Coolier - 新生・東方創想話

ドミノ・パニック(後)

2010/02/22 06:24:41
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*この話でドミノ・パニックはおしまいです。



チルノと橙は必死に走る。行き先は八雲の事務所だった。
「早く! その傷を早く治さないと」
「ちょっと、もうちょっと遅く……」
 チルノが強引に橙を引っ張るおかげで、橙は治りかけた傷が痛みだした。後ろから追いかける鈴仙が、橙の波長を捉え、彼女の状態を把握する。
 事務所まで一気に駆け上がると、チルノは勢いよく扉を開いた。中に居たのは紫だった。
「橙はいる?」
「はあっはあはあ……ここ、に」
 橙はチルノの後ろで手に膝をついて息をしている。よほど疲れたのだろう、紫の姿を確認して、何かを話そうとしても、すぐには声がでなかった。
「チルノちゃん、ありがとう。あら、あなた永遠亭の所の……」
「あ、どうもお久しぶりです……」
 鈴仙は目の前の不思議な光景に違和感を覚えた。
「祭りだからかしら、今日は珍しい客人によく出会うわ」
 紫が柔らかい笑顔でそう言った。
「はい、私もそう思います」
「ふふ、さあ、橙。今はゆっくりと休みなさい。事情はまた後から……」
 紫が橙に触れようとする。すると、その手をがっしりと掴んで、橙はか細い声で言葉を吐いた。
「紫様は人間をお食べになるつもりなんですか?」
 紫の手が止まった。
 鈴仙は橙の予期せぬ質問に言葉を失った。この愛くるしい猫は何を食べると言ったのだろうか、と思い橙の台詞を頭の中で反芻する。チルノも驚いた顔で橙を見つめている。
「紫様、答えて下さい……」
 事務所は静まり返る。時計の長針がまた一つ、かちりと音を鳴らして動いた。

 男はそわそわと落ち着きが無かった。目の前の天狗は目を覚まさないからだ。
「大会は何時からですか?」
「プログラムが変更になって、午後の六時からです」
 あと二時間も無い。男によれば、衣装はもう用意しており、五時には会場横のメイク、および控室に入らないとメイクが間に合わないという。
「もう一つの会場が、何やら不備があったらしいんですよ……それで、その会場で行うショーをこちらに前倒しにするらしいです。それで一時間ほど早くなってしまって……」
「そうですか……」
 永琳としては、目の前の文を置いていくわけにはいかなかった。しかし無理やり起こすのも忍びない。
「ぎりぎりまで待ちましょう。医者として、彼女の治療が最優先です。ごめんなさい」
「ああ、いいんですよ。そうでなければ、私は永琳先生をここまで推すことは無かったでしょうし」
 男は全てを受け入れた表情をしている。永琳は男に感謝した。
 突然、玄関の方から乱暴な音がした。永琳が玄関を見ると、にとりが立っていた。
「永琳さん、文はまだいますか? 誰かに襲われたりは……」
 ただ事ではない様子でにとりはまくしたてる。永琳はにとりをなだめる様に落ち着いてください、と言葉をかけた。
「一体何事ですか?」
 永琳がにとりの手を優しく握り、まっすぐ瞳を見つめてそう言った。にとりは幾分か落ち着き、『花鳥風月』での一幕を話した。
「なるほど……」
 一通り話し終えて、にとりはふうっと深く息をする。
「文を、どこかに隠した方がいいと思います。あなた達には決してご迷惑をおかけしません。八雲藍が訪ねて来た時は、正直に話してもらっても構いません」
 話を聞いていた男は不安そうな顔で、永琳の方をちらりと見た。永琳はまっすぐににとりの目を見る。
 にとりの瞳には固い決意の光が見えた。これから大きな責任を背負う者の目によく似ているな、と永琳は思った。
「……にとりさん、私は確かにその案件と関係が無い。だから、八雲の連中が来た時は正直に話すと思います」
「はい……」
 にとりは目を閉じて、まるで裁判の判決を待つ被告のような雰囲気を晒している。
「患者の情報は、一切話せないという旨を、八雲に伝えましょう」
「え?」
 にとりが意外そうに声をあげる。
「文さんは私にとって、患者です。だから、患者の事は、医者である私には一切漏らすことはしません。文さんは、私の指示で移動させた事にします」
 永琳ははっきりとした、力強い声でそう言った。永琳自身も驚いたが、にとりの、命をかけたその行動に共感してしまったのだ。
 あの目は、かつて、どこかで見た色をしている。
 永琳は過去の自分を思い出した。そう、私も命をかけて姫様と共に逃げ出したあの夜。
 にとりの目は、あの時の自分の目によく似ていたから、身体の奥の奥、魂なるものに共鳴したのかな、と永琳は考えた。
「……ありがとう、ございます」
 しばらくの沈黙の後、にとりは深く腰を曲げて、感謝した。
「後はお好きにしてください。文さんはもう傷は大丈夫ですから、あとは無茶な事をしなければ、傷が開く事も無いでしょう。それから、私たちはこの後すぐに出かけます。ここには居ないので注意してください」
「はい」
 そう言って、にとりは文をゆっくりと背負って、裏口へと向かう。その時ちらりと永琳の方を向いて、何かを呟いた。
 お気をつけて、と言ったように永琳には見えた。
 裏口の扉が静かに音を立てて閉まった。
「さあ、会場へ行きましょう」
 永琳は男にそう言って、表玄関から外に出る。空は明るい橙色に染まり、昼に比べて少しだけ肌寒かった。
 永琳はあの二人の逃走を、少しだけ祈る。かつての自分がそうだったように、彼女たちは大きな枷を背負う事になる。
 せめて、その枷でつぶれないように。
 そう静かに祈った。

 にとりは暗くなる前に妖怪の山に帰ろうと思っていた。いくら八雲藍でも、妖怪の山に入れば下手な事は出来ないだろう、と踏んだのだ。
 背中の文はゆっくりと大きく、そして静かに呼吸をしている。
 さすが、永琳さんだ、とにとりは思った。御礼に何か、医療用機械を開発してあげよう。
 辺りに注意しながら走る。にとりはすっかり、チルノ達の事を忘れていた。
 背中がもぞもぞと動いた、と思ったら文が急に起きて、にとりの背中から勢いよく飛び降り
「きたあああぁああ!」
 と咆哮をあげた。
「……え?」
 にとりは何が何だか分からなかった。
「にとり、ええ、あなたのその行動、素晴らしい! あのままだと永琳は大会に出場しなかったかもしれませんしね!」
「なに、何の話? 文、本当にだいじょう……」
「ふふふ、これは素晴らしい記事が書けそうです。ふふふ……」
 文は、子どもがおもちゃを買ってもらった時のように喜んでいた。にとりはちょっと目の前の光景が信じられなかった。
「ねえ、文、私には一体何の事だか……」
「だあ、特ダネですよ!」
「あ、文?」
「聞いてください! あの永琳が、あの気高き永遠亭の真の主、八意永琳が人前で男装をするのですよ! こんな千載一遇のチャンスは、もう二度と来ないでしょう。今回の新聞大会は、この記事で間違いありません。ええ、これは幻想郷を揺るがす、一大ニュースなんですよ! うおお、私も燃えてきました。心が、身体が、熱くたぎっています。さあ、にとり、あなたもこの歴史的瞬間をきっちりとこの目に収めるのですよ!」
 一体、なんなのだ、この天狗は。
 というか無事ならさっさと起きなさいよ。心配して損したじゃない。っていうか起きてたんなら私の話を聞いてたでしょ、あなた藍に狙われて、妖怪の山と戦争で、幻想郷が、だから、あんたは歩く爆弾で、私は爆弾を制御するリモコンで、だから私……
 にとりはそこまで考えて、脳みそがオーバーヒートする気がした。
 その後の、ひどく虚しい虚脱感。
「……怪我は?」
「怪我? ああ、あの猫の事ですか? まあ、私にも非が無いとは言えないですから、その事は許しましょう。それよりも、八雲が裏で何か蠢いていますから、そちらも取材をしないと……ああ、祭りは本当にいいネタの宝庫ですね! さあ、早く会場に行かなくては!」
「ちょっと、勝手なことしないでよ! あなた、藍さんに命狙われているのよ」
「スキャンダルに危険はつきものです。藍さんと戦う事になった時は、それも記事にしますから安心してください!」
 うわあ、こいつの脳みそホルマリン漬けにしてやりてえ。
 文のこの行動に、にとりは怒りを超え、呆れも超えて、さらに清々しさも超えて、一周し再び怒りがわいてきた。
 もう、どうでもいいや……どうにでもなあれ。
 にとりはすっかり力無くうなだれた。

