Coolier - 新生・東方創想話

月面戦争 序の三

2010/08/06 21:58:41
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 まるで神話の世界の荒れ狂う無双の神の怒号が轟き響いたような。
 そんな、壮絶な激震がなんの前触れもなく唐突に、世界を襲った。
 神の怒号の前に、私はただただ茫然とへたり込んでいただけだった。恐怖や絶望すら感じなかった。
 激震は永久に続くかと思われたが、次の一瞬間には、嘘みたいに激震はぴたりと止まった。まるでそんな現象は最初から起こらなかったとでもいうような唐突さだった。
 始まりも終わりも唐突なその怪奇現象に、やはり私はへたり込んでいるだけだった。
「うどんげ、服、服」
 そんな言葉に、私は我に返った。
 そして、ああそうだここは永遠亭で私は師匠が普段全然使っていない薬品の整理をしていて私の名前は鈴仙だ、ということをはっと思い出した。
 それでもまだぼおっとしていると、師匠がこちらに駆けてきた。
「服、危ないって」
 そしてようやく、自分の今の有様を確認する。
 発光色の黄緑色の液体が、盛大に服に撒き散らかされていた。
 感覚も蘇ってくる。
 熱い。痛い。
「っ痛――」
「あーあー、ほら、動かないで」
「す、すみません……」
 師匠に薬品を拭ってもらう。皮膚が痛々しい赤に変色している。痛い。なぜか師匠がその薬品に触れても、何も起こらなかった。
「はい。ちょっとまってて。手当してあげるから」
「はい、ありがとうございます」
 机から医療薬を取り出す師匠には、慌てた素振りなど微塵も感じられなかった。いつも通りの仕草だ。……あれは、私だけが体感した幻覚だったのだろうか?
「師匠、今の揺れ……」
「大変なことをしてくれたわねぇ」
 それは私が薬品を引っ繰り返したことへの失跡かと思い体の芯が反射的にびくりと震えたが、医療薬を見つけ出し私に近寄りながら、
「まったくとんでもないことをしてくれたわね、月の神は」
 と、深いため息を吐きながらそう続けた。
「月の神?……月讀様、ですか?」
「そうよ。こんなことを考えるのは、こんなことができるのは彼女しかいないでしょう」
 薄水色の見た目毒々しい薬を怪我した個所に丁寧に塗ってくれながら、師匠は言った。
「本当、悪いけれど気が触れているとしか思えない蛮行だわ」
「……月讀様はなにをしたんですか?さっきの揺れはなにを意味していたのですか?」
「はい、終わり。半刻も経てば綺麗に治るわ」
 私の問いには答えず立ち上がり、机に薬品を戻し棚を閉じてから、師匠は初めて、初めて私の前で、そのいつも変わらぬ表情を崩した。
 静かに激怒しているような表情だった。
 静かに蔑視しているような表情だった。
「月の神は、世界の理を捻じり曲げたのよ」

「……どういう、ことですか?」
 意味が分からなかった。世界の理を捻じり曲げた?そもそも理とはなにを差す言葉なのか?
「理とは、世界の原理、法則、規則、秩序、不文律の戒。玉は坂を転がる。滝は下に流れる。火は水で消える。水は火で蒸発する。これら現象を現象たらしめている理法のことよ」
「…………?」
 やはり、よく分からない。
「そうね、例えば、植物を想像して」
「植物、ですか?」
「一本の植物。それの茎を捻じったら、どうなる?」
「……繊維が捻じれて、捻じったその上が死ぬ、ですか?」
「そう。でも、その植物は特殊なの」
「特殊?」
「その植物には、根が無い」
「根が、無い……?」
「栄養を必要とせず、内包した栄養を循環させることで生き永らえる半永久機関のような植物。それを踏まえてもう一度質問。それの茎を捻じったら、どうなる?」
「……循環することができなくなって、死ぬ?」
「その通り」
 師匠は、冷めた口調で言った。
「その通り。正解よ」
「ちょ、ちょっと待ってください!さっき師匠は、『月の神は、世界の理を捻じり曲げたのよ』って。それは、それって……」
「世界という植物が死ぬってことよ」
「…………」
 それは、世界の終わりということだろうか?
 話が飛躍しすぎていて、現実味など皆無だ。ただの言葉としか受け止められない。
「そんな……そんな簡単に世界が終わるわけが……」
「……そういえば、彼女もそんなことを言っていたわね」
 それを透かせば月が浮かんでいるであろう天井を眺めながら、師匠は物思いに耽るような表情で呟いた。
「彼女?」
「昔の知り合いにね、全知を思わせるようなとんでもない人がいたのよ」
「……月影様ですか?」
「あら」
 意外そうな、少し驚いた表情を見せる。この人のこういう表情も珍しい。
「……ああ、姫様から聞いたのね」
「はい」
「そうよ。そう、月影様」
 そして、なんだか苦いものを噛んだかのような表情になる。今日の師匠は表情豊かだ。
「月影様が、なんと?」
「ああ、いつか彼女と雑談してたときの話なんだけどね、世界は今までに何回終わりそうになったかっていう話になって」
「……世界全体の危機ってことですか?」
「そうね。いや、危機なんて生易しいものでなく、終わりの半歩手前、最終の最終みたいな状況になったことが、永い歴史の中でいったい何回あるか」
「それで、月影様の答えは?」
「少なくとも百。多ければ一億回以上」
「……あやふやですね」
「まあね。本人もそんなこと私が知るわけがないみたいなこと言ってたしね」
「はあ」
「でもね、その答えは重要な意味を含んでいるの」
「重要な意味?」
「考えてごらんなさい」
 言われ、少し考えてみる。そしてしばらくもしない内に、ふっと答えらしき思い付きが浮かんだ。
「少なくとも百回も世界は最終の最終のような状態に遭ったのに、それでも世界は今現在もなんともない、と」
 そういうことだろうか?
 師匠はぱちぱちと小さく拍手した。
「その通り。『世界は想像以上に強固だ。ましてや世界を破壊しようと目論む者の思惑が、または憂慮が通る程やわじゃない。世界を破壊しようとする者なんて高が知れているしね』。彼女の言葉よ」
 月の神を差して高が知れている、か。
 まあ姉なら許されるのかもしれない。
「『世界を守らんとする勇者な化け物もいっぱいいることだし』。そうも言っていたわ」
「……なるほど」
 しかし月の神だって、言ってしまえば化け物だろう。口が裂けてもそんなことは言わないけれど。
「……でも、そう言われても心配なものは心配よね。今回のこれは、間違い無く最終の最終のような状態なんだし」
「ですよね」
 現実味は無いけれど。なんだか、世界から蚊帳の外という感じだ。それは世界の終わりが近付いているというのに平静そのものの師匠の影響でもあるのかもしれない。
 しばらく、沈黙が訪れた。私は頭の中をぐるぐる回る色々な考えの断片を時折捉え、それについて数瞬だけ考え、その考えが思考の渦に飲まれたらまた新しい断片を捉えるという方法で未だ底は茫然としている頭を整理しようとした。

 月の都は危機に陥っている。
 月の神はその打開策のため、世界の理を捻じ曲げた?なんのために?分からない。
 世界が終わろうとしている。一個人の所為で?馬鹿な。
 ……世界の終わりとはどんなものなのだろうか?無に還るのか?
 蓬莱人である彼女達は世界が終わったらどうなるのだろうか。
 師匠は世界の終わりを望んでいないらしい。なぜだろうか。

 ……駄目だ。思考が混線するばかりだ。答えなんて当然、一つも出ない。頭を軽く振る。
 それと同時に、師匠はふうっと息を吐き、地に視線を落とし、静かに、呟いた。
「姫様に迷惑が掛かるかもしれないし、ね」
 神妙な顔で、そう、呟いた。
「…………」
 そんな師匠を見て、私は最後の疑問、師匠が世界の終わりを望んでいないその理由が、分かったような気がした。
 この人は、己が主と心に決めた姫君が、世界の全てなのかもしれない。
 なんとなく、しかし程々の確信を持って、そう思った。
「そうね。そうね……。なにかしら、私達のほうでも手を打ちましょうか」
「手?」
「ええ。……うどんげ」
「はい」
「あなた、永遠亭のためならどこまでできる?」
「微力ですが、私の全てなら」
「そう」
 師匠は立ち上がり、私に手を貸してくれた。
「あなたの僅かな安全を賭けて、私達に手を貸してくれないかしら」
「お安いご用です」
「ありがとう」
 手を引かれ、立ち上がる。
 師匠は微笑んでいた。
「その代わり、あなたに危害が及びそうになれば、私達が全力でそれらを排除してあげるわ」
 その言葉に、私は上手く微笑むことができただろうか。
 例えば私が姫様の何らかの障害になれば、この人は迷わず私を殺す。そんな考えが深海の底から湧き出る泡のように浮かんできたが、頭を振ってその考えを吹き消す。
 それは、当然のことなのだ。
 姫を守るのが従者の務め。
 私はただの助手なのだ。
「自惚れるなよ。家族でもなんでもないくせに」
 そんな声が頭の中に響いたような気がした。



