ある日突然自分の神社を他人がショベルカーで破壊しても「建造物損壊」にはならないのか?
博麗霊夢が春眠を貪る早朝の神社に破壊音が響いた。ばりばりとへし折られる木材が悲鳴をあげ、ガラスが成す術も無く砕かれるままに落下する。
飛び起きた霊夢は寝巻のまま庭に飛び出し、そこに重機で神社の裏手、居住部分をモリモリと破壊する少女を見つけた。ずかずかと裸足のまま大股で歩み寄る。
重機を操作する少女はヘルメットをかぶっており、背には長刀と脇差が差してあり、また排煙に混じって白い霊が漂っていることから――それが、魂魄妖夢だと霊夢は悟った。
「ちょっと! どういうつもりよ!」
「あ、おはようございます」
「うんおはよう」
応答しつつもレバー操作をやめない妖夢である。クロウラがギュルギュルと前進。縁側の板張りが釘による固定から解き放たれ、浮き上がり、あるいは割れて木屑を飛ばす。霊夢がさらに何かを叫ぶ前にまたクロウラが旋回し、めきめきと破壊が進行した。
「おまっやめっ」
「あ、はいー!?」
制止する声は轟音にかき消された。ふと差した影に目を上げると高く掲げられたショベルアームが庇を突き破って振り下ろされていた。もうもうと埃が立ち上る。
ここでようやく霊夢は口を閉じた。代わりに彼女が下したのは鋭い、無言のローキックだった。みょんっという素っ頓狂な短い声を残して妖夢と重機が指先で弾かれたピーナッツのように神社から射出される。遥か遠く、大豆畑のあたりに土煙が上がったので蹴り飛ばされた彼女があそこに墜落したらしいことが解った。二秒ほど遅れて墜落音が微かに聞こえたが、すでに霊夢はそちらへの興味を無くしていた。
「どーすんのよこれ」
頭を抱えつつ数歩ばかり立ち位置を変える。先ほどまでいた場所に、雪崩のようにして屋根瓦が滑り落ちて……これもまた、ガラガラと音を立てて割れ散った。
とりあえず朝飯にしよう。食べてから考えようと家屋に戻った霊夢は、足を拭き拭き土間に入る。するとそこには、家屋を支えるいくつかの重要な支柱の一つにノコギリを入れる十六夜咲夜の姿があった。
「あら、おはよう」
「うんおはよう」
何をしているのかと問う前に勝手口が勢いよく開き、朝日を浴びながら紅美鈴が現れた。その手にはチェーンソウ。
「咲夜さん、ありましたよチェーンソウ。しかし雑多な蔵ですねえ、日ごろから整理していないんですかねあの巫女は。おっと、本人がいたよ。おはようございます霊夢さん」
「うんおはよう。そしてさようなら」
平時の巫女装束ほどではないが寝巻の袖にも鈍器は忍ばせている。この日はスリクソンのテニスラケットだった。メイド服の尻をフォアハンドでひっぱたく。さてもうひとりと美鈴を振り向くが、機を見るに敏な彼女は既に姿をくらませていた。
嘆息しつつ、冷蔵庫を開け魚肉ソーセージを取り出す。これを食み食み片手にラケットを弄びつつ神社をぐるりと一周りする。
案の定、神社正面には山の天狗がスコップとツルハシをもって集結しつつあったのでこれを散らす。
ようよう膨らんできた梅の蕾をくぐりつつ蔵に向かうと永遠亭の木っ端兎たちが爆薬を仕掛けていたので、これも叩き出す。
魚肉ソーセージの残りを口に放り込み、じめじめした裏手に至ると人形遣いがハンマー片手に神社に催眠をかけ自壊するよう仕向けていたので「や、流石にそれは無理筋じゃないかな」と霊夢が指摘するとこの人形遣いは、
