Coolier - 新生・東方創想話

月の綺麗な夜

2010/04/22 02:05:24
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 月が綺麗な夜だった。
:::
 鈴仙とけんかした日の夜、てゐは竹林で茶毛の野ウサギを見つけた。この辺りでは見かけない顔で、右の後ろ足に朽ちた竹のささくれが深く刺さっていた。
 笹の葉が月光を隠し影を落とす中、そのウサギが居た所だけは、スポットライトのように青白い光が斜めに差し込んでいた。
 てゐはそのウサギを抱え、全速力で永遠亭へとかけ戻った。居間には、鈴仙が一人姿勢よく正座をし、てゐの帰りを待っていた。机の上の夕食は片付けられ、それでも湯飲み茶碗に半分だけ残された杏仁豆腐は、先ほどの野ウサギのようにぽつんと残されていた。
 てゐは障子をスパァンと開け放ち、鈴仙はゆっくりとそちらを振り向いた。
「私の杏仁豆腐食べた事許してあげる」と、てゐは言い放った。「その代わり、一つだけ条件がある」
 鈴仙は、頬を火照らせ息を荒げるてゐを見据え小さく頷き、その後、腕に大事そうに抱えられた野ウサギを見つめ、チョン、と首を傾げた。
 そのまま数秒、
 鈴仙は、不意に顔の横で指を2本、ピースするように立てた。
「私もある。条件。二つ」
 そう言って、人差し指だけを、ぴんと一本立て直す。
「一つ、私もちゃんと言わなかった事『ごめんなさい』するから、てゐも『ごめんなさい』すること」
 鈴仙は中指を立て、指を二本にする。
「二つ、てゐの分は杏仁豆腐は、てゐ自身が3時のおやつに食べたって、認めること」
 う、と一歩身を引くてゐに、鈴仙は早々に頭を30度ほど下げて、ごめんなさい、と口にした。そして、机の上の、杏仁豆腐をてゐに差出し、一言、
「おかえり」
 と呟いた。
ずりぃ、とてゐは思った。思って、差し出された杏仁豆腐を受け取った。真っ直ぐにこちらを見つめる鈴仙から視線をそらして、ポツリと
「ごめんなさい」
 誰にも聞こえないように、鈴仙には聞こえるように、そう、漏らした。

 先行けお前行けのチキンレースの末に起こされた永琳はひどく不機嫌で、それでもてゐの腕に抱えられたウサギを見つめて、細い細いため息を吐き出した。
 処置はあっけないほど早く終わった。血管を傷つけないようささくれを抜き、傷口の消毒、縫合、細菌感染防止のための抗生物質を極少量、注射器で投与した。
 隣で見ていたてゐには、無造作にささくれを引きずり出し、スパイスを振るみたく消毒液をふりかけ、欠伸交じりに針を動かし、適当に注射器をぶっさして、なにやら得体の知れない透明な汁をウサギの体内に注入しているようにしか見えなかった。
 大丈夫かよおいと言うふうに鈴仙を見上げるのだが、鈴仙そんなてゐに気付いているのかいないのか、ぱちぱちと瞬きした後、瞬きと同じ回数だけ、首を縦に振るだけだった。
 もう大丈夫よ、永琳はゴム手袋を脱ぎ、ハザードマークが描かれたゴミ箱へと投げ入れた。
「てゐ、今度私がお薬作るときは、勿論協力してくれるわよね?」
 永琳はそういい残し、てゐの返事も聞かず、肩をポキポキ鳴らしながら部屋を出て行った。
 閉じた扉を見ながら、てゐは鈴仙の袖を引っ張った。こちらを振り向いた鈴仙に、てゐは満面の笑顔と、ぐっと立てた親指を見せ、
「だって、鈴仙」
 さすがに、この時ばかりは鈴仙も、首を縦に振らなかった。
処置台の上で、ウサギは安らかな寝息を立てていた。
 
