「『宇宙を司る全能道士』とまで呼ばれた太子様に、質問のお手紙が届いております」
「うむ」
必要以上に偉そうな態度の豊聡耳神子を横目に、蘇我屠自古が手紙を読み上げる。
「『豊聡耳神子さんはその昔、脱獄不可能と謳われたアルカトラズ刑務所から脱獄したと聞きましたが、一体どのようにして脱獄に成功したのでしょうか?』」
「あー……アレはキツかったですねぇ……」
「いやいやいや、ちょっと待ってください」
しみじみと呟く神子に対し、屠自古が疑わしげな目を向けた。
「アナタ、脱獄したんですか?」
「しましたよ。したからこそ、今こうして私がここに居るんじゃないですか」
「おかしいですよ!」
「何がですか?」
真顔で問い返す神子。
吹き出しそうになるのを必死に堪えつつ、屠自古は質問を続ける。
「何がって……そもそも、いつの話ですかそれは?」
「私がティーンエイジャー……いや、むしろプレティーンの頃でしたね」
「無いでしょ! その頃まだアルカトラズ無いでしょ!」
「ありましたよ」
「無いって!」
「何でそんなこと言えるんですか? アナタその目で確かめたんですか?」
早口で捲くし立てる神子に対し、屠自古はやや気圧された様子。
「確かめんでも……そもそも時代が違い過ぎるでしょう。千年以上離れてるのと違いますか?」
「誤差の範囲ですね。我々にとっては、ほんの一眠りさ」
「誤差で済むか!」
「ほんの一眠り……さっ!」
「やかましい! いちいちタメをつくるな鬱陶しい!」
さっ! は裏声であった。
特に意味は無いが、念のため。
「なんかもう……歴史がメチャメチャじゃないですか」
「いいですか屠自古。そもそも歴史というものは、非常に不安定かつ曖昧なモノなのです」
「アンタが言うと説得力あるなあ」
「聖徳太子の存在が否定されたように、アルカトラズ刑務所の開設時期が、今後見直されないとも限らないのでは?」
「見直したって、せいぜい数年かそこらでしょう……」
「我々にとっては誤差の範囲ですね。つまりは、そういう事なの……さっ!」
「どういう事だよ!?」
詭弁に詭弁を重ねた回答。
納得できる答えなど、端から用意されてはいない。
「じゃあもういいですわ……脱獄の方法を教えてください」
「待ちなさい屠自古。その前に、なぜ私が刑務所に入ったのかを聞くべきでは?」
「理由とか別にどうでもいいって。どうせアレでしょ……下着泥棒か何かやったんでしょ」
「アホかお前! お前そんなっ、この聖徳道士とまで呼ばれたこの私が、そんなしょーもない事で捕まる訳あるかっ!」
「じゃあ痴漢とか……」
「しないって言ってるだろ! 性犯罪から離れろよ!」
「下着泥棒は性犯罪じゃなくて窃盗ですよね。まあ性的ではありますけど」
「聖徳ならぬ性的道士とでも言いたいのかお前はっ!」
屠自古の冷ややかな眼差しを受け、神子は気まずそうに視線を逸らす。
「……聖徳ならぬ性的道士かっ!」
「いや、まあ何で二回言ったのか分からんけど、とにかく刑務所にブチ込まれましたと。それで?」
「そっからはもう……地獄のような日々の始まりですよ。あそこは地獄ですだよ、地獄穴ですだ」
「何で訛るんよ?」
「ウェルカムヘル! みたいな?」
「やかましい!」
地獄の女神めいたポーズをキメる神子に、屠自古の容赦ないツッコミが飛ぶ。
「あそこの囚人共ときたら、皆揃って筋肉モリモリのマッチョマンでしたからねえ。お前ら普段どんだけ良いモン食わされてんだよ! ってな感じの」
「うわー、そりゃキツいわ。そんな中に棒切れみたいな太子様が放り込まれたワケですか」
「女の囚人は私しか居らんかったもんだから、当然イジメの対象になりますわな」
「まあ、ねえ……」
神子の表情が心なしか曇るのを見て、屠自古の受け答えも歯切れの悪いものとなる。
