Coolier - 新生・東方創想話

袖引き

2010/05/13 06:48:58
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『アイツ、来てないな……』
「うぉい、どうしたんだ天人~~!」
「うわ、酒臭ッ!!」

 時は春の宵、所は博麗神社。今日も今日とてこの場所には人妖が集い、盛大かつ無軌道な宴を繰り広げていた。
 その中、何となくぽつんとしていたのは青みがかった黒髪も美しい少女である。比那名居天子というこの天人は宴の一応の主賓でありながら、敬意や尊重という言葉から最も遠い幻想郷の住人達の中にあってはそんな事は早速忘れられ、一人手酌で呑みながらぼうっとしていた所だったのだ。
 そして絡んできた太陽のように輝く金髪の少女は、妖怪メインのこの場にいる数少ない人間の一人、霧雨魔理沙である。人の身で鬼や天狗と酌み交わしていた彼女は既に相当できあがっていた。結果、元から陽気な言動はうざったい程馴れ馴れしいものになっている。

「そりゃあ酒呑んでるんだから酒臭いのは当たり前だぜ。今更何言ってるんだよ。……ふざけるな!」
「何で怒るのよ……本当に酔っ払いそのものね、コイツ。萃香みたいに一線は越えないでよね」
「萃香ぁ? ははは、アイツこそ万年酔っ払いだろ! ……ふざけるな!!」
「だから何で怒るのよ!? それに人の耳元で大きな声を出すな! ……ハァ」

 溜息を吐くと、魔理沙が今度は指をさして笑ってきた。笑い上戸め、と呟いた後に、ふと魔理沙の質問を思い出す。
 いい加減一人でもやもやしているのも飽きていたので、口に出してみる事にした。

「……アイツ、来てないの?」
「アイツ? 誰だよ」
「アイツよ、アイツ……」

 少しの間が合った。比那名居天子はその名前を口にする度、奇妙な感情に襲われるのだ。

「八雲、紫」




『袖引き』




「お前の事が嫌いだから来てないんだろ?」
「そりゃそうでしょうけど。じゃあ貴方は私の事が好きなわけ?」
「いや全然。かと言ってお前がいるから来ないという訳でもない。一言で言うと“どうでもいい”な。でもまぁ、あいつは……神社とか幻想郷がかかると、マジだからな」

 八雲紫は妖怪の賢者である。幻想郷の成立にも大きく関わっているらしい。
 幻想郷のありように大きく関わる博麗神社を我が物にしようと策略を張り巡らせ、実際神社の地下に要石を埋め込む事までやってのけた比那名居天子を嫌うのは当然と言えるだろう。しかもこの宴会は、その悪党たる天子の歓迎会なのである。

「マジってことは、いつもはああじゃないの?」
「ああ。いつもはもっと余裕があるというか、何かにつけて気味の悪い笑い方して見てるだけだぜ」
「私にはキレ回してたのに」
「やったことがやったことだったからな」

 けらけらと笑う霧雨魔理沙に、比那名居天子はそうなんだ、と小さく呟いた。

「なんだ。紫のことそんなに気になるのか?」
「いや、別に……ただ、見ないなって」
「来てないってんなら、小町だって来てないじゃないか。紫ばかり気にするとはねぇ」
「うっさいなぁ……」

 そう言えばそうだ。楽しませてくれたあの威勢のいい死神、小野塚小町も姿を見せてはいない。言われて初めて気が付いた。

「ああそうそう、アイツの事なら、萃香の方が詳しいぜ。古くからの付き合いらしいからな」
「ふーん。いや別にそんなに気になるわけじゃ」
「まあがんばれ!」

 魔理沙は岩より硬い天人の背中をばしんと叩くと、いててと呟き手首をぶらぶら振りながら、他の連中の所に行ってしまった。雑魚い人形遣いの所へ行って何やら絡み始めたようだ。全く迷惑かつ傍若無人な奴。
 大体、今の会話の流れで何をがんばれと言うのか。特にがんばる事など無いではないか。天子は杯に残っていた酒を飲みほした。あまり味は判らなかった。




「紫との付き合い?」

 常に明るい天界。比那名居の家の領地内で、地上の妖怪が我が物顔で寛いでいる。見た目は年若い、というより幼い少女だが、その頭部からは二本の巨大な角が生えていた。彼女は幻想郷最強にして失われたはずの種族・鬼である。魔理沙の話に出て来た八雲紫の友人・伊吹萃香だ。
 彼女は天子が「博麗神社を潰す」という大それた犯行に出た際、いの一番に乗り込んできて天子をぼっこぼこにし、比那名居家の領地の一角を勝手に自分のものにしてしまったのだった。それ以来、厄介な友人とも厄介な居候とも取れる妙な関係が続いている。詰まりどの道厄介な相手である。が、今はそれが都合がよかった。何となくを装って話を切り出せたからだ。
 ……いや、別に装っているわけではない、と天子は自分に言い聞かせる。別に気になっている訳ではないのだから、装う必要もなく本当に何となく話を切り出したに過ぎない。

「あぁ、古いよ~。お前さんが棚から牡丹餅で天人になったのよりは新しいかも知れないけど」
「……へぇ。何であんなのと友だちやってるの?」
「酷い言い様だなぁ。まあ、あの胡散臭さだからねぇ。ズルばっかりだし。でもね、みんな胡散臭い・何考えてるか判らない・嘘つき・不気味・ズルっこ・迷惑・無茶振り屋とか言うけどね」
「言われ過ぎでしょそれ」
「でもね。私に言わせれば、紫ほど誠実な奴はいないよ」

