Coolier - 新生・東方創想話

瞳の奥の彼女を殺して(2)

2010/08/20 20:42:21
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瞳の奥の彼女を殺して(1)
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 ~no title~


 あの、紛れもない地獄へと道が開かれる頃、それは産声を上げた。

 世界が崩れ、文明が薄れて行く中、精神的解放を夢見た人々はそのまま夢へとなだれ込み、現世のあらゆる人、モノを犠牲にし、そして死んでいった。

 社会的解放を夢見た人々は武器を取った。歪んだ旧世代の革命思想を現代にそのまま移植しようとして失敗し、現世のあらゆる人、モノを犠牲にし、そして死んでいった。

 そこに然したる差異はない。望んだモノも、生んだ犠牲も、双方ともに同じ。先の見えない改革心によって生み出された現実は、社会秩序を根底からぶち壊して、ただ去って行った。

 地上に楽園など降臨しない。

「精神の楽園も、社会の楽園も、根ざしたものこそ違えど、結果は同じ。ただ皇国は、社会の楽園を完全に切り捨てつつ、精神の楽園を完全に切り捨てはしなかった――私達科学の子等は、そんな曖昧な楽園を目指す為に、あるのかな」

 不思議な彼女に問いかける。彼女は火照った身体を手で仰ぎながら、唐突な事をいう私に、ニコリと微笑みかけて言う。

「私は、そう悲観的でもないわ。貴女が居る場所が楽園になりえる。貴女が居れば、どこだって楽園よ。絶対性精神学を礎に築き上げられた相対性精神学は」

 彼女が、その白く柔らかい手を差し伸べる。

「どこにでも、精神の楽園を作ろうとする。どこにでも、生みだそうとする。ヒトである限り、ヒトでなくたって。心さえあれば、心さえ通じれば。私は、三千世界のあらゆるものをぶち殺してでも、貴女と添い寝出来る楽園を作りたいわ」

 退廃的思想だと文句をつけると、彼女は退廃的に笑い、退廃的な行為を求めた。

 この国に未来は無いわねと、私はただ、笑う。




 ――16日 幻想郷 稗田本家 客間 10時07分



「昨日の事、良く覚えてないのよね……」
「そ、そう。無理に思い出さない方が賢明だわ」

 朝食も御馳走になり、縁側で頂いたお茶をすすりながら、蓮子がぼやく。昨日の出来事など思い出しても得るものはないので、あまり悩んでもらっても困る。ただ静かに忘れ去られるべき記憶だ。

「ん……写真とったんだ、私」
「……」

 彼女はデジカメのタッチパネルを弄りながらそう呟き、やがてピタリと停止した。その顔を覗き見れば、真っ赤でもあるし、青くもあるし、黄色くもある。イエローな彼女の色はころころと良く変わった。差し出されたカメラに納められた写真は、私と思い切り抱き合って、唇の部分を何故か濃厚にくっつけている現場である。

「ご、ごめん……」
「べ、別に謝る事なんて無いわよ。そんな反応されたら逆に気まずいじゃない」
「そ、そう? じゃあ開き直るわね」
「それもどうかと思うけど……」

 写真に写る蓮子の嬉しそうな顔と言ったらない。あげく私の満悦の表情もまた隠しがたい。……いやまあ、その。私は嫌いじゃないし。彼女の唇ったら、凄く柔らかいし、情熱的だし。……。私は否定しない。

 相対性精神学において、私と蓮子の関係は恐らく発端者と許容者に分類される。相互の精神補助、補完を推薦する相対性精神学はそもそも性別にとらわれていないので、同性だろうが異性だろうが『その人物と共にある事で幸せである』ならば、区別はない。発端者とは行動を起こす人物、許容者とはその行動を受け入れる人物の名称で、この組み合わせによって補助度数が変わってくる。

 私と蓮子の場合、どちらかがどちらだ、という形はあまりなく、役割を交互に演じていると言える。彼女が行動を起こせば私がついて行くし、私が行動を起こせば彼女が受け入れてくれる。眼の前にある世界こそがお前の手の届く世界なのだという実感を互いに与え、与えられて行く。

 思うに、今後私が彼女のような存在に出会えるとはとても思えない。なるべくなら……寄り添っていたい。

 たぶん、彼女の両親も、私の両親も悲しむだろう。遺伝子工学が進んで、女性同士でも子供が作れる時代とは言っても、古来からの倫理観や道徳観の変化が少ない日本では(というか家の体裁を気にする為)、同性結婚は推薦されていないし、子供の比率が極端に少ない同性結婚は出生率増加に貢献しないので、税金も重い。

 ……。

「私はその、貴女が好きだし。別に、良いけど……もう少しその、デリカシーぐらい必要じゃない?」
「……反省するわ。メリーはロマン派ですものね、ご先祖の時代から」
「ええ。ロマンな女なのよ。でも、なかなかそのように生きるのは難しいわ」
「じゃあその」

 という言葉と共に、彼女の唇が私の頬に触れる。……蓮子は幻想郷にきて、何か少し浮かれているのかもしれない。非常識な状況は、保身の為、そして他人を守ろうとする意思から、強い人間の繋がりを求める。彼女の奥底にはそれなりの恐怖感も、多少存在しているのだろう。ただ、それを上回る程の期待感があるんだ。

「――た、他人様の家で……もう……」
「ふふ。仲直りよ、メリー」

「他人様の家で本当に仲がよろしいですねお二人は」

 と、そこへ阿求さんが溜息を吐いて現れる。嫌味というよりは、私達の仲をみてお腹いっぱい、といった様子だ。

「魔理沙さんは昼過ぎ頃に戻ってくるそうです。それまで里を見て回ったら如何ですか。デートがてら」
「あの、魔理沙さん怒ってませんでした?」
「いいえ。『未来人の強さには期待出来る』とむしろ喜んでいる様子でしたよ。変な人なんです」
「あはは……」
「メリー、魔理沙さんになんかしたの?」
「気にしなくていいわ。じゃあ、出かけましょうか」
「ええ、そうすると良い。はいこれ、幻想郷のお金。お昼も外でとってください」

 阿求さんから革製のお財布を手渡される。中身は……昭和も後期に使われていただろう小銭だ。幻想郷の物価が解らないので、これが幾ら程の価値があるものか、見当がつかない。

「10円玉が、5枚……骨董品ねえ。私達の時代じゃ合成お菓子も買えない」
「幻想郷は幻想郷の通貨というモノがないので、外から流入した硬貨が時代毎に共通貨幣となるんですよ。ええと、メリーさんの時代だと、一般的な定食でおいくらです?」
「学食の日本食ランチだと、1800円くらいかしら」

 ちなみに平成中期からの物価上昇率は2.6倍程度だ(2071年現在)。更にいうと、今の時代の外の日本(2019年)はインフレ中で、当時の一万円が千円程度の価値しかない。

「10円で二食は食べて余るぐらいですから、一枚4000円くらいでしょうかね」
「え、そんなに? 阿求さんったら細身なのにふとっぱらですわね」
「私もお腹いっぱい食べされて貰ってますから、良いんですよ。今夜にでもまた、外のお話聞かせてくださいね」
「ええ、もちろん」

 気前の良い阿求さんにお礼を言って、私達は人里へと繰り出す。こうなってくると、本当に魔理沙さんに感謝しないといけないような気がする。昨日は仕方がないとはいえ、蹴飛ばしたのはまずかった。やっぱりお世話になるならお金持ちの家だなあ、などと俗物らしいまっとうな考えが浮かぶ。

「昭和59年って書いてあるわよこの十円玉。すごいわね、西暦1984年よ? まだソ連とかある頃だわ」
「そうかな? 私の実家に帰ると、和同開珎とか永楽銭とか、額縁に飾ってあるけど」
「お金持ちは本当に訳のわからないもの持ってるのよね、蓮子」
「セレブですわ」

 なんかそんなセリフを私も吐いた事があるような気がするので、もう突っ込まない。それにしても、私達の時代だと電子マネーが主流なので、硬貨に触れたのは久しぶりだ。電子のお金は数字だけなので、お金を持っている、という印象が凄く薄いけれど、物質で寄こされると実に『お金を持っている』といった感じが強まる。

「それにしても、意外に発展してるのね、幻想郷の人里って。どこに行こうか目移りするわ」

 大通りに出ると目に付く限りで飲食店が十以上。雑貨や小物を扱っている店は数えてもきりがない。時間的にもまだ早いのに、人はだいぶ賑わっていた。幻想郷の服飾文化は原色を好んだものが多いらしく、行く人行く人が皆なかなかに奇抜な格好で、もう歩いているだけで飽きない。

「うーん」
「蓮子、どうしたの」
「解らない……。一体どんな影響があったらこんな世界になるのか。日本、大陸、西洋ごちゃまぜ。あの子は和服、あの子は中華、あの子はヴィクトリア朝様式で、あの子は幻想郷独特っぽい格好。幻想郷が結界に隔離されたっていうのは、明治だよね」
「ええ、そうね、阿求さん曰く」
「西洋文化が都会に根付いていたのは解るけど、寒村にそんなものが入り始めたの、昭和も後期よ」
「そんなに難しいものでもないんじゃない? ほら、あれとか」

 私は街の一角にある古本屋を指差す。外に積まれた大量の本は大体が紐閉じされた古風な本だけれど、中には明らかにオフセット印刷されたものや、特殊装丁のハードカバー本などもある。有象無象の書籍群から私は一冊の雑誌を取り出し、蓮子に差し出す。

「外の世界の雑誌ね、ファッション誌」
「2010年春、今はコノファッションが熱い? 今年の髪型はこれ、ハイパー昇天ペガサス流星マックス盛り?」
「これとか」
「どこまでもクレーバーに抱きしめてやるぜ? シーンの最前線に立ち続ける気概はあるか? 俺の翼が鳥人拳を繰り出す? 平成の日本人はどこか頭がおかしかったのかしら?」
「ご先祖様を悪くいうものじゃないわ。ファッションの奇抜性を追求したその過程なのよ。それに、私達の格好だって、あと百年もすれば最強にださい格好か、もしくは歴史書に乗る格好かに分類されてしまうんだわ」
「じゃあこの男性は歴史的な格好?」
「かっこいいじゃない。蓮子も黒が似合うわよ? シーンの最前線に立ち続けるといいわ」

 その他にも様々な種類の雑誌、書籍が見つかる。幻想郷には忘れ去られたもの達が集うというくらいなのだから、幻想になった本もあるのだろう。書籍は常に知識の泉。電子書籍が主流の私達の時代でも、やはり紙媒体はしっかりと残っている。特に蓮子などは手に取れるものが好きらしく、電子化してしまえば楽な分厚い辞書なども、全部紙で保管していた。

 書籍類は幻想郷の文化を盛り上げる点で、かなり重要視されているらしく、先ほどからお店への出入りも激しい。おこずかいを握りしめた子供が入って行き、出て来る頃には魔道書チックなハードカバー本を抱えていた。

 チラリとみると、タイトルは『無名祭祀書 パチュリー・ノーレッジ訳』とあった。私は思わず、自分の眉間をつまむ。

「子供のおこずかいで魔道書が買えるような世界観に、今更疑問を持っても不毛なだけかもしれないわ、蓮子」
「え? なにそれ怖い」

 今後の秘封倶楽部発展の為、私と蓮子は店主に許可をとって店内を撮影して行く。魔道書のコーナーには明らかに門外不出となってもおかしくないようなものが二束三文で売りたたかれている(パチュリー・ノーレッジという人の翻訳だ)。あんな書籍をお母さん達が子供を寝かしつける為に枕元で読み始めたら、おぞましく不愉快で理不尽な獣達が家中を這いずり周り死の淵へと誘われてしまうかもしれない。ちなみに帯には『私も推薦します 稗田阿求』とある。そんなに幻想郷をアーカムにしたいのだろうか。

