Coolier - 新生・東方創想話

ぬいぐるみ

2010/03/06 22:49:44
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時刻は丑の刻に差し掛かる頃、紅魔館の門番・紅美鈴は自室で眠り疲れを癒していた。
意外な事に美鈴にとって睡眠はあまり意味をなさない。全ての妖怪がそうだとは限らないが、
大半の妖怪は通常の疲れを癒すことに関しては「眠る」より「食べる」方がより効率的だからである。
この手の妖怪にとって「睡眠」とは暇潰しや、熱量や体力の温存、重度の負傷の治癒のためであり
普遍的な習慣だとは到底いえないものであり、場合によっては趣味とされることさえある。しかし、
美鈴は自信にとって不必要ともいえる行為を、少し前から積極的に日常へと取り入れていた。
それは、主人であるレミリアが拾ってきた「仔犬」と生活をともにしはじめてからである。

今週は美鈴の勤務シフトは昼間で咲夜のシフトは夜間だったので、一人で寝ていた。
いつもは隣で咲夜が寝ていることが多いのだが、今週一杯は勤務時間の関係上それはない。
美鈴は久々に一人で寝られるのだ。美鈴は咲夜と一緒に眠る事は嫌いではなく好きである。
しかしたまには一人だけで眠りたいときだってある。このことは咲夜にもいえるためか、シフトが
重なっていたとしても、必ずしも一緒に眠るわけではない。どんなに深い仲になったとしても、
きちんと距離感というか、境界を設けられる良識を二人とも持っているのだ。親しき仲にも
礼儀ありというやつだ。美鈴はそんな咲夜が好きだった。たまに軽く暴走してしまうところも
あるが、基本的には公私を混合しない咲夜の生き方には好感だけでなく、敬意すら持っている。
だからこそ咲夜の想いにもすんなり応えられたのだと、美鈴は思っていた。もちろん、美鈴自信も
咲夜の事を想ってはいた。しかし、もし万が一にも咲夜が公私を弁えない考えをしていたのなら、
美鈴は自分の想いを無理矢理にでも殺して、咲夜の想いを拒絶していただろう。それ以前に好意を
抱かなかった可能性だって高い。だから美鈴は咲夜の性格を二重の意味で好ましく思っていた。

――んっ…、う~ん…
時刻は丑の刻、それまでは熟睡していた美鈴は、妙な寝苦しさをわずらうことになった。
まるで何かに全身を圧迫されているような感覚に襲われはじめたのである。こんな事は初めてだった。
――しばらく我慢していれば何とかなるだろう。
そう考えた美鈴は再び寝付くためにも瞼を強く閉じた。しかしいくら時が経っても全身の圧迫感は
拭えなかった。それでも美鈴は眠る努力をしたが一向に寝付けなかった。そのまま小一時間が過ぎた。
――仕方がない、一度起きて水でも飲もう。
半ば諦めたようにそう考えた美鈴は起き上ろうと、今まできつく閉じていた瞼をゆっくりと開けた。

「あら、起きてしまったの、残念ね……」
美鈴が目を開けると、目の前にはベッドに上り、覆い被さる様にして美鈴の顔を覗き込んでいる
咲夜の姿があった。人一人が自分の上にいたのである、どうりで寝苦しくなるわけである。
「何をしているのですか?咲夜さん……」
そんな咲夜に美鈴はあくまでも冷静に質問した。驚いては咲夜の思う壺だからだ。
「愛する貴方に、朝の挨拶代りの口付けを――」
「――して貰うには少々時間が早過ぎると思いますよ?」
おどけた様子の咲夜を美鈴はあしらった。まともに相手をすれば咲夜の術中に嵌るからだ。
「ふふ…軽い冗談よ、美鈴。それにしても良く起きたわね。この時間帯は一番眠りが深く
なるから、不意打ちには最適な時間帯だと教えてもらったのに。やっぱり凄いのね、貴方」
咲夜が何故自分の目の前にいるのかは分からないが、彼女は何か物騒な事を言っている。
「誰ですかそんな物騒な事を、咲夜さんに教えたのは?!」
美鈴の当然とも言える問いに対して、咲夜は苦笑しながら答えた。
「誰って、貴方じゃない……、護身・護衛の基本だからと言って昔私に教えたこと忘れたの?」
「…そう言えば前に教えた気がしますね。あの頃は咲夜さんも素直な可愛い子でした」
咲夜がまだ幼かった頃――素直でいい子だった頃を思い出して美鈴は懐かしんだ。
「さらりと変な事を言わないでよ、私は美鈴の事を褒めたのに…」
「……ですが小一時間以上も人の上にいないで下さいよ、何事かと思いました」
「失礼ね、小一時間も貴方の上なんかにいないわ、私はほんの少し前にここへ来たのよ?」
「そう…なんですか?私はてっきり咲夜さんの仕業かと思いました」
「???……変な美鈴。そんな事より本題よ、美鈴」
「まだ口付けをする気なんですか…?」
「違うわよ!仕事中にわざわざしに来るわけないでしょ?!」
――やはり咲夜さんは咲夜さんだなぁ。
少し嬉しさ感じた美鈴は自分に乗りかかったままの咲夜に誤解したことを謝ることにした。
「早とちりをすみません、では何なのですか?」
「妹様が屋敷を出てしまったのよ、だから…」
フランドールが屋敷を飛び出して行方不明になることは少なくはない。その度に美鈴が
捜索に駆り出されるのだ。フランドールが何故か美鈴に一番懐いているのからである。
咲夜の話ではフランドールは日付が変わる前後に屋敷を抜け出したらしい。今のところ
理由は不明だが、おそらくは姉であるレミリアとの喧嘩が原因と予測されるとのことだった。
「探して連れ戻しに行けばいいのですか?」
「今回は違うの。居場所は既に分かっているし、無理に連れ戻さなくてもいいみたい」
「――???意味が分からないのですが」
居場所は分かっている上に連れ戻す必要がないと言う、それなら自分は何をすればいいのだろうか、と
美鈴は少し困惑してしまった。そんな美鈴を見た咲夜は少しだけ笑いながら今回の命令を伝えた。
「貴方には気配を消して、見つからない様に妹様を見守って欲しいの」
「はぁ……よく分からない事だらけですが、今から了解しておきます」
自分が何をすればいいのかは分かったものの、依然として不明な点が多い任務であった。
しかし、命令であるため美鈴には従う必要があるし、フランドールの事も心配だったので、
分からない事だらけの任務だが、美鈴は早々と了解しておいた。そんな美鈴の単純な思考を
読んだのだろうか。咲夜が呆れつつも今回の不可思議な命令の種明かしをはじめた。

「詳細が分からないまま任務に就かれても困るわ。だから今から細かい説明をするわよ?」
そう言って咲夜はどこからともなく人形を取り出した。おそらく時間を止めて連れて来たのだろう。
その子はただの人形ではなく、アリスといつも一緒にいる人形だった。確か名前は上海だった筈だ。
自分の名前と何だかニュアンスが似ているので、アリスの人形達の中でも美鈴にとっては一番の
お気に入りの子だった。しかし何故この子が紅魔館の自分の部屋にいるのかが、美鈴には全然
分からなかった。そんな美鈴を後目にして咲夜は種明かしを始めた。
「どうやら妹様はアリスの家におられるみたいなの、ただどう言ったわけか今晩から
何日間はアリスの家に滞在される気らしいの、アリスもそのことを承諾しているわ」
「お嬢様はこの事を許可したのですか?」
「ええ、妹様もこの頃は落ち着いていられるからと言って許可されたの、ただ……」
「『万が一の場合に備える必要がある』ですか?」
美鈴は咲夜の次の言葉を見事に奪うことに成功出来たので、自然と笑顔になった。
「あら、察しがいいのね。正に相思相愛と言うやつね」
「それを言うのなら以心伝心でしょ?」
「でも、この二つの言葉は割と似ていると思わない?」
「まぁ……何となくですが、咲夜さんの言いたい事はわかりますね」
美鈴は平静を装いながら応えたが、内心では咲夜の言葉の意味を反芻していた。そして、
どちらの言葉も自分達に当てはまると嬉しいなと思い、顔を赤くしながら美鈴は上にいる咲夜の
顔を盗み見た。どうやら咲夜も同じ事を考えていたらしく、目を泳がせ少し顔が赤くなっている
ようだった。すると咲夜は美鈴の視線に気付き、視線を合わせた。二人はしばらくの間は何も
話さずに見つめ合う形になった。普段は突拍子もない事を言い美鈴を驚かせる咲夜だが本質としては
まだまだ幼いというか、初々しいところが残っている様で、たまに自分の言葉に赤面して恥ずかしがる。
平たく言えば少しだけ背伸びをしているのだ。美鈴は背伸びなんかせずともいいと思っているが、
元を正せば咲夜をどこか子供の様に扱う自分の癖が一向に直らないためだと自覚しているため、
口には出せなかった。