「催眠のパワーは無限よ」
「素人は黙っとれ――」
……というので、これは放置することにした。
果たして再び縁側に戻ると何事も無かったように妖夢が再び重機を持ち込み作業再開しようとしていたので、アクティオには悪いなと思いつつ重機をめこめこにして丸めてやった。妖夢は「保険つけといてよかった……いや保険適用されるかなこれ……?」と首を捻り、そのまま考え込み始めたのでやはりこれも放置する。
日はすっかり高くなっていた。今日は境内の石畳にケルヒャーをかけて綺麗にするはずだったのになあと予定を狂わされた霊夢は、とりあえず破壊された部分の補修をするべく竹ぼうきを取りに正面に向かい、そこでもっとも会いたくない顔に出くわした。
「よう霊夢。なんだ、午前中から疲れた顔して」
魔法使いの登場である。幻想郷でも屈指とされる破壊者のエントリーだ。
「いったい神社になんの恨みがあるのよ!」
「むしろ恨みが無いと思っていたのか。いや待て、何のことだ?」
開口一番で食いかかってきた霊夢をどうどうと抑えた魔理沙は要領を得ない霊夢の説明に、しかし大まかに状況を把握したらしい。ならば実行犯に直接経緯を聞けばよいではないかと提案すると、霊夢はぱちくりと目をしばたかせた。「その発想はなかった」。
ささくれだった廊下の敷板を左手に縁側に腰かけた妖夢は考える人のポーズを継続中だった。彼女はああ見えて庭師であるので造園施工管理技士と各種伐採作業に係る技能資格を有するほか、現在は樹木医になるための勉強中である。樹木と庭について何かしようと思えば彼女のもとに依頼が来るので、畢竟造園業者とそう変わりない業務を要求される日々を送っている。その中には当然建機の差配、取り回しも含まれており、現在その脳内では綺麗に球状に鍛造された鋼鉄製の重機の成れの果てを如何に業者に説明し引き取らせるかが考えられていた。そんな彼女が呼び声により現実に引き戻される。目の前には霊夢と魔理沙がいた。
「え? いや幽々子様の言いつけですよ。なんでも神社を取り潰してハンバーグレストランを開くのだとか」
妖夢は法律の専門家ではないものの、前述のとおり広範な土地整備経験がある。彼女の言うところでは、こういうことらしい――
昨晩。冥界は白玉楼を、八雲紫が訪れた。
よくあることだ。その片手には大五郎の四リットルボトル。主である西行寺幽々子と酒を酌み交わしはじめた紫がべろべろに酔うまで二時間とかからなかった。
そういえば、と思いついたように紫が口を開いた。
曰く。
幻想郷”内部”の土地はそこに住むものや国内銀行、海外資本、各種公団が分散して所有しているが、内外を隔てる結界、境界に属する博麗神社を含む一帯に所有者は定められていない。というか原理的に定めることが不可能だ(なお紫の住むマヨヒガも同様である)。
ここから先は仮定の話だけど、と前置きして紫は続ける。神社を取り潰して登記官に――これは外の世界の役人だ、妖夢も顔見知りのおばちゃんである――説明すれば、その土地を収用してどう活用するも自由、ということになる。
「台帳に存在しない土地の話をされても困っちゃうと思いますけど」
酒の入っていない妖夢が茶々を入れたがふたりはもうは聞いていない。
じゃあ私、あそこにハンバーグレストランを建てたいわ。幻想郷を一望するロケーションで幻想牛を使用した四ポンドのハンバーグを提供するの。素敵でしょう?
