Coolier - 新生・東方創想話

壊れ続ける流し雛

2010/04/06 23:12:48
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 季節は巡る。花が咲き、日が照り、葉が散り、雪が降る。
 もうすぐ一巡りしようとしている風景を眺めながら、私は木にもたれていた。
 目の前を流れる川が、さらさらと涼しげな音を立てている。

 冬が終わって春が来る。もう何度、この季節を経験しただろう。
 けれど、春の陽気に幸せを感じるでもなく、私はただ、川を眺めるだけだった。
 身体中を気だるさが支配していて、ぜんぜん力が入らない。
 何もする気力がわかなくて、まるで抜け殻のよう。
 でもそれも、ある意味では、当たり前だったのかもしれない。

 もう、疲れた。

 少し考え事をしては、すぐにそんな言葉が脳内を支配してしまう。
 どんなに振り払おうとしても抗えず、その言葉を受け入れるしかなかった。

 どうして私はこんなことをしていたのだろう。
 どうして私はこんなところで一人なのだろう。


 こんな気持ちを感じてしまうのは。
 私が、我が侭だからなのだろうか?





 §





「……気が付きましたか?」

 次に目が覚めたとき、私は見知らぬ一室で介抱されていた。
 私を見下ろした女性が、安心した表情を浮かべて話しかけてきている。
 僅かだけ首を動かして部屋を見渡すと、見慣れたリボンが畳んで置いてあるのが見えた。
 一瞬、動揺する。けれどすぐに、さしたる問題はないと思い出した。
 そうだ。今の私は何も持っていない。力の操作に気を張る必要なんてない。

「ここ、は?」
「命蓮寺というお寺ですわ。私はここで僧をしています、聖 白蓮と申します」
 朗らかに微笑んで、白蓮と名乗った女性が一礼する。
 私は彼女に対して特に興味を持たないようにした。
 頭の中を、どうでもいい、という投げやりな思考でいっぱいにする。
 そんな中にあっても、たった一つだけ気になった事があった。
「どうして私、こんなところに……」


 何となく、私はあのまま役目を終えて消えるものだとばかり思っていた。
 最期と思って見ていた景色。目の前を流れる川。
 やっと解放されたと、思っていたのに。
 どこか違う場所に行けると、信じていたのに。


「守矢神社。ご存知ですか?」
 心中に渦巻く嫌な感情を押し殺しながら、私は頷いて応えた。
 少し前、秋頃に幻想郷に現れた神社のことだ。
 自分も住んでいる妖怪の山での騒動だったのだから、それは良く知っている。
「そこの風祝さんが貴女を運んでくれたのです」
 竹林を抜けようとしていた風祝を見つけ、こちらに誘導したのだそうだ。
 連れまわすよりも、安静にして待たせたほうが良いだろうという判断らしい。
 今も、寺の使いが竹林の向こうと連絡を取ろうと動いている。彼女はそう説明した。

「そう。お節介な人も居たものね」
 適当に返した言葉に、彼女は少しだけムッとした表情を浮かべた。
 眉をひそめた顔は確かに怒ったように見えたけど、どことなく悲しそうでもあった。
「行き倒れていたそうですが……何があったのですか?」
 表情が変わっただけで、私の『お節介』発言に対する言及は無かった。
 代わりに彼女は、更に踏み込んだ質問を投げかけてくる。
 いや、介抱までしたからこそ、気になるところなのかも知れない。
 話すことに抵抗がない訳じゃなかった。でも、別にひた隠しにするべき事でもない。
 引き止めて欲しいとか、同情して欲しいとか。
 そこまで考えも回らないうちに、私は口を開いていた。
「疲れちゃったから、休もうとしていただけ……それだけ」
 要領を得ない答えだったのだろう。
 私の考えを汲むためか、彼女は少しの時間を掛けて何事か考えていた。
「貴女は、神様なのでしょうか?」
 その次に尋ねてきたのがこれだった。
 私には彼女がどんな思考を展開したのかがさっぱり分からなかった。
 同時に、そんなものだとも思う。他人の気持ちなんて、それこそ覚でも無い限りは。

「そうね。厄神……だなんて、呼ばれているわ」

 世の災厄を引き受け、周囲に固定し、還ってしまわない様に見張る。
 そんな役割を負って生み出された神、それが私だ。
 祓われた災厄を集めることで、間接的に人々を護ってきた。

