Coolier - 新生・東方創想話

七人の紅い咎人 -sloth-

2010/06/23 23:23:33
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 その家には二人の姉妹が住んでいた。二人とも大人しくて家にずっと引篭もりがちだったけれども、姉はともかくとして、妹は仕方のないことであった。なぜなら妹は生まれたときから重い病気にかかって、太陽の光を浴びる事ができない身体だったからだ。

 妹はずっと、お屋敷の一番奥の部屋でベッドに寝たままだった。カーテンの閉め切られた部屋は、いつも薄暗い。
 姉はそんな妹の部屋に一日中入り浸って、童話を読んであげたりして過ごすのだ。

 彼女たちの家は、とても大きなお屋敷だった。父親が外交官で母親も貴族の血筋であったから、家には沢山のお金があって、家中にメイドが控えていた。
 そんな親たちは姉妹の事に、あまり関心がないようだ。姉はずっと自分の部屋に篭りきりだし、妹は外にも出られない病気だからかもしれない。

 姉は今日も妹の部屋にきて、遠い国の作家が描いたお話を妹に聞かせてやった。彼女は外に出ることが出来ないから、姉の読み聞かせてくれる話がとても好きであった。そのお話の世界が、彼女にとっての全ての世界であったのだ。

「……というわけで、アリスとその家族は幸せに暮らしましたとさ。おしまい」
「お姉さま、今日も素敵な話をありがとう」
「別に私が考えた話じゃないわ。これはスイスの作家が書いたお話」
「だけど、聞かせてくれたのはお姉さまよ」

 妹は身体が埋もれるような柔らかいベッドの中で、弱々しい笑顔を浮かべてそういうのであった。姉はこの妹の為に、自分が何も出来ない事が悔しくてたまらなかった。

――父親も母親も、この子を助けようとする気がまるでない。

 姉は非常に憤りを感じていた。しかし、両親にしても妹の病気が治せるのであれば治してやりたかったに違いない。だが、この病気は、どの国のどの名医でも匙を投げるほどの難病であったのだ。

 姉は妹の部屋から出ると大きな廊下をのそのそと歩いた。途中でメイドが頭を下げて挨拶をするも、彼女はそれを意に介さず自分の部屋へと向かう。
 彼女の頭の中では常に、なんとかして妹を喜ばそうとする事だけを考え、色んな策が渦巻いていた。

「次は、どんなお話を聞かせてあげようかしら……。あんまり悲劇的なのはいけないわ、あの子には刺激が強すぎる。最近流行りの奴は性的描写が強すぎるのよね、まったく子供向けの文学を何だと思っているのかしら?」

 彼女は独り言をぶつぶつと言いながら、自分の部屋に戻ってきた。
 自分の部屋は大きな天蓋付きのベッドに大きな暖炉と大きなソファ、それに大きな窓の横に小さな書斎用の机と椅子がある。どれもこれも、彼女の年齢にはもったいない様な一級品ばかりであった。

 彼女はソファに腰を降ろすと、深い溜息をついた。ソファは彼女を包みこむように、身体を深く沈ませた。

「こうなったら、私がお話を作るしかないわね。私があの子の為に、素晴らしい物語を書いてあげよう」

 そう思った彼女は早速、机へ向かうと、ペンをインクに浸して黙々と紙に字を綴り始めた。
 彼女は生まれて初めて、自分の空想を文章という形にしていった。だが、それはやがて数時間後には破綻してしまい、駄文へと成り下がった。
 落胆した彼女は紙をぐしゃぐしゃに丸めると、首を横に振りながらそれを暖炉へと投げ入れる。

「あーあ、駄目だわ。今の私には、いきなり物語を作る事なんて無理だったのよ」

 彼女は本を読むのが好きだ。家の地下にある書斎には、父親が貯蔵した数多くの本が納められており、彼女も幼少の頃からそれを読みふけっていた。
 だが彼女が物語を作る上で絶対的に足りないものがあった。それは経験である。

 家に閉じこもっている彼女には、実際に外の世界に触れる機会が少なすぎたのだ。普通の子供よりも頭は良かったかもしれないが、彼女にはその実体験が欠落していた。
 だが、彼女はそれに気付くことはなかった。彼女は知識こそが全てであると信じて疑わない。そして、その知識は本という疑似人格から、余すことなく得られるものであると考えていた。

「仕方ないわ、これから勉強すれば良いのよね」

 彼女はより多くの本を読み込んでいけば、物語が作れると思い始めた。そして彼女は煩わしい夕飯の時間が終わるのを待ってから、地下の図書館へと足を運ぶ。

 彼女にとって食事とは、面倒なだけの行為であるに他ならなかった。彼女はもちろん人間ではあるが、その食物を身体へ取り込む事も、両親と顔を合わせて過ごす数十分の時間も、何もかもが煩わしかったのである。

 地下の図書館に降りてきた彼女は、久々に嗅いだ黴の臭いに鼻腔を震わせた。地下室はもう父親も使ってはいないし、メイドたちもここには立ち寄らない。自分の部屋よりも、あるいはそこは彼女にとっては、落ち着いて本が読める場所であった。

「何時来ても、陰鬱として落ち着いているわ。素晴らしい」

 彼女は、天井まで届くのではないかという背の高い本棚の間をゆっくりと歩いて、知識の源となる文献を探した。かといっても、今回は物語を作る為の文献である。特に決まった目的もないように、彼女は手当たり次第に目についた本へ目を通した。

 やがて彼女は、本棚の端に辿り着く。そこには小さな丸テーブルと腰掛けがあった。
 ここは図書館と言った方が適切な蔵書量があるが、元はといえば父親の書斎なのである。この小さなテーブルが、この空間が父親の書斎であるという唯一の証拠だ。

 彼女はそこに腰掛けるとランプに火を灯して、幾つかの本をテーブルの上に広げた。そして、自分の知識を増やしていく。
 だがそれも、彼女にとってはありきたりな知識でしかなかった。すぐさまに本を読み終えると、少女はそれを本棚に返しに行った。

「やれやれ、あまり収穫がなかったわね」

 そういって分厚い本を、本棚に戻そうとしたとき。彼女はふと、本棚の向こうに何かが見えたような気がした。だが、この本棚の後ろにも反対側の通路にある本棚があるはずで、そこには本の背中しか見えないはずである。