美鈴は咲夜との静かな時間がたまらなく好きだった。しかし、
「……では、私はそろそろ行く準備をします」
いつまでも見つめ合っていたかったがそうはいかない。美鈴は起き上り出発することにした。
「……そうね、そろそろお願いするわ。」
咲夜も内心は同じ気持ちなのだろうが、自分も勤務中と言う事もあり素直に同意はした。
しかし依然として咲夜は美鈴の上に乗りかかっていて、このままでは美鈴は起き上れなかった。
「……ところで同意してくれたのに、いつまで私の上いる気なのですか?!」
「いつもは貴方が上なのだから、たまには私が上でもいいじゃない」
美鈴の抗議に対して、突然咲夜が言葉の意味は分かるが、色々とわけの分からない言葉を口にした。
咲夜にしては今晩における最高の「からかい」のつもりなのだろが、美鈴はすぐに反撃が出来た。
「何回かはそう言って咲夜さんが上になりましたが、気付いたら下になっていましたよね?」
美鈴の意外過ぎる反撃にあった咲夜は思考が追い付かなくなってしまい、再び赤面し始めた。
「そう……だったかしら……?よく覚えていないわ」
「そうですよ、基本的に咲夜さんは『自分から』下になりたがりますよ?」
美鈴は咲夜にここぞとばかりに追撃をしかけたところ、咲夜の顔はますます赤くなっていった。
「分かったらそこをどいて下さい、咲夜さん?」
「――――」
少し勝ち誇ったような口調で美鈴は咲夜に話しかけた。赤面中の咲夜は黙ったままそれに従い、
美鈴の上から降りて、ベッドの側に顔を隠すようにして下を向いたまま立ち尽くすことになった。
そんな咲夜の姿が可愛かったため、起き上りざまに美鈴は更なる攻勢に出ることにしてみた。
美鈴はベッドから抜け出すと、下を向いて顔を隠している咲夜を、にやにやしながら見て。
「咲夜ちゃん、恥ずかしがらずに美鈴お姉ちゃんの方を向いてごらん?」
幼い頃の咲夜に対してよく使っていた呼称と口調で美鈴は話しかけてみた。
「―――!!!」
「もしかして、お姉ちゃんの事嫌いになっちゃったの?咲夜ちゃん……」
「―――――ッ!」
今まで立ち尽くすだけだった咲夜がだんだんと小刻みに震えてきた。噴火の時は近いようだ。
「咲夜ちゃんに嫌われちゃうと、お姉ちゃん悲しいなぁ~」
「め……美鈴の……」
「何ですか?私の可愛い咲夜ちゃん。大好きなお姉ちゃんにもっと大きな声で話してみて?」
美鈴は咲夜へ、とどめを遥かに通り越したダメだしの一撃を放った。

「美鈴の―――バカ―――!!!」

とうとう噴火した。咲夜は恥ずかしさで真赤になった顔で美鈴を睨みながら叫んだ。
「私を子供扱いしないで!私はもう大人なのよ?!お姉ちゃん……あっ?!」
「ぷっ」
ものの見事に咲夜が釣られた様を見て、美鈴は思わず吹いてしまった。
「いやぁぁぁッ――!もう美鈴の事なんか嫌い!大嫌い!!」
泣き面に蜂と言う言葉がここまで似合う状況もそうはあるまい。たださえ真赤だった咲夜は
これ以上ないくらいに赤くなり、目には恥ずかしさのあまり涙が溢れていた。口調も何だか
昔に戻った様になってしまっている。さすがに可愛そうになってきたので美鈴はそんな咲夜を
慰める様に優しく頭を撫でながら、少し泣き始めた咲夜に謝りをいれることにした。
「落ち着いて下さい、咲夜さん。私が悪かったです」
「……美鈴の事なんか……もう知らない」
咲夜が割と本気で泣いている様に見えたため、美鈴に少しの焦りが生じた。
「そんな事言わないで、泣き止んで下さい…ね?」
そう言いながら美鈴は泣いている咲夜の頬に軽く口付けをしてみた。
「いきなりなんてずるいわよ……」
「咲夜さんだってよくしてくれるじゃないですか?」
どうやら咲夜はある程度の機嫌は直してくれたみたいなので美鈴は安心した。
「私はいいのよ、でも美鈴はダメなの」
「無茶苦茶ですね、少し前までとは言っていることが逆になっていますよ?」
「過去も大事だけど、二人の未来の方がより大切でしょ?」
今まで泣いていたのが嘘のような咲夜の態度に美鈴は小さな疑問を抱いた。
「咲夜さん立ち直りが早過ぎませんか……もしかして今の嘘泣きでした?」
「ふふ、どうでしょうね。貴方なら分かるでしょ?」
おそらくは本気泣きが半分で、もう半分だけ嘘泣きだったのだろうと美鈴は感じていた。
「まぁ、一応は分かりますね。私と咲夜さんは以心伝心の間柄ですから」
「正しくは相思相愛の仲でしょ?」
「ではその両方って事でいいでしょうか?」
「そうね、それが一番いいわ」
そう言って美鈴と咲夜は互いに笑い合っていた時である

『あなた達、仲がいいのは結構なのだけど全部聞こえているわよ?』
突如、側にいた上海人形から申し訳なさそうなアリスの声が聞こえてきた。

――――!?
――――!?
二人は一瞬の内に凍り付いた。

『ごめんなさい、盗み聞くつもりはなかったのだけど……』
『ただ上海の帰りが遅かったから心配になっちゃって……』
『でも安心してフランに は 聞かれていないから』

「――――――」
「――――――」
美鈴と咲夜は何も話さないまま出発の準備を始めた。もちろんアリスの口を封じるためではなく、
ただ単にフランドールを見守るための準備である。準備が出来た美鈴は上海人形を抱えて
アリスの家へと向かった。結局、咲夜とはあの瞬間から何も話さないままでの出発になった。


※※※※※

時刻は子の刻。屋敷から抜け出したフランドールは道に迷っていた。元々行き先を決めて
いなかったので、迷うというよりは彷徨っているといった方が正しいのかもしれない。
太陽はとうの昔に沈み、月と暗闇が幻想卿を支配していたが、吸血鬼である彼女には何ら
不都合なところなどなく、少し肌寒く感じる夜風を満点の星空の中であびながら飛んでいた。

普段は紅魔館内でしか活動出来ないので、何ともない事でも楽しく感じられた。図書館の
図鑑の中だけでしか観測した事のない星座達が夜空に燦然と輝く姿には目と心を奪われ、
それが実際には途方もないくらい昔の姿であり、今の姿とは違うと言う摩訶不思議な知識を
思い返し世界の大きさに感銘をも受けていた。

そんな平和な一時にフランドールはアリスと偶然に出会った。正確にはフランドールが
森の中を歩いて移動しているアリスの姿を空中から発見したのだ。フランドールは紅魔館内の
図書館において彼女とは顔をよく合わせていた。館内にある図書館の主であるパチュリーを共通の
知り合い――もしくは友達として知り合った仲であった。フランドールはアリスがくれる
お土産の洋菓子がとても好きだった。そのためフランドールは何ら警戒心を抱かずに
目下を徒歩で移動しているアリスへと近づいて行った。

「今晩は、アリス!何処に行くの?」

突然、頭上から話し掛けられたのでアリスは少しだけ混乱した。声がした方を見上げてみると
そこには不可思議な羽を持った幼いようすの吸血鬼が楽しそうに飛んでいるのが見えた。

アリスはフランドールが一人で外にいることに疑問を持った。聞いた話では、彼女が一人で
外出することは、少々過保護な彼女の姉により許されていないからだ。しかし、目の前にはフラン
ドールがただ一人いるだけで、近くに姉のレミリアやその従者達の姿は見受けられなかった。
「フラン?なんでこんなところに?」
「お姉様と喧嘩して飛び出しちゃった……。そんな事よりどこに行くの?」
先程までは楽しそうにしていた表情が一転して悲しげなものになったと思ったら、すぐに
好奇心の溢れる表情に変化した。それに合わせるかかの如く背中の羽に着いている結晶の様な
モノの色も変化していった。どうやら、結晶の色は感情に合わせて変化する様だ。
「私は今から家に戻るのだけど、暇ならフランも来る?」
最初、アリスはフランドールを紅魔館に連れて行こうかと思ったが、どうやら久々の
自由みたいなので気が引けた。だからといって、一人にしておくには何かと心配な子だったので、
アリスはフランドールを家に誘ってみることにした。
「うん!行きたい!!」
本当に暇だったらしく、フランドールは二つ返事でアリスの誘いに乗った。

※※※※※


丑の刻に差し掛かかる頃に二人はアリスの家に到着した。二人がその気になれば、
もっと早く到着出来たのだろうが、アリスがフランドールに家出の原因になったという
「レミリアとの喧嘩」について尋ねがてら、二人で夜の散歩を楽しんだために通常よりも時間が
多めにかかってしまったのだ。その時にアリスがフランドールから聞いた話を要約するとこうなる。
「レミリアが何かと――話し方、食事の仕方等について自分に小言を言ってきて、それが嫌で
反発したら口喧嘩になってしまい、飛び出してきた」
どうやら話しを聞く分には喧嘩の理由は深刻なものではなく、フランドールのレミリアへの
幼い反抗心がその原因だった。変に込み入った理由ならば、今からでもフランドールを紅魔館へと
即時帰還させる必要があったが、ただの姉妹喧嘩なら別に急ぐ必要はない。アリスはそう判断したのだ。


