Coolier - 新生・東方創想話

河原のバザー

2010/07/17 23:38:30
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 それは箱庭のような美しさを見せていた。
 穏やかな日差しの下、雲はゆっくりと西から東へと棚引いていく。雲の間から見える山肌は青々と葉を茂らせ、陽の光で一層緑を濃くしてゆく。
 その山肌の緑を縫うようにして流れるせせらぎは、谷間で寄り集まり一層の流れとなって、山裾へ、そして山裾からその先へと流れていく。
 流れは右へ左へと蛇行を繰り返し、大蛇がのたうつようにして、さらに先へ先へと流れていく。流れは時に土地を削り、岩を砕き、大地をならして、なお先へと続く。

 里へと至るその牙を一つの盾が阻んでいた。

 なだらかな平地にはっきりと壁としてそびえるその堤は、人が長い年月をかけて造ったとも、とある妖怪が己の力を誇示するために一夜にして築いたとも言われる大きなものだった。
 
 その河川敷がもっとも広い一角。里の者には河原としか呼ばれず、しかし里の者であれば誰もが知る行事があるからこその賑わいがあった。

 それは、月に一度の商い、バザーの日。

 整然と並んだ出店の列に、里は元より四方から、妖怪、妖精はおろか、仙人や天人まで繰り出す賑わい。
 正月や祭の時のように屋台や飲食店もまたそこここに店を構え、河原にはえもいわれぬ匂いが立ちこめていた。
 そして、人妖問わず行われる商いは、盛大の一言に尽きた。妖怪が人に売る姿もあれば、人間が妖怪に売る姿もある。人が作ったものに舌鼓を打つ妖怪もあれば、妖怪が作ったものに舌鼓を打つ人間もいた。

 河原から立ち上る活気は、空にうっすらと棚引く雲を生むまでになっていた。

 その賑わいの一角、嗜好品を扱う店の列、整然と並べられた茶箱を前に、札を手にしたメイド姿の少女が店主へと微笑んでいた。
 その笑みは、少女を知るものからすれば、逃げ腰になるだけの凄みがあった。

 「先年よりも値が張っているように思いますが?」
 「そら、先年が安かったからな。なにせあの時は長雨でほとんど良い葉は持って来れなかったからな。かといって、何時もの値で売る訳にもいくめえ」

 少女の笑みに込められた意味を正確に計り、しかし、さらりと店主は受け流した。メイドとそれを座ったまま見上げる店主、双方が軽い挨拶を済ませると、

 「ではこの位で」

 メイドが無表情に指を二つ伸ばす。それを見て店主は苦笑すると

 「いくら何でも、この程度は無いとなあ、嬢ちゃん」

 ござの痕がくっきりと付いた手の平を見せる店主。
 が、嬢ちゃんと揶揄されたメイドは茶箱から見本として並べられていた茶葉を一つまみすると、指で茶葉を揉み、鼻へと近づけると、一呼吸。

 「一見すると茶葉が去年よりも良いように見えますが、混ぜる配分を変えただけでは?」

 そう言うと、茶箱に乗せられていた札をさらに一枚手にすると、微笑みながら追加で指を一本だけ立てた。メイドの要求に対して、皺の濃い顔を一層濃くして店主は笑うと、メイドの手に別の茶箱に乗せていた札を一枚追加し、

 「なら、こいつもオマケでな」

 そう言って、両の手の平を見せる。

 「ウチでは緑茶はあまり消費されませんので」

 が、店主のまさに切り札に対して、メイドはにこりともせずに店主が乗せた緑で字が書かれた札を指に挟み、そう返す。そして店主の脇の茶箱に置いてある黄ばんだ紙が貼られた茶箱を指差すと、オマケを付けて頂くのであれば、あれに変えて下さいません、と告げた。
 その言葉に、店主は皺よりも苦笑を濃くし、

