Coolier - 新生・東方創想話

Captive of the Infinite Library

2003/09/12 08:14:36
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 せっかくの散歩日和だと思ったのに。レミリア・スカーレットは玄関の扉前で立ちつくすと、忌々しげに夜空を見上げた。
 急に現れた黒雲は紅色の満月を完全にその向こう側へ隠し、その代価のつもりなのだろうか、雨粒をぽつりぽつりと落としてくる。
 そんなものはいらない、というレミリアの気持ちをまったく無視し、やがて幻想郷の夜は激しい雨の音に支配された。

 出かける気を削がれたレミリアは、自邸の図書館へと足を運ぶ。彼女の能力をもってすれば今夜は雨という運命を書き換えることも可能ではあったが、自然が今晩雨を降らせたこと、それ自体がレミリアの心から今日はお出かけという選択肢を奪い取っていた。
 雨に囚われた吸血鬼は、書棚の間と間を適当に散策する。時折、背表紙に興味のわいた本を抜き取っては、ぱらぱらと頁をめくり、ぱたんと閉じると元の場所に戻す。単純な行為の繰り返し。ただの時間つぶしでしかない行為。気がふさぎ込んでいたので腰を据えて読書をする気にもなれないでいた。だが、他にすることもないのが事実。
 こういうときには、世に聞く『ともだち』というものが欲しいとレミリアは思う。レミリアには一緒に遊ぶ友人がいなかった。紅魔館の住人は、主のレミリアを除けば、数多くの従者と妹のみ。
 従者の大半は、スカーレット家に恐れをなす妖怪からの献上品であり、彼女らは畏怖の念と共にレミリアに仕えていた。そんな彼女らに、主の永続的な遊び相手が務まるはずはない。刹那の楽しみのためにその命を散らすことはできたとしても、それは今のレミリアが求めるところではなかった。
 また妹であるフランドールは、多少狂気じみているのはまだしもその破壊の能力をうまく操る術を持たず、危なっかしいからという理由で地下の牢獄に閉じこめている。それは姉妹で一応話し合って決めたことであるが、妹を幽閉しているという自覚が、フランドールと接することを何となしに妨げていた。
 ふと、背表紙に何も書いてない本が目に止まった。レミリアはおもむろにそれを引き抜く。
 積もっていた埃が舞い上がる。それと共に、レミリアは妙な気配を感じ取る。部屋全体に影響を及ぼすような、しかしそれは確かに個人の気配。
(誰かしら……?)
 従者の可能性は低い。図書館に限らず、掃除の仕事は、基本的にレミリアが眠っている昼間のうちに行われるはずだった。
 紅色の悪魔はその本を抱えたまま、気配のする方へと歩みを進める。
 歩く。歩く。歩く。歩く。
 遠い。
 我が家の図書館はここまで広かっただろうかといぶかりながら、レミリアは歩きを止めた。蝙蝠の翼をはためかせると、書棚の列を眼下に見下ろしながら飛行する。図書館に限らず、どこで飛んでも大丈夫なように、紅魔館にある大抵の部屋や通路は天井を高めに設計してあった。
 やがて、本棚の谷の中に、自分以外のもう一人の姿を見つける。それは、紅ではなく桃色の装束に身を包んだ少女であった。彼女はそこらの棚から引き抜いてきたと思われる山積みの本に囲まれ、一心不乱に読書をしていた。
(不法侵入者ね)
 レミリアは少女に気づかれないように着地すると、棚の陰からこっそりと様子をうかがった。少女は辞書並みの厚さを誇る書物と格闘中であり、こちらに気づいた様子はまったくない。
 これは少しお仕置きしなければならないわね、とレミリアは嬉しく思った。退屈な時間を紛らわす、ちょっとした余興にはなるはずだ。
 掲げた右手に神経を集中させ、そして放つは紅と蒼の波状光弾。
「――!!」
 避ける間もなく、少女はレミリアの攻撃に飲み込まれた。爆風が埃を巻き上げ、本を棚ごと吹き飛ばす。
 床に這いつくばっているであろう侵入者に向け、紅魔館の主人は諭すように語りかける。
「あなた、いつの間に私の家に忍び込んだかは知らないけれど――」
 レミリアの言葉が殺気に止められた。
「来たれ魔を秘めし緑色の巨石よ、木&金符『エメラルドメガリス』!」
 床下を叩き割って出現した緑の岩石がレミリアを来襲する。紅色の悪魔はそれらを紙一重で避けきると、攻撃元の術者をきっと睨んだ。
 桃色の少女は未だ立ちこめる煙の中、傷一つ負わずに立っていた。魔法陣をまとった数冊の書物が、彼女を守るように浮遊している。おそらくそれが先の攻撃から身を守ったのだろう。
 悪魔は薄笑いを浮かべた。彼女の初撃、それも不意のをいなして反撃にまで及んだ侵入者はいったい何十年ぶりだろうか。レミリアもまた呪符を取り出すと、久々の本気の戦いに胸を躍らせる。
「彼のものにおぞましき死を、呪詛『ブラド・ツェペシュの呪い』!」
 紅の光弾と召喚された不規則な軌道のナイフが、束になって少女へと襲いかかる。
「来たれ大気の精霊よ、我が敵に死の演奏を! 木符『シルフィホルン上級』!」
 宙より降り注ぐ針弾が、レミリアの放った攻撃とすべて相殺する。
 その隙に、レミリアは一気に間合いを詰めた。ありったけの短剣を放出しながら魔術の巧みな少女へと迫る。少女は魔法陣と共に浮かぶ書物を縦横無尽に操って、剣という剣のすべてを受け止める。
「見かけのわりに意外とやるのね。妖怪には見えないし……魔女の類かしら?」
 少女は紅の悪魔の問いに答えない。代わりにその二つの目が、ある一点を凝視する。レミリアは、それが自分の持っている本に向けられていることに気がついた。
「私よりもこの本に興味があるの?」
 レミリアが差し出してみせると、少女は目の色を変えて、いきなり躍りかかってきた。小さな体のどこにそんな脚力があったのだろうか。レミリアが華麗なステップを踏んでそれを交わすと、少女は血走った目で悪魔を睨みつけた。
「その本を寄こしなさい!」
「無礼者の願いをきく筋合いはないわね」
 ならば実力行使しかないわねと魔女の目が言い、新たな呪符を取り出した。レミリアもそれに応じて、次なる攻撃を放つ。
「来たれ唯一にして偉大なる星々の王よ、日符『ロイヤルフレ――』」
「すべての生ある者に色鮮やかな死を、冥符『紅色の冥界』!」
 突如、魔女が体を崩した。激しい咳き込みと共に呪文の発動が中断する。それを見てレミリアも攻撃の手を止めようとするが、一寸遅くスペルが発動してしまう。
 紅色の死が魔女を取り囲んで――それを守ったのは、やはり本であった。攻撃で吹き飛んだり棚に収められたままであったりしたありとあらゆる本が、パチュリーを守るように飛び出すとその身に弾を受け、落ちていった。
「きっと……ごほっ……きっとその本こそが……私の……ごほっ、けほっ……」
 舞い上がった数百年ものの埃にやられたのであろう。発作のような少女の咳は止まらず、とうとう赤色の血まで混じって出てくる始末である。
 レミリアにしてみれば、目の前の少女はもう排除すべき侵入者ではなくなっていた。一度互いに本気の弾幕を交わせば、それはもうよき遊び相手である。とりあえずこの病弱な侵入者を介抱せねばなるまいと、レミリアが歩み寄ろうとしたとき。
 撃ち落とされた本の一冊から、いきなり巨大トカゲが飛び出してきた。
「――!」
 レミリアはとっさに針弾を放って撃退する。しかし、それは一匹ではなかった。『紅色の冥界』が撃ち落とした本という本から、ありとあらゆる魑魅魍魎が湧き出てきたのだ。低級な鬼の化け物から年期の入った亡霊、さらには割と高位の精霊たちまで。彼らは全員病弱な少女を無視すると、レミリアに襲いかかってきた。
「……こんなにいるとは、聞いていなかったわ」
 レミリアはあまりの量に少々うんざりとした気持ちになると、適当に攻撃をしてそれらを全滅させた。数は多くとも、運命を操る紅色の悪魔にしてみれば、烏合の衆でしかなかったのだ。
 全員片づけて振り返ってみれば、もう、あの少女の姿はどこにもなかった。