 誠実。
 八雲紫の、怒りと不気味な含み笑いしか見ていない天子にとってはその印象と全く異なる言葉だった。

「……何それ」

 なのに、その言葉は妙にすとんと天子の胸に落ちた。

「みんなは気付いていないけどね。紫ほど、幻想郷と……友人を大事にする奴は此処にはいない」

 萃香の眼から、ほんの微かに酒気が消えていることに天子は気付く。

「同時にお節介でねぇ。余計なことばかりするんだ。私の酒を奪って回ったりさぁ」
「何で、あんたの酒を奪うのがお節介なのよ。アル中でも治そうとしてくれたの?」
「んふふ、秘密~」

 にやりと笑い酒を呷る萃香の姿が、天子は面白くなかった。
 何よこいつ。私より知ってます、みたいな顔して。

「で、何で紫?」
「ふぇ?」

 不意の質問に天子は目を丸くする。

「あ、いや。何となくよ。何となく。こないだも宴会来て無かったしさぁ」
「何となくねぇ」

 意地悪な含み笑いを見せる萃香。いちいちかちんと来る奴だ。

「魔理沙にも訊いたらしいじゃん?」

 が、続いた言葉に天子はぎくりと動きを止めた。

「な、何でそれを」
「魔理沙が言ってた」
「あンの白黒ッ……!」
「人の口に戸は立てられないよ。そんなに会いたければ、会いに行けば良いんだ」
「会いたいわけじゃないって! 大体、会う方法なんて無いでしょ」
「ああ、そういえばそうだねえ。居て欲しく無い時にいつも居るから、忘れてたよ」

 萃香は明るく笑うと、また瓢箪から酒を呷った。
 実は会う方法を知っているのでは、と内心期待していた天子はがっくり来て、慌ててそれを打ち消す。
 会いたい理由なんて無いのだから。

「神社には比較的来るみたいだけどねぇ。ま、呑みなよ天子」

 萃香のくれた酒の味は、あの夜と同じように今日もよく判らなかった。




 数日後。よく晴れた昼下がり。博麗神社に比那名居天子の姿があった。

「来てやったわよ」
「呼んでないわ」

 無駄に偉そうな天子に対し、縁側に腰かけ茶を啜る巫女・博麗霊夢は冷淡である。神社がよく宴会場になる割に、家主の霊夢は人づきあいを面倒臭いと思っている節がある。黙って仕事に励んでいれば可憐で凛々しい顔立ちだというのに、境内の掃除のフリさえせずばりぼりと煎餅を齧り、来客を一瞥もせずに茶を啜る様は自堕落としか形容できない。

「入るわよ」
「入ってから言うな」
「全く、来客なんだからお茶くらい出してよね」
「湯のみは一つしか出してないの」
「茶菓子は?」
「私専用。あんたにやる分は無い」

 こちらを向きもしない。興味無し。しかし「帰れ」とは言わないのが博麗霊夢の人となりである。天子はこの神社の再建にも手を貸しているので勝手に自分の別荘だと思っており、中にずかずか入り込んでいった。霊夢も霊夢で、他人が自宅に入り込んでいるのにこれ以上注意するのも面倒といった風情であった。

「勝手に何か食べたりしないでよ」
「そんなことしないわよ。ちゃんと確認するわ」
「そもそも人ん家漁るな」

 言ったきり、ばりぼりと煎餅を砕く音が戻ったので、天子はそのまま奥へと進んだ。
 目的地は再建された神社の中心部である。其処には彼女が勝手に要石を埋め込んでいた。
 要石を挿せば地震が起きなくなる。しかし一度抜けば、全ての力が噴出し潰滅的な地震が起きる。
 幻想郷の要所・博麗神社地下にそれを挿しこんだという事は、幻想郷全体に影響を及ぼす力を天子が手にしたということでもあった。
 ほどなく着いたその場所で、天子は暫く一人黙っていた。
 暗い部屋。小春日和の明るさも此処までは届かない。
 ややあって、天子は掌を虚空に翳した。そのまま床へと近づけて行く――。

「何をしているのかしら?」

 響いた声は、霊夢のものではなかった。

「八雲……紫」
「ごきげんよう」

 振り向いた先には、いつの間にか――本当にいつの間にか、物音ひとつ無く八雲紫が姿を現していた。
 長い長い金色の髪をふわりとした帽子の中に収め、八卦の意匠が施された道士服を纏っている。一見仙術修行に励む人間にも見え圧迫感など全く感じさせないのに、何をしでかすか判らない不気味さを秘めたその微笑み。但しその瞳が笑っていない事は、天子にも判った。
 妖怪の賢者。境界のあやかし。神隠しの主犯。八雲紫その人であった。

 来た。
 来てくれた。
 想像通りだった。
 
 伊吹萃香の発言がヒントになった。「幻想郷を大事に思っている」のならば、幻想郷全体に影響を及ぼすような何かがあれば、きっと彼女は動く筈だと天子は考えたのだ。そしてそれは正しかった。天子は我知らず口元に笑みを浮かべていた。

「さて、質問に答えて貰おうかしら? 何を、しているのかしら?」

 我に返る。

「……何って、別に何も」

 天子は自分の声に言い訳がましい響きを感じていた。危機の予兆を演出することで顔を出すか確かめてみたかっただけなのだが、そんな事を言える筈も無い。自分は、八雲紫に特に興味は無い筈なのだ。

「此処は、貴方が埋め込んだ要石がある場所の筈。それを抜けばどうなるかは、貴方が一番よく判っていると思うのだけれど?」
「……そりゃそうよ。だからこそ、私が何かをする筈が無いでしょう」
「では何故此処に?」
「…………」

 上手い言い訳は思いつかない。

「……うっさいなぁ。帰る」
「比那名居天子」

 踵を返しかけて名前を呼ばれ、振り向いた。
 八雲紫から微笑が消えている。真剣に博麗神社を、幻想郷を案ずる者の眼が其処にあった。

「何、よ……」

 天子は気圧され、言葉は尻すぼみに消えた。

「お前が何をしようとお前の勝手。しかし、私の幻想郷に害を為す者は……」
「何もしてないって言ってるでしょ!」

 気圧された事実を蹴散らすように怒鳴ると天子は走った。また煎餅を食べている霊夢の横を通り抜け、空へ飛び立つ。天界へと一直線に、最大速度で突き進む。
 訳が判らない。何なんだ自分は。何をどうしたいんだ。何でこんな事を。何を言いたかったんだ?

