Coolier - 新生・東方創想話

少女幻葬物語 第四幕

2005/02/22 06:41:35
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――――最近、随分と奇妙な夢ばかり見ている気がする。




ゆっくりと目を開けた私が見たものは、前と同じ、揺らめく太陽の光と、変化する文様。



どうやら私は、また水の中から空を眺めているようで。



また――そう思って、けれど、前とはどこか違うことを感じた。





光が、離れていく。



少しずつ、少しずつ、光が遠のいていく。






光が、私から遠ざかっている?



違う――私が、沈んでいるんだ。水の底へ、光届かぬ地へ。



永い、永い時間の後、光は見えなくなって、やがて暗い、暗い世界へと変貌する。



けれど、やっぱり感じるのは、恐怖ではなく安堵。



不可思議な暗闇に包まれて、私は、




――――多分、微笑んでいたんだと、思う――――












第四幕 ガーネットの流した涙












季節は初夏。そろそろ梅雨になろうという時期のこと。



その日は、朝から雨が降っていた。


梅雨だから雨が降るのはむしろ当然なのだろうが、それは少しばかり勝手が違っていた。


風を読む者も、大気の流れを読む者も、魔力の流れを読む者も、運命を操る者も、歴史を喰らい、創る者も。


誰もが、その雨の到来を予想できなかったのだ。



彼女達は一様に口を揃えて言う。「私が読んだ限り、今日は晴れだった」と。「こんな天候は予想外だ」と。



昨晩から降り始めた雨は、雨脚を増すこともなく、かといって弱まることもなく、延々と降り続けている。




ずっと、ずっと、降り続いているようにも、見えた。








――ス、―き―。



「――――ん?」

誰かに呼ばれたような気がして、アリスは目を開けた。
その視界に映ったのは、いつも見慣れた白い天井。寝転んだまま周囲を見渡してみても、誰もいない。だったら、あの声は気のせいだろうか。だがそれでも、誰かに呼ばれた――と言うより、起こされたような気がしてならなかった。

とても聞き覚えのある声、だったような、気がした。

その『誰か』が誰なのかを考え込んでいるうちに、すっかり目が冴えてしまったらしい。寝転んだまま背を伸ばし、枕元に置いてあった、香霖堂で手に入れた『目覚まし時計』という奇妙な時計――時刻を設定すると、その時間に音を鳴らせて叩き起こすカラクリらしいが――を手にとって、現在時刻を確認する。
現在、七時三十五分。但し誤差があるので、あまりあてにはならない。
何気なく、寝転んだままの状態で窓の外を眺めてみても、分厚い雲に覆われているため、今が朝なのか昼なのか、まったく分からない。まあ、少なくとも午後ということはないだろ。
さて――と、アリスは寝転んだまま考える。確か二週間程前に『目覚まし時計』の時刻を、時間に正確な某メイド長の助力の元――単に時計を見せてもらっただけだが――合わせている。だから普通に考えれば信用に足る情報ではある。
が、この時計、実はとんでもない曲者なのだから油断できない。合わせた次の日からもう十分以上遅れていることは当たり前。時には数時間ずれていることもあるのだ。

「・・・・・・まあ、今が午前中だってことくらいなら分かるけど」

呟いて、ゆっくりと上半身を起こす。その拍子に、同じく香霖堂で手に入れたタオルケットがするり、と落ちた。
それを目で追い、ついでに自分の姿を見て、苦笑を浮かべる。
なんともまあ、あられもない姿だ。昨晩は、初夏にしては熱帯夜だったせいもあり、薄着で寝ていたのだが――それがまずかったらしい。

「誰にも見せられないわね、こんな姿」

僅かに寝癖のついた髪を掻き上げつつ、自嘲気味に呟く。
他人どころか、人形達にさえも見せたくない姿だった。まず必ず一体は小言を言ってくるだろう。なんてあられもない格好で寝ているのですか、しゃんとしてください。――京人形あたりがそう言う光景が容易に思い浮かぶ。

まあ、言われたところで、寝相が簡単に治るわけもないのだが。

アリスは上半身を起こした状態で、じっと耳を澄ませてみた。



人形達が動いている気配も、物音もしない――ただただ、雨の降る音だけが、静かに響いていた。



人形達も永遠に動き続けているわけではない。必要以上に魔力を消費するのを嫌うためか、人間や妖怪と同じように、一日に何時間か活動を止め、体を休める。
最も人間や妖怪とは違い、それは『寝る』という行為ではなく、ただの動かない人形に戻る、というものだ。そして性格が一体一体違うように、休む時間にも個体差がある。魔力の扱いに長けた人形程休む時間は短く、不慣れな人形程長い傾向にある。早起きの筆頭は蓬莱人形であり、次に上海人形、京人形・・・・・・と続いていく。

その蓬莱人形でさえ、起きている気配がなかった。午前は午前でも、早朝らしい。
となれば、時計は進んでいることになる。アリスは目覚まし時計を手に取り、深いため息を漏らす。

「・・・・・・新しい時計でも探しにいこうかしら」

この時計自体、手に入れて十年以上は経っている。そろそろ寿命と考えてもいいかもしれない。
とは言え、あの店の主は性格こそまともな部類に入るが、嗜好となると、自他共に認める変わった感性の持ち主である。お世辞にも、まともな道具を期待できるとも思えないのだが――そこしか頼れる場所がないのでは、仕方がない話だ。

――――二、三ヶ月程前に見た時、丁度仕入れたばかりだといって見せてもらった大きな置時計が気になるわね。寝る部屋に置くには大きすぎるような気がするけど、気にしなければ気にならないし。

