Coolier - 新生・東方創想話

小傘のおなかがちょっとだけ膨れるおはなし。

2010/08/07 23:11:56
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 あるよく晴れた日のことである。
 
「んー……ふぅ」
 
 布団からのっそり起き上がると、ぐぐぐと背伸びをする一人の妖怪少女。
 ぺきぺきと鳴る背骨が何だか心地良い。どうでもいいが一緒に奇妙な形をした羽がうにょうにょしている。やや気持ち悪い光景だ。
 ともかく、若干目覚めの遅い封獣ぬえの朝は、自分が起きた時からぬえの中の朝が始まりを告げるのだ。
 今の時間帯は昼一刻前。少々遅いお目覚めである。

「…むむむー」

 最近は日も高くまで昇るようになり、気温も少しずつ上がってきている。
 梅雨の時期も終わり、まさに今から夏が始まろうとしていた。
 ぬえはぬえで本当はもっと寝ていたかったのだが、布団が暑苦しくなってきた上に障子から光が差し込んできたので起きざるを得なかったのだ。
 要は暑いので起きてしまったということである。

「あー……あっづい。この暑さが正体不明でいいよもうー……」

 とりあえず目を覚まそうと、ぬえはゆらゆらと規則正しく首を振りながら、頭の覚醒を待つ。
 こうすることで割と寝覚めが良くなる気がする。こういう時は気分だよ気分、というのが彼女の自明なんだとか。
 
「……ふぁあ、あふ。ダメだ、今日はあんまし効き目ないや」

 しかしどうも、今回は効果がないらしい。
 いくら振っても眠気が取れそうにないのだ。ぬえの中でもこういった日はちょっとだけ珍しい。
 とはいっても、茶柱が立ったとか、夕食に好きなものが出たとか、所詮その程度のものである。
 でもまあ長い妖怪人生、こんな日もあるよねとぼんやりした頭で考えながら、ぬえはとりあえず日光を取り入れようと、障子をおもいっきり開けることにした。
 
 そしてそれと同時に、ぬえの眠気が覚醒することとなる。


 ガラッ!

 ……ぼて。


「う~ん、もう食べられないだわさ~……♪」
「ひきゃうっ!?」

 障子を開けた先の縁側で寝ていたのは、多々良小傘だった。どうも障子によっかかってたらしく、予想だにしない登場にぬえは少し飛びあがってしまった。
 いつも持ってる茄子柄の唐笠を大事そうに抱えながら、横にごろりんと転がっている。
 一応野良妖怪であるこの小傘、最近はここ命蓮寺にふらりと立ち寄って来ては、ぬえ達を驚かそうと試みているという日々を送っていた。
 しかし毎日のように来ては怖がられることも驚かれることもなく、今では一人のお客として認識されている。
 実際のところぬえが命蓮寺に住むようになってから、そこらへんにいた妖怪を適当に捕まえたらたまたま小傘だったというわけである。
 それから何故か小傘がぬえを気に入り、こうしてたまに寺に遊びに来るのだが。

「お、おおう。びっくりしたー……」

 きゅうと自分の胸を掴み、乱れた呼吸を整えるぬえ。黒一色のパジャマにくしゃり、と皺が生まれる。
 ちなみに小傘自体はぐーすやと眠ったままである。時折ころんと寝返りをうつのだが、その時見える顔はもうゆるゆるで、口から涎が今にも垂れそうになっていた。
 これだけの顔をしてたら、一体どんな夢を見ているのやら。そう思えるくらいの顔だった。

「……むー」

 だが、そんな幸せそうな彼女の顔を見ている内に、段々とぬえの目が据わっていく。
 どうして朝起きたばかりの自分が驚かないといけないのか。というか何で小傘がここにいるのか。というかおなか空いた。そんなことよりおうどん食べたい。
 若干関係ないことを思いながらも、ぬえはとりあえず小傘が起きるのを待つことにした。
 ただでは起こさせないよ、そういうちょっと悪戯染みた考えを持ちながら。





「――ん、あれ……? 私いつの間にやら寝ちゃってた……?」

 ぬえが目覚めてから二十分はたっただろうか、小傘もむくりと起き上がった。
 それと同時に、小さい欠伸を一つ。まだ少し寝足りなかったのかくしくしと眠たそうに目を擦っている。

「ふあー。……にゃむい」

 そうやって小傘が緑濃い命蓮寺の庭先を見ていると、段々と頭が覚醒してきたようだ。
 半目だった瞼も今ではそれなりに開いてきてるし、赤と青の特徴的なオッドアイも焦点が定まって……。

「……あれ?」

 定まって?