 「おいおいおいおい、お嬢ちゃんよ。あれはオマケでつけられるもんじゃないぜ。なんせ■■■産だぞ」
 「あら、そうなの?」
 「ったく、白々しい。端っからアレ狙いじゃねえか」
 「あら、そんなに物欲を露わにしていたつもりはありませんが?」

 同性でもほれぼれとするような笑みで店主に返すが、店主はむすりとしたまま、メイドの背後を指差し、

 「そう思うんなら、稗田んとこのお嬢ちゃんを連れてくるんじゃねえよ」
 
 忌々しそうに舌打ちをした。
 それに対し、メイドが舌打ちで応え、後ろを振り向くと同時、茶葉の換わりにメイドの手には店主が指差した稗田のお嬢ちゃんがぶら下げられていた。
 まさに刹那、店主の前へと連れ出された少女は目をしばたたかせ、しかし自分が吊り下げられていることで苦しくなってきたのに気がつくと、

 「ちょ、ちょっと、咲夜さん」
 「阿求、貴女もう少しじっとしていられないのかしら? 貴女がどうしても■■■を安く手に入れたいって言うから手伝っているってのに、貴女がうろちょろしちゃ、ば、れ、るに決まってるじゃないの」
 「いた、いた、いたいいたいいたいですよ、咲夜さん」

 メイドが笑顔のまま、少女を吊り下げた手を乱暴に振った。

 「おいおい、流石に稗田んとこのお嬢ちゃんそこまで手荒に扱っていいんかよ?」
 「合意の上ですから、大丈夫ですわ」
 「どこをどう聞いても、茶葉を買うところしか同意してないと思うんだがなあ」
 「そうですよ。咲夜さんにお願いしたのは、■■■を安く買うことであって私をぶら下げることじゃ」
 
 べちゃり、という音が聞こえそうな落ち方で、吊り下げられていた阿求が開放される。急に手を離された阿求は手を着くことも出来ず、
 
 「ひたい」
 「あら? ぶら下げるなと言われたのでその通りにしただけですわ」
 「まあ、なんだ。打ち身用の薬なら」
 「三つ後ろの島の端。左側の商品棚の二段目手前」
 「釈迦に説法か」
 「お気遣いありがとうございます」
 「私を見ながら言うのもどうかと思いますわ」

 両手で額を抑えたまま咲夜と呼ばれたメイドを睨み上げる阿求の背中を、店主は何とも言えない表情で眺めた。と、そこへ息せき切って駆け寄る者がいた。

 「咲夜さん、急に阿求さんを連れて行かないで下さいよ。びっくりしました」
 「ああ、悪かったわね早苗」
 「せめて、メモとお金は残していって欲しかったんですが。それで、お目当てのものは買えたんですか?」
 「若い内の苦労は買ってでもしろ、っていうじゃない。お金が無かったからって、目くじらを立てなくてもいいんじゃないかしら。ちなみに戦果については、依頼人がヘボなんで、交渉に失敗しましたわ」
 「それは残念ですね」

 いまだに額を抑えて恨めしそうに咲夜を見上げる阿求に対し、店主は苦笑しながら一杯の茶を差し出す。そして、現れた早苗を見て頭を捻りながら店主が尋ねた。

 「なあ、おめえさんは博麗さんとこの巫女さんか? それにしちゃあ、柄というか雰囲気が違うんだよなあ」
 「あ、私、山の神社で風祝まあ巫女をしている早苗といいます」
 「山、って、あの? あれか? おいおいおめえさん、顔に見合わず冗談が好きだなあ」
 「あら、その子、本当にそうよ」

 うっすらと雲を棚引かせる山を指差したまま笑う店主に対して、咲夜はにべもなくそう告げる。その答えに店主の顔が引き攣る。

 「てことはなにか、おめえさん、天狗かなんかか?」
 「いえいえ、本当にいたって普通の人ですよ」
 「とりあえず、普通と定義できる人というのは妖怪を虐めたり泣かせたりするものじゃありませんからね」

