Coolier - 新生・東方創想話

Cross ep

2010/02/20 01:01:31
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『夜霧の幻影殺人鬼』

 ep1

 深い霧の中を歩きながら、私は確かめるように呼吸を繰り返す。
 静寂が辺りを包む。歩く音さえ霧の中に消えてしまっているようだ。
 静まり返った町並みのごとく、私の心は静まり返っている。

 ドアには幾重もの鍵が掛っていた。四件目ともなれば当然か。私にはこんなもの、何の意味もないけれど。
 確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 辺りが静寂に包まれる。
 完全なる静寂。私以外に、動くものはなにもない。
 鍵を外す。中に入る。
 娼婦はベッドに横たわり、毛布を体に巻きつけ眠っていた。
 首を切り裂く。臓器を取り出す。
 私は娼婦を憎む。それはつまり、自分を憎んでいるということだ。
 臓器を用意していた袋に入れる。これを焼けば、もう子供が生まれることもない。
 家を出る。時は動き出す。


 ep2

 別に娼婦だけを殺している訳ではない。表沙汰になっていないだけで、その他の人間も殺している。
 五人目を殺し終え、帰路に着く。
 自分は人間には生まれなかった。
 悪魔だ。
 悪魔に生まれたのだ。
 しかし自分では自分は悪魔なんかじゃないと分かっていたし、自分を悪魔だと認めるなんてことは驕り以外の何物でもないということも、分かっていた。
 静寂が辺りを包む。


 Lastep

 六人目を殺そうと静寂の中に歩を進めたその晩、本物の悪魔に出遭った。
「あら、こんばんは」
 霧の中から突然現れたのは、少女だった。
 ただし。
 雰囲気。まるで少女の周辺だけ空間が歪んでいるような、奇妙な感覚。
 眼。血のように紅い。
 そして背中から出た、蝙蝠のような羽。
「あなたのその眼、私の妹の眼とそっくりよ。あなたが今街を騒がせている連続猟奇殺人犯?」
 その質問には答えず、ナイフを手に少女と対峙する。
 少女はそんな私を見ても、手に持った傘をくるくる回し微笑んでいるだけだった。
「以外ね。正体不明の連続猟奇殺人犯がこんな子供だったなんて。五歳かそこらじゃない」
 今夜の犠牲者はお前だ。
 確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 辺りが静寂に包まれる。
 完全なる静寂。私以外に、動くものはなにもない。
 少女に近づく。首を切り裂く。
「――……」
 ナイフが、刺さらない。
 馬鹿な。
「凄いわねえ、あなた」
 感心するような表情を浮かべ、少女はこちらに顔を向ける。
 しまった。呼吸を乱したか。もう一度。
 しかし、だめだ。少女の正体不明の力により、能力発動はおろか、指一本動かせなかった。
「あなた、今、時を止めたんでしょ?なんの下準備もせずに。凄いわねえ。人間としてはハイスペックよ」
 なんだ?なにか妙な感情が体を支配し始めた。
 焦り。
 恐怖。
「そんなに怖がることないじゃない。私はまだ何もしてないわ」
 少女は微笑んだままだったが、それだけで切り裂かれるような殺気を放ち始めた。
 だめだ、飲まれるな。
 集中する。集中。集中。
 確かめるように呼吸を繰り返す。
 よし、いける。
「あ、っと」
 少女が後ろに飛び退く。
 遅い。その首、今度こそ貰った。
「あなた、強力な能力はそれを抑えようとすることこそが大事なのよ」
 なにを言っている?迷い言か?
「もっとも、そんなこと今更教えても、もう遅いけど」
「あ」
 声を上げる。なんだ?何かに引きずり込まれる。
「さようなら」
 手を振る少女は霧の中へ消えていった。
 どうなっている?
 なにが起こった?
 そして私は辺りの景色が完全に消え去ったところで、自分は時空の狭間に飲み込まれたのだと理解した。



『極彩颱風』

 ep1

「師匠」
「…………」
「師匠」
「……あんだよ」
「朝です」
「分かったから、蹴るな」
「はいはい」
 私はどうしようもない我が師匠を蹴り起こし、食事の支度を整える。
「まったく武術を嗜む者なら、朝ぐらいきちんと起きたらどうなんです?」
「相変わらず口が悪いな、我が弟子」
「誰かに影響されたんですよ」
「誰だろうな」
 あんただ。
 腰まで伸ばした赤髪にスタイルの良い体。鋭い眼つき。チャイナ服。きちんとしてれば美人なのに、だらしないという言葉はこの人のためにあると言っても過言ではないくらいだらしがない。
「朝食です」
「はいはい」
 起き上がり伸びをして体を軽くほぐし、私から受け取った朝食を立ちながら黙々と食べ始める。
「ちゃんと座って食べてください」
「相変わらず口うるさいな、我が弟子」
「誰かに影響されたんですよ」
「誰だろうな」
 あんただ。
「それにしても我が弟子。お前の作る料理は毎度毎度、味気なさすぎないか?」
「仕様です」
「魔法の言葉だな」
 さして面白くもなさそうに言う師匠を無視して、私も食事を始める。味気ない。
「今味気ないって思ったろ」
「思ってません」
「思ったね」
「思ってませんって」
「どうだか」
 ため息を吐く。なんでこの人はこんなにも口うるさいのだ。
「あ、いいこと思いついたぞ」
 どうせろくなことではない。
「弟子、お前の名前は紅 美鈴だ。名前のほうは味醂とも読める。だからだな――」
「もういいです」
 げんなりする。くだらないにも程がある。
「ごちそうさま」
「はい」
 ちょうど私も食べ終わったので、川で皿を洗いに行く。
「冷たいなぁ」
 ぼやく。当たり前だ。この時期の川は、冷たい。
 人間なんだから、冷たいと思うに決まっている。


 ep2

「それで、今日はどうするんですか?」
「妖怪退治だな。この先に村がある」
「他人の不幸を祈るわけですか」
「うるさいな」
 師匠は顔をしかめた。
「しょうがないだろう。金を稼がなきゃ、酒が飲めない」
「ああ、そうですか」
 曰く、人命より一滴の酒。同意はまったくできない。
「あ、師匠、右」
「はいはい」
 めんどくさそうに返事をし、腕を上げ、右方向から突っ込んできた大型の妖怪を殴りつけた。ずずんと辺りに音が響き渡る。
「なにも殴ることないじゃないですか」
「うるさいな」
 妖怪は空中で数瞬停止し、またずずんと辺りに音を響かせ、倒れた。
「死んじゃったじゃないですか」
「妖怪だし」
「命は大切にしないと。ていうかそれでよく活人拳を名乗ってますね」
「水鏡静蓮流は活人拳ってだけだ。私が名乗ってるわけじゃない」
「ふーん。ていうか水鏡静蓮流って今更ですけど語呂悪いですよね。水鏡静は分かるけど蓮ってなんですか蓮って」
「お前は本当にうるさい」
 耳を指で塞ぎ露骨に嫌そうな表情をする我が師匠。
「蓮っていうのは、開祖の名前だよ、名前」
「はぁー、適当ですねー……」
 いやほんとに、驚くべき適当さだ。水鏡静蓮流は適当でだらしのない人が継ぐ流派なのかもしれない。私は例外だな。
「着いた着いた」
 山なりになっている道を登りきると、視界が開け、村が見え――
 なかった。
「おお」
「ああ……」
 視界に広がっていたのは廃村だった。見える範囲の家は全て倒壊している。荒れ放題で、人がいる気配は無い。
「遅かったな」
「ですね……」
 最近妖怪が無尽蔵というぐらい湧いて出ると噂されていた村は、すでに妖怪に潰されていたわけだ。
 ため息をつく。
「さて」
 しかし師匠は、別段落胆した様子もない。
「なんでしょう」
「漁るか」
「は?」
 聞き返したが、それがなにを指す言葉なのかは分かっていた。呆れる。
「漁るか。もう誰にも使われないんだから、いいだろ、別に」
「良くはないと思います」
「手伝え、我が弟子」
「はぁ……」
 ため息を吐いて、墓荒しのような事を始める。
 倒壊した家屋の下には肉片だけの死体も沢山あった。手を合わせ、荒す。


 ep3

「大漁大漁」
「あーあ……」
「浮かない顔だな、我が弟子」
「そりゃあもちろんあんなひどいことをしておいて心が痛まない人間なんか人間じゃない」
「私は人間を超越していたのか」
「あーあ……」
 廃村を後にし、私達は山のさらに奥へと歩を進めていた。
「気を引き締めろよ。依頼はこれからだ」
「はいはい……」
 そう、そもそもここへは依頼で来たのだった。無尽蔵に湧く妖怪の親玉を始末しろ。それが今回の依頼。
「金額は弾んでるんだから、失敗はできないぞ」
「はいはい……」
「一年は酒に困らない」
「そうですか」
 心底どうでもよかった。
 途中何体か妖怪と出会ったが、問題は無かった。この先に問題があるとも思えない。けれど気持は沈んでいた。
「師匠」
「なんだ?」
「村が壊されたの、最近ですね」
「そうだな」
「攫われた人も、まだ生きてるでしょうね」
「そうかもな」
「…………」
 嫌だなぁ、と内心で嘆く。そういう人達は、助け出しても無駄だ。心が壊れてしまっている。あの虚ろで恐怖に満ちた目を見るのは、つらい。
「そろそろだ」
「…………」
 嫌だなぁ、と声を出しそうになるのを堪える。今は、眼の前のことに集中しよう。
「嫌だなぁ……」
「言うのかよ」


 ep4

 例えば物語なら、戦闘風景というものは大切にするだろう。しかしもし私達の今さっきの出来事を物語にするなら、きっと省略される。
「あっけないあっけない。我が弟子、だいじょぶか?」
「だいじょぶです」
 私は右腕に傷を負っていた。師匠は無傷だ。
 洞窟の中に妖怪の巣があり、そこを叩いたというわけだ。強さだけ見るなら、師匠は素晴らしい人間だ。
「強さだけってなんだよ、だけって」
「そのままの意味です」
 言って、洞窟のさらに奥へとゆっくりと歩き出す。
 誰もいないでくれ、誰もいないでくれと祈りながら。
「――ああ……」
 いた。少女が一人。
 眼の焦点が合っていない。髪はばらばら。肌は傷だらけ。動かない。が、生きている。死んでいるより性質が悪い。
「君、聞こえる?」
 手を伸ばし、頬に触れる。
 反応は、無い。
「君、聞こえる?」
 もう一度呼びかけ、頬を軽く叩く。しかしなんの反応も無かった。
 心が完全に、壊れている。
 そして、あの、いつもの、不快とも悲しみともつかない感情が胸を中心に体中に広がり始めた。
 気持が悪い。
「だいじょぶか?」
 いつの間にか師匠が隣に立っていた。
「だめですね。心が完全に壊れています」
「お前がだよ」
「…………」
 答えない。
 しばらくそのまま、少女の隣に座り込んでいた。


 ep5

 殺された。
 みんなみんな殺された。
 あとはただ、自分一人。
 殺されるのは怖くなかった。
 みんな殺された時点で、生きる意味を失っていた。
 あーあ、とぼやく。
 これで終わりか、と。
 自分に失望していた。
 なにも、できなかった。
 どころか、守られた。
 私を守り、みんなは死んだ。
 自分に失望していた。
 流れる涙は、己の無力を嘆いているからか。
 ああ、これで、終わりだ。
 ごめんなさいと、誰かに謝った。
 誰にだろう?

 ――以外にも死ななかった。
 突然現れた赤髪の女性が、周囲の妖怪を殲滅した。
 助かった。
 助かった?
 惨めだ。
 私を連れて行ってくれませんか?
「お前になにができる?」
 そこまで強いと、少しばかり退屈じゃありませんか?
「まあな」
 私に力を教えてくれれば、将来あなたを完膚なきまでに叩きのめせるまでに強くなります。
「それで私を倒すって?……面白い」
 こうして私は赤髪の女性の弟子になった。

「そう言えば我が弟子。お前、いつになったら私と勝負するんだ?」
「将来あなたを完膚なきまでに叩きのめせるまでに強くなると言っただけで、将来勝負するなんて一言も言ってませんよ」
「……なるほど。お前はあの時からすでに、嫌な奴だったわけだ」
「はい。私は嫌な奴ですよ」


ep6

 少女を背負い、山を下る。少女は呼吸さえしていないようだった。
「師匠」
「なんだ?」
「結局、無尽蔵に妖怪が湧く理由はなんだったんでしょうね」
「分からない。関係無いし、問題じゃあない」
「そうですね」
 しばらく無言で歩いていたが、黙っているとなんだかよく分からない感情に飲まれそうなので、なにか話すことにする。
「この子、どうなるんでしょうね」
「さあな。どこかに引き取られるんだろ」
「そうですね」
 少女の心音が微かに聞こえる。生きている。生きている?
 だめだ。黙っていると吐きそうだ。
「今日中に山を降るんですか?」
 時刻は夕刻。今から山を降ればまた野宿だろう。来る時はどこぞの適当人間がおそらく今日中に着くだろうと無理だと言っているのに昼過ぎに出て結局野宿だったのだから、せめて学習してもらいたい。
「いや、今日はあの廃村に泊まろう。かろうじで倒壊していない家もあっただろう」
 おお、学習してくれたのか?いつもなら、いや登るより降りるほうが時間が掛らないから云々とか屁理屈をこねそうなものだが。
「昨日は私が寝ずに見張りだったんだから、今日は師匠が見張りやってくださいね」
「ええぇー」
 心底嫌そうな声で、心底嫌そうな表情だった。
「お願いします」
「それが師匠に対する口の利き方なのかねぇ」
 ため息を吐きながらも、渋々承諾してくれた。
 さて、少し休みますか。今日は眠れはしないだろうけど。

 なんとか原形を留めている毛布を見つけ出し、少女に包む。汚れているが、寒さは凌げるだろう。
 床に腰を下ろす。眠くはまったくなかった。
 気分が悪い。体調は問題ないはずだ。
「あーあ……」
 天井を見上げ、ぎゅっと目をつむる。吐き気を抑える。
 しばらくそういていたが、座っていることが苦痛になってきたので、師匠の様子でも見に行くことにした。少女をどうするか少し迷ったが、こんな半壊した家屋に寝せておくわけにもいかないだろう。寒さも外と変わらない。おぶって一緒に出ることにする。
 以外にも師匠はきちんと見張りをしていた。焚火の前で鋭い眼を闇の中に向けている。てっきり眠っているかと思ったが、珍しく真面目だ。
 隣に腰を下ろし、少女を抱き抱える。
「どうした?」
「寝れなくて」
「交代してくれんの?」
「嫌です」
「寝れないんなら交代してくれてもいいだろうが」
「珍しく真面目ですね」
 無視し、気になっていることを訪ねる。舌打ちされ、「まったく」とぼやかれる。
「……気付かないのか?」
「なにがです?」
「なんでここら一帯は、急に妖怪が湧き出るようになったんだろうな」
「さっき分からないって師匠が答えたじゃないですか」
「言ったっけ?」
「言いました」
 ため息を吐き、考える。気付かないのか?ということは、ヒントはもうすでに出ているらしい。考えたが、分からなかった。
「分かりません」
「相変わらず頭も悪いな、我が弟子」
「おかげさまで」
「まったく」
 ため息を吐き、しばらく黙る。辺りが静寂に包まれる。
「なんでその子は生きてたんだろうな」
「そりゃあ、食料としてでしょう」
「最後に残ったのがその子か?」
 ――ああ。そう言われてみれば、食料として最後に残ったのが子供というのは解せない。子供は大人に比べおいしい、らしい。普通最後に残るとしたら大人だ。不味そうな。
「なんででしょう?」
「ちょっとは考えろよ」
「分かりません」
「まったく」
 またため息。なんだか私達はため息を吐いてばかりいる。
「その子が、そこにいるだけで意味があるからだよ」
「どういう意味です?」
「その子は、異形の者を引きつける体質だということだ」
「……引きつけ」
 腕の中で眠る少女を見る。薄目を開け、目は虚ろ。
「引きつけの特徴は?」
「……そこに在るだけで、異形の者に力を与える」
 つまり、急に妖怪が湧き出るようになったのは、この子に引き寄せられて来たから?この惨状は、この子の――。
「でも、おかしくないですか?引きつけは妖怪に好まれる。食べられるとしたら、引きつけのこの子が真っ先に食べられるでしょう」
「考えろよ」
 今度は考えてみる。引きつけであるにも関わらず、食べられなかった理由。
「呪われている、とか」
「いや、見たところその子は呪われてないよ。もっとも、引きつけの体質であることが呪いと言えなくもないけど」
「…………」
「その子は、人間じゃないんだよ」
「え?」
 戸惑う。少女の鼓動に、呼吸に、周りを取り巻く空気に集中してみるが、しかし妖怪の気配はしなかった。
「人間としか思えませんけど」
「珍種だよ。ある時まで普通の人間のように成長するが、ある時を境にまったく成長しなくなる。当然、寿命だって長い。その子は妖怪だよ。しかも、引きつけだ」
「…………。でも、なんで『突然』、妖怪が湧いて出るようになったんでしょう」
「覚醒したんだろ。引きつけとして」
「…………。でも、でも、この子はこの村で育ったんですよね。ここにいたってことは」
「知らなかったんだろ」
「知らなかった?」
「自分が妖怪であるってことに」
「…………」
 自分が妖怪であることを知らなかった。しかも、引きつけ。
「これからこの子、どうなるんでしょう?」
「さあな」
「…………」
 静寂。闇が深くなり、こちらに迫って来るような気がする。気のせいだろう。しかし私の胸の中の感情は確実に濃くなり、迫るように外からもこちらに押し寄せてくるようだった。


 ep7

 翌朝早くに山を降り始めた。
 空は快晴。日に染まった薄い雲が美しい。はずなのに。
 私の中は黒一色。
「気を抜くなよ」
「分かってます」
「分かってないから言ってるんだけどね」
 わざとらしくため息を吐き、まったくと呟く師匠。この人は「まったく」ばかりだ。私は「あーあ」ばかりだ。似たり寄ったりか。
「師匠」
「なんだ?」
「この子、一緒に連れてけませんかね?」
「犬や猫じゃないんだから」
「犬や猫ならいいんですか?」
「お前は本当にうるさい」
 顔をしかめ、ため息を吐く。今日七発目のため息だ。
「連れていってどうするんだ?お前が守るのか?」
「私にはその力がありませんかね」
「私に聞くなよ」
 じゃあ誰に聞けばいいのだ。自分か?
 自分に聞いてみる。
 お前は、誰かを守れるほど強いのか?
 いいえ。
 驚くほど早く自分の中で返答があった。
「師匠が守ってくださいよ」
「犬や猫かという突っ込みの前に、私はお前の母親か?」
「私はそう思ってますけど」
「嘘だね」
「嘘ですけど」
 まったくとぼやき、ため息を吐く。八発目。
「その子を連れても、意味がない。その子がなにかできるのか?」
 おぶった少女に意識を向ける。鼓動は感じるが、呼吸しているだけだ。
「もしかしたら回復するかも」
「もしかしたら、ねえ」
「そしたら、交代で朝食を作ってもらえます」
「お前が楽できるだけじゃないか」
「まあ」
「まったく」
 そこで会話は途切れた。もちろん私だってこの子を連れていくことが無理なことぐらい分かっていた。どこの世界でも異形はマイナスにしかならない。
 さて、どうしたものか。この子を連れて師匠と別れるか。いい機会かもしれない、と思わなくもない。
 と、考えていたところで、
「お前はなんで、その子を連れていきたいんだ?」
 いつもより幾分か真面目な声が聞こえた。
 前を見ると、師匠は立ち止まり、こちらの眼をじっと見ていた。別に脅しも威嚇もされているわけではなく、ごく普通にこちらを見ていた。
「目の前にいる本当に困った人ぐらい、助けたいじゃないですか」
「偽善だ」
「偽善です」
 ――しばらく見つめあっていたが、やがて師匠はため息をつき(九発目)、やはり「まったく」とぼやき、歩き出した。
「一月」
「はい?」
「一月、その子を連れていてもいい。その後は、お前が決めろ」
「……ありがとうございます」
 調子抜けしたような気分で返事をする。絶対に師匠と一緒には連れていけないと思っていた。
「ただな」
「なんでしょう」
「その子はきっと、お前が理由になるぞ」
「…………」
 理由。
 何の?
 生きる意味。理由。
「そのときは」
「そのときは?」
「そのときです」
「まったく」
 ため息を吐かれた。十発目。


 ep8

 あれから一月が流れた。
「お姉ちゃん」
「…………」
「お姉ちゃん」
「ん、んん……」
 揺すり起こされ、目を覚ます。
「朝だよ」
「ん、おはよう」
 体を起こし、伸びをする。
 安い宿屋のベッド。飛び乗ると底が抜けそうだ。そこに、彩花と一緒に眠っていた。
「師匠は?」
「寝てる」
「そか」
 ベッドから下りて、全身で伸びをする。体をほぐし、師匠を起こすことに。
「って酒臭」
 下半身下着のまま、あちこちに酒瓶を転がしてだらしなく寝ている師匠を揺り起こす。
「朝です。起きてください」
「…………」
 蹴り起こす。
「朝です。起きて気ださい」
「……うるっせーなー」
 ぶーたれ、だるそうに体を起こす。
「どんだけ飲んでるんですか」
「酒は聖水なんだよ」
「聖水だって飲みすぎれば体を壊すでしょうに」
「うるせーな」
 ベッドから下りて、全身で伸びをする。体をほぐし始める師匠から視線を外し、彩花へ顔を向ける。
「朝食食べに行こうか」
「うん」
 扉を開くと、食欲を誘う匂いが鼻孔をくすぐった。早足で階段を降りていく。