 妹紅は人里離れた草原に来ていた。目の前には恐ろしく静かに佇む藍がいる。
 これは少しまずいかもしれない、と妹紅は思い始めていた。確かに自分は不死であり、妖術も使える。並みの妖怪ならば簡単にあしらえるし、天狗にだって互角の力で戦える。
 だが、目の前の妖怪はそれらと全く違っていた。こんなに静かで、落ち着きはらった妖怪は見た事が無い。大抵の妖怪は、戦闘前になると興奮するものだが、藍は全く逆だった。これは強い妖怪ほど、その傾向がある。
「用意はいいか、不死の人よ」
 藍が口を開く。妹紅は黙ってうなずいた。
 その瞬間、藍から無数の弾幕がばらまかれる。妹紅はそれらを避けつつ、速攻でスペルカードの宣言をする。
「藤原『滅罪寺院傷』!」
 ちんたらしていたら、負ける。
 妹紅は改めて、八雲の妖怪の強大さを思い知った。額にひやりと冷たい汗が流れ出る。藍はその場から全く動かず、しかしち密な弾幕を放ち続けていた。藍が得意らしい、幾何学的な弾幕だった。
「くそっ!」
 思わず空に飛び上がる。
 藍はその隙を逃さなかった。
 跳び上がる瞬間に、妹紅は無防備となる。妹紅が藍の姿を捕える前に、藍は妹紅の後ろに回り込み、跳び上がった妹紅を地面にたたきつけた。頭に重く鈍い衝撃が走る。意識を失いかけたが、かろうじて戻ってこれた。
 強い。本当に手も足も出なかった。
「さあ、橙を傷つけた報いを受けてもらうぞ」
 この状況でも、藍は油断していなかった。倒れた妹紅を、まるで全身に釘を刺したかのようにかっちりと動きを封じていた。妹紅はどうにか逆転する手段は無いか目を動かすが、周りには何も無かった。
「……私は何もしていないよ」
「嘘をつけ。あの時橙を追いかけまわしていたじゃあないか。けが人に鞭打つように追いかけるとは、不死の人も堕ちたものだ」
「あんた達こそ、弱者に鞭打っているじゃない。金貸しだなんて、その典型でしょう」
「必要だから、行っているのだ」
「金を返せない人を、奴隷にするなんてとんでもない話だと思うけどね」
「なに? 今何と……」
 妹紅を押さえつけていた腕が力を緩める。隙を逃さず、妹紅は腕を振り払い、藍を思い切り蹴り上げた。藍は吹き飛ばされる。
「ふん、何を油断しているの?」
「まてまて、私たちは別にやましい事なんか何もしていないぞ」
「借金を返せない者は、身体で払うと言っていたぞ。ミスティアローレライがな」
「ああ、それは……その……」
「ほうら、やっぱり口には出せない事なんじゃない」
 藍は少し戸惑い気味に防御の体勢を構える。だが、隙だらけだった。妹紅は少しだけ拍子抜けしてしまった。
「あなた、隙だらけよ。カウンターを仕掛ける気もなさそうだし」
 そこまで言って、妹紅は自分自身も戸惑っている事に気が付いた。
 私たちはお互いに、何か勘違いをしているのではないのか。だとすれば、ここで戦う事は賢明でないかもしれない。
「……分かった。話そう。ただし、この事に関して、お前は何も言うな。決して口にするな。感想のひと言たりとも、言わせない。いいな?」
 先に折れたのは藍だった。
「紫様は、夜雀の屋台、つまりウナギのかば焼きを思い切り食べたい、と言い出したことから始まった」
「ちょいちょい、ちょっと待ちなさい……なんだって?」
 妹紅が思わずそう叫んだ。だが藍は手をびしっと前に突き出し、意見は受け付けないと言った表情で話を続ける。
「夜雀は人間の祭りで店を出したがっていたが、金が無い。そこで紫様が金を貸したわけだ。紫様は夜雀がお金を返せるとは全く思っておられない。つまり、お金が返せない間は夜雀の店を無料で使う事が出来る様にしたと……簡単にいえばそう言う事だ」
「その話は本当なのね?」
 こくりと頷く藍。
 わお。本当ですか。
 妹紅の頭の中には、それぐらいの感想しか浮かばなかった。
「……何も……言うな……そんな、顔をするな……」
 藍は今にも泣きそうな声でそう言った。それを見て、妹紅は自分がどんな表情をしているのか気が付いた。
 ああ、私、藍に同情してるのね。そりゃあ同情もするわよ。だって、ねえ……
 しばらくの沈黙。
「とにかく、私の事情はそう言った事だ」
 妹紅はとりあえず何事も起きなくて良かったと思う事にした。八雲の企みは、全く人間には関係ないのだから。
「橙は私が来た時にはもう傷を負っていたわよ。私以外の誰かなんじゃないかしら」
「だとしたら、一体……」
「さあ、そこまでは分からないわ。ああ、でも私と同じような事をいていそうな奴なら知っているわ」
 藍の耳がピクリと動いた。
「それは一体、誰です?」
「そうね、あなたも恥を忍んで教えてくれたんだから、私も言うべきよね。天狗の文よ」
「鴉天狗の?」
「ええ、彼女もミスティアと会っているわよ」
 藍は納得したような、少し驚いたような微妙な顔をした。何か心当たりがあるのだろう。
「そうか……すっかり忘れていた。文なら橙に取材する事もあり得るな……」
 そんな大事な事を忘れるなんて、この狐は意外と抜けているのかもしれない、と妹紅は思った。
「それなら、今からでも遅くは無いわ。文を探しに行きましょう」
 妹紅はそう言って、人里に戻っていく。そういえば、そろそろ祭りも今が一番盛り上がる時だと思いだす。はたしてこの喧騒の中で文が見つかるかどうかは分からないが……

 長い沈黙が、簡素な事務所に流れた。いつの間にか、外はたくさんの人間で溢れ、照明がついている。もうそんなに外は暗いのか、と鈴仙は思った。
 橙が今までの経緯をぽつりぽつりと話した。話しているうちに、自分のしてきた事の間違いに気付くかのように、震えだす。
「そう、そう言うことね」
「紫様……?」
 おもむろに紫が口を開いた。砂時計を見ているかのように、鈴仙は時間の流れが長く感じた。
「あなたが、私たちのために、傷を負った事に、私はとても嬉しさを覚えたわ。けれど、それはいつでも最後の手段に留めておくべきなのよ。本当ならば、弾幕ごっこで決着をつけるべきなのよ」
 話し合いという手段は無いのか、と鈴仙は思ったが幻想郷に人の話をおとなしく聞く連中など皆無だと気づく。ああ、だから弾幕勝負なんて物騒な決闘があるのよね。
「橙、目の前の感情に惑わされてはいけない。私たちは常に、物事の裏側を考えないといけない。分かるわね?」
「はい……申し訳ありません……」
「よろしい。勘違いさせて、ごめんなさいね。大丈夫、私たちは人間を喰ったりとったりなんかしないわ。ただちょっと、私の我儘に付き合ってもらうだけよ」
 紫は橙を優しく抱いた。橙は紫の胸の中で、声をあげて泣いていた。
 何のことかさっぱり分からないけれど、問題は解決したのかな、と鈴仙は考えた。
「でも、あなたを傷つけた者には、それなりの事情を聞かないとねえ」
「いえ、私が悪いんです。文さんを一方的に襲ったりして……」
「あなた、あの天狗に喧嘩を売ったの?」
 紫が声をあげて驚いた。その後、少し呆れたような顔をしていた。
「ふふ、子は親に似るって言うけれど、若い時の藍を見ているみたいね」
 藍、という言葉に顔をあげる橙に、紫はそっと手を載せる。
「敵わない相手に、自分の信念を貫き通そうとするその姿勢が、よ。本当にあんた達は手がかかるんだから」
 紫のそのセリフには、ありったけの愛情が込められていた。
「紫様……」
「とにかく、文に謝りに行きましょう。文はそれなりに賢い妖怪だし、色々と吹っ掛けられるかもしれないけれど、大異変になるよりかはましでしょう」
 そうか、この問題は天狗と八雲の問題に発展する恐れがあるのか、と鈴仙は気が付いた。
 いつもそうだ。些細な事から問題は発生する。
 セーターの綻びは、いつしかセーター全体の問題となる。。
「さて、まずは藍にもこの事を話さないとねえ」
 紫はそう言って、スキマを広げる。どうやら藍の所に行くための物らしかった。
「あなた達は、どうする?」
 紫がそう尋ねてきた。チルノは私も行く、と即答した。
「どこに行くのですか?」
 鈴仙が尋ねる。
「藍は今、スキマを移動中ね。これは……あの『乙』のステージじゃないかしら?」
 ステージと聞いてはっと気づく。そう言えば、あの袋の衣装を届けなくてはいけない。もしかしたら彼女たちがそのステージに居るかもしれない。
「私もお願いできますか。少しそのステージに用事があるので」
「ええ、いいわよ」
 紫はさっと腕を一振りする。不気味なスキマがそこに現れた。
「さあ、どうぞ」
 紫が手を差し出した。鈴仙はスキマに身を投じる。

