Coolier - 新生・東方創想話

美桜月夜-Spiritual Cherry Blossoms Dancing-

2005/02/01 11:26:15
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 ――さて、今宵頭上に月がある。
 短く儚い人生、あと何度の月を見られるの
かは、まあ人それぞれ。
 そこで一つ心配なのは、この月を果たして
死した後も見られるのか、という疑問だ。
 あの世にも月は昇るのか?

 もちろん、昇る。
 見上げればそこにあるのが月。それは幽世
現世変わりなく、やっぱり夜空には欠かせな
い。
 月のない夜はあんまり暗くて、幽霊だって
おいそれとは歩けないからだ。

 ある春の夜、幻想郷には満月が昇った。
 生死を隔てた冥界にも、同じく真円を描く
月が浮かんでいる。
 見る者を唸らせ、あるいは溜息を吐かせる
見事な満月。
 そんなお宝がこれ見よがしに浮かんでいれ
ば、生者はおろか死人であろうと黙っちゃお
れぬ。

 死者と桜の集う場所、ここ白玉楼は、盛大
な月見の宴の真っ最中であった。
 長さ二百由旬と言われる広大な庭を無数の
魂が敷き詰め、見頃の桜と満月を贅沢に楽し
んでいる。

 海と見まごうばかりの花盛り、宴盛り。
 その喧騒から僅かに離れて、厳かに根づく
一本の桜の樹がある。
 決して満ち開くことのないその桜は、西行
妖という。

 眠り桜の樹下から、風に乗って歌声が響く。
 白玉楼の主、西行寺幽々子が、宴の華にと
一曲を興じているのだ。
 聞き手はただ一人、傍らに座った魂魄妖夢
だけ。

「ああ……」

 時折肌を撫でる夜風の中、妖夢は知らず溜
息を漏らした。
 幽々子の紡ぐ歌、その一筋一筋に心を揺ら
されて。妖夢の傍らで、彼女の半身である大
きな半幽霊も小さく震えている。
 人と霊、半分ずつの二つの心で、妖夢は奏
でられる歌声に感じ入っていた。

 幽霊の歌声は、不思議な波である。
 幽冥の側から伝わるが、そこには生きた言
霊が宿る。幽霊は死んでも生きているからだ。
 生きた者が歌に心を篭めれば、そこがどこ
だろうと言霊は宿る。
 もちろん、あの世でも。

 ただ、幽世の波は霊に聞き取りやすく、生
きた言霊は人に聞き取りやすい。
 そんなわけで、幽霊の歌を過不足なく堪能
するのは難しいのだが、半人半妖の妖夢は二
つの感覚で正確にそれを聴くことができる。

 だからだろう。
 涙が伝うくらいに深く強く、妖夢は息さえ
忘れて幽々子の歌に引き込まれている。
 誰の作なのだろう。それは穏やかで、桜並
木の間を吹き抜ける風のように優しかった。
 このまま眠ってしまうまで、心に吹くこの
風を感じていたい――夢でも戯れでもなく、
そう感じさせる魅力があった。

 けれど、歌というのは刹那の言霊だ。
 通り過ぎない風がないように、僅かを過ぎ
れば紡ぎ終わる。
 訪れた静寂の中で、妖夢は耳に残る調べを
しばらく噛み締めていた。

「はぁ、やっぱり歌は疲れるわねぇ。一気に
お腹が空いてしまったわ」

 開口一番、幽々子が漏らしたいつも通りの
言葉に、妖夢の余韻は粉々に砕けて消えた。
 さらば泡沫の夢の歌。忘れない。歌だけは。

「で、しんみりしてたけどどうだった?」
「幽々子様に詩歌の才能がおありとは思いま
せんでした」
「こういう時は素直に誉めるものよ、妖夢」

 足元に置いた扇を取って、幽々子は汗を拭
いながら唇を尖らせる。

「保険です。経験上、幽々子様は迂闊に乗せ
ると後が怖いですから」

 本当、いつもあの歌のように振舞ってくれ
ていたらどれだけ気が楽だろう。
 日頃の大理不尽を思い返して、妖夢は隠れ
て溜息を吐く。

「最近、反抗的じゃなくって?」
「自立してきたと言ってください」

 覚めた姿勢を崩さない妖夢。こうして見る
とどっちが目上なのかわからないが、割とい
つも通りにも見える。
 実際いつも通りのやりとりであり、幽々子
を冗談で乗せるのが危険なのも事実である。