 だが、彼女が本を抜き取った事により出来た隙間からは、何か別のものが見えていた。それは彼女の腕の太さほどもある大きな白い縄だ。

「はぁ。何かしら、これ」

 彼女は躊躇もせずに、その縄を引っ張った。どこからか、ガコンという大きな音が響く。この図書館のどこかで何かしらの仕掛けが働いた。
 少女は手に持った本を床に落としてしまった。目の前の巨大な本棚が、モーゼの奇跡のように真ん中から割れていく。その迫力に、彼女は唖然とした。

「なによ、これは」

 彼女は驚きというよりは、理解が出来ない事への憮然とした怒りを感じていた。彼女は自分の知識外の現象に、屹然とした抗議の声を上げる。

 割れた本棚の下に現れた地下への階段にも、彼女は臆する事なく、ランプを片手に侵入していった。その真っ暗な口の中へと身を投げた彼女は、まさしく、そこで魔界への侵入を果たしたといえよう。




    ◇    ◇    ◇




 パチュリー・ノーレッジは暖炉の前で試行錯誤していた。

「えーと、リンに石灰、少々の水銀……」

 彼女は普段からは想像が出来ない程、活動的にこの一週間を過ごした。なんといったって、お屋敷を抜け出して町の市場で“材料”を買い揃えてきたくらいだ。
 何の材料かといえば、今から彼女が暖炉に起こそうとしている実験の材料である。

「よしよし、これで準備は万端ね」

 パチュリーはソファに腰をおろすと、大きくため息をついた。色んな材料を抱えながら、メイド連中に見つからないように気を使いつつ、お屋敷の中を走りまわったのだ。彼女は心底疲れていた。

 だがしかし、彼女はこれから起こす事が楽しみで、疲れをもろともせずにソファから立ち上がった。これから最後の仕上げ“起動”の時間だ。
 彼女は床に敷いた何枚もの羊皮紙を繋ぎあわせて描いた、特大の魔法陣を見下ろしながら、ペンの先端で自分の指先を少しだけ傷つけた。そして、その指先から雫のように垂れた血を魔法陣の中央に落とす。

「火よ、火よ、繋いでたもう」

 彼女は自分でも間抜けだと思いながら呪文を呟いた。これで何も起こらなかったら、これにかけた自分の小遣いの全てと、貴重な時間が無駄になってしまう。そして、大真面目に勉強した全ての“魔法”がペテンだったという事になってしまう。

 暖炉の中の火はごうごうと燃え上がっている。そして、そこに向かって魔法陣から一筋の光が伸びていった。
 パチュリーは心の中で歓喜の叫びを上げた。どうやら成功のようだ。安心した彼女は再びソファに座り込んで、その様子を観察しはじめる。

 暖炉の中に入った光は、やがて緑になったり赤になったりと、色鮮やかに炎の色を変えながら、狭い暖炉の中をぐるぐると回っている。
 その炎はやがてパチュリーに向けて輪っかの形をとり、その輪の中にノイズのように何かの景色を生み出した。

「成功ね! 暖炉通信が成功したのね!」

 パチュリーは大声を出してしまってから、慌てて口を自分の手で押さえた。外にいるメイドたちに騒ぎを嗅ぎつけられてしまったら、きっとこの暖炉通信も台無しになってしまう。

 この暖炉通信とは、暖炉の火を通じて遠い地にある暖炉と、自分の家の暖炉を仮想物理的に繋ぐ魔法である。パチュリーの暖炉は初めて通信を開いたので、まずは他に通信を開いている暖炉があるか、世界中から探し回っている段階だ。

 そう、パチュリー・ノーレッジは魔法を勉強している。
 あの図書館の更に地下深く。そこには一回り小さい別の書斎があった。そして、そこには魔道に関するあらゆる書籍が所狭しと並んでいたのだ。彼女は、それを読んで魔法の虜になった。
 それから彼女は毎日、こっそりと地下の地下の書斎へと足を運んで、魔法についての知識を学んでいった。そこにはお屋敷の外に広がる、つまらない世界ではなく、パチュリーが恋焦がれていた知識の源泉があったのだ。

 彼女は程なくして、実際に魔法を使えるようになっていた。それは簡単な火を起こす呪文で、暖炉の火種に使えるくらいの日用魔法だった。それでも彼女は、その時の喜びを一生忘れないだろう。失われたこの世の理に足を踏み入れたときの歓びを。

 だが、やがて彼女はある一つの欲求を持った。魔法を共に学ぶ友が欲しいのだ。いや、教えてくれる先生でも良い。
 お屋敷の中には魔法について理解のある者などいないであろうし、外の世界もまた然り。妹にも魔法を教えてやろうかとも思ったが、彼女にそんな負担になるかもしれない事はさせたくなかった。
 唯一の希望としては、地下に魔法の本を隠し持っていた父親であったかもしれないが、父親にそれを言った途端に、自分の身が危うくなるという予感をパチュリーは本能的に感じていた。

――誰か、いないかしら。

 そう思っていたパチュリーが本で見つけたのが、この暖炉通信であった。これには多くの魔法的な材料を必要とするが、今のパチュリーにとっては最も必要な魔法であった。

 そして、今。ようやく開通した暖炉の向こうに、新たな友達を見つけるその時を、パチュリーはソファの上で静かに待っている。

『あー、あー』

 暖炉の中から、突然に声が聞こえてきた。
 パチュリーはハッとして暖炉の中に目をやる。燃え盛る炎の中に、なにやらゴソゴソと動くものが見えた。

 この暖炉通信は、炎の輪っかがカメラのような役割を果たして、映像と声を相手の暖炉に送り込む魔法である。だから相手がどういった人物なのかは、まだ分からないものの、通信が繋がれば外見と声を知る事が出来る。

「あー、あー、誰かいるの?」

 今度はハッキリと話し声が聞こえた。パチュリーは慌てて、ソファからずり落ちそうになりながらも、その声に応えた。

「いるわ、暖炉の前にいます」
「あら? 本当にいたの? たまには暖炉も使ってみるものねぇ」

 聞こえてきた声は、思いのほか幼い女の子の声だった。パチュリーは驚きながらも嬉しく思う。もしかしたら、同い年で魔法に興味のある友達ができるかも知れない……。

 やがて、ゴソゴソと動いていた影が、むくりと身を起こす。パチュリーの暖炉の炎の中に、少女の顔が映し出された。
 その少女は、むしろパチュリーよりも年下のように見え、しかしその表情は何か不思議な威厳に満ち溢れていた。

