【参加者】
○霧雨魔理沙:素直に素直じゃない普通の魔法使い。
●アリス・マーガトロイド:素直じゃなく素直な七色の人形遣い。
●パチュリー・ノーレッジ:素直じゃなく素直じゃない七曜の魔女。
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「先日、とある小説を読んでいて気になった一文があったんだ」
いつもの地下図書館にて。
霧雨魔理沙が切り出した。
「……」
「……」
アリス・マーガトロイドとパチュリー・ノーレッジは、無言で本のページをめくる。
「おい、聞けよ、聞いてくれ」
「聞いてるけど?」
アリスが本に視線を落したまま返すと、魔理沙は口をとがらせる。
「なら何かリアクションとってくれよ。相槌打つとかさ」
「今いいところなのよ。探偵が犯人を名指ししようとした瞬間、爆殺されて――」
「……何の文章が気になったのかしら?」
「おいパチュリー反応今頃かよ! というかアリスの読んでるのも気になるな!」
魔理沙はいつも通りツッコミを入れると、気を取り直して話を戻す。
「こういうのだ。『私はそれを聞いて、嬉しそうに笑った。』ってやつ」
「ふむ」
「ふーん」
「な? おかしいだろ?」
パチュリーもアリスも多くの本を読んでいるし、また自身でも書いている。
だから、魔理沙の言いたいことはすぐに伝わったようである。
「……せっかくだから、それを今回の議題にしましょうか」
パチュリーがようやく顔をあげ、眼鏡を外した。
別にパチュリーは眼鏡っ娘ではないが、本を読む時にはたまに眼鏡を掛けている。
魔理沙が聞いたところによれば、気分の問題らしい。
「それっていうのは?」
「なるほど、人称と視点の罠、ね」
魔理沙の問いに、アリスが答えた。
パチュリーは頷き、続ける。
「魔理沙が言ったように、今しがた挙げられた文章はおかしい。どこがおかしいか」
「『私は』だろ」
「『嬉しそうに』ね」
魔理沙とアリスは異なった答えを返すが、パチュリーは気にした様子を見せない。
「そう、どちらも正解。というより、その二つが同一の文章を構成しているとおかしい」
「『私は』というからには、自分自身のことだものね。なのに『嬉しそうに』というのは妙だわ」
アリスは読み掛けの本に栞を挟み、閉じた。
爆殺されたらしき探偵と事件の真相の行方を知るのは、とりあえず後回しにしたようだ。
「そいつが『嬉しそう』かどうかは、他の誰かの目から見た場合の判断だからな。それに自分自身が『嬉しそう』かどうかなんて、わからないだろ」
魔理沙が言うと、パチュリーは満足そうに頷いた。
アリスが首を傾げる。
「で? もう結論が出ちゃったわけだけど、どうするのこれ。もう読書に戻っていいかしら」
「もちろん本題はここからよ。魔理沙の挙げた文章を自然な感じに直すとすれば、どのようにすればいいか」
そんな新たな問いに、アリスは一瞬考えて、答える。
「『私はそれを聞き、嬉しくなって笑った。』かな」
すると魔理沙が首をひねる。
「うーん……? ちょっと待ってくれ。『嬉しそうに』と『嬉しくなって』とではニュアンスが違わないか?」
「じゃあどうすんのよ」
「そりゃあ、こうだろ。『彼女はそれを聞いて、嬉しそうに笑った。』」
自信満々といった調子で答える魔理沙に、アリスは呆れた様子でため息を吐く。
「あんた馬鹿ァ? それ主体変わってるじゃないの。ニュアンスどころの騒ぎじゃないわ。意味ごと変わってるっての」
「おうともさ。そもそも、この文章の主語が『私』になっているところがおかしいんだからな」
言い合うふたりに、パチュリーが割って入る。
「落ち着いて。どちらの答えも妥当よ。『この一文のみを自然にする』という設問においてはね」
パチュリーの言に、アリスは不承不承といった感じで頷く。
各々の手元に用意したティーカップ。それを手に取り、パチュリーは薄く笑った。
「ここで次の問題。『私は』と『嬉しそうに』を変えずに、自然な文章とするにはどうする?」
今度は魔理沙とアリスが揃って考え込んだ。
「……おいパチュリー。さっきお前、その二つが同じ文章を構成しているとおかしいって言ってなかったか?」
「あ、わかった!」
アリスがポンと手を打つ。
「こうね。『私はそれを聞いて、嬉しそうに笑って見せた。』」
「なるほど……いや、どうしてそれだと通るんだ?」
一瞬納得した様子を見せた魔理沙は、またしても首をひねる。
