Coolier - 新生・東方創想話

幻想郷動乱 其の壱

2010/04/05 03:07:25
最終更新
サイズ
40.47KB
ページ数
1
閲覧数
891
評価数
9/55
POINT
3050
Rate
10.98

分類タグ


 ……五年前より幻想郷を揺るがし続けた動乱は、ここに終わった。
 妖怪、人間、幽霊、天人、神、蓬莱人、妖精、種別を問わずありとあらゆるものを巻き込み、ありとあらゆるものが争い続けた五年間。
 それは無数の不幸と無数の惨劇、そしてほんの少しの幸いからなる。
 ある者は言う。この五年に流された血は、それまでの百年に流されたそれの万倍に値する、と。
 また別の者は言う。唯一救いがあるとすれば、それは人と妖怪、妖怪と神、亡霊と妖精などなど、種別の垣根を越えて手を取り合う光景がそこかしこでみられたことだ、と。
 そう、この五年の動乱は、一言で言うならば「混沌」という表現が似つかわしい。
 誰もがよくわからぬままに巻き込まれ、誰もがよくわからぬままに和合し、誰もがよくわからぬままに争った。
 そこに種別などというくくりは存在しなかった。
 妖怪同士で争うこともあり、人間同士の闘争もあった。
 神と幽霊が手を携えることがあり、鬼と妖精が隊伍を組むこともあった。
 吸血鬼と蓬莱人が睨み合うことがあれば、閻魔と怨霊が一触即発になったこともある。
 あらゆる混沌が牙を剥き、全土を嘗め尽くした五年。
 私が知れたのはそのほんの一欠片、ほんの一葉でしかないが、それでも見聞きし記憶したすべてを記すのは、この身に残された寿命では不可能だろう。
 ……私は心より祈る。
 今の短い静寂が、無数に分かたれた勢力が暗黙の了解によって牙を爪を休めているこのときが、ほんの一秒でも長く続くように、と。
 そして、この五年でわずかに芽吹いたよきものが、次の百年、さらに次の千年、また次の万年において、新たなる何かへと枝葉を伸ばさんことを。
 それだけが、無数に失われた命へのささやかな鎮魂となるだろう。

 ――稗田阿求著【幻想郷動乱記】






零 稗田阿求

 稗田阿求の朝は早い。
 空も暗い午前五時には目を覚ます。
 自分で布団をたたんでから水場で顔を洗い、着物に袖を通す。
 ほどなくして、彼女よりもさらに早く起きる習慣を持つ使用人(初老の女性だ)が作ってくれた朝食を取る。
 焼いた魚に味噌汁、白米を一椀、漬物を少々。あと、ポットに満たされたアールグレイの紅茶。
 奇妙な取り合わせと苦笑する人間も多いが、阿求にして見れば「好きだから」と答える以外にない。パンよりは白米が好きで、ケーキよりも和菓子が好みで、しかし茶に関しては紅茶が何よりも好き。ちなみにコーヒーは苦くて口に合わない。それだけのことだ。
 食事を済ませてしまっても、時計の針は午前六時の手前を指している。
 それから昼までは、書斎に貯め込まれた本を読みながら時間を潰すか、あるいは自分で書を記すことになる。
 規則正しいというのもはばかられるその生活サイクルは、あるいは御阿礼の子として生き急ぐことを定められたが故か。短い生涯をほんの一刻でも無駄にはできないという意識が根底にあると推測する者もいたが、そのあたりの心理については阿求自身もいちいち考えたことはない。
 彼女も今年で二十代の半ばを過ぎた。慣例に従えば、次の転生の準備を進めるべき時期だ。表現を変えるならば、彼女に残された余命は残り少なく、自由に過ごせる時間はさらに少ない。物心ついたころからわかっていたことなので、今更恐怖も落胆もしないが。
 しかし、そうであったとしても、幾分の無念はあった。
 この時代に生まれついたというのに、この時代を過ごした御阿礼の子だというのに、この時代を十二分に記録することがなく世を去るということが。
 珍しく、阿求はため息をついた。
 手にしていた文献の内容がひどくつまらなく感じる。読みこんだ文章は一言一句違わずに記憶できているのだが、そのすべてが途轍もない時間の濫費であるかのように思える。
 阿求は書物を閉じた。壁の時計を見ると、午前十時。微妙な時間帯ではある。
「誰か。誰かある」
 手を鳴らすと、まるですべてがわかっていたような素早さで、初老の使用人が書斎の戸を開けて顔を出した。
「今日は出かけます。昼は外で取りますので、用意する必要はありません」
「かしこまりました」
 使用人は恭しく一礼した。この老女は阿求が生まれて間もない頃から仕えてくれているため、気心は知れている。
「外套をお持ち下さい。お体に触ります。それと、危ないところにはくれぐれもお近づきにはなりませぬよう」
「子供じゃないんですから」
「故にこそ危険なこともあるのです」
 そんなものですか、と阿求は苦笑し、老女は当然とばかりにうなずく。
 世は落ち着いたとはいえ、まだまだ予断を許さないのですから。
 母親代わりともいえる使用人はそう語り、阿求は「たしかに」とうなずいた。







 ――第一二七季、水無月
 第十三代博麗の巫女、殺害される。
 ……下手人、原因、動機等は不明。

   【幻想郷動乱記 第壱章より抜粋】


 幻想郷動乱。
 後代、そう呼ばれるようになった戦争は、一つの混乱から幕を開ける。
 ――第十三代博麗の巫女、霊夢がこの世から姿を消したのだ。
 具体的に何があったのか、知る者はいない。
 最初に気づいたのは彼女の親友であった霧雨魔理沙であったと記録されている。
 ある日、いつもの如く魔法使いが社を訪れたとき、すべては終わってしまっていた。あるいは始まっていた、というべきだろうか。
 社の寝室を汚す、おびただしいほどの血痕。暴風が吹き荒れた後のような室内。焼け焦げた巫女服の切れ端。
 それだけを残して、博麗霊夢はこの世から消えた。
 半狂乱になった魔理沙の知らせで、すぐさま幻想郷の名だたる人妖が動いた。
 八雲紫は藍と橙に幻想郷中を駆け回らせ、博麗霊夢の霊力の残滓を探らせた。
 永遠亭からは八意永琳と鈴仙が派遣され、現場検証に当たった。
 冥界、地獄、地霊殿ではそれぞれの主たちがそこにさ迷う亡霊・霊魂を片端から調べ挙げた。
 閉鎖的な気風で知られる妖怪の山すらも八雲紫へ協力を持ちかけ、その組織力と技術力をもって事態の真相究明と鎮静化に当たった。
 得られた結論は簡潔で、無情だった。
 一つ、社に残された血は完全に人間の致死量を超えていたこと。
 二つ、その血液型が博麗霊夢のそれと完全に一致したこと。
 三つ、八雲の総力を挙げた霊力探査において、博麗霊夢の霊力が完全にこの世から消失していることが確認されたこと。
 あらゆる結果が博麗霊夢の死亡を証明していた。
 そして、現場の状況は、かの巫女が就寝中に何者かの襲撃を受け、殺害されたことを物語っていた。
 幻想郷は混乱した。
 博麗大結界の管理者である巫女、人と妖の調和を守る少女が何者かに殺害されたというのだ。
 誰が。何の目的で。どうやって。
 ……すべての人妖が、得体の知れない不安と恐怖に囚われた。