 八雲紫を呼んで、それで何をしたかったんだ?

 自問に答えは無く、天子は言い様の無いもやもやした気分を抱えたまま風を切る。
 空は嫌になるほどよく晴れ渡っていた。




 次の日も、比那名居天子は其処にいた。

「また来てしまった……」

 博麗霊夢とは昨日と似たようなやり取り(今日の御茶受けは煎餅ではなく羊羹だったが)をして、また要石の真上に来ている。
 昨日と同じ静寂の中で、昨日と同じように手をかざす。

「其処までです」

 声がした。口元に思わず浮かんだ笑みを抑えて、澄ました顔で振り向き――落胆した。
 其処にいたのは八雲紫ではなかった。獣の耳を象ったような特徴的な帽子。其処からはみ出した眼も眩むような金色の短い髪。白い道士服。何より、その背に見える九本の尾。間違いなく紫が連れていた妖狐だった。確か八雲藍とか言う名前だ。

「何をしているの? 昨日、紫様直々に注意された筈だけど」

 藍の声は最初から硬い。天子はふん、と鼻を鳴らした。

「……じゃあ、昨日アイツに聞かなかったのね。何もしてないって言ったわ!」
「嘘を吐くな。お前のような狡猾な者が、此処に二日連続で通って何も企んでいない方がおかしい。紫様もそうお考えになるに違いないよ」

 カチンと来た。

「何よ。そんなのアイツに聞いてみないとわかんないでしょ!」
「解りますよ。式ですから」

 苛立つ。

「何が式よ! 式だから何でも解るって思ってんじゃないわよ!!」

 此処に来て、藍は訝る表情を見せた。

「お前、何を言っているんだ?」
「何でも無いわよ! 無いったら無い!」

 叫ぶと、――これも昨日と同じように、外へと駆けだした。
 飛び去る天子を見送った霊夢が、流石に今日は首をかしげる。追って出て来た藍を見遣ると、お茶を置いた。

「藍じゃない。何。どうしたの、アイツ?」
「さあ……私にもさっぱりだわ。何か企んでるようだったけれど、随分感情的だったわね」
「ふぅん……? ま、良いわ。神社が壊れないなら」
「では私も失礼」

 別の方向に飛び去る八雲藍を見送り、霊夢はひとりごちた。

「あいつらと来たら、人の神社を何だと思ってるのかしら……」




 天界には戻ったものの自宅に入る気になれずに外で寝転がっていると、見知った顔を見つけた。

「永江の……衣久!」

 空を飛んでいた麗人が振り向く。黒いボーラーハットを被り、天の羽衣を纏った姿は天子が思わず羨ましくなるほどの流麗さ――天女ではないが、天に住まう妖怪・竜宮の使いの永江衣玖である。先日の神社倒壊の件では直接雷撃を見舞われた仲でもあり、顔見知り程度ではあるが若干の交流があった。
 尤もそれだけならいくら暇でも声を掛けるに値しない。天子がアテにしたのは、彼女の豊富そうな人生経験である――自分も生きてる時間だけなら長いが、ほとんどダラダラしてるだけなので酔生夢死も良い所だ。

「はい、何でしょうか? 総領娘様」

 空中を滑るようにして近付いてきた永江衣玖は、前に会った時と変わらない微笑みを浮かべていた。誰からも信頼されるような穏やかな表情。天子にとっては余りに完璧すぎる表情で少々物足りなく感じる。もう少しこう、けれん味というか、胡散臭さがあっても……。

(何を考えてるんだ、私は)

 ふと我に返り自分に突っ込みを入れると、寄って来た衣玖の方に身を乗り出した。

「あなたの人生経験を見込んで、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「光栄ですね。お役にたてるかは分かりませんが、何でしょう?」
「これ他の人には内緒よ?」
「解りました」

 にこにこと頷く衣玖に天子は小さな声で囁きかける。

「最近、何かこう……地上の妖怪の一匹を前にすると妙な気持ちなのよね……」
「恋ですか?」

 詳しい説明に入る前に放たれた言葉に、天子の顔は真っ赤に染まった。

「何でそうなるの! 話聞きなさいよ!!」
「はあ、すみません」
「良い? 先ず私もソイツも女! これ押さえといてね!」
「解りました」
「でね。……そいつは私の事を嫌ってるの」
「はい」
「私も、そいつがマジ過ぎて本当は顔会わせたくないのよ。一々五月蠅い奴だから。
 でも何かこう……居ないと物足りないというか」
「珍しいですね。他人から口出しされるのを最も嫌う総領娘様が」
「でしょう!?」
(否定しないんですね)
「……これって何なの? わかんない……パパに話したら、地上の妖怪とベタベタしてるのかって怒られそうだし……」
「そうですね」

 衣玖はにこりと笑みを深めた。

「負けたからではないですか?」
「は?」

 天子は瞳を瞬かせた。

「負けたって……」
「そのままの意味です。総領娘様は、先の一件で自分が負けたと見せかけた相手には再戦で勝利しています。
 しかし、八雲紫とはその後の勝負の機会が無かったので、もやもやしているのでしょう」
「――」

