Coolier - 新生・東方創想話

今はまだ、その手を握るだけでいい

2010/03/10 22:58:21
最終更新
サイズ
21.35KB
ページ数
1
閲覧数
1788
評価数
10/57
POINT
3250
Rate
11.29

分類タグ

 
 
「ああ、あんたの方も来たの」
「げっ」

 それが、私を認めた時の2人の第一声だった。前者が霊夢の、後者が魔理沙の反応である。
 げっ、が最初の一言とは、普通であればたいそう失礼な話だ。しかし恐らく、そんな魔理沙の反応の方が一般的なのだろう。何せ、私は人の心が読めるのだから。その能力を知っているのなら、忌避感が口をついて出るのも仕方のないことだった。
 だから、私と相対しても調子を崩したりしない霊夢の方がむしろ変わっていると言える。私の能力を知っているはずなのに、そのことをことさらに意識する様子が窺えない。
 相手が人であれ妖怪であれ、心の中さえ読んでしまえばその者を掌握したも同然だろう。しかしこと彼女に関しては、心の中を読んでも優位に立った気がしないのだ。
 心の中は読めても、彼女の内面の本質までは掴めない。
 長い時を生きて来たが、こんなにも不思議な人間に出会ったのは初めてである。
 ――だから、こいしがそんな霊夢に心惹かれるのも無理はない、と思った。

「やっほー、お姉ちゃん」

 こたつに入り、すっかりくつろいだ様子のこいしが無邪気に手を振っていた。






 お燐の報告によればこいしは、しばしば博麗神社に顔を出すようになったという。霊夢がなかなか地霊殿を訪ねて来ないものだから、自分から会いに行っているようだった。まあ、霊夢からすれば地霊殿を訪れる積極的な理由もないので、仕方のないことだろう。
 ふらふらと、意味も目的もなくさまよい続けるこいしが、こんな風に特定の場所に腰を落ち着けるのは極めて珍しいことと言える。
 ただ正直、こうやって博麗神社にばかり居着いてしまい、地霊殿で顔を見ることが少なくなってしまった現状は、私にとっては少なからず寂しいことだった。
 今のこいしにとって、地霊殿という場所が単なる雨風しのぐための宿に過ぎないのだとしたら、これほど悲しいことはないのだった。

「わざわざ地上まで出て来て何しに来たの?」
「最近、妹のこいしがここでお世話になってるみたいだから、お礼を兼ねて様子見に来ましたわ」
「別に、大したもてなしはしてないんだけどね。それで、あんたも上がるの?」
「よろしいのであれば」
「まあ、別に構わないけど」

 こんな私を平気で家の中に上げるのだから、やっぱり霊夢は変わっている。嫌われることに慣れ切ってしまった身としては、そんな彼女の応対に戸惑いを覚えてしまいそうだった。
 もっとも、魔理沙の方はやはり心の中で拒絶反応を示している。『居心地が悪くなるな』ですか。まあ、それが自然な感情でしょう。
 一応、表向きは平然としているけれど、内面の動揺は私には隠しようがない。そうやって、私に対する苦手意識が思考の端々にちらついている魔理沙の方がよっぽど人間らしい。
 今度は、霊夢の心の中を覗いてみる。
 『お礼って言うのならお土産のひとつでも欲しいわねぇ』ですか。こちらは極めてのん気な脳みそしてますね。
 けれど確かに、手土産を用意すべしというのはもっともなことだった。こいしがお世話になっていることだから、今度来る時に何か持って来ましょう。もしくは、こいしに持たせてもいいか。
 ――などと考えていると、不意に霊夢と目が合う。

「読んだ? まあそういうことだからよろしくね」

 と、にやりと笑ってそんなことを言われてしまう。まさか、心を読めることをこんな風に逆用されるとは思わなかった。
 霊夢は笑顔のまま、私のお茶を淹れに引っ込んでいく。私は半ば呆然としたままその後ろ姿を見送っていた。
 彼女の中には、心を読まれることへの拒否感などほとんど見当たらなかった。
 