「まあいいけど。それじゃ、始めるわよ」

 唐突に、幽々子がそう切り出した。
 始める、の係る単語がわからず、妖夢は首
を傾げる。

「? お花見なら、もうしてますよ」
「違う、妖夢。酒に桜が揃ったなら――」
「餅?」
「いやいや」
「うーん、団子ですか?」

 幽霊たちの持ってきてくれた団子の皿を差
し出すと、幽々子は少し怒ったように首を左
右に振る。

「食べ物から離れなさい。昔から言うでしょ、
酒は憂いの、って」
「玉箒、ですか?」
「そうよ、だから今夜は憂いを酒で散らしま
しょう。この、桜の花に乗せて。
 さあ、一緒に作りましょう妖夢」

 白玉楼に降り注ぐ夢幻の桜吹雪。
 薄紅の世界で童女のように舞いながら、幽
々子は妖夢を振り返って微笑む。

「白玉楼に集う魂、その憂いを拭う霊箒(た
まほうき)を」
「は? はい――」

 妖夢と一緒に、大きな半幽霊もぴんと背伸
びをする。

 ――でも、今度は一体なんの気紛れだろう?

 妖夢が首を傾げたのも無理はない。
 幽々子様が、こんな宴の席で、縁も酣の月
の下で言うにしては、

 その言葉は――みょんに冴えていたのだ。

「ぼーっとしない、妖夢。月見に来た幽霊た
ちを、西行妖に集めてきてちょうだい」
「か、畏まりました」

 幻想郷に訪れたちょっと不思議な夜。
 その始まりも、やっぱりどこかいつもと違
っていた。

 一刻ほどして、白玉楼じゅうを駆け回った
妖夢によって無数の魂が西行妖に集められた。
 一転して、侘しげな桜の周りが一番の賑わ
いになる。

「これで全部? 随分集まったわね。幽霊も
月と桜と酒にゃ勝てぬ~、かしら」
「それで、ここからどうするんです? 弾箒
がどうとか」
「霊箒よ。言ったでしょ、私と妖夢で作るっ
て」

 酒は憂いの玉箒、という言葉がある。
 飲めば心に溜まった心配事を祓い、取り除
いてくれることからお酒をこう呼ぶ。
 そこから察するに、幽々子は今夜、集めに
集めたこの幽霊たちから、心の憂いを取り去
ってやろうというのだろうか。

 普段すっとぼけた幽々子にしては、いかに
も粋な計らいといえよう。
 或いは、また得意の気紛れか――妖夢は一
瞬そう考えて、先程の主の顔と歌とを思い出
した。

 あの刹那に、二つの身で感じたものを嘘偽
りと判じるなら――自分は庭師以前に、白玉
楼の住人失格だ。
 今夜の幽々子様は、正真正銘やる気なのだ。

「わかりました。やりましょう、幽々子様」
「そうこなくっちゃ。じゃ、耳をお貸しなさ
いな」

 言って、幽々子は妖夢にひそひそと耳打ち
をする。西行妖を包むように集まった幽魂た
ちは、なんだなんだと騒ぎ出す。

「……心得ました。大役、務めさせていただ
きます」

 答えた妖夢の顔からも、宴の色が褪せてい
た。鋭い意思の光を瞳に湛え、刀の柄を握る
指にも緊張がある。

 二人は歩き出し、千とも万ともつかない無
数の魂に対峙する。西行妖の放つ幽かな桜の
香りと、宴を彩る酒の香の中、月光のように
その姿は冴えている。

「よろしいですか、幽々子様?」
「ええ、いつでも。みんな飛びたがっている
わ。まずはあなたの白楼剣で、心配事を断っ
てあげなさい」
「承知」

 妖夢は頷き、腰に携えた短剣――白楼剣を
静かに引き抜く。月光を撥ねさせた刀身が、
夜闇に淡い光の粒を生む。
 線香花火のような淡い光は、筋を描いて妖
夢の握る符へと奔る。