 言われてみればそうだ。

「でも、あの死神にも……」
「小野塚さんでしたか? 確かに彼女相手にも負け越していますが、そもそも死神に何度も打ち勝って来たからこそ、総領娘様は今此処にいるのでしょう?」

 そう言うと、永江衣玖は――それこそ子供にするように――天子の頭を帽子ごしに軽く撫でた。

「お役に立てたか解りませんが、私も忙しい身ですのでこれにて」

 ぽかんとする天子を残して、衣玖はふよふよと行ってしまった。

「……そっか。そうよね」

 天子は呆けたように呟いた。




「なら、やってやるわ!!」
 
 今、比那名居天子は落下中である。要石の上にどっかりと胡坐を掻き、真下の博麗神社を目掛けて。

「出てこい、八雲紫ぃーっ!!」

 自由落下のスピードが生みだす風圧を吹き散らすように叫んだ。
 博麗神社への着弾まで後数秒である。

(――来た!)

 天子は荒ぶる風の中でも的確に迫りくる敵意を見抜いていた。即座に大型要石から飛び降りる。すると、直径5mの巨大を誇った要石は瞬時にバラバラに切り刻まれ、砂粒になって虚空に舞った。特に刃らしきものは見えなかったにも関わらず。

「えげつないわね、スキマぁ!」

 それを為した者は落下する天子の視界内にいた。太陽を背にし、まとめられている本来は長い金髪が輝いている。手に持った小さな傘は、災厄を防ぐ盾の象徴。指の一振りで要石を消滅させた境界を操る力は神にも等しいと称される。
 妖怪の賢者、八雲紫。彼女は憤怒を隠そうともしていなかった。

「建てたり壊したり忙しい奴ね。貴方は……私の神社でこれ以上何をしようというのかしら」
「私にも考えって奴があるわ」

 不敵に笑みを送る比那名居天子の内心は1つの事に向けられていた。
 見極めてやる。自分の感情を。
 互いの精神をぶつけあう、スペルカード戦で!

「お聞かせ願いたいものね」
「私を倒せたら良いわよ。地べたを這い蹲る下賤な妖怪!」

 両者、博麗神社境内に着地。例によって茶を啜っていた霊夢が露骨に嫌な顔をする。

「ウチは決闘場じゃないんだけど」
「すぐ終わるわよ!!」

 見向きもせずに普段は柄だけの緋想の剣を構え、気質の刃を構成する。

「5枚!!」
「3枚」

 斯くして、比那名居天子の全く勝手な都合により、命名決闘は開始された。




 比那名居天子はまたしても苛立つ。
 この私が5枚なのに、たった3枚ですって?
 馬鹿にして! 本気で来なさいよ! その余裕を後悔させてやる!

「八雲紫ぃぃぃいいい!!」
「煩い奴ね……あなたの遊びに付き合っている暇は本来ならありません」

 “遊び”だって?
 確かに弾幕ごっこは遊びだ。でも私は――私の気持ちは――。
 自答しそうになる気持ちを抑え、カードを取りだす。他の事を考えていてこいつに勝てる筈も無いのは身をもって知っていた。

「……先ずは動きを止める! 地震『避難険路』!」

 宣言と同時に、大量の要石が上空から降り注いだ。次々と境内に着弾し周囲の地面に小規模なクレーターが穿たれてゆく。霊夢が盛大に顔を顰めたが当然無視。勿論隙間――抜け道はありそれを見逃す八雲紫ではないが、そこに誘導する事こそ天子の狙いだ。

「其処ぉ! 剣技『気炎万丈の剣』ッ!! バラバラに引き裂いてあげるわ!」

 緋想の剣で兎に角斬りつけまくる――単純明快な攻撃である。本来ならば隙が大きい技だが、身動きの取れぬ状況で当てれば、例え防御されても相当に霊力を削り取れる筈だ。更に『避難険路』の着弾の衝撃が残る地面は、相手に取っては動きづらいが、天人であり大地を操る事のできる天子にとっては舗装された道のように往く事容易い足場である。素早い踏み込みで滑るように八雲紫の眼前へ向かい、緋想の剣を振りあげる。
 瞬間、頭頂部に衝撃が来た。

(ぼ……墓石?)

 ブレる視界の中、自分の頭に当たって砕け散った物体の破片が見える。紛う事無き墓石である。
 何の前触れもなく空から落ちて来たのだ。否、八雲紫が空間の隙間を繋げて落としたに違いなかった。

「こんの……隙間ぁっ!」

 踏み込みで前にバランスを傾けていた事もあり、天子は前のめりに転んだ。その体が地面に付く前に、踊るようなステップで前に出た八雲紫の脚元の空間が突然裂ける。向こう側がどうなっているのか全く解らない暗闇が奥に広がっていた。
 その裂け目から飛び出たのは奇妙な武器だった。長い金属の柄の先に同じく金属製の円盤を付けたような形をしている。回避する術は天子には無かった。顔面に直撃を喰らい、空中に弾き飛ばされる。

