Coolier - 新生・東方創想話

ドミノ・パニック(前)

2010/02/22 06:10:10
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鈴仙はいつもの制服に着替えて朝ごはんを食べるために、リビングへと向かう。途中で大量の服を抱えた兎たちにすれ違う。
 きっと、うちの姫様のものなのだろう、と鈴仙は思った。昨日は妹紅と決闘をしていたから心当たりがありすぎる。
「あ、おはよう」
 リビングに入って、軽やかな笑顔であいさつを交わしたのは、鈴仙の師匠である、八意永琳だ。
「おはようございます。師匠」
 永琳の横から因幡てゐが声をかける。
「おはよう。鈴仙、今日は味噌汁でいいかな?」
 てゐはそう言いながら、茶碗に炊きたての白いご飯をなみなみと盛った。たぶん、味噌汁以外の選択肢は無いのだろう、と鈴仙は思った。
「コーンスープがいい」
 席に座りながら、一応反抗してみる。そして、てゐは白いご飯と大根のみそ汁を鈴仙の前に突き出して
「コーンが欲しけりゃ、コーン缶詰開けるけど? 味噌汁に入れてやろうか? ほら、これでも立派なコーンスープだ」
 などと言った。選択肢が最初から無いのはいつもの事だった。
「うそよ。いらない。姫様はまだ起きてこないの?」
「昨晩、えらく頑張っていたらしくてね。それこそ、底なし沼の底で戦ってきたんじゃないかってくらいにぼろぼろだった」
 てゐの代わりに永琳が真っ白いご飯を口に運びつつ言った。相変わらずよく分かりにくい例えだった。
「ああ、じゃあ今日は機嫌悪そうだ。気をつけよう」
 鈴仙は面倒くさそうに呟いた。永琳も同意する。
「そうね。本当にそう」
 そんな事を言っていると、どこからともなく姫様こと、蓬莱山輝夜がぬっそりと現れた。目は半分ほどしか開いておらず、歩き方もだらしない。口にはその美しい髪を二、三本くわえていた。
「おはようございます。姫様」
「……」
 返事は無い。低血圧は蓬莱の薬でも治らないらしい。輝夜は黙ったまま席に着くと、てゐが何も言わずにご飯とみそ汁を差し出した。そうして、てゐが席に着いた所で、永琳が話し始める。
「ねえ、鈴仙。昨日運ばれてきた患者の血液サンプル取ってる?」
「はい。一応、止血剤投与して、冷蔵庫で保存しています」
「よろしい。じゃあ、後は薬の訪問販売ね。てゐと鈴仙の二人で行ってくれないかしら?」
 てゐは露骨に嫌そうな顔をしたが、すぐに真顔になって反論する。
「今日は兎たちの機嫌がよくない。ここ最近、いろんな事にこき使われて不満が溜まってるんです。だから、今日は兎たちを休ませてもらえませんかねえ」
 永琳は何か反論しようとしたが、すかさず鈴仙がてゐに助太刀する。
「薬は一週間後に運ぶってことで良いんじゃないでしょうか。私も今日、用事があって時間に余裕がありませんし」
 実は鈴仙も、今日薬を売りにいく事があまり乗り気では無かった。しかも、その用事というのも永琳が取りつけた約束なのだから、という圧力を目で訴えた。
「……しょうがないわね。じゃあ、今日は無し」
 永琳がそう言うと、てゐはにやりと笑った。
「ありがとうございます。あ、明日の食事当番は鈴仙頼むよ」
「何で?」
「今日は夜出かけるから。ほらさっきも言ったろう。兎たちがさ」
 箸で出汁のきいた卵焼きをつつきながら、てゐが頼みごとをする。
「まあ、明日だけならね。今週は本当はてゐの担当なんだから」
「分かっているよ。いや、ありがとね」
 しかし鈴仙は、多分こうやって今週も自分が朝ごはんを作るはめになるのだな、と内心諦めていた。
 今に始まった事じゃない。
「ああ、そうだ、イナバ」
 輝夜が重苦しい声で鈴仙を呼ぶ。昨日の疲れが残っているのだろう。
「はい。なんでしょうか?」
「あれ、あの、ほら、昨日……」
「服ですか? それなら兎たちが運んでいましたけど」
「違うわよ。そうじゃなくて……なんだっけな、ああ、そうだ思い出した。ほら、昨日怪我して運ばれてきた男がいるじゃない」
「ええっと、はい、いました」
 輝夜は静かに箸を置いて、熱い味噌汁のお蔭でようやく血色が戻ってきた顔をほころばせた。
「そいつ、妹紅が連れてきたんでしょ。そいつに御礼って言って爆弾入りのお菓子を持たせて、妹紅に差し向けるのよ。それでね……」
「もう姫様、悪趣味ですよ。まったく、心にもない事を」
「何よ、連れないわね。言ってみただけよ」