「うん、どうにかしてあれを手に入れよう。明日か明後日あたりにでも行ってみますか」

近日中の予定を決めて、アリスはベッドから起き上がり、裸足のままの足をそっと床に下ろした。
特別な魔法をかけているわけでもないのに、夏という季節にしては、床板はひんやりとしていて心地よかった。理由は分からなかったが、気持ちいいので特に考える必要もない。
ずっとそのままでいたい欲求に駆られたが、それを振り払うように首を振って立ち上がり、クローゼットへと歩き出す。
クローゼットを開けると、そこには何着もの洋服が飾られていた。色は違うが、どれもこれもデザインは類似点の多いワンピースばかりだ。

幻想郷では、単に出歩いているだけで、時として弾幕勝負に巻き込まれることがある。その為、いざと言うとき動きが鈍るのは極力避けたかったが、お洒落に興味が無い訳でもない繊細な――と言えば魔理沙あたりが大笑いするだろうが――年頃なのだ。
とは言え、二つに一つ、どちらかを優先すればどちらかが犠牲になるのは世の中の常。どちらの条件も満たした服などどこにもない。――かの隙間妖怪は、見た目からして動きにくそうな服で、常識を度外視したあり得ない動き方を平然とするが。
それを考慮した結果、似たようなデザインの服が集まったのは仕方がないことである。決してアリスの趣味が偏っているわけではない。

飾られた洋服のうち、お気に入りの水色のワンピースを選んで手に取り、それをじっと眺める。

「――――うん、今日はこれね」

誰となしに確認するように頷いて、クローゼットの扉を閉じた。

「さてと、たまには早起きもいいかしらね・・・・・・そう言えば、今日は霊夢の所に遊びにいくって約束してたし。丁度いいかしら?」

寝巻きから、先ほど取り出したワンピースへと着替える準備を始めながら、アリスは呟いた。


――何故か、その表情には、かすかな不安が混ざっていたが。


水色のワンピースを着た後、そのアクセントに紅色のリボンを首元に添える。頭にはフリルのついた、リボンと同じ色のカチューシャを乗せる。
一通り着替え終えると、部屋の中にある等身大の鏡の前に立ち、見苦しい部分がないのを確かめると、くるり、とその場で回った。

その動きは、まるで舞踏会に参加している踊り子のように軽やかで。

金色の髪がふわりとたなびき、さらさらと、きめ細かい絹をすり合わせたような音が、静かに響いた。

「――――うん」

納得いくものがあったのか、スカートの端をつまんでお辞儀。優雅である。
その時、遠くで僅かに物音がした。同時に人形達が発する特有の魔力も感知する。それが禍々しき波動であることも。
どうやら蓬莱人形が起きたようだ。彼女が起きる時間は大体決まっているので、それを参考に、アリスは目覚まし時計の針を調整し直す。
一番の早起きである蓬莱人形は、寝ている人形達やアリスを決して無理に起こそうとはしない。その代わりまず最初に、いつ起きてきてもいいように朝食の下ごしらえや軽い掃除を始める。
そして、ある程度の作業が終わってもまだ起きてこない場合になって、ようやく起こしにくるのだ。その時は決まって、微かに苦笑と諦めの混ざった表情で起こしにくる。どうせこの時間は寝ているのですから、と。言葉に言わずともありありと読み取れる。

たまには驚かせてやろう、と、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべるアリス。

とは言え、蓬莱人形が来るのを立ったまま待つのも疲れる。そこでアリスはベッドに腰かけ、窓の外を眺めることにした。



外では相変わらず、雨が降っていた。


まるで、誰かが泣いているように、


ずっと、ずっと、降り続いていた。



それだけでもないだろうが、何故か食い入るように、その様子をずっと眺め続けるアリス。


――結局、眺めすぎて、起こしにきた蓬莱人形を驚かせるどころか、声をかけられた自分が驚く羽目になってしまった。








☆★☆★☆








どれだけ時間が経とうとも、決して変わることはない。この時間だけは決して変わらない。
アリスは、そう信じていた。



ずっと、ずっと、この楽しい時間が続くと。


ずっと、ずっと、笑っていられると。



――そう、信じていた。


信じて、いたかった。





――――――だというのに、現実というのは、いつも残酷で。


終焉は、いつも唐突にやってくることを、思い知らされる。









アリスと人形達が目的地に到着した時、昨晩から降り続いていた雨はすっかり止んでおり、雲の切れ目から太陽の光が顔を覗かせていた。

「・・・・・・これなら、雨が止むまで家で待っていればよかったかしら」

雨に濡れた石畳を歩きながら、小さくため息を漏らす。雨が降っていたおかげで人数制限をしなければならなかったというのに。
それについては同意見なのだろう。アリスの両肩に座っていた二体の人形の内、右肩に座っている上海人形が、アリスの言葉にこくり、と頷いた。

「傘に入りきらないから、泣く泣く諦めた子もいるのにね」

上海人形の言う通り、博麗霊夢のところへ遊びに行くと言った当初、全員が諸手を上げて喜んでいた。が、外はあいにくの雨模様、しかも傘は小さな物が一本しかない状況にあり、全員を連れていくことはできない。人形達だって濡れるのは嫌なのだ。
となると、傘の中に入れる数は決まってくる。傘の大きさから考えると――アリスの両肩と、良くて頭の上のみ。
当然、その限られた枠を巡って熾烈な争い――弾幕勝負はアリスに却下されたためジャンケン大会――が行われた。心理戦をしない人形達の争いは純粋な運次第の勝負であり、負けた者は文句の言い様がない。


その結果、最後に残ったのは、いつも連れ歩く上海人形と蓬莱人形だった。これも必然と言えば必然か。
ちなみに余談だが、頭の上の枠をも巡って争われようとしていたのだが、アリスが承諾しなかったためあえなく却下となった。


