Coolier - 新生・東方創想話

しゃくとりさま。

2010/04/08 05:04:25
最終更新
サイズ
21.97KB
ページ数
1
閲覧数
1147
評価数
10/45
POINT
2590
Rate
11.37

分類タグ


「さとりさまって、何かしゃくとりむしみたいだよね」
「…はあ?」

空の突然の一言に、首を傾げるのは空の親友である燐。
こうして出会った瞬間にいきなりそう言われるとは思わなかったので、燐は無感情で返事してしまっていた。
そんな様子の燐を気にせず、空はもう一度繰り返す。

「いやだから、さとりさまってしゃくとりむしみたいだねって」
「…ごめん、おくう。多分だけどあんたの言葉、述語部分に物凄い欠落があると思う」
「うにゅう?」
「…ああ、おくうには難しすぎたね。いい?つまりあたいはあんたの言う意味がまったく分からないってことなの」

燐の言葉に、そっかぁと小さく頷く空。
その様子を見て、ああ、分かってないなぁと燐は思った。こうして曖昧に返事をするのは意味が全然分かってない証拠だ。
とりあえず頷くだけの水飲み鳥、或いはイエスマンと言ったところか。
しかし、さとり様がしゃくとりむしとはどういうことか。普段から地べた這いつくばってうねうねしてるのなら分かるのだが。

「…」

少し頭をぽりぽり掻いた後、燐は手をあごに当てて考える。
ちょっとその様子を想像してみたのだ。もし、さとりがしゃくとりむしみたいなことをしていたのならば…。





「…ん、ん…」

…地霊殿の一室、さとりの部屋。そこの中心で、さとりはうつ伏せとなり、蛞蝓のように地面を這っている。
時折小さく声を出しながら、うんしょ、うんしょと小さく前に進む。それに何の意味があるかは全くの不明である。
人間の体をしているさとりは勿論上手く動けず、体をくねくねしながら蛇行して進む。

「はあ…もう少し、後少しですから…っ」

次第に疲れで頬を赤く染めながら、さとりはゆっくり、ゆっくりと確実に、数センチ規模で進んでいく。
端っこまで着くと、右か左に方向転換をして、またじわりじわりと。

「……ふぅ……」

やがて部屋を一周したとき、少しだけ充実した顔ですっと立ちあがり、また何事も無かったかのように椅子に座るのだ…。
燐がそこまで考えていると、ふとある一つの思いが浮かんでくるのだった。







ああ、カリスマって何だろうなぁ。
というか、あたいは何を考えてるんだろうなぁ。







「お燐?おおい、お燐ー?…。…もしかして、た、立ったまま死んでる…っ!?」
「…はっ。…どうすればあんたはそんな極論にたどり着くんだい」

すすすと想像から覚める。目の前には心配そうに燐の目の前で手を振っている空がいた。
それはそうだろう、話している相手に急に黙られてしまってはどうすれば分からなくなってしまう。それは人も妖も同じなのだ。
燐は少し首を振った後、空の推測を真っ先に否定する。
こうでもしないと空の妄想はどんどんエスカレートしていってしまう、八咫烏式瞬間暴走型システムなのを、燐はよく知っているのだ。
この制御は燐とさとりにしか出来ない。彼女らがいなければ、空は止めようが無くなるのだ。

「あれ?お燐死んでなかった。…良かったー、これから灼熱地獄一人で切り盛りしなきゃいけないなぁとか思っちゃったよ」
「心配するとこそこなの!?」
「うんまあ、お燐ってもし死んでも何か怨霊としてあっさり戻ってきそうじゃない」
「あたしゃここにいるよ!?勝手にあたいを亡き者にしないでー!」

燐の存在意義を揺るがす空の発言に、慌てながら返す燐。
受け答えをする中で燐は、あたいとは何だ、もしかしておくうからはそれくらいの存在としか思われていないのか。
…と、心の中はゲリラ台風並みの暴風が吹き荒れていたとか。
このままではあらゆる意味でおくうに潰される、と危惧した燐は本来の質問の方に話を変えることにした。
燐も苦労人なのである。