 あれから、いろいろあったが少女は喋れるくらいまで回復した。目はまだ虚ろで、声には抑揚が無く、一文節以上はなかなか喋らなかったが、劇的な回復と言っていいだろう。
 ばらばらだった髪は、今は雪のように白く美しい髪を腰まで伸ばしている。目も同じ色で、綺麗だ。傷だらけだった肌も、三日で綺麗になった。普通の人間よりも再生力が優れているらしい。
 少女の名前は彩花。いい名前だな、と思う。
 一月前の師匠の「その後は、お前が決めろ」という言葉はてっきり一月経ったら別れようという意味だと思っていたが、そうではなかったらしい。紛らわしい。
 黙々と朝食を取り、宿を出る。
 快晴。雲一つない。
「それで、今日はどうするんですか?」
「今日はなんもすることないなー。久しぶりの休息で」
「そうですか」
 ふむ。じゃあ彩花を連れて街を回ってみようか。彩花はこれだけ広い街は初めてだろう。ちょうどいい。
「じゃ、私と一緒に街を回ってみようか」
「うん」
 彩花の手を握り、歩きだす。
「私はどっかの酒屋にいるから」
 後ろから師匠の声。あんたまだ飲む気か。


 色々なところを見て回り、公園のベンチに座り休憩していた。
 街は活気に溢れていた。大道芸人、音楽家、マジシャンなどが路上で芸を披露し賞賛を浴び、屋台では良く通る大きな声で客に呼び掛けている。
「活気があるのはいいけど、少し人が多いね。疲れた」
「うん」
 ジュースを飲みながら、花畑の前でジャグリングをしておるピエロをぼんやりと眺める。あれくらいなら私にもできるな、と思った。困ったら芸で稼ごうか?
「お姉ちゃんはさ」
「ん?」
 彩花に顔を向けると、握った紙コップを見つめながら、なんだか真剣な表情をしていた。
 表情にあまり変化の無い彩花だが、最近になって表情の違いが分かってきた。
「お姉ちゃんはさ、存在することがつらいと思ったことってある?」
 ――存在することがつらい。
 生きることがつらい、ではなく。
 唐突のようだったが、一緒に街を回り始めたときからなにか私に聞きたいことがあるような素振りだったので、驚きはしなかった。
 しかし、この子がこんなに喋るのは珍しかった。
「あるよー」
 視線をピエロのほうに戻し、返事をする。ナイフを自在に操るピエロに、観客は喜んで拍手する。
「……あるの?」
「うん。えーっとねー、私が子供の頃の話なんだけどね、村に妖怪が襲って来たんだよね」
「…………」
「妖怪は人型に近い程大きな力を持ってるって、知ってる?」
「うん」
 まあ、彩花は例外だろう。
「私の村を襲ってきた妖怪はさ、みんな二足歩行で、強かったんだよねー」
「…………」
「で、私はさ、生まれつき特別な力を持ってたんだよね」
「特別な力?」
「波動というか、力の具現化みたいな能力。気みたいのを目に見える形で飛ばせたりするんだよね」
「……うん」
 それは彩花も、実際にもう見た。
「そんな力があるからさ、お母さんとお姉ちゃんは私が守る、みたいなことを本気で思ってたんだ」
「…………」
「でも襲ってきた妖怪を見た瞬間、ああこれはどう足掻いても勝てないなと悟っちゃった」
「…………」
「で、私はどうしてたかっていうと、地下の食料を溜めておく部屋に閉じ込められた」
「閉じ込め……?」
「お母さんとお姉ちゃんに」
「…………」
「守ろうと思ってたけど、実際は守られた」
「…………」
「なんとか扉を破って外に出たんだけど、もう遅かった。お母さんとお姉ちゃんは頭から食べられてたよ」
「…………」
「で、ああもういいやと思ったところに、師匠が来た。私は助かった」
「…………」
「お話、終わり」
「…………」
 歓声が上がる。ピエロが難度の高い技を決めたところだった。
「お姉ちゃんはさ」
「ん?」
「…………」
 ピエロを見ながら、実際には見てないが、次の言葉を黙って待った。
 しかし、次の言葉が出てくることはなかった。
「彩花」
「うん」
「私はね、生きるってことをあまり深く考えてないんだよ」
「……どういうこと?」
「嫌になったらやめればいい。だから今、生きてる」
「…………」
「死ぬよりつらい目に遭うかもしれないけど、そのときは」
 一旦言葉を区切る。
「そのときだし」
「…………」
「ただ願わくば、自分の望みを叶える力と意思を。せこいんだね、私は」
「そんなこと、ない」
「そうかな。私はせこいと思うな」
「…………」
 ピエロのショーが終わり、観客が散っていく。
「お姉ちゃんは、私みたいに発狂したりはしなかったでしょ?」
「まあね。嫌な奴だったんだろうね」
「なんで、それが嫌な奴なの?」
「過去より前を向いて歩こう。聞こえはいいけど、やな感じだよね」
「…………」
 目の前を子供たちが駆けていく。幸せそうだ。
「お姉ちゃん、私が発狂しながら、存在するだけで他人を不幸にする存在なんて消えた方がいいって言った時、言ったよね」
「なんて言ったんだっけ」
 本当は覚えていた。
「それなら、私を不幸にしてみろって」
「強気だねぇ」
「君如き存在には、私を不幸にすることなんて出来ないって。笑って」
「傲慢な」
「お姉ちゃんは、やっぱり強いよ」
 言って、俯く彩花。じっと紙コップを見つめている。
「なんか、モットーみたいなのを決めたら?」
「モットー?」
「そう。私はこうありたい、みたいな」
「……お姉ちゃんのモットーは、願わくば、自分の望みを叶える力と意思を、なの?」
「モットーとはちょっと違うかもしれないけど、そうだね」
「私は」
 くしゃり、と紙コップが握りつぶされた。中の氷が音を立てる。
「お姉ちゃんみたいになりたい」
「それは」
 言葉に詰まった。
「なかなか現実的なモットーだね。達成可能って意味で」


 ep9

 宿に戻ると、師匠が前で待っていた。
「どうしたんです?」
「依頼だ」
 素っ気なくそれだけ言って、手に持った酒瓶を煽る。
「依頼?」
「ああ。しかも、危険な、ね」
「じゃあお酒飲むのやめてくださいよ。これからなんでしょう?」
「ああ」
 言って、空の酒瓶を投げ捨てる。モラルなんて言葉はこの人にはない。
「結構、ほんとにやばめだ」
「そうですか」
 師匠が「結構、ほんとにやばめだ」と言ったときは、本当に危険な依頼ということだ。
「どんな依頼なんですか?」
「妖怪退治」
 まあ、そうだろうな。
「一週ほど前、ここから結構離れたところの村に、手のつけられない怪獣が現れたそうだ」
「怪物ですか」
「しかし村数件で散々暴れた後、どこかに姿を眩ました」
「はあ」
 それは、あり得ない。
 そもそも人間の村を妖怪が襲うなんて、まあ世界的に見れば珍しくもないのだろうが、滅多にないことだ。しかもその後で姿を眩ます。知的なんだかなんなんだか。
 人間の村を襲った妖怪には死を。鉄則だ。
「まあそういうことだ。移動には二、三日掛かるから」
「分かりました」
 そんなわけで私達は街を後にし、怪物が待っているかもしれない村へと歩き始めた。

「師匠」
「…………」
「師匠」
「……あんだよ」
「朝です」
「分かったから、蹴るな」
「はいはい」
 私はどうしようもない我が師匠を蹴り起こした。朝食は彩花が作ってくれた。
「朝食です」
「はいはい」
 起き上がり伸びをして体を軽くほぐし、私から受け取った朝食を立ちながら食べ始める。
「ああ、いつもながら弟子の弟子が作る料理は美味いな。ふむ、これだけでも連れている価値があるというものだ。なあ、弟子」
「そうですね」
 どうせ私の料理は味気ないですよ、と内心で呟く。
「今どうせ私の料理は味気ないですよって思ったろ」
「思ってません」
「思ったね」
「思ってませんって」
「どうだか」
 ため息を吐く。
 食事を終え、彩花と二人で川で皿を洗いに行く。
 冷たい。

「おお」
「ああ……」
「…………」
 目的の村の一つは、完膚なきまでに破壊されていた。
 原形を留めているものなんて、一つもない。
「こりゃあ漁るのは無理だな」
「…………」
 無視し、周囲の気配に集中する。
「なにもいませんね」
「姿を眩ましたんだから、そりゃあな」
「どうするんですか?」
「待ってる」
「待ってる?」
 聞き返し、そしてすぐに意味を理解する。彩花を見やる。
「今日はここに野宿な」
「はい」
 言って、野宿の支度を始める。

「私のこの体質も、ちょっとは役に立つのかな」
 夜。今日は満月が明るいので、焚火をしなくても周囲が見渡せた。
「かもね」
「これでお姉ちゃんくらい強ければ、もうちょっと役に立てるのに」
「…………」
 過大評価だ。まあ、過大評価は姉の常か。
「お姉ちゃんは、お師匠さんに武術を教えてもらったの?」
「まあね」
「そっか」
 言って、焚火の炎をじっと見つめる彩花。私も習いたいな、という言葉が来ると思ったが、しかし黙ったままだった。
「最初の方はめちゃめちゃしごかれたけど、基礎とちょっとばかしの応用を教えてもらってからは、自分で修業してる」
「ふーん。でも」
「でも?」
「私は武術を習っても、そこまで強くなれない気がする」
「まあ、向き不向きだからね」
「私に向いてるもの、か……」
 会話が途絶える。
 虫の音が聞こえる。人間が全滅しても、虫は怪物がどうしたのだとでも言うように鳴き続ける。人間より虫の方がずっと逞しく思える。
 ――と、突然、まるで指揮者の手が止まったかのようにまったく同じタイミングで、虫の鳴き声が一斉に止んだ。
「師匠」
 寝ている師匠に声を掛ける。
「……なんだよ」
「妖怪は、人型に近い程大きな力を持っているんですよね」
「それが?」
「あれは例外ですか?」
 師匠が起き上がる気配を背に感じたが、当然振り返らない。
 角。ひと突きで確実に絶命しそうだ。立派な角だ、と場違いにも感想を抱いた。
 顔。怪物。これだけで説明には十分だ。
 腕、足。筋骨隆々。腕は四本。
 全身を藍色の毛で包まれたその怪物は、悠に四メートルはある。
 そしてなにより――
「まったく気配を感じなかったな」
 後ろで師匠が呟いた。
 唸っている。苦しいのだろうか?違うだろうな。
「あーあ……」
 呟き、拳を握る。
「彩花、大丈夫?」
「だ、大丈夫」
 全身でガタガタ震えていたが、彩花はちゃんと立っていた。
「弟子、援護」
「はい」
 怪物が空にさえ響き渡るような咆哮を上げ、六足歩行で驚くべきスピードで突っ込んできた。
 戦闘開始。

「堅っ」
 伸びきった腕に一発攻撃を当てたが、筋肉で全ての衝撃を返された。半端では駄目か。
「弟ー子!援護だっつってんだろ」
「すみません」
 師匠は怪物の懐に潜り込んでいたが、しかし意外に怪物は機敏で、なかなか一発を当てさせてもらえなかった。
 それに加え四本の腕、二本の足、そして牙。隙が無い。
 ここは少々無理させてもらうか。
 ダッシュ。懐に潜り込もうとする。狙うは振り切る直前の腕。
 一本目が牽制として伸びてくる。
 半歩ずれてかわす。
 二本目。伸びてくる。まだ、まだ、まだ……。
 ここだ!
「おあっぶな!」
 無様な声を上げて、反射的に横に転がる。
 自分を狙ってきたそれは、さらに追撃してくる。慌てて転がりながらかわし、なんとか体制を立て直す。
 尻尾。異様に長い尻尾が、槍のように飛んできたのだ。
 今まで隠していたのか……。
「弟ー子!なにやってんだ」
「すみません」
 呼吸を整え、傷を確認する。
 よし、掠っただけだ。
 行くぞ。
 もう一度懐に飛び込む。一本目の腕をかわし、二本目の腕を迎撃する。
 気を、極限まで張る。
「甘い」
 死角から飛んできた尻尾を半身で避け、右手に力を集中させる。
 二本目の腕を左手で力を加えずいなし、もう一度呼吸を素早く整え、その側面へと渾身の一撃を当てた。
 怪物の体が、ほんの少しだけ浮いた。
「なーいす、弟子」
 師匠は笑みながら言うと、怪物の腹へと渾身の力を込めた正拳をぶち込んだ。
 この世のものとは思えないほどの爆音が、辺りへ轟いた。

「終わりましたね」
「そうだな。だいじょぶか?我が弟子」
「掠り傷です」
 周囲を見渡す。彩花がこちらに向かって駆けてきた。
「終わったよ」
「うん」
 あれ?
 なぜか、彩花は俯いていた。
「どうかした?」
「うん」
 顔を上げた彩花は、微笑んでいた。目には涙の跡がある。
「やっぱり、お姉ちゃんは凄いね」
「――……」
 願わくば、自分の望みを叶える力と意思を。
 力のほうはなんとかなってきたのだろうか。
 彩花を抱き締める。
 私はこの子の理由にだってなんだってなる。


 変化は、三十分後に現れた。
 焚火の木を補充しようと森へ歩いていた。
「あれ?」
 前のめりに倒れる。石か何かに躓いたか?
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「無様だな、我が弟子」
 あんたはうるさい。起きてたのか。こんなときだけ。
 立ち上がり、再び歩き出そうとするが、
「あれ?」
 また前のめりに倒れた。
 あれ?
 地面が揺れてる?
 違う。揺れているのは――私の頭。
 背後で師匠と彩花がこちらへ駆けてくる。
「毒?」
 毒。流石知能が高いんだか低いんだか分からない怪物。あの図体で猛毒かよ。
「弟子、聞こえるか?」
「はい」
 抱きかかえられている。恥ずかしい。彩花が青ざめた顔でこちらを見ている。心配させてはいけない。立たないと。
「う、うええ」
 体を起こすと、強烈な吐き気がした。頭の中が思い切り揺らされたかのようにぐちゃぐちゃだ。
「寝てろ」
「はい」
 応急手当てを受けたが、症状は悪化する一方だった。
「…………」
 ああ、師匠のそんな顔は初めて見た。
 この人がそんな顔をするということは……。
「私、これで終わり……?」
 呟く。信じられなかった。笑い出しそうだ。
 呆気ない。
 これ以上に呆気ない結末なんて、あるのか?
 情けないでなく、唐突でもなく、無様でもなく、ただ呆気ない。
 嘘でしょ?
「これで……これで終わり……?」
 耐えられず、噴き出した。
 なんだそりゃ。
 かっこ悪すぎでしょ。
 違った。
 これは、情けなく、唐突で、無様な、ただ呆気ない終わり方だ。
 彩花が蒼白の表情で涙を流している。
 泣かしちゃったか。
 姉失格だな。
「弟ー子。聞いてんのか」
 殴られる。やっぱり師匠は最後まで師匠だったか。安心した。
「分かってると思うけど、今から医者に連れてっても、間に合わない」
「知ってます」
「一つだけ、助かる方法がある」
「…………」
 助かる方法?そんな都合のいいものがあるとは思えないが。
「弟子の弟子の血を飲め」
「血?」
「そう。そうすれば、お前は助かる。ただし」
「ただし」
「そうすればお前はもう人間じゃない。お前は妖怪になる」
「…………」
 妖怪。
「彩花と同じ?」
「ああ。珍種だな」
「吸血鬼みたいですね」
「違うけどな」
「分かってますよ」
 彩花を見上げる。希望と、恐怖。その二つの表情が浮かんでいる。
「……彩花になにか変化は?」
「一時的な貧血」
「そうですか」
「あ……あの……」
 震えながら発した声は、やはり震えていた。彩花は私を見下ろしながら、押し出すように言葉を紡ぐ。
「その場合……引きつけの……」
「引きつけは体質。うつるものじゃない」
「……そうですか」
 消え入るような声。
 さて、妖怪になって生きるか、それともここで死ぬか。
 答えはもう決まっていた。
「彩花、お願いできる?」
「あ……うん……」
 しかし彩花は俯き、何かに耐えるように震えていた。
 恐怖。
 自分の所為でそうなることへの。
 この場合彩花は助ける立場だが、そういう問題ではないのだろう。
「大丈夫だよ」
 私は微笑んで言った。自然に微笑むことができた。
「私は正直人間でも妖怪でもどっちでもいいし。なぜなら」
「……なぜなら?」
 溜めて、とびきりの笑顔で言い切った。
「願わくば、自分の望みを叶える力と意思を。私のモットーは、妖怪でも人間でもどちらでも達成可能だから」
「…………」
「それはモットーではないだろ」
 こんなときまでうるさいな、あんたは。


 ep10

「なーんか実感ありませんねー」
 丹念に動作確認をしてみたが、別段変ったところはなかった。
「だんだん変化が出てくる。まだ大部分はお前の血肉だからな」
「侵食するってことですか」
「そうだ」
「ふーん」
 場所は依頼を受けた街。依頼料は相当額だったらしく、師匠は上等な酒を昼間から煽っていた。
「でもほんと、私ってそういう星の下に生まれてきてませんよねー」
「確かにあのまま死ねば、情けなく、唐突で、無様な、ただ呆気ない終わり方だったな」
「うるさいな」
 思わず声に出た。
「まあ、あんな理由で妖怪になるのもどうかと思うが」
「うるさいな」
 ため息を吐き、彩花に顔を向ける。
「彩花はもう大丈夫なの?」
「うん。少し休んだら、良くなったよ」
 大丈夫、と微笑みながら言った彩花の顔色は、決して大丈夫ではなかった。
「しかし我が弟子、あの侵食に声一つ上げなかったのは流石と言ってもいいな」
「どうも」
 彩花の血が自分の血肉に侵食する感覚は確かに苦痛だったが、表情には出さないようにした。したのにこの人は空気読めよ。
「ま、なにはともあれ良かった良かった。今日はなんもないから、どっか行ってろ。私はどっかのバーにでもいるから」
「はいはい」
 彩花の手を握る。
「行こっか」
「うん」
 また街をぐるりと一周回り、こないだの公園のベンチに腰を下ろす。
「お姉ちゃん」
「ん?」
 午後を知らせる噴水から目を離し、彩花に顔を向ける。こちらを見上げ、真剣な眼差しだった。
 なんだろう。
「私は、お姉ちゃんみたいに強くなりたい」
「毒で死にかけてたけどね」
 笑えない冗談かもしれないが、あの状況は笑えるものだった。いや笑えないか。
 彩花は手に握った紙コップの中身、透き通った透明な飲み物に映る自分を見ながら、強い意志を感じる声で続けた。
「私は、あと一年くらいお姉ちゃん達と一緒に旅をして、それから一人で世界を旅してみたい。いや、旅をする」
「…………」
「それで強くなれるかは分からないけど、でも、そうするべきだってなんでか思うんだ」
「……そっか」
 姉としての私はあと一年、か。
「一応質問。彩花はなんで強くなりたいの?」
 ふふっと彩花は笑った。
「それは」
「それは?」
 溜めて、とびきりの笑顔で言い切った。
「お姉ちゃんみたいになりたい。それが、私のモットーだから」
「それはモットーではないね」
「そうだね」
 そして二人で声高らかに笑いあった。


 Lastep

「師匠」
「…………」
「師匠」
「……あんだよ」
「朝です」
「分かったから、蹴るな」
「はいはい」
 私はどうしようもない我が師匠を蹴り起こした。朝食は彩花が作ってくれた。
「朝食です」
「はいはい」
 起き上がり伸びをして体を軽くほぐし、私から受け取った朝食を立ちながら食べ始める。
「ちゃんと座って食べてください」
「相変わらず口うるさいな、我が弟子。何度目だ、それ」
「反省する気がまったくありませんね」
「なんで、反省しなくちゃいけないんだ」
 心底不可解そうな表情でそんなことを言われた日には、ため息だって吐きたくなる。
「ああ、いつもながら弟子の弟子が作る料理は美味いな。ふむ、これだけでも連れている価値があるというものだ。なあ、弟子」
「そうですね」
 どうせ私の料理は味気ないですよ、と内心で呟く。
「今どうせ私の料理は味気ないですよって思ったろ」
「思ってません」
「思ったね」
「思ってませんって」
「どうだか」
「このやり取り、前にもやりませんでした?」
「どうだか」
 ため息を吐く。
 食事を終え、彩花と二人で川で皿を洗いに行く。
 川の水は、しっかり冷たい。当たり前だ。



『ミゼラブルフェイト』

 ep1

 例えば老いない体を手に入れたとしよう。存在する時間だって普通の人間より圧倒的に長い。その者は、はたして時間が流れるほどに、無限に力を伸ばすことが出来るだろうか?
 答えは否。私はそう思う。
 ほぼ完全な妖怪になって分かった。脆い故の強さがあるということに。
 確かに今の私は昔よりも頑丈だし、力だって確実に昔の私を上回っている。
 しかし、だからこそ、弱くなっていく。
 昔の私が持っていて今の私に無いもの。なんだろう?感覚では分かっているが、言葉で表すとなると難しい。
 まあ、それを言い訳にするつもりはさらさら無いけど。
「とまあ御託はそれくらいにして。……あーあ」
 私はため息を吐いた。
 長い赤髪にチャイナ服。スタイルだって良くなったはずだ。ただ、眼だけが昔のまま。
 ……認めたくないが、やはり私はあの人に憧れていたのだろう。
 私紅 美鈴は、今決して良い気分じゃなかった。
「私の歴史で史上最大の依頼。なんだけどなぁ……」
 またため息。今も昔もため息ばかりだな。私は。

