Coolier - 新生・東方創想話

狐の威を借らんとした寅

2010/05/29 15:34:57
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 人間の里にある、簡素な茶屋。珍しく天気の良かったその日、藍はその店先で団子を頬張っていた。

 ここ数日雨が続いていたせいか、この日の里は大勢の人々で溢れていた。これだけ人が多いと、ただ買い物をするだけでも疲れが溜まってしまうものだ。それはよく出来た主婦となりつつある藍とて例外ではなく、妙に疲れの溜まってしまった彼女は買い物を終えた後気分転換のためにこの茶屋に寄ったのだった。
 彼女が着いた頃、店の中はそれなりに混んでいたが、にわか雨を心配してのことなのだろうか、店先の縁台はそれなりに空きがある状態だった。天気もいいしちょうどよかった、と思いながら藍はそこに座り、団子を注文した。

 店の前を行く人々は、皆どこか忙しそうに歩みを進めている。一方、店にいる人々は元々休むのが目的なので、彼らの間にはゆったりとした時間が流れていく。その二つの流れの間で、どちらに寄ることもなく自分の時間をのんびりと過ごす。お茶をすすりながら、藍はそうやって彼女の方法で気を紛らわせていた。





「あ、あの!!」

 突然の声に、藍は驚いて顔を上げた。
 そこにいたのは、藍と同じくらいの年齢に見える外見の女性であった。藍が気づいてくれたのを見て、彼女は微笑みながらもどこか緊張した様子で言葉を続ける。

「私、寅丸星といいます。失礼ですが、八雲藍さんですよね?」
「ああ、そうだが」
「よかった! あの、藍さんに折り入ってお願いしたい事があるのですが……どうか、私に料理を教えてください!!」

 そう言うと、星はものすごい勢いで頭を下げた。突然の行動に慌ててしまった藍は、とりあえず詳しい話を聞こうと彼女を宥める。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! いきなりそう頼まれても困る。せめて事情を詳しく聞かせてくれないか」
「ああ、そうですよね。すみませんでした。私、興奮していて……」
「気にしなくていい。気持が逸ることは誰にだってあるからな。とりあえず、ここに座りなさい」

 一見すると大人っぽいのにどこか子供っぽくて情けなく感じる星の姿を見て溜息を吐きそうになりながらも、藍は彼女の話しやすい状況を作ってやろうとした。頼りないが、なんとなく放っておけないような、そんな雰囲気を星から感じ取っていたからだ。
 藍に言われて彼女の隣に座ったことがうまく功を奏したのか、星は先程より大分落ち着きを取り戻していた。少しうな垂れながら、彼女は話を始める。

「私、一人でちゃんと料理ができるようになりたいんです。私にはナズーリンという従者がいるのですが、料理をする時もつい彼女に頼りきりになってしまうんです。彼女は嫌がらずに私を手伝ってくれますし、私も彼女と一緒に料理を楽しめるのはうれしいのですが、このままでは彼女に迷惑をかけっぱなしになってしまうと思うんです。ですから、せめて一人で料理が出来るくらいにはなりたいなあと思っていた矢先、妖怪の賢者の式にして優秀な主婦でもある八雲藍さんをお見かけしたものですから、つい声をかけてしまいました」

 どこか恥ずかしそうに、しかしはっきりとした口調でそう語る星の横顔を眺めて、藍は自然と微笑んでいた。彼女の言葉の端々から、主従の強い絆が垣間見られたからだ。

 なるほど、初めはなんだか頼りなさそうな奴だなと思ったが、案外筋の通った者じゃないか。主が従者の苦労を労い、従者はそれに応えて主に尽くす。それが主従の理想の形なのだ。紫様も主なんだから、こういう所を見習ってほしいものだ。
 そんな事を考えながら、藍は星に笑顔を向ける。