「厄神様でしたか。しかし、その割には……」
「災厄を纏っていないんじゃないか……って?」

 彼女が戸惑うのも無理はないのかも知れない。
 私は厄神だ。でも今のこの身体は、災厄など欠片も引き連れていない。
 厄神という神の存在、役割を知る者にとっては、不思議な事態に映っても仕方がない。
 何よりも、自分自身も今の姿に違和感を感じているくらいなのだから。
「だって、ついこの間。災厄は神々に引き渡してきたから」
「そうでしたか。お仕事、ご苦労様です」
 何故か、彼女が深々と頭を下げてお礼を言ってきた。
 そりゃあ、私が処理した災厄の中に、もしかしたら彼女の災厄もあったのかも知れない。
 でもそうだとしても、わざわざ代表で頭を下げる事はないんじゃないか。
 なんとなく可笑しくて、心の中でクスリと笑ってしまう。
 でも、その感情は心を越える事はなくて、私の顔は仏頂面を保ったままだった。



 私はこの間、集め続けていた災厄が自分の能力を超えかけているのを感じた。
 厄神として過ごしてきて、何度目の経験だったろうか。
 どうやって処理をすれば良いのかは、初めての時から自然と頭に入っていた。
 この災厄を全て神々に引き渡して、そしてまた私は回り始めるんだ。
 もう一度、私の限界を超えるまで。何度でも、何度でも。回り続けるんだ。

 たった、一人で。



「運が良かったわね。普段通りなら、その風祝も無事だったかどうか」
 眠ろうとしていた私を運んだという、守矢神社の風祝。
 普通であれば感謝すべき相手なんだろうけれど、私にはそう思えなかった。
 こんな時にだけ手を差し伸べられても、なんだか余計に惨めになる。
「元気になったら、神社に顔を見せてあげてください。心配していましたから」
 心配していた。その言葉に少しだけ心が浮かれるのを感じた。
 けれど、それもすぐに真っ黒い感情に取って代わっていく。
 私がまた役割を全うし始めれば、迂闊に近付く事など出来なくなってしまう。
 中には、災厄を自力で回避できるような、出鱈目な者だって居るだろう。
 けれどそんな者だって、望んで災厄を被りたいと考える筈もない。
 仮に風祝が私を受け入れてくれたとしても、厄神としての私はそれを許せない。

 私は、嫌だ。相手を傷付けてしまうかもと思うと、とても耐えられない。

 厄神なのに、この体たらく。弱い存在と罵られても仕方ないとは思う。
 けれど、それでも嫌なものは嫌だ。だから、私はずっと一人だった。


「帰る」
 だんだん気分が悪くなってきて、私はふらつく身体に鞭打って起き上がった。
 まだ災厄の回収を始めていないから、今なら誰かに迷惑をかける事はない。
 一刻も早く一人きりになってしまいたいと、その一心が私を突き動かす。
「もう少し休んでいかれた方が……じきに、使いも帰ってきますし」
 私のいきなりの行動に慌てた様子で、そう声を掛けられた。
 けれど、その労わりの言葉でさえ、今の私にとっては枷にしかならない。
 触れてしまった感覚を忘れるのは簡単じゃない事くらい、経験が無くても分かる。
 まして、私は。もしかすると、これまで自分が思っていた以上に。
「大丈夫、曲がりなりにも神だから。休むにしても一人の方が落ち着くわ」
「そう……ですか。分かりました、外までお送りしますね」


 寂しがり、なんじゃないだろうか。そんな事を思った。





 §





「……やだなぁ……」

 春の陽気に晒されて、私はまた木にもたれかかっている。
 災厄というものはきりが無い。本当なら、私にはこうして呆けている時間なんてない。
 けれど。頭では分かっているのに、身体は頑として動いてくれなかった。
 今の私は、厄神であって厄神じゃない。災厄を纏わない厄神は、厄神じゃない。
 なのに災厄を集めようともしないなんて。私はきっと、どうしようもない悪神だ。

「……一人ぼっちは……やだなぁ……」

 厄神は厄を集める者。それらが悪さをしないよう、中心で見守り続ける存在。
 だからずっと、一人きり。近付くと面倒しか起こさないから、一人きり。
 私は厄神、災厄を見舞うのが役割じゃない。役割を守れない神なんて、要らない。

 なら……なら、このまま厄なんて集めなければ?
 考えはずっと堂々巡り。もしも災厄が無くたって変わらない。
 そんな悪神になったって、一人きり。役割を守れない神なんて、要らない。