「境符」

 紫のぼそりとした声が死の宣告のように響いた。

「『四重結界』」

 瞬時に展開された結界が天子の体の自由を奪った。声も出せずに空中に磔にされる。同時に霊力が吸い上げられていくのが解った。

「――スペルブレイク、ね」

 八雲紫が呟くと同時に、『避難険路』で呼びよせていた大量の要石が消え去る。『四重結界』もまた消え去り、天子の体はどさりと落下した。

「ぐ、うっ……」
「私は残り2枚。貴方は残り3枚よ。天人のお嬢さん」

 妖怪の賢者の声は、怒りを押し隠し冷徹だった。
 その前で背中を震わせながら天子は立ち上がる。

「流石に頑丈ですわね」

 紫のからかうような言葉には余裕が滲む。

「……比那名居、天子よ」

 その余裕が疑問に変わったのは、天子の様子に異変を認めたからだ。
 いきなり何だ。

「?」
「“天人”じゃなくて“比那名居天子”よ!」

 天子は吼えると、再び緋想の剣を構えながら、新たなスペルカードを取り出した。3枚目。

「要石――『カナメファンネル』!!」

 天子の背後から数多の要石が飛び立ち、弾幕をまき散らしながら周囲を旋回した。

「随分と大ぶりですこと。さっきの攻撃と同じ」
「五月蠅い! 行けぇっ、カナメファンネル!」

 号令に反応して要石の群れは一斉に複雑な軌道を描き、八雲紫に四方八方から弾幕を浴びせ掛けた。。
 しかし八雲紫は動じない。くるりと回避し、傘でいなし、結界を展開して受け止める。

「貴女の攻撃は確かに強力です。しかし――力任せに叩きつけるだけで倒せる相手には限界がある」

 一見防戦一方ではあるが、其処に焦りは一切存在しなかった。冷徹に状況を見極める賢者の視線。対して、天子は言われた通り、全力でスペルをぶつけ続ける。
 それしか無かった。

「黙れ!」
「随分とムキになるのね。もう少し大人かと思ったのだけれど」
「私を……見下ろすんじゃあない!!」

 飛ばし続けていた要石が不意に消えた。スペルブレイクはされていないが、永久的な攻撃を行うスペルではないのだ。無論、その瞬間を逃す八雲紫ではなかった。大技の後には隙が出来る。

「……」

 無言だった。天子が見たのは、ぽっかりと空いた特大の空間の裂け目から巨大な金属質の物質が高速でこちらへ突進してくる様子だった。

「大技というのは、このように賢く使うものですわ」

 その特大の金属塊にひらりと飛び乗りながら紫は言う。

「美しく残酷に、この大地から往ね! 廃線『ぶらり廃駅途中下車の旅』!」

 カナメファンネルの反動で動けなかった天子に、それを避ける術は無い。
 正面から激突され、比那名居天子は盛大に吹き飛び、意識を暗転させた。




 ――その筈だったが。

「お断り……よ!」

 十数メートルは吹き飛ばされ、境内に叩きつけられた比那名居天子はまだ立ち上がった。
 よろよろとした足取りだが、瞳から戦意は失われていない。
 微かに紫の目が瞠られる。

「――こんなガラクタの一つや二つ……この『無念無想の境地』で受け止めてやる!」

 カードを一枚投げ捨てながら、比那名居天子が宣言する。

「まだまだよ……まだまだぁ!」

 互いに残りは一枚。

「本気で怒ってんでしょ!? 本気で来なさいよ!!」

 八雲紫の表情に怪訝なものが混ざった。
 比那名居天子は狡猾だ。幾度も自身の敗北を演じ、幻想郷の人妖を手玉に取って神社に仕掛けを施した。
 また、常に余裕ぶる態度も崩したがらない。
 だというのに、この必死さは何だ?
 訝る紫の前で、天子は更に言葉を続ける。

「……良い事教えてあげるわ」
「?」
「ひとつ試してみようと思っただけよ。要石を引っこ抜いたら、本当に幻想郷が潰れるのかどうか!」

 挑発だ。天子はにやりと笑う。
 紫は一見涼しい顔だったが、内心では怒りが渦を巻いてるに違いないと彼女は踏んでいた。

「お前を倒して、実験してみることにするわ!」

 最後の一枚のカードを取りだす。

「――『全人類の緋想天』」
「ちょ」

 緋想の剣によって集めた気質を無数の弾幕として放つ、比那名居天子最大のスペルである。
 どれだけ境内が荒らされようが、今までずっと無言で傍観してきた霊夢が慌てる。
 それを尻目に、天子は緋想の剣を手放した。剣はそのまま空中に留まると回転を始める。
 同時に、剣と天子の体はゆっくりと上昇を始めた。ある程度の空中で固定され、動かなくなる。
 集められた大量の気質が、天子の肉体を浮遊させているのだ。
 今や集まった気質は凝り、肉眼でも確認できるほどの密度となっていた。
 
「喰らえええええ!!」
「ちょっと社殿に被害出さないでよ!」

 霊夢が慌てて結界を張り巡らせるや否や、天子の眼前から無数の紅い弾幕が発射された。あまりの密度に帯状にも見えるそれが幾筋も放たれ、八雲紫に殺到する。本来この技は人々の気質を最も集めやすい天界で行うものだが、地上でも十二分な威力がある。一発でも当てれば、よろめいた所に続く気質の弾が全て炸裂するのだ。
 しかし八雲紫は慌てずにステップを踏んだ。かわす。かわす。傘でいなす。彼女が空間の裂け目に入ると、攻撃は空を切る。目標を見失った紅い光の帯は周囲の木々や最早粉砕され跡形もない石畳跡地や社殿のほうに向かったが、霊夢の結界に激突し派手な音を立てて霧散した。

「当たれよ! このインチキ妖怪め……!」

 第一波が終わり、天子が肩で息をする。
 その真上から、八雲紫は落ちて来た。

「……学ばない子」

 無傷であった。
 どれほど強力な技であろうと、必ず隙が出来るようにスペルを構成しなくてはならない命名決闘では、単純に何の仕込みも無く放った技が十二分に効果を発揮する事は少ない。

「でも本気で来いと言われたからには、見せてあげましょう」

 見上げるのが精いっぱいの天子の前で、紫はカードを取りだした。

「紫奥義『弾幕結界』」

 比那名居天子は嘆息する。
 展開される弾幕。
 これからわが身を打ち据えるその攻撃の――何と美しい事だろう。
 『全人類の緋想天』では届かない境地。
 『無念無想の境地』で受け止められる限界は越えていた。
 余りに美しく禍々しいその技を前に、思わず天子は手を伸ばしていた。
 しかし。
 その掌を拳に変える。もう一方の拳の中には緋想の剣があった。