「こんなもんかな。メリー、一冊買っていく?」
「興味はあるけど、まだ背筋を蟲が這いまわるような感覚は得たくないわね」
「? まあいいや、次次」

 古本屋を後にし、私達はまた大通りを適当に行く。私達の存在は意外と浮いてしまうのではないかと思っていたけれど、時間が経つ毎にそんな感覚も薄れていった。次第に日が高くなるにつれ、気温も上がってくる。ここはだいぶ高地にある様子だし、昼である限りはアマテラスの威光は強烈だ。

 休憩も兼ねて、私達は近くの甘味処へと逃げ込んだ。

 店内に入ると、冷房でもついているかの如くに涼しい。電気の通っている所もある様子だけれど、この店にはそのような機械がまるで見当たらない。大正時代のカフェをイメージした造りなのか、とても雰囲気が良く、蓮子も嬉しそうなのは解るけれども、何かおかしい。見渡す限りに座席は埋まっているのに、どうしてこんなに涼しいのか。

「二人です」
「えーと、相席になってしまうのですけれど」
「構いませんわ」

 女給さんに導かれて、私達は窓際の席へと腰掛ける。正面には一人の女性が座っており、挨拶をすると快く笑顔で返してくれた。チャランポランな幻想郷の住人にしては、妙な落ち着きとインテリ感漂う。頭に載せているの帽子が弁当箱でなければだ。

「えーと、ええ? 夏なのにかき氷があるの?」
「宇治金時。蓮子は?」
「え、ええ。抹茶でいいわ。うーん、へんなの」
「ふふふ」

 注文を終えた私達を、正面の女性が笑う。意外だろう? という顔だ。

「あの、失礼ですけれど、どうしてここって涼しいのか、理由はご存じです?」
「ああ。そうだな、氷があるのも涼しいのも、厨房にいる奴の御蔭だろう」
「妖怪的な?」
「妖精だな。氷の妖精。今頃大量に氷を増産している所だろう。君達は……外の人かな?」
「はい。今は稗田の家にお世話になっていますわ。私はメリー」
「蓮子よ」
「上白沢慧音だ。人里で教鞭をとっている。そうか、稗田家には私も御世話になっているよ」

 上白沢慧音さんは帽子を脱ぐと、小さくお辞儀をした。確か魔理沙さんが、上白沢がなんとか、などとのたまっていたのを思い出す。するとなると、彼女は人里でもそれなりに地位のある人物だろう。

「教師なんですの?」
「ああ。小さい寺子屋だけれどね。それにしても、何故幻想郷に。それに、だいぶ馴染んでいる様子だけれど」

 新しい人物に出会う度に、自分達の詳細を伝えるのもそろそろ慣れて来た頃だ。慧音さんは私達のような存在が特別ではない事をよく知っているらしく、直ぐに受け入れてくれた。話では、間違って流入した人間が里に定住する事も良く有るらしい。そういった後ろ盾のない人間を、慧音さんのような人が支えて、生活基盤を作る手助けをしているという。

「もし定住したくなったら言ってくれ。協力しよう」
「ありがとうございますわ。でも、私も蓮子も、観光みたいなものですから」
「……そうか? 私には、この幻想郷に至るべくして至ったようにしか見えないが。メリーさん、たぶん聞いているだろうが、その容姿」
「あはは……八雲、ね?」
「気を悪くしたらすまん。ただ最近、あいつは慌ただしいみたいでな」
「どういう事です?」
「解らん。ただ、博麗神社の宴会にも顔を出さなくなったな。八雲の式、藍もみない。そこに君のような容姿と力の持ち主が現れたから、何事かと思ったんだ」
「メリーはメリーよ。上白沢さん」
「そうだな。幻想郷を楽しんでいってくれ」

 慧音さんはにこやかに笑い、話を打ち切る。どうやら、私のこの容姿が有る限りは、八雲紫を見知った人物にとって興味が尽きない問題なのかもしれない。一体どれほど強大な存在なのだろうか、まるで見当がつかない。阿求さん曰く、幻想郷創生に携わった妖怪の一角で、境界を操る能力を持っている。その能力の幅は広く、結界と現世の合間どころか、小説や絵本の物語にまで介入可能で、へたをしなくとも並行世界ぐらいは当たり前に渡り歩いているだろう、なんて話だ。

 怪物、という名称そのもの。畏怖を込めて、皆が八雲と呼ぶ。

 宇治金時をつつきながら、私達は他愛のない会話を続ける。里の人間の生活や、子供が好きな事、人間が好きな事。彼女は半妖らしく、昔はかなり難しい立場にいた事。色々だ。ハーフというのは、何時の時代も難しい。どこかしら別の血が混じっていると、どちらかにつかなければならなくなったり、どちらからも虐げられたりと、散々だ。

 私達は一個人なのに、と。他の誰でもないのに、と。

 とはいえ、解らなくもない。私はイマドキの子だ。ちゃんと客観的に、何故そうなるのかは、見据えている。人間は弱い故に、社会を形成しなければ生きて行けない。繋がりを持つものは文化であり、血であり、伝統だ。そのどちらにも属し、属せない者達はその隙間で葛藤する事になる。

「ねえねえ!」
「はい?」

 なんて事をぼんやりと考えていると、子供に袖をひっぱられた。良く見ると、背中には羽が生えており、そして妙に冷たい。

「あら、どこの子かしら」
「チルノ、どうだ、社会体験は」
「なかなか楽しいわね! それで、アンタ、そのかき氷おいしい?」
「ええ。もしかして、貴女が作っているの?」
「そうなのよさ! アタイったら意外な才能ね!」

(いやな、夏はどうしても暑いから、この氷の妖精を如何に有効活用出来るかという議論になり、こうしてなんとか働かせているんだ)
(幻想郷の児童就労問題は大丈夫なのかしら?)
(大丈夫だ。こう見えてもこの妖精はお前達の倍以上生きしているからな)

「ああ、チルノはやはり天才だな。お前の才能にここに居る人間達が皆驚いているぞ」
「驚かせてるの? じゃあ妖精冥利につきるってもんだわ!!」

(……馬鹿、なのかしら)
(……純粋と言ってあげてくれ。普段はいたずらばかりだが、ほら、なんとかとハサミは使いようというだろう)
(結局馬鹿扱いですわよねそれ)

「ほほう。妖精ねえ。ほんとだ、ひゃっこい……お姉さんが良いモノをあげましょう」
「飴玉? 舐められたものね、飴玉だけに! でも貰うわ、ありがとう黒帽子」
「蓮子、妖精手なずけて何するの?」
「いや、ただ可愛いなあと思って……」

 氷の妖精の頭をぐりぐり撫でながら、へらへらとする蓮子の様子を痛ましく思いながら、私は蓮子のカメラでそれを撮影する。今後はこの写真をネタにロリコン疑惑について議論するのも良いだろう。

「さて私はそろそろ。里を出るときはそれなりに注意するんだぞ、二人とも」
「先生みたいな言い方ですね」
「先生だからな。ではまた、次の機会に」




 慧音さんが立ち去った後、私達は暫くこの妖精を弄り倒し、散々時間を潰してから甘味処を後にした。妖精の話では、幻想郷には数多の妖精がおり、自分など珍しくもなんともない、という。妖精や妖怪の方が幻想郷ではメジャーらしく、人間などその数からすれば芥子粒のようなものだ、という。芥子粒は兎も角、人間外が多いのは間違いなさそうだ。

 他にも沢山こんな人達がいるかと思うと、その期待は隠しきれない。

「甘味を楽しんだ後は、神社仏閣巡りってのが京都的だよね。確か阿求さんが、大きな寺院があるって言ってたっけ」
「京都的かどうかは知らないけれど、なんかそんなイメージはあるわね。白玉とか、抹茶パフェとか。で、蓮子。命蓮寺ってどっちかしら」
「解らないから投げかけたのだけれど……あー、あれじゃない?」

 大通りから少し横に入った路地の先に、やけに大きな建物が見えた。路地は両脇に土産物屋が建ち並んでおり、物凄い違和感を覚える。いや、確かに大きなお寺といえば土産物屋がつきものかもしれないけれど、ここは幻想郷だし、そもそも観光に来る人がいないのではないだろうか? と、やはり蓮子が悩みだした。そりゃあそうかもしれない。

「他にも小さい里が有るって聞いたけれど、観光地にしては近すぎない?」
「幻想郷で常識にとらわれると頭を悪くするわ、蓮子」
「幻想郷の人は物好きねえ……」

 何故か解らないけれど、浅草でも売っている新撰組コスプレセットやら、謎の言葉が書き込まれた扇子、人形焼きに類似した特許無視商品があちらこちらに並んでいる。一番目を引いたのは『平蜘蛛茶釜爆弾焼き』と『大仏炎上饅頭』と『松永弾正フィギュア(金ヶ崎退き口編仕様)』だ。マニアックなシチュだしそれは流石にどうかと思う。

 私達は屋台で焼きそばを買い食いしつつ、その奥に見える大伽藍へと歩みを進める。

 幻想郷で一番大きなお寺、命蓮寺。幻想郷での歴史は浅いらしいが、大変徳が高い尼僧がいると有名だと言う。焼きそばの美味しさに感動している蓮子に呆れつつ、視線を余所へと向けると、何やらお寺の前に旅行団体のような一団が見て取れた。

「えー、命蓮寺の建立は今から九年ほど前になります。大変新しくはありますが、古式ゆかしい信貴山真言宗の幻想郷総本山です。信貴山にあります朝護孫子寺は物部守屋を討伐した聖徳太子がお寺を建立した事が起源と言われており、未だ外の世界でも大変厚い信仰のモトにあります。その中でも奇跡譚として語られる信貴山縁起絵巻の主人公、命蓮という僧侶は、なんと当命蓮寺の僧頭、聖白蓮の弟君にあたるのです。ちなみに命蓮寺建立に協力して頂いた先が洩矢神だというのがなんとも皮肉ですね」

 虎柄の女性が、有象無象の妖怪たちに寺の起源を説明しているらしい。朝護孫子寺といえば、私達が居た時代にもちゃんとある。かなり寂れてしまっているけれど、少なくとも2019年は間違いなくまだ信仰されているだろう。

「聖白蓮は人間と妖怪の共生を高い理想として掲げており、これを体現しうる幻想郷の懐の深さに感銘を受け、その事実を普遍のものとすべく日夜御本尊である毘沙門天に読経をささげています。いやー、聖はすごいなあ、可愛いなあ」

 だんだん話がずれているような気がするけれど、なるほどだ。今更その僧頭が何歳なのか、なんて問うつもりはない。信貴山真言宗の教義は基本的にどうでもよくて、人間と妖怪、同時に信仰されるマニフェストを掲げたのがこのお寺なのだろう。確かに羽振りもよさそうだ。

「是非ともその聖って人に逢ってみたいわね」
「なんで?」
「とても徳が高くて、とても立派なヒトで、とてもお金を持ってそうだから。仲良くなった方がきっと良いわ」
「メリーは俗物だね。まあ、じゃああの虎っぽい人に頼んでみたら?」
「とりなして貰えるかしら。えーと、すみません、そこの虎柄の人」

「ん?」
「実は、信貴山朝護孫子寺の檀家の者なのですが、まさか幻想郷にもその信仰が根付いているとはつゆ知らず。是非とも聖というお方に感謝申し上げたいと参ったのですが」
「おおなんと、外からの人ですか。遠い所からわざわざいらしたなんて、これも何かの縁でしょう。今日は聖の予定も空いていますから、是非是非ごあいさつなさってください」