アリス宅に無事到着して中へ入ってすぐに、フランドールはあるものを発見した。それは
彼女の良く知る人物の姿を模して小さくしたぬいぐるみの様なものだった。それを見たフランドールは
アリスに許可をもらって抱かせてもらえる事になった。いくら顔見知り同士だとはいえ、
初めての場所に来たということもあり、少し緊張気味だったフランドールの顔が少しだけ和らいだ。
そして、そのぬいぐるみを大切そうに腕に抱いたままフランドールはアリスに質問をした。
「どうして、美鈴のぬいぐるみ――この子美鈴だよね?――がここにあるの?」
「少し前にある人に頼まれて制作しているの、フランも何か作って欲しい?」
「うん!欲しいかも。でも…私、よくモノを壊しちゃうから…」
嬉しそうにしていたのに、寸暇の内に悲しげな表情に変わった。それに合わせ背中の羽の色も
明るい色から、暗めの色へと変化した。
――本当に表情の豊かな子ね。
アリスはフランドールの感情表現の巧みさに少しだけ感動してしまった。
フランドールとは逆にアリスは隠す方が得意だったからだ。
「今みたいに優しく扱えば、私の作ったモノなら簡単に壊れたりなんかしないわ」
「そう…かな?」
「うん、きっと大丈夫」
美鈴のぬいぐるみをぎゅっと胸に抱いて、不安そうにフランドールがアリスに問いかけた。
それをアリスは優しく微笑みながら、彼女からその不安がなくなるように答えた。
「ありがとう…アリス」
そんなアリスにフランドールはぬいぐるみを更に強く胸に抱き、羽の色を再び明るくした。
それはもうぎゅっ――と抱いた。

※※※※※


「ねぇアリス。私でも何か作れるかな……?」
あれから少し時間が過ぎた後、突然フランドールが思い立った様に口を開いた。どうやら、
自分で人形を作りたくなったみたいだった。フランドールはあの後ずっとプチ美鈴を
胸に抱いたまま考え込んでしまい、アリスも少し困惑していたときの事である。ただ、
背中の羽が忙しそうに色を変えていく様子はとても綺麗で、アリスは困惑しつつもその
光景に魅了されていた。アリスが確認しただけでも七色の変化をするみたいだった。
「今までに何か作ってみたことはあるの?」
「うっ…、なにもないかも…」
「それなら難しいわね…、裁縫だけでも出来れば違うのだけど」
アリスは吸血鬼が雑巾を縫っている姿を想像し、笑いそうになったが何とか堪えた。
「そっか…難しいのね…」
「……私も手伝うから一度試してみる?」
徐々に暗くなりゆくフランドールの羽を見て、アリスは救いの舟をだした。しかし、幾ら
自分が手伝おうとも、初心者が作品を作るには非常に時間がかかる。紅魔館からの使者が
ここまで辿りつく間に作り終える事は出来ないだろう。そう考えたアリスはフランドールに
ある提案をした。
「ねぇフラン。少しの間だけここに泊まって、何か作ってみる?」
「えっ…いいの?」
「私は構わないけど、フランは大丈夫?」
「うん、私は大丈夫だよ。だけど、きっとお姉様が許してくれないよ…」
「レミリアからは私が頼んでみる。それで許可が出たら一緒に作りましょう」
そう言い終わるとアリスは側にいた上海人形に御使いを頼んだ。ここから紅魔館まで
四半刻もかからないだろう。そうすれば上海を通じてレミリアと話しが出来る。偶には
少々過保護な姉の元から離してみてもいいだろう。そんなちょっぴりお節介なことを
アリスは考えていた。


「私はそろそろ休むけどフランはどうする?」
「アリスが眠るなら、私も眠るわ」
「わかったわ。でもこの時間に寝られるの?私はあくまで人間だった頃の名残として
寝ているだけだから、このまま一緒に起きていても平気よ?」
魔法使いという種族であるアリスにも睡眠は意味をなさない。それどころか食事だって必要ない。
しかしアリスは魔法使いになって日が浅いためか、昔の古き『習慣』を今でも引き継いでいるのだ。
「少し前までずっと地下室にいたから、私は好きな時に眠れて、好きな時に起きられるの」
フランドールがさらっと凄い事を言ったが、アリスには突っ込めなかった。
「分かったわ、あとベッドが一つしかないから、フランが使ってもいいわよ?」
「本当?!でも……アリスはどうするの?」
「私はソファーで寝るわ。気にしないで」
「何だか悪いよ……ベッドで二人一緒に寝られないの?」
「……フランがいいのならそうしましょうか」
フランドールが寂しそうにアリスの顔を見た。その表情を見たアリスは何だか不思議な気分になった。
これも吸血鬼の持つ能力の一つなのだろうか。アリスはフランドールの言葉に従うことにした。
実際のところは能力でもなんでもなく、単にアリスの母性本能が刺激されただけだったのだが、
その表情は能力だとしか思えない程の威力だったのだ。

好きな時に寝られるというフランドールの言葉は本当だったみたいで、布団に入ると
フランドールはすぐさま可愛い寝息を立てはじめた。ベッドに入る前までアリスはフランドールが
どうやって眠るのかが気になっていた。彼女が見た目からは折り畳めるとは、到底思えない形状の羽を
しているからだ。そんなアリスの疑問など気付くわけもなく、フランドールは当然のように自分の
羽を消して見せた。これにはアリスも驚愕せざるをえなかった。まさかの収納式だったのである。
アリスが驚きのあまり放心していると、フランドールはおやすみと一言だけ挨拶をして眠ってしまった。
どうやら彼女の話は本当の事だったらしい。

丁度そんな時に上海人形は紅魔館のレミリアの元まで辿り着いた。意外な頃にレミリアは
すんなりとアリスの提案を受け入れてくれた。ただし、警護の者をアリス宅の近くに潜ませる
事を要求された。アリスはこの警護が誰のためのものなのかは聞かなかったが承諾しておいた。
すぐ側でフランドールが寝ているので長話をするわけにもいかなかったからである。その後は
警護の者に上海人形を近くまで連れて行かせるという流れで落ち着いた。そしてその後
アリスは上海人形との回線(?)を一度切った。

――そしてあの悲劇が起ったのである。

上海人形の帰りが何となく遅く感じたアリスは念のために上海人形の耳を通じて一度だけ
状況を確認しようとしたのだ。すると何故か上海人形は美鈴の部屋にあるみたいで、美鈴と
咲夜の会話が聞こえて来たのだ。最初はよく聞こえなかったが徐々に声が鮮明になっていき、
会話の内容が恥ずかしいまでに理解出来るまでになった。美鈴と咲夜の関係は以前から、
知っていたしフランドールが眠るまで抱いていたプチ美鈴の制作依頼者も咲夜であり、制作を
頼まれた際に聞いてもいない事を延々聞かされた記憶もある。しかもあの人形――ぬいぐるみには
どうやって入手したのかは分からないが、咲夜の持参してきた美鈴の古着の断片で構成されている。
もちろん咲夜の要求である。……美鈴に呪いでも掛ける気なのだろうか。その他の材料も最高級の
素材のみを使ってくれとの指示もあり、単価はえらいことになっている。ちなみに完全な後払いである。
そのかわり、出来栄えによってはかなり色をつけた報酬を払うとまで言われ、アリスは持てる技術と
知識を総動員してこのプチ美鈴を作ったのだ。特に咲夜から重点的に指示された頬と胸の部分には
香霖堂にわざわざ注文したシリコンとかいう外の世界の素材を使用している。

あとから聞いた話だと、この素材の本当の出所は竹林の奥にある永遠亭であるらしい。
香霖堂の店主はこの素材を八意永琳から分けてもらう時に『何に使うかは、あえて聞きません』
『ただ、だれも不幸にしないで下さい』などと言われたそうだ。その後しばらくして香霖堂の
店主に関する奇妙な噂が流れた。何でも神も恐れる禁術を手に入れたとかいうものだった。
ただこの噂も他のものと同じように、時間とともに消え去っていった。

アリスが色々と考えていると、不意に隣で寝ているフランドールが寝返りをうち、アリスの腕に
寄り添ってきた。実年齢が500歳弱とは思えない、あどけない寝顔にアリスの思考は占領された。
幸せだったとは言えない半生を送ってきたとは想像出来ない安らかな寝顔である。しかも、
今は特徴的な羽も無く見た目は普通の少女になっている。アリスは必要以上にフランドールの事に
ついて考えを巡らせるようになった。

彼女の持つ危険極まりない能力に加え、精神的な不安定さを知っていてもなおフランドールを
可愛がる者は幻想郷には意外と多い。アリスの他に紅魔館の犬二匹に図書館の主、白黒の魔法使い、
可愛がっているかは微妙だが、紅白の巫女、寺小屋の半獣も気に掛けていると聞く。その事を
知ったからかは分からないが、レミリアは妹の長きにわたる幽閉を解き、軟禁に近い形まで彼女に
自由を与えはじめた。それでも未だ根底には妹に対する過度な不安を抱えているのだろう。その憂いは
フランドールは当然の事、彼女の近くにいる者達にも及んでいる。レミリアは妹が彼女に親しき者を
不幸の下殺めてしまうのを非常に恐れているのだろう。もしそうなれば、自分の妹が二度と立ち直る
事が出来なくなることを予見しているから。

そこまで考えたところでアリスは睡魔に負け眠りにつくのだった。


※※※※※


美鈴が任務のためにアリス宅付近に着いた時には、家に灯りはなく暗くなっていた。脇に抱えたままの
上海人形をどうしようか迷ったが、動く者の気配がなく二人とも完全に寝ている様だったので、一緒に
日が昇るのを待つ事にした。例え人形とはいえ、側にいてくれるだけで孤独感が幾分和らいでくれた。
美鈴は部屋から持ってきた御座を地面に敷き、その上に座布団と簡易な望遠鏡を設置した。アリスの
家は森の少し開けたところにあるので、あまり接近出来ないからだ。ここまで用意したところで、
美鈴は薄く目を閉じた。一応確認のために家の中の気配を正確に探るためだ。探ってみると、
どうやら二人は仲良く寄り添って眠っているみたいだった。
――思っていた以上に仲が良かったんですね。
美鈴はそう感じると同時に少しの懐かしさを覚えていた。

