Coolier - 迎え火 送り火 どんど焼き

メリーが蓮子以外とデートする話(仮題・未完)

2019/04/01 00:21:57
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「あ、蓮子。私、明日彼とデートだから」
 マエリベリー・ハーンのその言葉に、宇佐見蓮子は飲んでいたコーヒーで盛大にむせた。
 金曜日、大学のカフェテラスである。蓮子は次なるサークル活動の予定を、メリーと打ち合わせていたところだった。そのために明日の予定を確認した結果、返ってきたのがこの言葉だ。全くもって寝耳に水の話で、蓮子は全くその言葉の意味が実体をもって理解できない。
 彼とデート? 彼って、つまり彼氏のこと? メリーに彼氏? え? えええ? ゲホゲホとむせながら、蓮子は回らない頭で必死に考える。いったいいつから? どこの誰が? 自分の観測していた限り、メリーにそのような兆候は一切見られなかったのに――。
「蓮子、大丈夫?」
「だ、大丈夫……じゃなくて、メリー、ちょっと」
「なに?」
「今、彼とデートって言った?」
「ええ」
「聞いてないわよ! いつの間にそんな相手作ったのよ!」
 思わずテーブルに手を突いて叫んだ蓮子を、メリーはきょとんとした顔で見上げ、「あら、言ってなかったかしら」と小首を傾げた。
「一昨日告白されてね」
「……OKしたの?」
「ええ、断る理由もなかったもの」
 あっけらかんと言うメリーに、蓮子は唖然として言葉が出ない。メリーはこんなキャラだっただろうか? 蓮子の知る限り、メリーという少女はその美貌に反して、驚くほど男っ気がなかった。彼氏のひとりやふたり、見た目からすればいない方がおかしい。だが、その異邦の外見はかえって男子学生を気後れさせるのか、はたまた蓮子と《秘封倶楽部》などという怪しげなオカルトサークルをしているのが災いしてか、これまでの付き合いでも男の影を感じたことは一度もなかったし、本人も特に彼氏を作ることに興味がないようなことを言っていた。
 なお、蓮子の方ももちろん彼氏はいない。恋愛そのものに対して興味が薄いのだ。蓮子の興味は、男よりも世界の真理の方に向いている。マエリベリー・ハーンの目の持つ不思議な能力も、その一端である。決して彼氏いない歴=年齢であることの言い訳ではない。そもそもそんなことに言い訳をしなければならない理由がないわけで、じゃない。
「え、ちょっと、どこの誰? うちの大学の学生?」
「同じ文学部の鈴木君」
「初めて聞いた名前なんですけど」
「そりゃあね。顔は知ってたけど、これまで特に深い付き合いなかったし」
「その程度の知り合いから告白されてOKしたわけ?」
「あら蓮子、私に彼が出来たことが不満なの?」
「あ、いや、別にそんな――だってそりゃ、いきなり相棒に彼氏が出来たなんて言われたら、根掘り葉掘り聞きたくもなるでしょ!」
「蓮子ってば、そういう恋愛ゴシップを一番軽蔑してるタイプじゃなかった?」
「ぐぬ――そ、それとこれとは別! 私とメリーの仲じゃない! 私にとってはいわばメリーは家族も同然、とくればその交際相手が気にならないはずが」
「そんな親みたいなこと言われても」
 メリーが呆れ顔でコーヒーを啜る。と、そこへメリーの携帯電話が鳴った。携帯を取りだしたメリーは「あ、噂をすれば鈴木君からだわ」と楽しげに蓮子を無視して耳に当てる。
「はい――ええ、明日は大丈夫。十時に酉京都駅の北改札前よね? うん、うん、楽しみにしてる。……え? 蓮子のこと?」
 と、携帯を耳に当てたまま、メリーはちらりと視線だけで蓮子の方を見やった。
「まさか、そんな心配しなくても、デートに親友連れて来るほど野暮じゃないわよ。ホントホント、どうせ蓮子の顔なんて見飽きてるんだから。……なに、妬いてるの? そんなんじゃないってば。もー。……うん、うん、いや、実は今蓮子がそこにいて……うん、ごめんね、また後で、っていうか明日ゆっくり話しましょ。それじゃあね」
 蓮子が見たこともないほど楽しげな笑顔で電話を切り、振り返ったメリーは、「まあ、そういうことだから、明日のサークル活動には付き合えないわ」と悪びれずに言う。
「……そう」
 呆然と、蓮子は頷くしかなかった。目の前にいるメリーが、何者かによって別人にすり替えられたとしか思えない。マエリベリー・ハーンはこんな人間だったか? 男からの電話にきゃぴきゃぴと声を高くして笑うような、凡庸な女子学生だったか? 否! そんなはずはない。我々秘封倶楽部は凡俗の謳歌するバラ色のキャンパスライフ、共産主義が赤なら資本主義は青という意味での青春と書いて恋愛資本主義と読む、他者との関係を破綻させた回数を競うような本末転倒な人間関係レースに背を向けた、孤高の無認可オカルトサークルとして我が道を全力疾走したまに道を踏み外して鴨川に転げ落ちるのも辞さない天上天下唯我独尊の存在であったはずだ。それが……それがなんという堕落なのか! これだから資本主義は!
