Coolier - 新生・東方創想話

そりゃ妖怪だって驚いてくれなきゃ悩んだりもするよ

2010/02/19 20:49:41
最終更新
サイズ
26.62KB
ページ数
1
閲覧数
791
評価数
3/24
POINT
1220
Rate
9.96

分類タグ

 





 ※一部オリキャラのおばあさんが登場します。































 いつものように、小傘は人里をぶらぶらと歩いていた。

 人間がいっぱいいるなら、驚いてくれる人もいるだろうと思いこの里を訪れたのはもう随分前のこと。

 その日から彼女はどうにか人を驚かせようと自分なりに頑張っているのだが、その成果は一向に実る気配がない。

 彼女のセンスが問題なのか、そもそも彼女の容姿が恐怖の対象とかけ離れすぎているのがまずいのかは分からないが、ともかく里にやってきて以来彼女が人を驚かすことが出来た事はなかった。

 しかしながら、彼女の行為全てが無駄になっているというわけではない。彼女が一生懸命驚かそうとしているうちに、いつの間にか里の数名と仲良くなっていたのだった。



「小傘ちゃん、おはよう」

「あ、おばあちゃん! うらめしやー!」



 声をかけてくれた老年の婦人も、仲良くなった人間の一人である。その中でも、彼女は特によく小傘の相手をしてくれていた。

 彼女は小さな駄菓子屋を営みながら一人で暮らしていた。家族は独立して別の所で暮らしているらしいが、小傘は彼女の家に他の人がいるのを見たことがない。おそらく家族が訪ねてくることも稀なのだろう。

 そういった寂しさもあってか、近所の子供達の世話をするのは彼女の日課になっていた。彼女にとっては、小傘もその辺の子供達と大差ないらしい。



「今日も元気ね。お菓子食べる?」

「うん! いつもありがとう、おばあちゃん」

「いえいえ、私のほうこそ感謝してるのよ。いつも小傘ちゃんから元気をもらえるからね」



 婦人は陳列されている菓子を数個取って小傘に渡すと、彼女と一緒に居間の入り口に腰掛けた。



「今日も皆をびっくりさせるの?」

「うん、でも今日もまた失敗しちゃうかも。なんでかなぁ」

「大丈夫よ、小傘ちゃんは一生懸命だもの、いつか皆もびっくりしてくれるわよ」



 婦人はそう言って小傘に優しい笑みを向ける。

 その笑みを見ているのが辛くて、小傘は彼女から顔を背けた。



 小傘の心には二つの相反する気持が渦巻いていた。

 一つに、このままではどんな工夫をしたところで誰も驚いてくれないのではないか、という思いがあった。

 人が驚きを覚えるには、予想外の事態に直面する必要がある。しかし、この里では既に小傘のイメージが定着しつつある。「人間を驚かせようと頑張っている可愛らしい子」がどんなことをしても、微笑ましい光景を見るような眼差しを向けられるだけではないだろうか。

 だから、人に驚いてもらうにはまずこの現状を変える必要がある。



 その一方で、このまま人の温かさを感じながら生きていくのも悪くない、という気持もまた存在している。

 里の人間との交流を通して、小傘はそれまで知らなかった愛情や温かさといった感情を知ることが出来た。

 その心地良さに浸っているうちに、もしかしたら自分が求めていたのは人の驚きではなく、こういった人の温かさだったのかもしれないと思ったこともある。

 しかしながら、これからは人の温かさを求めて生きようと簡単に決意を曲げられるほど小傘の意思は柔軟ではなかった。多々良小傘という存在としての意思を持って以来彼女の原動力であり続けた人間を驚かせるという思いは常に彼女の頭の片隅に残り、彼女を支配していたのだ。



 二つの思いが交じり合った複雑な表情で、小傘は菓子を頬張っていた。その様子を婦人は目を細めて眺めている。

 小傘が自らの在り方に悩んでいることに、彼女は気づいていた。尤も、小傘は思っていることが顔に出てしまうことが多いから、毎日のように彼女の顔を見ている婦人が気づけたのも当たり前ではあったが。