 てゐが服屋に戻ると、何匹かの兎がそこにいた。
「てゐさん、会場が変更になって、今日の公演時間も変更になったそうですよ。ききましたか?」
「時間は聞いていないなあ。何時から?」
「八時からだそうです。六時からのイベントの後だそうです」
 てゐは時間を確認する。あと三時間というところだろうか。時間はあるが、余裕は無い。
「みんな、すぐに移動するよ。衣装は持った? よし、準備の出来た者から行くよ!」
 てゐが号令をかけると、兎たちは一斉に走り出した。
 その瞬間、祭りで気分が盛り上がってきているのを、てゐは肌で感じた。
 これならば、今回の公演はきっと成功すると、どこか確信めいたものを感じずにはいられなかった。
 武者震いをする。外の気温に反比例して、背中の方から沸々と熱い気持ちが湧きあがってきた。
 土を蹴り、息を吐き、腕を振る。今、私は風になっているんだとてゐは思った。
 てゐはすっかり、鈴仙の事など忘れていた。忘れていたと言うよりも、考えていなかった。鈴仙なら何とかなるよね、とお気楽に考えていたのだった。

「どこに行ったのよ、あいつら……」
 きっちり四人分の代金を払い、財布の中身はもう露ほどしかなくなった。とんだ出費だ、と輝夜は地団太を踏む。
 今度会ったら、必ず代金を請求してやる、と思いながら再び中央へと帰ってくる。辺りはすっかりお祭りムードで、焦げたソースの匂いや、目に飛び込んでくる様々な色のお菓子が通る者を楽しませていた。
 くそう、私もお金があれば。
 胸にこみ上げてくるのは悔しさ。こんな気持ちでせっかくのお祭りを過ごすのも、少しばかり勿体ない。
 過ぎた事は、もうどうしようもない。それならば、今だけはこの祭りを楽しもうじゃないか。
 輝夜はふうっと息を吐き、身体の濁った空気を入れ替える様にゆっくりと深呼吸をする。
「よし……」
 そう言って、ふと横を見ると、男と目があった。
 あれ、どこかで会ったような気がする。とっさに輝夜は記憶をたどっていく。
 男の方は輝夜を見て、顔が真っ青になり、次いで誰かを呼びに行くように向こう側へと消えていった。
「あ……」
 輝夜は疑問を感じた。どうやらあの男は私の事を知っているらしい。
 しかし、どこで会ったんだっけ。大事なことのようだけど、なぜか思いだせない。
「あいつですよ、親方!」
 ああ、そうそう、思いだした。あの弁当を買いに行かされていた、大工の若い男だ。
 え、親方?
 大工、そう言えば、私あの人たちに追われていたような。
「お嬢ちゃん、やっと見つけたぜ。この責任、どうやってとるんだい?」
 輝夜は囲まれていた。目の前にはあの体格の良い親方が厳しい顔つきで佇んでいる。
 輝夜は一瞬、言葉が出なくなり、絞り出すようにぎこちない笑顔で親方たちに挨拶をする。
「……いやあ、どうも皆さんお久しぶりです……」
「あんたのせいで、ステージは完成しなかったんだ。なあ、どうしてくれようか? ええ?」
 まるでヤクザのように親方がずいっと輝夜の服をつかんだ。
 やばいやばい、これはやばい。すっかり忘れていたわ。
 輝夜は嫌に心臓が高鳴った。血液はさあっと冷たくなっていくのを感じる。昔から輝夜は反射的に行動を起こす癖がある。午前中の弁当ばらまきの件だって、思考が身体を支配する前に手が出てしまった。それと全く同じ事を、この場でもしてしまったのは、運命と言っても良い。
「ごめんなさい!」
 親方の手を強烈に叩き落す。不意打ちにさすがの親方も顔をしかめ、手を離した。
「あ、こら、待たんかい、こらあ!」
 背中に罵声と、確かな足音を聞きながら、輝夜は人込みを走る。
 ああ、このまま捕まると私、とんでもない事をされるんだわ。きっと奉仕という名目であんなことやこんなことをされて、きっと……ああ、そんなの嫌だ!
 足が吹き飛ぶんじゃないかと思う程の速度で走る。人込みは走りにくい。ぶつかりそうになりつつも、輝夜は必死に走る。命がけの逃走の中で感じた、鼻をくすぐるソースの焦げる匂いを、私は一生忘れないだろう、と輝夜は思った。

 てゐが今夜の舞台へとたどり着く。かなりの観客がそこにはいた。一際派手に光るその舞台を見つめて、てゐは恍惚とした表情を浮かべて見とれていた。
「てゐさん、これからステージ演出の最終チェックを行うそうです。控室に来てください」
 係りの者に呼ばれて、てゐはステージ裏の控室に向かう。ステージ裏はこれから始まるイベントの参加者と、てゐの出場するダンスコンテストの出演者でごったかえしていた。今から行われるイベントの出場者は皆、奇抜な格好をしていた。どうやら男装や女装をしているらしい、明らかにおかしな格好の者も幾人かいたのだ。
 その中で、ふとキレイな男の姿が目に留まった。あれは男装しているのだろうか、それにしても、キレイな顔立ちをしている。
 どこかで見たような気もする。あれは、誰だろうか。
 そんな事を思いながらてゐはそっとさらに裏側へと消えていった。

「さあ、出来ましたよ永琳さん」
 目を開けると、鏡の中には見た事の無い様な美しい男が座っていた。
「すごい……メイクだけでこんなにも顔は変わるものなんですね」
「永琳さんとばれないように、という注文でしたから、いささか不自然な個所があるのですが……」
 永琳は感心した。じいっと見つめられなければ、これを永琳だと思う者はいないだろう、と思わせるほどの技術だった。眉の形や、骨格まで、変わっている様に見えた。
「驚きました。まさかこんなに素晴らしい技術をお持ちだとは……この大会、あなたの腕は確かに認められるでしょう」
「ありがとうございます」
 男はにこりと笑顔になって、そう答えた。
 永琳はこの大会で、リンという名前で登録されていた。
「永琳さんは謎の女と言う事で、全てのプロフィールを隠しています。そのミステリアスな雰囲気に会う様なメイクにしました」
 男は永琳にそう説明する。これなら、優勝も狙えるかもしれない。
「さあ、このフードをかぶって下さい。一応、ステージに立つまでは出演者はマスクをするなり、顔を隠すなりをしないといけないので」
 男は穴が二つ開いた黒いフードを差し出す。視界が狭くなるが、少しばかりの辛抱だと思う事にした。
 メイク室を出て、ステージ裏へと向かう。出演者たちの熱気が伝わるかのような、熱い空気が充満している。客席はもういっぱいなのだろう、人々の様々な声が響いてる。
 永琳は少しだけ緊張した。こうして人の前に立つ事は、いったいいつ以来だろうか。
 姫様には悪いが、こうして自分が表舞台に立てる日を楽しみにしていた自分がいた。さあ、お祭りを楽しみましょうか。
 すっかり闇が濃くなった空に、一番星が輝き始めていた。

 妹紅が人里へと戻ると、案の定祭りがもう始まっており、大通りは人で溢れかえっている。日はだいぶ沈み、視界が青く染まる。目が慣れるまで、まだ時間がかかりそうだった。
「いっそのこと、真っ暗になってしまえば逆に見えやすくなるんですけどね」
 後ろの方で藍がそう呟いた。確かに、この網がかかったような視界は非常に目が見えにくい。特に人を探している時などは。
「場所の手掛かりとか、ありますか?」
 妹紅がそう尋ねると、藍はアゴに手を載せて、しばらく考え事をしていた。
「……文は、ネタを探しているはずです。橙の所には紫様がいらっしゃるので、文が取材をする前に、紫様は行方をくらますでしょう。そうなると、文は別のネタを探している途中、或いは私たちに関連した場所を当たっているかもしれません」
「あなた達に関連している……ミスティアローレライがいるわ!」
 妹紅が叫んだ。藍はこくりと頷く。
「ミスティアローレライはどこに?」
「確か、この時間だとステージで歌うとか言っていたわ」
「今日、ステージは一つしか空いていない。イベントともなると、新聞記者である文も訪れている可能性も高い」
 藍と妹紅は目を通じて頷いた。目的地は決まった。
「急ぎましょう」
 祭りの陽気に当てられた人々の表情を横目に、妹紅と藍は『乙』ステージへと足を向ける。
 しばらく走った所で、不意に人々が上を見ているのを感じた。しかも何か、騒いでいる。物珍しそうな声をあげて、すごいとか、危ないとか叫んでいるのだ。
 妹紅はそれに反応して空を見上げた。
 そこには人影二人分がある。人里は飛行禁止という暗黙のルールを破っているのは誰だ、と思いつつじっと目を凝らすと、そこにはよく見た人物がいる。
「あれは、文じゃないか!」
 妹紅は仰天した。こんな簡単に出会う事が出来るとは。いやそれよりも、もっと大事な事がある。
 あんな所で一体何をしているんだ?