「もし? 私はレミリア・スカーレット。貴方は?」

 暖炉の中の少女が、口を動かして喋る。その時、パチュリーは気付いたのであった。――少女の口にある鋭い牙と、よくみれば背中から生えている立派な翼に。

「初めまして、私はパチュリー・ノーレッジ。よろしくね、レミリア」
「ええ、よろしく。パチュリー。とりあえずは、もう少し頭を下げてくれないかしら? 顔が見切れてるわよ」

 こうしてパチュリーには暖炉を通じての友達が出来た。それは、どちらかに傾きかけて分からなかったパチュリーの道を、あちら側へ完全に引きずり降ろした出来事だったかもしれない。




    ◇    ◇    ◇




 レミリア・スカーレットも、昔は暖炉通信をよく使って、遠方の友人たちと会話を楽しんでいたそうだ。
 だが、最近はめっきり使わなくなっており、久しぶりに気まぐれで繋いでみたところ、パチュリーと繋がったという事らしい。

「いやね、最近も……10年くらい前だったかな。フィンランドに住んでる友達と暖炉で話をしていたんだけどさ、丁度その時、そいつの家にヴァンパイアハンターが攻めこんできて、殺されちゃったわけ。だから話す相手もいなくて、暫く暖炉通信もしてなかったのさ」
「へぇ~。それはまた凄い話ね。ところでレミリア、貴方は一体何歳なの?」
「えーとね、今は400歳くらいかな? パチュリーは?」
「よ、よんひゃ……。えっと、私はまだ10歳よ」

 レミリアの現実離れした年齢にパチュリーは驚いていたが、暖炉の向こうのレミリアもパチュリーの年齢に驚いて露骨に顔を歪めた。
 パチュリーは、まさかこの世に吸血鬼というものがいて、それが何百年も生きているとは思いもしなかったし、レミリアもまさか、暖炉通信をしてきたのが10歳という若年の人間だとは考えていなかった。

「10! そうか、パチュリーは人間なのか。よく、そんな歳で魔法なんて使えたわね……。貴方は魔法使いなの?」

 レミリアの問いに、パチュリーはなんと答えたら良いか迷った。一応は自分は魔法は使える、それは小さな火を起こす程度だが、それだけで魔法使いと名乗っていいのかが分からなかった。

「魔法使い……を目指しているといったら良いのかしら。勉強を始めたのも一月くらい前からだから、正直な所は分からないわ」
「ひ、ひとつき……」

 暖炉の中のレミリアは、飲んでいた紅茶でむせ込んだ。そして胸をドンドンと叩いた後に、パチュリーに聞き返す。

「たった一月で、魔法を使えるようになった? 人間も色々と進んでいるのね。ああ……そうね、もっと分かりやすい言い方にしよう。貴方は捨食捨虫をしたの?」

 今度の問いの意味は、パチュリーにも分かった。つまり、パチュリーが食べなくても生きていけるようになって、更に不老長寿になる魔法を自身で習得して、人間ではなく種族としての魔法使いになっているのか。それについてレミリアは訊いていたのだ。
 もちろん、パチュリーはまだ人間を辞めたわけではない。それは否定した。

「いいえ、私はまだそんな魔法は覚えていないわ。出来る事といったら小さな火を起こすくらい。……失望したかしら?」
「いや、むしろ面白いね。ただの人間が、どこまで魔法を究められるのか……。私の知っている若い魔法使いでも、捨虫したのは14か15だったかだからね。パチュリーがどこまで成長出来るのか、これからも拝見したいわ」
「そう、あまり期待されても困るけど。……そうね、レミリアも魔法に詳しいの?」

 パチュリーの質問に、レミリアは牙を見せつけるようにニヤリと笑って、パチュリーに遙か高みから見下ろすような目つきを与えた。

「私を誰だと思ってる? 吸血鬼が魔法に疎いという事はないさ。魔法は敵も味方も頻繁に使うからね。知らなきゃ死ぬよ」

 その答えを聞いてパチュリーは、レミリアに質問をしようと決意した。もしかしたら、こんな下らない事を聞いてしまったら、折角知り合えた友達を失ってしまうかもしれない。だけれども、パチュリーにとっては、やはりこの事が一番重要なのだ。

「ねぇレミリア。貴方に聞きたいんだけれど。――人間の病気を治す魔法っていうのはあるのかしら?」

 その質問にレミリアは暖炉の向こうで小首を傾げた。まさか、そんな質問が来るとは予想していなかった。

「はぁ、病気を治す魔法? パチュリーは何か病気を持ってるのかしら」
「まぁ、私も身体が弱いけれどね。それよりも、私の妹が病気で外にも出られない状態なの。もしかしたら魔法を勉強していけば、あの子の病気も治せるかもしれない……。そう思ってこの道に入った部分もあるのよ」

 ふむ、とレミリアは顎を手で摩りながら考えに耽った。パチュリーは真剣な眼差しで、暖炉の中のレミリアを見つめ、その答えを待つ。

「そうだねぇ、ちなみにさ。その妹の名前はなんていうの?」
「え? ……ああ、フランドール。フランドール・ノーレッジだけど」
「……フランドール!? まあ、それは本気で言ってるの?」

 レミリアは驚きつつも笑い転げ、暖炉の視界から消えたり入ったりしている。パチュリーはムッとして、不快感を示した。

「ちょっと、レミリア! 私の妹の名前が、そんなに面白いかしら?」
「ああ、いや、ごめんごめん。実は私にも妹がいてねぇ、なんと私の妹の名前もフランドール。フランドール・スカーレットというの」
「あら、それは奇遇ね! 妹さんも今、そちらにいるの?」
「ああ、いや……。うちのは聞き分けが悪い問題児でねえ。今はちょっと地下に閉じ込めておいてる。パチュリーの妹と取り替えて欲しいくらいよ」
「閉じ込めて……? それはあまりにも可哀想よ、早く出してあげて」
「やれやれ、パチュリーもうちに来たら分かってくれると思うよ。そうだ、今度うちにも遊びにおいでよ」