壱の頭 〈隻腕の半獣〉

 年頃の娘としてはいくらか無骨な、しかし温かい布地の外套を羽織って、人里を歩く。
 街は活況を呈していた。
 はしゃぐ子供を連れて歩く母親。威勢のいい声を張り上げる魚屋。忙しげに歩く行李を背負った行商人。談笑して歩く十代と見える娘の群れ。
 何もかもが元に戻ったようにも見えるが、それでも、二十代から三十代にかけての男性が以前より少なく見えるのは気のせいではあるまい。町並みを彩る建物も、全体的に新しく建て直された物が大半だ。傷痕は確かに残っている。
 道の隅で露店を広げていた物売りの前で、阿求は足を止めた。ゴザの上に、様々な品が並べられている。
 稗田家にあるよりもはるかに小ぶりな携帯用の手鏡、紙巻き煙草、光沢のある革で造られた鞄などなど、小物という点を除けばいまいち統一感に欠ける商品ばかりだ。全体的に、人里の職人が造るものよりは無機的な印象がある。
「おや、稗田の御当主。どうスか、お一つ」
 物売りの男がいう。阿求の顔を知っていたらしい。まあ、稗田の当主といえば、人里ではちょっとした顔なのはたしかだが。
 阿求は苦笑交じりに頭を振り、
「あまり見慣れないものばかりですね。外の世界のものですか?」
「やはりおわかりになりますか」
 冷やかしとわかっても嫌な顔一つ見せず、物売りの男は嬉しそうにうなずく。
「仕入れにはちょいと苦労しやしたがね。扱ってみるとこれがなかなか味のあるもので」
 外の世界の品が香霖堂の独占物であったのは、すでに過去のことだ。今ではこうして、人里でも売りに出されるようになっている。それがよいことかどうか阿求には判断がつかないが、やむを得ざる面もある。あの商売人らしからぬ商売人の青年は、すでに世を去っていた。彼の名は、物珍しい外の品を扱っていた店主というよりも、この人里を守るために散った男として今に記憶されている。
 二、三、世間話を交わしてから、阿求は再び街を歩き出した。
 角を曲がりかけたとき、たまたま向こうから歩いてきた人影とぶつかりかけた。
 すいません、と謝罪しかけ、相手が顔見知りであったことに気づく。
「慧音様。これはご無礼を」
「様付けはやめてくれ。他の人間ならともかくお前にまでいわれてはむず痒い」
 半人半獣の女は本当に嫌そうな顔をして左の手を振った。
「では、里長」
「それもやめろ」
「議長様?」
「あのな」
「ならば、閣下と」
「……怒るぞ」
 慧音の口元がにこやかに引き攣っているのを見て取って、阿求は「すいません、慧音さん」と言い直した。慧音先生の頭突きといえば、今なお人里の大人たちにとっては恐怖の的だ。
 ただし、近年の子供たちには、その恐怖は口伝えに聞かされた伝説以上のものではない。彼女が作った寺子屋は、今では別の教師が勤めている。
「しかし、よろしいのですか。お一人で出かけられるなんて。今や貴方はお一人だけの身ではないのですよ」
「構わん。身軽な方が馴れている」
「そういう問題ではないでしょうに」
「里の内であれば問題ないさ。物騒な輩がいないとは言い切れんが、そのていどなら腕一本でも事足りる」
 慧音は左腕を掲げてにやりと笑う。
 この場合、腕一本、というのは字義通りの意味だった。彼女の衣服の右袖は、肩のあたりから垂れ下がっている。かつて多くの子供たちの前で教鞭を握った右腕は、四年前に失われていた。ほとんど根元から消し飛んだため、いかな治療でも再生させることは不可能だったのだ。というより、命があっただけでも僥倖といえよう。本来であれば人間の里の半分を吹き飛ばすほどの術式をその単身で防ぎ止めた彼女の右半身は、当初は手当てが絶望的と思われるほどひどいものであったから。
 半月の間生死の境をさまよい、続く半年をリハビリに費やして、ようやく上白沢慧音は回復した。半人半獣の彼女であるからこそ生還したともいえるし、半人半獣の彼女をしてそこまで追い込むほどの負傷であったともいえる。慧音の治療には、およそ人里で医療に心得のある者すべてが関わっていた。彼らはこの半人半獣の娘が文字通り命を賭して自分たちを守ってくれたこと、そして彼女が失われれば里が瓦解するであろう事実を正確に認識していた。
 かろうじて回復した慧音は、以前にも増して人間への理解と愛情を深め、人々もまたその想いに応えた。
 人間の里の長にして、幻想郷七頭会議の議長。それが今の上白沢慧音だった。つまりは人里どころか幻想郷の最重要人物と誰もが認める女性である。
「どこかにお出かけですか?」
「いや、逆だ。先ほど社から戻ってきたばかりだ。会議が存外長引いてな」
 これから帰ってようやく眠れるよ、自宅で寝るのは半月ぶりだ。そういって肩をすくめる。そのときになってようやく阿求は慧音の顔に軽い憔悴が浮かんでいることに気づいた。
 このハーフハクタクは、優美な外見とは裏腹にかなりタフだ。半人半獣というだけはあり、一日二日の徹夜はものともしない。近年は、里の長という立場が明確になったため、仮に疲労していたとしてもそれをまったく外に表さないという態度が染みついている(上に立つ者は仮に疲労の極みにあったとてそれを感じさせない悠然たる態度を取るべし、というのが慧音の信条だった)。
 その彼女をして、わずかとはいえ憔悴を隠しきれないのだから、ここ半月の激務は阿求の想像を超えるものだったのだろう。実質的な幻想郷の最高権力者という立場はそれほど多くのものを求める。
「それは重ね重ね失礼をいたしました」
 今度ばかりは儀礼でも戯れでもなく、阿求は頭を下げる。
 やめてくれ、といいたげに慧音は頭を振り、そしてふと思いついたように言った。
「阿求、一つ頼みがあるのだが」
「何でしょうか?」
「次の会合にはお前も顔を出してはくれないか?」
「……はい?」
 阿求は目を剥いた。
 他ならぬ上白沢慧音のいう会合だ、商店街の寄り合いではあるまい。
 それでも、阿求は確認を取らずにいられなかった。
「それは、あの、――七頭会に、ですか?」
「そう呼ばれてはいるらしいな。まあ、大仰な名称の割にやっているのは単なる愚痴のこぼし合いに近いのだが」
「いやいやいや」
 幻想郷の記憶と呼ばれた娘は、らしくもなく狼狽していた。
 ――七頭会。
 それは、明確な統治機構というわけではない。少なくとも、七頭会が一個の組織として、政治勢力として、この幻想郷で認められているわけではない。
 だが、そこに参加しているのは、蓬莱山輝夜、フランドール・スカーレット、射命丸文など、各勢力を束ねる大妖ばかり。実力・組織力・声望・政治力・軍事力等々において幻想郷最強最大を誇る七妖である。
 会議で決定された事項は、当然にして各勢力において実施される。実質的な最高意思決定会議といえた。
 もともとは、先の大乱が終息した直後、荒廃し疲弊した各勢力がそれぞれの利害調整を図り、相互扶助を行うために、各々の長達が会合を持ったのが始まりだ。
 終戦から四年を経た今では、そこからさらに一歩進み、各勢力の運営方針、つまりはこの幻想郷それ自体の行く末まで話し合う機関となっている。