 日の下のウサギは、よく見ればだいぶ年老いたウサギだった。毛並みは荒く、背中をなでるとごつごつとした骨の感触を手に感じた。
「大分おばあちゃんだな、こいつ」まぁ私ほどじゃないけど、てゐはそう続け言った。縁側に後ろ手をついて座り、ぼんやりと日の光を浴びていた。隣にはすり鉢でゴリゴリ薬草をすりつぶしている鈴仙がいて、てゐの言葉に心ここにあらずといった感じで頷いた。
 と、不意に手を止め、「おばあちゃん?」と小さく呟いた。すりこぎを置き、てゐのひざの上で気持ちよさそうに目を細めているウサギを抱きかかえ、高い高いをするように持ち上げた。
 鈴仙? とてゐは声を上げたが、それに答える事無く、ただひたすら、開けっ広げになったウサギの腹を見つめている。
「てゐ」と鈴仙は言う。「おじいちゃん」
「おじいちゃん?」
 てゐは四つんばいで鈴仙の後ろまで這い進み、肩越しに、鈴仙が見つめる先に目を凝らす。
あー、とてゐは声を絞り出し、直後「いや」と否定する。
「おばあちゃんで通じるレベルだろ、これ。昔どんだけプレイボーイだったんだよ、こいつ」
 鈴仙は、んっ、と、否定とも肯定ともつかない声をうならせた。

 家に住むウサギが一匹増えた事に輝夜が気付いたのは、そのウサギが歩きまわれるくらいに回復した頃だった。
「あら、どうしたのそのウサギ?」
 てゐは白菜の芯をウサギに食べさせながら、
「月から落ちてきました」
「また?」
「また」
 輝夜はてゐの横にしゃがみこみ、ウサギへと手を伸ばした。白菜を齧っていたウサギは、目の前に伸びてきた白く長い手を見つめ、鼻を近づけ、再び白菜へと興味を戻した。
「礼儀がなってないわね。姫が手を差し出しているのに、忠誠の口付けもなしとは」
「そりゃ、一日中引きこもって飯時だけ居間に出てくるような人が姫だなんて、誰も思いませんよ」
「あれ? てゐ、もしかしてあなた私の事嫌い?」
「あはは」
「ねぇ。ここ笑うとこ? ねぇ?」
 輝夜はてゐを横目で見つめながら、耐え切れなかったように、ふっと笑みを漏らした。てゐもそれを見て、更に笑みを深めた。
「この子、名前はなんていうの?」
「名前?」
 てゐは、腕を組み、もう一度「名前……」と呟いた。今まで脚の怪我にばかり気を取られ、名前なんて気にも留めなかった。
 輝夜はそんなてゐを微笑ましく見据えながら、一心に白菜を齧り続けるうさぎの背中をなで、
 すっと、目を細める。
 その目は、安らかに眠るウサギの姿と、どこか面影が似ていた。
「いや、名前は付けないほうがいいかもしれないわね」
 隣でうんうん頭を捻らせるてゐをしり目に、輝夜は立ち上がる。「姫様?」てゐは、後ろに手を組んで縁側に上る輝夜に、言葉を投げかける。
肩越しにてゐと、その足元で変わらず食み続けるウサギを見つめ、
「それじゃ、私は部屋にいるから、夕飯になったらまた呼びに来てね」
 どうせ16ビットの世界に閉じこもるつもりだろう、てゐは膝に頬杖ついて、遠ざかる輝夜の姿を見つめていた。

 数日のうちに、ウサギは飛び跳ねる位までその身を軽くしていた。最近ではてゐが夕食の残りを与えなくとも、自分で永遠亭の庭を駆け回り、自生しているヨモギや菜の花を食むようになっていた。
 それと共に、しばしば、夜に永遠亭から姿を消すという事もおきてきた。
 最初は、てゐも慌てた。竹林に住む狐や狸にやられたのか、もしくは永琳に被験体Cとして連れ去れたのかと思ったからだ。
 命をかけ永琳の研究室に乗り込み、そこにいないと分かると、にわかな安堵と共に竹林を駆け回った。
 ウサギが居たのは、初めて会ったその場所だった。月光が照らす、深緑の舞台。
 そこでウサギは、なにをする訳でもなく、ただ月の光を浴びていた。「ほら帰るぞ」と、手を伸ばすてゐにも抵抗する事無く、ひたすらに、日の光を反射した岩を見上げていた。
 てゐも空を見上げる。折り重なる笹の葉から見えたその月は、手を伸ばせば届きそうなほど、近づいているように思えた。