「あー?」

 こない。
 時間がたっても視界がはっきりとしてこないのだ。
 もう一度目を擦ってみる。さっきは赤い方だったので今度は青い方の目を擦ってみる。……やっぱり変わらない。
 これには普段から能天気な小傘も段々と不安になってくる。視界が不明瞭になるのはやはり少なからずとも恐怖を感じるのだ。
 そういった意味ではルーミアやミスティアといった、視界を奪うことが出来る妖怪は恐怖の原点なのである。惜しむらくは何故かその二人はそこまで強くないということだが。
 まあそれはともかく。

「おろ、周りがぼんやりしてる。何が何だか分からないし……」

 おろおろとしながら周りを見渡す小傘。と、寝る前には明らかにこの場に存在していなかったものが目に入ってきた。

「あれ? 何これ黒い?」

 それは、小傘の隣に存在していた。
 視界がぼんやりしているせいで形がよく分からないものの、大きくて黒いのは分かった。今座っている小傘の二倍はあろうかという大きさだ。
 恐らく生き物なのだろう、ふー、ふーという息をする音が聞こえてくる。わぁ凄い息遣いが荒いわと小傘はのほほんとそう思っただけだった。
 しかしそれの視線は、明らかに彼女に対して向けられていて。

「……あり?」

 そんな奇妙な状況の中で、小傘はあることに気がついたのだった。


 ―――あれ、これもしかして結構やばいんじゃない?


「ぐるるるる……!」

 そう思ったが矢先、隣の大きな黒いものから唸り声が聞こえてきた。
 まさか自分のおなかが鳴ったわけじゃないよねと小傘はばっとおなかを押さえる。むにゅっと最近気にしてるおなかが少しへこんだだけだった。
 勿論小傘としては最悪の結末を信じたくはない。しかし、どうやら危険な状況であるというのを本能が察知してしまっているようだ。
 次々とあふれ出てくる想像。それは恐怖によってどんどんどす黒いイメージへと変貌していく。

「ぬぐぐ…! ぐおおおぉっ!」

 だって。
 だって今目の前には。
 ぼやけて見えないけど真っ赤な大きい空間しか見えないんだもの。
 これはなに? くち? くちなのね? なんでくちを開けてるの?
 ああ、それはね。


 
「……お前を頭からぼぉりぼぉり食べるためなのさ!」



「ひ、ひえぇっ!? なな何!? 今の誰、どこからっ!?」

 小傘がそう想像していた中で、突然声らしきものが割り込んできた。思わず口から悲鳴がこぼれてしまう。
 まさか喋るとは思わなかったのだろう。彼女の思考回路は既に麻痺を起こし始めていた。
 こんなやつが喋るはずはない。きっと幻聴だったと思い込むことが出来ればどんなに幸いだったことか。
 しかし、これが現実なのである。

「ひょう、ひょ――っ!!」
「わわわっ! た、助けて、誰か助けて――っ!?」

 叫びながらも、小傘はこの危機から何とかして脱しようと考える。
 逃げようたってこう視界が悪ければ、どこかで必ず転んでしまうだろう。
 かといって立ち向かおうにも不意を突かれてしまったし、ましてや相手は全くの不明。分が悪すぎる。
 誰か来るのではないかとも考えたが、仮に来たにしても遅すぎる。きっとその頃には自分はあの怪物の胃の中だろう。
 即ち打つ手がないのだ。
 どうして私がこんなことになってるんだろう。ちょっと涙ぐみながらも小傘が取った行動は。



「わ、わちきはただの傘ですよー。食べても美味しくないですよーっ」



 傘の擬態だった。 
 肌身離さず持ってた傘をそのまま上に立てて開き、その下にしゃがんで自分の身を隠す。
 今更見えてたとか、声が出てるとかそんなのは関係ない。とりあえず隠れればいい。小傘の中ではこれが精一杯の作戦だった。
 因みに手に持つ柄の部分が震えているため、唐傘の舌が床にびたんびたんと叩きつけられている。これでは隠れるもへったくれもない。
 が。

「……」

 一分、二分いつまで待っても食べられることもなく、ただ静かな時間だけが過ぎていった。
 ぽかぽかとした陽気にあてられ、小傘はこんな時にも限らずついうとうとしてしまう。それくらいの間があった。
 一体どうしたのだろうと小傘は茄子の傘をくいとあげ、様子を窺う。
 視界はぼやけてるけど、何か黒いものは相変わらずこっちを見ていた。後ついでに吼えた。
 