 私の話を聞いた虎柄の人は、機嫌良く私達を案内してくれる。まさかこんなにうまく行くとは思わず、逆に驚いてしまった。いや、虎の人の話からすると、その聖白蓮という人物は大変懐が広い様子だし、元から頼めば簡単に会わせてくれたのかもしれない。

(とんでもない嘘つくのね、メリー)
(信仰なんて名乗ったその日から信者よ)

「普段は観光に来た妖怪相手に営業らしき事もしていますが、私は一応ここのご本尊なのですよ」
「え?」
「寅丸星と言います。財宝狙いの賊と、うそつきを噛み殺すのが仕事なのですよ」
「……す、すみません」
「いいや。外から来たのは本当の様子だし、普通、こんな大きな寺の住職が簡単に会ってくれる訳がないと思うのも当然です。ただ知って欲しいのは、聖は拒絶を知りません。懐が広すぎて。私は本尊ながら、それが心配でならない。貴女方はただの人間の様子だし、邪なものも感じませんから、多少の嘘ぐらい仕方ないでしょう。人間ですからね」
「聖白蓮という人は、人間、なんですの?」
「元、ですね。人間が愚かだったばかりに、法界へと封印されてしまいました。しかし彼女は人間を怨んではいません。人間のその愚かさを怨んでいます。私達命蓮寺の者達は、その愚かさを退治する為に、こうしているのです」

 広大な寺院内を暫く歩き、やがて堂塔へと通される。中に入れば、正面には十メートル近い大きさの毘沙門天が鎮座しており、周辺をきらびやかな仏具と花々が囲んでいる。その真下には髪の長い女性が一人、ずっとご本尊を眺めていた。彼女は私達に気が付くと、物静かに、ゆっくりと頭を下げる。私達もそれにつられるようにして礼をした。

「聖、御客さんです。外の世界から来たという。貴女に興味がある様子ですよ」
「ありがとう、寅丸」
「……いいえ」

 何となく、星さんは照れたような仕草をして、退出して行く。星さんが場を離れると言う事は、私達は相応に信用されているのだろう。もしくは、人間如きが暴れた所でなんともない、という意味なのかもしれない。

「こちらにいらしてください、御客人」
「ええと、失礼しますわ」
「失礼します」

 堂塔はゆうに百人は入れるであろう広さがあり、しかも正面には大きな毘沙門天がいる。どこまでも高く広い作りのこの部屋にいると、自分が妙にちっぽけに思えて来る。外の方が断然広いに決まっているのに、私はこの伽藍とした空間を『広い』と感じる。閉じた空間とはあらゆる意味を箱に詰めて、判断を限定して行くからだろう。信仰施設は常にそういうものだ。

 荘厳な基督教寺院など、物凄く解りやすい例えだろう。あの超常を思わせる空間こそが、神がありお前達があるのだ、という説得になっている。我々人間は矮小なのだと知らしめる為に。

「本当はもっと、小さくて良いのですよ」
「はて、何の事でしょう」
「寺院です。仏像があり、手を合わせる私達がいれば、それで良いのに。こんな威圧的になってしまって、ごめんなさいね」
「でも、立派だってことは、それだけ信者がいるって事じゃない。釈迦に説法かもしれないけど」
「……私は聖白蓮。しがない尼僧です。冥府魔道に堕ちた後、彼女……寅丸星や仲間達の御蔭で復活を遂げました」

 彼女は静々と語る。私達が何を聞きに来たかなんて知らないのに、私達が知りたい事を一つ一つ、丁寧に説明してくれる。柔らかな物腰、何もかもを受け入れるような声、尼僧にしては、劣情を煽るのではないかと心配してしまうような容姿。恐ろしい事に、幻想郷にはこんな人達ばかりいる。桁が外れる毎に、その美しさは増し、背徳の加減も青天井になって行くように思う。

(美人ねえ……これで尼僧って、御寺の坊主は大丈夫なのかしら)
(女性しかいないっぽいよ。寺としてどうなんだろそれ)

「当寺院には、どのような目的で?」
「あ、あの。いえ。稗田氏から、立派なお寺があると聞いたので、観光がてら。寅丸さんが、聖さんの素晴らしさを滔々と語るものですから、是非お目にかかりたいと思ったんですわ。御迷惑でしたか」
「なるほど。稗田氏から。何も迷惑な事はありません。是非、毘沙門天様にお手を合わせてください」
「ご本尊、出て行ったけど、聖さん的にどうなの?」
「ああ。良いのです。信仰とは目に見えるものではありませんから、意味合いは変わりませんよ。ただ、代理である彼女がいて、歩いて回っているだけで」

「聖さんは……元人間だと、寅丸さんが言っていましたわ。変な話をするかもしれませんけど、私達が暮らす時代には、もはや信仰は全て形骸化して、本当の意味で物事に手を合わせるなんて事が無くなっているんですの。貴女の心を繋ぎとめ、自身を超常せしめたものは、信仰ですか? こうして、大きな寺を構え、そこに坐している事も、その結果?」

 聖さんはそれを聞くと、目を瞑る。長い間生きた人にこんな質問をして良いものだろうかと思うけれど、せずにはいられない質問だった。彼女や星さんの話が嘘でなければ、彼女は千年以上封印されていた事になる。そんな事をした人間を怨まず、こうして人里に寺を設けているのだから、この矛盾的な状況に疑問が残るのも仕方が無い。

「貴女方、御名前は?」
「メリーです。こちらが蓮子」

 お香と、線香の混ざったような匂いが、私の鼻腔をくすぐる。

「メリーさん、蓮子さん」

 呼びかけられた瞬間、私の中に何物かが入り込むような感覚。

「私は、即物的な者に対して、否定感を持ってはいません。そして、見えないものにこそ真実があるなんて、綺麗事を言うには歳を取りすぎました」

 欲望の肯定。

「きっと寅丸は、私が人間に裏切られた、なんて話しているかもしれませんが、違います。私は即物的で、汚い元人間なのです。自分が歳をとる事を恐れ、人の身を踏破した人種なのです。彼等の罵りも仕方がない」

 卑下。

「でも、目に見えないものにこそ真実があるなんて言葉は嘘でも、目に見えない事によって得るものは沢山あるのです。私は愚かでしたが、即物的な心によってこの容姿と、寿命を得、友を得、ヒトと妖怪の心に平静を齎せるような力と存在を手にしました」

 悟りの表明。

「信仰とはその過程にあるものです。人間も妖怪も私も愚かでも、私達が理想と崇める仏は常に清くある。私は自分を肯定し、信仰を肯定します。人が居る限り、妖怪が居る限り。現世救済成るならば、私は超越者として、体現者として、この大きな寺院に、構えたいと思うのです。ちょっと、大きいですけどね?」

 仏への帰依か。

「――あ、」

 脳髄にめり込むような、と表現すればえげつないが、それほどの笑顔に呑み込まれそうになる。
 私には、彼女の背に後光が差しているように思えた。
 ヒトがこんなに大きく見えた事なんて、初めてだった。
 蓮子を見やれば、複雑な表情で唇を噛みしめている。
 人を辞めた人達。あの霧雨魔理沙もだ。
 彼女達は何を思い、何を考え人を辞めたのか、この人の話を聞けば、ほんの少しだけ覗けるような気がする。
 大多数に及ぶ人類の中にあり、ヒトでは満足出来なかった、謂わば弱い人間達。弱い人間は人を辞め人を超え、
 そして辿り着く場所があるのかもしれない。たった数分の会話で、私はこの聖白蓮という人物に強烈な畏怖と、
 そして憐憫を覚える。いきとしいける者達を超えしもの。強烈なまでの、エゴだ。そしてそのエゴは、
 聖白蓮なる大人物によって分配されて行く。彼女を慕う妖怪達、人間達に、須らく。なんと強い事だろうなんと弱い事だろう。
 このひとの言葉はスッポリと私の心の中に落ち着いて、その色に染め上げて行く。
 なんと大きい人かなんとすさまじい存在かなんとなんとなんと

「――メリー、目覚ましなさい。聖さん、ちょっとやりすぎでは?」
「あら。ごめんなさいね。まさかそんなに信心深い子だなんて思わなくって。謝ります」
「……――」

 ……。

「蓮子さんと言ったかしら」
「ええ」
「一人、いましたわ。貴女のように、自我がとても強い人が。人間なのに、驚くほど、何もかもを跳ね付ける」
「そう。私は私に自信があるのよ。怖いものは怖いけどね。私は私が信じているものしか信じないから」
「では、蓮子さん、貴女の信仰心はどこへ」
「私はメリーを信じているの。だから、私のご本尊を掻き回さないでくれる?」
「蓮子、いいすぎ……」
「……」
「いいえ。非は私にあります。試すような真似をして、ごめんなさいね。幻想郷には、良いものも悪いものも、沢山いるんです。私のように精神に働きかけるような甘言、説法、洗脳が無いとも限らない。でも、蓮子さんが居れば、安心ね。寅丸ー」
「ええ、ここに」
「お客様がお帰りです。繊細な方だから、ちゃんとお寺の外まで見送ってあげてくださいね」
「解りました」

 私は蓮子に肩を借り、聖白蓮に背を向ける。心をごっそりと削られたような疲労感が、肉体にも影響を残した。あの笑顔に騙されがちだけれど、いや、皆忘れているのかもしれないけれど、ここにいるあの尼僧は、詭弁を弄する魔物そのものだ。蓮子の言葉がなければ、今頃心酔して呼吸も出来ない程に聖白蓮を愛しく思っていたかもしれない。

 本当に、容姿は何一つ当てにならない。自分で蓮子に言った言葉を今更に思い出す。

 強い奴程笑顔だ。

「……解らない。聖は、何故あのような事を」
「こっちが聞きたい。見なさい、メリーがぐでんぐでんじゃない」
「も、もう良いから。蓮子、私が弱かっただけよ。現に、貴女はピンピンしてるわ」
「うちの聖が、申し訳ない。普段、あのようなことは、絶対無いのに」

 私達を見送る間、星さんはずっと顔に手をあてて悩んでいた。それほどまでに、聖白蓮は普段、無害な人なのだろうか。いや、あれだけの信仰、あれだけの力を持ちながら、それを一人間にぶつけるなんて真似、そもそもする訳が無い。原因は私にあるのか、それとも彼女の気まぐれか。

 星さんにお礼を言って、私と蓮子は境内を離れる。人通りの多い場所を離れ、境内の裏手の細い道を進むと一気に開けた場所にでた。青い稲がどこまでも遠く、山の麓まで広がる場所だった。




 ――人里 田圃の畦道 13時24分



 
 ずうっとどこまでも、広がっている。

 私達の時代にも当然稲作はあるけれど、ここまで原始的な農法に頼った水田は見た試しがない。遠くから吹き抜ける風は私達を撫で、里へと下って行く。山に目をやればそこは噴煙をあげる活火山がよく見えた。抜けるような青空はここが地上である事を知らしめているけれど、それが本当に地続きの世界であるかどうかは、保障していない。

「……すごいわね」
「ほら、そこの岩、腰掛けて」
「……ありがと」

 大きく息を吸って吐く。聖白蓮に植え付けられたものが、ゆっくりと抜けて行くような気がした。いやはや、本当に恐ろしいものだ。もはや神にも等しいだけの力を有した怪物達は、その手を直に下さずとも人をどうとでも出来るのだろう。きっと私なんて、彼女達が殺そうと思えば、一言漏れる暇もなく、消し炭だろう。

「メリー、うかつな質問しちゃだめだよ。あいつら、人なんてなんとも思ってないんだから」
「そ、それは極論だと思うけれど、確かにああいう人達から比べると、私達の命なんてのは、塵程度かもしれないわね」
「大丈夫?」
「うん」
「本当に? 胸が苦しいとか、頭が痛いとか、無い? 何か欲しいモノはある?」
「大丈夫よ。そんなに心配しないで」