「流石に頭の上はね・・・・・・」
「全員でアリスにしがみつけば来られたかも?」

上海人形の提案に、アリスはその姿を思い浮かべて見る。

全身に人形をしがみつかせて歩く自分の姿。
――まるで蜂の巣に群がる蜂みたいだ。あまり見れた絵ではない。

「蜂の巣状態で歩き回りたくないわね。あなたもそう思わない?蓬莱」
「・・・・・・(こくり)」

表情を動かさずに無言で頷く蓬莱人形。
喋れないわけではないのだが、何故か必要以上に喋ろうとしない蓬莱人形。過去に一度だけ、その理由を直に聞いてみたことがあるのだが、本人曰く「・・・・・・あまり・・・喋りたくない・・・・・・から」だそうだ。理由を聞いても首を振るだけで答えようとしなかった。
そういう性格なのだろう、とアリスは考えて、それ以上聞こうとはしなかった。日常生活においても支障がないため、そのままでも良かったから、無理に聞く必要もなかったのだ。

それでいい、とアリスは思う。喋りたくないのなら、無理に喋らせる理由も必要もないのだから。


それよりも――――アリスは傘をたたみ、目の前の建物へと視線を向けた。


晴れであっても雨であっても。春であっても夏であっても。
いつ訪れても、この場所は何も変わっていなかった。

恐らくではあるが、幻想郷ができる前から建っているであろう博麗神社。流石に年代を経ている為か、神社の柱等は勿論古びて変色しているが、しかし度々、人間妖怪問わず訪れては騒動を巻き起こしていくわりに、厳かに建つその姿には不可思議な程に痛みがない。



もしかしたら、幻想郷が存在し続ける限り変わることがないのでは――そう思えるくらいに。



何も変わっていないように見えて、アリスはほっと息を吐いた。
それはとても小さく、すぐ横にいた上海や蓬莱でなければ分からなかっただろう――その意味まで窺い知ることはできなかっただろうが。
不思議そうに自分を見やる上海人形と蓬莱人形に微笑みかけてから、止めていた足を動かし始めた。

境内に敷き詰められた、雨に濡れた石畳の上をまっすぐ、神社の方へと。

ゆっくりと、感触を確かめるように歩み――――

「あの~」

鳥居から賽銭箱の丁度真ん中あたりまで来た時、唐突に右手から声をかけられた。
体は神社の方へ向いたまま、視線だけをそちらへ移す。
そこには、見慣れぬ少女が立っていた。身長はアリスよりも拳一つ分は小さく、まだ幼さの残る顔立ちからして、十五、六歳くらいだろう。身長程もある竹箒を手にしているところを察するに、これから境内の掃除をするつもりなのだろうか。霊夢のように、自身でアレンジしたような巫女装束を着込んでおり、陽の光当たらぬ場所にあっても艶のある、鮮やかな黒い髪を腰まで伸ばしている。その後ろ髪を括っているのは霊夢がいつも身につけていた、フリルのついた紅いリボンであり、それが黒と紅で見事な彩をもたせている。白い肌の中に浮かび上がった黒曜石を思わせる、深く透明感のある瞳が、まっすぐアリスを見つめていた。

その表情に浮かんでいるのは、不審者を見つめるものでも、敵意でもない。純粋な好奇の目だった。
敵意はなさそうだが、そう言う目で見られるのが何となくくすぐったい。そのことを言おうとしたアリスだったが、少女に先手を打たれた。

「何か御用でしょうか?」

どこか遠慮がちに問いかけられて、アリスは思わず目を白黒させた。
丁重な言葉遣いにあまり耐性がなかったせいもあるのだが、それよりも呆れたのだ。
神社へくる用事なんて限られるでしょうに。アリスは心の中で呟く。

――そのアリスが訪れたのはその限られた用事の範囲外になるのだが、完全に失念しているらしい。

「答える前に」気を取り直すためか、ごほんと咳払い。「あなたは誰なのかしら?」
「私、ですか?」
「他に誰がいるのよ」

アリスの指摘に、巫女の少女は「それもそうですね」といささか間の抜けた返事をした。天然ボケか、それとも計算か。どちらかは判断しづらい。
少女は両手を腰の前で合わせ、深々と頭を下げた。

「初めまして。ここ博麗神社で十四代目の博麗の名を継いだ者です」
「・・・・・・・・・・・・十四代目?」

必要以上に丁重な対応である。ここまでくるといっそ清々しい。
だが――その言葉に、アリスは引っかかりを覚えた。


――――ちょっと待て、確か霊夢は自分を――真偽はともかく――十三代目博麗の巫女だと言っていた筈。

――――だとすれば、目の前の少女は、その跡継ぎ――霊夢から博麗の名を授けられ、暮らす者。


――――と、いうことは――――?


「霊夢、は・・・・・・?」

――まさかもう?そんな嫌な予感が頭をよぎった。
ようようと吐き出された言葉に、少女は顎に指を添えて首をかしげた。知らないのではなく、聞き覚えがあるがすぐには思い出せない――そんな表情だ。

少女が『霊夢』という単語を思い出すまでの思考時間は、約五秒前後。
何故かその時間が、アリスにとって、とてつもなく長く感じられた。

たっぷり五秒経過した後、ようやく思い出したのか、少女は両手をぽん、と合わせたかと思うと、納得したように頷いて答えた。

「霊夢・・・・・・もしかして、お母様のことでしょうか?」
「お母様・・・・・・?」
「はい」

鸚鵡返しに問いかけるアリス。耳に入ってくる言葉すべてが、まるで遠い場所で起こったことのようにも思えた。
そんなアリスの変化に気付いた様子もなく、少女は困ったように眉根を寄せて頷く。

「いつもお母様としか呼んだことがありませんから、すぐに思い出せませんでした。・・・・・・そう言えば、お母様の名前は『霊夢』でしたね」

心底呆れたといった表情で目の前の少女を見やる。
アリスが呆れるのも無理はない、自分の母親の名前も知らないとは、すさまじい話だ。
そんな視線を真っ向から受けて、しかし少女はにこやかに微笑んでいる。