 月の戦争、その第三線で、綿月 依姫は適当な岩に腰を下ろし、ため息を吐いていた。
 前線の指揮官の彼女、しかし重要な役割を担う彼女の表情は優れなかった。瞳の内の光が極端に弱い。正直うんざりしているというような表情だ。
 いつまでも終わりが見えない月にとっては不毛でしかない戦争、しかも今度は正気とは思えない無茶なんてレベルではない、乱雑とも、いや乱雑としか思えない策を争いの中心に位置する彼女の意向などまったくのお構いなしに発動されれば、彼女の心中が乱れるのは当然のことだった。
「そもそも、どうして……」
 ぽつりと呟く依姫。ずっと思っていた疑問がつい口に出てしまったかのような呟きだった。本人は呟いた自覚は無いかもしれない。
 依姫の疑問はきっと、彼女を思い浮かべる者なら誰しも不可解に思った疑問だろう。腑に落ちない。不満も心の底では感じているだろう。
 なぜ、月の神自らが戦前に立たないのか。
 神の力を持ってすれば、この程度、たかだか人間が起こす程度の戦争、一瞬、一閃で終結させることができるのではないのか?
 なぜ、そうしない。
 もしかして、月讀様というのは。
「実在、しない……?」
 頭を激しく振る。
 馬鹿な。そんなはずがない。
 それにたとえそうだとしても、私のやるべきことは変わらない。
「お疲れ」
 それでもその恐ろしい考えを必死に否定し周囲への警戒が疎かになっているそのとき、聞きなれたそんな呑気な声が聞こえた。慌てて振り向く。
「な、お姉ちゃん!?」
 振り向くと、実の姉、綿月 豊姫がいつの間にか背後に立っていた。
「……じゃなくて、お姉様」
「お姉ちゃんでいいわよ。今はね」
「…………」
 気まずそうに俯く妹に、豊姫はいつもと同じようにのほほんと微笑みかけた。しかしよく見てみれば、彼女にも疲れの色がありありと見えている。生気が薄い、とでもいうのだろうか。しかし、それでもいつもと変わらず微笑んでいる。
「いつの間に……」
「姉は気配を消せるのよ。対妹限定の能力だけど」
「――じゃなくて、なんでこんなところにいるの!?」
 綿月 豊姫。
 彼女の役割は、後線での指示及び援助役だ。こんなところにいていい人ではない。
 しかし豊姫はからからと笑い手を振るだけだった。
「いいのよ、ちょっとくらい」
「よくないでしょう!」
「いいのよ」
「……なにかあったの?」
「べつに」
「…………」
「妹の心配しちゃいけないかしら?」
「…………」
 依姫は再び俯き、「いけないでしょう……」とぼそぼそと呟いた。心なし、顔を赤らめているような気もする。豊姫は静かに微笑み、依姫の隣に佇み、今は誰もいない半壊、全壊した家屋が並ぶかつての村の残骸を見つめながら、言う。
「気に病むことなんかがあれば、すぐに私に言いなさい。月の戦争なんか放り出して相談に乗ってあげるわ」
「いや、それは駄目でしょ」
「駄目かどうかは私が決めるわ」
「……まったく」
 依姫は俯いたまま、気恥ずかしさを紛らわすようにポケットをごそごそと探り、鈍く光る黒い箱のようなものを取り出した。それを口に当てる。
「……戦状は?」
『変わらず』。そんな気の無い返事しか返ってこないことは分かり切っていながらも、無線に向かって尋ねる。もう随分とそんなやり取りが続いている。皆、今この状況にうんざりし、疲労しているのだ。気力を保てというのは、無理難題だ。飽きだ。殺人が当然という異常な空間に浸り続けていれば、圧倒的なただの飽きが襲ってくるのだ。この場では不謹慎もなにもあったものではない。
 その点、地上の民は優れているといってもいい。彼らは生きることに貪欲だ。たとえ相手が苦痛を覚えようが絶望を覚えようが、そんなことはお構いなしに異様な熱気を纏って剣を振りかざしてくる。まるで彼らが一つの個であるような、彼らという複数が一つの怪物であるかのような。そんな彼らに、恐怖を感じる。まるで何かを信仰しているようだ、と依姫は思う。
「…………?」
 思いを巡らせ返事を待っていたが、しかし、返事がない。無線を確認する。電源は、入っている。
「応答しなさい」
 大きめの声で呼びかけても、返事は無い。なにかあったのか。
 周波数を変え、べつの者に呼び掛ける。
「戦場は?」
 …………。
 返事は、無い。
 焦りが体の奥底から湧き出てきた。内側からきりきりと体を、精神を締め付ける。
 また周波数を変え、呼びかける。
 返事は、無い。
「どうしたの?」
 豊姫の呼びかけには答えず、依姫は周波数を弄っては、呼びかけた。
 返事は皆無だった。
「どうしたの?」
 依姫の隣に腰掛け、豊姫はもう一度尋ねた。強引に、依姫の顔を自分に向けさせる。
 豊姫は深刻な表情ではなく、いつもの表情のままだった。それが、依姫の焦り乱れた精神を少しだけ落ち付けた。
「……返答が無いのです」
「どこ?」
「最前線です」
「じゃあ、その手前に連絡してみて」
 冷静な指示に依姫は頷き、周波数を弄り、呼びかける。
「応答しなさい」
 しばらくは、なにも聞こえなかった。
 もう一度呼びかけようとしたところで、返答があった。
「……依姫様」
 抑揚が無く、気力も感じない、茫然自失とした声だった。
「どうしました?」
 焦りを抑えて、しかし過剰に冷静を保とうとしたため奇妙に平坦な声で、それでも焦りを隠せずに呼びかける。気が動転していた。
 そっと、豊姫の手が依姫の手に重ねられる。
「――落ち付いて」
「…………」
 生唾を飲み込み、頷き、再び無線のあちら側に呼びかける。
「どうしました?」
「……依姫様」
 人が発したとは思えない声で、状況が報告される。

「最前線が全滅しています」

「――なっ!?」
 そのあまりにも信じがたい報告に、依姫の頭から有象無象が吹き飛び、真っ白になった。もしかしたら、刹那ばかり気を失っていたかもしれない。
 しかし、驚愕はそれだけではなかった。
「敵も、味方もです」
「……敵も、味方も?」
 相手の言葉を復唱したが、その言葉の意味は分からなかった。真っ白な頭に、それはただの単語として頭にふよふよと浮かぶだけだった。
「……はい。敵も、味方も。全員、バラバラになって死んでいます。全員です。息のある者は、誰もいません」
「…………」
 息を深く吸い、吐き出す。
 落ち付け、と呪文のように実際に口に出し唱えた。落ち付け、落ち付けと。内臓から込み上げてくる吐き気を、気力で抑える。
「……分かりました。すぐにそちらに向かいます」