「じゃあ蓮子、また来週ね。蓮子も私以外に週末を一緒に過ごす相手ぐらい作れば?」
 立ち上がり、ひらひらと手を振り、スカートの裾をはためかせて、メリーは蓮子をカフェテラスに残して歩き去って行く。その背中を呆然と見送り――蓮子は気付いた。
 ちょっと待って、ここの会計こっち持ちなのかよ!

      ◇

 かくして翌日、土曜日の午前十時前。宇佐見蓮子は酉京都駅北改札前にいた。百円ショップで買ったサングラスをかけ、トレンチコートの襟を立て、柱のオーロラビジョン広告の陰から改札の様子を伺う様はあからさまに不審人物だが、そんなことはどうでもいい。鉄道警察に職務質問さえされなければどうということはない。
 この日本において、金髪碧眼のメリーの姿は目立つ。改札前は雑然と多くの人が行き交っていたが、そこで誰かと待ち合わせるメリーの姿を見つけるのは容易いことだった。相棒は改札前の前衛芸術オブジェを背に、先ほどからしきりに腕時計と改札前の大時計を気にしている。
 蓮子も時計を見た。午前九時五十分。待ち合わせ時間はもう間もなくだ。文学部の鈴木君とやらはまだ現れていない。初デートで女性を待たせるとは何事か。待ちあわせの百時間前には待ち合わせ場所に着き四日間その場で寝泊まりしてメリーを待つぐらいの誠意を見せた結果として浮浪者然とした姿でメリーを出迎えてその場で捨てられるべきである。毎度メリーとの待ち合わせに遅刻する己のことは全力で棚に上げて蓮子はそんなことを思いながら歯がみする。
 だいたい文学部の鈴木君とは何者か。我が相棒マエリベリー・ハーンを誑かしたというその男、いったいどんな文学部らしからぬホスト系イケメン優男か、はたまた文学部らしからぬラガーシャツの似合う体育会系か、それともいかにも文学部生な生白い眼鏡男子か。メリーの好きなミステリの話で意気投合したという可能性を考慮に入れれば三番目の可能性が高く、生白い眼鏡男子の上にチェック柄のシャツにリュックを背負った典型的オタクという可能性もありうる。だいたいメリーがイケメンや体育会系になびく程度の娘ならば既に彼氏の一人や二人いて当たり前なのであり、そうでないということはこれは趣味で意気投合した可能性が大であり、楽しくミステリ談義ができる相手ならば見た目には頓着しないということはメリーならば充分にありうる。だいたい文学部なんかに入るのは現実と折り合う気概の薄いオタク気質と相場が決まっているのであり、その上メリーのミステリ談義についていける男となるとこれはもう古書店巡りを日課とし本の重さでアパートの床が抜けることを危惧し将来の夢はなぜ経営が成立しているか解らない埃くさい古書店の奥で好きな本を読みながら余生を過ごすことというような草も食わない紙食系男子に相違ない。たぶんSNSのプロフィールに好きな作家の名前を並べて読んだ本の感想を必ず書くようなタイプだ。そうに決まっている。
 蓮子が色々な偏見を脳内で渦巻かせているのは、「文学部の鈴木君」とやらの正体が文学部の知り合いに探りを入れても判明しなかったためである。メリーのいる相対性精神学の研究室には鈴木准教授というのはいるらしいが、鈴木という学生はいないらしく、文学部全体の「鈴木君」となると何人いるのかもわからない。ましてそれまで深い付き合いのなかった状態から交際を開始して二日目の「鈴木君」を特定するのは至難の業――。
 はっ、待てよ。そこでひとつの可能性に思い至り、蓮子は慄然とする。メリーは確かに「文学部の鈴木君」とは言ったが、鈴木君が学生だとは一言も言っていないのではなかったか?