「成程、そういうことか。従者を思いやる気持、素晴らしいものだな」
「い、いえ、私はただナズーリンに少しでも感謝したいだけで」
「その気持が大事なんだよ。紫様みたいに、色々と式に任せっぱなしのくせに礼も言わないような主もいるからな」
「そ、そうなんですか。では、藍さんもかなりお疲れなんですね」
「ああ、困ったものだよ。でも私自身彼女の下を去りたいとは思わないし、うまく回っているといえばそれまでなんだが」
「ふふ、主従にも色々な形があるんですね」
「はは、そうだな。先の料理の件だが、今日早速家に来るか?」
「えっ!? あの、いいんですか?」
「ああ、なんだかお前の話を聞いていたら助けてやらずにはいられなくなってしまった。それに、こういうのは早いほうがいいだろうしな」
「ありがとうございます、藍さん! では、早速よろしくお願いします!!」
「よし、任せなさい。ところで、さっきから斜向かいの路地でこちらを窺っている鼠君は星の知り合いかな?」

 そう言うと、藍は茶屋の対岸にある細い路地を指差した。二人を盗み聞きしている者の存在にまったく気づいていなかった星だったが、鼠という言葉を聞いて大方の見当をつけつつその路地に視線を送る。
 その直後、主にも気づかれてはこれ以上第三者を気取ってはいられないと思ったのだろう、鼠の少女は路地の物陰から姿を現した。二人に近づきながら、彼女はいつもの飄々とした口調で言う。

「やれやれ、まさか気づかれるとはね。このまま裏方からご主人様を見守っていこうと思っていたが、どうやら八雲の式を見くびっていたようだ」
「やっぱりナズーリンだったんですね。物陰から盗み聞きだなんて、酷いです……」
「何を仰っているんですか。あそこで私がノコノコ出て行けば、ご主人様はきっと藍にうまく事を伝えられなかったでしょう?」
「そ、そんなこと……」
「いいえ、絶対言い淀むなりしたはずですよ? 普段から妙な所で私に余計な気を遣ったりするじゃないですか」
「まあまあ、その辺にしておけ。それよりナズーリン、肝心なのはお前がどう思っているかだ。星は、お前のため私に料理を習いたいと言っている。さて、お前はどう思っているんだ?」

 鋭い口調で静かにそう問う藍の姿に、流石のナズーリンも尻込みする。が、そのような動揺を外面にはまったく見せることなく、すぐさま彼女は藍の問いに答えた。

「勿論、ご主人様が何をしようと私は口を出すつもりはない。しかし、一人で他人の家に行くような事があるのであれば、私はそれについていくつもりだ」
「ど、どうしてですか!? 私はナズーリンの負担を減らすために料理を教わりに行くのに、その時にナズーリンについてきてもらうのはおかしいじゃないですか! 結局ナズーリンに苦労をかけてしまうのなら、何の意味もないです……」
「そんな事はないですよ。寧ろ、お一人で八雲家にお世話になるほうが余計心配で苦労してしまいます。ご主人様は何か一つの事を頑張ろうと思えば思うほど他の事が頭から抜けてしまうんですから、いつも誰かが見ていなければならないんです。そんな大事な役目を他の誰かに託すなんて、心配でなりません」

 そう言って顔を背けたナズーリンの頬は少しだけ赤く見えた。星はそれに気づかなかったようだが、藍は彼女の可愛らしい仕草を見逃さなかった。

 なるほど、どうやらナズーリンの星への心配は単に従者としてのものだけではないようだ。それなら、ここまで露骨に食い下がってくるのも頷ける。これは下手に煽るわけにもいかないか。
 そんなことを考えながら、藍はナズーリンに向かって言った。

「そういう事なら、ナズーリンもついてくればいいんじゃないか?」
「えっ? 藍さん、でもそれじゃ……」
「星、これだけ心配してくれる従者なんて、他にいないぞ? 彼女なりに考えてのことなんだから、聞いてあげればいい。もし彼女がどうしても気になるなら、ナズーリンには後ろで見守ってもらうだけにしたらいいじゃないか」
「うむ、それで私は構わないよ。ただ、そうするなら教える君も気をつけることだね。うちのご主人様のドジは並じゃないよ?」

