Coolier - 新生・東方創想話

偏屈から愛を込めて

2010/05/27 00:58:42
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 笹がざわつく迷いの竹林……には似つかわしくないドタバタとやかましい音。
 それは竹林のどこかにあるという永遠亭からのものだった。

「待てっ!! 輝夜……っ!!」
「喋りながら走ると舌を噛むわよ?」

 ドタバタ──と、走り回るは黒髪と白髪の少女。
 輝夜と妹紅は屋内を騒々しく走り回り、時たま手ごろなものを見つけてはお互いに投げ合っていた。

「ていっ……!!」
「ちょ、……もう危ないじゃないの。灰皿なんか当たったらすごく痛い、わっ!!」
「っ!? なんだ今のごつい置物は……しかも本気で投げたわね!?」

 今度は目覚まし時計を投擲する妹紅。それを身軽に躱す輝夜。

「ちょっと勘弁してよ、あれが無いと起きれないじゃない。そもそもなんでそんなにご立腹なわけ?」
「この前あんたがくれた漬物ね、酷く傷んでてお腹壊したのよ! ヘンなもんよこすなっ!!」

 どこにあったのか、投擲される無数の文鎮。それは暴力の風となって輝夜に迫る。

「ぶ、文鎮って……当たったら洒落になんないじゃない」

 真っ直ぐに廊下を駆けていた二人だったが、輝夜が不意に横の部屋へと姿を消した。
 妹紅もすぐさま立ち止まり、輝夜の逃げ込んだ部屋へと歩を向ける。その部屋の入り口には張り紙が貼ってあった。

 『調合部屋 危険につき出入り厳禁』

「ああ、嫌な予感しかしないわ……」

 憂いの眼差しを外に向ける。
 縁側から覗ける空の色は、不安を煽るような灰色だった。

「空よ……私のために泣いてくれるのね」

 ──ただの雨である。いつのまにか雨が降り始めていた。
 視線を部屋の扉へと移す。薬剤が保管されているからか、他の部屋の襖とは違い造りのしっかりとした扉だった。
 それが悲鳴を上げる。激しく開かれたのと同時に妹紅は文字通り飛び込んだ。
 部屋を見渡し索敵するが輝夜の姿は見当たらない。代わりに永琳の姿があった。調剤の最中なのか、なにやら作業をしている。

「飽きもせずによくやるわね」

 そんな言葉を拾いもせず、妹紅が慎重に探索を始める。
 机の上にはガラスの器具が並び、見たことの無いような色の粉末が入れられていた。見るからに毒々しい、それを楽しそうに扱っている永琳は悪い魔女にしか見えない。
 なんて考えていると何かが足に引っかかった。

「わっぷっ!!」

 妹紅が顔から倒れる。視線を上げると、伸ばした足を戻しながら見下す形で輝夜が笑っていた。

「あんた……」
「床に口づけするなんて、余程その床が気に入ったのね」
「………………もう喧嘩はやめよう」

 ゆっくりと立ち上がる。不気味なほどに冷淡、薄ら笑いを浮かべながら妹紅が口を開く。

「そう、喧嘩は終わり…………今からは殺し合いだ……っ!!」

 妹紅が試験管を投げる。輝夜も応えるようにビーカーを投げる。……平和な殺し合いだった。

「とりゃっ!!」
「なんの……っ!!」

 激しい応酬が続く。目の前を舞う数々の器具を尻目に、永琳は黙々と調合を続けていた。

「うりゃっ!! …………あれ」

 応酬が止み、妹紅が手元を確認する。早い話が弾切れだった。

「ふっふっふ。床に唇を許すような輩に、幸運の女神は微笑まなかったようね」
「くっ……」
「ほら御覧なさい。心なしか床が寂しそうな顔をしているわ。早く敗北のキッスをして差し上げなさい。夢の中で優しく慰めてくれることでしょう」
「わけのわからんことを……」

 輝夜が投擲の姿勢に入る。手に握られているのは乳鉢。鉱物の塊であるソレをまともに打ち込まれればひとたまりもないだろう。

「それでは……ごきげん、ようっ!!」

 おかしな音を上げながら迫るソレは、紛うことなく死の香りを感じさせた。
 さすがに嫌な汗が出る。躱すという選択肢が真っ先に浮かぶが、足場の狭いこの部屋では急所を外すことはできても完全な回避は無理だろう。

 ──そんな刹那の次の瞬間、妹紅が何かを蹴り上げた。

 二人を遮るように覆う茶色い何か。それは、机を焦げや薬剤から守るために敷かれる大きな木の板だった。
 乳鉢と接触する。防ぎきれるか自信は無かったものの貫通には至らず、乳鉢は板に大きな亀裂を残してふわりと宙を舞う。
 やがてそれは…………黙々と作業する永琳の目の前へと落下した。

「っ!?」

 ガラスの割れる音……試験管やらビーカーが割れたのだろう。粉末状の薬剤が入っていたのか粉塵も舞っている。
 それを見て二人はとっさに距離をとった。アレを吸い込んでどうにかなったら、それこそお互いに笑えない。それほどまでに永琳の薬は劇薬なのだ。

「もうっ!! 貴方達いい加減に、しな……」

 では永琳はどうなのだろうか? いかに薬の知識があろうとも劇薬は劇薬。死ぬことはなくても、何かしらの異常をきたしても不思議ではない。ましてや新薬を作っていたのなら尚更だろう。
 粉塵が収まったのを見て二人が駆け寄る。