 どっちを選んでも一人きり。
 もしも誰かが、手を差し伸べてくれたとしても、私はきっとそれを振り払う。
 気にしなくて良いと笑いかけられても。きつく抱き締められたとしても。
 私は本心とは裏腹に……いや、それこそ本心から、にべもなく振り払うんだろう。

 何かを壊してしまってからでは、遅いから。




「厄神様、いらっしゃいますか?」
 つい最近に聞いたような声が、私の鼓膜を揺らす。
 ゆるゆると振り返ると、そこには命蓮寺の僧侶が立っていた。
「……白蓮……さん、だったかしら?」
「はい。ご迷惑かとは思ったんですが、どうにも気に掛かってしまって」
 私が倒れていたおおよその場所は、風祝から聞いていたのだろう。
 わざわざ様子を見に来るだなんてご苦労なことだと、つい呆れてしまう。
 適当にあしらって、早く帰ってもらおう。
 今の私の頭では、そんな消極的なことを考えるだけで精一杯だった。
 けれど、私のそんなささやかな抵抗は、彼女の次の一言でばっさりと刈り取られた。

「誰だって、そうですよ。一人きりというのは、辛いです」

 全身が、一気に熱くなった。
 それは恥ずかしさだったのか、それとももっと別の感情だったのか。
 私にはとても、判断できなかった。
「なに……を……?」
「厄神様だからといって、一人である必要は無い。私はそう思います」
 何をしたり顔で言っているのか。
 一見すると慈愛に満ちた笑顔なのだろうけど。
 私には、悪魔が人懐っこい皮を被って囁いているようにしか見えなかった。
「厄神は、他と直接に関わっちゃいけない神なのよ。それくらい分かるでしょう」
「確かに災厄という障害はあるでしょう。ですが」
 きつめになった私の口調に合わせてか、彼女の口調も変わる。
 私のように刺々しい変化ではなかったけれど、強い意志が込められた口調だ。
「他人との交流を断つ、断たないというのはまた、別の話なのではないですか?」

 何を言っているのか、理解が追いつかない。
 私は厄神だ。厄神は災厄を溜め込むのがその存在意義。
 だから私は、ずっと災厄を身に纏って存在しなければならない。
 そうすれば、私に近付く事が出来る者なんて、そうそう居る筈がない。
 もしも災厄に耐え得る奇特な誰かが現れたとしても、今度は私が拒絶する。
 自分の所為で誰かが傷付くなんてことは、あっちゃいけない。
 私は厄神だ。災厄を預かるのが役割で、災厄を与えるなんて、やっちゃいけない事だ。

 何度目になるか分からない、全く同じ道筋を辿る思考展開。
 答えはいつも一緒。私は、私自身の意思で、一人きりになっている。

 仕方ないじゃない、私は厄神なんだもの。
 仕方ないじゃない。それが厄神として存在するってことなんだもの。

 一人ぼっちは、いやだ。
 でも、誰かが傍にいてくれるのも、いやだ。

「仕方……ない……じゃないのよぉ……!」


 声が震えているのが、自分でも分かった。
 起こり得る全ての可能性を嫌がっているだなんて、なんて可笑しな奴。
「嫌なのぉ……! 一人も、誰かと居るのも、どっちも……嫌ぁ……ッ!」
 それでも一人きりを選んだのは、そっちのほうがまだマシだったから。
 一人きりなら、誰も傷付かない。私が一人で悲劇ぶっていれば、それで済む。

 ああ。こんな事を喚いたところで、いったい何になるだろう。
 泣き出してしまってから、そんな思いが浮かんでは消えて、酷く後悔した。


「……辛くなったら、私たちの寺に遊びに来ませんか?」
 また、彼女が何かを囁いている。
「抵抗があるのは重々承知しております。そのうえで、お願いさせて下さい」
 その言葉に潜むのは、一体どんな感情なのか。
「私たちに、厄神様を支える手助けをさせて頂きたいのです」
 けれど私には届かない。やっぱり、何も、伝わってなんていなかった。
 許せないのは自分自身。災厄を振り撒く自分自身。
 幾ら周りが許してくれたって、認めてくれたって、自分はどこまでも正直で。
 私自身が、私を責め続ける。私自身が、私を否定してくる。

「…………」

 堂々巡りする思考に、無理矢理、終止符を打った。
 私は、私を裏切れない。私が望む我が侭を、ただ受け入れる事しか出来ない。
 どうしたって満たされない想いだけが、溢れかえって止まらない。
 優しくされて、けれどやっぱりその手を取れなくて、私は停滞してしまった。