 いうまでもないが、稗田は人里の名家として知られはしても、そのような政に関わった試しはない。
 稗田家を稗田家たらしめている御阿礼の子は代々が短命であり、政にかまける余裕など持てたことがないのが最大の理由だ。そのようなことよりも、稗田家には幻想郷縁起を編纂するという何にも勝る責務がある。かつて人間と妖怪の関係が今よりはるかに血生臭かった頃、幻想郷縁起は対妖戦術の指南書ともいうべき一面があったから、人里の者も進んで稗田家がそれのみに集中できるよう取り計らった。
「無理強いはせんが、是非にも一度顔を出して欲しい」
「私には政に関する識見などありませんよ!」
「いったろう? それほど大仰なものではないと。実際、頭に祭り上げられた連中が酒を飲むだけで終わることもそう珍しくはないのだ」
 珍しいほどしつこく、慧音はいう。無理強いはしない、などといっているが、相手は何せ人里の長であり七頭会の議長でもある。
「そもそも私なぞに何を言えとおっしゃるのですか」
「特に発言は求めんよ。ただ、参加してほしいのだ。お前にはその資格がある。私がそう思ったのだ、それでは不服か?」
「不服とかそういうのではなくてですね……」
 阿求は――幻想郷屈指の重要人物に対する態度としてははなはだ非礼なことに――頭を抱えてため息をついた。
 それから二、三のやり取りを交わした後、結局「考えておきます」という玉虫色の発言で阿求は慧音の誘いをかわし、逃げるようにその場を去っていた。
 正直いって、勘弁してくれ、と思う。
 稗田家が政に関わらない理由は前述の通りだが、同時に歴代の御阿礼の子が政に関わるあれこれを嫌っていたのも事実だった。
 初代ともいうべき稗田阿礼は、朝廷に仕え古事記を口述したことで歴史に名を残したが、位階の上では舎人(朝廷の雑用係)として冷遇され続けた。口述した古事記においてすら一部に名が出されただけで、筆を取って書にしただけの大安万呂が従四位下にまで昇ったのとは著しい対極を成す。
 別段、阿礼は栄達を望む野心家であったわけではないが、それでも俗世に見切りをつけて幻想に転じるには十分であった。
 そうした経緯もあって、稗田家にはこれ以上政治に関わるのは真っ平ご免、という家風がある。神妙不可思議な妖たちの生態を見聞し、それを編纂する生き方こそが、御阿礼の子にとっての理想だったのだ。
 ああまったく。慧音様は何を考えているのか。
 嘆かわしげに阿求は頭を振る。
 自分が余人に比べはるかに知識があるのはまったくの事実だ。聡明であることもたしかだろう(自分でいうのも何だが)。
 だがしかし、政治のいろはも知らぬ者を、こともあろうに七頭の会合に引っ張り出して何がしたいというのだ。まさか他の六名の生態を観察させて弱点を探りたいというわけでもあるまいに。
 ――いや、あるいはそれが目的なのだろうか。
 そんな想像が頭をかすめて、阿求は背筋に冷たいものを感じた。
 和睦が成り、戦が終わってから四年。幻想郷の各勢力は事が終了したというその事実をもってすべての遺恨を忘却した。
 幻想郷の住人は、情に篤いと同時にひどくドライで殺伐としている。戦いにおける生き死には当然の前提として在り、故にこそ恨みつらみを後々にまで引きずることはない。つい百数十年前まで(妖怪の価値観からすればつい最近まで)殺し殺されることが当たり前の日常であった、その名残だが、高位の妖怪ほどその傾向が強い。
 人間の里ですら例外ではない。
 いや、ある意味でもっと徹底しているとすらいえる。幻想郷に生きる人間たちは、大元をたどれば妖怪退治を生業としていた術士、武芸者の集団である。妖怪に比べれば身体能力こそ劣っていたものの、それぞれの道を究めることで半ば幻想化し、それ故にこそこの郷へたどり着いた。
 事実、先の大乱において人間の里はその武装集団としての本質を取り戻し、他の妖怪たちの勢力と互角以上に渡り合った。個体としては高位妖怪に及ばずとも、洗練された術と技、そして妖怪の山をも凌駕する集団戦闘のノウハウをもって、驚嘆すべき戦果を挙げている。
 非力なヒトであるが故の術と技。そして戦略戦術。
 その基本の一つは常に仮想敵への備えを怠らないこと。
 人里の長として、また長きにわたり守護者として戦い続けてきた半妖として、〈隻腕の半獣〉上白沢慧音が次の大乱への備えを――あからさまな表現を用いるならば戦争準備を――進め、その一手として稗田阿求に七頭の面々を観察させておくというのは、さほど突飛な推測ではなかった。
 慧音個人の平和志向や誠実な人柄はこの際問題ではない。幻想郷すべてを巻き込んだ大戦争を経験した指導者はどのような政略を展開すべきか、重要なのはそこに尽きるからだ。
 そして、話がそうであるならば阿求としてもむしろ気が楽になる。
 何しろやるべきことは昔と変わらない。ヒトが妖怪と戦うために、その有り様を観察し、推測し、分析し、書に残す。阿弥の頃までの彼女が続けていたことを、そのまま踏襲すればよいだけ。
 いや、先の大乱が終わった直後の新しい幻想郷の枠組み、台頭してきた新たな勢力の長たちを観察するというのは、これまで以上に面白い仕事とすら言えるだろう。
 かつて阿求としての自分が編纂した幻想郷縁起は、平和な時代に合わせて対妖戦闘指南というよりも読み物としての性格を強めていたが、ここで本格的な政戦両略を視野に入れた各勢力の分析を書に著わすというのもいい。いささかならず皮肉を感じるにせよ、最後の仕事としてはまったく上出来ではないかとすら思う。
 考えれば考えるほど気が楽になって、阿求は大きく息を吐いた。
 とりあえず、慧音の話は引き受けるだけの価値が十分にある。そう思った。仮に自分の想像が的外れであったとしてもそれはそれでよし、行動を変える必要はあるまい。すべてが一変してしまった幻想郷、そこに生きる人妖たちの新たな生活を観察し考察し書に残すというのはそれほどに魅力的な仕事だ。
 久しくなかった高揚を、彼女は感じていた。
 八雲の大妖が幻想郷を創り、妖怪たちは幻想として生き、御阿礼の子はそれを眺めて書に残す。
 稗田阿求はその生涯の最期に訪れた御阿礼の本懐に、満足していた。
 それに、と彼女は思う。
 七頭の会議は今や主のいなくなった博麗の社で行われる。霊夢亡き後、次代の博麗の巫女は選任されていない。結界の維持・管理は、八雲藍が引き継いでいるが、今は亡き巫女への追悼と崇敬を込めて、現在の幻想郷最高決定会議は博麗神社で行われるのが通例となっている。
 あの呑気な巫女――力ある人妖から好かれ、力なき人妖に畏敬の念を抱かせた不思議な少女。幻想郷の歴史上、最も平和な時代を作り上げ、故にこそその空白が大動乱の引き金となった娘の、最後の墓所。それを訪れることは、博麗霊夢といくらかの面識を持ち、親友といえるほど深くはなかったかも知れないが友人だったとは認識している阿求にとって、大きな意味があった。
 あるいはこの最後の仕事が、わかりにくい形ではあったがたしかに幻想郷を愛していた博麗霊夢への、一つの供養になるやも知れぬ。
 そのことを思って、稗田阿求は微笑を浮かべた。