「ちょ、ちょっと大丈夫、永琳? 傷は浅いわよ」
「ごっほっ!! ぐっ、ぁ、は……っ!?」

 多量の粉塵を吸い込んだのか、膝をついて激しく咳き込み嗚咽を漏らす。

「も、妹紅が保身に走るから……」
「私のせいにしないでよ」

 そんな罪の擦り付け合いをしている間にも永琳は咳き込んでいたが、やがてそれも落ち着き始める。
 次第に苦しそうな表情も和らぎ、呼吸も整っていたので輝夜が話し掛けた。

「は、ぁ……う、頭が…………」
「私はやめろって言ったのに妹紅のヤツがね?」
「こら」

 妹紅が小突く。それを無視して永琳の目を見据えた。

「あ、貴方は……誰でしたっけ……?」
「「…………」」

 顔を見合わせる二人。

「うーん、これはもしかして……おたふく風邪という────」
「阿呆か」

 雨の音がやけにうるさかった。




















                    ── 偏屈から愛を込めて ──




















「まさか、里医者風情の私が八意さんを診る日が来ようとは……」

 しわがれた声で、初老の男性が目を細くする。

「それで容態のほうはどうなんでしょうか?」
「そうですねぇ……八意さんが調合していたという薬の原料、先ほど拝見しましたがどうも見たことのない物でした。断言はできないのですが、恐らくは一時的な記憶障害でしょうな。薬による記憶障害などは本当に稀なことですけども」
「ああ、本当ですか!? てゐ、一時的なものだってさ!!」
「うんうん、よかったよかった」

「…………なんだ、一時的なものなの。なら心配する必要はないわね」

 安堵の言葉を漏らす鈴仙とてゐ。対照的な呟きは輝夜のものだ。 

「しかし八意さんの薬は奇異なものです。その調合途中のものを多量に吸引したとあっては安心できる状態とは言えないでしょう。しばらくは安静にして、様子見をするほかありませんな」

 なにかあったら教えてください──とだけ付け加えて、その男は去っていった。
 永琳は無理やり布団に寝かされて、少し困ったような顔をしている。妹紅は先ほどの男と一緒に出て行ってしまった。恐らくは竹林の道案内だろう。
 輝夜は脇ではしゃいでいた鈴仙とてゐを押しのけて永琳へと詰め寄った。

「永琳、よく見てなさい」

 そう言うと、近くにあった花瓶をおもむろに掴み、静かに机へと落とした。

 ──ガシャッ!!

 割れる。破片を小さく舞わせて、花瓶は面影を失う。

「か、輝夜様……!?」
「…………」

 永琳の顔を覗き込む輝夜。永琳は目をパチクリさせ、

「あ、危ないですよ?」

 とだけ言った。

「うーん、口うるさい永琳が花瓶を割ってもそんな反応……これは本当に記憶喪失だわ」
「そんな確認方法しか思いつかない姫様も普通じゃないけどね」
「本当に私のこと思い出せないわけ……?」
「はぁ……知っているという感覚はあるのですが、それ以上の情報が出てこないんです」
「師匠、鈴仙ですよ? 私のことも思い出せないんですか?」
「……皆さんの名前と容姿を覚えているという感覚はあるんです。でも、思い出せないんです。記憶を引き出しに例えるのなら、その引き出しに手が届かない……」

 頭を押さえ、辛そうに目を伏せる。不思議な話だが、どうやら本当に記憶喪失らしい。

「お師匠様、本当に私達の事を忘れてしまったんですか?」
「てゐさん……でしたっけ? ごめんなさい、まだ思い出せません……」
「二千円貸してたことも……?」
「そうだったんですか」

 てゐの手に二千円が握らされる。

「うーん、五千円にしとけばよかった……」
「あんたってヤツは……」

 輝夜が立ち上がる。そのどこなく嬉しそうな微笑みに心当たりは無い。

「そう、本当に思い出せないのね。ということは…………どういうこと!? 鈴仙!!」
「へっ!? そ、そうですねぇ、ご飯を私一人で作らなくちゃいけなくなりますね……」
「ふん、鈴仙はカマトトぶっちゃって駄目ね。てゐ、姑息な貴方なら私の言わんとしていることがわかるでしょう!?」
「心中お察しいたします、姫様。お師匠様がこんな状態にあっては姫様の素行監視は不可能、つまり……門限無しの好き放題遊び放題ということでございます」
「その通りっ!! 私達を縛っていた権力が地に堕ちた今、私達には輝かしい自由があるのよ!!」

 力説する輝夜と悪ノリするてゐ。それとは裏腹に、鈴仙は一人冷めた目でそれを聞いていた。

「輝夜様……本気で言っておられるんですか? 故意ではなかったにしろ、師匠がこんなになってしまったのは輝夜様が原因でしょう? 師匠だって記憶があやふやですごく心細いと思います。こんなときこそ、一番付き合いの長い輝夜様が側にいてあげるべきだと……」
「そんな大袈裟なこと言ったって、一時的なモノなんだから放っておいても元に戻るわよ。それにね鈴仙、私はずっと耐えていたの。普段はずっと家に軟禁されて、たまに外出したと思ったら永琳も一緒だし、夜遊びが許されるのは妹紅の相手だけ……。私だって!! 女の子らしくワイワイキャッキャとした楽しい思い出を作りたいのよ!!」

 さらに冷めた目で聞いていた鈴仙だったが、輝夜の言い分もわからなくはなかった。永琳のやや過保護な部分があったのも事実だし、それに大人しくしたがっていた輝夜の言い分としてはもっともなものだろう。