 三日前。
「吸血鬼の悪魔?」
「はい」
 とある街。妖怪退治の依頼と聞いて来てみれば、予想もしない名称が出てきた。
「吸血鬼の、悪魔です」
「はあ」
 吸血鬼で、悪魔。どちらも空想上の生物として有名だけれど、そのどちらもっていうのはどういうことだろう。ハーフ?
「その吸血鬼の悪魔は、その街で確認されたんですか?」
「はい。元々そういう存在の噂はされていましたが、半月前です」

 夜。女はいつものように霧に包まれた街を、少し警戒しながら早足で歩いていた。
 四年前の連続猟奇殺人事件を気にしているわけではなかったが、夜のこの街はいつも不穏な空気が漂っていた。
 と、前方に誰かがいた。足を止め、警戒しながら目を凝らす。
 霧でシルエットしか分からないが、誰かが道に倒れ、抱き合っていた。げんなりする。
 見なかったことにしてさっさと立ち去ろうとしたが、しかしシルエットをよく見ると、何かが引っ掛かった。
 羽?
 足が止まる。いや、足だけではない。全身金縛りにあったように硬直してしまった。
 さらに輪郭がはっきりする。女と、幼女。が、抱き合っている?不自然だ。
「あ」
 女の首から、何かが垂れている。なんだ?
「ああ」
 覆いかぶさるように女を抱いていた幼女が、女の背に回していた腕を解いた。
「あああ」
 女はがくりと首を後ろに仰け反らせた。気を失っている。
「きゃ……」
 幼女の眼が、紅すぎるほどに紅い眼が、こちらに向けられた。霧の中でも、はっきりと紅く光るその眼。
「きゃああああああああああああああああああああああ!」

「というわけです」
「はあ」
 怪談だな。感想はそれくらいしかなかった。
「襲われた女性はどうなったんです?」
「後日、保護されました」
「そうですか」
「首には、吸血鬼の牙の痕のようなものが」
「そうですか」
 これで、勘違いという線はほぼ消えたか。
「他に同じような被害は」
「今のところは」
「そうですか」
 なる。単発の犯行という線もあるっちゃあるわけだ。
「分かりました。引き受けましょう」
「お願いします。犠牲になった女性のためにも」
 頭を下げるお偉いさん。真剣な様子だ。
「犠牲になったって、その女性は後日亡くなったんですか?」
「処刑されました」
「は?」
 おそらく不可解な表情で、思わず声を洩らした。
 お偉いさんは、当たり前だろう、という顔で言った。
「吸血鬼に噛まれたんですよ?」
「ああ……」
 なるほど。これで一つ謎が解けた。
 なぜこれまで、そしてその後同じような被害者が出なかったのか?
 答えは、出ていたが本人がそのことを申し出なかったから。
 誰だって殺されるのは嫌だ。
「お願いします。四年前の連続猟奇殺人、ジャック・ザ・リッパーでしたっけ?」
 苦い顔で吐き出すようにその名称を口にした。
「あんなことがあったのに、今回は吸血鬼。なんとか表沙汰にならないうちにこの問題は片付けてしまいたい」
「分かりました」
 いつもと変わらぬ口調で答えたが、胸の内は黒く渦巻いた思いで充満していた。
 ――この人達は、私が妖怪であると知ったらどんな反応をするだろうか?

「空気が悪い……」
 目的の街へ到着する。
 煉瓦の整った道、荘厳な家々、それらの景色は素晴らしいが、とにかく空気が悪かった。
「さて、まずは宿だな。で、街の探索」
 安い宿を取り、街の探索を始める。
「ふむ、風景は本当に素晴らしい」
 探索というより、観光だった。まあいいだろう。行動を起こすのは夜だし。
 街を観回りながら、さっきの続きを考える。
 能力として明らかに落ちたものもある。それは、気配探知能力。
「妖怪には必要無いから、か……」
 それでも今は周囲二百メートルくらいは気配を探ることができるが、いずれは周囲五メートル程、もしかしたら完全にその能力自体が無くなるかもしれない。
 全盛期と呼ばれる時期は、もう過ぎている。これからはどんどんマイナス方向に向かっていくだろう。
「さてどうするべきか」
 考えてみるが、分からない。
 まあ、どうしようもなくなったそのときは、
「そのときだ」
 どうしようもなくなるつもりなんてさらさら無いけど。
「ていうか、ひとり言増えたな、私……」
 彩花は今頃どうしているだろう、と想像を巡らせる。まあ、この世界に存在する限りは、いつかどこかで会えるだろう。
 もしかしたら別の世界とかにいたりして。そんなことを想像する。別の世界とはどんなところだろう。
「桃源郷、とか」
 桃源郷とは死後の世界だっけどうだっけなどと考えていると、腰の辺りに衝撃があった。
「痛」
「あ、ごめんなさい」
 はっと思いから覚め前を見るが、誰もいない。あれ?
「気を付けなさいよ、まったく」
 と、下の方から、なんだか妙に尊大というか、高飛車な調子の声が聞こえた。
「すみません」
 見下ろすと、少女が頬を膨らませながらこちらを見上げていた。
 紅い眼。綺麗な淡い青色の髪。白すぎるほど白い肌。高級そうな日傘。
 そして、奇妙な雰囲気。
「大丈夫?」
「大丈夫よ」
「ごめんね。あ、背中、なんか膨らんでるけど」
「ファッションよ」
「そか」
「じゃ」
 素っ気なく言って、少女は私の進行方向と反対側に歩き始めた。
「……さて、どうするか」
 偶然とはあるものだな、とちょっぴり運命というものに関心して、少女を尾行し始めた。
「犯罪者がいる」
 自分で言ってみたが、虚しいだけだった。


 ep2

 尾行は失敗した。
「……武術家が尾行に失敗。失格だな」
 あーあ、とぼやき、ベッドに仰向けに倒れる。
 さてどうしたものか。
「普通見失っても後を追うことはできるんだけど、あるところで気配どころか存在が消えたように痕跡が消えていた」
 むう、と唸る。流石伝説上の生物、一筋縄ではいかない。
「まあ、あとは夜だな」
 呟き、起き上がる。
「なんか食べに行くか」
 さてなにを食べようか。
 人間?
 滅相もない。

「だから、切り裂きジャックは吸血鬼の僕だったんだって!」
 料理屋で、男達が吸血鬼について熱く議論していた。
 街は吸血鬼の話題で持ち切りだった。ただ、まだ噂のレベル。これ以上被害が出れば、噂では済まなくなるだろう。
「思うに、吸血鬼は夜行性とは限らない。偏見から来る油断だな」
「吸血鬼の被害に遭った女性は、秘密裏に始末されたらしい……」
「上が隠しているだけで、吸血鬼の被害は過去にも数件あるらしい」
「吸血鬼は年をとらない。性格は幼いままらしい」
 いつだって噂というのは役に立つ。不思議なもので、必ずと言っていい程噂の中には真実に限りなく近いものがある。それも、とても具体的に。
「とにかく、吸血鬼は噂なんかじゃない。実在するんだ!」
「それは早とちりじゃないか?」
「なんだと?」
「なんだよ」
 男達の乱闘が始まりそうになったところで、私は店を後にする。

「吸血鬼は年をとらない。性格は幼いままらしい……ね」
 さっきの噂を鵜呑みにするわけではなかったが、私も同意見だ。さっき見た少女は、雰囲気も少女だった。ただし、
「少女のまま長い年月を生きると、あんな風になるのか」
 それが、奇妙な雰囲気の正体だろう。強力な力も理由の一つだろうけれど、あの奇妙さはそれだけが理由では有り得ない。
「一応種は撒いといたけど、さてどうなるか」
 見失う寸前、少女に意思を込めた強い視線を向けた。相手が吸血鬼なら、誰かが尾行していたこと、そして尾行していたのが私だったことも分かってくれたはずだ。
 吸血鬼の好奇心に賭けてみよう。
 決戦は夜。


 ep3

「噂通りに霧が深いな。しかし空気の悪さは変わらない」
 夜。
 街は見事に霧に包まれていた。前方三メートル程までしか視界が利かない。
「水じゃなく汚れによるものなんじゃないか?この霧は」
 ぼやく。空気の悪いところは好きじゃない。依頼が済んだらさっさと立ち去ろう。
 気配を探りながら歩いているが、今のところそれらしい気配はない。
「……待つか」
 道路脇のベンチに腰を掛け、背もたれに寄りかかる。
 空を見上げる。霧によって朧になっているが、今日は満月だ。
 吸血鬼には満月よりも、なぜか弦月が似合うような気がする。なんとなくそう思った。なんでだろう。
 目を瞑り、なにも考えずただ時間が過ぎるのを待った。
 一分。
 十分。
 三十分。
 一時間。
 そして一時間を三十分過ぎたところで。
「こんばんは」
「こんばんは」
 挨拶し、目を開く。昼間にも会った少女が目の前に立っていた。
「いい夜ね」
「私はあまり好きじゃないな」
「あら、そう」
「空気が悪い」
「そうかしら」
 小首を傾げる少女。微笑みながら立っているだけで、敵意も殺意も感じない。
「昼間差してた傘はどうしたの?」
「日傘は夜には必要ないじゃない」
「確かに」
「あなた、馬鹿ね」
「君は吸血鬼だったりして」
「吸血鬼?私が?あなた、やっぱり馬鹿ね」
「背中の羽は?」
「飾りよ」
「嘘吐きだ」
「酷いわね、人を嘘吐き呼ばりするなんて」
「人を嘘吐き呼ばりするような奴は、きっと嫌な奴だ」
「楽しい人間ね、あなた」
 人間じゃないけどね。
 少女は私を上から下までじっくり眺めまわした。
「赤髪にチャイナ服。あなた、『絶無』かしら?」
「それは」
 顔を歪める。
「私の師匠」
「あら。じゃあ、『紅龍』?」
「いかにも。情報通だね」
「まあね」
 紅龍の美鈴。ダサいあざなを付けられたものだ。
「ふうん。そんなあなたがここになにしに来たの?」
「あなたを退治しに来ました」
「か弱い少女を?人間としてどうなのかしら?」
「私は人間じゃないよ」
「あら。異形の気配は感じないけど」
「嘘吐きがいる」
 少女を指差す。少女は愉快そうに微笑んだままだ。
「珍種ってやつかしら」
「そう。お仲間かな」
「吸血鬼と一般妖怪を一緒にするなんて」
 嘆くように言う少女。
「やっぱり吸血鬼なんじゃない」
「まあね。嘘吐きだし」
「嘘吐きは人間の始まり」
「やっぱりあなた、面白いわね」
 ふふふ、と笑い声を上げ、昼間よりも色濃く紅いその眼で、私の眼を覗き込むように見つめる。
「それで?」
「それで、とは?」
「それで、どうするつもりなの?」
「君が人を襲うのをやめてくれれば問題解決なんだけど」
「私に死ねって?」
「だよね」
 吸血鬼は人間の血を飲まないと生きていけないというのは、本当だったか。
「あなたは人間を食べたことって、ある?」
「ないよ。妖怪の血なら飲んだことあるけど」
「お仲間ね」
「一般妖怪と吸血鬼を一緒にするなんて」
 私は嘆いた。
 少女はまた笑い声を上げた。
「面白いわね。こんなに面白いと思うのは何年振りかしら」
「それは光栄」
「もっとお話ししていたいけど、そういうわけにもいかないみたいね」
「そうだね」
 立ち上がる。
 呼吸を整える。
「空気が悪い……」
「そうかしら」
「さっさと終わらせて、ここを離れたいと思います」
「私はまだまだあなたと遊んでいたいわ」
「良い子は寝る時間」
「四百年以上生きてるけど」
「お子様だ」
「お子様を襲おうとしてる。犯罪者ね」
 少女がこちらに指を向けて笑う。
「構えて」
「ご丁寧ね」
「私は、師匠みたいになりたくはないのよ」
「ふうん?」
 意味が分からないという表情をしながらも、少女は腕をだらんと下げ、私に応じた。
「一応名乗っておきましょうか。私はレミリア・スカーレット。吸血鬼よ」
「私は紅 美鈴。武術家」
 名乗ると同時に、右足を少女の胴体目掛けて蹴り込んだ。
 辺りが振動し、霧に包まれた夜の街に轟音が響き渡る。
「…………」
「容赦ないわね」
 少女は
 左腕一本で蹴りを受け止めていた。
 体は微動だにしていない。
「吸血鬼は豪力」
「以外でしょ?」
 少女は微笑んでいたが、しかし雰囲気が豹変した。
 これは、敵意と、殺意と、そして――
「妖気とでも言うのかね」
「余裕ね」
「足、離してくれないかな」
「はいはい」
 投げ飛ばされると思ったが、あっさり離してもらった。
「余裕だなぁ」
「今度はこっちからいくわよ」
「来ないでー」
 少女の右足が、ゆっくりとした動作で動く。
 避けるのは簡単。しかし、尋常じゃない威圧感を感じる。
 ――辺りに、爆音が轟いた。空気が爆発したようだった。
「――――っ!」
 腕二本で蹴りを受けたが、踏ん張り切れず後ろに吹き飛ばされ、ベンチに衝突して盛大にこけた。かっこ悪い。
「生きてる?」
「生きてるよー」
「へえ」
 追撃してくる気配はない。ゆっくりと起き上がる。
「すごいわね。吸血鬼の蹴りを受けて無傷なんて」
「打撃に対しては滅法強いです」
 どこぞの師匠のおかげで。
「ふうん。じゃあ」
「…………」
 立ち上がり少女を見る。少女はどこから取り出したのか、右手に紅い巨大な槍を持っていた。
「マジック?」
「血よ」
「血?」
「血」
「……特殊能力ですか」
「そうね」
 ため息を吐く。槍は禍々しい威圧感を放っていた。
 呼吸を整え、構える。
「それにしても、これだけ騒がしく暴れているのに誰も来ないわね」
「今夜は誰も外に出ないように頼んどいたから」
「凄いわね。そんなことを決めれるの?」
「凄いのはお偉いさんだよ」
「ふうん。じゃあ、今夜はいくら暴れてもいいわけだ」
「そうだね」
 言って、少女に突進する。今度は気を足に集中させ、極彩色の軌道を空に描き、蹴り込む。
 少女は笑いながら槍を恐るべきスピードで振るった。紅色の軌道が空に描かれる。
 爆音が連続で街に轟いたが、気にするものは誰もいなかった。

「ふー……」
「もう終わり?」
「まさか」
 私は余裕の表情で答えたが、しかし体の方は余裕とは言い難かった。腹を裂かれ、左肩が貫かれている。汗が滝のように流れ、呼吸は荒かった。
「お疲れのようだけど」
「そう見える?」
「そう見えるわ」
「そりゃそうだ」
 対する少女は、ほぼ無傷だった。汗一つ流していない。
 ……吸血鬼って、汗かくのかな?
「しかし血っていうのは意外に便利なんだね。飛ばしたり武器にしたり」
「以外でしょ」
「知らなかった」
「楽しかったわ」
 少女はやはり微笑みながら、名残惜しそうに言った。
「楽しかったわ、あなた。でもそろそろお終いね」
「私はまだまだ余裕だけど」
「そう」
 一歩、二歩と、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「でも、そろそろ飽きてきたわ。瀕死の生き物と遊んでてもつまらないし」
「まだまだ余裕なんだけどなあ」
「あなた、もう一歩も動けないじゃない」
 ――血を流しすぎた。右足も深く切り裂かれている。
「正直、吸血鬼と一時間も戦っていたなんて、驚愕よ。これほど驚いたのは百年振りくらいだわ」
「それはそれは」
 少女は私の目の前で立ち止まった。少女の視線が私の足を捉える。小刻みに震えていた。
「よく立ってられるわね」
「なんかもうすでに勝ったみたいな言い草だね」
「もうすでに勝ったようなものじゃない」
「一撃あれば分からないのに」
「あっそ」
 少女は私への興味が尽きたのか、素っ気なく返事をするだけだった。
「最後はせめて、全力で殺してあげるわ」
「そんな気遣い、しなくていいのに」
「さよなら」
 少女の腕が音速を超えた速度で振るわれた。体全体で振るわれた、止めの一撃。
「さよなら」
 言って、私は槍をぎりぎりで屈んでかわす。
「え?」
 槍は数本の髪を焼き切り消滅させ、勢い余って空へと振り切られる。
 少女の体勢が崩れた。
 私は素早く呼吸を整え、少女の懐に飛び込んだ。
「え」
 足は、震えてなどいなかった。
 渾身の力を込めて、少女の腹に拳を振るう。

 極彩が爆ぜた。

 少女の腹と右上半身が吹き飛んだ。血液が霧散し、霧の中に溶ける。
 少女は、驚愕の表情で後ろに倒れた。
「…………」
「だから、まだ余裕だって言ったのに」
 少女を見下ろし、私は言った。呼吸も、幾分荒いが乱れてなんていなかった。
「…………。……嘘吐きがいる」
「親切に教えてあげたのに」
「……あなた、嫌な奴ね」
「それも教えてあげたのに」
「嫌な奴で、大嘘吐きね」
「そうだねぇ。なぜか私は、時が流れるほどに嘘吐きになっていく」
「へぇ」
 それは、どこぞの師匠に似てきたんじゃないのか?
 自分の中でそんな声がした。
 いやそんな馬鹿な、とすぐに否定する。
「じゃあ今より先、未来には、あなたは天下の大嘘吐きになってるかもね」
 未来、という言葉に新鮮さを感じた。将来という言葉よりも、未来のほうが好感が持てた。
「そうだねぇ。嘘ばっかりで、もしかしたら自分でもそれが嘘なのか本当なのか分からなくなってるかも」
「あっそ」
「そんな私が物語を語るとしたら、おそらく嘘ばっかりだね。もしかしたら君のことを『恐るべき』、なんて表現してるかも」
 ふっふっふと不敵に笑い、屈んで少女のほっぺたを突いた。これだけのダメージを受けても流石吸血鬼、絶命するような様子はなかった。
「…………」
 私のほっぺた突き攻撃を受けながら、少女は「あー……」とうざったそうにぼやき、そして、
 ――なんでもなさそうに、立ち上がった。
「…………」
「なによ?その驚愕したような表情は」
「……驚愕したよ」
「吸血鬼なんだから、このくらいの傷、なんてことはないわ」
「うそーん」
 苦笑いしか出なかった。
「残念ながら、本当よ」
 性質の悪い冗談としか思えなかった。その傷で、立ち上がれるものなのか。腹が半分以上抉れているというのに。どうやって。
 と、そこで初めて気付いた。……血で腹の穴が塞がっている。
「……血っていうのは意外と便利なんだね。飛ばしたり武器にしたり肉の代わりにしたり」
「以外でしょ」
「知らなかった」
 さてどうするか。相手は本当に余裕そうだ。もう同じ手は通用しない。……正面からぶつかるしかないか。
 呼吸を整え、構える。
 しかし、
「今日はこの辺でお暇するわ」
「ん?」
「帰る」
 言うと少女は、私に背を向けて霧の中へと歩き始めた。
 辺りを見渡す。朝にはまだまだ早いはずだ。
「ははーん」
 私は知らずの内、意地悪な声で少女の背に喋りかけていた。
「君、限界なんでしょ」
 少女は立ち止まった。
「限界なんでしょ?」
「そんなわけないじゃない」
「限界なんでしょ」
「……まだまだ私は余裕よ」
「どうだか」
 私は小馬鹿にしたように笑った。
 少女がこちらに振り向いた。微笑んでいる。
「ただの一妖怪に、吸血鬼が負けるわけないでしょ?」
「どうだか」
 ぶつっ、と何かが切れる音がした気がした。気のせいではないだろう。
 少女が微笑んだまま槍を振るってこちらに突っ込んできた。額には青筋が。
「やれやれまったく」
 私はため息を吐いて、微笑み、それを迎撃する。
 第二ラウンド開始。

 ……ところでさっきの会話、どこかで聞いたことがあるような気がするのは気のせいだろうか?


 ep4

「これが証拠です」
「おお、素晴らしい!流石『紅龍』、素晴らしいです!」
 袋から取り出し机の上に広げた、人のものとしか思えない肉片の付いた蝙蝠のような羽を見て、お偉いさんは大喜びした。
 街で一番偉いお偉いさんの所へ、私は吸血鬼退治の報告をしに来ていた。
「素晴らしい!いや、しかし、この羽は本当に、禍々しいというか、不吉というか、得体が知れませんな」
「そうですね」
 私にはただの肉片の付いた羽にしか見えなかったが、適当に合わせておく。
「しかし何はともあれ、ありがとうございました。報酬はこちらです」
「どうも」
 大量のお金を受け取り、私はお偉いさんの住処を後にした。
「ふう」
 依頼は終了。一件落着。
 思いっきり伸びをする。
「さーて、この空気の悪い街ともお別れしたいなー」
 …………。
「あーあ」
 空に向かって嘆きの言葉を口にして、私はうなだれた。