 「ええ、機会があれば、そうさせてもらうわ」と言いつつも、そこでパチュリーは話を本題に戻そうと、改めてレミリアに病気を治す事が出来るかどうか尋ねた。

「それで、私の妹の病気を治す事は出来るの?」
「うん、そうだねぇ。捨虫の魔法は人間を不老長寿にする魔法だから病気を治す事は出来ない……。そうなると、人間はさ、錬金術師たちがさ、昔から血眼になって追い求めているじゃないか。あそこに答えがあると思うよ」

 錬金術。その言葉を聞いたパチュリーは、何か頭の中でズレていた歯車が、しっかりとはまったのを感じた。

 しかし話が盛り上がっているにも関わらず、二人を繋ぐ暖炉の火が消えかかっている事にパチュリーは気付いた。薪もないので、これ以上の延長は難しそうである。

「あ、ごめんなさい。レミリア……こっちの暖炉が消えかかっているわ」
「ああ、暖炉の火種が……。分かったよ、今日はこの辺で終わりにしよう。もし良かったら、来週の同じ日に同じ時間から、待ってるよ」

 レミリアは去り際に、自分の直筆のサインが入った羊皮紙を暖炉に投げ入れた。こうする事によって、パチュリーの暖炉がレミリアの暖炉の位置を覚えて、次回からはレミリアの名を出せば、一発でそこへ繋いでくれるようになるのだ。

「ええ、必ず来るわ。さようなら、レミリア」

 吸血鬼の顔が炎の中に消えて、暖炉はいつも通りの自然な炎へと戻っていった。今度は材料なしで呪文と、鍵であるパチュリーの血液だけで通信が開ける。パチュリーは家の者に見つからないように、急いで魔法陣が描かれた羊皮紙や材料の余りなどを処分した。




    ◇    ◇    ◇




「それでね、レミィったら、チェスの板を机ごとたたき割っちゃったのよ」
「あはは、面白い……げほっげほ」

 パチュリーは妹の咳き込みに敏感に反応して、そっと背中に手をやる。
 彼女は今日も話を聞かせに、妹の部屋にやってきていた。彼女はレミリアとの交流を、妹にも話して聞かせる事にした。魔法などについて、妹は信じていなかったが、彼女は遠い地にいる吸血鬼と姉の会話を聞くことを楽しみにしていた。
 パチュリーも簡単な魔法くらいなら妹に見せてやれるのだが、余り刺激になっても良くないと思い、自重しているのだ。

「大丈夫? フランドール」
「え、ええ……大丈夫よ、お姉さま。お姉さまのお話が、あんまり面白いものだから……」
「身体は大事にしなさい。また来るわ、しっかり休みなさい」
「ええ、お姉さま。お待ちしておりますわ」

 パチュリーは部屋から出ると、大きな溜息をついた。
 日に日にやつれていく妹の体躯をその手に感じるパチュリーは、今日も妹の部屋を出ると、まっすぐに地下の図書館へと向かう。そして、そこで錬金術に関する勉強を始めるのだ。

 彼女はレミリアと会話をするにつれて、妹を救うためには錬金術を学ぶ事が必要であるという結論に至った。一般に錬金術師の最終目的といえば「賢者の石」の精製である。
 文献を調べていった結果、パチュリーもこの賢者の石こそが自分に必要なものであると理解した。――そう、妹の命を救う為に必要であると。

「金の精製に魔力の増大、不老不死。なるほど。数多の錬金術師たちが一生涯をかけて追い求めた訳だわ……」

 パチュリーは文献を読み漁りながら、少しでも賢者の石へ向かって研究を進める。そして、それと同時に魔法についても更に高位なものへと手を出していった。
 数時間を地下室で過ごしたパチュリーは、懐中時計へと目をやった。そして、夕飯の時間が迫っている事に気づくと、急ぎ足で自分の部屋へと戻っていく。パチュリーにとって食事の時間は面倒なものであるが、その時間にはメイドが彼女の部屋へと自分を呼びに来る。部屋にいないとなれば、そこから全てが明るみに出る可能性があったのだ。
 彼女は渋々と部屋へ戻って、退屈なイベントの開始を待った。やがて、メイドが扉をノックする。

 夕飯はパーティでも開けそうな大広間で行われる。長いテーブルには両親とパチュリーのみ。フランドールは自分の部屋で食事を摂っている。
 メイドたちは壁際にずらりと並んで、彼女たちの食事を見つめている。パチュリーには、それらがまるで牢獄の監視のように感じられて、とにかく嫌だった。

 両親たちと口も聞かずに食事を終えたパチュリーは、急いで自分の部屋に戻る。さて、後はレミリアとのお喋りの時間である。
 あれから数カ月、今や二人は毎晩のように暖炉の前で話をするようになっていた。

 彼女は今日も暖炉に火をくべて、魔法によって外の世界と繋がった。

「ハーイ、パチェ。久しぶりね、元気にしていたかしら」
「昨日も話したばかりじゃない。至って元気よ」

 レミリアは何時ものように、紅茶を嗜みながらパチュリーと話している。一方のパチュリーは、地下から持ってきた魔道書の一つを読みながら、暖炉の前のソファに腰掛けている。楽しいレミリアとの会話の間でも、彼女は研究を惜しまない。彼女にとっては知識を得る為の時間は、いくらあっても足りないのだ。
 レミリアも特にそれを気にしてはいない。パチュリーが、本を読みながらでも会話が可能な頭の使い方を出来る人間だと知っているし、彼女が必死に魔法を勉強している理由も知っていたからだ。

「それで、妹の容態はどうなのよ? あんたが石を作るまでに間に合いそうなの?」
「分からないわ。どちらにせよ、私は出来る限り早く、賢者の石を完成させなきゃならないだけよ」
「ふーん、捨食もしていない魔法使いもどきがねぇ。これは楽しみだわ」
「作って見せるわよ。そしたらそれを使って、ついでにどこぞのコウモリでも退治しに行きましょうかね」

 二人は他愛もない話から、禁忌に触れる話まで多種多様な会話を楽しんだ。そうして夜が更けて行くと、レミリアはパチュリーに「そろそろ寝た方が良いよ」と忠告するのであった。

 パチュリーにとっては、もはや睡眠すらも時間の無駄であると断ぜられる程、時間が足りないと感じていた。睡眠を必要とするこの身体が、厄介であった。
 とにもかくにも、いつまでも夜更かしをしていては、外のメイドたちに何かしら感づかれてしまう。そうなったらもっと厄介であるので、パチュリーは大人しく暖炉の火を消し、ベッドへと身を投じるのであった。

