Coolier - 新生・東方創想話

きらわれ恐怖症

2010/03/01 19:15:17
最終更新
サイズ
37.8KB
ページ数
1
閲覧数
721
評価数
20/73
POINT
4510
Rate
12.26

分類タグ


―― 踏み出せない一歩 ――


 幻想郷に白蓮が復活してから、少し経ったある日の昼下がり。
 命蓮寺の入り口で、一人の少女が入りにくそうにしながら中の様子を窺っていた。
 左右非対称の翼をパタパタと揺らしながら、けれど周期的に垂れ下がる。
 そして少しの間そわそわしてから、またパタパタと動き出して。
 やがてまたクテンと力なく垂れ下がって、そんなことをずっと繰り返していた。
 時折、建物の中から物音が聞こえるたびにビクンと翼が跳ね上がっては、元の運動に戻る。

 そんな時間をたっぷり三十分過ごした後で、溜め息を吐いて入り口を離れようとした。
 本当はここで暮らす皆に用事があったのだけれど、どうにも顔を出す勇気が無い。
 今度こそ尋ねよう今度こそ尋ねようと、何度か同じように足を運んではいるのに、
 やはりその結果も同じように、何も出来ずに帰っていくだけに終わっていた。

「はぁ……」

 トボトボと歩く姿に覇気はなく、先ほどまで忙しなく動いていた翼も力なく揺れるのみ。
 いつも通りに勇気を出してここまで来て、けれどどんな風に謝ればいいか分からなくて、
 ただただ命蓮寺の中の様子を見るだけで、いつも通り誰にも会わずに帰っていく。
 少女 ―― 封獣 ぬえの最近の日常は、そんなことが中心になっていた。

 博麗の巫女を中心に、一部の者達の間で騒ぎになった未確認飛行物体の事件。
 ぬえは飛倉の破片に正体不明の種を植えつけてばら撒いた張本人であった。
 聖輦船の面々が行おうとしていたのが何なのかをよく知らず、邪魔をしてしまったのだ。
 人間達の活躍によって飛倉は次々と回収され、最終的に白蓮は無事に復活したが、
 その復活した白蓮はおろか聖輦船のメンバーとも今の今まで顔を合わせていない。
 彼女ら相手に正体不明が通じなくなるのはもう仕方ないと諦めるにしても、
 白蓮の復活、ひいては妖怪救済の計画の邪魔をしていたという事実が心に重い。



 そうだ、逆に正体不明なままの私で謝りにいけば、顔合わせなくても済むじゃない!
 とかも考えたのだが、いかんせん内容が内容だ。それでは誠意が伝わらないだろう。
 じゃあ誠意ある謝罪ってどんな風にすればいいんだろう、と考え始めるともう駄目。
 いざ命蓮寺に突っ込もうとするまではいいが、突っ込みきれずにこの有様。

 とりあえず、帰ってからもう一度ゆっくり考えてみよう。
 今日もお決まりの結論に辿り着いてしまったので、ひとまず引き下がる事にして。
 勇気が無いんじゃなくて、怒られたり嫌われたり仲間はずれにされるのが怖いんじゃなくて。
 ただ単に、盛大にやらかしてしまったことを謝罪する為に万全を期そうとしているだけだ。
 そう、今日の撤退は明日のより洗練された謝罪に繋がって……くれるといいなぁ。



 姿を正体不明な状態にしたまま、ヘロヘロ飛び去ろうとして。
 丁度、真向かいからテクテクと歩いてくる姿が目に入って思わず身体を硬直させる。
 あの丸い耳と尻尾の籠、そして手に持った大きなロッド。命蓮寺のナズーリンだ。
 今のぬえは能力を発動して人型であることを隠していたため、まだ気付かれていない。
 幸いというか何というか。ばったり顔を合わせ、あたふたして終わる事態を考えれば幸いか。

 このままやり過ごそう、と心に決めたぬえだったのだが。
 すぐ横をすれ違った時に見てしまった。籠の中に、正体不明の種付きの破片があった。
「あれっ、まだ余ってたッ?」
「ひゃあっ! な、なになにッ!」
 突然すぐ傍で大声が聞こえ、ナズーリンは飛び上がって驚いた。
 反射的にだろう、手にしていたロッドを声のした方へぶん回しつつだ。
 ぬえは思わずそれをがっちりと受け止めて防御し、互いの姿勢が硬直する。
 ロッドを振り切ったナズーリンと、両手でロッドを掴むぬえ。二人の視線が重なる。
「……何事かと思えば君か」
 相手が知った顔と分かると、ナズーリンはロッドを持ち直してタンと地面を叩く。
 不意打ちに少なからず気分を害したのだろう、その表情は何となく刺々しい。
「あ、えと……い、良い天気よね!」
「今日はずっと曇ってる。取り繕うにしても少し考えなよ」
 姿を見せるつもりが無かったので、こうなってしまうと何を話せばいいか分からない。
 しどろもどろに口にした世間話もバッサリと切り捨てられてしまい、ぬえは更に動揺する。
 その挙動不審っぷりがナズーリンの不信感を煽っているような気がして、もっと焦る。
「あぅ、あの、えっと」
「うん?」


 よくよく考えれば、これはこれで良い機会だ。
 このナズーリンだって聖輦船の妖怪。しかも実際に飛倉回収に飛び回っていたのだし。
 飛倉の件を謝るに丁度良い相手ではないか。こうなったら勢いで言い切ってしまえ。

「その、ごめんなさい! 聖の復活、邪魔しちゃってごめんなさいッ!」


 言えた! いざ追い込まれたらちゃんと謝れた!
 そんな事を思いながら、謝った姿勢のままで相手の反応を待つ。
 言い切ったはいいが、真の問題はここからだ。
 許してもらえるか、それとも嫌われてしまうか、果たして。

 先ほど見つかってしまった時以上の緊張を感じているぬえをよそに、
 ナズーリンはきょとんとしたままだった。更には、何やら苦笑まで漏らす。
「いやいや。私じゃなくって本人に謝りなよ。この時間なら丁度話せると思うよ」
 そんな事を言ったかと思うと、ぬえの手を取って命蓮寺へ向かおうとした。
 引っ張られて体勢を崩しつつ、ぬえは泣きそうな表情で抵抗する。
「待って待ってッ! こころのッ! こころの準備がまだっ!」
 バッサバッサと上下するぬえの翼を鬱陶しげに見て、ナズーリンは呆れ顔を作った。
「何がこころの準備かね。命蓮寺に乗り込んでさっきみたく叫べば解決だよ?」
「でもッ! いやあの! こ、こころがねっ!」
 こんなパニック状態になるとは、よほど命蓮寺に入りたくないようだ。
 ぬえがあまりに嫌がるものだから、呆れを越えて心配そうな顔になるナズーリン。
 ぱっと手を離すと、ぬえはずざざざざっと効果音が付きそうな具合で一気に後ずさった。
「……何しに来たのさ……?」
「そ、それはっ! 謝りに、だけど……でも、今すぐ聖に逢うのはちょっと……」
 ナズーリンが盛大な溜め息を吐くのを見て、ぬえはちょっとションボリしてしまった。
 自分が妙な行動を取っている事に自覚があるのだから尚更だ。