……幻想牛とは(株)風見フーズが先日売り出したばかりの、幻想郷で品種改良された短角種だ。妖夢はまだ食べたことはないが、試食会に招かれた幽々子の話ではなかなか物だったという。
対し紫は、ハンバーグなんて幼稚だ、今はスパゲッティの時代だと言い切った。ゆでたてのスパゲッティをフレッシュなトマトソースで提供する専門店を作ったほうが良い、と。
ここまでならただの笑い話で済んだのだが、「いいやハンバーグレストランだ」と主張する幽々子が文々。新聞に電話をかけ、対抗して紫が永遠亭に電話をかけ、するとブン屋と永遠亭はそれぞれ「牛丼がいい」「焼きたてパンがいい」「っていうか神社壊れたら結界緩んでヤバいんじゃ?」と答え、どこからともなく聞きつけた紅魔館から「あそこは山だから幻想郷一長い滑り台を作りたい」と言い出して――
――結局、既成事実を作ったものが勝ちということになったのであった。
「博麗神社の土地は私のものだ」
「いいや私だ」
「私のだ」
「っていうか非想天で神社壊されてマジ切れしてたの誰だっけ?」
かくして博麗神社はひしめく人外の勢力争い、その最前線となったのだった。
……ひとしきり事情を知った霊夢の腹がぐうと鳴った。
もう昼だった。
意外にも彼女には、呆れた様子はあっても怒った様子はない。さもありなん、現在の神社も、博麗の巫女という役割も、その地位も。すべては武力闘争と虐殺を経て勝ち取ったものなのだ。血を流して得た自由なのだ。守り続けることが容易でないことくらい先般承知であった。しかし、だからこそ、いま再び血を見ないために命名決闘法案を定めたのである。
だがどうやら今回は、スペルカードの出番はなさそうだ。
これは作戦目標という点において、非対称戦なのである。
霊夢は神社を守らなければならないが神社を破壊せんと企む者たちにとって神社はついでに壊しておかねばならない付属物でしかない。神社を狙う者たちに加害の意思は無いのである。それを持ちうるとしたら霊夢の側だ。そして霊夢に攻勢に出る意思はない。博麗の巫女とはそういうものだからだ。
前置きが長くなったが、とどのつまりはこういうことだ――
――騒ぎに参加する者が飽きるまで、霊夢はこの神社を破壊しようとする試みを粉砕し続けなければならない。
まあ正直、神社にしてみれば通常運転と言えなくもない。その程度のことだった。
「ほら妖夢。お昼食べていくんでしょう? 裏でなにか、山菜を取ってきてちょうだい。てんぷらにできるやつなら何でもいいわ。魔理沙、お湯を沸かして」
聴取を終えた霊夢は妖夢を雑用に立たせた。自身は揚げ物の準備をする。
「あれ、私の靴はどこ?」
玄関から外に出ようとした妖夢が大声で土間の霊夢に尋ねる。さっき縁側から上がったことを忘れているらしい。
なにがどうであれ、飯を食わねば始まらない。玉子をいくつか使って厚焼きにする。魔理沙が湯を沸かしたあたりで油が温まり、そのタイミングで妖夢がヨモギとコゴミ、それにアリスを連れて土間に降りてくる。前者には衣をつけてからりと揚げる。後者はまだ、一向に神社が崩壊する様子を見せないことに戸惑っていたので、取り敢えず食卓に座らせて待機させた。
そばを大雑把につかみ取り、ざらざらと湯に投じる。てんぷらは塩でいいかと魔理沙が聞くので天つゆを作らせた。ほどなくして食事の準備が整う。霊夢と魔理沙、妖夢とアリスはずるずると無言で蕎麦をたぐった。
「もしかしてだけど……催眠術? ……催眠なんて、あるわけないのかもしれない……」
蕎麦湯まで平らげたアリスはぼんやりとそんなことを呟いて、神社を去って行った。見送った妖夢が霊夢をじっと見ていた。
「なによ」
「私は一応、幽々子様の言いつけでここに来ている訳で。神社を破壊しなきゃならないんだけど……」
ハアと息を吐いた霊夢は、妖夢を納得させるべく御託を並べることにした。