 藍の提案に、ナズーリンは意地の悪い微笑を浮かべて答える。それが料理を教えることになった自分への僅かばかりの嫉妬であると判断した彼女は、その微笑を軽く受け流すと二人に出発を促した。

「そうさせてもらおう。星も、それで構わないな?」
「ナズーリンがそう言うなら、私は構いません。藍さんにお料理を習うのも、ナズーリンのためですから」
「よし、ならすぐにでも家に行こう。少しばかり時間を潰しすぎたから紫様もお待ちかねだろう」

 そう言って藍は立ち上がり、二人を先導して八雲家へと向かった。彼女の後ろを歩きながら、星はナズーリンに小声で話しかける。

「すみません、ナズーリン。また手を煩わせることになってしまって」
「まったく、本当ですよ。依頼を終えて帰ってきたらご主人様がいらっしゃらないので気になって来てみたらこれですからね。ちゃんと皆には連絡してきたんですか?」
「あ、はい。遅くなるかもしれないと聖に伝えておきました」
「それなら一応は大丈夫ですね」
「すみません……ナズーリンにも、心配をかけてしまいましたね」
「そんな、気になさらないでください。ご主人様が私のことを思ってくれただけでも私はうれしいんですから」
「ナズーリン……」

 後方から聞こえてくるそんな会話に、前を行く藍は思わず微笑んでいた。

 いや、この二人は本当に紫様に見習ってほしいくらいのいい主従だな。あの方もせめて普段から優しさを見せてくれればとは思うのだが。
 そんな事を考えつつ、藍は歩みを進めていった。


   *   *   *


 三人が八雲家に着いたのは、夕方になり始めた頃だった。
 珍しく日差しを燦々と降り注がせていた太陽は夕日となって沈み、空を赤く染めている。辺りに吹く風は、既に夜のそれだった。

 二人を導いていた藍は、玄関で二人を一度待たせると、紫に話をするべく一人先に居間へと向かった。廊下を歩きながら、彼女はおそらくだらしなく寝転がっているであろう主の姿を思い浮かべる。

 あの方のことだ、どうせ居間に寝転がっていて、私を見るとだらしない声で「あ~らんおかえり~」などと言ってくるのが目に見えている。今日は二人だけではないのだから、だらだらされても困る。
 そんな事を考えながら居間の襖を開けた藍が見たのは、まさに彼女が想像していた通りの光景だった。

 寝転がっている彼女の傍らには、入れ物に入った煎餅が数枚。そこに出来た隙間から察するに、残っているのは元あった量の二、三割といったところか。
 うつ伏せになり、子供のように足をパタパタさせながら開いたスキマに頭を突っ込んでいる。何を覗いているのかなど知らないが、威厳だとか、そういう印象とは一貫して無関係を突き通す彼女の姿はいつも通りだったとはいえ、理想の主従を見てきた後の藍を落胆させるに十分だ。

 主の逆カリスマ性に呆れ果てながら、藍は口を開く。

「……はぁ。いつも通りではありますが、もう少ししっかりできませんか、紫様?」
「いや、無理無理、そんなの面倒だもの。それより藍」
「はい?」
「面白そうな二人ねえ」
「えっ? ご覧になっていたんですか?」
「ええ、茶屋での件からずっとね。あなたの帰りが遅いものだから気になって覗いてみたら、なんと茶屋でゆっくり休んでるじゃない! 私を放っておいて、まったくもう……って思ってたら、面白そうな子があなたに話しかけてきたのよね。それを物陰から心配そうに覗く鼠さんまでいて、もう本当に楽しかったわ。あんなに可愛らしい二人に意地悪なんか出来ないわね。ささ、早く上げてやりなさいな」
「なんだか、覗かれていたのはちょっと嫌な感じですが……まあ今はいいでしょう。それでは、二人を呼びますからちゃんとしていてくださいね? 寝転がったままはやめてくださいよ?」
「はーい」

 返事だけはいつもいいんだから、と小言を吐いて、藍は玄関へと急いだ。しかしながら、廊下を逆戻りする彼女の表情は先程よりも綻んでいる。いい加減だとはいえ、少しでも自分の事を心配してくれた紫の心遣いがうれしかったのだ。
 少しでいいから、普段からああいう気遣いを見せてくれればなあと思いつつ、藍は彼女を待つ二人の下へと急いだ。