 てゐはそのウサギに『夜月』と名づけた。夜月と書いて、『よつき』と読む。単純に『月』の方がいい気がしたが、それではあまり安直過ぎるような気がしたのだ。永琳は「別いいんじゃない」と心底どうでもよさそうに答え、鈴仙は相変わらず無言で頷いた。輝夜は部屋で一人、3原色で形作られた魔王と戦っていた。
 てゐは和紙に墨で『命名 夜月』としたため、居間の壁へと張り出した。自分でも誇れるほど、中々の出来前だった。

 虚しくも英雄となった輝夜が部屋から這い出て、居間の張り紙を見つけ、夜と月の間に『神』を、月の隣に『ライト』を付け足したのはその次の日だった。

「てゐは、あの子のこと好き?」
 と鈴仙が訊ねてきたのは、ある晴れた日のことだった。その時は庭で二人、洗濯物を干していた。
「あの子?」
「よッちゃん」
 鈴仙はよほど呼びにくいのか、ヨツキの『よ』から下を省略してよっちゃんと呼ぶ。ヨツキはその時庭の片隅で、ひらひら泳ぐモンシロチョウを追いかけていた。
「まぁ、ね」とてゐはいう。輝夜の着物をパンパンとはたいて水気を切る。いっそこのまま破り捨ててしまおうか、と半ば本気で考える。
「なんかさ、ほっとけないんだよね」
 鈴仙はてゐからきものを受け取り、さお竹に通す。長く伸びた竹には、既に幾つ物洗濯物がぶら下がっている。
「ヨツキはこのあたりのウサギじゃないんだよね。どっかから紛れてきて、帰れなくなっちゃったんだよ。きっと右も左も分からなくてどうしようも無くなった時に、あの場所を見つけたんだと思う」
 あの場所? 鈴仙は着物をさお竹の中央にまで引き寄せ、隣の洗濯物と並ばせる。着物が通った後は、うっすらと湿って、洗剤の香りがした。
「竹林の奥にあるんだよ。すっげぇ月が綺麗なとこ。こう、笹の葉で薄暗いんだけど、なんかそこだけ月の光が差し込んでるんだ。そうだ、今度鈴仙も連れてってやるよ。嘘みたいに月が近いんだから」
 興奮気味に話すてゐに、鈴仙は柔らかな笑みで返す。その中に、ほんの少しだけ、切なげな色が混じっている事に、てゐは気付かなかった。
「今でもたまに、あの場所に行くんだ。あ、私じゃなくて、ヨツキがな。ここからでも月は見えるはずなのに、アソコだと、何かが違うんだよ。手が届きそうていうか、脚が着きそうていうか。やっぱうさぎとして生まれたらには、一度くらい月で跳ねてみたいもんな。きっとヨツキも、同じ事考えてるよ」
 そうかな? と鈴仙は訊ねた。そうだよ、絶対そう、そう言っててゐは再び水気を飛ばした洗濯物を鈴仙に差し出した。大体鈴仙は月から来たんだからこの気持ちは分からんよなぁ、籠の中に手を突っ込みながら、そう一息に言い切って
 てゐは気付く。ふと、息を詰まらして、恐る恐る鈴仙に顔を向ける。
 変わらない、柔らかな微笑の中、鈴仙は四葉のクローバーを摘み取るように、こう言った。
「そんなにいい所でもないけどね」
 鈴仙はてゐの頭をなで、洗濯物が山盛りになった籠に手を伸ばす。てゐは、あ、と胸のうちから飛び出たように呟いて、口をつむぐ。ごめん、と頭の内側に浮かんだ言葉が、体中をめぐって口を素通りし、また元の位置へとかえっていく。
 鈴仙の手は、洗濯物で湿って、冷たかった。

 ヨツキはすっかり元気になった。永遠亭にすむ他の兎とも交流を深めたようで、時には追いかけっこのように他の兎の後をつける事もあった。もしかしたら昔のプレイボーイ時代を思い出してケツを追い回しているだけなのかも知れないが、そう言う事は考えないようにしていた。

 それでもヨツキは、夜の度に永遠亭を抜け出し、あの場所へと脚を伸ばしていた。時折てゐも共に行き、そこから見える月を気がすむまで見つめていた。地上の兎が恋焦がれ、鈴仙が逃げ出してきたという、その月を。鈴仙が昔の事について話す事はない。思い出したくないのかもしれないし、取るに足らない事なのかもしれない。てゐ自身、月とはどんな場所なのか興味があったが、それは訊かない事にしていた。いつか、鈴仙が自分から話し出す、その日まで。