 疑問はつきないけれど、今追求したところで答えが出るものでもない。何せ、きまぐれと言われればそれまでなのだから。私達単なる人間と、人間を超越した存在の間には、どうにもならないぐらいの隔たりがある。蓮子は余程心配なのか、さっきから私の体を撫でたりまさぐったりちょっとまて

「ちょ、ちょっと」
「痛い所ない?」
「無いから、そうべたべた触らないで。暑くてたまらないわ」

 蝉の鳴き声があちらこちらから響いている。どれだけ風が心地良かろうと、そんな所まで触られたら視覚的にも触覚的にも聴覚的にも暑くてかなわない。

「飲み物、買ってくる。メリーはここに居て」
「う、うん」

 小銭を持つと、蓮子は走って里の中へと戻って行く。一人にして大丈夫か、というより一人になって大丈夫なのかな、なんて考えながら、私はぼうっと噴煙を上げる山を見据える。確か、阿求さんの話ではあの山は八ヶ岳の一角だ。

 岩長姫が坐す山。此花咲耶姫の姉。妹に削られた斜面を、いまだに怨み噴煙を上げ続けている……という。

 それはどれほどの怨みなのだろうか。

 ふと、東風谷早苗の後ろに映った、二人の神(おそらくは)を思い出す。もし、あの二柱が過去に争っていたとして、今は笑顔で一緒にいられるような関係ならば。神話の昔の小競り合いを、岩長姫は何時までも怒っているだろうか。時は全てを洗い流して行く。千年前二千年前の怨みを、口には出したとしても、本気で怒っていられるとは思えない。

「あー……あっつぅい」

 ジリジリと陽射しが肌を焼く。蝉の声が一段と大きく聞こえ、視界が白くなって行く。

「山間は」
「あ?」

 急に、私の周りに影が出来た。

「陽射しが強いから、あまり当たらない方が良いわ」
「貴女は……」

 視線を上げると、そこには日傘をさした人物が一人。銀色の眩しい髪に、切れ長い瞳。ゆったりとした奥ゆかしいメイド服を着た人は、私にそう忠告する。

「驚いた。妖怪だったの? まるで歳をとっていないわね、マエリベリー・ハーン」
「十六夜咲夜さん」

 十六夜咲夜。以前、夢から幻想郷に流入した私を客として迎え入れてみたり、メイドにしてみたりした人物だ。
 私の見知る十六夜咲夜よりも、ずっと大人だ。けれども、その洗練された瀟洒さも、弾むような声色も、むしろ磨きが掛っている。ドキリとするほどの大人の女性がそこに居た。

「い、色々、理由があるんですわ。以前あったのは、十年ぐらい前」
「そうね。私の記憶が正しければ。タイムスリップでもしてきたのかしら?」
「ええ、たぶん」
「事情があるのね」

 彼女はふふふと笑って、私の隣にポンと腰掛ける。日傘の下から覗きこむ視線に、妙な緊張を覚えてしまう。自分自身を怠らなければ、美人はもっと美人になるのだと証明するような人だ。

 私はあらかたの事情を簡潔にまとめて説明する。

「……とまあ、かくかくしかじか。私は、そのヒトに似ているらしい」
「ええ。私は、あのスキマ妖怪とそれなりに付き合いがあるわ。お嬢様達のお食事も、彼女や彼女の式が運んでいたから」
「そういう怖い話は無しで」
「貴女のその力は、ハッキリ言うけれどアイツそのものよ? あいつなら、時間ぐらい掻い潜ってもおかしくないわ。存在自体があべこべで、大理不尽。超不条理。究極変態的なのよ。私程度の能力者が束になったって、本気を出したアイツには敵わないでしょうね。あれはそういう奴」
「時間を止められるっていうのも、むちゃくちゃだと思いますけれども」
「その分、私は歳を取るわ。リスク無しの能力なんて存在しちゃ駄目なのよ。相応の対価を払ってこそ、あらゆるものは大成する。なのに、あいつはノーリスクで空間を穿ち、ノーリスクで世界を跳躍するわ」
「……」
「別に貴女を責めている訳ではないのよ。でも、あまりあの女と接触するのは、お勧めしないわね」
「阿求さんには直接、慧音さんには暗に、貴女にはズバッと、そう言われましたわ」
「そうでしょうね」

 咲夜さんは溜息を一つ吐いてから、頷く。もう散々言われた事だ。今更、八雲紫に出会おうなんて考えてはいない。ただ、皆はそろって彼女が天災のような存在だという認識を語る。天災を避ける術を、人間は持っていない。

「機会があったらまたいらっしゃい。生憎、今はお買いものに向かう最中だから、お相手してあげられないけど」
「いえあの、助かりましたわ。なんだかぼうっとしてしまっていたので」
「――白昼夢には魔が差す。意識は常に持ち、心を縛る事をお勧めするわ」
「咲夜さん」
「ええ」
「あの、また今度」
「……ええ。ごきげんよう」

 気が付くと、私の前から彼女は何の痕も残す事なく消えていた。相変わらず瀟洒な人。

 それにしても、もしかすれば並行世界まで飛び越えていたかもしれない、なんて思いもあったけれど、それは無いという確証が得られた。彼女は私を覚えている。つまり、縦の世界を時間で上下しただけ、という事になる。

「メリー、はあ、あつっい、おまたせ」
「急がなくても良かったのに。ありがと、蓮子」
「ん。木苺のジュースですって。なんかおシャレだから買ってきたけれど」

 竹のコップになみなみ注がれたジュースに口を付ける。すっぱさと甘さが口の中に広がり、私は思わず唇を噤んだ。

「メリー、なんか、ん? なにかあった?」
「いいえ? ただ、思ったのよ。人間もいいなって」
「人間以外、何者になれるのよ? へんなメリー」
「ええ、変かも。ずっと、ここに来てから変だわ。常識だと思っているものが、簡単に崩落して行く。当たり前だと思ったものが、本当は尊い。強いと思っていた精神は悉く弱くて、弱いと思っていた貴女は、とても強いわ」

 数時間のうちに、私の感性は様々な影響を受けたのだろう。妙に感傷的になってしまう。人の命の軽さ、故の強さに美しさ。超常的な存在に、儚く散らねばならぬ運命に置かれた人。幻想郷で働く人々に、そこで生きる妖怪。

「蓮子、ちゃんと教えて」
「ん?」
「ここは『本物』ね? 私は、貴女に教えて貰わないと、何も分からない馬鹿な子だから」
「……ごめん。まだはっきり教えてあげられないの。私は私を信じているし、メリーを信じているけれど、曖昧なものを断言出来る程賢者じゃない。確かに、彼女達は眼の前に居て、このジュースもすっぱいけれど……本当の事なんて解らないわ」
「いいえ、そんな筈ないわ。貴女が見知る世界も、貴女が見知った世界も、貴女の目を通して、そしていつも私に知らせてくれたもの。私達は幻想郷に至った。国が禁じる領域に、生身の肉体を持って流入した。その事実を、貴女の口からききたかった。きっと、また貴女の頭の中で、整理がついていないだけ」
「……ここに至る、過程」
「そう。全てはあの日から。……夢も現も」
「夢も現も。暗唱できるよ。そっか。そうだものね。私達に至る歴史には、必ず『アレ』が垣間見えた。本来関係無い筈なのに、情勢が移り変わるごとに、あの宣言は現実味を増し、国に影響を与えて来た」
「じゃあ、蓮子から」

 ……散々勉強させられた事だ。

「……夢も現も完全に独立した営みであり、人間にはどちらで生きるべきかを選択する余地があるもので、これを人権を謳う国家ならば保障すべきものである……『絶対性』精神学は今ここに、人間精神の解放を宣言する。西暦2011年、人類精神解放声明。同時に、結界不可侵法が衆議院を通過、参議院で否決、衆議院で再可決、立法。行政法人ESP能力開発研究所創設が12年。付随施設である精神解放補助施設が満員に。政府はバカスカとその施設を立て続ける」

「精神解放者をモニターするコンピューターが開発されたのは翌13年。解放者数が50万を突破。同時期にパンデミックが発生。翌月には、戒厳令。皇族が御用地に避難。東京で内患革命勢力による大規模な停電が10日続き、精神解放者をモニターする機能、病院での生命維持装置が停止。東京全体で被災者が300万人を超える」

 示し合わせたように、次々と近代史が頭の中に浮かび、口から出て行く。

 相対性精神学と、近代史の関連性。相対性精神学に潜む、怪異の匂い。

「大混乱に乗じて大陸から大動員。航空、観光船を装った武装集団が流入。明らかな国家ぐるみの侵略行動。武装兵力1万。東京以北が分断。自衛隊を出動させない政府に業を煮やした統合幕僚長、超党派議員連盟が蜂起、自衛隊による革命勢力排除敢行。革命勢力死者2万、自衛隊、自警団あわせ死者5千。うち、結核とインフルエンザでの死者が革命勢力5千と、自衛隊、自警団で千人。日本臨時政府が京都に樹立。旧政権担当者は拘束。2014年、超多剤耐性型インフルエンザ、結核に有効な抗生物質が完成。開発した会社が本社を置く州の知事が権利独占。紛争の火種になる」

「2015年5月、第一次米国内紛。2015年9月、第二次米国内紛。無菌の極寒地に移住する人々が増え始める。人民共和国にて上海閥が独立、北京閥と紛争に。各地方派閥が続々と独立を繰り返す。日本国は内乱で本国支援を得られなくなった革命勢力から東京以北を奪還。補給のままならなかった東京以北での死者、1000万人超。その間に各国でのパンデミックによる死者が増加、アフリカ大陸で国家が16消滅」

「半島南北による統一戦争再開。上海、北京両派閥紛争泥沼化。核使用の痕跡が衛星、その他計測器から認められるも、中央政府は黙秘」

「2017年米国、核反応炉がテロ攻撃によって同時多発的に破損、大規模汚染へ。日本では宮城県女川原発がテロ攻撃により破損、東北地域に緊急避難発令。世界中での病原体、紛争、被爆による死者、2017年で10億5千万人到達。国連の付随機関、人類共同生存委員会設立。日本国、輸出元国家消滅により大規模な飢饉に見舞われる。1年で死者200万人」

「精神解放推進連盟による大規模デモ。京都臨時政府への強行突撃。皇族は京都御所から長野新大本営へ避難。要求を飲んだ臨時政府が解放施設の再解放を実行。ESP能力開発研究所の再始動。後も病原体による死者が増え続ける」

「2020年、扶桑東京大学薬学部が超多剤耐性型インフルエンザ、および結核に有効な抗生物質を完成。病原体による死者が一気に激減、大量生産に移り海外輸出。4年後の2024年、一応の病原体撲滅宣言。2025年、精神病ら患者が過去最大に」

「大貧困期に突入。あらゆる方面の旧制度見直し、文明維持の為の特設機関設置。西暦2030年、異例の鶴の一声。臨時政府下初の衆議院総選挙。新日本国政府によって、国民投票実施、憲法改正、改暦、国名改名、自衛隊国軍化。合成食品が研究、開発される」

「皇紀2693年、DT(二重水素、トリチウム)反応によるプラズマ核融合が日本、東部米国、EU共同開発にて成功。エネルギー問題解決の兆しが見え始める。2694年、合成食品による食糧供給安定方法が確立。無職者を政府が大量雇用。税率が上がるも、大規模な反乱は起こらず」