「にとり、離しなさい!」
「文、無茶はいけないし、人里は飛行禁止だよ!」
 空中でばたばたと暴れる文。にとりは必死にそれを止めていた。
「ネタが、私を呼んでいるのです! 地上をちんたらと歩いていては、開会式に間に合いません!」
「あんたはいつだって自己中だなあ、もう!」
 にとりは必死に文にしがみつく。後から大天狗に怒られるのは勘弁して欲しかったのだ。
「こうなったら、しょうがありませんね。にとり、そのまましがみついていなさい」
「文、ねえ、一体何を、うわあああああ」
 突然にとりと文の周りに風が吹いたかと思うと、にとりを抱えたまま、文は凄まじいスピードをあげたのだった。

「あいつら、人里で派手なことして……」
 妹紅はもう呆れてしまった。周りの人々は祭りのパフォーマンスだと思っており、拍手喝さいが聞こえる。
「あの方向はステージですね。急ぎましょう」
 ふと藍が裏通りへと消えていった。急いで妹紅もそれについて行く。
「私も紫様ほど正確ではありませんが、スキマを操れます。今、会場までの近道を作るんで、しばらく待って下さい」
 裏通りはまだ人が少ない。それでも表から流れた人で、普段に比べれば活気があった。
 一分ほど、藍は何か呪文を唱えたかと思うと、目の前にぱっくりと裂け目が出来た。
「あなた、こんな事も出来るんだ」
 妹紅は目を丸くした。
「見よう見まねです。それに、結構な妖力を使うんで一日一回程度が限界ですね」
 藍は肩で息をしながら、そう言った。
「さあ、行きましょう」
 藍にそう言われ、妹紅はは真っ暗なスキマの中へと身を投じる。
 
 ああ、今私は風になっている、と文は思った。
 思えば長きにわたってネタという物を追いかけてきた。来る日も来る日も、面白いネタはないかと、奔走した日々もある。時には取材をする相手の機嫌を損ない、大けがを負った事もある。その時から取材相手には下出にでるようにした。最初は馴れなかったが、新聞記者としてのプライドが自分の中で出来てくると、そうした事には囚われなくなった。そう、そんなことで怒りを覚えるほどの安いプライドではない。
 今回は特にでかい。あの地霊殿でのネタに比べれば、やや迫力に欠けるが、スキャンダルとしては超一流である。
 さあ、私の可愛い一眼レフに、八意永琳の華麗な男装を納めなければ!
 文の血は熱くたぎり、魂は震えていた。文の周りはさんさんと生の気力が溢れている。
 今の私なら、百ワットの電球十万個を輝かせる事が出来ますよ。
 それくらいのエネルギーを、文自身はひしひしと感じつつ、ステージにさっそうと向かうのだった。

 ああ、私はこれから風になるのね、とにとりは絶望した。
 必死という言葉を、にとりの頭がよぎった。文の超スピードで、にとりの意識は風になりそうだったのだ。そして地上に落ちて、ぐしゃりとつぶれる。そんなイメージが先ほどから頭の中をよぎる。
 文を止めようと、にとりが文にしがみついた時、振りほどくように言ったのは、にとりが邪魔だったからではなく、にとりの事を心配して忠告したのだ。
 思えば、今日は散々な一日だ。工事は遅れるは、幻想郷を揺るがす大惨事に巻き込まれるわで、心の休まると気が無かった。
 私が死んだら、きっと仲間の河童達が悲しむ。明日のステージ作製は、ステージ制御部門をあいつに、照明プログラムをこいつに、とにとりは頭の中で計画した。
 こんな時にもステージの事を考えるなんて、とにとりは苦笑した。
 考えた所で伝える術が無いじゃない!
 ああ、本当にもう駄目かもしれない。さよなら、私の可愛い機械たち。
 にとりの耳には、風の音しか聞こえなかった。それは死に際の断末魔さえもかき消してくれそうなほど、うるさい音だった。

 ミスティアローレライは店をたたみ、ごった返すステージ裏にやってきた。当然、というか予想通り、店の売り上げは芳しくなかった。しかし、勝負はこれからである。
 この歌で聞いている者の視力を奪う。
 そこで歌の最後で宣伝するのだ。視力回復に効用のある、ミスティアローレライのウナギ屋をごひいきください。
 笑いが止まらない。くひひ、と声が漏れる。おっと、静かにしないと誰かに聞かれるかもしれないぞ。
 ミスティアは不気味に笑っている。そうしているうちに、ステージが始まる音が聞こえた。

 輝夜は走る。自分の状況など全く分からない。大工たちは普段の七割増しの迫力で追いかけてくる。もう精一杯だった。
「はあ……はあっ……もう今日は一体なんなのよお」
 言葉にならない叫びをあげる。気がつくと、ステージにまた来ていた。観客席は超満員で、かなり盛況していた。何やら催しが始まっているらしく、司会者が何かをアナウンスしているのが聞こえる。
「待てえ!」
 どこからかそんな声が聞こえる。まだ、こんな所にまで追いかけてくるつもりなの?
 輝夜は汗だくになりながら、観客の方へと突っ込んでいった。ここに隠れれば、見つからないだろうと踏んだのだ。
 輝夜に押しのけられた人間たちは驚いた。なぜなら、輝夜が必死な顔で前へ進もうとするからだ。それもそのはずで、輝夜自身は命をかけて、この群衆の中へと突撃しているのだから。
 そしてその後ろからは妹紅が叫んでいる。藍のスキマを使って会場近くへと移動すると、会場の上にはもう、文がいてカメラを構えているからだ。
「くそう、待てえ!」
 妹紅は叫ぶが、文には届かない。その時、ステージの幕が開いた。
 今度は何なんだ、と思い、妹紅はステージの方を見る。
 その時気がついた、藍はどこに行ったのだ?

「さあ、最初の挑戦者は、謎の女、リンさんと……おっと女装コンテストの方もリンさんですか?」
 会場は盛り上がっている。『甲』のステージが使えなくなり、時間短縮をするために女装コンテストと男装コンテストを同時開催する事になったのだ。
 くじ引きで、運がいいのか悪いのか、永琳は一番最初に出る事になった。黒いフードに身を包み、永琳はステージのすぐ裏に準備をしていた。
 これはけっこう、緊張するわ。
 永琳は自然と手に力が入る。
「これは素晴らしい偶然ですねえ。では始めましょう! エントリーナンバー一番、ダブルリンさんです!」
 司会者の小気味よいトークの後、幕が上がった。一瞬、照明に照らされて、目を細める。会場からは盛大な拍手が聞こえる。
 横を見ると、女装をしているのであろう、男がそこにいた。こちらも仮面をかぶっている。
「さあ、一斉にフードをはずしていただきましょう! どうぞ!」
 永琳はふうっと息を吐いて、フードを思い切り取った。

「あら、もうかなり盛況しているようね」
 紫のスキマにより、ステージを訪れた。だが、あまりにも人がいすぎて、身動きが取れない。
「このままだと、藍さんも探せないんじゃないんですか?」
「藍は今、この会場に居るんだけど……どこに行ったのかしら」
 紫が不安げな表情で辺りを見回している。
「……とにかくありがとうございました。私は用事がありますのでこれで失礼いたします」
「ええ、お姫様にもよろしくね」
 紫と橙、それにチルノに別れを告げて、鈴仙はステージ裏へと向かう。そこには出演者控室があるはずだからだ。
 そうして、人の間を移動していくと、大きな歓声が上がった。どうやらステージ上では何かイベントが行われているらしい。
 しかし、それには目もくれず、ステージ裏へと急ぐ。普段ならばあっと言う間なのに、人の所為で遅くなる。鈴仙は届けられるかどうか少し不安になりつつ、走る。
 しばらく走り、ようやくステージ裏にたどり着いた。
 そこに居たのは、てゐだった。