 そういう風に過ぎ去った、ある夜の事だった。

 昼は晴れていた。夕方ごろには次第に嫌な雲行きになっていき、夕食を食べ終わる頃にはひどい雨になっていた。屋根を打つ水滴の音が、館中に響き渡っていた。わずかに開いた障子の隙間から風が入り込み、新しく張りなおされた『夜月』の和紙を揺らしていた。
 てゐは夜を切る雨の中、庭に放たれていた兎を家の中へと引き入れた。兎の世話は、てゐの仕事なのだ。雨水が滴り落ちる中、てゐは兎の数を数え、そしてヨツキがいないことに気がついた。
 気付いたときには、駆け出していた。
 雪駄も履かず縁側から飛び出し、降りしきる雨の中、一直線にあの場所へと向かった。「てゐ」と後ろから声が響いた。鈴仙のかも知れないし、永琳の物かもしれない。たぶん輝夜ではない気がした。そんなの、てゐに取ってはどうでもいいことだった。

 ヨツキは変わらず、そこにいた。初めて出会った時のようにうずくまり、夜の雨に身をぬらしていた。てゐはすぐさま抱え、永遠亭へ戻るため踵を返した。出会ったときと同じなら、やることだって決まっていた。大丈夫、とてゐは言い聞かす。うちには、どんな薬も作ってしまうとんでもない人がいるのだ。例えヨツキの身が冷たくとも、何にも心配は要らない。大丈夫、大丈夫。てゐは何度も、そう、自分に言い聞かした。
 ちらりと見た空に、月の姿は見えなかった。

 皮肉な事に、永遠亭につく頃には、その雨脚は大分衰えていた。きっと通り雨だったのだろう。足早に流れる雲の切れ間から、時折小さく耀く星が見て取れた。
 永琳は何も言わずにてゐの腕の中でうずくまるヨツキを受け取った。永琳の部屋、あの夜と同じように処置台に横たわるヨツキは、本当にあの日と何一つ変わっていないように思えた。むしろ、ささくれが刺さってない分、こちらの方が健康的だ。後ろでは、鈴仙が手ぬぐいを持って、濡れたてゐの髪を拭いていた。大丈夫、てゐは何度も言い聞かせた言葉を、現実のものとして呟いた。
 だから、
「てゐ、無理よ」
 という永琳の言葉が、一体なにを意味しているのか、てゐには分からなかった。
 鈴仙が手を止め、永琳の後ろ姿を見つめた。いつの間にか部屋の隅にいた輝夜が、端整で無機質で無表情な顔を、その光景に向けていた
「助ける事はできないわ」
 どうして、とてゐは言った。1歩、2歩、とふらつきながら、処置台に近づいて横たわるヨツキを見下ろした。雨に濡れ儚げな姿だったが、それでも確かに、胸は小さく動いていた。
 生きていた。
「なんで、どうして。だってお師匠様は、何でも治せるんでしょう? どんな病気も治せる薬を作れて、それにヨツキはまだ生きていて――」
 寿命なの、永琳は冷たく言い放った。
「元々、大分年老いていたでしょ。確かに引き金はこの雨だけど、原因は老衰だわ。もうこの子を助ける事は出来ない。例え、私でも」
 てゐは言葉を失い、胸で浅く息をするヨツキを見つめる。頭に、ぽんと温かな感触が生まれた。きっと、鈴仙だ。それでもてゐは振り向かず、雨で濡れたこぶしを握り締めた。
 一つだけ、
 と永琳は言った。
 まるで搾り出すようだと、心の一部をそげ落としたようだと
 後で、てゐはそう思った。
「方法がある」
 てゐは永琳を見上げる。横顔に長い銀の髪にたれ、どんな瞳をしているのかは見えなかった。ただ、淡々と事実を述べるリアルな唇だけが、眼に入った。
「蓬莱の薬を使えば、この子も生きる事が出来る。勿論、永遠に。てゐ、あなたが決めなさい。今すぐ死なすか、永遠に生かすか。私は、あなたの判断どおりに動くわ」
 口をぐっと噤んだその間、てゐの頭に浮かぶものは何も無かった。時間の外側へ弾き飛ばされたように、てゐのいるその世界は、ひどく静かなものとなっていた。その中で、自分の心臓の鼓動だけが、絶えず胸を打っていた。ドクン、ドクンとてゐを急かすように、体中の血が走り回っていた。
 お願いします――
 そう言ったつもりだった。
 その言葉は、頬に生まれた痛みに飛ばされて、胸の奥へと引っ込んでしまった。
 先ほどまで頭に感じていた温かな感触が、消えていた。
 てゐは頬を押さえながら、横向いた顔を、正面へと向ける。
 見慣れた顔があった。いつも、てゐの我侭に文句言わず付き合ってくれる、大好きな顔だ。真っ赤な瞳はてゐの視線とぶつかり、振り上げた手を所在無さげに、体の隣へ下ろした。
「てゐ」鈴仙は、静かに息を吐き出す。「今、なにを言おうとした?」