「2705年、大貧困期脱出を宣言。もはや貧困ではない、が名言に」
「翌年、精神解放施設の縮小を断行。『絶対性精神学』の見直し。翌年、『相対性精神学』確立、結界不可侵法に項目追加(第二十一条 如何ナ手段ヲ用ツテシテモ コレヲ暴ク事ヲ禁ズ)」

 私の学ぶ学問は……

「はあ……良く覚えてるね」
「貴女もねえ……」

「……2710年、インターネットにおいて、謎の映像データが氾濫」
「地質学にみて、長野県に類似と判断」
「幻想郷という言葉が再加熱。謎のデータ、大停電で紛失した精神解放者のモニタデータだと判明」
「……2712年、科学による結界侵攻が盛んに。秘密結社、秘密倶楽部、逮捕者21名、極刑」

 ……全て、この延長線上にある。

「2716年、マエリベリー・ハーン生誕」
「2716年、宇佐見蓮子生誕」



 もう一度、互いに大きく息を吸って吐く。ジュースを一口し、私は頭を振った。

 私が見る結界の歪も、皆が噂する幻想郷も、結局は精神解放者がモニタで見ていた夢でしかない。けれど実際に法律があり、私達はここに居る。この、否定しようのない、夢のような世界に居ながら、どこをどうすればこれが『精神解放者が見ていたものは単なる夢でしかない』なんて言えるだろうか。以前の私もきっと、その精神解放者達が見ていたものと、同じ経験をした事になる。

 彼等は幻想郷に至った。全部ではないだろう。けれど、一部の解放者は、間違いなく。

 私達科学の子等は、全てこの過去の延長線上に存在しているのだ。

「あの宣言は、今に思えば、正しく私達の為にあるようなもの。私達はここにいる。蓮子、手を握って」
「……うん」

 陽射しが私の背を焼く。柔らかく白い指先が、私の手にしっかりと絡む。

「やっと実感を持てる。やっと胸を張って言える。浸透した理解は私の精神に納得を齎したわ」
「ええ」
「以前は、貴女が私の現実を証明してくれた。だから、今日は私が証明するわ」
「――うん」
「ここは幻想郷。紛う事なく、本当に存在する、夢のような現実の世界よ。幻想は手に取れる形である。超越者達は存在する。魔法は、間違いなく、あるわ、蓮子」

 貴女は魔法使いのような人ねと、初めて出会った宇佐見蓮子は瞳を輝かせて、私に言った。その純粋さが、その幼さが、私には眩しくて眩しくて、仕方が無かった。今みたいに彼女から手を取って、私の異能を卑下する処か賞賛した。最初は単なる奇術に見えたのかもしれない。次第に深度を増す私の力は、確実に蓮子の心を鷲掴みにしたはずだ。

 もっともっと仲良くなって、二人で居るのが当たり前になって、倶楽部を立ち上げて、色々な場所に赴いた。月面はまだだけれど、きっと一緒に行けると思う。両親でなく、友達でもなく、この何時までも幼子のような瞳を持つ子と一緒に。

 私はもう、一番最初から蓮子の術中に嵌まっていたのかもしれない。純粋な感情は魔法程に人を動かす。彼女がいたからこそ私は卑屈にならなかったし、彼女がいたからこそ相対性精神学の根本論は間違っていると気が付けたし、彼女がいたからこそ、この幻想郷に至ったのだと確信している。

「蓮子、行きましょ。もっともっと、幻想郷をこの目で見ないと。一杯考えて、一杯笑って、一杯写真とって、一杯思い出を作りましょう。秘封倶楽部は、この為にあったのだから」

 ここでは私が先輩なのだから、彼女の手を引いて前に進まなきゃいけない。蓮子は……嬉しそうに微笑んでから、ほんの少しだけ、寂しそうな顔をした。




 ――稗田本家 16時03分




 なんだか、あれから随分と大人しくなってしまった蓮子の手を引っ張って、私は人里を満喫した。買い食いしては店先で足を止めて冷やかし、大道芸をタダ見しようとしたら金髪の女の子に睨まれたり、万引きしようとした妖精三匹を捕まえて脅してみたり、蓮子がスカートめくられて逃げられたり、頭に桃をつけた変人と論争になってみたり、ウサギを愛でていたらウサミミコスプレに怒られたり、とにかく色々だ。

 目に映る全てが珍しく奇抜なので、事あるごとにああでもないこうでもないと話し、おのぼりさん(このばあいおくだりさんだろうか)まるだしの、よい観光だったと思う。

 稗田家の縁側で撮った写真を確認しながら、私達は魔理沙さんの迎えを待っていた。写真の写り具合といえばなかなかなもので、ちゃんと妖精や天人(だと名乗る変人)も写っている。最初はぼやけて見えたり写っていなかったりを心配したのだけれど、むしろ余計なものまで沢山写っているのが逆に問題だった。

「あはは、蓮子、肩から手が伸びてるわ」
「これなんて貴女、幽霊におっぱい揉まれてる」
「え、どれ? うわ、ひどいわね。こういうの何処に訴えればいいの?」
「そもそも司法機関が無いんじゃない?」
「無法地帯ね、幻想郷は」
「それを言い出したら、天人の桃ふんだくってみたり、妖精とはいえ恥ずかしい写真を強要した貴女の方が捕まると思うけど」
「稗田さんが、妖精には容赦するなって言ってたじゃない」
「稗田氏は妖精に良い思い出がないんでしょきっと」
「あー……あら?」
「どしたの?」
「私のカメラ、データがいっぱい」
「ええ? 何千万枚撮ったのよ?」
「違うのよ。新型メディア、まだ1PB辺りの単価が高いでしょ? だから携帯と共有なの。書籍データとアプリデータで満杯の所に高画質写真だから、データ食っちゃって」
「だから、ケチらないで大容量のモノリス買っとけば良いのに」
「私は携帯にホログラムAVデータも、超立体音響音楽も保存したりしないのよ」

 いつの時代もデータ容量で云々なんて会話があると両親にも聞いた事があるけれど、私達の世代も例に漏れずだ。モノリスというのは1cm角のデータメディアで、ハイエンドのものだと10PBまで保存可能な優れものだ。名前の通り黒くて、凄まじく堅い。しかも大容量。何時の時代も謳い文句は様々あるけれど、新しいこのメディアは他と違い、機械で読み取らせなくてもデータが再生可能になっている。

 開発者曰く『電子データは消える可能性があるし、紙は劣化する。世の中最後まで残るのは石板に書きこんだ文字だ』らしく、認証(指紋、静脈、顔面)して太陽光に晒すと内部データがアナログで見れる、という変態的設計だ。故に巷では石板なんて呼ばれていたりする。

「昔はこの大きさで5GBしか入らなかったらしいのよね」
「5GBって、写真一枚も撮れないじゃない」
「……あのねぇ」
「保存容量が増えてもデータ容量が膨大になったら大して変わらないじゃない、ねえ?」
「その分データが高品質に保てるのよ。そんなもんよ、そんなもん」
「理系の考える事は良く分からないわ、ねえ魔理沙さん?」
「ギクッ……」

 と、私は咄嗟に振り返り、背後の白黒を威嚇する。魔理沙さんはまさか気がつかれているとは思わなかったらしく、ワキワキとさせた手を背中へ引っ込めた。その手で何をしようというのか。

「あ、ああ。理系の考える事は良く分からんな」
「ねー?」
「いや、メリーも一応理系でしょ……」
「で、何やってんだお前ら」
「撮った写真の確認ですわ」
「へえ、どれどれ」

 覗きこむ魔理沙さんにデジカメを差し出すと、彼女はニヤニヤしながら眺めて行く。そんなに面白いものが写っていただろうか。確かに、蓮子の顔が写ってたらニヤニヤしない事もないけど。

「こいつ、どうだった?」
「金髪の大道芸人かしら?」
「そうそう」
「おひねりあげなかったら睨まれましたの」
「こいつ魔法使いだぜ」
「え、あれ魔法だったの? 地味すぎて笑っちゃった」
「れ、蓮子。毒吐きすぎ」
「お、妖精捕まえたのか?」
「ええ。三匹まとめてあられもない写真を撮らせてもらおうとしたら、蓮子があられもない姿にされましたわ。撮ったわ」
「白か」
「白なのよ」
「め、メリー!!」
「比那名居にも逢ったのか」
「どれかしら?」
「青い髪の暇人だ」
「ああ。蓮子と論争になってたから、桃引きちぎって逃げて来たわ」
「……その桃、天界の桃だぞ。珍品だ」
「まあ、本当? 蓮子食べる?」
「い、要らないわよ。食べてお腹壊したらどうするの」
「いらないなら貰うぜ」
「じゃ、今日の観光代金で如何?」
「暫く遊んで暮らせそうだなあ……いやまあ、いつもだが。あ、鈴仙にも逢ったのか? 随分色々遭遇したな」
「どれかしら?」
「この紫色のウサギだ」
「ええ。ウサギに食べ残しを処理して貰ってたら、変なもの食べさせるなって、そのコスプレの人が」
「こいつは月のウサギだ」
「月?」
「ああ。私も月に行った事があるんだ。裏側で、しかも結界の中だがな」
「蓮子、聞いた? 月にはウサギが住んでいるらしいわよ?」
「それは無いわね。魔理沙さん、私達の世界には月面エレベーターがあるのよ。行こうと思えば直ぐに行ける場所なの。高いけど」
「それも無いぜ。この月ウサギ達が住んでるのは、所謂月の幻想郷みたいな場所だ。人間じゃ入れない」
「なるほどねえ……蓮子、じゃあ次の目標は月の幻想郷ね。月で結界暴きだわ」
「もう何が正しいのか理系の私にはわからないわ」
「あんまりお勧めしないがな。ここの幻想郷と違って、空間が閉じてる。流入ってのがまずありえない」

 なかなか興味深い話になる。魔理沙さんの話が確かならば、世の中幻想郷のような場所が二つも三つもある事になるからだ。自然偶発的なものと、意図的なもの。この幻想郷も、月の幻想郷も、どうやら意思ある生物の手によって作られたものらしい。

「これは八雲紫の受け売りだが、あっちの結界は他からの流入を拒絶した作りになっている。かなり条件が揃わないと無理だとさ。結界能力者でも、時間的、魔素的、都合のよいあちらのほころび、なんてのが合わさらないと」
「月といえば月読ですわね」
「ああ、良く知ってるな。向こうを治めているのは月読だ」
「――またまた、御冗談を。神話の神様ですわよ?」
「難しい事は知らんが……ほら、この月ウサギがいるだろ。こいつが師匠と慕ってる、永遠亭の薬師。あれなんかも神様の類だと」
「お、お名前は?」
「八意永琳」
「――八意思兼?」
「500歳で割っても0歳だとさ。億超えてるんじゃないか、あいつ」

(蓮子、蓮子)
(何よ?)
(魔理沙さんは頭がおかしいの?)
(こんな近くでヒソヒソ話しても、ほら、魔理沙さん青筋立ててるわよ)

「頭がおかしいとは酷い言い草だな。だが、幻想郷で外の常識が通じない事ぐらい、お前達も実感したろう?」

 それは、ごもっとも。ただいきなり億歳と言われて納得しろと言われると難しい。恐竜なんかよりずっと昔から人の形をしているなんて、それはもはや進化論否定だ。宗教がほぼ壊滅に等しい打撃を食らった私達の世代からすると、妄言も甚だしい。