 観客のボルテージは最高潮だった。一発目から、美男美女の登場に、思わず司会もブラボーと声をかける。
 だが永琳は固まった。笑顔のまま固まってしまった。
 まず気がついた事は、ステージの横にてゐがいた事だ。なぜ、てゐがここに居るのか、永琳には皆目見当もつかなかった。
 それだけではない。となりで出場したリンと名乗る男は、あの道具屋の店主、霖之助ではないか。かなり嫌そうで、やる気の無い表情をしているが。そして、反対側のステージ横には、メイクを担当したのであろう、魔理沙と霊夢がいる。こちら二人はまるで霖之助の元気をそのまま受け取ったかのように、げらげらと笑っていた。
 やばい、やばい。これはまずい。もう、早くステージからおろしてくれ! 早くしないと、私が永琳とばれてしまう。
 永琳はメイクが取れるのではないかと思う程、汗をかいている。
 手先が寒い。顔が思うように動かなかった。
 はっと会場に目を向けると、熱い視線を受ける。
 よく見ると、それは本当によく見知った顔だった。
「ひ、姫、様……?」
 微かな声でそう言った。
 ああ、あの目。あの期待に満ちたあの目。あれは絶対、私が八意永琳だと気がついた目だわ。
 永琳の心臓は不規則に揺れ動く。気持ちが悪くなってきた。

 文は思わず声をあげた。
「やりました! 一発目ですよ、しかも隣にはあの道具屋の店主もいるじゃないですか!」
 文とて、情報を貰わなければ、永琳を永琳だと判別する事は出来なかっただろう。だが、それを知っていると、かろうじてだが永琳と分かる。
 メイクは相当上手いのか、よく見なければ永琳とは分からない。これも、文の観察眼のなせる技だった。
「よしよしよし、これは大スクープです! さあ、カメラをっと……」
 喜びで震える手をしっかりと固定し、文はカメラを構える。口元はだらしなく笑っている。知らない人が見たら、さぞ気持ち悪がるだろう。
「ん?」
 奇妙な気を感じた。その瞬間、身体をかがめて、何者かの攻撃を避けていた。
「さすがだな。天狗よ」
 そこには九尾の狐がいた。文は笑い顔のまま表情が固まった。

 鈴仙はてゐを見つけて驚いた。こんな所で一体何をしているのだろうか。
 てゐはステージ横の奥、つまりステージ側に近い所に居る。どうしても行きたいが、ロープが張って、関係者以外立ち入り禁止になっていた。
「ああ、私の衣装が……」
 ロープの向こうから、妖怪が現れた。鈴仙は、あっ、と声をあげる。
「全く、ご主人は……」
二人の妖怪が現れる。一人は虎がらの衣装に身を包んだ妖怪、もう一人はネズミの妖怪だろうか。
「ごめんなさい。衣装をわざわざ届けてもらって……」
「ご主人が渡す時にもっと注意していればこんな事にならなかったのに。だいたい、どうして今の今まで袋の中身が違う事に気がつかなかったのさ。もう……」
 ネズミの妖怪はぶつくさと文句を言っている。虎がらの妖怪はそれに苦笑いで応えていた。
「間に合ってよかったです。私もずっと探していたものですから……」
 鈴仙は服を渡すと、ふと思いついた事を頼んでみた。
「そうだ、私を関係者として、舞台裏に連れて行ってくれませんか? どうしても知り合いに会いたくて……」
 二人の妖怪は目を見合わせて、笑顔になった。

「なんですって!」
 ミスティアは叫んだ。他の出演者が驚いて、ミスティアを見る。
「ですから今日は歌謡コンサートは開かれないんです。明日の昼に延期になったんですよ」
 係りの人が大声でそう言った。
 信じられない。昼に歌ったら、急に視力が悪くなったと怪しむじゃないか。これは夜だから成功する作戦なのだ。
「通達をしたはずですけどね……見なかったのですか?」
 係りの者はそれだけを言って、ミスティアを舞台裏から締め出した。
 そう言えば、そんな紙が来た覚えが無い様な、あるような……だがミスティアの記憶ははっきりとしなかった。
 くそう、このままじゃあ、お客さんが来ないぞ。どうする、どうしよう。借金を返せない。いやそれよりも、私は早く歌いたいのよ。この高ぶった気持ちを一晩寝かせる事なんてもう無理よ。缶詰は、開けた瞬間から腐っていく運命にある。だいたい、ステージが一つになった事が大きな原因だ。誰だ、ステージ建設を邪魔した奴は!
 沸々とミスティアは怒りがわいてきた。理不尽だわ。何で私が迷惑を被らなくちゃいけないのよ!
 これは全く、ミスティアの我儘なのだが、次第に怒りに頭の先からつま先まで支配されたミスティアには理屈など通りはしなかった。
 こうなったら、今、このステージで歌ってやる。
 ミスティアはステージに向かって一直線に飛んでいく。

「こら、てゐ!」
 てゐは名前を呼ばれて驚いた。そこには鈴仙の姿があった。
「れ、鈴仙? 何でここに」
「あんた、ここで何をたくらんでいるの?」
「な、何って……」
 どうしようか、しかし、ここまできたら別にばれても良いかなとてゐは思った。今さら悪い事をするわけじゃないし、あと一時間足らずで出場なのだ。鈴仙には見られるが、こいつは良い奴だから、別にいいか。
「あ、あの、鈴仙……どうしたの?」
 てゐが鈴仙を見上げると、鈴仙は観客席の方をじっと見つめていた。
「てゐ、あれって姫さまよね?」
 言われて観客席を振り返る。すると観客席の真ん中を突っ切っていく、輝夜がそこにいた。
「な……」
 てゐは絶句した。なぜここに姫様が、いやそれは問題じゃない。何であんなはしたない格好をして……
 はっとステージを見ると、男装をしている女が固まっていた。どうやら輝夜はあの人の所へ行こうとしているらしかった。だが、なぜ。
 もう一度輝夜を見る。目を輝かして、ステージへと向かう。しかも、周りの人はそれを応援しているように避けていた。
 まさか。てゐの心にある可能性が現れた。
「……ねえ、てゐ。私人違いかと思って群衆を突っ切るあの人の波長を探っていたの。それで、彼女は間違いなく、姫様なんだけど、そこにとある特殊な波長が混じっているの……」
 鈴仙が金魚のように口をパクパクさせてそう言った。てゐは恐る恐る尋ねる。
「それって、まさか……」
 鈴仙が唾をごくりと飲み込んだ。
「姫様、あの男装している人に、一目ぼれしているわ……」
 てゐの顔が愕然とした。これほど驚いた事は、生まれて初めてかもしれない、と真面目に思う。

 輝夜は猛烈に一目ぼれをしていた。輝夜はこのステージを男装女装コンテストとは気がついていない。そして、そのステージの男装した女性に一目ぼれをしたのだ。
 輝夜は衝撃を受けた、かつてこれほどまでに理想の人に出会えたことも無かった。
 思えば、自分の理想の人は永琳のような人だったと思い出す。
 そして今、永琳に良く似た、しかも輝夜のストレートど真ん中に当たる人物がステージに現れたのだ。
 輝夜は衝動的に、彼の所へ行って、自分の気持ちを伝えたいと願った。
 輝夜は感情が身体を支配する感覚に陥った。そして、後から来る理性を吹き飛ばした。
 今、私はここで死ぬ気で彼に追いつかないといけないわ!
 そんな事を思いながら、輝夜は人をかき分けてステージに向かっていく。大工たちに追われた事などすっかりと忘れていたのだった。

 紫は上空を見上げてああ、と呟いた。上空で藍と文が戦闘を繰り広げていたのだ。幸い、群衆は目の前の逆美男美女に釘付けで、上空まで意識を持つ事は無かった。
 後で藍にはお仕置きね。
「藍様!」
 橙が叫ぶ。すると、藍は不意にこちらを向いてにこりと微笑んだ。さすが橙の事となると、千里の耳と目を持つんだから、と紫は内心苦笑いだった。
 するとその隙をつかれて、文の攻撃を喰らった。文はきょとんとした様子だった。きっと藍にこんな隙が出来るとは思ってもいなかったのだろう。
「藍様ぁ!」
 橙が再び叫んだ。隣でチルノがぐっと歯を食いしばり、文に向かって突進していった。
「お前のせいで、色んな人が迷惑しているんだ!」
 実を言うと、チルノが『甲』ステージの建設を遅らせた事が、もっと面倒くさい事を引き起こしているなどとは、チルノは微塵も思わなかった。

 ミスティアが突然、ステージの前に立つ。そして司会者からマイクを奪い取り、心の底から叫んだ。
「私の名はミスティアローレライ! 行くよ!」
 驚く霖之助と永琳、それに観客を余所に、ミスティアは歌い始める。
 心をこめて、そして美しい声を出す。会場は、ミスティアの美しい声と、一瞬遅れて阿鼻叫喚の様となった。
 どうよ、皆盲目になるといいわ!
 ミスティアは歌い続ける。彼女は一晩でも歌うつもりだったのだ。