 暫くして、藍は再び居間の襖を開けた。何故かうれしそうな主と、それを見て平静を装いつつも口元を緩ませる従者を連れて。

「紫様、この者は寅丸星。私に料理を習いたいというので連れてきました。そして彼女はナズーリン。星の従者です」
「宜しくお願いします、紫さん」
「ナズーリンだ。今日はうちのご主人様を宜しく頼む」
「ええ、よろしく。先日やってきた命蓮寺の本尊さんと、そこに住んでる最近人気のダウザーさんね」
「成程、既に知っていたか」
「ええ。最近の事ですもの、覚えていますわ。それじゃあ藍、早速星に教えてあげなさい」
「はい、紫様。さあ星、台所はこっちだ」
「あ、はい!」

 そう言って藍についていく星の姿はどこかぎこちなく感じられた。おそらく彼女も初めてのことで緊張しているのだろう。主のそんな姿を見て、ナズーリンは一つ溜息を吐く。それを見て、紫は彼女に気づかれないようにしつつ口元を緩めた。

「うふふ、あなた達って仲がいいのねえ」

 二人がいなくなり、紫とナズーリンが取り残された事で居間にはどこか気まずい雰囲気が漂いかけていた。それが居間全体に広がる前に、紫はわざとらしい口調でナズーリンにこう話しかける。
 この一言で、その雰囲気は一気に吹き飛んでいった。顔を真っ赤に染めながら、ナズーリンは紫に反抗する。

「ば、馬鹿なことを言うんじゃない! 私はただ、ご主人様を心配しているだけだ! 従者として……そう、従者として主を心配しているだけだ! それのどこがおかしいっていうんだ?」
「ふふ、むきになっちゃって可愛いわねえ」
「誰がむきになっているもんか! 君が馬鹿な事を言うから、過剰に反応してしまっただけじゃないか」

 それをむきになるって言うんじゃない? という言葉を呑み込んで、紫は微笑んだ。これを言っても、どうせ彼女はまた真っ赤になって否定するだけなのは目に見えていたからだ。
 けれども、紫はナズーリンを弄るのを止めようとはしなかった。彼女の予想以上の反応が面白くて仕方なかったのだ。
 ナズーリンの言葉から一拍置かれて、いつも通りの胡散臭い微笑からいつも通りの意地の悪い言い回しが放たれる。

「ふふ、まあいいでしょう。ところで、星のほうはあなたをどう思っているのかしらね」
「ご主人様が私のことを? あの人のことだ、どうせ頼りになるいい従者くらいに考えているだろうさ」
「あら、そうかしら?」
「そうに決まっている。だって、私達はただ」
「ただの主従、ですって? 普通の主が、従者のためにこんなにも一生懸命になるかしら?」
「一生懸命だなんて、どうして言えるんだ?」
「星が藍に頼んだ時の顔よ。あの子、相当固い決心で藍に理由を話していたわ。あんな顔、よほど相手を真剣に考えていなければ出来ないもの」
「……確かに、そうかもしれないが、でも」
「ねえナズーリン、偶には正直に気持を表現するのもいいものよ。偶に伝えられる想いだからこそ、相手の心を掴むんじゃないかしら」
「……もしそうだとしても、私は」

 そこまで言いかけたところで、ナズーリンの言葉を呑み込むように台所から大きな音が響いてきた。思わず口を閉じた彼女に、紫は珍しく優しい眼差しで語りかける。

「あらら、やっぱり藍だけじゃ大変なようね。ほら、行ってあげなさいな」
「し、しかし私はただ見守るだけという約束だ。台所にいたら、手を出してしまいかねない」
「それでも、あの子にはあなたが必要なのではなくて? 一番大事なのは何か、あなたは分かっているのでしょう?」

