Coolier - 新生・東方創想話

全て許される日 その五

2010/07/21 18:55:23
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作品集:97「全て許される日 その一」
作品集:98「全て許される日 その二」
作品集:99「全て許される日 その三」
作品集:108「全て許される日 その四」の続きです。



10.森の方へ


 目当ては暗いチェックと明るいレースだった。しばらく家にこもっていたのでいっぺんに切れてしまったのだ。人形や衣装、魔術に用いる素材が底を尽きてしまうまで缶詰をし、なくなれば外に出るという生活のリズムが定着してもうだいぶ経っている。
 扉を開けると、網の目のような樅、欅、桜の枝の間から、山裾に近づいていく日の光が、パラパラと私の顔に降りかかった。まだ明るいが、冬の夜は早足だ。夕暮れが差し迫っていた。これで今朝の淡雪が残っていれば、さらによいプリズムとなっていただろう。
 私は日向の中を泳ぐように、ゆっくりと空中を散歩しながら香霖堂へ向かったが、しかしすっかり冷えてしまった。帰りは歩いて行くが無難だなあと思いつつ、私は相変わらず重苦しい店の扉を開けた。暖房は控えめな店内には、店主の森近霖之助の他に、霧雨魔理沙が机に腰を下ろして小さな箱をもてあそんでいた。
「お、いらっしゃい」
「おばあちゃん、お行儀が悪くてよ?」
「ええ? なんだって? それより、朝飯はまだかえ?」 
 下らない芝居は見えないところでやってほしいね、という店主の呆れた声が笑いの引き金となった。私は咳を払って幕を引き、衣装生地の棚に目をうつした。白いレースは柄ごとにまとめられており、それらを無造作に手に取っていった。かごの中はすぐに山となったが、なに、どうせ使い切るのだ、衣装に合わなければカーテンでもコースターにでもすればいい。
「相変わらず人形、人形、人形かい? 七色よ」
「ええそう、真っ黒」
「真っ黒! ひどいこというねえ」
 まあ確かに白い服は着なくなったが、と最早誰よりも魔女然とした姿の彼女を、白黒とはもう呼べない。細く絞られた黒いドレスは決して野暮ったくはならないように着こなしている、それは黒ばかり着るようになってからの時の長さを私に教えた。
 彼女の金の髪は、しかしその夜の色にこそ映える。隣でぞんざいに物色する老女は、当たり前ではあるが、やはり霧雨魔理沙なのである。
「魔理沙、あまり汚さないでくれよ。昨日片づけたばかりなんだがね」
「うるさいな香霖。だったら隣のやつにも同じこといいな」
「あら、私はちゃんと買うもの」
 たんまり抱えた生地と糸、そして少しの木材を私は店主の前に置いた。示された金額を払う。店主はいつまでも慣れない手つきで金を勘定し、お釣りと品を渡す。
「帰るのか?」
「ええ。夜は冷えるもの」
「全くそのとおり。こんな日はどうにも、温かい紅茶が飲みたいと思わないか?」
「さて、どうかしら」
「決まった。決まった」
 箒の柄で床を叩き、魔理沙は嬉しそうに私の後に続いたが、やおら彼女は振り向くと、帽子を脱いで中から小さな小箱を取り出し、それを店主の森近霖之助にむかって放った。
「香霖。これ。さっき言ってたやつ」
「ああ、わかった」
「じゃあな」
「さようなら、魔理沙」
 魔理沙がそのまま後ろ手に扉をしめてしまったので、一体何の小箱なのか、その素材さえも判然とせず、私はかなり怪訝な表情をしたのだろう、魔理沙がドン、ドンと背中を叩いた。
「なあに、大したもんじゃあないって。さあいこう。薪までケチるシケた店のせいで、もう私ゃ冷え切っていかんのだよ」
 寒い寒いと、両腕を抱えて魔理沙は私は急かした。訝しむ間も与えないというわけ? けれど詮索屋を演ずる気に私はどうしてもならなかった。家までは歩いたところで知れている。少々の時間ですっかり冷え切ってしまうこの寒空をわざわざ泳ぐ気にはならない。私も魔理沙も元より飛ぶ気などなかった。
 常緑樹の少ない森は、すっかり葉を落としてしまった木々ばかりで一層寒々しい。秋の実りは豊かと言えたので、動物たちにもゆとりがあるのだろう、道中出くわしたタヌキやテンも痩せてはいなかった。動物たちとのテリトリーを、パキリ、パキリと枯れ葉や枝を踏み砕く音で侵していく。雪がつもり、溶ければ程良い腐葉土となるだろう。死と再生の輪廻は全く身近なところで、私たちのあやふやさを寄せ付けないほどにシンプルで美しい。
「まぁた小難しいこと考えていらっしゃるのかえ」
「さて、どうかしら」
 ザラザラと箒を引きずって、魔理沙は年甲斐もなくはしゃぎ始めた。
「静寂が美などと、私ゃ思わんね。喧騒こそ命だよ」
「あなたも十分小難しいじゃない」
「いや。単に説教くさいだけ」