 それでもやっぱり……鈴仙は、その発言を冷たいと感じてしまうのだ。


 倫理的な言葉で言うのなら無責任、非情。そう感じてしまうのは、二人の共に過ごした時間が短いからだろうか。

「それじゃあ私は失礼するわ。いいこと永琳、絶対安静よ? この部屋から出ないで大人しくしてなさい。あと、今夜私が帰らなくても心配しないように」
「はぁ……」

 障子に手を掛ける。鈴仙も、別に何かを期待していたわけではなかった。ただ輝夜が去り際に『な~んてね』なんて笑って、今の言葉全部を冗談に変えてくれたのなら、全てが良い方向に転がってくれるような気がした。と、そのとき────



 ────輝夜が振り返る。
 


 そして、笑いながら────











「鈴仙も、やりたいことがあるなら今のうちよ」 










「……そう、ですね」

 無意識に抱いた淡い理想、それは色濃い笑顔に塗りつぶされた。










               ※          ※          ※










「ああ……お天道様が眩しい。私の絹のような肌が心配だわ」
「おい、なんか言ってんぞ」

 冷たい眼差しに見送られた輝夜は浮かれた足取りで神社へとやってきた。他に行くところが思いつかないというのもあったが、神社なら色んなヤツが集まるだろうと思ったのである。

「あんたに一人でうろつかれると、なんだか落ち着かないわね」
「そう? まあ、人目を惹く美貌という点では否定しないけど」
「そんな解釈できる部分あったか?」

 霊夢と魔理沙と輝夜、珍しいメンツである。縁側でお茶を啜り、雑談に華を咲かせようと輝夜が頑張っていた。

「髪の毛はこんなにも素直な髪質なのに、性格はちぃっとばかし癖が強いのよね」
「ちぃっとばかしか?」
「あら、嫉妬? 嫉妬なのね? でもまあ、お人形さんをもっと可愛くしたような私と並べられちゃそれも仕方ないわねぇ」
「それだけ言えりゃ十分だな……」

 季節は夏である。さらに言えば猛暑である。二人が面倒なやり取りにウンザリし始めていたそのとき、突如輝夜が声を弾ませた。

「そんなことより聞いたわよぉ~?」
「なによ……」
「温室育ちのくせに随分元気だなぁ……」 
「今日は人里で縁日があるそうじゃない! 皆で行きましょうよ!!」

 そのはしゃぎっぷり、身内に記憶喪失者を抱えているとは思えないほどである。

「きゃーっ、どうしましょどうしましょ! ものすごく久しぶりだわ。何回か連れてってもらったことはあるけど、永琳がいちゃ好きなモノも満足に買えなかったから」
「ふーん。まあ行くにしてもお前、金は持ってるのか?」
「見て驚かないでよ……?」

 輝夜がもったいぶって言う。

「そぉら驚きなさい!!」
「どっちだよ」

 チラリと……まるで何かありがたいモノでも見せるようにソレを覗かせる。…………五百円玉だ、しかも一枚。二千円詐欺の際、てゐから渡された安い口止め料であった。

「…………はっ!? あ、いや、別にいいんだぜ……? 五百円、文句言える額じゃないとは思う。思うんだが、お前がお姫様だと思うと急に不憫に……」
「それじゃあ涼しくなったら行きましょうか……」

 それから夕方まで、輝夜は一人騒がしく喋り続けた。










                ※          ※          ※










「今日はなにをしましょうか!!」

 自分の黒髪を阿呆みたいに揺らし、阿呆みたいな声で輝夜が叫んだ。

「もう……さすがに今日はゆっくりしましょうよ……」
「三日前は縁日、一昨日はスイカ割り、昨日は……ああ、そうだ。昨日はなんだかんだでいつもの宴会だったな」
「いつも通りなもんですか。このお姫様が一人で羽目外して、ほとんどオールナイトだったじゃないの」

 げんなり……とした面持ちの霊夢と魔理沙。
 ここ数日、やけにテンションが高い輝夜に昼夜付き合わされてきた二人だったが、日増しに極まる猛暑のせいもあってそろそろ体力の限界だった。昨夜の宴会のせいで寝不足でもあるのだ。こうして話し相手を務めているだけでも相当な根性がいるだろう。

「私達じゃなくて妹紅のヤツと遊んでればいいじゃないの……」
「やぁよ。アイツとはいつだってじゃれ合えるもの。こうやって昼間一人で出歩けるのは今だけなんだから」
「ふーん……そういや昨日の宴会、珍しく永琳のヤツがいなかったな」
「んーそういえばそうね。さすがに酒の席くらいはコイツのお守りをしてくれると思ってたんだけど」

 そう、二人はまだ知らないのだ。
 別に内緒にしていたわけではないのだが、特別話すことでもないだろうと思って黙っていたのである。二人も普通に出歩く輝夜を珍しいとは思ったものの、それ以上の感情……興味は無かったのだ。

「……永琳はね、今ちょっとした病気なの……」
「ほぉ~恋でもしたのか?」
「私だってね、本当はずっと側にいてあげたいのよ? でも私が側にいたところでなにができるわけでもないし……」
「建前はそれくらいにして本音をどうぞ」
「遊びたい……」
「だろうな」