 寂光が線を綴り、紋を刻み、一つの符を編
み上げる。画竜点睛の一筆が走り抜け、鮮や
かな光条とともに息衝いた符を、妖夢が掴ん
だ。

「――剣餞『白楼滅度』」

 静かに詠み上げ、妖夢は鳥が舞うように足
で地を蹴った。重力の束縛を失った身体は、
真っ直ぐに西行妖を昇っていく。
 浮遊に似たそれは、まさしく幽霊の跳躍だ。

 妖夢は西行妖の真上で音もなく静止して、
白楼剣を構える。見下ろす妖怪桜は、樹その
ものを包むように凝った魂たちで白い光沢を
放っている。

 すぅ、と妖夢の喉が夜気を短く吸い込む。
 次の瞬間、妖夢は自らを光刃と化した。
 凛、と剣が鳴り、西行妖の登頂から根にか
けてを一筋の剣線が走る。

 ――傷つけるほどに触れる要はない。
 断つべきは、こころに絡みし迷いの茨。

 芯は鋭く、剣風は爽やかに斬り抜ける。
 鈴、と喜びの声で魂が鳴った。

「美剣(みつるぎ)なり。然らば、遠き者、
近き者らもとくと見よ! 今宵、西行妖が咲
かすは大輪の花、魂の桜ぞ!」

 妖夢の剣が夜に刻んだ一筋の光。
 それを満足げに眺めて、幽々子は白玉楼へ
高らかに声を徹す。
 衣から符が現れ、幽々子がそこに小指を滑
らせると、次々に紋が刻まれていく。

「――霊箒『花蝶風月』」

 幽々子の声が、再び言霊を宿す。
 妖夢が切り裂いた闇が捲れるように開き、
西行妖に凝った魂は一匹の大きな蝶に化けた。
 蝶を成したそれは、一つ一つが無数の桜の
花弁で出来ている。
 解き放たれた魂を、幽々子が桜に乗せたの
だ。

 西行妖から生まれた蝶は、一度だけ大きく
翅を震わせると、首を傾げて幽々子を見る。
 答える代わりに、幽々子は扇を広げて舞い、
広がる空を指し示した。

「楽しみなさい、暫しの旅を」

 桜の蝶は、ふわりと夜空に羽ばたく。
 幽々子は両手に扇を構え、渦を描くように
蝶の下で踊る。
 その動きに験はあったのか、果たして旋風
が生まれ、蝶を再び無限の花弁へと変えて月
夜に放った。

 あるものは西へ、あるものは東へ、まるで
何かを求めるように、魂のはなびらたちは飛
んでいく。
 ともすれば雨にも似たその姿を見送りなが
ら、妖夢は幽々子に尋ねる。

「皆は、どこへ?」
「それぞれの場所へ。煩悶は魂の数だけ色を
持つ。いかな白楼剣でも、一刀一断にはでき
ない。だからね、一晩だけど風に乗って幻想
郷じゅうを旅して、嫌なことは忘れてもらお
う、ってわけ」
「煩悶は、白楼剣では斬れなかった。
 ……私の未熟です」