 ひとまずレミリアは自室に戻ると、日が昇り再び沈むまで寝て過ごした。もっとも、結局夕べからの雨は降り止まず、太陽は姿を見せなかったのだが。
 あの背表紙に何も書いていない本は、いつの間にかなくなっていた。落とした覚えもなく、無意識のうちに書棚に戻したのだろうかと紅魔館の主は思った。
 起床したレミリアは、人の朝食に相当する食事を取りながら、従者たちに例の少女を見なかったかと尋ねる。
「いいえ、そのような方を通した記憶はありませんが……」
 不安げな様子で答えるのは、門番の担当である紅美鈴。それもそのはずで、普通なら侵入者を通したことは彼女の失態であり、主から罰を受ける立場にあった。
「そう、ありがとう」
 しかし、レミリアは美鈴を無罪放免にした。あの少女が外からやってきたとはどうにも思えなかったのだ。確かにあの魔女の実力であれば、門番の監視の目をかいくぐって侵入することも容易かもしれない。だが、実はずっと図書館の片隅で暮らしていました、といわれた方がむしろ信じられるように思えた。
(ともかく、もう一度会ってみるしかなさそうね)
 今夜も雨で外出できないお嬢様は、しかし今度は自ら望んで図書館へと足を踏み入れた。
 瞬間、昨日と同じ妙な気配を肌に感じ取る。
(やっぱり、いるみたいね)
 レミリアは飛翔すると、その気配をたどり始める。
 程なくして招かれざる客に囲まれた。昨日と同じように、棚を飛び出した数千の本が頁を羽ばたかせ、その内から爬虫類型から幽霊型まで万の魔物が姿を現わす。
「あなたたちはいったい、どこから来たの?」
 召喚したにしては数が多すぎる。もしや幻術の類だろうか。そんな疑問を持ちながらレミリアは全方位攻撃を放つが、彼らは確かな手応えと共に塵へと帰る。
 十回ほどなぎ倒したが、湧いて出てくる敵の群れはとどまるところを知らなかった。倒せども倒せども、彼らはまるで無限にいるかのように、奥の本棚から援軍を呼び寄せる。それを倒せば、さらに奥の本棚からという具合。
 必死な敵の様子に、レミリアは安堵感を覚える。抵抗してくるということは、目的の人物はこの先にいるということに他ならない。
「我が怨敵に天の怒りを、天罰『スターオブダビデ』!」
 宙に巨大な魔法陣を描き、レミリアは最後の敵の群れを一網打尽にする。
 ようやく打ち止めのようであった。なおも残ったほんのわずかな魔物たちも、自ら本の中へ逃げ戻り、表紙を締めると、元の棚へと整列していく。瞬く間に、百鬼夜行は使い手のほとんどいない古びた図書館へと姿を戻した。
 やがてレミリアは、立ち並ぶ本棚の向こうに、昨夜と同じ装束をした桃色の少女を見つけだした。
 先ほどの飛ぶ本や魔物は魔女の使い魔だったのだろうか、レミリアは疑問に思った。昨日と同様、読書に熱中している少女に、レミリアに気づいた様子はまったくなかった。あれらが護衛ないし見張りならば、彼女の接近を真っ先に伝えているはずだろうに。まあどちらにしてもうるさい連中はもういなくなったわけだから、レミリアにはそれで十分だった。
 特に隠れることもせず、レミリアは徒歩で少女へと近づいた。やがてこちらに気づいた少女がスペルを唱えようと身構えるが、それをレミリアは手で制する。
「今日は戦うつもりはないわ。昨日みたいに途中で血を吐かれるとつまらないし」
 少女は疑いの眼差しでレミリアを睨むが、やがて何かに気づいたように問いかけた。
「……本は?」
「本?」
「とぼけないで。昨日、あなたが持っていたあの本よ」
 ああそういえば、とレミリアは思い出した。
「忘れたわ。書棚のどこかに戻したと思う」
「うそ」
「本当よ。なぜ私が不法侵入者に対し嘘をつかなくてはならないの?」
「あの本が私の求めていた本だからよ。それと、不法侵入者って何よ」
「もちろん、私の家の一部であるこの図書館に黙って忍び込んだあなたのことよ」
 レミリアの言葉を聞くと、少女はしばしきょとんとした後、腹を抱えて笑い出した。
「あははははっ……ああ、おかしい!」
「あら。私が何か面白い冗談でもいったのかしら」
「ええ、とびきりのやつをね。あなた、ここがどこか解っていないでしょう」
「? 紅魔館の図書館……ではないとでもいうの?」
 レミリアの疑問に対し、少女は得意げに語り出す。
「あなた、本とは何か知っている?」
「本?」
「そう、本。本とはすなわち異界への入り口。そこに刻まれた文章は私たちを情報の世界へと誘い、力ある術者が記述した者や、または年月を経て自ら魔力を吸収した本は、本当の異界へと誘う力を持つに至る。さてここで問題よ、ならば力ある書物が一所に集まる図書館とは、なに?」
「その説に従うならば、様々な異界への入り口が一点に集まるわけだから……より強力な異界への道ができそうね。それも混沌とした力に満ちた」
「その通り。それがここよ。宇宙の始まりから終わりまでの無限の本が集まる場所。それだけじゃない、これからも決して存在することのない本まで無限に存在する書物の宝庫。世界中のあらゆる図書館と繋がりを持つ、無限の情報を収めたこの世で最大の異界」
「……ようするに、あなたが私の家に侵入したのではなく、私の方がその無限の図書館とやらに迷い込んだということ?」
 レミリアの問いに、少女は頷く。
「それは失礼したわ。昨日はごめんなさいね」
 レミリアはあっさり少女の言葉を受け入れた。なぜなら、それは信じた方が面白くなる話であったし、加えて今のところは否定する材料もなかった。
「いえ……まあ、別に謝ってくれるのならいいんだけど」
 素直な謝罪に調子が狂ったのか、少女は間が持てず指で月の髪飾りをいじった。そして、本題を忘れていたことを思い出す。
「そう、そうじゃなくて、昨日あなたが持っていた本よ! あれはいったいどこにあるの?」
「さっき言ったとおり、どこかに戻したと思うわ」
「うそ」
「会話がループしているわ」
「だったら真面目に答えて」
「最初から真面目に答えているわ。そもそもあなたは、なぜあの本を必要とするの?」
 レミリアの問いに、少女は顔を曇らせるとうつむいた。
「あれは私の探し求めていた本なのよ……たぶん」
「たぶんって」
「……具体的に何を探していたのか、忘れてしまったの」
「まあ。それは大変ね」
 レミリアは目の前の少女に心底同情した。長生きをしていると、当初の目的を忘れてしまったときほど辛いことはない。
「ええ、おかげで苦労したわ。でも、昨日ようやく見つけたのよ! ……たぶん」
「たぶんというからには、何か目的の本と合致していた部分があったわけよね」
「ううん、そういうのとは違って……あなたは、私がここに来てからはじめて出会った人間なのよ。おまけにいきなり攻撃してきたから、そのときあなたが本を持っているのを見て、ああきっとこれなんだなって閃いて……なんか、だんだん違うような気がしてきた」
「人生そんなものよ。私は人間ではないけれど」
「簡単にいってくれるわね。あと、やっぱり人間じゃなかったんだ」
「ええ。いろいろと病弱な夜の支配者をやってるわ」
 牙を見せて、レミリアは笑った。
「私を食べるつもり? いっておくけど、私も病弱だから、食べたら何かに感染する恐れがあるわ」
 懐の符に手を伸ばしながら、魔女は紅色の悪魔と相対する。
「あなたをいただくつもりはないわ。さいわい、大抵の病気とは無縁な体なんだけれど。それに、お詫びもしなくてはならないしね」
「お詫びって……?」
「昨日の不意打ちのことよ。お詫びの印にあなたの欲しがっている本を差し上げるわ。あれは私の家にあったものだから」
「ほんと!?」
 少女は目の色を変えて、レミリアの顔を覗き込む。
「ほんとうに、ほんとうにあの本をくれるの?」
「ええ。その前に捜索の必要があるけれど」
「なら、早く探しましょう!」
 言うが早いか、少女は手近な棚から片端に本を引き抜いて調べ始める。
「待って、その前に」
「なに?」
「お互い、まだ名前を聞いていなかったわね。私はレミリア。レミリア・スカーレット」
「私はパチュリー。パチュリー・ノーレッジよ」