 噛み合う二人である。

「そうだ。私、花火って好きなのよ」
「まあ、花火は輝夜のこと嫌いだろうけどな」
「手持ち花火でいいからやってみたいわ。魔理沙、ちょっと買ってきてちょうだい」
「えー……」
「別にいいじゃないの」
「…………いや……ほら、霊夢寝てるし」
「もうやるったらやるんだからっ!! さっさと霊夢起こして一緒に買ってきて!!」



 ──茂みが揺れる。



「今度は花火ですってぇ……?」

 まるで輝夜達を監視するように……いや、監視なんて聞こえのいいものではない。盗み見である。
 その離れた茂みからウサ耳が伸びていた。耳の主、鈴仙が三人の会話を聞いて苛立っている。原因はもちろん輝夜であった。

「三日も家に帰らないでなにしてるかと思えば……。師匠が大変なことになってるっていうのに、どうして輝夜様はあんなにはしゃいでいられるのかしら。ねぇ、てゐはどう思う?」
「うーん……」

 連れてこられたてゐが考えるフリをする。

「煮え切らない返事ね。だって、自分の長年連れ添った……それこそ家族のような人が記憶障害なんていうファンタジー展開に陥ってるのよ? 様子を見に帰ってくるわけでもなく、ぶらぶら遊びまわって、あんなにはしゃいでる輝夜様は普通じゃないわ」
「そうかな?」
「そうよ」
「いや、そうじゃなくってさ」
「……?」
「私にはさ、今の姫様は……はしゃいでるというよりも──」





「──取り乱してるように見えるけどね」  





 おちゃらけた雰囲気ではない。かといって、緊張した空気でもない。
 ただ優しく、わかってほしい──と、何かを伝えようとする気持ちだけが汲み取れた。

「それを必死に誤魔化そうとしているような、そんな不器用さを悪くは言えないわ」
「…………本当に、そう思うの?」

 本当なら返せる言葉なんて無い。それでも鈴仙は、てゐにそんなことを言わせる輝夜と、輝夜を理解しているてゐが悔しくて、精一杯の反論を口にした。
 てゐと目が合う。今の彼女には黙っているだけでも不釣合いなほどの説得力が宿っていた。

「ぷっ! 本気にした?」
 
 ぴょんぴょん──と、兎に相応しい軽い足取り。そして一度も振り返らないまま、嘘つき兎は嘘とは言わずに姿を消した。










               ※           ※           ※










 夜の竹林。不気味に漏れるその明かりは妹紅の小屋からだ。
 
「あんたもよく続くわねー」
「当たり前じゃない。こんな自由の身、もうこの先無いかもしれないんだから」

 家に帰らない輝夜は寝る時間になると決まってここを訪れる。それが自由を噛み締めたいからか、現実を噛み締めたくないからかはわからない。
 妹紅は不思議なことに追い出そうともしなかったし、黙っている分には居心地が良かった。

「なにも私の寝床に転がり込まなくたって、永遠亭のほうがよっぽど広いじゃない」
「別にいいでしょう? 妹紅だって一人じゃ寂しいだろうし」
「……なに言ってんのよ」

 この小屋には殺風景で何も無い。妹紅本人も無口なほうなので、自然と自分で時間の使い方を見つけなければならなかった。
 輝夜が本を開く。人里で適当に見繕ってきたものだ。別段面白いことが書かれているわけではなかったが、妹紅と一緒にダンマリしてるよりかは有意義だと思ったのである。

「ああ、そうだった。今日は外で夕飯済ませたから、残飯を期待してるならなにも無いわよ」
「えー……」

 輝夜があからさまに落胆する。

「永遠亭で店屋物を取ったのよ。私が運ぶって言ったらご馳走してくれるっていうから」
「へぇー、あんたも人にたかって生きられるようになったのね」
「タダ飯はいくらでも食べれちゃうから困る」
「色気の無い女ねぇ。それでなにを頼んだの?」
「うな重」

 顔が引きつる。

「い、今なんと申した……?」
「うな重。その言葉遣い、色気無いわよ」
「う、うな重……? そんな貴族が食べるようなモノが、我が食卓に並んだというの……?」
「財布の紐を握ってる永琳がアレだからでしょ。というか貴族って、あんたも一応お姫様じゃ…………あれ? どこ行った?」










「うな重~、うな重~」 

 すっかり寝静まった永遠亭。
 うな重一つに浮かれるお姫様は、何日かぶりの我が家だというのに、初めに口にした言葉は『ただいま』ではなく『うな重』であった。色々と悲劇である。
 輝夜が静まり返った廊下を忍びもせずに闊歩する。そんな寝静まった空間に響く謎の呪文『うな重』。後に因幡達の間で怪談と化すのは言うまでもない。

「さて……」

 やってきたのは食事を取る居間ではなく、寝室を兼ねた和室。布団で寝ているのは鈴仙であった。

「ちょっと鈴仙」
「……ぐぅ」
「…………」

 起きる気配の無い鈴仙。楽しい夢でも見ているのか薄っすらと笑っている。それが性根捻じ曲がった輝夜には不愉快に映ったのかもしれない。
 輝夜がおもむろに近づく。そして鈴仙の耳に口を寄せ、

「薬物投与……生物実験……モルモット……」

 そんな言葉を耳打ちした。

「うっ……うーん……」
「副作用……禁断症状……廃人……」
「………………はっ!?」

 鈴仙が飛び起きる。楽しい夢が悪夢にでも変わったのか、酷い寝汗をかいていた。

「あ、良かった……夢で本当に良かった……」
「鈴仙」
「か、輝夜様……今お帰りですか? お帰りになられるならもっと早くにお願いします……あと、もう少し道徳的な起こし方はできないんですか?」
「そんなことよりうな重はどこよ?」