 結局、勝敗はうやむやなままに勝負は終わった。
 さっき私が座っていたベンチは壊れてしまったので、別のベンチに二人並んで座っていた。
「それで?」
「ん?」
「それで、どうするつもりなの?」
「んー、どうしよっかね」
 少し考えてから、少女の背中から生えた羽を指差す。
「それ、肉片も付いた状態でくれない?」
「酷いことを言うのね」
「嫌な奴だ」
「嘘吐きだしね」
 どうせ断られると思ったが、以外にもすんなりと少女は承諾してくれた。
「いいわよ」
「いいの?」
「条件があるけど」
 条件。さてなんだろう。ろくな条件でないことは想像できるが。
「私は大きな館を持ってるんだけどね」
「へえ」
「そこに仕えなさい」
「は?」
 意味が分からなかった。
「そこで働きなさいってことよ」
「……なんで?」
「あなたはこれ以上人間の被害が出るのが困る」
「ばれないようにやってくれれば問題無いんだけど。あ、あなたに血を吸われたら吸血鬼になる、なんてことはないよね」
「一定量吸えばそうなるけど、私は小食だからね。それはないわ」
「じゃあ問題無いんだけど。ばれなければ」
「でもばれるかもしれないでしょ」
「それは、まあ」
 ミスもあるだろうな。半月前みたいに。
「だから、あなたが人間を拉致する」
「は?」
 なにを言っているのだ、この少女は。
「あなたが人間を拉致するのよ」
「なんで?」
「あなたがばれないように人間を拉致する。私が血を飲む。その後あなたがばれないように人間を戻す」
「リスク増えてんじゃん」
「あなたにとっては造作もないでしょう。お偉いの命令とはいえ、流石にここまで暴れておいて誰も来ないっていうのは不自然だわ」
「……気付いてましたか」
 今夜外に出てはいけないというお偉いさんからの伝令は本当だったが、念のため周囲の住人はここに来る前に全員、睡眠薬で眠らせてあった。
「べつにいいわよ、この話を断っても。でもそのときは次に血を飲みに来るとき、わざと人間に見られるようにするけど」
「……そうしたら、別の人があなたを退治しに来ると思うけど」
「それはともかく、あなたは困ったことになるでしょうね」
「べつにそこまで困るってわけではないけど」
「嘘吐き」
 いやこれは本当。それで私の信用ががた落ちになっても、大きな依頼が来なくなるだけで、そこまで困ったことにはならない。
「ああそうそう、私の羽はただであげるわよ」
「は?」
 それは嬉しいけれど、素直に喜んでいいとは思えない。
「それでもしまた被害が出れば、次はお偉いは私の生け捕りを命じるでしょうね。体の一部ではなく」
「…………」
「そうなれば私は、あなたが私の兼族であると白状するでしょうね」
「……嘘吐きがいる」
「もし全身を証拠に私が殺されそうになっても、間際で必ず私はそのことを白状するわ」
「…………」
「実は妖怪の退治師の話を、誰が信用するかしらねー」
 によによと意地悪な笑みを浮かべる少女。想像以上にろくな条件でなかった。
 というかこれは条件ですらない。ただの脅迫だ。
 私は仰け反り上を向き、あーあと悲痛に嘆いた。
「返答は明日の夜、ここで。良い返事を期待しているわ」
「…………」
「朝も近いし、今度こそお暇するわ」
「…………」
「さようなら。また会いましょう」
 手を振り、霧の中に消えていく少女。
 一人残された私は、しばらくベンチに仰け反って座ったまま、朧な満月を眺めていた。
「あーあ……」
 まったく、妙なことになったものだ。吸血鬼に遭うと運命が狂いだすという伝承は、本当だったわけだ。
「ていうか思いっきり本人が狂わせてんじゃん……」
 またあーあとぼやき、ため息を吐く。
 少女が座っていた場所を見る。袋が一つ置いてあった。中身は確認するまでもない。
「さてどうするか」
 羽はどこかに捨てて、吸血鬼退治は無理でしたすみませんとお偉いさんに謝るか。……いやそんなことをしても結果は同じか。別の退治師に、兼族うんぬんとか少女が嘘百発を白状すればそこまでだ。
「あーあ……」
 うなだれ、ため息を吐く。
 あれため息を連発するところまであの人に似てきてないか、とふと思ったが、しかしこの状況では仕方ないだろう。苦労なんてレベルではない。
 霧が晴れ、薄雲が朝日で色鮮やかに染まるまでベンチでうなだれていた。とぼとぼと宿への道を歩き始める。

 Lastep

 昨日と同じように霧が深い夜。
 昨日と同じベンチに座る。目を瞑り、なにも考えずただ時間が過ぎるのを待った。
 一分。
 十分。
 三十分。
 一時間。
 そして一時間を三十分過ぎたところで。
「こんばんは」
「こんばんは」
 挨拶し、目を開く。少女は、ただ微笑みながら目の前に立っていた。
「いい夜ね」
「私はあまり好きじゃないな」
「あら、そう」
「空気が悪い」
「そうかしら」
 小首を傾げる少女。私はため息を吐いた。
「行きましょうか」
 霧の中へと歩き出す少女。
「はいはい……」
 鉛のように重い腰を上げ、もう一度ため息を吐き、少女の後を追った。



『殺人ドール』

「痛っ」
 誰かに蹴り飛ばされた。
「…………。痛っ」
 もう一度蹴り飛ばされた。
 目を開き、体を起こす。思いっきり伸びをする。
「おい」
 上から声が降ってきた。見上げる。
「あ、おはようございます」
「おはようございます、じゃないわよ」
 私の主が、引き攣った表情で私を見下ろしていた。
「どうしました痛っ」
 また蹴られた。
「どうしました、じゃないわよ。なに、この布団」
 言って、私が寝ていた布団を指差す。
「……普通の布団、じゃないですか痛っ」
「私が聞きたいのは、なんで門の前に布団が敷いてあるのかってことなんだけど」
 ここは名もなき紅い館の入り口。つまり門の前。
 私は適当に、この名もなき紅い館のことは『紅魔館』と呼んでいた。居候の魔女、パチュリー様もこの名称を気に入り、ここをそう呼んでいる。
「なんで、門を守る門番が、門の前で、布団を敷いて、寝てるのよ」
 連続で蹴り飛ばしてくるお嬢様。痛い。
「落ち着いてください、レバニラお嬢様」
「ぶっ飛ばすわよ」
 顔面を蹴られた。痛い。
「私昨日風邪気味だったんですよ。それで一日だけ布団で寝ていたんです」
「門番、私はね、あの日、あなたの言うことはいかなることであろうとも信じないって堅く決めてるのよ」
「そんな人を嘘吐きみたいに」
「人じゃないでしょ。あなた自分の予言通り、ますます嘘吐きが加速してるじゃない」
「嘘吐きが加速。良い表現ですね」
 立ち上がりもう一度伸びをして、軽く体をほぐす。空を見上げる。今日は曇天。
「良くない天気ですねぇ」
「私にとってはいい天気だけど。ともかく」
 お嬢様は私の頭に指を突き付ける。
「今度こんなことがあれば、クビよ」
「クビにしてくれるんですか?」
「そうなったら、あなたが私の兼族であることをばらす」
「はいはい」
 適当に返事をして、布団を畳む。まあ、兼族だと言いふらされても、今の私はほとんど兼族みたいなものだけど。
 ……ところで兼族ってなんだろう?
「その布団は没収」
「そんな」
 悲痛な声を上げる。
「また布団で寝る気まんまんじゃないの!」
「いや、うん」
 蹴られた。痛い。

 朝食は納豆ごはんだった。
「…………」
 納豆ご飯を指差し、お嬢様を見つめる。多分今私は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「私の好物よ。ありがたく食べなさい」
 お嬢様は納豆ご飯を無表情で、しかしおいしそうに食べていた。
「腐ってますよ、この豆」
「発酵よ」
「同じですよ」
「逆転の発想よ。腐らせないようにするのではなく、腐ったものを保存する。この発想は褒め称えてもいいわね。おいしいし」
「せめてご飯と納豆を分けてくださいよ……」
 お嬢様の趣味は全般的に特殊だ。
「レミィ、私もこの食べ物は頂けないと思うわ」
 紫色の髪にパジャマのような服装、居候の魔女、パチュリー様も渋い顔で不平を洩らした。
「腐ってるじゃない、これ」
「ですよね」
「発酵よ」
「同じよ」
「ですよね」
 食事が終わり、皿の片づけは私がする。
「このおいしさが分からないなんて、あなた達ちょっとおかしいわよ」
「おかしいのはレミィだと思うけど」
「私が超越しすぎてるのかしら」
「ある意味ね」
 そんな会話を聞きながら、私は冷たい水で皿を洗う。

 夕刻まで門の前で寝ていたり暇つぶしに鍛錬していたりして時間を過ごした。
 夕飯の時間。
「夕食は私が作りましょう」
「…………」
「…………」
 なぜか二人とも黙ったままだ。なぜだろう。
「あのね門番、あなたの料理は不味いわけではないのよ。ただ、なんというか……」
「味気ない」
「そう」
 苦笑する。それはいつだかも誰かに言われた。
「任せてください。今日は私の得意料理です」
「嘘だね」
「嘘ね」
「ひどいなぁ」
 嘆いたが、実際その通り、得意料理ではなかった。というか得意料理がなかった。
 夕飯はレバニラだ。
「残さず食べてくださいねー」
「門番ちょっと表出ろ」
「脂っこいのはちょっと……」
 なぜか大不評だった。なぜだろう?
 そんなこんなで紅魔館の一日は終わる。

「うおらぁあー!」
「痛い!」
 誰かにおもいきり蹴飛ばされた。なんだ?
 目を開け、体を起こす。思いっきり伸びを――
「うおらぁあー!」
「痛いですって!」
 蹴られたところをさする。ずきずきとした痛みが残っている。
「おい」
 上から声が降ってきた。見上げる。
「あ、おはようございます」
「おはようございます、じゃねぇー!」
 私の主が、引き攣った表情で私を見下ろしもう一度おもいきり私の横腹を蹴り飛ばした。
「どうしました痛っ」
 また蹴られた。
「どうしました、じゃねぇー!布団ー!」
 言って、私が寝ていた布団を指差す。
「落ち着いてください、ニラ様」
 顔面をおもいきり蹴り飛ばされた。一瞬視界が途切れた。
「どこから持って来るんだ、布団、おまえは!」
 相当お冠のようだ。なぜだろう。
「紅魔館の中から」
 蹴り飛ばされる。
 引き攣った笑みを私の顔ギリギリ数ミリまで近付け、一言一言に怒気を込めながら言葉を吐き出す。唾がかかるんですが。
「今度、同じことをやったら、そのド頭、吹き飛ばす!今日は朝食抜き!」
「そんな」
 悲痛な声を上げる。蹴り飛ばされる。
 お嬢様は肩を怒らせ館内に戻っていった。私はため息を吐く。
 空を見上げる。今日も曇天。

「お腹減った」
 門に寄りかかり灰色の空を見上げながら、呟く。昼過ぎだというのに辺りは暗い。時間間隔が狂いそうだ。
 お嬢様の怒りは未だ収まらず、昼食も抜きだった。
「雨降ってきそうだな……」
 ため息を吐き、座りこむ。
 ここに来てからというもの、ずっとこんな感じだった。
「なにやってんだか」
 べつにここを抜け出しても、まあ困ることには困るだろうが、生きていけない程に困るというわけでもない。しかしなぜかここを去ろうとは思わなかった。なぜだろう。
「それなりに居心地はいいのかな」
 言って、苦笑する。門の前で時間を潰しているのが有意義だとでも言うのか?私。
「まあ、しばらくはこのままでもいいかな」
 どうせ他になにか目的があるわけでもないし。
「飽きたら出ていけばいいし」
 ここを去る理由もなかったが、ここに居る理由も特にない。
 横になる。目を瞑り、耳を澄ます。不自然な程の静寂が心地よかった。まるで自分の存在が宙に浮いているようだ。
 ふと彩花のことを想った。今あの子はどこで何をしているのだろうか。
「私が吸血鬼の世話役をしてるなんて知ったら、どんな顔するかな」
 微笑む。まああの子ならそんなに驚くことはないだろうな。「へぇー、そうなんだ」とびっくりした顔で答える彩花の顔が浮かんだ。
 ――師匠がこのことを知ったら?
「…………」
 考えたくもなかったのに、そんな疑問が頭の中に浮かんだ。
 吸血鬼もろとも滅される。
 分かり切った答えだ。

「おーなーかーへったー……」
 うう、と嘆きながら腹をさする。なんと夕飯も抜きだった。もしかしたら、あのあとそのまま眠ってしまったのが原因かもしれない。
「あーあ……」
 空を見上げる。昼間の曇天が嘘のように雲は跡型もなく消え、淡い青に輝く月が辺りを照らしていた。
「綺麗だな。でも今の私には花より団子を」
 ため息を吐く。これで明日の朝食も抜きではたまらない。今日は布団無しで我慢しよう。
「さて、血を貰いに行くか」
 これは三日に一度の日課。街の人間から血を少しばかり採取する。
 お嬢様は拉致という方法を主張したが、しかし私が強引に採取という方法に決めた。ばれるリスク云々の理由もあるが、空気の悪いあの街に二度も訪れたくないというのが一番の理由だった。
「採取した血を飲むなんて、吸血鬼として恥だわ。……威厳が……吸血鬼としての在り方が……大体あなたは……」
 などとぶつくさ言っていたが、これだけは譲らなかった。渋々承諾した辺り、お嬢様も威厳やら吸血鬼としての在り方なんてわりかしどうでもいいのだろう。と言ったらぶん殴られた。
「あーあ、めんどくさい」
 ぼやきながら街へと歩き出す。
 しばらく歩いたところで振り返ると、紅魔館の全景が見渡せた。青い月に照らされた紅い館は、幻想のような存在感と美しさがあった。
 まるで、吸血鬼でも住み着いていそうだ。


 ep2

 ……痛みを感じたような気がした。地面に衝突したような痛み。気のせいかもしれない。
 あれ?
 なんだろう。
 何もかもが分からない。
 私は今までどこで何をしていた?
 ここはどこだ?
 私はなんだ?
 分からない。
 そんなことをぼんやりと考えていた気がしたが、それすらも気のせいかもしれなかった。
 再び暗闇の中に落ちる。


 ep3

「おや」
 深い霧に包まれた街の道路の真ん中に、少女はうつ伏せで倒れていた。
 白いばらけた髪。彩花の髪ほど純粋な白ではない。まあ、それは彩花の髪が特別なのだろう。五、六歳ほどだろうか。長い間何も食べていないのか、やせ細っていた。
 近寄り屈み、頬を叩いてみる。
「おーい。生きてるー?」
 反応はない。
 心音を確かめてみる。とくん、とくん、とか細い鼓動が聞こえてくる。
「生きてはいる、か」
 かろうじでだが。相当衰弱している。
「さて」
 どうするか。このまま放っておいても、朝に誰かが発見すればこの子は助かるだろう。今すぐ死ぬって程に重傷ではない。
「んー」
 ちょっと考える。考えるふりだけど。
 このまま道路に置いておいたら引かれてしまうかもしれないし、移動させるついでに紅魔館に連れていってもいいだろう。自分でもこじ付けとしか思えない理由だ。
 少女を慎重に丁寧に抱きあげる。軽い。重さをまったくと言っていい程感じない。
「……いくらなんでもこれは異常なんじゃないか?」
 中華鍋の方が軽いくらいだ。さすがにレバニラのほうが軽いとは言わないが。
「この子、人間かね」
 うつ伏せで見えなかった顔を見る。整った綺麗な顔立ちだ。顔色が蒼白だが、それは体調によるものだろう。それだけ見ればいたって普通。しかし――。
 眼が。
 紅かった。
 お嬢様の純粋な紅色とは異なった、紅蓮とでもいうのだろうか?なんというか、
「狂気に満ちた紅」
 とでもいうのだろうか?
 なんにしても、人間のモノとは思えない。
「…………」
 まあいいか。どうせあそこには人間なんていないし。
 来た道を戻り始める。途中で人間の血を採取し忘れたことに気付いたが、まあ私も一日食事抜きだったから構わないだろう。いざとなったら、この子を差し出せばいい。
「あー、空気が悪い」
 二度とこの街には来たくない。これまでもここに来るたびそう思っていたし、これからもここに来るたびそう思うだろう。ため息を吐き、空に浮かぶ月を見上げる。
 今日は十六夜。

「ただいま戻りました」
 お嬢様は食堂で、おそらくパチュリー様から借りた本を読んでいた。
「そう」
「暗い所で本を読んでいると、目を悪くしますよ」
「迷信よ、それ」
「そうなんですか?」
「なんでもいいけど早く血を……ってなにその子」
 そこでようやくお嬢様は、私の背中で眠る少女に気付いた。
「食料にしては痩せすぎじゃない?」
「倒れてたんですよ。街の道路の真ん中に」
「弱者を食料にするっていうのは、私の美学に反するわ」
「じゃあ食べないでくださいよ。衰弱した少女を食い物にするなんてひどいですね」
「ああそうね」
 歪んだ表情で面倒くさそうにあしらうお嬢様。
「で、血は」
「飲みます?」
 少女を差し出す。
「……衰弱した少女を生贄に差し出すなんてひどいわね」
「そうですね」
「パチェに見てもらいなさい」
 呆れと諦めがない交ぜになったような表情で、私を追い払う仕草をしながらそう言ってくれるお嬢様は、やはり素敵だなと私は思いました。
「あっそ」
 お嬢様は深いため息を吐き、本に視線を戻す。後ろから本を覗いてみると、訳の分からない文字がずらっと隙間なく並んでいた。
「お嬢様これ、内容分かるんですか」
「煩いわね。さっさとどっかに行きなさいよ」
 舌打ちされた。ご機嫌斜めだ。
「ただ見てるだけとか」
 言ってみただけだったが、しばらく黙り、また舌打ちされただけだった。
「ほんとに見てるだけだったんですか……」
「ほんとに煩いわね。なに?」
 本を乱暴に閉じ、怒りの表情でこちらを睨んできた。これ以上おちょくるのはまずいか。
「いや、この子もしかしたら人間じゃないかもしれないんですよ」
「ふうん?」
 少女をお嬢様に渡す。犬じゃあるまいし、いきなり噛みつくということはないだろう。
「なに?」
「ん?いえ、なんでも」
「あっそ」
 しげしげと少女を観察するお嬢様。姉と妹と言う構図には無理がある。
 心音を確かめ、腹を少し押し、髪を撫で、最後に噛みついた。
「噛みつくのかよ」
「私は吸血鬼」
 平然と袖で血を拭うお嬢様。
「この子は人間ね。間違いないわ」
「ふーん。でも、目が」
「目?」
「人間じゃないみたいでしたけど」
「ふーん」
 まるで獣の死体を扱うかのような手付きで、閉じた目を無理やり開く。
 狂気に満ちた紅い瞳が露わになった。
「あら、この子……」
 少女の眼を見ると、お嬢様は驚いた表情を見せた。
「ん?知ってるんですか?その子」
「まあね。ふーん」
 長い指で少女の柔らかな頬を撫でる仕草に、妖艶な色気を感じる。さすが見た目は子供でも吸血鬼。雰囲気だけはあった。
「……そういうことは口に出すんじゃねえ」
「すみません」
「門番」
 今のでまた食事抜きの刑か、と身構える。
「お手柄よ」
「は?はあ」
「この子をすぐにパチェに見せに行きなさい」
「はい」
 少女を受け取り、パチュリー様が引きこもっている図書館へと足を向ける。
 食堂の出口で振り返ると、お嬢様は上機嫌で小声で歌を歌っていた。耳を澄ます。アヴェマリアだ。いや上手いけれども。良い曲だけれども。
 廊下を歩きながら、腕の中の少女を見る。薄眼から漏れた紅い光は、まるで悪魔のもののようだった。知らず知らずのうち、私もアヴェマリアを口ずさんでいた。


 ep4

 …………。
 …………………………………………。
 ……生きている?
 生きている?
 それはどういう意味だ?
 存在することか?
 それとも別の特別な意味でもあるとでもいうのか?
 ああ、頭が回らない。
 訳の分からないことばかりが次々と浮かんでは、消える。
 ここはどこで私は誰だ?
 私はなにをするためにここにいる。
 …………。
 しっかりしろ。
 まず今の自分の状況を確かめよう。
 倒れている。柔らかい何かの上で。
 ベッド?
「うっ……」
 体を起こそうとすると、頭に激痛が走った。
 ゆっくり、慎重に体を起こす。
「…………」
 視界がぼやけている。何もかもが霞んでいる。
 目を擦る。しばらくじっとしていると、霧が次第に晴れるかのように視界がはっきりとし始める。
 霧。
 なぜかその単語に引っ掛かる。
 なぜだろう。
「…………」
 暗い、質素だが決して貧相ではない、それなりに広い部屋。その部屋の窓際に置かれたベッドに私はいた。
 どこだ、ここは。
 誰だ、私は。
 と、
 何者かの気配がこちらに近づいてくる。
 誰だ。
 どうするべきか迷ったが、体の不調とは関係なしになぜか動けなかった。
 扉が音も立てずに開いた。
 入ってきたのは、
「あら、お目覚めね。あなた三日も寝てたのよ。三日も。私なら退屈で死んでいるわね」
 月光に照らされ静かに輝く淡い青い髪に、血のように紅い瞳、そして背中から出た、蝙蝠のような羽を持った少女だった。
「身構えることないじゃない。私はあなたを助けてあげたのよ?」
 言われ、気付く。無意識に身構えていた。少女を睨む。
 少女の雰囲気に飲まれそうになっていた。まるで少女の周辺だけ空間が歪んでいるような、奇妙な感覚。
 私のあからさまな警戒心にも、少女は微笑んだままだった。
「お久しぶりね。連続猟奇殺人犯さん」
 ――……。
 その言葉で、私は。
 連続、猟奇。
 殺人。
 殺戮。
 惨殺。
 内臓。
 娼婦。
 子供。
 夜霧。
 悪魔。
 時空。
 狭間。
 ――時。
 全てを、思い出した。
「どうしたの?」
 目の前にいる悪魔は、小首を傾げた。
 私は確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 元々静寂だった辺りが、さらに静まり返る。
 殺す。
 ――そこで、気付いた。
 動かない。
 体を見る。足に、紅い鎖が絡まっていた。
 こんなものに気付かないなんて。
「病み上がりであまり無茶をするものではないわ」
 少女はいつの間にか目の前にいた。
「一応教えておこうかしら。自分が時空の狭間に飲みこまれたことは覚えてる?」
「…………」
 私は答えない。少女は構わず続けた。
「今はその四年後よ」
「…………」
「あなた運がいいわね。たった四年で狭間から偶然抜け出せるなんて。ちなみに、狭間にいた間はあなたの体の時は止まっていたわ。成長も退化もしてないようね」
「…………」
「今はお休みなさいな。まだ疲れているようだし」
「…………」
 私は必死に鎖を引き千切ろうとする。しかし、鎖は微動だにしない。
「お休みなさい」
 少女の手が顔面に覆いかぶさった。辺りが暗くなる。何も考えられない。