「本気の私に限界なんて……あってたまるかぁーっ!!」

 自分の声で自分を叱咤し、弾幕の中心――八雲紫へ突撃する。痛覚を消しさる『無念無想の境地』と天界の仙果とで強化された天人の肉体の頑強は鬼にも迫る。それでも八雲紫の弾幕のダメージは殺しきれない。更に悪い事に、スペルの効果が切れつつあるようで痛みが徐々に戻って来た。だが前に進んだ。脚が痛い。腕が痛い。顔が痛い。喉が痛い。腹が痛い。胸が痛い。痛い。それでも進む。進む。進む。
 気付けば、八雲紫が眼前にいた。
 彼女の怒りを静かに押し殺した瞳を見据える。

 実は、戸惑っているのは比那名居天子も同じだった。
 衣玖の言葉に納得していた。事実だったからだ。唯一勝てなかった相手。復讐を果たしたいという思いは強かった筈だ。
 でも、自分は目的の為なら手段は選ばないタイプだった筈。

『遊びに付き合っている暇はありません』

 そう。遊びだ。
 何故弾幕ごっこなんて遊びにこんなにむきになっているのか。
 違う。
 遊びじゃない。
 弾幕ごっこは遊びだ。でも“これ”は遊びじゃないんだ。

「私は本気なんだ! 私を見ろ! ……私を見てよ!」

 激昂が形となって、口を突いて出た言葉だった。何故か目頭が熱い。

 ――そうだ。
 急に天子は、自分の感情の正体を理解した。




 比那名居一族は、元は仕えていた神官のおまけで天人になったので格が足りていなかった。
 それでも大人達は場に馴染む努力をした。全てを受け入れ面白おかしく暮らす天人らしい気質を得て行った。
 当時成長期真っ盛りだった娘の地子――今の天子を除いて。
 彼女は、丸で地上の者のように刺激を好み、退屈を嫌った。
 時間がゆったり流れ、何事も起きない世界。全く外敵刺激の存在しない楽園。
 生来好奇心が強い天子にとって其処は生ぬるい地獄だったのだ。
 いつしか天子にとって唯一の娯楽は、寿命のツケを払わせに来る死神との戦いだけになっていた。

 少しでも天人達の心を動かして日々に波乱を起こすために、天子は悪事に手を染めた。騙して盗んだ。不良天人と呼ばれるようになった。
 でも、天人達にとってそれは本質的に「どうでもいいこと」だった。最後は笑って許してくれた。
 思わずしてしまった小さな事も、考え抜いてやった大きな事――秘宝である緋想の剣を持ち出した――も、全く同じ反応をされた。
 それはとりもなおさず、比那名居天子という存在が何をしようと一切興味が無いという事に他ならない。

 私は危ない事をしようとしてるんだよ! みんな本気で止めろよ!

 誰も来なかった。だから次は地上へ行った。地上の連中は面白い反応を見せてくれたが、それは“遊び”の延長としての本気の対応だった。

 『いつもの異変と同じ』なんて言葉で片付けないで! 私は本気なんだよ!
 本気で相手をしてよ!

 その中で――たった一人。
 たった一人だけ、好奇心でも義務でもなく、“本気で”止めに来た奴がいた。
 その時比那名居天子の内心に湧き上がった思いは歓喜だった。
 本気だ。八雲紫は本気だ。本気で――本気で怒ってくれている!

 ああ、だからか。
 だから私は、こいつから――また本気で、相手にして欲しかったんだ。




「わああああああああ!!!!」

 絶叫を上げながら天子が斬りかかる。空中に、微かに毀れた涙の跡が線のように伝う。

「!」

 力尽きると思っていた相手の、予想外に力強い斬撃。驚いたような顔をしていた紫は受け止めるべく結界を展開する。
 しかしその必要は無かった。
 その一撃の途中で精根尽き果てたのか緋想の剣は刃を失い、天子は意識を失ったまま紫の懐に突っ込んできたのだ。
 閉じた瞳の端に涙が滲んでいる。
 天子の軽い体を受け止め、紫は嘆息した。

「……やれやれねぇ」




 目が覚めた。

「う、あ……」

 自分が倒れていた事が解った。意識を失っていたようだ。
 ぼんやりとした視界が鮮明になっていくと、八雲紫の顔が眼前にあった。

「うあっ……っ痛ぅっ!?」

 飛び退こうにも全身の痛みで腕一つ上げられない。その様子を見て八雲紫は意地悪くくすくす笑う。
 ぎちぎち言う体を落ち着かせた所で違和感に気付いた。手にも腰にも重さが無い。

「……!? 緋想の剣ッ!!」

 無い。

「これは貴女には過ぎた代物。預かっておきます」
「あーッ!!」

 紫が天子の眼前に、柄だけになった緋想の剣を差しだす。

「私の剣!! っつつ……」
「叫ぶと全身に痛みが来るわよ。
 それにしても何が“私の”だか。これは天界の秘宝。貴女の物ではありません。
 “本気”などという言葉は、道具に頼らないようになってから使いなさい」

 ぐぬ、と唸って――ふと、天子は気付いた。
 何か可笑しい。この体勢。寝ているだけにしては頭の後ろが柔らかい。そして八雲紫が近すぎる。
 あれ?
 漸くはっきり覚醒した意識が、現状を把握させた。