「それにお前ら、これから神様に逢いに行くんだろ?」
「そうだったわ。ああ、魔理沙さん、この写真ですけど」

 そういって、私は蓮子のカメラをひったくり、例のコチヤサナエ写真を差し出す。彼女はそれを見て、コクリと頷く。

「早苗と神奈子と諏訪子だな」
「この注連縄が神奈子さんで、こっちの蛙帽子が諏訪子さんね?」
「ああ」
「二人の仲は?」
「いいぜ。すごく。だが幻想郷の問題児だ。異変らしきものでいえば、そうだな、三回以上起してるしな、アイツ等」
「異変ってなんです?」
「んー。ルールにしたがって起こす、妖怪や神様の気晴らしだよ。幻想郷隔離問題は阿求に聞いただろ?」
「はい」
「隔離するに至って、人間も妖怪も狭い中に閉じ込められる事になる。妖怪が無暗に人間を襲ったら絶滅しちまうし、人間を襲わない妖怪は存在意義が薄れて亡くなる。それを解決するのが、異変であり弾幕ルールだ」

 魔理沙さんの話では、こんなのどかな幻想郷にも殺伐とした時期があったらしい。今は人間も妖怪も妖精も入り乱れている人里だけれど、その頃は妖怪が侵入すれば里人総出で竹やりを持って出動し、毎夜毎夜数十人態勢で里は警護され、里の有力者達は毎日のように里の防衛論を語り、穏健派と強硬派が殴り合いに発展する事もしばしば、だったという。

 里人と妖怪の激突が続く中、数代前の博麗と八雲が仲介に入ってなんとか小康状態に留めるに至ったらしく、それまでは弱い人間程不眠症の絶えない里だったのだとか。

「だが人間を襲えないんじゃ、妖怪は立場がない。私のような人間様の味方も立場が無い。そこで博麗が提示したのが、命名決闘法案だ。妖怪が異変を起こしやすく、かつ人間が解決しやすく、力任せではないスタイリッシュスポーツだな」
「妖怪退治も妖怪の怪異もスポーツ化しているんですのね?」
「ま、私はぱぅわーだと思うんだが、綺麗な方が尚良い。こうな、力を込めた弾をだな……」

 そういって、魔理沙さんは手元から……謎の光弾を浮かび上がらせる。私と蓮子はそれを見て、初めて魔法らしい現象に手を合わせではしゃぐ。何これ? ホログラム映像じゃない? 違う? 装置がない。どういう事だろうか。

「こいつを、相手に当てる。ま、強い奴程美しく、そして抜け出しにくい。魔理沙さんは妖怪としちゃまだまだだろうが、弾幕勝負なら幻想郷一番だぜ」
「へえ!! 凄いのね魔理沙さん!!」

 と、蓮子が物凄い勢いでくいついた。もしかしたら、こういうのが欲しかったのかもしれない、彼女的に。同時に物凄い勢いで写真を撮ってるし。

「こらこら、あんまりフラッシュ焚くな、弾が消えるかもわからんだろ」
「そんなあやしい機能ついてない。それより、その弾を沢山出せるの?」
「あ? ああ。パズルみたいなもんなんだが……なあメリー、こいつ食いつきすぎじゃないか?」
「そういうのが好きなんだと思うの、超統一物理学専攻者だし」
「物理的に有り得ないわよこんなの。他の事象現象は何かにつけて、こじ付けでも説明出来るけど、何も無い空間から光る物体が現れるなんて、なにそれ、なにそれ!! 触ってみてもいい?」
「痛いぞ?」
「どれどれ……うわ、熱が有る。別にスチールモールを燃やしてるわけじゃないの?」
「んなもん燃やすか。そもそも燃やしたら熱いだろ? 燃やす奴もいるが」
「へー……あだっ!!」
「あ、蓮子」
「……ええ? 痛いの? なんで?」
「痛いようにしてるから。スポーツったって攻撃は攻撃だから、痛くなきゃ意味ないだろ?」
「げ、原理は?」
「原理と言われてもなあ。出せるから出せる。魔法だからなあ」
「魔法……魔法……ああ、やっぱり魔法なんだ……魔理沙さん凄いのね、私にも出来る?」
「才能があれば出来るんじゃないか? 何せここは、幻想郷だからな?」
「記念に一個持って行けない?」
「保存出来る箱でもありゃ良いんだがなあ。ああ、魔法の素ならやれるぞ?」
「頂戴!!」

 魔理沙さんが帽子の中から金平糖みたいな塊を数粒出して、蓮子に手渡す。私には金平糖にしかいえないけど、蓮子にも金平糖にしか見えないらしい。まあ、金平糖と言っても合成しか観た事無い訳だから、確かに本物ならレアアイテムだ。金平糖として。

「金平糖に類似するもの。もしくは癇癪玉」
「いやいや。ちゃんと魔法の素だ。ただ、口の中に放り込んだら爆発するって意味じゃ癇癪玉だが」
「これ、持って帰って成分分析してもいい?」
「いいんじゃないか? まあ、素が魔素を含んだ茸だから、茸の成分が出るかもしれんがね」
「茸……これが……? 合成食品も奇想天外な物質から食料を作るけど、まあ確かに幻想郷的には常識なのかもしれないわ」
「蓮子、納得するのが早すぎるわ。でもまあ、何、良い手土産になったわね」
「金平糖だけどね……ねえ、魔理沙すぁん?」
「……メリー、助けてくれ、さっきからコイツ、顔が近い」

 確かに。あの目は探求者というよりは、楽しい事を期待する幼子の眼だ。その眼が私に向けられていないのは悔しいけど、こうしてはしゃぐ蓮子はたまらなく愛いものがあるので、納得しておく。

「その、弾幕ごっことやら、見学出来ないかしら?」
「相手がいればなあ。……居ない事もないか。守矢に直接行くつもりだったが、博麗神社に足を伸ばそう」
「本当に?」
「ああ、だが……三人で箒に乗る時間が増える訳だから、その辺りは覚悟しておけよ?」
「へ?」

 蓮子が小首をかしげる。私も少しだけかしげる。かしげた後、そういえば人里でも空を飛んでいる人が居たような気がするなあと思いだし、一人頷く。確かに、この時間からあの山を登って守矢神社に行くには遅すぎるのでは、などと考えていたのだけれど、成程飛んで行けば大して時間もかからないに違いない。

 魔理沙さんは意地悪な顔をしてから、突如手元に箒を出現させる。手品的なのはわざとなのだろう。彼女はおもむろに箒を跨ぐと……何の出力も無しに浮いた。

「……蓮子、超統一物理学的にどう?」
「え、これ航空力学じゃない?」
「だから統一されてるじゃない」
「……何で揚力得てるんだろ……」
「だから言ってるだろ。魔法だ、魔法」

 そうして私達二人は、その謎の力で浮かぶ箒にまたがり、そして大後悔時代に突入した。

「ほら乗れ」

 浮き上がった瞬間、下っ腹がむずむずした。きっと括約筋が活躍出来ていないのだろう。蓮子の悲鳴が幻想郷の空に響き渡り、そのハグは私の腰椎をギシリときしませる。かつて無い密着状態に、私は別の意味で絶頂を迎えそうだった。腰椎が。

「……ぅぉぉぉぉ……ぁぁぁあぁあああッッッ!!」
「おい! 蓮子五月蠅いぞ」
「たか、たかい!! 魔理沙さん高い!!」
「蓮子、腰、おれ」
「メリーたすけてぇぇぇぇ……」
「大丈夫よ、落ちないわよ」
「だだだって!! 未だに鉄の塊が空を飛んでいるのだって信じられないこの私がまさか生身のまま上空40メートル付近を箒で旋回するだなんて夢にも思ってなかったわよぉぉぉおちるぅぅニュートン的に考えて引力のままおちるぅぅぅぅ!!!」
「そこでニュートンの名前を出してもまるで知的じゃないわ……ほら、しっかり眼見開いて、幻想郷を見渡してみなさいよ?」
「そうそう。普通経験出来ないだろ? 外の人間は生身で空を飛ばないらしいからな」

 どんな原理で浮いているかなんて無粋でしかないので、私は蓮子のようにつっこまず、それはそれ、と考える事にした。三人で箒に乗るのは狭いけれど、そんな窮屈な想いは一撃で吹っ飛ぶ程のインパクトが眼下に広がっている。

 人里がドンドンと小さくなって行く。瞳に映る光景のすがすがしさをどう表現すれば良いのか私にはわからない。何せ耐震強化鉄筋コンクリートのジャングルに生まれ、緑とは無縁の生活を送ってきた私達には、表わすべき語彙がないのだから。体感した事の無い強烈な爽快感と、湧き上がるような期待感と、ほんの少しの恐怖心が今の私に違いない。

 山の際まで広がる田圃、網の目のような畦道、高くて深い山に、輝く湖。それらの光景は鮮烈に脳裏に刻まれる。濃密な酸素は私の中に沁みるようだった。

「幻想郷、綺麗ねえ、魔理沙さん」
「当たり前の光景だから何とも思わんが、お前がいうならそうなんだろうな」
「ふぅ……ひぃ……高っ……うわあ……すご……これ落ちたら死ぬ……む……箒に引力があるのかしら……体が吸いついてる感覚……帽子も落ちないのね……」
「そういうもんだ。私が気絶でもしない限りは落ちないって」
「ほら蓮子、あれが紅魔館。それとあっちが私達が落ちた森、人里なんてもうあんなに小さいわ」
「へえ……おほほ……たかっ……幻想郷に有りながら毒々しいまでに紅いわね……」
「挨拶に行くか?」
「いいえ。さっき咲夜さんにあったから、大丈夫ですわ。それよりも博麗神社」
「ああほら、あれだ」

 魔理沙さんが指さす先の小高い山に、何やら建造物が見える。丁度幻想郷を背にして建ててあるのか、鳥居はそっぽを向いていた。

「ガイドさん、博麗神社の建立は何年? 管理者は誰?」
「さあ、何せ管理者がその辺り知らないからなあ」
「適当な神社ですわね。その管理者さんのお名前は?」
「博麗霊夢だ。お茶を出す程度の能力の巫女だよ。幻想郷異変解決が仕事の、立場上人間の味方だ。ただそれも建前で、実際は極中立。あいつは人間にも妖怪にも悉く好かれる。強ければ強い程な。弱いとむしろ毛嫌いされる奴だ」
「聖白蓮というヒトにあいましたわ。彼女は人間と妖怪の共生を夢観ていたけれど」
「あいつが願うまでもなく、今の幻想郷はそうなってるぜ。あれは新参、こっちは古参。幻想郷の秩序は、一応博麗の管理下にある。名誉無き幻想郷大統領様だ」
「へえ……メリーと一緒に観た外の博麗神社は、物凄い寂れていたわ。場所が変わると扱いも違うんだ」
「扱いは杜撰なんだけどな。博麗は現世と幻想の境界線にある。かなり幻想寄りだが、外に出たい場合、あいつに頼めば出して貰えるだろう」
「結界能力者ってことです? 私のように」
「うーん……あいつはな、存在自体は凄まじく曖昧なんだよ。だから、なんかいつか消えちまうような雰囲気が漂ってはいるんだが、我は凄まじく強いな。他人様を知人とも友人とも思ってない節があるし、自分が良ければそれでいいタイプ」
「それと能力がどう関係するのかしら?」
「確かに、結界が得意だ。ただ、紫のような力は……ない……ような気がしなくもないというか……外へ出せるってのも、能力というよりは属性、管理権限みたいなもんだと思うぜ。幻想郷の管理権限」

 そうこう言っている間に、私達は博麗神社に辿り着く。境内に降り立つと、蓮子は直ぐにへたれてしまった。

 ……左目が痛む。

 ここは境内、つまり神聖な空間である筈なのに、穴だらけだ。それどころか、向こう側が透けて見える。元から結界の薄い部分を補う形で立っている神社なのかもしれない。辺りを見回し、鳥居の付近で人を見つける。紅白色の女性はこちらに気が付くと、箒を置いて近づいてきた。