 輝夜はそれだけを言ってまた箸を握る。黙って座っているだけなら、鈴仙だって惚れこむほどの美貌を持つこのお姫様は、口を開けば宇宙人らしい、突飛もない事を口走る。
 さきほどの話題も、冗談半分で言ったのだろう、と鈴仙は思った。
「さて仕事に行きますか」
 永琳が席をはずす。それに続くように鈴仙がごちそうさまと言って立ちあがった。
「おおい、せめて水につけといてよ」
「分かったわ」
 鈴仙は永琳の分と自分の分の食器を持って、台所に向かう。蛇口をひねると、冷たい水が勢いよく流れ出た。
 小さなタライに水を張る。食器をそこに浸しながら、鈴仙は今日一日の平穏を願ったのだった。

「今日、薬を売らないのなら午後は休診ね。でも買い出しは行ってもらうわよ」
 永琳は薬を調合しながら、鈴仙に頼みごとをする。鈴仙は永琳から、メモ用紙を受け取り、中身はざっと確認する。
「この紙に書いた物で良いんですか?」
「そう。今週はそれだけ」
 紙に書かれた食材や消耗品を眺めつつ、鈴仙は随分と少ない量だなと思った。
「先週って、そんなに切り詰めましたっけ?」
「さあ、あんまりてゐがいなかったからじゃない? 兎たちと夜な夜などこかへ遊びに行っていたようだし」
「知っていたんですね」
「たまたま、ね。夜中にトイレへ行こうとしたら、見かけて」
「ふうん……まあ、多分大した事じゃないと思いますよ」
 鈴仙は小さめの籠を背負い、それでは行ってきます、と永琳に声をかけた。
「気をつけて、行ってらっしゃい」

「さて……」
 輝夜は出掛けて行った鈴仙を見届け、鈴仙の部屋に侵入する。そしてタンスから鈴仙の服を引っ張り出した。
 はらりと自分の服を脱ぎ、急いで白いシャツを身につける。スカートの丈をそろえ、髪をまとめ、ポニーテールのようにしあげた。自分の服を丁寧にたたみ、そっと鈴仙の部屋から出る。部屋には服を借りる旨を書いたメモを残しておく。
「さあ、出かけますか」
 輝夜は自分の部屋に服を置くと、迷いの竹林へと踏み出した。
 輝夜のひそかな趣味である。一カ月に一回程度、永遠亭を抜け出して、町へ遊びに行くのだ。鈴仙以外の者はこの事を知らない。ばれないように、わざわざ鈴仙の服を借りていくのだから。
 お金がある程度溜まると、こっそりと町へ買い物に行く。実にけなげな趣味だと、輝夜は思っていた。
 そう言えば、今日はお祭りがあるじゃないか。何か楽しそうな事がありそうだ。
 輝夜が迷いなく、ざくざくと歩を進める。その顔はとても楽しそうな笑顔だった。

 永琳は午前中の回診を終え、しばしの休憩をとっていた。お茶を湯呑に注ぎつつ、午前に診察を受けに来ていた男の話をゆっくりと頭の中で反芻させる。
「永琳さん、祭りに参加なされてはいかがですか?」
「祭りですか?」
 男はここに昨日運ばれてきたけが人の付き添い人だった。その男いわく、けが人は今日行われる祭りの、あるイベントに参加する予定だったのだが、この怪我でそれが取り消されてしまったらしい。
「こいつの代わり、といってはなんですけど、出場されてみてはいかがですか?」
「何のイベントですか?」
 男はにやりと笑って答える。
「男装コンテスト、ですよ」
「男装? 男の衣装を着るってことですか?」
「ええ、そう言う事です。毎年、女装コンテストと共に開催されるんですけどね。毎年商店街の店主やらが、その店の看板娘、息子をお披露目して店の宣伝にしたり、本当に、純粋に美を極めようとする者たちが切磋琢磨して祭りを盛り上げるんです。これが毎年好評なんですけど」
 永琳はそこまで話を聞いて、疑問を感じた。
「では昨日運ばれてきた大けがを負った男性は、女性の方なのですか?」
「はい。私の妹です。こいつは毎年優勝候補に挙げられるほどで、整ったキレイな顔をしている。今年は、もうこの怪我で出場できませんけど。そこで代わり、というかこの永遠亭の代表として、永琳さん、あなたが出場してみませんか?」
「なるほど……」
 永琳は男の目を見る。この男は一体何をたくらんでいるのだろうか。
「なぜ、私を推薦するのですか?」
「私は、舞台役者などのメイクをしている者でして、まあ卑しい話をすれば、私のメイクのお披露目、という意味もあります。でも、私はそれだけで永琳さんにお話をしたわけじゃありません。一つ、私は純粋に永琳さんの美しさにほれ込んで、このお話を持ちかけました。永琳さんの美貌と私のメイク術を持ってすれば、この大会、必ず優勝できるに違いありません。そして二つ、いつも尽くしてくれている妹のために、私は優勝賞金が欲しいのです。私のせいで、妹は苦労の多い人生を歩ませてきました。だから、このお金を手に入れ、妹を楽にさせてあげたいのです。これは妹には言ってはいけませんよ」