 紫に言われ、ナズーリンは少しの間黙り込んで考えていた。

 私にとって一番大切なもの、それは何よりご主人様自身だ。いくら彼女の気持を大切にするためとはいえ、やはり彼女を支える役目を放棄することなんて出来ない。
 私がいては邪魔になるかと思ったが、やはり私は彼女の傍にいなければならない。他でもない、私がそれを欲しているのだから。

 自らの疑問に答えを出すと、ナズーリンは勢いよく立ち上がると居間の襖を開けた。台所に向かう前に、紫を見て少し恥ずかしそうにして言う。

「……紫、ありがとう。君のおかげで、なんだか気持がすっきりしたよ」
「そう言っていただけると私もうれしいですわ」
「じゃあ、行ってくる。ああ、そうそう。その口調は胡散臭いから止めたほうがいいんじゃないか?」

 そう口にしたナズーリンは先程までの繊細さが際立ったものではなく、いつもの飄々とした表情を浮かべていた。
 自分だって人の口調の事を言えた義理じゃないでしょうに、と思いながらも紫は彼女に微笑を返す。それを見てニヤリとしながら、ナズーリンは台所へと向かった。


   *   *   *


 台所は惨状の一歩手前だった。
 火にかけられた肉じゃがの鍋は洗い物の最中に吹き零れそうになっている。藍に注意されてそれに気づいた星だが、グリルに入ったままの焼き魚は彼女の頭から抜け落ちたままだ。

 料理の効率化を図る場合、どうしてもいくつかの工程を同時にこなす必要が出てくる。これが、星が最も苦手とする部分だった。
 星の集中力は、右に出る者はいないと言われるほどに優れている。これが彼女を優秀と言わしめる要因であるが、この集中には大きな弱点があった。一つの物事に集中すると、周りが見えなくなってしまうのだ。その結果として、彼女はこれまで多くの失敗を重ねてきた。
 これが料理の際に起こってしまうと、たとえば洗い物に取り掛かると先にかけていた鍋のことを忘れてしまったり、そちらに意識がいくと今度は焼き魚の存在を忘れてしまったりするのだ。

 まずは彼女の腕前を見ようと後ろから見守っていた藍だったが、その慌てっぷりには呆れて言葉も出なくなっていた。

 なるほど、ナズーリンがああ言ったのも頷ける。一つ一つの動きを見るに、おそらく彼女自身の腕前はかなりいい方なのだろうが、こうもドタバタしては流石に料理どころではなくなってしまうだろう。
 果たしてこれは訓練などでどうこう出来る問題なのだろうか。

 藍が溜息を吐いていると、後ろから星を呼ぶ声がした。




「まったく、だから心配だと言ったでしょう」

 思うようにいかない状況に混乱しかけていた星だったが、彼女の言葉を耳にすると動きを止め、声のした方を見た。
 しかし、星はすぐに言葉を発することが出来なかった。結局ナズーリンに心配をかけてしまったのだと考えていた彼女は、申し訳ない気持でいっぱいだった。
 そんな彼女に代わって、藍は台所に入ってくるナズーリンに訊ねる。

「やはり、我慢できなかったか」
「ああ。ご主人様のお手伝いは私にしか出来ないさ」
「はは、どうやらそのようだ。星、私はお前に料理を教えると言ったが、お前を見ていて分かった。どうやら、お前には教えることはなさそうだ」

 そう言って星に微笑む藍だったが、彼女の意思は星にうまく伝わっていないようだ。暗い表情のまま、彼女は悲しそうにナズーリンを見ていた。
 二人が心配そうに見つめる中、やがて彼女は消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。

「……やっぱり、私は駄目な主ですね。従者に心配ばかりかけて、しかも一人では何も出来ないだなんて」
「そ、そんな事はありません、ご主人様! ただ、私はあなたのことを」
「いいんです、ナズーリン。あなたは、私を心配してくれるのでしょう? 私が、頼りないから。私が何も出来ない駄目な奴だから、何をしでかすか分からないから、不安で仕方ないのでしょう? 藍さんにもご迷惑をおかけして、本当に私は」
「私がそうしたいんだ!!」