曰く、神社を破壊しようとしたけど捕まって、身動きが取れなくなったということにしなさい。事態が解消するまで居間でお菓子でも食べていればいいわ、と。それで妖夢は丸め込まれることにしたらしい、まるで十年前からそうしていたようにちゃぶ台の上に炭酸飲料とスナックを並べケーブルテレビのチャンネルを回し始めた。妖夢にはもう、危険はないだろう。
博麗神社倒壊を狙う襲撃は、神社の午後の営業開始に合わせて再開された。
まず現れたのは本居小鈴だった。片手に灯油缶、もう片手にプラズマトーチを持っている。鳥居をくぐった彼女が「今日は暖かいですねえ」とか「お花見ももすぐですかねえ」とかいいながら神社周辺の灌木に灯油をまき始めたのですかさず魔理沙が取り押さえ、後ろ手に縛って一緒に来ていた稗田阿求に引き渡した。
「すいません、すいません。この娘、どうしても燃やすって言って聞かなくて」
平謝りしながら小鈴を連れ帰る阿求。後ろ手に縛られ俎上の鯉となった小鈴を見る目の中に、わずかに野獣の眼光があった気がしたが魔理沙は自分には関係の無いことだと小鈴を引き渡した。
「おお、誰だか知らぬがちょうどよい! 実はガソリンを買い忘れてしまったのじゃ」
小鈴を送り返した直後に現れたのは物部布都だった。片手には小鈴と同様電子トーチを持っているが、もう片方にはポリバケツを持っている……これが全く可愛くないものを運んでいた。
バケツの中身は、おそらくは道すがらリサイクル施設で調達してきたのであろう粉砕済みのビニル樹脂だった。漂っている強烈なにおいからすると揮発性油脂――まあ灯油だろう――に浸されている。チップ状になり表面積を増やされた上、発火した際は木くずなどよりはるかに高熱を発する。延焼を効果的に引き起こす以外には使い道のない着火剤だった。
物部布都が灌木に撒かれた灯油にトーチをカチカチ言わせながら歩み寄る。
すかさず霊夢は足払いをかけ布都を転ばせた。バケツが宙を舞い、布都のアタマにすっぽりと被せられる。見ようによっては烏帽子に見えなくも無かった。
「ぎゃー! ひどい臭いがする! ひどい臭いがする!」
手水場に駆け寄りバシャバシャと顔を洗った彼女はべそをかきながら帰って行った。
間を置かず、今度はどこからともなくひゅるうひゅるという落下音が聞こえてきた……空からだ。
顔を見合わせる霊夢と魔理沙。
ふたりが頭をかばって地に伏せるのと、神社の石畳に迫撃砲弾が着弾するのは同時だった。二〇〇グラムそこそこの混合爆薬が炸裂し、鋼鉄製の弾殻を数百の破片に替えてまき散らす。一個一個の破片は数グラムから数十グラム程度だが、その殺傷力は実に大口径の対物ライフルのそれに匹敵する。
ぱらぱらとさざれ石が降り注ぐ中、ふたりはどうにか立ち上がった。間違いなく半数致死面積にいたはずなのだが、無傷だった。
「さて、どうする霊夢?」
「やるしかないでしょ」
霊夢が袖から獲物を取り出した。ひとつはジュラルミン製の金属バット。ミズノだ。もうひとつは、まったくただの鉄製のフライパンだった。いずれも幻想郷に住む人外ならば見ただけで震えあがる、博麗の神器である。
鳥居から砲撃陣地を探す。三キロほど離れた丘陵にテクニカルが数台停まっており、おそらくこれが先ほどの砲撃を敢行した一団だ。
いったい何者であろう。かぶりを振った霊夢には解らぬことであったが、これは命蓮寺の一団が仕掛けた攻勢だった。神社を排し、跡地にフィットネスクラブを作ろうという算段なのだ。
大きくフライパンを振りかぶった霊夢がアンダースローでこれを投げ放つ。回転しながら飛翔するフライパンは放物線を描き、彼方の砲撃陣地に飛び込むと……車両を蹂躙し、これを爆発炎上させた。
「霊夢、九時方向。戦車だ」
狛犬の上に乗っかり、双眼鏡を覗き込む魔理沙が鋭い声を上げた。目を転じると背の高い針葉樹林の間に高効率ディーゼルエンジンが立てる黒煙がわずかに見えた。
「数は?」
「解らん、でも永遠亭だとしたら三輌」
進行方向から想定を述べる魔理沙。
「ねえー、私の靴知らないー?」