 目を輝かせ熱く語る男に永琳は圧倒された。しかし、男の指先を見ると、しっかりと綺麗に手入れされた爪が見え、その指先は一本一本の皺が優しく指を覆い、美しい色合いを呈している。永琳は長い間に、様々な人々を見てきたが、職人と呼ばれるものたちの目や指、肉体には他の誰とも違う、輝きがある事を知っている。
 多分、この男は本物だろう、と永琳は確信した。
「しかし、エントリーと異なる私が出場しても良いのですか?」
「私が何とか話を通します。ですから是非、お願いします」
 男が頭を下げる。
「……即答はできません。そうですね、そのコンテストはいつ行われるのですか?」
「20時ごろですね」
「分かりました。午前の回診が終わった頃に返事を兎に手渡して、送ります。それで間に合いますか?」
「はい。よろしくお願いします」
 男は嬉しそうにそう言うと、丁寧にお辞儀をして診察室から出て行った。
 そして今の今まで、永琳は時間一杯悩んだが、まだ答えは出ていなかった。
 私のような者が、人間の祭りなどに出場していいのだろうか。あくまで従者は従者であらねばならない。姫様を差し置いて、勝手出しゃばるなど。しかも、男装コンテストである。少し怪しい匂いがしないわけでもなかった。
 しかし、男の言葉も嬉しかった。月の賢者と言えど、心の底から美しい、と言われて喜ばずにはいられない。
「どうしようかしら……」
 そんな事を考えていると、再び診察室を叩く音がした。入ってきたのは、あの怪我をした女だった。
「あら、怪我は痛みませんか? あまり動きまわっては……」
 女は永琳の話を遮った。
「永琳さん、兄から話は聞きました。どうか私の代わりに出場してはくれませんか?」
 その女はいきなり頭を下げて、永琳にお願いをする。
「いきなりですねえ。なぜ、そうまでしてあなた達は私に出場して欲しいと?」
 永琳がそう尋ねると、女は重い口を開くかのようにぽつぽつと話し始めた。
「……兄には夢があります。それはこの世界一のメイク師になる事です。そのためにはたくさんの仕事を貰わなければいけません。兄はほとんど独学でこのメイク術を編み出したのですが、それがなかなか世間に認知されませんでした。だから、この大会で優勝して、兄のメイクの素晴らしさを一人でも多くの人の知ってもらおうと、考えていたのです。私は、どうしても兄の夢をかなえてあげたい。だから……」
 そこまで言って、女は黙ってしまった。
 永琳としては、もうこの話を断る道理など無かった。
 お互いに信頼し合うこの兄妹に、自分がしてやれる事は一つしかないだろう。
 姫さまだって、出場しなさい、と言うはずだから。
「……分かりました。是非出場させていただきましょう」
 女は一瞬驚いた後、嬉しそうに顔をほころばせ、ありがとうございます、と何回もお礼をした。
 女が部屋を出て行った後に、永琳は早速兎に手紙を持たせ、男の所に遣わせた。
「今夜の晩御飯は、要らないわね」
 また食材が余るな、と永琳は溜め息をつく。

 てゐは食事が終わるとこっそりと永遠亭を抜け出した。竹林の中を、辺りに注意しながら慎重に進んでいく。
 しばらく歩くと、視界が広がりぽっかりと空いた空間が現れた。そこだけ、竹がきれいに切り取られ、広場のようになっている。そこには妖怪兎たちが十匹ほど座ってくつろいでいた。
「やあ、皆。始めるよ」
 てゐの掛け声とともに、兎たちがすっくと立ち上がる。一匹がラジカセにスイッチを入れる。プリズムリバー三姉妹演奏による、激しい曲が竹林に響く。
「はい! はい! そこ、ちょっとタイミングずれたよ!」
 てゐが掛け声とともに、兎たちを指揮する。兎たちも激しい曲に合わせ、腕を曲げ、腰を振り、身体いっぱいを使って踊っている。
 そう、ダンスをしているのである。
 てゐが人里で開催されるダンス大会を知ったのは偶然だった。そして、てゐは何となく出場してみたくなった。
 たぶん、プリズムリバー三姉妹やアリスのように、自分たちも人里で何か、芸を披露したいと思っていたのかもしれない。
 その話を兎たちにすると、皆がその話に乗ってくれた。
「たまには、人里で芸を披露したいよね」
「でも永遠亭の仕事、どうするの?」
「それは私が何とかする。それに、師匠や姫様に見つかると、面倒くさいからこれは内緒だ」
 こうしてトントン拍子に話は進み、兎たちでダンスをする事になった。