「そ、それはともかく…どうしてまたさとり様がしゃくとりむしなんだい?全く似てないでしょーが」
「…うーん、似てると思うんだけどなぁ…」
「おくう、あたいは一度目の検査をおすすめするよ」
「そうなの?」
「そう」

燐にそう言われると、空はしょんぼりと肩を落としてしまっていた。
どうして悲しいのかは全く分からないが、悲しそうな空を見ると燐の心はずきり、としてしまう。
それはよく分からない感情だったが、こんな空は見たくないとだけは分かっていた。
燐は真剣に考えてみる。一体全体どうしてさとり様がしゃくとりむしなのかという、ある意味竹林の姫よりも難しい難題を解こうと頭を動かす。
そして、頭の中で考えに考えた末に、燐はある閃きで一つの結論へと行き着いた。
それは実に単純な結論で。

「…おくう、あんたもしかして」
「んー?」
「さとり様を、しゃとりさまって崩したからそう思ったんでしょ?」
「…あ!そうそう!何で思い出せなかったんだろ…」

燐の言葉にぽんと手を打ち、嬉しそうに何度も頷く空。
そしてそれを聞いて、はあと一息つく燐。とりあえず自分の推理は間違っていなかったらしいと安堵する。
つまりはこういうことである。





さとり様→さとりさま→しゃとりさま→しゃくとりさま→しゃくとりむし。





単純な言葉遊びだった。もっとも、最後の変化は納得出来ないが、しゃくとりと言えば大抵次にむしが付くだろう。…たぶん。
それにしても、こうして考えると実にバカらしい話でもあった。
一体どこから考え付いたのやらと燐から呆れの表情が徐々に出てくる。空はそんな燐の表情を見て、どうかしたのかとじーっと見つめていて。
そんな何も分かっていないおくうにがつんと一発言ってやろう。燐はそう思ったのだった。

「おくう。真剣な顔して何かと思ったらそんなバカなこと考えてたのかい…別に今に始まったことじゃないけど」
「ええ!?私結構真面目に考えてたんだよ!?」
「誰が自分のご主人様が床這いつくばってうねうねしてる姿を考えるんだいっ!」
「それは私だー!」
「自覚あり!?清々しいくらいにバカだなあんたは!?」
「あ、またバカって言ったなお燐ー!?そんなに私のことバカバカ言わなくていいじゃないのよー!」
「…いや、それはあんたがバカやってるからでしょ」
「う――にゅ―――っ!!」

しかし、話がヒートアップするうちに、がつんと言いすぎたようで。
空の頭からはぴーっと湯気が出ている。どうやら完全に怒らせてしまったみたいだ。
因みに、某魔人のように空の頭に穴は開いていない。どこから湯気が出ているか不思議なものである。
そんな空に、こりゃまた面倒なことになったなぁ、と燐は暢気にそう感じていた。
だが、それは同時に危険も意味していたのである。主に燐の体に対してだが。

「むかーっ!いくらお燐でも今度ばかりはもう許さないからね!」
「はは、今制御棒のないおくうに何が出来るってんだい。今のあんたはそこらへんの地獄鴉レベル…」
「メルティング浴びせ蹴りーっ!!」
「って、ちょ、おくうそれ格闘用!あたいそんなの持ってないからアンフェア…にゃうぶむっ!?」

空が象の足を振りおろした次の瞬間には、燐の体が姿を消し、床にめりょっとめり込んでしまっていた。
先ほどの潰されるというフラグを見事に回収したのである。
大丈夫かと思いたいところだが、妖怪は総じて体が頑丈なので大丈夫である。めりこんでもこの二人だったら別段日常的で済ませられるのだ。
因みに、二人が床にめり込むたびにさとりの財布も段々と軽くなっていくのだった。床の修理代もバカに出来ないのである。地霊殿は全面大理石仕様なのだ。
…そんな二人の様子を、遠くからこっそり見ている影が一つ。
その影はしばらくその光景を見ていると、そそくさとまたどこかへ消えていったのだった。