 妹紅は人をかき分けてステージ中央にやってきた。ちょうど文の真下に位置する場所だった。
 藍が一人興奮して文に攻撃を仕掛けてしまった。本当に橙の事となると、節操が無いな、と妹紅は呆れてしまった。
 文の真下にたどり着くと、そこにはぐったりとしたにとり倒れていた。
「お、おい、大丈夫?」
 妹紅がそっとにとりを抱きかかえる。
「ああ、閻魔様……そっちには行きたくないです……」
「おい。おい! 帰ってこい!」
 にとりはだらんと垂れさがった目をしている。妹紅は必死ににとりの身体を揺らした。
「はっ……あれ、ここは?」
「ここはステージよ。あなた、ここでぐったりとしていたじゃない……」
 にとりは辺りを見回すと、そうかここは『乙』ステージか、と呟いた。
「ごめんなさい。ここは気分が悪いからもう少し離れた所で……」
「分かったわ」
 妹紅がにとりの肩を持つ。
 とその瞬間誰かが妹紅の背中を踏んだ。妹紅が後ろを振り返ると、なんと輝夜がそこにいる。そして輝夜は妹紅など目にもかけず、一直線にステージへと向かっていった。
 どうしてこいつがこのステージに居るんだ。というか、昨日、殺し合いをして顔も見たく無かったのに、こんな所で出会うとは。
 そこまで考えて、妹紅の視界が真っ暗になった。
 え、どういう事?
 一瞬の間の後、辺りの人間がパニックになったのを感じた。まずい、と思った時にはにとりを離してしまい、もうにとりを探せなかった。
「一体どうなってるのよお!」
 その声は周りの混乱した人々の叫び声に埋もれていった。

 輝夜は視界が暗くなるのを恐れず、ひたすら前へと進んでいった。人を踏み台にして跳ぶようにステージへと向かう。途中でこけそうになったが、気合で乗り切った。
 私には使命があるんだから!
 輝夜の決意は固い。例えるなら、鋼と言っても言い過ぎでは無かった。

 藍を蹴散らした文は一枚写真を撮った。永琳の写真だ。
「うひょお! 明日の一面はこれで決定です!」
 興奮して次の写真を撮ろうと、カメラをセットする。すると、ステージの真ん中にあの夜雀が出てきた。しかも永琳と重なっているため、文は憤った。
「肝心な時にあの夜雀は……」
 そう思った瞬間、目の前が真っ暗になる。耳には夜雀の歌が聴こえてきた。文はしまった、とそう思った。これでは写真が撮れない。
 くそう、何て使えない私の眼球だ、と文は意味不明に自分の身体の一部を責めた。
 すると横から鈍い衝撃がやってきた。
 文は吹き飛ばされる。目が見えなくなったパニックで、向かってくるチルノの気を読めなかったのだ。そうして、文は自慢のカメラを空中へと放り投げてしまった。
 チルノはというと、急に目が見えなくなった為、どこで文にぶつかるか全く予想できず、思い切り文にぶつかってしまった。しかも、変な格好でぶつかったため、チルノ自身も大きなダメージを受けてしまったのだ。そして、文とともに、地上へと落ちていく。
 文の手からこぼれたカメラは放物線を描いて、ずんずんとステージへと向かっていく。

 舞台裏でも激しい混乱が巻き起こっていた。
「ナズーリン! 私たちの衣装はありますよね?」
「落ち着きなさい、星。あなたが話し掛けているのは私、聖白蓮ですよ」
 そんな中、てゐと鈴仙はじっと動かなかった。
 てゐはじっとその場を動かず、隣に居るであろう鈴仙に話しかける。
「鈴仙、いる?」
「ここにいるわよ。全く、心底驚いたけど、こんな時ほど焦っちゃダメよね」
「あの夜雀、何とか出来ないかな?」
「ううん、難しいかも」
 てゐは地団太を踏んだ。せっかくこの日のために色々と準備をしたのに、あの夜雀の所為で台無しではないか。
 そんな事を思っていると、何か物が当たる音がした。かしゃんと派手な音を立てた後、何かが倒れる音がする。
 その後、再び視力が戻ってきた鈴仙の足元にはカメラが一つ、転がり込んだ。今までここには無かったものだ。
 そして再びステージを見ると、ミスティアが大の字で倒れている。しばらくすると、ミスティアを霊夢と魔理沙がひそかにステージ裏に運んでいった。
 鈴仙はああ、と納得した。たぶん、このカメラがミスティアの頭に当たって、ここに流れて来たんだ。そして気を失ったミスティアは、巫女と魔法使いに連れ去られていった。
 鈴仙は心の底から、ミスティアの無事を祈った。出来れば現世であなたの謝罪を聞きたい、と祈ったのだった。
 すると、輝夜がステージに上ってきた。鈴仙はごくりと唾を飲み込んだ。
 まさか姫様、あの女性に告白する気じゃないでしょうね……ステージの上には霖之助が驚いた様子でそれを見ている。
 てゐも全く同じ顔をして、輝夜の行動の行く末を固唾をのんで見守っていた。

 紫は落ちていく藍、チルノ、文をスキマに落とし、目の前に集合させた。
「もう、どうしてこの子たちは暴走するのかしら……」
 橙が鳴き叫ぶ。
「紫様、藍様とチルノちゃんは無事なんですか?」
「ええ、今ここに持ってくるわ」
 紫がスキマを開くとどさりと三人が落ちてくる。皆、お互いに自滅し合って気を失っていた。
「何でこんなことになったんだろうなあ……」
 紫がぽつりと呟いた。ふと会場の方から歓声が上がる。紫はふとステージの上に視線を向けると、そこにはかつて無いほど、面白い光景が広がっていた。
 あら、あの月のお姫様が告白なんかしちゃって。
 紫は相手の方を見る。どこかで見たような顔だった。八意永林によく似た、別人だろうか。そうメイクが上手すぎて、紫ですら中身の女性の正体を突き止める事は出来なかった。

 目の下にくまが出来た慧音は、本日最後となる報告書に目を通した。内容は夜雀の目くらまし行為についてだった。
 なぜその報告書が最後になるかと言うと、これを最後に慧音はこの本部から姿を消したからである。
 報告書に最後まで目を通さずに、慧音は机を叩いて立ちあがった。
「ふふふ……もう我慢ならん……この阿呆どもめ!」
 慧音は『今太作戦』の破棄をここに宣言した。神経どころか、こいつらは私の堪忍袋にも穴を開けてしまった。
 慧音はもう、怒り狂って思わずハクタクの姿になっていた。祭り本部に居た人間は震えあがって慧音を見ている。
 だが慧音は全くそんな事を気にしなかった。
 こうなったら無かった事にしたやるわ。
 慧音は不気味に笑いつつ、本部を後にする。
 もう許さん。容赦はせんぞ。
 慧音は上空を飛び、騒動の中心である『乙』ステージに向かっていった。
 そうとう、怖い顔をしていたのだろう、この時の慧音を見た人間は口々にこう言った。
「ええ、見ました。空飛ぶ鬼ですよね。本物の般若がでたかと思いましたよ」

 妹紅はぐちゃぐちゃに踏みつぶされた。パニックになった群衆に踏みつけられたのだ。腹を、腕を、背中を蹴られ、妹紅は理不尽な人々の暴力にうんざりした。どいつもこいつも、あの夜雀の所為だと憤る気持ちも、次第に薄れていく。
 そこで不意に視界が開けた。照明に照らされたステージが見える。妹紅は咄嗟ににとりの姿を確認する。だが、にとりはどこかへ消えてしまったのだろうか、その姿は見当たらなかった。
 腕の青あざが痛むのを感じつつ、ステージの上に視線を動かす。すると、そこには何をとち狂ったのか輝夜が立っている。
「あのっ……」
 きいんとマイクのノイズが入った。隣の霖之助が、もうどうにでもしてくれと言わんばかりに呆れた顔をしており、隣の男装している女性は強張った笑顔のまま、棒のように突っ立っていた。
「あの……一目ぼれしました。私と……お付き合いして下さい!」
 輝夜ははっきりと、そして力強く宣言した。
 場が一瞬、しんと静まり返る。
 あいつは何を言っているんだ、と妹紅は思い、そして開いた口がふさがらなかった。
 誰がこんな展開を予想しただろうか。
 もしかして、あいつは輝夜によく似た、別人じゃあないのか。妹紅は心底、そう思いたかった。別人であってほしい。いつも、私にちょっかいを出す輝夜が、あんなに乙女を満喫している事が、なぜか妹紅には腹立たしかった。