 けれど、今度の相手はナズーリンとは違う。
 自らが幻想郷に生を取り戻す、そんな大事なことを邪魔されたのだ。
 それも、あの僧侶が人間側の存在だろうという、こちらの一方的な思い込みで。
 怒っていて当然だし、嫌われても仕方がないと思う。だから怖いのだ。

 飛倉の件の謝罪に対し、その意思は見せながらも酷く消極的なぬえ。
 ナズーリンはぬえの様子から大体を察し、やはり呆れたようにこめかみを押さえた。
「じゃあどうする? どうすれば逢えるって?」
「こころの準備が……」
「いや、だから。それが自力で出来ないからヘコんでるんじゃないの」
「うぐっ」
 毎度毎度ここに足繁く通っている自分を思い返し、何も言い返せない。
 じっと俯いて黙ってしまったぬえを見かね、ナズーリンは少し話の流れを変える事にした。

「そういや最初、まだ余ってた、とか言ってたね」
「うん……その飛倉。いま拾ってきたんでしょ?」
「これね。そう、まだ足りないらしくてねぇ」
 頷いて答えてから、籠に入っていた飛倉の破片を取り出す。
 先の白蓮復活の際に人間達が集めていた分と、人間達がぬえを追いかけた際に回収した分。
 それらを合わせてもまだ少し、集め切れていない破片があるらしい。
 どこかに漂い続けているであろう残りの破片を探して、ナズーリンは今も仕事中だった。
 そして今、お昼休みがてら午前中に回収した分を預けに帰って来て、ぬえと遭遇したのだ。
「それ、貸して」
 ぬえは飛倉を借り受けると、そこに埋め込んでいた正体不明の種を回収する。
 そして何やら重々しい表情で、真っ直ぐにナズーリンを見つめた。
「確かにまだ、残ってる……私、聖たちのことで頭いっぱいで、今まで気付かなかった」
 真面目な顔でそれだけ言い残し、ぬえは踵を返して飛び立とうとした。
「ちょっと待った! 破片、返してよ」
「あぁ、ごめんなさい」
 ナズーリンに飛倉を返すと、ぬえは一旦、落ち着くように息をついた。
 そして改めて、正体を覆い隠してこの場所から飛び去っていってしまう。
 去り際に一言、こんな言葉を残して。

「残りの飛倉、私が集めてくるわ! 全部拾ってきて、それで聖たちに謝る!」
 


「……全く。杞憂もいいところなんだけどなぁ。特に、あの人に限っては」
 白蓮という人物を身近に知るナズーリンにとって、ぬえの悩む姿は滑稽でしかなかった。
 恐らく、謝罪の意を示した瞬間にあの悩みは解消してしまうのだから。
 しかも笑顔と救済のオマケ付き。その光景も簡単に、それも限りなく具体的に想像できる。

 まぁ、本人にとっては得てしてオオゴトなんだよね、こういうのは。

 いつか再訪しに来るその時まで、ぬえの事は皆に黙っておこうと思うナズーリンだった。








―― いざ、空の上 ――


 まずは、神経を集中して自らの霊力を辿っていく事から始めることにする。
 飛び散った飛倉には全て、正体不明の種が埋め込んであるからだ。
 種の持ち主である彼女にとっては、飛倉の所在を突き止めるのも簡単な話。

 いつかの夜に人間達と戦った時に手元にあった飛倉は、既に人間を通して返却済みだ。
 その時からずっと、白蓮にどう顔を合わせるかしか考えてこなかったため、
 こんな風に未回収の飛倉が残っていることに気付きもしなかった。
 勿論、戦闘前の時点では『清々した』とまで考えていたのだから、
 自分でばら撒いた欠片の行方などいちいち気にしてなどいる筈もなく。

 少し落ち着けば分かるような話に、今まで気付かなかった事が悲しい。
 与えてしまった悪意を埋め合わせるには良い材料になりそうだとも思ったが、
 そもそもが文字通り、自分の蒔いた種である。
 やって当然のことをきちんと済ませてから、謝りに行くだけ。
 これは許してもらう為の要素の追加ではなく、許されなくなる要素を取り除く行為だ。



 種に仕込んである霊力反応をざっと確認し、その所在を把握する。
 人間達やナズーリンもかなり頑張ったようで、殆どは命蓮寺に集められていた。
 命蓮寺以外の場所にある……即ち、未回収の破片の反応は、あと数個といったところ。
 もう一押しで終わるところまで来ている作業に、やや複雑な気持ちを抱いて。
 ぬえは、最初の回収対象として遥か空の上で停滞している飛倉を選んだ。





 §





 雲を見下ろす高さ、そこから更に空へ向かい突き進んだ先に、飛倉はあった。
 法力を宿してふわふわと飛ぶ破片。その動きは様々な要因によって左右される。
 こんな高くまでやってきたこれは、上昇気流にでも乗ってきたのだろう。
 実際にその場所に辿り着くまでは、そう思っていた。

「うわぁ……」

 原因は、単なる上昇気流だけではないらしかった。
 飛倉の破片はこの空の上にある大きな扉に引っ掛かっている。
 正確には扉にではなく、そこに重なって張られている巨大な結界にだ。
 恐らく、風に乗ってきた飛倉がここへある程度近付いた際、
 中に宿っている法力がこの大きな結界と引き合ってしまったのだろう。
 風に乗っている割には全然動かないと思ったら、こういう訳だったのだ。

 黙って見ていても仕方が無い。
 ぬえは早く回収してしまおうと、飛倉に向かって手を伸ばした。
 その途端、扉の表面についていた大きな目玉がぎょろりとぬえを睨みつける。
 てっきり飾りかと思っていたので、突然のことにぎょっとしてしまう。
 そっと手を引っ込めると、目玉はゆっくりと元の位置へと視線を戻した。
 正体を念入りに隠し直してから、少しずつ少しずつ、指を伸ばしてみる。
 ある程度近付いたところで、また目玉が反応した。
 どうやら、こちらの動きを監視していることは間違いないようだ。
 わざわざ結界が張ってある以上、破られないための措置が施してあって当然である。
 さて、どうしたものか。