 それから、二人は共に昨日の本を探し始めたのだが。
 あっさり、はぐれてしまった。
「パチュリーったら、どこへいったのかしら」
 レミリアは、無限の広さというものを甘く見過ぎていた。居並ぶ書棚はこうして見るとどれも同じように見え、つまりまともな目印になりそうなものが一つもなかった。おまけに空間的にも揺らいでいるらしく、ついさっきまでいたはずの場所に戻ってみれば見慣れない書物が勢揃い、ということもよく起きた。これでははぐれて当然である。
 仕方なくレミリアは一人で例の本の捜索を続ける。あの本には背表紙に何も書かれていなかったから本を抜く手間が省ける、というレミリアの当ては見事に外れていた。さすが無限というだけあり、背表紙が白紙で似たような装丁の本というのもここでは珍しくも何ともなかったのだ。詰まるところ、一々本を抜く手間がほんの少しだけ軽減されたに過ぎなかった。
 数多くの本を眺めているうちに、だんだん昨日の本についての記憶が薄まってきたことにレミリアは気がついた。これでは、いざ見つけたとしてもわからずに行き過ぎてしまうかもしれない。
 とはいえ捜索の手間を緩めるわけにもいかず、レミリアが悩んでいると、向こうの書棚にパチュリーの姿が見えた。
「ああ、そんなところにいたのね。ねえ、パチュリー!」
 レミリアは手を振りながら大声で呼ぶが、一所懸命に本の群れとにらめっこしているパチュリーが振り向く様子はない。仕方なしに、レミリアはパチュリーのもとに駆け寄ろうとする。
 近づけない。いくら足を進めても、また空を飛んでみても、パチュリーの姿は常に一つ向こうの書棚にあるばかり。
 レミリアは、ここに至って何らかの妨害が働いていることに気がついた。しかし妨害の主がどこにいるかと気配を探ってみるが、一向にそれらしいものは見つからず、ただ手の届かないすぐ近くにパチュリーが見えるばかりである。
 対策を考えた末、レミリアはしばしパチュリーの観察を行うことにした。そうすればこの見えない境界を破るきっかけが見つかるかもしれなかったし、昨日今日出会ったばかりのよき遊び相手の人柄かを知るにはよい機会であった。
 ――どのぐらいの時間が経ったろうか。丸一日以上は過ぎたかもしれない。レミリアの体は空腹とも生理現象ともほとんど無縁故に、体内時計はあまり当てにならないのだが。
 一方、目前のパチュリーにしても同様である。脇目も振らず、ただひたすらに目的の本を探し続けている。食事をとる様子も睡眠を取る様子も、一切見せなかった。
 パチュリーも人外であったのだろうか、いや違う。頬はやせて足取りもふらふら、明らかに無理をしていた。それでも、レミリアと別れて一人になった魔女は、血走った目で書棚を凝視してはレミリアが教えたものに似た装丁の本を抜いては調べ、抜いては調べ、おそらく体力が尽きるまでその作業を繰り返すのだろう。
 その様はまるで狂人のようであった。何気なく紅色の悪魔は、幽閉中の身である妹のことを思い出す。
 無限の図書館に囚われ、ただ独りそれが何かもわからない本を探すパチュリー。
 地下の牢獄の中で、その能力が故に独りぼっちの時間を過ごすことしか許されないフランドール。
 自分もそうであった。雨雲と太陽によってほとんどの時を限られた紅魔館の中で暮らすことを余儀なくされ、数多くの従者に囲まれながら孤独感に苛まれる。
 皆、何かに囚われ、独りではどうすることもできなかった。
 たまらずレミリアは、少女の元に駆け寄ろうとして。
 パチュリーの姿が、視界から消えた。
 そして妙な気配も失われ、ふと周りを見渡せばそこは異質な無限の空間ではなく、住み慣れた紅魔館の一角であった。