 蓮子は慌ててモバイルを取りだして自分の大学の文学部を検索する。公式サイトには教員の顔と名前が載っているのだ。――あった。文学部相対性精神学科准教授、鈴木達彦三十八歳。サイトに掲載された画像を見る限り、学生と間違われそうな童顔に黒縁眼鏡の准教授である。もし学生時代運動部だったら絶対卓球部だった奴だ。
 まさかこれがメリーの言う「文学部の鈴木君」なのか? 三十八歳の大学准教授、既婚者の可能性は充分にある。メリーが大学の指導教官と不倫の恋!? そんな昭和なことがこの科学世紀に許されるとでも思っているのか! 単位を餌に女子学生に伸びる大学教授の卑猥な魔の手とか、そういうのは官能小説の中だけにしておきたまえ! だいたい年上趣味だったならこんな下手したら同い年に見えるような童顔を選ぶか普通――。
 ぐおお、と柱の陰で蓮子が呻いていると、不意に改札前の大時計が十時を告げた。駅前の店がシャッターを開け始める。電車が到着したのか、改札から大勢の人が吐き出されてきて、メリーの姿が一瞬その中に埋もれ――。
 しかし、次の瞬間、蓮子は目の前に展開された光景に目を見張った。
 改札から吐き出されて歩き出す人波が、まるでモーゼでも現れたかのようにさっと割れる。その群衆の間の道を、颯爽とこちらへ歩いてくる、赤い、赤い、赤すぎる影ひとつ。
「げえっ、教授!?」
 呻いて、蓮子は柱の陰で身を縮こまらせた。あの共産主義者か狂信的な広島東洋カープファンかと見まがうほどに赤い、あまりにも赤すぎる姿は見間違えたくても見間違えようがない。蓮子の通う理学部物理学科の名物教授、岡崎夢美自称十八歳である。当然ながら蓮子にとっては顔見知りどころか名前から住所から家族構成から趣味に至るまで知り尽くされている相手だ。なんで教授がこんなところにっていうか大学の外でもあの真っ赤なマント羽織って歩いているんですか教授なんのコスプレなのかいつか聞きたいと思っていたけど怖くて聞けるはずがないですよ――。
 ともかく、幸いにして岡崎教授は蓮子に気付いた様子もなく、迷いのない足取りで、何だあのレッドウーマンは返り血か美女の生き血を浴びたというエリザベート・バートリか、みたいな顔で振り返る群衆を一顧だにせず、肩で風を切って突き進んでいく。その視線の先には、
「あっ、教授!」
 と、その教授に向かって、あろうことか手を振ったのは、宇佐見蓮子の相棒であるマエリベリー・ハーン二十歳である。そして岡崎教授もそれに驚くでもなく片手を挙げて応え、真っ直ぐにメリーの元へと歩み寄った。
「お待たせしたかしら、ハーンさん」
「いえ、全然。さすが、時間ぴったりですね」
「貴方のような素敵な女性とのデートのお誘いに遅刻する愚か者は誰もいないわ」
「そうだといいんですけど、約一名常習犯がいまして」
「それはけしからんことね。後でお灸を据えておきましょう」
 蓮子は混乱する。どういうことだ? メリーが待ち合わせていた相手は文学部の鈴木某ではなく、岡崎夢美教授だったというのか? 交わされている会話に耳を傾ける限りそうとしか思えない。ということは文学部の鈴木某に告白されてOKしてデートという昨日の話は全て適当な嘘で――だがなぜメリーはわざわざそんな嘘を?
「さて、それじゃあ行きましょうか」
「あ、はい」
 先に立って歩き出した岡崎教授は、立ち止まってメリーへ右手を差し出す。メリーはその右手と岡崎教授の顔を不思議そうに見比べた。
「あら、恋人同士が手を繋ぐぐらい普通のことじゃなかったかしら?」
「――あっ、はい!」
 教授の気障な言葉に、メリーが頬を染めて、その手を掴んだ。――恋人同士? いま教授は恋人同士と言ったのか? 誰と誰が、って誰がどう見たってあの文脈でのその発言はすなわち岡崎教授とメリーのこと以外に考えようがないわけで、ということは即ち、
 嘘をつくときには、九割の真実に一割の嘘を混ぜ込むのが良いという。
 とすれば。「文学部の鈴木君」という名前がその一割の嘘だったとすれば――。
 岡崎教授がメリーに告白し、メリーがそれをOKした?
