河城にとりは、ずれ落ちそうな程に全身を弛緩させてパイプ椅子に座りこんでいた。背もたれに頭を預けたせいでトレードマークの帽子がぼとりと落ちた。
うららかな春の日差し以外の全てがどうでもいい。
「落としましたよ。店主さん」
「ほえ?」
視界に飛び込んできたのは和装に身を包んだ金髪の少女だった。よくよく見ると少女は八雲紫であり、落とした帽子を差し出している。
にとりは気恥ずかしさの為にはにかみながら受け取って、軽く叩いてから帽子をかぶり直した。
「いやいや失礼な所を見せてしまったな。へへっ」
「だらしないわねえ」
「こいつらを買ってくれそうなお客以外に用はないんでね」
にとりが人差し指で指した足元には、ブルーシートが広げられていた。
ベッドのフレーム、畳んで積まれた幾多のパイプ椅子、洗濯干し、指輪、鍋、レコードプレイヤーなどが捨て置かれている。
「私は買ってくれそう?」
「物好きそうだから、あり得るかも」
「それにしてもこれじゃあどうかしら」
紫の言いようはもっともだった。
放り出された商品はどれも赤錆びていて、さながら廃船の中身を引っ張り出して来たようである。
また、見ての通り店主も大して売り込む気がない。
「久々にアジトに行ったら、湿気でみんな錆びちまっててね。ベッドでふて寝してみたら脚の部分が折れて怪我しちまいました。こりゃたまらんと思ったんで、持ってこられる分だけここに出してみたんですよ。鉄くずマニアもいるかもしれんですから」
人里の外れの通りには少し特殊な市が毎日開かれていて、河童などもしばし人間に混ざって出品する。
収集家たちは暇があれば足を運び、その不可解な審美眼を皿にして練り歩く。
にとりはそういう一角にビニールシートの四隅に石を置いただけの空間を展開し、鉄くずとの花見を楽しんでいるのであった。
「ねえ、その物干し竿、ちょっと使ってみていい?」
「いいけど、壊したら買い取っておくれよ」
紫は懐から手ぬぐいを出すと、錆だらけで死にかけの物干し竿に引っ掛けた。
紺色の手ぬぐいは春の風にやわらかくたなびいた。
「海、行ったことある?」
怪訝な顔をしていたにとりは、頬をさすりながら考えを巡らせた。
海、川の終端、幻想郷ではたどり着けぬ場所。
「行ったことはないですねえ。写真は見ました、しょっぱいから住めないんですって」
沢山の光をまとう水平線の写真を見たことがあったものの、それが一般的な海なのかはわからなかった。
「海沿いの街には潮風が吹いてね、なんでもすぐ錆びるのよ。それで自転車が軋んでとやたらうるさいの」
「整備が面倒な街ですねえ。やっぱり河童には山がいいや」
「そうね」
紫はくるくると唐傘を弄びながら遠くを見つめていた。思い出に耽っているのかもしれなかった。にとりは少し気まずくなって生卵を口に放り込んで、ばりばりと食べた。「いるかい?」
「結構」
「それで、街がどうしたのさ」
「このありさまを見て思い出したのよ」
「なるほど、柄にもなく貴方も思い出の一ページを捲ってしまったと。どうです? お買上げします?」
なんだかにとりは落ち着かず、店主としても客を面倒に感じてきていた。
「買ったげるから、ちょっとここに座ってみなさいな」
いつの間に動かしたのか、にとりの隣にあったパイプ椅子が向き合うように設置されていた。
にとりはマジでめんどくさかったが、客の要望に答えた。
「洗濯物がね、ああやってはためいてて、取り込むために窓を開けると、錆びた鉄の香りがして、海が見えるの」
こいつは何を言っているのだろう。
錆だらけになった物干し竿に、紺色の手ぬぐいが掛けられているだけである。
「これじゃあ、洗濯物は洗い直さなきゃならならないですね。鉄臭いと思われますよ」
「海沿いじゃあどこだって同じ香りがするからいいのよ」
「そういうもんですか」
「うふ、そういうものよ。あー面白かった」
「代金」と張り紙がされた酒瓶を残して紫は物干し竿ごと消えた。
盃がないので、瓶で一杯やりながらレコードプレイヤーを鳴らしてみると、プレイヤーはレコードの傷を引っ掻いてバリバリと雑音を撒き散らした。
すると通りすがりの物好きな少女がやってきて、値段を尋ねた。にとりにはさっきのが最後のひと頑張りだったことがわかっていたが、それなりの値で売った。ついでにコンサート用にと椅子の塔を荷台ごと押し付けてやった。
ゴミにも色々あるもんだ。
にとりはやたらと軋むパイプ椅子にもたれて次なる発明を空想しはじめた。