 まさに、惨状だった。
 依姫は、その場に立ち尽くした。
 死体は、この間の地上に送った兎のように液体にはなっていなかった、しかし、執拗に、それになんらかの意味があるかのように執拗に、切り刻まれている。肉片で元の形を推測できるぶん、液体にされるよりも性質が悪かった。
 意味不明だった。
 なにが意味不明か?全てだ。
 なんだ、これは。なんだこの状況は。
 誰が?
 なぜ?
 どうやって?
 白に染まり始めた頭を強く振り、改めて目の前の景色を確認する。敵も味方もバラバラ。髪を掻き毟り、深呼吸する。私は冷静だと思い込む。
 再思考。誰が、なんの意図で?
 月讀様?と頭に疑念が過る。こんなことができるのは、神かそれと同等であるものだけだろう。月の神が、この惨状を作り出したのか?敵味方無差別に。
 いや、とその考えを打ち消す。有り得ない。しかしその否定の根拠が無い。
「あれは……」
 隣で囁くように発せられた声に、びくりと身を震わせる。自分と目の前の惨状以外の全ての存在を忘却していた。
「あれ」と、豊姫は血の海を指差していた。指し示す先を目で追うと、それがあった。
 黒い、鴉だ。いつだか月の都に向けられ放たれた、ほとんど実体の無い黒い鴉の式神。それが、半身が消滅した状態で血の海に浮かんでいた。よく見れば、同じような式神の残骸がいくつかまばらに転がっていた。
「地上から攻めてきた……」
 真っ先に思い付く可能性を呟いてみたが、いや、有り得ない。実体が極端に薄い式を送ってくるならまだしも、これだけの惨状を作り出せるとなれば、当然その者はこの式の使役者だろう。有り得ない。月と地上とを完全に繋ぐなど。
 秘具?月の羽衣のような?いや、あれは先人が地上から月に移住したときにその経路を正確に記憶させたものであり、実際に地上から月に渡ったからこそ作り出せた道具だ。ありえない。では、一個人が月の、しかも裏の裏の鏡のような位置に在るこの月の都の位置を正確に算出した……?……それこそ、有り得ない。どんな演算能力だ。
「これは、ちょっとまずいわねぇ」
 しかしこれだけの事態を前に、豊姫はいつも通りの口調でそう言って、兎の一匹に「あの式を持ち帰ってきて」と命じ、「報告に帰りましょうか」と依姫の手を引いて来た道を戻り始めた。
「ちょ、ちょっと、お姉様!」
「なあに?」
 なにかこの状況に疑問でもあるの?とでもいう風に首を傾げる豊姫。そんな姉に、依姫は言葉を失う。豊姫はなんでもないように微笑み、言う。
「落ち付きなさい、依姫。こんな情景を見せつけられて落ち付けというほうが無理かもしれないけど、それでも落ち付いて」
「…………」
「あちら、幻想の郷には、月と地上を繋ぐことができる者がいる。これは認めなければいけないわ」
「そんな……」
「そんなに悲観することはないわ」
「ど、どうして……」
「なぜ、その者は直接月の都の中心に攻めてこなかったのかしら?」
「あ……」
 そういえば、そうだ。あれだけのことができながら、なぜ?解せない。
「それは、それができなかったから」
「あ、あれだけのことができながら?」
 地上の兵器も、月の兵も、圧倒的で理不尽としか思えない力でバラバラにしてしまった者が?
「依姫、なぜ月讀様は戦争の前線に参加せずに、月の都に籠っていると思う?」
「…………」
 つい先程浮かんだ疑問だ。なるほど、その答えは、月の都の中心だけはなにがあっても落とされないようにするため、か。今回のような奇襲が可能な者から守るため。
 私達は捨て駒か。
 そんな思いがぽつりと浮かんだが、次の刹那には弾けて消えた。いかん、疑心暗鬼になっている。
「神の守りには敵わなかったというわけですか」
「そうね。まあ、守ってるほうが有利だっていうのもあるけど。でも、これは不味いわね」
「……ええ。これからも、こういった襲撃があるでしょうし、それも視野に入れて策を組み直さないと……」
「いや、そうじゃなくて」
「え?」
「これで、私達が地上に攻め込むという選択肢が完全に消えたでしょう?」
「……ああ」
 そういうことか。
 あの惨状は、私はいつでも月に攻め込み全てを破壊することができるというアピールだったわけだ。ただでさえ人材不足のそちらがこちらに攻め込んだら、間髪入れずに手薄になったそちらに攻め入るという。こちらに地上の情報が無い限り、その効果は絶大だ。
 なんだか、気分が悪かった。それはあの惨状が網膜に焼き付いているからか、それともこの頃常に感じている不快感を再認識しただけなのか、または他の理由であるのか。
 分からない。気分が悪い。



「どーしたものかしらねー、これ」
 白玉楼、縁側。
 紫はそこに、うな垂れ沈み込んで座っていた。彼女の周りだけ、心なし月明りが淀んでいるようだった。
「愚痴なら聞くけど」
 そんな淀んだ空気など気にせず隣で饅頭を頬張りながら酒を楽しむ幽々子が、至極どうでもよさげに言う。紫はため息を吐き、しかしそんな幽々子にちょっかいを出すこともなく沈み続けている。
「ありゃ、結構深刻な悩みだったりするん?」
「うん。超深刻」
「へー。あ、饅頭が喉に……!」
 喉に水平チョップをかます紫。
「がはあっ!」
「はい気道確保」
「気道が潰れるわ!」
 涙目で喉をさする幽々子。
「……で、悩みは何事?」
「……このままじゃ、永遠に月の都の中心を落とせない。もうあれから一日が経過したっていうのに。時間が、無い。世界が終わる」
「へー、大変ねえ」
 お茶代わりに酒を啜る幽々子。
「うん、辛口のお酒に饅頭は、やっぱ合うわ」
「…………」
「続きをどうぞ」
「…………。……月の都は、それ全体を月の都とか呼んでるけど、実際はいくつかの村に分かれているの。で、その村の中心が、真・月の都みたいな」
「なる」
「村は簡単に落とせる。ついさっき廃村にいた有象無象を皆殺しにしてきたばっかだし」
「それは御苦労さま」
「でも月の都、月の中心は別格。あれは守りに回られたらどうしようもないわ。とんでもないのもいたものね」
「ラスボスですか」
「ラスボスよ。あれは私が直接叩くしかないわ。それでも一対一で勝てるかどうか」
「そんなすごいの?」
「月の神と呼ばれてるわ」
「おお、ラスボスだ」
「しかし、現状は月の中心に近づくこともできないと」
「お得意の計算でなんとかならないの?」
「無理ね。あれは完全に内からのみ構造が分かる仕組みだから。まったく、とんだ天才もいたものね……」
「月の神は頭脳も凄いのね」
「……でも、妙なのよね」
「妙?」
「造りが、妙にちゃちいのよ。なんか、適当……とんでもない天才が創った適当な作品、みたいな印象がある」
「月の神は意外と適当?」
「ふむ、あの結界は月の神以外の誰かしらが造ったと考えるべきね。月の都のことなんて割かしどうでもいいとか考えてるような」
「はあ。天才には妙な奴が多いわね」
「どういう意味?」
「先をどうぞ」
「……先もなにも、これで終わりよ。手詰まり」
「……時間はどれくらいあるの?」
「徐々に色々捻じれてきてるからね。明日には色々微々たる異変が起きてくるだろうし、世界のお終いまではあと三週間程」
「あら、結構あるじゃない」
「忘れたの?」
「……なにを?」
「ここは月と深い繋がりがある」
「あ」
「他より影響をもろに受ける。……幻想郷の終わりまで」
 拳を握り絞める紫。
「あと五日」
「……それは、不味い」
 しかもそれは終わりまでの時間であって、致命的な傷を負うまでの時間はもう絶望的だろう。
「…………」
「……だから」
 だから、常時殺気全開なわけだ。
 幽々子は呟き、つっかえがちな饅頭をこくりと飲み込んだ。隣にいるだけで寿命が超速で縮む、と思った。しかし今の紫は、その殺気と同等な程の落胆の雰囲気を纏っている。饅頭がしけりそうだ、と幽々子は思った。
 紫は拳を、血が滲む、血が流れるほどに握りしめ、
「奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ奇跡起きろ」
「……神頼みは末期よ、紫」



「……そうですか。分かりました」
「失礼します」
『信望者』は去っていった。
「…………」
 早い。
 あれからおそらく半日、あるいはもっと早くに準備を整え、襲撃してきたか。
 姉の説教が頭で鳴り響いた。
『世界の常識から外れた存在なんて、いつだっていくらでも、うようよいるわ』
『どうせ、幻想の郷を陥落させることだって失敗に終わるわ。そこを世界としその世界を情念の底から愛すような存在によってな』
 今回の襲撃者は、間違い無く常識から外れた存在、超越者だろう。
 圧倒的な力。知も暴力も兼ね備えた絶対的な存在。なにより驚いたのは、満月でもないのに月へと渡ってきたことだ。計算だけではどうしようもない、絶対的な力が必要だ。空間系の能力であれば、確実に自分より上手だ。ステージが違うかもしれない。
 それでも、そんな者でも。
「貴方の結界には手も足も出ませんでしたよ」
 呟く。
 貴方は確実に超越してますよ、と。