 戻ってきたレミリアは、まっすぐ地下にある妹の部屋へと赴いた。
 幽閉の身である彼女の部屋の周りには、対吸血鬼専用の罠が数多く仕掛けられていた。それは移動を妨害する水路であり、陽光の力を閉じこめた水晶であり、廊下の壁に掲げられた十字架であった。普通の従者が通るぶんにはフランドールの部屋までほとんど時間はかからないのだが、同じ吸血鬼であるレミリアにとってはひどい回り道を迫られることになる。このこともまた、姉と妹の距離を引き離すことに一役買っていた。
「入るわよ、フラン」
 一応ドアをノックしてから、レミリアは妹の自室に足を踏み入れた。
 悪魔の妹の室内は、まさに破壊による混沌の象徴であった。元の形が何であるかわからない破片や塵が散在し、特殊な魔法により加工された壁には天井から床まで続く巨大なひびが何本も走っている。
 そんな暗い部屋の中心で、フランドールは何かの本を読んでいた。それは退屈しのぎという名目でレミリアがかつて図書館から適当に引き抜いてきた、数十冊の本のうちの一冊である。姉は、その本のうち一冊でもまともに残っていたことに内心驚愕していた。あれらの本の中に、いつもおかしな妹の興味を惹きそうな内容のものがあっただろうか? 自分で選んでおいてそういうのも何なのだが。
「……あ、お姉様……」
 フランドールは姉の入ってきたことに気づくと、顔を上げた。不思議そうな表情をしているが、無理もない。前に訪れたのは、いったい何年前の話だったろうか。
「こんばんは、フラン。……ちょっと、顔が見たくなってね」
 照れくさそうにそういうと、レミリアは妹へ近寄り、何の本を読んでいたのだろうかと後ろから覗き込んだ。
「絵本ね、これは」
「うん。お姉様が、くれたやつ」
「そうね」
 レミリアはその本を手に取ると、ずっと昔の幼い頃のように、本の内容を妹に聞かせてあげることにした。たまにはこういうのもいいかな、と。
 それはどこにでもある話のように見えた。悪い魔法使いに囚われたお姫様を、一人の戦士が救いに行く話。
 しかし終盤の方まで読み進めていくと、だんだん話の様子がおかしくなってきたことにレミリアは気がついた。
 戦士は数多くの妨害を乗り越え、とうとう姫が囚われている魔法使いの塔の最上階まで登り詰めた。だが、そこにいたのお姫様だけ。魔法使いはどこにもいなかった。
 魔法使いは逃げたのかという戦士の問いに、お姫様は驚くべき答えを返した。悪い魔法使いなんてはじめから存在せず、自分の意志でここに閉じこもり、助けに来ようとする人々を襲ったと。
 そして――絵本は、ここで途切れた。頁の破れや落丁の様子はない。その話は尻切れトンボで終わっていた。
(これは、いったい……?)
 最後に裏表紙を見て、レミリアは肝を冷した。何でもない、そこに描かれていたのは、鎖でがんじがらめに拘束されたレミリア本人であった。
「フラン、これは――」
 妹の方を振り向いて、レミリアはそこに誰もいないことに気がつく。
 それだけではない。特殊な石造りの床や壁が音もなく消滅していき、代わって現れたのは無限に敷き詰められた赤い絨毯と、天井より高くそびえる書棚の列。
 手元を見れば、レミリアの描かれていた絵本はどこかに消えて、代わって持っていたのは、最初の日にレミリアが手に取りパチュリーが欲した、あの背表紙の白い本。
「……また、招かれたみたいね」
 だが、いったいどうしてだろうか。フランドールの部屋は図書館ではなかった。パチュリーは図書館としか通じていないといっていたのに。それともあの絵本の力なのだろうか?
 いや――周囲の気配を注意深く読みとって、レミリアは悟った。はじめから自分は紅魔館に戻っていなかったのだ。
 一度気がつけば、絡み合った運命の糸が次々にほぐれていくのをレミリアの能力は察知した。
 最初の日からずっと、自分はこの無限の図書館に囚われ続けていたのだ。紅魔館の光景はすべて彼女の記憶から再現された幻像に過ぎなかった。
 ではパチュリーもそうなのか?
(その答えはいいえね)
 パチュリーはレミリアの記憶のどこにもない、独自の様相や性格をした一人の魔女であった。彼女もまた、この図書館に囚われた者の一人。
 そうとわかればと、レミリアは飛翔した。彼女をここから助け出さなければ。
 気分はあの絵本の戦士であった。悪い魔法使いははじめから存在していないかもしれないが、それでもお姫様は誰かが助けに来るのを待っているはずだから。
 程なくして、レミリアは動きを止める。ここは図書館だというのに、目の前をなんと小川が堂々と流れていた。
「無限だけに、何でもありといったところかしら」