「お前、やっぱり普段からそうやって人の心ん中を盗み見てるのか?」

 魔理沙が腕組みをしながら渋い顔をしている。心の中では、台詞の後に『やなヤツだな』と続いていた。思っていてもそこまで口に出さないあたり、「いいヤツ」なのかも知れない。

「心は読んでも、それをみだりに晒したりはしないから気になさらずに」
「そうかい」
「ええ」
「…………」
「…………」
「…………やっぱり落ち着かないぜ」

 それはそうでしょうね。口には出さなくとも、心を読まれているという事実に変わりはない。たとえ公にされることはなくとも、心の中を覗かれることは、それ自体が大きなストレスになる。だから私は、誰からも恐れられ、嫌われ、そして避けられてしまう。
 結果として私は、誰とも心を通わせることのないまま今日まで生きてきた。明日からもそれは変わらないであろう。それは、さとり妖怪として生まれた者の宿命なのだった。
 こいしは、それに耐えられなかったのだけれど。

「でもさあ、魔理沙もすごいよね。お姉ちゃんを前にしても逃げたりしないし」
「そりゃあ。妖怪を前にして逃げたりなんかしたら、魔法使いの名折れだからな」
「『いざとなったら退治すりゃいいんだしな』ですか……」
「おいおい、さっきは読んでも言わないって言ってたじゃないか」
「すみませんね、癖なもので」
「ったく……」

 『心よりも空気を読んでくれ』ですか。分かってはいるんですけどね。
 それにしても、こうしてこいしが他人のことに言及するなんて、思ってもみないことだった。それも、褒めるような文脈で。
 こいしにとって、単なる人間に過ぎない彼女たちに負かされたことがそれだけ衝撃的だったのだろう。霊夢と魔理沙は、閉ざされたはずのこいしの心に一石を投じ、確かな揺らぎを生じさせたのだ。
 そうしてこいしの心に生まれた波紋は、やがてどのような模様を描き出すのか。
 それを見極めるために、私は今ここにいるのだった。

「はいどうぞ」

 霊夢が私の前に湯飲みを置く。ほのかだが良い香りが立ちのぼっていた。普段は飲まないけれど、緑茶というのも悪くないものだなと思う。
 日ごろ地霊殿に篭りがちな私にとって、こういうもてなしを受けるのは本当に久し振りのことだった。

「それで、どこまで話をしたんだっけ?」
「ちょうど、こいつをやっつけたところまでだぜ」

 魔理沙が、私のことを指差して言った。自身の勝利を得意げに語るあたり、割と子供っぽい。まあそんな相手であっても、私が負けてしまったことはまぎれもない事実なのだけれど。

「お姉ちゃんも惜しかったねぇ」
「まあねぇ。こんな能天気な連中に負けちゃって、それこそ私の方がトラウマになりそう」

 しれっと、私は出来る限り投げやりに言っておいた。今はあまり、自分を話のネタにして欲しくはない。

「能天気とは失礼ね」
「いやまあ、霊夢については間違ってないと思うぜ」
「自分のこと棚に上げるなんていい根性してるわね」
「ねえねえ、それより話の続きまだー?」

 こいしが、2人に先を促す。どうやら、こいしが2人の話を楽しみにしているのは本当のことみたいだった。
 ともあれ、これで話の矛先が私から離れてくれそうである。

「次は、猫の話だな」
「お燐も頑張ったんだってねぇ。ねぇお燐」

 そう言うとこいしは、こたつの中を覗き込む。

「……お燐、寝ちゃってるよー」
「こたつの中はあったかいからな。まあ寝かせておけ」
「いいわねぇ。私もこたつで丸くなりたいわ」

 ……いたのね、お燐。
 私もこたつの中を覗くと、確かにそこには見覚えのある黒猫が丸まっていた。よく眠っている。主である私の来訪には未だに気付いていないようだった。