 しかし、手を打つと言っても、私にできることなどあるのだろうか?私の僅かばかりの安全を引き換えに世界の終わりを阻止できるとは思えない。師匠程の頭脳があれば、その程度の代価で世界をいとも簡単に救うことができるのだろうか?分からない。あらゆる意味で、私のような凡人には師匠は底が知れなかった。
 姫様にも、月の民が世界を崩壊させようとしているという突飛な話を伝えたが、
「ふうん、大変ねぇ」
 それだけだった。この人もこの人で底が知れない。
 そもそも、私はまだ、世界の終わりが近付いているなんて微塵も信じられなかった。きっと、世界の終わりの一歩手前の状態になるまで信じられないだろう。てゐにもこのことを伝えてみたが、同じような反応だった。やはりこれが普通の反応なのだろう。
「私は何をすればいいのですか?」
 と師匠に尋ねても、
「伝達役」
 と意味の分からないことを言うだけだった。私はわけが分からないままに、覚悟だけはしておいた。
 そして、理が捻じ曲がった次の晩。
 私達――師匠、姫様、私、てゐ――は、竹林の開けた地で月を見上げていた。
「お弁当持ってきたわよ」
 と呑気な事を言う姫様。本当に重箱を持ってきていた。深刻さの欠片も無い。
「お弁当は事の後で頂きましょう」
 事の内容については、まだ一切説明されていなかった。なにやら壺のようなものをてゐと二人でここまで運んできたが、これが何かも分からない。竹林の開けた地でできること。何かしらの下準備だろうか?
「――うどんげ」
「はい」
「これから、月と交信するわ」
「…………」
 黙り込む私。内から得体の知れない力で、ぎゅっと圧迫されている感覚がある。体が硬直してしまっている。
 月と、交信。なぜその考えが浮かばなかったのか不思議だった。師匠の手を借りればそれは十分に可能なことだ。無意識の内にその考えを遠ざけていたのか。無意識の内に考えたくないと逃げていたのか。気分が悪くなった。
「大丈夫?」
「……はい。大丈夫です」
 そうだ。これくらい、なんてことはない。今は、師匠と姫様に貰った大きな恩を少しでも返そうとすることだけ考えていればいい。
 師匠が壺の中に黒くつやつやした石を投げ込むと、たちまち壺は水で満たされた。月には、少し欠けた月が浮かんでいる。
「本当は満月にやりたかったんだけど、時間が無いしね。感度は少し悪くなっちゃうけど、我慢しましょう。……うどんげ」
「はい」
「水面に映る月に向かって交信して」
「……はい」
 水面を覗き込む。水面に映った月は、少しも揺れず、輝いている。
 どうしていいかよく分からなかったが、とりあえず映った月に向かって波長を送る。手ごたえは皆無だった。
「続けて」
「はい」
 それからしばらく、鮮明に浮かぶ月に向かって一方的な交信をし続けた。
 これは失敗かもしれない、私が上手くやれてなかったのだろうかと心配になり始めた、その時。
『誰だ?』
「――師匠!返答が来ました!」
「名乗って」
「…………」
『私はレイセン。月から逃げ出した兎』
『…………』
 しばらく沈黙が続き、そして。
『守衛を皆殺しにし、月の羽衣を奪い地上に逃げた兎か』
 ――そう。その、兎だ。
『そうです』
『何用だ?』
「師匠――」
「なぜ理を曲げたのか?今ならまだ間に合う、そちらからなら修復できるはずだ。今すぐ捻じれを直しなさい」
 その台詞を、そのまま伝えた。
『……お前は今どこに居る?誰と一緒に居るのだ?』
「無視です」
「なんなら、地上の民に、月の都の様々を話してもいい。月の都の中心構造など、いい酒の肴になると思わないか?」
「……はい」
 もちろん、私は月の都の中心構造など知らない。師匠は知っているかもしれないが。
 それをそのまま伝えると、相手は完全に沈黙してしまった。
「沈黙です」
「でしょうね。これでちょっとは頭が冷えたかしら。次の手が打ちやすくなる」
 なるほど、これはあくまで初手、下準備か。
 と。
「あ、と……」
「返答、来た?」
「はい」
『それならこちらにも考えがある』
 そんなありきたりな、いかにも劣勢側な台詞で、その脅迫は始まった。
『お前を地上まで迎えに行こう。お前の隣に在る者は全て殺す』
「…………」
 残念ながら。
 今、私の隣に在る者を殺すのは、あらゆる意味で不可能だ。
 かなり苦しい脅迫だった。
『我々月の民は、近々、地上人に最後の全面戦争を仕掛ける事になるだろう。現状月から逃げ出した罪は水に流そう。また、共に我々と戦おうではないか。臆する事は無い、我々月の民には何千年も生きてきた知恵と誇りがある。負けるはずが無い。レイセン、もうすぐ月は戦場となる。誇り高き我々と一緒に戦ってくれないだろうか。そして、一緒に居ると思われる地上人に伝えてくれ。次の満月の夜にレイセンを迎えに行く。抵抗しても無駄だ』 
「…………」
 気分が、悪かった。
 反吐が出そうだ。
 私は、
 私は、貴方達のそういう意味不明なプライドが、なによりも嫌いだったのだ。
 知恵と誇り?馬鹿馬鹿しい。使命という知恵を振りかざして栄華という誇りを纏って雄叫びを上げる。それが、その姿が、たまらなく嫌だったのだ。嫌悪といってもいい。使命という知恵を振りかざして栄華という誇りを纏って雄叫びを上げて意味不明な意地を叫んで、そしてそれに激励され突っ込んで死ぬのは私達だというのに。意地を叫ぶ貴方達は、まるで信狂者のようだ。
 内臓から込み上げてくる吐き気を抑え、水面の月を睨みつける。
「私を迎えに来るって……」
「苦しい脅迫ね。もうちょっといい言い訳を思い付かなかったものかしら」
 肩を竦め、ため息を吐く師匠。
「もういいわ。交信を切って」
「はい」
 壺から離れ、ふう、と一息吐く。上々、と言っていいだろう。相手にプレッシャーを与えるだけ与えて退く。流石、話運びが上手い。
「終わったのならこっちに来なさいなー」
 という間の抜けた声がしたほうに顔を向けると、姫様とてゐがもうお弁当を広げて酒を楽しんでいた。ぷっ、と噴き出してしまう。
「いま行きます」
 師匠は言って、私の手を引いて歩き出した。
 体温を感じさせないその手、しかし温もりは確かに感じた。
「心配しないで。たとえ月の神が攻めてきても、私達は貴方を守るわ」
「……はい」
 たとえこの幸せが偽りだってなんだっていい。
 私は、その偽りを、命を賭けて守ろう。



「失礼します」
 震えた声で訪れた『信望者』を視界に入れたその瞬間に、嫌な予感が湧きあがってきた。
 抑えきれぬほど取り乱した『信望者』が告げた報告は、絶句、絶倒に値するものだった。
「……先程、地上から交信がありました」
「交信?」
「一月程前に逃げ出した、兎からです」
「…………」
 この時点で、最悪の事態が訪れたことを予期し、奈落の底を覗き込んだような暗い冷気が全身を襲った。
「誰が、返答を?」
「豊姫です」
 ふっ、と少し体から力が抜けてしまった。
 彼女なら大丈夫。知性と理知を兼ね備えた彼女が応答に応じたのは、最善だったとも言える。
「内容は?」
「そ、それが……」
『信望者』は口ごもり、数瞬沈黙して、そしてそれを告げた。
「今すぐに理の捻じれを戻さなければ、都の内部構造を地上の民に話す、と」
「…………」
 虚仮威しだ。
 一笑に伏してしまう程の虚仮威しだ。
 いくら適当に造ったとはいえ、彼女が作り出した計算式を、兎が、たとえ内部からでも理解できるものか。
『月讀ちゃん。ちょっと、他を見下しすぎちゃう?』
 姉の言葉が脳裏を過る。
 それに理解できようができまいがどちらにしたって、その脅迫は効いてくる。無視は、できない。しかし、無視をするしかない。
「……それだけですか?」
「はい。一方的にそれだけを伝え、交信を切られたということです」
「…………」
 豊姫、彼女が、か……?
 兎の頭脳が勝ったのか、……それとも、協力者がいたのか。
 いや、違う。
 協力者、ではない。
 ……なるほど、その可能性が一番妥当だ。
 とんでもない不運だ。
「……分かりました」
「……失礼します」
『信望者』が去り、静まり返った部屋の中で、目を瞑り天井を仰いだ。状況は最悪の方向に向かっているらしい。本当に、信じられないような不運だ。
 だが、致命傷というほどでは、ない。最悪の方向に向かってはいるが、まだ最悪には程遠い。
「アピールで月の兵諸共地上兵惨殺してもらって、地上兵の動きは弱まっていることだし、月の都に守りを集中させましょうか……」
 呟き、視線を手元に戻す。そして、声が聞こえる。怒りの、声だ。
 考えを休めるたびに、姉の怒りの声が耳に響くようだった。再び、目を瞑る。
 ごめんなさい、お姉様。
 私は月の神なのです。



 うな垂れたまま暗く淀んだ空気を発散し続ける紫に「元気出して。なんとかなるわよ」と気休めにもならない励ましを隣でみたらし団子を頬張る幽々子が口にした瞬間、突然機敏な動きでばっと顔を上げ、なにやら不可思議を目の当たりにしたような表情で月を見上げ、紫は固まった。
「……どったの?」
 幽々子の呼び掛けには反応せず、月を見つめたまま甲高い指笛を鳴らした。まるで空気を裂くような音だった。
 しばらくすると、例の黒鴉を模した式が、優雅に旋回しながらやってきた。紫が差し出した腕に停まる。頭を垂れ俯く黒鴉の頭に人差し指と中指を数秒添えると、「ありがとう」と礼を言って腕を振り上げ、式は再び空に舞っていった。
「で、何事?」
 団子を食べることも忘れ尋ねた幽々子に、しかし紫は沈黙するだけだった。
「……もしかして、また凶報?」
「…………」
「もしもーし」
「……………………ふ」
「……ん?」
「ふふ……」
「…………」
「ふ、ふふふ、ふふふふ、ふは」
 そして、紫は。

「アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッハッハッハッハッハッハ!!は、はは、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」

 突然、狂ったように、いや狂って、笑い始めた。正気なんて正常なんて微塵も感じさせない、完全に壊れた笑い方だった。
「あはははははははははははははははははははははははははははは!!」
 笑い続ける紫に、
「…………」
 幽々子はドン引きだった。
「ど、どう、したの?」
 凶報に凶報が重なりすぎてついに精神が崩壊したのだろうか、とどうしていいか分からず恐怖に体を蝕まれながら、ありったけの勇気を振り絞って尋ねる幽々子。しかし紫は、
「は、ははははは!!世界は!!世界は私のために廻っているのか!?」
 と意味不明なことを口走るだけだった。そっと距離を置く幽々子。
「……吉報なの?」
「吉報?ええ、吉報よ。全てが、全てがひっくり返るような考えられないような吉報!!幻想郷は運命の女神に溺愛されてるらしいわね。ふ、はははははは!!」
「……女神は私だ、とか言いだすんじゃないわよね?」
「ふ、ふふ、女神はどんな姿をしているのかは知らないけど、きっと天使は兎の姿を模してるわね。ふ、あははははははははははははははは!!!!」
「…………」
「あっはははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」
 そして、顔を手で覆って笑い続ける紫。
 これから数百年後なら怪しく笑ってそれで終わりだろうが、この頃の紫にはそういった落ち付きは持ち合わせていなかったようだ。声高らかに笑い続ける。まだ決定的な要因を掴んだわけでもあるまいに。もしかしたら交信していたのは月から逃げ出した兎を名乗る別の何者かかもしれないのに。それに、兎が月と交信する。しかし兎が月と交信するにはなんらかの秘具が必要。つまり兎には協力者がいる。そのことも推測できないわけではあるまいに。
 しかし紫は、この時点で要因を得たも同然だと心の底から思っていただろう。協力者などどうにでもなる。些細でしかない。そう思っていただろう。確信していただろう。
 一見思慮が浅く、安易に稚拙と思われるかもしれないが、しかしその余すことなく自覚し熟知している自分の力への絶対的な信頼と自信と確信こそ、この時代の紫の強さなのだろう。絶対の力と絶対の自信と絶対の頭脳を併せ持つ暴君ほど、どうしようもないものはない。
「……お団子、食べる?」
 団子を紫の方に押しやる幽々子だったが、紫は笑い続けるだけだった。



「師匠」
 月と交信した次の日の昼頃。薬品の整理をしながら、机に向かいなにかしらの、私にはそれがなんなのかも理解できない式のようなものを制作している師匠に、迷惑かもしれないと少しためらいを覚えながら尋ねる。
「なに?」
 しかし師匠は、式を制作しながらも顔を上げて返事をしてくれた。作業能率が下がる様子も無い。天才というか、超人だ。
「……月の都は、なぜ世界の理を捻じ曲げたんですか?それが、月の都にどのように有利に働くのでしょう?」
 月の都の無望の意図、それがまったく分からなかった。想像したのは、月のみなんらかの方法で理の捻じれを戻し、地上を時軸を越えて破壊するという考え。想像してみて数瞬の間も無く、馬鹿馬鹿しいと首を振った。お伽話にだって、そんなご都合主義な展開は無い。
 しかし、あの日、月の都が理を捻じ曲げたあの日の、師匠の呆れ、落胆、嘲笑ともとれるあの顔。師匠があんな表情をするなんて、馬鹿馬鹿しいを越えて呆気にとられるような策を月の都は行使してきたのではないだろうか?その後も色々考えてみたが、結局真実に掠ってでもいそうな考えさえ浮かばなかった。
「……前に私は、こんなことをするなんて気が触れているとしか思えない、って言ったと思うんだけど」
「はい。気が触れているとしか思えない蛮行だと」
「でも、月の都を救うには、唯一の策かもしれないの」
「……どういう、ことですか?」
「彼女ならもっといい策をいくらでも思い付いた……思い付いてるんでしょうけどねぇ。ねえうどんげ。月の特徴って、どんなものが上げられるかしら」
「月の、特徴ですか?」
 少し考える。とりあえず、三つほど思い浮かんだ。
「魔力が地上と比べて高いこと、しかし地上と比べて生命活動は乏しいこと、そして月に住む者の寿命が永いこと。……ですかね?」
 なんだかぱっとしない答えな気がする。しかし師匠は「そうね」と頷いてくれた。
「そうなんだけれど、今回重要になってくるのはもう一つの特徴。なぜ、なぜ月の民は、寿命が永いのかしら?」
「それは……、えっと……、地上に比べれば、穢れが無いに等しいから、ですか?」
「そう、その通り。では、穢れとはなにか?」
「…………。……すみません、分かりません」
「例えば、厄。例えば、誕生。例えば、――死」
「……死」
「月の都は穢れに犯され過ぎた。地上人との戦争に勝とうがどうなろうが、どのみち今まで通りには機能しないのよ。過ぎた穢れた地上人の流血は、月に寿命をもたらした」
「…………。……それと、理を捻じ曲げたことにはどんな繋がりが?」
「最初はおそらく、この幻想郷を落とすつもりだったんじゃないかしら」
「幻想郷を?」
「ここはね、なぜだかは知らないけど、月と密接な関わりがあるのよ。うどんげは無意識にでも狙ってここに来たと思っているみたいだけど、それは違うわ。月から地上に降りようと思ったら、綿密な工夫でもしない限り、必ずここに降りてきてしまうことになってるのよ」
「……そうだったんですか」
「幻想郷を落とす。そしてそこを浄化し住処とする。移住計画ね。幻想のように不可視の世界という意味では同一だし、ここは都合がよかった」
「滅茶苦茶迷惑ですね……」
 月から地上へ移住。数億年の時を経て、月の民は地上に還ろうとしていたのか。
「でもね、その計画も、迷惑という意味だけでなく滅茶苦茶だったのよ。その計画は、理を曲げるということだから」
「……え?今回と同じように、ですか?」
「いいえ。今回を捻じ曲げると表現するなら、その策はちょっと捻る程度。だけれど、理を曲げること自体、狂った行為であることには違いないわ。今回のは狂気の沙汰ね。地上に清浄の地が存在するなんて、有り得るはずが無いことなの。有り得てはいけないこと。普通に考えればそんなことは不可能だし、仮にそんなことができても、確実に地上に変調をもたらす。ここと月の深い関わりを使って月の清浄を再現するという方法は、神の力を持ってすればできないでもないかもしれない。でもその後どうするつもりだったのやら……」
 分からないし、知りたくもないわ。と肩を竦める師匠。
「でもそれはできなかった。なにかヘマでもしたのでしょうね」
「……地上を浄化できるのなら、穢れた月を浄化することだってできるのではないでしょうか?」
「月と地上では性質がまるで違うわ。月の穢れとは、月の魔力自体の穢れ。それを払うことは、まあ、普通に考えて不可能ね」
「月の神でも、ですか?」
「神にだってできることとできないことがあるわ。……さて、そして月は正真正銘、どん詰まりになった。で、今回の蛮策を発動させた」
 世界の終わりを、策として行使する。それこそ、迷惑千万だ。
「理を捻じ曲げ、そして世界が綻びだしたところで次元時空を操作し地上人が月に攻め込んだことを『無かった事』にし、世界の崩壊による破壊で月の穢れた魔力を破壊し時空操作で復元する。そして捻じれを元に戻して万々歳。それが、月の神の狙いでしょうね」
「…………」
 それは。
 ご都合主義に皮算用な計画にしか、聞こえないのだが。
「そうね。例えばサイコロ賭博で、あと連続で三十回賽の目を当てることができれば私は大金持ちになれる、なんて言ってるのと同じよ」
「……自暴自棄になってしまった、ということですか?」
「困ったことに、そうでもないの。月の神は世界の終わりを引き起こした。このままでは取り返しのつかないことになってしまう。が、しかし」
 はあ、と渋い表情で深いため息を吐く師匠。
「しかし、世界の終わりの一歩手前まで崩壊が進行したところで、月が受ける損害は、地上と比べるとほぼ皆無なのよ」
「……なぜ?」
「存在している時空的な場所の問題ね。月と地上には繋がりはあるけれど、繋がっているわけではない。壊滅するまでに地上と月とじゃ時間差があるのよ」
「地上が崩壊しても、そのとき月はまだ崩壊が始まろうともしていない状態で済んでいるってことですか?」
「そういうこと。まあだからといって被害……いや自害を受けないわけじゃないんだけど、失敗しても月は存在し続ける。馬鹿けた策の割に、そういう点から見ればリスクが少ないのよ。どころか、失敗してもリターンがあるくらい。綻びを利用して、月からは色々できるし」
「……なるほど」
 その説明を聞くと、その策はなかなかの好手に思えた。迷惑なんてレベルではないけれど。
「……それでは、こちらは次はどのような手を打つのですか?」
「んー、そうねぇ。もう時間が無いし、実力行使に出ないとまずいでしょうね」
 時間が無い。今この時だって、刻々と終わりの時間が近づいて来ている。
 ……やはり、実感は微塵として無かった。
「時間は、あとどれくらいあるのでしょう?」
「三週間程。……なんだけど」
 言い淀む師匠。その表情には、影が差しているように鬱々としているように見えた。
「…………?……なにか不都合でも?」
「さっきも言ったけど、ここ幻想郷には、なぜだか月と密接な関わりがあるのよ」
「あ」
「幻想郷の終わりまでは、……あと五日よ」
「五日……」
 それは、絶望的な時間のように感じられた。三週間ならまだしも、五日で現状が変わるとは思えない。
「大丈夫、でしょうか……?」
「……問題が解決しても、もうここにはいられないでしょうね。他の地を探さないと」
「…………」
 地上に、ここと同じような不可視の地はどのくらい在るのだろうか?
 その地が見つかるまで、私達はどうなるのだろうか?
 不安が、足元から這い上がってくる。
「お供します」
「頼もしいわ」
 師匠は笑い、私は微笑んだ。