「…とりあえず、あの二人には後で床の修理をさせましょう…」

地霊殿の廊下をかっぽかっぽとスリッパで歩く影一つ。
その影の正体とは、先ほどまで話題の中心であったさとりであった。
部屋で本を読んでいたところ、何やら廊下が騒がしかったのでこっそりと様子を伺ったのである。
すると、空が燐を組み伏せて色々していた。
具体的に言うとあれは少しまずかったので、ここでは割愛することにする。
さとりは無駄な火種をばら撒いたりはしないのだ。

「しかし、しゃくとりむし…ね」

財布が軽くなるのはもう覚悟したことである。勿論対策もしていて、その分あの二人の食費から床の修理費を差し引いているのだが。
それより、先ほどの空の言葉だ。
まあ確かにどこから来たのか分からない相変わらずの奇天烈発想だが、さとりは少し興味を持っていた。
しゃくとりむしはもう長い間見ていないが、目を閉じればすぐに昔懐かしい思い出が蘇ってくる。

かつて、誰からも嫌われ、また疎まれた地上時代。
しかしそんなさとり達にも、地上での数少ない思い出があったのだ。


それは、人間以外との生物とのふれあい。


人とは違い、読心はそれ以外の生物には受けが非常に良かった。
虫や魚、鳥などと言った心の声を読み取り、会話をする。
勿論これらはさとりの一族にしか出来ないことで、さとりや目を閉じる前のこいしもそれが出来ていた。
そして、読心を通じて動物たちの表裏のない本当の声を聞いているうちに、二人は自然に動物が好きになっていったのだ。
因みに現在の地霊殿が生き物に溢れる某バイオパーク状態になっているのもこれが理由である。
さて、そんな昔のさとりは何が一番好きだったのか。

「本当に、懐かしいですね」

ほうと手を頬につけ、一つ息を吐くさとり。
そう。お気づきの方もいるかもしれないが、さとりはしゃくとりむしが虫の中では一番好きだったのだ。
しゃくとりむしと言っても色々あるが、子供の頃だったのでどんな種類だったかはもう覚えていない。
とにかく、しゃくとりむしなら何でも良かったのである。
当時精神的に極限だったさとりは、それくらいしゃくとりむしにのめり込んでいたのだ。

「…動くのが遅くて、ゆったりとした考えを持っていて、呑気で…。どれも、昔の私には手の届かなかったものばかり」

さとりは、子供心ながらもそんなしゃくとりむしに、少し憧れていたのだ。
何も考えず葉っぱだけ食べ大きくなっていき、やがてさなぎとなり、最後は美しい蝶となるその姿を見て。
特に、しゃくとりむしが最後の蝶になる姿に初めて見たとき、さとりはいたく感動したものだった。
自分もしゃくとりむしのように、最後は綺麗に羽化し、誰からも好かれ、愛される存在になれたら…。
と、子供ながらに思ったものである。昔は何も分かっていない無知な子供だったからこそ、このように何でも想像出来たのだ。

「ですが、今は違う。もう草葉の影でめそめそ泣いていたあの頃とは違うわ」

昔のことを思い出し、少し灌漑にふける。
思わぬことで思い出したが、今のこの生活がどれだけ恵まれてるかも再確認出来た。
自分の家を持ち、家族を持ち、安定した毎日を送れている日々。
昔のさとりが幻想だと思っていたことが、こうして現実にある。さとりは時々ふとしたことから、このように幸せを噛みしめるのだ。