「ぐおおおぉぉっ!」
「ひいやあああああっ!? ご、ごめんなさいごめんなさいっ、わちきが悪うございましたーっ!?」

 獣のような咆哮が再びあがると、小傘は傘ごと飛び上がりすかさず床に頭を擦りつける。
 そう、彼女は古来から伝わって来た誠心誠意の謝罪を示すポーズ、土下座をたった数秒の内に成し遂げたのだ。
 その一連の動きのあまりの無駄の無さに、周りの時間が少し止まったような気がした。
 補足しておくと、小傘にこれを教えたのは守矢の巫女で小傘にはちょっとだけいじめっこの早苗である。
 彼女曰く、

「このポーズをすれば自分がどんなに悪いことをしてもきっと許して貰えますよ」

 とのこと。
 当たり前だが実際土下座をしたところでそうそう簡単に許されるものではない。土下座は免罪符ではないのだ。まあ焼き土下座なら許されるかもしれないが。
 しかし、小傘にはこうする他無かったのである。藁にもすがる気持ちとは実にこういうことを言うのだろう。
 そんな見るからに必死な彼女を見ていた正体不明の魔物は。



「………ぷっ。あっはっはっはっはっ!」



 盛大に笑っていた。
 日が差す廊下の真ん中で、どたんどたんと黒くて大きい生き物が跳ねている。
 先ほどまで緊迫した空気だったのが、笑い声で一気に散っていく。
 一体どうしてこうなったのかさっぱり理解が追いついてない小傘は、涙目ながらも呆けた声で半ば呟くように言った。

「ふえ? 怖いの……じゃないの?」

 小傘の小さな声が聞こえたのか、ぱきんという音と共に魔物の姿がどんどん黒い霧へと霧消していく。
 魔物が霧へと変わっていくにつれて、小傘の視界もはっきりと見えるようになっていた。目の前にはいつも通りの命蓮寺の廊下と植え込みが見えている。
 霧消していく黒い霧の中から出てきたのは、小傘のよく見知った顔だった。

「あはは、ああいとおかし。もう、驚かすあんたがあんなに驚いてどうするのよーっ」

 ぬえである。というより、こういった芸当は彼女にしか出来ない。正体不明の種を使ったちょっとしたトリックである。
 どうやらおなかの底から笑っていたようで、目じりにうっすら涙を浮かべながら小傘の元へと近づいて行く。
 しかし、当の彼女は頬をぷくーっと膨らませていた。もし怒りマークが目に見えているなら、きっと二つくらいついていただろうと思わせるくらいの顔だったとか。

「もう、ぬえー! 起こすならもっと普通に起こしてよー!」
「こういうのは騙される方が悪いのよ~♪ というかさ、どうしてあんたは化物相手に土下座してるのよ。普通は逃げたりとかするでしょうがー」

 そう悪態づきながらも、ぬえは小傘の頬をうにーっと頬を伸ばす。思ったより柔らかかった。

「ふにゅー……。だっひぇ、まふぁりはんひもひふぇひゃいひゃら~」
「……うん。でもそれってさ、飛べばいいんじゃないの? 空ならぼやけても大丈夫でしょ」
「あ」

 ぴしっ。
 何気なくぬえが言った言葉を聞いた瞬間、小傘の目が驚愕に見開く。そしてぴたりとフリーズしてしまった。
 きっと思いつきもしなかったのだろう。彼女は口をぱくぱくさせながら、顔がぼふぅっといわんばかりに一気に真っ赤になって。
 そのまま何も言わなくなった二人の間に、ちゅんちゅんと鳥の声が聞こえる。やや強い夏の日の光が二人を包み込む。
 少しだけ、この場に静寂が訪れた。
 
「……うん。分かっちゃいたけど、小傘ってちょっと抜けてるよねぇ」
「お、お恥ずかしい限りです……」
「しょーがないなぁ。折角だしこのぬえ様があんたに色々れくちゃーしてあげる、よっ」
「え、ホントっていたぁ!?」
 