※※※※※


美鈴が見守りを始めてしばらく経ち、空が大分白くなってきた頃にアリス宅に来訪者が現れた。

その来訪者の姿を美鈴はよく知っていたが、その様子は今までに見たことのないものだった。
その来訪者――霧雨魔理沙は紅魔館にも来訪はではなく、よく出没する。もっと厳密に言えば
襲撃を仕掛けてくる。本来なら客として迎えられるだけの人物なのだが、どういったわけか、
毎回強盗紛いの手荒い作法で門をくぐろうとする。そのために正式な入館許可が降りないどころか、
要注意人物の一人として美鈴は追い払わなければならないのだ。その魔理沙がどうしたことか、
アリス家の前で念入りに服装を整え、礼儀正しく戸を叩いて家主に許可を仰ごうとしている。
その顔はどことなくだが、少しだけ赤くなっているように見えた。
――あぁ、そういうことですか。
美鈴は直感的に魔理沙の「奇行」の原因を理解した。
――存外、初々しいですね。
彼女の性格上この手の事には、もっと大胆というか遠慮のない態度だと思っていたが、それは
間違いだったらしい。その証拠に、魔理沙は戸を開けて貰えないので、早くも動揺し始めていた。
アリスは未だ夢の中にいるという少し考えたら分かりそうなことにまで考えが及ばないのか、
徐々に魔理沙の動揺が大きくなっていく様が、美鈴には遠目からも手に取るように分かった。
――あんなに、一途に相手を想っているんだ、可愛いなぁ~
その純粋ともいえる若々しさを見せる魔理沙の姿に美鈴は何となく見惚れてしまった。
魔理沙は意を決したのか再び戸を叩き始めた。今度は前回よりも力を込めている様で、戸をたたく音が
先程よりも明らかに強くなっていた。しかし、非情な事に扉が開かれることはなく、魔理沙は再び
困惑しはじめた。その姿はいつもの勝気な彼女からは想像できないくらいに気弱なものだった。
――頑張れ!いつもの無駄な強気はどこにいったの!
本質的に面倒見のよいところのある美鈴は任務を忘れ、心の中で魔理沙の恋路の応援を始めた。
美鈴の心の声援が届いたのか、魔理沙は最後の賭けだと言わんばかりに戸を乱暴に叩き始めた。
魔理沙が息を切らせながら戸を叩いていると、不意に家の中で誰かが動く気配がし、それが玄関へと
移動し始めた。それを感じ取れたのだろうか、魔理沙は少しだけ緊張し、今や今やとばかりに
期待した様子で扉の正面で、それが開けられるのを待ち構えた。

――だぁれ?こんな時間に……魔理沙ぁ?
魔理沙の耳になんだかいつもより格段に甘い声が届いた。期待で魔理沙の胸が破裂しそうになる。
そして、少しの間のあとに戸が少しだけ開いたのを見るや否や魔理沙は我慢出来なくなったのか、
手を伸ばし開きかけた戸を勢いよく開け放した。寸舜でも早くアリスの顔が見たかったのだろう。
魔理沙は高揚のあまり、そのまま扉の向こうの人物に抱きつかんとする勢いだった。

魔理沙の後ろ姿しか見られない美鈴にも、彼女のその高揚感がびしびしと伝わってきて、気付けば
立ち上がっていた。潜伏も何もあったものではない。しかしそれだけ熱くなるだけの理由があるのだ。
目の前で勇気を振り絞り、高嶺とは言わないでも、結構な高所にある花を掴まんとする者がいれば、
同じ温かい血の通う者なら人間だろうが、妖怪だろうが立ち上がり応戦するのは当然のことではないか。

そして扉が開け放たれた

――やっぱり、魔理沙だぁ!!

しかし、扉の奥に立っていたのはアリスではなく、寝起きのフランドールだった。

――why?

そう言い残し、魔理沙と美鈴はその場に崩落した。


※※※※※


扉を開けると何故か、そこにはフランドールが立っていた。てっきりアリスとご対面出来ると
ばかり考え、胸を躍らせていた魔理沙にとっては、肩透かしもいいところである。そんなことは
露とも知らず、フランドールは目の前で崩れ落ちた魔理沙のことを心配し室内まで運ぶことにした。

「なんでフランがアリスの家にいるんだ?」
室内に入り一息だけつけた魔理沙が弱々しくフランドールに聞いた。
フランドールは昨日あったことを掻い摘んで説明しようとしたが、上手く話せなく
魔理沙も話の内容が分かった様な、分からない様な微妙な顔していた。
「とりあえず、フランは何日かここに滞在するんだな?」
魔理沙の問いにフランドールは頷いた。その頷きに対して魔理沙は。
「そうか、なら私も泊まろうかな」
「本当?!魔理沙も一緒にいてくれるの?」
ああ、そうだぜと魔理沙はフランドールの頭を撫でながら応えた。だが内心では、
――これを機にして私はアリスと……!
などと邪な事をあれこれと考えていた。そんな時である。
「おはよう朝が早いのね、フラン……って魔理沙?」
隣の部屋で寝ていたアリスがフランドールの不在に気付いて起きて来たのだ。

アリスはフランドールの頭を撫でている魔理沙の姿を見て少しだけ驚いた。
「おう、お邪魔しているぜ」
「いらっしゃい、あなたも朝が早いのね」
アリスも魔理沙もお互いに平静を保ちつつ、簡単な挨拶をした。
油断をすると口の端がゆるんでしまう。
「ところで今日は何のようなの?」
「た…たまたま通りかかったから、寄ってみただけだぜ」
魔理沙が本気なのか、冗談なのか判断に困る古典的な解答をよこしてきた。
それだけではない、家に来るたびに、同じ理由を魔理沙は口にするのだ。
――からかってみたいけど、かわいそうよね。
そう思いアリスはやれやれと思いながらも、魔理沙のフォローをすることにした。
「じゃあ、ゆっくりしていけられるのね?」
「そ…そうね、ゆっくり出来るかもだぜ」
「あら、それはよかったわ」
「あ…ああ、そ…それはよかったわ…なんだぜ」
自分でも失敗したと思っていたのだろう、予期せぬアリスの言葉に魔理沙は慌てて応えた。
棚からぼた餅かと思えば、急なこと過ぎて額にぶつかってしまったようなものである。
それはもう口調が変わってしまうくらいだったが、それでいて魔理沙の顔は喜んでいる。

――???変な二人。
二人は嬉しそうにお互いに牽制をいれ合うような話し方をしている。
フランドールはそんな二人の言葉のやりとりが、不思議でたまらなかった。
「なんでアリスも魔理沙もそんなに楽しそうなの?」

フランドールのそぼくな質問に二人はそれぞれ違った反応を見せた。

「朝から家がにぎやかで嬉しいからよ、フラン」
―――鋭いわね…自分の感情表現が得意だから、他人のそれにも敏感なのかしら?
アリスは冷静にフランドールの問いに答えられ、同時に頭の中で考察まで出来た。

「バレた?!」
それに対して魔理沙はこれまた素直な反応しか出来ずに終わった。


※※※※※


「みんな、たのしそうですね……」
茂みの奥で独り任務に就いている美鈴は、ぼっそと呟いた。上海人形は既にいない。
三人のいる家からはそれなりに距離があるというのに、楽しそうな声が常に聞こえてくる。
ただ一人じっとその様子を眺めるしかない美鈴にとっては、拷問に等しい苦行だともいえた。
出来る事なら今すぐアリスの家に行き、三人の談笑に加わりたい。しかしそれは任務上出来ない。
見事な葛藤、二律背反であった。

――それにしても仲がいいなぁ、家族みたい。
おりしも家の中の三人は、少し違いはあるが皆金髪であり、言い得て妙というやつである。
そう考えている美鈴の頭の中では、あっという間に家族の配役が決まっていった。
その結果から想像される魔理沙の日常生活の慌ただしさに、美鈴は一人苦笑した。
どう考えてもアリスの尻に敷かれてしまうだろうし、フランドールには振り回されるだろうからだ。
意外と亭主関白になるかもしれないが、今の魔理沙を見るとその可能性は限りなく低そうに思えた。
どちらにしろ、幸せな日々を送れそうな組み合わせであることには間違いないだろう。

――なんだか羨ましいですね……
美鈴がアリス宅を羨望のまなざしで眺めていると、不意に自分の背後に誰かが来た感じがした。
「咲夜さん?何かありましたか?」
美鈴は振り向くことなく、背後の人物に声をかけた。
「あら、完全に気配を消していたつもりなのだけど……」
「気配は完璧に消せていましたよ」
美鈴の言葉に咲夜は疑問を深めた。
「なら、どうして私のことが分かったの?」
「いいにおいがしたからです」
そう言って美鈴は咲夜の持っているもの――ランチボックスに目を向けた。
その中には差し入れが入っているらしく、とてもいいにおいがしていた。
美鈴はそのにおいを嗅ぐことで、誰かが背後に来たことに気付いたのだ。
それに加えて、様々な要因からその正体が咲夜であると看破したのだ。