 ただし、その後も暫くはベッドの上で本を読み耽る。明かりはもちろん、自分の指先から生み出した光の魔法で充分事が足りていた。
 
 彼女は費やした時間も多ければ、元より持った才覚も人並み外れていたのだ。レミリアが最初に驚いたように、彼女は信じられない早さで、ありとあらゆる魔法を習得していった。
 だが、彼女は薄々気づいていた。人間という短い時しか持たぬ生命には、魔法の道を究める事は出来ないと。
 そう、時間が足りないのだ。圧倒的なまでに。全ての持てる時間を魔法の研究に費やしても、その道を突き詰めるのには時間が足りない。
 先人たちがやがて、食事の時間を削り、睡眠の時間を削り、そして最後に歳を喰らう虫を捨てた理由が、最近のパチュリー・ノーレッジには理解出来ていた。

 だが彼女は、未だに人間のままで魔法を究めんとしていた。それは何も、レミリアに挑発されたからではない。
 彼女の頭の中には、常に妹の存在があったからだ。自分は妹の為に錬金術を学んでいる、そして妹の病気を治したあかつきには、自分と妹の二人で過ごしていければと思っている。
 だから自分だけが人間を捨てる事は、彼女の考えの中にはなかった。むしろ今の彼女にしてみれば、賢者の石が間に合わなければ、人間として妹を看とってやりたい。そういった思いすらあったのだ。




    ◇    ◇    ◇




「ねぇ、お姉さま。私が最後に太陽を見れた日の事を憶えている?」

 妹の言葉にパチュリーは「もちろんよ」と言って返した。その手には魔導書が置いてあり、妹との会話の最中も魔法の勉強を行っている。フランドールは一昨晩に出した高熱のせいで、一時的に目が見えなくなっていた。だから姉が魔法の勉強をしているとは露とも知らない。

「あの時は、お母様とお父様と、そしてお姉さま。家族みんなで公園に遊びに行ったのでしたね。あの日は本当に太陽が綺麗だった……」

 パチュリーは思い出していた。妹がまだ、太陽を見ることが出来る身体だった時の事を。思えば、あの時には、まだ自分たちは正常な家族であったと思う。妹の病気が発症して、それからだ。――父と母が、何か異質なものに感じるようになったのは。

「ええ、あの時は本当に楽しかったわね。また、いつの日かフランドールと外に遊びに行きたいわ」
「ふふ、そうね……。でも、無理よ。私だって分かってるもの、病気が治らない事くらい……」

――治してあげるわ。私が賢者の石を完成させれば、また貴方は太陽を見る事が出来る。
 パチュリーはそのように心中で思いながら、慰めるように妹の額を撫でた。フランドールはビクリと肩を震わせるも、嬉しそうに、しかし恥ずかしそうに笑顔になった。

「やめてよ、お姉さま。私は子供じゃないわ」
「子供よ、貴方も私も」

 小さな手が小さな額を撫ぜる。パチュリーはこの妹こそが、自分の中で一番大切な存在であると改めて認識した。
 魔法に執着しようとも、それは妹の為である。――自分はそう思っているのだ。

「ねぇ、フランドール? 例え太陽に当たれなくても、世界には似た様なのがいてね。レミィなんかも太陽に当たれないのよ。もしかしたら部屋の中で退屈して、フランドールと一緒に遊んでくれるかも知れないわ」
「まあ、吸血鬼さんが? それは楽しそうですわ。でも、私、血を吸われちゃうんじゃないかしら?」
「そんな事しようとしたら、私がレミィを焼き殺すわよ」
「まぁ、ふふ……。お姉さまったら、怖いわ」

 妹は吸血鬼の話を、とても嬉しそうに聞く。彼女の中では、姉の作った空想の話であると信じているから。
 でも、実際に吸血鬼がフランドールと会ってくれたら? もしかしたら妹は、もっと喜んでくれるかもしれない。――そのようにパチュリーは考えていた。
 その為にも、自分は賢者の石を作って、妹の病気を治さなければならないのだ。

「お姉さま、そろそろお夕飯の時間ですわ。ちゃんと、食事を摂って下さい。なんだか、最近のお姉さまは元気がないですわ」
「元気のある私なんて、見たことないでしょう? 大丈夫よ、これでも健康なの」

 パチュリーはそう言うと、最後に妹の髪をそっと撫でて「ゆっくり休みなさい」と言った。
 フランドールの髪の毛は、自分と同じく柔らかく細い紫の髪。妹の場合には、それが人形のように長く長く伸びている。恐らく床に立ったならば、その床まで髪の毛が着いてしまうのではないかというくらいだ。

「病気が治ったら、まずは、あの子の髪の毛を切らないとね」

 部屋を出て呟いたパチュリーは、俄然、研究に対する意欲が燃え始めていた。




    ◇    ◇    ◇




 パチュリー・ノーレッジはもはや、生命活動のほとんどを研究にあてていた。

 食事もほとんど食べずに、睡眠時間も極限まで削って研究に没頭していた。もはや、親やメイドたちに怪しまれぬようと気を使う時間すらも惜しい、そのような結論に至ったわけである。

 彼女は精霊魔法について、その構造を理解し、完全に自分のものとして習得した。そして基本的な魔法の全てを、ひと通り使役出来るようになっていた。更にここからは、応用で一つ一つの魔法について配分調整をしながら合成魔法の研究へと入っていく。
 また錬金術に関しては、この合成魔法の発展形である。魔法に加えて、魔力を持つ素材などとの合成を試みて、その結果を繰り返して行くのである。
 こうなると、全ては時間との勝負である。この一年でパチュリー・ノーレッジは錬金術のスタート地点に立ったと自分で思っているが、これから先のゴールまでが果てしなく遠い事も分かっていた。

 だがこうした研究の様子について、両親たちはついに無関心から、干渉へと態度を切り替えた。特に父親は昔に自分がそうであったように、娘もまた魔法へと興味を示した事に、遅まきながら気づいたのだ。毎日のようにパチュリーの部屋のドアはノックされて、外からは喧しい声が聞こえてくる。
 パチュリーにとっては、その様な雑音は研究の邪魔になるので差し控えていただきたかった。