 今日のために皆努力した。時には仲間割れをして、脱落しそうになった事もあった。怪我をして出場できなくなり悔し涙を飲んだ仲間もいた。あまり踊りがうまくない兎のために、皆で雨の中、踊り明かした事もあった。
 練習の後、皆で飲んだラムネの味は忘れられなかった。
 自分には皆をまとめる才能が無いんじゃないかと、ひとりたそがれていた夜に、兎たちが皆で励ましてくれた夜は最高だった。
 まさに、青春。泥臭い、充実した一カ月。
そして、物語はいよいよクライマックスである。
今日の踊りも完ぺきだ。
「よし。皆、今日の夜に私たちは大会に出場する! 出来る事はやった、苦しい練習も乗り越えた。さあ、あとは本番だけだ! 最後まで楽しく踊ろう! 行くぞお!」
「おお!」
 いよいよ、今夜。てゐの胸は熱くなる。

 鈴仙が人里へ行くと、祭りの準備をしているらしく至る所で工事が行われていた。結構大きい祭りなのか、里全体でこうした工事が行われている。
 里には真ん中を貫く一本の大通りがある。人や車の移動も多く、脇には様々な店が立ち並んでいる。
「へえ……今夜から開催か。私も少しだけ行ってみたいけど……」
 鈴仙ははあっと溜め息をつく。そんな事はきっと永琳が許さないだろう。明日もきっちりと、八意医院は開業する。それに今夜はてゐに押し付けられた晩御飯係もある。
「せめて、買い出しが明日だったらよかったのに」
 ぽろりと本音が出る。
 鈴仙が目についた八百屋で頼まれた野菜を選んでいると、不意に声をかけられた。
「あら、あなた永遠亭の所の兎?」
 鈴仙が振り返ると、そこには慧音の姿があった。買い物の途中なのか、大きな袋を持っている。
「ああ、お久しぶりです。日ごろ姫様がご迷惑をおかけして申し訳ないです」
「いやいやいいんだ。私はどうって事は無い。まあ妹紅が聞いたら怒りそうではあるが」
 鈴仙がお辞儀をすると、慧音は気にするな、と笑った。お互いに知らぬ仲ではない。
「そういえば今日は大きな祭りがあるんですねえ。まったく知りませんでした」
「まあな。この一年では最も大きな祭りだから、皆も気合が入っているわけ。けれど今年は妖怪たちによる、コンサートも行われるから、警備だけはしっかりとして欲しいもんだ」
 慧音が複雑そうな表情をする。嬉しさと心配半分ずつ、と言ったところだろうか。
「分からなくは無いですね。こんな祭りの日には、何が起きても不思議じゃない。偶然に偶然が重なり、とんでもない事が起きることだってある」
「そう、それだ。全く、警備をする身にもなって欲しいな」
「あれ、慧音さんは里の外で待機ってわけですか?」
 鈴仙が意外そうに声をあげると、慧音はうんざりしたような顔でそうだよ、と言った。
「妖怪と人間が入り乱れる祭りの警備ほど、胃にくる物は無い。この二日間はあなたの所の薬を使わせてもらうよ」
「ありがとうございます」
 鈴仙が笑うと、慧音も静かに笑う。その後も二人は立場を忘れて、色々な話をした。そうして一通り話し終えた後、慧音は手を振りながら、鈴仙と別れる。何だかんだ言っても、慧音は人間を守る事にしっかりとした忠義を持っているようだった。
「さあ、買い物の続きを……うん?」
 鈴仙がふと横を向くと、妖怪兎が裏通りへ消えていく姿が目に入った。祭りの陽気に誘われてきたのか、それとも悪戯をしにわざわざ人里へ降りてきたのか。いずれにしても、珍しい光景だった。
「変ねえ、こんな所まで遊びに行くのかしら?」
 不思議に思った鈴仙は、何となくその妖怪兎を追い掛けてみたくなった。もしかしたらてゐが何かをしようと企んでいるのかもしれない。
 八百屋の主人にお金を払うと、袋を担いだまま、裏通りへとでた。右か左か、どっちか。
 そんな時はさきほどの兎の波長を追う。鈴仙からすれば、そうたいした労力ではない。
「……こっちね」
 踵を返し、暗い裏通りを右に進む。祭りの陽気に当てられているのは私も一緒かしら、と鈴仙は思った。

 チルノは森の様子がおかしい事に気がついた。何者かが、この森に侵入してきたのだ。だが、そこには悪意が感じられず、野良猫が、ちょっと庭を通らせていただきますよ、と言って他人の庭に侵入するような、穏やかな雰囲気なのだ。
 森の中、といっても随分と端の方だったが、チルノは面白半分でその侵入者の所へと向かう。途中で目についたカエルを何匹か氷らしながら、呑気に向かう。
 現場に着くと、そこにはたくさんの河童がいた。この辺りではあまり見慣れない妖怪である。