看破する決め手となったのも、そのにおいだった。ランチボックスから漂うのは
咲夜がいれたお茶と、日頃からよく作ってくれる中華まんのにおいだったのである。
作りたてなのだろう、それらのにおいはこれ以上にないほど香ばしかった。

「迂闊だったわ、こんな初歩的なミスをするなんて……」
咲夜は美鈴を驚かすのに失敗したことを悔しがった。別にそれは美鈴を驚かしたかったからではない。
気配を消して美鈴を驚かすことは、咲夜にとって手段であっても目的ではないからだ。

咲夜に気配の消し方を教えたのは他でもない美鈴だった。美鈴が幼い咲夜のために、あくまで
護身目的で教えた技術なのだが、咲夜はもっぱら美鈴への悪戯のために使おうとしている。
ただ、成功した例は一度もなかった。時間を止めれば容易いのだが、それでは意味がないからだ。
何故なら咲夜は自分がどこまで技術的に上達したのかを、美鈴に見てもらいたかったからである。
そして今回こそは!と張り切っていたのにも関わらず、本当に些細なミスにより咲夜の野望は
水泡に帰すことになったのである。

「ところで咲夜さん、前から気になっていたのですが、何故私の背後をとろうとするんです?」
咲夜の持って来てくれた差し入れは、美鈴の推測したどおりのものだった。
美鈴は咲夜が用意してくれた、それらを食べながら彼女に理由を尋ねた。
「昔、貴方が『見事、私の背後をとれたら、何でも願いを聞いてやる』と言ったからよ」
このことも忘れてしまったの?と批難の色を含めた言葉を咲夜は美鈴へと返した。
「そうでしたっけ?すみません、覚えていないです……」
美鈴は自身の記憶を辿ってみたが、どうしても思い出せなかった。
例え忘れていても、言われさえすれば大概のことは、思い出せる美鈴にしては珍しい事である。
「そんなことより、首尾はどうなの?変わったことや……ものはなかった?」
フランドールのことがそんなに心配なのだろうか、
少しだけ不安そうにして咲夜が美鈴に問うてきた。
「特にありませんね、強いて言えば魔理沙が来たくらいでしょうか」
そうと応えただけで咲夜はそれ以上のことを追及してこなかった。
さきほど見せた不安そうな表情もおさまり、いつもの咲夜に戻った。


「ねぇ咲夜さん、さきほど言った『私の言葉』って本当のことですか?」
「……どうしてそう思うのかしら?」
差し入れも食べ終わり、一息つけた後に美鈴は唐突に咲夜に声をかけた。
咲夜は不思議そうにして美鈴の疑問を疑問で返した。
「私と咲夜さんは以心伝心の仲ですから」
ちゃかしでも冗談でもなく、美鈴は本気で咲夜の疑問にそう応えてきた。
その目は気のせいか、モノの真贋を見極める鑑定士のような鋭さが宿っていた。
「……降参だわ」
美鈴の気迫におされるようにして、咲夜は白旗を揚げることになった。

「でもなんで嘘だと分かったの?」
「何となく私の言葉ではない気がしたんです。例えば『何でも願いを~』のあたりとかです」
私は約束の出来ないことは言わない様にしていますからと美鈴は最後に付け加えた。
「それだけ……?」
「はい、それだけです」
呆気にとられている咲夜を前にして美鈴は断言した。

「ところで、私に何かお願いでもあるんですか?」
「教えたら叶えてくれるの?」
「ものによっては最大限の努力はしますよ」
美鈴は咲夜の願いごとが気になり、聞いてみたところ教えてくれそうな雰囲気になった。
大体の想像というか予測はついているが、念には念を入れたかったからである。
「そうね――」
「『――今は特に願いはない』ですか?」
美鈴は咲夜の声に自分の声を重ねた。打ち合わせをしたかのような正確さだった。
「……分かっていたのなら、聞かないでよ」
「答え合わせをしたかったんです」
文句を言う咲夜の表情と言葉は明るく、それを見聞きした美鈴は正解したのだと確信した。
こうなると次にお互いが奪い合う言葉は決まってしまっている。
「『まさに相思相愛の仲ってことね』」
「『それを言うなら、以心伝心の仲でしょ?』」
互いの言うであろう言葉を、互いに奪い合い二人は微笑みあった。
美鈴の目にあった異様な鋭利さもこの頃にはどこかに消えていた。


※※※※※


その頃アリスはフランドールと何を作るかを決めていた。人形は難し過ぎるだろうと思ったからだ。
人形を作るには人形本体に加えて、それ用の衣服も制作する必要があり、
それだけ時間も手間もかかるためである。

そう悩んでいるとアリスはプチ美鈴に目がとまった。プチ美鈴はアリスの制作物の中でも
珍しい部類に入るぬいぐるみである。アリスは基本的に関節のある人形しか作らない。
関節が無ければ操れないことはないが、関節という制限がないため色々とピーキーな
仕様になり、細かな操作が面倒になるからだ。ただ関節が無いし、衣服も本体と一体化
させている分だけ、ぬいぐるみは人形に比べかなり手早く作れるという利点もあった。
アリスはそこに目をつけた。幸運な事にプチ美鈴を作るさいに使った材料はまだ少しあるのだ。
「フラン、ぬいぐるみを作りましょう」
「えっ…あっ、うん!」
魔理沙との話しに夢中になっていたフランドールに声をかけたところ、
少しだけ混乱したようだが、すぐに力強い返事がかえってきた。
それまで話し相手だった魔理沙の方も、興味深そうな顔でアリスの方を向いた。
「モデルは何にするんだ?目の前にあるし美鈴か?」
魔理沙は棚の上におかれているプチ美鈴を指さした。
「そこはフランに決めてもらうわ、ねぇフランどうする?」
「う~ん、じゃあ○○○○がいいかも」
フランドールの返答にアリスと魔理沙は顔をほころばした。

三人は早速、ぬいぐるみを作る準備をはじめた。アリスはフランドールに簡単な
制作手順を説明し、魔理沙には足りない材料を求めて里までお使いに行くよう頼んだ。
何故か里の方ではなく、紅魔館の方向へ飛んで行った様な気がするが見間違いだろう。
魔理沙が戻ってくるまでに、アリスは簡易な設計図までも作っておくことにした。
フランドールはアリスの手際のよさに感動し、その作業を食い入るようにして見ていたし、
ときおり不思議なことや疑問に思ったことをアリスに質問したりもした。そのつどアリスは
フランドールに懇切丁寧に教えてやり、彼女の羽の色を明るくしていった。

魔理沙が材料の仕入れから戻ってきた頃には、下準備といえるものは完全にすまされていた。
いつもより格段にすんなり「仕入れ」が出来たので、待たせることはないだろうと魔理沙は
思っていたのだが、予想以上にアリスの手際がよかったため、予想は裏切られてしまった。
そのかわりではないが、なかなか上質な素材が入手出来たので割とまんぞくしていた。
「いい感じのものを仕入れてきたぜ、これだけあれば足りると思う」
魔理沙が持って帰ってきたものは質だけではなく、量もあったのでアリスは驚いた。
それらはプチ美鈴の素材ほどではないにしろ、なかなか値の張りそうなものばかりだった。
「これだけのものを、こんなにたくさん……いくらしたの?」
「それは企業秘密ってやつだ、宿泊代だと思ってくれ」
「宿泊代ね……」
明らかに紅魔館から奪取してきたでしょ?とか、今日は泊まる気なの?など聞きたいことは
あったのだが、アリスはどれにも突っ込まないことにした。前者の紅魔館のことも説明すれば
今回だけは大目に見てもらえるだろうし、後者のことを聞くのは野暮だからである。

作業は思いのほか順調に進んだ、アリスの指導と手助けのおかげでもあるが、何より
フランドールの物覚えがよく、おまけに器用だったからである。フランドールはアリスの教えを
すぐさま理解して手を動かせたのだ。作業が滞る原因はどこにもなかった。
むしろその隣の魔理沙が意外と苦戦している姿に、アリスは和むことになったのだった。

※※※※※


制作開始の当日は何の問題もなく終了した。
アリスは完成までに、二、三日は必要だと見積もっていたのだが、思いの外にフランドールが
優秀な生徒だったため、見積もりの半分である、次の日の昼までには出来あがりそうだった。


――家族がいると、こんな感じなのかな。
ふと、自分に身を寄せて寝ているフランドールを見ると不思議な気持ちになった。
昔に比べると神社や紅魔館をはじめ、他者との交流を持つようになったものの、未だ
基本的には人形達だけとの生活をしているアリスにとって、来客というものは珍しい。
ごくまれに道に迷った人間を泊めてあげたり、三妖精が遊びに来たりするくらいで、
あとは近くをたまたま通りかかる魔理沙が、頻繁に遊びに来てくれるぐらいである。
魔理沙は頻繁に遊びに来てくれるのだが、急な大雨だとかの予期せぬ出来事がなければ、
泊まっていけばいいのに、遠慮してか夕飯だけ食べて帰ってしまう。
そのため誰かと同じ布団の中で眠るという経験は皆無にひとしかった。
それが今日と昨日と連続しているのだ。なにも思わない方が難しいというやつだ。