「パチュリー、ここを開けなさい」
「貴方、もう何日も何も食べてないでしょう」
「いい加減にしないか。姉のお前がそんなのでどうする」

 そんな声がドア越しに毎日、パチュリーを“そちら”へ戻そうと躍起になっている。当の本人は、それらの声を全く無視して研究に没頭する。

「あともう少し、あともう少しなのよね」

 パチュリーは毎日のようにそう言った。ゴールまでの道筋も風景も見えている、ただ彼女には、そこへたどり着く為の時間と資産がなかった。
 彼女は錬金術に使う材料の調達にも苦心するようになってきた。

 そしてパチュリーは、いくら忙しくても、この時間だけは確保していた。それは友人との会話である。

「パチェ、調子はどうかしら? 随分と顔色が悪いみたいだけど」

 暖炉に浮かび上がった吸血鬼は、心配そうに友人を気遣った。その友人は、床に広げた魔法の道具をいじくり実験を繰り返していながら、吸血鬼の言葉に答える。

「レミィ、私もそろそろ捨食してみようかしら。その為の魔力は十分に溜まったと思うのだけれど」

 そこでパチュリーはふと思った。そういえば、私にはこんなに都合の良い友達がいるという事に、なんで今まで気づかなかったのだろう、と。
 彼女は早速、レミリアに問うた。

「ねぇ、レミィ。貴方の家には、錬金術に関する文献や魔法の材料になりそうなものってあるかしら?」
「え? そうねぇ。うちの地下にも大きな図書館があって、蔵書量は充分あるよ。材料に関しても私に調達出来ないものは、ないわね」

 それを聞くとパチュリーは、パッと明るい笑顔になった。その素直な笑顔に意表をつかれたレミリアは、思わずたじろぐ。この気だるそうな顔しか見せない人間が、これほど喜ぶとは何事だろうと。

「それならレミィ。私を貴方の家に招待してくれないかしら? この家は研究には不向きすぎるわ。もっと相応しい場所にいかないと、私は石まで辿り着けない」
「えっ、いいの? うちに引っ越してくるって事?」
「いいに決まってるわ。今まで気付かなかった私が愚かだったのね。魔法に気を取られ過ぎていて、気付かなかった。レミィの家に行けば、全てが解決するじゃない」

 そういうとパチュリーは、早速荷物をまとめ始めた。その普段のパチュリーからは想像のつかない行動の早さに、レミリアは暖炉の向こうからその様子を呆然と見つめていた。
 しかし、レミリアは忠告する。自分の家が、パチュリーのような人間が簡単に辿りつける場所にはない事を知っているから。

「パチェ、私の家に来るには、特別な手順を踏まないと来れないわよ。覚悟は出来てるの?」
「覚悟もなにも。私は賢者の石を作る為には、命すらも惜しくない。とっくに覚悟しているわ」

 それを聞いたレミリアは、意を決してパチュリーに自分の家への招待状を書いた。そこは遠く離れた外国ではあったが、今のパチュリーにはもはや物理的な距離は関係がない。

 彼女は一晩掛けて準備を整えると、日が昇る前にお屋敷を飛び出して、レミリアの居住地へと向かった。
 どういった経路で行ったのかは定かではないが、彼女は大きな荷物を抱えて、貧弱な身体だとは到底思えない強行をした。

 野を超え山を超え、そして境界すらも越えて、出発から一週間程でパチュリーはやって来た。
 遠い遠い異国の地。そして隔離された空間にパチュリーはやって来たのだ。
 目の前にそびえ立つ真っ赤な屋敷を見上げる魔法の虫は、早く研究がしたくてしょうがなかった。

 友人を出迎えた館の主とは、実際に会うのは初めてである。だが暖炉の炎越しには、いくらでも顔を合わせてきた仲である。
 だから二人の挨拶も、どこかチグハグであったのは致し方ない。

「初めまして。そう言った方が良いのかしらね? レミィ」
「初めまして。パチェ。ようこそ我が紅魔館へ」

 遠い地からやってきたパチュリーを、レミリアは歓迎した。ただの人間に自分がここまで気を許すとは、今にしてみれば信じられないレミリアであったが、やはりこうして思いつきで吸血鬼の家まで来てしまう辺り、パチュリーというのはただの人間ではないな、とレミリアは思う。

 一方でパチュリーは、これからの住処となる大きな屋敷を見上げて呆けていた。てっきり、レミリアは崖の上にそびえ立つ古城にでも住んでいるのかと思っていたが、実際にはその住処は丘の上に立つ洋館であった。――それは、確かに豪奢ではあったが。

「へぇ、吸血鬼は城に住んでいるのが相場だと思っていたけど、私の家と同じくらいのお屋敷ね」
「へぇ、あんたそんなにお金持ちだったのかい。うちに来たのは失敗だったんじゃないか? 自分の家にいれば一生安泰だったのに」
「馬鹿言わないで、魔法の研究も落ち着いて出来ない家に用は無い。さぁ時間が惜しいわ。レミィ、悪いけれど早速、中へ案内してくれるかしら」

 レミリアは頷くとパチュリーを自分の住処、紅魔館へと案内した。内装が真っ赤な我が家を見たら、パチュリーは面食らってしまうのではないかと、レミリアは心配と楽しみに思っていたのだが、パチュリーは「目に痛いわね」というだけで特に反応は示さなかった。

 地下の図書館に通されたパチュリーは、空の様に高い天井を見上げ、更にその天井に届かんばかりの巨大な本棚を見上げる。

「うわ、本当に巨大な図書館ね。管理が大変そうだわ」
「さぁ、ここは今日からあんたの城だ。自由に使っていいよ。あー、ただし今のうちには使用人がいないから、食事とかは自分でなんとかしてね」

 だだっ広い図書館を一人で自由に使っていいと言うことは、もう魔法の研究をメイドや親たちに気づかれる事を心配せずともよく、喧しいドアのノック音を無視しなくても良いという事だ。確かに何か足りない部分はある気がするものの、それは慣れれば解決する事だとパチュリーは思うことにした。

「ふふ、ここならば研究に没頭出来るわ……。きっと石を作る事も出来るはず……!」

 パチュリーは薄く笑うと大きな荷物を置いて、図書館のテーブルへと腰を掛けた。このテーブルは自分の家のものによく似ている。そう思うパチュリーであった。




    ◇    ◇    ◇




 紅魔館はパチュリーの研究にとって、非常に相性がよろしかった。

 地下の図書館には、自分の家のものとは比べ物にならない程の膨大な数の本が納められており、知識の源には事欠かなかった。
 そこには今はレミリアしか住んでいないので、とにかく静かである事も良かった。パチュリーはとにかく、雑音を嫌うのだ。