 左右を見たが橋はない。ならばとレミリアは右手に意志を束ね、小川の上流方面に向け魔力弾を矢継ぎ早に放った。爆発し流れがせき止められた一瞬の隙に、急いで渡る。
 一つの難関を越した先では、いくつもの川や水路が書棚の間と間を縦横無尽に走っていた。ご丁寧に水際に生える植物がうっそうと茂り、昆虫や水鳥の姿まである。
 遠慮なく同様の方法でレミリアが次々に乗り越えていくと、今度は図書館の天井がなくなった。そして現れたのは抜けるような青空に白い雲、そして忌々しい太陽。さんさんと降り注ぐ日光を前に、レミリアは慌てて本棚の陰に隠れる。
 妨害があるということは、この先にパチュリーがいるということだ。レミリアは精神を集中させると、天候の操作を開始する。どこからともなく霧が出てきて、太陽を覆い隠した。その間にレミリアは一気に翔る。敵もまた地形や天候を操れる以上、霧が破られるのも時間の問題であろう。
(もしかしたら、私のお話には悪い魔法使いがいるのかもしれないわね)
 レミリアはパチュリー以外の、第三者の介入を感じ取っていた。流れる水や陽光が弱点であることは、レミリアが見たフランドールの部屋とその周囲の幻影から知り得たのだろう。
 日差しが強くて水路の多い方面を優先して進む。やがてレミリアは、天井のない空間の終端にあるドアを見つけた。それをくぐると、割と普通の様相を呈した図書館があり、そこでようやく囚われの少女の姿を見つけだした。
「パチュリー!!」
 大声でレミリアが呼ぶと、彼女は反応してくれた。今度は空間に遮られることはなく、彼女は慌ててレミリアのところへ駆け寄ってくる。
「よかったわ。いつの間にかいなくなったから、逃げたのかと思った」
 パチュリーは少し不機嫌そうに話した。
「ごめんなさいね、ここの勝手はまだよくわからなくて。それよりも、はい」
 レミリアは、大事に抱えていた例の本をパチュリーに差し出した。それを見るや否やパチュリーはひったくり、そして少し気まずそうな顔をした。
「……あ、ごめんなさい。私ったら」
 どうやら自分の身勝手な行動を恥じているようであった。
「いいわ、別に。それだけ楽しみにしていたのでしょう? その本があなたの目的のものだったらいいんだけど」
 パチュリーは、おそるおそるその本を開いた。
「……」
「……」
 二人が沈黙する。一つ頁をめくる。再度の沈黙。もう一回頁をめくり、また沈黙し、もう一回、もう一回――パチュリーはばらばらと最後の頁までめくりきり、とうとう悲鳴をあげた。
「何よこれ、何も書いてないじゃない!?」
 そう――その本は、背表紙のみならず、中まですべて白紙であった。
「あらら、本当ね」
 あらかじめ中身を確認しておくべきだったかと、レミリアはほんの少し後悔した。
「ごめんなさいね、パチュリー。また一緒に探すから」
 レミリアの申し出に、パチュリーはぶんぶんと頭を振る。
「違うのよレミリア、違うの……」
 パチュリーは半分涙声になっていた。
「あってるのよ、これで……。理性は否定してるんだけれど、私の直感がこの本で正しいっていってるの……」
「なら、別にいいんじゃないの?」
 レミリアにはパチュリーの気持ちが今一つわからなかった。
「だって、中身が何も書いてない本なのよ!? これを読んでも、新しい知識は何も得られないわ。それで正しいなんて、私にはわからない!」
「書いてないなら、書き加えたらどうかしら」
 レミリアの一言に、パチュリーは目から鱗が落ちた。
「書き……加える?」
「ええ。なんなら共同ペンネームで一緒に執筆する? 私がすべきお詫びはまだ終わってないようだしね」
「どうして――」
 パチュリーの声は震えていた。
「どうして、私なんかのためにそこまでしてくれるの? なんで? いったいどうして?」
「それは――」
 レミリアは、最初にその本を棚から引き抜いたときに、抱いていた願いを思い出す。
「私が、あなたの友達になりたいから。いけないかしら?」
「とも、だち――」
「そう、お友達」
 レミリアはにっこりと微笑む。それを見てパチュリーは、へなへなと座り込んでしまった。
「ああ、そうか、そういうことだったんだ――」
 少女は、力無く笑った。
「思い出したわ、レミリア。私の、本当の目的」
「察するに、私と同じだったのかしら?」
「たぶん。私は、友達を作る方法が載った本を探したかったの――そっか、最初から本の中身なんて関係なかったのか」
 二人は顔を見合わせると、心の底から笑い声をあげた。
「なんだか、ひどく遠回りをしてきたみたい」
「私もよ。まあ、人生急がば回れとも言うし」
「じゃあ、改めて――」