 店主から差し出されたお茶をすすり一息ついた阿求がそう切り返す。早苗は阿求の言葉にちらりと下に視線をやる。空いた茶箱に腰を掛けた阿求と視線が交わり、そして二人して咲夜へと視線を向け、一拍して、
 
 「そうですかねえ?」
 「そうですよ」
 「ちょっと、早苗も阿求も、私の顔を見ながら言わないでくれないかしら」
 「そうですかねえ……」
 「そうですよ」 
 「さすがにはたくわよ」

 怖い怖いと阿求は頭を両手で庇いながら早苗の背後へと回る。

 「しっかし、お嬢ちゃんも物好きだよな。こん程度の買い物なら使用人にでもさせりゃあ良いじゃねえか」
 「何を仰います。ここでしか■■■は手に入らないんですから他人に任せる訳にはいきません」

 店主の言葉に対し、詰め寄るように早苗の前へと出ると、それでだけでここに足を運ぶ価値があると胸を張る。と、胸を張った阿求にぐっと力が背後から加わる。
 瞬間たたらを踏むも、ぐっとこらえると、

 「早苗?!」

 咲夜の切羽詰まった声が響くと同時、背後からの力がずるりと肩から腕へと滑り、どさり、と早苗が地面に倒れ伏したのだった。 

 
 ◆


 堤の天辺、天端と呼ばれる部分でさえも三十間はあると言われる一角を占めて、紅魔館のカフェは店を構えていた。カフェからは河原の盛況さが一望できた。その眺めの良さも手伝って、店もまた人集りで賑わっていた。

 人集りの原因は見晴らしだけでなく、紅魔館のメイド達が提供する一杯の紅茶とケーキもまた要因の一つだった。
 それを目当てに、咲夜の見込み通り客層は女性がメインとして、それに引き摺られるようにして男性がやってきていた。

 メニューは白磁に葛の模様が描かれたカップにふわりと冷たく薫る紅茶。白磁の平皿に抹茶のソースで描かれた波の上に涼を呼ぶババロアや、ふわふわのメレンゲを被ったザッハトルテなどなど。

 そして店は咲夜の予想以上に驚嘆の声であふれていた。女性客からは味に対する驚嘆が、そして男性客からは請求書に対する驚嘆が。

 安めの価格設定のケーキで女性客を掴み、同伴の男性客が飲む紅茶から金を巻き上げるという悪魔の出店らしい価格戦略により、僅か半日でレミリアが月に行って以来の財政赤字が健全化するほどの売上を上げていた。


 そんなざわめきの中、ある一角だけがぽっかり静まり返っていた。


 人混みの隙間から僅かに覗くのは、金色の髪と、紫色の服。この混雑の中でも、ただヒトリ悠然と構えていた。傍らには一名のメイドを我が物顔で従え、優雅に河原を見下ろしていた。

 時折、傍らに控えるメイドに一言二言と言葉を掛け、その答えを楽しむ様はまさにアフタヌーンティーと呼ぶに相応しい光景だった。
 その午後の紅茶の手本ともいうべき光景に対して、

 ――回転率が悪くなるからさっさとお帰り頂きたいものですわ

 このまま、閉店までその妖怪が席を占拠し続けた場合の打ち上げに対する影響を考え、咲夜は無意識に舌打ちをしていた。
 と、その音にもぞり、と体を動かす者が居た。

 店先で意識を失った早苗だった。
 もぞりもぞり、と体を動かす早苗は、地面とは違う堅い反応に横を向き、自分の状態を把握しようとした。

 早苗の視界には、立木を仕切りとして調理場として構えられた一角、メイド達の休憩用に用意された長机と長椅子が見えた。そこで漸く早苗は自分がその長椅子に横たえられていることに気がついた。

 そんな早苗の首の動きに、傍らに控えて団扇で早苗を扇いていた阿求が早苗が目を覚ましたことに気がつき、立木越しに店内の盛況さを見ていた咲夜へと声を掛ける。と、すぐに、咲夜がちょっとだけ眉間に皺を寄せた表情で早苗へと近づき、