 しかし、彼女は敢えて小傘に声をかけ、相談に乗ろうとはしなかった。人間でも妖怪でも、生きていれば何かしら壁にぶつかったり歩みを止めたりすることはある。そういった場合、それを乗り越えるには自分が努力するしかないのだ。

 だから、小傘も一生懸命悩んで迷って、そして自分でこれからの生き方を見つけて欲しい。もちろん相談されれば一緒になって悩むつもりだが、それを決断するのも自分でなければいけない。

 どんな方法で決めたとしても、その生き方を実践するのは他の誰でもない彼女自身なのだから。



 そういった思いから、婦人は小傘を静かに見守っていこうと決めていたのだった。





「おばあちゃん、私そろそろ行くね」



 静まり返った店先に小傘の声が響く。未だ悩みを抱えているからなのだろう、少し引き攣り気味の表情が寂しげであったが、それでも彼女は明るい声色で婦人に挨拶をした。

 無理に明るく振舞ったのは、いつもよくしてくれている婦人に心配させまいとする小傘の精一杯の気遣いだった。

 彼女のことだから、もし相談したら親身になって一緒に色々考えてくれるだろう。けれど、そうすれば彼女に余計な心配をかけてしまう。そうならないように、小傘は彼女と別れるときにはたとえ落ち込んだ気分が回復しなかったとしても元気に振舞うことに決めているのだ。

 小傘のそういった心境も、婦人にはお見通しであった。

 小傘の悩んでいる姿を見て、やはりこちらから悩みを聞いてやろうかと思ったことも何度かある。しかし、彼女が健気にも心配をかけまいと思っている以上自分は彼女を見守るしかない。そう思って、婦人はこの日もいつものように少し引き攣った笑顔の小傘に微笑を返した。



「ええ、気をつけて。頑張ってね、小傘ちゃん」

「うん! じゃあまたね!」



 明るく返事をして小傘は店の外に駆け出した。それを送って婦人も店の外に出る。

 休日だからだろうか、外はそれなりに混み合っている。天気もいいようだし、これからもっと人混みも増えていくかもしれない。人がこれだけいれば、あとは彼女の発想次第だろう。小傘ちゃん、頑張ってね。

 雑踏の中ふらふらと漂う小傘の影が人の流れに消えていくのを見送った婦人はもう一度心の中でそう彼女を応援すると、店の奥へと戻っていった。







 人混みでゆらゆら揺れながら、小傘はどこに行こうかと考えていた。

 これだけ人がいればきっと一人くらいは驚いてくれる人間もいるだろう。しかし、それにはまず場所選びが重要だ。相手の想像出来ないような場所で、想像を上回ることをしなければ人は驚かない。今時の人間はもう柳の下のような典型的な場面では驚かないようだし、新しいびっくりスポットを見つける必要がある。

 そんな事を考えながら歩いていると、不意に後ろから声をかけられた。



「よ、あいかわらず不細工な傘だねぇ」

「なんだって! 私のたたらんを馬鹿にすると許さない……あれ? あなた誰?」



 突然の無礼な発言に思わずむっとした小傘が振り向くと、そこには見知らぬ少女が立っていた。彼女は妙にニヤニヤした表情を浮かべており、まるで状況が理解できていない小傘をからかっているようだ。



「忘れちゃったの? 正体不明でミステリアスな謎の美少女であるこの私を忘れちゃうなんてあんたも相当」

「なんだ、ぬえか」



 少女の言葉で冷静になった小傘がそう言った途端、目の前の少女の姿がみるみるうちに変わりはじめ、いつもの見知った姿に戻っていった。小傘が呆れた様子だったのが気に食わなかったのか、正体を現したぬえは少々棘を含んだ口調で小傘に言う。