「厄神様……ッ?」
 彼女の声が、まだ耳に届く。
 私は、目の前の川に向かって歩き出していた。
 ふらつく足元にもどかしさを感じながら、けれど一歩一歩、しっかりと。
「厄神様、いけないッ!」
 川へ入ろうとする私に追い縋って、彼女が手を伸ばした。
 けれどその手は、するりと私をすり抜ける。
 一瞬だけ、掴まれたかとも思ったけれど、そうはならなかった。
 ふと、自分の両手を持ち上げてみると、ところどころが、僅かに霞んで見えた。
「曲がりなりにも、神って……そういう……そういう、ことだったのですか……ッ?」
 川岸に立ち尽くした彼女が、なんだか泣きそうな顔でこっちを見ている。
 彼女には感謝すべきなのかもしれない。
 諦めの後押しだなんて、彼女は絶対に望んではいなかっただろうけど。
 ただ虚ろだっただけの私に、確かに最期の切っ掛けを与えてくれたのだから。


「白蓮さん。私……貴女に、ちゃんと名乗ったかしら?」
 私の言葉に、彼女は驚いた表情を消して、静かに首を横に振った。
 あぁ、そんな事も済ませていなかったんだな、と、自分が少し情けなくなる。
「酷く遅れたけれど、自己紹介、させてくれる?」
 にっこりと笑って頷いてくれた彼女が、なんだか暖かかった。
 私は身体の半分以上を川に沈めながら、それでも笑顔を作ることが出来た。
 きっとこれが、厄神という自分が浮かべる事のできる、最高の笑顔なんだと思う。

 結局は、最期に諦めてしまった。結局は、最期に他人の手を振り払った。
 見送ってくれている彼女が、私のことをどう想っているのかは分からないけれど。
 目の前で消える様を見せ付けるだなんて、私はやっぱり、どうしようもない悪神だ。
 でも、それすら受け入れてくれそうな彼女の前だからこそ、こんなに心穏やかなんだろう。



「鍵山 雛……厄神よ。あと、ほんのちょっとの間だけ……だけどね」





 §





「妖怪の山の一柱、厄神が消滅しました。ご報告にあがった方が良いかと思い……」

 山頂の守矢神社。
 雛を見送り終わった白蓮は、神々を前にそう告げた。
 本来は、報告を行うに適した相手が他に居るのだろう。
 しかし、咄嗟に駆け込んで言葉を交わせる神々となると、この選択が一番早かった。

 守矢の二柱、神奈子と諏訪子は顔を見合わせ、そして白蓮に向き直る。
「報告ありがとう。厄神の様子については、早苗からも話は聞いていた」
「今季……だったんだね。でも、安心してよ」
 諏訪子が明るい声を出して、ピョコンと白蓮の隣に並んだ。
 慰めるように白蓮をポムポム叩き、神奈子に向かい『説明してあげな』と合図する。
 それを受けて、神奈子は一つ頷いて口を開いた。
「実は、その厄神 ―― 鍵山 雛なんだけど、消えるのは初めてじゃないそうだ」
「はい。恐らくそうではないかと考えておりました」
 神奈子の話を聞いても、白蓮はさほど驚きはしなかった。
 その事に、逆に二柱が驚いた表情を見せたが、すぐに説明が続けられる。
「何季かごとに、消えたり生まれたりを繰り返して存在しているんだ」
「私達も、今回調べてみて初めて知ったんだけどね」
 守矢の二柱は、こちらの神として浅い。仕方のないことだろう。
 風祝の言葉から、迅速に調べを付けてくれていたのは有り難かった。

「雛さんは、厄神という自らの立場に絶望していました」
 役目を果たせば、交われず。役目を捨てれば、存在できず。
「達観も出来ず、諦観も出来ず。その感情は非常に繊細なものだった」
 一人きりの寂しさに負け、追い詰められてしまった神。
 神というにはあまりにも幼い心の持ち主だった。
「当たり前さ。あの雛は、生まれてまだ四季くらいしか経っていなかった」
「四季……たった、四巡りですか」
 想像していた以上の短さだったのだろう、白蓮は悲しそうに目を伏せた。
 厄神として以上の関わりを求めた時点で、厄神としては相応しくなくなってしまう。
 しかし、厄神という神は世界を維持する為に必要な要素だ。
 この一柱が存在するのとしないのとでは、世界の安定に大きな差が生まれるだろう。
 だからこそ、厄神は厄神で居なければならない。本人の意思は、関係なく。