 今日も幻想郷は平和そのものだ。ぬえはそう思いながら、とりあえず小傘に一発でこぴんをくれてやったのだった。





§





「まあひとまず中に入りなよ。ここじゃ暑くてやってらんないしね」

 とりあえずぬえは小傘を中へと入れた。このまま庭先で話していると暑くてたまらない、というのが彼女の本音である。
 小傘も小傘で廊下で寝て少し汗をかいていたので、その提案に乗ることにした。

「ほい、そこにでも座ってて。私も今起きたばかりだし、布団とか出てるけど気にしないように」
「あ、うん」

 ぽーんと飛んできた座布団を受け止め、その上に座る小傘。
 部屋の中は全体的にやや薄暗く、近くに布団が無造作に置いてある。ぽふぽふはたくと、ちょっとだけぬえのにおいがした。

「よっと。さて、そろそろ本題といこうか」

 その布団に体を預けながら、ぬえが小傘を見上げる。
 いつもはそのまま話したりじゃれたりしているのだが、今回は違う。ぬえに人の驚かし方を教えて貰うのだ。
 ということで、小傘はいつもと違うちょっと真面目な顔で話を聞くことにした。
 だがぬえの第一声は、そんな彼女のささやかな希望を砕くものであった。

「あんたさ、まず見た目がダメだよね」
「いきなりダメ出しを喰らった!?」
「……いや、というか全部ダメな気がする……」
「全否定っ!?」

 いきなり決定づけられてしまった結論に、思わず後ろに仰け反ってしまう小傘。
 全部。何が悪いのかと聞こうとしたのに、よりによって全部がダメとは。
 これじゃお話にならないなぁと考え込むぬえに、小傘は慌てて詰め寄っていく。

「え、わちきのどこがダメだって申すか!?」
「あー? ……んー、どうも小傘が人を驚かすという想像が出来なくてね」
「これでも頑張って驚かそうとしてるんだよ? 最近は傘にこんにゃくつけて夜人間相手にぺちぺちひっつけたりしてるわよ!」
「因みに、その結果は?」
「……子供にぺちぺち返しされた。あはは……」

 言い終わった後、何故か頬をぽっと染める小傘。
 一体どこをぺちぺちされたんだという疑問がぬえの中で浮かんだが、聞くのもバカらしいので口に出る寸前で止めておいた。
 代わりに、小傘の頬をひっぱって伸ばすことにした。実はもう一回伸ばしてみたかったというのが本音である。

「おー。まるであったかおもちみたいな感触……」
「ふにぇー……ぬふぇ、なひふるのひょー」

 でも、こうしているとさすがに小傘が何て言ってるのか分からなくなってしまう。
 出来ればずっとこうしていたいものだが、これも仕方がない。何をするにも代償はつき物なのだ。
 またいつか機会があればほっぺをむにゅーっとしよう。そう心に決めながら、ぬえはぱちんと伸ばした頬を戻した。

「ひふぁっ!?」
「……まあそれはいいとして、まずはあれね。あんたがいつも言ってる『うらめしや~』とかね」
「う~。それが一体どうかしたの?」

 頬を引っ張られまた涙目になりながらも、ぬえに尋ねる小傘。
 うらめしやーとは、小傘が人を驚かせようとする際に使われる常套句の一つである。
 ……そう。常套句なのである。それが問題なのだ。

「あんたはあれを使いすぎなのよ。もはや一種の挨拶となっちゃってるのよ」
「え、私そんなに使ってた?」
「使ってるのよ。……もしかして、自分で気が付いて無かった?」


 簡単に言うと、うらめしやーをこんにちはーと同じ程度に使っているというわけである。
 これでは恐ろしいも何も、小傘の口癖と思われてても全くおかしくないのだ。
 それもそのはず、小傘の話は既に文々。新聞やら花果子念報によって人里全員に伝わっていたのである。
 しかも人里の人達はその話を口コミやらであっという間に知ってしまい、もはや驚かれるどころの話では無くなってしまったのだ。幻想郷の人達の情報伝達能力は随一なのである。
 それのおかげか分からないが、小傘が人里に行っても「あら小傘ちゃん、ごきげんよう」と言われるくらいだったとか。
 そしてその言葉に「あ、うらめしやー」とにこやかに返す彼女も彼女なのだが。


「私が思うに、まずはその古風なスタンスを止めた方がいいわ。時代は進んでいるものなのよ」
「でも、私としてはそのー…すたんす? で貫き通したいのよー」
「うん、多分だけど今のままじゃ赤ん坊でも驚かないんじゃない?」
「えーっ!?」