「――やっと、見つけた……。まったく、巧妙というか、絶妙に隠したものね。……さて、兎の天使に会いに行きましょうか」



 目が覚めた。
 なんだか嫌な夢を見たような気がするし、そうでもないような気がする。吐き気がするような気がするし、そうでもないような気がする。なんだかあやふやな気分だった。窓を見ると、月が柔らかな光を放ち、雲を美しく染めていた。まだ真夜中だ。
 とりあえず僅かな尿意は確かなものだ。厠に行くことにする。
 静まり返った屋敷は、なんだか不気味だった。闇がうねって鎌首をもたげている気がする。いや怖くはないけれど。
 縁側に出ると、空の広大な情景が視覚に飛び込んできた。軽く衝撃を受ける。ここに来てしばらく経つが、ここの情景は本当に素晴らしいものばかりだ。日の出に見惚れ、夕日に感動し、夜空に息を飲む。この情景が壊れてしまうかと思うと、惜しいな、と思った。
 そういえば厠に行く途中だったと思い出し歩き出したところで、後ろから抱き締められた。
 …………え?
 誰に?
 師匠?と一瞬思ったが、この冷えた温もりとでもいうような不明確すぎる感覚は、私の知る誰のものでもないのは明らかだった。
 じゃあ、誰?
「こんばんは」
 耳元で、囁くように話しかけられた。いや誰だってば。
 振り払おうと思ったが、体が動かない。きつく抱き締められてるわけじゃないのに。ついでに声も出ない。なんだ、これは。
 ……月の使者?
「月の内部構造を知っている天使だとかなんとか」
 後半は意味不明だったが、私は戦慄した。やはり月の使者なのか?
「教えて」
 なにを?と思ったが、ああ、なるほど、私を抱き締めている彼女は、地上の、幻想郷の住人なのか。
 残念ながら、私は月の内部構造なんて知らない。
「あなたは知らないの?」
 ……ちょっと待ってくれ。
 この、この流れは、なんだか、師匠に被害が及ぶ展開になっていないか?
 生唾を飲み込む。体の自由は奪われているはずなのに、そんなことはできた。
「……成る程。内部構造を知っているのは他の者なのね?あなたをバラして記憶の底から調べてもよかったんだけど、誰も死ななくてよさそうね」
 待ってくれ!私を殺してもいいから、師匠に、この永遠亭には手は出さないでくれ!
 わけの分からぬままにそう思った。
 そう思ったはずなのに。
 心の奥底では、殺さないでくれと震えている自分がいた。おい、ちょっと黙ってろよ。ここは、ここは退いちゃいけないだろう。
「さて、じゃあ、一緒にこの屋敷を散歩しましょうか?」
 全ての意思を込めて、全ての自我を込めて、渾身の力で見えない束縛を振り解こうとしたが、結局指一本たりとも動かすことができなかった。
 闇がうねりを上げて深淵の口を開き襲ってきた。



 トントン。
 ノックの音に式の図面から顔を上げ、意外そうな表情で扉を見やる。
「入りなさい」
 柔らかい口調でそう答える。助手がなんらかの用事か気紛れでやって来たとでも思ったのだろう。
 しかし、入ってきたのは知らない何者かだった。
「失礼するわ」
 そんな風に自然に受け答え、足で襖を開けて入ってきたのは、金髪の、見るからに怪しい、妖艶な空気を纏った、息が止まるほどに美しい容姿を持つ妙齢の女だった。
「…………」
 女の背には、助手ががっくりと、まるで人形のように眠っていた。
「こんばんは」
「……貴方は誰?」
「私はこんばんは、と言ったのだけれど」
 肩を竦める女。敵意も害意も殺意も、なにも感じない。お茶を飲みに来たのだと言われれば、信じてしまいそうだった。
「……こんばんは」
「私は八雲 紫よ」
「私は八意 永琳よ」
「そう、よろしく」
「こちらこそ」
 茶番のような挨拶を交わし、永琳は椅子を回転させ、紫の正面に対峙した。
「私の助手を返してくれない?」
「ああ、はいはい」
 なんの脅しもなく、あっさりと背に背負っていた兎を返す紫。ぞんざいに床に放り投げる。
「……ありがと」
「縁側で気絶してたわよ、彼女」
「わざわざ届けてくれたことには感謝するけれど、なんの了解も無しに人の家に上がり込むっていうのはどうなのかしら?」
「だって呼び鈴が無いんだもの」
「真夜中に訪問するからよ」
「ちゃんと折り菓子も持って来たわよ。ほら」
 言って、懐から酒瓶を取り出す紫。
「…………」
 その酒瓶は、懐に入るような大きさではなかった。それだけで、永琳は紫の能力を片鱗だけでも理解したのだろう、顔を顰め、ため息を吐いた。
「……軽率だったわね」
 秘具を使ったとはいえ、今必死であるはずの幻想郷で、月と交信などすべきではなかった。あの壺のような秘具を使えば、よほどのことが無い限り交信を傍受されることは無いが、今はよっぽどのことが起こる状況だったのだ。
「飲む?」
 酒瓶を差し出す紫。永琳は首を振った。
「いらないわ。私は過ちを忘れるより、忘れず反省するタイプなのよ」
「反省して無限に繰り返す前に逃げる。素晴らしいですわ」
「素晴らしいわね。……地上と月すら繋ぐことができたりするの?」
「満月じゃなくとも繋ぐことができるわ」
「……そう」
 それがハッタリではないことぐらい、嫌でも見抜けてしまうのだろう。天井を見上げ、「まったく」と呟く永琳。
「……お茶菓子なら出すけれど」
「今日は取引をしに来たの」
「うちはセールスはお断りなのよねぇ」
「そう言わずに。悪くない取引のはずよ」
「常套句ね」
「死より酷い目に遭わせることは勘弁する代わりに、月の内部構造を私に教えて、そして私に記憶を改変され、約千年程眠っていて頂戴な」
 単刀直入に、明快に横暴な要求を告げた。
「…………」
 天井を見上げたまま、手で目を覆い押し黙る永琳。紫はスキマから椅子と御猪口を取り出し、酒をゆったりと飲み始めた。
「……前半は、前半は分かる。でも後半は必要?」
「なんだかんだで故郷だからね。寝返られたらたまらないし」
「寝返るわけないじゃない。私は、私達は月の罪人よ」
「ああ、やっぱり元月の民なのね。ふーん」
「我らの姫様は、あの輝夜姫よ」
「……そうかもしれないとは思ってたけど、ほえー、驚き」
 左手をおどけた仕草で開く紫。
「それでも、疑う?」
「疑う」
「……千年ってなによ」
「記憶改変に必要な時間よ」
「そんな必要なわけないでしょう」
 言いながらも、それだけの時間を必要とする理由も分かっているのだろう。天井を見上げたまま微動だにしない。致命傷の原因を悔いているというより、それに失意しているようだった。
「まあ、洗脳みたいな記憶改変だからねぇ。あるキーワードには洗脳されているかのように制限がかかる。いや洗脳しているんだけれども」
 それは、例えば妖夢の年齢に対する幽々子の反応のように。
「私がちょくちょく傍にいれる環境だったらそんな必要無いんだけど、ここは辺境の辺境みたいなところだし。私が面倒を見る義理も無いし」
「なぜ洗脳なんてするの?」
 分かり切った事をさっさと確認したいとでもいうように、疑問なんて微塵も含まれていない平坦な声で問う。それに対し紫も、特に感情を込めるでもなく、答えた。
「月の民から、月から理を捻じ曲げるなんて発想を無くしちゃおう計画っていうのを立ててるわけよ。繰り返すのは嫌だし。貴方達も元とはいえ月の民だし、根はできる限り摘んでおく」
「千年も時間がかかる理由は、それだけ?」
 さっさと言えとでもいうような口調だ。早くこの茶番を終わらせろ、と。
「まあおそらく貴方のご想像通り、本当の理由は、月の都を私の想うように作り直そうと思って。幻想郷に有利に働くように、色々、ね。まあそれには時間がかかるし、万が一を考えると貴方達には千年は眠っていてもらいたい。それと、今の情報を含めた記憶改変ね」
「そんなことができるとでも?」
「準備は万全でございます」
「あ、そ」
 永琳は深いため息を吐き、天井から視線を戻し今度はうな垂れ、再び深いため息を吐き、そして。
「できない」
 紫を真っ直ぐ、灰色の炎を思わせる瞳で、相手の瞳を覗き込むように、睨みつけた。
「前半の条件は飲もう。だが後半の条件は飲めない。私達は月とは無関係に生きていく。それでいいじゃないか」
「そう思っていても、ふとした想いで助けたいと思うのが人間なのよ」
「私達は人間じゃない」
「人間よ。貴方達がどう思っていようがね」
「……お前の条件は、飲めない。もし承諾してしまったら」