「なんだはないんじゃないの? 不安そうな顔でふらふらしてたからちょっとだけ心配して声かけてやったのにさ」

「心配してくれたんだ」

「ちょっとだけね。まあ今日は遊覧船の添乗員役の日じゃないし暇だったからっていうのもあるけどさ。……どうかした? 何かあったの?」

「ううん、ただ……元気に振舞ってたはずなんだけどなあって思って」

「どういう事? 私でよければ話してみてよ」



 はじめは小傘をからかってからどこかに遊びにいこうかと思っていたぬえだったが、彼女の表情がどんどん暗くなっていくのを見て少し真面目な顔をした。さすがにこんな顔をされてはからかう気にもならない。一応友人だし、話くらい聞いてやろう。

 そういったぬえの心遣いがうれしかったのだろう、小傘は先程よりは落ち着いた様子で口を開いた。



「私、どうしたらいいのかわからないの。私は今みたいにいろんな人と仲良くするのもいいかなって思ってる。でも、一方で人間を驚かせたいっていう気持もあるの。このまま人間と仲良くしてたら、きっと私に驚いてくれる人間なんていなくなっちゃうと思う。それは嫌だけど、でもこのままおばあちゃん達の優しさに甘えたいなって思うときもあって……ねえぬえ、私どうしたらいいのかな?」

「なるほどね、不安そうに見えたのはそういうわけか。うーん……じゃあさ、人を驚かせる最終兵器使ってみない?」

「最終兵器?」

「うん。これで驚かなかったら、たぶん誰も驚いてくれないよ。だから、これで駄目だったら人間を驚かせる道はきっぱり諦める。もし驚いたらこれまで通り色々画策してみる。これでどう?」

「いいけど、最終兵器って?」

「ふふん、これをお忘れかしら?」



 仰々しくぬえが差し出した手を開くと、そこには小さな蛇のようなものが見えた。それが何なのか分からず小傘は少し黙っていたが、すぐにその答えは見当がついたようだ。



「あ! 正体不明の種!」

「ご名答! これをあんたにつければ他人はあんたが誰だかわからなくなる。それで物陰から適当に脅してやれば完璧よ」

「なるほど、さすがだね、ぬえ」

「伊達に長年人間をからかってないわよ。じゃあつけるよ」

「うん、お願い! 誰を脅かそうかなあ」

「そうだなあ……さっき話してたおばあさんにしたら? 仲がいいおばあさんがびっくりするなら誰でもびっくりするでしょう」

「そうだね、そうしよう! ぬえ、本当にありがとう」

「お礼を言うのはまだ早いよ。私は離れて見てるからさ、頑張りなよ」

「うん! 行こう!」



 ぬえの手をとって、小傘は走り出した。その足取りは弾むように軽い。どうやら先程まで彼女の心から溢れていた不安は姿を潜めたようだ。

 普段はあまりああいう顔を見せたことがないから気づかなかったけど、やっぱりこいつはこうやって楽しそうに笑っていたほうがいい。そんなことを思って、彼女にぐいぐい引っ張られながら走るぬえはうれしそうに微笑んだ。





 暫く走った後、二人は婦人の店の前にやってきた。中を窺うと数人の子供達が丁度出てくるところだった。客が帰った今ならうまく驚かすことが出来るだろう。

 店先の見える物陰で、ぬえは隣の小傘をちらりと見た。つい先程まで元気そうにしていた彼女の表情は、今になって固まっているようだ。緊張しているのだろうか、それともまた不安に呑まれているのだろうかは分からないが、どちらにしてもこのままではうまくいきそうにないことは目に見えている。

 やれやれ、仕方ないなあ。そう呟いて、ぬえは小傘の背中をドンと叩いた。



「よっし、今ならおばあさんだけだし、行って来い!」

「うわっ!? び、びっくりさせないでよ」

「……あんたまさかびびってんの?」

「そ、そんなこと、ない」

「ガッチガチじゃない、まったく……まあさ、気楽にいったら? あんた、色々頑張ってるしきっと大丈夫だよ。あんたがそんなんじゃ、脅かされるほうも素直に驚けないじゃんか」

「……うん、そうだよね。わかった、私頑張ってみる! ぬえ、ありがとね」

「うん、私の種もついてるんだし、気負わずリラックスしていこうよ」

「うん! じゃ、行ってくるね」



 そう言うと小傘は店のほうへゆっくりと歩いていった。相変わらず緊張しているようだが、妙な固さは取れて丁度いい緊張感に変わっている。この様子なら、本来の力を発揮できそうだ。