 ぬえの言葉に、がーんとショックを受けている小傘。その驚き方もやや古風である。
 ……もしかしてこのまま放っておいたら本当にまずいことになっていたのではないか、ぬえはそう考える。
 そう、彼女は良くも悪くも純粋すぎるのだ。正体不明でよく分からない自分とは、訳が違う。
 ひとまずこの状況がまずいと言うことを知らせるために、ぬえは少し小傘を脅かすことにした。

「まあ、今のままじゃ小傘は誰も驚かすことが出来なくて消えちゃうかもしれないねー?」
「え? ……確かに、最近大分ひもじい時が増えてきたかも……。おなかも空きっぱなしだし……」
「でしょ? どうするの~? このままじゃ餓死して存在すら無くなっちゃうかも……」
「うう、あうう……」

 どんどん脅していくと、小傘の顔色がみるみる悪くなっていくのが分かった。
 部屋が薄暗いからか重たい雰囲気が彼女を包んでいるように見える。自分がそうなるのを想像しているのだろうか。
 そのまま放っておくと、不意に小傘が布団に寝転がっているぬえにぎゅーっと抱きついてきた。
 小傘流ダイビング抱きつきである。

「ちょっと、小傘?」
「……うわーん! じゃあ、じゃあさ、私は一体どうすればいいのよー!」
「そりゃあ、まあ。誰か驚かせばいいんじゃないの? 方法は色々あるんだしさ」
「それならぬえが驚いてくれれば……」
「わざと驚くことは出来ないわよ。ほらほら、頑張って私を驚かしてごらんよ」

 少し暑苦しく思いながらも、小傘の背中をぎこちなくさすっているぬえ。
 ここまで脅した手前、無下に突き放すことも出来ないと考えていたのだ。
 小傘はふるふる震えながらも、ぬえを全く離そうとしない。元々一度捨てられた身である以上もう二度と捨てられたくないのだろう。
 ぬえはそんな彼女がほんのちょっとだけ気がかりで、いつもこうして寺に招いたりしているのだ。
 このことは誰にも言っていない、ぬえだけの秘密である。

「う、うらめしやーっ!」
「っ……って、耳元で言ってもうるさいだけよ。後ついでに表は蕎麦屋」

 ぺちん。

「ひゃん。う、うー……あ。これで驚かなかったら八代先まで呪ってやるー!」
「それは単なる呪詛でしょ。後せめて末代までにしときなさい」

 ぺち。

「ひぁう……うう、じゃあどうすれば驚いてくれるのよー!」
「逆ギレされた!? もう、どーしようかなぁ……」

 泣きついてくる小傘をまた抱き止めながら、ぬえは考える。
 とりあえずこのまま放っておいたとしても、これでは人を驚かすことは稀にしか出来ないはずだ。
 或いは白蓮のようなお人良しか……。ともかく、この現状ではおなかは膨らまないだろう。
 仕方ないなぁとぬえは溜め息を吐きながら、小傘にゆっくりと語りかける。
 ちょっとだけ悪戯心を忍ばせながら。

「まずはあれだね、小傘は何か驚かせるの定義が違う気がするんだよね」
「そ、そうかな?やっぱりうらめしやーとかじゃダメなのかな?」
「うーん……まあ、驚かせるだけならほら、こんな感じとか」

 と言いながら、ぬえは自分の顔を指さす。
 何事だろうと全くの無警戒だった小傘は、そのままぬえの顔をひょいと覗き見した。
 それと同時に。



 ぽろっ。



 ぬえの片目が一瞬で腐り果て、べちゃりと布団の上に落ちた。



「ひゃあっ!? あ、わ、わわわわわっ!?」
「ん、どうかした? 小傘」
「い、いやあの、目が、ぬえの目がぽろりってぇ!?」
「私の目がぽろり? やだなー、小傘ったら。そんなわけないじゃないの」

 あははと片目が無い状態で笑いながらも、ぬえは今度は逆の目を指さす。
 そしてその目も、さも当然のように。



 ぽろりと、簡単に落ちる。



「あ……。ぬ、ぬえっ、ぬえええぇぇっ!? 目! 目とか痛くないの!?」
「あー。ちょっと痛いかな?」
「ちょっとだけ!?」
「あはは、ほらまたびっくりしてるー。こういうものだよ、驚かし方っていうのは」