 唇を噛む妖夢の肩をぽんぽんと叩いて、幽
々子は首を振る。

「そうでもない。怨恨は刃物で片がつくけど、
縁魂は斬っても斬れないわ。でも、妖夢は迷
いだけでも綺麗に斬って落としたじゃない」
「……恐れ入ります」

 珍しく素直に誉めてくれる幽々子の言葉が、
妖夢の胸の締めつけを癒す。同時、まだまだ
未熟な己を高めなければ、と誓う。

「あとは、ゆっくり待ちましょう。蝶が、玉
響を越えて帰ってくるのを」

 肩の荷が下りた、とでも言いたげに、幽々
子は月の下で大きく伸びをする。
 この姿だけ見れば本当に頼りないのだが。

「……なあに、妖夢?」
「あ――いえ、お見事でした」
「誉めても出すものないわよ、亡霊ですから」

 こうやって笑う後ろ姿は、何故だかどこか
頼もしい。この、つかみ所のない強さが幽霊
らしく、そして幽々子らしいのか。

「月の光が尽きるまで、一夜限りの遊魂回鬼。
楽しい夜になると良いわね」

 ――満月の下、魂を宿した桜色の風が幻想
郷を吹き始めた。
 それでは、しばらく風の道程を追いかけて
みようか。


 1/

 風はまず、紅魔館へ吹きつけた。
 広大な湖を抜けた先に佇む、鮮やかに紅い
悪魔の館。
 心地よい冷気が満たす庭先で、純白のテー
ブルを囲んで夜の暇を楽しむ者がある。
 悪魔だって、年中おっかないわけじゃない。
 今夜、館の住人たちが醸す空気は、特に穏
やかだ。柔らかなその闇に惹かれたのか、幾
つかの花弁が地へ舞い降りる。

 月を眺めつつ、紅茶を満たしたカップを傾
けようとしていたレミリアの鼻先に、ひとひ
らの桜が零れた。

「……空から珍しい客だわ」
「桜なんて、本当に珍しいですねー」

 従者である十六夜咲夜と並んで控えていた
紅美鈴が、楽しげに目を輝かせる。
 対照的に咲夜は情緒を示さず、静かに歩み
出てレミリアのカップに手をかける。

「今、お取りします」
「いいわ。たまには桜の香りも、悪くない」

 桜を浮かべた紅茶を手に、レミリアは美し
い唇を緩める。咲夜は一歩引いて、同じく頬
をほころばせた。

「そうですね。いつかの春は、雪かと思えば
桜桜で慌しかったですけど」
「私は咲夜ほど見ていないもの。ちょうどい
い」
「私も、今夜は喘息もなくていい気分。この
まま桜と月を楽しみたいわ」

 レミリアの向かいに座ったパチュリーが、
次々と降り注ぐ桜を手を伸ばして掬う。魂を
持つ桜は淡く光り、月の光と重なって眩しい
宝のようだ。

「パチェと外で紅茶なんて、久しぶりだもの
ね。存分に楽しんだらいいわ」
「そうさせてもらう。……ん、すごい。まだ
来るのね」

 紅魔館の空は、にわかに桜と月とで満たさ
れる。普段外に出ることの少ないパチュリー
は、絶好の夜景に深い吐息を漏らす。

「どこの桜でしょうね。綺麗な月夜にもう一
花添えてくれて、お礼を言わないと」
「感心な心がけね、中国」

 “中国”。
 最初にそう言い出したのは誰なのかしら。
 異様に美鈴の風体と噛み合うその渾名は、
瞬く間に本名を払拭して幻想郷じゅうに定着
した。
 今では、咲夜付きのメイドたちも“中国様
”と呼ぶとかそうでないとか。
 本人は草葉の陰で日々嘆いているのだが。

「もう、お嬢様っ。私の名前は――」
「おかわりを頂戴、中国」

 無駄とは知りつつ、今日も命懸けの反論を
試みる美鈴。それを絶妙のタイミングで遮っ
て、パチュリーが空のカップを差し出す。

「あぁん、パチュリー様までー! お茶なら、
咲夜さんに頼んでくださいよぅ」
「口答えしない。紅茶以外が飲みたい時だっ
てあるのよ」

 基本的に紅魔館のお茶を取り仕切るのは咲
夜だが、紅茶以外(烏龍茶・プーアル茶)な
どを時折美鈴が用意することもある。
 館においてレミリアに次ぐ権力者であるパ
チュリーにかかっては、美鈴もまさか逆らう
わけにはいかない。