 唖然呆然驚天動地とはこのことである。メリーに彼氏が出来たという以上の衝撃に襲われ、蓮子は柱の陰でしゃがみ込んだ。いったい何がどうなればそういう仕儀になるというのか。岡崎教授とメリーの間にいったいどんな感情の交歓があったというのか。そりゃまあ確かに岡崎教授はそのエキセントリックな服装と性格と学説を抜きにすればかなりの美人と呼んで全く差し支えないし、自称十八歳というのはともかくメリーと恋人同士として並んで歩いても不自然でない外見年齢であるし、おまけに教授の比較物理学はメリーの専攻の相対性精神学の要素を導入した主観主義的物理学であるから話が合うのは間違いない。だが、だが、だからといって、なぜメリーと教授なのだ! なぜ教授とメリーなのだ! どうしてその二人が結びついてしまうのか! 解剖台の上のミシンと蝙蝠傘のごとき奇跡的な組み合わせだとするとこの宇佐見蓮子が二人を出会わせた解剖台だというのか。蝙蝠傘など唐傘お化けになってしまえ。
 と、蓮子が唸っているうちに教授とメリーの姿は雑踏の中に消えている。と、とにかく二人の様子をもう少し確認しなくては。慌てて蓮子はふたりの後を追いかけた。

      ◇

 二人が最初に向かったのは、酉京都駅直結の商業ビル内にあるシネマコンプレックスであった。古今東西、そりゃあデートといえば映画であるが、よもや教授とメリーという組み合わせがそんな常識的なデートコースを進むとは予想外の事態である。しかもミニシアターで単館公開のマニアックな映画というわけでもなく、商業主義的大作を上映する大手シネコンである。やはり恋愛は資本主義だというのか。面食らいつつ蓮子はこそこそと二人の後を追う。ハリウッドのSF大作、某D社系のフルCGアニメ、ベストセラーのミステリーの映画化、イケメンアイドル主演の時代劇、コスプレにしか見えない漫画原作の邦画、そこそこヒットした連続ドラマの劇場版、二週間限定公開の深夜アニメの劇場版、少女漫画原作の恋愛映画……デート映画といえば恋愛映画だろうが、まさか頭の悪い高校生の三角関係の話を教授とメリーが喜ぶとは思えない。となるとミステリーかSFかD社か、大穴で深夜アニメの劇場版か。どの映画を観る気なのか、こそこそと物陰から様子を伺う蓮子には二人の買ったチケットがわからない。
 どうしたものかと考え込んでいるうちに、二人は飲み物とポップコーンを買ってシアターの方へ向かった。このシネコンは入場口からシアターまでの道が二手に分かれている。二人の背中は右手へ進んだ。ということは七番から十二番シアター。蓮子は上映時間リストを見る。これから上映が始まる七から十二番シアターの映画は、ハリウッドのSF大作と少女漫画原作の恋愛映画だった。となればハリウッドだろう。決め打ちでチケットを買い、蓮子もシアターの方へ向かう。
 八番シアターの様子を伺うと、真ん中後列あたりにメリーと教授の姿があった。様子を伺うためには二人の後ろに回りたかったが、さほど広い劇場ではないので二人に見咎められる可能性は高い。蓮子は一旦引き返し、上映開始時間までトイレで時間を潰した。劇場内が暗くなってから改めて中に入る。予告編が流れる中、その闇に紛れてうまいこと二人の後方の席を確保し、ほっと一息つく。
 何かアクシデントでもない限り、二人が動く可能性は低い。せっかくだからついでに映画を観ていこうかしら、と蓮子がスクリーンに向き直ったところで、折良く映画が始まった。タイトルが原作から変わっていたので気付かなかったが、P・K・ディックの短編の映画化だということにタイトルクレジットで気付く。相変わらずPKDはハリウッドに人気ねえ、と思いながらスクリーンを眺めていた蓮子は、近くの席に誰かが着席したことに気付いた。映画が始まってから入ってくるとは、遅刻癖のある人間だろうか。全く約束に遅刻するような人間にろくな人間はいないのである。約束や映画の開始時刻を守るのは社会的人間として当然の振る舞いであると言えよう。うんうんと蓮子は頷き、またスクリーンに向き直った。

 大迫力の映像と、ほどほどに退屈で予定調和の展開を眺めているうちに一〇〇分が経過し、エンドクレジットが流れ始めたところで、先ほど開始後に入ってきた人影が席を立って劇場を出て行った。遅刻癖のうえにせっかちとは救いがたい。
 とはいえスタッフロールの後には特に何事もなく劇場に明かりがつき、それほど多くない観客が席を立つ。メリーと教授も立ち上がったのを見て、蓮子は荷物を取るふりで座席に身をかがめた。座席越しに様子を伺うと、メリーと教授は何事か談笑しながら劇場を出て行く。それを確認して、蓮子も立ち上がると後を追った。
 シネコンを出た二人が次に向かった先は、ワンフロア下のレストラン街である。そういえばちょうど十二時のお昼時だ。蓮子も空腹だった。混雑したレストラン街で、メリーと教授の姿はオムライス専門店に吸い込まれていった。オムライス専門店! 己のレパートリーには存在しない選択肢に蓮子は謎の敗北感にうちひしがれた。なんということだ。メリーも本当は、小汚いが味はよく量が多く安いラーメン屋よりも小綺麗で量の少なく値段の高いパスタ屋の方が良かったのか。赤提灯の焼鳥屋よりもシャレオツなイタリアンバルの方が。おばちゃんが「はい唐揚げ定食ね!」と声を張り上げる定食屋よりも店員が「サーモンのカルパッチョでございます」と恭しく皿を差し出すレストランの方が! 純白のテーブルクロスの上に銀色のナイフとフォークを並べて夜景を見ながらワイングラスを傾けたかったというのか。この京都で! 夜景が見たいなら京都タワーの展望台にでも行くがよい! 地下には大浴場もある!