逢魔が時の藍色の空には朱鷺色の雲が漂っている。
うららかな春の日差し以外の全てがどうでもいい。
「落としましたよ。店主さん」
「ほえ?」
視界に飛び込んできたのは和装に身を包んだ金髪の少女だった。よくよく見ると少女は八雲紫であり、落とした帽子を差し出している。
にとりは気恥ずかしさの為にはにかみながら受け取って、軽く叩いてから帽子をかぶり直した。
「いやいや失礼な所を見せてしまったな。へへっ」
「だらしないわねえ」
「こいつらを買ってくれそうなお客以外に用はないんでね」
にとりが人差し指で指した足元には、ブルーシートが広げられていた。
ベッドのフレーム、畳んで積まれた幾多のパイプ椅子、洗濯干し、指輪、鍋、レコードプレイヤーなどが捨て置かれている。
「私は買ってくれそう?」
「物好きそうだから、あり得るかも」
「それにしてもこれじゃあどうかしら」
紫の言いようはもっともだった。
放り出された商品はどれも赤錆びていて、さながら廃船の中身を引っ張り出して来たようである。
また、見ての通り店主も大して売り込む気がない。
「久々にアジトに行ったら、湿気でみんな錆びちまっててね。ベッドでふて寝してみたら脚の部分が折れて怪我しちまいました。こりゃたまらんと思ったんで、持ってこられる分だけここに出してみたんですよ。鉄くずマニアもいるかもしれんですから」
人里の外れの通りには少し特殊な市が毎日開かれていて、河童などもしばし人間に混ざって出品する。
収集家たちは暇があれば足を運び、その不可解な審美眼を皿にして練り歩く。
にとりはそういう一角にビニールシートの四隅に石を置いただけの空間を展開し、鉄くずとの花見を楽しんでいるのであった。
「ねえ、その物干し竿、ちょっと使ってみていい?」
「いいけど、壊したら買い取っておくれよ」
紫は懐から手ぬぐいを出すと、錆だらけで死にかけの物干し竿に引っ掛けた。
紺色の手ぬぐいは春の風にやわらかくたなびいた。
「海、行ったことある?」
怪訝な顔をしていたにとりは、頬をさすりながら考えを巡らせた。
海、川の終端、幻想郷ではたどり着けぬ場所。
「行ったことはないですねえ。写真は見ました、しょっぱいから住めないんですって」
沢山の光をまとう水平線の写真を見たことがあったものの、それが一般的な海なのかはわからなかった。
「海沿いの街には潮風が吹いてね、なんでもすぐ錆びるのよ。それで自転車が軋んでとやたらうるさいの」
「整備が面倒な街ですねえ。やっぱり河童には山がいいや」
「そうね」
紫はくるくると唐傘を弄びながら遠くを見つめていた。思い出に耽っているのかもしれなかった。にとりは少し気まずくなって生卵を口に放り込んで、ばりばりと食べた。「いるかい?」
「結構」
「それで、街がどうしたのさ」
「このありさまを見て思い出したのよ」
「なるほど、柄にもなく貴方も思い出の一ページを捲ってしまったと。どうです? お買上げします?」
なんだかにとりは落ち着かず、店主としても客を面倒に感じてきていた。
「買ったげるから、ちょっとここに座ってみなさいな」
いつの間に動かしたのか、にとりの隣にあったパイプ椅子が向き合うように設置されていた。
にとりはマジでめんどくさかったが、客の要望に答えた。
「洗濯物がね、ああやってはためいてて、取り込むために窓を開けると、錆びた鉄の香りがして、海が見えるの」
こいつは何を言っているのだろう。
錆だらけになった物干し竿に、紺色の手ぬぐいが掛けられているだけである。
「これじゃあ、洗濯物は洗い直さなきゃならならないですね。鉄臭いと思われますよ」
「海沿いじゃあどこだって同じ香りがするからいいのよ」
「そういうもんですか」
「うふ、そういうものよ。あー面白かった」
「代金」と張り紙がされた酒瓶を残して紫は物干し竿ごと消えた。
盃がないので、瓶で一杯やりながらレコードプレイヤーを鳴らしてみると、プレイヤーはレコードの傷を引っ掻いてバリバリと雑音を撒き散らした。
すると通りすがりの物好きな少女がやってきて、値段を尋ねた。にとりにはさっきのが最後のひと頑張りだったことがわかっていたが、それなりの値で売った。ついでにコンサート用にと椅子の塔を荷台ごと押し付けてやった。
ゴミにも色々あるもんだ。
にとりはやたらと軋むパイプ椅子にもたれて次なる発明を空想しはじめた。
逢魔が時の藍色の空には朱鷺色の雲が漂っている。
紫さまはこういうちょっかいが好きそうですね