 「ああ、良かったわ気がついて。あと少ししても目を覚まさなかったら、永遠亭にでも担ぎ込もうかしらと思ってたところよ」
 「お気遣いありがとうございます」

 やや青い顔で早苗が長机に手を置き、阿求に体を支えられながら体を起こした。その未だ青い顔を見て、咲夜は調理班のメイド達が陣取る机へと向かい、ピッチャーとグラスを手に携えて戻ってきた。

 そして、淀みのない手つきでコップに注がれる水は注がれたコップがうっすらと汗をかく程度には冷やされており、そしてほんのりと柑橘類の匂いを辺りに漂わせた。

 「良い匂いですね」
 「■■■産のレモンだからすっきりするわ。阿求、貴女にもあげるから、その物欲しげな顔は仕舞って頂戴」

 咲夜はうんざりとした表情で阿求のために二杯目を注ぐべく、汗をかいたコップを早苗に手渡す。

 「悪いけど、一杯目と果肉の量が違うとか言ったら、丸ごと口の中に突っ込みますわ」

 早苗の手の中では、果肉がぐるぐると注がれた勢いのままグラスで踊っていた。咲夜の言葉に机の上でグラスを両手で抱え込んでいた早苗の青い顔が咲夜へと向けられ、

 「いま、なんて」
 「だから、■■■産のレモンよ」

 ちょっと困り顔で咲夜が繰り返す。
 その言葉にまた早苗が青くなり、手が小刻みに震えていることに気がついた阿求は、

 「まだ、ご気分がすぐれませんか?」
 「ひょっとしてレモンってダメだったかしら」

 長机の向かいの阿求へとグラスを差し出しつつ、隣に座る早苗を気遣う咲夜に対して、

 「違うんです」

 泣きそうな顔で早苗が応えた。

 「そうではなく、二人が何を言っているのか分からないんです」

 その言葉に顔を咲夜と阿求は顔を見合わせた。そして二人の上でどうぞどうぞとお互いに手の平を見せ合い、ついに根負けした咲夜が口を開く。

 「私達の訛りが酷い、とかの意味じゃないわよね」
 「ということは、■■■産、いえ■■■が分からない、と?」

 阿求が確認するように使ったその言葉に、早苗は青白い顔のままこくりと頷く。

 「ずっと、なんです。こちらに来てからずっと。最初は訛りなのかと思っていたんですが」
 「今日のバザーではっきりと■、いえ、言葉が分からないことが分かった、と」

 咲夜は早苗の表情から、それが紛れもない事実だと判断した。咲夜が黙りこくったのをみて、阿求は眉根をひそめたまま、手にしたグラスに口をつけた。咲夜もまた、ピッチャーの代わりにいつの間にか手にしていたティーカップを口元まで運んだ。

 さわり、と木々が揺れ、

 「まるでノイズなんです。そこのところだけ、ノイズが掛かったように頭の中で言葉が形にならないんです」

 早苗のかすれた声は、咲夜達と店々を巡っていた際に掲げられていた商品札も読めなければ、店員達が述べていた口上も聞き取れず、唇の動きからも分からなかったのだと、告げた。

「それで、ですか。店々でその地名がどんな字なのかって聞かれていたのは」

 溜息を吐くように阿求が確認する。

 「あのときも、自分が一字一字書いている漢字は理解出来ているのに、塊となった瞬間に頭の中が真っ白になるんです。わかったことと言えば、わかるものとわからないものとがある、ということぐらいで」
 「全部が分からない訳じゃないの?」

 咲夜の問いかけに青い表情のまま早苗は頷くと、長机の脇に寄せられていた午前中の戦利品を手に取り、机の左右に置き分け始めた。

 早苗が手にするのは、砂糖や塩、醤油といった調味料、茶葉や煙草といった嗜好品、生地やボタンといった衣料品、紅や白粉といった化粧品、フォークやナイフ、小皿や盛り皿といった食器まで多岐にわたり、それが長机に所狭しと並べられていった。