 じっと様子を見ていると、どうやら木材を切り出しているらしかった。なぜ、妖怪の山で切り出さなかったのか、その理由は分からなかったが、とにかくチルノとしては、何か面白い事になりそうだ、と思ったのだった。
 ゆっくりと近づいて、河童達の会話を盗み聞きする。
「人里の祭りのために、こんな所まで木材を調達とはね」
「仕方ないよ。妖怪の山の木を切り出すと、天狗がうるさいからね」
 チルノは祭りという単語に胸が躍る。楽しそうなイベントだと思った。
 しかし、人里の周りは見張りがおり、やすやすとは中には入れないだろう。
 そこでチルノは少し考えた。うまく人里に入るためにはどうすればいいか。
 本気で祭りに参加したいがために、チルノは本気で考えたのだ。
 そうして何時間か経った後、チルノが出した結論は、あの木と一緒に入ればいい、という考えだった。
 チルノは急いで、木材がたくさん積まれている場所を探す。トラックのような乗り物の上にたくさんの木材が積まれているのを発見したチルノは嬉々としてそこに紛れ込んだ。身体が比較的小さいチルノにとって、木と木の間にもぐりこむ事はそんなに難しい事ではなかった。
「あたいったら天才ね!」
 そうしてチルノはじっと出発するのを待っていたが、次第に眠くなってきた。普段から活発に動くチルノは、じっと一か所に止まっていると、眠くなる癖があったのだ。
 舟をこぎ始め、とろんとした目をしながら、チルノは祭りになったら何を買おうかを楽しく考えていた。
 ちなみに、チルノはお金を持っていない。計画性の無さは、やはりチルノらしかったと言える。
 そうしてぐっすりと眠ってしまった。折よく、トラックが動き始め、チルノを載せた木材が人里へと運びこまれたのだった。
 チルノが目を覚ました時、トラックはもう、人里へと入っていた。周りの雰囲気をすばやく察知したチルノは自分が人里に入った事に気が付き、大喜びした。
 やった、あたいもやれば出来るじゃない!
勢い余って、周りの木材をカチンこちんに氷らせてしまったが、チルノは全くお構いなしだった。トラックから降りて、無警戒に町へと出かけていく。
 ちなみにこの日、人里では妖怪に対する警戒が解かれ、だれでも出入り可能になっていた。もちろん、慧音率いる警備班が鋭く目を光らせてはいるが、基本的には誰でも自由に入場できたのである。そうでなければ、チルノは人の目に留まった瞬間に、追い出されるだろう。
入ることで精いっぱいだったチルノは、そんな事まで頭が回らなかったのかもしれない。
 はしゃいで、街中を駆け巡るチルノは、色んな人にぶつかりながら、いろんな所を見て回った。そのうち、祭りは夜からだと気が付き始め、ちょっぴり気を落としたが、遅刻するよりはましだ、と前向きにとらえた。
 チルノは近くの団子屋『わさんぼん』で、少し休憩をとる。中から店主が現れ、訝しげにチルノを見た。チルノは団子を注文して、得意げに、さきほど道端で拾ったキレイな金属を店主に見せた。それは百円玉だった。
「なんだ、金持ってたのかい」
 店主は急に笑顔になって、団子を作り始める。
 チルノは金の価値など分からなかったが、どうやらこれがあれば、食べ物が貰えるらしい、ということが分かった。
 けど、この人間にこのすごくキレイな金属はあげたくないなあ。
 チルノはしばらく考えて、ポケットから五円玉を取り出す。
 うん、この少しキレイな金属でいいや。これをあげよう。
 そんな事を、チルノは考えていた。空を見上げると、ちゅんちゅんと雀が鳴いていた。

 青空が広がる。雲は一つも無い。夜は絶好の祭り日和となるだろうな、と輝夜は思う。
「なんでこんな事になったんだろう……」
 輝夜は溜め息をついた。心底、というように長く細々とした息が漏れ出る。
 今、輝夜は弁当を買いに行かされていた。
 姫である自分が弁当など、と輝夜は思ったが、どう考えても自分に全ての非があったのだから、これはまあ妥当な処罰なのかもしれない。
 話はこうである。
 大通りの西側の方をうろうろと歩いていた輝夜は、一際大きな舞台に目を引かれた。未完成ではあったが、かなり大きくまた、ステージの仕掛けだろうか、機械の類も設置されている。名前は決められていないのか、『甲』のステージ、とだけ書かれている。何かの催しをこのステージで行うのだろう。辺りには人だかりができており、皆が興味深そうにそれを眺めていた。
 輝夜も後ろから、ぼうっとそのステージを眺めていると、輝夜は良い様の無い悪寒に晒された。
 誰かが、私のお尻を……触った!