「じゃあ、お燐の活躍聞かせて」

 こいしは、あくまで無邪気な様子で喋っている。ただそれが、こいしの本来の心の表れなのか、それとも無意識の行動によるものなのか、私には分からなかった。
 私はこいしの心だけは読むことが出来ず、こいしが私のことをどう思っているか、それを知る術はない。それゆえ時に私は、疑心暗鬼に囚われてしまうことさえある。私はこいしに酷く嫌われてはいないだろうか、私を見つめる瞳の裏側に、軽蔑的な色は宿っていないだろうか――と。
 まさかそんなことはなかろうと思っても、一度心に浮かんでしまった疑念を振り払うことが、私には出来なかった。
 だから私はさっき、自分の話題から話を逸らそうとしたのだった。私自身がこいしによってどのように評されるかを、聞きたくなかったから。ましてや、他人を前にして。
 私はある意味で、こいしのことを恐れているのかも知れない。
 誰からも畏怖されるさとり妖怪が、実は己の妹のことを恐れている。――それはたいそう滑稽な話だった。






「猫のくせに怨霊操ったり厄介な弾幕張ったり、面倒な相手だったよなぁ」
「そうそう、それにあっちこっちにぴょんぴょん飛び回るもんだから、やっつけるのにも時間かかったわ」
「お燐はお姉ちゃんの優秀なペットだもんねぇ、ねえお姉ちゃん」
「そうねぇ、お燐は仕事もきちんとこなすし、よくできた子よ」

 私はあくまでこいしの様子を見に来ただけなのだけれど、気が付けば私も会話に参加していた。
 とは言っても、こうして誰かから話を振られた時に受け答えをする程度だけど。

「それにこいつ、しつこかったよなぁ。結局何回出て来たんだったか、4回か?」
「5回ね。猫の状態で3回、人型になってからも2回出て来たし」
「ああそうか、鴉の直前にもやり合ったんだっけか。
 何度も食い下がってくる従者は前にもいたけど、5回はさすがに初めてだよな」
「へぇー。お燐、大活躍だったんだねぇ」

 こいしがしきりに感心している。こいしは、お燐のことを結構気に入っているのかも知れない。
 それにしてもお燐、5回も登場していたのね。主である私を差し置いて。
 まあ、今回2人が地霊殿に入り込んで来たのにはお燐が大きく絡んでいる訳だから、彼女のウェイトが大きくなるのも仕方がないか。

「大活躍も大活躍よねぇ。そもそも私たちが地底に行かされるきっかけ作ったのもこいつだったし」

 霊夢はため息をつきながらこたつの中を指差す。
 彼女は幻想郷に起こる異変の解決を生業としているらしいけれど、こうして仕事を面倒に思っていそうな態度を目の当たりにすると、とてもそうとは思えない。傍からは、ちょっとサボり癖のある普通の人間、といった程度にしか見えないのだった。

「そう言えばさぁ、そもそも2人は何で地霊殿に来たんだっけ?」

 ふと気が付いたように、こいしがその疑問を発した。

「あれ、お前知らなかったんだっけ」
「知らないよー。私はその時出掛けてたし」

 そう言えばこいしは、おくうに力をもたらした神様のことは知っていても、2人が地霊殿に来た経緯までは聞いていないのかも知れない。
 私とて、事が丸く収まった今だからこそ、全てを知っているに過ぎない。

「まず神社の近くから間欠泉が噴き出してきて、それと一緒に地霊まで沸き出したんだ。その原因究明のために私らは地底に潜ったんだよ。
 で、フタを開けてみれば何のことはない。あの通り、強大な力を得て暴走した鴉をどうにかしたくて、猫が怨霊を使って地上にSOSを送ってた、って訳さ」
「へぇー」
「ま、今回の件は言ってみれば、あいつらの友情ごっこに私らが借り出された感じだな」
「あの2人は昔っからの友達同士だもん。お燐がほっとくわけないよ」

 そう言うと、こいしは得意げにうんうんと頷いていた。まるで、そのことを誇りに思っているかのように。
 やはりこいしは、お燐がお気に入りなのだろうか。それは、私の知らない事実である。ならば、こいしに与えたペットたちと一緒に、お燐にもこいしと遊ぶように命じようかしら。
 でももしかしたら、2人は私の知らぬところでいつもよろしくやっているのかも知れない。ここ博麗神社などは、絶好の場所だろう。
 そう考えると、何だかお燐に嫉妬してしまいそうだった。