 寝ぼけ眼の鈴仙だったが、そんなことで帰ってきたのかとすぐに表情を曇らせる。

「……輝夜様の分は台所にありますよ。食べ終わったらちゃんと洗ってくださいね」
「そう」

 足を台所へと向ける輝夜……を鈴仙が呼び止めた。

「師匠の顔くらい見て行ったらどうですか? 今の時間なら起きてると思います」
「……今の時間って、日付はとっくに変わってるわよ?」
「師匠はこの数日……と言っても記憶が曖昧になってからですが、満足に寝ていないようです。顔色も優れないようですし……」
「……ふぅん」
「今の師匠は、なにがどこにある……なんていう家の中の勝手さえも忘れてしまっています。この数日の家事は私と他の因幡でこなしていました。でも、その手際の悪さが逆効果だったみたいで、師匠が家事を任されていたのは自分なんだと気付いたみたいなんです。だから慣れない手つきで動く私達を見て、少なからず責任を感じていたのかもしれません。あと──」
「も、もお、わかったわよ。起きてたら顔くらい見てくるわ」

 そそくさと逃げるように踵を返す。鈴仙もそれ以上は言わなかった。










「なによ、押し付けがましいわね。あんなになった責任の半分くらいは永琳にもあるじゃない」

 普段とは違う鈴仙の態度に若干戸惑っていた。独りごちてソレを落ち着けようとするが、独りでは気が紛れるわけがない。
 暗い暗い永遠亭、足元を照らすのは僅かほどの月明かりだけだ。視界がいいとは言えぬこの状況で、輝夜の目にあるモノが留まった。
 ……台所へと向かっていた足が止まる。
 その襖は永琳の居る和室のもの。寝息が聞こえないあたり本当に起きてるようだ。

「鈴仙がくどくど言うから、さっきはあんなこと言っちゃったけど……別にいいわよね。それよりも今はうな重よ、うな重」

 ──少なからず責任を感じていたのかもしれません。

 ふ──とよぎる鈴仙の言葉。その記憶の中の言葉に胸が酷くざわついた。それは粘度の高いものとなっていつまでも苛むだろう……なぜ苛まれるのか?

「…………ふん」

 素通りできなかった。足の代わりに手を伸ばし襖を開ける……と、冷たい空気が頬を撫でた。
 永琳は縁側の戸を開け放し、外を眺めている。輝夜に気付いているのかいないのか……僅かに覗かせる横顔はぼんやりとしたもので、眠気とは明らかに違う憂い深い表情であった。
 
「……な、なんだ、起きてたのね」
「…………あっ」
 
 白々しい輝夜のセリフ。月が隠れたのか部屋は暗く、薄っすらと輪郭だけが浮き上がっていた。

「なにしてたの?」
「……月を見ていたんです」
「月を……?」
「私が月に住んでいたというお話を伺いました。月の見える夜は、寝るのが惜しいんです」

 睡眠を削ってまで見る月に何か意味があるのか? ……恐らくは無いだろう。
 それでも今の彼女にとっては自分に縁のある数少ないモノなのだ。望郷の念にすがる気持ちもわからなくはないが、裏を返せばそれほどまでに不安定なのである。
 
 それでは輝夜は……?

 自分といつも一緒に居た月のお姫様。言葉を交わすこともできれば、触れることもできる。
 物言わぬ月にこれほどまで惹かれる永琳が……そんな輝夜に惹かれないということがあるのだろうか?

「ちゃんとご飯食べてるの?」
「いえ、ここしばらくは」
「……なんでよ?」
「色んなことで頭がいっぱいで、今は食欲の湧く暇が無いんです」
「…………そう。まあ貴方の好きにしたらいいわ」
  
 話は終わりとばかりに背中を向けた。
 呼び止めるわけでもなく、何を言うわけでもない。永琳は無言で月を見続けている。

「…………」

 何かを思ったのか輝夜が振り返った。部屋は明るい。雲が過ぎ、月明かりが差し込んだのだろう。
 お互いの表情が鮮明に映る。いや、表情よりも目を惹いたのは永琳の顔色の悪さだった。
 決してやつれているわけではない。それでも心が揺さぶられるのは……暗闇の中で見る彼女よりも、今の彼女が辛そうに映ったから。

「…………知ったこっちゃないわよ」

 遠ざかる足音。それが聞こえなくなって初めて、永琳は輝夜の居た場所へと目を向ける。開けっ放しの襖、それを閉めようと立ち上がった瞬間……近づく足音が耳を衝いた。
 暗闇にさえ栄える羨望の黒髪、それは間違いなく輝夜のモノだった。

「輝夜様、どうかされましたか?」
「…………」

 答えの代わりに抱えたものを突き出した。

「……?」
「私はね、山椒が無いと食べれないのよ。くどくて」

 それは慎ましいながらも彩られた重箱。甘い香りはタレの匂い。

「どうしてくれるのよ、私すごく楽しみにしてたのに」
「申し訳ありません……山椒、あったと思ったんですけど……」
「永琳が頼んだんでしょう? なら貴方が食べなさい。責任を持って」
「わ、私がですか……?」
「だって私は食べれないもの。山椒が無いから」

 勢いに押し切られてソレを受け取る永琳。重箱はずっしりと重かった。

「それと炊いたご飯が丸々残ってるじゃない。店屋物頼むなら事前に言っておかないと駄目でしょう?」
「はぁ……重ね重ね申し訳ありません……」
「…………だから、貴方も処分を手伝いなさい」