「とほほ……只今~」
「ほんとに調子がいいみたいね。お茶のおか
わりなんて、珍しい」

 紅茶もそこそこに、レミリアは自分のこと
のようにパチュリーの快気を喜ぶ。
 パチュリーも照れたように微笑んで、頭上
の月を遠く見上げる。

「降り注ぐ月光の魔力……かしら」
「月の魔力、ねぇ」

 自分もまた空を見上げ、レミリアはしばら
く表情を失う。心が内深く潜っている。
 桜降りしきる月夜、幼き夜魔の王はなにを
思うのか。
 咲夜はレミリアの思案顔に気づきながらも、
静かに答えを待つ。

「咲夜、カップを一つ増やして。中国は、フ
ランを連れてきて頂戴」

 主の提案は、意外なものだった。
 美鈴、パチュリーも言葉に驚きを隠せない。
 紅魔館において、フランドール・スカーレ
ットの解放はそれだけの意味を持っている。

「レミィ、だけど」
「フランドールお嬢様は……」

 言い澱む二人は、決してフランドールを嫌
ってはいない。むしろ好いているし、できる
ことなら一緒にこの月夜を楽しみたい。

 ただ、鍵つきの扉には鍵をかけるだけの理
由がある。レミリアが実の妹を館に幽閉する
のにも、理由があるのだ。
 それは、戯れにすべてを終わらせかねない、
彼女の狂気。

「……よろしいんですね、お嬢様?」

 レミリアの傍らに進み出て、咲夜が慎まし
く問いかける。それが、この場に在るすべて
の者たちの代弁だった。

「いいよ」

 レミリアの答えは透き通り、迷いはなかっ
た。幼い指が皆に示すのは、空に輝く月と澄
んだ桜色の風。

「今夜はこんなに月が綺麗で、桜も風に乗っ
てきた。狂気は月が、血は桜が吸い取ってく
れるでしょう。今夜はね、みんなで紅茶を楽
しみたい気分なの。
 いいかしら、――美鈴?」
「あ……! はい、即座にお連れしますっ!」

 元気に飛び跳ね、館へ駆け戻る美鈴。
 パチュリーは静かにカップへ口をつけ、レ
ミリアは美鈴の後ろ姿を見送る。
 そこでふと、少女は自分を見つめる咲夜の
視線に気づいた。
 澄んだ瞳に見透かされるようで、少し気恥
ずかしくなる。

「……気紛れだって、思ってる?」

 尋ねられる前に、自分から咲夜を問い質す。
 しかし、笑顔で小さく首を振る咲夜に、取
り越し苦労だったと気づいた。

「誰もそんなこと言ってませんよ。今は、一
言仰ってくれれば、それで」
「そうね。もう一杯、くれるかしら」

 落ち着きを取り戻して、レミリアは優雅に
カップを従者へ差し出す。

「――はい、只今。フランドールお嬢様に、
お菓子も用意しておきますね」

 十六夜咲夜は知っている。
 彼女の主は、これで意外に良い姉なのだと
いうことを。
 幽閉という手段にきっと一番心を痛めてい
たのは、他でもない主自身なのだと。
 だから、従者は従者のすべき仕事を成せば
いい。
 完全に、瀟洒に。そう、それが彼女だ。


 2/

 月の光を吸って幾星霜、その果てを目指さ
んと、無数の竹が背を伸ばした竹林。
 ここでは幾分狭まった天地の隔たりの狭間
を、桜色の風が流れていく。

 ぺたん、ぺたん。
 小気味良く餅を突く音が庭に響く。
 屋敷を隠す深遠な竹の結界が、外からの音
を殺し、内の営みを鮮明に彩るかのようだ。
 今夜、ここ永遠亭の庭先では、二匹の兎が
主のために丹精込めて餅つきをしている。