屈強な男達、少女、監獄。何も起きないはずがなく……。
「食事の時なんか、毎回デザートのプリンを取り上げられてましたよ」
「あれ!? イジメってそんなレベル!?」
「『スクールガールには、ドルチェがモッタイナイだぜ! HAHAHAHA!』とか言われてねぇ……屈辱でしたわ」
「そいつ、何語で喋ってるん?」
「『ドルチェのプリンはスウィートでオイシイだぜ! ハラショー!』」
「どこの生まれだよそいつはっ!」
国際色豊かな刑務所であった。
「プディングを取り上げられて、それからどうなったんです?」
「プディングって……まあいいわ。私の手元には未使用のスプーンだけが残ったワケですよ」
「ああ……そのスプーンをこっそり持ち帰って、コツコツ穴を掘ったんですか。ベタだなあ」
「ちっちゃいプラスチック製のスプーンで、こう……コンクリートをね」
「金属製ですらねえのかよ! そりゃ無理だろ!」
金属製でも無理があるのではないか、とはあえて言わない屠自古であった。
「まあ、流石に無理がありましたね。十本目がポッキーン折れた時点で心も折れましたよ」
「見切りつけんの遅いなぁ! もっと早く気付けや!」
「かなりイイところまで行ってたんだけどなぁ……」
腕を組んで悔しがる神子。
彼女がどこまでマジなのかは、屠自古にも分からない。分かるはずがない。
「まあ、何と言っても私は政治家タイプですからねぇ。囚人共を支配するのにさほど時間はかかりませんでしたよ」
「結局そうなるのか! スプーンのくだり要らなかったなあ」
「彼らの不満といいますか、欲望のようなモノを纏め上げて、看守たちとの折衝に及んだわけです」
「おお、なんか太子様らしくなってきましたね」
「『プラスチック製のスプーンなんか使ってられるか! 金属製の丈夫なヤツ寄越さんかいアホーッ!』ってね」
「交渉の内容おかしいって! 他の脱獄方法を考えろよ!」
初志貫徹にして本末転倒。
誰もが陥りがちな思考ではあった。
「結局、最後までスプーンはプラスチックのままでしたね。『ケンカに使われたら困る』言われて」
「当たり前です」
「自由時間が増えたり、立ち入り可能な場所が増えたり、あとは刑務所の図面なんかも見せて貰えたんですが……スプーンだけは駄目でしたわ」
「メチャメチャ成果出してるじゃねーか!? もうスプーンとかどうでもいいだろ!」
忘れられがちではあるが、神子もまた天才の名を欲しいままにする一人である。
「じゃあもう脱獄したも同然じゃないですか。交渉でナントカしたってのが質問の答えでいいですね?」
「まあ待ちなさい。これは君の予想より事は単純ではない……?」
「何で疑問形? つーか、唐突に原作セリフっぽいのブッ込まれてもリアクションに困りますって」
元となったセリフを吐いたときのポーズをキメる神子に、屠自古は苦笑いで応じる。
「アルカトラズ刑務所というのは、本ッ当にイヤらしい構造でな。どこをどう調べても脱獄出来ない様になっていたのだよ」
「いきなり偉そうな口調になったなぁ……まあ、別にいいですけど」
「仲間達も『スクールガール、もう諦めるアルよ』と諦めムードなのでした」
「また敬語に戻った……」
状況によって口調が変わるなら、まだ納得も出来よう。
しかし、一度の会話でコロコロ変わるというのは、流石にどうかと思う屠自古であった。
「八方塞になって、それからどうしたんです?」
「失意のどん底に落ち込んだ私は、屋上で瞑想に耽る日々を送ったのです……」
「屋上出れるなら、飛んで帰ったらいいじゃないですか」
「……何がですか?」
虚を衝かれた様子の神子を、屠自古が訝しげに見つめる。
「いや、アナタ飛べるでしょ? ビューン飛んで脱獄出来るでしょうに」
「…………あっ」