 この紅魔館に来てからというものの、パチュリーは一回も外に出ることもなく、この地下の図書館で研究に勤しんでいた。
 レミリアから出向いて会話をしたり、チェスをしたりする事はあるものの、それ以外の時間は常に賢者の石を精製する事に向けていた。パチュリーは、己の全てを投げ打っていたのだ。

 材料となる魔法的な物品については、レミリアにそれとなく伝えると、次の日には揃っている。彼女は友人の研究を援助するのが楽しいようであった。それは、貴族が芸術家を支援するといった昔ながらの関係に似ている。

 彼女の髪の毛は、やがて床に着くのではないかという程に伸びに伸び、脆弱だった身体もむしろ地下室での暮らしに適応していく。彼女はもしかしたら、吸血鬼の友人よりも太陽の光に弱くなっていた。

「パチェ、研究の進捗状況はどうかしら?」

 レミリアは今日も地下の大図書館に遊びに来ていた。彼女も大概、暇なのである。
 パチュリーは机の上にうず高く積まれた本や魔法薬の瓶の隙間から、半目でレミリアを見返した。彼女はもはや、常に睡眠不足であった。

「御覧の通りよ。あと少しだと思うんだけれどね」
「ここに来てから、その台詞、10000回は聞いたよ」

 レミリアは呆れたように言う。彼女は人間の心配などしていないが、友人の心配はする程度の人間味は持ち合わせていた。

「体調は大丈夫か? 賢者の石が完成しても、パチェが壊れてたら意味がないわよ」
「ご心配なく。私はいつでも元気よ」

 そういった直後に咳き込んだパチュリーの言葉であるから、それは一切の説得力がなかった。
 レミリアは床に落とされていた一冊の分厚いグリモワールを拾いあげると、紅茶のカップすら置く隙間のないテーブルの上にそれを戻してやった。

「パチェ、貴方ちゃんと寝てるのかしら? “私”がいつ来ても起きている事が、人間として駄目だと思うんだけど」

 昼夜逆転の吸血鬼ならではの発言であったが、パチュリーは聞く耳持たずに、また一つの実験を掌の上で行って、溜息交じりに結果をノートに書き留めた。

「大丈夫よ。人体ってすごいわよね、なんだか適応してきて、寝なくても良くなってきたわ」
「それヤバいって」

 レミリアは突っ込みながらも、友人が賢者の石の完成に掛ける想いを知っていたが為に、それを陰ながら応援するしかなかった。

「くれぐれも、餓死しないようにね。今は私が死体の片付けをしなきゃならないんだから」
「大丈夫よ、私は軽いから」

 そういって館の主は地上へと戻っていった。
 図書館の主は、ただ黙々と実験を続ける。それは昨日と変わらないし、明日も変わらないだろう。彼女は実験を続けているのだ。




    ◇    ◇    ◇




「『ベルフェゴールの探求』だよ。パチェのやってるのはさ」

 レミリア・スカーレットが言う。地下にまでやって来て、突然何を言い出すのかと、パチュリーはレミリアに怪訝そうに目を細めて視線を返す。
 それを見たレミリアは、得意げに解説した。

「ありもしない事を追い求めてるって事。本当は、賢者の石なんて作れないんじゃないの? だって作ったっていう魔法使い、私は見たことないし」
「それじゃあ、私がその第一号になってあげるわ。黙って見てなさい」

 パチュリーはそういいながらも休むことなく手を動かして、研究の結果をノートに書きとめている。そして、またより良い結果を生めるように、実験を繰り返すのであった。

 レミリアはそんな友人の姿を見つつ、最近気になっていた事を彼女に尋ねる。

「そういえばさ、パチェは何を食べて生きてるの? 私の家には人間用の食事なんて無かったはずだけど」

 魔法使いは、右手に紫色の液体が入ったグラスを持ちつつ彼女の質問に答える。

「捨食したのよ。ご飯を食べるのは面倒だし、更に調達しなきゃいけないとなると、時間が勿体無いわ」
「……あ、そう」

 レミリアは無言で、パチュリーの前に一つのケーキを差し出した。柔らかそうなスポンジにたっぷり塗りたくられた生クリーム、そして真っ赤なイチゴ。それは見事なショートケーキだった。

「最近になって人間をまた雇うようになってね、そいつが焼いてくれたんだ。どう? 一緒にお茶でも飲みながら食べない?」

 その甘ったるそうなケーキを見て、パチュリーは一瞬怪訝そうな顔をしたが、久々に食べ物を食べてみるのも良いかもしれないと、レミリアの提案に乗ることにした。

「そうね、リフレッシュの為に食事をするのも悪くないわね。もしかしたら研究に役立つインスピレーションが生まれるかもしれないわ」
「ケーキによって?」
「糖分によってよ」

 レミリアとパチュリーはテーブルの上に紅茶とケーキを一つずつ置いて、互いにそれらを口へ放り込んでいった。
 パチュリーは久々に食べ物を口にしたが、その久々が大当たりだった事に感謝した。友人は良い料理人を雇ったと感心する。しかし、念のために聞いておかなければならない事もある。

「まさかこれ、人肉のケーキとかじゃないでしょうね」
「私は人肉は食べないわよ。あるとしたら、血を混ぜた生地で作ったケーキね」
「……これがそうだって言わないわよね」
「もしそうだといったら?」
「吐くわよ。あんたの頭の上に」

 そんな他愛も無い会話をしているうちに、美味しいケーキはあっという間に無くなってしまった。パチュリーも久々の食事に満足げだった。

 そこでレミリアは、また一つパチュリーに質問したい事が思い浮かんだ。

「そういえば、パチュリー。あんた歳を取らないわね」
「捨虫したのよ。活動期間出来る期間が50年ぽっちじゃあ、とても賢者の石は作り出せないわ」

 ああ、なるほど。レミリアは理解した。

 そういえばパチュリーがここにやって来てから80年程が経っていたな。とレミリアは、出会った時から変わらぬ外見のパチュリーを見て思う。

「それで、賢者の石は完成しそうなのかい?」
「お陰さまで、頭に糖が回って完成が近づいた気がするわ」
「ところでさぁ、うちが引越ししたのって、あんた知ってた?」
「そうだったの、それは初耳だったわ」
「うん、今は私たちは幻想郷っていう所にいるのよ」
「へぇ~」