 しかし敗北していても始まらない。蓮子はオムライス屋の向かいのカレー屋に入り、オムライス屋の様子が窺える席を確保することに成功した。学食の倍以上の値段のカレーを注文し、オムライス屋の中をうかがう。メリーと教授は店員にオーダーを伝えているところだった。メリーが何か苦笑している。おおかた教授が「イチゴの入ったオムライスはないの?」とでも訊いて店員を困惑させているのだろう。
 運ばれてきた学食の六割ぐらいの量しかないカレーを口へ運びながら、蓮子はメリーと教授がどんな会話をしているのかを想像する。先ほどの映画に、それほど和気藹々と話す内容があるとは思えないが、映画を肴にPKD談義でもしているのだろうか。それとも比較物理学と相対性精神学について学術的議論でも交わしているのか。まさか甘い睦言を交わしているわけではあるまい。そもそも恋人同士というものはデート中の飲食店でいかなる会話を交わす生き物であるのか。蓮子にはそもそもそれがわからない。教授は『あらハーンさん、ケチャップがついていてよ』とハンカチを取りだしてメリーの唇を拭った後で『舐め取ってあげた方がよかったかしら?』と言ってメリーを赤面させたりするのであろうか。そのような破廉恥な振る舞いは公共の場において許されるものではない。いかに本人たちにとって楽しくロマンチックな時間であろうとも恋人同士が周囲を憚らずいちゃついている光景というのは外野から見ている側にとっては堪え難く正視に値しないものである。いやしかし教授とメリーのような見目麗しい女性同士の場合においてはその限りでもないかもしれない。実際オムライス屋の店内の視線を一身に集めているような気配さえある。いや待てそれはおそらく多分にあの教授の赤い赤すぎるファッションのせいに違いない。そういえばファッションとファッショの間にはいかなる関連性が認められるものであろうか。マッカーシズムも日本語感的には赤いものであるが。
 蓮子の思考が脱線しているうちにメリーと教授のテーブルにもオムライスが運ばれ、メリーはふわとろホワイトシチュー風オムライスを此の世の最上の幸福であるかのごとき顔で頬張っている。そんなにオムライスがいいのか。ラーメン屋の餃子定食ではいかんというのか。オムライスが何するものぞ。宇佐見蓮子は断固としてラーメン屋の餃子定食を支持するものである。
 そうこう唸っている間にカレー屋の方も満席に近くなっていた。教授とメリーはまだ食べているが蓮子のカレー皿は既に空であり昼時のカレー屋は満席近く入口に行列ができはじめている。このようなコストパフォーマンスの悪いカレーを食べに並ぶとはブルジョワどもめ! 蓮子はいきり立って会計に向かった。学食の六割の量で二倍の値段なのでコスパ的には三倍以上である。このような資本主義的暴虐を許してはならないが支払いを拒否すれば食い逃げである。犯罪か暴利かという二択を迫る時点においてこれは脅迫であり誘拐ではないか。誘拐されたのは財布の中の生活費であるからしてもはやこれは間接的殺人と言っても過言ではない。プロバビリティの犯罪というやつだ。谷崎潤一郎もそう言っている。だがそのようなことを訴えて世間の注目を集めてしまってはいけない今は尾行中であるからして隠密行動が求められる。涙を呑んで学食二食分の値段を支払い店を出る。悔しいがカレーは美味かった。ブルジョワになったらまた来てやる。首を除菌して待っていろ。
 蓮子はエスカレーター陰のベンチに腰を下ろし、モバイルで調べものをしているふりをしながら、メリーと教授が店を出てくるのを待ち構えた。――と、その視界に怪しい影が映る。
「あれは……」
 オムライス屋のはす向かい、即ち先ほどまで蓮子がいたカレー屋の隣にある喫茶店の窓側席に、大きな本で顔を隠しながら明らかに本を読まずにオムライス屋を伺っている何者かの姿がある。建物の中だというのにつばの広い帽子を被り、本の陰から見える顔には大きなサングラス。怪しい。明らかに怪しい。傍から見れば蓮子自身も同じぐらい怪しいのだがそんなことは蓮子自身には関知するところではない。