 結論はすぐに出た。
 何も、直接結界に干渉しようとしている訳じゃない。
 そこにある飛倉を拾ったら、それ以上は何をする必要もないのだ。
 だから堂々と破片に手を伸ばして、堂々と持ち帰れば良い。それだけだ。
 早く次のところに行かなくちゃ、という気持ちもあり、ぬえは素早く飛倉を掴み取った。
 結界に引っ掛かっていただけのそれはあっさりとぬえの手に戻り、そして――。


 扉の目玉が、実に嫌な音を立てながら閉じた。


 同時に、結界に大きな亀裂が入る。嫌な音の正体はこれだろうか。
 唸り声にも似た轟音を響かせながら、結界がどんどん崩れ去っていく。
 ぬえは飛倉を胸にしっかりと抱き抱えたまま、その様子を見守ることしか出来なかった。
 幻想郷の遥か空の上。確かにここに存在した巨大な結界はたった今、
 込められた膨大な霊力を空気に還しながら消え失せてしまったのである。

「なっ、え……えぇッ?」

 目の前がやたらすっきりしてから、ぬえはやっと崩壊に対し反応することが出来た。
 ただただ、うろたえるしか出来なかったのも無理はあるまい。
 これだけの大規模な結界、さぞかし重要な役割を担うものだった筈だ。
 それが、ほんのちょっと触っただけで綺麗さっぱりご覧の通り。
 結界破壊の達人とか言われれば悪い気はしないでもないが、少なくとも今は嬉しくない。

 まずは深呼吸。気持ちを落ち着かせて、なにが起こったかを整理してみる。
 引っ掛かってた飛倉を持って、そしてちょいと引っ張ったらこうなった。
 ただそれだけ。しかし、ただそれだけであの結界は消え去った。それが今の現実だ。
「……うん、うん。こんなところに結界なんて無かったわ、無かった、うん」
 一人頷いて、光の球のままでそそくさと退散を決め込む事にした。
 触らぬ神になんとやらと言うし、触らぬ結界にもなんとやらだろう。

「で、これはどうしてくれるの?」
 気持ち急いで飛んで行こうとした途端、ぬえの耳にそんな声が届いた。
 そのすぐ後に、バチンと良い音がして身体が弾かれる。
 瞬時にぬえを取り囲んだ結界に、移動を阻まれたのだ。
 速度を出そうと前傾姿勢になっていたため、額から思いっきりぶつかった。
 火傷とかはしていないようだったが、物凄くヒリヒリして痛い。
「隙間をお借りして駆けつけてみれば……随分、派手にやってくれたものだ」
「ひぅー……だって、なんかいきなり壊れたんですものぉ」
 額を押さえながらもなんとか顔を上げて、相手が誰なのかを確認する。
 もふもふとした大量の尻尾を持った狐が、ぬえの周りの結界を維持していた。
「何もしないで壊れる筈が無いでしょう」
「でも、本当に何にも……ひっ?」
 ぐん、と結界が一回り小さくなった。
 これに触るとまた弾かれて、痛い思いをしてしまう。
 ぬえは身を縮こまらせるが、霊力の壁は容赦なくじりじりと狭まってくる。
「ほら。何をやった?」
「だ、だから何も! 本当に!」
 ピリ、と微かな音が鳴ったかと思うと腕に向かって結界の側面が近付いてきた。
 これに触れるとかなり痛い。先のバチンという音が耳の奥に蘇ってくる。
「じゃあ質問を変えよう。その大事に抱えているものは一体なに?」
 ぬえの震える腕から覗く物体を見て、狐は目を細めた。
「あ……こ、これ! 私の大事なものでっ」
 今のままでは相手にどう映っているか、ぬえ自身にも判断できない。
 慌てて正体不明の種を取り除き、相手にも木片だという事が分かるようにする。
 そしてそれを、よく見えるように差し出そうとした。
 勢い余って、飛倉の先が微かに結界に触れる。
 その瞬間に、結界がその効力を弱めて一瞬ブレた。
「むっ?」
「ひあぁッ!」
 ブレた結界はぐにゃりと変形し、そしてすぐに元に戻る。
 ちなみに変形した際、閉じ込めているぬえに結界面がいくつかぶち当たっていた。
「あぁん痛いー! ヒリヒリするーッ!」
 あちこちをさすりながら、ぬえが泣きそうな声を出す。

「妖力による結界に反発したか……成る程、つかみ所の無い力だ」
 飛倉をじっと見つめて何事か考えた狐だったが、その後すぐに結界を消した。
 不意に自由になったぬえは、涙目で相手の様子を窺い見る。
「その木片を、結界に触れさせたのか?」
 結界による強制は無くなったが、相変わらず厳しい雰囲気を纏っている狐。
 あまりに真面目な顔で尋ねてくるので、ぬえは思わず文句を飲み込んでしまう。
「ここに引っ掛かってたから、拾いに来ただけよ」
「どれくらいの間だ」
「さぁ、そこまでは。多分、数日間じゃないかな……」
 素直に答えを述べていくと、途中で狐の纏う空気の質が変わった気がした。
 やはり考え事をするかのように腕を組んだままだったが、結論に至ったらしい。
「長時間の接触が原因かしら……ところで、冥界に用事でも?」
 今度は、先程までの問い詰めるような感じとは違う、普通の問い掛けだ。
「冥界? あの結界があったところの向こう側?」

 ということは、さっきの大きな扉に張られていた結界は、幽明の境か。
 それにしては、なんともまぁあっさりと崩れ落ちたものだ。
 内心でちょっと呆れてしまったぬえだったが、それはさておき質問に答える。
 確認を取ったところ、結界のあちら側には飛倉は流れ込んでいないようだ。
「ううん、用事は無い。さっきも言ったけど、これを取りに来ただけだから」
「そうか、分かった。ならばこれは事故の範疇だろう、脅してすまなかった」
 馬鹿丁寧に頭を下げる狐に、ぬえは思わず『気にして無いよ』と返してしまう。
 額とか腕のヒリヒリはまだ取れていなかったけれど。
 まぁ最初に逃げようとしたことに対するお仕置きかな、と自分で納得して。

「ところで、その結界。無くなっちゃって大丈夫なの?」
 仮にも幽明を隔てる大事な結界だ。無くなっては困る代物ではないのか。
 ぬえの心配はそちらに流れたが、狐は苦笑しながらこう答えた。
「もともと境目を示すくらいの意味しかないし、特別なものでもない。私にも再構築できる」
 そういえば、冥界の住人をこちらでも見かけることがある。
 しかもそんな光景は、この幻想郷において珍しいものでもなんでもない。
「……それって、結界の意味が……」
「私も思うところが無い訳じゃないけれどね。冥界とこっちにも色々あるのよ」
 何故か遠い目をしてしまったが、この狐の言うとおりならもう問題は無い。
 結界を張りなおしてもらえば元通り、万事解決である。
「ねぇ、もういいかな? 後始末を任せちゃって悪いんだけど……」
「ああ。こういうのも仕事の内さ、任せて貰っていい」
 そう言って結界の再構築に取り掛かる。ぬえも安心したように、飛倉を持ち直した。