「…ま、さっき家の床が少し破壊されてしまったんだけど」

先ほどのことを思い出し、さとりはくすっと笑う。
昔と比べたら相当贅沢な悩みだと思ったからである。
前に地上で住んでいた頃には、床どころか扉もないようなところで過ごしたことがあるし、インテリアなんてものすら無かった。人間に追われたらどちらにせよ家を放棄しなければならないからだ。
住んでいた家も必ず焼かれていたし、思い出なんか存在しなかった。思い出といえば、妹のこいしや人以外との触れ合い以外、全く覚えていない。いや、思い出したくない。それくらい凄惨な日々だった。
でも、そんなことはもう無い。そう遠い古い記憶を思い出しながら、さとりは自分の部屋の扉を開ける。
中は何も変わっておらず、いつものように家具やベッドが置いてあった。ハート型のそれは、こいしとおそろい。

「………ん」

数歩進み、ベッドに座る。ぽふん、と体にベッドの柔らかい、小さな弾力が返ってきた。
何故だか今日は、椅子に座り本を読む気になれなかった。
たまにはこうやって何もしない日があってもいいかも、とさとりは考えていたからだ。

「…自分の部屋ですし、何やってもいいですよね…」

そのまましばらくぼぅっと天井を眺めていると、ふとさとりはそう呟いた。
ここは自分の部屋。古明地さとりの部屋である。いわばさとりズプライベートルームなのだ。
つまり、ここでなら多少主としての威厳を損なう行動をしたとしても、誰にも気づかれない…はず。
そう思ったさとりは、少しずつ気分が晴れていく。
思えば、最近自分は随分と抑圧的過ぎると思っていたのだ。ダメだよ、もっと自分を解放しないと!自分を解き放てお姉ちゃん!とこいしにも言われたことがあるくらい。言われたときはよく意味が分からなかったのだが。
これほど気分が高揚している状態はそうそうない。自分が普段出来ないことをするなら今このときしかないのだ。
思い立ったが吉日と、さとりは早速今自分が一番したいことをすることにしたのだった。
それは…。





「よっこいしょ…ん。あ、あー…これ、気持ちいいかも」

さとりは。



部屋の床でうつ伏せになっていた。



恐らく誰かが見たら石灰でさとりの体に沿って線を書きたくなるくらいの恰好をしているのだろうが、さとりはそれを気にしないことにした。
きっかけは些細なことである。
簡単に言うと、燐と空が動物形態で床でごろ寝していたからである。
始めはだらしないと思い、すぐにでも起こそうとしたが、ほんの出来心で心を読むと二人の思念が強く読み取れた。

「(にゃむにゃむ…床つめたくてきもちぃ…)」
「(んー…床に寝るのやめらんない、とまんない~…くぅくぅ)」

…寝言にしてはいやに適切な気がしたが、こんな風だったとさとりは記憶している。
当時は蒸し暑い夜のことで、不覚にもさとりはそれをしようと一瞬思ってしまった。実際はすることなく、二人を起こしたのだが。
そしたら二人は不機嫌そうに、「じゃあさとり様(さま)の部屋で寝させてください」と。
それで仕方なく二人を自分の部屋に通したら、二人が当然のようにベッドに入ってきて。気が付いたらいつの間にやら朝を迎えていた。
暑苦しかったのと、シーツが汗まみれだったのを覚えている。それ以来さとりは許可なしには誰も部屋に入れなくなったのだった。

まあ、それはともかく。
とりあえずさとりは兼ねてからの願いであった、「床にうつ伏せで寝てみる」を実践してみるのであった。
地味な願いだとは思ってはいけない。そう思った方は恐らく夜な夜なあなたのご先祖様が枕元に総立ちするであろう。たまにこいしも付いてくるが。