 ep5

 目を覚ます。
「…………」
 辺りを見回す。意識を失う前とまったく同じ風景。しかし、足に絡まっていた紅い鎖は無かった。
「…………」
 立ち上がる。長らく歩いていないせいか、足がふらついた。
 部屋を出る。誰もいない。静かだ。
 これからどうするかなんて考えてはいなかったが、とにかくこの屋敷から出よう。悪魔の城に居座る理由はない。
「…………」
 悪魔。私もそう呼ばれたことがある。幾度も。あれは本物の人外だったが、人外という点で一体私とどれほどの差異があるというのか。
 頭を振る。疲れが抜けきっていないのか、ぼーっとする。余計なことを考える。
 ここを抜け出したら、また殺人を繰り返すのか?
 そんな声が聞こえた。辺りを見回すが、誰もいない。自分の中で生まれた声か。もう一度頭を振ったが、声は消えない。
 それになんの意味がある。お前はなんだ。
 頭を抱える。しっかりしろ。
 存在するだけで悪害なら、存在理由が無いのなら、そんなモノ消えたほうがいい。
 存在理由がある人間なんているのか?この世に一人でもいるとは思えない。
 気付くと、頭の中で生まれる声に話しかけていた。歯を食いしばる。
 悪害でない人間ならいるだろうな。
 声がせせら笑う。
 べつに自分を正当化するつもりはないが、悪害でない人間なんてものも、いない。
 言っていればいい。永遠にほざいていろ。
「…………」
 気付くと、しゃがみこんでいた。
 立ち上がり、深呼吸する。
「大変そうねぇ」
「…………」
 反射的に後ろに飛び退く。いつの間にか、悪魔が目の前にいた。
「大丈夫かしら?なんか食べる?」
「…………」
「べつに血しかないってわけじゃないから安心してほしいのだけれど」
「…………」
 血。
 ……吸血鬼?
「そう。私は吸血鬼よ」
 吸血鬼。血を吸う悪魔。だが悪魔というのはそう呼ばれているだけだろう。
「あなたと同じね」
「…………」
 私は自然、警戒心を強める。吸血鬼は微笑んでいるが、視線にはまったく柔らかさを感じなかった。まるで眼の奥の奥を覗き込むような視線。
 心を読まれているのか?
「そんなことできないわよ。ただの読心術。あとは当てずっぽう」
「…………」
「あなた、意外と分かりやすいのよ」
 ふふふ、という緊張感の欠片もない笑い声。余裕か。それはそうだろうな。今の私は丸腰だ。武器を持っていたところでなにも変わらないかもしれないが。
 戦闘は避け、今は逃げることに専念しよう。
 確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 辺りが静寂に包まれる。
 私は吸血鬼は無視し、全力で走りだした。
「逃げることないのに」
 後ろで声が聞こえたような気がしたが、振り返らなかった。
 吸血鬼は追ってこない。私は館の外に出た。良く晴れた夜空。月が明るく青く辺りを照らしていた。
 まずは武器の調達。それから――。
 どうするんだ?
 また声が聞こえた。私は構わず走り続ける。

 そいつは、門の前で布団を敷いて寝ていた。
 私は門の前に来た時にはもう走ってはいなかった。限界だ。足が震え、呼吸が乱れに乱れていた。
 たったあれだけ走っただけなのに。と思ったが、呼吸が乱れぬように気を遣いながらあれだけ走れば疲れるのは当然だった。
 どうかしているな。歩きながら、髪を掻き毟った。しっかりしろ。
 しかし、もう精神的にも肉体的にも限界だった。思考はできても認知ができない。まるで夢を見ているように現実味がない。これは現実か?と疑いたくなる。
 悪魔の館の出口に到着する。呼吸を整え、全力で門を開けようとした。が、尋常じゃなく重かった。開かない。仕方がないので、門をよじ登り、脱出した。
「ふおうっ」
 着地と同時に、奇妙な声が聞こえた。飛び退いたが、足がふらつき倒れそうになった。なんとか踏ん張る。
 声がした方向を見ると、なぜか門の前で布団を敷いて寝ていた女が飛び起きて、なぜか直立不動の姿勢をとっていた。
 ……なんだ、こいつは。浮浪者か?いやわざわざこんなところを寝床に選ぶ奴はいないだろう。恰好も妙だ。
 長い赤髪に、奇妙な服装。身なりは清潔そうだし、浮浪者ではないだろう。
「いや違うんですよ。いや言い訳じゃなくてですね。私は危機察知能力が程々に優れてましてね。二、三日中になにか強大な存在がここを襲撃してくると私の勘が言っているわけです。だから私は今は体を休め、来るべき強大な敵に立ち向かうための準備を今からしているわけです。いや本当に強大な存在が、それこそ悪魔のような。って悪魔はあなたかって喧しいわはっはっは」
 女は空を見上げながら訳の分からないことを口走った。やっぱり浮浪者なのかもしれない。
 無視すべきか迷っているうちに、女が私の姿を捉えた。
「あれ、あなたは……」
 私を知っている。吸血鬼の僕か。迷わず逃げるべきだったなと後悔する。
 確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 辺りが静寂に包まれる。
 しかしふらつく足で三歩歩いたところで、無様に前のめりに倒れた。
「あ、大丈夫?」
 女が駆けよってくる。
 私に触るな。
 差し出された女の手を払い、立ち上がる。逃げなければ。
「あ、ちょっと君」
 無視する。
「ちょわ」
「がっ――」
 首に衝撃。景色が暗転する。闇が急速に視界を侵食する。
「無理はいけないよ。もうちょっと休んでな」
 女に抱きかかえられる。触るなと叫びたかったが、出てきたのはか細い掠れ声だった。
 結局これは現実だったのか?夢だったのか?もう訳が分からない。全てが意味不明だ。
 振り出しに戻る。
 声が私を嘲笑った。


 ep6

「逃げだしてどうするの?」
「…………」
「どうせすることもないんでしょ?」
「…………」
「まだ殺人を続けるつもり?ここはもう四年後の世界なのに。まあそんなこと殺人意義には関係ないでしょうけど」
「…………」
 ぼんやりとした意識の中で、そんな声が頭の中に響いていた。自分の中の声が問いただしているのかと思ったが、違った。
 目を覚ますと、吸血鬼が私が眠るベッドに腰掛けていた。
「おはよう。良い朝ね。と言いたいところだけど、今はもう昼よ」
「…………」
「昼食はもう食べちゃったわ。残念あなたの分は残ってないわよ」
 体を起こす。昨日より、いや今日の晩より体調はいくらかましだ。
 ――いや、あれは現実だったのか?
 今この時は現実なのか?
 ……いや、今はそんなことを考えるよりも。
 足を見る。鎖は絡まっていない。
 よし。
 呼吸を――。
「まだ逃げようとするの?逃げてどうするつもり」
 そんな私を見て、まるであの声のように吸血鬼は私を嘲笑った。吸血鬼に嘲るつもりはなかったかもしれないが、私にはその声は嘲りにしか聞こえなかった。
 不快だ。不愉快だ。
「黙れ」
 知らずのうち、声が漏れていた。
「あら」
 吸血鬼は少し驚いたような表情を浮かべた。
「記念すべき初めての会話ね」
「…………」
 吸血鬼を睨みつける。その余裕な微笑みに苛立ちを感じる。
 ――感情が乱れている。
「でもまあその様子だと、これからどうするかは決まってないみたいね」
「…………」
「提案があるんだけど」
 提案?
 私に訝しむ暇も与えず、吸血鬼はなんの前触れもなく唐突に、私にとって意味不明でしかない要求を口にした。
「私の召使いにならない」
「……なにを言っている」
「記念すべき二回目の会話ね」
 吸血鬼はなぜか上機嫌だった。
「どうせやることもないんでしょう?だったらここで住み込みで働かない?」
「……意味が分からない」
「意味なんてつまらないもの、べつに分からなくてもいいじゃない。あなた、住むところもないんでしょ?」 
「どうとでもなる、そんなもの」
「やることもないんでしょ?」
「吸血鬼の下僕になるつもりはない」
「召使いだってば」
「同じことだ」
「腐ると発酵ぐらい意味が違うわ」
 意味がまったく分からない。
「ま、考えといてね。答えはすぐじゃなくてもいいから」
「考えるまでもない」
「これは運命よ」
「運命?」
「そう、運命」
 吸血鬼はその言葉の響きを楽しむかのように笑った。
「これだけ早く狭間から出てこれたことも、あなたがこの館の前で倒れていたことも、運命よ。それじゃあここで働くのも自然な流れってものよね。なにせ運命なんだから」
「…………」
 ため息を吐く。吸血鬼の戯言に付き合う気はない。
「私が倒れていたのは、霧深い街、狭間に飲みこまれた場所だ」
「うん?気の所為じゃない」
 いけしゃあしゃあとほざく吸血鬼。
「まあ何にしても、たまたま私が人間を襲いに街に出かけた時にあなたが現れたのは、運命といってもいいはずよ」
「嫌な運命もあったものだな」
「そうね。でも仕方ないわ。抗うものじゃないわ。なんせ運命なんだから」
「便利な言葉もあったものだな」
「ほんとね」
 これ以上会話を続ける意味もないだろう。私は立ち上がる。
「交渉決裂?」
「これは交渉ではない」
「そうね。残念」
 そう嘆く吸血鬼には、さして残念そうな様子はなかった。実力行使で来るかと思ったが、意外と粘着してはこなかった。
 まだ少しふらつく足取りで歩き、部屋の扉に手をかける。
「あなたはここに仕えるわ」
「…………」
「運命だから、ね」
 しつこい。
 振り返らず、扉を開け、閉める。不愉快な笑い声が聞こえたような気がした。

「あ、もう大丈夫なの?」
 門には昨晩の女が壁に寄りかかり立っていた。どうやら女はこの館の門番らしい。
 無視し、さっさとここを去ることにする。
「あ、じゃあねー」
 間の抜けた声で小さく手を振る女。なんなんだ、お前は。
 これからどうするか。
 やることは一つしかなかった。


 ep7

 四年経っても街は相変わらずだった。くだらない人間が虫のように歩き回っている。なんの感慨もない。
 衣服は寝ている間に清潔なものに着替えさせられていたので、見た目で目立つことはなかった。しばらく街を散策して、適当な空家に腰を下ろす。
 今にも底が抜けそうな床に座り、壁にもたれて目を瞑る。街の喧騒が消えていく。自分だけの世界に心を沈める。
 あれから、悪魔と出遭い狭間に飲まれてからの記憶をたどる。
 無い。
 無いが、まったくなにも無いというわけではない。いや記憶はない。あるのは、感覚。
 まるで心を食われるような感覚。
 今になって、思い出してきた。
「う、うえぇぇええ……」
 吐き気が襲ってきた。酸性の液体が腹から喉へと押し寄せてくる。なんとか堪えたが、気分は最悪だった。
「…………」
 呼吸を整える。なにも考えない。

 夜。
 四年前と変わらず、霧が深い。
 深い霧の中を歩きながら、私は確かめるように呼吸を繰り返す。
 静寂が辺りを包む。歩く音さえ霧の中に消えてしまっているようだ。
 静まり返った町並み。しかし私の心は静まり返ってはいなかった。

 ドアには鍵が掛っていた。当たり前だ。私にはこんなもの、何の意味もないけれど。
 確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 辺りが静寂に包まれる。
 完全なる静寂。私以外に、動くものはなにもない。
 鍵を外す。中に入る。
 娼婦はベッドに横たわり、毛布を体に巻きつけ眠っていた。
 一瞬、目の前の景色が消え去り、私の脳裏になにかが映った。
 何かの一場面。ああ、そうだ。四年前の最後の犠牲者だ。
 私は頭を軽く振り、娼婦に近付いた。
 首を切り裂く。臓器を取り出す。
 私は娼婦を憎む。それはつまり、自分を憎んでいるということだ。
 臓器を用意していた袋に入れる。これを焼けば、もう子供が生まれることもない。
 家を出る。時は動き出す。


 ep8

 私はため息を吐き、あーあとぼやきながら歩いていた。幾十度目のため息。気分はまことに良くなかった。
 あーあとぼやき、ため息を吐く。何度だって繰り返すぞ、今日の私は。

 街で倒れていた少女が館を去ってからすぐに、お嬢様は来なくてもいいのにやって来た。
「門番」
「はい?なんでしょう」
「任務」
「は?」
 なにを唐突に、と思ったが唐突はいつものことだったのでそこはスルーした。
「任務ですか」
「任務よ」
「内容は?」
 聞くと、お嬢様はまるで悪魔のようにニヤっと笑った。あ、これはろくなことじゃないなと直感しその場から逃げだしたい衝動に駆られる。
「説明は屋敷の中で」
 それだけ言ってすたすたと館の中に戻っていくお嬢様。私はこの日一発目のため息を吐いて、お嬢様を追った。

「ジャック・ザ・リッパーって知ってる?」
 食堂の椅子に座ると、お嬢様は出し抜けにそんなことを聞いてきた。
「んーっと、四年前程に騒がれた猟奇殺人鬼でしたっけ」
「そう」
「それが?」
「それが、あの子よ」
「……は?」
 返答に困る。
「ジャック・ザ・リッパーはあの子よ」
「……はあ」
 あの子は人間、とか言ってたよな。五歳程度の子供が、幾人も街の人間を惨殺した殺人鬼。ちょっと信じられない。
「私は四年前、あの子に会ったことがあるわ」
「あ、やっぱ顔見知りだったんですね」
「数分私が一方的にお喋りしただけだけどね」
「ふーん」
「あの子は私も殺そうとしたわ」
「そりゃ、ご愁傷さま」
 吸血鬼を相手にするのはいくらなんでも無謀だ。
「私はあの子に一撃貰ってしまったわ」
「え」
「普通のナイフでの攻撃だったから傷はつかなかったけど」
「……そりゃ、凄いですね、あの子」
 ほんとに。
「見た目が幼いだけとか?」
「いや、見た目通りの年齢でしょうね」
「ふーん」
 それは、それじゃ、脅威以外の何物でもない。五歳程度で吸血鬼と対峙し、一撃入れる。人間としての性能を越えているとしか思えない。
「身体能力だけで一撃ですか?」
 さすがにそれはないだろう。どこぞの絶無じゃあるまいし。
「違うわ。能力ね」
「ふーん」
 さてどんな能力だろう?
 予想は瞬間移動能力。昨晩あの子が倒れたとき、移動していないのに倒れる前より数歩前で倒れた。まるで瞬間移動したように。目の錯覚ではないだろう。だとすると、驚くべき空間能力だ。
「時を止める能力」
「…………」
「それがあの子の力よ」
「…………」
 しばらく静寂が流れた。
「……いや、いや。いやいやいや」
 私は笑った。
「有り得ないですよ」
「ところがどっこい、有り得たのよ」
「なんの準備も無しに?」
「なんの準備も無しに」
「一人の人間が?」
「一人の人間が」
「そんな馬鹿な」
 人間のキャパシティーの問題。時を止める能力なんて、それだけでその人間の全ての容量を大幅にオーバーしてしまう。仮に幾億中の奇跡としてそんな存在が在ったとしても、自我なんて意思なんてそれには存在しないだろう。
 しかしあの少女には自我も意思も存在した。
「そんな馬鹿な」
 私はもう一度繰り返した。お嬢様は満足そうに微笑んだ。
「私も会ったときには驚いたわ。人間としてはハイスペックでしょ?」
「ハイスペックなんてレベルじゃないですよ……」
 そんな存在が本当に在るとしたら、間違いなく人類最優秀の部類だ。
「が、その能力も私の前では意味を成さなかった」
「まあ、それは物理的な問題でしょうね」
 時を止めるという能力は確かに脅威だが、それ単体で絶対的な攻撃に成り得るというわけにはならないだろう。
「で、あの子も本気出したの」
「そうならざるを得ないでしょうね」
「そしたら能力を解放しすぎて、時空の狭間に飲み込まれちゃった」
「…………」
「次元じゃなかったのが不幸中の幸いね」
「はあ」
「で、なんと驚き、たった四年で狭間から出てこれたってわけ」
「なる」
「ここで本題」
 指を立て、ふふんと笑むお嬢様。任務がうんたらなんてこと、すっかり忘れていた。
「なんでしょう」
「あの子はこれから何をするでしょうか?」
「そりゃあ」
 ちょっと考える。
「……殺戮の続き?」
「正解」
 ぱちぱちと拍手を送られた。嬉しくもなんともない。
「で、四年前と同じ手口の殺戮が続いたら、人間達はどうするでしょうか」
「殺人鬼の討伐依頼を出す」
「正解」
 またぱちぱちと拍手を送られた。
 ……まずい。嫌な予感がする。
「で、私はあの子をここで雇いたい」
「……なんでですか?」
 理由はなんとなく想像できるけど。
「理由は省略」
「そうですか」
 では私は門番の仕事があるのでこれでとその場を一刻も早く立ち去りたかったが、どうせそんなことは無意味だろうと私はとっくに悟っていた。目を瞑り、何も考えないようにする。無想の境地。
「『紅龍の美鈴』、出番よ」
「…………」
「あの子を引きずってでも連れてきなさい」
「…………」
「必ずよ。もし失敗したときは……」
「…………」
「省略」
「…………」
 無想の境地。

 そしてあれから数日後、私は依頼を受けるためにこの街にいる。
 あーあとぼやき、ため息を吐く。何度だって繰り返すぞ、今日の私は。


 ep9

「いやいや、本当によく来てくださいました」
「いえ」
 愛想良くもなく、素っ気なくもなく答える。
 場所はお偉いさんの住処。大喜びなお偉いさんに迎えられ、私は高そうな柔らかい椅子に腰かけている。
「最近あなたの噂を聞かなくなって心配しておりましたが、まさかあなたからこちらに来ていただけるとは」
「いえいえ」
 最近私の噂を聞かないのは、私が吸血鬼の館に寝泊まりしているからです。
「あなたが退治してくれた吸血鬼、あの忌まわしい生物は二度とこの街に現れておりません。本当に感謝しています」
「いえいえ」
 それは私が吸血鬼の代わりに街人を襲っているからです。
「しかし、まあ、あなたは少しも変わりませんなあ。信じられないくらいお若い」
「おだててもなにも出ませんよ」
 微笑む私。それは私がほぼ完全な妖怪だからです。
「そろそろ本題に」
「――そうですね」
 途端に沈んだ表情になるお偉いさん。
「おい」
 後ろに立っている秘書と思しき女に声をかけるお偉いさん。私は女から紙の束を渡された。見てみると、首を切られ臓器を取り出された女の惨殺死体の写真が載っていた。下に死亡時刻等の詳細が記してある。全部で四枚。
「四人が犠牲になりました」
 悲痛な面持ちのお偉いさん。
「――……」
 この数日で、四人。尋常じゃないペースだ。このまま放っておけば、一日複数人のペースになるだろう。
「分かりました。任せてください」
「お願いします」
 頭を下げるお偉いさん。その様子は祈るようでもあった。まあ祈りたくもなるだろう。四体の惨殺死体の情報が漏れる前になんとかしなければ、四年前のような惨状になる。それだけはなんとしても防ぎたいのだろう。
 お偉いさんの住処を後にし、私はため息を吐いた。
 四年前の惨状どころではない。四年前は計画的な、もっとも人々に恐怖を与えることができるよう図ったような殺し方をしていたが、今回の殺戮はそれがない。絶妙なタイミングで殺戮してはいるが、計画性という意味で四年前より無差別な殺し方に思える。
 もちろん殺戮が永遠に続くということはないだろう。人間の寿命うんぬんという意味ではなく、本当に、本当にどうしようもなくなれば、本物の退治師を複数人呼ぶことになるだろう。そうなれば少女は終わりだ。
 単純な能力だけで世界と対峙できるほど、世の中甘くない。