 と、ぬえが地上の方へ戻ろうとした時。そうだ、と思い出したように声を掛けられる。
「あまりその法力を、フラフラさせないで欲しい。どこに影響が出るか分からない」
 それこそ今回のように。そりゃあ、こうした無駄なイザコザは避けるに限る。
「そのつもり、今回ので懲りたしね。これはお寺できっちり管理保管されるはずよ」
 ぬえの答えに満足したのか、狐は優しい表情になった。


「それじゃあ気をつけて、鵺殿」
「ええ、面倒かけたわ。さよなら」


 最後にそんな挨拶をしてから、ぐんぐんと地表に向かって降りていく。
 思わぬ事態にはなったものの、飛倉回収は何とか成功だ。
 次の飛倉はどこだろうな、と霊力を辿りながら、何か違和感を感じていて。
 程なく、その違和感がなんだったのかに思い至る。

「あっ……私が鵺だってバレた……」

 最初に結界に弾かれてから、ずっと正体が丸出しだったことに、いま気が付いた。








―― いざ、古道具屋 ――


 地上近くをフワフワしていた飛倉を幾つか回収しつつ、ぬえは次の目的地を目指す。
 最初の飛倉回収でちょっとした事故はあったが、その後は実にスムーズだ。
 もともと、自分の能力を辿って破片を集めるだけなのだから、これが普通だとも言える。
 あのように、面倒ごとに巻き込まれてしまったのが不運だったのである。

 作業の順調さに、つい気分も良くなってくる。
 この調子でいけば、もしかすると今夜には集めきることも出来るかもしれない。
 ということはつまり、白蓮に逢いに行くことであって、謝るということだ。
 ぬえは今から心の準備をしておこうと深呼吸をした。腹を括るのは早いほうがいい。




 やがて陽が傾き始めた頃、また一つ飛倉が手元に戻ってきた。
 飛倉を両手で抱えるようにしながら、残りの位置を確認する。
 残った反応はあとたった二つだ。うち一つは、現在位置からほど近かった。

 反応を追って飛び続けていると、やがて一軒の建物へ辿り着く。
 『香霖堂』と看板の出されたそこの内部から、飛倉の反応があった。
 建物を前にして、今日二度目の言葉が脳内を駆け抜ける。
 さて、今度はどうしたものか。

 もしも飛倉が人の手に渡っていた場合、考えられる対処法は二つだ。
 事情を話して返してもらうか、無理矢理もしくはこっそりと奪っていくか。
 ぬえにとってはその選択肢は考えるまでもなかった。
 何せ正体不明である。相手の目を欺き、さっさと持ち出してしまえばいい。
 そうと決まれば、まずは敵情視察だ。ぬえはそっと窓に顔を寄せた。


 建物内部は様々な物で溢れ返り、非常にゴチャゴチャとしている。
 値札が付いているものもあるので、ここはどうやらお店らしい。
 そんな中に早速、目的の飛倉を見つけたのだが、すぐに動く事はできなかった。
 一人の妖怪だか人間だかが椅子に座って、じっと飛倉を見つめていたからだ。
 しばらくじっと観察していたかと思うと、時折手にとっては様々な角度から見直したり、
 タンタンと指で表面を叩いてみたり、傾けてみたり、軽く振ってみたりした。
 そしてまた机の上に静かに置いてから腕を組み、真面目な顔で飛倉を凝視する。

 ぬえは窓に張り付いたまま、じっと機会を待った。
 しかし、この店の主であろう男は、なかなか隙を作らない。
 待っても待っても椅子から立ち上がろうとせず、飛倉を弄り回している。
 両手で端を持って捻ろうとしてみたり、真ん中から左右に開いてみようとしたり。
 もちろんあれは飛倉の欠片なので、その行為には一切意味が無い。
 それでも店主は懸命に何かを考えながら、木片へアプローチをかけていく。

 指先を表面の一部分に引っ掛けようとする。不発。
 頭上にかざして大きく振りかぶってみる。これも不発。
 ぐりぐりと自分の服に押し付けてみる。やはり不発。
 吹奏楽器のように口を付けてみる。当たり前だが不発。

 謎の行動を繰り返す店主は、ぬえ視点だと限りなくシュールだった。
 何せ相手はただの木片だ。何を仕掛けようと、法力が宿るだけの木片なのだ。
 店主の行動が時折面白くて、吹き出しそうになってしまうのを咄嗟に堪える。
 一通りやる事が終われば、きっと彼は席を立つはずだ。
 その前に片付けられてしまうかも知れないが、その時は場所を見ておけば良い。
 封印でもされない限り、彼が飛倉から目を離してさえくれれば回収できる。

 その考えのもとでずっと待っているのだが、店主は一向に諦めない。
 早く諦めてくれないかなぁ、と切実に願ってみても、彼には全く届かなかった。
 もう後回しにしようかとも思い始め、ぬえは仕方なく窓から一歩離れる。
 ずっと緊張したり声を殺したりしていたので、それだけで少し気が抜けた。
 まだ夕方にもならない時間、日差しもポカポカと暖かい。つい欠伸を漏らしてしまう。

「開けー! ゴマッ!」

 不意にそんな大声が響き渡り、ぬえは思いっきり吹き出した。
 大口を開けた状態でそんな事をしたものだから、気管に入り込んでしまって全力で咽る。
 鼻の奥の気持ち悪さと咳による苦しさで、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
 抱えていた飛倉がぬえの手を離れ、バラバラと辺りに散らばってしまう。
 幸い、勢いよく投げ捨てた訳ではないのでフヨフヨとその場に停滞してくれたが。
「誰かいるのか?」
 当たり前のように咳を聞きつけ、何食わぬ顔でガチャリと扉を開ける店主。
 ぜいぜい言いながらやっと顔を上げた瞬間に、その店主と目が合った。
 見られている。物凄く見られている。
「君、大丈夫かい?」

 あぁ……やっぱり。

 気の緩みと咳き込んだのとで、今の姿はバッチリ人型で。
 このまま逃げてしまいたかったが、周りに浮かぶ飛倉の欠片を放ってもおけず。
 ぬえは正体不明の自分にどんどん傷が付いていくのを感じて、思わず瞳を潤ませた。