 右手に携えた一枚の皿……ソレには不恰好な握り飯が数個乗せられていた。
 誰が握ったのかは言うまでもない。輝夜は飯粒の付いた手でそれを手渡す。

「か、輝夜様……こんなにたくさんを一人では食べ切れません」
「ふん、永琳は大喰らいなんだからそれくらいでちょうどいいのよ。いいこと? ちゃんと食べるのよ? 命令だからね?」
「………………はぁ……」










「ん、随分遅かったわね」
「月を見てたのよ」
「ふーん。そういやあんた、山椒嫌いだったでしょ。私が使っちゃったけど構わないわよね?」
「……あっそ」
「あれ、なによその不味そうなおにぎり。うな重残ってなかったの?」

 輝夜がおもむろに口へと運んでいるソレを指して妹紅が言う。

「別に……まずっ」

 しょっぱいしょっぱい夜だった。










                ※          ※         ※










「おや、こんにちわ」
「……あら」

 翌日の夕方ごろ。輝夜が里をぶらついているとあの里医者と出会った。生真面目な性格なのか、この熱いにも関わらず白衣を着込んでいる。

「あれから伺っていませんが、どうですかな? お加減は」
「そうですねぇ……まだ目立った回復は無いように思いますけど」
「……む、そうですか」

 眉を寄せるその仕草は、輝夜の胸のうちに細波のような不安を芽生えさせた。

「回復するんですよね?」
「こんなことを言いたくはないのですが……これほど時間を置いても改善されないということは、少々見当違いだったのかもしれません」
「……どういうことでしょう?」

 その険しい表情は暑さだけのものではない。安易に考えれば、この続きは悪い話であることは明確である。
 輝夜の思い描いた通りの言葉が目の前の男から聞かされることだろう。その予想は恐らく正しい。だけども、邪推で終わってくれるならと思わずにはいられなかった。

「簡潔に言いますと、八意さんの記憶障害は吸引した物質が原因であることは間違いありません。これはわかりますね?」
「まあ、そうでしょうね。他に原因らしい原因が無いもの」
「その物質は時間が経てば体外へ排出されると思っていたんです。この暑さですから発汗も十分に行うでしょう。栄養と水分を摂って、安静にしていれば完治すると思っていました」

 ……蝉の声が鬱陶しい。
 しかし実際には遠くの山で鳴いているだけだ。耳を衝くのは、輝夜がそれほどまでに意識を傾けているからか。
 
「私は一時的なものとばかり思っていましたが……安直な判断だったのかもしれません。体内蓄積される物質かもしれませんし、あのときの薬剤が想像もしえない劇薬であったのなら……苛烈な器官各部への損傷も考えられます。そして八意さんならそんな劇薬を扱っていても不思議ではない」
「え、永琳は……特別な体質なんです。死なないんですよ?」

 できることならあまり口にしたくない話だったが、そんな躊躇いはすぐに吹き飛んだ。

「……らしいですな。この幻想郷、それくらいで驚いては過労死してしまいます」
「冗談を言ってる場合ですか?」
「……失礼。貴方達がどんな体質かは知りませんが、それを覆す神秘さえ……八意さんなら可能なのでは?」
「……あ、う……」
 
 男の言葉を否定できない。覆すことは無理でも、塗りつぶし、歪に変えることは可能だろうから。

「輝夜さん、私がこんなこと言えた立場ではありませんが……」

 そこに先ほどまでの精悍さは無い。まるで娘を諭すかのような、温和なモノへと変わっていた。










               ※          ※          ※










「──はっ」

 駆けるシルエットは輝夜のもの。
 月に照った黒髪はどこまでも艶やかで、乱す吐息はどこまでも熱かった。


 ────輝夜さん。きっかけで始まったものは……これまた、きっかけでしか終われません。


「あのヤブ医者、テキトーなこと言って……」


 ────そしてそのきかっけは医者の私ではなく、貴方にしか作れないものでしょう。


「面倒を私に押し付けて……」


 ────歩調を合わせて、お互いに歩み寄れば、そういったものは自然と生まれるものです。


「医者が奇跡に頼ったら、お終いでしょうに……っ」










 昨日の今日で戻ってきた永遠亭。日は暮れ、鳴いていた蝉達も鳴りを潜めた。
 
「輝夜様……?」
「…………」

 掛けられた声に振り向きもせず、慌てた様子で屋内を駆ける。やがてその足はある部屋の前で止まった。
 ──襖を開く……しかし期待した姿は無かった。

「…………え、」
「か、輝夜様、お師匠様なら──」

 鈴仙を振り切り再び走り出す。そのいつもとは違った雰囲気に……鈴仙は追うのをやめた。
 




「……全部忘れて、全部無かったことになんか……させないわよ」 





 足が止まる。張り紙があったからだ。

 『調合部屋 危険につき出入り厳禁』

「……ふん」

 静かに扉を開き、滑り込むように中へと入る。
 部屋は暗く、昨夜と同じように曖昧な輪郭でしか捉えられない。そんな部屋の片隅にやや長身のシルエット。それは疑いようもなく永琳のものだった。
  