「はぁ…確かにこれはすぐに寝れそう…。床には何か敷いておけば、もっと寝やすいのかも…」

でも、さすがにこれは頻繁には出来ないな。さとりはそう思った。
仮にしたらそれはもう気持ちがいいだろうが、それにはいつかきっとマンネリ、いわば飽きが来る。
それに、床で寝るということ自体元々さとりは考えていなかったため、下手に慣れてしまっては困ると思い、そんなに出来ないと判断したのだ。
実際の地上では、むしろベッドに寝るほうが少ない。あるとしても紅魔館かここ地霊殿のみである。さとりはそれを知らないまま過ごしてきたのだった。

「…でも、これは…むむむ」

だが、さとりは動こうとしない。
そう。今の地上の季節は雨季である。あの時と同じ、むんむんとした蒸し暑い時期だった。
気持ちいい。もうちょっと、もうちょっとこの冷たさを享受したい…。
床のひんやりとした感覚が心地よく、その場から動けなくなってしまっていたのだ。冬場でいうところのこたつと同じ原理である。
さとりはそっと床の割れ目にに指を這わせ、はあと息を吐く。…ペット達が床で寝たくなる気持ちが、ほんの少しだけ分かったのだった。





しかし、時間がたつにつれ、ある問題が浮上してきた。

「む。…さすがにぬるくなってきました…」


床が人肌であたたまってきたのである。


長時間その場に留まっていると、いくら冷たかった床でもさすがにひんやりとはしなくなる。体の熱が床に伝導していくのだ。
その結果、床がなんと言っていいか分からない、微妙な温度になってしまったのだ。
もう少しひんやり感を味わいたいさとりにとって、これは盲点であった。
だが、今更立ち上がってしまうと、二度とこうして床にうつ伏せになれないかもしれない。モラルの問題である。
一刻も早くこの場から離れたいが、立ち上がりたくもない。この場合一体どうしようかとさとりはうつ伏せで考えた。
…そして少し時間がたったとき、ふっとさっき自分が話していたことを思い出したのだった。

「…しゃくとりむし」

これだ。これしかない。
さとりの頭上20㎝辺りのところで、電球がちこんと光る。お迎えが来たわけではない。
しゃくとりむしのような這い方で移動すれば、立つことなく別の床まで移動することが出来る。
そう思ったさとりは、早速移動することにした。昔見たしゃくとりむしを思い出しながら。

ずっ、ずず…。

「ん…意外と移動するのが難しい…」

腰を折り、ぐいと前に突き出してみる。
進んだ距離は、数センチ。その距離は微々たるものだった。
だが、さとりにとっては大いなる進歩でもある。
そのまま何回も腰を折り、おしりを少し突き出すような格好になりながら、前へ前へと少しずつ進んでいく。
そうしているうちに、次第にさとりの体が火照り、肌がほのかに赤くなっていく。しゃくとり移動は結構難しいのだ。
さとりはそんな地道な移動で、じりじりと前に進んで行くのだった。





「よっ…こいしょ。…はあ…つめた…」

しばらく体を動かしていると、ようやく体の上半身まで移動できた。下半身は少しぬるいが、まあこれは仕方がないことだ。
上半身だけでもひんやりしていれば十分である。
しかし、移動しているうちには無心で何も考えていなかったが、こうして止まっていると色々な考えが出てくる。
意外とこの移動が難しいこと。床が冷たくて気持ちいいこと。というか普通に手をつけばもっと早く動けたかもしれないと思ったこと。
そして、何よりも。

「…しゃくとりむしも、苦労していたんですね」

しゃくとりむしのことである。
見ていた時は分からなかったけれど、この移動は予想以上に疲れる。
この事実は、さとりに新たな考えをもたらした。

「ただ移動するだけでも、こんなに大変だったなんて。知らなかったですよ…」

楽なわけではなかったのだ。
しゃくとりむしは食事をするだけでも、この時間がかかる移動をして葉まで行き、そこでようやく食事にありつけるのだ。
それに、こんなに遅くては空の鳥などに見つかった際、すぐに食べられてしまうだろう。場合によってはあきらめないといけないケースも多々あったはずだ。
時には生命の危険に晒されながらもどうにか生き延びてきたしゃくとりむしだからこそ、最後には綺麗な蝶になれるのではないか。さとりはそう考えを改め始めていた。