 そして早苗の仕分けの結果、長机の上には、半分以上を占める分からない品の山が出来上がった。

 「これとか、物としては理解できるのよね?」

 咲夜は、早苗が作った大山から小袋を取り出しちゃぽんぽんと音を立てるようにして叩いてみせる。

 「ええ、それが砂糖だとか、そういった物としては理解できているんです」
 「それでも、産地が分からない、と」

 咲夜は首を捻り阿求を見やるが、阿求もまた、分けられた品々を見て首を捻るのだった。 


 ◆


 そこへ、横合いからスッと手が伸ばすモノがいた。肘まで白の手袋で覆われていたその手、長机に立つ姿は紫を基調とした服。そして、その服の上を金色の髪が流れるように踊っていた。

 その手の持ち主に気づいた咲夜は舌打ちを一つして、視線を上げた。そこには咲夜の予想通り、妖怪の賢者、八雲紫が胡散臭い笑顔を浮かべていた。

 「お悩みのようですが、この並べ方では理解が進みませんわ」

 そう言うと、その手を長机の中央以上を占める早苗が分からないと分けた品々の真ん中へと伸ばし一つ品を取り上げ端へと動かすと、また真ん中から端へと動かした。そして次々と品を動かしていき、真ん中に隙間を作っていく。

 そして、仕上げに、早苗が分かると言った物を自らが開けた隙間の中へと置いていった。

 「これは?」

 分かるものを分からないものの輪で囲い込んだ意図に戸惑いの声を上げる早苗が顔を上げた次の瞬間、スッと早苗の周りから音が消えた。

 早苗は素早く辺りに視線を走らせると、長机の品々だけでなく、木々の、河原の色彩が抜け落ちていた。

 結界。

 その中へと誘われたことに早苗は警戒を高めた。ゆっくりと体重を椅子から両足へと動かし、何時でも対応出来るように構える早苗に対し、


 「ここからは淑女だけの秘め事ですわ」


 と、紫は妖しげに微笑むと、先ほどまでメイドを従えて紅茶を楽しんでいた席へと歩き出した。こちらへどうぞ、という紫の声に、一瞬躊躇ったものの、早苗は諦めて席を立つと、紫の後を追う。

 そして紫に促され辿り着いた一角だけは、結界に入る前と変わらぬ色彩を保っていた。どうぞそちらへ、という紫の促しにより、早苗はゆっくりと紫野向かい、河原を向こうに見渡す位置に置かれた椅子に腰を掛けた。

 そして、向かいに腰掛けた紫に視線を合わせる。
 紫は早苗の警戒する視線に対して、微笑みを返すと、ちょっと長くなりますわ、と言ってどこからともなく取り出したティーカップを早苗に差し出した。そして、自分のカップに紅茶を注ぎ、口を湿らせると、おもむろに切り出した。


 「妖怪が暮らすには幻想郷は狭いのです」


 ことり、と紫は手にしていたティーカップを机に置くと、薄く、実に薄く微笑んだ。そして、と言葉を続け、


 「妖怪を畏れるための人間を住まわせるにも狭いのです」


 悠然と手を組む紫の仕草、その薄い微笑みに、真意を探るように見つめたまま、早苗が言葉を返す。

 「まるで人を飼育しているような口ぶりですね」
 「ええ、ええ、そう、そうであり、そうではありませんわ」

 早苗の言葉に、さらに薄く三日月のように細く紫は微笑み、

 「貴女の神社で玩具になっているような妖怪が良い例ですわ」
 「小傘さんが?」
 「あれのような付喪神は、唐傘があってこその存在」

 そこでまた手元のカップを持ち上げると口を付け、一息入れた。小傘が、あれと呼ばれたことに若干眉を顰めたものの、その意味にさらに早苗は眉を顰めた。早苗の反応を見て、紫はカップを持ったまま、

