Coolier - 新生・東方創想話

ゆかえいき

2010/04/18 01:01:32
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 今年こそは、冬の訪れを待ってから、そう思っていた。無理だと悟ったのは、冬の足音が聞こえてきたとき。来るのを待つのではなく、自分から出向く。これまでもずっとそうしてきたのだし、これからも、そうすることになるのだろう。彼女を待たせることによるメリットと、彼女に会うことを先延ばしにするデメリットの比較など、するだけ無駄なのだ。
 
「藍」
 
「お呼びですか」
 
「しばらく、留守にするから」
 
 まだ日は高い。不在にする間の諸注意を与える時間はたっぷり、ある。
 
 ◆
 
「……だいたい、これくらいかしらね。判った?」
 
 いつの間にか、夕陽が差している。秋は、夕暮れ。なるほど山の端は近く見えるかもしれないが、別にカラスが飛んでいたりはしない。飛ばぬなら、飛ばせてみようと思いもしたが、わざわざ式を使うのもばかばかしいことである。
 
「大丈夫ですよ。毎年のことですから」
 
 そう言って、目礼を返してくる。結界の管理方法から、お歳暮・年賀状の届け先や内容、下級妖怪が悪さを働いたときのお仕置きメニューなどなど、確認しておくことは多い。私のもとを訪れる者がいた場合の対処も忘れてはならない。何しろ、種族としての特性で冬眠している、という設定なのだ。少しのほころびもあってはならない。
 
 藍は優秀な式だから、私が存在してさえいれば、私の力を行使できる。私の力があれば、私自身がいなくても結界は維持され続ける。だから私は、安心してここを離れることができるのだ。
 
「貴方のおかげで楽ができるわ。ありがとうね、藍」
 
 そして、私は隙間を開けて、その中へ溶け込んでいった。隙間を閉じる瞬間に、ちらりと振り返った。しばしの別れ。
 
 行き先は、決まっている。
 
 ◆
 
 隙間を抜けると、そこは一軒家であった。
 
 木造の平屋、庭付きである。間取りは、私の記憶が確かならば、居間と台所、書斎に寝室と、応接もできる客間が二つほどあったはず。ここに、彼女は独りで住んでいるのだ。何とも贅沢なことであり、私が居ついて少しでも狭くしてやらなければならないと思うのだが、どうだろうか。
 
 鍵は掛かっているものの、私が家の中に入ることは妨げられない。彼女の能力からすると、私でも入れないようにしておくことができるはずなので、まだ、許されているということなのだろう。相変わらず生活感のない家であるが、逆に変わっていないということに安堵する。
 
 まず確認すべきは台所事情である。彼女は食に大した興味を払わないので、どうせろくなものを食べていないはずだから。それでも、そう思ってはいたが、実際にカップラーメンの容器などを目にするとさすがに眩暈がする。とはいえ、こういったものを見ると、ここが幻想郷ではないことを再認識して、今年も彼女のもとにやってきたのだ、ということが自覚できるのも事実である。ただし、だからといって食生活が悪くなっていいわけがない。ちょっとは栄養バランスとか考えなさい、などと心の中で毒づいて、隙間経由でいくつかの食材を取り寄せる。せめて私がいる間くらいまともなものを食べさせてあげたい。
 
 一週間のメニューを考えながら、他の部屋も見て回る。ベッドは乱れたままだし、衣服も乱雑に置いてある。これでどうしてあんなに固い仕事をしているのか、まったく理解に苦しむ。洗濯物を干しているところから直接衣服を取っていっている形跡を見つけたときは、これまた憤慨したものである。全て取り込んでアイロンをかけてきっちりたたんでやりたい衝動にかられるが、ここは原状のままにしておいて、証拠とするほうが得策であると判断した。
 
 庭に出ると、先ほどと同じように夕暮れ時の太陽がこちらを向いている。この時間になると肌寒さが増してきて、またいっそう、秋の終わり、冬の近づきを感じる。彼女が帰ってくるまでに、多くの時間があるわけではないだろう。どれくらいのことができるだろうか。
 