 私は甘く見ていた。時を止めるなんていうとんでも能力には十分警戒していたし、幼すぎる少女の年齢にも油断なんてしていなかった。
 しかし私は、幼いということが強みになるということを考慮に入れていなかった。致命的な浅はかさだ。まったく、長く生きる程に思慮深くなるっていうのは嘘だな。少なくとも私は。


 ep10

 夜。
 いつも通り霧深い街。
 静寂がこれほど似合う街もそうないだろうな、などと余計なことを考えながら、私は霧に紛れるように静かにさ迷う。
 さ迷っていた。今日は誰かを殺すつもりは無かったが、気付くと外に出てさ迷っていた。
 声が。
 声が聞こえる。
 自分の中の声が、日に日に大きくなっているのだ。
 こんなことに意味があるのか?
 声が私に問いかける。
 なんなんだ、いったい。
 狭間に飲まれていた四年で、私の体は変わっていない、私の存在理由も変わっていない、しかし、私の内側の何かが変化している。
 ――心だとでもいうのか?
 四年前なら、私は余計なことなど考えなかった。ただ、そこに在り存在理由に従い動く。しかし今は、その存在理由に意味を求めようとしている自分がいる。
 なんだ?
 なんなんだ?いったい。
 訳が分からない。
 分かりたくない。
 気分が悪い。
 吐き気がする。
 私はなんだ?
 殺戮という存在理由にいったいどれだけの価値があるんだ?
 価値?
 馬鹿らしい。
 笑いたかったが、まったく笑えない。
 訳が分からない。
「こんばんは」
 突然、前方の霧の中から声が聞こえた。
 誰だ。
「嫌な夜ね」
 霧を裂くように前方から現れたのは、長い赤髪に妙な服装の女、……ああそうだ、吸血鬼の館の門番だ。
「また会ったね」
「なにをしに来た」
 私は立ち止まり、女を見据えた。ああ、きっと私の目は焦点が合っていない。歯を食いしばる。
「あなたを捕まえに来ました。退治師として」
「吸血鬼の僕がか?」
「はい?吸血鬼?」
 惚ける女。
「なんのことか分からないけど、私はこの街に潜む連続猟奇殺人犯をお偉いさんの依頼で退治しに来たのよ」
「…………」
 女に嘘を言っているような素振りはなかった。
「吸血鬼の僕が、退治師とはな」
「僕じゃなくて、門番ね」
「同じようなものだろう」
「確かに」
 女はただ微笑んでいるだけだったが、私の攻撃範囲内ぎりぎりのところで立ち止まっていた。かなり腕は立つようだ。
 いいだろう。五人目はお前だ。
 確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 辺りが静寂に包まれる。
 凍った女の背後に回り込み、服のあちこちに仕込んだナイフの一振りを取り出し、首に向かって振るった。
「やっぱり信じられないけど、時間を止めることができるっていうのは本当みたいね」
「――……」
「びっくり」
 女はこちらを振り返り、笑った。
 ナイフは、確かに女の首に刺さった。数ミリ程だが。
 ああ、この場面、前にも。
「お前も吸血鬼なのか?」
「私は人間だよ」
 嘘を言うな。
「嘘じゃないよ。一応」
 女の腕が動いた、気がした。
 気付いたら、吹っ飛ばされていた。
 ――なんだ?
 頬に鈍い痛みが走った。殴られた、のか?
「でもやっぱり、時間を止めるには僅かながらも準備が必要みたいね。例えば呼吸とか」
 たった一回でばれた。舌打ちをする。
 ナイフを構え、女と対峙する。なるほど、吸血鬼の僕なだけある。強い。
 だが、もう一度時を止めて首を狙えば確実に仕留められる。こいつは確かに頑丈だが、あの吸血鬼程ではない。殺せる。
「ぼやっとしてちゃ駄目だって」
「――な」
 女の顔が、目の前にあった。一歩で距離を詰められたように感じた。反射的に、ナイフを女の首へと振るってしまった。軽々と避けられる。
 腹を殴られた。重い。足が震え、へたり込んでしまった。女は追撃はせず、どころかしゃがみこみ、私を覗き込んだ。
「もしかして君、私みたいのと勝負するの初めて?」
 意外そうな女の声。その通りだった。退治師と戦うのは、これが初めてだ。四年前の私なら、不用意に外に出たりしなかった。退治師という存在には細心の注意を払っていた。
 それが、なんてざまだ。今この状況は。
「おおっと」
 私が振り上げたナイフを、女は仰け反ってかわした。
 距離をとってもなんの解決にもならない。ここは近距離戦だ。バックステップで一気に六歩下がった女を追撃する。
「正しい判断なんだけど、体格差があるかも」
 余裕の表情の女。馬鹿が。最初から真っ向からやりあうつもりはない。
「あ、しま」
 気付き、慌ててこちらに詰め寄ろうとしたが、遅い。女の声は途切れ、固まった。凍る女へ駆け寄る。
 喉元。切り裂いて終わりだ。
「なっ――」
 あと二歩というところで右足がなにかに引っ掛かり、転んだ。無様に前のめりに倒れる。呼吸が乱れた。
「なんちゃって」
 呼吸が乱れた瞬間、一瞬で両手両足を抑えつけられた。動けない。なんだ?なにに引っ掛かった?なんとか首だけ動かし後ろを見てみると、地面から数センチ上空に、なにかが光っていた。
 ……糸?
 銅線?
「銅線でした。事前に仕掛けてあったり」
「……ぐっ。ああああああああああああ!」
 渾身の力で体を捩ったが、全身に痛みが走るだけだった。
 だめだ。時を止めても抑えつけられている限りどうにもならない。
 絶体絶命、か。
 いや、絶対絶命というなら、退治師に遭った瞬間から絶体絶命だったのか。なにかを殺すことと何かと対峙することは、絶対的に違う。
 これで終わりか?
 死。
 べつにいいんじゃないの?
 声が聞こえた。
 べつにいいだろう。なにか困ることでもあるのか?
 ……反論できない。滑稽な自問自答だ。
「あのさ」
 女の緊張感の欠片も無い声が、まるで不可視の膜を挟んでいるかのように、やけに不鮮明に聞こえた。
「君はなんで人を殺し続けるのかな?」
「…………」
「恨み、とか」
 なぜ殺すのか?
 答えられない。答えなんか持っていないのだから当たり前だ。
 目を瞑る。今までの殺戮の場面場面が、走馬灯のように目の前に映し出された。殺し、殺し、殺す。いったいこれに何の意味があったのか。
 恨みだろうか?憎しみだろうか?少なくとも四年前はそう思っていた。
 だが今考えると、それは微妙に違う気がする。そんなんじゃない。それを言葉にするなら――。
「憂さ晴らしだろう、な」
「憂さ晴らし?」
「憂さ晴らしだ」
 その程度でしかなかったのか。殺戮の理由は。自分が出した答えに、呆れる。
「ふーん」
 女の反応はそれだけだった。
「それでも君は人を殺し続けるの?」
 女の問いかけは、今ちょうど自分に問うたことと同じだった。
 それだけで、お前は殺戮を続けるのか?それだけの理由で。それが私の存在理由か?
 存在に理由なんて求めるのは、どうかしてるよ。
 そんな声が聞こえた。確かに、その通りだ。
 私は殺す。始まりを殺す。そんなことをしても自分の存在が消えるわけでもないのに殺し続ける。そんなことを続けて何かが見つかるとも思えないのに、それでも殺す。私の心が殺せと叫んでいる限り、殺戮を続ける。
 それでいいじゃないか。
 声が言った。
 それでいいじゃないか。
 それでいいのか?私は心の中で呟いたが、返事はなかった。
「……それでも、いいか」
「うん?」
 それでもいいか。
 そう思った瞬間、私に纏わりついていた何かが、不快で気分の悪い、ねっとりとした何かが、突然どこかへと消えて無くなったような気がした。
 辺りの景色が、まるで霧が払われたかのようにはっきりと視界に映った。街を包む霧は消えてなんかいないのに。
「悪いが」
「うん?」
「私は逃げる」
「させません」
 私を小突く女。私の体はしっかりと抑えつけられていたが、それが問題だとはなぜか思わなかった。私は狂ったのか?
 呼吸を整える。時を止めるつもりはなかったが、自然とそうしていた。そして、変化に気付いた。
 感覚で、としか言いようがないが、周囲の物体の存在する位置が、頭に流れ込んでくるように分かった。建物、ベンチ、ごみ箱、私と女。今自分がどの位置にいるのか、正確に分かる。
 服に仕込んだナイフに意識を向ける。形状も正確に把握できた。そこからはほぼ無意識だった。
 確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 同時に、意識を自分の頭、ナイフ、そして女の顔面に極限までに集中させた。辺りが私の世界から消え去った。
 頭に激痛が走った。
「な、あ!」
 女の驚愕した叫び声が聞こえた。同時に、女の体が私から離れた。
 立ち上がる。なにが起きた?
 女は後ろに飛び退いていた。左脇の髪が、なぜか切り裂かれている。
「……今のは、びっくりしたよ」
「…………」
 私は何が起きたのか分からない。
「奥の手?」
「なにがだ?」
「…………」
 女は黙った。私が意識してやったことではないと分かり、今起きた出来事を話すべきか迷っている。
 私は女の後ろに目をやった。私が意識していたナイフが、街路樹に突き刺さっていた。木はナイフを中心に裂け、割れている。
 ああ、なるほど。私は私がなにをしたのか、理解した。
「ナイフが」
「…………」
「いつの間にか、目の前にナイフがあった」
「なるほど」
「便利な能力ね」
「そうだな」
 言って、時を止める。世界が凍る。
 私は女に背を向け、霧に紛れ消えた。


 ep11

「あーあ……」
 翌朝、私は街のカフェで天井を眺め、ため息を吐いていた。
「完全に、舐めてた……」
 背もたれにもたれかかって上を向いている私は、きっと魂が抜けているように見えるだろう。
 なんてざまだ。能力には油断していなかった。年齢にも油断していなかった。しかしそれ以上を想定していなかった。無様、無様、無様すぎる。
 ああ、若いって素晴らしい。
 昨夜は、二人が犠牲になった。同棲していた男女。頭、胴、両手、両足がばらばらの状態で見つかった。女は臓器を取り出されていた。
「……ふっきれちゃったのかな」
 そんな感じだった。早く捕まえないと不味い。殺戮は日に日にエスカレートしていくだろう。おそらく、これからは最低一日一人は犠牲になる。
「しかも何かに病んでるようだったけど、それももう無いみたいだし」
 だからこそ昨晩はすんなりと見つけることができたのだ。これからは見つけること自体が困難になってくる。
「本当に、不味い」
 今この状況、本来ならお偉いさんに事情を話し、他の退治師も呼んでもらうのが最善だろう。しかし今の私には、その最善を選択できない。
「不味い、不味い、不味い」
 繰り返しぶつぶつ呟いていると、店員が迷惑そうにこちらを睨んできた。お金を支払い、外に出る。

「さて、どうしたものか」
 別の店の屋外カフェに座り、砂糖の塊を齧りながら私は頭を悩ませる。結果頭を悩ませただけに終わり、テーブルに突っ伏した。
 方法はいくつかある。例えば街の広い範囲に糸を張っておく方法。そこを少女が通れば、すぐ分かる。しかし広い範囲といっても、街の面積と比べると狭すぎる範囲だ。運任せはよくない。それに、ふっきれたあの少女がそんな罠に引っ掛かるだろうか?
 例えばしらみ潰しに街を巡回する方法。気配で探知するわけだが、これも運。だがこちらの方が確実か。
 例えばこの二つを併用する方法。だがこの方法は私の技術的な問題で却下。そこまで超人していない。
 例えば他の人を呼ぶ方法。できるんならやってるっちゅーの。
「どうしようもないじゃないか……」
 それでも嘆いてても始まらないので、方法その二、しらみ潰しに街を巡回する方法をとることにした。
「せめて気配探知能力が昔のままだったら……」
 無い物ねだりをしても仕方がない。私は席を立ち、街を見回ることにした。
 しかし希望もあった。あの子は殺人鬼としては素人だ。殺人鬼に素人というのも妙だが。確かに少女は気配を殺すのが上手だが、その程度の上手さだった。そこを突けば、なんとかなるかもしれない。

 ――希望は粉々に砕け散った。止められなかった。この状況はもう、絶望と言ってもいい。
 少女は完全な殺人鬼となり、夜の霧に溶け、その存在は完全に人間のものでは無くなっていた。昨日の晩に会った少女とは、もはや別人だった。
 見つけることさえ叶わない。
 その晩、六人が犠牲になった。皆ばらばらに解体され、女は臓器を取り出されていた。一晩に六人。めちゃくちゃだ。
 放っておけば一晩に二桁の殺戮なんて、すぐに起こるだろう。そうなれば、もはや人間の命という認識はばらばらに切り裂かれ、それはただの数字になる。そうなれば少女を追うのは確実に私だけではなくなる。
 まったく退治師としての私は死んだな、と内心で嘆きながら、その晩私は六人中四人の死を隠蔽した。


 ep12

 次の晩も止めることができなかった。
 その次の晩も。
 二つの夜で、二人が犠牲になった。
 一つ目の夜は誰も死ななかった。
 二つ目の夜は二人が死んだ。
 ――正確には、二つの夜で十五人が死んだ。
 一つ目の夜は五人。
 二つ目の夜は十人。
 隠蔽はもう限界だった。いつばれてもおかしくない。お偉いさんももう限界のようだ。これ以上続けば、新たな退治師が呼ばれ、少女は殺される。
 次がラストチャンス。しかし二つの夜で私は、少女の気配すらも捉える事が出来なかった。
 それでも夜は訪れる。
 お前はあの少女を助けたいんじゃないのか?
 そんな声が私の中で聞こえた。
 さあ?
 私は答えた。
 相変わらずだな、弟子。
 そんな声も聞こえたような気がしたが、それは無視した。


 ep13

 月が美しく輝く明るい夜も、街の空気で台無しだった。
「ほんとこの街は、空気が悪い」
 月を見上げながら、私は呟いた。
 私はベンチに座っていた。そこは少女と最初に出会った、少女が倒れていた場所だった。
 少女が倒れていた道路を見る。白黒の猫が道路を横断していた。
 私の今晩の作戦。
 待つ。
 最初に出会った場所で、運命的な遭遇を期待する。
 まあこれで駄目だったんなら仕方ないね。運命だもん。
 我ながら諦めが良すぎだ。
 しかしこの作戦を変えるつもりはなかった。もう半分以上諦めていた。無理無理。まるで霧を掴むようなんだもん。
「どっこらしょいっと」
 ベンチに寝転がる。気長に待ちますか。駄目だったら失踪。

 私は相変わらず霧深い夜の街を、霧に紛れるように歩いていた。
 今日の夜は五人殺した。殺戮は続く。
 吸血鬼の僕の女とは、あの晩以降出遭っていない。出遭うつもりもなかったが、次に出遭ったなら殺すつもりだった。私のことを知っているのは、あの女だけだ。吸血鬼は知られていても問題ないだろう。吸血鬼と人間が繋がっているとも思えない。
『紅龍の美鈴』
 あの女について調べてみたところ、本当に退治師だった。ただ、最近は女の噂が無いらしい。吸血鬼の僕になったのは、最近というわけだ。……あの女は本当に人間だったのだろうか。
 六人目を殺す。
 いつまでもこの街に留まっているつもりはない。あと一週もすれば、この街から離れるつもりだ。殺戮はどこでだってできる。
 七人目を殺す。
 そこで突然、どうでもいい、本当にどうでもいいことが頭に思い浮かんだ。数日前の、吸血鬼との会話。
『まあ何にしても、たまたま私が人間を襲いに街に出かけた時にあなたが現れたのは、運命といってもいいはずよ』
 しかしあの晩のことを薄らぼんやりと思い出すと、自分より大きな者に背負われていたような気がする。私を運んだのはあの女だったのだろうか。
 なぜそんなことが突然気になったのかは分からないが、それがどうしたというんだ。本当にどうでもいい。
 八、九人目を殺す。
 そういえば倒れていたのはどこだったろうか、とまたどうでもいい疑問が浮かぶ。どこだっていい。
 十、十一、十二人目を殺す。
 ああそういえば倒れていたのはこの辺ではなかっただろうか。辺りを見回す。そうだ、この先の道路に倒れていたんだ。
 自然に、足がそちらの方に向いた。
 そうだ、ここに倒れていたんだ。
 もちろんそこには誰も倒れていなかった。
 しかし道路脇のベンチには、誰かが倒れていた。
 紅い髪に、妙な服装。
「なんとまあ」
 女は私に気付き、間の抜けた声を上げた。
「お前は十三人目だ」
 私は女にナイフを突き付けた。
「不吉な数字だねえ」
 女はゆっくりと起き上がり、なにか呟きながら、構えた。



 あの晩とはもはや別人だった。
 抉るような視線。
 狂気を纏っているかのように凍てついた空気。
 まるで少女だけが別の次元に存在するような、奇妙で不可思議な存在感。
 対峙するだけで危険だと分かる。飲まれそうになる。
 まったく、なにかになにかをなにかがふっきれた人間っていうのが、一番怖い。一夜どころか一瞬で別人に変貌する。
 しかしこれは、発展途上だ。
 少女の幼さ故に、これからまだまだ時間が流れるにつれ別人のように変貌していくだろう。このまま放っておけば、少女はどうしようもない程の力を手にする。殺人鬼として、どうしようもなくなる。
 それでも世界は変わらないんだよ。
 内で声がした。
 それでもいつか、少女は必ず殺されるだろう。人智を超えた存在というのは、少女だけではないのだ。
 しかし私はべつに人智を超えた存在ではないのだけれども。
「はあやれやれまったく」
 私はぼやき、構えた。運命だから仕方ないよね。運命だから。
 この子を止めるには、今しかない。
「君をここで止める」
 少女に宣言する。

 次の瞬間、気付くと無数のナイフに周りを囲まれていた。左右上下、隙間なく。当然それは、こちらに向かって飛んでくる。
「はあやれやれまったく」
 苦笑いしか出ない。
 気を集中する。呼吸と同時に、周囲に気を放った。
 ナイフは呼吸と共に放った気によって弾き飛ばされた。弾き飛ばしたナイフが少女に当たらないかなとちょっと期待したが、そんなことはなかった。
「お前、本当に人間か?」
 少女の声。
「世界は広いよ。私みたいのなんていくらでもいるよ」
 私は答え、辺りを見回す。
「で、君はどこにいるのかな」
 少女の姿は、見渡す限りどこにもなかった。
 またいつの間にかナイフが目の前に飛んできていた。気で弾く。
「卑怯な」
 少女の返事を期待したが、返事はなかった。さすがにもう声を出すことはないか。止めを刺すその時まで。
 さて、そろそろこちらがなんの罠も張っていないことに気付くだろう。そうなれば――。
 またナイフが数本飛んでくる。
「用心深いね」
 避ける。このタイミングで止めを刺しにくるかと思ったが、なにもなかった。
「あれ」
 前方に、少女が立っていた。ナイフを右手に、こちらをじっと見据えている。霧でその姿は霞み、しかし紅蓮の眼だけは静かに冷たく燃えるように、輝いていた。
 少女が存在するその空間は、幻想的な雰囲気があった。思わず、場違いにも見惚れてしまう。
「かくれんぼはもう終わり?」
「…………」
 少女は答えず、霧を纏いながら一歩、一歩と静かに近づいてきた。久しぶりに、張り裂けそうな緊張感を感じる。
 さて、私の仮定が間違っていれば、死、あるのみだ。
 来い。



 女は今回、なんの小細工も用意していないようだ。今の私は周囲の状況を完全に把握できる。念には念を入れてナイフで牽制しながら周囲を執拗なまでに探ってみたが、なにもなかった。
 しかし私の能力を知っているこの女が、なんの準備もせずに私と対峙しているとは考えにくい。特殊な能力もあるようだし、なにか切り札があるのか。
 悪いが私は、お前に対して欠片たりとも手を抜かない。
 一瞬だけ時を止め、女の懐に飛び込んだ。



 短期決戦で決めるつもりだったが、そうはさせてくれなかった。
 一瞬だけ能力を使い、死角から切り込んでくる。気配で相手の位置が分かる私に死角なんて意味はなかったが、それでも攻撃できない場所という意味では有効だ。
 くそ、思ったより面倒なことになりそうだ。
 言い方は悪いが、思ったより少女は頭が良いらしい。必殺技というのは、ここぞというときに使うからこそ必殺の技となる。少女の能力から一瞬でも意識が飛べば、私は必ず殺される。少女の能力を考えればそんな必要はないように思えるが、念のため、だろう。
 もしかしたらこの少女は、複数人の退治師からも逃げのびることができるかもしれないな、と思った。奇跡が起これば、だけど。
 幾度目にもなる一瞬の停止で少女の姿を見失った瞬間、目の前にナイフが出現した。ぎりぎりで避ける。ここで来るかと身構えたが、しかし死角に移動し、腹を切り裂こうとしただけだった。
 防戦一方。少女に勝負を急ぐような様子はない。こちらからも仕掛けるか。
 死角へ消えたその瞬間、そこへ高速の回し蹴りを叩きこんだ。
「――……」
 蹴りは、右手に握られたナイフ一本で止められた。
 いやふっきれると身体能力が急激に上昇することはあるけどさ。
 全力で蹴り込んではいないけどさ。
 いくらなんでもこれは無いでしょ。
 反撃をかわし、もう一発蹴り込んだが、すでにそこには少女はいなかった。
「めんどくさいな」
 ――本当は、今すぐにでも決着をつけることはできる。強がりなんかじゃない。少女は確かに強いが、戦闘を本能で理解してはいるが、身体の基礎能力が違いすぎる。肉体は普通よりやや発達してはいるが、あくまで少女は少女で、人間だ。
 しかし無理やり決着をつけようとするのなら、私は本気を出さなければならない。そうなれば、私は少女を殺してしまう。少女の能力はあまりにも超越し過ぎている。手加減して勝つのは、無理だ。
 強くなりすぎるというのも考えものだな。なんてことは思わないけど、面倒な状況を打破できる策は無かった。
「……君」
 私の突きをかわし消えた少女に呼び掛ける。返事はない。
「臓器の二、三個くらいは覚悟してくれる?」
 いやだってめんどくさいし。