 最後にぬえが顔を一撫ですると、両の目は元に戻っていた。
 そう、これも正体不明の種を使ったぬえのちょっとしたトリックなのである。
 部屋が若干薄暗いのを利用して、事前に自分で両目に種をつけていたのだった。
 元々鵺という妖怪は、人間の恐怖によって作られた空想の産物とされている。
 よって、人の心がどういうことで動くか大体分かっているのだ。それ故驚かし方も知っているというわけである。

「はあはあ……ぬえのせいで心臓止まっちゃうかと思っただわさ……」
「だから驚かす方がびっくりしてるじゃない。それじゃ元も子もないでしょ」
「怖いものは怖いし、仕方ないんじゃないの?」
「うーん。でもそれじゃあおなかも膨れないしひもじい思いしちゃうよー」
「うー……」

 半べそをかきながらも、うーんと唸る小傘。
 実際ぬえも、小傘は驚かすというよりも驚かされる方が似合っている気がすると考えていた。
 リアクションも大きいし、逆に驚かされておなかが膨らむならきっと彼女のおなかはいつもいっぱいだっただろう。
 しかし、ここまで来るとなると話は別となる。
 ということで、ぬえは今までの自分の経験上から小傘に助け舟を出すことにした。
 さすがにこのままにしておくのはかわいそうだという、ぬえにしては珍しく良心からの行動である。

「じゃあ……小傘に禁じ手を教えてあげるよ」
「き、禁じ手?」

 ぬえの言葉にこくんと息を呑む小傘。さり気なく演技派である。
 そしてその禁じ手という魅惑的な響きに、その内容が知りたくなってきていた。
 妖怪といえども、やはりそういった言葉は気になるのだ。次第に彼女の目がきらきら輝きはじめてくる。

「そう、この方法を使えば大抵は驚かせられるんじゃないかなって」
「お、おお! そうすれば私のおなかがいつでも満たせるってことだね!」
「そういうこと。これは驚かし方の先輩としての、私からのアドバイス。……さて、準備はいいかい、小傘?」
「は、はい! わちきにその禁じ手を教えてくだせぇ!」

 言い終わると、今度は部屋の中でへへーっと土下座をする小傘。
 ぬえはそんな小傘を見ていると、まるで自分がちょっと偉くなったかのような気がしていたのだった。微妙にぞくぞくきていたのは内緒である。
 ふふんと鼻を鳴らしながらも、ぬえはぎゅうっと小傘の手を掴む。

「……よし。じゃあいくよ」
「う、うん」

 そう言ったきり、ぬえは黙りこくってしまった。
 昼下がりでやや暗くなってきた部屋の中で、二人の少女がお互いをじっと見つめ合っている。
 はたから見れば、それはやや不思議な光景だったかもしれない。

 一方は、色違いの目をぱちくりとしていて。

 一方は、やや赤らんだ顔で少女をじぃっと見つめていて。

 そんな状態が、しばらく続いた。

「……っ」
「え、え? ぬえ……っ?」

 ぎゅう。

 どれくらい時間がたっただろうか。
 ぬえがゆっくりと体を前に出し、そのまま小傘に抱きつく。ふわりとどこまでも優しく、またか弱くにである。
 普段の彼女とは全く違う雰囲気を感じたのか、小傘はもうその時点で驚いていた。
 そして同時に、この方法こそが禁じ手なのかとも思った。普段とのギャップの違い、これがきっとポイントなのだろうと、そう思う。
 が、ぬえはぎゅっとしたまま、小傘にしか聞こえないような声でぽそりと呟いた。

「……一度しか言わないんだから……もう」
「あ、ぬえ? もう驚いたからそろそろ離れても」



「…………だいすきっ」
「……ふぇっ?」



 言葉にするとそれは、ほんの一瞬の出来事で。
 唐突に言われたその一言の意味が分かるまで、小傘は固まってしまった。

 とくん。

 とくんとくん。



 ぼふっ。



「そ、その! あのあの、あのう! それもしかして、わちきのこと!?」
「うん」
「ふえぇえ!? そうなのっ!? ちょっと待って、いきなりそんなカミングアウトされてもわちき困っちゃう! きゃー♪」

 赤くなった頬を押さえながら、腰を少しくねくねさせている小傘。これもやや古いリアクションである。
 しかし、ぬえには小傘にまだ言ってないことがあったのである。それも割と重要なことを。
 それを思うと、ずきりと胸に痛くなる。
 だが、さすがにこれは言わなくてはならないだろう。例えそれがしっぺ返しを食らう結果になったとしても、である。
 そう覚悟を決めたぬえは、すぅと小さく息を吸い込んだ。
 