「この場合の『嬉しそうに』っていうのは、『嬉しくなって』とは別物なのよ。さっき貴方が言ったことにも通じるけど」
「ふむ」
パチュリーにも特に異論はないみたいなので、アリスは続けた。
「ポイントは『見せた』ね。あくまでも、そのように見えるように演出した、ということ。演技した、と言い換えてもいいわ」
「ははぁ。本当は嬉しくないかも知れないけれど、相手には嬉しそうに見えるよう、意識して笑って見せた、ということか」
口に出しながら考えを整理したのか、魔理沙は得心したというように笑った。
「あー、たとえばアレだ。香霖に、無駄に長い無駄な蘊蓄を無駄に延々と聞かされた客が浮かべてる感じの笑顔だな」
「……あの店主も気の毒ね。魔理沙の言うことはすっごくわかるけど」
アリスが苦笑したところで、パチュリーは咳払いをする。
「このように、文章とは書かれたことが全てだから、どう書くかで、書かれた対象の行動も外見も内面も規定されてしまう。最初の例文に戻って、仮に『私は』の部分が間違っていなかったとしたら、どうしてこのようなおかしさが生じたと考えられる?」
魔理沙はアリスと顔を見合わせ、口を開いた。
「おそらくだな、作者は書いている光景を、三人称的な映像としてイメージしていたんだと思う。だから、『私は』と書いていながら、あたかも他者からの視点で語られたような表現――『嬉しそうに』を用いてしまったんだ」
「そんなところでしょうね。読み慣れている者、書き慣れている者は、基本的にそういう文章を書かないのだけど、物語書きのビギナーが陥りがちな罠といえるわ」
「考えてみれば、別に文法としては間違ってないからな。小説書きの『お約束』と、文章における『文法』とは違うってわけだ」
魔理沙がうんうんと頷いたところで、アリスはカップを手にする。
「綺麗に纏まったようだけど、これで終わり?」
「だといいんだけどね」
アリスの問いに対し、パチュリーは意味ありげに応える。
魔理沙は眉をひそめた。
「なんだよ、もったいぶるなよ。そんなんだからトイレに行って力んでみても、もったいぶってなかなか出てきてくれないんじゃないか?」
「ぶっ!? ――ごほ、げほっ!!」
アリスがむせる。
パチュリーは怒りと恥じらいと半笑いの混ざったような顔で硬直していた。
実に良い。
「ごほごほっ、ちょ、まり、魔理沙! やめてよそんな……汚い話は!」
「あ、いや、すまん……。ただ、運動不足だと出るモノも出ないって言いたかっただけで……」
「魔理沙!」
アリスの叫びにより、危ういところでパチュリーの放った火球を避けた魔理沙は、引きつった笑みを浮かべて両手を上げた。
降参のポーズである。
「……話を戻すわ」
出るモノは出ないが、その代わり魔理沙の暴言を水に流したらしい。
パチュリーは何事もなかったかのように口を開いた。
「これまでの共通認識だと、最初にそこの不躾な黒いのが挙げた例文はおかしい、ということだったわね」
まだ完全に水には流し切れていなかったようであった。
「あ、ああ。そうだな。『私』視点からだと、『嬉しそう』っていうのはしっくりこない」
「例外的に、『嬉しそう』に見えるよう意識して振る舞っているのなら、おかしくはないとも言える、ということだったわね」
魔理沙とアリスが、まるで教本のような纏めセリフを口にすると、パチュリーは額に指を当てた。
「でも、実はおかしくなかったとしたら?」
「は?」
「え?」
魔理沙とアリスは素っ頓狂な声を上げる。
パチュリーが言うのは、つまり今までの議論を根底から引っくり返すことでもあったからだ。
「おかしくないのよ。ある特定の条件下において、この文章はごく普通に成り立ち得る」
きっぱりと言い切るパチュリーを前にして、魔理沙とアリスはまたしても顔を見合わせる。
「そこで応用問題。例文『私はそれを聞いて、嬉しそうに笑った。』が成り立つのは、いかなる場合か?」
その問い掛けに、魔理沙は足を組んで椅子の背もたれに寄り掛かった。
アリスも真面目な顔つきとなり、口元に手をやって何やら考えている様子である。
「あー、ヒント! ヒントは何かないのか?」
「そうやってすぐにヒントを求める姿勢、よくないわよ」
魔理沙に素気なく返し、パチュリーはカップを口に近付ける。
カップに満たしておいた淹れたての紅茶を、パチュリーはふーふーと冷ましつつ飲んだ。
やはり熱々の紅茶はいいものである。
「なーアリス、わかった?」
「今考えてるところ」
「なーなーアリス、本当におかしくないのかな」
「それを今考えてるんだってば」