「姫様に、迷惑が掛かる」

「……一途なことで」
 しばし、静かに睨み合う両者。
「姫様、それに兎を守りながら私に勝てるとでも?」
「姫様に危害を加えようとする輩は殲滅する。それだけだ」
「やっぱり貴方は人間ねぇ」
 紫は笑い、そして。
 最初に動いたのは永琳だった。机の上にあった薬瓶を、紫との間に投げつけた。薬瓶が大きな音を立て割れると、薄蒼色の光の帯が紫と永琳を遮断するように展開した。
 しかし。
 パチン、と紫が指を鳴らすと、光は跡かたもなく消滅した。
「…………」
「続ける?」
「これ程の力を持つ者がこの地にいたとはね」
 そう言いながらもしかし、戦意は微塵も揺らぐ気配は無かった。紫はため息を吐き、酒を脇にどけて、立ち上がった。
「場所を変えましょう」
「いいの?」
「貴方達を保存する大切な屋敷だし」
「あ、そ」
 そして、二人は同時にそこから、まるで最初から存在していなかったかのように消えた。

 真夜中の竹林で、光と光が、音と音が、力と力が、爆ぜ、ぶつかり合い、綯い交ぜになり、そして、静かになった。



 防戦一方、というわけではなかった。
 しかし、劣勢一方ではあった。
 こちらの闘志が、害意が、殺意が、悉く無効にされる。攻撃を発動することはできても、それが届くことはない。
 しかし、あちらもそれは同じだった。闘志を、害意を、殺意をこちらに当てることができても、それが悉く無意味となる。瞬間の再生。蓬莱の力。
 それでも、劣勢一方。あちらには余裕があり、こちらは常に必死だ。蓬莱人形である私達ほどに『必死』という言葉が似合わない者もいまいに。
 普段抑え込んでいる力を遺憾なく発揮し、『月の賢者』と呼ばれた力を突き立てている。しかし、数瞬もの余裕を持って、それをかわされ、滅され、無効にされる。輝く金髪を優雅に打ち振るい立ち回る彼女は、まるで幻想の存在のようだった。
 モチベーションも、同等、いや、どうやらそれすら彼女の方が勝っているようだ。なにに駆り立てられそんなモチベーションを維持できるのかは知らないが、攻撃一つ一つが、まるで殺意の矢のようだ。こちらは、それに立ち向かうモチベーションを維持するのに必死だった。
 光が爆ぜる。
 と、突然背後から攻撃が来る。
 とそれに気を取られていると、斜め上から攻撃が、いや気付くと殺意の矢に囲まれている。そのたびに痛みを覚悟し、攻撃が刺さると同時に反撃するが、余裕で避けられる。
 三次元を限界まで使った、凶悪すぎる能力。しかもそれだけではなく、基本的な力も並外れているなんていうレベルではない。力でごり押しという手だってある。
 ほとんどにおいて、相手の方が勝っている。が、お互いの性質上、決着はなかなか、いや永久の時を思わせるくらいに、つかない。この戦闘もまた、なにかの茶番劇のようでもあった。
 しかし。
「成る程、蓬莱の力、か。……それなら」
 突然、彼女の姿が消えた。
 当然、焦らなかった。これまでも度々あったことだ。
 が。
 彼女が突然、目の前に出現したことには驚愕した。驚愕し、刹那、固まってしまった。
 突っ込んできた――!?
 蓬莱の、無限の再生を持つ私に!?
 硬直に気付いたときにはもう遅い。薙ぎ払われた扇子に、思い切り切られた。
「――ぐっ……」
 しかし、切られたからといって私にはなんとも――。
「が、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 想像を絶する激痛に、無様に、どこにこんな音が眠っていたのだと驚愕してしまうような音量で、叫び声を上げた。
 なぜ?
 どうして?
 なにをされた?
 そんなことを思考できたのは、もう挽回不可能なまでに終わらされた後のことだった。正気を取り戻すと、両腕の肘辺りと両足の膝辺りが、消えていた。肘から、膝から上は存在するというのに。まるで空間に磔にされたようだった。
「『一次元閉鎖』。これで詰みね」
「……どうして」
 情けなく漏れたのは、そんな声だった。
 お前は、一体何をしたのだ?
「蓬莱人の存在原理を利用しただけよ」
「…………」
 嘘でしょう?
 なぜ私達の在り方を知っているのだ?
「蓬莱人の存在原理、蓬莱人はなぜ永久の時を生きることができるのか?なぜ死なないのか?その答えは、貴方達は死なないんじゃない。死んでいるのよ。死にながら、生きている」
「…………」
「貴方達は死をその体に取り込んでいる。だから、死なないのではなく、死んでいる。死体は死なない。蓬莱の薬とは、その死を生に逆転させる薬。死を生とし生きる。しかし死は死であってだから死なない」
 そう、その通りだった。
 そしてそれこそ、姫様の無類で無比な能力の正体。永遠と須臾を死に続ける。
 それを強化したのが、蓬莱の薬。
「ならば蓬莱人の対処法は簡単。再び、生と死の境界を弄ってやればいい。バラバラにしてもいい。切り裂いてもいい。バランスを崩すだけでもいい。そこを突けば、脆く崩れる」
「……ああ」
 そうか。そういうことか。今更、彼女の能力の真髄を理解した。
 彼女の能力は、『境界を操る能力』だ。
 巫山戯た能力だ。
「さて、決着したわけだけれど、どうする?」
「…………」
 負けてしまった。
 守れなかった。
 また、守れなかった。
 嗚呼。
 ごめんなさい。
 役立たずですみません。
 本当にどうしようもないですね、私は。
 ――叫び出しそうになる衝動を堪え、目の前の彼女を見る。優美に構える彼女の瞳は、絶対零度の光を放っている。ああ、彼女は懸命なのだ。全てを賭けて懸命しているのだ。私は、己が姫君のために全てを賭けても、懸命になることは叶わないのだろうか。
「……べつに貴方の主君を殺そうってわけじゃないのだけれど」
 そんな声を掛けられた。
 気付く。無様に泣いていたのだ。
 己の無力と失望に涙するのか。滑稽だった。
 ああ、無力は悲劇だ。
 そんな声が内で反響したとき、彼女の、月の神の姉のいつだかの台詞が、走馬灯のように思い出された。
『無能は悲劇でもなんでもないねん。有能だからこその悲劇やねん。まあ無力は悲劇かもしれんけど』
 ……でも、しかし。
 私は、姫君を守りたかったのだ。
 守りたかった。
 守れなかった。
「あら、もしかして……。そちらから尋ねて来てくれるとは、恐悦至極ね」
 はっと、顔を上げる。
 やめてくれ!と叫びそうになった。
 やめてくれ!来ないで!
 しかし、はたして。
 夜空に浮かび辺りを染める月を背負いながら、そこに、姫君は存在していた。
「ひめ、さま……。なんで……」
 意味不明なことを呟いた。しかし、真っ直ぐに私を見つめる姫君は、どこまでも無表情だった。
 息を飲む。
「永琳」
「はい」
「負けたの?」
「……申し訳、ございません」
 五臓六腑を絞り上げ、しかし蚊の鳴くような声で、言った。先程の痛みなど比にならないほどの激痛を感じる。
「そう……」
 それだけだった。
 もう、怖くて顔を見ることなんてできない。
 失望されてしまった。当たり前だ。
「初めまして、姫様」
「初めまして」
 始まった会話も、どこか別の世界の音のようにしか聞こえない。震えていた。
「私は八雲 紫。ただの一妖怪です」
「私は蓬莱山 輝夜。ただの蓬莱人よ」
「月の都とのいざこざと、今の幻想郷の状態は知っていますか?」
「ええ、なんとなくは」
「そうですか。それで、今晩は貴方達と取引に来たのです」
「いいんじゃないの」
「……は?」
 間の抜けた声を出す彼女。おそらく訝しげな表情をしているだろう。私も、茫然のあまり姫様を見やった。やはり、恐ろしいまでに無表情だった。
「いいんじゃないの」
 平坦な口調で繰り返す姫様。
「……内容を聞かずに承諾するのですか?」
「いいんじゃないの。興味が無い」
「…………」
「それより、私の従者を離してくれない?」
「…………」
 彼女は黙ったまま、扇子を私に向けた。たちまち解放され、自由となった。しかし、息苦しさは微塵も和らがない。
 いつの間にか姫様が隣にいた。傷付いた私に手を貸してくれる。しかし、声は掛けてもらえない。
「ちなみに、取引の内容は?」
「月の内部構造を私に教えてほしい。そして私に記憶を改変され、約千年程眠っていてほしい」
「あ、そう」
 それだけだった。
「永琳」
「……はい」
「月の内部構造の図面、ある?」
「机の下から二番目の棚に」
「だって」
 もう彼女には顔も合わせずにそう言って、私を肩に背負い、屋敷に戻り始める。
 少しでも気を抜くと感情がはち切れそうだった。俯くのが精一杯だ。
 姫様が、初めて怖いと思った。
「ああ、そうそう」
 突然宙で立ち止まり、背を向けたまま彼女に話しかけた。ほんの気紛れで喋ったとでもいう風な様子だった。
「こちらからも条件が一つ」
「……なんでしょう?」
「千年の眠りから覚めたら、再び、私達と戦いなさい。それが、条件」
「……分かりました」
 そして、もう彼女に構うことはなかった。