――――なんだか、呆れている自分が馬鹿らしくなってきた。この子、手強いのか天然なのか分かりづらいわ。やりにくいわね。

心の中で呟く。だが考え直してみると、それこそ博麗の巫女に求められる資質なのかもしれなかった。
霊夢は向けられた力をそのまま受け流すが、この少女は受け止めて毒気を抜くのだ。過程は違うが、結果は同じ。これも無重力といえなくはない。
その、何者にも束縛されることのない無重力こそが、幻想郷において唯一戒律を定めて暮らす博麗に求められていることなのだから。・・・・・・多分、きっと。

「まあいいけど・・・・・・」ごほんと咳払い。「霊夢に用事があるんだけど、いいかしら?」
「はい。ええと・・・・・・お名前を窺ってもよろしいですか?」
「アリスよ。アリス・マーガトロイド」
「アリスさん・・・・・・ですか」その名前に思うところがあったのか、少女はうーん、と数秒ほど考え込んだ後、手をぽん、と叩いた。「そう言えば、お母様より何度かお聞きしたことがあります」                                                                           
「なんて言ってたのかしら?」
「確か・・・・・・魔法の森に住む七色の人形遣いだと」
「・・・・・・」

そういうことが聞きたかったんじゃない、とアリスは心の中でつっこむ。それじゃあそのまんまじゃないの。
だが、少女は屈託のない笑みを浮かべて、こう続けた。

「そう言えば、連れている人形さんも変わった方が多いとも聞きました」

その言葉に、アリスの両肩に座っている上海人形と蓬莱人形の表情が、僅かに引きつった――ように感じた。
たっぷり十秒は沈黙した後、確認するように上海人形が切り出す。

「・・・・・・私たちのこと、だよね?」
「(こくり)・・・・・・けど・・・・・・否定できない・・・・・・」
「・・・・・・まあ・・・・・・」
「だったら私は、その変わり者集団の元締めってことになるんだけど」

心外だといわんばかりの表情で息を吐くアリス。だがまあ、幻想郷に住んでいる者のほとんどが変わり者なので、それをふまえて訂正すると『変わった人形達の主』ということになる。アリスの言葉では、幻想郷全体の元締めに聞こえなくもない。


最も、何をもって常識とするか、何をもって非常識とするか、それらの境界が曖昧な幻想郷では、その『変わり者』という言葉も明確な定義ができていない。外の世界ではえてして多数決方式によって決められることが多いが、ここではどちらかと言うと、実際に会った者が自分で感じたことを重視する傾向がある。
それ故に、誰もが「常識人」であると同時に「非常識な人」でもある。それは博麗の巫女といえども例外ではないのだ。



――――もしくは、その境界にいるからこそ、博麗の巫女は数多くの異変を解決するために奔走するのかもしれないけれど・・・・・・。



恐らくそうなのだろう、とアリスは思う。どちらにも属さないからこそ一方を支持することもなく、不公平を生まない。彼女はどこまでも平等なのだ。


――もしかしたら彼女は・・・・・・否、彼女達は、幻想郷の意思そのものなのかもしれない。アリスはふと、そう思うときがあった。


博麗霊夢は、異変があれば解決に動き出す。だが決して犯人に対して罰を与えるわけでもなく――アリスも一度食らったことのある、あの強烈なグーパンチが罰と言えば罰なのだろうが――騒動を「しょうがないわね」の一言で片付けた後は特に何もしない。お茶やお酒を飲みにいけば、邪険するわけでもなく受け入れる。その度量は呆れるくらい無駄に大きいのだ。


それは、霊夢の友人である霧雨魔理沙も――目的は違うだろうが――同じと言えた。性格は対極を行く魔理沙は、しかし騒動を犯人まとめて吹っ飛ばした後は、平気で宴会に誘ったりするのだ。それについて真面目に考えてはいけない、考えた自分が馬鹿らしくなってくるのだ。彼女は「楽しければそれでいい」に近い思考で動いているのだから。


――――だから、私はあの二人が――――


ふぅ、と息を吐いて、アリスは思考を振り払うかのように頭を振った。こんなことを考えるために訪れたわけではないのに。

「それよりも・・・・・・」

霊夢のところへ案内して頂戴、と言いかけたアリスだったが、その時になって初めて、つい先ほどまでそこにいた筈の少女がいなくなっていることに気付いた。

「・・・・・・あら?」
「こちらです」

声のあった方へ視線を向けると、既に神社の中へ入ろうとしている少女の姿があった。アリスの様子が変わったことに気付きもしなかったらしい。どこまでもマイペースな少女である。
急に、その場に立ち尽くしている自分が恥ずかしくなった。慌てて少女の後を追う。
少女は嫌味のない、穏やかな微笑みを浮かべたまま、アリスを導いた。






☆★☆★☆







「お母様。アリスさんがお見えになりました」

通されたのは、神社の裏手にある一室だった。

一口に裏手といってもその奥にまだいくつかの部屋があり、目の前には申し訳程度の広さだったが中庭まである。賽銭箱と神棚のある神社部分が表ならば、裏のここは代々博麗の巫女達が住んでいた居住区、といったところだろうか。最も、アリスとてそのすべてを知っているわけではないので、詳しくは分からなかったのだが。
その中庭はというと、大きな桜の木が一本だけぽつねんと立っているだけ。少し寂しいような気もしたが、少女曰く、春になると見事な花を咲かせるというのだが、だからといって、春以外の季節の寂しさが消えるわけでもない――そう言いかけて、結局やめた。本人たちがそれでいいと思っているのなら。

そして通された部屋の中はと言うと、質素という言葉が合うような光景だった。家具は箪笥と一枚の掛け軸しかなく、人が寝起きする場所というよりは、今まで使われていなかった部屋に、申し訳程度の家具を置いただけのような印象を受ける。