「小傘」
「う、うん!」
「あんた、当初の目的を覚えてる?」
「目的って?」
「……うん、ちょっと考えてみようね。小傘は私に何を教えて貰うんだっけ?」
「えっと……」

 そう言われた小傘はちょっと首を傾げながら考える。
 確かこれは、人をどうすればびっくりさせられるかというのを教えて貰うというものだったはず。彼女もバカではないのだ。
 ぬえをちらと見ると、じと目で自分を見ている。まるで早く気づいてよと言わんばかりに。 
 そこまで来てようやく、小傘の頭の中に正解のピースがはまったのだった。

「人をびっくりさせる方法だよね?」
「そうだよ」
「それで、私はさっきぬえのだいすきって言葉にびっくりしてた!」
「う、うん」
「つまり……」
「つまり?」

 ……少しだけ、間が出来た。

「私、騙されてた?」
「うん。そゆこと」
「…………」
「…………ぶふっ。ぷくく……!」

 また見合う二人。だが今度はすぐに静寂が破られることとなった。
 恐らく相当我慢していたのであろう、ぬえが思いっきり吹きだしたのである。勿論一旦視線を外してだが。
 暗くなってきた部屋の中に、今まで我慢してた分だけのぬえの笑い声が響き渡った。

「あははははっ! ほらまたびっくりしたー♪」
「え、あ、あう。というよりぬえ、びっくりしたというよりきょとんとしたというかー……」
「あれだけの反応されてきょとんとしたとか通用するわけないでしょーが! やっぱり小傘は単純なんだから!」

 ばたばたと布団で笑い転げるぬえ。ちょっとだけ埃が舞っているが、本人は気にしていない様子。
 対する小傘の方は、さっき告白された時よりもどんどん真っ赤になっていって。今では左目と同じ赤くなってしまっている。
 目もだんだんとぐるぐるしだして、恥ずかしさというより混乱が勝ってきているようだ。
 そして錯乱状態の小傘は、何が何だか自分でもよく分からないまま、今も笑っているぬえに向かって叫んだ。

「う、う~っ! わ、わちきだって……ぬえのことが大好きだもんっ!」
「まーたびっくりして、え? ぬ、ぬえぇっ!?」


 だが、小傘のこの言葉が、ぬえにとって強力なしっぺ返しとなる。


「ほ、本当だよ? ちょっとわちきに意地悪するけど、その代わりいつもわちきにかまってくれるし!」
「こ、小傘っ? あ、あの、そのおっ」
「今回だってこんな風に色々教えてくれたし!」
「そ、そりゃ小傘だって私の大切な友達なわけだし…だ、だからって」
「私はそんなぬえがっ!」
「わーわーっ!? その後はせめて段階を踏まえてから言ってぇ!?」

 先ほどとはうって変わって、思いもよらぬ小傘の告白に今度はぬえの方が顔を真っ赤にしてしまっていて。
 ぬえも外見こそ正体不明なのだが、内面は実際中々デリケートなのである。そもそも他人に好きと言われたことがほとんど無かったのである。
 そして今は告白される一秒前。びっくりどころか逆にどきどきが止まらない状態になっているのだった。
 後はあの言葉を小傘が言うだけで、二人の仲に大きな一歩を踏み出すことになる。
 だが、思い出して欲しい。今回の目的とは何だったのかを。
 ぬえは、それを完璧に失念してしまっていたのだった。

 
 
 きゅうぅ。



「……あ、おなか膨らんだ」
「ってちょっとは空気を読め―――――っ!!?」
「ぬえ、ぬえーっ! わちきのおなかを膨らましてくれてありがとー!」
「というかちょっと小傘ぁ! さっきのあの告白は結局本当だったの!? こら小傘、小傘―――っ!?」

 喜びのあまりぴょんぴょん周りを飛び跳ね、しまいには部屋を飛び出してしまった小傘。
 因みに、小傘のおなかが膨らんだのは相当久しぶりであった。今の彼女の優先順位としては、驚かせた方が嬉しかったのだ。
 ぬえもぬえで、こんなうやむやな空気になっては今更返事を聞くにも聞けずに、悶々した気持ちになっていて。
 しかも小傘、喜びのあまりいつもは大事に持っていた唐傘をも床に置いていってしまっていた。
 じーっと、それを見るぬえ。