 小傘のそんな様子を見守りながら、ぬえは少し溜息をついた。

 彼女の緊張が取れても、問題が全て解決したわけではない。寧ろ今残っている問題は最も懸念すべき大きなものであった。



 小傘が人を驚かすための最大の壁、それは彼女自身のセンスである。

 まだ人々が色々な物を畏れていた昔ならば、当時から多くの妖怪が実践していた伝統の驚かし方で人間達は恐怖を覚え、また小傘もこの方法を用いることが出来た。

 しかしながら、最近はそういう昔ながらのやり方で驚いてくれる人間など殆どいない。そのため妖怪達はそれぞれが自分に合った新しいやり方を考える必要性が出てきたわけだが、それが彼女は苦手なのだ。彼女も一生懸命に様々な方法を考え実行してはいるが、どうもやり方を考えるセンスが大きくずれているらしく人が驚いたことは殆どない。

 いくら正体を隠して驚かせるのに適した状態にいるとはいえ、彼女のことだから誰も驚くとは思えないような方法を用いないとも言い切れない。

 そういった思いがあるから、遠くで見守るぬえとしても彼女がゆっくりと店先に近づいていくのを見ているのは気が気でなかった。



 そうこうしているうちに、小傘が店の前についた。彼女が中を窺うと、婦人は商品の整理をしているようだった。

 自分に背を向けている今ならきっとびっくりする。そう考えた小傘は静かに入り口の陰に立ち、大きく息を吸い、気持を落ち着けた後に突然大声で叫んだ。









 うらめしやー!!!!!







 どうだ、びっくりしただろうと言わんばかりに胸を張り、ご満悦の小傘。

 彼女のそんな様子を見て、ああ、またやらかしたと溜息を吐くぬえ。

 一方は誇らしげで、もう一方は少しがっかりした様子。そんな対照的な表情を浮かべた二人だったが、その情景はすぐに婦人の言葉によって塗り替えられることになる。



「あら小傘ちゃん、また来たのね。元気いっぱいでいいわね」



 唐突に放たれたその言葉は小傘の誇らしげな表情を打ち壊した。様々な疑問が心に湧き上がる中、小傘は消え入るような声で婦人に尋ねる。



「え……だって……どうして、私のこと」

「だって、こんなに元気に挨拶してくれる子は小傘ちゃんくらいだもの。最初はいきなりだったからびっくりしちゃったけどね」

「そう……なんだ」



 驚いちゃった、と微笑みながら話す婦人の優しい笑顔は、小傘には届いていなかった。

 小傘が求めていたのは、そういう類の驚きではない。彼女が欲しかったのは、昔感じていたような、畏れに似た驚きであった。



 いくらおばあちゃんを驚かせることが出来ても、そこにある種の畏れが含まれていない驚きなどは意味のないものだ。正体不明の種まで使ってもそれを得られないなら、もう二度と私はあの驚きを享受できないのかもしれない。

 しかし、それにも増して辛いのはおばあちゃんのこの気遣いだ。きっと、彼女は私を喜ばせようとしてわざと自分が驚いたことを何度も口にしているのだろう。その気持がとてもうれしくて、でもだからこそそれが何の意味も成さないことが申し訳なくて。

 こんなとき、私はいったいどうしたらいいのかな。泣けばいいかな。でも、そしたらおばあちゃんが心配しちゃう。どうしたら……やめてよ、おばあちゃん。もう笑いかけてくれなくていいから。その微笑が――今は痛くてたまらないんだもの。



 ああ、私はどうしたらいいの……?