「………」

人間であるさとりは違う。何か食べようと思えばすぐに食べられるし、逃げようと思えばすぐにでも逃げられる。



…なんだ。そうだったのか。



そうして一通り考えていると、さとりは不意に小さく笑い始めていた。
確かに立場は違うのかもしれないけど、さらにしゃくとりむしに愛着が湧き始めたのだ。
真面目にしゃくとりむしのことを考えたことは無かったけれど、考えてみると実に面白かったのである。
純粋な子供の頃とは違う、しゃくとりむしへの考え。ほんのちょっとだけ大人になった、今のさとりの考え。
例え本当は違っていたとしても、今はこれでいい。
今度、こいしか誰かにしゃくとりむしを連れてきてもらおうかしら。さとりはそう考えていた。なんというか、久しぶりにしゃくとりむしを見たくなってきたのだ。
いや、自ら地上に出て見に行った方がいいのかも…と、再び考えようとしたが、さとりは今の状況を思いなおしたのだった。

「む、また床がぬるくなってしまいました。…さ、もう一度頑張るとしますか!」

床の温度に気づき、さとりは本来の目的に立ち直る。しゃくとりむしのことは、またいつでも考えられる。
ずっと長考していたからか、ずっと床から動かないままでいた。さっき移動した上半身も、またぬるくなってしまっていて。
でも、さとりの気持ちは晴れやかだった。
何か大きな悩み事が解決したときのような、そんなすっきりした気分になっていた。何故こうなったかはよく分からなかったが、このような気持ちは久しぶりで。
いざ、冷たい床へまた行かんと、さとりは少し自分に気合いを入れ、腰を曲げ、再びおしりを後ろに突き出した………その時だった。





がたん。





「お姉ちゃーん、そろそろ夕食の時間じゃな…」



時間が止まった。
そう、さとりの考える時間があまりにも長すぎたのだ。壁にかけてある時計は、もう既に夕方を回っていた。
そして何より、位置が悪すぎた。現在さとりは扉とは逆の方向でうつ伏せとなっていた。
つまり、今さとりはこいしにおしりを向けている状態になっていた。しかも突き出したままである。
…こいしが、からんと何かを落としたのが分かる。それが何かは分からなかったが、間違いなくこいしは呆然としているだろう。
それはそうだろう。扉を開けた矢先、目の前に広がるのは突き出された姉の少し小ぶりなおしりだったのだから。
そう思ったが矢先、さとりは顔がぼっと熱くなったのが分かった。大混乱状態である。

「…ねぇ、お姉ちゃん。そのかっこなに「いやっ、いやあああぁあぁぁぁぁぁぁっ!?」

見られた。

見られた。

見られた…!

こいしに、妹に、私のこんな恥ずかしい姿、見られた…!?

恥ずかしさからいてもたってもいられなくなったさとりはそのままがたんと立ち上がり、大声で叫びながらベッドに飛び込み、毛布を被った。
いわゆる現実逃避である。

「…お姉ちゃん」

こいしが声をかけてくる。聞き慣れていたはずのその声は冷めきっていて、無機質に聞こえた。
そんなこいしの声に、さとりは毛布を被ったままひたすら震えていることしか出来ない。
もう訳が分からない。というか私はこれからどうなってしまうのか…?そう思うと、気が気でなくなっていく。
ああ、どうして。どうしてこうなってしまうの。

「さとり様っ!どうかなさったんですかっ!?」
「って、こいしさま?さとりさまは?」

外から私の声を聞きつけたのだろう、燐と空の声が聞こえてきた。
まずい。このままではこいしがさっき見たことを思うがままに燐や空に話してしまう…。
だが、そう思ったとしても、さとりは動くことが出来なかった。今出て行ったらこいしに何と言われるか、どんな目をされるか…。ひたすらそれが恐ろしかったのである。
…こいしは、笑顔でこう言った。



「あのね、お燐、おくう、よく聞いて。お姉ちゃんは、さなぎになっちゃったみたい」



…はい?