 ――第一二七季、文月
 妖怪の山の長・天魔、殺害される。
 ……先の博麗霊夢のときと同様、下手人、原因、動機等は不明。

   【幻想郷動乱記 第壱章より抜粋】


 幻想郷最大勢力ともいえる妖怪の山、その長たる天魔が殺害されたのは、博麗霊夢がこの世から文字通り姿を消してから一ヶ月も経たない満たないときのことであった。
 現場の状況は、霊夢のときとまったくの同様――
 早朝、屋敷に仕える天狗が居室を訪れた時には、すべては終わっていた。
 室内は嵐が訪れたかのように荒れ果て、そしてそこかしこにおびただしい血痕が残されていた。
 遺体は、やはり見つからなかった。
 ただ、天魔の妖力は残滓も残さずこの世から消滅しており、事後のあらゆる探査を用いても欠片すらたどることはかなわなかった。
 山は震撼した。
 博麗の巫女のみならず、山の大妖・天魔すらもが正体不明の何物かに消滅させられたのだ。
 何より奇妙であったのは、室内の状況からして(霊夢のときと同様に)相当に激しい戦闘が行われたはずであるのに、誰もそのことに気づきはしなかったという点だ。
 霊夢のときはまだ、博麗神社が幻想郷の隅にあり、かつ住人が彼女ただ一人であったから、という理由はつけられた。
 しかし、天魔の場合は違う。
 かの屋敷は妖怪の山という一大コミュニティの中にあり、邸内にもその日幾人もの小間使いがいた。付け加えるなら、博麗神社の一件以来、護衛として幾人かの大天狗が詰めてすらいた。
 そのような中で、下手人は天魔の居室へ侵入し、誰にも悟られることなく主を――幻想郷でも五指に数えられる大妖を消滅させたのだ。
 妖怪の山は即座に厳戒体制に移行。その総力を挙げて下手人探しに取りかかった。
 真っ先に疑われたのは、八雲の大妖にして隙間妖怪とも称される八雲紫その人だった。
 何しろ状況が状況である。山の警戒網をくぐり抜け、屋敷の中の他の者に気づかれず、犯行を成就させられるものなどそうはいない。境界を操る八雲紫はその点、実力的にも能力的にも真っ先に疑われる立場ではあった。
 この他、紅魔館のレミリア・スカーレット、白玉楼の西行寺幽々子、永遠亭の蓬莱山輝夜、天界の比那名居天子なども容疑者として名が挙げられた。
 ここまでくると動機や能力の質というよりも、名のある妖怪が片端から疑われているというような状況であったが、それもやむを得ない。
 妖怪の賢者の一人、山の大妖、幻想郷最大勢力たる御山の長、外の世界であれば崇拝の対象にすらなっている天魔を、仮に不意打ちであったとしても滅ぼせる者などそうはいないのだ。そして仮にそれが可能なほどの実力者なら、戦闘の気配や音を誤魔化すことも――というわけであった。
 なおこのとき、山の天狗たちが、守矢神社におわす二神と風祝に疑いの目を向けなかったのは、率直な称賛に値する。
 守矢神社はたしかに山の住人としては新参であったが、同時に天魔と酒を酌み交わし、迎え入れられた同朋でもあった。仲間を無用に疑う習慣は山にはなく、そこに新参と古参の区別もない。
 外からの侵入者は容赦なく排斥するが、内にいる仲間には絶対の信頼を置く。
 まさに、閉鎖的ではあるが故に同胞への友誼には不足ない、山の美徳というべきであった。
 とはいえ、外部の疑われた者たちがそれをどう受け取るかはまた別の問題である。
 天狗たちは自分たちの長を殺害された事実に憤激していた。そして、疑いの目を向けた者たちに、それを隠すこともしなかった。調査のためと各勢力の元を訪れ、慇懃無礼ともいうべき態度で事件のあった日の行動を訊ねて回った。やましいことがないなら疑われても構わないはずだ、という理屈である。
 本来であれば、同胞であれよそ者であれ、強者に対しては外面だけでも丁重に取り繕うのが天狗であるはずだが、この場合は状況が悪すぎたとしか言いようがない。長の復仇に燃える天狗たちは、極端なところ、喧嘩を売られるなら(というより、買われるならば、というべきだろうが)誰が相手でも喜んで受けてやる、という心境であった。それで相手が本当に下手人であればまったく問題がない、というのが彼らの偽らざる本音だった。
 本来であればそれを諌めるべき博麗の巫女はすでにおらず、八雲の大妖は容疑者の一人。
 山は明らかに暴走を始めていた。
 かくして、幻想郷全土に不穏な空気が立ち込めることとなる。