 蓮子が立ち上がろうとしたところで、オムライス屋からメリーと教授が姿を現した。咄嗟にエスカレーターの陰に姿を隠す。メリーと教授は何か楽しげに話しながら下りのエスカレーターに乗りこんだ。蓮子が距離をおいて後を追おうとすると――先ほどの喫茶店の怪しい人影が、慌てた様子で店を出て、下りのエスカレーターに向かっている。やはり怪しい。蓮子はその人影をやり過ごし、すぐ後ろについた。その後ろ姿に、何か見覚えがある気がして、蓮子は目を細める。この人物が、自分と同じくメリーと教授の後を尾行しているとすれば――。
 メリーと教授が次に向かった先はワンフロア下の新刊書店のようだった。映画にオムライスなどというデートコースには相応しからぬ行き先といえる。こんなところでいきなり本来のメリーらしさを発揮するんじゃあない。もっと色気のある場所へ行ったらどうか。服屋とかアクセサリー屋とかファンシーショップとかあるだろう。きゃぴきゃぴと服だのイヤリングだのを選ぶような清く正しいデートをせよ。間違っても見目麗しい美女ふたりが創元推理文庫とハヤカワ文庫の棚を物色するのは清く正しいデートとは言わないだろう。というかそんなのはメリーにとっては自分と普段日常的にやっていることではあるまいか。
 だがしかしそれは当人たちの勝手でありお互いが十全に楽しめるのであれば正しいデートと言えるのではないか? ハヤカワ文庫の棚の前でグレッグ・イーガンとテッド・チャンのどちらが科学世紀前半における最高のSF作家であったかという議論を交わしたり、創元推理文庫の棚の前で日本探偵小説における伝説の雑誌「幻影城」の果たした役割の偉大さについて語り合うようなデートが成立してはならないという法律は存在しないのである。たとえそれが蓮子とメリーにとっての日常的行為であっても、相手が違えば非日常的ときめきの空間たり得るということか。同じ服を買いに行くのでも親と行くのと恋人と行くのとではまるで意味が違うようなものか。じゃあ自分はメリーの親なのか。お母さん貴方を産んだ覚えはありませんよ。
 ――と、それよりも問題は怪しい人影の方である。書店に入っていくメリーと教授を明らかに追いかけているその人影の背後に、蓮子はぴったりとくっついた。そしてその後ろ姿をまじまじと観察し、ひとつの確証を得る。――知り合いだ。
「……なにやってるんですか、助手」
「ほわあ!?」
 蓮子が肩を叩いてそう声をかけると、その人物は素っ頓狂な声をあげて振り返った。その拍子に帽子がずり落ちて、金色の髪があらわになる。サングラスで顔を隠していても蓮子には一目瞭然だった。見間違えようもない。岡崎研究室の助手、北白河ちゆり(年齢不詳)である。
「う、う、宇佐見? な、何やってるってそれはこっちの台詞だぜ?」
「――教授を尾行してましたよね?」
「ぐっ……いやこれはだな、そのご主人様の素行をチェックするのも助手としての務めで、ていうか宇佐見の方もなんでいるんだ? ――あ、そうかお前も」
 蓮子は慌ててちゆりの口を塞ぎ、書店入口脇のベンチのところへ連れ込んだ。というかいつものことながら、ちゆりが教授のことを「ご主人様」と呼んでいるのは大変にいかがわしい関係を匂わせて教育によろしくないと思う。象牙の塔に爛れた関係を持ち込まないでほしい。
「ぷは。……な、なんだぜ? 乱暴する気か? エロ同人みたいに」
「しません。……ええまあ助手と一緒ですよ。メリーのことが気になって尾行中です」
「だよなあ。――宇佐見、お前知ってたか? ご主人様とマエリベリーのこと」
「知りませんでしたよ。……あ、助手、さっき上の映画館にもいたでしょ?」
「なんで知ってるんだぜ?」
「近くの席にいましたから」
「考えることは一緒かあ。……で、どうするんだよ?」
「どうするもこうするも……」
 声を潜めて囁きあい、書店内を伺う。広い店内、メリーと教授の姿はここからは見えないが、たぶん文庫の棚だろう。あるいは教授の専門書購入にメリーが付き合っているのかもしれないが。しかしここで出てくるのを待ち構えるというわけにもいかない。店の中にもエスカレーターがあるのだ。二人に気付かれぬように二人を常に視界に留めておかねば。