それでも、部屋全体に穏やかな雰囲気が広がっているのは、目の前に敷かれた布団から上半身を起こしてアリスを見ている、年老いた一人の女性のせいなのだろうか。

「久しぶりね。何年・・・・・・何十年ぶりになるかしらね、アリス?」
老婆は穏やかな微笑みを浮かべてアリスを迎え入れた。

「そうね、久しぶりだわ・・・・・・霊夢」
アリスも微笑んで、その老婆――十三代目博麗の巫女、博麗霊夢に挨拶を返した。

「立ってないで、座ったら?」
「じゃあ、遠慮なく」

促されるままに、アリスは霊夢の横に腰掛けた。上海人形と蓬莱人形も浮き上がり、畳の上に音もなく降り立つ。

「ええと、確か上海人形と蓬莱人形だったかしら?久しぶりね」
「お久しぶり、霊夢」
「・・・・・・久しぶり・・・・・・」

目の前でスカートの端をつまみ、丁寧にお辞儀をする上海人形と蓬莱人形に、霊夢は微笑みかける。
上海人形と蓬莱人形の頭に手を置き、目を細めてゆっくりを頭を撫でる霊夢。上海人形、蓬莱人形共にそれが嬉しかったのか、僅かに嬉しそうな表情を浮かべて、黙ってその感触を受け入れていた。
その様子を目を細めて眺めていた霊夢は、そこで何かを思い出したのか、人形の頭を撫でながら問いかける。

「上海人形と蓬莱人形だけなの?今日遊びにきたのは」
「家を出る時、雨が降っていたからね。傘の大きさから見て、上海と蓬莱以外は連れてこれなかったのよ」
「だったら、今頃こっちに向かっているんじゃないの?雨も止んでいるし」
「今はいいけど、帰りに雨が降ったら困るわね、それ」
「傘くらい貸すわよ?」
「どうせ香霖堂から黙って取ってきたものなんでしょう?」
「あら、よく分かったわね」
「あなたは相変わらずね」

呆れと、僅かな安堵の混ざった笑みを浮かべるアリス。




変わらない。霊夢はどれだけ時を経ようとも変わらない。

会いにくれば迎えてくれる。他愛もない会話を交わす。

たったそれだけの時間が、嬉しかった。何も変わっていないと思えた。




そんなアリスをしげしげと眺めながら、霊夢はからかうように笑って言った。

「そう言えば、しばらく見ないうちに太ったんじゃないの?」
「・・・・・・胸が育ったと言ってほしいわね。どうせあなたは大きくならなかったんでしょ」
「あら、よく分かったわね」

微笑んだままだが、その口元が僅かに引きつっているようにも見えた。それを見たアリスは大袈裟に嘆くような仕草を見せた。

「ああやだやだ、女の嫉妬ほど恐ろしいものなんてないのに」
「あなただって女で――――」

お返しとばかりに、からかい混じりに言われた言葉を聞き流すことができなかったのか、腰を浮かせた霊夢。それを見て逃げようとしたアリスだったが、



――ゴホゴホッ、と、咳き込む音が響いて、その動きを止めた。



「お母様、駄目ですよ、無理をなさっては」

今まで廊下で二人の様子を眺めていた少女が慌てて駆け寄り、霊夢の背をさする。
上海人形と蓬莱人形も、心配そうに霊夢を見上げていた。

「――――ああ、やっぱり歳はとりたくないわね。体が言う事聞かないわ」

ようやく落ち着いたのか、ため息混じりに呟く霊夢。
だが――その言葉に、アリスは鉛を飲み込んだような感覚が体の中に広がるのを、はっきりと感じた。


――――変わって、は――――


「・・・・・・アリス?」

霊夢の言葉で、アリスは我に返った。
心配そうに見上げる霊夢。アリスはその時初めて、自分が立ち上がっていることに気付いた。
微かに頬を染めつつ、ごほん、と誤魔化すように咳払い。

「霊夢、ちょっとお手洗い借りるわよ」
「え?ええ、いいわよ。場所は変わってないから、分かるわね?」
「ええ。じゃあ、その間上海と蓬莱の相手をよろしくね」

そう言うと、アリスは霊夢の返事も待たずに部屋を後にした。







☆★☆★☆







歩く度にきし、きし、と静かに鳴る廊下を、アリスは迷うことなく歩いていく。
だが、その向かった先はお手洗いではなかった。その前を素通りし、更にその奥へと歩いていく。


――お手洗いに行く、と言ったのは嘘だ。本当は、その場から逃げ出したかっただけ。


霊夢の言葉が、アリスの心の中に響き渡る。
霊夢はそのつもりで言わなかったかもしれない。だが、アリスにとっては何よりも辛い言葉に聞こえた。


時が経ったことを、否応なく自覚させられる。


だから、霊夢達の前から逃げたのだ。
あれ以上あの場所にいて、平静を保てる自信がなかった。自分が何を言い出すかさえも分からなかった。

「だから、あなたはあの子達から逃げ出したのね。あの時と同じように」
「――――っ!?」

驚くよりも先に、背筋に冷たい感覚が走った。
その声が、ぞっとする程冷たかったのだ。

慌てて周囲を見渡す。そして異変に気付いた。
いつの間にか、アリスを囲むように、一目で強力だと分かる結界が張り巡らされていたのだ。――恐らく、本気を出しても破れるかどうかすら怪しいレベルの代物が。

そして、外界と隔離された空間の中、自分のすぐ背後に、今までいなかった筈の人影を認めた。



神出鬼没な神隠しの主犯、八雲紫を。



いつの間にか背後に現れていた紫は、何の感情も浮かんでいない、しかしながら冷たい光を帯びた瞳をアリスに向けながら、楽しそうに微笑んでいた。
その、冷めた光を放つ紫色の瞳を直視できず、アリスは目をそらす。
対する紫は、相変わらず楽しそうに微笑んでいる。