「とりあえず、ご飯作っちゃいましょうか」
 
 今日はシチューだ。ゆっくり煮込んでいる間に、部屋の片づけもしてしまおう。そんなことを、考えていた。
 
 
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 
 
「おや、まだ仕事ですか?」
 
 執務室に入ってきたかと思うと、そんなことを言ってくる。しかし、こんな時間まで仕事をすることになった原因は、彼女にあるのだ。
 
「貴方が珍しく仕事をしたからですよ。それも、昼寝のあとに」
 
「珍しくは余計です。あたいはいつも、それなりに仕事をするんです」
 
 赤い髪を揺らしながら、冗談めかして口をとがらせる。
 
「集中的にやるなら午前中にしなさい。その方が、私も早く帰れるのですから」
 
「閻魔様がそんなこと言っちゃっていいんですかい?」
 
「いいんですよ。今は勤務時間外ですから」
 
 口は動かしていても、手を休めることはなかった。きりのいいところまでやって、今日の仕事はそれまでとする。最近は経費削減とやらでそうそう残業もできなくなってきているのだ。幸か不幸か、月の残業時間が二十時間を超えることのない私は、特に問題視もされていないのだけど。
 
「それじゃあ、帰りますかね」
 
 区切りがつくのを見計らっていたかのように、声がかかる。かのよう、ではなく、見計らっていたところが彼女の賢さであり、その辺りの機微がわかるからこそ私は彼女を使い続けている。
 書類をざっくりと袖机の中に入れて、施錠をする。鞄にはなるべく物を入れないことにしているのだ。
 
 階段を使うのも面倒なので、窓を開けてふわりと降りる。それでも、ゆっくり降り立った頃には、隣には執務室に残してきたはずの彼女がいた。
 
「横着ですねぇ」
 
「どちらがですか」
 
「そりゃあ四季さまに決まってますよ。可愛い部下を残して窓から出て行くなんて」
 
「可愛い部下には仕事をさせろ、という諺もありますから」
 
「息を吐くように嘘をつくのやめてください。誰かさんに舌を抜かれますよ」
 
「あら、私があると認定したのです」
 
「見事な職権濫用ですなぁ」
 
 冷ややかな視線も何処吹く風、のはずが、現実の風に少々肌寒さを感じる。ああ、もうそんな季節なのだと、あらためて気付かされる。
 
「だいぶ寒くなってきましたね」
 
「ええ、レティ・ホワイトロックがずしんずしんやってますよ」
 
「ふむ。それでは、そろそろかもしれません」
 
「何がですか?」
 
「いえ、私はちょっと寄っていくところがありますので。小町は構わず帰ってください」
 
「へいへい。それでは、お疲れ様でした」
 
 彼女を残して、右に曲がる。そういえば、好物は何だっただろうか、記憶を探りながら目当ての店に向かった。
 
 ◇
 
 歩き慣れた路をたどると、だんだん大きくなっていく我が家。特に灯りが点いているわけでもなく、ひっそりと佇んでいる。見たところ、誰かがいるという感じはしない。まだだったかしらね、そう心の中で呟いて、玄関に手をかける。
 
「ただいま」
 
 誰に言うでもなく、ただ儀式としての言葉である。もちろん、返事など期待してはいなかった。しかし、鍵をかけて、振り返らんとした、まさにそのときである。
 
「お帰りなさい」
 
 聞き覚えのある声に、一瞬、動きが止まる。覚られたかどうか、少しだけ気になったけど、何ごともなかったかのように声の主に正対する。まったく、まるでずっとそこにいたかのような顔をして。とでも言おうかと思ったけれど、そう反応するのも癪である。
 
「お土産」
 
「あら、嬉しい」
 
 ぱっと顔が明るくなる。彼女は、年の割りに、というと語弊があるかもしれないが、感情の起伏があり、また、それを顔に出す。もっとも、妖怪というのは変化のない存在だから、年を経てもそうそう変わるものではないのかもしれない。
 