「そーれっ」
「てーいっ」

 てゐが小さな身体で一生懸命に杵を振り上
げ、鈴仙が捏ねた餅を景気良く一突きする。
 生まれは違えど兎同士、阿吽の呼吸で突く、
練る、突く、練る。
 微笑ましい月下の光景を、二匹の主である
永琳と輝夜も軒先から眺めている。

「頑張って、鈴仙、てゐ。お餅、期待してる
わよ」
「はい、姫っ。ほっぺたが落ちてお餅になる
くらいのお餅を、ご覧に入れますからね!」

 揃ってガッツポーズを決め、兎たちはさら
に熱をこめて餅つきに励む。

「ウドンゲも、たまには突く側に回ったほう
がいいかしらね。最近、修行でばててるのが
多いから」
「きしし、貧弱貧弱~」

 永琳の呟きを耳ざとく聞きつけて、てゐが
邪悪な笑みを浮かべる。自分の背丈の倍近い
杵を軽々振り回すあたり、意外に台詞にも重
みがある。

「う、うるさいてゐっ! ほら、もうちょい
なんだから、ペース上げるよっ」
「がってーんっ」

 ぺたん、ぺたん。
 臼の中で出来上がる餅の質感が伝わってき
そうな、心の躍るリズム。駆けっこの動悸の
ように、次第に速くなる。

「ほいさっ」

 二匹の息遣いが熱を帯び始め、餅つきも峠
を越えてくる。大分色つやを増した餅を鈴仙
がこね回し、

「せーのっ!」

 少女らしい元気なかけ声とともに、てゐが
振り上げた杵を力強く打ち下ろす。

 ――ごすっ

「ぐあっ!」
「あ」

 振り下ろした杵は、勢い余ってすっぽ抜け、
餅でなくその先の鈴仙の脳天を強打した。
 打ったというより、既に頭に減り込んでい
る。

「ごめん、うどん」
「うどん言うな! あんたね、お餅じゃなく
て私の頭を突くの、これで一体何度目だと思
ってんのーっ!」

 見るからに痛そうな巨大瘤を擦りながら、
鈴仙ががーっと兎離れした雄叫びを上げる。
 和気藹々の餅つきに見えたが――実は、鈴
仙が下手をすれば致命打の一撃を受けたのは、
これが初めてではなかった。

「てへへ」

 可愛らしく首を傾げるてゐだが、反省の色
はない。あったら、もう少し鈴仙の頭は平ら
だったはずだ。

「反省してないわね……よろしいOK、なら
こっちにも考えがあるわ」

 わなわなと全身を戦慄させながら、鈴仙は
逃げようとするてゐを素早く捕獲する。

「ぎゃー! 食われるー!」
「食うかっ!」

 必死の表情で大暴れするてゐ。
 鈴仙は暴れる矮躯を捕まえたまま、持ち前
の紅い瞳を妖しく光らせた。
 原始の紅には――狂気が宿る。

「今度やったらアップで邪眼使ってあげるか
ら、覚悟しなさい」
「あああああ~もう使ってるし~!」

 鈴仙はてゐの柔らかい頬を掴んで、ほれほ
れ~と赤目でにじり寄っていく。
 これにはさすがの悪童てゐも、背筋と耳に
電撃が走るほどびびった。

 ――っていうか、あれ下手するとトラウマ
になるよ?(後日談)

「もうしないって言いなさい。言わないと~」
「やめろー、うどんー! ぶっとばすぞー!」

 ぎらぎらと血の色の目を光らせながら、怪
しい笑みを浮かべて鈴仙が迫る。
 ぶっちゃけすごいホラーだ。
 兎耳をぴんと立てて抵抗するてゐも、まさ
しく命懸け。
 団欒の餅つきが一変、一触即発のアニマル
バトルに発展してしまった。

 完成間際の餅もそっちのけで、二匹の兎が
睨みあう。これはこれでいつものことだが、
せっかくの月夜が勿体無い。
 そう感じたのは、溜息をつく永琳や輝夜だ
けではなかったようだ。
 火花散る危うい隙間へ、諌めるように予期
せぬ来客が舞い降りた。