「とにかく助手、ここは共同戦線を組みましょう」
「共同戦線だ?」
「何はさておき、メリーと教授を見張ることが最優先事項でしょう」
「そりゃそうだが……つまり二人で尾行するってことか?」
「それしかないでしょう、この状況。――あっ」
 店の平台前にメリーが姿を現し、蓮子は慌てて首を引っ込めた。平台に山積みにされたベストセラーを、メリーと教授が品定めしている。何をベストセラーなんぞ手にとっておるのか。創元推理文庫もハヤカワ文庫も平台に山積みにされているはずがないだろう。
 結局ふたりは平台を眺めてあれこれ喋っただけで、また店の奥に消えていく。蓮子はちゆりを振り返った。ちゆりは仕方ないという顔で肩を竦め、かくしてここに宇佐見・北白河戦線が張られた。歴史的二国同盟の締結である。何が歴史的かは蓮子が決めるのだ。

      ◇

 さて、その後の追跡行のことを今までの調子で書き連ねていけば何ページでも原稿枚数を稼ぐことが可能だが、既にして全くもって冗長の極みであるこのテキストをこれ以上引き延ばすのは気が進まないというものであり、そもそも長く書けば良いというものではないし、改行のない文章はまして読みにくいわけで、さらに区切りなく一文がだらだらと続くものは悪文の誹りを免れず、つまりはこういう文章を書くのはあまりオススメできることではないというようなことをあたかも宇佐見蓮子のモノローグであるかのように書いてはみるものの、もちろん蓮子がこんなしょうもないことを実際に考えているわけではなく、じゃあこのテキストの記述者はいったい誰なのか、三人称一視点の地の文は主観的記述と見なすべきかという問題は本格ミステリのフェア・アンフェア問題に直結するのでややこしい話であり、何が言いたいかと言うと、アニメで一枚絵を何枚か続けて表示することで描写が必要だが描写そのものは重要でない過程をコンパクトにまとめて表現する技法を小説に移植するにはどうすればいいかという話に脱線していくわけであるが、それは作者が悩めばいいことで読者にはどうでもいい。
 つまるところ、メリーと教授のデートと、蓮子とちゆりによるその追跡劇はその後も続いたという話である。書店を出たふたりはその後、おそらく教授の希望だろう、別のビルに入っている家電量販店に向かい、教授が何かのパーツを真剣に吟味し、メリーはマッサージチェアから動けなくなり、蓮子とちゆりは特に用もない照明器具売り場からそれを観察しては、「何をお探しですか?」と話しかけて来る親切な店員から逃げ回っていた。
「教授は何見てるんですかね?」
「たぶんまた何か変な発明考えてるんだろうなあ」
 家電量販店での買い物の後は上階にあるゲームセンターである。教授はゲーム全般も優雅に得意としているようで、華麗に太鼓を叩き、音ゲーのステップを踏み、ゾンビを撃ちまくり、レースゲームとエアホッケーでメリーをほどほどに圧倒し、クレーンゲームでいかにもメリーが喜びそうな丸っこいキツネのぬいぐるみをゲットしてメリーの好感度を上げた。一方鈍くさいメリーが唯一得意なのが古き良き弾幕シューティングゲームで(メリー曰く「弾幕の境界が視える」らしい)、店舗の一番隅っこで埃を被っていた筐体の古めかしいシューティングをクリアしてみせ、こっちも意外性で教授の好感度を上げている節がある。
「教授はあれ何ですか、完璧超人ですか」
「天はご主人様に二物も三物も与えたけど、そのぶん常識とファッションセンスを与えないことでバランスを取った説が有力だぜ」
 最後に二人でプリクラを撮ってゲームセンターを後にしたメリーと教授は、さらにその上階のレストラン街にある喫茶店で一服する。教授がいちごサンデーを幸せそうに食べ、メリーがチーズケーキを食べているのを、蓮子とちゆりは同じ店の隅でコーヒー一杯で伺い――。
 やはり書いているとキリがない。遊んで食べて買い物をして、全くもって充実したメリーと教授のデートはその後も続き、夕食を挟んでふたりが駅に向かったのは午後九時になろうかという時間だった。ほぼ十二時間を尾行に費やし、蓮子もちゆりもヘロヘロである。
「や、やっと帰るみたいですね二人とも……」