「アンタ、何してるの?」
「はて?」
「その格好。髪も切ったの? 最近見かけないから、どうしてるのかと思ったわ。後継者なんとかする、なんて言ったきり、顔も見せないで。てか、なんで魔理沙の箒で飛んでくる必要があるの? で、もう一人は誰よ?」

 女性は私を見ると、眉をしかめてそのように言う。歳の頃は20後半か。長い黒髪に巫女装束。雰囲気こそ温和だけれど、口調はきつい。言葉の節から他人に配慮などする気がない事が伺える。こういうタイプは自分が世界の中心だと思っている人間だ。幻想郷の女性は気が強いけれど、彼女など観た通りそのまま、体現のような人だ。

「おう霊夢。そいつは紫じゃないぜ」
「は?」
「は? ってな。確かに似てるかもしれんが、お前がなんで紫とこいつを見間違うんだよ」
「見間違うも何もないわよ。魔理沙、ぼけたの?」

 どうやら、事情がかなり混み合いそうだ。

「で、紫。後継者は見つかったの? 私もそろそろ少女を名乗るのもきついわ。今年で26よ?」
「私は八雲さんじゃありませんわ」
「……あら、紫、声変わりしたの? 随分可愛くなったわね」
「ええと、博麗さん? 私達、外から来たの。メリーが散々八雲何某に似てるって言われてるけど」
「……アンタは人間よね。魔理沙、このひと達は?」
「ああ、観光客だよ。外からの人間だ。オマケにタイムトラベラーでもある。幻想郷名物の弾幕が観たいっていうから、お前に見世物になって貰おうと、魔理沙さんがわざわざ赴いた訳だ」
「弾幕ごっこ? まあよいけど。今はそれよりも紫の問題を解決したいわ。あいつ、顔見せないのよ。で、見せたら他人だったわ」

 霊夢さんは顎に手を当ててウンウンうなる。彼女の眼からすると、私があまりにも八雲紫に似ているらしい。

 もしかしたら、私達とは見えているものが違うのかもしれない。博麗が結界守であり、結界の管理をしているのが八雲紫であるなら、その関係性は想像するに易い。その彼女が私を見間違うのだから、原因は『注目点』にあるんだろう。

 私が現にそうだ。私の左目は、他人とは別の価値観をその瞳に映す。

「あの、突然失礼ですけれど、博麗さんは、眼が?」
「え? ああ、悪いわ、凄く」
「はあ!? 霊夢、お前何言ってるんだ!!?」
「だから、モノはぼんやりしか見えないわよ。でもそこにあるものの本質なら見えるわ。どんな形をしているのか、どんな気を持ってるのか、どんな性質なのか。魔理沙、長い付き合いなのに知らなかったの?」
「まさか盲いだったとは。冗談だろ?」
「嘘ついてどうするのよ。ええと、誰だっけ、アナタ、金髪の方」
「メリーですわ」
「あいつにそっくりなのね、本質の部分が。だから見間違えたんだわ」

 合点が行く。その性格も、その言葉もだ。この人には物事の本質が見えていて、外側に繕っているモノなんてのは全くの無意味でしかない。存在が放つ情報を観ているのであって、外殻が視界に入っていないんだ。だから、ほぼ『見えている』には違いないし、生活に何の支障もないどころか、むしろ卓越した力を持っているに違いない。

「魔理沙さん、博麗さんは、貴女よりも強い?」
「うぐ……」
「あら、メリーは観る目があるのね。魔理沙が私に勝ったのなんて、何年前?」
「メリー、何がどうなってるの?」
「博麗さんは私達と観ているものが違うのよ。その存在にとって重要な情報を見抜いて視覚にしているの。だからたぶん、相手がこれからどんな行動に移るのかとか、どんな技がどんな動きをするのかとか、丸見えなんだろうなと思ったの」
「魔理沙さん全然気が付かなかったぜ。そりゃうっとおしい動きする訳だ」

 魔理沙さんが頭を掻く。長年の付き合いで何故自分が勝てないのかようやく氷解したような、呆気にとられたものだ。幻想郷において常識が通用しないのは知っての事だけれど、こんな人がいたらそんな常識破りな人達でさえ見透かされているのかもしれない。いや、だから博麗なのか。幻想郷管理者なのか。どうやら本当に世界の中心らしい。

 霊夢さんを左目でジッと観る。人間なのだろうけれど、具体的な言葉は思い浮かばないけれど、やっぱり違う。怪異を引き寄せるような、常識を存在そのものが否定するような、滲み出る魅力がある。彼女は強い妖怪にも人間にも好まれるという話だから、たぶん間違いない。自分勝手で傲岸不遜だろうと、言葉に出来ない魅力があればヒトはついてくるから。

「弾幕見せに来ただけなのに、偉い発見だぜ。今後は気を極力抑える必要がありそうだな」
「頑張って努力することね、魔理沙」
「努力ぅ? 天才の私がそんなもん必要あるかっての」
「魔理沙さんは天才ですものね」
「魔理沙さんは天才だものね」
「ほらみろ、こいつらは観る目があるな。流石先進的な外の人間だぜ」
「はいはい。で、弾幕するの? するなら早くしましょ。私は早くお茶が飲みたい」

 霊夢さんもご機嫌斜めに非ずらしく、どうやら引き受けてくれるようだ。気分屋が支配する幻想郷にしてはすんなりである。蓮子は早速カメラを用意し始めたので、私はデータを整理しながら動画撮影の準備をする。容量が少ないので低画質になってしまうのは御愛嬌だけれど、何も撮らないよりは良い。

「しからば」
「ええ」

 二人が咳払いをして、構える。

「いやあ、久しぶりなのに、付き合いが良いじゃないか、霊夢」
「たまには動いておかないと、鈍るもの」
「ああそうかい。じゃあ守護者様、この無粋な妖怪めを退治していただけるかな?」
「お安い御用よ。妖怪には容赦しないのが博麗の主義なの。貴女は変わらないわね、妖怪になっても」
「妬ましいかい、若いままの私が」
「私は人間。必衰の者だから。生まれ、倒し、死ぬまでだわ、魔理沙」

 口上が述べられる。たぶん、そういう形式があるんだろう。けれども互いにその瞳も口調も、演技掛ってはいるもののどこか真に迫るものがあるのは、心の奥底で感じている想いを口にしているからだろう。


「ならばくたばれ人間」「だからくたばれ妖怪」


 私は、蓮子が目元を拭うのを見逃さなかった。どこか、琴線に触れるものがあったのかもしれない。演技でも、二人の口調は静かで寂しい。魔理沙さんが弾幕、という言葉を聞いて早速博麗神社に連れてくる位なのだから、きっと本当に長い付き合いで、気の許せる相手なのだろう。だからこそ、そうだ。人間を捨てた魔理沙さんと、人間である事を肯定する立場にある霊夢さんには、容姿以上の差が生まれる。見た目はまるで大人と子供の喧嘩なのに、映し出される情景は言葉につまるモノがある。

 二人が上空へと昇って行くと、魔理沙さんが懐からカードを取り出し、何かを宣言する。

 同時に蒼い空へ、まだ少し早い満天の星空が生まれた。天体観測写真のようにぐるぐると星々が周り、霊夢さんの周囲を包囲して行く。霊夢さんはその動きを静かに観察してから、あろうことかその場から消えて失せ、次の瞬間には安全圏に逃れていた。丁度、回転する星々の被害を被らない、弾幕の渦中にだ。

「そっか……」
「蓮子?」

 蓮子は広がる弾幕を見上げながら、ボソボソとつぶやいている。何かを思い出すようにしながら、何度も頷いて、時折私の顔をチラリと観る。

「蓮子、ほら、写真とらないと」
「え、あ、うん」

 私と蓮子はカメラを構えて彼女達の動きを追う。拡大機能で音声も表情もバッチリだ。

 流れ星の速度が上がり、霊夢さんの動ける範囲を縮めて行く。けれども、そんな高速回転を霊夢さんはモノともせず、細やかな動きで捌き、避け、まるで魔理沙さんをあざ笑うかのようだった。魔理沙さんも見慣れた光景らしく、過剰反応こそしないものの、口元は愚痴を漏らしているように思える。どっちが妖怪なのやら、などだろう。

 人間が空に浮いて、謎の発光体をぶっぱなしている時点で何もかもブッ飛んでいる訳だけれど、私の眼から観てもう線にしか見えない弾幕の軌道を歩くかの如く避けて回る霊夢さんは極端に異常だった。

「おうい二人とも!!」

 魔理沙さんが此方へ大声で呼びかける。その手には、角ばった何か。

「幻想郷一位と二位の弾幕戦だ!! 眼ん球ひんむいて、よぉく見やがれよ!!!」

 霊夢さんがハッとしたように周囲を見回している。辺りには残留した星の塊、正面の魔理沙さんは、箒の上に立ちあがって構えをとっている。

 間髪いれず、耳を劈くような轟音が響きわたる。けれども魔理沙さんから放たれた光線は青空を貫く大質量のエネルギーで、そのインパクト故に凝視する他なかった。明らかな直撃。あんなものを食らったら、人間なんて消し飛んでしまう。

「な、なに? 超電磁砲? レーザー兵器? てか殺人事件じゃない!?」
「あ、いや……ほら」

 私の指さす先、魔理沙さんが何かをぶっぱなした後に残る、飛行機雲のような煙の中に人影が見える。私達は逆光をその手でさえぎりながら、息を飲んだ。ふと振り返れば、遠くの山の一部が削れているではないか。なんて環境に悪そうな攻撃か、いや、山を削るとはどれほどのエネルギーが必要なのか。それを受けて立っている人間とは、それを人間と呼ぶのだろうか。

「……アンタのマスパも、歳を追う毎にぶっとくなるのね」
「略すな。あと、あんまり集束レーザーって好きじゃないんだよ。馬鹿で派手な方が良い」

 霊夢さんの周囲には飛翔体が飛び交い、それぞれが光の糸を紡いで彼女を囲っていた。これが魔理沙さん曰くの結界なのだろうか。確かに、絶対拒絶的だ。まるで彼女の性格そのものを観ているようで、不思議な気分になる。それをいえば、魔理沙さんの攻撃もまた、彼女自身を観ているようだ。弾幕とは心像心理の具現化に他ならないのだろう。

 となれば、弾幕ごっこはその人物の精神性に依存するのかもしれない。悉く相性がありそうだ。

「お客さんもいる事だし、じゃあ派手にしましょうか」
「おっと、こっちの防御か。こい、受け止めてやるぜ」
「いいえ、避ける方が賢明よ。属性が魔になったアンタには、強烈だわ」

 霊夢さんは結界に守られたまま、その手に札を握りしめ、構える。

「八方鬼縛陣――」

 何かと唱えると、彼女の周りに、力の対流、とでもいうべきものが、視覚に映って見えた。これは私だけではなく、蓮子にもそう見えるらしい。

「は? それ、地上戦用だろ? 縦にずばーっとなる……」
「――横」
「ぐあ!? そりゃないぜっ!!」

 言葉と同時に、霊夢さんの前後にかけて閃光が迸る。魔理沙さんはあまりにも意外だったらしく、回避が極端に遅れたようだ。右手から障壁のようなものを出して一部を防ぎ、左手に掴んだ物をジェット噴射のようにしてその場から急きょ脱出する。

「やば、箒が持ってかれた」
「魔理沙」
「あ?」
「貴方二枚使ったわよね」
「そ、そうだぜ」

 魔理沙さんの顔に、遠目にみても焦りが伺える。箒の掃く部分が丸焦げになっていた。機動力を殺がれたのだろう、先ほどから動きがおぼつかない。霊夢さんはニヤリと笑い、袖口からもう一枚、カードを取り出す。