 重い雰囲気の漂う台所に、ナズーリンの言葉が響く。その言葉に、星は思わず俯いていた顔を上げ、ナズーリンの表情を窺った。

「確かに、私は君の従者だ。君を心配するのは、従者として当然なのかもしれない。けれども私は……従者としてではなく、もっと違った距離で君を支えていきたいんだ。その気持は、従者としての義務なんかじゃない。私自身が、君を助けていきたいと思っているんだ。
 もしそれでも君がこの気持を単なる心配だと捉え、私に申し訳なく思うのであれば、これからは過剰に手伝ったりするのは止めよう。私のせいで君が嫌な思いをするのは私も辛いから」
「ナズーリン……」

 星は瞳に涙を溜めている。主のそんな姿を見てナズーリンは恥ずかしそうに顔を背けようとしたが、何かに気づいたのか一瞬目を見開くと星に向かって言った。その口調は先程の強い意思を感じさせるものから、いつもの飄々としたものに戻っていた。

「ご主人様、私の気持をどう受け止めてくれても結構ですが、一つだけ言わせてください。


 焼き魚、焦げてます」



 ナズーリンの言うとおり、グリルからは黒い煙が立ち昇っていた。話に夢中になりそのことをすっかり忘れていた星は、慌てて振り返り、黒々とした煙に気がついた。

「えっ? ああっ!? た、大変です!!」
「落ち着いてください! まずはグリルの火を消して、魚を外に出しましょう。落ち着いてやれば何も問題ありませんから」
「は、はい! よいしょっと……ふう、大丈夫でした。お魚は焦げてしまいましたが」
「火にかけたりしている時は、いつもそれを気にしていなければ駄目じゃないですか」
「すみません……」

「はっはっは、やっぱり星にはナズーリンがいないと駄目だな」

 二人を見守っていた藍が、普段より大きめの声でそう言った。謝った星の顔がまた暗くなりつつあるのに気づいた彼女は、いまこそ自分が言わんとしていた事を星に伝えるべきだと判断したのだ。

「ええと、藍さん? その、それはどういう……」
「言葉どおりの意味さ。星は所謂ドジという部類の性格ではないから、普通の者にはうまく支えていくことが出来ないんだよ。つまり、お前にはナズーリンが必要なのさ。ナズーリンもまた、お前を必要としている。だから、そうマイナスに考える必要はないというわけさ」
「そう……でしょうか? 私、ナズーリンに迷惑をかけていないといえるんでしょうか?」
「いやいや、迷惑ではないと言うと流石に語弊がありますね。私だって、ご主人様を支えていくのが大変でないわけではありません。ですが、私にとってあなたを支えることは喜ばしい事なんです。苦労もありますが、あなたが喜んでくれれば私は幸せですから」
「ナズーリン……」
「そういうわけだから、星も気にすることはないよ。料理だって、お前自身の腕は確かなんだから、ナズーリンと一緒なら問題あるまい」

 そう言って藍は再び二人に笑顔を見せる。それにつられて、二人も自然と笑みを零した。
 微笑みながら、星はナズーリンを見つめる。

 今までナズーリンに苦労ばかりかけてしまったと思っていたけれど、それは思い違いだったようだ。私が彼女に抱いているのと同じ想いを、彼女も心に秘めていてくれたんだ。
 だったら、余計な事を考えないで今まで通り一緒にいたらいいじゃないか。私は彼女に支えてもらって、笑顔になる。それを見て、彼女も微笑んでくれる。それ以上、何も必要ない。料理は習えなかったけど、今日八雲のお二人にお世話になって本当によかった。