弐の頭 〈傷物の永遠〉

 永遠亭に行ってみよう。
 阿求がそう思いついたのは、幾分前向きになった思考が、家に備蓄された薬が残り少なくなっていることに思い至ったからだった。
 御阿礼の子は代々が短命であり、同時に体が弱い。輪廻転生の副作用か、驚異的な記憶力の代償か、それはわからないが、いずれにせよ生まれてこの方丈夫と評された記憶がないのだ。
 永遠亭の名医・永琳が処方する各種の風邪薬、滋養強壮の妙薬は、阿求にとって心強い存在だった。
 よく効く薬とは体に「強すぎる」ことがままあるのだが、永琳の薬にはそれがない。薬効と副作用の均衡を、絶妙なところで見極めて調合されている。その上値段も良心的なのだから文句のつけようがなかった。
 付け加えると、永琳と阿求とは、よい茶飲み友達でもあるのだ。阿求が体調を崩した時にはしばしば永琳が自ら診察に訪れるし、その度に紅茶を片手に談笑してから帰るのが常だ。永琳の持つ知識は阿求ですら驚嘆するほどのものだし、永琳もまた恐るべき記憶力とそれに伴う知識量、そしてそれを体系立てて整理できる阿求の知性を評価していた。若干大仰な言い方をするならば、幻想郷でも希少な知識人として共通する面が多々あるのだった。
 置き薬を補充しておきたいし久しぶりに永琳に挨拶したい、そして何より蓬莱山輝夜を――幻想郷七頭の一角の様子を、「本番」の前に伺っておきたい。
 複数の理が重なり合い、阿求は行く先を永遠亭に定めた。
 途中、人里の外れに位置する藤原妹紅の家に立ち寄った。
 永遠亭への道のりは以前ほど剣呑ではないにせよ、それでも女子供が気軽に行けるほど安全というわけではない。藤原妹紅に道案内を依頼するのはかの永夜異変からの決まりごとだった。
 なお、以前は迷いの竹林の中に居を構えていた妹紅だが、現在は人里に住み込んでいる。彼女の親友である慧音がくどいほどに勧め、人里の住人もまた妹紅を受け入れた結果だ。人々はこの、一匹狼を気取りつつ根本的なところでお人好しな蓬莱人を好いていたし、人里の医師では手の出せない重態患者を永遠亭に運び込むとき、誰よりも必死になって手助けしてくれた姿に恩義を感じてもいた。
 一方で、まったく実際的なきっかけもある。
 先の大乱において紅魔館と永遠亭の両軍が激突した迷いの竹林はその四割が焼失しており、妹紅の質素な居宅も灰と化してしまっていた。
 急な来訪なのでもしかすれば留守かもと危惧していたが、幸いにして妹紅は在宅だった。
 戸を叩けばすぐに「はいよー」と顔を出し、阿求の顔を認めると相好を崩す。用件を話してから了承を得るまで二秒とかからなかった。
「しかしまー、平和になったのはいいことだけどさ」
 そこかしこに焼け焦げた竹の散らばる竹林――正確には竹林の残骸――の中を歩きながら、妹紅はこぼした。
「個人的には随分と不完全燃焼な部分があるよ。結局、あの戦争は何だったんだろうって」
 炎術使いでもある妹紅には似合いの表現というべきだったが、別に意識して口に出したわけではないらしい。
「私たちは結局、何が理由で、何のために戦ったんだろうな」
 それは、先の大乱を論じるとき、多くの者が慨嘆とともに吐き出す言葉であった。
「……輝夜と何百年も殺し合い続けてきた私がいうのも何だけどさ。一応、私たちの場合は因縁があったし、きっかけもあった。でも、あの戦争はそうじゃなかった。最初に暴発したのは吸血鬼で、受けて立ったのは妖怪の山、それはいい。けれど、それがどうして幻想郷全体を……私や輝夜、人間の里、冥界、天人、果ては地底までも巻き込むことになったのか。それがどうにもわからない」
 飽きずに殺し合いを続けてきた生涯とは裏腹に、妹紅は本質的に戦嫌いなところがある。不老不死の自分たちが殺し合うのは構わないが、そうでない一般の人妖が争うのは見たくない。矛盾しているようではあるが、それが妹紅という人間だった。
「……これは、外の世界の話になりますが」
 阿求は応えた。
「もう百年ほども昔、多くの国々を巻き込んだ大戦争があったそうです。きっかけは、とある国の世継ぎが暗殺されたこと。たった一人の死、たった一つの暗殺。別段、その殺された一人が諸国に冠絶する偉人だったというわけではなく、暗殺の目的が大陸全土に影響するような大義であったわけでもない。しかしそれが、あれよあれよという間に全世界を巻き込んだ大戦争となりました」
 それは、香霖堂を通じて手に入れた文献から阿求が得た知識だ。
「理由はいくつかあるそうです。当時、諸国間で無数の利害が錯綜していたこと。どこの国もささやかな大義名分のもとに兵を出し、少しの手間で漁夫の利を得ようとしたこと。にも関わらず、当時外の世界で著しい変化・発展を見せていた武器と兵術が短期決着を許さず、長期戦になってしまったこと……」
 長く凄惨な戦がさらなる隣国の介入を呼び、それがさらに別の国の出兵の口実、あるいは内乱のきっかけとなり、気がつけば大陸にある主要な国すべてを巻き込んだ大戦争となっていた。
 ようやくにして戦争が終わり、その被害の大きさに愕然とした諸国は、何故どうして自分たちがこのような泥沼に足を踏み入れたのかさっぱりわからなくなっていたと聞く。
 阿求はため息をついた。
「もちろん、これは外の世界の人間の話です。幻想郷の人妖がその愚をなぞったとまではいいません。そもそも妖怪の考え方、捉え方は人間と根本的にかけ離れていますしね。ただ、集団の心理がときとして暴走を引き起こし、外部要因が悪循環をなした結果、思いもよらぬ大乱に至ることは、そう珍しくはないんですよ」
 実際、博麗大結界が成立する以前の幻想郷では、戦争とはいかずとも妖怪と人間の抗争など年中行事だった。妖怪は人を襲うことを本能に刻みつけられており、人間は妖怪を退治することを使命としていた。
「あるいは、先の動乱の正体とは、そのていどのものやも知れません。長らく忘れられていた人と妖怪の闘争本能が、ささいなきっかけで噴き出して連鎖した」
「誰も彼もが血に酔うことの楽しさを思い出してしまった、ってわけかい。酔いが醒めたときの代償の大きさも忘れて」
「歴史は繰り返すものです。陳腐な文句ですがね」
 ただし――と、阿求は口には出さず続けた。
 それらの事実を勘案したとて、先の大乱が訳もわからぬままに始まり、訳のわからぬままに広がり、訳のわからぬままに終わってしまったのはたしかだ。
 阿求が並べ立てたのは、あくまで外の世界での類似例とそこから導き出される一般論というだけであって、実のところ何を語ったわけではない。人と妖怪、現と幻、外と幻想郷の価値観の違いを考えるなら、見た目が似ているだけで内実は全くの別物ということもできよう。
 しかし、そうとでも思っておかねば思考が果てもない堂々巡りに陥ってしまう。阿求は結局のところ思考停止をしている自分に嫌気がさしていた。
「慧音様とは、そういったことを話さないんですか?」
「あいつとはたまに酒を飲むけどさ。七頭会だっけ、それについて愚痴をこぼすような奴でなし。私も、酒を飲んでいる間くらいはお仕事には触れたくないし」
 ぶっきらぼうに見えて細かな気遣いをする、妹紅らしい話だった。
「結局私は、あの戦争では単なる脇役だったからね。慧音のような一集団の指導者とは、背負っているものが違い過ぎた。……私にできるのは、一緒に酒を飲んで馬鹿話をしてやるくらいさ」
「いいことだと、思います」
 阿求は心からそういった。