 実際に触られたお尻がひやりと冷えるのを感じた。すごく冷たい手だとも思った。
 とっさに後ろを振り返りそのまま平手打ちをする。理性が身体を支配する前に、自然に手が出てしまったのだ。そしてそこには、男が一人立っており、その男は不運にも、平手打ちを食らって倒れてしまった。
「うわっ!」
「あっ……」
 輝夜はしまった、と心の中で思った。いくら触られたとはいえ、人を叩いてしまった。一瞬にして肝が冷え顔から血の気が引いた。
 男は両手の荷物を盛大にぶちまけて、倒れた。周りにいた人だかりが何かあったのかと興味深そうにこちらを見ている。
「ご、ごめんなさい」
 輝夜は必死に、男の荷物をかき集める。中に入っていたのは、弁当だった。
「いたたた……ああ、いいですよいいですよ。すいません」
 男も場を収集すべく、ばらまかれた弁当をかき集め、そそくさとその場を去った。輝夜もその男を追う。このまま帰るのは後味が悪すぎた。
「待って、待って下さい。あの……このお弁当、弁償させてください……」
 輝夜がそう言うと、男は困ったような顔をした。
「弁償ってもね。これは僕が食べるのじゃあないし……とりあえず、親方に話を通さないと……」
 男は少しだけ青ざめた様子でそう言った。何かに脅えているようだった。
「分かりました。この責任は私にあります。その親方さんに、謝らせていただきますわ」
 輝夜はそう言うと、男に親方なる人物に案内するように頼んだ。男は、最初は渋っていたが、輝夜がどうしても、と頑固に言い張ったので輝夜を案内した。
 案内された場所はさきほどの舞台の裏だった。現場には大勢の大工が一生懸命、のこぎりやら釘やらを打つ音が聞こえる。どうやら親方というのは大工の頭領らしい。
 輝夜は少し拍子抜けした。もう少し、ブラックな方たちだと思っていたけれどそうではないらしい。
「遅いぞ。いつまで飯待たせる気……ん?」
 頭領らしき人物がこちらを振り返る。丸く剃った頭に、隆々とした筋肉が、肩から背中にかけて張っている。腕も太く、口の周りの無精ひげが威圧感を出していた。親方、と呼ばれるのにふさわしい雰囲気をまとった男だった。
 しかし輝夜はそんな事に全く物おじせずに、事の経緯を話し丁寧に謝った。むしろ、輝夜の隣にいた男の方が縮こまっていて傍から見ると滑稽だったように思えた。
「事情は分かったが……俺らはもう午前から飲まず食わずで働いてんだ。金だけ払うってのもなあ」
「ではどうしろと?」
 背筋をぴんと伸ばし、輝夜がはきはきと物を言う。それを見た親方がにやりと笑う。
「あんた、こんなキレイな顔立ちしているのに、随分と肝っ玉が座っているねえ。よしその肝の据わり方に免じて、金はいいよ。ただ、お使いに行ってくれや。うん、その方が俺は良い」
 輝夜は呆れた。この頭領、何だか変な趣味を持っているのではないか。
「あんたみたいなこんな可愛い奴にお使いを頼むなんざ、俺には一生かかっても得られない事のような気がするんだ。何となくだがね。まあそう言うわけで、一丁よろしく頼むよ」
 親方は軽快にそう言うと、お金を輝夜に渡して、場所を言った。
 これぐらいなら楽勝ね。そんな気持ちで輝夜はお金を受け取った。
「では行ってきます」
 輝夜がそう言うと、親方がどすの利いた声で叫んだ。
「次にへまをしたら、今度は身体で支払ってもらうよ」
 冗談のつもりだったのだろう、親方はその後ふはは、と笑っていた。
 しかしそれを聞いた輝夜の背中には鳥肌が立った。
 相手は腹をすかした獣だという認識を、忘れてはいけないな、と思ったのだ。
 そして現在、そのお弁当を買ったばかりである。まだ日は高く昇っていたが、さっさと届けて自由になりたい。
 それにしてもこの自分が誰かの買い出しなど、よくやる気になった物だ、と輝夜は思った。天地がひっくり返ったら、或いはそうなるかもしれないと昔は思っていたが、いつのまにか自分の中で天地はひっくり返っていたようだった。
 蓬莱の薬でも、変化する物はあるのだなあ、と輝夜は両手に弁当の重さを感じつつしみじみと思う。
 通りは人が少ない。出ている人は皆、出店の準備に忙しそうだった。祭りの準備前ほど、胸が高鳴る事は無い。輝夜は辺りを見回しながら、なめる様にゆっくりと歩いて行った。
 しばらく歩くと、騒がしい声が聞こえた。前を見ると、人里では珍しい妖精の姿があった。輝夜が近づき、耳をすませるとどうやらお金の勘定の事で揉めているらしい。