 瞬間、女の纏う雰囲気が豹変した。
 圧倒的威圧感。
 闘気とでもいうのだろうか。殺意の凍てつくような冷たさと全く違う、熱を持った、体の芯を揺さ振られるような力を感じる。
 その熱に当てられ、私の体は凍ったように冷たくなった。呼吸が一瞬止まる。自分の体が吹き飛ぶイメージが、はっきりと浮かんだ。体が完全に硬直する。不味い。
 意識するよりも早く、無意識で呼吸を整えた。辺りが、女が凍った。
「――――」
 横腹あとわずか数センチというところで、女の蹴り足は止まっていた。時が止まっている今でも、凄まじい風圧を感じるようだ。
 六歩下がる。時は動き出す。
「あー、避けられちったか」
 足を振り切りその惰性で回転しながら、女は空を見上げながら呟いた。振り切った足の風圧で、辺りの霧が吹き飛んだ。
 当たっていれば、確実に上半身と下半身が引き千切れていた。
「お前」
「ん?」
「…………」
「なにかな?」
 なぜ私を殺さなかった。いつでも出来ただろう。
 聞こうと思ったが、やめた。あちらにはあちらの事情があるのだろう。
「なにかな?」
「今その力を見せたのは不正解だったな」
「かもね」
 思い上がっていた。私はまだまだ、弱い。それは肉体の弱さでもあるし、経験不足からの弱さでもある。
 ここは引こう。こいつを殺すのは、自分で納得できる程の強さを手に入れた時だ。もしまた私の目の前に現れれば、だが。
 確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。
 辺りが静寂に包まれる。
 私は女に背を向け、霧に溶け消えようとした。
「残念だよ」
 ……………………。
 え?
 真後ろで、声が、聞こえたような気がした。はっきりと。
「君とはこんな形で決着をつけたくなかった」
 立ち止まる。
 振り向けない。
 時が止まったかのように、身動き一つとれなかった。
 目の前の霧を見る。外套の光を取り込み怪しく光る霧は、揺らめいていない。
「な、んで」
 呟く。しかし音は辺りに散り消え、私の頭には届かなかった。
 女の声以外、なにも聞こえない。静寂の音すらも聞こえない。
 なにも考えられない。疑問だけが頭を埋め尽くしている。
 なぜ?
 どうして?
「無理だよ」
 女は静かに、言った。
「む、り?」
「やっぱりさ、一人の人間が、なんの準備もせず道具も使用せず時を止めるなんて、無理だよ」
「…………」
 なにを言っている?
「無理だよ。人間のキャパシティーの問題」
「…………」
「私は、お嬢様からあなたの能力を聞いたその時から、そんなこと無理だって思ってたんだよ」
「…………」
「だから私は、最初にあなたに会ったあの晩、それを確かめた」
「…………」
「まず考えられるのは瞬間移動。超高速移動。だけど最初に君が私の首に向かってナイフを振るったとき、君が立っていた位置から私の背後まで移動した痕跡はあったし、走ってはいたけど高速で移動した痕跡は無かった」
「…………」
 あの時、そこまで観察していたのか。
「これで瞬間移動と超高速移動の線は消えた。その他に私が考えられるのは一つ。それは」
「…………」
「物体の運動停止」
「…………」
「物体の動きを止め、君だけがその止まった世界に干渉できる。これが私が出した仮定」
「…………」
「君は世界全体を止めることができるのか?」
「…………」
「答えはノー。あのあとわざわざそのために買った時計で確かめてみたけど、街の時計塔に完璧に合わせた私の時計は、時計塔の時刻より僅かに遅れていた」
「…………」
「君の能力には範囲がある」
「…………」
「知らなかった?」
 ……知らな、かった。
「でもそれだけではまだ時を止める能力という可能性も捨てられない。けど私は君の能力は物体の運動停止だと断定した。決めつけだね。残念だけど私の頭では、時間の停止と物体の運動停止を見分ける方法は思いつかなかった」
「…………」
「でもまあ私は、最初から時を止める能力なんて有り得ないと思ってたから、見分ける必要はあんまりなかったんだけどね」
「…………」
「ちなみに、時間の停止能力の他だと物体の運動停止能力しかないと確信したのは、君が糸に引っ掛かった時」
「……糸?」
 銅線か。
「実はあの糸、二本あったんだよ」
「二本?」
「そう。手前に切れやすい、細すぎて言われなければそこにあるのは分からない、光を低反射する糸。奥に、銅線」
「…………」
「もし君の能力が物体の運動停止能力であれば、手前の細い糸は君が知らずのうち切ったあと、空中で切れたまま停止するはず。そして私の予想通り、君が銅線に引っ掛かって転んだとき、ずっと手前に仕掛けてあったはずのその糸はまだ空中にあった」
「…………」
「そうと分かれば、時間の停止ではなく物体の運動停止であれば、その能力を破るのは難しくない。時間の停止の場合、力が作用するのは空間、時空だからどうしようもない。けど、物体の運動停止だというのなら、力が作用するのは周囲の物体。つまり、私。だから、力技で破れるってわけ」
「…………」
「説明、終わり」
「…………」
 ああ、なんだ。
 私は、この女と対峙した瞬間、負けていたのか。
 なぜ、これほどまでに力の差があるのか。
 悪魔と恐れられ罵られ憎まれたこの力が、まるで意味を成さない。
 …………。
 力を持った、それだけで、この力の存在だけで、私は幾度も殺されかけ、存在を消された。なのにこいつは、ここまでの力を持っていながら、なぜ平然と存在していられる?
 なんなんだ?
 訳が分からない。
 訳が分からない。
 訳が分からない。
「きっと、君と私の差は」
 女の声が、空洞の頭の中に反響する。
「出会った人達の差なんだろうね」
「…………。……………………。あああああああああああああああ!」
 ナイフを背後に振るった。
 しかし振り返りきる前に、女の強烈な手刀が首に突き刺さった。
「がっ……」
 倒れそうになったところを、女に抱き抱えられた。
「ぐ、う……」
「うちに来なさい」
「…………」
 急速に薄れていく意識の中で、女の声だけがはっきりと、やけに鮮明に、体の内に響くように、聞こえる。
「私が今いる家、あの屋敷は、まあ変人しかいないけど、それでもあなたにとって良い場所のような気がするよ。君の今までの出会いはもうどうやっても変えられないけど、これから出会う人達は、選べるはずだから」
「…………」
「嫌になったら逃げだせばいいし」
「…………」
「少なくとも、私は君を恐れないよ」
「…………」
 うるせえよ。
 お前に何が分かる。
 そんなんじゃねえんだよ、くだらない。
 と、それこそくだらない嘆きを内心で漏らした。
 気付く。
 泣いていた。
 笑いそうになる。
 くだらない、くだらなすぎる。
 笑おうと思ったが、不細工なしゃくり声しか出なかった。
 もういいよ。
 訳が分からない。
 眠い。


 ep14

 夢を見た。
 私が何かに誰かにとうとうと愚痴を溢している夢だ。
 私は辛かったんですなにが辛いってこの世に存在した瞬間悪魔と罵られ殺されそうになるって酷くないですかそりゃ生まれた瞬間喋る子供というのはちょっと気味が悪いけれどでも酷いですよねそして能力のことが分かると処刑しようとするってなんなんですかそりゃちょっと外れているけどそれだけじゃないですか能力があるのは私の所為じゃないじゃないですかあと気付くと人を殺したい衝動に駆られることがしょっちゅうだったけどそれだって私はその衝動を抑制しようとしたんですそんな病気じみた性質があるのも私の所為ではないですし事実処刑されそうになるまでは誰一人殺しはしなかったんですねえこんな私は悪くないですよね?
 何者かの答えは、笑いながら一言。
 無様だ。
 まったくだ。
 ああ、思い出した。
 狭間に飲まれた影響で、あやふやでぼんやりとしていた記憶。
 思えば私は、自分が不幸だなんて一度も思わなかった。
 他がそうであるから。そんなことは関係ない。恨むのなら、自分に生まれた自分を恨め。
 四年前の私は、そんなふうに思っていた。
 自分のどんな境遇すら自分の所為でしかないし、世界の所為だなんて思いたくもない。だからこそ、他のものを妬まなければ生まれない不幸なんてものは、私は感じない。
 しかしそう思う一方で、常識的な、いわゆる普通の感情も持っていたのだろう。誰かに愚痴ったような感情が。
 私はこの二つの内、どちらかを捨てるということができなかった。後者の感情は心の奥底に押し込んで放置するだけで、捨ててはいなかった。それは甘さからなのか他の理由からなのかは分からないが。
 狭間に飲まれ、心を食われるような感覚を味わい現世に出てきたとき、心の奥底に押し込んでいた感情が漏れてしまったのだろう。
 正反対と言ってもいい二つの感情が体の中で混濁すれば、訳が分からなくなって当然だ。最初に女と対峙したあの晩、後者の感情をふっきることができたように思えたが、しかし捨てきれてはいなかった。
 純粋な思いは強い。私の思いは二つの感情で濁っていた。
 ……なぜ常識的な、普通の感情を捨てきれなかったのだろうか。
 やはり甘えなのだろうか。普通の人間として過ごした僅かな時を、忘れられないのだろうか?
 四年前の私と、今の私は、もはや別人だ。
 なにも考える必要の無かった昔と、ごちゃごちゃ無駄としか思えないことを考え続ける今。
 私はどちらを選べばいいのだろうか。


 ep15

「これでもう、被害が出ることはないと思います」
「そうですか」
 場所はお偉いさんの住処。私は殺人鬼討伐の報告に来ていた。
「あの、それで、その殺人鬼は……」
「残念ながら、肉片しか残っていません。手加減できる相手ではなかった」
「そう、ですか」
 私はテーブルの上に、大きめの袋を置いた。中身は事前に準備しておいた、業者から買った死体の破片。お偉いさんは椅子に深々と座りなおし、袋から少しでも距離を取ろうとした。
「いや、しかし、ありがとうございました。被害は出ましたが、しかしこれだけの被害でよかった」
「いえいえ」
 本当は洒落にならないほどの被害です。
「しかし、えー、殺人鬼は、結局、なんだったんでしょう」
「……人間ですよ」
 私は静かに答える。
「人間、ですか?」
「人間です。超越した能力を持った、ね」
「ちょ、超越した能力、とは」
「時を止める能力です」
「…………」
 絶句するお偉いさん。そりゃそうだ。
「時を、止める、ですか?」
「ええ。人間の限界を超越してるとしか思えない、驚くべき能力でした」
「…………そう、ですか」
 信じられないというお偉いさんの表情には、私への畏敬の念も込められていた。いやあ心が痛い痛い。
「では、私はこれで」
「は、はい。本当にありがとうございました」
 頭を下げるお偉いさんに見送られ、私はそこを後にする。手には大量の報酬。いやあ、心が痛い痛い。
「とりあえず一件落着、かなあ……」
 よく晴れた空を見上げ、呟く。
「あーあ……」
 ため息を吐く。
 これで、退治師としての私は死んでしまった。隠蔽のことがばれれば、あっという間に世界にそのことが知れてしまうだろう。そうなれば、私はただの犯罪者。
「ちくしょう」
 ぼやいてないで、さっさととんずら、とんずら。
 少女は今、紅魔館で眠っている。最初に出会ったあの晩よりかは、幾分安らかな寝顔で。
「時を止める能力、か」
 そんなもの、人間が持っているわけがない。
 ないはずなのだ、が。
「…………」
 あの子は将来、物体だけでなく、時すらも止める能力を持つだろう。
 信じられないが、多分そうなる。
 あの子のもう一つの能力。
 ナイフが目の前に出現する、あの能力。
 あれは、空間に働きかける能力だ。
「信じられないけど」
 しかし、実際にこの目で見たのだから、それは現実だろう。多分。
 時間と空間には密接な関わりがある。時間の器が空間とかそんな難しい話は置いといて、二つが共通している点は、どちらも世界そのものに働きかけるということだ。
 時を止める能力。そんなものを持たれたら、もう私にはどうすることもできない。どこかに穴があるかもしれないが、一発勝負なら勝てる可能性は皆無だ。
 あの子はどうやって生まれたのだろうか。
 娼婦の子だろうか。
 それとも平凡な家庭に生まれたのか。
 拾い子かもしれない。
 以前日本に立ち寄ったときに読んだ、竹取物語を思い出した。月のお姫様は竹から生まれる物語。実は竹から生まれた女の子は月人で、最後は月に帰ってしまった。竹から生まれるという設定が強く印象に残った。なるほど竹から生まれた女の子というのは、とても美人なイメージがある。
 あの子もそうだったりして。と思ったが、ここには竹林なんてない。じゃあ何から生まれてきたのだろう。
 時計塔、とか。
 いや意味分からん。
 ふと、霧深い夜の街、道路脇のベンチの上で静かに眠っている赤子のイメージが、鮮明に浮かんできた。霧深い街に産み落とされた少女。将来は美人になりそうだ。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい」
 館に戻ると、入り口で上機嫌なお嬢様に迎えられた。私の苦労も知らないでこいつは。
「なに?」
「いえ、なんでも」
「あなたの苦労を労うために、ここで迎えてたんじゃない」
「労ってくださいよ」
「お疲れ」
「…………」
 こいつは。
「それで、少女は?」
「まだ寝てるわ」
「そうですか」
 とりあえず、少女が眠る部屋に行くことに。
「起きてたら、食堂に連れてきて」
「分かりました。ちなみにお昼は?」
「納豆ご飯」
「…………」
 無言でそこから立ち去る。お昼は抜きでいいや。
 一応まともな食べ物を持って、少女の部屋へ。
 ノックする。返事は無い。
 扉を静かに開ける。少女は眠り続けていた。
 起きるまで待ってるか。私は椅子に腰かけ、壁にもたれ目を瞑った。



 起きる。
「…………」
 長い夢を見ていたような気がする。内容はほとんど覚えていないが、永遠に自問自答を繰り返していたような気がする。
 辺りを見回す。吸血鬼の館の、あの部屋だ。
 外を見る。日が沈み始めていた。夕刻か。
 右に顔を向けると、あの女が壁にもたれかかり眠っていた。
「おい」
 声をかける。女はびくっと震え、起きた。
「ああ、おはよう」
 言って、大きな欠伸をしながら思い切り伸びをする。
「よく眠れた?」
「…………」
 よく眠れた気もするし、全く疲れが取れていないような気もする。
「あーもう夕方かー。ずっと寝ちってたよ」
 もう一度伸びをしてから、女は体をこちらに向け、私をじっと見た。
「で、決まった?」
「…………」
 私は夢の中でそのことをずっと考えていたのかもしれない。ただ、永遠に自問自答。結局、答えは出なかった。
 しかし、
「しばらくは、な」
 自分の意思で、私は答えた。
「そかそか」
 女は微笑み、立ちあがった。
「食堂でお嬢様が待ってる」
「そうか」
 私も立ち上がり、部屋を出た。
「そういえば、君の名前は?」
「…………」
 そんなもの、とうの昔に、捨てた。
「無い」
「そか」
 女はそれだけ言っただけだった。
「ちなみに私の名前は、紅 美鈴っていうんだ」
「知っている」
「それは光栄」
 女はからからと笑った。



「名前が無い?それは好都合」
 お嬢様は相変わらずの上機嫌でうんうんと頷いた。
 食堂。お嬢様が長方形テーブルの一番向こう側。その位置は話しかけるときいちいち首を左に傾けなければいけないという私の苦情への答えは、この席は主の席だから仕方ない、とかなんとか。余計なことは気にするお嬢様。
 お嬢様から見て左脇に私と少女。右脇にパチュリー様。
「私があなたに名前をあげるわ」
「…………」「…………」
 黙り、顔を曇らせる私とパチュリー様。
「なによ」
 不満げなお嬢様。どうしてそんな表情ができるのか、私には分からない。
「あのねレミィ、言っちゃ悪いけど、あなたのネーミングセンスは、少し、その……」
「特殊」
「そう」
「なにがよ?私のネーミングセンスのどこがおかしいっていうの?」
 怒りだすお嬢様。なぜ怒ることができるのか、私には理解できない。
「レミィの必殺技、あれがもう……。全世界ナイトメア、だっけ」
「うわあ……」
 軽く引いた。
「あと、対門番のために編み出した技。不城夜レッド、だっけ?」
「酷すぎる……」
 引いた。
「煩いわね」
 いまやお嬢様は、怒り心頭のご様子だった。しかし、人の名前を決めるのにそのネーミングセンスはまずいだろう。
「もう考えてあるんですか?」
「そうねぇ」
 うーんと唸るお嬢様。考えてなかったのかよ。
「ふむ、そうねぇ。私的には、ニホンの名前がいいと思うの」
「なんでですか?」
「なんとなく」
 不安だ。
 どうせ納豆が好きだから日本のことはちょっとかじった程度に知っているからだろう。
「ふむ、うーん、…………。決めたわ」
 早っ。
 決まってしまいましたか。
「あの晩は確か十六夜だったから、名字は十六夜」
「お」「お」
 意外に、まともだ。
「名前は、ナイトよ」
「…………」「…………」
 絶句する私とパチュリー様。
「夜に掛けているし、従者って意味もあるわ」
 大満足そうなお嬢様。ふざけんじゃねえ。駄洒落じゃねえか。
「……君は、どう思う?」
 少女に振ってみる。
「ふざけるな」
 ですよねえ。
「あ?」
 途端に機嫌を損ねるお嬢様。額に青筋。いや、あんたが怒る権利、ないから。
「名前は私に決めさせてもらえませんか?」
 あなたにだけは決めさせるわけにはいかない。
「ふざけんじゃないわよ」
 お前がな。
「主が名前を決めてこそ、その者は従者になるのよ」
「名字はお嬢様が決めたってことで」
「私も門番が決めるほうがいいと思うわ」
 パチュリー様もはっきりと言った。お嬢様は怒りで震えている。
「そう。そうですか。そんなに言うなら門番、きっと私が思いもつかないような、素敵な名前を考えてあるんでしょうね?」
 少なくともナイトよりはましだと思う。
 さて、どんな名前がいいかな。じっくりと慎重に、考える。
「で、どんな名前なの?」
 急かすお嬢様。
 そうだな。
 よし、これならいいんじゃないか?
「咲夜、なんてどうでしょう」
「咲夜」
 夜に、咲く。
 きっとこの子は、美しい。
「いいんじゃないの?」
 とパチュリー様。
「ふん」
 とお嬢様。一応納得はしてくれたか。
「どうかな」
 少女に、若干不安を感じながら、尋ねる。
「好きにしろ」
 素っ気なく、それだけ言った。それだけだったが、少女の表情を見て、私は安心した。
「ふん、決まりね」
 お嬢様はまだ若干不満げだった。
「まあ、まあまあな名前だしね」
 ナイトよりは遥かにいいと思いますしね。
「咲夜。これからあなたは、ここのメイドとして私に仕えなさい」
「ああ」
 私が名付けた咲夜という名の少女は、無表情で頷いた。
 はたしてこれは正解なのだろうか?
 それは私には分からないし、多分少女にも分からないだろう。
 それでも時は止めることなどできず、無慈悲に無感動に流れ続ける。

「私は君のことをなんて呼べばいいのかな?」
「好きにしろ」
「じゃあ、咲夜ちゃんで」
「好きにしろ」


 ep16

「なにこのダークマターは」
「だから料理なんてできないと言っただろう」
 エプロン姿の咲夜ちゃんは、無表情に言った。
「それにしても、これは無いわ……」
 テーブルの上には、黒いものが皿に盛られたものが人数分置いてある。
 これはなんですか?
 野菜炒めです。
「まあまあ、意外に味はいいかもあ不味い」
 一口食べた瞬間、口中どころか体中に苦みが染み渡った。
「……門番、作りなおして」
「はい」
 十分後。
「どうぞ」
「不味い」
「味気ない」
 散々な評価だった。
 私の料理は見た目はいいのに、なぜか味気ない。愛情が無いからか?