「まだ起きているのか、アリス?」
アリスがもの想いにふけっていると、魔理沙が気付いたらしく声をかけてきた。
魔理沙はフランドールを挟んでアリスの反対側で横になっていた。
そこまで大きくないアリスのベッドを三人で使っているため「川」というよりは、
太い縦線のような形で、三人が寄り添って寝ているのだ。
「もしかして起しちゃった?」
「いや、なんだか眠れないんだよ」
「うちに泊まる度に、それ言ってない?もしかして自分の家以外では寝られない人なの?」
「そういうわけじゃないぜ…」
魔理沙が返答に困っている様子をアリスは密かに楽しんでいた。
何故彼女が寝られないのか、本当はとうの昔からその理由を知っているからだ。
布団に入るさいに恥ずかしそうに頬を薄く染められたら、誰だって気付くだろう。
「そういうアリスはどうしたんだよ?」
魔理沙は困り果てたらしく、逆切れのように返してきた。
そんな魔理沙を更に困らせたくなったアリスは少し思い切ったことを口にした。
「私?私はね、こうして寝ていると私達家族みたいだなぁって考えていたのよ」
「家族?」
魔理沙が喰いついたのを確認したアリスは言葉を続けた。
「そう、家族。私がお母さんで、フランが子供、魔理沙はお父さん。ね、家族みたいでしょ?」
「――!!――」
「あらどうしたの、お父さん?顔が赤いわよ?」
「――?!――」
「もしかして、私とでは嫌なの?」
アリスはこれ以上ないくらいに赤面した魔理沙に対しても容赦なく何度も追撃をした。
最後の一言に至っては、『不安げな表情で上目づかい』という究極にして至高の一撃であった。
おかげで魔理沙の顔は本当に湯気が出ても不思議ではないくらいに真赤になった。
それはまるで縁日の定番であるリンゴ飴ようだった。
「か…そく、わたしとアリスがけっこん…フランがこども…」
そう言い残して魔理沙は意識を手放した。

※※※※※


「うわー、なんだか凄く腹だたしい気配がしますよ……」
灯りの消えたアリスの家を見ながら美鈴はぼっそと呟いた。
実際には何も見聞きしていないが、直感的に何か妬ましいことがあったと感じたのだ。
そうまるで最大級の惚気を見せつけられたかのような気分である。ヒトが一人寂しく
寒空の下、茂みに隠れて任務に勤しんでいるというのに、まったくけしからん。
いちゃつくなら人に知られないように、隠れてすべきだと美鈴はつねづね思っているのだ。
そのため、美鈴は咲夜との逢引が必要以上に知られないように様々な努力をしている。
そのおかげで咲夜との関係を知っているのは紅魔館の関係者以外にはあまり知られていない。
定期的に神社で行われる宴会の参加者達に加えて、天人とその付き人くらいである。

――あれ、思ったより多くないですか?

美鈴が自分の現状を考え込んでいると、不意に肩を叩かれた。
「何しているの?美鈴」
「さ…咲夜さん?!あっ、今度は完璧に気配を消せていましたよ」
不意をつかれて驚いたものの、美鈴は咲夜の進歩を笑顔で褒めた。
「別に気配なんて消してないわよ?夜食も持っているし……」
「…そうですか」
「変な美鈴。それより夜食作ったの、食べてくれるでしょ?」
「あっ、はい。それはもちろん。お腹ぺこぺこですよ」
「それはよかったわ、少し作り過ぎたの」
咲夜は照れ笑いをしながら、ランチボックスを開けた。
確かに少し作り過ぎた感じは否めない量だったが、美鈴には問題くらいである。
だから美鈴は咲夜に礼を言ってから、すぐに箸をつけることにした。
今晩のメニューはオニギリ数個に野菜サラダ、何かの肉に、温かいスープだった。
なんだかちぐはぐする組み合わせなのは、余った材料で作ったからだろうか。
それでいてここまで美味そうに作れるのだから、咲夜の料理の腕は結構なものである。
おそらく幻想郷の中では五本の指に入るだろう。もしかしたら一番かもしれない。
以前に面と向かってその事を言ったことがあるが、咲夜は美鈴に対し
「嬉しいけど、さすがにそれは言い過ぎよ」
と言っただけで表面上は謙遜されただけだが、内心では狂気乱舞していたのだろうか、
その日から紅魔館の食事のレベルがまた一つ上がったことがある。この話はどういうわけか
人里まで届き、そこから白玉楼の主人まで伝わることになった。そのため半人半霊の庭師兼
世話係が、主人の舌とお腹を満足させるのに苦労することになったという。

「ごちそう様でした、ところで咲夜さん」
「おそまつ様でした、なに美鈴?」
美鈴のすばらしいまでの大食を見て、咲夜は上機嫌になっていた。
「さっき思ったのですが、私達の関係って結構な人が知っていますよね?」
「神社の宴会に行く人達はみんな知っているみたいね。それがどうしたの?」
このタイミングで何故そのことを聞かれるのか、咲夜は不思議そうにしている。
「別に隠してはないにしろ、人目にはあまりつかないようにしていたのに、みんなに
思いの外知れ渡っていて少し不思議というか、どうしてだろうって思ったんです」
「この世で二人以上が知っている情報は必ず漏洩する……らしいわ、そしてここは
幻想郷という狭い世界なのだから口伝えだけでも、あっという間に知れ渡ってしまう。
それにここのところ大きな異変もないから、話題にも乏しい。だからではないかしら?」
「そんなものですか、私はてっきり咲夜さんの悪戯の一環かと思いました」
「そこまで大がかりなことはしないわ。それに他人にあれこれ吹聴する趣味もないしね」
咲夜は以前アリスには、いろいろと喋ってしまったことは伏せておいた。
そのことから、万が一にもアレの存在が本人に知られるとまずいからである。

美鈴は一応の納得はできたので、話しに区切りをつけることにした。
「まぁ、皆さん応援してくれていますし、知られたって別にいいんですけどね」
「そうなの?それは初耳だわ」
咲夜が意外な反応を見せたので、美鈴は掻い摘んでそのことを話すことにした。
「はい、皆さん口を揃えて『頑張れ』って言ってくれますね」
「………」
美鈴が話すと何故か咲夜は少しの間、沈黙してしまった。


その後しばらくは二人でいられたものの、咲夜は紅魔館に戻り、再び美鈴は一人になった。
美鈴は咲夜に嘘ではないが、本当のことを言えなかったのを少しだけ後悔していた。
さきほどは『頑張れ』と言われたことだけを咲夜に伝えてしまったのだが、実際には
その言葉のあとには口々に祝福の言葉をもらっていたのである。
ただそれを言うのが何だか恥ずかしかったので、美鈴は口に出せなかったのだ。
――今度、仕事がなくて二人だけの時に言おう。
それだけ思い、美鈴は任務に集中することにした。


※※※※※

朝、アリスは違和感で目を覚ました。なんだか窮屈な感じがしたからだ。
どうやら隣で寝ているフランドールに軽く抱き締められているのだと思った。
しかし、フランドールにしてはなんだか身体が大きすぎる感じがした。気になって
アリスが薄く目を開けると金色をした髪が見えたのだが、これにも違和感があった。
昨日の夜にすぐ側にあったものと少し色や質感が違ったのだ。それに目を動かすと
フランドールはアリスを抱き締めている者の向こう側で何故か寝ていた。

どういったわけかは知らないが、魔理沙がアリスの胸に自分の顔を埋めて寝ていたのだ。

――いつの間にいれかわったのよ?!
アリスは自分の胸の中で、気持ちよさそうに寝ている魔理沙に向かい心中でさけんだ。
だが、魔理沙はそんな事は露とも知らない様子で、依然としてぐーすか寝ている。
その安らかな寝顔を見ていると、アリスは普通に起こしても面白くないと思い、寝ている
魔理沙の頭と背に手をまわして抱き締めるようにした。そしてその力を少しずつ強めていった。
そうすると魔理沙の顔はアリスの胸に更に埋もれてしまうことになる。そうなると当然、
だんだんと魔理沙は息苦しくなってしまう。その証拠に魔理沙はアリスの胸の中で
寝苦しそうに体を動かしはじめた。


息苦しさにガマン出来なくなり、魔理沙は目を覚ました。そのあと現状を把握すると同時に
ひどく慌ててアリスから離れようとしたが、アリスはそれを抱き締める力を強める事で妨げた。
もし魔理沙が勢いよく身を引くと、その後ろにいるフランドールにぶつかってしまうからだ。
「落ち着いて魔理沙、フランが起きてしまうわ」
アリスの言葉で落ち着きを取り戻した魔理沙はすまないとだけ言って、顔を恥ずかしそうに
布団で隠して黙り込んでしまった。