「あたいはちゃんと払ったよ! 嘘を言っているのはお前だ!」
「お嬢ちゃん、これは五円だ。勘定は百円なんだけど……」
 どうやら妖精の方が駄々をこねているらしい。あまり頭がよくないのか、妖精の方は全額払ったと言わんばかりに堂々と喚いていた。店主も、力ある妖精に対して強気に出れないようだった。
 輝夜から見れば、金を払わない妖精も、妖精と分かって団子を振舞った店主も同じように滑稽に見えた。
 見ていられないな、と思うと輝夜の身体は自然と団子屋の方へむけられた。
「ごめんなさい、そのお金、私が払いますから」
 輝夜は団子屋に足を向け、そう言いながら財布から百円をだす。思わぬ助っ人に店主の顔はほっと安堵し、妖精は呆気にとられた顔をしていた。
「じゃあ」
 輝夜は金だけ払うと、さっさと背を向ける。すると、妖精が声をかけてきた。
「ちょっとちょっと、あんた一体何者よ!」
「私は通りすがりの一般人よ。それよりも、あんた店の前ではしゃぐと迷惑でしょう? ここは人里なんだからもう少し大人しくしなさいよ」
 輝夜が叱りつけると、妖精は少しだけ困ったような顔をしていた。叱られる事に慣れていないのだろう。
「……ごめんなさい」
 素直に謝る妖精を見て、輝夜は何だか胸が温かくなった。謙虚で素直な妖精の姿は輝夜の母性本能を揺り動かすのに十分な破壊力があった。
「私は輝夜。あなたの名前は?」
「チルノ。私はチルノ」
 妖精はにこりと笑い、自己紹介をした。

「じゃあチルノちゃんは、このお祭りに参加したくて?」
「そう、けど少し早く着いたから、団子屋で暇つぶしてたわけ。運よくお金も拾ったし」
 輝夜はチルノを引き連れて、先ほどの舞台裏へと戻ってきた。チルノと他愛のない話をしながら、ここまで来たのだが、舞台裏に行くとどうやら様子がおかしい事に気がついた。
「あら? 何かあったのかしら?」
 輝夜が不思議そうに中を覗き込むと、現場は騒然としていた。何か問題が発生したのだろうか。
「あの、お弁当持ってきたんですけど……」
 輝夜が恐る恐る近くにいた大工に声をかけた。大工は輝夜の方を一瞥した後、親方ぁと声を張り上げた。
「お客さんですよ」
「悪い悪い、弁当ありがとよ」
 弁当の入った袋をがさつに受け取ると、すぐに背を向けて現場の奥へと行こうとする。
「ちょっと、何かあったのですか?」
 輝夜が咄嗟に引きとめた。
「ああ、どうもこうも無いよ。機材が凍っているんだ。木材がね。朝確認した時は確かにあったんだけど、今になって数本の角材が氷漬けにされていたんだ。しかも割と大きめのやつでねえ、これが使えないとステージは今日中には仕上がらないだろうよ」
 輝夜はどきりとした。凍らせたのは、まさか、このチルノじゃないだろうか。
「こんな事出来る奴は妖怪ぐらいしかいねえ。全く、この始末は巫女にでも頼んでおくよ。今は新しい木材を調達中だ……ん、なんか顔色悪いぞ? 何か不安な事でもあるのか?」
「い、いえ、なんでもありません」
 輝夜は笑いながら一刻も早くこの場を去りたかった。間違いない、犯人は私の後ろに居るチルノに違いない。さきほど、どうやってこの人里に乗り込んだのかを話していた時、途中で大木を氷らした、と言っていたのだ。
 現場はピリピリしているのがよく分かった。何があるにしろ、この責任は彼らが負うのだ。神経質にもなるだろう。後ろのチルノは興味深そうにきょろきょろとしている。
 頼む、余計な事を言わないでおくれよ。
 輝夜は冷たい汗を感じつつ、ゆっくりと親方に話しかける。
「そうですか、お忙しい所をお邪魔して申し訳ありませんでした。では私たちはこれで……」
 親方が、ああ、と生返事するのを聞いて、輝夜は足早に現場を抜けようとした。しかし、そこでチルノが輝夜の服を引っ張って叫んだ。
「輝夜、見て! あの木材は私が凍らしたんだよ!」
 うわあ、この子何いってんの? とてもクレイジーね……
 一瞬、場が凍った。親方が驚いた目でこちらを見つめている。
 空気も凍ったわね、と下らない冗談が輝夜の心に浮かんだ。
 それ以外に言葉は無い。
 輝夜の判断は早かった。次の瞬間にはチルノを脇に抱え、全力で走った。鈴仙の服だったのが幸いした。とても走りやすかった。
 後ろから、恐ろしげな声が聞こえたけれど、それらを思いっきり無視して走る。息が切れても、何があっても止まらない。止まったら、殺される!