「私の友達に、なってくれるかしら」

 二人は同時に言うと、互いの手をさしのべて。
 割って入ったのは、飛び出してきた一冊の本。
「なに?」
「レミリア、危ない!」
 パチュリーが叫んだが遅く、分厚い辞書の一冊がレミリアの後頭部を打った。彼女がたまらずかがみ込んだところに、本の群れが、この部屋にあるすべての書棚から飛び出してきた本が、レミリアを排除しようと一斉に飛び掛かった。
 パチュリーはたった今できた友人を助け出そうとするが、あまりの物量を前にして何もできなかった。スペルを使えば、中心のレミリアまで吹き飛ばしかねない。
「レミリア、レミリア!」
 呼んでも返事は返ってこない。どうしようかと悩み、すぐに腹を決めた。なんとしてでもたった今できた友達を助けようと、パチュリーが本の海に飛び込もうとしたそのとき。
「――『レッドマジック』!」
 万の本の山を退けて、紅色の弾幕が舞い上がった。その中心に立っているのは、頭にちょっとこぶの出来た紅色の悪魔。大慌てでパチュリーはレミリアへと駆け寄る。
「大丈夫、レミリア!? ケガはない?」
「平気よパチュリー。この程度、ケガのうちに入らないわ。それに私は、本の山に押しつぶされたぐらいでは死ねない体だし」
 レミリアがそういうと、上の方でなにか物音がした。見ると、天井が真っ二つに割れて、その間から先の部屋と同じように太陽の光が差し込んでくる。
「結局、さっきと同じ手で来るのね」
 レミリアは笑った。手数が限られていることから、姿を見せない悪い魔法使いはすごいように見えて実はたいしたことがないと確信する。
 紅色の悪魔は精神を研ぎ澄ませる。おそらく、この部屋のどこかにそれはいるはずだった。パチュリーを攻撃していないこと、私がパチュリーに近づくのを妨害したこと、私とパチュリーの握手を妨げたこと、これらのことからそれはパチュリーに対し何らかの好意を持っていると推測できた。それが歪んだ気持ちであったとしても。
 陽光に肌を焼かれる中、レミリアは部屋の片隅に存在するもう一つの気配を察知した。
「汝に紅色の破滅を、紅符『スカーレットシュート』!」
 逃げ場のない紅の魔力弾が、ある一冊の本に向け連続して叩き込まれる。開かれようとしていた天井の動きが止まった。本はずたずたに引き裂かれ、中から一人の少女――いや、頭部に蝙蝠状の翼が生えた小悪魔が飛び出してくる。
 小悪魔はレミリアの姿を見るや、おびえた表情で大きく後ずさった。
「あなたは……」
 パチュリーが目を丸くする。
「知っているの、パチュリー?」
「私がはじめてここに来た頃、雑用を任せるつもりで召喚した使い魔よ。とうの昔に魔界に帰ったと思っていたのに」
 パチュリーは、彼女が入っていた本の一部を拾い上げる。
「この本、かなり強い魔力を秘めていたのね。それをあなたが見つけて取り込んだのか、それとも逆に取り込まれたのか」
「……ごめんなさい、ごめんなさい……」
 傷だらけの小悪魔は、涙を流しながらうわごとのように謝罪の言葉を唱え続ける。その姿には凶悪さや悪意の類は微塵も感じられない。パチュリーは、もう何も怖くないからと小悪魔の頭を撫でた。彼女は感極まるとパチュリーの胸に泣きつく。
「一つ、訊かせて。あなたもパチュリーのことが好きなの?」
 紅色の悪魔の問いに、小悪魔は震えるばかりで何も答えられなかった。だが、パチュリーに促されると、ようやく首を縦に振り、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……パチュリー様は、私を召喚したはじめての方だったんです。その頃のパチュリー様は当初の目的を忘れてなくて、それを聞いたとき、だったら自分が友達になりたいなと思いました。でもそのときにあの本を見つけて――」
「力ある書物に魅入られた、というわけね」
 レミリアは、ようやくすべての合点がいったことに満足した。
「さて、それじゃあ帰りましょうか」
「帰るって……?」
「もちろん、私の家の紅魔館よ。二人とも来るわよね?」
 その言葉に、小悪魔が驚く。
「私も、行っていいんですか……?」
「当たり前じゃない。置いていったら寝覚めが悪くて仕方がないわ。それに友達の友達は友達なのよ?」
 レミリアの言葉に、小悪魔は再び泣き出した。しかし今度のそれは嬉し涙。
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
「……もっとも、あなたをただで置くのはちょっと癪に障るから、メイドたちと同じように働いてもらうわ。私にいろいろとやってくれたお返しがまだ済んでいないし、それにもともと雑用係だったそうだしね」
 付け足された言葉に、小悪魔はあははと乾いた笑いを浮かべた。だがそれだけで済むのなら御の字だろう。何しろ相手は数多の妖怪に畏れられる紅色の悪魔である。
「パチュリーも構わないわよね?」
「うん。……この図書館に来ると決めたときに、前の帰る家は捨てちゃったから」
 パチュリーは少し寂しそうに微笑んだ。
「なら、私の家はずっとあなたが帰る場所のままにするわ。私の目が紅い限り――すなわち永遠にね」
「それは楽しみね」
 レミリアは二人の手を取ると、優しく笑った。