 かつての永遠亭は、欝蒼と茂る竹林の中に忽然と築かれたお屋敷、という雰囲気があった。実に日本的と称する他はない静的な美をもって佇むその様は、まさしく永遠という時間が切り取られたような趣さえあった。
 しかし、戦乱はその永遠亭すらも例外としない。
 家屋が丸ごと焼失した妹紅宅ほどではないが、今の永遠亭は炭化した竹林跡の中央にそびえる崩れかけた屋敷となっていた。邸宅の半ばは崩壊し、見る者によっては廃墟と感じるだろう。どういうわけかここの主は、崩れかけた屋敷を修復させようとせず、以前と同様の暮らしを継続している。もとより巨大な屋敷であったため、無傷に済んだ部分だけでも普通に暮らすには不足ないらしいが。
 八意永琳などはそれでも、「このような屋敷ともいえぬ屋敷に姫を住まわせるなど……」とかなり熱心に屋敷の修復、あるいは移築を進めたらしいが、蓬莱の姫は笑って「これはこれで雅なものよ」と流したという。まるで永遠の停滞にあった過去に挑むかのように。あるいは、荒廃という「変化」を受け入れるかのように。
 かくして永遠亭は、今日も廃屋じみた空気をまとい、焼け落ちた竹林の只中に佇んでいる。
 屋敷が見えたところで、それじゃ私はここまで、と妹紅は踵を返した。
「帰りは妖怪兎に送ってもらうといい。私が待っててもいいんだが、これからちょいと野暮用があってね」
 世捨て人同然の暮らしをしていたかつてと違い、妹紅は現在、里の自警団の顧問のようなことをしている。阿求はてっきり非番だと思っていたのだが、昼過ぎからは自警団員の稽古をつけてやる約束があるそうだ。
 貴重な休みを潰してしまって申し訳ないと頭を下げる阿求に、妹紅は「暇を持て余すよりはよほどよかったよ」とひらひらと手を振った。
 伝え聞くところによるとこの蓬莱人は、里の娘衆の間で「妹紅様」なぞと呼ばれ、男ども以上の人気を集めているとか。
 腕も立って気配りもできる、ぶっきらぼうに見えてお人好し。
 なるほど、同性であってもうっかり惚れてしまいそうだ(余談ながら幻想郷において、同性愛は必ずしも禁忌とはいえない。衆道が当然の嗜みであった中世日本の文化をいまだ引き継いでいるし、性別などというものを路傍の小石ほどにも気にしない妖怪たちの価値観に影響されてもいる。非生産的なのはたしかだが)。
 男よりも漢らしい渋さを漂わせつつ去っていく妹紅の後ろ姿を、思わず眩しげに見送る阿求であった。
 さて、と気を取り直し、阿求は永遠亭に向き直る。
 目的はたどり着くことではない。
 たどり着いてからが本番なのである。
 ――と思った瞬間に、きっかり凝固した。
 つい先刻まで誰もいないと思っていた空間、それも文字通りの意味で目と鼻の先に第三者が佇んでいれば、よほど肝の据わった者でもない限りそうなる。
「……誰かと思えば稗田様。失礼をいたしました」
 右目に眼帯をつけた妖怪兎――否、月兎。鈴仙・優曇華院・イナバ。先の大乱で〈戦兎〉の異名を轟かせた娘は、そういって頭を下げた。


 鈴仙に案内されて、阿求は永遠亭に足を踏み入れる。
「足元にお気を付け下さい。居住区画には最低限の補修をしてありますが、それでも完全ではありませんので」
 申し訳なさそうに言いながら、彼女は薄暗い邸内を先導する。
 人里の上白沢慧音が右腕を失ったのと同様、鈴仙は迷いの竹林の激戦において、右目を失った。それと同時に、狂気を操る能力すらも。万物の波長を操作することで成り立つその能力は、二つある眼の共鳴・共振こそが中枢を担っていたからだ。
 にも関わらず彼女が〈戦兎〉の異名を奉られたのは、特殊能力を抜きにしても十分以上に洗練された軍事技術を身につけていたためである。かつて月のエリート兵士であった鈴仙には、各種技術が中世レベルで停滞している幻想郷において、他の誰にもない先進的な軍事的識見があった。
 輝夜が全体の精神的支柱となり、実務は永琳が補佐し、軍事的指導は鈴仙が担当、そして因幡てゐが現場で妖怪兎たちを動かす。この優れて均衡の取れた指導体制により、永遠亭は先の大乱を乗り切った。
「立ち入ったことをいうようですが」
 阿求は訊ねてみた。
「永遠亭の皆さんも、人里に引っ越して来られてはどうですか? きっと歓迎されます」
 大戦中、人間の里にとってもっとも身近で心強い同盟者だったのが、他ならぬ永遠亭だ。
 輝夜たちは月からの逃亡者という立場上、結界に守られた今の幻想郷を愛しており、現状維持を第一に望む鎮圧派――通称「東軍」の一翼だった。それは、戦争など冗談ではないという人間の里とも利害が一致していた(ただし厳密には、人里の首脳部は「妖怪同士が争うなら放置しておけばよい」とも考える中立派であり、動乱鎮圧のためなら武力を用いることを是とした東軍とは異なる)。
「お気持ちはありがたいのですが」
 鈴仙は振り返って苦笑した。
「姫様曰く、戦乱如きでこの屋敷を捨てるのは忍びない、と。ここは我らが終の棲家に選び、愛した土地。そこについた傷跡すらも愛おしい。そう仰せです」
 ならば我らはそれに従うのみ。それこそが永遠の姫を頂く我らの誇り。
 そう宣言するように言い放った鈴仙には、かつてあったような気遅れがない。
 阿求は、愚かなことをいいました、と頭を下げた。