 もう何でこんな事になったのかしら、と輝夜は左右に流れる景色を見つめながら考えた。

「あの女、俺たちの邪魔をするためにやってきたんだ。くそ」
「しかもわざわざ向こうから来るなんて、おちょくられているに違いねえ」
 現場はざわついていた。当然である。親方も無言のまま、しかし鼻息は荒くなっている。
「何かありましたか?」
 透き通った声が辺りに響く。工事現場に似つかわしくない、女の子がそこには立っていた。
「ああ、にとりさん。こんにちは」
 にとりと呼ばれた妖怪は、親方にずいっと近寄ると、不思議そうな目で見つめた。
「何か問題が発生した?」
「実はですねえ……」
 親方は事に経緯を話す。にとりは黙ってそれを聞いていた。
「……というわけで、その変な女を今探している所です」
 にとりは親方の目の前に手を広げた。止めろ、という合図だろう。
「親方さんたちはこのまま作業を続けて下さい。その女は私が追いかけます」
「でもにとりさん、あなたは今晩の舞台のメカニック担当ですが……」
「どうせ木材が届くのは夜になるから作業も夜遅くになるでしょう。私はべつにそれでも構いませんし、それに私には犯人の当てがある」
 周りから、おお、という歓声が上がる。にとりはにこりと笑って、現場に背を向ける。
「じゃあ、後は予定通りお願いします。これは河童と人間の共同作業、こんなことで我々の絆は崩れませんとも」
「わかりました。では、夜までには完成させておきますので」
 親方がぺこりとお辞儀をする。にとりはそれを背中に受けながら、これからどうしようかと考えた。
 里の祭りの準備に河童が加わる事になったのは、ここ最近の事だった。
 特にこんな大規模なお祭りでは、舞台装置も華やかな物になる。人間側としても、お祭りを派手にするために河童の技術が欲しかったし、河童側も、舞台装置を作る事に興味があった。
 にとりは、人間との共同作業が割と楽しかった。物を作るものどうしで話も弾む。
 なによりにとりは人間が好きだったから。
 だからこそ、その貴重な機会を奪った犯人たち、もといチルノたちを許す事は出来なかった。
「一言文句を言っとかないとねえ」
 悪戯とはいえ、度が過ぎている。にとりは唇を固く閉じ、辺りをきょろきょろと見回した。
「舞台は一つだけになりそうだな……」
 今回の祭りには、大きなステージが二つ作られる予定だった。一つは里の西側『甲』のステージ、もう一つは里の東側『乙』のステージだ。どちらも河童と人間の手によって作られる。
 この分だと、『甲』のステージは今日中には完成しない。にとりは責任を感じていたのだ。こうなったのは、木材の搬入時に、しっかりと点検しなかった私たち河童の所為であろう。そのせいで、祭りに冷たい水を差すことになった。
 申し訳ないなあ、とにとりはぽそりと呟く。とりあえず、祭りの実行委員に、『甲』のステージが使えない事を連絡して、それからチルノを探そうと考えた。
 にとりはぼんやりと、祭りの後に報告書に追われる自分の姿を思い浮かべた。
 
 慧音は、今夜の『甲』のステージが大幅に工事が遅れる、という報告を聞いた。それによると、どうやら氷精の仕業らしい。
 慧音は報告書に目を通し、はあ、と溜め息をついた。だから、私は妖怪や妖精をあまり祭りに関わらせたくなかったのだ。
 だがこんなことは予想の範疇とも言えなくは無かった。慧音は今日は神経を図太くし、何があっても、私はここを離れないと宣言していた。
 妖怪を受け入れる時点で、これくらいのハプニングは予想済みなのだ。二つのステージが使えなくなった時のマニュアルも用意していた。もちろん、そのマニュアルを使わないようにするのが、大前提ではあるけれど。
「仕方が無いですね。『甲』ステージが使えなくなった時のマニュアルを使いましょう。細かい所は臨機応変に対応していきます」
 慧音は実行委員として指示を出す。出来ればこんな指示は出したくないものだ、と青い空を見上げた。
(中)に続きます。
suke
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コメント



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16.80ずわいがに削除
チルノとんでもねぇwww

さぁて、永遠亭の面々それぞれが思惑を持って参加する祭はどうなるんでしょうねぇ。