 §





 流石に、店先でいきなり半ベソになってしまう妖怪というのは初めてだったらしい。
 店主はほんの一瞬だけオロオロしたかと思うと、すぐに取り繕ってぬえの手を取った。
 何もいわずとも、周りの飛倉も一緒に店へ運んでくれた辺り、いい人なのかも知れない。

 店内に招き入れられたぬえは、振舞われたお茶を一口啜って気持ちを落ち着かせた。
 そしてごしごしと両目を擦って、ふぅ、と溜め息に似た声を漏らす。
 もう、こうなってしまった以上は仕方ない。
 どうせ正体不明は露と消えたのだから、普通に返してもらうだけである。

「落ち着いた?」
 窓から見ていたときと同じ椅子に座って、店主が声を掛けてくる。
 普通に返してもらうことを決めたぬえは、素直に頷いて答えた。
「うん……落ち着いた」
「なら良かった。いきなり咳込むのが聞こえたから驚いたよ」
 その原因が自分にもあったとは思っていないらしく、店主は爽やかに笑って見せた。
「悪かったわ、騒がせてしまって。でも、別に病気とかじゃないの」
「そうか。額が赤くなっているようけど、それは?」
 ぬえは反射的に、自分の額を押さえる。恐らく結界に突っ込んだ痕だ。
「これも大丈夫。ちょっと痛いけど」

 店主がまた『そうか』と頷いて、そこで二人の会話は途切れた。
 ぬえが何者なのか、浮かんでいる木片はなんなのか、そういった追求は一切無かった。
 気にならないのかなとも思ったが、この上自分の事を根掘り葉掘り聞かれるとなると、
 とてもではないが耐えられそうに無かったので安心しておく事にする。

 さて、何だかんだで店主との接触は完了だ。
 次はあの飛倉を回収させて貰えないか話を付ける段階なのだが。
 店主は再び例の飛倉を持って、何やら弄くり回し始める。
 ぬえの登場で中断していた作業を再開した、ということなのだろう。
 このままでは埒が明かないので、思い切って声をかけてみる。
「あー、えっと……あのさ?」
「なんだい」
 視線は飛倉に注いだまま、手も止めずに返事をする店主。
 やっぱり色々と試みては何も起きないことに首を傾げている。
「それなんだけど」
「あぁ、これか。どうだ、妙な形をしているだろう?」
 その手に持っている木片を、自慢げに見せ付けてくる。
 勿論、ぬえにとっては飛倉の一部分。なにも妙なところはない。
「えっと、言いにくい……」
「そう、この何とも言いにくい、言葉で説明しづらい形状。しかも浮かぶ」
「……んだけど……」
「どう使うのかも定かでないけれど、きっとこの形状にヒントがある」
 ぬえが言い終わる前に返事をしてしまう店主の顔は、子供のように輝いていた。
 それはきっと、自分の心の中で想像し得る、素晴らしく珍妙な物なのだろう。
 新しい玩具を与えられた子供のように、それを触りまくっている店主。
「用途はおろか、名前さえも不明でね。果たして、どう使うものなのか……」
 色々と試しては反応を探って。相手はあくまでただの木片なのだが。
 ぬえは店主がこれ以上夢を広げる前に、止めを刺してあげる事にする。
 長引けば長引くほど、現実を知ったときが辛いだろう。そう思ったからだ。

「そうだ、君はどう思う? これは何に使うものか、考えてみてくれ」
 と、いきなり飛倉の欠片を手渡された。
 相変わらず実に楽しそうで、現実を教えるのが躊躇われる。なんか可哀想だ。
 しかし、こちらの目的が飛倉の回収である以上は避けて通れない道。
 ぬえは渡された飛倉をぐっと握って、いたたまれなくなって目を閉じた。
「ごめんなさいッ!」
「なッ……?」
 謝りながら、植えつけてあった正体不明の種を引き抜く。
 その途端に店主はガタリと席を立ち、ぬえの両手を掴んで驚愕の声を上げた。
「木片……だって……? 一体、何が……!」
 目の前で、大好きな玩具が粉砕された。
 そんな目をしているだろうことが、目を閉じたままでも感じられる。
「これが本当の姿で……さっきまでのは、貴方の心が見せていた幻だったの」
「そんな! いや……あぁ、だから名前も用途も見えなかったのか……」
 脱力したように、もとの席へと戻っていく店主。
 ドカッと椅子に腰を落とすと、ぬえの手元にある木片をまじまじと見て。
「飛倉の破片……成る程、僕にも分かる。確かにこれが真の姿らしい……はぁ」
 どうやら、ぬえの言い分は信じてもらえたようだ。
 ともすれば、物質変化の魔法なんかを使ったと疑われる可能性もあった。
 だがこの店主はこの事実を認め受け入れていた。
 思いのほか理解が早かったことに、ぬえも胸を撫で下ろす。
「期待させてしまってごめんなさい……」
「全くだ……いや、違うか。一時の間だけでも心が躍ったよ。有難う」
 やはり残念そうではあったが、店主は予想外にも礼を言ってきた。
 ぬえは思わず驚いて、えっ、と声を上げてしまう。
「残念ではあるけれどね。あんな妙なもの、実際に在るかも分からないし」
 店主が飛倉に何を見ていたかは、本人にしか分からない。
「でも逆に考えれば、実際に在るかも分からないような物を触れたんだからね」
 本来『手が届かないもの』に触れることが出来る喜び。
 あるいは自分を慰めるための言い訳なのかもしれない。
 けれどぬえは、何となくその言葉に神妙に頷いてしまった。

「君の力で姿を変えていたということは、それは君の物なのかい?」
 改めて、店主が話しかけてくる。
 その視線は、ぬえの手元と先ほど運んできた木片に交互に注がれている。
 正確には自分の物というわけではないが、ぬえは頷いて答えた。
「幻想郷中に散らばっているのを、集めているの」
 回収してきちんと命蓮寺へ返すつもりだから、間違いではないだろう。
「これから残りを取りにいこうと思っているんだけど」
「……けど?」
 ぬえの言葉に含みを感じ、店主はすかさず聞き返した。
「流石に、これ全部を抱えて飛ぶとなると大変で」
 これらを両手で抱えて運ぶのは、思いのほか重労働だ。
 実際、ここに来るまでも結構大変だった。
 今となっては遅いが、入れ物の調達くらいは最初にしておくんだった、とも思う。
「そうだろうね。籠ならあるけど、貸してあげようか」
 調達の機会が今更ながら来てくれたので、ぬえは笑顔で『じゃあ借りる』と返した。