 突然、轟音とともに地響きが三人を襲った。床が絨毯ごと裂け、天井が崩落し、無数の書棚がドミノのように倒れていく。
「いったい、何事?」
「そっか……私とこの子がこの空間の要となっていたから、支えがいなくなるのを決めた瞬間に崩壊を始めたのよ」
「は、早く逃げましょう!」
 三人は一斉に飛翔すると、すばやくレミリアの入ってきたドアをくぐった。
 だがその先でも、崩壊は始まっていた。決壊した川の水が濁流となって無限の本を押し流している。おまけに先ほど出した霧は消え去っており、太陽光線が容赦なくレミリアの肌を刺した。
「まずいわね、これでは私は飛び越えられないわ」
 珍しく、レミリアは生命の危険を感じて焦っていた。流れが強すぎて、弾幕で一時的にせき止めることもかないそうにない。とりあえず小悪魔の陰となる位置でしゃがみ、少しでも太陽から身を隠す。
「ごめんなさい、私のせいで……」
 川を呼び寄せた張本人の小悪魔が謝る。
「謝るくらいなら、先に対策を考えて。そもそもあなたが出したのなら、消すことはできないの?」
「……無理です。あれはもともとこの図書館に存在していた川を、空間を入れ替えて呼び寄せたものですから。あの本がなくなった今、空間を操作することはできないです」
「だったら私がなんとかするわ。二人とも少し下がって」
 パチュリーは前に立つと、懐から二枚の符を取り出して精神集中を開始した。詠唱と共に大気が震え、念と共に空間が揺らぐ。
「来たれ西方の猛き火神よ、火符『アグニシャイン上級』!」
 魔女の右手より放たれた業火が、水と書物の濁流を一瞬にして焼き尽くす。
「来たれ沈黙によりて夜を支配する者よ、月符『サイレントセレナ!』」
 魔女の左手より放たれた月光が、太陽を沈めて夜空の柔らかな光を招く。
「さすがね、パチュリー」
 二つのスペルを同時に発動した魔女を見て、レミリアは心底感心した。
「へへ、ざっとこんな……もの……」
「パチュリー!?」
 言い終わらないうちにくずおれてしまったパチュリーの体を、小悪魔が慌てて支えた。
「無理しすぎです、パチュリー様!」
「あはは……ごほっ、げほっ……ちょっと体にガタが来てたみたい……」
 パチュリーは小悪魔の肩を借りてようやく立ち上がると、力無く笑った。
「うちに来たら、定期的な栄養補給と充実した睡眠時間を約束するわ。強制で」
 結局パチュリーは小悪魔に背負われることになり、三人は障害が退けられた無限の空間を飛び抜けた。
「それで、レミリア様の家に向かうには、どこをどういけばいいんですか?」
 ふと小悪魔が当然の疑問を口に出すと、レミリアの動きが止まった。
「さあ……?」
「さあ……って!」
「だって、私はここに来てから一度も紅魔館には戻っていないから。美鈴やフランの幻覚はあなたが見せたんでしょう?」
「ううっ、確かにそうですけど。でも、だったらどうすればいいんですか?」
「縁よ」
 この問題については一番詳しそうなパチュリーが口を挟んだ。
「縁ですか?」
「そう、レミリアがここを訪れたときに使った縁を逆にたどるのよ。私たちはレミリアの家に向かうのだから」
「縁――なら、その白紙の本ね」
 縁をたどるというのなら、それはレミリアの専門分野に他ならない。パチュリーからいったん例の本を返してもらうと、紅色の悪魔は全神経を白紙の本を巡る運命の解読に割り当てた。程なくして、紅魔館とその本、そしてレミリアを繋げる一本の細い線を見いだす。
「――こっちよ!」
 レミリアはパチュリーを背負った小悪魔の手をつかむと、いきなり垂直に飛翔した。上空のある境を越えた瞬間、レミリアは天井のある別の部屋に空間跳躍していた。二人も続いて現れたのを確かめて、レミリアたちはさらに翔る。
 まるで三人を押しつぶそうとしているかのように、両脇に並ぶ書棚が次々に倒れていく。書棚が倒れた後は床が崩れ、幾多の本ががれきと共に奈落の底へと落ちていく。しかし先の水攻めと光攻めに比べれば、レミリアにとっては遙かに楽な障害であった。
「レミリア様、まだですか!?」
「次の角を左に曲がったところ!」
 そこに無限の図書館と紅魔館を結ぶ縁があるのを、レミリアの能力は察知していた。三人は急旋回で角を曲がると、何もないただの通路を通過する。
 その瞬間、無限に広がる気配はなりを潜め、有限な空気が世界を支配する。
 三人が帰ってきたのは、レミリアにとっては親しみ慣れた、そしてパチュリーと小悪魔にとってもこれからそうなるであろう、いつも通りの紅魔館であった。