「こ、こらぁ~」

 へらへらした笑いは照れ隠しか。

「寝てなさいって言ったでしょう……?」
「…………はぁ、すみません」

 何かに没頭しているのか永琳は生返事。

「…………」
「…………」

 会話は続かない。代わりにゆっくりと距離を縮めた。

「……まだ思い出せないの?」
「はい」
「…………本当に?」
「はい」

 カチャカチャと永琳の手元から音がする。視線はずっと下へ向いていて、輝夜には目もくれずに没頭している。その仕草は不機嫌なようにも映るが……。

「本当は思い出してるんじゃないの……?」

 背中に言葉を投げかける。
  
「本当はとっくに思い出してるけど、私が反省してないもんだから怒ってるんでしょう? それでまだ忘れてるフリをして」
「…………」

 図星……というよりは返事をするのも煩わしいといった沈黙。
 




 ──寒い。





 夜風のせいじゃない。永琳の淡白な態度、それもあるが全てじゃない。この異様な寒さ……その大部分はもっと別の場所にある。
 輝夜は焦っていた。心の中で冷や汗をかいていた。その凍てつく感覚に、何かがせり上がってくるのを感じていた。ソレはとても熱くて、ひたすら熱くて、目頭までせり上がったところで勢いを失う。

「…………」
「…………」





 ──沈黙が、感覚を麻痺させるほどに冷たい。





 虚無感、そんな格好のいいものではない。
 ただただ寂しいのだ。それは誰もが抱く普遍的な感情であるが、津波のように押し迫るそれを拒むのもまた、彼女の中にある一つの感情なのである。

「……謝るから」
「…………」

 輝夜の羞恥心にも似た心の堤防。それを越えた冷たい波が、言葉となって小さく溢れる。

「……私が、悪かったから」
「…………」
 
 頭を垂れる輝夜。プライドが高く、はぐらかしてばかりだった彼女が頭を下げて謝罪している。
 そこに嫌味は無い。不器用さこそ感じるものの、それをひっくるめて"素直"だと受け取れた。
 しかし、永琳は眉一つ動かさない。聞こえていないのか? 手の届くこの距離でそれはないだろう。 

「……っ」

 せり上がってくる熱と衝動。それは目頭までくると最後の壁を押し破り、輝夜は────










 ────目の前の背中へと抱きついた。










「──!」

 触れられて永琳が振り向く。頬を濡らした輝夜の姿がそこにあった。

「ごめんなさい……ごめんなさい…………もうあんなことしないから、ちゃんと言いつけだって守るから、だから、思い出してよぉ……」
「…………」

 涙をとめどなく流し、糸を引くような甘い声色。
 塞き止めていた壁が無くなった今、それを止める術は輝夜になかった。 

「永琳は永琳だなんて割り切れるほど、私はまだ大人じゃないわ。懐かしいモノを一緒に懐かしいって言い合える、そんな距離にいてくれる永琳が私には必要なの。…………一人で笑って生きていけるほど……私、強くないから…………」
 
 まるで透き通るような、何も着飾らない裸の言葉達。親愛だの敬愛だの、そんな綺麗な言葉でさえも霞んでしまう。
 
「…………」

 ──無言。
 しかし、その表情は柔らかなものだった。

「……輝夜様」

 永琳が手袋を外し腕を伸ばす。後ろから抱きつかれているため抱き返すことはできないが、代わりに輝夜の顔に手を添えた。
 こうして肌を触れられたのはいつ以来だろう……? 目が覚めるほどの強烈な熱だった。それは輝夜の心が冷えていたから、寒さで震えていたから。実際には熱いというよりも暖かい……優しさの伴った熱。

「輝夜様……?」
「な、なによ……私がこれだけ言ってもまだ思い出せないの……?」

 "輝夜様"……普段の彼女はそう呼んでいただろうか? 輝夜が違和感を覚えて表情を曇らす。
 永琳が身体を捻る。回されていた輝夜の腕は腰をなぞり、腹部に添えられていた手は背中へと場所を移した。二人の視線が混ざる。だがそれを振り切るようにして輝夜を抱き返した。

「……うっ」
「…………」

 あまりの柔らかさに輝夜が声を漏らす。まるで優しさに包まれているような、暖かな抱擁。

「……えっ、あ……?」

 涙が止まらない。空いていた心の隙間を何かが埋めていく。涙はそれに押し出されるように溢れるのだ。
 それを理解できない輝夜は素っ頓狂な声を零す。凄まじい感情の流れに、思考が隅へと追いやられる。
 そして忘れていた彼女の匂いがした。風が吹けば消えてしまうに違いない希薄なものだが、心の底から安堵できる懐かしいものだった。

「輝夜様、これを」
「……?」

 握られていたのは一粒の錠剤。

「この部屋の本棚にあった資料を基に私が調剤したものです。これを呑めば、私の症状は改善するでしょう」
「えっ……? そ、そんなこと言ったって、呑んで治る保障もなければ、今より悪化しない保障だってないじゃない……っ。ちゃんと納得できる説明がなくちゃ──」



「説明なんていりません。天才の所業ですから」



 悠然と、そして堂々と。小さく笑い、自信に満ち溢れたその雰囲気は、輝夜のよく知る永琳の姿そのものだった。

「私はこの数日、ただぼんやりと過ごしてきました。まるで何かが起きるのを待つように……自分の置かれた立場に甘えていたのかもしれません。しかし昨晩の輝夜様と接して、このままではいけないと思ったんです。思い出してあげたい……いえ、思い出さなければいけないと思いました」