 泣くつもりはなかった。ただ、悲しみや喜びなどが入り混じる感情は今の小傘の心では受け止められるものではなく、溢れた想いは冷たい雫となって彼女の頬を伝いぽたぽたと流れ落ちた。







 小傘のそんな様子を見て、ぬえは彼女に言ったことを後悔した。

 もしも私がふざけて最終兵器だなんて言わなければ、彼女はここまで自分を追い込まずに済んだのかもしれない。

 彼女は普段なら立ち直りの早いほうだから、二、三日もすればこのくらい忘れられたはずだ。でも、私の余計な一言のせいで彼女は逃げ場を失った。私のせいで、今日の出来事は彼女の心に一生消えない傷を残してしまった。

 もしも私が仲のいいおばあさんを驚かせてみたらなんて言わなければ、彼女は失敗しなかったのかもしれない。

 少し考えれば、仲のいいおばあさんなら小傘の行為だけでも彼女の正体を見破る可能性があることくらい気づけたはずだ。正体不明の漠然とした恐怖という付加価値がなければ、きっと驚いてくれないだろうと気づけたはずなのに。

 ああ、どうしたら小傘の心の傷を癒してやれるだろう。このままでは、きっと彼女は妖怪としての本分を全うできないまま生きていくことになってしまう。私なんかのせいでいつも一生懸命なあいつがそんな目に遭うなんて、絶対にあってはならない。

 けど、私だけじゃ何も出来ない。やっぱり、寺で誰かに話を聞いてもらうしかないだろうか。寺にいる仲間達なら、きっと何かいい提案をくれるはずだ。





 一人でゆっくりと頷いて、ぬえは近くの物陰から店のほうへと歩き出した。

 店の前では呆然と立ち尽くし涙を拭おうともしない小傘を元気づけようと婦人が色々話していたが、やってきた見知らぬ少女に気がつくと少し困ったような微笑で彼女を迎えた。



「ええと、ごめんなさいね。お客さんかしら」

「いえ、私は小傘の友達です。実は、さっきの出来事を見ていまして」

「あら、そうなの? 小傘ちゃん急に泣きだしちゃったから困っちゃって……やっぱり私のせいよね。ちゃんと驚いてあげなかったから……」

「いえ、おばあさんは悪くありませんよ。あの……それで、彼女のことなんですが、寺で話を聞いてもらおうと思っているんです。ですから、私に任せてもらえますか?」

「え? でも、それじゃあなたに悪いでしょ?」

「いいんです、元はといえば私が悪いんですから」

「そうなの?」

「ええ。それに、おばあさんはお店があるでしょう? 私は大丈夫ですから」

「そうね……じゃあお願い出来るかしら」

「はい、任せてください。きっとまた明日、いつものように元気にお邪魔すると思いますよ」

「そうだといいわね。……ねえ、あなたも自分を追い込んでは駄目よ? 私にはよく分からないけれど、たぶんあなただけが悪いなんてことはないと思うの。だから、罪悪感に縛られては駄目。分かった?」

「……ええ、ありがとうございます。それでは、また」



 婦人に挨拶して、ぬえは小傘を連れて寺へと向かった。

 しかし、こんな時も相手を気遣うなんて人間も捨てたもんじゃない。いや、あの時は気づかなかっただけで、もしかしたらあの頃から人間も面白い奴らの集まりだったのだろうか。まあそんなことはどうでもいい。今は一刻も早く寺へ行って小傘の傷を癒す方法を考えなければ。

 そんな事を考えながら進むぬえの足取りは軽かったが、その心には多くの不安が渦巻いていた。







 二人が寺に着くと、丁度午前の遊覧船が帰ってきた頃だった。休日の運行を始めてから久しい今でも絶えない大勢の乗客を眺めながら、ぬえは思わず眉を吊り上げる。

 とりあえず来たものの、誰に相談するべきか。これだけ人手がいれば白蓮や星は説法で忙しいだろうし、一輪やムラサは添乗で会う暇なんてないと思う。そうすると空いていそうなのはナズーリンだが、休日は大抵どこかで探し物屋を営んでいるから寺にいるのかさえも分からない。当てもなくやって来たのはやはり失敗だっただろうか。