 いつかのように盛大に笑って、魔理沙は私を追いぬいてせせらぎを飛び越えた。この流れを渡り、木立を抜ければもう私の家である。気づけば日も稜線にさしかかり、長く伸びた影まで寒さに震えている。私たちは吸い込まれるように家に逃げ込んだ。
 家は人形たちが火の番をしっかり務めていてくれたおかげでちょうどいい温かさになっており、私はなんとかひと心地といった体で大きく息を吐いた。
「いいねえ。暖房予約ってわけだ」
「予約?」
 いや、あっちの話さ、といって手を振られたので、私は紅茶にとりかかった。もちろんお湯も沸いている。秋摘みの葉は香りは弱いけれども、それが私たちの真っ赤な鼻にはちょうどいいあんばい。茶菓子には、昼間に焼いたマドレーヌ。人形たちが暖炉の周りをくるくる回りながら、ほどよく温め直す頃には紅茶の色もしっかり出ている。
「相変わらず忙しいな、人形たちは。久しぶりだけどよく出来たもんだ。なんで操り糸が絡まいないんだろうな、昔から気になってたんだけど」
「コツがあるのよ。自転車乗るのと変わらないわ」
 受け皿にカップ、角砂糖にスプーン。人形たちが全部やってくれるので私は紅茶にだけ集中できた。とにかく冷えているから、蒸らしはそこそこに済ませてテーブルにむかった。
 魔理沙はなぜか、人形から受け取ったマドレーヌをしげしげと見やっていた。向かいに腰を下ろしても、紅茶を注ぎ終わっても、魔理沙はマドレーヌをじっと睨んでいた。
「知ってるか、アリス。幻想郷の外にも魔法は残ってるってこと」
 その口ぶりは、生涯の秘密を打ち明けるかのようだった。
「さあ。取るに足らないものしか生き延びてないらしいじゃない? 興味ないわね」
「ところがどっこい、さ。そういうところにこそ、とんでもないシロモノが残ってるもんなんだよ」
 馬鹿正直なもので、私はそんな言葉と語り口にとことん弱い。思わず居住まいを正してしまって聴き直した。
「なによ、どんなの?」
「これがまた禁忌中の禁忌。とんでもない性悪魔法なんだ。しかし一度は誰もが夢見る――そう、時を操る魔法さ」
 魔理沙はマドレーヌを指先でつまむと、くるりくるりと何度か宙で返した。そしてやはり、秘密の続き、大事な大事な秘密の核心を明かすように、私の目を見て言った。
「マドレーヌを紅茶に少しひたして食べると、過去に戻れるんだ」
 ――そう。そうなのだ。またいつものとおりである。何十年も時を隔てたところで、下らない冗談を魔理沙が好むことも、それに引っかかってしまうこの私も、せいぜい相変わらずということだ。さて、この冗談をどうさばくか、私は手心加えず怒鳴ってから紅茶を奪い返そうかと目論んだが、魔理沙の様子に私は身動き一つ取ることができなかった。
 魔理沙は小さく裂いたマドレーヌの欠片に紅茶を吸わせると、口に運んでは静々と目をつむった。マドレーヌにそんな力があるわけないと、茶化す気持ちにはならなかった。魔理沙はそんな幼稚な疑いを恥じらわせる程に真剣だった。目をつむった姿は、なぜか涙を誘われる程に厳かで。
 魔理沙は静かに目を伏せたままでいる。私はこの場所、この時間の全てが侵されざるものに変わったことを知った。なら、ルールに従わなければいけないのが道理だった。
 私もマドレーヌを裂き、言われたように濡らして食べた。あずき色に染まったマドレーヌは、私の口の中で不思議な香りを立て、ふわりと消えた。
 柔らかく、甘く、紅茶のおかげで少し渋い、ただそれだけのはずが――私は確かに魔法にかかってしまった。ただ魔理沙のいった通りの過去に戻る魔法ではなく、真実を垣間見るという魔法に。
 私は目をつむった。私は過去には戻れず、ただ間近に訪れるであろう未来をのぞいた。そう、やはり魔女はデタラメをいった。過去は失われたのだ。時は過ぎ去り、求めてももはや二度と舞い戻ってくることはない。
 魔理沙は立ち上がると、私の肩に手を置いた。か細く、枯れ枝のように乾いた手のひら、指。有るか無きかの存在感。魔理沙はまんざらでもないような顔をして、マドレーヌの残りを頬張ると、小さな小箱を二つ、机に置いて家を出て行った。
 取り残された私は、マドレーヌと紅茶を平らげてしまうと、私のための小箱と、もう一つの誰かのための小箱を――箱は一人に一つしかない。そんなもの、言われなくてもわかっている――引き出しにしまった。そして買ったばかりのレースを取り出し、チクチクとコースターに縫い始めた。一枚、二枚とすぐに出来上がっていく。三枚目を縫い終える前にはもうすっかり暗くなってしまい、手元がおぼつかなくなった。
 私は窓にはべると、すっかり冷え切った魔理沙の分の紅茶をすすった。晶々と星が輝く夜空に雪を期待するのは間違っている。けれど、白むだろうと、私は疑いもしなかった。私が垣間見た未来は、全てが消えてなくなってしまうほどの、真っ白なものであったから。



つづく。
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