 そんな事を考えて微笑みながら、星は藍に言う。

「藍さん、今日は本当にありがとうございました。あなたのおかげで、私達の誤解も解けました」
「いや、気にしなくていい。ところで、その……星に少し聞きたいんだが、洋食は得意か?」
「そうですね……どうでしょうか?」
「私に聞くんですか? まあ、それなりに出来るほうだと思いますが」
「それなら、私にハンバーグの作り方を教えてくれないか? 紫様が食べたいと仰ってきかないんだ。以前外で食べてみたらしいその味が忘れられないと日々嘆いておられるんだが、人里にはそんな店はないだろう? せめて私がお作りしたいと思っているが、どうもあまり馴染みのない味は再現しにくくてな。だから、今日の代わりといっては何だが、どうか私にハンバーグの作り方を教えてくれないだろうか?」
「そういうことでしたら、私でよければお手伝いしますよ」
「そうか、助かったよ! すまないな、星」
「藍が気にすることでもない。ご主人様は夕飯となるはずのものを悉く駄目にしてくれたし、それで帳消しさ」
「むぅ、その事は蒸し返さないでくださいよ。忘れようとしてたんですから」
「反省しない者は成長しませんよ。さあ、はじめましょうか。私はここで見てますから、どうぞ落ち着いて頑張ってください」
「ええ、分かりました! では藍さん」
「ああ、宜しく頼む」

 そう言って三人は再び料理を始めた。
 台所から聞こえてくる彼女達の楽しげな声や騒がしい音を聞きながら、一人居間で寝転ぶ紫はうれしそうに微笑む。


 まったく、厄介なお客さんね。私がお膳立てしてあげないとちゃんと気持を伝えることだって出来ないんだから。でも、うまく二人が互いの気持を理解しあえたみたいでよかったわ。あんなふうに、私も偶には素直になってみようかしら。
 いやいや、それはやっぱり駄目だわ。だって、そんなの恥ずかしいもの。

 ああ、楽しみだなあ。藍のハンバーグ。


 そんな事を考える紫の頬は、仄かに赤く染まっていた。


   *   *   *


 無事に完成したハンバーグを一緒に食べた後、二人は命蓮寺へと帰っていった。それまでは賑やかだった八雲家も、二人がいなくなったこともありいつもの静寂を取り戻していた。
 二人を見送った後、紫は自分の部屋へと戻っていった。一方藍は台所へと向かい、団欒の後片付けに追われている。

 ハンバーグに使った皿を棚に戻しながら、藍は少し複雑そうな表情を浮かべていた。

 紫様が、珍しく素直においしいと言ってくれた。それはうれしいが、その後の紫様は普段と変わりなかった。せっかく紫様のために作ったのに、あまり喜んでもらえなかったのだろうか。




 そんな事を考える藍を、不意に後ろから誰かが抱きしめる。一瞬体を強張らせたが、背後でたなびく髪とその優しい香りから犯人の目星はすぐについていた藍は特に抵抗もしなかった。それをいいことに、その犯人は一向に体を離そうとしない。
 そんな相手に、彼女は少々呆れた様子で言う。

「そろそろ止めないといい加減怒りますよ、紫様」
「あら、バレてた? ならやめましょうか」

 いつもの軽い口調で紫は藍にそう言うと腕を離した。ふざけた様子の主に溜息を吐きながら、藍は紫に小言を吐く。

「まったく、どうしてあなたはそうやって邪魔ばかりするんですか。片付けをしている時に抱きつかれたら迷惑でしょう」
「あら? それじゃあ、どういう時に抱きしめられたいのかしら?」
「そ、そういうことではなくてですね!」
「ふふ、可愛いわねえ。藍のそういう顔、久しぶりだわ」

 そう言って紫は藍に微笑む。頬を染めた藍は、それにうまく応えることができない。そんな彼女を見てますます頬を緩めながら、紫は続けた。

「おいしかったわよ、ハンバーグ」
「えっ? あ、あの」
「すごくおいしかった。それこそ、うれしくて言葉も出ないくらいにね」
「紫様……」
「ありがとう、藍。いつもいつも私の我侭につき合わせてごめんなさい。それでも私に尽くしてくれるあなたに、本当に感謝してるわ」
「いえ、そんな! 私は、紫様を」
「……って言ったら、藍は喜んじゃうのかしら」
「……は?」
「いや、あの二人を見てたらこういうのが藍にも必要なのかなあと思ったのよ。それで試してみたんだけど、どうやら効果覿面みたいね」