「友達同士ねぇ……。妖怪のくせにそんな情みたいなのがあるってのも意外よねぇ」

 霊夢はそっけない口調でそう言うと、お茶請けのせんべいに手を伸ばす。それは、妖怪における情の存在などかけらも信じていないような態度だった。
 妖怪のくせに、か。
 確かに霊夢たちからすれば、妖怪なんて人間に危害を加えるだけの存在に過ぎないだろう。だから、そこに情なんてものがあるなどとは想像すらつかないのかも知れない。
 けれど妖怪にだって、人間並みの情は当然のように存在する。
 いや、人間に比べて高度に発達した精神を持つ妖怪たちの方が、より豊かな情感と言うものを持っていてしかるべきだろう。それを人間が理解出来るかは、また別の問題である。
 少なくとも私は、お燐がおくうのことをどれだけ大切に思っているかを知っている。今回の騒動だって彼女は、主である私に咎められる可能性を恐れてもなお、おくうを目覚めさせるために奔走していたのだから。
 お燐は、情の深い子なのだ。
 そして情と言うのならば、私がこいしに対して抱く思いは、それこそ情と言わずに何と表現するのか。
 一言も二言も物申したい気分に駆られるが、他者の考え方にいちいち文句をつけていたら、さとり妖怪などやっていられるはずもない。だから私は、いくら言いたいことがあっても沈黙を貫くことにしていた。
 相手の心にどれだけ否定的な感情が込められていようが、不干渉を決め込む。それが、限りない数の心を読んできた結果としての、私の生き方となっている。
 それはある意味で、諦めの感情と言えるのだった。
 そうして、私がいつものように無関心さを装っている時だった。

「むー、そんなことないよー!」

 そう反発をしたのは、驚くべきことにこいしだった。
 こいしは天板の上に身を乗り出し、正面でせんべいを齧る霊夢に対して抗議の声を上げている。

「あら、どうしたのよそんなに怒って」
「珍しいな」

 それは、霊夢や魔理沙にとってもやはり意外だったのだろう。2人ともちょっと目を丸くしている。

「お燐はねぇ、とってもいい子なの! おくうはちょっと頭が弱いところがあるけど、お燐はそんなこと気にしないでずっと友達してるんだから」

 いつもは無邪気そうな笑顔を振りまいているこいしだが、今は真剣な表情で霊夢に迫っている。
 こいしがこんな表情を見せるのは、いつ以来だろう。少なくとも、第三の眼を閉じてしまってからは心当たりがない。やはりこいしは、お燐が大好きなのだろうと思う。
 でもこうやって感情を露わにするのは、やはり霊夢たちがこいしの心に影響を与えたからなのだろうか。
 そもそも私は今日、そんなこいしの様子をよく観察するためにここに来ているのだ。これはまたとないチャンスだった。

「この黒猫がそんなにいい子、ねぇ。まあ、一緒に住んでるあんたが言うのなら、そうなのかもね」

 思いもよらない反論を受けたからだろう、霊夢の返事は少々歯切れの悪いものだった。口からせんべいを離しているあたり、一応はこいしの気持ちに配慮してくれているみたいだった。
 霊夢の言葉を受けて、こいしはゆっくりと身を引く。しかしその横顔には未だ、不満そうな感情が張り付いていた。
 そんなこいしを満足させるには、一体どんな言葉が必要なのだろう。いつもと違うその表情を見つめ続けていても、答えを窺い知ることは出来ない。やはり、心の中を読めないことをもどかしく思ってしまうのだった。
 そんなことをつらつらと考えながらその横顔を眺めていると。
 不意に、こいしと目が合う。