「勝手に上がり込んでなければ、なお良かったのだけど」
 
「それは無理な注文ですわ」
 
 鞄と手さげ袋を渡して靴を脱ぐ。いつものようにスリッパを履こうとしたが、無い。
 
「いま干しているのよ」
 
 本当は、床に足を直接乗せるというのは好きではないのだけれど。という思いが表情に浮かんでしまったらしい。
 
「大丈夫、床も拭いておいたから」
 
「そういう問題ではないのだけれど、仕方ないわね」
 
 この分だと、いろいろと片づけられているのだろう。後で小言が待っているかもしれない。家のことには無頓着な私を、彼女はいつも怒る。生活できるようにはしてあるのだからいいじゃないか、という私の意見が通ることはないのだが、まあ、そんなことは些事である。
 
 今年も、また彼女が来てくれたのだから。
 
 
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 
 
 少し時間ができたので、ベッドで休憩をとることにする。一人用のものを二つ並べたくらいの大きさがあるこのベッドは、私が滞在している間、二人で寝られるようにと買ったものである。真ん中に境界を引いて、右に映姫、左に私。
 
 映姫の朝は、早くて遅い。これだけでは何のことかわからないだろうが、要は彼女は二度寝するために早起きするのだ。まず一度目に起きたときには、軽く伸びをして、ベッドを軽く直し、時間を確認して再度眠りに落ちるのである。「あとこれだけ眠ることができる」ということは彼女にとって至上の喜びらしく、二度寝中は本当に幸せそうな顔をしている。ほっぺたをぷにぷにしようと起きることはないため、私にとっても至福の時間である。
 
 ひとしきり映姫を堪能したら、私は台所へと向かう。彼女に持たせるお弁当を用意するためであり、ちょっと余分に作って朝食とする。作っているうちに彼女が起きてきて、二人でいただく。彼女は基本的には何でも食べるのだけど、それで却って何を用意しようかと迷わされる。創意工夫を施しても気づかないし、味付けもシンプルなものを好む。あれとこれ、どちらがいいかと聞いてみたところで、作るのが楽なほうでいいと返ってくるのだ。作りがいのないことこの上なく、しかし本人としては気遣っているつもりなので性質が悪い。
 
 もっとも、味についてはストレートな感想を述べるため、下手なものを出すことはできない。一口食べて、美味しいと言ってくれると嬉しい。もう一度聞きたくて、美味しかった? と聞き直してしまうこともしばしば。ただ、そういうときに限って、さっき言った、などとデリカシーのない発言をするのが映姫なのだけれど。それで、そういうときは、判りやすく頬を膨らませてやるのだ。そうすると、食べ終わったときに、美味しかったですよ、などの言葉を残してゆく。
 
 彼女を送り出したら、今度は私が二度寝をする番である。昼過ぎまでゆっくりして、それから掃除、洗濯などする。ここへ来てしばらくはかなりの時間を費やしていたけれど、一通りはきれいにしたので、最近は余裕が出てきている。そんなときは、隙間を開いて幻想郷の様子を確認するか、今のようにベッドで思索にふけるのだ。そして、冷蔵庫の中身と相談しながら夕食のメニューを決める。併せて、映姫に買って帰ってきてもらいたいものをリストにして、そっと彼女の机に置いておく。隙間万歳である。
 
 ちなみに、彼岸の生活水準は決して低くない。私の見るところ、外の世界からすれば一世代ほど遅れているものの、幻想郷よりはずっと進んでいる。電気も通っていて、暮らしに困ることはない。何しろ、労働力は無限にあるのだ。そして、電力を確保するために新しい地獄を創設するような奴らが権力を握っている。その地獄に墜ちた魂は、生前に使っていたエネルギーをまかなうまで自転車をこぎ続けるという。発想した奴は馬鹿だが、許可した方はもっと馬鹿だ。その馬鹿の恩恵を受けている私も馬鹿の仲間入りである。
 
