「いきなりだけど,お姉ちゃんってなんで本書いてるの?」
こいしがいきなりなのはいつものことである。
さとりは書斎机に両肘をつき,軽く息を吐いた。
「なんでって……心の動きを文字にうつし出すのが楽しいから,かしらね」
「へぇー,そうなんだ! でもお姉ちゃんの本,全然売れてないよね!!」
~切れ味鋭いこいしちゃん~
覚り妖怪はメンタルが強い。
古明地さとりも,この程度ではまったく動揺しなかった。
「こいし……何をいきなり言うのですか。本がう,売れないなど」
――嘘である。
ちょっと動揺した。
「そもそも私の書いている本は売るためのものではなく,あくまでも趣味であり精神修養の一環として」
「えっ? 地上の人里の催しに出展して本を売りに行ったって聞いたけど」
「なっ,何故それを」
「お燐の手押し車を借りて,本とお釣り用の小銭をたくさん持ってったら4冊も捌けなかったから,大量の在庫と小銭を抱えて泣きながら帰ってきたって」
「泣いてません!!」
断じて泣いてない。
あれはそう,汗だ。些細な見込み違いで少しばかり多めに印刷してしまった(地底には天狗の活版印刷技術が流入していた)本と,釣り銭だったはずの小銭が重かったので,流れた汗が目に入っただけだ。
「しかも減った3冊のうち2冊は両隣の出展者との交換で」
「こいし,やめなさい」
「残りは変装したお燐が買ったものだから」
「こいし,こいし」
「実質0冊だって」
「黙れ」
――ドン!!
さとりは書斎机の天板を叩いた。
書斎に静寂が満ちる。
「……なんでそんな酷いこと言うんです……?」
さとりが俯くと,後ろからふわりと抱きしめられた。
「ごめんね。私,見てたんだ。お姉ちゃんが人里の広場で頑張って本売ろうとしてたとこ」
「こいし……」
「前を通りがかった人にスルーされたり,せっかく目の前にやって来てくれた人に『チッ,なんだよ小説かよ』って舌打ちされたりしてたよね」
さとりは妹からトラウマ想起返しを受けているような気持ちになった。
なんだこれ,つらいぞ……?
「手にとって見本誌をパラパラとめくってもらったはいいけど『挿絵ないんですね』って言われたり,『高っ』『厚っ』とか言われたりしてたよね」
「ぐぐぅっ……」
価格設定についてはさとりだって考えた。
けれど,小説本は厚みがある分だけ印刷費が高い。そのためにある程度の値段にしないと赤字が大きくなって地霊殿の財政に影響が及んでしまう。
仕方なかったのだ……あの値段は……。
「売れなきゃ赤字の解消も何もあったもんじゃないけどね」
「心を読んで的確に抉ってくるのをやめなさい,こいし」
オカルトメリーさんで包丁を持つようになってから,言葉のナイフも鋭くなったのではないだろうか。
さとりは大きく深い息を吐いた。眉間を軽く揉みほぐす。
どうにも,妹のペースに翻弄されるのはよろしくない。
「だいたい,大きなお世話ですよ。あれは……そう,あの倶楽部活動はちょっとした気まぐれと言いますか,事前の下調べが不足していたのが敗因と言いますか……」
さとりは自らに言い聞かせる。
自分は冷静だ。小説本が捌けにくいというのは聞き及んでいたこと。別に心を揺らすほどの事態ではない。
深呼吸をする。
いまや,さとりの心は凪の湖面の如く穏やかに澄み渡っていた。
「そういや,お燐から借りてお姉ちゃんの本読んだんだけど」
「ッ! で!?」
一瞬で荒波の日本海と化した。
「もう,お姉ちゃんってば。そんながっつかないで。まるで卑しいメス犬みたいに」
「メ……っ! ふん,どこでそんな言葉を覚えてくるんだか」
「お姉ちゃんの小説に書いてあったけど」
さとりは頭を抱えた。完全な自爆である。
「それはそれとして……どうでした? その,感想,とか……」
「うーん,これは売れないかなーって」
「ぐはぁ!!」
さとりは胸を押さえた。完全な致命傷である。
「まずね,表紙がダメ」
「ひ,表紙……?」
「ってか,なんでお姉ちゃん,本の表紙絵をキュビズムにしたの??」
キュビズム。立体派とも訳される。
単一視点ではなく多視点から捉えられた面を一つのカンバスに描き出す絵画様式であり,心理の複合的階層を表現するのに適しているとさとりは思っていた。
そんな説明をすると,今度はこいしがため息をついた。
「まあ,言いたいことはわかったよ。だけど,それって独りよがりになってない?」
「何を言うんです! 私は私なりにあの作品にはあの表紙絵が最適だと」
「でも誰も欲しがってくれなかったんだよね……」
身内ならではの容赦ない言葉がさとりの心を斬りつける。
さとりは耐えた。11点の矜持が彼女にここで屈することを許さなかった。
後ろにいたこいしは再びさとりの正面に戻り,書斎机越しに眼差しを向けてくる。
「とりあえず表紙の件はおいといて,内容だけど」
「え,ええ」
「ちょっと文字が多すぎるよね」
「小説ですから!!」
文字が多すぎるって,どうすればいいんだという話である。
1ページにつき3行以内にでもしろというのか。
「あ,いや,そうじゃなくて。ページあたりの文字が詰まっていると読みにくいって話でさ,お姉ちゃんの本,天地の余白も小口の余白もあんまりないし,ノドの部分も印刷のときに考えてなかったんじゃない?」
思ったより真っ当な指摘がきて,さとりは動揺した。
仕方なかったんだ……いつもは手書きしたものを自家製本していたから。地底の印刷業者を使うのは初めてだったんだから……。あと入稿期限が迫っていたから……。
「それに書体もクッソ見づらいよね。1ページ目から江戸勘亭流って何これ? 読者舐めてんの??」
「あ,いえ……それは作中人物の手記から始まるという設定なので。ちゃんと7ページ目からは魚石行書体に……」
「そっちも十分読みづらいからねっ!?」
どうしてか,こいしが額を押さえている。
書体もなかなか一筋縄では行かないようだ。
「ハァハァ……でも私,読んだよ。江戸勘亭流にも魚石行書体にも,それらがギチギチに詰まったページにも,真っ白過ぎる紙にも負けずに最後まで」
「な,なんかすみません……」
思わず恐縮してしまった。
「それで内容は」
「内容は……?」
そこでこいしは,ふいっと目を逸らす。
「まあ,悪くなかった,かな……?」
――その様はどんな言葉よりも鋭く。
さとりの心を貫いたのだった。
―― 了 ――
いくら四月馬鹿だからって書いていいことと悪いことがあるぞォ”!!!
ギトギトにかえしのついた刃物で刻んだあと、きれいに医療用メスで患部を切り取るような素敵な展開、の後から塩を塗り込んでくる卑劣さ。さすがです
存分に笑わせていただきました。最後に読んでよかったと思ってもらえたなら、それが一番の幸せなのさ。
心がえぐられる……!!!!