「『あっ』て何!? アンタそうやって脱獄したのと違うんですか!?」
「いやぁ、まあ……ねえ?」
何が「ねえ?」なのかは不明である。
屠自古はため息をつき、神子の肩に優しく手を置いた。
「もうホントのこと言っちゃいましょうよ……してないんでしょ? 脱獄」
「しーまーしーたー」
「まだ心折れてないんか! 正直に嘘付いてましたって言っちまえ!」
「ちーがーいーまーすー。空飛ばんでも立派に脱獄できましたー」
「じゃあどうやったのか言ってみろや! はい3、2、1、どうぞ!」
「えっとですね……」
口ごもる神子。彼女の目は明らかに泳いでいた。
腕を組んだまま覗き込んでくる屠自古に対し、彼女はようやくといった様子で言葉を搾り出す。
「……所長とですね、直談判に及んだワケですよ」
「刑務所の所長さんですね。それから?」
「これがまた話の解る人でして。私が無実の罪で収監された事を訴えたら、親身になって相談に乗ってくれたのです」
「そもそも、アナタ何をやらかして捕まったんでしたっけ?」
「……エエ~ッ!? 今更そんなコト聞くか!? どうでもいいって言っただろお前さっきよぉ! ああん!?」
「あっ……それは何か、スンマセンでした……」
優れた政治感覚を持つ神子は、わずかな形勢逆転の機会を見逃さない。
対する屠自古は、どちらかといえば素直ないい子ちゃんである。己に非があれば謝るしかなかった。
「じゃあ結局アレですか。所長さんと交渉の末、無事に釈放されました、と……これ脱獄って言えるのかな?」
「交渉も違うってさっき言ったろーが! 話を! 最後まで! 聞けーっ!?」
「単純ではないと言っただけで、違うとまでは……まあいいです」
理不尽に思いつつも、屠自古は大人しく耳を傾けることとする。
「そんなこんなで所長とマブダチになりましてね。一緒に刑務所内を散歩したりとかしてた訳ですよ」
「アルカトラズ緩いなぁ……それで?」
「ある日のことです。散歩の途中で、所長がうっかり外に通じる壁に穴を開けてしまいまして」
「ありえねえだろ! どんだけ腕力有り余ってるんだよそのオッサン!?」
「『あらイヤですわ。うっかり外に通じる壁に穴を開けてしまいましたわ』って」
「そいつ、おかま?」
「霍青娥という女性の方です」
「なんでアイツが所長やってんの!?」
刑務所の所長だからといって、オッサンであるとは限らないのだ。
これすなわち、叙述トリックという……程のものでもない。
「あーもう、そんでどうしたんですかアナタは?」
「チャンス到来! とばかりに、私はその穴を抜けて自由の空へ飛び立ったのです!」
「ほら飛んだ」
「……海に飛び込んだのです! 自由の海に!」
「変な意地張るなよ! 普通に飛んで帰ったらいいだろ!」
荒唐無稽な与太話であっても、最低限の整合性は保たれねばならぬ。
それが豊聡耳神子の矜持であった。
「そのまま私は、太平洋の荒波に揉まれながらも、無事日本まで泳ぎ着いたのです」
「アホだこの人……」
「屠自古も知っての通り、当時の日本は内戦待ったなしの状態にありましたね?」
「当時ってのがいつの事なのか、もう分からなくなりましたわ。歴史が曖昧になりすぎて……」
「時は慶長十四年。幕府と豊臣家の対立が決定的となり、今まさに大坂冬の陣が始まろうとしていた頃です」
「また歴史が狂ってるー!? もう脱獄出来たんだから大人しく終わっとけって!」
宇宙を司る全能道士にかかれば、この程度の狂いもまた、誤差の範囲と言い切れよう。
かくして、歴史の混沌ここに極まれり。
「浪人で溢れかえる大坂城に、一人の英傑が降臨しました。徳川との戦に怯える秀頼公の御前にて、彼女は次のように宣言したのです」
「アナタに怯えてたんだと思いますよ、彼は」