「逃げた先は闇でしかないのに。未だ恐れているのかしら?」
「いきなり現れて、何を言い出すのかしら」

むきになって反論するが、その声に力がない。それでは、紫の言葉を認めているようなものだ。
その動揺は紫にも分かったのだろう。わざわざアリスと視線を合わせるようにに覗き込んだ後、目を当てて、くすり、と笑った。


すべてを見透かしたような、冷徹な微笑み。
――だが、何故か、アリスはその笑みの中に、先ほどの冷たさとは打って変わった、微かな優しさが混ざっているような気がした。


紫は微笑んだまま問いかける。

「定められた別れが、怖いのかしら?」
「・・・・・・人形達の葬儀で慣れたわ」

今度は突き放すように、そう言い切った。


人間も、妖怪も。物事が続けばそれを日常として次第に慣れていってしまうことに変わりはない。
アリスの場合、それは人形達の葬儀だった。
自分を守る為に犠牲になった人形。調整に失敗し、魔力を蓄えられずに動かなくなった人形。
そんな人形達を、今まで何体と見送ってきた。初めの内は胸が苦しかったが――もう、何も感じなくなっていた。
誰かが動かなくなれば、出来る限り着飾って川に流す。

ただそれだけの、行為。



――――――そう。ただそれだけの筈、だった。



アリスの反論に、紫は微笑みから打って変わって真摯な表情で、再び問いかけた。

「なら何故」


















「何故、あなたは泣いているのかしらね?」


















「――――え?」

紫の言葉が理解できなかったのか、素っ頓狂な声をあげたアリス。だが自身の目元に手を当て、そこで初めて、自分が涙を流していることに気付いた。

「あ――」

思いがけないことに、無意識のうちに声を漏らす。
それでも必死に歯を食いしばり、目を閉じて、涙を押さえ込もうとする。これ以上泣いては駄目だ、泣いては。


泣いて、は――


「あなたは、自分で言う程、別れに慣れていないのよ」

紫の言葉が、アリスの心の中に響き渡った。
その言葉に、胸が締め付けられる。押さえ込もうとすればする程、涙が止まらなくなる。

「だから、あの子達と永遠にいようと思った。だから、あの肝試しの後しばらくして、一人で再びあの場所に赴いて、蓬莱の人の形を殺し尽くしたのでしょう?あの月からやってきた咎人の姫君顔負けの方法で。・・・・・・私が知らないと思って?」
「――――っ」
「まあ、ちょっと前に半人半獣をからかいに言った時に聞いたんだけどね。けれど結局、蓬莱の薬は取らなかった。そしてその後、あの子達の前から姿を消した。・・・・・・何故かしらね?」
「そんな、の・・・・・・っ!」

上ずった声を上げたアリスを目線だけで制し、紫は続ける。



「――――あなたも、本当は分かっていたんでしょう?あの子達が、永遠を望まないことを。『友達』の意志を無視してまで永遠を強要する程、あなたは自分勝手ではなかったのだから。――そして、自分が、『友達』と死に別れることを、何よりも怖れていることを」



紫の言葉一つ一つが、まるで鋭い刃のように胸に突き刺さる。
とめどなく、涙が溢れ出てきた。紫が目の前にいる、霊夢達に聞こえるかもしれない。泣き声だけは絶対にあげない、絶対に、

「だからあなたは、人形達を川に流した時も」

何故紫がそれを知っているのか分からなかった。けれど、それがまさしく、トドメの言葉だった。
もう、聞かれようが聞かれまいが、関係ない。


この涙も、嗚咽も、もう、止まらない――――っ!



「うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



まるで幼い子供のように、大声を上げて泣きじゃくった。
思考も、感情も、何もかもがぐちゃぐちゃだった。何かをまともに考えることさえもできなかった。

ただただ、現実を受け入れるのが怖かった。


――――そう、私はこれが――別れが、怖かったんだ。


冥界で幼い幽々子と出会った時に迷い込んだ迷路の答え。本当は分かっていた筈なのに、その現実から目を逸らしていただけ。

永遠なんてないことなど、初めから分かっていた筈なのに。なのにそれを、心のどこかで求めてしまっていたのだ。


いつまでも、いつまでも、一緒にいられると。

どんなことがあっても――例え喧嘩したとしても、すぐに仲直りして一緒にお茶を飲めると。

また他愛もない話で、ずっと、ずっと、笑っていられると。


そんな生活がずっと続くと、昔は信じていられた。





――だが、時が経つにつれて、怖くなった。





永遠を求める中、心のどこかで、それは有り得ないと否定している自分がいた。

否定している自分の声を否定したくて、蓬莱の薬を求めた。人の形を、朝日が昇るまで殺し続けた。

笑いもせず、泣きもせず、怒りもせず。ただ単なる作業のように、徹底的に殺し尽くした。

そして、ようやく動かなくなった人の形の側に座り、蓬莱の薬が宿る肝を取り出そうとして、




――――――唐突に、霊夢と魔理沙の顔が、脳裏をよぎった。


困ったように笑う霊夢と、にやりと不敵な笑みを浮かべる魔理沙の顔が。


縁側に座ってお茶を飲む霊夢の姿が。箒にまたがって空を飛ぶ魔理沙の姿が。




・・・・・・それから先のことは、あまり覚えていない。気がつくと自分の家のベッドに、血に濡れた服のまま寝転がっていた。

お気に入りだった水色のワンピースも、変えたばかりのベッドのシーツも、何もかもが台無しだった。

憂鬱な気分で鏡の前に立って初めて、自分が泣いていることに気づいた。何故泣いていたのか、いくら考えても分からなかった。


・・・・・・それからだ。霊夢と魔理沙に会わなくなったのは。出かける際にも、二人を意図的に避けて行動するようになっていった。騒動にも関わらないようにしてきた。


――――もう、別れを経験するのが、嫌だった。


もう会わなければ、何もかもを忘れてしまえば。そうすれば、これ以上別れを経験することもないと。単純にそう思っていた。


けれど、そうすればする程、自分の中の何かが欠落していくのを、はっきりと感じて。

・・・・・・その思いは、幼い幽々子と出会って決定的となった。自分が目を逸らしていることを、はっきりと自覚させられた。

このまま会わなければ、いつかきっと後悔する。人形達と約束したのもきっかけとなった。




――そして今日会いに来て、時の流れの無情さを思い知らされた。




「・・・・・・あの子は、もうすぐ死ぬわ」

ぐしゃぐしゃになってまともに考えることさえ出来なくなった頭の中に、その言葉は響き渡る。
誰が?とは聞かなかった。そんな分かりきったことを聞いてどうするのか。

「死は、確かに絶対的な別れの象徴。特に私達妖怪と霊夢達のような人間では、時間に対する概念も、生きていられる時間も違う・・・・・・違いすぎる。自然死において、人間より私達が先に死ぬ事もなければ、私達より人間が後に死ぬ事もないのだから」
「だか、ら――」

それがどうしたの、と言いかけたアリスを目線だけで制し、紫は続ける。

「けれどね。私にとって死は別れでもあるけれど、新しい出会いのための始まりでもあるのよ」
「・・・・・・?」
「『輪廻転生』・・・・・・聞いたことくらいはあるでしょう?」

当たり前だ。アリスは涙を流しながら頷く。少しでも魔術をかじった者なら、その言葉を知らなければおかしい。

最も、アリスがよく知っている『転生』と紫が言った『輪廻転生』は、根本こそ同じだが、目的は全くと言って良いほど違う。
アリスが知っている魔術的な『転生』が「前世の記憶を思い出すことが目的であり、本当に誰でも転生できるのか、といった根本的な部分を一切問題視していない」のに対し、紫が言った『輪廻転生』は「一つの魂が何度も現世を経験することであり、前世の記憶を思い出すかどうかは瑣末な問題」としている。


つまり、過程を問題視するか目的を問題視するかの違いなのだ。


種族が魔法使いだからなのか、アリスが詳しいのは、当然ながら前者である。とは言え、もう片方の意味を知らないわけではない。
自分が知る意味と紫の言った意味が異なる事を、その言動から察したのだろう。アリスの瞳に、次第に理解の色が浮かび始めた。
それを満足そうに眺めながら、紫は続ける。

「あの子達は、必ずこの地に人として生を受け、私達の前に現れる。輪廻の理が崩壊するまで・・・・・・この世のすべてが終焉を迎えるまで、何度でも、何度でも」
「・・・・・・」
「そして前世の記憶がなくとも、あの子達の本質は決して変わらない。お茶を飲みにいけば、なんだかんだ言いながらも一緒に縁側に座って一服させてくれる。他愛もない話を振れば、適当だけど相槌をうってくれる・・・・・・今までも。そしてこれからも、ずっとね」
「・・・・・・」
「どれだけ長い時間が経とうとも、必ず再会できる。だから、私は待つことができるの」
「・・・・・・随分と、入れ込んでいる、わね」
「そう見えるかしら?」

ようやく涙の止まった瞳を真っ直ぐに向けての問いかけに、紫は意外そうに目を見張った後、可笑しそうにふふ、と笑う。だがその口調や様子とは裏腹に、その顔には、微かな郷愁が混ざっていた。



紫は、アリスに輪廻転生を説いた。霊夢達は必ずこの幻想郷に生を受ける、と。

だとすれば、恐らく紫は、前世の霊夢や魔理沙と出会い、今までと同じように他愛もない会話をしながらお茶をしていたのかもしれない。――もしかしたら、そのまた前世とも関わりがあったのだろうか。

今日において、博麗大結界によって外界と隔離された幻想郷が生まれた時より生き、それを知っている妖怪は、紫を含めて数える程度しかいない。ましてやその中でも、博麗の巫女、白黒魔女と紫との個人的な関係など、当の本人しか知らない事だろう。

紫と霊夢、魔理沙との関係がいつから始まり、今日まで続いているのか。そこにどんな出来事があり、どんな想いがあったのか。
生まれてまだ百年にも満たないアリスには分からない。


――だがそれでも、紫が霊夢達との時間を楽しんでいることだけは、その表情から読み取ることができた。


騒動を起こしたり、起こされたりを繰り返す中で、時には敵対してみたり、共に戦ったりする。そしてそれが終わった後は神社へ行き、騒動を起こした者達と一緒にお酒を飲む。

そうしている時間そのものが、彼女にとっては楽しいのだろう。



・・・・・・少し、妬ける。



「そう見えるわ・・・・・・私が聞いた、あなたの印象とは大違い」
「ふぅん?」興味なさそうに鼻を鳴らして、しかし紫は笑って言う。「まあ、他人が何を言ったところで、その人物の本質を表しているわけではないわ」
「そうなの?」
「ええ。あなたが見た私と、私から見た私では、印象が違うでしょう?それはとても単純で当然のことだけど、故に「あなたが知っている私」と「私が知っている私」は違う存在として区別される。だからこそ、誰にも『私』を正確には把握できないの。・・・・・・勿論、私にも」
「・・・・・・」
「けれど、私は別に、他人が何と言おうが気にする理由もないし、構わないのだけれど」
「・・・・・・年増とか、化粧が濃いとか言われても?」

言った、言ってしまった。
何の含みも持たせず、何気なく思った疑問をそのまま口にした。――――それが禁句中の禁句だとも知らずに。



――――――ピキリ、と、何かが引きつった音が、確かに響いた。



瞬間、空間を埋め尽くす程に膨れ上がった妖気に、アリスは息を呑み、無意識の内に一歩下がった。。
その、周囲を満たす膨大な妖気の発生源である紫は、ふふふっ、と笑いをこぼしているだけ。
ただそれだけだと言うのに――アリスは心臓を鷲摑みにされた気がした。