「ねぇ、魔理沙。フランといつ場所をかえたの?」
「………」
これで何度目になるだろうか、アリスは赤面した顔を布団で隠したままの魔理沙に話しかけた。
しかし、返事は一向に帰ってこないで、そのかわりに呻き声のようなものが聞こえてくる。
「別に気にしてないから、ちゃんとお話しましょうよ」
「……本当に?」
「うん、気にしてないし、怒ってもないわ」
アリスの言葉に少しだけ安心したのか、魔理沙は顔を布団から少しだけ覗かせた。
「夜中にフランがトイレに行くって起きたんだ。多分その時だと思う……」
それだけ言うと、魔理沙は再び布団の中に潜るようにして顔を隠した。
そんな魔理沙をアリスは布団の上から優しく撫ではじめた。
「だから私も気にしないから、魔理沙も気にしないで」
「アリスは平気でも、私は気にするんだよ……」
魔理沙の声が布団の越しに聞こえてきた。
「あら?どうして」
「どうしても!」
「理由くらい教えてよ、……もしかして嫌だったの?」
アリスはさも悲しそうな声音で魔理沙に尋ねた。もちろん演技である。
偽りのもととはいえ感情を、ここまで言葉にのせるのはアリスにとっては滅多にない。
そのため魔理沙はころっと騙されてしまい、布団から上半身を出して慌てて弁解をはじめた。
「嫌だなんてことは断じてないんだぜ、それにすごく気持ちもよかったし……私はアリスに対して
そんなことは絶対に思わないから………ってなんで笑っているんだ?」
「だって、ここまで上手くいくとは思わなかったから……」
魔理沙の必死の言葉に、悪いと感じながらもアリスは笑いを堪えられなかった。
そんなアリスの顔を見ていると、魔理沙もなんだか気が抜けてしまい、文句の一つも言えなくなった。
そのかわりに魔理沙は笑っているアリスに腕を伸ばし、アリスをガバッと力強く抱き締めた。
突然のことにアリスはなんら抵抗も出来ず、魔理沙の腕の中におさまることになった。
「いったいなんなのつもりなの……」
「……さっきの仕返しのつもりだぜ」
「元々は魔理沙から、先にしてきたのだけど……?」
「そんな昔のことは忘れたんだぜ……」
一応の抗議はしておいたが、魔理沙は聞く耳を持ち合わせていないようだった。
こうなればアリスは覚悟を決めて、魔理沙にされるがままとなるしかない。
「……ずるいのね」
「そう、私はずるいんだぜ」
「ねぇ、魔理沙?」
アリスは少し恥じらうようにして、魔理沙の耳元でそっと囁いた。
そのときの吐息がくすぐったかったのか、魔理沙は少しだけ身体を震わせた。
「なんだ、アリス?……もしかして痛いのか?」
「ううん、そんなことはないよ。ただ……」
「……ただ?」
「……フランに見られているわよ?」

魔理沙が恐る恐る後ろを振り返ってみると、そこにはぽかーんと目と口を開いたままの
フランドールがいた。起きてみたらすぐ隣で、自分以外の二人が抱き合っていたのだから、
当然の反応である。
「どこから起きていたんだ……フラン?」
「……魔理沙にアリスが抱き着かれて抗議するところから」
残念なことに一番誤解されそうなところから、見られていたようだ。
そのためかフランドールの身体は小刻みに震えている、もちろん寒いからではない。
むしろ今のフランドールはある感情のため熱過ぎるくらいである。
「魔理沙の……」
その声は火山の噴火直前の地鳴りに似た、とても重い響きをもっていた。


「あっ、魔理沙のやつなにかやらかしたな」
フランドールの咆哮が聞こえた美鈴は、茂みの中で一人紅茶をすすりながら呟き、
魔理沙の冥福を祈った。魔理沙は早朝から、美鈴が飲んでいる紅茶なんか比ではないくらいに
甘い空気を、純情過ぎるフランドールの側で醸し出していたが、フランドールは美鈴の飲む
紅茶以上に甘いことを許せない性格をしているのだ。それゆえ魔理沙は自業自得なのである。
しかし、美鈴も咲夜に嵌められて何度か同じ経験をしたことがあるので同情してしまったのだ。

――と言っても、私は紅茶に砂糖をいれない主義なんですけどね。
美鈴は自分に、自分で突っ込みを入れて再び見守りに集中した。
すすっていた紅茶も既に飲みほした後だった。


美鈴の予測に反して魔理沙は無事だった。アリスがフランドールをとめたからだ。
それでもフランドールは魔理沙に対して言いたいことがあるみたいで、朝食中ずっと
魔理沙のことを睨むような目で見ていた。しかしそれもアリスの配慮のおかげで
少しずつ和らいでいき、朝食後には元に戻っていた。どうやらフランドールは
アリスが魔理沙に『粗相』をされていたと勘違いをしていたようだった。

――魔理沙はたんにへたれ気味なのに、フランは本当に純情なのね……
それが今朝の魔理沙とフランの言動を見てからのアリスの感想だった。


※※※※※

結果からいうとフランドールのぬいぐるみは、その日の夜に完成した。
前日の夜にしたアリスの予測では昼ごろには終わるとされたが、それが外れたのだ。
理由としては、フランドールが優秀な生徒であると同時に、かなりの凝り性だったのである。
ぬいぐるみの顔に目や口などをつける場面において、フランドールの頑固さが表出してなかなか
ぬいぐるみの表情が決まらなかったのだ。

「フラン、こんなのはどうかしら?」
「もっとこうイッーって感じがいい」

「こんなのはどうなんだ?」
「もう少し『うー』って感じがいる」

こんなやり取りを延々繰り返すことになった。
フランドールの言葉はどれも具体性に欠けた抽象的なもので、その意図をつかむのに
アリスも魔理沙も四苦八苦することになった。それでも二人は根気よくフランドールの
言葉を解釈し続け、ついに一体のぬいぐるみを完成させることになったのだ。


※※※※※

アリスは魔理沙に留守番を頼み、フランドールと二人で紅魔館まで歩いていた。
飛べばもっと早く目的地に着くのだろうが、フランドールが歩くのを望んだのだ。
そのフランドールの腕の中には、出来たばかりのぬいぐるみがあった。
そのぬいぐるみを見ながらフランドールがアリスの方を向いた。
「ねぇ、アリス……」
「どうしたの、フラン?」
フランドールの声には不安が混じっているとアリスは感じた。
「この子のこと、お姉様は許してくれるかな?」
そう言ってフランドールはぬいぐるみを抱いている力を強めた。
「きっと許してくれるわ」
「だけど、今回もいろいろとワガママなことしているし……」
「フラン?」
「私ね、お姉様が私に厳しくしているのは、私のことを考えてのことだと
分かっているつもりなの、だけど毎回怒られるたびに反抗して……、
今回は飛び出してから、その日の内にお屋敷に戻らなかった。お姉様は
私のこと嫌いになってないかなぁ?」
だんだんとフランドールの羽から光がなくなっていった。このままいけば、
闇夜よりも暗い黒色になってしまいそうだった。アリスはそれを防ぎたかった。
「きっと大丈夫よ?だから、フランそんな悲しそうにしないで?」
「どうしてアリスに分かるの?」

アリスは一瞬だけたじろいだ、まさかそんな風に返されるとは思っていなかったからだ。
それにフランドールは、アリスを試すような目をしている。周辺の空気が冷えた気がする。
しかし、アリスは調子を整えて毅然とした態度で、すぐにフランの言葉に応えた。
「確かに私はフランと二日間しか一緒に生活していないわ。だけどフランが
いい子だってことは分かったつもりよ。だってフランは一生懸命にそのぬいぐるみを
作っていたもの。そのぬいぐるみはレミリアへの贈り物なのよね?」
「あいつの前で壊して遊ぶためかもしれないよ?」
フランドールは自嘲気味にしている。
「ただ壊すだけが目的なら、半日もぬいぐるみの表情で悩まないでしょ?」
「だけど……!」
「フラン少しは素直になりなさいな、レミリアと仲直りしたいのでしょ?」
仲直りもなにも、レミリアに至っては喧嘩をしたとも思っていないだろう。
だが、アリスはそのことは言わなかった。話が面倒になりそうだったから。

「仲直りはしたいよ、でもなんだか恥ずかしいというか、なんというか……」
少し考えてからフランドールが口を開いた。さきほどまでの威圧感が嘘のように
なくなり、いつもの無邪気なフランドールに戻っていた。なるほどレミリアがどうしても
警戒してしまうはずだ。もし返答に失敗していたら大変なことになっていたかもしれない。
そんな考えを悟られないようにアリスは会話を続けた。
「言いたいことを素直に言えば、許してくれるわ。フランのお姉さんはそんなに
狭量な方だったかしら?」
「ちがう……とは思う」
妹に確証されていないのは仕方がないことなのだろうか、だが少なくともアリスは
レミリアなら簡単に許してくれそうに思えた。度重なる魔理沙の強盗もあまり気にしてない
様子である。単に些事……興味がないものには、一切関心が向かない性格なのかもしれないが。
「それなら、早く仲直りしに行きましょう」
そうアリスが会話を締めくくり、二人は紅魔館へ向かい飛びはじめた。


※※※※※


仲直りはあっけなく終わった。
フランドールの持っているぬいぐるみを見た瞬間に、レミリアが思い切り脱力したからだ。
本当は何かしらのお説教を用意していたのだろうが、それすら言えなくなったみたいだった。
「これ……まさか私がモデルなの?」
「うん。お姉様のつもりなんだけど……」
フランドールの作ったぬいぐるみ――プチレミリアを見たレミリアは微妙な表情をした。
それもそのはず、プチレミリアの顔は単に可愛いというよりは、偉そうで小憎たらしい表情を
していて、それにどこか間の抜けた――親しみやすい愛嬌があるような感じもするものだからだ。
フランドール本人としては自分の持っている、姉の印象を忠実に再現したつもりなのだが、
レミリア本人からしたら心外なのだろう。それでいて制作への熱意だけは伝わってくるの
だから、性質が悪い。
「……私にはもっと威厳があるように思うのだけど?」
「うんだから、少し偉そうにしているの」