「え?こいし様、それってどういうことですか?」
「いやね、お燐。私がさっきお姉ちゃんの部屋に入ったところ、お姉ちゃんはあんなことになっていたの」
「はあ。ですが、あれは寝てるだけではないですか?見たところですけど」
「のんのん。お姉ちゃんは言ってたわ。「いつか私は変わってみせる」って。そう、今まさにお姉ちゃんは変わるのよ!新しい姿にね!」


え、ちょっと待ってください。


「うにゅ!それはすごいですねー!それはいつくらいに見れるんですか!?」
「んーとね、一週間後くらいかな。いい?それまでは絶対にあの布団に近付いちゃいけないし、覗いてもダメだよ?下手な刺激を与えたらお姉ちゃんの変化は失敗に終わってしまうわ」
「分かりました!それまでここは封鎖して、厳重に見張っておきます!」


私変化なんてしませんよ!?


「…あの、こいし様。そんなことありえるんですか?あたい、そんなこと初めて聞きましたよ」
「このことは古明地家に伝わる伝統的な秘密事よ。お燐やおくうが知らなくて当然だわ」
「じゃあ、こいしさまもいつかは変化するんですか?」
「ううん。私はもう変化した後なの。でもお姉ちゃんはしてなかった。二人とも、期待して待ってていいわよ?相当変わるから」
「へぇ。…具体的にはどんな感じなんです?」
「そうだねぇ…身長が三十㎝伸びる!胸が三倍におっきくなる!カリスマ度が三倍(当社比)上がる!毎日の餌の量を三倍に増やしてくれる!第三の目に三本まつ毛が生えるといいこと三昧よ!」
「「そ、それはすごい!魅力的だ!」」


そんなことないですよ!というかあの二人はどうして信じてるんですか!?
餌ですか!?それとも胸が足りなかったんですか!?


「…というわけで、今日からこの部屋は封鎖しまーす!いい、絶対に開けちゃダメだからね!こいしちゃんとの約束だよ!」
「「はーい!」」
「それじゃあね、お姉ちゃん。また一週間後に…ね」
「さとり様、強く生きてください…(すみませんさとり様…餌が増えるという魅力には勝てなかったんです…)」
「やっぱり、さとりさまはしゃくとりむしだったんだ!どんな姿になるんだろ、楽しみだなー!」

ばたん。がちゃり。


………。



………自分を解放しすぎた………。



「…こいし、燐…。…後で、覚えておきなさいよ…」

布団の中で、さとりは一人どんよりとした声色で呟く。
そう、あれはこいしの能力。無意識を操られた二人は、そのままこいしの言うことを流されるがままに信じてしまったのだ。
そして、去り際に燐が思っていたこと。そんなに餌が少なかったか。あれでも栄養バランスとかはしっかり考えてあるんだぞ。
空に関しては…まあ、あれが本人の素なので、きっと悪意はないはずだ。…たぶん。

しかもご丁寧なことに、こいしは扉に厳重な施錠までしていた。扉の四隅に鎖が結び付けてある。
なんだこれは。私は危険生物か何かなのか。
窓がなく文字通りの密室状態となった自分の部屋で、さとりは一週間後の復讐を固く心に誓うのだった。











kururu…。

「うう…おなかすいた…」

結局、さとりはそのまま布団の中にいることしか出来なかった。
脱出しようにもこいしがいる以上無駄なことだし、下手に体力は使えない。
そして、夕食時を逃してしまったために、おなかは鳴るばかり。消耗も最小限にしなければならないのだった。