 まあ、今の私は普段の私を知る者からすると想像もつかないのではないだろうか、という自覚はある。しかし、逆に言えば、ここにいる間だけは「八雲紫」であることから解放されるのだ。冬眠というのも、比喩的なものと思えばまったくの嘘というわけでもない。自分の行動がもつ影響力を気にしないで、ただ相手のことのみを考えていればいいなんて、どれほど素晴らしいことか。彼女が幻想郷担当の閻魔として赴任してきたときからの関係なので、もう随分と長いこと続けていた計算になる。弊害は、この関係に慣れすぎてしまったため、普段会うと何だか気恥ずかしくなってしまうということ。おかげで、自然と彼女を避けるようになってしまった。
 
 もっとも、隙間妖怪からすれば、白黒はっきりつける程度の閻魔というのは非常に相性が悪い。勝ち負けを考えずに喧嘩をふっかけるような頭の悪い真似はむしろできないので、今のような関係でなくとも避けてはいたのだろう。しかし、彼女を知らず、ただ避けるのみでは何とももったいない。あの頭が固く説教好きだと思われている閻魔が、プライベートではあんなにいい加減な奴だなんて、そのギャップがまた良いではないか。
 
 体を横向きにして、視線をもう一つの枕に落とす。横向きになって寝るときは、右半身を下にすることが多い。だからこそ、そうなったときに映姫に背を向けないよう、私は左側に寝る。一人のときは気にしないでいいはずなのに、やはり私は左側。この二人で寝るのに丁度良い大きさは、一人で寝るには少し広い。
 
 手を伸ばして、境界を突き破る。右側の空間の所有者は、きっと一人のときは真ん中で寝るのだろう。私がいないときに、もう少し私の存在を感じていてほしいというのは、彼女に対しては無茶な要求なのだ。そのまま、彼女が寝ていた場所に手を滑らせる。なめらかな手触りを楽しみながら、それでもこの平穏なる日々は悪くない、と思う。何しろ、懸念すべきは、洗濯物が乾くかどうかと、料理が映姫の口に合うかどうかぐらいなのだから。
 
 
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 
 
 執務室にて一人、判決記録を作成する。この仕事、他人任せにできない事務作業が意外と多い。机の上には、所狭しと判決調書などが広げられているのだが、場違いな雰囲気を漂わせているものがある。
 
 バスケットが一つ。叩いても別に増えたりはしない。
 
 今日はサンドイッチらしい。ただし、サンドイッチかというと、パニーニだと強く言われた。私としては、正直なところ、仕事上の必要に迫られでもしない限り両者の区別をはっきりさせるつもりはない。それが、どこにも収まりきらないので、仕方なく机の上に置かれている。
 
 こういうところはなるべく他人に見られたくないのだが、そう思うときに限って来訪者がいるのはどうしてだろうか。
 
「四季さまー。お昼行きませんかー」
 
 このやる気のない声の持ち主は、偶に私のところへやってきて昼食に誘う。理由はタイミングの問題で、彼女が魂を運んできた時間と、昼時とが偶然にも一致した場合にのみ、こうして現れるのだ。一人で食事を摂るよりは良いのだが、一応は上司であるから、そのときの昼代は私が持つ。善し悪し、というところだろうか。
 
