうこと?」
「人形浄瑠璃で演じられたことがあるのですよ。歌舞伎もありますけど」

 二体の人形が小さく首を傾げるような仕草をした。

「ふーん」

 アリスが煩瑣そうな声を出す。人形たちの小さい頭を撫でる。

「……随分と軽い内容そうね」

 霊夢の独断と偏見だった。

「その方がよろしいんじゃないですか? ウケる大衆娯楽は得てして分かりやすいエンターテイメントですから」
「で、内容は?」 

 調べて持ってきただけでも礼を言われる行動に値するのでは、と阿求は腹ふくるる思いだったが口には出さなかった。

 身の乗り出し具合……というか興味の示し方がどうも第三者の魔理沙やアリスと同程度である。
 阿求はため息をついた。簡単に説明してもいいだろう。


 
「……淡海公という人物を知っていますか? 藤原不比等と言ったほうがいいかな」



 頷いたのは霊夢だけだった。魔理沙はきょとんとしていた。アリスは無反応である。人形たちの「むぅ」と傾げる首の角度が大きくなった。

「まぁ、神道に携わる者としては一応」
「あ、ああ……そうそう有名だよな。確か昔習った。うん」

 慌てている霧雨魔理沙に、アリスは「有名な人なの? 魔理沙」と黒い魔法使いの金髪が垂れる耳元に質問した。

「色々な段に別れているのですが、うーん……『杉酒屋の段』から演じた方がいいですかね、長いし」

 阿求は金髪の二人に構うことなく続ける。

「で、どういう話なのよ?」
「この段が勧善懲悪譚としてどの世代にも受けると思うのですが……。まぁ簡単に説明すると」

 阿求はぱらぱらとページをめくった。





























「藤原不比等が不死身の人間と戦って――――ついには倒す話なんですよ」






















 
 全五段。杉酒屋の段は四段目である。
 原作は浄瑠璃作家、近松半二らによる合作。江戸時代の明和八年に実際に上演され人気を博した芝居である。
 
歴史小説を読んでると、堂々たる語り口がかっこよく感じちゃうわけですが。
いざやってみると自分が偉そうにに感じてしまう……

旧暦で計算しているので年齢等、多少ズレがあるかもしれません。

続きが気になる方も気にならない方も、後編へ進む前にまったりとお風呂でも入られたら如何でしょうか。
よろしければ、冷たい麦茶を飲みながらでも後編をお楽しみください。
ハマ
hamada.2310@gmail.com
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コメント



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6.無評価名前が無い程度の能力削除
わくわくしますね。
てっきり妹紅が五女だと思ってました。五女の名前分かってるんですね。
新しい刺激があって面白いです。
7.100名前が無い程度の能力削除
あ、点数忘れました。
ごめんなさい。
8.100名前が無い程度の能力削除
よく調べられましたね スゴいです
9.100名前が無い程度の能力削除
なんかカッコいい。
まさか芝居を絡めてくるとはのう…
11.無評価ハマ削除
>6さん
わくわくしてくれましたか、ありがとうございます。
妹紅=五女説はwikipediaのせいで広まったんでしょうか。四女の特定も五女の特定も角田さんがしているのですが、wikiを編集した人が四女まで書いて飽きちゃったんですかね。

>8さん
ありがとうございます。
頭の片隅にある記憶を確証するのが大変でした。
調べていてムハーてなりました。

>9さん
ありがとうございます。
芝居をもっと後編でも前編でも絡められたら、かっこよくできたかなぁ、と。
13.90名前が無い程度の能力削除
こいつは歴史大作ですね。
ここまでも十分興味深かったのですが後篇に期待!
14.無評価名前が無い程度の能力削除
勉強になります。
それでいて面白い。
15.100名前が無い程度の能力削除
失礼、点数入れ忘れ。