 心に生まれた不安をかき消そうと、ぬえは隣の小傘を見つめた。

 彼女は俯き、未だ何も話そうとしない。少しは落ち着いたのか涙は流していなかったが、その表情にいつもの輝きは見られない。

 そんな彼女の様子を見て、ぬえは決意を新たにした。



 小傘がこんなに悲しい顔をしているのは私のせいだ。それなのに、私が不安を抱いてどうするんだ。

 たとえ頼れる人がいなくても、私が何とかしてみせる。どうにかして彼女の傷を癒してみせる。今の小傘には私しかいないんだ。だから私が――







「あれ、どうしたの?」



 突然聞こえた声に反応して、ぬえは驚いたように顔を上げた。

 そこには見慣れた、彼女の一番の親友が立っていた。



「ムラサ? 船長役はいいの?」

「午後の出発まで少し時間があるからね。急ぎの昼食よ」

「……ねえムラサ、今時間ある? 少し話を聞いてほしいんだけど」

「うーん、まあいいか。あんたの暇潰しならまだしも、大事な話みたいだからね」

「うん。ごめんね、せっかくのんびり出来る時間なのに」

「いいのよ。じゃあ本殿裏の縁側にでも行きましょうか。あそこなら静かだし、お弁当を食べながら聞いてあげられるから」

 

 そう言うと村紗は本殿のほうへと歩いていく。それに続くぬえの足取りは寺に来る時よりも明らかに軽くなっていた。





 縁側は本当に静かな場所だった。今でこそ説法が始まって静かになっているが、遊覧船が帰ってきた後の自由時間は大抵どこでも人々の話し声が聞こえ、とても相談どころではなくなってしまう。そんな中でもこの場所だけはいつもの落ち着いた雰囲気を保っており、静かに話をしたい時にはうってつけであった。

 縁側に着くと、ぬえは話そうとしない小傘に代わって今朝の出来事を村紗に話した。初めのほうは弁当を食べながら話を聞いていた村紗だったが、次第に食べるのを止めて真面目な表情で彼女の話を聞くようになっていた。



「……成程、それで小傘はこんなに落ち込んでるのか」

「そうなんだ。私、なんとか出来ないかと思って」

「そうだねぇ……小傘はどう思ってるのかな? なんとなく気持は分かるけど、ちゃんと口に出してみてよ」



 腕組みをした村紗が俯いている小傘に話しかける。彼女は相変わらず下ばかり見ていたが、村紗の言葉に反応したのかゆっくりと言葉を紡ぎ出すように口を開いた。



「……私、もう人を驚かすなんて出来ない。ぬえが言った最終兵器って言葉はふざけて言ったものだって分かってるけど、でもやっぱり私は人間を脅かすのに向いてないんだよ。だけど、私はやっぱりあの感情を手にしたい。あの畏れを含んだ驚きが欲しいんだ。でも、それを願うなんて私にはもう無理なんだって、今回の事でわかった。それはもう終わったことだから、そんなに気にしてないの。ただ、そうすると……」

「そうすると?」

「私が驚かすのを諦めるとね、今度はおばあちゃんががっかりすると思うんだ。私、ずっとおばあちゃんに頑張るって言ってきたし、おばあちゃんもずうっと応援してきてくれたの。だから、今になってそれを諦めるなんて言ったら、今まで応援してくれたおばあちゃんに申し訳ないよ」

「なら、おばあさんと一緒に頑張ってみたら?」

「それじゃ駄目なんだよ。今回の件で初めて気づいたんだけど、いくらおばあちゃんが応援してくれても、お互いが思い描いている驚きは違うものだから、私はいつまでもおばあちゃんに応えることが出来ないもの。そうやっておばあちゃんに心配ばっかりかけるくらいなら、いっそ仲良くしないほうがいいんじゃないかとも思ってる。でも、一人でやっていけるかは不安だし、おばあちゃんとお話してるのも好きだし……」

「それで自分の気持をどうしたらいいか分からないのね。うーん……」

「ねえムラサ、どうしたらいいかな?」



 重たい空気が我慢できなくなったぬえはいつもの軽い調子で村紗に尋ねたが、彼女の心は口調とは違って不安でいっぱいだった。

 もし村紗がいい提案を出せなければ、また誰かに話を聞いてもらうしかない。それを繰り返していたら、小傘は辛い話を何人にもすることになる。それは落ち込んでいる彼女にとってあまりにも酷ではないか。