「――あれ? 紅い、雨?」

 鈴仙の呟きに、輝夜も夜空を見上げて感嘆
の声を上げた。

「……あら、桜ね」

 輝夜の掌に落ちた花びらに触れて、永琳は
主に微笑みかける。

「もうそんな季節でしたね。私達はいつのま
にか、この幻想郷で時を一巡した。桜混じり
の月は珍しいけど、これはこれで美しいわ」

 頷いて、輝夜は永琳とともに幻想郷の月を
見上げる。――月の民の眼で。

「不思議ね。私達はあそこにいたのに、こう
して見上げる月にも随分馴染んだわ」
「私達がこの地に根を張った証でしょうか。
 それに、この土地は私達を受け入れてくれ
る――そんな感じがします」
「そうね。外出の心配がなくなってからは、
すごく落ち着いた気持ちになれる。居心地の
いい場所だわ」

 永琳も輝夜も、心から笑った。罪を抱え、
影に悩み、時に追われた千年からは考えられ
ない安息だった。

「幻想郷は、姫の――私達の安住の地になり
ますか?」

 幻想郷は、望む者を拒まない。
 静かに流れる時は、大きな罪もいつしか忘
れさせてしまうだろう。
 ここでなら――私たちは、笑顔を守れるだ
ろうか。
 永琳は、自らにもそう問いかけた。

「どうかしらね。私達の明日は、いつだって
昨日より長い。この安らぎも、あっという間
に遠くの昨日になってしまうかも」

 どこか冷えた瞳で、遠くを見ながら輝夜は
呟く。瞳に映すのは、厳しく狂おしかった永
永の足跡か。
 束の間に見つけた温もりさえ、妥協と達観
で磨耗した心は拒絶するのか。
 永琳は、氷の仮面じみた横顔を痛ましく見
つめる。

「だからこそ――この幻想の刹那は大切にし
たいわね」

 僅かな間を置いて響いた声は、凍てついて
はいない。厚い氷は、この地で迎えた春に少
しずつ溶かされている。
 振り返った笑顔は、温もりを戻していた。
 輝夜のその顔が、なにより永琳の胸を癒す。

「はい。私達の時は、人より遥かに永い。こ
うして息をついても、永遠という道の一里塚
さえ見つけていないのかもしれない」
「そうね。きっと私達は、まだ始まったばか
りなんだわ。永琳、永い旅になるけれど、こ
れからも私に付き合ってくれる?」

 伸ばされた手は、まるで縋るように見えた。
 永琳は身体ごと輝夜に寄って、包み込むよ
うに優しく手を握る。
 この地は優しいけれど、もしも厳しい風が
吹いたなら、自分がこの手を守ろうと。

「はい、姫。私は月の影(ブレイン)。貴女
が在り続ける限り、いつもそこにあります」
「……ありがとう」

 笑みを零し、景色を見つめる二人に無限の
未来への憂いはなかった。

「そうですよっ。永遠亭の名の通り、私たち
はいつまでも姫のお側にいます。どんなに時
間が経っても――ね、てゐ?」
「独りになりたがったって、もうさせない。
 兎をさびしくさせたら、姫だって許さない
んだから」

 鈴仙もてゐも、輝夜に寄り添って微笑む。
 温もりに包まれて、輝夜は想う。
 永遠なんてちっぽけだ。こうして仲間と分
け合う一瞬の刹那が、こんなにも心に染み入
るのだから――

「鈴仙、てゐも、ありがとう」

 満天の月から降り注ぐ光を浴びて、今夜の
竹林は一際に美しい。
 解き放たれた月の姫の喜びが、降り注ぐ光
にもう一彩を加えているのかもしれない。

 ただし、今夜は桜も負けてはいない。
 樹から散って舞う時、花弁の一枚一枚は一
つの死を迎える。風にそよぐ花吹雪が儚くも
美しいのは、黄泉路へ旅立つ彼等が最後に風
と舞っているからだ。
 踊って踊って、生を謳歌し尽くし、そうし
て土に落ちれば、また新たな花の糧になる。
花の命は短いけれど、そうして何度も何度も
一度きりの華を咲かせては散らす。