 ヨツキの胸は、平らに止まっていた。雨さえもいつしかやみ、部屋にいる誰もが、てゐを見据えていた。

 脚が勝手に動いた。目の前に立つ鈴仙を押しのけ、薬の置かれたテーブルを倒し、てゐは部屋を飛び出した。後ろから、名前を呼ばれることは無かった。
 見上げた空には、ぞっとするほど耀く満月が浮かんでいた。

 行くところなんて、決まっていた。
 今なら月に手が届くような、気がした。

「そんな訳、無いんだけどね」
 背中に吸い付く雨露が、やけに心地よかった。てゐは枯れ落ちた笹の葉をベッドに寝転がり、上に伸ばした手を握り締める。拳となった手をのけると、そこには変わらず耀き続ける月が見えた。
 何してるんだろう。
 どこかで虫が鳴いていた。雨上がりの空気はシンと澄んでいて、その声はどこまでも響いているように思えた。
「何しようとしたんだろう、私」
「ホントにね」
 ぅわ、と鳴き声ともつかない声を上げ、てゐは跳ね起きる。丁度の足元、起き上がったてゐと真正面に向き合う形で、暗闇でも耀く紅い双眸が浮かんでいた。
「……鈴仙」
 どうしてここに? てゐは訊ねる。と、共に、その手に抱きかかえられたものの存在に気付く。
「よッちゃんが、教えてくれた」鈴仙は、瞼を閉じるヨツキの背をなでる。「波長、死んでからもしばらくは漂ってるから。場合によっては、何百年とかも」
 霊魂、という事だろうか。
「今も、まだ漂ってるの?」とてゐは訊ねた。鈴仙は、ちょんと首を傾げ、
「さぁ」
 と悪戯っぽく答えた。
 そして、
「お墓」
「え?」
「よッちゃんの、お墓。ここに作ってあげよう」
 よくよく見れば、鈴仙の手には小さなスコップが二つ握られており、そのうちのひとつを、てゐに差し出した。
 