縁側より、場違いにのんきな妖夢の声が響く。
「お菓子切れたから、買いに行きたいんだけどー!」
「取り込み中なのよ! あんたさっき、玄関で脱いだでしょ!」
あ・そっか。縁側から玄関に移った妖夢が靴を履いて境内に出てくる。
「コンビニ行くけど、何か欲しいものある?」
「キャラメルコーン」
「カプリコを頼むぜ」
妖夢が自転車で出ていくのを見届けて、魔理沙は再び鳥居から針葉樹林に目を移した。
「霊夢、連中はこっちが気づいたことに、まだ気づいていないかもしれない。先手を打つなら今だ」
ひとつ頷き、再び霊夢がフライパンを振り上げる。
今度は先ほどのよりも肉厚なステンレス製だ。戦車を破壊しようと思ったらティファールが必要になる。常識だ。永遠亭は神社を砲撃により完全に粉砕し、ここに全粉粒のみを使った食物繊維豊富なパンを焼く工房を建てようとしているのだ。看過は出来ない。
しかし霊夢が二度目の投擲を行う前に変化が現れた。二人から見て一時方向、湖の方角から飛来した二機の戦闘ヘリが針葉樹地帯に対戦車ロケットを発射するのが見えた。
赤々と火焔が上がり、樹々が燃え上がる。
どのような装甲を持った車両が、どれほど巧妙に隠蔽されていたとしても、確実に撃破出来るであろうだけの爆薬が投じられ、束の間の静寂が戻る。
推移を見守る二人の側に、旋回していた戦闘ヘリが機首を向けた。二人には既に見えていた。赤く染め抜かれたコウモリのノーズアート。間違いようも無く、紅魔館の機体だ。
紅魔館の狙いは、神社に至る参道に長大な滑り台を作る事である。神聖な神社の山林を焼き払うことにも躊躇いはない。
視界の中で、対戦車ロケットを抱えた機体が見る間に大きくなってゆく――
――だが神社まで二キロというところで金切り声のような轟音が響き、紅魔館の回転翼機が姿勢を崩して高度を下げ始める。
いったい何が起きたのか。状況を把握するより早く、ふたりの頭上を黒い影が飛び去った。
鳥居から見て三時方向。妖怪の山から飛来した巨大な影を追う。頭をぐるりと回して目を凝らし、蒼く澄み渡った虚空の中にようやく小さな機影を見つけ出す。
「戦闘爆撃機だ! まずいぞ霊夢、あれは止められない!」
魔理沙が呆れ声で霊夢に退避を促す。既に彼女は、狛犬が鎮座する花崗岩造りの台座の下にある、シェルターの入り口を開けていた。ここに退避すれば核以外であれば耐えられるはずだった。
霊夢がミズノのバットを握りしめ歯噛みした。東側の機体特徴、間違いなく妖怪の山の攻撃機だ。抱えた爆装を投下するべく、速度と高度を調整しながら向かってくる……一瞬ですべてが木っ端みじんになってしまう。
「いま戻ったよ。カプリコは無かったから、カプリコの頭だけってやつを買ってきたんだけど……これでいい?」
自転車で帰還した妖夢がビニール袋からスナックを取り出す。
お菓子を口に放り込みばりばり噛み砕きながら、魔理沙が強く霊夢の手を握った。
「霊夢! 退避するんだ、爆撃されるぞ!」
だが――この巫女は、動かなかった。片手にはキャラメルコーン。
飛来する戦闘機を睨みつける。あれを飛ばしているのは妖怪の山に座する天狗たちの自治組織であろう。二十四時間営業の牛丼チェーン店をここに誘致し、夜中に小腹が空いたとき気軽に牛丼を食べようという邪悪な企みのため神社を攻撃しにかかっているのだ。冬には牛鍋も出すつもりなのだろう。
「――――!」
遥か頭上で、今日何度目かの爆発が起きる。太陽に手をかざしながら見上げると、そこには火球が浮かんでいた……再び爆発が生じ、黒一色の爆炎に赤が混じる。
何が起こったのかと、これもまた今日何度目かの問いを頭に浮かべる。やがて空の中にその答えを見つけた。爆炎に向かって、白い飛行機雲が伸びていたのである。その白煙の根元を目で追うと、それは五時方向、遥か彼方。マヨヒガのある辺りだった。
八雲による空対地ミサイルだった。