「て言うかお姉ちゃんも何か言ってよ。お姉ちゃんのペットなんだからさぁ」

 傍観を決め込んでいたら、こいしに怒られてしまった。正直こちらに飛び火するとは思っていなかっただけに、言葉に詰まってしまう。
 けれど、こいしは何ら間違ったことは言っていない。お燐は私の従者なのだから、それが悪く言われたのなら私が遺憾の意を表明するべきだろう。
 私のことを嫌悪する感情であれば、幾らぶつけられても今更反論しようなどとは毛ほども思わない。けれど今、失礼なことを言われたのはお燐の方なのだ。
 無関心でいることに慣れ切ってしまったがゆえの、失態だった。
 こいしの気持ちを思えば、こうして怒られてしまうのも仕方がない。こいしのことを観察しようなどとのん気に構えていたことが、いけなかったのだから。
 いや、ここはこいしの気持ちではなく、私の気持ちとして霊夢に反論するべきだろう。お燐は思いやりのある子なのだ、と。

「こいし、少し落ち着きなさい。ここは人様の家なのよ」

 私が声を落としてそう言うと、こいしは不承不承頷く。当然、不満顔はそのままだった。それでもそれ以上何も言おうとしないのは、私から霊夢への反論を期待してくれているからだろう。
 こいしが欲しかったのは私の反論だったのだと、もっと早く気付くべきだった。
 私は、霊夢の方に向き直る。

「……お燐は、とても良い子です」

 私は静かにそう切り出した。相手にものを言い聞かせる時は、感情的になるよりも、穏やかに語り掛けた方が効果的だと私は知っていた。

「おくうを目覚めさせるために、私に怒られる可能性を承知のうえであんな手に打って出たのですから。
 そんなリスクを負ってでも、おくうを助けたかったのですよ。……友達なんですから」

 こいしがうんうんと頷いている。

「あなただって、例えば魔理沙が風邪を引いたりしたら、心配して看病しに行ったりするでしょう? 風邪がうつってしまうかも知れないのに」
「まあ、ね」
「それと同じことです。お燐は、そういう当たり前のことを当たり前のようにやってくれる良い子なんですよ」

 一息つき、茶を啜る。
 私としたことが、少々喋り過ぎたかなと思う。
 相手の心が読めるという受け身の能力であるがゆえに、私は進んで自らの意見を述べることが少ない。
 けれど、時にはこうやって従者の褒め言葉を口にするのも、決して悪くはないものかなと思うのだった。

「うんうん、さすがはお姉ちゃん。分かってるー」
「と言うかむしろ私としては、霊夢にそんな人並みの情があることにびっくりだぜ」
「あん? 私が風邪引いたらあんたが朝昼晩のフルコースを私に振舞うのよ」
「それだけ食べられるのなら風邪もへったくれもないだろ」

 そんな軽口を叩きながら、しかし魔理沙は心の中で、いざという時には霊夢が来てくれることに安心していた。ふむ、可愛いところもあるものね。
 私がちょっとにやついた顔を向けてやると、そこでやっと私に心を読まれていることに気付き、魔理沙は頬を引きつらせる。
 まあ、ここはあえて貴方の言う空気とやらを読んで、何も言わずにおいてあげましょうかね。
 ひとしきり笑い合った後、私はあらためて霊夢の瞳を見つめる。
 あえて心は読まない。私の言葉が霊夢の心に届いているか、その口から知りたいと思った。

「……そうね、さっきの言葉は取り消す。私が悪かったわ」

 霊夢が、素直に謝罪の言葉を口にした。彼女はきっと、引き際というものをよく分かっているのだろう。
 ゆったりとお茶を啜る彼女の表情には不思議と、満足げな微笑みさえも浮かんでいるのだった。






「可愛いわね、あんたの妹」

 帰り際、こいしがお手洗いに立っている時に、霊夢がそんなことを言った。心を読まずとも、さっきのお燐をめぐる一件だとすぐに分かる。
 私も、こいしのことはとても可愛く思っている。けれど、それを誰かから言われたのはもしかしたら初めてのことかも知れない。
 何せさとり妖怪は誰からも忌み嫌われるばかりだし、そもそも今のこいしは、他者から認識されることさえもほとんどなくなってしまったのだから。

「ありがとう」

 そんなこいしの相手をし、そのうえ褒めてさえもくれた霊夢に、私は素直に感謝の言葉を述べた。少々こそばゆいが、決して嫌ではない。何せ、自分が褒められる以上に嬉しいことだったのだから。
 いつか、霊夢との交流がきっかけとなってこいしがまた心を開いてくれたなら、私はどれほど感謝しても感謝しきれないだろう。
 霊夢とそんなやり取りがあったことなど露知らず、こいしがお手洗いから戻ってくる。
 今はもう、いつもの無邪気な表情を取り戻していた。