雨がしみこんだ土は柔らかく、ヨツキが入るくらいの穴はあっけないほどすんなり掘る事が出来た。てゐはその中にヨツキを寝かせ、そっと残土を被せた。
 鈴仙が近くにあった少し歪な石を乗せ、ポケットから線香とマッチを取り出した。まったく準備のいい事で、てゐは胸のうちで呟く。
 線香の煙が、空へと昇る。てゐと鈴仙は泥だらけの手を合わせ、物言わぬ石に祈りを手向けた。
「ホントだ」という鈴仙は言った。隣で瞼を閉じていたてゐは、瞳を開け、顔を向ける。
「月、綺麗」
 空を見上げる。ヨツキが好み、てゐが見つめ、鈴仙が昔すんでいた岩の塊が、静かに見下ろしていた。
「私、昔あそこにいた」
 うん、とてゐは頷く。「知ってる」
「でも、ここに逃げてきた」
「それも、知ってる」
「どうしてか、分かる?」
「鈴仙は弱虫で、怖がりだから」
 憎まれ口は、いつもと同じように口から飛び出た。鈴仙はクスクスと、笑って
「正解」
 続けて、
「何が怖かったかは、分かる?」
 鈴仙が昔、月の兵隊だったという事は、永琳から聞いていた。
「死ぬの、とか」
 鈴仙、人差し指を唇にあて、んー、と喉をうならせた。
「半分、正解」
「半分?」
 そう、と鈴仙はお尻が汚れるのも構わず、脚を投げ出して地面に座り込んだ。後ろに手をついて、首をもたげ、楽な姿勢で変わらない月を見つめた。
「死ぬのが怖い、てのもあったけど、それ以上に、誰かを殺す、てのが怖かった。だって誰かを殺したら、それを一生引きずって生きなきゃいけないから、絶対忘れる事なんて出来ないから。死ぬ前の顔とか、断末魔の叫びとか、そういうのは頭にこびりついて、離れない。それが嫌だから、ここに逃げてきたの」
 あぁ、とてゐは思った。何でさっき、鈴仙は自分を叩いたのか、分かったような気がした。
 生きるって事は、苦しむ事だ。それを、ヨツキに背負わせようとした。それも、永遠に。ならその背負わせた本人は? ヨツキと一緒にその苦しみを分かち合うことは出来るのか?
 いや、違う。背負う事は出来るはずだ、ヨツキにそれを背負わせたように。
 肝心なのは、背負おうとする覚悟はあるか、ということだ。
 てゐは自嘲気味に笑い、首を振る。さっき自分は何を考えていた? 何も考えてなかったじゃないか。ただその時の感情で、不意に浮かんだ言葉で、ヨツキに何もかもを背負わそうとした。
 叩かれて、当然だ。
 むしろ、ありがとう、というべきだろう。
 ふと、ぶたれた頬に、熱がともる。同時に柔和な感触が、そこに生まれる。
「ごめんね、叩いて」
 前髪が触れ合うほど近くに、鈴仙の端整な顔があった。そこから伸びる手はてゐの頬を、愛おしそうに愛撫していた。
 鈴仙の顔は横から差し込むつきの光に当てられ、反対側は闇に沈んでおり、その中で真っ赤な眼だけは変わらず耀いていた。
「まだ痛い?」
 てゐはぶんぶん、大きく首を振る。その調子に鈴仙の手が頬から外れ、微かに残った残滓だけが、てゐの頬にまとわりついた。
「全然」手の感触を名残惜しみながら、それでもてゐは負けん気のままに、言い放つ。「鈴仙の腕はひょろひょろだからな、ちっとも痛くなんかなかったよ」
 クスリ、と
 闇の向こうで確かに鈴仙が笑った、様な気がした。
 鈴仙の紅い瞳が、音も無く近づく。てゐの見ている先で鈴仙は瞼を閉じ、それでもその顔は、その唇は変わらずてゐの頬へと近づいてくる。
 長い髪から石鹸の香りが漂い、てゐの鼻腔をくすぐった。
 吐息が頬にかかり、先ほどよりもっと柔らかく、もっと熱く、もっと情熱的な感触が、頬に生まれた。心臓がその一瞬だけ止まり、ちゅ、というありきたりな擬音が、てゐの耳に届いた。
「これで、もう痛くないでしょ?」
 てゐはポカンとした顔を浮かべながら、いや、と答えた。
「やっぱすごく痛いかも」
 耳元で、空気が揺れた。鈴仙の三日月のような笑みが、手に取るように、想像できた。
「てゐは本当にうそつきだね」