「…文字どおりの、さなぎ状態ですね…」

こいしの言っていたことも、あながち間違いではなかったのかもしれない。
さとりはしゃくとりむしの真似だけではなく、さなぎの真似まですることになったのである。

とりあえずこの場をどうにかしよう。食事くらい抜きでも生きられる。だって覚だもの。
そしてもし、一週間ちゃんと生き延びられたら、せめて蝶みたいに綺麗になれてたらいいなぁ。
さとりは他人事のようにそう考えながら、まるで自分が本当にしゃくとりむしになってしまったかのように感じていたのだった。




















END
~一週間後~

「ぱ、ぱぴよーんっ!」
「…お姉ちゃん、それ何か違う」
「えぇ!?」


今でもたまに植木鉢にしゃくとりむしがいるのを見かけます。
どうも、kururuです。少し久しぶりな感じがします。
実は、先日関東へ引っ越しておりました。それでようやく落ち着いた環境を得たので、投稿させてもらいました。
ああ、しゃくとりむし懐かしいなあ…と思ってくれたら幸いです。それではまたー。





はらぺこあおむしは愛読書だった。
くるる。
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1630簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
これから、しゃくとりむしを見る度に、さとり様もといしゃくとりさまが頭に浮かぶ……。

でも、第三の目のまつげなら、ちょっと見てみたいかも
7.100名前が無い程度の能力削除
こいしちゃんひでぇwww


関東にようこそ。
8.100名前が無い程度の能力削除
良いほのぼの話でした。
11.70名前が無い程度の能力削除
途中まで良い話だったのに最後ひでぇww
17.100名前が無い程度の能力削除
無意識ってレベルじゃねえwww
こいしは根っからのドSなんですねw
18.100名前が無い程度の能力削除
今までシャクトリムシを蝶の仲間だと思ってました…。
20.100名前が無い程度の能力削除
ニャッキー思い出しました
あれってしゃくとりむしだっけ?
21.100名前が無い程度の能力削除
なにやってんださとりww
34.100名前が無い程度の能力削除
しゃとりさま!
36.90ずわいがに削除
なにこれ奇妙な感じ…シュール?ww
しかも一週間もためといてスベるしwwww

『はらぺこあおむし』は自宅、幼稚園、小中高等学校の図書室にも置かれてました。間違いなくベストセラーですよアレ。
37.無評価kururu削除
コメント返しのお時間です。ようやく春らしくなってまいりました。

>>1さん
第三の目にまつげがつくと、時々カメラ目線になります。
しかも時々ウィンクもしてくれるサービス付きです。如何でしょうか?

>>7さん
さとりの行動があまりに衝撃的だったので、無意識にやってしまったようです。

関東は日が沈むのが早い…。

>>8さん
ほのぼの…うん、ほのぼのですね、うん。

>>11さん
作者は真面目な空気を長時間作れないそうです。

>>17さん
本当はSっ気の強いこいしちゃん。でも姉は好きなのです。
たまにやらかすのはご愛敬…。

>>18さん
シャクガ科という蛾類の幼虫だそうです。
また一つ勉強になりましたね。

>>20さん
ニャッキはいもむしだった気がします。
まあ確かにあれではしゃくとりむしと間違えてしまいそうですが…。

>>21さん
涼むために床に伏せていました。
ただやり方が普通の人と少し違っただけなのです。

>>34さん
因みにさとりが部屋から出れた後、机にしゃくとりむしの入った虫カゴがいたそうです。
今ではすっかり大きくなり、攻撃力3500の立派な蛾になったそうですよ?

>>36のずわいがにさん
いつもコメントありがとうございます。
シュールが恐らく正しいんでしょうけど、途中で色々あったのでタグからは外しました。
一週間ためた秘蔵のネタが滑るのは、ある意味トラウマにもなりかねないのです…。

はらぺこあおむしの他に、スイミーとかもよく見かけますね。