「こいし、お手洗いは済んだかしら?」
「むー、お姉ちゃん、れでぃにそういうこと聞かないでよ!」

 また怒られてしまった。
 でも、こうやって頬を膨らませて怒る姿もとても可愛いと思う。ついつい、笑みがこぼれてしまうくらいに。

「お姉ちゃん、何で笑ってるのよー!」
「レディなんて言葉を使うのは、まだ100年早いわよ」
「むー」

 本当に可愛い。そして、愛おしい。
 抱きしめてやりたくなるが、さすがにそれは引かれてしまうだろう。それに、ここは人様の家な訳だし。

「それじゃあ帰ろうかしらね。こいし」
「うん、帰ろうお姉ちゃん」

 自分の気持ちを誤魔化すように声を掛けると、元気な返事が返ってくる。
 そして去り際にもこいしは、その元気さを霊夢にも振りまくことも忘れなかった。

「また来るから、霊夢も魔理沙もじゃあねー」
「……まあ、来たい時に適当にまた来なさい」

 ぶんぶんと大きく手を振るこいしに、霊夢は苦笑いを見せながら小さく手を振っていた。思わず、私もつられて笑ってしまう。
 霊夢の返事は、とても嬉しいものだった。
 決して、誘っている訳ではない。けれど、来るのであれば拒みはしない。そんな態度だった。
 忌み嫌われるさとり妖怪たちでさえも、受け入れてくれるのだ。そんな霊夢に懐くようにして、こいしが何度も来ようとするのもよく分かる。
 どこまでも不思議で、読めない人間。博麗霊夢。
 それでいて心の中では『おみやげ、期待してるわよ』と、のん気な本音を覗かせていて、私は一人苦笑してしまう。
 この人間には敵わないな、と思わざるを得ないのだった。






 博麗神社を出ると、西の空はすっかり茜色に染め上げられている。存外に長い時間、博麗神社にいたものだと思う。

「楽しかったねぇ、お姉ちゃん」
「そうね」

 そんな会話を交わしながら、地霊殿へと帰る私たち。
 けれどこいしと話をしつつ、私は頭の片隅で別のことを考えていた。

 ――帰ろうお姉ちゃん。

 それは、先ほどのこいしの返事。
 何でもないやり取りではあったけど、こいしにとって地霊殿という場所が今でも帰る家であることが分かり、私は安堵していた。その声が心の中で反芻されるたびに、胸の中がじんわりと暖かくなってゆくのだった。
 けれど、と思う。
 何故、そんな当たり前のことで私は安堵しているのだろう。本来なら、確認の必要などないことのはずなのに。
 やはりこれは、私がこいしのことを信じ切れていないからに他ならなかった。
 第一、こいしに対して観察なんて言葉を使っていた時点で、私はこいしのことを信じようとしていなかったことがよく分かる。妖怪に情などないと思っていた霊夢よりも、よっぽど失礼な所業だろう。
 そして何より、心の中が読めないというだけで、私はこの子に対して不要な恐れを抱いていた。こいしの心を開かせたいと思う一方で、私の方が、こいしの心に触れようとするのを避けていたのだ。嫌われているかも知れないなどと、手前勝手にこいしを恐れて。
 そんな感情を知られてしまったら、それこそこの子は私を軽蔑してしまうだろう。

「どしたのお姉ちゃん、難しい顔して」
「なんでもないわ」
「むー、お姉ちゃん、隠しごとは良くないよー」

 鋭い。
 けれどこればっかりは、墓の中まで隠し通さねばならないだろう。

「……そうね、こいしが霊夢のところにばかり通ってるから、お姉ちゃん、ちょっと嫉妬してたのよ」
「へ?」

 こいしが、文字通り口をへの字に曲げる。まあ、確かにこれは普段の私とはかけ離れた言動だろう。でも、本音ではある。
 こういう時は、嘘を言って誤魔化すよりは、本当のことを言って誤魔化した方が大抵は上手くいく。少なくとも、嘘に嘘を重ねるような状況にはなりにくくなる。