「きゃあ、ちょっと、てゐ。聞いた? 姫様が告白したわよお、すごいすごい!」
 鈴仙が興奮した声でそう言った。まるで友人の告白を遠くから見ているような口ぶりだった。
「お気楽だよね、鈴仙は……」
「ちょっとちょっと、しかもこんな群衆の前で、だってあの姫様が、告白って……相手の人はどうするんだろう。あれ、そう言えばあの人って師匠に似ていない? そこに惹かれたのかなあ」
 鈴仙は熱っぽい視線をステージの方へ向けていた。てゐはそんな鈴仙を見て、こいつは話にならんと無視をする事に決めた。
 だが、てゐは鈴仙の最後の言葉に引っかかった。言われてみれば永琳に良く似ている。だけど永琳がこんな大会に自ら進んで出場するだろうか、とも考えた。
 静まり返った会場からは、次の瞬間には歓喜に変わっていた。皆視界が奪われた混乱から、一時騒然となったが、良くも悪くも、輝夜の決死の告白により観客の注意が一点に集められ、無用な混乱を避けたのだった。
 もしかしてこれを狙ったのかなあ、とてゐは考えた。狙っていたなら、私は一生、姫様について行こうとてゐは思う。

 永琳はもう今にも倒れそうだった。この五分ほどの間に永琳の寿命は千年は縮んだんじゃないかと思う程のストレスを受けた。
 輝夜やてゐ、霊夢、魔理沙の姿を見て焦り、目の前が真っ黒になり、さらに視界が開けたと思ったら告白された。
 意味が分からん。
 ましてや輝夜に本気で告白された意味が分からなかった。
 あの目は本気の目だ。しかしなぜ私。
 ここで永琳は考えた。
 パニックになった会場が、輝夜の一言で静まり、そして不必要な混乱は避けられた。今、皆の注目は輝夜と私にある。それに、輝夜はあえて私の名前を伏せて告白した。つまり、私の立場を考えてこの行動に出たのではないか。
 そう考えれば全て辻褄が合う。輝夜は夜雀の陰謀を阻止しようと必死にステージに行こうとした。しかし結果的にそれに間に合わず、最後の手段、つまり自分に注目を集めることで無用な混乱を避けたのだ。
 あの本気の目は、私へのメッセージで、本気で演技をしなさい、という事に違いない。
 永琳はそう考えると目から涙が止まらなかった。
 さすが姫様! 私は私自身の事で精一杯だったのに、姫様はこの会場の皆の事を思っていらっしゃる……
 ちなみに永琳は混乱と興奮からまともな思考が出来ていない事を、ここに記しておく。
「あなたの、勇気ある告白、ありがとうございます」
 永琳はやや大げさにそう返す。
 そのたびに会場は歓声が上がった。
 輝夜は熱い視線を永林に向ける。
「そして私もあなたの告白に、返事をしようと思います……」
 永林も輝夜の目をじっと見て頭の中で台詞を繰り返す。
 分かっていますよ、姫様。ここで私は姫様を迎え入れ、大円団で芝居は終わる。そうして二人でこの場を去って、会場を後にするのですよね。
 永林の頭には霖之助が消えていたが、どうにでもなると思っているようだった。

 にとりは暗闇から抜け出した後、もうどうしようもないくらいの人生の理不尽さについてしばらく考えた。
 工事は進まない、文の喧嘩に巻き込まれ、風になりかけた。そしてこのステージでは混乱した人間にぼこぼこにされた。腹をけられた。腕には大きな痣が出来た。
 今、私は泣いて良いと思う。
 真剣ににとりはそう思った。考えれば考えるほど、今日は最悪の一日ランキング第一位だと思う。しかも歴代の一位ポイントをぶっちぎりで上回っている。
 そしてステージ上では、誰かがふ抜けた愛の告白なんかかましてやがる。
 にとりは次第に怒りがわいてきた。どうして私だけこんな事に巻き込まれなくちゃいけないんだ。周りを見れば二人の成り行きを最後まで見届けようと人々は幸せそうな顔をしている。
 そうか。みんなが不幸に巻き込まれればいいんだ。
 にとりは、ふははと小さく笑った。そうして舞台裏に足を運ぶ。

「私は、あなたの告白を受け入れましょう!」
 輝夜はその言葉を聞いてうれし泣きした。妹紅はその言葉を聞いて、なんだか理不尽な気がした。
 あいつは自分の立場が分かっているのか、と妹紅はそう思う。昔から人の心をいいように操って、自分だけが幸せになろうだなんて、ちょっとそんな話、お天道様が許してもこの藤原妹紅が許さないんだから。
 だったらせめて、嫌がらせをしよう、と妹紅は考えた。
 何がいいかしら、あんまりひどいのは意味が無い。この場でピッタリで、しかも輝夜に強制できそうな罰ゲーム。
 そしてはっと思いついた。
「キスしろお」
 妹紅はそう叫ぶ。すると、周りの群衆も、それに乗っかって、キスコールが始まった。
 輝夜は思いもかけないキスコールに、戸惑いを隠せないようだった。
 相手の女性には悪いが、これも運のつきだと思って、諦めてちょうだい。
 妹紅は意地の悪い笑顔を浮かべにやにやと笑っている。
 

 舞台の機械をいじる機械係は思わぬ展開に唖然としていた。予定を全て変更し、とりあえず照明だけは照らすように指示をした。
 祭りって本当に何があるか分からないなあ、と思いながら、きゅうりを一本かじる。
「あ、にとりさん……」
 舞台裏の機械室ににとりは入ってくる。突然勢いよく扉が開いたため、メンテナンス係の河童がびくっと背中を震わした。
「どうしたんですか? こんな所に……」
 河童は質問するが、にとりは答えない。ただ、その顔は変に笑っていた。まるでお酒を飲んだ後にへろへろ笑っているような、そんな笑顔だった。
「ねえ、この会場は一本の支柱からできているのよね?」
「はい、そうです」
「そして、その支柱を壊すことで会場は簡単に崩壊する……」
「にとりさん?」
河童はそこで異変に気がついた。にとりの目が尋常じゃない上に、なんだかおかしい単語が聞えたからだ。
「にとりさん、一体何をしようと」
「みいんな、壊れればいいのよおおお」
 にとりは厳重にロックされたステージ解体のスイッチを難なく押した。河童は叫んだ。そして急いでその場から離れていった。
 ああ、祭りがにとりさんを壊してしまった。
 河童は、その時のにとりが悪魔に見えたと言う。

「きゃあ、キスですってキス! ああ、姫様、衆人の前でそんなキスなんて……」
 鈴仙は顔を真っ赤にして叫んでいた。てゐはそんな鈴仙を無視して何か裏が揉めている事に気がついた。
「てゐ、ほらもうすぐ、あの二人が、きゃあ、もう見てられないわ」
 そんな事を言いつつ、鈴仙は指の間からしっかりと顔が近づく二人を観察していた。そんな初心な女子中学生じゃあるまいし、とてゐは思う。
 すると突然、ステージが揺れ出した。
 何だ、一体何が起きたんだ。
地震かと思ったその瞬間には、ステージが勢いよく崩壊していた。
「きゃあ」
「うわあ」
 てゐも鈴仙も思わず叫んだ。辺りは再び、混乱が訪れたのだった。

 輝夜はあのキスコールの始まりが妹紅だと気がついた。くそう、そこまでしなくても良いのに、と輝夜は思ったが、観客は次のステップに移りたがっているようだった。
 目の前を見ると、相手の方も少し困った顔をしていた。だが、観客から声がかかる以上、ひけはしない。
 ここは唇に、とフェイントをかけて、ほっぺたにキスをしよう、と輝夜は考えた。
「いいわ。キスするわ」
 輝夜が相手に聞こえ程度の小さな声でそう呟いた。相手は真っ赤になって、そして俯きながら宜しくお願いします、と言った。意外と初心なのかもしれないと輝夜は思った。
 相手が目をつむる。輝夜はゆっくりと顔を近づけていく。そう言えばキスなんていつ以来だろう、と輝夜は考えた。
 思い起こせば、惚れられてばかりで、惚れる事なんて今まで無かったかもしれない。だからだろうか、こんな衆人の前でかあっと頭に血が上ったように告白してしまった。
昔は人を好きになると周りが見えなくなると誰かに言われたが、その時は全く実感がわかなかった。しかし今なら分かる。本当に恋をした時のパワーと言うのは凄まじいと。
いつしか会場の音が小さくなっていく。輝夜は自分が緊張している事に気がついた。
 ああ、私は今緊張しているのね。何だか今日は追いかけまわされてばかりだったけど、終わりよければすべてよし、よね。
輝夜はゆっくりと目を閉じる。そして辺りは最高に静かになった。
 足元が揺れている。緊張で、手も震えている。
 身体全体が揺れている。ちょっと私、しっかりしなさい。こんなに震えていたら、上手くキス出来ないでしょう。輝夜は自分に少しだけ暗示をかけた。
 うわうわ、もうこんなに顔が近い……化粧は少し濃い目だけど、丁寧に塗られ、職人を感じさせるわ。
 そして、輝夜は、頬にキスをする前に、崩れたステージの下敷きになった。