 「あれは唐傘が」
 「唐傘があったからだから、小傘さんは小傘さんになった。でも、唐傘が無ければ、付喪神には……」

 紫の言葉を引き取るように呟く早苗の表情は既に紫を見てはいなかった。その様子に薄く眼を細めると、紫は再びカップで喉を潤し、

 「実際には、唐傘がならなかった代わりに別の何かが付喪神になったのでしょうが、それも限界がありますわ」

 そう囁く紫は、まるで次の瞬間には、手にしたカップが付喪神になるかのように両手でカップを目の前まで掲げてみせた。そんな紫の芝居に対して、早苗は眼を瞑ると天を仰ぎ呟いた。

 「人が唐傘を、いえ、物を作るだけの技術が文化があってこそ、小傘さんは成り立つことが出来る、ということですか」
 「ええ、ええ、そうです、その通りですわ」

 憶えの良い生徒を前にした慧音のように、実に嬉しそうに楽しそうに、そして悲しそうに紫は微笑んだ。
 が、もはや早苗は紫の相づちなど聞こえないかのようにして呟き続け、


 「妖怪だけでは、妖怪は存在しえない。でも、文化を維持するには幻想郷では狭すぎる。だから……、だから?」


 こつこつと、指でリズムを取るように、思考を急かすかのようにして、テーブルを叩き続け、次の瞬間、はっとした顔で言葉を句切ると、テーブルに並んだ紅茶やケーキを見、そして結界の外、色あせた河原へと視線を動かした。

 早苗の視線の先には、モノクロームの世界でさまざまな商品を売り買いする人々の姿が見えた。里から出向いた人々が様々な物を買い付け、また売り出す姿が見える。そして早苗は一つの事に思い至った。

 「だから、ではなく、どこから?」

 色あせた世界の中で、紅白の巫女が茶葉を値切り倒そうとしているのが見え、七色の魔女が籠から溢れるほどに生地を積み上げ、白黒の魔女が醒めた顔で菓子を頬張っていた。

 「狭い、から作ることが出来ない。それでは、都合が悪い」

 早苗はそこで言葉を句切ると、紫へと向き直る。

 「だから、足りない分を補うための仕組みがこのバザー、という訳ですか」
 「もちろん、これだけではありませんが」

 紫はカップをゆっくりと置くと、溜息のような答えを返す。早苗はその答えに河原へと一度、目をやると、

 「これでその一角、ですか」
 「すべてをつまびらかにするつもりはありませんが、そういうことですわ。」

 早苗の驚いた声に、ようやく紫はいつもの笑みを浮かべた。それで、と早苗は紫に視線を戻す。

 「私が招かれた理由は何でしょうか?」

 その言葉に紫ははじめてにこりともせずに、言葉を返した。

 「普通に結界を越えてくる場合は、私の仕組みに組み込まれる訳ですが、貴女はこちらに押し入った際に奇跡的に組み込まれなかったのでしょうね」

 紫の紅茶を啜る音が色の無い世界に響く。幻想となったモノを流れ込むように作っているとはいえ、押し込まれたことは彼女の矜持ををいささか傷つけていたのかも知れないと思わせる、どことなく拗ねた仕草だった。

 「……正統な入り方をしていれば、問題無かった、と」
 「なにぶん、この品々。現し世のものでなく、常世のもの。組み込まれなければ言葉すら理解できませんわ」
 「……常世?」
 「ええ。そうですわ」