「じゃ、二枚目よ」
「そりゃないぜ」
「夢想封印、瞬」

 宣言と共に、彼女は七色の巨大な発光体を発射する。博麗霊夢という人は本当に容赦がないのだろう。機動力を殺がれた魔理沙さんに対し、その攻撃は追尾性があるらしく、一発二発と魔理沙さん目掛けて飛んで行く。魔理沙さんがお遊びで作った光弾を、触れただけで蓮子が痛がったのだから、あんなものをまともに食らったら、全身打撲で済めばまだ良い。

「魔法、かあ」
「ん?」
「私も昔、魔法を観たわ。そう、こんな感じの。見せて貰ったのよ、その人に」
「ええ。でも、名前は解らないって、話してたわね」
「幻想に取りつかれた人間は、最終的にどこへもいなくなってしまう。残るものは、強い幻想への思念ばかり。貴女のご先祖様、小泉八雲は、日本に幻想を見出したわ。そして幻滅した。けれど、心の奥底では、ずっとずっと、その在りし日の幻想を抱き続けていた。だから彼の残したものは、日本の、妖怪の、美しく残酷な風景描写ばかりだった」

 四発、五発と魔理沙さんが避けて行く。

 六発目までは耐えた。

「そう、ね」
「柳田国男が神隠しに会いやすかったように。小泉八雲が幻想を愛したように。宮沢賢治がマヨイガを観たように。私もきっとそうだったのよ。物理学で現実を見ながら、その傍らでは幻想を見ていた。科学じゃ証明出来ない、説明出来ない、描写出来ないような、儚く散る終の世界」

 七発目を、魔理沙さんはかわせなかった。

「ちくしょぉぉぉぉーーーーッッ」
「はい、私の勝ち。修行なさい、魔理沙」

 光の弾を浴びた魔理沙さんが勢いよく吹っ飛び、鎮守の森の中へと消えていった。あの高さから落ちたら、普通はタダじゃ済まなそうだけれど、魔理沙さんは妖怪らしいし、たぶん大丈夫なのだろう。むしろ、そのあまりにも悔しそうな断末魔が心配だ。

 それに、私はこの虚ろな目をした蓮子の方がよほど心配だった。

「でもそれは現実だった。夢を見続け、死に至った人々は、決して無駄じゃなかった。私はそれを知れただけでも、幸いだわ」

 蓮子がカメラを下ろし、俯く。どうしてそんな寂しそうな顔をするんだろうか。念願叶った御蔭で、やりきった感に酔いしれているのか。私は眼の前で演じられたものに対して興奮こそ覚えるけれど、蓮子のような感傷はない。

 実際、私は彼女と二年しか一緒にいないから、きっと彼女には、私の知らない蓮子があるのだろう。

「ふう。アンタ達も御茶飲む?」
「頂きますわ」
「うん」

 霊夢さんは額を拭って一息吐き、母屋の奥へと入って行く。どうも、先ほどと雰囲気が変わっていた。友人とやりあって、心が晴れたのか、気持ちの浮き沈みは激しいのか。

「はい、アンタ等の」
「ありがとうございます」
「どうも」
「ちょっと前まで、幾ら暴れても呼吸が乱れるなんて無かったのだけれど、体力が減ったかしら」
「あの、霊夢さん。魔理沙さんは」
「大丈夫でしょ。妖怪は簡単にしなないわ。幾ら肉体の弱い魔法使いったって、落ちたぐらいで死なないわよ。それにアイツも歴戦なの。当たる瞬間、急所外したわね。あんな芸当、古参妖怪だって出来ないわよ」
「ああ、そっかあ」
「ん、なによ、ゆか……違う、メリー」
「やっぱり評価してるんですのね。魔理沙さんの事」
「はい?」
「遠まわしに褒めてるし。霊夢さん、最初は冷血かと思いましたけど、そんな事ありませんのね」

 彼女は私をジッと見てから、また視線を前に戻す。少し首を横に振って、優しく微笑んだ。

「ずっと、ああなの。物心ついた頃から、あんな感じで。弾幕張って、罵声浴びせて、笑って、怒って、お酒飲んで……あいつは、何一つ変わらない。当時の記憶そのままの、やんちゃな女の子。だから、捨食の魔法を得て魔法使いになってしまった時、私ったら、凄く怒って。何一つ変わらないまま、私と同じように歳をとるとばかり思っていたから」
「霊夢さんは、魔理沙さんの事?」
「まあ、人並み程度に、友達だと、思ってるわ。でも、アイツが妖怪になった所為で、人間の知り合いっていうと咲夜と、あと阿求さんぐらいになっちゃったけどね。片方は時間弄るし、片方は転生者だから、まともな人間いないけど」
「お二人とも、凄く美人で、魅力的ですわ。それに、霊夢さんもそんな風に静かに語っていると、慎ましく美しく見えますわよ?」
「――デカイ口ね。存在が似てれば、口まで似るのかしら」
「ふふ」
「ふふふ……ま、いいわ。写真とれたの?」
「ええ、バッチリ、蓮子が。ねえ、蓮子?」
「もちろん。これで会誌の写真には困らないわね」
「秘封倶楽部で会誌なんて作った事ないでしょ?」
「ま、公開したら逮捕されそうだしね。私達の心の奥底にしまっておけば良いわ」

 どれほど素晴らしい世界を見ようと、これを公開した場合に降りかかる災厄は冗談では済まされない。政府が結界不可侵法を敷く限り、相応の理由があっての事。ちなみに結界不可侵法に抵触すると、禁固35年執行猶予なしか、自決か、安楽死を選択可能だ。実に幅広い選択肢に涙が出る。

「ふう……容赦ないぜほんとに」
「あ、魔理沙さん。あれだけの攻撃を受けて無傷だなんて流石ですわ」
「だろう? と言いたいところだが満身創痍だった。エリクサー完成させておいて正解だったぜ」

 戻ってきた魔理沙さんはあちこちボロボロだった。ただ、身体に傷は見られない。
 彼女は帽子から小瓶を取り出す。中身は……緑色の何かだ。

「回復薬? 永琳の真似?」
「魔法使いは妖怪ったって身体がアレだからな。自己防衛用に作った」
「ますます魔女ね」
「ああ、魔女だからな。さて、御二人さん」
「はい」
「ええ」
「用事も済んだし、そろそろ行くか」
「魔理沙さん、休んだ方がよろしいのでは?」
「大丈夫だっての。この程度でくたばってたら、幻想郷の異変解決なんか出来ないんだよ」

 小さい胸を張って威張る。霊夢さんの話では、たぶん霊夢さんと同い年ぐらいなのだろう。どうみても、15歳程度だけれど、25、6歳だという。今後もずっと、この容姿なのだろうか。霊夢さんの魔理沙さんに対する瞳は、嬉しそうで、どこか悲しそうだ。生き続ける者と当たり前に死にゆく者の境界線が、今の二人なんだろう。

「どこ行くのよ、アンタ等」
「守矢だよ。こいつらの本来の目的だ」
「ふうん……そうだ、紫を見かけたら、さっさと来いと伝えて置いてね、三人とも」
「ああ、構わないぜ。それじゃあ、またな霊夢」
「ええ」
「では、御達者で」
「おつかれさん」
「アンタ等も気をつけなさいよ。早苗、神様になってから、だいぶ幻想度が上がってるから」

 魔理沙さんが新しく出した箒に乗り(箒はそもそも物質ではない?)、蓮子が悲鳴をあげ、私達はまた空へと飛び立った。

 ここに来てから、人間と妖怪のギャップを多く感じる機会が多い。どちらが正しいなんて答えは無くて、どちらにも立場があり、生活がある。世界の裏側的価値観に引かれ気味な私であるけれど、ここにいると象徴的な存在としての妖怪に対して抱いていた憧れやイメージは変容して行く気がする。

 幻想郷が楽園だなんて言葉は、本当に一部を切り取っただけの、額縁に飾られた絵画のようなもの。そこには様々な営みと喜怒哀楽が存在する。もし、ここを生活圏とした場合、またもっと、失望するような事だって有るに違いない。御先祖様がそうだったように。

 けれども、その強烈なイメージは私の心でしっかりと形を持って有り続ける。これだけの出来事を、卑下だけで語るなんて真似はありえない。優しい人に変な人、面白い人に怖い人。不思議な社会に不思議な現象。幻想郷は、それら非常識を一纏めにして、世界を構築しているだけに過ぎない。そしてそれが、私のような現代人にとって、悉く幸福に見えるんだ。

「あの山の中腹だ」

 視界に映るのは噴煙を上げる八ヶ岳。妖怪の住まう禁足地。

 現世のオカルト的英雄、東風谷早苗が生活を営む場所。そう、客人である私達と違い、永住を腹に決めた人物の家。

「魔理沙さん、幻想郷は、好きです?」
「え? ああ、好きだぜ。だから、妖怪になったんだ。そうだな、霊夢よりも好きだったから」
「好感度不足?」
「そうだぜ。あいつがバキバキフラグ折るから、こうなっちまうんだ。まったく。まったく、な」

 魔理沙さんは屈託なく笑ってから、少しだけ鼻を啜った。

 


つづく
 やばい二週間はやい。てか夏コミから一週間経つ。おそろしい……。

 このものがたりはふぃくしょんです。ものがたりにとうじょうする個人名団体名そのたもろもろ含めてすべて幻想ですから、もうそう歴史にあおすじたてたりしないでね
俄雨
[email protected]
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コメント



0.1400簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
続きに期待するしかない!!
土下座して待ってますw
3.100名前が無い程度の能力削除
弾幕ごっこ前の口上が原作っぽくていいですねぇ
続きを楽しみにしています
5.無評価名前が無い程度の能力削除
評価は完結してから。でも現時点で期待度100%です。

早く続きが読みたいっ!
8.100名前が無い程度の能力削除
一話に簡易で点を入れてしまったのを悔やむ。
里でのほのぼのした感じや幻想郷住民との会話の雰囲気、近代史を語り合うシーン、良い部分がたくさんありました。
10.100名前が無い程度の能力削除
第一話目でもそうだったけどバットエンドの予感しか感じられない伏線ががが・・・
独自設定も好きだし読んでて楽しいけど、ひしひし嫌な予感がしてきますねw
今んとこ、ちょくちょく挟まれる秘封二人の会話シーンが一番お気に入り
11.100名前が無い程度の能力削除
もう二話とは………やばい二週間早い
次は妖怪の山編ですか、期待しとります
12.100名前が無い程度の能力削除
次が凄く楽しみだ
16.100名前が無い程度の能力削除
桃を食べたくなっちまったじゃないか!
23.100名前が無い程度の能力削除
早く続き読みたい!
続きにも期待してます!
28.100名前が無い程度の能力削除
二週間待つのが拷問のようだ
続きをすごく楽しみにしとく
30.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです!!
続きを楽しみにしています。
32.100名前が無い程度の能力削除
好き過ぎてもう何も言えない
33.100名前が無い程度の能力削除
>「ならばくたばれ人間」「だからくたばれ妖怪」
妖々夢までのラスボス戦の口上っぽくて痺れた

前作から続けて一気に読み切ってしまいました。
近代史と、絶対性・相対性心理学の成り立ちとか、
幻想郷の能力者たちの現状とか、独自設定が楽しすぎる。

幻想度が上がってる早苗さんと秘封の二人の対面にwktk
蓮子の態度の理由が気になる。
物語は平和裏に終わらないんだろうな、という予感がひしひしとします。
続きを心待ちにしてます。
46.100名前が無い程度の能力削除
蓮子とメリーが唱和していく近代史が2020年の世界状況と似通っていて吃驚した
パンデミック、大規模デモ、アメリカ内紛(一歩手前)と続いて戦争まで当たりそうで怖い