「八雲紫に膝枕されている」

 天子の顔が赤く染まる。

「わ、私だってねぇ、今も要石で幻想郷ぺしゃんこにしてやろうとしてたってのよ!
 どうよ! 怒らないの?」

 照れ隠しに出した怒声に、紫の表情は苦笑いに変わった。

「怒ってたわよ。でも……あんな泣きそうな顔で挑発されてもねぇ。
 取って付けたような言い方。本気じゃないのは解ったわ」

 ただでさえ紅い顔に、更に血が昇ってくるのが解る。顔から火を噴きそうだった。如何にも悪そうに言えたつもりだったのだが。

「本気……だったもん」
「解りました」

 ふぇ、と天子が言う間に、紫の扇が額に直撃した。遠慮なしの速度であった。

「いったぁ!?」
「これはお仕置きです」

 にまりと笑う八雲紫。涙目になる天子の前で、その表情が突然、鋭さを増した。

「比那名居天子。器用に見えて不器用、狡猾に見えて愚かな天人。
 上から目線で物事を自分の都合の良いようにだけ捉え、操ろうとする。
 貴女が同じような事を行うのなら、私は何度でも相手になるわ」

 その口調に、思わず天子は息を呑んだ。
 対して、紫の表情は元に戻る。

「ただし、それだけが幻想郷でのアプローチではないと言っておきます」

 額に触れた紫の掌の冷たさを心地よく感じる。
 天子は――

「……解ってるわよ」

 その“本気”の助言に抑えきれない笑みを浮かべた。
 紫の背後に広がる空の青さが、なんだかとても気持ちよかった。




 その光景を、やや離れた木陰から見つめる姿があった。

「あれが、あんたのお望みの光景?」

 その人物の背に声が掛けられた。酔っ払ったような幼い声だ。
 声の主は、伊吹萃香であった。

「全部、お前さんの考えだったんだろ? 永江衣玖」

 問われた衣玖は振り向き、超然とした微笑みを浮かべる。

「見つかってしまいましたね」
「天子(あいつ)は兎も角、私や紫が気付かないとでも?
 何が望みだったのか聞かせて貰うわ」

 問い詰めるよりも、酒の肴に聞かせてみろよとでも言いたげな軽い口調。
 衣玖は大仰に額に手を当てると、笑みつつも困った顔を作る。

「天界がどのような場所かご存じですよね」
「平和で明るくって退屈な世界だね」
「その通りです。平和……平穏。乱を好む者がそもそも存在しない上に、外敵も訪れぬ停滞の世界です。
 それを苦と思わぬ者達だけが天人となれる」
「そうだねぇ。私はなれそうにないね。よくもまぁ、発狂しないもんだ!」

 揶揄めいた言葉で笑う萃香に対しても、衣玖の表情は崩れなかった。

「天界は閉じた世界です。でも其処に問題は無かった。
 自分では何もせず、たまたま天人になった不良天人以外には」

 その衣玖の顔が憂いを帯びる。

「彼女のような気質の人間が、天界でどうなるか解りますか」

 問いに、萃香の瞳が微かに細められた。

「ああ……不楽本座(今が楽しくなくなる)、か」
「そうです。
 天人は何事も気にしません。幾ら総領娘様が声を大にして喚いても、秘宝を持ち出して悪さをしても、全て許した。笑って許したのです。全て等しく取るに足らない事、と。どれだけ彼女が悪意を持っていても。どれだけ切実な思いだったとしても同様に、です。元々が自分の徳によって天人になったわけではないあの子の事は、天界において歯牙にも掛けられなかった。
 あの子は、たった一つ、死神との戦いだけを楽しみに生きて来ました。そう、他に楽しみなど無かったのです」

 天人五衰、というものがある。寿命に束縛されぬ天人が死する前に現れる五つの兆候のことだ。
 その一つが、不落本座――今其処にある事を楽しむ事ができなくなることである。

「貴女が天界に陣取るまでの間、あの子は酷い有様でした。誰にも理解されぬまま、いつ死んでも可笑しくはなかった。
 あの子は覚えていませんが、私はあの子の姿を見ていました。……いえ、見えてなどいなかったのでしょうね。
 私が、あの子の真の意図を――自分を本気で受け止めて欲しいという思いを察したのは、お恥ずかしながら、あの一件の後でしたから」
「なら、その時点でお前が構ってやればよかったんじゃない」
「御冗談を。私は天人気質ですよ。“笑って許す”ことしかできない。
 私では彼女に、本気で相対することはできないのです」

 萃香はふむ、と頷いた。

「それで、紫にもう一度向かわせたんだな。確かにあいつは本気だね」
「ええ。私はこの前の一件に関わった方とは概ね会っていますが……本気で叱ってくれそうなのはあの方だけでしたので」
「随分と……まどろっこしい上に自分勝手で、お節介な奴だねぇ、あんたは」

 苦笑を零す。衣玖の表情は元の穏やかな笑みに戻っていた。

「お節介は私の台詞ですよ、小鬼さん。
 あの子が自分の感情に気付いたのは思ったより早かった。
 “萃め”ましたね?」
「ちょっとだけ気付く易くしてやっただけだよ」
「それに、彼女との接触方法を教えた」
「事実を言っただけ」

 萃香は瓢箪を呷ると、酒臭い息を吐いた。
 その萃香に、衣玖はふかぶかと礼をする。

「ありがとうございました。これで枕を高くして眠れます。
 本当に、人の心というのは面倒です。特に、天に住まわぬ者の心は」
「喧嘩売ってるのかい?」
「めっそうも無い。では、失礼」

 衣玖は素早く身を翻し、萃香の前から空へと去って行った。
 見送ってから、未だに寝ている天子へと目を向ける。

「全く、どいつもこいつも不器用な奴ばっかりだ。
 お前だって十分本気だろうにさ」

 萃香の苦笑交じりの言葉にも衣玖は振り向かず空に消えた。
 役目を終えた役者は空気を読んで退場するものだ、と言わんばかりに。
 萃香は肩を竦め、紫が天子を膝枕している光景に視線を戻した。