 先ほどまでの寒さはどこへ行ったのか。今は暖かい……いや、暑いほどに身体が火照る。それが"照れ"だということに輝夜は気付かない。 

「今日はこれを呑んで寝ます。明日になれば、きっといつも通りの私ですから」
「し、信じるわよ? 私が信じた以上、失敗は裏切りになるんだからね……?」
「はい、約束です」
 
 それは形無き二人だけの密約。窓から覗く月だけが、この密約の目撃者であった。










               ※          ※          ※










「もう一度言ってみなさい……」
「この若白髪」
「……わか、しらが……?」
「なによ歯なんか食いしばっちゃって。厠なら向こうよ」
「イラついてるのよっ!!」

 表情を歪める妹紅を見て、逆なでするように輝夜が言う。それはいつも通りの光景で、いつも通りということは概ね平和だということである。

「"シラガ"じゃなくて"ハクハツ"と呼んでもらいましょうか? え!?」
「どっちも同じじゃない。まさか髪の話題で学の差が出るとは思わなかったわぁ~」
「貴様……」

 揺れる白髪。それと同調するように輝夜の黒髪もさらさらと揺れる。
 間合いを測る二人。次に足場、屋根の高さ、家具の位置……。あとはきっかけとなる合図を待つだけだった……いつも通りなら。

「妹紅……」

 手に持っていた木彫りの熊を置き、輝夜は優しげな顔で歩み寄る。

「なによ。気色悪いわね」
「気色悪いだなんて心外だわ……無益な争いはもうやめましょう? ほら、貴方もその信楽焼の狸から手を離して……」
「はぁ? あんたから絡んできたんでしょうに。毎度いいように扱われる私じゃないわよ」
「あれは違うのよ妹紅……。本当はね、貴方の髪があまりにも真っ白で綺麗なもんだから……つい嫉妬してしまったの」
「な、なんだって……?」
「白色なのにどこまでも鮮やかな貴方の髪……私の愛する月と同じ彩色の貴方の髪に、いつしか一人の女として嫉妬の念に駆られてしまったのよ……」
「そ、そうだったのね……まさか私の髪に女を狂わす魔性が宿っていたなん────ぐっ!?」

 妹紅の頭に木彫りの熊が鎮座していた。

「ふっ、こうも馬鹿みたいに騙せると逆にこっちが恥ずかしくなってくるわ……。妹紅くみしやすし」
「こら」
「いたっ」

 頭を小突かれる。振り向いた先には────不敵に笑う永琳の姿があった。

「家の物を喧嘩の道具にしないでちょうだい」
「喧嘩じゃないわ。絆を深める愛の儀式よ」
「……屁理屈ばかりでつまらない。ああ、昨夜の輝夜はあんなに可愛かったのに……」

 うっとり──と、どこか演技がかった調子の永琳。
 そんな彼女とは対照的に、輝夜はばつが悪そうに目を逸らした。

「ふん、あんなものはお芝居よ。永琳がしっかりしてないと家の中は散らかるし、美味しいご飯だって食べられないもの。それだけよ」
「そうね。輝夜の作るおにぎりは塩がキツ過ぎるわ」
「え、姫様、おにぎりなんか作ったんですか? 似合わないことしましたねー」
「なっ」
「そういえばいつぞやの夜、輝夜が不気味な握り飯を頬張っている姿を見────うっ、あっ!? ごふっ!!」

 鮭を咥えた熊が妹紅の頭上でワルツを踊る。

「急に蘇らないで。あとせめて、不気味じゃなくて不恰好っと言いなさい……あら? なんかデジャヴュだわ、気持ち悪い」
「てゐ、輝夜様だって女の子ですもの。飯粒を握りまとめるくらいの料理を作ったっておかしくないわ」
「そうよ。お腹が空いたから夜食に食べようと作ったんじゃない。永琳が役立たずだったから」
「……ふふ。まあ、そういうことにしておきましょうか」



 照れ屋と言えば聞こえは良く、素直じゃないと言えば…………それでも聞こえは良いだろう。
 全部見せてくれなくていい。ほんの少し、それだけで互いを信じられる。そこにあるモノは確かなモノだから。
 そう、気まぐれでも構わない。触れ合う機会は山ほどあるのだ。何故なら二人は────










 ────ずっと一緒なのだから。








 

「ねぇ、輝夜」

「うん?」

「二千円返してね」

「…………なぜに私」
お話の元ネタは るーみっく。
でも、ちょっとまんま過ぎたかな……?

あと個人的に妹紅は女口調強めです。
松木
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コメント



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なんかほんわかしてて良かったです。
もこたんは女口調の方があっている気がしますねー。
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輝夜可愛い
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「二千円貸してたことも?」のやりとりから、お、と思ったらやっぱりるーみっくだったのか。懐かしい。
おもしろかったです。
8.80名前が無い程度の能力削除
永琳は薬が効かないはず、なんて言うのは野暮ですかね。
オーソドックスながらも綺麗にまとまった良いお話でした。
しかしこの輝夜、ずいぶんじゃじゃ馬ですねw
妹紅の造形はとても良かったと思います。
13.80名前が無い程度の能力削除
なびき姉ちゃんがおるWW
17.70名前が無い程度の能力削除
二千円のくだりどっかで見たことあると思ったら後書きで理解。全巻家の倉庫で眠ったままだわ。
それはさておき、フリーダムながらも素直になれない姫様がよかったです。
あと妹紅との大人気なさ全開のやりとりも。
21.90名前が無い程度の能力削除
お互い共に偏屈ってことですね
ツンデレ姫可愛かったです
25.70名前が無い程度の能力削除
うむ