 永琳と対面して薬を受け取りがてら、いくつか診察を受ける。
「肌も内臓も異常なし。安心したわ。今の貴方は昔に比べて随分と丈夫になっている」
 一通り調べ終えてから、永琳は安堵したように言った。彼女の本業は薬学だが、医業における情熱は今や疑う者はない。短命なのが当たり前とされていた御阿礼の子を一秒でも長く健康に過ごさせることに、永琳は個人的な親交を抜きにした熱意をもって当たってくれていた。
「でも、油断はしないこと。根本的に貴方は骨格が細く、肉が薄い。ちょっとした風邪でも大病になりうる。医学薬学はあくまで補助、健康を守るのはあくまで貴方本人の体だということを忘れないように」
 私の眼の届く限りにおいて大病なんてさせないけれど、と永琳はあっさりと請け負う。まさに万人が理想とする医師の姿であった。
「そういえば、最近、輝夜殿をよく人里で見かけますよ」
 会話の最中、阿求はさりげなく輝夜の名を出した。
「たまたま妹紅さんと道端で顔を合わせて、いささか険悪な空気になっていましたが」
「……まあ、あの二人は相変わらずということで」
 永琳も苦笑する。
「それでも、以前と比べれば落ち着いているのよ。百年前であれば、場所が人里の真ん中であろうと構わず仕掛けたでしょうし」
 本来、人間の里は一種の非武装地帯であり、妖怪同士の――正確には輝夜も妹紅も妖怪というわけではないが――争いはご法度だ。しかし、かつての輝夜はそのような瑣末事を気に留める性格ではなく、妹紅は妹紅で相手が輝夜とあれば頭に血が昇って周りが見えなくなる性分だった。
 先の大戦が、よくも悪くも二人を変えた。
 輝夜は幻想郷におけるパワーバランスの一角、永遠亭に君臨する姫としての自覚を身につけたし、妹紅は里の自警団の一員としてその安寧に心を配るようになった。何も気にせず自儘に生きられる時期を、二人ともに卒業していた。
 それは永琳にとっても喜ばしい変化といえた。
 大戦後、永琳が医師としての勤めを本格的にこなすようになったのもその結果の一つだ。永遠亭の運営について、後見役として果たす責務が激減したのだ。それはそれで少し心寂しくもあるのだが、親代わり、姉代わりとしては輝夜の成長を喜ばずにはいられない。
「姫はもはや、指導者としても蓬莱人としても疑いなく独り立ちしているわ。正直な話、今の姫には私が本気で挑んでも勝てる要素が見当たらない」
 かつて、実力的には間違いなく幻想郷最強の一角と謳われた永遠亭の薬師は、寂しさと、それ以上の喜びをもって断言した。


 永琳の部屋を辞去する間際、輝夜に挨拶をして行きたいと話すと、存外あっさりと阿求は姫のおわす奥の部屋に案内された。
 慧音もそうだが、幻想郷の七頭に数えられる重鎮にしては随分と仕儀が軽い。まあ、阿求の身元がしっかりとしており、永琳とも知己であること――何より、不死の蓬莱人であり、今や永琳をも超える実力者となりおおせた輝夜を害するなど大妖クラスでもないと不可能という事情もあるのだろうが。
 広さにして五畳ほどの部屋で、輝夜は阿求を迎えた。
 随分と機嫌がいいらしい。輝夜の態度の節々から、阿求はそう推察した。
 通されたのは茶室としても使われている部屋で、簡素に見えるが計算し尽された和的な美――いわゆる「侘び・寂び」――が充ちている。無造作に置かれた茶器の一つをとっても、この屋敷のことである、おそらくは安土桃山の御世であれば国一つを購うに足る銘品であるはずだ。ここに通されることは、客として最上級の扱いを受けていることを示す。
 輝夜は穏やかに微笑みながら、手ずから茶を立て、阿求に振る舞ってくれた。
 阿求もありがたくいただき、喉を潤す。
「……結構なお手前で」
「どういたしまして。紅茶でなくて申し訳ないのだけれど」
 申し訳ないけれど切らしているのよ、と輝夜は笑う。
 内心を見透かされて、阿求はいささか動揺した。
「い、いえ。たまには緑茶もいいものですよ」
「正直ねぇ、貴方」
 そういうと、輝夜は相好を崩した。
 楽にしてちょうだいな、といいつつ、茶菓子を勧めてくる。堅苦しい礼儀はこれまでということのようだ。
 この人と直接対面するのは久しぶりだけれど、と阿求は内心で舌を巻いた。
 何とも、随分と落ち着いている。竹取物語に謳われた絶世の美貌、お姫様らしい無邪気さ、根底に培われた優雅な立居振舞い。そこに、為政者特有の腰の重さが見て取れる。
「貴方が来てくれると、永琳も機嫌が良くなるのよ」
 輝夜はどこまでも楽しげだった。
「何なら、今日は我が屋敷に逗留してはどう? 歓迎するわよ」
 通り一遍の挨拶がすむと、輝夜は柔和な笑みを浮かべてそう勧めてきた。
 ありがたいお言葉ですが、と阿求は頭を下げ、
「家で夕餉の支度をして待ってくれているはずですので、それは次の機会に」
「あら、残念」
 でも、家を大切にするのは良いことよ、と輝夜はいった。
 先述したように、永遠亭は先の大戦において東軍に与し、紅魔館・地霊殿などのいわゆる西軍と積極的に戦火を交えている。
 永遠亭の主力は妖怪兎の群れで、正直、天狗を主力とする山や大量の西洋悪魔を擁する紅魔館に比べ、戦力の質は格下といえた。集団戦闘能力においても、人間の里の後塵を拝していた。
 そして、第一二九季の秋――
 世にいう「迷いの竹林の防衛戦」が幕を開ける。
 レミリア・スカーレットの直卒する紅魔館方二百の手勢が、迷いの竹林に急襲をかけたのだ。
 折悪しくというべきか、このとき、同盟者であった人間の里は上白沢慧音が負傷療養中であり、積極的な動きが取れなかった。それどころか、慧音の仇討ちに燃える一派が積極的に東軍に加担すべきだと唱え、それを諌める中立派と諍いを起こし、内部分裂の様相すら呈していた(この内紛は双方に数名の死者を出した後、負傷を押した慧音の必死の仲裁で、決定的な破局を迎える以前にかろうじて終息している)。
 同じく同盟者である妖怪の山も、西軍に与した地底の鬼族勢力との決戦に向けて戦力を整えており、加勢することがかなわなかった。
 永遠亭と紅魔館の兵力は、数の上ではほぼ互角。しかし、質の上では紅魔館が上。
 絶望的な戦局と誰もが思った。
 しかも、永遠亭の戦闘指揮官である鈴仙が緒戦において右眼を負傷、その狂気を操る能力を失ったことで全軍に動揺が走った。永遠亭はなす術もなく敗北する以外にないと思われた。
 ここで、「理想的な指導体制」と後に絶賛された永遠亭の真価が発揮された。
 崩れかけた陣頭に蓬莱山輝夜が自ら立ち、妖怪兎たちを鼓舞した。永琳は権謀術策を駆使して全体を統制しつつ、愛弟子を含む負傷者の治療に当たり、因幡てゐが意外なほどの優れた部隊運営の手腕によって戦線を立て直した。
 翌日には負傷を押した鈴仙が早々と戦線に復帰。竹林を進軍してくる紅魔館勢に対して、徹底的なゲリラ戦術を展開する。紅魔館は、迷いの竹林の地の利を心得た永遠亭の神出鬼没の奇襲に意外な損失を被り、足を止められた。
 一週間に及ぶ激戦を、永遠亭は戦い抜いた。
 最終的には永遠亭の間近にまで紅魔館の接近を許し、付近の竹林は焦土と化した。永遠亭それ自体も建物が半壊する被害を被っている。
 にも関わらず、妖怪兎たちの大半が負傷しつつも生き延び、高い士気を維持して、後々まで戦力を維持しえたことは、全面的な称賛に値するだろう。
 永遠亭は、ようやくのことで援軍を取りまとめた人里と妖怪の山の兵が来るまで持ちこたえたのだ。
 レミリア・スカーレットは敵手の健闘を称賛しつつ――自陣では地団太を踏んでいたというが――、兵を引いた(もっとも、立地条件それ自体が要塞といえる迷いの竹林に奥深くまで攻め込み、終始戦闘を優位に進めていた点は、レミリアと紅魔館の実戦能力の高さを示してもいる)。
 通常、援軍の見込みが薄い防戦は、自軍の戦意を維持しにくい。まして、個人行動を是とする妖怪であれば尚更である。開戦当初から不利と目されていた永遠亭は、緒戦で鈴仙が一時戦線を離脱した段階で瓦解していてもおかしくはなかった。
 にも関わらず、ひとりの逃亡者も出さず永遠亭が持ちこたえた事実は、まさしく蓬莱山輝夜の統率力に理由を求める以外にない。
 幻想郷の七頭の一、〈傷物の永遠〉。
 まさに、その事績を語るにふさわしい史実であった。
 今、落ち着いた物腰で阿求をもてなす輝夜には、さり気無く振る舞いながらも誰もが気押されざるを得ないある種の威厳がある。
 事実によって裏づけられた、重厚な威厳だ。
 これは次代の御阿礼の子が幻想郷縁起を編集する際、自分のそれからは大幅な改訂が行われるかも知れない。
 そう思い、阿求は気付かれないように唾を飲み下した。
「一つだけ、立ち入ったことを伺う無礼をお許し下さい」
 我知らず、彼女は訊ねていた。
「何かしら?」
「……幻想郷七頭が一、蓬莱山輝夜殿。貴方はこの荒れ果てた竹林の只中で、傷つき疲弊した幻想郷で、何を望むのですか」
 努めて何気なく口にしたつもりだった。
 探りを入れた気はなく、試す気もない。
 ただ、この気高く美しい姫が何を見ているのか。
 阿求は純粋にそれを訊きたかった。
 輝夜の表情は――どこまでも柔らかかった。
 束の間彼女は微笑して、そして立ち上がった。
 音もなく庭に面した障子を開け放つ。
 時刻はまだ昼下がり。
 陽光の中、よく手入れされた庭が見えた。
 そして、崩れた壁と、その向こうに広がる焼け落ちた竹林も。
「よい眺めでしょう」
 囁くように、輝夜はいった。
 庭のことか、と阿求は解釈しかけたが、続く輝夜の言葉はそれを裏切った。
「あの竹林は、六年前の戦で燃え落ちたわ。たくさんの兎たちが死んで、生き残った者たちの多くも深手を負った。あの月のイナバのように、永劫に消えない傷を残した者もいる。覆水は盆に返らず、壊れた壺は戻らない。まさに永遠を失くした代償といったところかしら」
 かつてこの永遠亭は、文字通り永遠の停滞の中にあった。住人たちは年を取らず、こぼれた水は杯へと戻る。物が壊れることもなく、すべては静寂の中にある。おそらくはその停滞が続いていたのなら、幻想郷を巻き込んだ戦乱からも無傷で逃れ得たはずだ。
 けれども、と輝夜はいう。
「変化は残酷で、そして愛しいものだわ。月のイナバはその右目と狂気を操る能力を失い、代わりに我が頼もしき将としての生き様を得た。永琳は医師としての生に喜びを得ている。てゐは以前にも増して兎たちを慈しみ、親しんでいる」
 あの焼け落ちた竹林も、再生した頃には以前とまったく異なった風景を見せてくれるでしょう。永遠の姫は楽しげに語る。
 それは十年先か、百年先か、千年先か。けれども、必ず蘇る。焼け落ちた跡に新たな命が芽吹き、焼け落ちた後の新たな世界を彩る。
 ゆっくりと、ゆっくりと、時間をかけて。
「それを眺めて過ごす日々は、きっと何よりも贅沢なものよ」
 輝夜は阿求を振り返った。
 白昼であるにも関わらず、その姿は闇夜に浮かぶ月のように幻想的で、美しい。
「私が望むのはそれだけよ。刻々と変わりゆく世界を、刻々と変わりゆく同胞とともに過ごし、笑い、酒を酌み交わす。死ぬことも老いることもないこの身の代償行為なのかも知れないけれど、それは存外興趣のあるものだと思わなくて?」
 八意永琳の言葉が今更に思い出される。今の姫には私が本気で挑んでも勝てる要素が見当たらない。まさしく、永遠亭の蓬莱山輝夜は一個の支配者として君臨していた。
 阿求は無言で手をつき、深々と一礼した。