やがて燃える破片が神社の周辺に降り注ぐ。パラシュートが開き、パイロットが風に流されてどこかへ飛んでいく……。
「…………」
霊夢と魔理沙は沈黙のうちに、次に起こるであろう事態に備えた。
事ここに至り、”博麗神社ぶっ壊し隊”は互いに潰し合い……最後の一人を残すのみとなっていたのである。
人里の刺客は叩き返され、
命蓮寺の車両は爆破され、
永遠亭の戦車は撃破され、
紅魔館のヘリは撃墜され、
妖怪山の戦闘機は墜落した。
残ったもので、神社に攻め入る手段を持っているのは……そう。
「ヒャッハー! 打ち壊しよー!」
八雲紫、その人であった。
神社の鳥居を背後にして、巨大なスキマが口を開く。
霊夢をしてさえ、このようなサイズのスキマは数度しか見たことがない。
幅四メートル、高さにして十八メートに及ぶ巨大スキマであった……これを維持するために紫がどれほどの対価を支払ったことか、想像もつかなかった。
テンション高めの紫がアクセルを踏み込む。巨大な鉄球を吊るしたクレーンが神社に向かって進行する。
「退きなさい! パスタが私を待ってるのよ!」
立ちふさがったのは魔理沙だった。不敵な笑みで紫を見返す。構わず前進を再開した八雲紫だったが、ガチャリと音がして運転席のドアが開いたことに気づく。
「神社を更地にしようなんて、百万年早いのよ」
まるで巫女のような笑顔を浮かべた霊夢が手を伸ばし、紫の首根っこをひっつかみ引きずり出した……
……霊夢にケツバットを食らわされた紫が涙目で帰って行ったのは、日も暮れ始めた午後六時だった。
「やれやれ。これでようやく片付いたかしら」
「ああ。お疲れさま、霊夢」
難解な仕事を片付けた爽快感に浸りながら、霊夢が大きく伸びをする。片付けは明日でもいいだろう。面倒だが妖夢もいるし、手出ししてきた連中を片っ端からこき使ってやれば一日で終わるはずだ……。
「ところで霊夢……これがなんだか解るか?」
「ん?」
魔理沙が掲げた手には、小さな押しボタンがあった。
「こっちに」
霊夢の手を取った魔理沙が、ぐいと狛犬の影に彼女を引き込んだ。そしてボタンを押し込む――
――博麗神社が爆発した。
「…………んなあああ!」
声にならない声が漏れる。夕日の中で呆然と立ち尽くす霊夢。魔理沙はスマートフォンを取り出し、どこかに神社の様子を中継していた。
「この通り、建物は無くなったのぜ。だからここは私の土地だ、いいな?」
スマートデバイス越しに状況を確認した外の世界の登記官はひとつ頷き、滅失の手続きを行った。これにより、神社のあった土地は霧雨魔理沙のものとなったのだった。うるせえ、なったんだよ。
「そういうわけだから、霊夢」
「魔理沙、あんた。ずっと私を騙してたのね。そんなにこの土地が欲しかったの」
「すまんな」
肩を竦める魔理沙。霊夢がその胸に、握り拳を叩きつけた……まるで少女のような、弱弱しい力だった。
「そうまでして、いったい。ここに何を建てようというの。私から神社を奪って!」
「よく聞いた。ここにはな、神社を建てるんだ」
目を丸くする。なにを言っているのか、真意が掴めなかった。
心なしか魔理沙の顔が赤く見える。それは夕日のためだっただろうか?
「それで、それでな? 私の神社に、よかったらおまえも……住んでいいぜ」
「魔理沙」
「条件は、毎朝私のために味噌汁を作ることだ……どうかな?」
暮れなずむ境内には、ふたつの影が立っていた。やがてわずかの間を置いて、影のひとつが頷いた。
ふたつだった影が、重なり合ってひとつになる。
深まる夜の中、一番星が輝き始めた。
こうして、破壊された神社から、新しい春が始まろうとしていた。
……魔理沙の仕掛けた高性能爆薬により倒壊した博麗神社。
その瓦礫が押しのけられ、ひとりの少女が姿を見せた。
魂魄妖夢だった。
「ええい、もう。私の靴はどこ?」
心が休まる暇もありませんでしたね。すごく新鮮でそれでいて細部まで丁寧でなんか、こうとにかく何から何まで印象的でした。