「『豊聡耳備前中納言神子、豊臣家の御危機を聞き、アルカトラズより 泳 い で 参 っ た !』」
「備前中納言って何だよ!? もう何もかもがメチャクチャじゃねーか!」
これすなわち、非実在人物による非実在事跡の乗っ取り行為である。
良い子の皆は真似しないように。
「私の活躍は目覚しいものがありました。真田幸村をはじめとする豪傑どもをバッタバッタと薙ぎ倒し、城の堀を埋め、ついには大坂城を落城せしめたのです!」
「どうしてそうなる! アンタはどっちの味方だよ!?」
「そして私は、秀頼の正室にして天下の美女と名高い千姫を、見事この手にゲットしたのだ! フハーッハッハッハ!」
「最初からそれが狙いか! ホンッッット最低だなアンタは!」
“英雄色を好む”などと言えば、多少は聞こえが良くなるかもしれない。
だが忘れてはならぬ。“一将功成りて万骨枯る”とは、まさにこの事であるのだと……。
「でもまあ、何と言っても彼女は将軍秀忠の娘ですからねぇ。私のようなチンピラじゃつりあわんと皆から言われまして」
「太子様もそこそこ大物でしょうが……まあ、色々な意味で問題があるとは思いますけど」
「そこでひと悶着あったワケですよ。詳しいことは『千姫事件』なんかでググッて貰えば分かると思います。なにしろ歴史的大事件ですから」
「分かるか! どこ調べたって聖徳太子的なモンが出てくるわけねえだろ!」
ググるのが面倒だという方の為に、千姫事件の概要を次の一行で記しておこう。
千姫をゲットせんとしたサムライが、なんやかんやで命を落とした事件である。
「ナントカ死を免れた私でしたが……流石にお咎め無しという訳にはいかず、最終的には島流しにされてしまったのです」
「島流し……?」
「ええ」
嫌な予感がしたものの、それでも屠自古は尋ねずにいられなかった。
「念のため聞いとくけど……どこの島ですか?」
「アルカトラズ島です」
「やっぱりか!」
「あそこは地獄ですだよ」
「もうええわ!」
「うむ」
必要以上に偉そうな態度の豊聡耳神子を横目に、蘇我屠自古が手紙を読み上げる。
「『豊聡耳神子さんはその昔、脱獄不可能と謳われたアルカトラズ刑務所から脱獄したと聞きましたが、一体どのようにして脱獄に成功したのでしょうか?』」
「あー……アレはキツかったですねぇ……」
「いやいやいや、ちょっと待ってください」
しみじみと呟く神子に対し、屠自古が疑わしげな目を向けた。
「アナタ、脱獄したんですか?」
「しましたよ。したからこそ、今こうして私がここに居るんじゃないですか」
「おかしいですよ!」
「何がですか?」
真顔で問い返す神子。
吹き出しそうになるのを必死に堪えつつ、屠自古は質問を続ける。
「何がって……そもそも、いつの話ですかそれは?」
「私がティーンエイジャー……いや、むしろプレティーンの頃でしたね」
「無いでしょ! その頃まだアルカトラズ無いでしょ!」
「ありましたよ」
「無いって!」
「何でそんなこと言えるんですか? アナタその目で確かめたんですか?」
早口で捲くし立てる神子に対し、屠自古はやや気圧された様子。
「確かめんでも……そもそも時代が違い過ぎるでしょう。千年以上離れてるのと違いますか?」
「誤差の範囲ですね。我々にとっては、ほんの一眠りさ」
「誤差で済むか!」
「ほんの一眠り……さっ!」
「やかましい! いちいちタメをつくるな鬱陶しい!」
さっ! は裏声であった。
特に意味は無いが、念のため。
「なんかもう……歴史がメチャメチャじゃないですか」
「いいですか屠自古。そもそも歴史というものは、非常に不安定かつ曖昧なモノなのです」
「アンタが言うと説得力あるなあ」
「聖徳太子の存在が否定されたように、アルカトラズ刑務所の開設時期が、今後見直されないとも限らないのでは?」