 店主が籠を持ってきてくれたところで、ぬえがもう一つのお願いを切り出す。 
「後で取りに来るから、これ預かっておいてくれない?」
「ああ、構わないが。まとめてそこの棚にでも置いていってくれ」
 まだ若干落ち込んだままの店主だったが、ぬえの頼みは快諾してくれた。
 指定された場所に飛倉を全て入れてから振り返り、念を押す。
「ありがと。これ、絶対無くさないでよね、絶対よ!」
「了解だ。触らないようにするさ」
 片手を力なく振る店主。
 彼にとって飛倉は、法力が宿っているとはいえただの木片であった。
 これも不思議なものには違いないのだが、飛倉には興味が湧かないようだ。
 何か道具的な使い方が出来る訳でもないので、その気持ちはぬえにも何となく分かる。
「じゃ、また後で寄らせてもらうわね」
 やはり片手だけ挙げて返事をした店主を背に、香霖堂を後にした。


「さて、次が最後ね……」


 とうとう、残りの飛倉は一つ。
 手も空いて身軽になったことだし、これも手早く回収したいところだ。
 霊力反応を追いかけてじっと空を見つめ、そして深い溜め息をついた。



 ぬえの視線の先、ずっとずっと東。
 幻想郷という世界の端の端で、最後の反応は迎えが来るのを待っている。








―― いざ、大結界 ――


 その場所に辿り着いて最初に見たのは、神社だった。
 なんだかんだあって、前の事件で色々な意味で世話になった巫女が住んでいる。
 出来れば関わりたくはないのだが、悲しいかなそうも言っていられなそうだ。
 何せ、最後の飛倉が引っ掛かっているのは幻想郷の果て、博麗大結界だったからだ。
 流れ流れて、幻想郷の端でずっと停滞し続けているらしい。

 博麗神社上空で正体不明を維持したまま、ぬえは大結界に近付いてみた。
 やはり、飛倉が引っ掛かっている。あれを回収すれば終わりだ。
 だが、それを見てもすぐさま取りに行こうとはしなかった。
 結界と飛倉。これで今日、痛い思いをしたばかり。慎重になって損はない。
 いくら考えてみたところで、取ってみた結果どうなるかなんて分からないのだけど。

 やはり、大結界の守護者である博麗の巫女に相談して取ってもらうべきか。
 いやしかし、幽明の境が特別脆くてああなったのかもしれないし。


「人の結界の前で、何をやってるんだアンタは」


 すぐ背後から聞こえた声に思いっきりビクンとして、思わず逃げ出すぬえ。
 正体不明状態は問題なく維持していたつもりだが、それが通じない相手となれば。
「逃げるって事は、やましい事があるのね!」
 博麗の巫女だ。反射的に逃げ出したのが良くなかったらしく、戦闘態勢に入っている。
「大結界にちょっかいを出すってのがどういうことか……分かっているわね?」
 巫女の目が笑っていない。体中から冷や汗が吹き出る。
 この間、正体不明の種を探りに来た時とはまるで別物の空気だ。
 一方的に退治されてしまっては敵わないので、ぬえも応戦の構えを取った。
 だが、ここで戦うのが目的なのではない。あくまで飛倉がほしいだけだ。
「別に、ちょっかいを出すつもりは無いわ。ちょっと飛倉の回収に……」
 行動を起こす前にそう口にした事で、巫女の表情が変わる。
「え? 飛倉?」
「そう。貴女の目から見れば、UFOね。それがこの結界に引っ掛かってて」
 と指を差す。それを追って、巫女が視線を動かした。
 良かった、ちゃんと話は聞いてくれる。
 そう思った次の瞬間、巫女は素敵な笑顔でこちらを振り返った。
「あ、UFO……ってこと? もしかして私のこと馬鹿にしてる?」
「してないから! あの飛倉を……って」

 無い。さっきまであそこにあった飛倉が無くなっている。

 さぁっと顔から血の気が引いていく音が聞こえた気がした。
 まさかこんな形で、博麗の巫女と向かい合うことになろうとは。
 更に悪い事に、この巫女とは一度対戦していて、既に正体が知られてしまっている。
 このまま能力を全解放して戦ったとしても、ぬえにはアドバンテージが無い。

「さぁ、大結界をどうこうしようとする妖怪にはお仕置きよ」
「少しだけ待って! 飛倉がどこに行っちゃったのか調べるから!」
「まだそんな事を……言い訳くらい、最初から用意しときなさいよ」
 ぬえにとってこの戦闘そのものが無意味だ。
 飛倉が引っ掛かっていない大結界などに用は無い。
 そして、大結界に用がないぬえを相手にする巫女にもまた、戦闘の意味は無い。
 故に、こんな戦闘は回避するに限る。限るのだが。

「種、どこよ私の種ぇ……さっきの店ですってッ? ああんもう、なんでッ!」

 最後の飛倉の破片は、何故か先の店……香霖堂へと移ってしまっていた。
 ぬえがここに居ることを正当化する唯一の理由が、この場には無い。
「お祈りは済んだ? 退治される心構えは良い?」
 勿論、そんなもの済んでもいないし良くもない。
 なんというかもう、今日一日で正体不明もプライドもズタズタだ。
 大いに嘆きながらも、今のぬえにはこう言うことしかできなかった。



「……まずは話し合いましょう! ひとまず落ち着いて、ねっ?」





 §




 どうにかこうにか巫女の説得に成功した時には、もうすっかり陽が落ちていた。
 執行猶予ということで解放されたわけだが、もとより大結界そのものに用はない。
 これ以上、この件で巫女に突っ掛かられることはないだろう。

 何度確認しても、最後の飛倉は店まで移動している。
 巫女に遭う直前までは確かにあの場所に反応があって、この目でも見たというのに。
 疲れきった心身に鞭打って、ぬえは飛倉を預けたあの店へと引き返した。



「おかえり。君がいない間に、例の道具が一つだけ届けられたよ」
 帰還したぬえを出迎えた店主は、入ってきたぬえを見るなり椅子から立ち上がった。
 そして手渡されたのは、やはり求めていた最後の一個である。
「届けられたって、誰が……?」
「あぁ、僕の顔見知りだ。伝言も預かっている」
 そう言うと、店主は机の引き出しから一枚のメモを取り出した。
 その顔見知りが書き残していったものらしい。
 ぬえは椅子に腰掛けると、疲れた表情でその丸っこい字に目を走らせる。



 うちの式が怪我をさせたとの事ですので、迷惑料代わりに飛倉回収を手伝います。
 少々出遅れてしまったようで、これが最後の一つでしたが。
 ちなみにこの破片は、よりにもよって博麗大結界に引っ掛かっていました。
 あそこはちょっと干渉が難しい場所なので、お役には立てたと思います。