どうやらフランドールは『威厳』=『偉そう』と認識しているようだ。

「それにこんなに意地の悪そうな顔はしてないつもりよ?」
「うんだから、少しかわいくなるようにもしてみたの」

フランドールはレミリアの意地が悪いことは否定しなかった。

「それにしても少し抜け過ぎた表情ではない?」
「お姉様って、よく咲夜やパチュリーに怒られてない?」

これもまた事実なのが悲しい。
よく二人に気まぐれや、浪費癖等を責められるのだ。

「フランがそう言うのなら、きっとそうなのね……」
「うん、そうだよ!!」

ここまでくるとレミリアが折れるほかなかった。

「ところでお姉様は、この子のこと気に入ってくれた……?」
レミリアは返事の代わりにフランドールの頭を優しく撫でた。


※※※※※

アリスがフランドールを紅魔館まで送った後、帰宅すると何故か家の中に美鈴がいた。
留守番の魔理沙いわくアリスが出発してしばらくして来たとのことだった。
「このたびはフランドール様のことを云々……」
帰宅したアリスを見るや堅苦しい挨拶をしてきたので、いつもの美鈴に慣れ親しんでいる
アリスは面を喰らってしまうことになった。

「礼なんていいわ、私もフランといれて楽しかったし」
「そう言っていただけると、ありがたいですね」
フランドール様も喜ばれますと言う美鈴はいつもの様子に戻っていた。
さきほどの堅苦しい態度もさまにはなっていたが、やはり少し抜けた感じのする
美鈴の方がアリスには接しやすかった。


「ところで、アレはなんですか?」
アリスは美鈴の言うアレが何を指しているのか瞬時に理解出来た。
「アレって何のこと……?」
一応とぼけてみたが美鈴の追求は続いた。
「あそこにいる、小さな私のことです!」
「あぁ、アレのこと?プチ美鈴っていうのよ、可愛いでしょ?」
一か八か開き直ってもみたが、やはり意味をなさなかった。
「私が聞きたいのはもっと別のことです!」
「……ごめんなさい、私には守秘義務があるの」
「私には知る権利があります!」


「この子は私が預からせてもらいます」
しばらくのこう着状態の後に美鈴は強硬手段に出ることにした。
しかしそれだと、アリスは咲夜から報酬を受け取れなくなってしまう。
このぬいぐるみにはかなりの投資をしているのだ、このままだと大赤字を出して
今冬中に凍死してもおかしくないことになる。投資に失敗して凍死するなんて冗談ではない。
だが、このことも美鈴には言えない。咲夜の依頼だとバレてしまう可能性があるからだ。
その場合も報酬は無いだろう。そのためアリスはあの手、この手で美鈴の説得をこころみるも、
なかなか美鈴は首をたてには振ってくれなかった。

そんな二人のやりとりを黙って見ているだけだった魔理沙が口を開いた。
「美鈴、本当は誰の依頼なのか予測くらいはついているんだろ?」
「そうですね、こんな『おいた』をする子の見当はついていますね」
だよな、と頷いた魔理沙は次にアリスに顔を向けた。
「それでアリスは依頼主が誰か知られたくないから、抵抗しているんだよな?」
「えっ…ええ、守秘義務は大切だもの、当たり前じゃない」
「じゃあ、話は簡単だ。アリスは依頼主の名前を知られたくない、美鈴は
その依頼主にぬいぐるみを渡したくない。なら美鈴の主であるレミリアに
このぬいぐるみを渡せばいいわけだ。」
どうだと言わんばかりに魔理沙は胸を張っているが、その理屈は色々と穴がある。

「私はそれで構いませんよ?」
それだというのに、美鈴はすぐに賛同した。美鈴としてはアリスの依頼主にぬいぐるみが
渡らなければ十分なのだ。あとは『おいた』をしそうな子に直接聞き出せばいいからだ。
あとはアリスが賛成してくれればいいのだが、美鈴と違いアリスには生活がかかっている。
魔理沙の提案ではアリスに報酬が回ってこないことになるから、賛成するわけがなかった。
「ちょっと待ってよ、私はそんな屁理屈に付き合えない!」
「屁理屈だって理屈の内だぜ?」
「それこそ屁理屈よ!」
「もしアリスに困る事があったら、また適当に『宿泊代』を用意するから
今回は私の案に乗ってくれないか?損は絶対にさせないぜ?」
「!!!……その『宿泊代』は高くつくかも知れないわよ?」
「私は別にいいぜ?よし、二人とも決定ってことでいいな?」
魔理沙にはなにか考えがあるみたいなので、アリスは魔理沙の提案に乗ることにした。


※※※※※

その後、中立の立場であった魔理沙がレミリアの元にプチ美鈴を届けることになった。
レミリアはプチ美鈴を見るやげんなりした様子で
「今度は美鈴か……って私のより何だか上質じゃない?」
と文句を言ったものの、詳しい事情を話すとしょうがないわねと言い
プチ美鈴の『保護』を承諾してくれた。


それから数日後のことである。アリスの元に紅魔館から、ぬいぐるみの追加注文がきたのは。
レミリアと美鈴だけのプチシリーズがあるのはずるいと、フランドールがレミリアにお願いして
残りの主要メンバー全員分のぬいぐるみ制作がアリスに依頼されたのだ。しかもプチ美鈴ほどでは
ないにしろ、品質の高い素材を使うよう指示がついた。加えて基本報酬はたっぷりあるし、
出来高での追加報酬も弾むとのことだった。しかも今回は頭金が支払われたおかげで、
アリスは凍える心配をしなくてすんだ上、再び高品質なぬいぐるみ制作に立ち会えることになったのだ。

アリスが作業に熱中して他のことに気が回らなくなることを心配して、魔理沙は制作期間中ずっと
アリスの家で生活をしていた。魔理沙の支援のおかげで作業だけに集中出来たアリスの手によって
素材だけはプチ美鈴に劣るものの、出来栄えはそれに勝るとも劣らない傑作達が完成していった。
それらをレミリアへ渡したところ、レミリアもその完成度に驚嘆したため、かなりの報酬が
アリスの懐に入って来ることとなった。

話はそれだけで終わらなかった。それから後に紅魔館主催の宴会において、
フランドール作も含めたそのぬいぐるみ達が盛大に披露されたのだ。最初はなにを幼稚なと
鼻で笑っていた者達も、そのすばらしい出来を目の当たりにしている内に自分達も欲しくなり、
制作者であるアリスの元に押し寄せることとなったのだ。

しかしいくらアリスとは言え全員分を作るわけもいかなく、妥協策としてぬいぐるみの
簡単な作り方を全員に丁寧に教えることにした。そのためか幻想郷全体でぬいぐるみが
流行することとなった。


「ねぇ、魔理沙。あなたここまで計算していたの?」
「そんなわけないだろう。たまたまだぜ」
アリスの問いに魔理沙はくったくのない笑顔で応えた。
「……あなたがそういうなら、そういうことにしておきましょうか」
これ以上の詮索は無意味ね、そう考えたアリスは話題を変えることにした。
「それで、いつまで私の家にいるつもり?もう何か月もろくに帰宅してないじゃない」
今度の問いには魔理沙は応えなかった、どうやら当分はアリスの元にいるつもりみたいだ。

家はそこまで広くないし、ベッドも一つしかない。それでもアリスは困らなかった。
人形以外の誰かと一緒に生活するのもなかなか楽しいからだ。幸い懐はこの一件のおかげで
かなり温かいままだ。気が向いたら同居人のためになにか作ってみよう、例えば服とか。
アリスはそんなことを考えていた。
三人称での表現はやはり難しいですね。もちろん一人称もですが。
しかも三人称で書くときの規約を、ところどころ破っている感じもします。


確認はしていますが、誤字脱字があれば指摘して頂けると助かります。


読者のみな様に感謝です。
砥石
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コメント



0.3060簡易評価
6.100奇声を発する程度の能力削除
>月と暗闇が幻想卿を
幻想郷?

いや~もう甘い!としか言えません!
そしてほのぼのしました!
7.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいです。
砂糖を吐きました
9.100名前が無い程度の能力削除
母性全開のアリス可愛いよ!
誤字?報告です。
美鈴は自信にとって不必要ともいえる行為を、少し前から積極的に日常へと取り入れていた。
自信→自身
10.100名前が無い程度の能力削除
いい! とてもいい!
14.90名前が無い程度の能力削除
はじめから最後まで糖分200%だった…
~だったという表現が多いせいか、少し読みにくく感じました
16.100名前が無い程度の能力削除
誤字?
>魔理沙にアリスが抱きつかれて
アリスが魔理沙に抱きつかれてのほうが正しい気が
作品は凄く楽しめました
17.90賢者になる程度の能力削除
誤字
咲夜が夜食を持ってきたとこ

美鈴には問題くらい
美鈴には問題無いくらい


アリスが良いキャラ過ぎるww
誤字脱字が多いようなので、気を付けてくださいね。
20.100名前が無い程度の能力削除
全てのキャラが愛おしい…!
33.100名前が無い程度の能力削除
み~んな大好きです
35.90名前が無い程度の能力削除
ちょっと誤字脱字が目立つかな? あと、文章からなんだか海外小説の翻訳物のような
ぎこちなさ、あるいは味のようなものを感じました。
作品の感想としましては、甘いながらも淡々とした展開がいい雰囲気を出していたと思います。咲夜ちゃん……アリだな。
46.100名前が無い程度の能力削除
全体的に甘々なお話でしたっ!

あと、フランの羽の表現が斬新で面白いな、と思いました。
52.100ずわいがに削除
ハッハッハ!甘過ぎワロタwwやヴぇえwww
68.100名前が無い程度の能力削除
あンまァ~い!