 新しい住人が二人増えて、紅魔館はほんの少しだけ賑やかになった。
 パチュリーは、図書館の一角に自室を作ると、図書館そのものを書斎として使うようになった。スカーレット家秘蔵のコレクションは、彼女を大いに満足させたが、それでも足りなかった本は人を使って外部から取り寄せた。書斎で調べ物をしていないときは、大抵レミリアの部屋を訪れてはお茶とおしゃべりを楽しんでいた。
〈6月13日 パチェ>今日は新薬の実験をしてみた。門番の人にこっそり飲ませてみたところ、あっさり倒れてしまった。改良の必要あり。〉
 小悪魔は、レミリアの宣告通り、ほとんどメイドとして紅魔館で暮らしていた。主に図書館の掃除を担当している。
 彼女は生まれたばかりのときにパチュリーに召喚されたため、まだ名前がなかった。これは不便だと、レミリアから『リトル』という呼び名を与えられた。小悪魔から連想した非常に単純な名であるが、本人はだいぶ気に入った様子なので特に問題はないだろう。
〈6月14日 リトル>今日も図書館の掃除をしました。今日はよく晴れたので、一部の本を日干しにしました。パチュリー様以外にはほとんど読まれない彼らを見て、少しかわいそうに思えました。〉
 またレミリアは、フランドールの部屋を取り囲んでいた対吸血鬼用トラップをすべて撤去した。自分が気兼ねなく妹の部屋を訪れられるようにするためだったが、おかげで掃除の手間がかなり増えることになった。
〈6月15日 レミィ>またフランが大暴れした。私はあまり気にしていないが、掃除担当メイドたちのほとんどは、大変そうな顔を隠そうともしなかった。これはもっと優秀なメイドが必要だと思い、新しく募集してみることにするが、あまり期待はしていない。それと、あの子にも私以外にいい遊び相手ができるといいのだけど、さすがにこれは難しすぎる注文だと自分でも思う。〉

 三人を出会わせたあの白紙の本は、今は交換日記として三人の間を巡っていた。

〈6月16日 パチェ>久しぶりに、あの無限の図書館が恋しくなる。おっと、誤解しないで。レミリアとリトルという友達はできたし、今の生活にも大変満足している。でも、本の虫としての性分が、今一度あの無限の蔵書に相対してみたいと言っているの。しかし、あのとき以来紅魔館ではかの場所に続く通路は見つけられなかった。レミリアは、二つの場所を結ぶ運命があの日を境に途切れたといっていたわね。もう一度こちらからの通路を開くには、時空間を操作できる術者がいると話が早いのだが、さすがにこれは昨日のレミリア以上に無い物ねだりだと自分でも思う。〉

 翌日。いつものようにレミリアの部屋で、二人はお茶の時間を楽しんでいた。リトルが運んできたお菓子をつまみながら、彼女にも席を勧め、三人でとりとめのない、されど楽しい会話を続けていると。
「お嬢様~」
 へろへろな声が飛んできた。見れば、部屋の入り口にぼろぼろにやられた門番の姿があった。
「どうしたの、美鈴? フランにでも絡まれたかしら?」
「いや、今日はそうじゃないです。実は、メイドとして雇って欲しいという人間の方が来まして。この館で通じる戦力を持っているかのテストをしてみたところ……申し上げにくいことですが、思いっきりやられてしまいました」
 そういうと美鈴はがっくりとうなだれた。実力的には紅魔館でも五本の指に入るだけに、こてんぱんにやられたことは彼女にとってかなりの衝撃であった。
「人間の身で美鈴を破ったの。……面白そうね、部屋に通して」

 その日、紅魔館にはもう一つ賑やかの種が増えた。このことがのちの大事件に発展することになるのだが――それはまた、別の話。
少し前のあとがきに書いていた、パチェ&レミィのお話です。
無限図書館というネタは、作家の某新城カズマ氏の世界観群から借りてきました。このネタのそもそもが「紅魔館の図書館は時空間がいじられてるから、あそこに繋がりやすそうだなあ。いかにもパチェとかが住み着きそうだし」という発想からなので。とはいえ今回は咲夜さん一回も出てきてませんが。
あと、思わせぶりなラストで締めていますが、この後の続きはまったく考えていなかったりするのであしからず。
ではまた。
イースタンセラフ
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コメント



0.2390簡易評価
1.50七紙削除
こんな感じの世界観、好きです。
2.50β削除
是非とも続きを(笑)
3.50すけなり削除
読み応え十分でした。無限図書館という発想に、最初は少し戸惑いましたが(汗  次作も楽しみにしています。
4.30勇希望削除
 正直読み難い、というのが感想でもありますが・・・面白いというのも同時にあります。
も少し文章をダイエットすることをオススメします。
・・・4面中ボスの名前はリトルで決定ですね(ぇ
42.80名前が無い程度の能力削除
発想がすごいですね。フランの部屋から図書館への移行の表現にはぞくぞくしました。
43.100sisi削除
上質な作品に出会えるということは、私にとって喜びです。
誰でも美しい物語や、楽しい物語、そして時には寂しく悲しい物語に
触れてみたいはずです。イースタンセラフさんの紡ぎ出した
この『素敵な出会いの物語』に出会えた事を感謝します。
本当にありがとうございます。