「永琳」
 屋敷に戻る道中で、初めて、問い掛けではなく私に話しかけてくれた。
「はい、なんでしょう」
「次は、負けは許さないわよ」
「……はい」
「貴方が負けるはずがないのよ。貴方は私の従者でしょう」
「……はい」
「私の従者だという自覚を、持ちなさい」
「……はい」
「貴方は私の誇りであるということを、自覚しなさい」
「…………。……はい」
「空っぽの私の誇りである貴方が貶められることが、私の唯一の怒りであり、そして哀しみなのよ」
「…………」
「分かった?」
「………………………………………………はい」
 感情がはち切れた。
 涙が、止めどなく溢れる。
 いったい何時振りなのだろう。嗚咽を洩らしながら、泣き続けた。
「すみませんでした……。ごめんなさい……」
「やめなさい」
 姫様は、緩やかにそう言った。
「貴方はどんな時でも、気丈に振舞っていて。私はそんな貴方が好きなのよ」
「……はい」
 夜が更けて。
 いつの間にか、夜明けの時間だった。
 日の光が、辺りを染める。
「私は夜明けが好きなの。日の光が好きなのではなく、夜明けという時間が好き。その世界の時を止めて、永遠にこの情景を眺めることができたらいいのに」
 いつだかの台詞を、姫様はぽつりと口にした。
「……今度の夜明けは、最高のものにすると誓います」
「期待してるわ」
 そして姫様は、柔らかく微笑んだ。

「姫様」
「なに?」
「貴方のことが好きです」
「……知ってるわ」



「…………。私、あの子苦手だわ……」



 目を覚ますと、全てが終わっていた。
 どうやら、師匠と姫様以外は全員、全ての兎が眠らされていたらしい。私は先に目覚めたてゐに揺り起こされ、そして無人の机を見て、最悪の結末を予期した。
 そしていま、終わり切った結末を、師匠から茫然として聞いていた。
「ごめんなさい」
 頭を下げる師匠に、私は全身を内から喰われるような痛みを感じた。
「そんな……」
 なにもできずにまさに無能の象徴のように倒れていた私の所為だ、と言うのはあまりにも傲慢だろう。私は、責任さえ背負えない。
 命を賭して守ろうと決めた。しかし、奥底の私の本性が、その覚悟をどうしようもなく否定する。それに抗うことができない。
 醜い。
 悲しみより、嫌悪感を強く感じた。
 なにが私は有能です、だ。笑えもしない。
 無能は悲劇だ。
 ……私は、ここにいて良いのだろうか?私の卑劣が、いつかこの人達を汚してしまうような気がする。震えあがるような恐怖を感じた。
 私は、ここに在るべきではないのでは?
「……これから、永遠亭は永い眠りに付くわ。貴方達は、どうする?」
「……まあ、どうするもこうするも」
 隣に立つてゐは、頭を掻いて言った。
「兎の宿になりそうなところはここしかないし、一緒に眠らせてもらいますよ」
「……そう」
 師匠は頷き、私を見つめる。
「あなたは、どうする?」
「…………」
 少し考えたけれど。
「……私も、一緒に眠ります」
 結局、そんな返事をしていた。卑劣に吐き気を催す。
「そう」
 やはり、師匠は頷いただけだった。
 そして、てゐは他の兎にそのことを伝えに出ていった。
 師匠と二人ぽっちになった部屋で、私はしばらくの間俯いていた。師匠は、机の引き出しの中身を確認していた。
 そして、ぽつりと、呟くように、尋ねた。
「……師匠?」
「なに?」
「私は、師匠の助手でいいのでしょうか?」
 私がここにいるのは、間違いではないでしょうか?
 私は、ここに在っても良いのでしょうか?
 なんと答えて欲しかったのだろう?受諾して欲しいのか、拒絶して欲しいのか。……受諾してくれ、という声が体の底から鳴り脳内で響いた。それは卑劣な小心からか、それとも――。
 震える拳を握りながら答えを待つ私。
 しかし、師匠はなぜか突然、くすくすと笑い始めた。
「な、なんでしょう……?」
「いつか、私の誇りになってくれることを期待するわ」
 そんな答えだった。
 与えられた答えは、期待――。
 しかし。
「……誇り、ですか?」
「ええ」
 ……それは、無理難題です。
 無能は、無能だから無能なのだから――。
「時間はたっぷりとあるし、ね」
「…………」
 永久の時間があれば、私も変わることができるのだろうか?
 少しでも、恩を返すことができるだろうか……?
「……頑張ります」
「頑張って」
 そうだ、頑張ろう。
 私は、この屋敷が好きなのだから。
 いつか、この人達を守れるくらいに――。
「棚の整理、お願い」
「はい、師匠」
 そして叶うことなら、この人達の嬉しみになれるように。



 そしてその晩、永遠亭は永い眠りに付いた。
 彼女らが目覚めた時、紫は約束通り記憶改変のついでに実際の出来事を織り交ぜ彼女達を幻想郷から敵対させ戦ったのだが、それはまた別のお話。

 ……余談だが、永い眠りに付いたのは、記憶の改変を受けたのは、彼女達だけではなかった。内側、永遠亭の住民の記憶と、外側の記憶を結び付けるために、永遠亭の住人と唯一親しかったもう一人の蓬莱人、藤原 妹紅も一緒に巻き添えで眠らされ、記憶を改変された。しかし、その不遇によりできたかけがえのない縁というのもあった。それも、また別のお話。






 これにて序章はお終い。
 劇の開演。
 八雲 紫の一人舞台。
 幻想月面戦争と呼ばれたその事件の内実。
 しかしそれは、例えば建物が地震で崩れるように、例えば土砂で沢山の人が埋もれるように、例えば街が洪水に飲まれるように、呆気なく、それがそうであっただけのどうしようもない物語でしかなかった。



「さあ、始めましょう」
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コメント



0.460簡易評価
4.80名前が無い程度の能力削除
原作設定をブッち切って爆走してるな
記憶の改変辺りで無理やりこじつけてる感があるけどifな話だしそこは否定できん
面白いから気にしないけど
6.100名前が無い程度の能力削除
素敵です。
13.70削除
多分、自分に読解力が無いせいだと思うけど、視点がコロコロ変わって分かりづらい。
あと、個々のキャラが何をしたいのか分からない。
上手く言い表せないけど・・・