  幻想郷動乱 其の壱 終
 あはははは(笑うしかない状況)。
 まさかこの作品が「作品集100記念!」のために書き始められたといって、だれが信じましょう。

 とりあえず、死人(人じゃないけど)多いです。要注意。


4/5誤字修正。ご指摘ありがとうございました。
7th fall
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2210簡易評価
3.90名前が無い程度の能力削除
誰か。誰かある
そもそも私なぞに何を言えとおっしゃるのですか

これは誤字なんでしょうか。
とりあえず読んでる途中ですが楽しみです。
個人的に気にしている点があるので
7.無評価名前が無い程度の能力削除
↑コメントに対して書くのはアレですが
誤字かというのは、「誰かある」の部分を言ってるのかな?

これは昔の言葉で「誰かいないか」と使用人などを呼びつける時に使うものですよ。
時代劇なんかで、偉いお侍がよく言ってますよw
8.90名前が無い程度の能力削除
自分の好きなキャラが死んでいないかと戦々恐々です
13.90名前が無い程度の能力削除
ちょ、超展開すぎる……幻想郷を舞台に描いた戦争の話なのでしょうか。
元になったのは阿求の言葉でもあるように、第一次世界大戦?
じっくり読ませていただきまする。
14.100名前が無い程度の能力削除
なるほど…幻想郷全土を巻き込んだ大戦ですか…
霊夢(?)が死んだしまったのはちっとばかし悲しいですな。
これで他の好きなキャラが死んだらなんか俺耐えられなさそう…。
とても面白い話だと思います。今後もがんばってください
15.90名前が無い程度の能力削除
おもしろいけれど違和感が大きく感じました。
最後まで読んでその違和感が物語にはまるかどうか確かめてきます。
20.100名前が無い程度の能力削除
相変わらずすばらしい文章の腕前で・・
21.90名前が無い程度の能力削除
いつもだったら、あーだこーだ言うけど
素直に面白い
36.90ずわいがに削除
今のところ凄く面白いですね。動乱の原因もいちおうはっきりとはしてますし。
まぁ、この後の展開にもよりますが、ガチなバトルやシリアス、世に言う厨二病展開は大好きですので、この続きも期待ですね。
そしてちゃんと納得のいく結末を迎えることを祈ってます。
40.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいお点前で。
やはり語彙の豊富さは凄いです。

そwしwてwフwェwアwリーwは?www