 出来ればそうならないでほしいが、頼りにしているとはいえ自分ではどうしようもなかった事を村紗が解決してくれるかどうかは分からない。

 ぬえのこうした不安は三人の沈黙によって停滞した空気でよりいっそう煽られ、縁側は暫く無音の空間と化していた。





 それがどのくらい続いたのだろうか。

 沈黙を破ったのは、腕組みをしていた村紗の一言だった。

 何かを悟ったような表情で、彼女は普段話すときと同じように何でもない口調で語り出した。



「今まで通り、過ごしてみたら?」

「えっ?」



 予想していなかった言葉に、二人の口から同時に言葉が漏れた。納得いかないという表情を浮かべてぬえが村紗につっかかる。



「そ、そんなの解決にならないじゃない! 今まで通りに出来ないから困ってるのにそんなのって」

「だからぬえはいつまでもお子様なのよ」

「なんだって!? ムラサ今なんて」

「はいはい、今は黙ってなさい。さて小傘、あなたは昔人々が驚く姿を見て幸せを感じた?」

「うん、あの気持は幸せだと思う」

「じゃあ、今おばあさんと過ごしていて幸せを感じる?」

「それは……感じるけど、でも」

「なら最後に質問。その二つの幸せはまったく別のものなのかしら?」

「……同じ、じゃないかもしれないけど、でも似てると思う。昔人間がびっくりした時も、おばあちゃんと一緒にいる時も、どっちも楽しいから」

「だったら、私はおばあさんと一緒に過ごしていくべきだと思うなあ。確かに今のままでは人を驚かせる喜びは得られないかもしれないけど、それでも一緒に過ごす喜びは得られるでしょう? あなたが欲しい驚きは得られないかもしれないけど、その代わりにあなたは人の優しさを得られる。おばあさんだって、あなたのことを心配してくれているわけだし、ずっと一緒にいても困らないと思うわよ。寧ろ仲良くしなくなるほうがおばあさんには辛いんじゃないかな」

「うーん……」



 考え込む小傘を見つめて、村紗は目を細めた。

 彼女の背中を押してやるために、少し昔話をしよう。自分もこんなふうに悩んだことがあるから、話してやれば少しは楽になるだろう。

 そう考えて、村紗は優しい口調で語り出した。



「難しいよね……何が幸せかなんて、実際にやってみて暫く経たないと分からないんだよね。私も昔は妖怪になった自分は船を沈めるしかないんだって信じ込んでたから、聖が言う人助けとかの充実感なんて分からなかったんだ。でも、実際にやってみると意外と楽しかったりしてね。そうしているうちに、やっぱりこっちのほうが自分に合ってるって思うようになった。妖怪としての本分なんて、案外そんなものよ。だから、きっと小傘も今まで通りおばあさんの傍にいれば、いつかこうしていてよかったって思うんじゃないかな」

「そう……なのかなあ」

「きっとそうよ。あなたは優しい子だから心配をかけまいとしているけれど、心配するのもけっこういいものよ、うちにもいい例がいるし」

「ちょっとムラサ、今なんて」

「はいはい、後でね。それに、ずっと努力していればあなたが欲しい驚きだって手に入るかもしれないでしょう? おばあさんは応援してくれているんだから、色々話を聞いたりして頑張ったらいいじゃない」

「……うん! そうだよね! ああ、そう考えたら落ち込んでた自分が馬鹿みたいだよ。ありがとう、ムラサ」

「礼には及ばないわ。言うならこのお子様に言ってやって」

「ふぇ?」



 村紗に相手にされず縁側の隅でいじけていたぬえは彼女の唐突な振りに間の抜けた声を上げた。それを聞いて村紗は思わず吹き出しそうになったが、落ち着きを取り戻して小傘に続きを話す。