「一つの雛が消え、一つの雛が生まれる。どうして、それが想像出来たの?」
 諏訪子が白蓮を覗き込んで、そう尋ねた。
「見届けましたから」
 白蓮は一枚の形代を取り出すと、そっと諏訪子に渡した。
 雛が消滅したその瞬間に、白蓮は推測が正しかった事を確信した。
 後に残されたのは、たった一体の紙人形。頼りない、小さな形代だった。
「……そっか。ご苦労さん、雛」
 水を吸って歪んだ形代の表面を指で撫で、諏訪子が優しく声をかけた。

「次の雛さんは……もうすぐ、生まれるのですよね」
 そんな姿をどこか切なげに眺めていた白蓮が、ふと神奈子に向かい聞いた。
 神奈子は頷くと、川のある方角を見て答える。
「あぁ、何日後だったか。流し雛が行われる時だね」

 雛の実体は、流し雛だ。
 厄神という一柱の神であり、それと同時に付喪神でもあった。
 それは多くを精神に依存した存在。心の損傷こそが致命傷足り得る存在。
 最期の場所である川に確かに残留し、次の媒体を待ってもう一度始まる、雛という神。
 ずっとずっと、諦めるたびに繰り返してきた引継ぎ行為だった。

「その時、雛さんは……」
 白蓮が聞き辛そうに何かを口篭った。
 一拍おいてから、今度はその質問をハッキリと口に出す。
「雛さんは、全てを忘れてしまうのでしょうか?」
「必要な情報以外はね。絶望を忘れられなければ、一度諦める理由が無いだろ?」
 ここで取り繕っても仕方がないとばかりに、神奈子はキッパリと頷いた。


 都合の悪い情報を廃して生まれ変わり、再び厄神として生きる。
 災厄を引き受けることで他人の幸せを願う、純粋な頃の雛へ巻き戻る。
 自分の幸せのことなど考えもしない、理想的な厄神を維持し続ける。


 諏訪子から形代を返して貰ってから、白蓮はざっと踵を返す。
 そして、二柱から遠ざかりつつ、最後にもう一つだけ確認するように聞いた。
「この仕組みは、誰が作り上げたのですかね?」
「雛自身。言うなれば、厄神なりの自衛ってやつなんじゃないかな」
 諏訪子の答えを聞いてから、地を蹴って空へ舞う。
 二柱の見送りを背後に感じながら、白蓮は思わず一人ごちた。


「随分な自衛……いえ、自虐ですこと」





 §





 私は暖かな春の日差しを浴びて、大きく伸びをした。
 流し雛によって流されてきた災厄の回収も終わって、晴れやかな気分だ。
 いつまでも流し雛の風習は忘れ去られて欲しくないなぁと、心から思う。
 こうして厄神である私へ災厄を預けてくれると、頼られていると強く実感できる。
 それが信仰になって、私はもっと頑張れる。
 たくさんの災厄を引き受けられれば、それだけ皆が幸せになれる。
 厄神として、それはとっても嬉しいことだ。思わず頬が緩む。

「厄神様。お仕事、ご苦労様です」
 川からあがって一休みしていると、空から誰かが舞い降りてきた。
 見れば、そこにはフワフワした優しげな女性が一人。
 朗らかな笑顔が柔らかくて、私もついつい満面の笑顔になった。

「ありがとう、白蓮さん。今日はこんな所まで、なんの御用事?」

 私がそう答えると、彼女は酷く驚いた表情になってしまった。
 何か変なことを言っただろうかと、心当たりを探してみても、何も思いつかない。
「白蓮さん?」
「あ、あぁ……いえ、山頂の神社に用事がありまして」
 誤魔化すように笑ってそう答える。 
「通り掛かったものですから、顔を出しておこうかと。調子は如何ですか?」
 少し不思議に思ったけれど、別に不愉快には感じなかった。
 私は一仕事を終えた後の上機嫌を以って、元気に答えて見せた。
「ええ、良いわ。流し雛の災厄も回収し終わったし」
「そうですか……あの、先日のことは覚えていらっしゃいますか?」
 唐突に、そんなことを聞かれた。
 話題が繋がっているとは思えなかったが、記憶を辿ってから私は頷く。
「先日っていうと、白蓮さんがここに来た時よね? もちろん、覚えているわよ?」

 私が彼女と最後に顔をあわせたのは、僅か数日前の話だ。
 体調が悪くて倒れたところを介抱してもらったのが初対面。
 その後、仕事に戻った私を心配して尋ねてきてくれたのが二回目。
 そして今日、これが三回目だ。