「やれやれ、これで一応の一件落着か……おや」




「でもね、八雲紫。スペルカードでは、そのうち絶対あんたに勝つから」
「あら、2連敗中ですわ。自分を変えなければ私には勝てません」
「あんたに『ぎゃふん』って言わせるためだったら、幾らでも自分なんて変えてやるわよ!」

 幼稚な敵愾心から発された声に、しかし紫は笑う。

「それにはまず、己を知る事ね――楽しみにしているわ」
「盛り上がってる所失礼するわよ」

 突如響いた第三の声。天子と紫が振り向くと、腕組みしてにこにこ笑った霊夢が其処に居た。
 いや。笑っていない。目が笑っていない。

「取り敢えず……この境内の落とし前を付けて欲しいんだけど?」
「霊夢、落ち着きなさい」
「あ、いや、それは萃香に頼めば……」
「三度にわたり自分の家を破壊された私の感情の落とし前もよ!!」

 刹那、「大入」と大書きされた適当なお札が周囲に展開された。
 霊夢が神気を帯び、艶やかな黒髪がふわりと逆立つ。天子はごくりと唾を飲んだ。

「拙いわね。霊夢の奴、本気よ」
「本気、って」
「解ってるでしょう。貴女と戦った時には使っていなかったスペルがあったということよ」

 『夢想天生』。疲れるからそう滅多に使わないが、アレをやられたら紫も危ない。

「――」
「此処は三十六計逃げるに如かずね」

 あいつもやっぱり本気じゃなかったのか、とショックを受ける天子は紫に突然抱きあげられた。関節がきしみを上げ全身に痛みが走る。同時に、自分が所謂お姫様だっこされてる事に気付き、また顔が赤くなった。

「うぎぎぎ」
「それでは霊夢、ごめんあそばせ」

 ふわりと浮かぶと逃走を開始する紫。

「待てぇーっ!!」

 霊夢が追い掛けてくる。

「ちょ、あいつ来るわよ」
「ふふ、たまには追いかけられるのも――楽しいものですわ」

 その時天子は初めて、邪気も含意も一切無い純粋な紫の微笑みを見た。
 とくん、と心臓が強く脈打った。

 ?
 ??
 
 何だろう、この感情。こんなのは知らない。先ほどまでとも丸で違う感覚だ。

「どうかしたの?」
「――っな、なんでもないっ」

 裏返った声が出た。
 何故自分がこれほど慌てているのか解らず、天子は只管に混乱した。

(折角、一つの切実な疑問が解決したっていうのに、今度は一体何だっていうの!?)

 正体不明の気持ちに不安でいることを隠そうと、ぎゃいぎゃい喚き始める比那名居天子。
 彼女が己を知る時は、まだまだ遠いようである。




(『袖引き』 了)
 こんにちは、熊の人です。お読み頂きありがとうございます。
 緋想天を最初にプレイした時、ブチキレる紫や結局やりたい放題を完遂した天子に凄く驚いたことを覚えています。中でも天子は、我がままで子供っぽい所と狡猾な策士の面が不意に入れ替わる所がとても魅力的でした。
 また、本編中ではあれだけ好き勝手やっておきながら、サウンドトラックのジャケットでは自分のアイデンティティとも言える緋想の剣をよりによって紫に渡していたり(しかも剣を持っていない天子は桃を齧って笑顔です)、非想天則の勝ち台詞では非常にフランクな一面をさらけ出していたりと、「あの後」がとても気になるキャラクターでもありました。
 彼女のテーマ曲「有頂天変~Wonderful World」は、「有頂天」に住まう天子の内心に起こった「変化」、地上の幻想郷という「Wonderful World」への憧れを現しているようにも思えます。公式のテキストにもありましたが、彼女の幻想郷への思いはかなり強いものだったのでしょう。
 そうした事を鑑みて、緋想天とサウンドトラックのジャケットの間を自分なりに埋めたくなり、自分としてはかなり短期間で書き上げるに至りました。
 衝動的な作品ですが、少しでも楽しんで頂けたら、望外の喜びです。
 それでは、お付き合い頂きありがとうございました!
熊の人
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コメント



0.1140簡易評価
7.90コチドリ削除
これは良い紫様、それに可愛らしい天子ですねぇ。
基本的にはお子様の天子と、彼女をとりまく粋で優しい大人達の対比が
とても良い味を出していたと感じました。勿論相変わらずな霊夢もですね。

ただ、本当に紫様と目引き袖引きの関係になりたいのなら、
並大抵の苦労じゃ追いつかないでしょうねぇ。がんばれ、天子ちゃん!
15.100名前が無い程度の能力削除
自分も緋での紫マジ切れには驚かされました、と同時に天子に対し呆れと驚嘆を覚えたのも記憶に新しい。
EDまで全て見て、この二人は良い関係を築けそうだと感じたのもあって、ゆかてんは大好きな組み合わせです。
機会があればまた氏のゆかてんを読んでみたいですね。
16.100名前が無い程度の能力削除
キャラの心情がまっすぐな話は見ていて気持ちが良いです。

ゆかてんもっと流行れ
18.100名前が無い程度の能力削除
本気の紫様はかっこいいですね!

これで初投稿とは、今後に期待せざるをえない
20.90喉飴削除
これは良いゆかてん。
天子の心情だけでなく、衣玖さんや萃香の気遣い、紫の幻想郷に対する想いなどがひしひしと伝わってきました。
読み易く、さらに分かり易い文章で、最初から最後まで楽しませていただきました。
とても面白かったです。
今後にも期待させてもらいます。