 でも、今夜の桜は死なない。
 月の光のある限り、風に乗って幻想郷を踊
り続ける。
 どうして? 今夜の桜は幽霊だから。
 千差万別のひとひら、それぞれに魂を宿し
たたくさんの妖怪たちだから。
 お化けは死なない。
 闇が落ちて、月が昇れば彼等の時間。
 時間いっぱい夢いっぱい、夜の世界を跋扈
するのだ。
 そら、また元気な夜風が来た。
 妖怪桜が、飛んでいくよ。


 3/

 幻想郷に24時間営業なんて単語があるの
かは怪しいが、大概の店は日が落ちれば閉ま
る。
 この香霖堂も、また例外ではない。
 だが、夜もいい感じに更けた頃、店の軒先
をひそやかな靴音が叩いた。

「暗いぜ暗いぜ、なんだってこんなに暗いん
だ?」

 粋な月夜だっていうのに、この店は特別暗
い。夜なんだから多少暗いのは当たり前だが、
それにしたって暗すぎる。景気が悪い。
 多分、店主が暗くて景気が悪いからだ。

「香霖はいるかー? そうか、いないか」

 いないのは気配でわかっていたが、一応呼
んでみる。やっぱり返事はない。
 魔理沙は拗ねたように頬を膨らませて、無
人の店内で帽子を掻いた。

「ちぇっ、せっかく夕飯でも馳走になるかと
思ったのにな。霊夢でもからかいに行くぜ」

 腹が減っては戦は出来ぬが、コックがなく
ては夕餉もできぬ。
 霖之助の不在を知るや、魔理沙の興味はあ
っという間に香霖堂を離れる。
 箒で店の埃を払って、眩しく輝く月の下へ
躍り出る。

「じゃ、またな」

 一度だけ香霖堂を振り返って、魔理沙は夜
空へ箒で舞った。風に乗り夜を駆け、その姿
はあっという間に闇に溶けて見えなくなる。
 後には、淡い静寂だけが残った。

 ……おや、魔理沙に少し遅れて、あの風も
香霖堂にやってきたようだ。
 でも、ここには春を待つ人がいない。
 花びらのほんの僅かな温もりを置いて、す
ぐ次の場所へ行かないと。
 こんな夜更けに姿を消した、彼の行方も気
になるところだ。
 だから、この夜の物語は続いていく。
 もう少し、あと少しだけ。
 ……夜明けには、まだ早い。


                【追風】
お初にお目にかかります。白主星(しらすぼし)です。
今回、初の東方二次創作ということで、拙作を投稿させていただきます。

幻想郷の春、ちょっと贅沢なお花見の夜。
最萌の熱い嵐吹き荒れる昨今、あえて二部構成/オールキャラ(?)という
暴挙ではありますが、春風のごとく生暖かく見守ってやっていただけると。

――あと。タイトルをひらがなで書くと春度がUPするので、よい子はちゃんと漢字で。
お兄さんとの約束だ!

それでは、今暫くの花見月見をお楽しみください。
白主星
[email protected]
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コメント



0.1170簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
×:幽幽子
○:幽々子

ですよー。
名前間違いは割ときついので。
3.無評価白主星削除
幽々子の名前、修正させていただきました。
指摘のお礼とともに、深くお詫び申し上げます。
9.70名前が無い程度の能力削除
雰囲気が柔らかくて良いなぁと思いました。続き楽しみにしてます。
16.無評価Barragejunky削除
幽玄の美って言葉をそのまま文章にしたような霊箒の儀が素敵でした。
舞い散る華の片が行く先に、幻想は様々な姿を見せ、私の目を喜ばせてくれます。
まだまだ華の舞い降りる場所は残されているわけで、そちらの方も楽しみです。

ただ一つ気になったのが、私のPCだと何故か文章が20字で改行されてしまうのですが、これは私だけなのでしょうか?それとも意図的に?