 ふと二人が気付けば、パチュリーの周りには強力な魔力が集まって出来た、属性の塊が発生しつつあった。
 それらは各属性を象徴し、そして互いに魔力を補いながら永久機関を形成している。

「もしかして、これが賢者の石なのかねぇ」
「もしかすると、そうかもしれないわね」

 二人は食後にチェスの一戦を交えた。結果はパチュリーの勝ち。暖炉を通しても通さなくても、互いチェスの強さは変わらない。




    ◇    ◇    ◇




 賢者の石は完成した。パチュリーが魔法使いの到達点としていた、賢者の石は完成した。
 だが彼女の胸に達成感はなかった。――賢者の石が完成はしたものの、それがなんだというのだ? 自分は何の為に賢者の石を精製したのだ?

 そう思っているパチュリーの元に、レミリアが現れた。今日はケーキの代わりに一枚の紙を持っている。

「あら、レミィ。何かしら、その紙は」
「ごきげんようパチェ。貴方にお手紙よ。まぁ私が勝手に取り寄せて来たのだけど」

 レミリアはその古く黄ばんだ、しかし文面はしっかりと保存されている手紙をパチュリーに手渡した。
 パチュリーは手紙に書いてある差出人の名前を読み上げる。

「フランドール・ノーレッジ」

 レミリアは何も言わない。パチュリーは小首を傾げてレミリアを見る。
 差出人の名には見覚えがないが、フランドールというのは確かレミリアの妹である。パチュリーはそう思った。

「貴方の妹、自分の名前を間違っているわよ」
「それはアイツが書いたんじゃないわよ」

 レミリアの言葉にパチュリーは更に首を傾げながら、その封を破って手紙の中身を見た。そして、それを声に出して読み上げる。

「拝啓、お姉さまへ。お姉さまがいなくなってから一年くらいが経ちます。お母様もお父様もすっかり取り乱して、だけどもやがて落ち着いたみたいです。ですが私は未だに慣れることが出来ません。お姉さまがいなくなってから、私の所に来るのは世話をする為のメイドだけです。お姉さまが読み聞かせてくれた物語や、吸血鬼さんとお姉さまのお話はとても楽しかったものです。それが聞けなくなって、私はとても寂しいのです」

 手紙の字は少し震えているようで綺麗ではないが、丁寧に書かれているという印象であった。
 パチュリーはそこまで読み上げると、未だに黙りこくったレミリアに視線を向けて口を開く。

「ねぇ、これ何の手紙かしら?」
「二枚目」

 レミリアが短く言った言葉の通り、パチュリーは手紙の二枚目へと移った。
 手紙の字は、少しずつ震えを増やしていった。

「私はお姉さまに謝らなければならない事があります。それはお姉さまがいなくなる二月ほど前の話です。その頃は、お姉さまがだんだんと私の部屋に来て下さる回数が減っていた時期です。私は寂しさに堪まらなくなって、こっそりとお姉さまの部屋へと出かけたのです。しばらくぶりに歩いたものだから、息が切れてしまいましたけれど、お姉さまの部屋の前までたどり着くと、こっそりと扉を開けて中を覗いたのです。ごめんなさい、でもお姉さまが忙しいなら、私の方から遊びに行けば良いと思ったのです。そこで、私は見ました。お姉さまが一心不乱に何かに取り組んでいるところを。私はそれが何なのか、少しだけ理解する事が出来ました。きっと、お姉さまは、私を助ける為に勉強をしているのだなと思いました。だからきっと、いなくなってしまったのも勉強の為に仕方のない事なんだなと思いました。そう思うことで私は自分の気持ちを落ち着かせました。寂しくて、辛い気持ちを落ち着かせていました。でも私は、私の命を助ける為にお姉さまがいなくなってしまうのならば、この病気が治らなくたって良い。私はただ、お姉さまにお話を聞かせてもらえているだけで良かった。死の間際で今、そう思うのです」

 最後まで手紙を読み切ると、パチュリーはそれを封筒の中へと丁寧に戻した。
 そして、ずっと黙っていたレミリアに向けて再び顔を上げる。

「ねぇ、レミィ。この手紙は一体何なのかしら? 私には何がなんだか、分からないわ」
「そうね、パチェ。この手紙の差出人は、貴方には何の関係もない人間。その人間が死の際に書き残した手紙。貴方には何の関係もない話」




 レミリアはそう言って、泣き崩れるパチュリーを優しく抱きとめた。
怠惰の時は怠惰を知らず。


――春日潜庵「丙寅録」より
yunta
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コメント



0.710簡易評価
6.90名前が無い程度の能力削除
妹の治癒と魔法の研究、占めるウェイトが逆転したのはレミリアと会ってしまった時からでしょうか。
どうして80年以上も本末転倒なことをしていたのに気がつかなかったんだ……打ちのめされたような気持ちです。
8.100削除
妹思いの姉が優しすぎた故の悲しい出来事、ですか
最後部分は心をうちます
パッチェさんが魔法に取り組み始めた理由がいたって自然でよかったです
誤字ですよ~
>活動期間出来る期間
10.100名前が無い程度の能力削除
あ~やばい
涙でディスプレイが見えない…
11.無評価yunta削除
>>8.豚さん
誤字報告ありがとうございます!修正させてもらいました。
12.100名前が無い程度の能力削除
いつの間にか手段が目的にすりかわってしまっていたのか…
悲しすぎる
13.100山の賢者削除
これはパチェがフランを溺愛フラグ?
16.無評価yunta削除
皆さんご意見ご感想ありがとうございます。一部抜粋してお返事をさせて頂きます。

>>6.さん

 レミリアと会った事がターニングポイントではないと思います、原因の一つではあったかもしれません。
 本人も知らないうちに自然と傾倒していってしまうのが魔法なんでしょうね。

>>13.山の賢者さん

 なんと、その発想はありませんでした。
 そういった繋がりで物語を拡げていく事も出来たかもしれなですね~
19.90即奏削除
最後の急流のような展開が衝撃的でした。
とても面白かったです。