 とはいえ、今日は別の理由により断らなくてはならない。
 
「私はお弁当ですから」
 
 小町は、バスケットに目を留めると、まずは意外そうな顔をした。そして、その後、何かに思い当ったようである。
 
「さては女でもつくりましたね」
 
「何でそうなるのよ」
 
「四季さまが自分で作るわけがないじゃないですか」
 
「失礼な」
 
「ま、端正な顔立ちに長身のスレンダーボディ、しかもエリートとくれば、どう考えても不自由しませんなぁ。羨ましい限りです」
 
「それを言うなら、貴方も大概でしょう」
 
 なんとなれば、彼女に人のプロポーションを羨む資格は、無いからである。口には出さず、視線に込める。
 
「いやいや、あたいはしがない船頭ですから。では、一人寂しい昼食といきますか」
 
 視線の効果か、早々に退出していった。怠惰なだけでなく失礼な部下だが、仕事以外のことなら自由にさせているのは自分であるから、特に問題とはしない。それよりも、気が削がれてしまった。少し早いが、私も昼食にしよう。調書をどけて、サンドイッチ、いや、パニーニを広げる。
 
「いただきます」
 
 ここにはいない、彼女に向けて礼を言ってから、一かじり。美味しいのがまた、少し腹立たしい。
 
 ◇
 
「ごちそうさまでした」
 
 一人、手を合わせる。空になったバスケットの軽さに驚くとともに、少しだけ、私の気は重くなる。バスケットが私で、パニーニは紫だ、という想いにとらわれたからである。冬の間限定の、彼女と二人で過ごす日々は充実していて、それが終わった後で一人になると、途端にある種の空虚さに襲われるのだ。独りでいることを寂しいと感じるような思考回路は持ち合わせてはいない。ただ、二人でいる間は、それを前提として生活する。その感覚は、一人になったからといってすぐに切り替えられるものでもなかった。
 
 彼女との関係は、幻想郷が外界と交わりを絶ったため、地獄においても新たに幻想郷を担当する閻魔を任命する必要に迫られ、私に白羽の矢が立ったのが始まりだった。何故私なのか、と考えたものであるが、幻想郷において指導的立場を有していた妖怪の話を聞いて、そして実際に会ってみると納得できた。
 
 その妖怪は、境界を操ることができる程度の能力を有していた。一見すると便利なその能力の弱点は、既にある境界を操作することはできても境界を新たに生みだすことはできない、というものである。ただし、実際に境界があればもちろんだが、なかったとしても、そこに境界があり得るのであれば、その境界を操ることができる。隙間を広げることはできても、隙間を創ることはできないという、とても概念的な能力であった。
 
 新たに閻魔に任命された者は、白黒はっきりさせる程度の能力を有していた。実際に白や黒になるわけではない。これまた概念的な能力である。仮に世界の全てを白であるとはっきりさせたとしよう。その瞬間、世界から境界が消えることになる。隙間妖怪にとっては、まことに致命的なのだ。操るべき境界を失い、彼女の姿は白日の下に晒される。もっとも、それは伝家の宝刀とでも言うべきもので、世界を再定義する手間を考えれば実行に移されることはないと思うが、理論上、白黒つくのは彼女だけである。
 
 しかし、今日に至るまで、二人が争いを起こすことはなかった。それどころか、今ではもっとも親しい友人である。少なくとも、私は彼女のことを好ましく思っており、対峙するつもりはない。私たちは、互いに自分の立場を気にしないで済む誰かを必要としていたのだろう。生者にとって閻魔はなるべく避けたいものであるし、彼岸においては上下関係が邪魔をする。紫だけが、私と正対しようとした。彼女の人となりは、世評に反して非常に真面目である。ややもすれば独善的に過ぎるきらいはあるけれど、幻想郷を愛し、そのためなら何をも厭わない姿勢はとてもではないが真似できないと思う。他人から理解されなくてもよい、というスタンスを貫くことができるのは、真に強い者だけである。私もそうありたいと願っているのだが、まだその域までは達していない。
 
 袖机から、一枚の紙を引き抜く。そこには、人事からの打診が記されている。まぁ、言ってしまえば担当変更である。是非曲直庁の良いところなのだが、一方的な通告にはならない。個人的には、現在の担当を気に入っていることもあり、さほど乗り気ではない。ただ、この機会に前々から考えていたことを実行に移してみようとは、思った。さて、今日の手土産は何にしよう。生前は高名なパティシエだった魂が最近開いた店があったはずだから、そこに行ってみようか。
 