 妹紅は唖然とした。
 ステージが、崩れた。皆下敷きになった。会場は再びパニックになった。そりゃあそうだろう、妹紅としてはテロを疑ったのだ。まさかこれが八雲紫の陰謀か、と頓珍漢な事を考えてしまう程、予想もしなかった事だった。
 ふと後ろを見ると、八雲紫が仰天した顔をしている。どうやらこれは八雲の意思の外で行われたことらしかった。
「と、とにかく救助しないと……」
 だがパニックになった人々にまたももみくちゃにされ、妹紅は前に進めなかった。ああ、あそこに救助者がいるのに。
 私は無力だ、と思いながら妹紅は会場にゆっくりと近づく。
「もう、我慢ならん! あれほど人里では暴れるなと言ったのに、貴様らときたら……全員おとなしくお縄につけえ!」
 凄まじい叫び声とともに慧音が現れた。その顔は般若のように怒り狂っている。妹紅は震えあがった。あんなに切れた慧音は今まで見たことも無い。
「こんな事件、無かった事にしてやるわ!」
 次の瞬間、一部の妖怪以外は今晩の記憶を全て失って、倒れてしまった。あっという間の出来事だった。
 こうして暴力と怒りと、少しの純情が混じったコンテストは姿形どころか、人々の記憶からも消されていったのだった。

 エピローグ
 永遠亭の朝は早い。鈴仙が起きると、日の出が少し過ぎた頃だった。
「ううん……」
 鈴仙は何か身体が重く感じた。昨日、私は買い出しに行って、普通に帰ってきたはずだ。何か筋肉痛になるような事をしたのだろうか。
 鈴仙は記憶をたどってみるが、どうも曖昧だった。何か明るい光が見える。妙に胸がときめく。しかしなぜそう感じるのか全く心当たりが無かった。
「ま、いいか」
 鈴仙は気にしないように、布団を畳み、朝の光を身体に浴びた。清々しい空気が身体に満ちるのを感じた。
 ふと妖怪兎が廊下を通る。輝夜の着替えを運んでいた。
「うん? 何、あの衣装?」
 兎は、まるでこれから催しに出場するかのような、派手な服を着ている。鈴仙はその衣装に釘づけになった。
 これから何か踊るつもりかしら、と訝しんだ。
 兎が見えなくなると、鈴仙はさっと身をひるがえして食卓へと向かった。まあ、兎たちもおしゃれをしたい時もあるわよ、と何となく自分に言い聞かした。
 朝の食卓には既にてゐと永林がいた。おはようございます、と鈴仙が声をかけると、二人とも死んだような声でおはよう、と返した。
「……」
 朝から重い空気が流れる。何だか今日は皆おかしいぞ。
「あの……昨日何かありましたか?」
 二人がびくりと反応する。やはり昨日何かあったのだ。
「実はねえ、私はよく覚えていないんだけど、とにかく昨日の事を思い出そうとすると、気分が悪くなるんだ。あんまり思い出させないでくれよ……」
 てゐがバツが悪そうにそう言った。
 永林も同じく頷く。
「私もよ。とにかく昨日の話はやめてちょうだい……あと姫様は熱で寝込んでいるわ」
 えっと鈴仙は驚いた。あの姫様が寝込むなんて。
「ああ、私はもうごちそうさま……」
 てゐはご飯一杯を口にしただけで、もうお腹がいっぱいだと言う。本当に体調が悪いのだな、と鈴仙は思う。
「……そう言えば、今日人里でお祭りがあるそうですけど」
 ふと思い出して、鈴仙がそう言うと、最後まで言わないうちに二人から反論が返ってくる。
「絶対に行かない」
「絶対に興味無いから」
 はあっと鈴仙は溜め息をついた。分かっていた事だが、こうも二人に反対されると、行く気も無くなるというものだ。
 鈴仙はてゐの食器を台所へ持っていく。銀のたらいには水が張っていたが、それを全て捨てて新しい水に入れ替える。
 今日も一日、元気に過ごせると良いなあ、と思った所で、鈴仙はデジャヴに襲われた。昨日もそんな事を言っていたような……
 水は勢いよく、タライの中を満たしていった。

「ありがとうございました」
 慧音が八雲紫に頭を下げていた。
「いいえ、今晩の事は、私たちも責任がありますら」
 結局昨日の大参事は紫の力を借りて事なきを得た。慧音の力と紫の力で、この事を知る者は、この二人しかいなくなったのだ。
「なぜあんな事になったのか、私には皆目見当もつきませんが……」
 慧音がぐったりとしてそう言った。紫も大きくうなずいた。
「それは私にも分かりません。ただ、こう言った出来ごとはまるでドミノ倒しのように続いて行くものです。人と言うドミノがある限り、どこまでも倒れていきますから。私たちはそれをくい止めたようで、もう次のドミノを倒してしまっているのですよ」
 紫がそう言うと、慧音は苦笑いをして、そうかもしれません、と同意した。
「次のドミノはどこから倒れるのでしょうかね」
 慧音が尋ねると、紫は首を振って
「それこそ、神のみぞ知る、と言う所です」
 そう答えた。

 朝起きた時、鈴仙は気がつかなかったが、鈴仙の部屋には文の落した、壊れたカメラが置いてある。いくら慧音が歴史を変えた所で、物理的なカメラの写真を変えられるかどうかまでは分からない。そして、鈴仙が何かの拍子に、そのカメラに気がつき、興味本位でそのカメラに入ったフィルムの写真を現像すると、そこには驚愕のシーンが撮られているはずだ。このカメラを、鈴仙が手にとってゴミ箱に捨てるならば、ここのドミノは一生倒れる事は無いだろう。だが、このフィルムが、次のドミノを倒すきっかけとなる事は間違いない。
 はたして、鈴仙はこのフィルムに気がつくのか、それとも別の誰かがフィルムを見つけるのか、それを知る者は、神のみである。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。これでおしまいです。一人で三つも投稿して申し訳ありません。本来なら一つにしたいところなのですが、この分量を一つにすると読みにくいんじゃないか、と判断いたしました。
最後はドタバタして、わかりにくかったかもしれませんが……
感想などいただけるとありがたいです。
suke
kabutomushi0715@yahoo.co.jp
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コメント



0.880簡易評価
7.100名前が無い程度の能力削除
こういう多くのエレメントが絡み合った作品が大好きです(´ι_` )うん。よかった
9.20名前が無い程度の能力削除
大作、お疲れ様です。

でも…結局、この話は何がしたかったんでしょう。
このお話の後、いったい何が残ったんでしょう。
てゐを始め、祭りのために努力していた人々の想いはどうなるんでしょう。
騒ぎの元凶たるチルノや紫に比べ、騒ぎに巻き込まれた側が不当に大変な思いをしているような感じを受け、
あまり後味が良くないように思います。

ドタバタ喜劇を描こうとしたのかもしれませんが、
喜劇というにはギャグが弱く、ドタバタというには収拾の付け方に爽快感がない。
登場人物の口調も安定していませんし、違和感もあります。
永夜組を中心としたタグのわりに、内容はというと特にそれほどでもありません。
むしろ、藍や紫などの描写に力を割いているような印象を受けました。

多数のキャラが縦横に錯綜するお話の展開そのものは良かっただけに、
いろいろと惜しいところが多かったのが残念です。

このような登場人物が多い作品は勢力図のバランスをとるのが難しいと思いますが、
ぜひともまた新しい作品にチャレンジしてくれるのを楽しみにしています。
16.90名前が無い程度の能力削除
いやはや、題名のごとく話がこんがらがっていくのが面白かった。
すこし、キャラごとの台詞に揺れが生じてましたが、それを差し引いても面白かったです。
次の作品を、楽しみにしています。
17.70名前が無い程度の能力削除
面白かったけどゴチャゴチャしすぎかなー
18.80名前が無い程度の能力削除
ただのなかったことオチとは違う風に練られていて良かったが、喜劇を書きたいなら落としどころが中途半端だったところと、口調が安定していないかとが不満でした。
前中編がとてもサクサク読めて面白かった分残念です。
次作も期待してます

あと、個人的趣向ですが、姫と永琳のその後をもうちょい見たかったww
23.90名前が無い程度の能力削除
おもしろかったです。
恩田氏のドミノに似ている気がしたのは私だけかな?w
良い作品を読ませていただきました
24.70名前が無い程度の能力削除
全体的には面白かったです。それぞれのエピソードに引き込まれる部分がありました。
ただそれらが面白かった分オチの弱さを感じてしまいました。
25.100ずわいがに削除
途中、どうなることかとマジはらはらしましたよ。
時にはブラウザバックしかけるぐらい気に入らない場面もあって胃が痛くなりました。
が、最後まで読み終えてのこのスッキリ感は「終わり良ければ全て良し」ということでしょうか。今は胃も心も解放された気分です。
最後は怒涛のドミノ崩し、という感じで面白かったです。執筆お疲れ様でした。