 P.S.
  その法力は二度と幻想郷にばら撒かないで下さい。
  結界に干渉されると非常に面倒くさいのです。次やったら全部破棄します。



 残された伝言を読み終えたぬえは、盛大に机に突っ伏した。
 誰だか知らないがなんてタイミングの悪い。
 あの時、いきなり飛倉が消えたのはこの為だったのだ。
 お陰で博麗の巫女に嘘吐き呼ばわりされ、説得に余計な労力を費やす羽目になった。
 もう少し神社に着くのが遅ければ。無意味と知っていてもそう思わずにはいられない。

 めそめそするぬえに肩を竦めて見せてから、店主は小さな袋を差し出した。
「……今度はなに?」
「さっきの伝言主の、式神から預かった。薬だよ」
 トントンと額を指差され、ぬえはピリっとした痛みに顔をしかめる。
 結界に触った部分、例えば腕を見れば、ぶつけたみたいに赤くなっている。
 恐らくは額も、同じように真っ赤になっているのだろう。
「式……って?」
「狐の女性だ。今日、彼女と顔を合わせたんだろう?」
 ぬえはその姿を思い浮かべて頷いた。
 わざわざ薬を届けてくれるとは思わなかった。どうやら塗り薬のようだ。
「そっか。じゃあ貰っておくね」
 折角なので、有難く使わせてもらう事にする。帰ったら早速塗りたくろう。
 薬も一緒に飛倉の籠へ突っ込んで、ぬえはガタリと椅子から立ち上がる。
 何となく元気が戻ってきた。そうだ、これからが本番なのだ。

「世話になったわ。商売繁盛すると良いわね」
「それは嫌味かな?」
「ううん、正直な気持ち」
「はは、有難う」

 とにかくこれで全ての飛倉が揃ったことになる。
 ぬえは籠を手に持つと、店主とそんな会話を交わしつつ店を出て行った。



 パタリと扉が閉じて、店の中が静かになる。
 店主はふと窓ごしに空を見上げ『雲が晴れたな』と呟く。
 その視線の先には綺麗な星空と、そこを突っ切ってゆく少女の姿があった。








―― こころの準備 ――


 すっかり夜も更けてしまった。
 命蓮寺から漏れる灯りが、ぬえの目を細めさせる。
 とうとうこの時が来た。もう、こころの準備を理由に逃げ出すわけにはいかない。
 飛倉の破片を集めてきたのだって、結局は自分を安心させるため。
 それを成し遂げた今こそ、こころの準備が出来たということだ。
 籠を持ち直してから、意を決して命蓮寺の中に一歩踏み込む。

「おかえり。今日のうちに帰ってくるとは思わなかったよ、消灯時間ギリギリだけど」
 居住部分の玄関のすぐ中に、ナズーリンが居た。
 からかうようにぬえを見上げて、そして不意に吹き出した。
「ぷっ。なにそのおでこ、まっかっかじゃないのさ」
「色々あったのよ……それより、聖はまだ起きてる?」
 ぬえが言い終わるより早く、ナズーリンのロッドが奥の部屋を指し示す。
 そして無言のまま視線だけで促して、自分はさっさと外へ出て行ってしまった。
 気を使われたのかもしれないが、今のぬえには何を考える余裕もない。
 どくん、どくんという心臓の音を聞きながら、ゆっくりと奥の部屋へと近付いていく。
 籠を抱える腕に力が入る。部屋が近付くたびに、鼓動が速さを増していく。
 やがて部屋の前まで辿り着くと、震える手でとんとん、と戸を叩いた。

「どうぞ」

 白蓮の声が聞こえた瞬間、ぬえの鼓動はさらに速まった。
 もう頭の中は真っ白で、言おうと思っていた台詞も全く覚えていなくて。
「……どうぞ? どなた?」
 戸を叩いたのみで、それ以上の反応がない事を訝しむ声。
 それはそうだ、もし自分が白蓮なら、さっきの音は悪戯かと疑うだろう。
 そんなどうでもいいことを考えて、いや考えようとして、そのまま動けなくて。
 とうとう、戸の向こうで白蓮の足音が聞こえてきて。
 どんどん、どんどんこっちにきて。そして、戸が開かれた。

「……悪戯かしら……あら?」

 戸を開けた白蓮が見たものは、廊下に落ちた籠と、そこに詰まった飛倉の欠片。
 拾い上げて数えてみれば、これで丁度、全ての破片が集まったことが分かる。
 きょろきょろと廊下を見渡しても、今は誰もいない。勿論、ノックの主もだ。
 少しの間、誰か戻ってこないかと待っていた白蓮だったが、
 やがて籠を持って別の部屋へ向かって歩いていってしまった。
 恐らくは、戻ってきた飛倉の破片を保管しに行ったのだろう。



「……だから、君は一体全体、ここへ何をしに来てるのかね」
 ナズーリンは大きな大きな溜め息をつく。
 ぬえが慌てて命蓮寺を飛び出してきたものだから、咄嗟にとっ捕まえたのだ。
 ロッドに引っ掛かって伸びてしまった服を撫でながら、ぬえは涙目で俯いていた。
「何をー、しに来てー、いるのかねー?」
 容赦なく下から顔を覗き込んで、同じ質問を繰り返す。
「聖……に、あ……あや、あやま……」
「ほう! それなら呼んでこよう、もしくは逢いに行こう。さあ」
 わざとらしく感心した振りをして、がっちりとぬえの手を掴んだ。
 そして命蓮寺へ引き返すように、引っ張っていく。
「あ、ま、待ッ……!」
「あぁもう! 何を待てって! 飛倉は無事集まったんだろうに!」
 相変わらずのぬえに対し、ナズーリンは面倒くさそうに声を荒げた。
 そして更に強い力を込めて、無理矢理に命蓮寺へ向かって引きずっていく。
 今ここで『こころの準備』とやらができなければ、今後も準備が整う事はないだろう。
 だからこそナズーリンも譲らず、イヤイヤと首を振って抵抗するぬえにも容赦しない。
「顔を合わせないままの状態で! これ以上、あんたに出来ることがあるのか!」


「そうですね。これまで頑張って待ちましたが、私ももう我慢の限界です」


 やがて命蓮寺入り口に着いた二人は、そこで待っていた人物の声に口論を止めた。
 ぬえとナズーリンの視線の先には、他でもない白蓮の姿。
「あ……ひじ……り……」
 真面目な顔でじっとぬえを見つめたまま、白蓮は何も言わない。
 ここまで来ればもういいか、とばかりに、ナズーリンは白蓮に向かい片手を振った。
 そして、白蓮が一つ頷いたのを見て、さっさと命蓮寺の中に引っ込んでしまう。
 取り残されたぬえは、何かを言うことも、逃げ出すことも出来ず。
 ただ、服の裾を握りしめたままで硬直していた。
「ぬえ。私、待ちました。あなたをずっと待っていました」
 白蓮の表情は変わらない。そのまま、握った片手をすっと持ち上げて。
「あなたが復活の邪魔をしていたのは知っています」
 そう言った白蓮が手を開くと、一匹の蛇が現れてぬえに飛びついた。
 スルスルとぬえの身体を這い上がって、やがて身体に溶けるように消える。