 
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 
 
「異動?」
 
「ええ。内々に、ですが打診されていて」
 
「それ、私が言い触らしたらどうするのよ」
 
「人を見る目がなかったってことだから、閻魔辞める」
 
 彼女が言うからには、本気なんだろう。そういう奴なのだ。映姫の基準というのは、私からすると独特である。ロールケーキを買ってきたというから、コーヒーでもと思ったところ、何とインスタントのものしかないという。私は好きなんですけど、とかそういう問題ではないと思うのだ。ミルクは厳選するくせに、なぜ豆には拘らないのか。彼女に言わせれば、楽だから、ということになるのかもしれない。かかる手間が同じならば、より質の高いものを選ぶ。かかる手間が違うならば、より楽なほうを選ぶ。
 
「で、私にそれを言うってことは、何か他にあるんでしょう」
 
「そうなんだけど、ね」
 
 珍しく、歯切れが悪い。ロールケーキをフォークで突っつきながら、ちょっと伏し目がちな姿など、これまで見たことがない。
 
「ね、じゃないわ。何なの」
 
「……私の後任として、貴方を推薦しようと思ったのよ」
 
「はぁ? 何を言い出すのよ」
 
「だって、貴方は私よりずっと閻魔に向いていると思うもの。真面目だし」
 
「御冗談を。私はどこにでもいる普通の隙間妖怪よ」
 
「私だって、どこにでもいる地蔵だった。出自は問われないから大丈夫。資質の面でも、私が保証するわ」
 
「丁重にお断りさせていただきますわ」
 
「すぐにとは言わないから、考えておいて」
 
 言ったことで満足したのか、ロールケーキの半分を掬ったかと思うと一口で食べようとする。上手くいかず、口の端にクリームがついているのを見て、思わず微笑んでしまった。もうちょっと反駁しようかと考えていたけど、どうでもよくなって、私もロールケーキに手をつけることにした。やっぱり、コーヒーは豆から選ばないとねぇ、としみじみしたけど、それもどうでもよいことだった。
 
 ◆
 
 お風呂から上がって、髪を乾かしている間に、先程の映姫の提案について考えてみた。結論の出る類のものではないため、整理してみたというほうが正しいかもしれない。もちろん、受ける受けないという点は考えるに値するものではない。私が現在の立ち位置を捨てて幻想郷担当の閻魔になどなるわけがないからである。気になるのは、なぜ私なのか、ということ。大別して二つ、さらに分けて四つ、派生させて八つと分類をしてゆく。考えすぎると悪い方向に向かう可能性があるため、そこまで細かくは分けないように気をつける。
 
 ただ、こういうものは、実際の理由は意外と簡単なことだったりする。聞いてみるのが一番早いのだから、正解を教えてもらうことにしよう。寝室に行くと、彼女は既に寝る準備ができている。ベッドを半分に区切った、その真ん中が定位置で、寝返りをうつこともほとんどない。
 
「ねぇ」
 
「何です?」
 
「どうして私を閻魔にしようとしたの」
 
「さっき言ったとおりだけど」
 
「嘘はついてないけど、全てを言ったわけでもない。違うかしら」
 
 じっと彼女の瞳を見つめる。
 
「心配なのよ。貴方が何かを選ぶときの基準を知っているから」
 
「笑わないって、約束するなら」
 
「誓うわ」
 
 ベッドに腰掛ける。部屋の照明を落とし、ブラケットライトだけを残すと、柔らかい灯りとともに、適度な暗さにつつまれた。
 
「さっき言ったことは本当なのよ。貴方は物事の基準というものを知っているし、問題から解決に至るために明晰な推論をするだけの判断力と知識をもっている。貴方の勤勉さは新たな問題でも乗り越える原動力となるし、表現力も豊か。何より、思いやりがある」
 