「お姉ちゃんも可愛いところがあるんだねぇ」
「まあ、可愛さではこいしに負けるわ」
「私を褒めても何も出ないよー」

 そう言いながらも、こいしは嬉しそうに笑っていた。
 何も出ないなんてことはない。その純真な笑顔がこちらに向けられることが、私には何物にも代え難い喜びになるのだから。

「ねえ、こいし」
「なぁに、お姉ちゃん」

 私は、半ば突き動かされるようにしてこいしの手を握る。
 不意に手を繋ぐことになったこいしだけれども、戸惑いの表情を見せたのはほんの一瞬だけで、すぐに私の手を握り返してくれた。
 そして、えへへと笑う。
 私は、どこか救われたような気持ちになった。
 私の左手に包まれる、こいしの小さな右手。
 幼いその手には、覚りの能力はそれこそ手に余るものだったのかも知れない。
 けれど、こうして無意識となり誰にも気付かれなくなったとしても、触れればこうしてあたたかい。
 この子は断じて、道端に転がる石などではない。――決して、私がそうさせはしない。
 こうしてこいしと手を繋いだのはいつ以来だろうか。そして、こんなに沢山話をしたのは。
 考えてみれば、彼女たちと出会い、こいしだけではなくて私も変わったのかも知れない。
 私ももっと、こいしと話をしよう。そして彼女たちとの交流の中で、こいしがいつか本当に心を開いてくれたらと、私は切に願うのだった。

「ねえ、こいし」
「なに?」
「次は、私と一緒に行く?」
「うん。お燐とおくうも一緒に……って、あー!」

 不意にこいしが立ち止まって声を上げる。私も、恐らく同じことに思い至った。

「お燐置いて来ちゃったよ!」

 そう、こたつの中にお燐を置いて来てしまったのだ。結局起きて来なかったものだから、すっかり忘れていた。
 本当、今日のお燐はずっと寝っぱなしだったのではないかと思う。

「はぁ、仕方のない子ねぇ……」
「仕方のない子だけど、大事なペット、でしょ」
「……そうね」

 こいしの言う通りだった。
 こいしには負けるけれど、ペットたちは皆可愛くて、そして大事な存在なのだ。

「迎えに行きましょうか」
「もちろん」

 来た道を振り返る。すると強烈な西日に照らされて、私たちはそれぞれ手をかざした。
 それでも私たちは、繋いだ手を離してしまうことは決してなくて。
 大切なペットを迎えに行くために、私たちは手を繋いだまま、また歩き始めたのだった。
 
 
 東方キャラたちの中で手を繋いでいる姿が一番似合うのは、この2人だと思っています。
 それも、さとりがちょっと気後れしている感じだと更にいいなという妄想をしています。
上泉 涼
[email protected]
http://d.hatena.ne.jp/hiatus/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2280簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
いい話だったと言わざるおえない
6.90名前が無い程度の能力削除
イイハナシダナー
14.100名前が無い程度の能力削除
さとりやこいしだけじゃなく、霊夢もその奔放さが彼女らしさを感じさせてくれました。
いいお話でした。
17.90名前が無い程度の能力削除
魔理沙かわいい。
こたつのようにじんわり温かい話でした。
30.100名前が無い程度の能力削除
ぬううううう
第二話を希望!
31.100名前が無い程度の能力削除
みんな良いキャラしてて面白かった
35.100名前が無い程度の能力削除
霊夢がよかった
古明地姉妹がこうして霊夢や魔理沙と仲良く会話ができるというだけで救われるよ
45.90ずわいがに削除
魔理沙が正直だなぁ。まぁ気持ちはわかるけどね;ww
霊夢は……ん、マイペースだなwww
さとりももっと自分に素直になっても良いよなぁ
48.100名前が無い程度の能力削除
とても良い話だと思います
50.100名前が無い程度の能力削除
いいなぁ……
みんないい味だしてた