「なーなーなーアリス」
「うるさいっての! なーなーなーなー、あんたは猫なの? 猫魔理沙なの!?」
声音と目を尖らせて、アリスは勢いよく立ち上がる。
確かに、魔理沙に猫耳は似合わなくもなさそうだが……。
「こいつは鼠」
「そう言うお前は猫舌ってわけか」
ぼそっと呟くパチュリーに、言い返す魔理沙。
アリスは疲れたような表情で座り直した。
「まったく、あんたの相手をしてくれる人形でも用意しようかしら」
「お人形さん遊びをするのはお前だけで十分だぜ。……ん?」
そこで魔理沙が、はたと何かに気付いたような顔つきとなる。
ややあって、頷きながら身を乗り出した。
「そう、そうか……。うん、わかっちゃったぜ」
「は? 嘘でしょ?」
「いやいやホント。おんやあ? アリス君、まだわからないのかねー?」
「うわウッザ」
しかめっ面で手を振るアリスからパチュリーの方へ視線を移し、魔理沙は口を開く。
「つまり、『私』の規定が問題なわけだ。そうだろ、パチュリー」
「ふん、続けて」
「『私はそれを聞いて、嬉しそうに笑った。』という文章がおかしいのは、『それを聞いて笑った私』と『嬉しそうに笑ったと判断した私』とが同一の場合だけだ。逆に言うと、その二つの『私』が別の存在なら、この文章は何らおかしくない」
「えっ? 『私』は『私』じゃないの?」
なおも戸惑った様子のアリスに、魔理沙は「そうとも限らんよ」と指を振る。
「たとえば妖夢。たとえば萃香。たとえばパルスィ。たとえば赤蛮奇。とまあ、いろいろ考えられるわな」
「ああ! そういうこと……」
アリスがパチリと両の手のひらを合わせると、パチュリーもニヤリと笑う。
「そうね。半霊の実体化や疎密の能力での分身は、どちらも『私』。スペルで分身してもそうだし、頭が複数ある場合だって、別の視点から自分自身を認識できる」
「だから『嬉しそうに』が成り立つわけね。盲点だったわ」
パチュリーは軽く頷きつつ、魔理沙を見る。
「そうね、こういう感覚は魔理沙のほうがわかるかも知れないけれど……貴方、小説を読んでいて、こんなことを思ったことはない? 『どうしてこの人物は、この状況で空を飛ばないのか』と」
「あー……、まあな。いや、私は霊夢や咲夜みたいに身一つで飛んでるわけじゃないからアレだが、言わんとすることはわかるぜ。人間だもの」
用意したクッキーを摘まみつつ、魔理沙は笑った。
アリスはどこから取り出したのか人形を動かしながら、口を開く。
「だとするなら、外で書かれた物語の『お約束』と、ここで書かれたお話のそれとは、かなり違ってきそうね」
「そいつもまた人称と視点の罠、というやつか?」
「うーん、ちょっと違うような気もするけど……」
アリスは首を傾げると、パチュリーに目を向ける。
「人称と視点に関しては、他にも様々な論点があるわね。読んでいるだけではなく、実際に書いてみると、より実感できることも多い」
「そうだな。阿求やさとりも書いているんだっけか。一度そいつらも呼んで話してみたいもんだぜ」
「それはそれで興味深い話を聞けそうね。……さとりについてはあんまりお近づきになりたくない気もするけど」
いつしか、ティーポットもお皿も空っぽになっていた。
パチュリーがパタリと音を立てて本を閉じる。これが会議(という名のティータイム)の終わりの合図だった。
「グリモワールだけじゃなくて、小説を書いてみるのも面白そうだな」
魔理沙が言えば、アリスも
「ペン一本で虚構の世界を生み出すというのも、悪くないかもね」
と同意する。
パチュリーは沈黙しているが、実は既に書いたことがあるのだった。
「それじゃあ、今日のところはそろそろ失礼するぜ」
「あ、私も帰ろうかしら。ちょっと魔理沙、見たわよ、本! ちゃんと返しなさいよ」
「おおっと、なんのことかな?」
呆れたように肩をすくめるパチュリー。
去り際、ふたりはこちらを見て挨拶をしてきたので、私も礼を返す。
「では、お気をつけてお帰りください」
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【書記】
私。
※参加者はそれぞれ敬称略
ところどころ私情が滲み出た点に関しましては、この場を借りてお詫び申し上げます。
東方でやるから意味があるのではと私は思います
要は感情豊かな女の子をどういう目にあわせたいか
ある意味で思想や哲学そのものだと思います
同じく。東方でやる意味うんぬんを見ると、これが浮かびますね。