 そう言っていつものように笑う主を見て、藍は大きな溜息を吐く。呆れ果てながら、彼女は答えた。

「まあ、そんな事だろうとは思いましたよ。まったく、どうして人をからかうのを止められないんでしょうね。本当に嫌な人だ」
「それは褒め言葉として受け取っておくわ。それじゃあ夜も遅いし、私は寝るわね」
「あ、ちょっと紫様! まったく……」

 主の傍若無人ぶりに閉口しつつも、藍は片づけを続けた。

 はあ、期待した私が馬鹿だった。あの人は元々ああいう人じゃないか。いつも妖しい雰囲気を纏っていて、ご自分を見せてくださらない。意図の分からない無茶ばかりさせて、当の本人はそれを喜んで見ている。私が式になって以来、あの人の優しさなんて見た記憶がない。
 そういう人なんだから、もう期待するのは止めよう。他所は他所、うちはうち。皆が一度は通る、最初にして最大の妥協ではないか。

 そんな事を考えて、藍は片づけを終えた。


 陰鬱とした気分で部屋に戻った彼女だったが、それはすぐに晴れ渡ることになる。

 彼女は、部屋の机に置かれた一枚の紙を見つけた。
 不思議に思って手に取ったそれは、何の変哲もない一枚の手紙。なんだろうと思って封を切ってみると、真っ先に見えたのは広めの余白だった。それを見て、また紫様の悪戯かと思って捨てようかと考えた彼女だが、手紙の真ん中に書かれた内容を見て思わず笑みを零した。



「  藍へ

     ありがとう。

          紫より  」



 たった一言の、ありがとう。しかしそれは確実に、藍の心を癒していた。


 本当に、嫌な人だなあ、この人は。言いたい事は、全部直接伝えて欲しいのに。ふざけないで言ってくだされば、それでいいのに。
 でも、この想いがたまらなくうれしいのは事実だ。星達にも感謝しなければな。

 どうやら、彼女の頼みを聞いてやるつもりが、いつの間にか彼女に助けられていたようだ。彼女とナズーリンの関係を見て、きっと紫様も素直になってくださったのだろうから。
 寅は寅なりに狐の威を借らんとしたようだが、寅の威を借るのはやはり狐、ということか。

 ともあれ、今は紫様の気持が本当にうれしい。こんなにもうれしい気持になったのは久しぶりだな。
 きっと明日になればいつも通り苦労ばかりかけてくるのだろうが、私はこれからも一生懸命あの人を支えよう。

 ありがとうございます、紫様。

 そう一人呟いて、藍は手紙を抱きしめた。




 空に浮かんだ月は雲がかかり、まるでその姿を晒すのを照れているかのようだ。いつもと変わらない、いたって普通の月を見てそう感じてしまうほど、紫と藍の心は恥じらいでいっぱいだった。

 喜びと恥じらい、そして淡い月の光のような優しさに包まれて、八雲家の夜は静かに過ぎていくのだった。
 
 
 
星ちゃんと藍さまのお料理教室的なお話を書いていたつもりが、いつの間にかナズ星とゆからんのお話になってました。



>>5様
いえ、ただこの部分を書いていた際筆者の頭に偶々浮かんだのがハンバーグだっただけです。今思えば確かに唐突でしたね。
余談ですが、その日は久々に一人でこねこねしましたw 寂しかったけどおいしかったです。
でれすけ
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コメント



0.1260簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
藍様優しいなぁ
5.90名前が無い程度の能力削除
いいですね、交流によって生まれる、互いの変化というものは。

ところで、唐突に出てきたハンバーグなのですが…「ハングリータイガー」「ゴールドラッシュ」?
7.90名前が無い程度の能力削除
どちらもよい主従ですねえ
9.90名前が無い程度の能力削除
直接気持ちを伝えることをナズに言っても、うやむやにしたり手紙を書いたりするゆかりんが堪らなく可愛いのだよ。
11.100名前が無い程度の能力削除
もう主従とかいいから、結婚しちまえよおまいら
12.100名前が無い程度の能力削除
主と従者の恋物語だって良いじゃない。