「あら永琳、どこにもいないと思ったら、こんなところでペットのまぐわいの見物? いやねぇ、年取ると趣味まで下世話な物になるのかしら」
 姫様、永琳はもたれかかっていた竹から身を起こす。茂みの奥から現れた輝夜は、永琳の隣に並んで立つ。右の手のひらをおでこに当てて、ずっと向こうでじゃれあう二匹の兎を眺める。
「ほっぺにちゅーぐらいで終わればいいんだけどねぇ。特にイナバとか、きっと走り出したら止まらないタイプよ」
「姫様は、家に残られてたんじゃないんですか?」
「だってすぐ皆いなくなっちゃうんだもん。私一人でお留守番してろって言うの?」
 やれやれ、と永琳は両手を上に見せ、首を振る。
 それにしても、輝夜はこぶしを腰にあて、永琳に向き直る。
「あなたも中々意地が悪いわね」
「何の事ですか?」
 永琳は素知らぬ顔で、後ろに腕を組みなおす。もたれかかった竹がきしみ、上で葉が擦れる音が聞こえた。
「何でわざわざ蓬莱の薬の事を持ち出したの? あのまま、助からない、で終わらせば良かったじゃない」
「あらゆる可能性を提示するのは、医者の常ですから」
 うそね、輝夜は即答する。
「それじゃ、違う質問。 もし寿命を迎えたのがてゐのペットじゃなくて、あなたのペットだったら? あの時てゐに投げかけた言葉は、本当にてゐに訊ねたのかしら?」
 風が吹く。長く伸びた竹がゆれ、互いに身を寄せ合う。乾いた音に混じって、聞きなれた愛おしい声が、微かに届いていた。
「――姫様も、意地が悪いですよ」
「あら、私は気になった事を訊ねているだけよ」
 輝夜はそういって、笑顔を浮かべる。1000年以上前から変わらない、笑顔を。
「まぁ、別に今すぐ答えを出す必要なんて無いわ。それでも、そのうち出さないといけなくなるわよ」
「分かってます」永琳は顔を伏せ、そこで初めて足元に月の光が落ちているのに気がついた。光の筋に沿って顔を持ち上げると、笹の葉から、わずかに月が顔を覗かせていた。
「姫様」
 何? 輝夜はそう訊ねる。空を見上げる永琳の横顔を見、それに釣られるように宙に浮かぶ大きな光を目にする。
「静かな夜ですね」
「そうね」輝夜は、永琳の手を握る。永琳も、それに答えるように、輝夜の手を握り返す。
「月が綺麗だから」
 風が止み、月が笹の葉にかくれる。足元をぬらしていた月光も身を潜め、周囲は闇に包まれる。
「永琳」
「何でしょうか?」
「一つだけ言っておくわ。あなたがどんな選択をしても、私はずっと隣にいる。それだけは、忘れないで」
 はい、と小さく答えた声は、ずっと前で互いの頬に唇を寄せ合うウサギ達には、届かなかった。
 :::
 月の綺麗な夜だった。
 自分の家の隣には、建設途中の高速道路があります。夜になると当然誰もいなくなり、所々冷たくなった重機が忘れ去られたように取り残されています。
 時たま皆が寝静まった夜に、自分はその高速道路をこっそり散歩します。まだコンクリートもひかれていない、ぼこぼこの地面は、不思議と足の裏になじんで心地いいものです。当然明かりなんてどこにも無く、元々田舎なのも手伝って、辺りは真っ暗です。
 その中で見上げる夜空は、星が幾つも耀いております。
 そんな中で考えた話です。もしこの話から綺麗な夜空を連想いただけたら、作者冥利に尽きるというものです。

 追伸
 自分の中で、うどんげは無口キャラです。だって兎で脱走兵で目が赤いんですよ?
スイ
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コメント



0.800簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
良かった、その一言です。
兎に対するてゐの愛情。そんなてゐに向けられる他の住人達の温かい視線。むつまじく寄りそう二匹を、物陰から見守る年長者達のまなざし。
全ての登場人物が生きていて、その息遣いが聞こえるかのようでした。また作中で語られるそれぞれの死生観にも、理屈じゃない彼女達の体温を感じました。
そして何よりもこの話を読んでいる間、はっきりと綺麗な夜空が輝いておりました。
8.100mthy削除
こんなうどんげは初めて読んだけど、めちゃくちゃ好きです。超気に入りました。
きれいなお話、ありがとうございました。
10.無評価スイ削除
>>4
>>全ての登場人物が生きていて
まことに嬉しいお言葉です。自分が小説を書く中で、ひそかに目標としていた事でもありました。
お読みいただき、ありがとう御座います。

>>8
以前、何かの設定で、うどんげが月に向かって独り言を呟いている、というのを読んだ記憶があります。それ以来、自分の中のうどんげは、無口となりました。気に入ってもらえて、何よりです。
13.90ずわいがに削除
てゐが鈴仙を諭す話はよく見ますが、その逆は珍しいですねぇ。
キャラが皆しんみりした雰囲気を放ってて心地よく、落ち着いた気持ちで最後まで読むことが出来ました。
しかし姫様綺麗だなぁ。なんていうか、うん、芯が綺麗。
17.無評価スイ削除
>>13
一気に書き上げたものなので、雰囲気とかそういうものが統一できたのかもしれません。

読んでくださって、ありがとうございました。
22.100名前が無い程度の能力削除
今更ながら素晴らしい
この永遠亭は素敵だなぁ