「慣れそうかな?」
 門の前を掃除している咲夜ちゃんに、声をかける。
「どうだろうな」
「そか」
 私はそれだけ言って、壁にもたれ目を瞑る。
「私は」
 うとうととまどろんできたところで、唐突に咲夜ちゃんは喋り始めた。
「お前を殺すためにここにいる」
「…………」
 目を開き、咲夜ちゃんを見る。ごく普通に、掃除をしている。
「私を殺して、それでなにかが変わるのかな?」
「さあな」
「そか」
 再び目を瞑り、まどろむ。
 対決の日は、半年後かあるいは一年後か、もしかしたら一月後二月後か。
 死闘になるだろうな。死なせはしないし死ぬつもりもないけれど。

 それから一日、一週間、一月と時間が流れた。
 咲夜ちゃんの料理はだいぶ上手になったし、私はいつも通り門の前で時間を潰していた。
 いつかの会話。
「咲夜ちゃん」
「なんだ?」
「ここにいるの、楽しい」
「いや」
「じゃあ、楽?」
「…………。……ああ」
「そか」
 私は微笑んだ。
 これは、私の願いだ。
 呆れる程に自分勝手だ。
 それでも私は、その願いを叶えたい。
 君を殺人鬼にはさせない。
 そして四つの月が流れ、私と咲夜ちゃんの対決の時は訪れた。

「門番」
「ん?」
「今晩、私と殺し合え」
「……私は君を殺したりはしない」
「そうか」
「分かった」
 私は頷き、咲夜ちゃんは館内の掃除へと戻っていった。
 私は空を見上げた。
 今夜は十六夜。


 ep17

 夜。
 人気のまったく無い平地。
 そこで、私と咲夜ちゃんは向き合っていた。
「いつでも、来い」
 私は静かに言って、構えた。
 しかし咲夜ちゃんに、襲ってくる気配はなかった。武器もなにも構えず、ただ立っている。
「どしたの?」
 私が呼びかけても、咲夜ちゃんは反応しなかった。静寂のまま時が流れる。しばらくして、咲夜ちゃんは口を開いた。
「私は、狭間に飲まれる前までは、意味なんてものを意義なんてものを求めなかった。ただ、純粋な一つの感情で殺す。それだけだ」
「…………」
「狭間に飲まれた影響で、忘れていたがな。自分を見失っていた。私は、もっと単純に物事を捉える事ができたんだ」
「…………」
「他がそうであるから。そんなことは関係ない。恨むのなら、自分に生まれた自分を恨め。狭間に飲まれる前の私は、そんなふうに思っていた。自分のどんな境遇すら自分の所為でしかないし、世界の所為だなんて思いたくもない。だからこそ、他のものを妬まなければ生まれない不幸なんてものは、私は感じない。本気でそう思えた」
「…………」
「しかしそう思う一方で、常識的な、いわゆる普通の感情も持っていた。私は無意識のうちにその感情を心の奥底に仕舞い込み、押し殺していたんだ」
「…………」
「私はその感情を捨てることができなかったんだろう。理由は分からないが」
「…………」
「しかし」
 ゆっくりとした動作で、服の中に仕込んでいたナイフを取り出し、私に突き付けた。
「お前を殺せば、その感情を完全に捨てることができる。そう思うんだ」
「……なるほど」
 それが咲夜ちゃんの、私を殺したい理由、か。
「ちなみに私に負けたら、どうするつもり」
「さあな」
 答えはそれだけで十分だった。
「お前を殺す」
「やってみろ」
 私は笑い、咲夜ちゃんは冷たい無表情で、同時に相手へ突っ込んだ。

「え」
 間の抜けた声が漏れる。
 私は蹴りを繰り出した。
 咲夜ちゃんはナイフによる突きを繰り出した。
 先に当たったのは、圧倒的な速度で初撃を制したのは、咲夜ちゃんだった。
「うそん」
 しかも突きは、繰り出した足に突き刺さった。伸びきる前に、刺された。
「ぐっ」
 堪らず、一旦引く。
 咲夜ちゃんは、追撃してはこなかった。
 速い。
 いくらなんでも、速すぎる。
 咲夜ちゃんの肉体の限界を考慮しても、有り得ない速度だ。
 これは。
「時を止めるなんて能力は、人間が所有するのは不可能、だったな」
「まあ、ね」
 微笑みは崩さず、余裕の表情で答える。
 ああ、まずい。
 まさか、ここまで能力を使いこなしているとは。
「時を操る能力は、もっと不可能か?」
「そのはずだけど」
 時を、減速させたのか。
 咲夜ちゃんが速かったのではなく、私が遅かったのか。
 物体の運動停止の能力の対策は、万全だ。この手の能力は一度破ることができれば、その感覚を体で覚えることができる。もう物体の運動停止の能力は、私には無意味だ。無効化できる。できなくとも、その能力を使われたことには確実に気付く。
 物体の運動停止の能力を使った感覚はなかった。
 自分にその能力を応用し、自身の肉体の運動を活性化させたという可能性も、無い。肉体の限界という問題がある。
 これは、ちょっと本気出さないと不味いな。
「来い」
 先手に回るのは分が悪い。ここは後の先だ。
 突然、目の前に咲夜ちゃんが出現した。
 恐るべき速度で腕を振るってきた。紙一重でかわす。
 反撃。足払いを繰り出す。咲夜ちゃんは飛んでかわした。そこへ、勢いそのままに回し蹴り。空中では避けられない。普通なら。咲夜ちゃんはもうそこにはいなかった。
 腹部に痛みが走った。大振りのナイフが一本、突き刺さっていた。
「やれやれ」
 普通なら致命傷だ。ナイフを抜き、今はまだそこに在る死角への気配へと投げる。避けられたが、そこへ振り返らず肘打ちを繰り出す。
 これをすんでで避けられ、反撃にまたナイフを一本さっきと反対の横腹にもらった。
 ――ナイフは気にせず、気配が出現した場所へ最速の蹴りを叩きこむ。
「――――」
 これも、ぎりぎりで避けられた。後退する咲夜ちゃん。追撃はしない。
 ……やはり、ある程度手加減した中での最速では、当てるのは難しい、か。
 まあやるしかないけど。
「最初からそんな飛ばして大丈夫なの?」
 さも余裕であるかのように、私は腰に手をやりながら咲夜ちゃんに話しかける。ほんとは止血。
「疲労っていうのは案外自分では分からないものだからね。いつの間にかそれが蓄積して倒れちゃう、みたいなことになるかもよ。前だって、それでちょっと寝込んでたんだし」
「御託はいらない」
 その通りだ。
 止血終了。戦闘再開。

 防戦一方だった。
 前と違って、嘘偽りなく。
 正直どうしようもない。時間が経つにつれ有利になるどころか、咲夜ちゃんが私のスピードにだんだん慣れてきて、時間が経つにつれ状況は悪くなっている。
 相変わらず後の先狙い。しかし反撃もさせてもらえなくなってきた。
 厳しい状況だ。
「なにを笑っている」
「ん?」
 攻撃が一旦止む。目の前に咲夜ちゃんが、相変わらずの無表情で立っていた。
「なにを笑っている?」
「笑ってたかな」
 自分の顔に触れてみる。あ、にやけてる。
「なにがおかしい」
「ん、いやね」
 私は、ふっふっふ、と不敵に笑った。
「簡単だな、と思って」
「簡単?」
 今晩初めて咲夜ちゃんは表情を変化させた。訝しげな表情だ。
「簡単、簡単」
「なにが?」
「君を倒すだけで、私の願いが叶うなんて」
 簡単、簡単。実に分かりやすく、容易だ。願いがその程度で叶うなんて。そりゃ笑いたくもなる。
「……願い?」
「願い」
「どんな願いだ?」
「そういうことを聞くのは無粋だよ、咲夜ちゃん」
「…………」
「ああ、そうか」と呟き、再び咲夜ちゃんは構えた。そこで初めて、彼女は冷たい、狂気にも似た殺気を纏った。そろそろ終盤、か。
 戦っていて分かったこと。
 一つ。咲夜ちゃんは時を止める能力を発動中、私に関与できない。
 気付くと体が裂けているのではなく、気付くと刃が体を切り裂きそうになる。ぎりぎり数ミリも無いが、気付いたとき必ず、刃と体は離れていた。時を止めることはできても、その空間に関与はできない。もちろん演技という可能性もある。
 一つ。咲夜ちゃんの狙い。おそらくだけれど。
 私の意識が一瞬でも切れた瞬間、物体の運動停止の能力で止めを刺しにくる。実は時が止まった空間に関与できた、という場合でも、おそらく意識が切れた瞬間を狙ってくる。念には念を、というわけだ。
 以上。
 さて、私にも作戦はあった。それは常に後の手に回りそのことを咲夜ちゃんの意識に植え付け、例えば相手の体勢が崩れた瞬間、思わず引いた瞬間、離れていて意識が薄い瞬間などを狙い、先手に回り、最高速で止めを刺すというもの。
 しかしその手はどうやら読まれているらしい。距離を置いても接近戦と同様の緊張感で私と対峙している。残念。
 ――やっぱり、なんの犠牲も無しに願いを叶えるのは無理、か。私はそんな超人していない。
 覚悟を決めよう。
 私はこの子を救う。
 救われるほうは堪ったものじゃないかもしれないけれど。
 それでも私は、この子を救いたい。
「お前は覚悟を決めっぱなしだな、弟子」
 苦笑いと共に出た、いつかの、誰かの言葉が蘇った。無視する。



 これで決める。
 私はいつかと同じように、一歩、一歩と静かに門番に近づいた。
 この女は、やはり化け物だ。
 刃と肉体の間は数ミリもないはずなのに、振るった刃はその全てが掠り傷にしかならなかった。しかも時間が経つにつれ、掠りもしなくなっていた。ダメージを与えられたのは、最初のナイフ二本のみ。
 少しでも攻撃の手を緩めれば、通常ならば反応することすら叶わない高速の蹴り。物体の運動停止能力を応用した、運動の活性化で肉体の性能を限界ぎりぎりまで引き上げていてなお、紙一重でかわすのがやっとだ。
 状況はこちらが有利に見えて、追い込まれているのはこちらだ。二つ、場合によっては三つの能力の併用。そろそろ限界だった。
 これで、これで終わりだ。
 私はお前を殺す。
 時を一瞬止め、女の懐へ。時間を減速させ、刃を振るう。
 減速させていてなお、このスピード。攻撃してくることはないが、的確にガードしてくる。どんな反応速度だ。
 ここで、ナイフを一本、門番の背後へ。減速は限界。時は流れだす。
 背後のナイフを察知し、門番は屈んで避けた。そこで時を一瞬止め、大量のナイフを門番に投げつける。ナイフは空中で停止する。そしてもう一つ。
 時は動き出す。大量のナイフに流石に門番は驚き、そこから飛び退いた。
 狙い通りだ。
 大きく飛び退き着地した瞬間、その上空から、大量のナイフが猛烈な速度で門番に降り注いだ。
「や、ば」
 流石と言うべきか、門番はそのナイフの雨すらも、避けきった。
 しかし、体勢が崩れた。
 ひと押しすれば倒れそうな体勢。
 ここだ。
 ナイフの雨から避けた瞬間。

 確かめるように呼吸を繰り返す。繰り返す。繰り返す。

 辺りが静寂に包まれる。
 完全なる静寂。私以外に、動くものはなにもない。
 門番に近づく。
 動かない。
 当たり前だ。
 私が止めたのは、時だ。
「終わりだ」
 ナイフを、門番の心臓に、――突き刺す。
 突き刺さったナイフを捻り、抜き取る。血は出ない。
 続けて、首筋へと横から、ナイフを突き刺す。渾身の力で引き抜く。首が半分、切り裂かれた。
 そこで時は動き出した。
 そこからの一瞬は、スローモーションのように、時を減速させているかのように、視界に映った。
 門番の胸から、鮮血が勢いよく吹き出る。私は動くことができず、その血を全身に被った。暖かい。
 首からも、扇形に血が吹き出た。仰け反っていたので、真上に。
 倒れる。女が、絶命しようとしている。
 特になにも感じなかった。
 さよなら。

「歯ぁ喰いしばれ、咲夜ちゃん」

「え?」
 倒れようとしていたはずの門番の手が、私の胸元に。
 私は持ちあげられていた。
「……え?」
 なぜ?
 お前は倒れて。
 心臓を裂き、首を裂いて。
 幻術?
 門番の胸と首を見る。鮮血が変わらず、吹き出ている。
 じゃあ、なんで。
「気合いが足らんなぁ気合いがぁ」
 門番は悪質な笑い顔でそんなことをほざいた。
 気合い?
 馬鹿か?
 よく見ると、門番はふらふらだった。
 当たり前だ。
 人間は、首を、心臓を切り裂かれれば、死ぬ。
 人外でも、首を、心臓を切り裂かれれば、死ぬ。
 お前はなんだ?
「歯ぁ、喰いしばれ、咲夜ちゃん」
 ああ。
 極彩の力が、右手に。
 幻覚だろうか。極彩の力が、目に見える。
 力強く輝く極彩の光。
 ――美しい。
 衝撃。
 肉体が振動する。
 衝撃が、腹から全身へと、波のように伝わる。
 心に響く、一撃だ。
 吹き飛び、しかし直線に吹き飛んだので、地によるダメージはほとんどなかった。
 しかし、動けない。
 指一本動かせない。
 感覚が無かった。
 ――――終わった。
 ……昔の自分が見たら、無様に地面に横たわるこの私を見たら、いったいなにを思うのだろうか。
 私を許さないだろうか。
 私は許されるだろうか。
 私は私を許すだろうか。
「私の勝ちだ」
 視線だけで上を見ると、門番が私を見下ろしていた。
 私は負けたんだ。
 この先を、私が選択し、そして今決まってしまった道を進むとしても、それは負けの延長でしかないのだろうか。
「…………わ、」
「うん?」
「わ、わた…………」
 無理やり、声を絞り出す。
「私、は、咲夜という名前は、……とてもいい、名前だとおも、う」
「……そか。良かった」
 微笑む門番。
 良かった、か。
「お前の、ことは、美鈴と呼んでも、いいか?」
「どうぞ」
「そうか」
 ああ、意識が、閉じる。
 誰かに抱かれた、気がした。
 辺りが暗闇に包まれた。
 しかし不思議と、暗くはなかった。矛盾だ。
 この光と引き換えに、私はいったいなにを失ったのだろうか。


 Lastep

 咲夜ちゃんは三日間寝込んだ。
 私は一週間寝込んだ。
 首を半分切られ、心臓を切り裂かれたのだから、当たり前だ。普通死んでる。
 目を覚ますと、そこは悪魔の館でした。
「…………」
 やや受けだな。
 昼過ぎ、もうすぐ夕方という時間に目覚めた。
 首と胸を確認する。
 痛てえ。
 しかし動くだけならもう問題無いだろう。
 まったく、人外じみてきたものだ。どこぞの絶無じゃあるまいし。
 …………。
 本物の人外と、人間でありながらの人外。どちらが性質が悪いだろうか。
 と、扉がノックされた。
「起きてますよー」
 返事を返す。
 入ってきたのは、咲夜ちゃんだった。
「あ、おはよう」
「おはよう」
 無愛想に挨拶に応えてくれる咲夜ちゃん。その手には、おいしそうな料理が。
「それ、咲夜ちゃんが作ったの?」
「ああ」
「ほーう」
 色鮮やかな野菜炒めに湯気立つお味噌汁、芋の煮付けに茶碗蒸し。もちろんご飯も付いている、とても豪華でおいしそうな食事だ。納豆を除いては。
 …………。
 あれほんとに死なないかな。死ねよ。
「いただきます」
 味もどれも美味だった。
 ……ちょっとくやしい。
「美味しい」
「そうか」
 咲夜ちゃんは椅子に座って、私が食べているのをしばらくじっと見ていた。
「聞いた」
「うん?なにが」
 魚をほぐす作業をやめ、咲夜ちゃんに顔を向ける。
「お前、やっぱり人間じゃないんだってな」
 非難しているような口調ではなかったが、心なしか睨んでいるようには見える。
「いや、一応人間だよ。何パーセントかは」
「どういうことだ」
「元、人間。現在は七割妖怪、三割人間」
「……ふーん」
「嘘は言ってないよ」
「嘘吐きだな」
「ひどいなあ」
 私は嘆き、食事を再開する。
「お前は」
「うん?」
「妖怪の力を受け入れる時、なにを感じた」
「べつに、なにも」
「…………。そうか」
 その後は、私は黙々と食事を進めた。
「御馳走様でした」
 量は多めだったが、残さず全部食べた。納豆以外は。咲夜ちゃんが無言で、皿を取り下げてくれる。
「これからどうするの?」
 部屋から出ていこうとする咲夜ちゃんの背に、尋ねた。
「……しばらくは、な」
「そか」
 それだけ言って、横になった。私は牛になる。
 扉が開く音がして、そして、
 閉じる音は聞こえなかった。
「私はどうすればいい?」
「…………」
 それを聞いて、私は微笑んだ。
「モットーでも決めたら?」
「モットー?」
「そう。私はこうありたい、みたいな」
「…………。お前の、モットーは?」
「願わくば、自分の望みを叶える力と意思を。モットーとはちょっと違うかもしれないけど」
「…………。そうか」
 少女は部屋から出ていく。扉がゆっくりと閉まる。
「私は、私を信じたい」
 ばたん。
 静寂が訪れる。
「それは、良いモットーだ」
 モットーとは、ちょっと違うかもしれないけど。



『紅色の幻想郷』

 Lastep

 異端は差別され疎外され排斥され迫害される。
 それはどの世界でも共通の常識。
 それはなにも人間だけに限った話ではない。
 世界から外れている者は、それが何者であろうとも、差別され疎外され排斥され迫害される。
 例えば吸血鬼だって、その例外ではない。
 魔女だって超越しすぎた人間だって半分以上妖怪な珍種だって、そうだ。
「限界、ね」
「限界、か」
「もうここに留まるのは無理よ。出来過ぎなぐらいだわ」
「で、行けるの?」
「あの子の力があれば」
「重畳、重畳」
「使い方間違ってるわよ、それ」
「大体合ってればいいのよ」

 咲夜ちゃんが来て、三年という歳月が流れた。
 咲夜ちゃんの体は大きくなったし、私はちっとも変わらない。
 咲夜ちゃんはいつも通り真面目に掃除をしていたし、私はいつも通り真面目に門番をしている。
「飽きないの?一日中寝てて」
「寝てないよ」
「あ、そう」
 いや寝てたら返事できないだろ。
 そんないつも通りの日常が流れていた。
 数分後に終わった。


「は?」
 食堂。
 いきなり呼び出されたと思ったら、なにを言ってるんだこの人。人じゃないけど。
「引っ越しよ」
「はあ、引っ越しですか」
 まあ、限界だろうな。
 最近、異様な速度で人間の技術が進歩してきた。この館が見つかるのも、時間の問題だ。
「で、どこに」
「桃源郷」
「だから狂犬病かもしれないから犬の血は飲むなと」
「ぶっ飛ばすぞ」
 額に青筋を走らせるお嬢様。すぐ起こる。カルシウムが足りないな。牛乳が嫌いとか言ってるから、背も伸びない。
「桃源郷、ねえ」
「そう」
 とパチュリー様。
「あ、ギャグじゃなかったんですか?」
「お前は私のことをなんだと思ってんだよ」
 お嬢様の額の青筋が増えた。
「シリアスな場面なんだから、ちゃんと聞け」
「シリアスなんですか?」
「そうだよ」
「でもどうやって行くんですか?その、桃源郷に」
 集団首吊りか?
「そこに行くための研究を、何年も前からしてたのよ。パチェが」
「いつの間に」
 気付かなかった。いやパチュリー様は年がら年中引き籠っているのだから当たり前か。
「どうやって行くんですか?」
「咲夜の能力をパチェが増幅させてコントロールする」
「そうですか」
 簡単に言うけど、失敗して本当に桃源郷入りするなんてことはないだろうな。
「ない。失敗したら時空か次元の狭間に飲まれる」
「おい」
「大丈夫よ。多分」
「おい」

「どうするの?」
 再び門の前。咲夜ちゃんは掃除をしていたし、私は門の警備をしている。
「行けば、もう後戻りできなくなるけど」
「行くわ」
 即答だった。
「そか」
「あなたが行くなら、ね」
「え」
 答えに詰まる。予想外の返答。これは、
「告白?」
 嬉しいねえ。
「みたいなものね」
「え」
 答えに詰まる。予想外の返答。
「そ、そう、ですか」
 つっかえながら答える。
 と、
 咲夜ちゃんは、怪しい微笑みを浮かべながら、私をじっと見つめていた。
「――ええ」
「…………」
 怖いよ。
「もしかして、まだ私を殺すことを諦めてない、とか」
「どうでしょうね」
 咲夜ちゃんは笑い、館内へ戻っていった。
「いや、笑えねえよ」



「さあ、行きましょう。外れ者の聖地、幻想郷へ」
熱血小説ですな。美鈴が出る回は熱血になりやすい。
さて、三作目の作品『Cross ep』、どうだったでしょうか。
長げえ。
私もそう思います。
この作品と繋がっている他の作品が二作ありますが、それは自サイトにおいてあります。よかったら見に来てください。
さて次はなにを書こうか。みょんの話か、レミリアとパチュリーの出会いの話か、幽々子の過去話か。
浮かんでいる話はたくさんあるんだけど、さてどうするか。
ではまたお会いすることがあれば、ぜひぜひその作品も見てくださいな。
読んでくださりありがとうございました。
識見
sikiminoheya@yahoo.co.jp
http://sikiminoheya.yukimizake.net/
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コメント



0.1200簡易評価
8.60名前が無い程度の能力削除
あまりにも長すぎたので途中から流し読みになりましたが

とりあえず、出会い方という感じならそれぞれ三部作程度に分けて書いてほしかったです
9.80名前が無い程度の能力削除
面白かったですが長すぎる感があります
レミリアに遭うまでの美鈴の過去辺りは別に分けた方が見やすかった
後、思わせぶりな割に彩花が後半出番ないのがちょっと残念でした
10.100名前が無い程度の能力削除
さすがに長い……。
分けた方が良かったんじゃなかろうかと思います、ていうかそうだよ。多分。
美鈴の過去編と、紅魔編、それぞれでほぼ独立したストーリーですし。

でも不思議とはじめから最後まで読めましたね。ていうか惹き込まれた。
すごい勢いで魅了されていきましたもの。目の前に情景が浮かぶほどに。
別の世界観が確立していますよね。
そのうち彩花が出てくることに期待です。あるいは既にそこに居るのかもしれん。

フランは(ry
11.70名前が無い程度の能力削除
前作を読んできました。
今作と前作で美鈴のキャラが変わりすぎで、続きという気がしませんでした。
キャラを変えるなということではありませんが、キャラが変わった説明なり理由なりが欲しいと思ってしまいました。

今作は面白かったです。
12.100名前が無い程度の能力削除
長かった‥‥。
だけど最後まで苦なく読めました。引き込まれたし、面白かったです。
彩花の出番が最初だけだったのがちょっと残念。また出番があるのかな?期待です。
13.100名前が無い程度の能力削除
『月鏡』『Sense of values intention』も読ませていただきました。
とても面白かったです。
キャラがどストライク