 正体不明の種だ。命蓮寺に集められた飛倉の大半はまだ、種が埋まった状態のまま。
 ぬえと交戦した人間たちは、種の存在を知っていた。
 人間たちからぬえの話を聞き、この正体不明の種に気付いたのだろう。
 更にもう一つ。人間たちが白蓮たちに対し、ぬえについて話したということは。
 恐らく彼女は、とっくに知っている。ぬえが抱えている気持ちに気付いている。

「こうして話をしたかった。ずっと我慢しました」
 逢おうと思っても勇気が出なくて。白蓮たちが近くにいると逃げてしまって。
 だから、ずっと彼女の声が聞こえなくて。皆の声が聞こえなくて。
「ぬえが逢いにきてくれるまで、今までずっと我慢しました」
 聞こえてきた白蓮の声が優しくて。聞こえてきた白蓮の言葉が優しくて。

「あのね……ッ! ごめ、なさい……ほんと、に……ごめんなさいッ……!」

 気付いた時には、ボロボロと涙を流しながら謝っていた。
 やろうとしたのは、白蓮の存在を否定するような事だったけれど。
 だけど今は、それを悔いている。心から悔いている。

 白蓮が歩み寄り、泣きじゃくるぬえの頭をそっと撫でた。
 嗚咽を押し殺して、けれど泣き止む事は出来なくて。
 そんなぬえに、白蓮は静かに告げる。

「我慢の限界が来てしまったので、許しません」

 耳元で囁かれた言葉に、ぬえの息が止まる。
 酷く優しい声とは全く正反対の言葉が、ぬえの心に突き刺さる。
「もし、許して欲しいと望むのであれば」
 さらに続けられる言葉。相変わらず声は優しいまま。
 涙でくしゃくしゃの顔を上げたぬえが見たものは。



「私達と一緒に、暮らす事。……どうです、この方がちょっぴり居易くありません?」



 とっても柔らかくて、でもほんの少しだけ意地悪な笑顔だった。
 §





 その後、ぬえはそのまま白蓮の私室に通された。
 やっと涙が落ち着いた頃、白蓮はまたぬえの髪を撫でると、
 向かい合うようにゆっくりと座った。ほぼ同じ高さになる目線。
 こうして顔を突き合わせるのに慣れなくて、ついつい、はにかんでしまう。
 笑顔を見せるようになったぬえを見て、白蓮は安心した様子だった。

「落ち着いたみたいですね」
「うん……これからよろしくね、聖」
「ええ、こちらこそ。それではまず、明日に備えましょうか」
「明日に備える?」
「皆にご挨拶です。といっても、知った顔ばかりですけどね」
「あ……ムラサたち、私のこと許してくれるかな」
「ふふ。あの子が一番、帰ってくるのを楽しみにしていましたよ」
「そうなの? ……えへへ、そっか……」
「今日は疲れたでしょうし、やる事をやって早く休みましょう」
「ん? その『やる事』っていうのは?」
「決まっているわ」

 そう言って白蓮が取り出したのは、見覚えのある小袋。
 飛倉の籠に突っ込んでおいた、道具屋で受け取った塗り薬だ。
 ぬえの身体中についた結界痣は赤くなっていて、実に痛々しい。
 薬を指ですくい取った白蓮は、おもむろにぬえの額に塗りつけ始める。

「さて、これで明日までに赤みが引けばいいのだけど」
「えっ、ちょ、聖?」
「おでこ……腕と……あら、ここも」
「ひ……やめ、くすぐった……!」
「ほら、動かないで」
「あ、の、いや、でもぉ……!」
「脚……あ、こんなところにも痣が出来てるわ、可哀想に……」
「聖ぃッ! も、もぉいいからぁー!」
「あら? 顔中が真っ赤。痛手が遅れてきたのかしら」
「ち、違うー! 違うのぉー!」








「あーあ。馬鹿らしい、馬鹿らしい……」
 二人の様子を見に来たナズーリンが、部屋の前で回れ右をする。
 結局こうなるのは分かってたんだから、別に今更思うことなんてないけれど。
「それじゃ、寝る前に空き部屋の掃除でもしておきますか……ん?」
 くるくると手の中でロッドを回しつつ歩く。が、どうにも違和感があった。
 ぬえを引き止めた時に変な使い方をした所為で、ロッドが少し歪んでいたらしい。
 いま気付いたがこれは大変だ。ぬえの部屋の用意よりも重大な仕事が出来てしまった。



 ……まぁいいか。どうせ、新しい部屋が使われるのは明日からみたいだし。
風流
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2550簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
ぬえとこーりん可愛いww
5.100名前が無い程度の能力削除
ぬえ分過多になりました。ご馳走様です。
ぬえかわいいよぬえ。
13.100名前が無い程度の能力削除
マジになってるこーりん可愛い。
っていうか開けゴマってw
15.100名前が無い程度の能力削除
ああ、ぬえの心に光が満ちる。
良作でした。
22.90名前が無い程度の能力削除
ありそうでなかった気がするこの展開
明らかにもっとあっていい…!!
30.100名前が無い程度の能力削除
ぬえ可愛いよぬえ
34.100名前が無い程度の能力削除
良かった。すげぇ良かった。
36.100名前が無い程度の能力削除
ぬえかわいいよぬえ
39.100名前が無い程度の能力削除
これは可愛いぬえ
41.100名前が無い程度の能力削除
ぬえかわいいよぬえ
心からそう思えました
44.90名前が無い程度の能力削除
ぬえかわいい
その後の命蓮寺での日常も見てみたい
45.100名前が無い程度の能力削除
色んなキャラたちの魅力が余す所無く引き出されてますな
ぬえかわいいよぬえ
46.100奇声を発する程度の能力削除
ぬえ可愛いよぬえ!
47.100名前が無い程度の能力削除
ぬえかわいいよぬえ
48.90名前が無い程度の能力削除
善意に満ちた世界が何だかくすぐったく、良いお話でした。
50.100名前が無い程度の能力削除
ぬえかわいいよぬえ
57.90ずわいがに削除
ぬえぇぇえええん!なんというヘタレwww
飛倉の欠片を求めてめんどくさいことにばっか巻き込まれて、運悪いなw
まぁでも、終わりよければなんとやら的なね
60.100名前が無い程度の能力削除
かわいいのぉwかわいいのぉww
63.100名前が無い程度の能力削除
ぬ・・・ぬえーーー!!
64.100名前が無い程度の能力削除
ぬえ良かったねぬえ