 紫の仕草にどことなく気まずい表情を浮かべていた早苗は、そのの言葉に、その意味に、はじめてテーブルの品を意識して見る。

 白いレースが掛けられたテーブルの上には、白磁のティーカップ、銀のスプーン、紅茶、角砂糖、そして生クリームがたっぷりと載せられたザッハトルテ。


 「幻想郷が狭いから……。でも……」


 唇に指を当てながら、紫の言葉を噛みしめる早苗。そして、ゆっくりと頷き、

 「……だから、そのための拡張?」
 「ええ。その通りですわ」

 早苗の回答を聞きながら、紫は白磁のティーカップに紅茶を注ぐと、角砂糖を二つ落とす。
そして角砂糖が泡を吐きながらゆっくりと崩れ落ちるのに目を細め、隙間へと手を伸ばす。紫が隙間から出したのは、半分ほど水が注がれたコップだった。

 「こちらの水を飲めば、理解出来るようになりますわ」
 「よもつへぐい、みたいですね」
 「別に死んでしまう訳ではありませんわ」

 戻れなくなるかも知れませんが、と紫は扇で口を覆いながら笑った。そして、さっぱりしますわ、と隙間から青みが混じる黄色い果実を指で摘むと

 ぐしゃり

 と潰し、果汁をコップの中へと注いだ。

 「『よもつへぐい』ではないといいながら、その割には、橘の実ですか」

 僅かに薫る酸味からそう指摘する早苗に対して、どこかの巫女とは違って勤勉ですわ、と紫は目を細めた。


 ◆


 紫が橘の実を搾ってから暫くの間、早苗は紫から渡されたコップを両手で抱えたまま俯いていた。それでも紫の視線が僅かも自分から動いていないことを早苗は肌で感じていた。そしてそこに込められた意図も。
 実際、早苗が俯いて以降、紫は身動ぎもせず、ただただ早苗の反応を待っていた。

 「なぜ」

 早苗が俯いたままで切り出す。

 「なぜ、ここまで?」

 紫はそれに対して、静かに言葉を返す。

 「すべてを受け入れる。それが出来ていないことに対するサーヴィス。そして敬意ですわ」
 「敬意、ですか?」
 「ええ。敬意ですわ」

 あざけりの欠片もない紫の言葉に早苗が顔を上げる。紫の平坦な視線がそれに応じる。

 「座して待つのではなく、打って出る。その心意気に対する、敬意ですわ」

 それを聞き、早苗は溜息を一つ吐いた。

 「未練があれば、来ていません」

 とだけ言う。そして、すっと水を飲み干すと、

 「ありがとうございます」

 とコップをテーブルに置き、頭を下げた。と、同時にスッと結界内から姿が消えた。

 紫は瞬きもせず、早苗が消え、一つ残されたコップを見ていた。そして、手元のカップに注がれていた紅茶がすっかりと冷め切った頃、溜息を一つ零すと、

 「ああもあっさりと越えられると面白くもありませんわ」

 と零した。しかし、その口にははっきりと笑みが一つ浮かんでいた。

 「さて、そろそろ私も戻りましょうか」

 そう呟く紫の視線の先には、結界の外で、咲夜と阿求に不在をわびる早苗の姿があった。

 椅子から立ち上がり、結界を解こうとして、ふと、紫がテーブルへと振り返ると、

 「こんな幻想をあなたは受け入れてくださいますか?」


―美女閉店中―
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コメント



0.980簡易評価
4.90名前が無い程度の能力削除
前半の店主と少女たちのサクサクしたやり取りと対照的に、紫のやり取りはモッタリなのな
その胡散臭さが良い感じだった
17.80名前が無い程度の能力削除
面白し
20.80名前が無い程度の能力削除
自分からご来店なさったお客様には特別のおもてなしをという店主の粋な計らい。
バザーというからなんとなくワイワイガヤガヤと賑やかなお話かなと想像していましたが、思いのほか妖しい雰囲気でした。
21.80桜田ぴよこ削除
前半と後半の雰囲気の落差がまた……。
良い胡散臭さでした。
22.90名前が無い程度の能力削除
胡散臭い紫様が素敵でした~
23.90名前が無い程度の能力削除
これは面白い雰囲気。シリアスなゆかりんはかっこいいなあ。