「ま、まだわからんぜ……これからお互いのどっちかの家にお邪魔するかも……」
「それってお泊まりってことですか。そんな破廉恥な」
「破廉恥だぜ」
 駅からメリーたちが乗りこんだ地下鉄の路線は、大学の最寄り駅を通る路線だった。訝しみつつ蓮子らも同じ電車の別車両に乗りこむ。ほどなく電車は大学の最寄り駅に滑り込み、メリーと教授はホームに降り立った。蓮子とちゆりも発車間際に電車から飛び降りて後を追う。
「大学に何の用が……?」
「研究室に連れ込んでホテル代を浮かそうとしてるのかもしれないぜ」
「ちょっとうちの研究室そんな爛れてたんですか」
 夜の大学はさすがに人気が少ない。メリーと教授は、メリーの文学部をスルーし、教授の研究室がある理学部棟もスルーして、大学の奥に歩いて行く。
「……まさか、ご主人様」
「え?」
「しっ、たぶんご主人様の目的地はあそこだぜ」
 ちゆりがそう言って、蓮子も教授の足取りからその行き先を理解する。
「教授の第二ラボ?」
「間違いない」
 大学の敷地の隅っこで打ち捨てられていた倉庫を、教授は勝手に個人的な第二ラボにしているのである。そしてそこには、教授の比較物理学研究の最大の成果が隠されていた。まだ学部生に過ぎない蓮子は一度見せてもらっただけだが、まさかあんなボロい倉庫に、今世紀の国内物理学最大の発明が隠されているとは誰も思うまいという逆説的なアレである。
 その最大の発明とは、即ち――。
「ちょうどいい時間ね」
 教授が倉庫の前で足を止め、時計を見て言った。建物のボロさに不釣り合いな、カード・暗証番号・指紋・掌紋・静脈・声紋・網膜の七重セキュリティによるロックを解除し、教授は倉庫のシャッターを上げる。
 そこに出現したのは――倉庫いっぱいに鎮座する、巨大な飛行船。
 それこそ、岡崎夢美教授による今世紀最大の発明(部外秘)、可能性空間移動船である。

 前世紀には既に、量子力学の発展に伴い、この世界と量子的な重ね合わせの状態にある並行世界――すなわち可能性世界が存在するという仮説は立てられていた。だが、現実的にはその存在は観測不可能である、とするのが長く物理学界の定説であった。
 それに敢然と立ち向かい、そして覆したのが、岡崎夢美教授による比較物理学である。相対性精神学の主観主義を観測物理学に持ち込んだ教授は、夢と現実を区別しない相対性精神学の考え方から、個人の見る夢こそが可能性世界であるという仮説を立て、夢の中で個人が現実とは別の主観的世界認識を手に入れることができるならば、人間の脳こそが世界最高の量子コンピュータであり、量子力学の可能性世界は人間の脳の中にこそある、という説をぶち上げたのである。
 あまりのトンデモ説に学会からは冷笑されたが、教授はめげずに、比較物理学における可能性世界を〝観測〟する装置の開発にいそしんだ。全身カプセルからVR機のようなヘッドギアを経て、ついに教授は個人の脳内の可能性世界を外部に〝出力〟する装置の開発に成功したのである。それこそが、この倉庫に隠されている〝可能性空間移動船〟だった。
 と言っても、蓮子はまだこの可能性空間移動船を利用したことはない。理論と使用法を聞いたことがあるだけだ。この船の内部装置が、使用者の主観認識を、脳内の別の可能性主観と交換するらしい。

(未完)
以前同人誌の短編集に書き下ろそうと思って途中まで書いて短編集のカラーに全然合わないことに気づいて途中で没にしたやつです。この後どんな展開にする予定だったのかもう覚えてません。というかこんなに長く書いてたこと自体覚えてなかった。
浅木原忍
[email protected]
http://r-f21.jugem.jp/
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コメント



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1.891奇声を発する(ry削除
良かったです
2.891虚無太郎削除
オムライスたまに食うとうめえんですよね、京都のオムライスは薄味なのかもしれませんけど。安定して面白い