「それ以上はやめて、恥ずかしくなるわ」
 
「奥ゆかしさ、も追加するわね。でも何より、貴方も閻魔になれば、より近くにいられるじゃない」
 
「近くに。私と、貴方が」
 
「物理的な距離の話よ。閻魔になれば、彼岸に住むことになるから。だって、春が来て、貴方がいなくなるたびに、私は」
 
 言葉が途切れる。ちょっとした時間の隙間を使って、彼女と私の間にあった境界を飛び越える。手を伸ばせばどころか、首を伸ばすだけで届きそうなその距離に、さすがの映姫も驚いた様子だった。
 
「どうしたの」
 
「言って。続き」
 
 にっこりと微笑むと、観念したかのように目を閉じる。
 
「……寂しいのよ」
 
「聞こえません」
 
「まったく。貴方がいなくなると寂しいから、もっと近くに感じていたいの。わかった?」
 
 そう言ったと思うと、背を向けられてしまった。私といえば、胸がいっぱいになって、無防備な背中に抱きつく。
 
「嬉しい」
 
「恥ずかしいわ」
 
「貴方の申し出は受けられないけれど、もっと近くに感じてくれて、いいのよ」
 
 手をとって、くるんとこちらを向かせる。初めて、彼女と手をつないだまま、眠った。
 
 
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 
 
 冬の終わり、春の訪れ。昼時になると、かなり暖かくなってきた。春は、これまで別れの季節だった。これからも、そうであることには変わりはない。けれども、前ほど寂しくないのも確かである。家に帰っても彼女はいないが、これからは冬以外でも時々は遊びに来ると言っていた。それから、紫に約束させたことが一つ。普段のときに顔を合わせても、露骨に避けたりしないこと。さて、八雲紫が四季映姫と鉢合わせたときに、どんな態度をとるかは楽しみである。それに、私はまだ、彼女を同僚とすることを諦めたわけでもない。
 
「四季さまー、は、お昼は弁当でしたっけ」
 
 このやる気のない声の持ち主は、偶に私のところへやってきて昼食に誘う。
 
「いいえ、違いますよ」
 
「あれ、振られましたか」
 
「失礼な」
 
「最近評判のところがあるんで、行きませんか」
 
「値段次第ね」
 
「ケチな上司は嫌われますよ」
 
「お金は正しく使わないといけないの。仕事をしない部下には、それなりしか使ってはいけない」
 
「じゃあ、出世払いってことで」
 
 口の減らない部下である。久しぶりに家具を買い換えたから、懐は少々心もとないが、気分が良いので瑣末ごと。
 
 新しく買ったベッドは、二人が離れて眠るには、少し狭い。
 
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コメント



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自転車こぎ地獄には落ちたくないな

電気を大切にしよう
6.100名前が無い程度の能力削除
ゆかえーきは俺の彼岸
7.100名前が無い程度の能力削除
ええじゃないですか。
ええじゃないですか。
10.100名前が無い程度の能力削除
なんといいますか。
すでに章分けの白と黒の配置からして、ニヤニヤしてしまうようになった私がいます。
友情か……そういうのも、あるんだな。良いな!!w
17.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいものを見せて頂いた^p^
紫が同僚になることはないんだろうけど、でも誘われる程好かれているんだなあw
えーき様が私生活テキトーだったり、紫が半ば通い妻みたいだったり、二人の仲が良かったりと、新鮮な気持ちで最後まで見ることが出来た
親友な二人もええじゃないか
18.90名前が無い程度の能力削除
これがしっとり系か…
いや、素晴らしいな
22.100名前が無い程度の能力削除
燃えるような情景も急激な事件もどこにもない。
けれどほんのりまったり、下流の河のように進んでいく物語。

素晴らしかったです。ごちそうさまでした
29.90ずわいがに削除
映姫様のプライベートがだらしなくて安心したw
仕事をきびきびこなして、普段の生活まできっちりしてちゃあ、どこでガス抜きしてるのかって心配だものね;ww
40.100名前が無い程度の能力削除
とてもいい