 そのことを話すと、どことなく、彼女の表情が沈んでしまった気がした。
 もとからポワポワした人な気はしていたが、何を考えているのかよく分からない。
「体調ならもう大丈夫。それにしても……なんであんなに調子悪かったのかしら……」
 彼女の登場で思い出したが、数日前の体調不良は本当に酷かった。
 神だというのに体調を崩すだなんて、情けないにも程がある。
 災厄の引き渡しが済んだ直後だったから良かったものの、
 あれが沢山の災厄を抱えた状態で起こっていたらと思うとゾッとする。
 今後、体調管理には細心の注意を払おう。私は厄神、倒れる訳にはいかないのだから。

「厄神様」
 少し考えが逸れていたところに、彼女が声を掛けてきた。
 私はすぐに気持ちを引き戻し、そして苦笑する。
「このあいだ自己紹介したじゃない、雛でいいわよ」
 前に会った時、遅くはなったがキチンと名乗った筈だ。
 別に厄神様と呼ばれるのが嫌な訳でもないのだけれど。
 こうして話す間柄だったら、何となく肩がこるから名前のほうが有り難い。

「そう、ですね……雛さん、これを」
 私を名前で呼び直してから、彼女が一つの紙人形を差し出した。
 受け取ってみれば、よく流し雛で使われる形代だと分かった。
 一度水に浸かって歪んでしまったそれには、もう災厄も乗っていない。
 それだけじゃない。紙の質からしても、随分と古びたものだ。
「数季前の流し雛……ってところかしら?」
「えぇ、その通りです。雛さんに預かって頂ければと思って」
 彼女はそう言うと、やはり少しだけ寂しげに微笑んで見せた。

 災厄の乗っていない形代。
 流し雛自体は確かに一度集めるけれど、それらは災厄回収後に処分してしまう。
 私は集めるのはあくまで災厄であって、流し雛収集をしてる訳じゃない。

「あ」

 はたと思い出した。
 そういえば私の社には『災厄を持たない流し雛』の保管場所がある。
 そんなものそうそう現れないので殆ど開けることが無いのだが、
 あそこには確かに、これと同じような古びた形代が大量に残っている。
 災厄の回収という役割と同時に、自然と脳内に刷り込まれたもののように思う。
 それはつまり、これを受け取って保存するのもまた、私の厄神としての仕事なのだろう。

「分かったわ。流し雛、確かに預かりました」
「ありがとう。雛さん、これからも顔を出していいですか?」
「用事も無いのに山に入ると、酷い目に遭ったりするわよ」
「はい。ちゃんと用事を作ってから来るようにしますね」

 そういう意味じゃないと言おうとして、私は何故か言葉に詰まる。
 理由は分からなかったけど、ただなんとなく、別の言葉で返すことにした。


「それじゃあ、また!」


 その返事を聞いた彼女の笑みには、もう暗いものは無かった。
 帰って行く姿を見送って、変わった人だなぁ、とか考えて。
 預かった形代を胸に抱いて鼻歌なんか歌いながら、私も帰路についた。
 まるで別人のようだった。
 いや、正確なところを言えば、別人なのだろう。

 雛をこれ以上、『死なせて』はならない。
 ただ同時に、厄神を失う訳にもいかない。

 全てが幸福を得る道の、なんと険しきことか。
 それでも道の模索を望む私はきっと、我が侭なのだろう。

 厄神への干渉。果たしてどこまで成せるものなのか。
 最初の転機は、災厄に他人を巻き込んでしまった時。



 ……戦いを、始めよう。
風流
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コメント



0.1090簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
神の持つ役割、システムは重いですね。
厄神ならばなおのこと。

とても続きが読みたくなりました
5.90名前が無い程度の能力削除
うーむ、続きがあってもいいような、これで終わりでもいいような…
9.80名前が無い程度の能力削除
雛についてよく考えられていたと思います。
心に沁みるものがありました。
16.100名前が無い程度の能力削除
厄を受けてもいいから側にいてあげたくなる。
19.50名前が無い程度の能力削除
だめだ
20.90名前が無い程度の能力削除
誰かの幸せには誰かの犠牲は付き物。目を背けたくもなるけどね。
果たして聖の戦いに勝ち目はあるのだろうか。
22.90ずわいがに削除
厄神としての存在を維持するためのスパイラル。それを変えようというのですか白蓮は。……応援しようじゃないか。