「はあ。小傘のやつぅ……」

 茄子柄の唐傘を見ていると、さっきまでいた小傘の姿や表情、仕草といった全てがぬえの中で想像されていく。
 確かに、色々と破天荒な付喪神である。だが、実際付き合ってみると色々と愛らしい部分があったりする。
 分からないと言えば、本当に分からない妖怪なのだ。

 彼女は。
 多々良小傘とは、ぬえの中でどういう存在だろうか。

 とくん。

 とくんとくん。

「……もう。ホントしょうがないやつなんだから!」

 ぬえは傘の下駄になっているところを少し蹴った後、傘を手に持ちそのまま外へと出て行く。
 小傘に唐傘を渡しに行くという大義名分とともに、彼女が覚えていたなら告白の真偽を問おう。そう思っていたのだった。
 この正体不明の、もやもやした感情を晴らすために。

「こらー! 小傘、傘忘れてるってのー!」

 さっきまでは晴れていたのだが、気が付けば大分雲が空を覆ってきている。このままいけば少し雨が降るかもしれない。
 念のために雨傘を差すには、丁度良い天気であった。
※この後雨が降り、びしょ濡れになった小傘をぬえが強引に風呂場に連れていったのは、また別のおはなし。

夏真っ盛りです。とはいっても今日で立秋となり、これからは残暑お見舞いになるそうで。
というわけで、くるる。です。
今回は現在株急上昇中のこの二人の話となりました。
むらぬえとか色々あるけど、こがぬえもいいよね! そう思う次第です。
この話で少しでも夏を乗り切ろうという気持ちになれたら、これ幸い。
それでは、また次回にでも。





なお、小傘は次会う人にこの驚かし方を実践しようと決めたそうです。
彼女に好きって言われたい方は奮ってご参加くださいまし。
くるる。
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コメント



0.1900簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
ぬえの可愛いさにときめいた。小傘の愛らしさにどきめいた。
しかしこの驚かしを人里でやったら創想話じゃ無理っぽい展開しか思い浮かばないんですがw
6.100名前が無い程度の能力削除
で、別のおはんしは??

こがぬえェ…
9.100名前が無い程度の能力削除
小傘どころか茄子色の傘すら見当たらないよ~
12.100名前が無い程度の能力削除
もう反則的にかわいいなぁこの二人……
15.100名前が無い程度の能力削除
こがぬえ…まさかの小傘が攻めとな。
小傘ちゃん意外と積極的ですもんねー
17.100名前が無い程度の能力削除
小傘は、小傘はどこだ!俺を驚かせてくれ~!
22.100名前が無い程度の能力削除
こがぬえ!こがぬえ!
30.100名前が無い程度の能力削除
こがぬえ!こがぬえ!こがぬえ!
ほんと可愛い二人とも可愛い。ありがとうございました。
32.100名前が無い程度の能力削除
こがぬえ!こがぬえ!
ちょっと幻想入りしてくる
33.無評価名前が無い程度の能力削除
攻め小傘がこれほどの破壊力を持っているとは…
驚いた。
36.100名前が無い程度の能力削除
これは良いこがぬえだ!
ちょっと小傘に会ってくる。
39.無評価くるる。削除
コメント返しの時間ですー。

>>4さん
悪戯好きなぬえと、時々不意討ちする小傘。良いコンビだと思います。
後驚かした後はぬえが大急ぎで止めにかかってくるのでご心配なく。

>>6さん
目下製作中、もとい考え中です。
今思えばこがぬえというジャンルで良かったのでしょうか。

>>9さん
紫色は好きですが、さすがに舌の生えてる傘は見たことは……。

>>12さん
こうして毎日色んなことしてじゃれあってます。

>>15さん
ここで敢えての小傘。
いこうと思ったらまっしぐらなタイプは、正体不明にはたまーに効果的なようです。

>>17さん
ほら、気が付けばあなたの後ろにいますよ。
こんにゃく持って。

>>22さん
ぬえこがもいいですよ!

>>30さん
少しでも二人の魅力に気がついたらこれ幸いです。

>>32さん
お気をつけてー。
帰ってこれたら話を聞かせてくださいね。

>>33さん
意外と少ない小傘の攻め。
ちびっと反撃するくらいのかわいいものですが、たまに効果があるそうです。

>>36さん
最近は雨が降ってきたので、もしかしたらいるかも……と、思っております。
置き傘には注意しましょうね。
43.100名前が無い程度の能力削除
ニヤニヤしながら読ませていただきましたw

ぬえも小傘も可愛い!
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いいね
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イイネ