「見直したって、せいぜい数年かそこらでしょう……」
「我々にとっては誤差の範囲ですね。つまりは、そういう事なの……さっ!」
「どういう事だよ!?」
詭弁に詭弁を重ねた回答。
納得できる答えなど、端から用意されてはいない。
「じゃあもういいですわ……脱獄の方法を教えてください」
「待ちなさい屠自古。その前に、なぜ私が刑務所に入ったのかを聞くべきでは?」
「理由とか別にどうでもいいって。どうせアレでしょ……下着泥棒か何かやったんでしょ」
「アホかお前! お前そんなっ、この聖徳道士とまで呼ばれたこの私が、そんなしょーもない事で捕まる訳あるかっ!」
「じゃあ痴漢とか……」
「しないって言ってるだろ! 性犯罪から離れろよ!」
「下着泥棒は性犯罪じゃなくて窃盗ですよね。まあ性的ではありますけど」
「聖徳ならぬ性的道士とでも言いたいのかお前はっ!」
屠自古の冷ややかな眼差しを受け、神子は気まずそうに視線を逸らす。
「……聖徳ならぬ性的道士かっ!」
「いや、まあ何で二回言ったのか分からんけど、とにかく刑務所にブチ込まれましたと。それで?」
「そっからはもう……地獄のような日々の始まりですよ。あそこは地獄ですだよ、地獄穴ですだ」
「何で訛るんよ?」
「ウェルカムヘル! みたいな?」
「やかましい!」
地獄の女神めいたポーズをキメる神子に、屠自古の容赦ないツッコミが飛ぶ。
「あそこの囚人共ときたら、皆揃って筋肉モリモリのマッチョマンでしたからねえ。お前ら普段どんだけ良いモン食わされてんだよ! ってな感じの」
「うわー、そりゃキツいわ。そんな中に棒切れみたいな太子様が放り込まれたワケですか」
「女の囚人は私しか居らんかったもんだから、当然イジメの対象になりますわな」
「まあ、ねえ……」
神子の表情が心なしか曇るのを見て、屠自古の受け答えも歯切れの悪いものとなる。
屈強な男達、少女、監獄。何も起きないはずがなく……。
「食事の時なんか、毎回デザートのプリンを取り上げられてましたよ」
「あれ!? イジメってそんなレベル!?」
「『スクールガールには、ドルチェがモッタイナイだぜ! HAHAHAHA!』とか言われてねぇ……屈辱でしたわ」
「そいつ、何語で喋ってるん?」
「『ドルチェのプリンはスウィートでオイシイだぜ! ハラショー!』」
「どこの生まれだよそいつはっ!」
国際色豊かな刑務所であった。
「プディングを取り上げられて、それからどうなったんです?」
「プディングって……まあいいわ。私の手元には未使用のスプーンだけが残ったワケですよ」
「ああ……そのスプーンをこっそり持ち帰って、コツコツ穴を掘ったんですか。ベタだなあ」
「ちっちゃいプラスチック製のスプーンで、こう……コンクリートをね」
「金属製ですらねえのかよ! そりゃ無理だろ!」
金属製でも無理があるのではないか、とはあえて言わない屠自古であった。
「まあ、流石に無理がありましたね。十本目がポッキーン折れた時点で心も折れましたよ」
「見切りつけんの遅いなぁ! もっと早く気付けや!」
「かなりイイところまで行ってたんだけどなぁ……」
腕を組んで悔しがる神子。
彼女がどこまでマジなのかは、屠自古にも分からない。分かるはずがない。
「まあ、何と言っても私は政治家タイプですからねぇ。囚人共を支配するのにさほど時間はかかりませんでしたよ」
「結局そうなるのか! スプーンのくだり要らなかったなあ」
「彼らの不満といいますか、欲望のようなモノを纏め上げて、看守たちとの折衝に及んだわけです」
「おお、なんか太子様らしくなってきましたね」
「『プラスチック製のスプーンなんか使ってられるか! 金属製の丈夫なヤツ寄越さんかいアホーッ!』ってね」
「交渉の内容おかしいって! 他の脱獄方法を考えろよ!」
初志貫徹にして本末転倒。