「――――そう、ね。関係ないわ」

微笑みを浮かべて。しかし口でこそそう言っているが、その口元が引きつっているのが嫌でも分かる。しかもよく見れば、目がまったく笑っていない。酷薄な光を帯びた瞳が、まっすぐにアリスへと向けられていた。
ちょっと待って、私がそれを言ったわけではないのに。アリスの心の叫びは、しかし紫には届かない。それ以前に喉が渇ききっており、言葉にすらできなかった。
先ほどとは違う意味で、目をあわせられずに逸らす。まさしく、蛇に睨まれた蛙状態、一秒でも合わせればそのまま魂を抜かれそうな気がした。

最も、その状態は五秒と続かなかったが。

博麗神社という中にあって、一瞬にしてその一角を支配した膨大な妖気は、表れた時と同様に、唐突に消え去った。だが、これだけ強大かつ禍々しい妖気が放たれたにも関わらず、霊夢達が気付かないのもおかしいのだが――よくよく考えてみれば、先ほど泣いた時の声も聞かれなかった訳がない。だというのに、霊夢達が動く気配すら感じなかった。

――恐らく、この周囲に張られた結界が、妖気も音も、何もかもを遮断しているのだろう。そうとしか考えられない。

その結界を張った張本人である紫は、ふぅ、と、疲れとも呆れともとれるため息を漏らした。

「・・・・・・ずれた話を元に戻すけど、あなたは人間と比べれば永い時間を生きる者。だからこそ別れも多いけれど・・・・・・逆に言えば、それだけ出会いもあるの。出会いと別れは対極でありながら釣り合いがとれているのだから」
「・・・・・・なら、私は待たされる側なのね。あいつらが私の前に現れるまで、ずっと」
「ええ、そう言うことよ」

頷いて、しかしどこか遠くを見つめているような目で、紫は続ける。






「けれど、本当に待たなければならないのは、もしかしたら――――――」







☆★☆★☆







紫と別れ、霊夢達のいる部屋へと戻ってきたアリスの目に飛び込んできたのは、家で留守番をしていた筈の人形達が勢ぞろいして座わり、霊夢が見守る中、少女と楽しそうに双六をしている光景だった。何故双六、しかもその盤には『人生ゲーム』と書かれているではないか。
随分と気の利いた冗談ね、と、アリスは呆れの混ざったため息と共に呟く。しかも、本人たちがその皮肉に気付かず楽しんでいるのも、なかなか面白い冗談だと思えた。

――――さてどうしましょうか。

このまま入り口に突っ立っているのも気が引けるし、何より間抜けだ。だが、ゲームの名前に気を取られて、何となく、声をかける機会を潰されたような気もしていた。

部屋の入り口に立ち、どうしようかと腕を組んで思案する姿も、間抜けと言えば間抜けだったが。

そんなアリスに真っ先に気付いたのは、ゲームに参加していなかった霊夢だった。

「あら、アリス。お帰り」
「あ、お帰りなさい、アリスさん。つい先ほど、お人形さん達も到着されましたよ」
「あ・・・・・・ご主人様。あの、これは――」

悪戯を見つけた大人のような、面白がっている微笑みを浮かべる霊夢と、事情が分かっていないのか、何の含みもない微笑みを浮かべる少女と、悪戯の見つかった子供のように、ギクリと体を硬直させて、恐る恐る振り返る人形達。

まさしく三者三様の反応を見せる彼女達に、軽く息を吐いた後、

「面白そうね。私も混ぜてくれないかしら?」

てっきり咎められると思っていた人形達が一様に驚く気配を見せる中、アリスは微笑んでみせた。




――――今でも、別れは辛いけれど。


――――それでも、今なら、心から笑えるような気がする。


――――そして、微笑んで、見送ることができる気がする。





――――ねえ、霊夢。生まれ変わった後も、また一緒に――――









☆★☆★☆









第十三代目博麗の巫女死す。


その報をアリスが聞いたのは、霊夢の所へ遊びに行ってから、三日後のことだった。


その日を境に、幻想郷の空を覆い隠していた灰色の雲から再び雨が降り始めた。


だが、それは前までの雨とは違っていて。


幾つもの雷鳴が木霊し――まるで滝のような、土砂降りの雨だった。


その天気は、霊夢が死んでから七日七晩続いた。


それが、天が慟哭しているようにも、感じられて、





家の中からその様子を眺めていた、紅色のアリスの瞳から、


――一筋の涙が、こぼれた。








・・・・・・Next Phantasm



このお話はcoccoの『うたかた。』をイメージとして書いています。
個人的意見ですが、アリスってcoccoの曲が合う・・・・・・と思うんですよね。優しさと暖かさの裏に秘められた、確かな狂気。
ただ「手に入らないのなら、いっそのこと私の手で」ではなく「手に入れるためならこの手を汚しても構わない」といった類いのものでは、と、勝手に思っています(笑

あ、けど結果として同じ・・・・・・にもなるのかな?





・・・・・・巡り巡る輪廻の理。

もしかしたら妖怪にとっては、死は別れであると同時に新たな出会いでもあるのではないだろうか。

そんなことをふと思い、そこに幼い頃の経験談を交えつつ考えたのが今回の第四幕。


・・・・・・最萌やら今までの創想話を見るにつれ、ネタがかぶっているような気がしなくもないですが(汗
それ以前にその時の気分とBGMで文体まで変わるのはSS書きのはしくれとしてどうなのだろうか、と自問自答を繰り返す日々。

書くのに時間かかりすぎだよ、と友人から叱咤を受けながら、

それでも頑張ります(何
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コメント



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……いい。
いつも貴方のアリスに会えるのを楽しみにしていました。
次の相方は誰なんだろうと思いながら。
そしていつか、霊夢が来てくれたら…そう思ってました。
Next Phantasmも楽しみに待たせていただきます……