「だって、ぬえがあなたをこんなに心配しなかったらこうはなっていないでしょうから」

「さ、さっすがムラサ! 問題を解決するだけじゃなく私をも立てるなんて、やっぱりムラサはすごいよ!」

「まあ、そもそもあんたがちょっかい出さなければ小傘が落ち込むこともなかっただろうけど……でも、それじゃあ小傘が抱えていたモヤモヤは消えなかった。気に食わないけど、やっぱりあんたのおかげかもね」

「……どうせなら、ちゃんと褒めてくれればいいのにさ」

「はいはい、ごめんなさいね。じゃあ私は船長さんしなきゃいけないしもう行くわ。またね、小傘」



 挨拶を軽くすると、村紗は表のほうに走っていった。それを手を振って見送る小傘を見つめながら、ぬえは一つ溜息を吐いた。



 色々あったが、これでもう小傘は落ち込んだりしないだろう。結局私は何も出来なかったけど、やっぱりムラサに話を聞いてもらえてよかった。

 うん、本当によかった。やっぱりこいつはケラケラ笑って周りに元気を振りまくくらいが丁度いい。

 そんな事を考える彼女の顔は、隣で笑う小傘よりも輝いていた。















 翌日、小傘は婦人の店の前にいた。

 素直ではないけれど、心の優しい不思議な友人を連れて。



「うらめしやー!!」

「あら小傘ちゃん、元気を取り戻したのね! よかった……本当によかったわ。ごめんね、私がいけなかったのよね」

「違うよおばあちゃん。だって私、優しいおばあちゃんが大好きだもん! だからそんな顔しないで? 私はもう平気だから」

「小傘ちゃん……じゃあ、もうこの話はやめにしましょうか。ところで、お隣のあなたは昨日来てくれたお友達ね?」

「ええ、封獣ぬえといいます。よろしくお願いします、おばあさん」

「そんな固い挨拶はよしましょうよ、ぬえちゃん。いつでも歓迎するから、これからもいっぱい遊びにいらっしゃいね」

「はい……いや、うん、おばあちゃん」



 婦人の柔らかな言葉に、ぬえは思わずたじろいだ。

 しかし本当に変わった人間だ。小傘の友人なのだから、私が人ではないことも分かっているはずだ。なのに、この人は一切抵抗を示さなかった。

 変わってるけど、嫌じゃない。あの頃は全然思い描いたことのなかった光景ではあるけど、人間とこんな付き合いをするのも悪くはない。

 ぬえがそんな事を考えているうちに、婦人は駄菓子を取り出して二人に手渡した。それを受け取って、二人は外に出された縁台へと向かう。







 空気が澄んでいるからだろうか、冬の空は高く見える。少し肌寒いけど、こうして三人で見ているとそれもあまり気にならない。おばあちゃんの話や、ぬえの意地っ張りが面白いから。

 あの時は辛くてどうしようもなかったけど、それでもやっぱり昨日の経験は私にとっていいものだったと思う。もしもあの出来事がなければ、私は今も中途半端な気持で悩んでいただろうから。

 彼女のおかげで、これからはおばあさんとぬえと三人で楽しくお話ができそうだ。

 そういえば、お礼を言うの忘れてたっけ。でも、今になって言うのは恥ずかしいから直接は言わないよ。



 ありがとう、ぬえ。お互い迷惑をかけるかもしれないけど、これからもよろしく。





 三人を柔らかで温かい陽が包む。

 ゆったりと時が流れ、自然と幸せな気分になれるような、そんな冬のある日のことだった。

 

 
小傘ちゃんとぬえが一緒になって里でしょうもない悪戯してケラケラ笑ってる光景なんて見たら微笑ましくて鼻血出るってセーラー服のお姉さんと緑髪の巫女さんが言ってた
でれすけ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.940簡易評価
12.90名前が無い程度の能力削除
小傘とぬえなら悪戯されても鼻血で済むな
19.100名前が無い程度の能力削除
小傘ちゃんとぬえなら仕方ない
21.90ずわいがに削除
おいぃッ、ナニコレ、パーフェクト良い話じゃないですか!?
もし本当にこんな風に「驚き」や「恐れ」じゃなくても良いなら、妖怪と人間はいくらでも共存出来そうですよね。