誰もが陥りがちな思考ではあった。
「結局、最後までスプーンはプラスチックのままでしたね。『ケンカに使われたら困る』言われて」
「当たり前です」
「自由時間が増えたり、立ち入り可能な場所が増えたり、あとは刑務所の図面なんかも見せて貰えたんですが……スプーンだけは駄目でしたわ」
「メチャメチャ成果出してるじゃねーか!? もうスプーンとかどうでもいいだろ!」
忘れられがちではあるが、神子もまた天才の名を欲しいままにする一人である。
「じゃあもう脱獄したも同然じゃないですか。交渉でナントカしたってのが質問の答えでいいですね?」
「まあ待ちなさい。これは君の予想より事は単純ではない……?」
「何で疑問形? つーか、唐突に原作セリフっぽいのブッ込まれてもリアクションに困りますって」
元となったセリフを吐いたときのポーズをキメる神子に、屠自古は苦笑いで応じる。
「アルカトラズ刑務所というのは、本ッ当にイヤらしい構造でな。どこをどう調べても脱獄出来ない様になっていたのだよ」
「いきなり偉そうな口調になったなぁ……まあ、別にいいですけど」
「仲間達も『スクールガール、もう諦めるアルよ』と諦めムードなのでした」
「また敬語に戻った……」
状況によって口調が変わるなら、まだ納得も出来よう。
しかし、一度の会話でコロコロ変わるというのは、流石にどうかと思う屠自古であった。
「八方塞になって、それからどうしたんです?」
「失意のどん底に落ち込んだ私は、屋上で瞑想に耽る日々を送ったのです……」
「屋上出れるなら、飛んで帰ったらいいじゃないですか」
「……何がですか?」
虚を衝かれた様子の神子を、屠自古が訝しげに見つめる。
「いや、アナタ飛べるでしょ? ビューン飛んで脱獄出来るでしょうに」
「…………あっ」
「『あっ』て何!? アンタそうやって脱獄したのと違うんですか!?」
「いやぁ、まあ……ねえ?」
何が「ねえ?」なのかは不明である。
屠自古はため息をつき、神子の肩に優しく手を置いた。
「もうホントのこと言っちゃいましょうよ……してないんでしょ? 脱獄」
「しーまーしーたー」
「まだ心折れてないんか! 正直に嘘付いてましたって言っちまえ!」
「ちーがーいーまーすー。空飛ばんでも立派に脱獄できましたー」
「じゃあどうやったのか言ってみろや! はい3、2、1、どうぞ!」
「えっとですね……」
口ごもる神子。彼女の目は明らかに泳いでいた。
腕を組んだまま覗き込んでくる屠自古に対し、彼女はようやくといった様子で言葉を搾り出す。
「……所長とですね、直談判に及んだワケですよ」
「刑務所の所長さんですね。それから?」
「これがまた話の解る人でして。私が無実の罪で収監された事を訴えたら、親身になって相談に乗ってくれたのです」
「そもそも、アナタ何をやらかして捕まったんでしたっけ?」
「……エエ~ッ!? 今更そんなコト聞くか!? どうでもいいって言っただろお前さっきよぉ! ああん!?」
「あっ……それは何か、スンマセンでした……」
優れた政治感覚を持つ神子は、わずかな形勢逆転の機会を見逃さない。
対する屠自古は、どちらかといえば素直ないい子ちゃんである。己に非があれば謝るしかなかった。
「じゃあ結局アレですか。所長さんと交渉の末、無事に釈放されました、と……これ脱獄って言えるのかな?」
「交渉も違うってさっき言ったろーが! 話を! 最後まで! 聞けーっ!?」
「単純ではないと言っただけで、違うとまでは……まあいいです」
理不尽に思いつつも、屠自古は大人しく耳を傾けることとする。
「そんなこんなで所長とマブダチになりましてね。一緒に刑務所内を散歩したりとかしてた訳ですよ」
「アルカトラズ緩いなぁ……それで?」
「ある日のことです。散歩の途中で、所長がうっかり外に通じる壁に穴を開けてしまいまして」
「ありえねえだろ! どんだけ腕力有り余ってるんだよそのオッサン!?」
「『あらイヤですわ。うっかり外に通じる壁に穴を開けてしまいましたわ』って」
「そいつ、おかま?」
「霍青娥という女性の方です」
「なんでアイツが所長やってんの!?」
刑務所の所長だからといって、オッサンであるとは限らないのだ。
これすなわち、叙述トリックという……程のものでもない。
「あーもう、そんでどうしたんですかアナタは?」
「チャンス到来! とばかりに、私はその穴を抜けて自由の空へ飛び立ったのです!」
「ほら飛んだ」
「……海に飛び込んだのです! 自由の海に!」
「変な意地張るなよ! 普通に飛んで帰ったらいいだろ!」
荒唐無稽な与太話であっても、最低限の整合性は保たれねばならぬ。
それが豊聡耳神子の矜持であった。
「そのまま私は、太平洋の荒波に揉まれながらも、無事日本まで泳ぎ着いたのです」
「アホだこの人……」
「屠自古も知っての通り、当時の日本は内戦待ったなしの状態にありましたね?」
「当時ってのがいつの事なのか、もう分からなくなりましたわ。歴史が曖昧になりすぎて……」
「時は慶長十四年。幕府と豊臣家の対立が決定的となり、今まさに大坂冬の陣が始まろうとしていた頃です」
「また歴史が狂ってるー!? もう脱獄出来たんだから大人しく終わっとけって!」
宇宙を司る全能道士にかかれば、この程度の狂いもまた、誤差の範囲と言い切れよう。
かくして、歴史の混沌ここに極まれり。
「浪人で溢れかえる大坂城に、一人の英傑が降臨しました。徳川との戦に怯える秀頼公の御前にて、彼女は次のように宣言したのです」
「アナタに怯えてたんだと思いますよ、彼は」
「『豊聡耳備前中納言神子、豊臣家の御危機を聞き、アルカトラズより 泳 い で 参 っ た !』」
「備前中納言って何だよ!? もう何もかもがメチャクチャじゃねーか!」
これすなわち、非実在人物による非実在事跡の乗っ取り行為である。
良い子の皆は真似しないように。
「私の活躍は目覚しいものがありました。真田幸村をはじめとする豪傑どもをバッタバッタと薙ぎ倒し、城の堀を埋め、ついには大坂城を落城せしめたのです!」
「どうしてそうなる! アンタはどっちの味方だよ!?」
「そして私は、秀頼の正室にして天下の美女と名高い千姫を、見事この手にゲットしたのだ! フハーッハッハッハ!」
「最初からそれが狙いか! ホンッッット最低だなアンタは!」
“英雄色を好む”などと言えば、多少は聞こえが良くなるかもしれない。
だが忘れてはならぬ。“一将功成りて万骨枯る”とは、まさにこの事であるのだと……。
「でもまあ、何と言っても彼女は将軍秀忠の娘ですからねぇ。私のようなチンピラじゃつりあわんと皆から言われまして」
「太子様もそこそこ大物でしょうが……まあ、色々な意味で問題があるとは思いますけど」
「そこでひと悶着あったワケですよ。詳しいことは『千姫事件』なんかでググッて貰えば分かると思います。なにしろ歴史的大事件ですから」
「分かるか! どこ調べたって聖徳太子的なモンが出てくるわけねえだろ!」
ググるのが面倒だという方の為に、千姫事件の概要を次の一行で記しておこう。
千姫をゲットせんとしたサムライが、なんやかんやで命を落とした事件である。
「ナントカ死を免れた私でしたが……流石にお咎め無しという訳にはいかず、最終的には島流しにされてしまったのです」
「島流し……?」
「ええ」
嫌な予感がしたものの、それでも屠自古は尋ねずにいられなかった。
「念のため聞いとくけど……どこの島ですか?」
「アルカトラズ島です」
「やっぱりか!」
「あそこは地獄ですだよ」
「もうええわ!」